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■■神道とキリスト教のつながりについて
163
:
名無しのひつじさん
:2008/07/22(火) 14:13:40 ID:7Zai7udM
アンダマン島にはD1もいたはずですが。日本にはブリャートの宝貝の展示品があります。昔は
竹馬古道といって南北シルクロードがあったそうですね。YAP+はインドに形跡がなく、北米行きの
最終電車の出た12000年前には乗り場である南シベリアにはいなかったようです。そうして兄弟の
YAP+Eはホルムス海峡、中近東、小アジアにいる。と言うことは彼らは山戎的暮らしぶりをしていた
のであるとするとイランの山地あたり、ハラフ文化の起こったあたりにおいてDE共通から12000年頃
前に枝分かれを始めたのではないかなといった感じがしますね。
アンダマン諸島にD1もいたというのが確かなら、
日本列島の経由で後の新しい時代にチベットにD系統が入ったというより、
おそらくベンガル湾周辺で、D祖型(M174)から直接D1が派生して
チベットなどに広がったという可能性もありますね。
>>692
氏がいうとおり、突然変異が多い日本人のD2系統は
かなり古いということになる。
D2がチベット・中央アジアあたりから比較的新しい時代にやってきた可能性は
ありえないでしょう。
もしもD2a1aかD2a1bだけが日本人が持っていて、
その祖型になるD2aなんかが中央アジアなんかにあるなら、
日本列島のD2が新しいことになるけど、全然そうではない。
D2系統の多様なタイプを日本人だけが持つので、
古い時代に日本列島に入り、孤立した状態で少なくない人口を長期間保持した証明になる。
ただD1やD3の突然変異が少ないのも、D系統の人口が日本よりは
少なかったことを考えると、D2とともにこちらも結構古い可能性はなくはないかと思う。
日本にD1がほとんどなかったり、チベットにD2がないことから、
どちらも古い時代に派生したように思うのだけど。
それぞれ寒冷だった旧石器時代に南の海岸・島嶼ぞいを移動して、
暖かくなった縄文時代に北上したんだろうね。
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