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■■神道とキリスト教のつながりについて
168
:
名無しのひつじさん
:2008/07/28(月) 10:34:12 ID:p7mjrdgY
秦の建国年代は紀元前778年、イスラエル王国の滅亡は紀元前722年。
計算が合わず、この説は成り立たないように見える。
しかし、この数値は伝えられる秦皇帝、秦王、秦公の在位年数を鵜呑みにした場合の計算。
こういうものの中には例外ともいえる以上に長いものが存在する。
その場合、彼の在位年数は故意に2倍されているのだ。
そうしたケースを秦公、秦王、秦皇帝の中から調べた所、存在した。
秦公では2代文公の50年、9代穆公の39年、13代鍼景公の40年、14代哀公の38年、17代窅共公の34年。
秦王では3代目昭襄王の55年、秦皇帝では始皇帝の36年。
秦公、秦王、秦皇帝を通して、在位年数は1桁以外は皆10〜27年に収まっている。
しかし、この7人はそれを著しく飛び越えている。
彼等の在位年数を2で割ると25、19、20、16、17、27、18となる。
これらを足すと142。
778から142を引くと636。
即ち、本当の秦の建国年代は紀元前636年なのである。
イスラエル王国滅亡より86年。
イスラエルから中国までの移動にしては長い時間だが、
此処まで来るまでにアフガニスタン、北インド、
ミャンマーなどに何度か腰を落ち着けていることを考えれば、妥当であろう。
さらに、彼等秦王族の姓であるエイはイスラエル10支族の王族エフライムの転訛である。
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