[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
■■神道とキリスト教のつながりについて
187
:
名無しのひつじさん
:2008/08/13(水) 17:51:29 ID:p7mjrdgY
「北方臺正東,高夷?羊,?羊者,羊而四角。獨鹿??,??善走者也。孤竹距虚。不令支玄豹。不屠何青熊。
東胡黄羆。山戎戎菽,其西般吾白虎鄢文。
これは西周初年(紀元前1046年頃)、周の成王が洛邑(洛陽)を創建後、諸侯を招いて大会を催したとき
の記事の抜粋だが、ここに高夷の名が見える。 孔潁達(唐代の学者、隋書を編纂)は、王會篇の注釈に
次のように記している。「逸周書に記された会議に参加した北方台地の東の高夷とは、高句麗族の源流で
ある」 高夷氏は山東省に登場する最古の部族。大地に鵠(おおはくちょう)のトーテムを祀り、東夷族が
中原に進入するのに従い、商代には河南省北部に進入。やがて中原から東北地方に移住し、後に高句麗
と名乗ったと考察(あるいは調査の結果)したようだ。 」 sadabeさんHP
この高夷の鳥トーテムはヤマトタケル、神武等始祖的天皇の時代に出現するので、おそらくはヘロドトス
のいう王族スキタイのことで、白鳥等は天神のシンボルではないかと思います。高句麗とはこうした王族的
集団を含有する集団といった意味ではないかと。
「『契丹古伝』 燕国の衛満は、漢の武帝に「殷(箕氏朝鮮)は胡や秦の縁者を抱えており、これを滅して後患
を絶つべきだ」と言上。武帝が彼に兵を与えたので、殷王(箕準)は辰(辰国)に逃れ、殷は滅亡した。衛満
は殷を奪い、前漢は郡県を広げて徐珂(?)を阻んだ。[蘇我のことか。] 衛満は真番国をも奪い、朝鮮
(衛氏朝鮮)と号した。徐珂王の淮骨令南閭峙は殷の報復をすべく漢と謀った。漢は徐珂を郡としないこと
を誓い、『王印』を以て證とした。」sadabeさんHP 衛満の箕子朝鮮が胡や秦の縁者を抱えておりとした
情報は正しく、殷、朝鮮、大和、ヒクソス王朝、ヒッタイト、ミタンニを建国したのは同一のオークネフ・
カラスク文化人であると思います。ヒクソスの国境はクサエ、橋頭堡的国家にヤマハドがあります。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板