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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について
239
:
清香
:2004/07/07(水) 11:29
これ以上は、参加はしません。
妙光寺百年史 第二編 資料 一 御本尊脇書
(一)妙光寺所蔵 87ページに記載されています。
有難う御座いました。
240
:
愚鈍凡夫
:2004/07/07(水) 11:57
狸祭り事件の被害者である石山高僧の小笠原慈聞氏は、戦時中、「戒壇之本尊」を写真にとって出征していく信徒にお守りとして売りつけていたという話があります。
これが事実ならば、石山に創価学会の携帯本尊を嗤う資格はないと思います。
もし漫荼羅を写真に撮ることが謗法ならば、その写真を胸に戦地に赴いた法華講の人々はどうなるのでしょうか。同罪ではないでしょうか。
また日開師(日顕師の父親)は、650遠忌記念事業の際に、「御遠忌記念事業費寄附金募集及賞與規定」なるものを設け、信心の厚薄に関係なく、寄付金の金額によって賞与御本尊を下付しているようです。
「第六條 寄附金完納者ニハ賞與大漫荼羅、尊號、賞状ノ三種ヲ以テ賞與ス
一、壹千圓以上完納者ニハ賞與大漫荼羅及永代尊號ヲ授與ス
二、五拾圓以上完納者ニハ大漫荼羅ヲ授與ス
三、弐拾圓以上完納者ニハ尊號ヲ賞與ス
四、弐拾圓以下完納者ニハ賞状ヲ授與ス」
ということだそうです。これは、「富士一跡門徒存知の事」にはない解釈ですね。
また、日開夫人の妙修(日顕師の母親)は「賞与本尊」授与について、次のように発言しているようです。
「あなたがそう言ったって、お山では、大きな仕事をするときにはお金が必要なんだよ。謗法からはお金を貰うわけにはいかない。また、いくら信心があっても、お金のない人からは貰えない。そうしたら、信心はなくても謗法でない、お金のある人に頼まなければならない」
これは、創価学会古参幹部の一人が、
「広宣流布には金がいる」と言って、三桁(百万単位)を差し出すように広布部員に強要した話と同じ次元ですね。
所詮、謗法かどうかなんて、その時々の「お山」の事情でどうにでもなるんですよ。 (`ヘ´) プンプン。
宗教ビジネス最優先が各教団の「お家」の事情というのが本音ですね。
「地涌639」
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/17/639.html
241
:
Happy Birthday!!
:2004/07/07(水) 12:23
>235 犀角独歩さんへ
>> 御住職様の言われた事には背く訳にはいかない事情
>でしたら、ここで議論に参加して致し方ないでしょう。
>こちらがどのようなことを記しても「指導教師のご指導と違います」で終わってしまいます。そんな話は当方としてはどうでもいいことです。
私は興味あり。むしろその指導教師のご指導を、どんどん載せてほしい。
>ここは独立した個人が自分の頭で考え、自分の頭で決定する場です。
大賛成!!
>その自己決定を他人に任せて、その宣伝を鸚鵡のように口真似することを記されても始まりません。
直接、その指導教師が書き込めないのであるならば、別に代弁者がいてもいいんじゃない?
私自身、アンチ僧侶ですが、大いにそのご指導とやらを拝見したいと思う。
ただ、私が強く感じることは、清香さんは板曼荼羅を信じ、僧侶をも信じて、立派な信仰心をお持ちである。ところが犀角独歩さんからは、その信仰心が(若干?)無いような気もする。
もちろん犀角独歩さんの書き込みは、大いに勉強になり、資料の記載もありがたい。
そこでひとつだけ質問。
犀角独歩さんは、どんな曼荼羅を対境としているのでしょうか?(非常に興味がある。)
納得でき、かつ可能であれば、私も同じものがほしい。
ものすごく横レスしましたこと、深くお詫びします。
242
:
犀角独歩
:2004/07/07(水) 12:35
―237からつづく―
上述の如き「宗教犯罪」を可能にする最も簡便な方法は本尊真偽を信者僧俗に触れさせないことです。
つまり、「御本尊に関わる一切は御法主上人猊下の権能にましますので、他の僧、ましてや俗は、いささかたりとも疑うことなく、ひたすらに信じることが肝要である」、こうしてしまえば一切の批判を封殺できます。
しかし、自分が信じるものが本物であるかどうか一大問題なのであって、その実否を知ろうとすれば、その現物を見たり、写真を見たり、他と比較してみたり、種々の意見を聞いてみることが必要となります。しかし、こんなことをされてはまことに都合が悪いわけです。ですから、このような行為を「謗法」と言って悪徳とし考えることを放棄させます。
このときに使われる道具は「信仰心」というものです。「純粋に信仰するものであれば、いささかも御本尊様を疑うはずがない」という呪文を唱えると、簡単に考えることを放棄してしまいます。
しかし、「御法主上人猊下に間違いがないと信じること」「戒壇之大御本尊が本物であると信じること」「それらに疑いを持たないこと」が果たして信仰なのでしょうか。この点を考えてみる必要があります。
「何か集団のメンバーになっていても、もし何か矛盾する事実に突き当たったら、徹底的に疑ってみることが大切である。もし、個人が疑うことに対して、何か罪的な否定的意識を教えこまれているとしたら、それは科学的思考を一切否定していることと知るべきだ」とは、数々のカルト問題と闘ってきた社会心理学者・西田公昭師が、その著「マインド・コントロールとは何か』(紀伊國屋書店)の中で記した一節です。
たとえば日本には多くの国宝がありますが、その中には人々の信仰対象であるものも少なくありません。それが本物であれば、どんなに調査されようが、むしろ、そのことを歓迎するでしょう。何故ならば、調査されることによって、本物であることが科学的にも証明されるからです。信仰対象が物体であるとき、それには必ず制作年代、起源があるのであって、それを調べれば、その事実が判明します。「本門戒壇之大御本尊」を石山が尊重し、唯一最高の本尊とするのは、弘安2年10月12日に身延の山中に於いて、蓮師自ら楠板に之を図示、法師が彫ったものであるからと言います。であれば、それが事実かどうか調べて、事実であると科学的にも証明されることは最も歓迎されることのはずです。ところがこれをさせないわけです。赤沢朝陽その他の仏具屋に修繕させることは良くても、科学的学術調査は駄目というのは理屈が通らないところです。要は調査されては困る事情があるのであろうと憶測されるのは当然のこととなります。そうでなければ事実を解き明かす科学的学術調査は歓迎されるところであって、忌避する理由は何もないはずです。まさに西田師の言うとおり、事実はどのような調査に耐えるものだからです。
所謂「戒壇之大御本尊」はその相貌の特徴は弘安3年5月9日禅師授与漫荼羅とほぼ同一なのであって、そこに記される弘安2年10月12日当時の相貌を反映していません。つまり、相貌の特徴と記載年代にずれがあります。こんなものを本物とは素人でも見ないでしょう。それを「信心で」と言えば、嗤うほかありません。まして、このように明らかに疑わしいものを唯一絶対なものと評し、大勢の人々から金品を巻き上げる行為は看過できません。さらに、それが贋作であることを知りながら「本物である」と言って、金品を巻き上げることを詐欺というのです。確信犯です。立派な犯罪行為です。そのような真面目なスタンスで『蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について』を考えているわけです。
写真に撮ることも、本尊について論じることも駄目などという心理操作にまんまと引っかかっているのに、それが「強盛な信心」と思い込まされている事実をしっかりと見据えることです。
石山信仰者として、不信者に出来ることはたった一つです。石山・顕師に動かして、科学的・学術的調査を今日にでも実施して「真実の証明」をやってみせることだけです。
それ以外の「信じる者は救われる」の類のお説教は、真偽論攷には向いていないことを重ねて記しておくことにします。しかし、最近の日蓮本仏論者・戒壇本尊論者は骨がない。直ぐに泣き言を言うか、逃げ出すか。そんな独り善がりのだらしなさで「閻浮第一の御本尊」とは呆れます。
243
:
犀角独歩
:2004/07/07(水) 13:02
Happy Birthday!!さん:
> 私は興味あり。むしろその指導教師のご指導を、どんどん載せてほしい。
なるほど。そのようなご見解は確かに可ですね。
> 犀角独歩さんからは、その信仰心が(若干?)無いような気もする。
それはそうでしょう。わたしは現石山に信仰心などありませんから。
また反面、熱心な学会を含む石山系集団構成者の有様を信仰であるとは思いません。迷信であると思います。そして、その迷信者の一人にたしかにわたしという人間がいたことをここに率直に認めるものです。わたしの母は常に信仰に命を捨てることを奨励し、わたし自身そのつもりで生きていました。自分自身のことですから、敢えて不適切語・差別語の範疇である語彙を以て表現すれば、それは「狂信」であったと自省しています。
> 犀角独歩さんは、どんな曼荼羅を対境としているのでしょうか?
どんな漫荼羅も対境にしていません。そもそも漫荼羅を本尊と言うことで勤行時の対象であるということ自体、疑義があります。何故ならば蓮師の真跡から、そのようなことが読み取れないからです。
わたしは歴史上のシャキャムニの実像に恭敬の念があります。また、自分が生まれ落ちた信仰圏の尊敬(そんぎょう)の対象である日蓮が敬愛します。また、苦しいときも楽しいときも読み続けた『妙法蓮華経』が好きです。しかし、それらを絶対であるとは思いません。しかしまた、菩薩道、あるいは「空」観(もしくは中道)という仏教圏に醸造された精神史を、釈尊の直説と考えはしませんが尊重します。また、「取捨得宜不可一向」とは実に当を得た釈であると思い、わたしが好きな言葉の一つであり信条ともしています。
いまここでわたしがなそうとしていることは、石山700年来の嘘の一切を暴き、「では、事実は」「事実に基づく信仰は」という再考です。しかし、その信仰を自分がするか否か、それはまさに「取捨得宜不可一向」です。
244
:
犀角独歩
:2004/07/07(水) 17:03
愚鈍凡夫さん、ちょっと質問。(難癖を付けるのではありません、ご安心を)
> 笠原慈聞氏は、戦時中、「戒壇之本尊」を写真にとって出征していく信徒にお守りとして売りつけていた
この件なんですが、慈聞師が弥四郎漫荼羅を御守りにして売ったまではわかるんです。しかし、宝蔵にしまってあるものを、たとえ高僧だからと言って勝手に写真に撮れるものなんでしょうか。「御鍵番」「御宝蔵番」とかいう役目の坊さんがいますでしょう。これは戦前でもいたんじゃないでしょうか。つまり、石山住職の許可なくして写真なんか撮れないんじゃないのか、平ったく言えば、石山住職も共謀、あるいは写真を撮ることは許可はしたのではないのか? わたしは案外、報知社『日蓮上人』巻頭グラビア写真を使ったのではないかと思うのですがどうでしょうか? というのは『悪書板本尊偽作論を粉砕す』に、この写真で漫荼羅を造ったものが出たことが記されていたからです。写真は明治44年、戦前と言えば、対象の15年間を挟み、さらに10余年あります。それなのに、慈聞師辺りが写真を撮れるものでしょうか。どう思われますか。
245
:
愚鈍凡夫
:2004/07/07(水) 20:21
むむっ・・・・・・。 (;^_^A アセアセ…
犀角独歩さんどうもです。
1925(大正14)年に35㎜スチールカメラが登場し、1928(昭和3)年に6×6版の二眼レフが登場していますから、御宝蔵の中に入れればフラッシュ撮影が可能のようですね。
ただ、小笠原氏にカメラの知識があったかどうかったかどうかは分かりませんが・・・・・。石山公認の場合なら、信徒の写真家に依頼したとも考えられますが。
それにしても、石山に無断でやったのか、石山もグルだったのか興味がありますね。
あるいは、犀角独歩さんが仰るとおり、
> 案外、報知社『日蓮上人』巻頭グラビア写真を使ったのではないかと思うのですがどうでしょうか?
この写真を無断で接写して焼き増ししたのかも知れませんね。しかし、ハガキが2銭の時代ですから、一枚2円とは法外な値段ですね。
「遠軽交通通信関連」
http://ganbo.i.pxc.jp/ganbo/tyousi/koutuu/data7.htm
246
:
愚鈍凡夫
:2004/07/07(水) 20:26
訂正
> ただ、小笠原氏にカメラの知識があったかどうかったかどうかは分かりませんが・・・・・。
「何ゆうてんのか、わかれへん」 σ(^◇^;)
正→ただ、小笠原氏にカメラの知識があったかどうかは分かりませんが・・・・・。
です。悪しからず。 m(_ _)m
247
:
犀角独歩
:2004/07/08(木) 06:00
愚鈍凡夫さん、有り難うございます。
カメラの歴史、勉強になりました。
それにしても2銭を2円ですか。
単純計算ですが、いまはハガキ1枚は50円。2500倍になっていることになりますか。すると2円は5000円。学会の携帯本尊はいくらでしたっけ? 同じようなものですか。石山の印刷漫荼羅代は3000円以上が義務づけられていました(わたしがいた当時のことですが、いまは知りません)。
昔から相場はあまり変わらないと言うことでしょうか。
「日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝くも書写し奉り之を授与」などとは遠く隔たり脈絡のない話だと、改めて思った次第です。
248
:
愚鈍凡夫
:2004/07/08(木) 13:27
>>247
:犀角独歩さんどうも。
> 単純計算ですが、いまはハガキ1枚は50円。2500倍になっていることになりますか。すると2円は5000円。学会の携帯本尊はいくらでしたっけ?
池田さんが小笠原さんをパクッたわけでもないんでしょうが、因果は巡る糸車って感じがしますね。
漫荼羅を売っている教団が、漫荼羅を売っている宗門を非難していること自体、嗤えますね。
思わず、何処が違うんだ? って悩んだりして。 ( ̄〜 ̄;) ウーン
249
:
犀角独歩
:2004/07/08(木) 15:12
> 248
まったく同感ですね。
何度も繰り返し書いてきましたが、少なくとも蓮師は自分の御筆漫荼羅が複製されるなんて、考えもしなかったでしょうね。
ちょっと、頭を捻って考えてみるとわかるんです。例えば寺院から受け取った漫荼羅、旧くなった時の準備に、先に写真に撮っておいて、安置してあるものが煤けてきたら新しいのにしようとか、あるいは「御法主上人が成就本尊を書いてくれたから、これをコピーしてみんなに配ろう」とは考えないわけでしょうね。ところが蓮師御筆漫荼羅だとこれを平気でやってきた。いったい、この感覚の差は何だろうと思うわけです。
また、蓮師漫荼羅は亀姫授与などで知られるとおり、護本尊の意義があるわけですね。
寺院仏閣で貰ってきた御守、これをコピーしてみんなに配ろう、こうも考えないでしょうね。オリジナルとコピーに対する感性は、こんなところにあるわけですよね。
だから、先に挙げた重須文献の精神はわたしは頷けます。
書かれた相貌が蓮師と書いたものと同じだとか、その文字を使ったとか、そんなことではなく、それを図示したときの師の内心、授与する相手を思った心が大切なんだと思うわけですよ。仮に点を筆先から紙に落としたものであっても、それを真心込めて自分のために書いてくださったという師資に通じ合う心、ここにポイントがありますよね。
なんだ文字象形が持つ神秘的な呪力ばかりに目が行ってしまうと、そんな心が失せてしまうと思えますね。
わたしはこんな人情が通じ合うところで、文献主義がどうのと言う気はありません。
転んだ子どもの膝を撫でて「チチンプイプイ、痛いの飛んでけぇ」と言うに、そのおまじないの根拠を求めるより先に、親心がわかるからです。
だからこそ、日蓮の名を騙り、その漫荼羅を書写して商いする食法餓鬼には正面から目くじらを立てるわけです。しかし、これも選挙じゃありませんが、「何であんなとうに投票するんだ」というのと同じ、それに追従する迷信者がそれを支えるわけです。個人でやるのはけっこうですが、束になれば社会的迷惑であるのは政教一致と同じですね。それもどこぞの巨大集団は7兆円、山のほうでも1兆円も資産を集めた、それもこれも贋作を本物と偽ってとなると、その責任を闡明にしないわけにはいかないと思うわけです。
250
:
愚鈍凡夫
:2004/07/08(木) 20:22
>>249
:犀角独歩さん
多くの庶民を経済苦に陥れた、池田さん好みの派手なギリシャ神殿のバッタモンが壊された跡、表向き純日本風のバリヤフリーを自慢する(心意気は買うが、年寄りからまで金取るな)奉安堂(中身は正本堂と変わらない)を建設し、「人寄せパンダ」ならぬ「人寄せ漫荼羅」を内拝と称して大々的に見せ物にして日銭を稼ぐ宗門があるかと思えば、蔑視する宗門の歴代住職の一人が弟子に授与した漫荼羅を代用して、商品化する教団もあるわけですよね。
宗教ビジネスこそが現代の錬金術ということなのでしょうか。どちらも心を金に換える分、罪深いですね。
フォト特集 奉安堂 光彩放つ境域
http://www.myokan-ko.net/menu/sr/236.htm
251
:
犀角独歩
:2004/07/09(金) 00:01
愚鈍凡夫さん:
250、大いに賛同します。
252
:
犀角独歩
:2004/07/09(金) 00:56
愚鈍凡夫さん:
ピンとこないでいま気付いたのですが、奉安堂がバリアフリーという主張は、要するに池田・日達は障害者差別者、柳沢・日顕はバリアフリーという宣伝?ということですか。妙観て、達師の名前、達師に命を捧げた団体ではなかったでしたっけ? それが達師が供養を受けた建物をぼろくそに言っているわけですか?? 妙観講なんて名前をやめて越洋講に改名したほうが好いようですね。……これ、ほんとに講員が造ったHPですか。ここまで達師を愚弄するとは、わたしも負けました(笑)
253
:
Jルーカス
:2004/07/09(金) 09:17
>252
実は私は、妙観講は「達師の阿闍梨号」から命名と聞いてましたので、最初は達師允可で命名されたんだと思ってました。
しかし、実は達師が大草さんのグループを理境坊につけたときは「理境坊東京支部(仮称)」(預り)だったんですね。
その後、御当代が大草さんの希望に従って「妙観講」として允可したそうです。
ところが書籍やHPでは「日顕上人の御命名」となっている。権威付に日顕上人も使われているようにも感じますね。
それはさておき、元々達師よりも御当代に縁が深い講中なのは確かですよ。
254
:
藤川一郎 </b><font color=#FF0000>(/RnWNeIY)</font><b>
:2004/07/09(金) 09:20
なお、妙観講のHPは、講員が作ったどころか「公式HP」となってますよ。
通常、私的なHPが多い法華講では珍しいですね。
255
:
犀角独歩
:2004/07/09(金) 09:45
では改名を受けて藤川さん。
「妙観講」は顕師の代で使われるようになった名前ですか。
うる覚えですが、「妙観会」というのがありませんでしたっけ?
また、達師の遺弟グループというのがたしかあったと思うのですが、こちらは坊さんの集まりでしたか。
たしか妙観講結成をドキュメントタッチで編集したビデオがありましたね。もうずいぶん前20年以上前に妙観講の会合で見た記憶があります。そこでは達師一色で、この時点では顕師より、故達師への思い一色でした。
その中で「妙観会」「妙観講」の名前を達師からもらったようなことをいっていたと…、これはわたしの記憶違い、それともあとから言い直したものでしょうか。
たとえば、妙観講の名前は先に使っていたが、顕師に改めて許可をもらって、それを「允可」と宣伝したというような流れはないでしょうか。
> 「公式HP」
公式! そうですか。これは二度吃驚です。
奉安堂建築計画が出たとき、その高さを「67m」にするのだと聞いて、わたしは呆れました。正本堂の解体は石山内から池田創価学会を消し去ることだとばかり思っていたのです。しかし、今回、妙観講の公式HPで正本堂をぼろくそに書いているのを見て、かつての達師命(いのち)から、顕師へうまく乗り換え、石山境内から達師を消し去るお役目の一役買っているのかと思えました。妙観講、一皮剥けば越洋講。まあ、当代を中心にするのはある面、当然と言えば当然でしょうが。しかし、故人・先代の業績を如何に後世に伝えるかは継承者の義務に属すると思いますね。
256
:
愚鈍凡夫
:2004/07/09(金) 11:16
**************************************************
妙観講は、昭和55年8月、第六十七世御法主日顕上人猊下の御認可によって結成された、総本山塔中理境坊に所属する法華講中です(法華講とは、宗祖日蓮大聖人の御命名による、日蓮正宗信徒の総称であり、その活動単位として、所属寺院ごとに結成された本宗正規の信徒団体を講中といいます)。
〝妙観講〟の名称は、第六十六世日達上人の阿闍梨号〝妙観〟を奉戴したものですが、それは、この講中の基礎が日達上人の格別の御慈悲によって作られた、ということによっています。
すなわち妙観講は、日達上人・日顕上人両猊下の御もとに成った講中であり、かつて日達上人より賜わっている。
「たとえ、次の法主の代、また次の法主の代となっても、常に総本山を根本として信心を貫き通すことが、正しい日蓮正宗の信心の在り方である」
との御指南を体し、正しい信心と御奉公を貫いていくことを旨としているのであります。
「妙観講とは」より
**************************************************
とありますから、
「正本堂」を批判することは、日達師を誹謗中傷することにはならないというスタンスではないでしょうか(日達師は信者たちの寄進を拒むことはできない。という考えでは・・・・・)。むしろ、「たとえ、次の法主の代、また次の法主の代となっても、常に総本山を根本として信心を貫き通すことが、正しい日蓮正宗の信心の在り方である」というのが妙観講のスタンスで、言い換えれば、変わり身の早さこそが妙観講の真骨頂かと推察しました。もし、次の住職が日顕師を痛烈に批判すれば、それに従うということではないですか。
妙観講とは
http://www.myokan-ko.net/menu/mk/mk.htm
257
:
犀角独歩
:2004/07/09(金) 13:38
愚鈍凡夫さん:
有り難うございます。ご解説のところ、至極尤もと存じます。
> 日達師は信者たちの寄進を拒むことはできない
いまとなっては、そんなふうに言えますね。では、正本堂建立前後、達師が池田学会にどんなリップサービスをしていたか、思い出すと、嫌々寄進を受けたとはとても思えません。あとからは何とでも言えますよね。
> 変わり身の早さこそが妙観講の真骨頂かと推察…
これは本当にそうですね。常に自分が追従すれば利益を得られる権威構造を敏感に察知し、動けるんでしょうね。
258
:
平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>
:2004/07/27(火) 11:44
日蓮大聖人の御書のなかで偽書と考えられている著作がかなりあるようですが、それは
日蓮宗系統の宗派や宗教団体に因ってかなりの違いがあるようです。宗派、教団ごとに
自派、自教団に都合がよい御書を真書として、都合が悪い御書を偽書としていますから
ね。そのような御書がありましたらご紹介いただければと存じます。
259
:
平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>
:2004/07/27(火) 16:54
258は横レスで失礼しました。
260
:
愚鈍凡夫
:2004/07/27(火) 17:31
平和創価さん、下記のHPに蓮祖の真蹟遺文と写本遺文の資料があります。ご参考までに。
文献資料
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/bunken.htm
261
:
三学無縁
:2004/07/27(火) 18:21
>>244
お久しぶりです。
この件、じつは小笠原師である、という確証はないようです。
出所も池田大作氏の小説「人間革命」が初見のようです。
弥四郎漫荼羅を御守りにしたものということですが、それならば白抜き文字の相貌になってしまいます。
以前、亡くなった僧侶に聞いたところ、件の「御守り」は文字は黒だったようです。
あるいは「弥四郎漫荼羅」ではなく「紫宸殿曼荼羅」を御守りにしたものかもしれません。
「紫宸殿曼荼羅」を御守りにした前例は堀日亨師の例がありますから、考えられなくもありませんね。
それから、妙光寺の本尊ですが、どうやら剥離本尊のようです。
つまり、法道院旧蔵現石山蔵の「日禅曼荼羅」と同様、真筆とはいうものの、筆の触れていないものと考えられます。
剥離曼荼羅の下側なぞ、直筆ではないわけで、それを「本尊」と思って拝むのは自由ですが、「本尊」として拝ませるのは如何なものでしょうか。
262
:
犀角独歩
:2004/07/28(水) 11:12
三学無縁さん:
> …小笠原師…確証はない
> …「人間革命」が初見
こちらが事実であれば、自分たちが流した情報で、一方的な批判をしたということですね。これはひどい。
> 弥四郎漫荼羅を御守…白抜き文字の相貌
> 件の「御守り」は文字は黒
たしかにこれはそうですね。
仮に反転しても、地がきれいな白にはなりません。
> 「紫宸殿曼荼羅」を御守りにした前例は堀日亨
たしか雪山坊安置の彫刻漫荼羅も伝・紫宸殿の写真製版が原図でしたね。
なんでそんなにこの漫荼羅を好きであったかはともかくとして、『御本尊集』で確認すれば容易に理解できるように、蓮師は漫荼羅と護を四大天玉その他の図示で書き分けていますね。それなのに伝・紫宸殿を縮小して護にしてしまったわけですか。これまた、いまの学会携帯本尊の如く乱暴ですね。
263
:
明日へ架ける橋
:2004/07/29(木) 12:16
初めてカキコします。
雪山坊御安置の板御本尊様は、師資伝授の御本尊様のお写しが御安置されて
いるのですか ?
写真製版が原図というのもどこからそのような話が伝わっているのですか
興味があります。
264
:
犀角独歩
:2004/07/31(土) 10:39
この漫荼羅が「紫宸殿本尊」とか、また「師資伝」などと言われるようになった経緯のほうこそ、興味がありますね。
有師が板に彫刻したこの本尊がいったいどこからもたらされたものであるのか、そもそもこの漫荼羅が蓮師の御筆真筆であるかどうか、「紫宸殿」の呼称にケチをつけられるや、授与者(資)を削損してしまったこの漫荼羅を「師資伝」などと呼称する滑稽さ、興味の尽きない漫荼羅の一舗です。
265
:
明日へ架ける橋
:2004/07/31(土) 18:46
稲田海素という方が出版した御本尊写真帖という本にこの本尊の模写したという
一幅が掲載されています。大正期の本なので写真の画質は頗るほど悪いです。
福島県いわき市の黒須野妙法寺(日蓮正宗)には複写版として三二×十七㌢で
脇書に文安二年十一月六日 日有花押
富士山大石寺重宝紫宸殿御本尊之写也と銘がある写真を和紙に転写した本尊
が現存しています。
266
:
犀角独歩[TRACKBACK]
:2004/07/31(土) 19:33
稲田師は石山にも参詣し、弥四郎漫荼羅も実見した当時の碩学です。
「戒壇之本尊は真っ赤な偽物」と言ったとのことでしたね。
「文安元年」は西暦で言えば、1444年。持住はたしかに有師その人の時代です。聖滅163年も経過しています。仮に稲田師の転写を信用したとしても、つまり有師がこの漫荼羅を紫宸殿と記したというだけで、師(日蓮)の命名である証拠にはなりません。
既に論攷したことですが、同漫荼羅は栃木・信行寺にもあります。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/singyoji_mandara.jpg
その紙幅は山中喜八師『本尊集』にも所蔵不明というおかしな注記で掲載されていますが、たぶん、亨師が暗に許諾したものでしょう。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/082.html
この漫荼羅の最大の問題点は授与者が削損されていることです。
つまり、誰に授与されたかを故意にわからなくしています。
それにも関わらず「師資伝」であると証明することはできないと言うことです。
石山が紫宸殿、もしくは師資伝と呼称する漫荼羅に関する論攷は既に本年3月頃、れんさんをはじめ、皆さんといたしました。
http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/r471-
以上、過去ログをお読みになってから投稿なさっては如何でしょうか。
267
:
@サプリ-
:2004/08/08(日) 11:58
http://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k5289473
妙蓮寺だって
268
:
犀角独歩
:2004/08/13(金) 20:05
> 266
自己レスです。稲田師の弥四郎漫荼羅偽物発言は『創価学会批判』日蓮宗宗務院編(昭和30年7月28日)に
「実物の調査結果を云へば嘗て稲田老師は御遺文対象の為大石寺に赴いた時これを見ることが出来たが眞赤な偽物であつたと云つて居られる。以来石山門徒は宗外批判を恐れ具眼の者には絶対に見せぬやうに秘蔵してゐる始末である。偽物を以て閻浮総与の本尊としてゐることはまことに哀れむべきものと云はねばならぬ」(P23)
とありました。これは稲田師の何らかの資料に基づくのか、あるいは著者自身が聞いたことなのかはっきりしませんが、『板本尊偽作の研究』でも木下順師も稲田師実見を述べているので、日蓮宗内では知られた話なのでしょう。この本へは当然、創価学会は反論したのでしょうが、その所が手元にありません。どんな反駁をしたか、ご存じの方があれば、ご教示いただければ有り難く思います。
269
:
犀角独歩
:2004/08/15(日) 20:04
これまた、ここのところ、頻繁に紹介している『創価学会批判』(日蓮宗宗務院編)の記述ですが、『身延相承書』について、以下のような記述が載っていました。古文書に精通している皆さんは既にご承知のことと思いますが、いちおう、アップしておきます。
「身延相承書には二本あり、一は最後の段に『血脉次第日蓮日興』とあるものと、慶長三年保田妙本寺十五世日侃が本因坊日治に相伝した文書中に見えるものにはその下に続いて『甲斐国波木井郷於山中図之』の十二字が加はつてゐるものがある。嫡々相承の文に二種類あるとは如何したことであらう。…古い興門相伝の書には甲斐国云々と云ふ十二字があるのに現行石山関係の出版物には皆削り去つてある。これは石山自体が本書に対して信頼してゐない証拠で、而も本書がなくては興師の優越を誇ることが出来ぬので改造したものである。何故に改造せねばならぬかと云へば山中に於て図すとあるからで図すと云ふのは曼荼羅とか五時図とか、そうした図示のものでなければ云へない語である所から付嘱の切紙に使用してあることは不都合だと云ふのと、この十二字が両相承の間を動いてゐるのでこれを削ったものであろう」(P30)
「両相承の間を動いてゐる」というのは言わずと知れた教師『立義抄』では池上・身延相承が逆になっていることを指すのでしょう。
『日蓮一期弘法付嘱書』 弘安5年9月 61歳
「日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月日 日蓮花押
血脈の次第 日蓮日興」
『身延山付嘱書』 弘安5年10月13日 61歳
「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年壬午十月十三日 武州池上 日蓮花押」
ご丁寧に「武州池上」となっています。ここは以前は「武州 日蓮在判」でした。
これが
「釈尊五十余年之説教 白蓮日興付属之 可為身延山別当 背在家出家共輩者可為非法衆也
弘安五年九月十三日 日蓮在御判
血脉次第日蓮日興 甲斐国波木井郷山中図之
日蓮一期弘法 白蓮阿闍梨日興付嘱之可為本門弘通大導師也 富士可為建立本門事戒壇也 可待於時耳 事戒法謂是也 付中我門弟等可守此状也
弘安五年十月十三日 日蓮在御判
池上相承也」(旧版・冨要疏釈部の一 P44)
となっていることでしょう。
9月8日に身延を発っているはずの蓮師が9月13日に「甲斐国波木井郷山中」に記したというのは、両相承が逆さになっている以上に都合が悪いところでしょう。それにしても、この‘創作者’は、「図之」とはいったい、何を指したかったのでしょうか。
270
:
空き缶
:2004/08/15(日) 20:56
犀角独歩さん、お久しぶりです。以下、ご参考までに。
「甲斐国波木井郷山中」の十二文字は、保田妙本寺の万年救護本尊の副書にも全く同様の記述があります。
この万年救護本尊の副書には「建治元年太歳乙亥六月十七日」の日付が入っており、宗祖御在世中に書かれた記述という事になります。
ただし、この副書の筆跡は、明らかに宗祖のものではなく他筆である為、誰かの写本ではないかと考えられています。この副書については、外部の鑑定等も含め現在進行形で調査中との事です。
271
:
犀角独歩
:2004/08/15(日) 21:28
空き缶さん、お久しぶりです。
「待ってました」という気分です。
やはり、反応してくださいましたか。
そうなんですよ。宮崎師も記していますが、二箇相承は切紙だと言うわけです。同文句が万年救護本尊と相承書にあり、その両方が妙本寺に係る、つまり、「甲斐国波木井郷山中図之」の図とは万年救護本尊の図示であり、日蓮日興血脈次第を伝え、その本尊と相承書を一つのものとして妙本寺に蔵されたとすれば、その血脈次第は蓮興目郷を意図したものであることになるのではないのか、というのが、今回のわたしの類推でした。
要するに、両相承も、(万年救護)大本尊も目道の石山とはまったく無関係の成り立ちであるということなのだろうということです。
272
:
空き缶
:2004/08/15(日) 22:05
犀角独歩さん、うまく釣られてしまいました。(笑)
万年救護本尊に関する相伝は、西山本門寺・大石寺・保田妙本寺に伝わる「日興相伝之大事」という保田妙本寺第15世日侃師の写本に「末法万年御本尊 流布之日、本堂ニ可奉懸之、」と有り、副書の記述と同意である為、副書と併せて注目が集まっています。
「日興相伝之大事」は三十二種の相伝の目録で、その中には「二ヶ御相承 身延 池上」とあります。
日道師と大石寺の関係につきましては、以前地名さんが興風13号の興風談所坂井師の論文を転載戴きましたが、この坂井師の論考は最も公平で現実的なものと思われます。
「東坊地の係争」に関する判断も、千葉大学佐藤教授の論文「妙本寺の成立と展開」(『中世東国日蓮宗寺院の研究』掲載)とかなり近いものがあると思います。
日時師以降の大石寺が、自山の正当化を図るために、すでに故人である日道師を勝手に大石寺第四世にあててしまっただけのことであろうと思います。
そして「末法万年御本尊」のかわりに板曼荼羅が造られたのではないでしょうか。
273
:
愚鈍凡夫
:2004/08/16(月) 00:34
横レス失礼します。
空き缶さん、お久しぶりです。
> ただし、この副書の筆跡は、明らかに宗祖のものではなく他筆である為、誰かの写本ではないかと考えられています。この副書については、外部の鑑定等も含め現在進行形で調査中との事です。
とのことですが、これは保田妙本寺の「万年救護本尊」の正当性を裏付けるために滅後に創作された可能性も否定できないと言うことでしょうか。
274
:
空き缶
:2004/08/16(月) 00:41
愚鈍凡夫さん、お久しぶりです。
副書の件は、結果が出てみなければ判りませんが、かなり自信がありそうです。
恐らく「創作」ではなく、それなりの人物の写本であろうと思われます。
275
:
犀角独歩
:2004/08/16(月) 05:02
空き缶さん:
愚鈍凡夫さん:
わたしは「甲斐国波木井郷山中図之」の「之」とは万年救護本尊のことではないのかと思うわけです。ですから、両相承書は、万年救護本尊に、それこそ添えられて相伝されたものではないのか?という憶測を記したわけです。
もちろん、導師の目師からの相伝ははなから問題外と思ってのことです。そして、空き缶さんが仰るとおり、万年救護本尊の代わりに弥四郎漫荼羅を充て、さらに二箇相承を自山の系譜の如くに語るに及んだという筋書きを考えたわけです。
もちろん、研究論攷でも何でもなく、一つの仮定として、皆さんのご意見を窺いたいと思った次第です。
276
:
犀角独歩
:2004/08/18(水) 02:13
しかし、結局のところ、二箇相承が知れるや、北山ももちろんのこと、西山も、保田も、この相承自山にありを表明したのでしょうね。いちばん遅れて、いまでは我が物顔なのが石山でしょうか(笑)
277
:
れん
:2004/08/18(水) 13:28
犀角独歩さん・愚鈍凡夫さん・空き缶さん、お久しぶりです。最近はロム専でしたが、皆さんの万年救護大本尊別幅副書と二箇相承との関連性に関する論考は興味深く拝読しております。犀角独歩さん、「図解必携…」の御出版はいつ頃になりますご予定でしょうか?拝読を楽しみにしていますので、ご教示いただければ幸甚です。
278
:
犀角独歩
:2004/08/19(木) 01:54
れんさん、お久しぶりです。
拙書のこと、お気に掛けてくださって頂いておりますこと、感謝申し上げます。
所蔵寺院、出版社との折り合いを考えてきたのですが、10月にはこのテーマで講演も予定しているものですから、もはや時間切れという気持ちでおります。ともかく、来月には限定冊数で出版いたさなければなりません。プレリリースのような形態になりますが、ともかく出版いたします。販売はインターネットに限り、受け取りは局留めその他も可として、郵送扱いでのお渡しを考えております。
279
:
れん
:2004/08/19(木) 11:41
犀角独歩さん、ご教示有難うございます。限定出版でしかもインターネットでのみの販売ですと、まだPCを購入してない私には購読はむずかしいかなぁと思ってしまいますが、自宅近くの本屋さんではPCで本を注文できるので、それを利用して購読できればいいなと思っております。
空き缶さん、以前のご投稿では、今夏・伊豆実成寺の寺宝のお虫払い法要にご参加されるとのことでしたが、曼陀羅等のご拝観の結果についてご教示いただければ幸甚です。
280
:
空き缶
:2004/08/19(木) 23:24
犀角独歩さん、二箇相承ですが、定善寺文書の日侃写本では「図」が「写」になっています。ものによって微妙に語句が違うのは、日興跡条々事みたいです。
れんさん、お久しぶりです。實成寺の虫干は、今度の日曜日ですが週間予定では残念ながら雨とか。とりあえず晴れることを想定しまして、どのような点について注意してみてくればよいでしょうか?是非ご教示下さい。参加人数によっては、近くでゆっくり観察することはできないかもしれませんが、可能な限り皆様のご研鑚のお役に立てればと思いますので、アドバイスの程よろしくお願い致します。
281
:
れん
:2004/08/20(金) 04:59
空き缶さん、「日蓮宗の本山めぐり」によりますと、実成寺には蓮師御真筆曼陀羅・興師真筆曼陀羅六幅・目師および尊師真筆曼陀羅・目師の消息文・実成寺二十九世隆師筆録の五箇相承、その他六人立義草案等が所蔵されているそうなので、それらについて、注意して観ていただきたいです。曼陀羅につきましては、書写年号・脇書・裏書、その他古文書は内容・奥書を記録していただき、具眼の士であられる空き缶さんの御所見も含めて御披露戴ければ幸甚です。
282
:
空き缶
:2004/08/20(金) 12:00
れんさん、早々のアドバイス恐縮です。
何分教養が無く、古文書の精読は不可と思われますが、できるかぎりの最善を尽くしたいと思います。
事前情報として得ているものは、①日尊師直筆の本尊は無く「日蓮宗の本山めぐり」の誤記であること。②目師書写本尊は曼荼羅形式ではなく「一遍首題」であり、他宗他門の研究書では「目師書写本尊」として認識されていないこと。などがあります。
實成寺の御住職は、とても良い方ですが、何分虫干しという「年中行事」の中での拝観となりますので、どこまで精査して拝観できるかわかりません。ご期待に添えなかった場合には、どうぞご容赦下さいませ。
なお、雨天の場合は中止となります。
283
:
空き缶
:2004/08/20(金) 14:15
追記ですが、今春實成寺を訪れた際に、客殿の板本尊が首題と不動・愛染のみのものであったことを報告しました。日蓮正宗富士年表の初版上巻および昭和56年版では、1340年のところに富士宗学要集8巻210頁の記述をもとに、「太夫阿日尊日目筆本尊を模刻す」とあります。これは平成2年版の日蓮正宗富士年表では削除されており、継命新聞社「日目上人」にも、模刻本尊はおろかその定本となった本尊についても記述がありません。
これは私の憶測ですが、實成寺の客殿の板本尊が「太夫阿日尊日目筆本尊を模刻す」とされている尊師模刻本尊であり、>282の①の誤記、②のような他宗他門の扱い、また富士年表の記述の変化等と関係があるような気がしてなりません。
私が見たものは、わずかな記憶をたどるかぎり、お色直しされている新品同様の、黒塗りで金文字の板本尊であり、脇書き等は無かったような気がするのですが、今回は万が一雨にて虫干しが中止となった場合でも、この点だけは確認してきたいと思っている次第です。
284
:
れん
:2004/08/21(土) 15:29
空き缶さんのご指摘の日尊師模刻の目師曼陀羅=実成寺客殿安置の板曼陀羅という推定は興味深く思います。ご教示によると実成寺蔵の目師本尊が所謂大曼陀羅ではなく、一遍首題であるとのことですが、これが保田妙本寺蔵の元亨年間の目師筆の一遍首題と同形かどうかというのも気にかかります。また、「日蓮宗の本山めぐり」の記事によると弘安年間の興師書写曼陀羅を所蔵とのことですが、新旧各種の興師書写曼陀羅の目録に未掲載ですので、明日晴れて無事にお虫干しが行われましたら、目師筆一遍首題の形式と弘安年間の興師書写曼陀羅の真偽を含めて拝観して戴いて、ご教示戴ければ幸甚です。
285
:
犀角独歩
:2004/08/22(日) 12:45
280 空き缶さん:
> 定善寺文書の日侃写本では「図」が「写」
そうしますと「甲斐国波木井郷山中写之」となるわけですか。
二箇相承は、建前、蓮師が記した文書ですね。そうなると、蓮師は何を「写した」という意味なのでしょうか。
それとも、この部分は他筆が前提で、この二箇相承を侃師が写したという意味でしょうか。それとも、侃師文書を写したのが定善寺文書でしょうか。
なんか、またややこしい話になってきました。
それともこういうことでしょうか。定善寺文書として残る侃師写本は「甲斐国波木井郷山中写之」であった。しかし、教師は「甲斐国波木井郷山中‘図’之」と記したということなのでしょうか。
ご教示いただければ、有り難く存じます。
286
:
愚鈍凡夫
:2004/08/24(火) 00:26
横レス失礼します。
何となく読んでいて、アレっ?と思ったのですが、
日尊師は何故、日目師の漫荼羅を模刻したのでしょうか。
日尊師は、1321(元亨1)年9月28日と1326(嘉暦1)12月13日に日興師より漫荼羅を授与されていますが、ひょっとして、一度勘気(勘当)を受けた日興師より日目師のほうが尊敬の念が強かったのでしょうか。
話は変わりますが、日教師といえば、
「天生原(あもうがはら)に六万坊を立て、法華本門の戒壇を立つべきなリ」(類聚翰集私)
なんて、ほとんど妄想に近いことを宣うた御仁ですよね(そんな広大な土地が何処にある)。
単なる写し間違いだったりして・・・・・・。 (^▽^;)
287
:
空き缶
:2004/08/24(火) 01:14
犀角独歩さん、こん○○は。
単純ですが侃師よりも教師の方が、年代的に古いと思われますので、侃師の写し間違えではないでしょうか。
なお、れんさん始め、皆様にお詫びしなければなりません。
お詫びの1
實成寺の虫払いですが、寝坊+渋滞+道迷いで、現地に着いたのが11時近くでした。
しかも、天気予報で雨の可能性有りとなっていたため、当初10時から行う予定を、2時間早め8時から行ったということでした。
したがいまして私が着いた時は、宝物類を箱にしまっている最中でした。
お詫びの2
前回までのカキコで、客殿安置の板曼荼羅が「一遍首題」であり、目師書写・尊師模刻ではないか、などといっていましたが、とんでもない勘違いでした。
もう本当に恥ずかしく書く気にもなりませんが、ありのままを報告しますと、客殿の本尊は「万年救護本尊」を模刻したものでした。
真正面の遠くからみると、首題と不動・愛染しか見えないのですが、近くで横からみるとはっきりと他の相貌が見えます。若干、仏師の手腕の違いでしょうか、真筆写真と違うような気がしましたが、確かに「文永11年12月日」の日付が入っていました。
虫払いは終わっているし、板曼荼羅は他でもない「万年救護本尊」であったし、全く恥ずかしくてどうしようかと思いました。
なお、ワープロ打ちされた目録を、さっと拝見しましたところ、弘安9年の興師筆曼荼羅が入っていました。
れんさんがご指摘されていたものがこれかもしれません。しかし私は実見できませんでした。
なお、客殿の裏が位牌堂になっており、御影が安置されていましたが、背面に曼荼羅はなく御影のみの安置でした。
また客殿の万年救護板曼荼羅の左右には、蓮師・興師の御影画がありました。
お茶を飲む座敷には、「無宿 日生上人」の曼荼羅が掛軸のように懸けられていました。
それから歴代墓所の中心には左から、尊・興・蓮・目・郷の五人の墓石が立っており、歴代ではない日郷師の墓石が立っていることに、大変興味をそそりました。
ちなみに尊師の次の歴代は日印(尹)師です。
客殿の万年救護板曼荼羅といい、郷師の墓所といい、保田系との深い関わりを感じた今回の訪問でした。
ともあれ、これまで私の癡さゆえに、全くデタラメなことを書き込んでいたことを、皆様に深くお詫びいたしたく存じます。
288
:
勉強中
:2004/08/24(火) 12:04
はじめまして、いつもこちらの掲示板を拝見し、勉強させていただいているものです。
私も實成寺のお虫払いに興味を持ち、空き缶様よりご案内のあった、8月22日に出向いて参りました。
空き缶様の仰るとおり、お虫払いは朝8時からはじめられたということで、私が到着したのは9時半ごろでしたが、出すものは出してみな休憩中といった雰囲気でした。
参加者のほとんどは近隣のお手伝いの方のみで、私のような新参者はごく少数であったと思います。
展示物はすべての宝物ではなく、一部のものでした。一通り箱からは出していましたが、広げて展示していたものは一部で、あとは巻いた状態で並べられていました。
住職様は「遠くからお越しいただいたので、せっかくですから珍しいものお見せしましょう。」といわれ、日目上人の御本尊を広げて展示してくださいました。この御本尊は曼荼羅形式でした。
日興上人の御本尊は、3幅展示されていましたが、ご議論にあります弘安年間のものは展示されていませんでした。
私が個人的に興味を持ったのは、大石寺の日精上人のお手紙が展示されていたことです。内容的には日典上人の関係者が實成寺もしくはその周辺にいらしたようですが、實成寺ももとは京都の要法寺系の寺院ですから、日精上人とも何らかの関係があるのかな〜と興味がわきました。
そのほか万年救護本尊の御形木や、保田妙本寺の不動愛染の御形木らしきものも展示されていました。
また御宝蔵の一番奥に万年救護本尊の板御本尊がありました。これはかなり大きく、客殿のものより大きかったと思います。
そして住職様に祖師堂の見学をさせてもらえるかたずねると、「どうぞどうぞご自由に」ということで、なんと私一人で祖師堂に行き須弥壇サイドの階段より上って、厨子を開け祖師像を拝見させていただけました。
祖師像の裏には板曼荼羅がありましたが、ほぼ祖師像と同じ大きさのため、相貌などは祖師像をどかさなければ確認できません。さすがに勝手に祖師像を動かすことは気がひけまして、できませんでしたが、實成寺の住職様は何でもどうぞというような、気さくな方でした。
ご供養や拝観料などは一切必要ないうえ、最後には新参者の私に「食事を取っていきなさい」と昼食まですすめていただきました。
以上、僭越ながら、報告させていただきます。
289
:
犀角独歩
:2004/08/24(火) 12:15
288 勉強中さん:
はじめまして。一つ質問させていただきたいのです。
> 万年救護本尊の御形木…保田妙本寺の不動愛染の御形木らしきもの
この「御形木」と仰るのは版木のことですか、それとも、紙幅のものですか。どちらのことでしょうか。
ご教示いただければ有り難く存じます。
290
:
れん
:2004/08/24(火) 13:26
空き缶さん、ご苦労様でした。お虫干しに間に合わなかったのは残念でしたね。客殿安置の板曼陀羅が万年救護本尊の模刻でしたか。確か富要第九巻所収の文献には江戸期に保田妙本寺の僧侶で伊豆実成寺の貫首になった方がいたと記憶しておりますから、妙本寺と実成寺の関係は決して浅いものではなかったでしょう。実成寺に万年救護本尊の模刻や不動愛染感見記の形木があったとしても何ら不思議ではないと思います。また、弘安の興師曼陀羅が弘安九年とのこと、真筆ならば現存分のものでは最古のものになりますね。
勉強中さん、はじめまして。実成寺のお虫干しにご参加されたのですね。実成寺蔵の目師曼陀羅がいわゆる大曼陀羅であったとのこと、参考になりました。有難うございました。私もいつか伊豆実成寺のお虫干しに参加させて戴きたいとおもいます。
291
:
犀角独歩
:2004/08/24(火) 13:38
保田妙本寺・郷門というのは、元来、蓮目郷という相伝譜が先行し、のちに蓮興目郷に置き換えられていくのでしたっけ。いっぽう伊豆実成寺は尊師が開基でしたね。ここで万年救護本尊が本堂に据えられているというのは意外でした。れんさんが仰る当たりの事情に拠るのだろうと思えました。
292
:
れん
:2004/08/24(火) 21:23
犀角独歩さん。日郷師筆記の「日郷法系図」(正本大石寺蔵)には郷師の師である目師の学法及び受法の系譜がしめされております。学法は「日蓮聖人―学法―日目」受法は「日蓮聖人―日興―受法―日目」とあります。学法の一例としては後世の文献にて内容不明ながら日有聞書「雑雑聞書」や左京日教師・保田妙本寺の日要師・日我師の言及される日目の耳引法門や石山因師の三四月会合抄に引用される日目直授相承等があげられ得ると思います。少なくとも日郷師には「法系図」の記述から日蓮―学法―日目―日郷、日蓮―日興―受法―日目―日郷という系譜に見られる自らの法統の意識はあっただろうと思います。
293
:
勉強中
:2004/08/24(火) 23:09
犀角独歩様、お尋ねいただきました件につきましては、紙幅のものでございます。
なお、残念なことに、私のここでの書き込みが、勝手に他所にて転載されていました。初めての書き込みがこのようになってしまい、非常に残念に思います。
http://bbs5.on.kidd.jp/?0501/Fujinomiya
294
:
犀角独歩
:2004/08/25(水) 18:12
れんさん、有り難うございます。
学法と受法ですか。なるほど。
勉強中さん、有り難うございます。
他所転載、まったくマナーもなにもあったものではありませんね。
どうか、これに懲りず、ご投稿を続けてくださることを念願するものです。
295
:
愚鈍凡夫
:2004/08/25(水) 20:25
ぶしつけに、つかぬ事をお尋ねします。
勉強中さんは下記のHPに出てくる"名無し@勉強中"さんのことですか?
本山實成寺御霊寶虫払法要に参加して
http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/4035/1093431225/1
296
:
勉強中
:2004/08/25(水) 20:47
れん様、初めまして。實成寺の住職様はとてもよい方です。ぜひお出かけくださいませ。
犀角独歩様、激励ありがとうございます。
愚鈍凡夫様、初めまして。また情報をありがとうございます。
該当の投稿は、まったくの別人によるものです。「富士宮ボーイ」の掲示板しかり、いったい何者でしょうか。極めて遺憾であり残念でなりません。
もともと閲覧やロム専門でしたが、やはりのこのこと出てくるんじゃなかったと後悔しています。
たまたま時間があり自分が参加したことで、空き缶様のフォローができればなどと、でしゃばりすぎたと反省しました。
「富士宮ボーイ」の掲示板管理者様には、記事の削除と不当な書き込みを行った者への適正な処分を、メールにて依頼しましたが残念ながら受け入れていただけなかったようです。
これもまた極めて残念なことで、ネット界の恐ろしさ厳しさを知ったかぎりです。
297
:
空き缶
:2004/08/25(水) 21:04
勉強中さん、はじめまして。
種々フォロー戴きましたこと、感謝申上げます。
なお、富士宮ボーイの管理人さんへは、掲示板へのカキコを通し、私からも対応を以来させていただきました。
確かにネット上にはいろんな方がいますが、どうぞ今後とも是非共々に研鑚してまいりましょう。
298
:
空き缶
:2004/08/25(水) 21:19
なお、富士宮ボーイの掲示板を見ますと、犯人のIPは以下の通りですね。
↓
cv78.ade2.point.ne.jp Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98) (ID:405061813467)
「冨士檀信徒掲示板」とかいうところでのコピペも、ここでカキコしたことのある阿達さん、藤川さん、などがいらっしゃるみたいなので、協力してくれると思いますけどね。
299
:
空き缶
:2004/08/26(木) 01:36
勉強中さん、富士宮ボーイの管理人さんが早速対応してくれましたよ。
以下、富士宮ボーイからの転載です。
↓
No.4839の件 投稿者:富士宮ボーイ 投稿日:08/25(水) 23:09 PC No.4848
空き缶さん、教えて頂いてありがとうございます。
早速削除しました。
名無しさん(cv78.ade2.point.ne.jp)他板の無断転載はやめなさい。
300
:
空き缶
:2004/08/26(木) 01:40
う〜ん、しかし相当悪質だ。
ここでもやっていました。
↓
http://8327.teacup.com/woman/bbs
301
:
犀角独歩
:2004/08/26(木) 13:45
空き缶さん(299)の働きかけに敬意を表します。
雅仙堂師著「『日興跡条々事』各本対照と真偽問題」(未刊)を読みました。
ご本人の許可をいただき、以下、紹介いたします。
【目次】
はじめに
『日興跡条々事』写真1、2
『富士宗学要集』について
「教学」及び「宗学」という呼称について
「相伝書」の類について
「伝日興」著作類について
門流文書としての「相伝書」
『日興跡条々事』各本の検討
上記、各本の検討に至っては条々事が載る『畑毛日記』を含む17冊で対照を行っています。小編ながら、極めて優秀な論攷でした。
302
:
れん
:2004/08/26(木) 20:07
犀角独歩さん、雅仙堂師「『日興跡条々事』各本対照と真偽問題」(未刊)一度拝読してみたいですね。最近における正宗側の日興跡条々事に対する論述は、道心第十九号所収・高橋粛道師「日興跡条々事の考察」「美濃周人氏の『日興跡条々事』の考察を破す」ぐらいでしょうか。雅仙堂師が伝日興文献に就き、どのように考察されておられるのか、大変興味があります。
303
:
犀角独歩
:2004/08/26(木) 23:24
れんさん、雅仙堂師は粛道師については『日興上人御述作拝考1』を引用しています。
また、お示しの『道心』19号にも触れています。発刊を控えた書なので、勝手に差し上げるわけにも、ネットにアップするわけにもいきません。しかし、誠実なれんさんには是非ともお読みいただきたいところです。
それにしても、石山文書研究の最も馬鹿馬鹿しいことは、その現物が常に公表されないことですね。「百聞は一見にしかず」という格言がありますが、古文書研究で現物が残っていると言いながら、所有者がそれを公表しない研究論攷ほど、不誠実なものはありませんね。
304
:
愚鈍凡夫
:2004/08/27(金) 00:16
横レス失礼します。
ネタ本の正確なコピーであるならば、ネタ本を公表したっていいじゃないかと思うのは小生だけだろうか。 ( ̄〜 ̄;) ウーン
普通に考えても、「バレるのが恐いんだろう!!」と勘ぐりたくなるのですが。
大きなお寺の住職の所見や如何に。
305
:
愚鈍凡夫
:2004/08/27(金) 00:24
勉強中さん。憤慨される気持ちは理解できます。
でも、これに懲りずに、またレスして下さい。
まぁ、ものは考えようで、パクられるということは、それだけ勉強中さんの文章に説得力があるとも言えます(フォローになってなかったりして・・・・・)。 (¨;)
よかったら、これからも宜しくお願いします。 (^_^)v
306
:
勉強中
:2004/08/27(金) 00:46
空き缶様、色々とご支援戴きまことにありがとうございます。
本日、富士宮ボーイ管理人様よりメールも戴きました。
愚鈍凡夫様、激励を戴きまことに恐縮です。
私は今時珍しく56Kのダイヤルアップにてネットにアクセスいたしております。したがいまして、1日1回程度の短時間のアクセスとなります。皆様のお役に立てる、なおかつタイムリーな話題にのっていけるか自身がありませんが、今後とも皆様のご議論を拝聴し、学ばせていただくことを第一義としながら、時には投稿もさせていただこうと思います。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
307
:
空き缶
:2004/08/27(金) 01:21
勉強中さん、こん○○は。
コピペ関連の情報ですが、「富士門流檀信徒掲示板」の方でも、該当カキコは削除してくれたようです。
↓
名前: 管理人 投稿日: 2004/08/26(木) 17:18
遅くなりましたが、「本山實成寺御霊寶虫払法要に参加して」なるスレッドは
他の掲示板の投稿を別人がコピペしたものであり、各種ルール及び法律違反と思われますので
スレッドごと削除しました。
http://jbbs.livedoor.com/study/4035/
#2
この通り、ネット界も決して悪い人ばかりではありませんよ。
なお、こちらの掲示板では「様」をつけた呼称はNGとしており、皆さん「さん」付けで呼びあっています。
勉強中さんも、次回からは我々を「さん」付けで呼んでください。
308
:
愚鈍凡夫
:2004/08/27(金) 01:25
勉強中さん、小生も今年の春頃までは56Kモデムでインターネットしていましたよ。
プロバイダーがタダでモデムを貸してやるし、おまけに3ヶ月間料金をタダにするから「ADSLに切り替えて、お願い」なんて、お姉ちゃんが電話の向こうで囁くもんですから、タダという魅力的な言葉の響きに釣られて、思い切ってADSLに切り替えました。
パソコンを新しく買い換えたのも大きな要因ですが。
あっ、スレ違いだ。 (--;) ウ
309
:
れん
:2004/08/27(金) 05:46
犀角独歩さん。雅仙堂師…発刊を控えた書…ですか。発刊されましたら、入手方法をご教示いただければ購読いたしたく存じます。
「石山文書研究の最も馬鹿馬鹿しいことはその現物が常に公表されないことですね」私もこの犀角独歩さんのご意見に同感です。現況は存じませんが、「日蓮聖人門下諸寺文書集影」が大塚巧芸社から出版されていましたが、日蓮門下の各お寺さんでも、近年では曼陀羅類や古文書等の写真を公表して、第三者の研究に供するのが時代の流れのようですから、石山門下も自信たっぷりに自己の正当性を主張するならば、その所蔵の曼陀羅類や古文書等の鮮明な写真をすべて公表して然るべきだと思います。
310
:
空き缶
:2004/08/27(金) 11:57
勉強中さん、同じようなカキコばかりで恐縮ですが、「仏法関係の掲示板」でも管理人さんが快く対応していただけましたのでご報告します。
↓
なるほど 投稿者:管理人 投稿日: 8月27日(金)02時49分9秒
空き缶さま、お久しぶりです。
「富士門流信徒の掲示板」をお訪ねしまして確認を致しました。
確かに他の方の投稿そのまま掲載していますね。どういうことでしょうね
分かりました。
名無し@勉強中さん、そういうことですので削除致します。
cv78.ade2.point.ne.jp(218.230.73.78)
http://8327.teacup.com/woman/bbs
311
:
勉強中
:2004/08/28(土) 00:13
空き缶さん、色々と本当にありがとうございました。
またこの場をお借りして、「富士門流檀信徒掲示板」管理人様、「仏法関係の掲示板」管理人様に、心より御礼申し上げます。
愚鈍凡夫さん、私は現在無料ブロバイダーを利用してインターネットをしています。
生活が厳しいので、高速インターネット等は現在のところ「夢」の世界です。
312
:
空き缶
:2004/08/28(土) 01:09
勉強中さん、良かったですね。
勉強中さんには、是非日目上人の曼荼羅御本尊の相貌などについて、御教示願えればと思っています。
また、私は御影についても非常に興味がありますので、祖師堂にて御覧になった御影(祖師像?)に関しても、御教示願えればと思っています。
313
:
勉強中
:2004/08/28(土) 23:00
空き缶さん、祖師堂の御影様は、位牌堂の御影様と大きさも形もほとんど一緒でした。
但し(当然ながら)位牌堂の御影様よりも古いです。
日目上人書写御本尊の相貌につきましては、省略した書き方で恐縮ですが、以下のとおりと記憶しております。
中央主題と以下日蓮在御判、四天王と不動・愛染、上段向かって右手側から頭破七分・上行無辺行・多宝、左側は中央より釈迦・浄行安立行・福十号、中段右側より鬼子母神・舎利弗目蓮・文殊、左側は中央より普賢・大日明星・十羅刹、下段右より図顕讃文・天台・天照、左側中央より八幡・伝教、伝教の下に日目花押となっておりました。
図顕讃文と書写年月日は一部欠損しておりまして、正確に読み取れませんでした。
314
:
通りすがり
:2004/08/29(日) 16:09
http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n5639840
本物の御本尊様ですか
315
:
れん
:2004/08/29(日) 16:25
通りすがりさん、はじめまして。ケータイで視たので、細部は確認できませんが、その曼陀羅は善意にとれば写本の類だと思います。相貌からみれば原本は中山法宣院蔵・弘安元年太才戌寅三月十六日蓮師図顕曼陀羅(御本尊集NO.47)だと思います。同じ年月日の同じ相貌の曼陀羅は鎌倉妙本寺にもありますが、こちらもおそらく剥離表装のものか、写本だと思われます。以上ご参考まで。
316
:
通りすがり
:2004/08/29(日) 17:56
剥離表装だと、原本を剥離して同様に表装した物を指すのですか ?
写本の可能性がある、本尊曼陀羅は亀若・姫の護本尊も多いですね
317
:
れん
:2004/08/29(日) 18:49
通りすがりさん、鎌倉妙本寺蔵の弘安元年三月十六日曼陀羅に関して言えば、大田区史掲載の御筆写真を見るかぎり、明らかに御本尊集NO.47の写本で、写真からうかがえる破損状況から写本からの剥離本である可能性があると考えています。亀若・亀姫授与の護曼陀羅・ならびに御本尊集NO.39の曼陀羅は蓮師真筆でしょう。御本尊集NO.39のものは授与書が欠損してますが、北山本門寺・日向定善寺蔵の写本によると亀弥護也とあります。御本尊集掲載の三幅の護り曼陀羅は御本尊集目録の解説によると総州守護職の千葉氏の子息・息女に授与されたものですが、なぜ富士門流の寺院に写本が伝わるのか不思議です。或いは、千葉氏の家臣だった富木氏の子息寂仙房日澄師によってもたらされたものかもしれませんね。
318
:
通りすがり
:2004/08/29(日) 20:17
千葉家から、石山三十一世日因猊下が登座されていますね
今も椎名家は、千葉一族の出身だと今は亡き椎名法昭さんが言っていたのを
思い出します。
大阪蓮華寺に伝わる戒壇本尊の写しも写本になるのですかね。
御本尊集No47の病即消滅・不老不死の本尊の写本を池袋の常在寺で虫干法要
で拝観したことがあります。
319
:
空き缶
:2004/08/29(日) 22:41
れんさん、通りすがりさん、横レス失礼します。
該当のオークション拝見しました。御本尊集47番と比べますと若干横幅が狭まっていたり、左の要文のひげが「南」の上に出ていたり等の違いはあるものの、筆勢等まで非常によく似せてかかれていますので臨写版のようですね。
話しは変わりますが、こちらはどうやら本物らしいですね。
↓
http://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k6571743
勉強中さん、貴重な情報をありがとう御座いました。
320
:
通りすがり
:2004/08/29(日) 23:02
臨写とは、どのような技法なのですか ?
教えて下さいませ。
321
:
空き缶
:2004/08/29(日) 23:41
通りすがりさん、はじめまして。
大変申し訳御座いません、単に筆跡・筆勢まで似せて書いた写本を指して「臨写版」と書きました。
特に深い意味は御座いません。
「そっくり」写本の代表的存在である、日等師の写本が確か「臨写本」と呼ばれていたと思います。
日等師の写本は、首題の下が「日蓮在御判」となっていなければ、宗祖真筆といわれても頷いてしまうほどよく似ています。
このような意味合いから、「臨写版」という勝手な表現を使いました。
通りすがりさんは、日蓮正宗関連の情報に詳しいですね。
今後とも是非、こちらの掲示板にて詳細の情報提供をお願いします。
322
:
犀角独歩
:2004/08/29(日) 23:47
> 319 空き缶さん:
これが御筆ですか。
空き缶さんのお言葉ですが、わたしが疑問です。
323
:
犀角独歩
:2004/08/29(日) 23:54
「わたしが」は「わたしは」打ち間違いです。
花押の書き始めの部分が、如何にも稚拙です。
「南無」も違いますし、「經」の糸偏も稚拙ではないでしょうか。
その他、諸尊、実に下手な字であるとわたしは思えるのです。
花押右に見えるのは「南無法主大聖人」でしょうか。
こんなことは蓮師は図示しなかったのではないでしょうか。
いや、もちろん、空き缶さんと言い争う気持ちなど毛頭ありません。
ただ、わたしが見た感想を直截に述べるばかりです。
324
:
空き缶
:2004/08/30(月) 00:07
犀角独歩さん、お久しぶりです。
すみません説明不足でした。該当のオークションは、中山系出身の「なべかぶり上人」こと、日親上人の真筆です。
先のカキコでは、まるで宗祖の真筆といっているみたいでした。申し訳ありません。
「真筆」というカテゴリーで一緒にあつかってしまいましたが、やはり宗祖と日親師とでは同等に扱うべきではなかったですね。
325
:
犀角独歩
:2004/08/30(月) 00:20
空き缶さん、済みません。
ちゃんと認識せずに投稿してしまいました。
「親師の」ということですか。了解しました。
326
:
勉強中
:2004/08/30(月) 00:41
空き缶さん今晩は。
今日保田妙本寺に行ってきました。初めて保田妙本寺の御影様を拝見しましたが、先週の實成寺の祖師像と比べますとかなり大きいですね。
まさに等身大の「正御影」と呼ばれるだけあって、迫力がありますね。また、ご住職の日櫻上人様もご高齢にもかかわらず、非常にお元気ですね。
御影様の後ろの板曼荼羅御本尊と、客殿の板曼荼羅本尊はともに日興上人の御本尊ですね。
私は「中世東国日蓮宗寺院の研究」に写真掲載されている、2体の板曼荼羅(宗祖曼荼羅御本尊、日郷上人書写曼荼羅御本尊)かと思いましたが、違うんですね。
曇天でしたが、客殿の屋根の上を元気に走り回る猿の群れがおり、歴史と自然を体感させていただいた一日となりました。
327
:
空き缶
:2004/08/30(月) 01:16
犀角独歩さん、こちらこそ失礼しました。
勉強中さん、お疲れ様でした。周りには何も無いところで、おっしゃる通り「自然を体感」する以外なにもないところですよね。
私はここしばらく行っていませんが、日櫻師もお元気との事喜ばしく思います。
>御影様の後ろの板曼荼羅御本尊
私は最初、この曼陀羅本尊に気付かなかったんですが、変なところにかかっていますよね。
こちらは確かに日興上人のものと思われます。この御本尊の取り扱いによって、正御影の造立年代を「蓮師滅後・身延にて興尊が造立」というのが執事さんの最新の考えだと思います。
日櫻師はあくまでも伝統を尊重し、「蓮師在世中に日法により彫刻」という立場です。日櫻師は信仰面より伝統を重んじた考えのようですが、執事さんは興風談所等の外部機関とも連携し、霊宝類の調査に積極的に取り組んでおられます。その一つに、先に話題に上がりました「万年救護本尊」の副書があります。
また、堀日亨師の富士宗学要集や富士宗学全集に収録された、保田系の歴代の遺文などは、かなり誤記も多くあるらしく、堀日亨師によって大石寺に都合がいいように解読されているものも多いと指摘しています。
客殿の板曼陀羅につきましては、私もながらく興尊曼陀羅の模刻と思っていましたが、どなたかに「郷師曼陀羅の模刻」と指摘された記憶があります。
不信心なのか、ここのところさっぱりお参りしていませんので、このあたりはなんともいえません。
328
:
れん
:2004/08/30(月) 02:25
勉強中さん、お疲れさまでした。
空き缶さん、保田妙本寺さんの通称大石寺の御影は執事さんの最新のお考えでは「宗祖滅後、身延にて興師造立」とのこと。執事さんのお考えが正しいとすると、日順雑集(の中の従開山伝日順法門)や現日蓮正宗宗門が使いたがらない時師談の大石記に記されている身延にて興師が造立され、身延離山後建立された石山に遷座された蓮師御影が、保田妙本寺さん所蔵の‘大石寺の御影’ということになりますね。参考になりました。万年救護本尊の副書についても今後新しい情報が出ましたらご教示戴ければ幸甚です。今は仕事で多忙ですが、私もいずれ時間を作って伊豆実成寺や保田妙本寺に参詣したいと考えています。
329
:
通りすがり
:2004/08/30(月) 09:40
妙本寺さんの本堂の板御本尊は日淳猊下の書写ですよ、額縁のように台座が無く
御影様の頭に隠れるようにしか見えない筈です、確か離脱以前と変わらなければ
昭和三十三年に書写された御本尊様で、私がその昔に在勤していた常泉寺の妙玄院
能化さんが話していたのを記憶しています。
私も離脱以前に何度か参詣させていただいたが、その時は淳師の御本尊でしたよ
330
:
空き缶
:2004/08/30(月) 10:42
通りすがりさん、こんにちは。
>妙本寺さんの本堂の板御本尊は日淳猊下の書写ですよ
なるほどそうなんですか。執事さんのいう「魂魄となる御本尊は日興上人の御本尊です」とは、ひょっとしたら御影の体内に納められた曼陀羅本尊のことでしょうか。
そういえばかつて御影の体内には、曼陀羅本尊があるという話しを聞いたことがあります。
となりますと、客殿の板曼陀羅も淳師のものでしょうか?
板曼陀羅は正面から電気を消した状態でみると、大文字の首題・日蓮、四天王、不動愛染以外は、よくみえませんね。
別件ですが、お恥ずかしながら、私なんぞは實成寺の板曼陀羅が一遍首題に見えてしまったくらいです。
私の知合いのいる、正信会系の寺院は昭和50年代前半の建立ですが、本堂の板曼陀羅は達師の曼陀羅本尊の模刻です。こちらはどこからみても、相貌や達師の自署花押まで鮮明に見えます。
通りすがりさんは、先日の奥州日蓮正宗寺院のお虫払いには行かれましたか?
奥州の古刹寺院には、興師・目師の曼陀羅本尊も多数有り、非常に興味があります。
何か御教示願えることがありましたら、是非お願いいたしたく存じます。
331
:
通りすがり
:2004/08/30(月) 15:41
空き缶さん
奥州の古刹寺院の虫払い法要は、数年前に同期の者と一緒に参列しましたね
その後に、石巻港からフェリーに乗船して網地島の覚林日如師のゆかりの要
声堂の見学をしまして、ご当主の方から御本尊をはじめ、過去帳や墨蹟など
を拝見させて貰いましたのが、今でも感動しています。
332
:
空き缶
:2004/08/31(火) 15:55
通りすがりさん、こんにちは。
日蓮正宗寺院での虫払い法要は、宗外のものでは参加は厳しいと聞いていますが、何とかなりませんか?
333
:
勉強中
:2004/09/01(水) 01:03
れんさん、いつも勉強させていただき感謝しております。
通りすがりさん、確かに御影様の後ろの御本尊は額縁のような形のものでした。大変参考になりました、ありがとうございます。
空き缶さん、「魂魄となる御本尊は日興上人の御本尊です」とは、私もお手紙にて執事さんより同じことを御教示いただいたことがございます。
そのお手紙には、確かに「蓮師滅後・身延にて興尊が造立」という考えが示されております。また、れんさんのお示しになられた種々の文献・記録もあげておられました。
ここまでの皆様のお話をうかがう中で、その造詣の深さに驚きを禁じえません。
今後とも皆様の御論議を、謹んで拝聴させていただきます。
334
:
れん
:2004/09/01(水) 08:39
横レス失礼します。
勉強中さん。私の拙い投稿でも、勉教中さんのご研さんのお役にたてたのであるならば、大変嬉しく思います。随分昔の話ですが、私も平成六年から平成十年にかけて佐渡や関東近辺の興統法縁の数箇寺の日蓮宗寺院に参詣させて戴いて興師曼陀羅等霊宝を拝観させて戴いたものでした。犀角独歩さんが常々仰る通り、まさに「百聞は一見にしかず」で、実際に実物(正本)を拝観するのは、真贋を見極める力を付けると言う意味で非常に勉強になります。ですから、伊豆実成寺さんや保田妙本寺さんに参詣されて、研さんを深めておられる勉強中さんに深く敬意を表するとともに、勉強中さんと同様・私もこちらの掲示板の皆さんの議論を通じて勉強させて戴いている身なので、今後ともご指導ご鞭撻のほどお願いいたします。
335
:
通りすがり
:2004/09/01(水) 15:55
空き缶さん
法華講支部に所属していなくても、地方の虫払法要などは自由に参列出来る
と思いますよ、猿島の富久成寺は、宗祖の御真筆御本尊をはじめ多数の宝物
を拝観が出来るので、日時を確認してお出かけ下さい。
336
:
空き缶
:2004/09/02(木) 01:15
勉強中さん、こちらこそ色々とお世話になっています。
すでにお気づきと思いますが、私はかなりオッチョコチョイです。ここの皆様のお力をお借りしながら、私の不正確な情報を矯正していただいています。
その中のお一人が勉強中さんでもあります。今後ともよろしくお願い致します。
通りすがりさん、虫払法要に関する情報をありがとう御座います。
本山格寺院や都心の由緒寺院での虫払法要への参加は、やはり外部の者では厳しいようですね。
でも地方にも什宝を所持されている、由緒深き寺院が多くあるとのこと、また外部の者でも参列可とのこと、大変喜ばしく思います。
日程等はどのような確認方法がありますでしょうか。こちらも併せまして御教示いただけますと幸です。
れんさん、横レス失礼します。
>佐渡や関東近辺の興統法縁の数箇寺
とは、どのような寺院のことでしょうか。固有名詞でご紹介くださいませんでしょうか。
私は特に興目両師の相伝を伝える、道門・尊門・郷門の寺院に関心が強いのですが、末寺クラスはほとんど知りません。
ご存知であれば、こちらも是非御教示戴きたく存じます。
337
:
れん
:2004/09/02(木) 05:47
空き缶さん。私が興師曼陀羅等を拝観させて戴いたのは主に旧北山本門寺末寺が多いのでご参考になるかどうか分かりませんが、寺名を以下に記します。
神奈川常在寺・上行寺(旧西山末)、東京妙延寺(旧池上末)、埼玉本法寺(旧京都要法寺末)、静岡本能寺・本秀寺、山梨正法寺・佐渡本光寺(法教山)・佐渡本光寺(日朗山)。
写真等参考資料を御提供戴いた寺院
静岡東光寺・久成寺・妙善寺・本光寺・妙円寺・上行院(旧西山末)・本成寺(旧伊豆実成寺末)・代立寺(旧西山末)・本妙寺、埼玉妙顕寺、京都日體寺。
以上です。此等の寺院の沿革等の詳しいことは「日蓮宗寺院大観」でご確認下さい。
338
:
勉強中
:2004/09/02(木) 23:45
れんさん、空き缶さん、誠に恐縮です。
私も、時間と費用を捻出し、一箇所でも多く足を運んでみたいと思います。
ありがとうございました。
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