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日蓮聖人と真言密教

1管理者:2002/03/08(金) 17:06

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/shingon.htm


大石寺問題提起スレッドにおいて、スレッドテーマのご提案がありましたので立ち上げます。なお、提案文は以下の通り。該当レス、転載致します。


名前: アネモネ 投稿日: 2002/02/05(火) 08:10

日蓮聖人と真言密教の関係、拝見していてとても興味深いです。
これだけで、新しくスレッドを立ててはどうでしょうか。

32犀角独歩:2002/07/07(日) 12:05

ちょっと、私の紹介の仕方もまずかったのかもしれません。原文を、もう一度、挙げると、

初期の仏典では、ブッダを修飾するのに黄金で比喩することはあっても、光明で修飾することはない。初期の仏典を編述した上座部の仏教には、光明思想はなかったといっても誤りではない。上座部の分派に属する経典には
いま舎衛城の大僧院に滞在される〔われわれの〕師(ブッダ)は、純金の塊さながらで、精錬された黄金に似て、純金のように清らかである。
と記しているが、また上座部の系統をひくセイロンやビルマの仏教では、仏像を黄金で飾りたてるのが普通である。そのもっとも顕著な実例がビルマのラングーンにあるシュエウェ=ダゴン(黄金寺)であり、同じくペグーにあるブッダの大寝像(全長55メートル)である。また、セイロンのキャンディにある仏歯寺のブッダの歯を祀った堂舎も金色燦然と輝き、内部もすべて黄金でつくられているという。漢訳仏典の中に「ブッダの言葉あるいはその説いた教え」を金口というものがあるのは、この上座部における表現の残滓である。

となっています。つまり、「上座部の仏教には、光明思想はなかった」という所に論点があります。経典になかったのではなくて、上座部仏教になかったという意味であったようです。

また、ここの記述はアミダ信仰の発生について論じる段で、阿弥陀の原語であるアミターバの意味が無量の“光”が、それまでの仏の形容と著しく異なっている点を、上座部と対比して論じています。この仏の形容が「無量の光明(プラバ)をもつアミータユス(無量寿)如来」などとなっている点を指摘しているわけです。

そして、後期、大乗経典で、太陽神が仏教に採り入れられたマハー・ヴァイローチャナは偉大なる太陽、すなわち、これまた光明を形容するものである点を指摘しています。

実際に仏の名称で、光明に関するアミータユス、ヴァイローチャナといった表現は上座部仏教にはなかったというのが岩本師の言いたかったところではないかと思います。

詳しくは『極楽と地獄』の原文に当たっていただければと存じます。

33川蝉:2002/07/07(日) 12:20
26 : 顕正居士 さんへ。

天台教学から云うと、大日如来は色究竟天にて成道を示し、大菩薩達を対告衆としているから他受用報身であるとしています。
真言の不空三蔵も恐らく同様の理由で大日如来は報身としたのでしょう。

報身も自受用報身ならば、修徳の法身(離垢清浄身・智法身)と共通するので、法身と呼んでも良いわけですが、大日如来は大菩薩に対して応現し説法しているのだから他受用報身であると日蓮聖人は見ているのです。

天台教学上では、
法身を、性徳の法身(自性清浄身・理法身)と修徳の法身(離垢清浄身・智法身)とし。

報身を自受用身(修徳の法身と共通)と他受用身の二とし。

応身を勝応身と劣応身の二としています。

他受用身とは、別教初住以上の大菩薩に対して応現した仏身。
勝応身とは二乗、下位の菩薩に対して応現した仏身。
と分けています。

>天台家独自の三身説では、華厳経や大日経の教主は宇宙に遍満す
>る仏身であって、通常はこれを報身という

その通りですね。そこで日蓮聖人は大日如来は他受用報身仏だと指摘するわけですね。

>自受用身とは
>説法に出る前の純粋の自受法楽の智であるから、相好や尊徳のす
>がたではない。
>だから日蓮はこれを無始の古仏といい、親鸞はいろもかたちもな
>い仏というのだとおもう。

そうですね。
付け加えれば、天台大師は単なる自受用報身ではなく、三身即一の報身とし、常説法教化の仏としたのですね。
日蓮教学では三身即一・常説法教化の仏と見るので、荘厳身としています(特に什門・隆門)。

>天台家の仏身論には報身思想(華厳思想)に抵抗して法身、肉身
>に戻そうという傾向があるようにおもう。

そうですね。
仏身論(仏陀観)は釈尊の常住不滅を探求するに始まったものだと思います。それが三世の諸仏や十方の諸仏の思想がからんで、ついには、釈尊より勝れた報身仏や法身仏ありとして、釈尊を軽視する事にもなったのです。
宗門先師も、天台大師は
「三身を分離して、釈迦牟尼を軽視するようになった従来の諸説を打破して、釈迦牟尼中心の三身即一論を唱導したものである」
と論じています。

34いちりん:2002/07/07(日) 12:30
上座部仏教を支えているのは出家僧侶ですよね。その出家僧侶は、在家に支えられている。
で、出家僧侶にあっては、お釈迦さまというものは、「救ってくれるありがたいお方」という「救済者・ブッダ」という気持は少ないんだろうと思います。

彼らにとっては、お釈迦さまは「解脱への教えを説いて道を示してくれたくれた方」「わたしたちの大先輩、であり模範となる方」という気持が強いと思います。

つまり、ブッダは、自分たちも到達できるレベルという認識ですね。

上座部におけるブッダとは、阿羅漢ですからね。その阿羅漢は、仏典によれば、釈迦在世のときには、五百人もの弟子が到達していたわけです。



ところが大乗仏教にあっては、ブッダは、はるか彼方の存在ですね。なんというか一神教のゴッドみたいなすごい存在になってしまう。宇宙仏みたいな。宇宙の彼方にあって、そしてわたしたちを見守ってくださり、そして救済してくださる。つまり「救済者・ブッダ」ですね。

そこには、人生の模範となる方ではなくて、「信じて拝めば、なんとかして下さる力強い方」というイメージ。

無限な存在で、尽きることがない。そして、いつでも、どんなときにでも、どなたでも、慈悲で見守って下さる。……そういうところから、それはまさに「光」が象徴として、示しやすい。



あと、おもしろいのは、キリスト教の「ヨハネによる福音書」もすべての始源である神を光として示しています。

《初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神とともにあった。言(ことば)は神であった。この言(ことば)は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたものののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言(ことば)に命があった。そしてこの命は人の光であった》

ことば=いのち=人の光=イエス ということになりますね。
このことばとは、いわば「ロゴス」です、ものごとを生起せしむる働き、力なんでしょうね。
それが、いのちであり、ひかりであり、そうして人格を持つ、と。

このあたり、じつに日蓮本仏論とも、通じるとこがあるかなあとも、みていますけど。

35犀角独歩:2002/07/07(日) 13:29

創価学会批判で著名の日本基督教団牧師・森山諭師は『創価学会のまちがいをただす』(日本イエス・キリスト教団東京教会出版局出版部発行/昭和38年3月20日)のなかで、いちりんさんが引かれた聖書を引いて、以下のように記しています。

日蓮は一切経を読破しているうちに、この如来寿量品にある「如来の久遠実成の常住説」に触れたとき、さながら瓦礫の山からダイヤモンドを発見した者のように、全く魅せられてしまった。しかもこれは、イエス・キリストの影(仏教でいう迹)であり、その本体はキリストであった。

「初めに言があった。言は神とともにあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたものののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。…そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまことととに満ちていた」(ヨハネ伝1章1-4節、同14節)。
「イエスは彼に言われた、『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない』」(同14節6節)。

などの聖書の言葉を文字どおりに読んだなら、「これだ、これだ!」と狂喜して、彼は熱烈なるキリスト教の伝道者になったであろうが、惜しいことには、当時の彼は、聖書を知るべくもなかったのである-P22-

と言い切っています。こちらの牽強付会もすごいなと(笑)
この前段では、大乗経典の成立について、

京都大学教授松本文三郎博士は、法華経の中で説かれる阿弥陀仏を、インド西域地方の原住民の信仰対象である善見王、すなわち太陽を人格化したものとするが、この説には多くの支持者がある。また米国パシフィック神学校のサンダース教授は、法華経を婆伽梵歌とヨハネ伝の並行思想と論じており、ケルンの如きも、法華経と婆伽梵歌の両者は、同一の源泉より直接の影響を受けたとして、ヨハネ伝を、その源泉の如くに取りあつかっている。わが国の三並良氏は、法華経をグノーシスの霊知思想よりの影響があるとしている(道旗師「霊戦」参照)-P19-

以上のような観点は、独りキリスト教の偏見であるというより、世界水準なのであって、これらの所説を覆すのは「魔だ、謗法だ」といった信仰的なヒステリーではなく、学術的な研究成果によるべきであるのは言うまでもないことです。

要するに、日本の伝統教団、全日蓮門下、興門も、低俗な身内喧嘩のドングリの背比べをしている場合ではなく、グローバルな視点から仏教の再考を真剣に考えなければ、もはや仏教は自殺するしかないという現実を厳しく凝視し、持てる力と財産を学術研究に費やすことによって仏教の復興に資するべきであると思うのです。

36顕正居士:2002/07/07(日) 15:06
阿弥陀如来の起源

>インドから西方に位置するイランの光明の神アフロマズダの影響を指摘する学者がいる

阿弥陀如来には無量光仏と無量寿仏の二つの名があります。無量光仏のほうは内容から
ペルシャとの関係が考えられる。しかし、ヴァイローチャナ、マイトレーヤ(ミトラ)、
アヴァローキテーシヴァラがアスラ系の神に起源があるように、直接的の原型があるかは
はっきりしない。
無量寿仏のほうの内容は法華経の久遠実成の仏との関係が予想される。阿弥陀如来は
因位を法蔵菩薩といい、世自在王仏のもとで立てた誓願を成就し西方教主になられた。
ペルシャの光明思想、救済思想と仏教の菩薩思想を統合して仏教の中で創作された仏で
あるようにもおもう。

>ヨハネによる福音書

にもペルシャ起源の光明思想、救済思想が表現されている。キリスト教の教義や儀礼は
ローマ帝国に流布していたミトラ教を摂取して形成された。ヨハネ書は正典の中では
グノーシスに近い。グノーシスは東方宗教とギリシャ思想が混交した潮流でヘレニズム期
に盛んで、キリスト教やユダヤ教に影響を与えた。仏教にも与えたかも知れない。
グノーシスは今日でいえば、内容でなく、あり方がファンメンタリズムに似ており、あらゆる
宗派の人々に共通して発生したある傾向である。だからグノーシス教という宗教はなく、
キリスト教の分派ではもちろんない。

>黄金で比喩することはあっても、光明で修飾することはない

黄金の輝きは比喩の表現の中で太陽の光と関連があるイメージのようにおもう。光背を
帯びた仏像が造られるのは後世ですが。今の阿弥陀像は光背を帯び、鍍金してあります。

37犀角独歩:2002/07/07(日) 17:59

阿弥陀如来の二つの名前は、その仏が生成されるに当たり、その創作集団、あるいは仏教の思想潮流に二つの傾向が生じていたことを示唆していると思います。

一つは量り知れない寿命(無量寿)であり、もう一つが光明(無量光)思想でしょう。

永遠の生命が常套句になってから霞んでしまいましたが、法華経におけるテーマは仏になることによって得られる量り知れない長さの寿命ということです。つまり、これが成仏の功徳ということになります。本来、寿量仏とは艱難辛苦を凌ぐ修行によって六根清浄を得、その功徳が量り知れない長寿であるということが、実は法華経のテーマとしてひそんでいることが永遠の生命ばやりで見失われてしまったのでしょう。もちろん、これは三身論の段階でも既にそうでした。しかし、法華経のテーマは間違いなく、成道によって得られる無量の長寿ということです。

このコンセプトは、実は無量寿仏と同様なのであって、法華経に阿弥陀如来が登場することは偶然ではないと考えられます。むしろ、原型的には寿量仏と無量寿仏は起源を同じくするのではないのかと私は想像しています。

方や無量光という光明思想は、アフロマズダ、ミトラという太陽神からの混淆であることは疑い得ない事実であるように思えます。

無量寿命と光明思想は、しかし、起源は異にするものと思われます。けれど、浄土教を生成していった創作グループは、当時、人々を惹き付けたこの二つの特徴の一つを択一するのではなく、その両方の特性を具える仏として阿弥陀如来を創作していったのではないでしょうか。

いわば、久遠釈尊(無量寿)+毘廬遮那(光明)=阿弥陀如来 というような原図が、歴史の中に隠されているのではないのかと想像します。その整合性を取ろうとしたのが三身説、あるいは三即一説であったのではないのかと思えるわけです。

さらにここに法身説という、神仏以上に達磨を崇める潮流も並行していたのではないのかと思えます。

なお、菩薩思想、取り分け弥勒信仰、または西欧の救世主思想はまた、それらと並行する思想潮流であり、さらにバカバットギータのバクティ思想という潮流もあり、それらが混淆と離反、統合を繰り返しながら、さらに格義・漢訳という老荘思想とも影響し合って中国仏教は形成され、それを土台に日本の神道と習合して日本仏教が形成されていくという歴史的な流れがあり、伝教・弘法が同時期を生きるなかで、日本に将来された真言宗は、大きな本覚思想の潮流も生み出していった…雑駁な整理ですが…、これらの点を看過して仏教の実像は見えないと思えます。

なお、先に引用した森山師の説を鵜呑みすれば、恰も大乗仏教の起源はキリスト教のように映じなくもありませんが、しかし、それは経過的な一面に過ぎず、キリスト教自体、なんらかの思想の影響によって生じたユダヤ教の新興宗教であったのでしょう。また、キリストが処女懐胎で生まれるはずも復活するはずもなく、これらは中世の教会の権威付けのために達意・意訳されることによって生じた解釈のドグマなのであろうと私は思っています。ですから、キリスト教も早く奇跡物語から卒業していくことが、我等仏教徒同様、必要なのであろうと思うわけです。

なお、仏像について、ひとこと付言すれば、上座部系仏像には、そもそも黄金に装飾することに重点が置かれているようです。この理由について、学者によって釈迦族をモンゴロイド、すなわち黄色人種であったと指摘する向きもあり、その黄色をもっとも美しく装飾した色が黄金であるという者もあります。もとより、私は人種偏見など、まったく存しませんが、この説によれば黄色人種は黄金を肌色とした民族と見做され、それが黄金装飾に転じていったとのことでした。

ただし、ギリシャ超克の影響を受けて制作が始められたガンダーラ仏も、それとほぼ同時期に始まるマトゥーラ仏も、石彫なのであって、上述の黄金装飾には当たらない点は指摘しておく必要はあろうかと思います。

38犀角独歩:2002/07/07(日) 18:02

【37の訂正】

誤)ギリシャ超克
正)ギリシャ彫刻

39犀角独歩:2002/07/07(日) 18:17

おっと、記し落としました。
顕正居士さん、34の「阿弥陀如来の起源」は、27の私の問いかけにお寄せくださったご回答と拝しました。
感謝、申し上げます。

40いちりん:2002/07/07(日) 20:13
真宗では、「久遠実成・阿弥陀仏」というのですね。
阿弥陀仏は、久遠の本仏であるという主張が親鸞にみられます。

かつて親鸞会の学習会に出かけたとき、いろんな仏がいるけれども、阿弥陀さんがもっとも源である、あとは分身であるというようなことを説明していました。

まあ、どこの宗派も、自分のとこの仏さん(神さん)が、いちばん古くて、永遠で、偉大で、源であるということを言いたいのでありますね。

キリスト教にあっては、もちろん神はアルファであり、オメガであると。
イスラムも、童謡ですね。

おもしろいのは、すべて自分のとこの尺度・ものさしでものを言うから、同門同士であーだこーだと論議があっても、他門流では、なにを言っているのか、ちんぷんかんぷんで土俵に乗らないと。

41菊水護国:2002/07/07(日) 20:27
関係ないのですが、数年前「イエスは仏教徒だった」という書籍を本屋で見かけたのですが、どなたか読んだ方はおりますか。

42犀角独歩:2002/07/08(月) 09:52

> 41

ちょっと違うかもしれませんが、以下のような本が出ていました。

堀堅二著『仏教とキリスト教―イエスは釈迦である』レグルス文庫

43犀角独歩:2002/07/08(月) 11:41

> 41

失礼しました。たしかに菊水護国さんが投稿された書名で出版されていたのですね。
面白そうですね。読んでみようかと思います。取り寄せ不可らしいので、図書館で探してみます。

http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30548333

44犀角独歩:2002/07/09(火) 00:30

『イエスは仏教徒だった』、1日探しましたが、見つかりませんでした。残念です。
また、探してみます。

45川蝉:2002/07/10(水) 11:45
阿弥陀如来の起源

大日如来の話題から、阿弥陀如来の起源にも及んでいますが、阿弥陀如来の起源については岩波書店刊・藤田宏達著「原始浄土思想の研究」が出色ですね。名著と思います。(ただし、その後、藤田説に対する批判が出ているかどうかは知りません。あったら教えて下さい)
藤田宏達教授は、
外来起源説を紹介したあと、
「太陽神崇拝思想は最古のリグベーダ以来有るし、仏教原始経典以来言及されているから、イランの思想を持ち出さなければ説明つかないというものでもない。
イランのミスラ信仰が紀元前後にもたらされたこと指摘されているごとくであるが、それによって同一視するのはあまりにも便宜的でなかろうか。アミターバはともかく、アミータユスが太陽神と結びつくか否かについては、沈黙を守るか別の説をたてていることから見ると、おそらく無理なのであろう(取意)」
と論じ、
「ゾロアスター教起源説の学者は、言葉の類似を説くが、両者の具体的関係の論証はなされていない(取意)」とし、つづいてゾロアスター教起源説の不備な点を細かく検討しています。

続いて、阿弥陀仏の原語並びに本生説話から起源を探っています。アミータユスの由来については、
「仏の寿命無量をとくことは初期大乗経典としては浄土経典に限ったものでなく、またすでに原始仏教において、その由来を求めることが出来る(取意)」
とし、またアミターバの由来については
「アミターバという言葉そのものは由来をたどることができないが、仏と光明との結びつきということになれば、すでに原始経典にかなりの資料を見出すことができる。(取意)」
と論述し、

「アミータユスにしてもアミターバにしても、原始仏教の仏陀観に由来を求めることができるが、しかし、原始仏教の仏陀観が、阿弥陀仏を成立せしめる直接の素材となったという意味ではない。
そこに至までには、仏陀観の発達を考慮しなければならない。(取意)」
と論じています。

「インドにもたらされた外来思想とまったく無関係に阿弥陀仏の思想が成立した、と言い切ることは無謀であろう。しかし、検討した如く、外来起源説が、いずれも積極的に承認されない以上、このことは決して誇張されてはいけない。阿弥陀仏の思想にとっては、外来思想はやはり傍流と云うべきであろう。このように見てくると、阿弥陀仏の思想はまさしく仏教の本流の中に位置づけられると考えられるのである(取意)」
と論じています。

46犀角独歩:2002/07/10(水) 13:16

> 藤田宏達

阿弥陀如来外来説に反論といえば、定番の学者名ですね。

> 「アミータユスにしてもアミターバにしても、原始仏教の仏陀観に由来を求めることができる」

本当でしょうか。釈尊の死を悼み、舎利を供養した人々が仏陀を計り知れない寿命を持った永遠の存在であるとと思ったり、光明の存在と思っていたでしょうか。また、西方十万億土に、このような仏がいることを初期経典中に見いだすことができるのでしょうか。いくらなんでも、これは暴言でしょうね。

> 「検討した如く、外来起源説が、いずれも積極的に承認されない以上、このことは決して誇張されてはいけない」

同様に内部発生説を誇張してはいけないわけでしょうね。

> 「阿弥陀仏の思想はまさしく仏教の本流の中に位置づけられる」

なにをかいわんや、です。無記に代表される修道的ともいうべき修行論は、絶対的な救済者を求めるのではなく、自灯明とも言われるとおり、自律的個人の達成を目指したものであるはずです。この点こそ、仏教が高く評価される点であるはずです。

阿弥陀思想が仏教の本流などという発言は、いくら高名な学者の発言とは言え、戯言の分類するほかないと私は思います。

47川蝉:2002/07/10(水) 15:23

46 : 犀角独歩 さんへ。

> 藤田宏達阿弥陀如来外来説に反論といえば、定番の学者名です
> ね。

滅茶苦茶な反論者では無いことはたしかです。

>本当でしょうか。釈尊の死を悼み、舎利を供養した人々が仏陀を
>計り知れない寿命を持った永遠の存在であるとと思ったり、光明
>の存在と思っていたでしょうか。また、西方十万億土に、このよ
>うな仏がいることを初期経典中に見いだすことができるのでしょ
>うか。いくらなんでも、これは暴言でしょうね。

「西方十万億土」の仏の存在は原始経典には無いでしょうね。
確かめたわけではないですが、初期大乗経には十方諸仏の思想は相当早くから有ったのではないですか。西方も十方の一つですから、仏名はともかく西方仏の萌芽は有ったことになると思います。

仏舎利塔礼拝はその始めはともかく、単に入滅された釈尊を偲ぶだけではなく、礼拝する者の前に釈尊が現前し、苦悩を救ってくれると云う意識のもとに仏塔中心に信仰し、それが仏寿無量思想を含む大乗興起の大きな要因に成っているのでは。

藤田教授は
「増一阿含経巻四十四巻」の
「われ釈迦文仏の寿命は極めて長し、しかるゆえんは、肉身は滅度を取ると雖も、法身存在す。此は是れその義なり、当に念じて奉行すべし」
や、
「長部16経・大般涅槃経」の
「アーナンダよ、如来には四神足が修習され、多くなされ、習熟され、徹底的になされ、実行され、精通され、よく発起されている。アーナンダよ、如来はもし欲するならば、一劫の間だ、あるいは一劫以上の間、住することができるであろう」
を引き、「必要に応じてその寿命を延長しうるものでなければならないという仏陀観がここに示されている。宇井博士印度哲学研究第四190頁参。明らかにアミターウスの観念と相通ずるものと思われる。
無量寿経のサンスクリット本によると、この原始経典の説とほぼ相応する言葉が見出される。」(326頁)
と論じています。

また、「仏と光明との結びつきということになれば原始経典にかなりの資料を見出せる。二・三の例をあげてみよう」と
「世間には四つの光りがある。ここには第五の光りはない。昼には太陽が輝き、夜には月が輝く。また火は昼夜にそこここを照らす。正覚者は輝けるものの中で最勝者であり、この光りは無上である」(SN.1,p.15=P.42 雑阿含1310経)

散文の部分になると
仏が出現すれば「大いなる光り、大いなる光明が現れる」
と説き、
さらに進んで仏の託胎成道初転法輪等のさいに
「その時、天界と魔界と梵天界とを含む世界において、沙門、バラモンと人・天とを含む衆の中において、無量にして広大なる光りが、諸天の天の威力を超えて出現する。かの世界の涯の悲惨にして涯底なく、暗冥・黒闇のところ、そこにはこのような大神力やこのような大威力をもつこれらの月や太陽の光さえ及ばないところ、そのところまでも、無量ににて広大なる光りが、諸天の天の威力を超えて出現する」(AN.11,pp.130-131)
と説くようにもなるのも不思議はない。(続く)

48川蝉:2002/07/10(水) 15:24
犀角独歩 さんへ。
続きです。

「アーナンダよ、ここに如来は三千大千世界を光りをもって満たし、かの生ける者たちが、その光りを認知するならば、その時、如来は音を発し、声を聞かしめるであろう。アーナンダよ、このようにして、如来は音声をもって、三千大千世界、あるいはまた望む限りに知らしめるであろう」(増支部3・80。雑阿含424経))等と経を挙げ、「アミターバの観念が、このように原始仏教の仏陀観に胚胎していると見ることは、決して無理なことは無いであろう」と論じています。

こうした論証を容認できなければが「いくらなんでも、これは暴言でしょうね。」と云う事になりますね。

>なにをかいわんや、です。無記に代表される修道的ともいうべき
>修行論は、絶対的な救済者を求めるのではなく、自灯明とも言わ
>れるとおり、自律的個人の達成を目指したものであるはずです。
>この点こそ、仏教が高く評価される点であるはずです。

大乗は自力と他力の融合力を云いますね。もちろん他力一辺倒なれば大乗の基本思想に外れて居ることになります。

>阿弥陀思想が仏教の本流などという発言は、いくら高名な学者の
>発言とは言え、戯言の分類するほかないと私は思います。

浄土宗系統の学者ですから「阿弥陀思想が仏教の本流」と表現しているのしょうね。
私は、藤田教授が「阿弥陀思想が仏教の本流」と表現した意は「阿弥陀思想は仏陀観の発展上に生じたもので、外来思想はやはり傍流的影響と考えるべきであろう」との意を表そうとしたのだろうと、受け取り、そんなに気になりませんでした。

49一字三礼:2002/07/11(木) 00:11

インド他力思想とキリスト教

インドにおける他力信仰の起源の研究で、もっとも古い説は紀元前3世紀の中頃(アショーカ王以降)と言い、もっとも新しい説は常行三昧で有名な「般舟三昧経」等に出てくる阿弥陀仏の見仏の例がある。
「般舟三昧経」の成立年代は、「小品般若経」よりさかのぼり、大乗経典中最古(BC50〜AD100)とされている。
現今、他力思想発生年代に関する諸説は、ほとんどこの中に納められることから、だいたい紀元前後の成立とするのが一般的なようだ。

一神教の起源はユダヤにのみもとめられるものでもなく、イエスの出身地ガリラヤとユダヤの間にあった国、サマリアにも一神教があり、それがユダヤ教とよく似ていた為に近親憎悪にも似た、激しい対立をしていた。また、隣国のシリアにも緩やかな一神教があったので、ユダヤ教が一神教の代表のように目されるようになるのは、キリスト教隆盛以降であろうと思われる。つまり、どれをとっても小さい土地で少数の民族の間で営まれていた、民族宗教であった。
紀元前後、ローマ帝国とその近隣諸国でもっとも隆盛を誇った宗教はローマの多神教。これは、ローマ、ギリシャ、エジプト、エチオピア、マケドニア、そしてヨーロッパの一部の神々を吸収合併した多数の神格で、ローマ帝国の軍事力・経済力を土台にした覇権主義を考え合わせれば、当然と言えるかもしれない。

また、小さいユダヤ教団の中でも諸派わかれていて、ハシディ−ム党、サドカイ派、パリサイ派、エッセネ派、テラペウス教団、ゼロテ党等があり、主流派はザドクの子ども達・サドカイ派であった。これら諸派の歴史は面白いが詳しく書くのは大変なので省きます。

さて、イエスの伝道は、AD30年前後から始まるが、1宗1派を開く事を目的としたものではなかった事は、福音等に明らかなことである。つまり彼は純粋なユダヤ教徒と自負していた。
彼の属していた宗派は、彼が受けた洗礼の作法、荒野での布教、神の国の到来、用いた暦、祈りの言葉、食事の作法等から、パプテスマのヨハネとともに、エッセネ派である。このことは、クムラン文書の解読が進み、ほぼ確実とみられている。ちなみに、4福音書の成立年代は、マルコ書(AD70年)、マタイ書・ルカ書(AD90年)、ヨハネ書(AD100年以降)となっている。

このAD30年頃から始まったイエスによる、マイナーな一神教・ユダヤ教の中のエッセネ派の中の分派運動は、イエスの昇天後、1世紀半ばのネロ帝によって、布教の目が摘まれ地下に潜る“原始キリスト教”時代をむかえることになる。それから、4世紀のコンスタンティヌス帝のミラノの勅令まで、断続的に迫害を受けつづける。

えー、長々と書いてしまいましたが、上記の歴史からキリスト教が、初期大乗仏教に影響をあたえたと考えること時間的にも物理的にも難しいように思います。(け、結論が短すぎ)

50いちりん:2002/07/11(木) 00:29

原始仏教に、「他力」という考えはあったのでしょうか。
ブッダに、なにか偉大な存在によって、「救ってもらう」という思想があったのでしょうか。
わたしは、ブッダは、自分で自分を救うという生き方を示した人いうふうにも、思っています。

51犀角独歩:2002/07/11(木) 03:57

川蝉さん:

> 「西方十万億土」の仏の存在は原始経典には無い…西方仏の萌芽は有った

西方仏の萌芽が初期にあったという点に関してはよいとしても、それが、なぜ、阿弥陀如来で、本流などといえるのかということです。

光明思想というのは、単に仏を光によって形容したことを指すのではないでしょう。
要するに「遙かに西の方向に幸いのある場所(スカバティー)というところがあり、そこに量り知れない寿命と光の絶対者がいて、人々を救ってくれる」という、いわゆる極楽・絶対者救済という考えです。まして、シャキャムニ以外の、西の果ての仏の許へ往生する信仰などというものが、初期仏教にあったなどといえるのかということです。

もし、それがシャキャムニに由来するというのであれば、スッタニパータ、ダンマパダといった最古層に、その濫觴を見られるはずですが、見られるのでしょうか。


> 仏舎利塔礼拝はその始めはともかく、単に入滅された釈尊を偲ぶだけではなく、礼拝する者の前に釈尊が現前し、苦悩を救ってくれると云う意識のもとに仏塔中心に信仰し、それが仏寿無量思想を含む大乗興起の大きな要因に成っているのでは。

これは一面の見方ではないでしょうか。果たして、大乗と称される思想運動を、どう定義すべきかは大いに議論されるところでしょうが、たとえば法華経の経典・宝塔説は、その創作グループが舎利の分骨などに預かれない新興グループであったればこそ、生じた崇拝形態であったように思えます。

それと「舎利=釈尊が苦悩を救う」が、いつの間にか他土の阿弥陀という釈尊とは別の仏の崇拝にすり替わっている理由が説明されていません。

> 藤田教授は
「増一阿含経巻四十四巻」の「われ釈迦文仏の寿命は極めて長し…法身…」・「長部16経・大般涅槃経」の「…如来はもし欲するならば、一劫の間だ、あるいは一劫以上の間、住することができる…」を引き、「必要に応じてその寿命を延長しうるものでなければならないという仏陀観がここに示されている。

たぶん、川蝉さんと私が初期と言うとき、既に400年以上の隔たりがあるのでしょう。
私は、これら経典の記述が釈尊に由来するものであるとはまったく思いません。仮にそれが仏教教団内部で醸造されたとしても、です。

> …明らかにアミターウスの観念と相通ずるものと思われる。無量寿経のサンスクリット本によると、この原始経典の説とほぼ相応する言葉が見出される。」と論じています。

これまた、同様のことです。経典を創作するのですから、仮に知ることのできるテキストがあれば、それを参照するわけですから、同様のものがあったとしても、何ら不思議はないと思います。

問題点は、そこにあるのではなくて、アミターウス(阿弥陀如来)という仏に対する崇拝が初期(つまり、釈尊に由来して)にあったかどうかです。

> …「仏と光明との結びつきということになれば原始経典にかなりの資料を見出せる。

これも光明説を単に仏を形容としているものを挙げているばかりではないでしょうか。
それに、ここに挙げる光による形容は釈尊を指しているのではないでしょうか。それが、いつの間にか阿弥陀如来の説明にすり替えられいくのは、どういうわけかということです。

また、光による形容と、光による名称は意味がまったく違うはずです。釈尊が釈迦族の聖者というのと、「量り知れない光の仏」という名称とは、形容とは別の問題であるはずです。

52犀角独歩:2002/07/11(木) 03:58

―51からつづく―

> 浄土宗系統の学者ですから「阿弥陀思想が仏教の本流」と表現しているのしょうね。

最大のポイントは、ここでしょう。なぜ浄土系の学者であれば阿弥陀と本流といってよいのでしょうか。これはまったく学問と信仰を混同したあってはならぬことであると私は思います。

学問は科学的に確実な証拠の積み重ねによって事実を明らかにするものでしょう。その手法にあるように見せながら、浄土系であれば、浄土を本流といってよいなどということはあるはずはありません。

この藤田師の姿勢は、まさに岩本師が“僧学”と批判した学問と信仰の混同した端的な例としか見えません。

【僧学】

昭和39年11月27日から同年12月11日までの間に6回にわたって「中外日報」紙上に『仏教学を批判する』という一文を書き、現在のわが国の仏教学が抱きかかえている種々の問題をえぐり出してみたのであるが、そのなかで「僧学」という言葉を用いたのである。と言う意味はつぎのようである。

わが国仏教学という学問が存在する。そして、仏教学者なるものがいる。ところが、いわゆる仏教学者の九九パーセントまでが僧侶である。したがって、僧侶なるがゆえに先入観があり、また護教的でないまでも護身的ならざるをえないのではないか。いいかえると、僧侶なるがゆえに身分上の制約があるのではないか。とすれば、そこに仏教の科学的研究がはたしてあるだろうか。ここに疑問を発したとき、僧侶である仏教学者の研究する仏教学なるものは、たといそこに文献的方法を援用したり歴史的考察を加えたりしても、結局それは学問研究の鬘か仮面をかぶった鵺(ぬえ)的な存在にすぎないと言わざるをえないのであろう。そこで、著者はそういう学問をしている人びとすなわち僧侶出身のいわゆる仏教学者を「僧学」と呼んだのである。(『布施と救済』P234)


> 藤田教授が「阿弥陀思想が仏教の本流」と表現した意は「阿弥陀思想は仏陀観の発展上に生じたもので、外来思想はやはり傍流的影響と考えるべきであろう」との意を表そうとしたのだろう…

「阿弥陀思想は仏陀観の発展上に生じ」るのに、西方、極楽、絶対者による救済という、初期仏教にないものが生じた理由が説明されていないように私は感じるわけです。仏陀観は釈尊に帰せられるべきであって、他者である阿弥陀が発生した説明ではありません。それなのに、その阿弥陀をして「本流」などということは、まさに僧学の偏見と映ずるわけです。


> 外来思想はやはり傍流的影響と考えるべきであろう

これは、そうでしょう。これら信仰教団はファンダメンタリズムから脱却できているとは思えません。それが内部的であれば、外部的であれ、自己中心的に解釈し直して定着したものであれば、何事も傍系として扱おうとするのでは当然のことでしょう。

以下のようなページがあります。

インドの神と日本名対照表
http://www.ffortune.net/symbol/indo/sinwa/nihon.htm

なかなか簡潔にまとめたものであると感心しますが、インドに由来する30近い外来種の神仏で、日本まで届いたものを列挙しています。仏教に多くの外来種の思想が神仏として、取り入れられたことは紛れもない事実です。それなのに、独り阿弥陀如来ばかりは仏教教団内で発生したものであるとするのであれば、釈尊に係る説明を恰も阿弥陀如来の起源の如く論ずるのではなく、初期経典から現れる阿弥陀如来に関する記述をもって論ずるべきであると私は思うわけです。

53犀角独歩:2002/07/11(木) 04:05

一字三礼さん:

> 49

好い線ですね。
8月の終わりに3日間に亘って牧師さんと束で会うことになっていますので、ここら辺を大いにぶつけてみます(笑)

ただ、私はイエス・キリストが本当に実在の人物であったのか、それとも紀元前後に起きた思想運動を擬人化したものであるのかという点では、実在説一辺倒の議論にはやや疑問を持っています。(最近では、親鸞は架空の人物であったのでないのかという説もありますね)

いずれにしても、提示されているイエスの伝導と福音書(と言われる書物)の成立は、まったく経典創作の時期と、ほぼ時を同じくしています。これはなぜでしょうか。

いわば、近代、聖典と言われるものが洋の東西において挙って、示し合わしたようにこの時期に作られています。

一字三礼さんは、この点を、どう思われますか。

54犀角独歩:2002/07/11(木) 04:08

いちりんさん:

私も釈尊に他力思想があったなどと努々思いません。自利思想であり、後期、大乗運動と称されるものでは、それに利他が加わったにせよ、その根本は自力思想であると思います。

55川蝉:2002/07/11(木) 16:07
51 :52 : 犀角独歩 さんへ。

>西方仏の萌芽が初期にあったという点に関してはよいとしても、
>それが、なぜ、阿弥陀如来で、本流などといえるのかということ
>です。

誤解のないように云っておきますが、私は「阿弥陀如来は仏陀観発展の本流」などとは云っていません。そんなことは容認できない立場です。
藤田教授が「阿弥陀思想は仏陀観の発展上に生じたもので、外来思想はやはり傍流的影響と考えるべきであろう」との意を表そうとした文章表現ではなく、藤田教授が「阿弥陀如来が仏陀観の一番正しいもの」と云わんとした文章であったとしても、今の話題は内部起源説・外来起源説についてですから、藤田教授の「阿弥陀如来が仏陀観の本流である」と云う考えの是非についての議論は別話題でしょう。
大乗の初期に十方仏の思想が有ったのであるから、西方仏の萌芽が大乗の初期にあったと思われると云うのが私の意見です。

>シャキャムニ以外の、西の果ての仏の許へ往生する信仰などとい
>うものが、初期仏教にあったなどといえるのかとい

大乗の仏陀観進展の上に、諸仏の一つとして西方阿弥陀仏が居るという考えが現れたのですから、十方の仏についてさえ言及しない初期仏教に有るわけはないですね。

仏陀観の進展上、十方の仏の仏の中に、西方仏が居て完成された浄土があると云う考えが芽生えれば、付随的に、苦の娑婆を離れ往生したいと云う宗教心理は自ずと生じることでしょう。

苦しんでいる人間が理想国土を想像し、そこに行きたいと願うこと、また絶対的な救済主を想像し、救いを願う事は、別に外来思想を参考にしなくとも、人間の宗教的心理として、自然と考え及ぶ事でないでしょうか。

岩本博士は「仏を光明によって荘厳する思想は初期仏教に無い。光明によって仏の特性を語るのは、外来の光明思想によっていると考えられる」と云うような見解でしたね。
前のコメントで挙げたように、原始経典の「スッタニパータ」の中に仏を光りをもって讃える文があるので、無量光と云う形容は外来思想を借らなくても、その萌芽はあると云えると書いたわけです。
私の
「 仏舎利塔礼拝はその始めはともかく、単に入滅された釈尊を偲ぶだけではなく、礼拝する者の前に釈尊が現前し、苦悩を救ってくれると云う意識のもとに仏塔中心に信仰し、それが仏寿無量思想を含む大乗興起の大きな要因に成っているのでは。」
に対して、
「これは一面の見方ではないでしょうか。」
との事ですが、少なくとも「仏塔礼拝は単に入滅された釈尊を偲ぶだけではなく、礼拝する者の前に釈尊が現前し、苦悩を救ってくれると云う意識のもとに仏塔中心に信仰した」ことは否定できないのではないですか。
仏塔礼拝に、入滅しても釈尊は存在する、即ち仏寿無量と考える萌芽が(法華経の久遠仏思想もこの萌芽の進展と云えますね)見えると云う見解は否定できないと思います。

大乗と称される思想運動の実姿や、法華経成立時期の仏塔崇拝形態は、今の論題と直接関係ないでしょう。
(続く)

56川蝉:2002/07/11(木) 16:09
犀角独歩 さんへ。続きです。

>それと「舎利=釈尊が苦悩を救う」が、いつの間にか他土の阿弥
>陀という釈尊とは別の仏の崇拝にすり替わっている理由が説明さ
>れていません。

大乗初期からの十方仏思想がありますが、諸仏は悟りに於いて平等と云うのが決まりです。釈尊の特性は十方仏も有するという事ですから、仏塔礼拝に、仏寿無量や「舎利=釈尊が苦悩を救う」と云う考えの萌芽があれば、その萌芽は、西方仏等にも仏寿無量・無量光・救済者の特性があるとする考えが生じる基になり得るでしょう。

十方浄土の中の西方極楽世界が重んじられた理由は分かりませんが(余談ですが、たしか中国天台では、一番近い浄土である事を理由の一つに数えていますね)
娑婆世界が浄仏国土化するのは何時の事かわからない、浄仏国土化が完成されている西方浄土に往った方が良いと云う欲求がもとになったのであろう推測します。

>たぶん、川蝉さんと私が初期と言うとき、既に400年以上の隔たり>があるのでしょう。
>私は、これら経典の記述が釈尊に由来するものであるとはまった
>く思いません。仮にそれが仏教教団内部で醸造されたとしても、
>です。

藤田教授が挙げた「増一阿含経巻四十四巻」や「長部16経・大般涅槃経」の文は、「スッタニパータ」等の原始経典と比べたら、ずっと新しい経であるでしょう。
阿弥陀仏思想発生に就いての議論ですから、阿弥陀仏思想が出てくるまでの前の時代の経に萌芽が見えるかどいうかが資料となります。
仏教教団内部で醸造された可能性はあるかどうかの問題です。
阿弥陀仏思想が釈尊の教えに叶っているかどうかの問題は別問題です。

私のコメントの
「『 …明らかにアミターウスの観念と相通ずるものと思われる。無量寿経のサンスクリット本によると、この原始経典の説とほぼ相応する言葉が見出される。』と論じています。」
に対し、
「これまた、同様のことです。経典を創作するのですから、仮に知ることのできるテキストがあれば、それを参照するわけですか
ら、同様のものがあったとしても、何ら不思議はないと思いま
す。」
との事ですが、「原始経典の説とほぼ相応する言葉が見出される」という事は、仏陀観に相通じる思想があると言い得る事では無いですか。

>問題点は、そこにあるのではなくて、アミターウス(阿弥陀如
>来)という仏に対する崇拝が初期(つまり、釈尊に由来して)に
>あったかどうかです。

阿弥陀仏崇拝が起こってきた因由を論議しています。
釈尊滅後において釈尊を無量寿・救済者として尊崇する萌芽があり、その後、仏陀観が進展する中で阿弥陀仏崇拝が起こって来たと考えるのが妥当であろうと云うのが私の考えなのです。
釈尊入滅直後には阿弥陀仏思想はまだ無かったのですから、釈尊に由来してないと云えば、に由来してないと云えるでしょうが、
仏陀観が進展する中で、醸造されたものだろうと云う見解は的を外していないだろうと私は思うのです。
(続く)

57川蝉:2002/07/11(木) 16:10
犀角独歩 さんへ。続きです。
>ここに挙げる光による形容は釈尊を指しているのではないでしょ
>うか。それが、いつの間にか阿弥陀如来の説明にすり替えられい
>くのは、どういうわけかということです。

上の方に述べたように推測しています。

>また、光による形容と、光による名称は意味がまったく違うはず
>です。釈尊が釈迦族の聖者というのと、「量り知れない光の仏
>という名称とは、形容とは別の問題であるはずです。

質問の意味がわかりませんが、「量り知れない光の仏」とは「量り知れない光のような仏」と云う意味ではないですか。
仏の代りの名称になり得るのでは。

犀角独歩が藤田教授の事を【僧学】者と断定することは一向にかまいません。藤田教授でも、なるほどと思える論証にはうなずき、ちょっと違うなと思われる点が有ればうなずかないと云う立場です。
私は、「阿弥陀思想は仏陀観の発展上に生じた」可能性大との藤田教授の見解を成る程と思うわけです。
藤田教授がもし「阿弥陀仏が仏陀観の発展の正しい結論であった」と主張するので有れば、他の学者の見解を勉強して、異を唱えることでしょう。

前のコメントに紹介したように、藤田教授は「インドにもたらされた外来思想とまったく無関係に阿弥陀仏の思想が成立した、と言い切ることは無謀であろう。」
と云っていますから、仏陀観の発展上において、外来の他思想も仏陀観形成に影響を与えた可能性もあり得るとであろう、と云う見解なのです。
犀角独歩さん とは一致しませんが、私は
「外来思想はやはり傍流的影響と考えるべきであろう」
と云う見解に与しています。
阿弥陀と云う名の語源はともかく、浄土経は仏教思想に軸足を置いていることは確かですからです。
ただし、浄土経が仏教の正統思想であると云うのではありません。

58犀角独歩:2002/07/11(木) 16:37

川蝉さん:

すでに堂々巡りになっているの、執拗な応酬は時間の無駄と判断しました。

議論がかみ合わない大きな理由は、初期仏教と言うとき、川蝉さんは初期大乗を言うのに対して、私はさらにシャキャムニの仏教の原型を考えているからでしょう。

その時点から考えるに、言われるような恩寵説が仏教内部に生じるとすれば、堕落以外の何ものでもないと感じます。それを他力という大乗の一面と言うことはできましょうが、しかし、そんな他力論はシャキャムニにはなかったろうと思うわけです。

いちおう、申し上げておけば、久遠仏思想も、私はシャキャムニに直接関係のあるものであるとは思っていません。つまり、法華経の創作も同様です。墨守するつもりは毛頭ありません。

ただし、それが後世の創作であっても、取るべきところはあるであろうと思うわけです。
いずれにしても、自分の信仰に都合のいい学説の組み立てや、根拠の収集で満足しないように心がけていくつもりです。

川蝉さんは阿弥陀如来と極楽救済思想は、藤田説による内部発生説を採り、私はイラン等の外来思想による混淆と自教化を採るということで、この件は終わらせていただきます。

59一字三礼:2002/07/11(木) 21:50

犀角独歩さん

>53

>実在説一辺倒の議論にはやや疑問を持っています。

ヘロデ王によるイエス幼児期の大虐殺事件、イエスの裁判及び磔刑に至るまで、ユダヤ王国・ローマ帝国の公文書には片鱗も書かれていない事。また、イエスと同時代、ヨルダン川の川辺リでは多数の自称“預言者”が存在していたと言う事、からの御発言と推測いたします。
実際、正確に資料を読みこんでいけば、イエス実在説を疑問に思われるのも、当然でしょう。

しかし、私は“とりあえず、イエスも実在した”と割りきって考える事にしています。
キリスト者にこのイエス実在論の疑問をぶつけると、かならず、一昔前のヨーロッパの仏教学者が提唱した“仏陀とは太陽信仰の擬人化であって、釈迦こそ実在ではない”と切り返されるからです。
そうすると、“いや、釈尊は実在した。その証拠に仏舎利が北インドで見つかっており、その一部はタイ王国から日本に寄贈され、今、名古屋の日泰寺にある”等など論争が始まってしまいます。
別にこの論争で負けるからこちらが先んじてイエスの実在を認めようと言うわけではないのです。せっかく、違う土俵で信仰をしている人と話しをするチャンスを有効に過ごしたいので、“とりあえず、お二人とも実在した”と言う事にしておくようにしています。学的な態度ではありませんが。

>近代、聖典と言われるものが洋の東西において挙がって、示しあわせたようにこの時期に・・

釈尊御在世の紀元前4〜5世紀は、ソクラテスや孔子も活躍していたので、人類の倫理萌芽の時代などとよく言われますね。
では紀元後100年の時期はどうなのでしょうか。たしかに新約聖書のテキストと初期大乗経典の制作がなされました。しかし、仏教経典は、根本経典「スッタニパータ」から密教経典「時輪経」まで、約1100年間にも亘って随時創られ続けられています。
私には、この時期に特別な意味を見つけられません。
犀角独歩さんはどのような視点から、この時期をごらんになられたのでしょうか。
御質問にお答えできずに、こちらから質問するようで申し訳ありません。

60犀角独歩:2002/07/12(金) 08:06

一字三礼さん:

> 教学者が提唱した“仏陀とは太陽信仰の擬人化であって、釈迦こそ実在ではない”と切り返される

ほお、そうですか。私は、そんな経験はあまりありません。取りあえずアショーカ王の石柱の発見と碑文によって歴史的にシャキャムニがいたことは認知されていると判断しています。それにしても、太陽信仰の擬人化とは随分と的はずれの批判ですね。

> 紀元後100年の時期…どのような視点から、この時期を…

ご承知のとおり、法華経の成立史からすると、その創作は紀元前100年から紀元後100年の200年ほどの間に跨っているというのが一応の通説になっています。この時点で、久遠仏思想は成立していたことになります。久遠仏思想、いわゆるシャキャムニの神格化は、それ以前にももちろん、見られますが、のちに報身と表現されるようになるこの思想運動は、この時期に見ることができるでしょう。

先にキリスト教が仏教に影響を与えることは物理的に無理であるという見解を一字三礼さんは示していましたが、これは「キリスト教が」という限定がつくことであろうと思います。「何を言っているのか」と思われるかもしれませんが、私は宗教団体の成立と思想潮流は必ずしも一致しないと考えています。つまり、キリスト教を生み出すモチーフになる源流があり、それが幾重にも枝分かれして、各地に伝播し、時にはキリスト教といったような教団を構成するに過ぎないという見方です。

その前提で見るとき、100年単位のズレが時にはあるかもしれませんが、新約聖書の成立と、法華経の成立は時を同じくしているではないか、さらにその後、法身仏思想という、キリスト教で言えば汎神論にカテゴライズできそうな思想運動が仏教上に起きてくることになります。(法身思想と法身仏思想は別のものであると私は考えています)

先頃、ミレニアムということが盛んに言われましたが、1000年、あるいは2000年を単位とするこの考えは、単位だけで見れば大集経の500年・1000年・2000年単位との類似は意識されることになるでしょう。

経典制作、あるいは仏像創作という歴史的な単位で見れば、たしかに紀元前5世紀から紀元後7世紀という1000年単位のことになりますが、法華経と新約聖書に絞り込むとき、その創作年代は、ほぼ同時期にあると感ずるということです。

「ミリンダ王の問い」として知られる仏教がギリシャに伝播を伝える記事は、紀元前2世紀説が採られているようです。となれば、教団がではなく、思想が相互に影響を与え合う可能性は、キリスト教を生み出す“背景”の中でまったくなかったとは私には思えないわけです。

ただし、それは直ちにキリスト教が仏教に影響を与えたとか、あるいは逆だなどという諍論をしようということではなく、東西思想交流の可能性は、どうなのかを考えてみたいということです。

一字三礼さんは、なかなか歴史観にお詳しいようなので、紀元後100年を問うたのは、そのような理由です。ご賢察をお聞かせいただければ有り難く存じます。

61いちりん:2002/07/12(金) 09:58

ユダヤ教が誕生したのは、紀元前六世紀頃ともいえましょうか(これは異説はありますが)。

インドでお釈迦さまが活躍したのが、紀元前5世紀頃(BC463〜BC387)です。

ソクラテス(没BC99)も孔子(没BC479)もその頃の活躍。
さらには、ゾロアスター教は、紀元前六世紀頃の成立。大ざっぱに含めてしまえるかなあ。

イエスの出現が、ちょうど紀元前後であり、大乗仏教の出現は紀元一世紀頃。
また、インドで密教が興ったのは、紀元七世紀頃。そして、イスラム教が誕生したのもその頃。

……などと、大ざっさぱに見てみましたが。

62犀角独歩:2002/07/12(金) 13:46

ユダヤ教、紀元前6世紀頃。とすれば、シャキャムニの時代とほぼ一緒ですか。
これは興味深いですね。

63いちりん:2002/07/13(土) 01:08
ユダヤ教、紀元前6世紀頃というのは、かなり乱暴なまとめ方なのですが。
というのは、キリスト教や仏教やイスラム教のように、ある教祖がいて創始したという宗教ではなくて、いわば日本の神道みたいな民族宗教的なところがありますから。

モーゼを開祖と考えると、BC13世紀あたりになります。モーゼが神と契約して、エジプトにいたユダヤの民をカナーン(いまりパレスチナ)に導いたわけですよね。

そうして、ダビデやソロモンがあらわれて、ユダヤ民族の栄華の時代が訪れる。BC10世紀頃。
しかし、やがてBC6世紀頃には、新バビロニアによって滅ぼされてしまいます。エルサレム神殿は破壊されます。
そうして、新バビロニアの首都、バビロンにユダヤ人は奴隷として使役されてしまいます。これが、百年くらい続きます。
この、もっともつらい時代に、ユダヤ教が形成されたという説をとって、6世紀と書いたわけです。

もっともしんどいときに、民族のアイデンティティを失うまい、わたしたちは滅びてはいけないという心から、その中核の信仰=神との契約に立ち戻ろうとしたんだと思います。

また、ある意味では、このバビロンに連れ去られた時代に、メソポタミアとペルシアの宗教に出逢うことになり、その影響を受けて、自分たちの教義というのか、観念を明確にしていったともいえるかもしれません。

まあ、このあたりから、メシア信仰が出てきたのかもしれません。

64アネモネ:2002/07/13(土) 01:51
たぶん、唯一神教としてのユダヤ教は、アブラハムが多神教と決別してヤハウエと契約を結んだところからと考えられると思います。(BC1853年?「創世記」)
救世主の出現を預言しているのは、旧約聖書の「ダニエル書」らしいですね。イスラエル民の主権が捕囚後に回復されることと、救世主が生まれ不当に打たれることも預言しているそうです。やはりバビロン捕囚だったBC6世紀頃でしょうね。
一時期、ユダヤ本に嵌ったことがありますので、もう少し詳しいことは、ユダヤ教のところに書いてみます。

65犀角独歩:2002/07/13(土) 02:35

> バビロンに連れ去られた時代に、メソポタミアとペルシアの宗教に出逢うことになり、その影響を受けて、自分たちの教義というのか、観念を明確にしていったともいえるかもしれません。

興味深い点ですね。

66一字三礼:2002/07/13(土) 23:45

犀角独歩さん

最近、よく誉めていただいているので、ボロは出したくなかったのですが・・。(笑)

ほぼ同時期に大きな思想が出来あがった東西の、民族宗教から世界宗教への飛躍の契機となるコスモポリタニズムの発達や、崇拝対象の絶対化をもたらす思想交流についての、いわばアングラ的な可能性ですね。

ん〜、非常に興味深いテーマですが、私にはかなり荷が重いようです。って言うか無理でした。(結構考えたのですが、うまくまとまりません)

もしかしたら、とんでもなく的外れなことかもしれませんが、思いつくところを少し書かせていただきます。

まず、アジャンター石窟寺院の最古層。これは紀元前3〜2世紀のものですよね。ここの掘削・装飾に布施をした人々は、中央アジアとの交易で利益を上げる、大商人達だったようです。時代的には、部派仏教の頃でしょう。
これらの商人達が仏法に求めたものは、厳しい修行による悟りではなく、商売繁盛、現世安穏の類ではなかったでしょうか。しかも、彼らは常に西方と行き来していたので、異教の影響も当然受けたことでしょう。

根本仏典を読んでいると、よく“結髪の行者”が出てきます。ごく一般的な沙門の場合もありますが、実はこれは拝火教徒の典型的な姿でもあるようです。釈尊や他の自由思想家達が活発に活動していた時代に、バラモン教と共に少なからぬ影響を残したのではないでしょうか。

これらとはまた違いますが、「スッタニパ−タ」などにも出てくる、過去七仏。この仏達は、お1人が涅槃に入られると次の方と言うように、1時代1仏が原則です。言わば、時間軸上に並ぶ存在とでも言いましょうか。
これに対し、大乗仏教では最初は四方、後には十方。こちらは、同時代に無数に存在している、言わば空間的な仏。
また、釈尊を除く六仏は、大乗仏教では正当な地位に着いてはいらっしゃらない。大乗仏教では、意図的に根本仏典の仏身観を捨てているか、否定している様に思えます。

おおっ!見事にとりとめがない!

67犀角独歩:2002/07/15(月) 20:48

一字三礼さん:

レス、有り難うございました。
ところで、一字三礼さんは仏教の精神医学・社会心理学解析は興味がないようですね(笑)

68現時点:2002/07/20(土) 23:48
心理学等の知識に基づく仏教解明手法

おもしろい視点ですね

現代仏教の先端においては、このような方法は意義のあることだと思います

独歩さんの 雑雑日誌 楽しみに読んでいます

仏教の合理的理解 神秘主義の排除 器物崇拝のおろかさ 宗教に入る人の精神的・心理的弱点・弱さ・依存心

シャキャムニの教えへの遡及に対する探求

独歩さんから多くのことをさらに学びたいと思います

69犀角独歩:2002/07/21(日) 16:37

現時点さん:

投稿を拝見し、簡潔にまとめられたなかにも深い洞察と、蘊蓄が窺われますね。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

70顕正居士:2006/03/18(土) 00:08:21
日蓮聖人の教学と東密、台密との関係について釈然としない方がおられるようである。半世紀
以上前に浅井要鱗師が中古天台の口伝法門があらわれた祖書に疑問を提出し、師の批判的
文献学は田村芳朗師により継承発展し、その成果はひろく認知されている。然し一部、副作用
が伴い、袴谷 、松本両師の批判仏教の膾炙と相まって、日蓮教学が中国天台への復古のよう
に見なされるなら、それは本門立ちを標榜する日蓮教学とはまったく反対の方向の理解である。

村上専精著『仏教統一論』第2編第14章「日蓮開立の日蓮宗に於ける真理観」
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40044479&VOL_NUM=00002&KOMA=215&ITYPE=0

「日蓮上人は口を極めて慈覚、智証、弘法三大師を罵倒し去ると雖も、彼れ敢て密教を排する
の意にあらざるべし。これ彼等三大師が一に密教信用の結果として、終に『大日経』を『法華経』
の上位に置かんとするを憤慨せしにあり。語を換へて之を云はゞ、教義上の議論にあらずして、
経典上の諍論なりと謂ふべし、そも日蓮上人は、理の一念三千論を以て迹門となし、事の一念
三千説を以て本門となし、自ら之を拡張せんとす。然れば即事而真を以て根本義となせる密教
を排斥すべき謂れなし、寧、之を運用せざるべからず」

71文殊:2006/03/18(土) 01:51:33
『爾前二乗菩薩不作仏事』に慈覚大師の『速証仏位集』の引用あります。袴谷・
花野論争では花野氏が優勢となれば、田村説も浅井説も評価が変動します。
現在の日蓮宗学は真蹟遺文のみ依用するあまり、『御義口伝』『百六箇抄』を
偽書扱いして斥けて、宛も玉葱の皮を剥く研究が一般化しているが、果たして
何が残るのか。北山本門寺の本間氏も『日興上人の風光』で懐疑を表明して
いた。尊門成立であるならば、尊門歴代の誰が宗祖に化託して書いたのか。
話は変わりますが、空海の本覚説は『即身成仏義』に説かれる「六大法界体性
所成の身」にあります。因みに富士門のしきみは密教からきています。『不動
愛染管見記』は保田妙本寺に真筆が伝えられている。北林氏は先入観が強すぎ
ます。宗祖は教相主義の学者ではなく、観心主義の宗教者としての宗教体験を
言語にしたのでしょう。法華経には陀羅尼品で真言が説かれている。「世尊。
是陀羅尼神呪。六十二億。恒河沙等。諸仏所説」天台も『大放等陀羅尼経』
『請観世音経』『金光明経』『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』を、成仏を
目指す本格的な修行法として扱い、三昧行法に位置づけている。

72高木:2006/03/18(土) 10:00:16
70顕正居士さん

顕正居士さんにお聞きしたいんですが、曼荼羅は本尊なんでしょうか。それとも仏像が本尊なんでしょうか。お釈迦さんは、自分を拝めとは言わなかったと思うんですが(仏像ができたのが紀元前後ですよね。密教曼荼羅はもっとあとですよね)、末法(末法理解もいっぱいあるみたいですけど。例:南岳)になると拝まなければならなくなるんでしょうか。
もうひとつ、これを是非教えて欲しいんですが、なぜ南無妙法蓮華経と唱えなければ成仏できないのか、そこのところはどうでしょうか。

73犀角独歩:2006/03/18(土) 10:22:24

> 71

ご賢察は、概ね参考になり、納得できるところも多くありますが、

> 『御義口伝』『百六箇抄』を偽書扱いして斥けて、宛も玉葱の皮を剥く研究が一般化しているが、果たして何が残るのか

日蓮の真筆でないものを偽書というのが「偽書扱い」にあたるかどうか。
結局のところ、過去の信仰経験で、偽物を本物といわれて操作されたマイナスのほうが多かったので、この点について、慎重になるのは、一種の自己防衛であり、かつ、同じ過ちを繰り返す人を減らしたいという思いが生じるのは、善意によります。

74顕正居士:2006/03/18(土) 16:31:41
>>72

本尊と曼荼羅スレッド
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/l50
にこれまでの議論があります。

近代に仏本尊主義、あるいは教相主義という傾向の方が幾人かおられます。望月歓厚師、
執行海秀師などです。これらの方は本宗において一尊四士が曼荼羅より正格の本尊だと
されます。わたしは仏像も曼荼羅も同じとする考えに賛成です。つまり仏像は立体的表現
です。だから首題(宝塔)、多宝、十界の聖衆を省略した一尊四士のほうがより正格の本尊
だという考えには賛成できません。

妙法を唱えることによって即身成仏するというのは、十界本来成仏しているからです。別の
状態に移行するための修行ではない。本来成仏を表現する意匠であると理解しております。

75顕正居士:2006/03/18(土) 20:20:14
日蓮教学と密教の関係を考える上での基礎的な事柄

1 中国天台は密教との交渉がない。中国天台のアイデンティティは華厳一乗との相対である。
2 日本天台は円・密・禅・戒の四宗を倶伝する総合仏教である。ただし最澄が入唐して相伝
した密教は不十分で、空海に入門したが灌頂を受けるに至らず、円仁、円珍が入唐して不足
を補った。台密の最高経典は大日経ではなく蘇悉地経である。日本天台は真言一乗との相対
により、本門思想、観心思想を発達させた。
3 「天台・真言」というとき、「天台」には台密を含み、「真言」は東密をさす。
4 『戒体即身成仏義』は顕劣密勝だが、京都遊学以前の著とされる。立宗後は「天台・真言」
と並列し、佐前には真言批判はないとされる。『祖書綱要』の「佐前未破東天真言章」に詳しい。
ただし、『唱法華題目抄』(文応元年)に「大日経を法華経に対すれば、大日経は不了義経、
法華経は了義経なり」とある。
5 弘法、智証の二大師はともかく、慈覚大師の「理同事勝」判に異義を唱えることは山門僧の
立場を外れる、伝教大師は法華一乗と真言一乗に優劣がないとされたから、天台僧の立場も
外れるであろう。佐渡からは「本朝沙門」という名乗りがはじまる。
6 「阿闍梨」は伝法灌頂を受けた者の称号であり、密教の能化である。龍興寺の順暁阿闍梨
から最澄が受けたのが最初である。日蓮と門弟中の幾人かは阿闍梨を称しており、又新たに
阿闍梨を称することを許している。これは大石寺では今も続いている。

76波木井坊竜尊@日蓮宗:2006/05/14(日) 13:13:20
顕正居士さん、おひさしぶりです。
もうお会いしてから10年近くたちますね。お変わりありませんか。??

実に興味深いスレッドです。

顕正居士さんは、日蓮宗でよく言われる”日蓮大聖人の謎の三年間”というのを
ご存知でしょうか?

そうです。実相寺時代の三年間です。

77波木井坊竜尊@日蓮宗:2006/05/14(日) 13:19:05
実は、実相寺には一切経がない。現在でも半分ぐらいしかない。
日蓮宗には昔から”宗祖日蓮大聖人がここで経蔵に篭り立正安国論をお書きに
なられた”という伝承があります。

これは正宗系でも疑わないお話なのですが、実は一切経が”ない”(^^;汗
どうやら伝承にあわせて実相寺歴代が少しずつ収集していったようなんです。
それでも半分しかない。

御祖様に密教臭さがある、と思ったのは、顕正居士さんもご存知の通り、私が富士宮在住
者で、御祖様のご足跡を追った所から傍証的に気がついたいくつかがあるためです。

私の推測では、この実相寺時代、御祖様は完全に真言を切れなかった時代で、
アジャリの格好をしていたのでは、と推測しています。

78波木井坊竜尊@日蓮宗:2006/05/14(日) 13:26:19
この実相寺時代の”謎の三年間”ですが、当時、村山修験がたいへん盛んで、
現在の村山浅間神社は、当時修験の寺、往生寺と名乗り、住職は、末代上人で、
実は実相寺の住職の先代兄弟子にあたる人です。

この末代上人は実相寺を引き継ぐべき優秀な方だったようですが、それを捨てて
弟弟子に実相寺を譲った。しかしどうやらこの弟弟子の出来がよくなかったのでしょうか?
日興上人のお書きモノを見ると、実相寺の人材不足を嘆願するような比叡山に宛てた
書状が垣間見れます。

日興上人自身も弟子のスカウト、例えば目師がそうですが、伊豆山に行ったりしている。
北山重須にも伊豆山出身の転宗組みがいるようで、日興上人にも何故か修験密教の
匂いが付きまとう。

79波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2006/05/14(日) 13:33:51
この謎の三年間、御祖様はアジャリの格好をして、火の上を渡ったり、
岩の上に上ってほら貝を吹いたり、天狗界を行き来していたかもしれません。

この地域は都から追われた真言立川のメッカでもありましたし、浅間大社の
富士信仰もありましたから、一種の宗教の坩堝であったようです。

御本尊には、いくつかの密教的印が残されています。実際、日蓮宗の一派である、
最上稲荷教は、実際法華経を密教の先駆的経典であると解釈する一派も存在します。

80波木井坊竜尊@日蓮宗葵講:2006/05/14(日) 13:44:47
日興上人にも先に書いたとおり、伊豆山に出入りしたことは確かで、日目師の
スカウトをしている。

実は南条氏は北条家の分家で吾妻鏡には、この一族が法華経の埋経習慣がある
ことを伝えていて、南条家には、法華に帰依する理由があった、と思われます。

現宗研の石川師(北山総代の親戚筋であります)が、最近画期的な研究発表を
していて、どうやら日興上人のお住まいの丸山は、浅間大社の山宮(山宮浅間神社)
のすぐ近隣であったことがわかっています。

この山宮浅間神社は浅間神社の大元で、現在の浅間大社はあくまでも里宮です。
当時の御祭神は、このはなさくや姫ではなく、浅間大神か富士大神のどちらかであったようです。

拝殿その他のない古神道的であり、伊勢神宮とレイラインで結ばれているこの地の
すぐそばに日興上人が生涯終わるまでおられた住居があった。

日興上人が生きておられた時代にいくつかの摩訶不思議な御本尊が残されております。
石山伝承通りの御本尊ではない。日蓮宗でも”これは変だ”と思わせるような御本尊が
何幅かある。

断片のつなぎ合わせでしかありませんが、日興上人も含めて、密教・修験が
微妙に絡んできている物証が多い。これを今後、正しい宗祖観を構築していく上で
たいへん重要なポイントであると私は思います。

81顕正居士:2006/05/20(土) 06:25:10
波木井さん。ひさしぶりです。旧名ROCKさんも学問が進んでおられるようですね。

「真言密教」は東寺密教をいう現代語で当時は「真言」としかいわない。「天台密教」は「天台」としかいわない。
このスレッドはほんとうは「日蓮聖人と密教」が適当ですね。
岩本実相寺は比叡山横川流の寺院ですから、「真言密教」とは無関係です。実相寺の富士山信仰も東寺密教
とは無関係でしょう。三位日順の『表白』に富士派の根源の思想がよくあらわれています。

「中ん就く霊鷲山天台山比叡山は共に法華弘通の地なり、然りと雖も彼は皆垂迹にして未だ本を願はさず、
其の故は天竺をば月氏と号す、即ち月の国なる故なり、漢土をば震旦と名く、星の国たるによりてなり、随て
天台山は三台星の所居と申すなり、我が朝は本仏の所住なるべき故に本朝と申し、月氏震旦に勝れたり、
仍て日本と名く、富士山をば或は大日山とも号し又蓮華山とも呼ぶ、此れ偏へに大日本国の中央の大日山
に日蓮聖人大本門寺建立すべき故に先き立つて大日山と号するか、将た又妙法蓮華経を此処に初めて
一閻浮提に流布す可き故に蓮華山と名づくるか、初め西より東に至るは猶ほ月の生ずるが如し、今亦東より
西に伝ふ日の昇るが如しと云ふも実なるかな、麓は崇山四周して以て外郭と為す、天竺の王舎城にも超え
漢土の長安城にも過ぎたり、此処へ帝都を立て一切衆生仏法を崇め奉らば現世安穏後生善処ならん事、
何の疑ひ有らんや、若し爾らば二階の楼門は雲上に曜き一乗の講演を霞中に誦せん、正法弘通せば万年の
衆生得道倍し、王位繁昌三七の風雨枝を鳴らさざるか」

82顕正居士:2006/05/20(土) 07:06:27
「霊鷲山天台山比叡山は共に法華弘通の地なり、然りと雖も彼は皆垂迹にして未だ本を願はさず」

霊鷲山--根本法華
天台山--迹門法華
比叡山--本門法華
富士山--顕説法華

根本法華すら、なお垂迹の思想であり、顕説法華はこれを日蓮が説いた、それは要するに日本神道、
COOL JAPAN である。富士派の特色は『諌暁八幡抄』より興起し、日蓮-日興-日順と相承したが、
日蓮の最終思想自体が実相寺日源と白蓮日興の影響下で形成せられたゆえに、弘教に忙しい五老
は日蓮晩年の思想に疎かった。それが五一相対の源由だろう。しかし日頂は日興に与同した。日朗
も日興と盟約した伝説は、勝劣派が朗門から興ったことから真実でなかろうか。富士派が衰えたのは
ルーツを忘れ、しかしそれゆえにルーツを求め、内部闘争に邁進したゆえでなかろうか。

83犀角独歩:2006/05/21(日) 08:55:30

顕正居士さんが、豊富な視点から、日蓮、もしくは殊に富士門下に密教的な要素を孕んでいるという分析は、説得力があります。

この点は、特に異議を有しようなどと努々考えません。
ただい、実に不思議に思うのは、これだけの密教的な影響を受けたとする富士門下の‘風景’というのは、まるで密教的に見えないことです。修法、その法具、もしくは美術、また、加持祈祷といった側面にしても、実際の密教や、山岳信仰の現場の風景とは大きく異なっています。教理面ではたしかに密教的な要素を確認できながら、その他にその影響を感じられない、このアンバランスはまた、富士の特徴ということになりましょうか。

84お暇庵:2006/05/21(日) 10:46:12
鎌倉期の佛教が密教化しているのはこの時代の要請でもあります。
鎌倉八幡社は言うに及ばず、律といわず、禅(道元は除く)、奈良の法相も密教化しています。これは鎌倉以前の時代から続いた現象です。いわゆる天皇・公家の要請でもあり神道・陰陽、からの引き続きの習合でしょう

85ひかり:2006/05/29(月) 01:56:01
御祖様はアジャリの格好をして、火の上を渡ったり、
岩の上に上ってほら貝を吹いたり、天狗界を行き来していたかもしれません。

御祖様と修験道の関係は興味あります。
天狗界って本当に実在するのですか

86パンナコッタ:2006/05/30(火) 19:18:53
天狗云々というのは、おそらく妙法両大善神の事だと思いますが。
 http://www.hongyozi.or.jp/mdo.htm


冨士修験に関しては、
 http://www.city.fuji.shizuoka.jp/cityhall/kyoiku-b/hakubutukan/a6-1/a6-1-2-6.html
 http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/e-museum/fujiyama/furufuji7.htm
実相寺、末代の流れが当然あったでしょうね。 
密教”風味”的な色合いを考えてみれば、むしろ蓮祖より日興の方が、この流れ(冨士修験系)
としては、元々強かったのかもしれません。

また別の流れとして、小室妙法寺の日伝は元山伏の頭領との事で、間接的に門下が影響を受けた
可能性も十分にあるだろうと思えますね。
 http://www.na-hozumi.org/05-510-02-21-museum-myouhouji-s2-rekisi.html

87今川元真:2006/07/04(火) 06:08:00
80の書き込みにある日蓮宗も変だと思う日興上人の漫荼羅とは何でしょう。御本尊集とは別に各寺別の本尊を見る事ができるサイトで擦れた荒っぽい漫荼羅、教法本尊と同じ位の大きさの花押日蓮書名の漫荼羅、題目だけの漫荼羅等を拝見しました。伝日興漫荼羅なのでしょうか。

88れん:2006/07/04(火) 18:40:58
今川さん
>87
80の書き込みの曼荼羅とは、おそらく、伝日斉師筆の曼荼羅でしょう。
これは、写真が公開されてますが、興師在世にも関わらず日妙師が勧請されて
いる点、代師退出後、重須の妙師正嫡思想成立以後の作成にかかるものと思います。
例えば石山では乾元の大石寺持仏堂安置の曼荼羅を偽作してる位ですから、当然、重須
でもこの手の『日興』曼荼羅を偽作した可能性はあるとおもいます。
取り敢えず、「日蓮宗でも変だと思う日興上人の漫荼羅」は彫刻同様に写真が公開
されてないので、今後の公開を俟つしかないですね。
されてないので、

89今川元真:2006/07/05(水) 06:18:36
れんさん、ありがとうございます。法華一乗を表明した日蓮聖人の気持ちを考えると跡目争いを起こすようになってしまったのは哀しくなります。漫荼羅は真言宗、法華経は天台宗から末法に合うように開き、所詮は南無妙法蓮華経の他は無いなら、漫荼羅も法華経を読む範囲も争う必要など無いのに。日蓮聖人が弟子檀那に、南無妙法蓮華経の他は無いとだけ言っていたなら、人にも仏像にも題目を唱える事が良いのでは無いか其れだけしか無いのでは無いかと考えてしまいます。

90天蓋真鏡:2006/12/20(水) 17:56:04
犀角独歩さん、21世紀になってエライ事書き始めましたね。冷や汗もので目が点になると想います。鎌倉時代の僧・日蓮は晩年、空海密教の経典を所望したとか小耳に挟みましたけれども。【天台密教から法華一乗へ】顕勝密劣かは存じませんが、法華経至上主義だと考えます。四箇格言は比叡山の僧兵等に対して断下を加え、漫荼羅は法華経を再び全うな形で復興する道標では無いでしょうか。[法華一乗→成仏得道→立正安国]

91犀角独歩:2006/12/20(水) 18:28:57

天蓋真鏡さん

> 漫荼羅は法華経を再び全うな形で復興する道標

表面的には、そう見えます。けれど、考えてもみてください。「漫荼羅」という語彙と法具自体、すでに密教のものですよ。

『日蓮と梵字』
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50831955.html

92天蓋真鏡:2006/12/20(水) 20:24:16
妙法漫荼羅は、一念三千の世界(顕も密も含む)と法華継承の一場面を現出、唱題して既成概念を溶解再合成、滅不滅新世界を成長させる。御書遺文は途切れ途切れでしか説明してません。可能性は否定しませんが、考えすぎると複雑骨折になりませんか。

93犀角独歩:2006/12/20(水) 21:46:04

天蓋真鏡さん

珍しく、本音を表面に出したレスですね。仰るところが、まさに、わたしの問題提議です。

94天蓋真鏡:2006/12/21(木) 11:59:10
自分ではふざけた事を書いたり言ったりしてないつもりです(周りの人々に言われたりしました)犀角独歩さんは過去の成否、天蓋真鏡は未来の成否を目指して、あーでも無い、こーでも無い。でも、鎌倉時代の僧・日蓮は【何だったのか。何なのか。】と言う想いは同じでしょう。お互い死ぬまでに納得の解読に辿り着けると良いです。

95犀角独歩:2006/12/21(木) 14:57:23

天蓋真鏡さん

わたしは、あなたの一見、アラシと誤解されかねないご投稿も、何とか判読し、意を採ろうとしてきました。
ですから、けっして、ふざけて書いているとは思っていません。

96天蓋真鏡:2006/12/21(木) 19:47:32
不勉強なのでキツイ言い方と感じた事もありました。此こで言うのは自分の実家等の周りです。

97天蓋真鏡:2007/01/17(水) 18:57:40
ウィキペディア【不動明王、密教の根本尊である大日如来の化身、或いはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされ大日大聖不動明王、無動明王(無動尊)などとも呼ばれる】【天地眼は天台僧・安然の影響】【大日如来orシヴァorシャカ】


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