したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

日蓮聖人と真言密教

34いちりん:2002/07/07(日) 12:30
上座部仏教を支えているのは出家僧侶ですよね。その出家僧侶は、在家に支えられている。
で、出家僧侶にあっては、お釈迦さまというものは、「救ってくれるありがたいお方」という「救済者・ブッダ」という気持は少ないんだろうと思います。

彼らにとっては、お釈迦さまは「解脱への教えを説いて道を示してくれたくれた方」「わたしたちの大先輩、であり模範となる方」という気持が強いと思います。

つまり、ブッダは、自分たちも到達できるレベルという認識ですね。

上座部におけるブッダとは、阿羅漢ですからね。その阿羅漢は、仏典によれば、釈迦在世のときには、五百人もの弟子が到達していたわけです。



ところが大乗仏教にあっては、ブッダは、はるか彼方の存在ですね。なんというか一神教のゴッドみたいなすごい存在になってしまう。宇宙仏みたいな。宇宙の彼方にあって、そしてわたしたちを見守ってくださり、そして救済してくださる。つまり「救済者・ブッダ」ですね。

そこには、人生の模範となる方ではなくて、「信じて拝めば、なんとかして下さる力強い方」というイメージ。

無限な存在で、尽きることがない。そして、いつでも、どんなときにでも、どなたでも、慈悲で見守って下さる。……そういうところから、それはまさに「光」が象徴として、示しやすい。



あと、おもしろいのは、キリスト教の「ヨハネによる福音書」もすべての始源である神を光として示しています。

《初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神とともにあった。言(ことば)は神であった。この言(ことば)は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたものののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言(ことば)に命があった。そしてこの命は人の光であった》

ことば=いのち=人の光=イエス ということになりますね。
このことばとは、いわば「ロゴス」です、ものごとを生起せしむる働き、力なんでしょうね。
それが、いのちであり、ひかりであり、そうして人格を持つ、と。

このあたり、じつに日蓮本仏論とも、通じるとこがあるかなあとも、みていますけど。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板