したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

日蓮聖人と真言密教

32犀角独歩:2002/07/07(日) 12:05

ちょっと、私の紹介の仕方もまずかったのかもしれません。原文を、もう一度、挙げると、

初期の仏典では、ブッダを修飾するのに黄金で比喩することはあっても、光明で修飾することはない。初期の仏典を編述した上座部の仏教には、光明思想はなかったといっても誤りではない。上座部の分派に属する経典には
いま舎衛城の大僧院に滞在される〔われわれの〕師(ブッダ)は、純金の塊さながらで、精錬された黄金に似て、純金のように清らかである。
と記しているが、また上座部の系統をひくセイロンやビルマの仏教では、仏像を黄金で飾りたてるのが普通である。そのもっとも顕著な実例がビルマのラングーンにあるシュエウェ=ダゴン(黄金寺)であり、同じくペグーにあるブッダの大寝像(全長55メートル)である。また、セイロンのキャンディにある仏歯寺のブッダの歯を祀った堂舎も金色燦然と輝き、内部もすべて黄金でつくられているという。漢訳仏典の中に「ブッダの言葉あるいはその説いた教え」を金口というものがあるのは、この上座部における表現の残滓である。

となっています。つまり、「上座部の仏教には、光明思想はなかった」という所に論点があります。経典になかったのではなくて、上座部仏教になかったという意味であったようです。

また、ここの記述はアミダ信仰の発生について論じる段で、阿弥陀の原語であるアミターバの意味が無量の“光”が、それまでの仏の形容と著しく異なっている点を、上座部と対比して論じています。この仏の形容が「無量の光明(プラバ)をもつアミータユス(無量寿)如来」などとなっている点を指摘しているわけです。

そして、後期、大乗経典で、太陽神が仏教に採り入れられたマハー・ヴァイローチャナは偉大なる太陽、すなわち、これまた光明を形容するものである点を指摘しています。

実際に仏の名称で、光明に関するアミータユス、ヴァイローチャナといった表現は上座部仏教にはなかったというのが岩本師の言いたかったところではないかと思います。

詳しくは『極楽と地獄』の原文に当たっていただければと存じます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板