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日蓮聖人と真言密教
57
:
川蝉
:2002/07/11(木) 16:10
犀角独歩 さんへ。続きです。
>ここに挙げる光による形容は釈尊を指しているのではないでしょ
>うか。それが、いつの間にか阿弥陀如来の説明にすり替えられい
>くのは、どういうわけかということです。
上の方に述べたように推測しています。
>また、光による形容と、光による名称は意味がまったく違うはず
>です。釈尊が釈迦族の聖者というのと、「量り知れない光の仏
>という名称とは、形容とは別の問題であるはずです。
質問の意味がわかりませんが、「量り知れない光の仏」とは「量り知れない光のような仏」と云う意味ではないですか。
仏の代りの名称になり得るのでは。
犀角独歩が藤田教授の事を【僧学】者と断定することは一向にかまいません。藤田教授でも、なるほどと思える論証にはうなずき、ちょっと違うなと思われる点が有ればうなずかないと云う立場です。
私は、「阿弥陀思想は仏陀観の発展上に生じた」可能性大との藤田教授の見解を成る程と思うわけです。
藤田教授がもし「阿弥陀仏が仏陀観の発展の正しい結論であった」と主張するので有れば、他の学者の見解を勉強して、異を唱えることでしょう。
前のコメントに紹介したように、藤田教授は「インドにもたらされた外来思想とまったく無関係に阿弥陀仏の思想が成立した、と言い切ることは無謀であろう。」
と云っていますから、仏陀観の発展上において、外来の他思想も仏陀観形成に影響を与えた可能性もあり得るとであろう、と云う見解なのです。
犀角独歩さん とは一致しませんが、私は
「外来思想はやはり傍流的影響と考えるべきであろう」
と云う見解に与しています。
阿弥陀と云う名の語源はともかく、浄土経は仏教思想に軸足を置いていることは確かですからです。
ただし、浄土経が仏教の正統思想であると云うのではありません。
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