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日蓮聖人と真言密教
66
:
一字三礼
:2002/07/13(土) 23:45
犀角独歩さん
最近、よく誉めていただいているので、ボロは出したくなかったのですが・・。(笑)
ほぼ同時期に大きな思想が出来あがった東西の、民族宗教から世界宗教への飛躍の契機となるコスモポリタニズムの発達や、崇拝対象の絶対化をもたらす思想交流についての、いわばアングラ的な可能性ですね。
ん〜、非常に興味深いテーマですが、私にはかなり荷が重いようです。って言うか無理でした。(結構考えたのですが、うまくまとまりません)
もしかしたら、とんでもなく的外れなことかもしれませんが、思いつくところを少し書かせていただきます。
まず、アジャンター石窟寺院の最古層。これは紀元前3〜2世紀のものですよね。ここの掘削・装飾に布施をした人々は、中央アジアとの交易で利益を上げる、大商人達だったようです。時代的には、部派仏教の頃でしょう。
これらの商人達が仏法に求めたものは、厳しい修行による悟りではなく、商売繁盛、現世安穏の類ではなかったでしょうか。しかも、彼らは常に西方と行き来していたので、異教の影響も当然受けたことでしょう。
根本仏典を読んでいると、よく“結髪の行者”が出てきます。ごく一般的な沙門の場合もありますが、実はこれは拝火教徒の典型的な姿でもあるようです。釈尊や他の自由思想家達が活発に活動していた時代に、バラモン教と共に少なからぬ影響を残したのではないでしょうか。
これらとはまた違いますが、「スッタニパ−タ」などにも出てくる、過去七仏。この仏達は、お1人が涅槃に入られると次の方と言うように、1時代1仏が原則です。言わば、時間軸上に並ぶ存在とでも言いましょうか。
これに対し、大乗仏教では最初は四方、後には十方。こちらは、同時代に無数に存在している、言わば空間的な仏。
また、釈尊を除く六仏は、大乗仏教では正当な地位に着いてはいらっしゃらない。大乗仏教では、意図的に根本仏典の仏身観を捨てているか、否定している様に思えます。
おおっ!見事にとりとめがない!
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