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日蓮聖人と真言密教

37犀角独歩:2002/07/07(日) 17:59

阿弥陀如来の二つの名前は、その仏が生成されるに当たり、その創作集団、あるいは仏教の思想潮流に二つの傾向が生じていたことを示唆していると思います。

一つは量り知れない寿命(無量寿)であり、もう一つが光明(無量光)思想でしょう。

永遠の生命が常套句になってから霞んでしまいましたが、法華経におけるテーマは仏になることによって得られる量り知れない長さの寿命ということです。つまり、これが成仏の功徳ということになります。本来、寿量仏とは艱難辛苦を凌ぐ修行によって六根清浄を得、その功徳が量り知れない長寿であるということが、実は法華経のテーマとしてひそんでいることが永遠の生命ばやりで見失われてしまったのでしょう。もちろん、これは三身論の段階でも既にそうでした。しかし、法華経のテーマは間違いなく、成道によって得られる無量の長寿ということです。

このコンセプトは、実は無量寿仏と同様なのであって、法華経に阿弥陀如来が登場することは偶然ではないと考えられます。むしろ、原型的には寿量仏と無量寿仏は起源を同じくするのではないのかと私は想像しています。

方や無量光という光明思想は、アフロマズダ、ミトラという太陽神からの混淆であることは疑い得ない事実であるように思えます。

無量寿命と光明思想は、しかし、起源は異にするものと思われます。けれど、浄土教を生成していった創作グループは、当時、人々を惹き付けたこの二つの特徴の一つを択一するのではなく、その両方の特性を具える仏として阿弥陀如来を創作していったのではないでしょうか。

いわば、久遠釈尊(無量寿)+毘廬遮那(光明)=阿弥陀如来 というような原図が、歴史の中に隠されているのではないのかと想像します。その整合性を取ろうとしたのが三身説、あるいは三即一説であったのではないのかと思えるわけです。

さらにここに法身説という、神仏以上に達磨を崇める潮流も並行していたのではないのかと思えます。

なお、菩薩思想、取り分け弥勒信仰、または西欧の救世主思想はまた、それらと並行する思想潮流であり、さらにバカバットギータのバクティ思想という潮流もあり、それらが混淆と離反、統合を繰り返しながら、さらに格義・漢訳という老荘思想とも影響し合って中国仏教は形成され、それを土台に日本の神道と習合して日本仏教が形成されていくという歴史的な流れがあり、伝教・弘法が同時期を生きるなかで、日本に将来された真言宗は、大きな本覚思想の潮流も生み出していった…雑駁な整理ですが…、これらの点を看過して仏教の実像は見えないと思えます。

なお、先に引用した森山師の説を鵜呑みすれば、恰も大乗仏教の起源はキリスト教のように映じなくもありませんが、しかし、それは経過的な一面に過ぎず、キリスト教自体、なんらかの思想の影響によって生じたユダヤ教の新興宗教であったのでしょう。また、キリストが処女懐胎で生まれるはずも復活するはずもなく、これらは中世の教会の権威付けのために達意・意訳されることによって生じた解釈のドグマなのであろうと私は思っています。ですから、キリスト教も早く奇跡物語から卒業していくことが、我等仏教徒同様、必要なのであろうと思うわけです。

なお、仏像について、ひとこと付言すれば、上座部系仏像には、そもそも黄金に装飾することに重点が置かれているようです。この理由について、学者によって釈迦族をモンゴロイド、すなわち黄色人種であったと指摘する向きもあり、その黄色をもっとも美しく装飾した色が黄金であるという者もあります。もとより、私は人種偏見など、まったく存しませんが、この説によれば黄色人種は黄金を肌色とした民族と見做され、それが黄金装飾に転じていったとのことでした。

ただし、ギリシャ超克の影響を受けて制作が始められたガンダーラ仏も、それとほぼ同時期に始まるマトゥーラ仏も、石彫なのであって、上述の黄金装飾には当たらない点は指摘しておく必要はあろうかと思います。


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