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素朴な疑問

2437彰往考来(しょうおうこうらい):2005/05/25(水) 12:26:20

>2434 バンナコッタさん

 すでに>2432にお答えされていたのですね。見落としました。
失礼いたしました。

2438パンナコッタ:2005/05/25(水) 12:43:10
彰往考来さん、
いえいえ、大坂相撲だったのですね。てっきり江戸だと思ってました。ご指摘、
ありがとうございました。

2439ラキ:2005/05/25(水) 15:38:50
犀角独歩さん。
>お寄り掛かりの柱というものですね。
初めて知りました(^^;
臨終=横になってる(床に入ってる)のイメージが強く、柱に寄りかかり、ご臨終されたとは、
驚きです。
>本行寺の縁起を読んだら「立正安国論を御講義される時に寄り掛かられた「お寄り掛かりの柱」」となっていました。
鎌倉時代に心ときめく、ロマンがあります。
次回伺うときは、背景を思いながら、参詣したいと思います。
(変な事を思い浮かんでしまいました。怒られそうだから沈黙(^^;)

パンナコッタさん。
ありがとうございます。
私も手持ちの辞書で相撲言葉とだけ載っていたので、江戸の相撲と何か関係があるのかと、昨日まで思っていたのです。(^^;

彰往考来さん。
細かく調べていただきありがとうございます。
2説の言葉の由来があったのですね。
とても勉強になりました。^^

2440犀角独歩:2005/05/25(水) 16:11:29

ラキさん。お寄り掛かりの柱、まあ、ロマンというか、いろいろなことを言われてきたのだというところでしょうか。
臨終の時に寄り掛かっていた…、そんな伝説があるかどうか、ちょっと、検索しましたが、見つかりませんでした。取り敢えず、今の統一見解としては、病床の枕元に臨滅度漫荼羅を懸けさせたとなっていますので、寄り掛かっていてはまずいだろうということになります。はて、わたしの記憶違いでしょうか。

うちの父が語っていたことで、正確かどうか、わかりませんが、臨終において、まあ、床に伏して寝るのは幸福なこと。これが座して臨終すると徳が高いことになる。即身仏なんか、ミイラになるのがそうです。臨終で最高位は立ったままで、これが弁慶の立ち往生という物語となるわけですね。

こんなことに絡めて、父は寄り掛かりの柱の伝承を話してくれながら、「けれど、そんなものが、700年も残っているはずがない。それを糾弾したのが竜さんなんだ」と話してくれたのです。しかし、いま、調べてみると、寄り掛かったのは立正安国論講義の時、こうなっていました。
さて、わたしの記憶違い、父の勘違い、はたまた、伝説の書き換えの何れでしょうか。

ロマンというより、ミステリーに近いかも知れません。

2441ラキ:2005/05/25(水) 19:49:03
>臨終において、まあ、床に伏して寝るのは幸福なこと。これが座して臨終すると徳が高いことになる。即身仏なんか、ミイラになるのがそうです。臨終で最高位は立ったままで、これが弁慶の立ち往生という物語となるわけですね。

ミイラで思いつくのが、「空海師」しか思いあたりません(^^;
臨終の最高位が立ったままなのは、驚きです。
「畳の上で死ねたら」て言葉をよく耳にしますので、畳の上で床で臨終が一番なのかと思っておりました。(^^;

>「けれど、そんなものが、700年も残っているはずがない。それを糾弾したのが竜さんなんだ」
科学的年代測定は行われていないのですか?


>寄り掛かったのは立正安国論講義の時
寄り掛かり柱の前で立正安国論講義がなされていたと思うと、当時どんな風に講義されていたのか、
思い描いてしまいます。
伝説の中ですが、辻説法より、リアルな感じがします。
ミステリーで、某TV番組の題名を思い浮かんでしまいました。(^^;

2442犀角独歩:2005/05/25(水) 20:32:38

伝説というのは、たいがい、論理的には穴だらけで、「おいおい」というのは多いですね。もちろん、科学的な調査がされる例はまれでしょう。

臨滅度漫荼羅にしても、蓮師が臨終が近づいたので、身延に取りに行かせたって話なんですが、仮に馬で往復したとして、どれくらいかかるのか。現実味がない話だと思うわけです。何より、それまでの旅程で、では、漫荼羅を持っていなかったことを意味することになると思えるわけです。

なお、即身仏(ミイラ)がいまはないのは、明治の頃から、禁止されたこと、秘仏としてあまり公開されていないことなどによるのではないでしょうか。正直言って、わたしはこの手のミイラは苦手です。有難さというより、不気味さが先にたちます。わずか空気が少し通るだけの管を通して、地下に埋められて、座禅組んだままで、水ばかりを取って、そのまま、死んでいく。秘儀・秘薬、向精神的効果で使用された水銀の副次的効果として防腐効果が、その保存を可能にしていたのだろうと思えます。

また、ミイラを即身(成)仏というのは、無仏の時代を越え、未来、弥勒下生を待つというコンセプトとも矛盾してはいないのかとも思えます。

スレ違いですが、国によって禁じられた仏教における自殺の一形態といえるのかもしれません。

2443ラキ:2005/05/25(水) 20:51:06
昔話見たい伝説なら楽しくていいのですが、宗教が絡むと、都合のいい伝説になるのが大半ではと感じました。

>臨滅度漫荼羅にしても、蓮師が臨終が近づいたので、身延に取りに行かせたって話なんですが、仮に馬で往復したとして、どれくらいかかるのか。現実味がない話だと思うわけです。何より、それまでの旅程で、では、漫荼羅を持っていなかったことを意味することになると思えるわけです。
最低でも1日走り続けて往復できるか出来ないか?でしょうか?
それを考えると、現実味がないと感じます。
漫荼羅は肌身離さずもって旅をしていたと思ってました。

ミイラの話を聞いて、鳥肌が立ちました。
独歩さんが書かれてるように、気味が悪いです。
(言われて、気が付きました(^^;)

ミイラについて私が記憶してるのは、未来に復活するために、肉体を残しておく。
このような、話しかぞんじておりません。(^^;

毎回、独歩さんのご教授には、新しい発見があり、とても楽しくぞんじます。

2444パンナコッタ:2005/05/25(水) 22:46:29
この手のミイラは、土中に籠もる最終段階では水の供給も絶たれます。実は最終段階での水分は
禁物で(土中の湿度も重要)即身仏になり損ねて腐り朽ちて失敗したものも結構あるようです。
通常、人が死ぬと胃酸などが内蔵を腐食させていくのですが、即身仏になる前段階から食を止める
のも胃液の分泌を最小限に留めさせミイラ化させるのに必要な事であったわけです。

2445ラキ:2005/05/26(木) 01:35:40
エジプト見たく死んでからミイラ化をはかるのではなく、生きたままのミイラ化て、
気持ち悪いです。
独歩さんも書かれてましたが、自殺と一緒だと私も思います。
想像して、鳥肌が立ちました。(^^;

2446犀角独歩:2005/05/26(木) 01:42:56

パンナコッタさん、その腐敗防止に、どうやら水銀が使用されていたようですよ。

ラキさん、そうなんです。これを入定というわけですが、自殺であると国は判断し、これを禁止したと言うことでしょう。

2447パンナコッタ:2005/05/26(木) 10:32:59
土中入定後直ちにミイラになるのではなく、実は後で弟子達が色々と手を加えていくみたいですね。
いずれにしても現代の感覚からすれば、おぞましく思える物に代わりはないでしょう。

2448乾闥婆:2005/05/26(木) 10:41:16
>犀角独歩さん。

ブログにて「今成師の摂折論を聴講」の記事を読ませていただきました。以前『日蓮的あまりに日蓮的な』(太田出版)での今成氏の「摂折論をめぐって」を読んだとき強い衝撃を受けました。いままで折伏とは「折伏すること」であり、その強い語法に学会の問題を感じていましたので、「折伏される」との解釈は個人として驚天動地であり、それが事実であるならば、大きく折伏観を変更できるのではないかと期待したのでした。しかし何分にも『日蓮的あまりに日蓮的な』収録の論文は小編で、私のような学術界外部の一読者としては、もう少し紙幅をとった論文を読んでみたいと願っておりました。

確かに「転重軽受法門」を読みますと、蓮祖が強く時の権力に折伏された、「悪国」においては正法を守ろうとする者は「折伏される」との文意を読み取れるのですが、そのような受動性が、「開目抄」の文章などを読んでいると、感じられないのです。能動性が先にたつといいますか、涅槃経からの引用を踏まえて論を展開され、「破法の人を折伏する」ことに重点は置かれているように読めます。また国家の状況について「転重軽受法門」は「悪国・善国」という二分法ですが、「開目抄」では「悪国・破法の両国」といった二分法です。「悪国」においての受難としての「折伏」と、「破法」の国における「折伏」との、このよじれをどう読んだらいいのか迷います。

2449ラキ:2005/05/26(木) 12:16:34
犀角独歩さん。パンナコッタさん。
>これを入定というわけですが、自殺であると国は判断し、これを禁止したと言うことでしょう。

>土中入定後直ちにミイラになるのではなく、実は後で弟子達が色々と手を加えていくみたいですね。
いずれにしても現代の感覚からすれば、おぞましく思える物に代わりはないでしょう。

私の感覚でしが、「入定」といってもやはり自殺でしかないですね。
現代感覚では半生き埋めでやはり気持ちが悪いです。

2450顕正居士:2005/05/26(木) 12:17:40
摂受と折伏について

摂受とは善をあつめ、まもること。折伏とは悪をふせぎ、おさえること。七仏通誡の偈にいう「諸悪莫作」は
折伏、「衆善奉行」は摂受です。仏教とは要するにもろもろの悪いことをせず、もろもろの善いことをせよと
いう教えです。これが摂折の二門であり、自分の生活についていうのです。

さて勝曼経には「まさに折伏すべき者はこれを折伏し、まさに摂受すべき者はこれを摂受す」という言葉が
あります。これは国王の社会秩序を維持する義務をいいます。仏教をもって導けない、要するに犯罪者は
逮捕し処罰しなければならない。聖徳太子の勝曼経義琉にこのことを道力摂受、勢力折伏というそうです。

また涅槃経にも国王の義務としての折伏がいわれます。仏教を護るために国王は戒を捨て、武器を持って
もよい。有徳王の説話と仙予国王の説話です。このことは最近にここに書きました。有徳王のほうは肯定
できますが、仙予国王のほうは「ポア」の思想です。残念ながら日蓮はこの涅槃経の思想を受容しています。
そしてこのことを取り挙げた日蓮宗内の学者はわたしの知る範囲では戸頃重基師だけです。

さらに法華経にいう折伏があります。「本已に善有るは釈迦小を以てまさに之を護り、本未だ善有らざるは
不軽以て大に之を強毒す」(法華文句)。本未有善には三乗、四教を説かず、直ちに一乗を説く意味です。

摂受と折伏は七仏通誡偈の意味が基本です。その上に勝曼経、涅槃経、法華経にそれぞれ異なる折伏の
思想があります。中に、涅槃経には絶対に否定しなければならない「ポア」思想があります。摂受と折伏を
考えるには、まずこれらの区別をしなければなりません。

なお、問答迷人さん。「摂受と折伏について」、別にスレッドを立ててはいかがでしょうか?

2451犀角独歩:2005/05/26(木) 12:31:29

乾闥婆さん

ブログのご高覧、有難うございます。
本日、これから外出しなければならず、夜も所用があります。明日にでも、改めて、レスをさせていただこうと思います。

今成師の論説も、顕正居士さんがご指摘された筋を踏まえていました。わたしも別スレを立てることに賛成です。

2452藤川一郎:2005/05/27(金) 11:45:47
弘法大師のミイラが、保存されていると聞いたことがあります。
これは事実でしょうか?
彼も所謂、入定なのでしょうか?

2453パンナコッタ:2005/05/27(金) 12:03:12
高野山の奥の院の事ですね。秘仏という事で一切公開はされてはいません。

2454ラキ:2005/06/05(日) 21:08:30
久しぶりの、とても素朴な疑問です。
御書の「兄弟抄」の読みについてなのですが、
「きょうだいしょう」か「けいていしょう」どちらが本来の読み方なのでしょうか?
どちらも正しく、ただ時代の変化で読みが変っただけなのでしょうか?
初歩以下の疑問ですが、ご教授のほどお願い致します。

2455犀角独歩:2005/06/05(日) 21:23:31

> 2454

いま、手元に資料がないので、記憶だけなので、諸賢に批正をいただきたいと思いますが、たしか辰師本に、兄弟抄は、古来、けいていしょうと読んだ旨、記されていたとあったのではなかったでしょうか。

そういえば学会を含む石山系では、これを「きょうだいしょう」と読んでいるんでしたっけ?

もっとも『聖教新聞』の聖教、正しい読みで言えば、「しょうぎょう」、もしくは「しょうきょう」でしょう。この手のことは枚挙に暇がないでしょう。

2456ラキ:2005/06/05(日) 23:52:30
石山。学会では「きょうだいしょう」顕正会では「けいていしょう」と呼んでいます。
蓮師時代の読みなら、古文になると思うので「けいてい」でいいのかな?とも思ったのですが、
石山では御書講義があるわけですから、読み方は口伝で伝わっているから、
時代の変化で「きょうだい」と読むようになったのか、気になってしまいまして。
機関紙とかなら、気にならないのですが(^^;
御書なので、石山系教団で読み方が違うのは?と疑問にも思ったのです。

2457ラキ:2005/06/06(月) 21:42:48
取りあえず、謎が解明できました。
石山系では「きょうだいしょう」日蓮宗では「きょうだい(てい)しょう」と判明いたしました。

>たしか辰師本に、兄弟抄は、古来、けいていしょうと読んだ旨、記されていたとあったのではなかったでしょうか
これはまだ、確認が取れていません。(^^;
気になる、素朴な疑問でも色々調べているととても楽しいです。^^

(つぶやき)
「一念信解」を今だ考えていましたら、「四信五品」にぶつかり、結局は「信」が大切だとなってしまいました。
四信五品抄に「五品の初・二・三品(ほん)には、仏正(まさ)しく戒定(かいじょう)の二法を制止して一向に慧の一分に限る。慧(え)又堪(た)へざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為(な)す」(新編1112頁)

2458パンナコッタ:2005/06/07(火) 13:21:25
兄弟抄って、冒頭部分の真蹟が無いんですよね。 これは後世に付けられたタイトルではないでしょうか。写本等を見てみると、
『日祐目録』(写本の部)『日朝本目録』『平賀本目録』『刊本録内』『境妙庵目録』『縮刷遺文』『定本』『新定』
『対照録』『真蹟集成』では「兄弟抄」。
『日諦目録』『日明目録』は「与二子書」(兄弟書)、『高祖遺文録』は「与兵衛志書」(兄弟鈔) となっています。

2459パンナコッタ:2005/06/07(火) 14:05:19
四信五品抄の”慧”の字って、真蹟では『惠』だったんですね。

2460ラキ:2005/06/07(火) 14:58:21
パンナコッタさん。
色々調べていただきありがとうございます。m(__)m

>兄弟抄って、冒頭部分の真蹟が無いんですよね。
タイトルは謎に包まれているのですね。
漢字表記では「兄弟抄」が、一般的と見られます。

>『日諦目録』『日明目録』は「与二子書」(兄弟書)、『高祖遺文録』は「与兵衛志書」(兄弟鈔) となっています。
この三書だけが、タイトルが少し違って、補足で「兄弟抄」になっているのは、驚きです。
全書にて「きょうだいしょう」か「きょうだい(てい)しょう」か「けいていしょう」か
どのように読まれてるのか気にはなりますが、考え出すとキリがありませんね(^^;


>四信五品抄の”慧”の字って、真蹟では『惠』だったんですね。
これも驚きです。
やはり「真蹟集成」は、いつかは必要だと感じました。

2461パンナコッタ:2005/06/07(火) 16:33:10
ラキさん、
 実は、興風談所の御書システムを導入して、そこからの引用なんです。(^^)

2462パンナコッタ:2005/06/07(火) 18:59:09
とりあえず蓮祖がタイトルを付けたもので現存しているのは、
『立正安国論』『薬王品得意抄』『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』『法華取要抄』『撰時抄』
 といったところでしょうか。

2463ラキ:2005/06/07(火) 20:30:17
(ノ゚ω゚)ノ え〜?!
現在ある手紙で蓮師が付けたのってこんなに少ないのですか。
お手紙を与えられた方の名前が付いてるのは判るのですが、それ以外は、
後から付けられた(考えられた)タイトルだったんですね。
今まで気にしてなかったのに、気になってこのように知らない事実があるとは、
私にとっては、大発見!目から鱗です。(^^;
周りの信心してる人に話をしても、雑学的な事を知っていても、「へ〜」とか、
「学者にでもなるの?」「信心に直接関係ない」と言われそうで、語れないのが残念です。
些細な事かもしれませんが、私には感激と感動を感じる出来事なのです。^^

浅学な私はROM専門ですが、素朴な疑問の宝庫なので(^^;
これからも、色々とご教授お願い致します。

2464藤川一郎:2005/06/08(水) 12:14:28
>> 現在ある手紙で蓮師が付けたのってこんなに少ないのですか。
>> お手紙を与えられた方の名前が付いてるのは判るのですが、それ以外は、
>> 後から付けられた(考えられた)タイトルだったんですね。

ラキさんへ
浅井さんが、御書のタイトルを変更する理由にこれを挙げておりますよ。
曰く「大聖人様の御書の中でも題名があるものは少ない。その他は身延系が付けたんだ。だから題名が真意を顕していない。ですから私が変える。」
だそうです。

変更名
種々御振舞御書→下種本仏成道御書
聖人御難事  →出世の本懐成道御書
(すいません。もしかしたら不正確です)。

2465ラキ:2005/06/08(水) 19:34:20
藤川一郎さんへ

>曰く「大聖人様の御書の中でも題名があるものは少ない。その他は身延系が付けたんだ。だから題名が真意を顕していない。ですから私が変える。」
凄い〜発言で驚きです。
身延系が付けたとは言え、石山系でも正式に採用されているのに、破門になったら、
国立戒壇以前の正宗教義を根本にと言ってるのに、逸脱した事をしてると思ってしまいます。

2466パンナコッタ:2005/06/08(水) 22:15:57
蓮祖が表題を付けたものでほかに、
『三八教』『一代五時図・(略本)』『一代五時鶏図(西山本・本満時本・本国寺本)』
 なんてのが現存していました。

2467犀角独歩:2005/06/09(木) 11:48:44

この一大五時図をもって、大師講を中心に教化したのが蓮師の在世という見解を小松先生は講義していましたね。

2468藤川一郎:2005/06/09(木) 11:54:47
>>2464
訂正
出世の本懐成道御書→出世の本懐成就御書

2469パンナコッタ:2005/06/09(木) 14:10:30
土木殿御消息(文永6年6月7日)を踏まえると、大師講は佐渡以前に月例化していたとみて
いいと思いますが、どうでしょうか。

2470犀角独歩:2005/06/09(木) 14:17:31

わたしはこの点は不案内なのですが、小松先生の講義では、そんな話をされていましたね。
現在、御講が定例行事であるように、蓮師は大師講であったと、それが晩年まで続いたというお話でした。
で、その途中で、漫荼羅の図示が始まるわけですが、この段階でその法要形式が変化したかどうか。
これは謎ですね。

2471パンナコッタ:2005/06/09(木) 14:27:23
実際に蓮祖の講義を受けていなければ判らない、と いったところでしょうか。

2472犀角独歩:2005/06/09(木) 15:18:32

パンナコッタさん

大師講がどんなものであるのか、かえって天台宗の当時の資料でも当たったほうが原型はわかるかも知れませんね。

2473FAMAS:2005/06/14(火) 11:24:48
ふと疑問に思ったことなのですが、現在複数の正宗系信仰団体や法華講などがありますが、色々な「入信」という形態を取っていると思うのですが、
本来、日蓮聖人或いは日興師、日目師等の元来の「入信」という形態はどのような状態を以てそう呼んだのでしょうか。
何か特別な儀式でもあったのでしょうか?
それとも別な決まりなどあったのか?
とふと思ってしまいました。
どなたかご存知でしょうか?
またもし重複するスレッド等ございましたら、教えていただけませんでしょうか?

2474犀角独歩:2005/06/14(火) 12:03:29

蓮師がどのような入信儀礼を踏んだのかは目下のところ、まだ解明されていないでしょうね。
その現れが、不動・愛染感見記、また、晩年の漫荼羅授与ではないかというのが、当掲示板で議論されてきたことです。

ただし、入信・入団は『宗祖御遷化記録』で定められた「本弟子六人」が日蓮正統な師弟関係であり信仰・集団の基礎です。ですから、弟子から弟子、その弟子と檀那・信徒という関係上にあるものが日蓮が認める正式な僧俗であるということを目論んだのが、上記、遺言であったのだと思います。

いずれにしても、その六人の末流になく、単に日蓮直結を自称することは、現代の信教の自由からなんら否定はされないでしょうが、日蓮の意図からは外れたものであるのは事実です。

こう書けば、創価学会、顕正会、さらに立正効成会の批判と取られるかも知れませんが、わたし自身、この脈絡にある本末寺院の師弟関係を絶っていまがあります。

2475大盛:2005/06/14(火) 19:45:37
独歩さん、自然譲与、三国四師は、どうでしょうか。
日蓮聖人自身、相承から脱した存在ではないでしょうか。

2476犀角独歩[TRACKBACK]:2005/06/14(火) 21:39:55

大盛さん、なかなか鋭い指摘ですね。

この点については、以前、わたしは比叡山延暦寺沙門圓信記『破日蓮義』を紹介し、考えたことがありました。

紹介投稿の折、雑駁な延書をし、顕正居士さんに添削していただいた懐かしい記憶があります。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1060641548/r82-83

返り点等も付いた書で、読みやすいので、ご参考に供していただければと思います。尤も既にお読みかも知れませんね。

このなかで法華宗たる日本天台宗は伝教大師がわざわざ中国に渡り相承を受けてきたが故にその相承を言える。それに比し、日蓮の言う相承は何だという次第です。先にも紹介した箇所ですが、以下のような調子で始まります。

日蓮党類所談法華経法門。三国伝来之様慥可申也。若無三国相承者不可立宗名。汝号法華宗事。甚不可然。(原文・旧仮名遣)

恰も石山が他の不相を蔑視する如き論調で、叡山僧圓信は「日蓮」を弾劾します。
摂折その他に関しても触れていますので、この部分も紹介してもいいですね。

いまは夜の食事前で、漢文のタイピンが億劫なので、追ってまた投稿させていただく所存です。

2477FAMAS:2005/06/14(火) 22:47:40
犀角独歩さん 早速のご返事ありがとうございます。
本尊授与、勤行儀式が入信という儀式ではない以上、日蓮師が認められる宗派入信というものは、やはり権限者による独断なのでしょうか?
自らの弟子は良しとして、更にその弟子、その孫弟子などに対する師事形態に対する指導はどこかにあるのでしょうか?

また、日蓮聖人在世に弟子による帰伏者は、日蓮師からどのような許可を得て、またどのような活動が許されたのでしょうか?
重ね重ね薄智者の疑問です。

2478FAMAS:2005/06/14(火) 22:49:15
すみません。
犀角独歩さんの言葉からは2477のような捉え方は間違えだと認識しました。
失礼しました。
ですが、依然として疑問は残ります。

2479犀角独歩:2005/06/15(水) 05:13:00

FAMASさん

資料が確認できない以上、決定的なことはわからないということですね。

2480FAMAS:2005/06/15(水) 07:08:33
犀角独歩さん
確定的なものがない事を、時代と共に”「入信」とはこうあるべき儀式”という時々の概念で捉えてきたということですね。
つまり、現代の入信方法がそのまま当時に当てはまるかどうかという事とは別だと。
この疑問はもう少し自分の中で整理してみます。
ありがとうございました。

2481犀角独歩:2005/06/15(水) 07:57:26

FAMASさん

おはようございます。そうですね。結局のところ、何もわかっていないと言うことがわかったというのは、たとえば、遺文講義ではもっとも信頼度がおける小松師、法華経解釈ではもっとも信頼のおける松山師、その両者が奇しくも同じく語った結論でした。

入信儀礼ということにしても、日本は永らく寺請制度という統治下にありましたから、転教の自由すらなかったわけです。そんなときに入信儀礼などあったものではなかったでしょう。せいぜいあるとすれば、徒弟制度、家制度が出、出家した学僧クラスのみではなかったでしょうか。次々と宗派が起きた鎌倉時代とは比すべくもない時代でした。

研究され、どうか、その成果を開陳してなさってください。期待しております。

2482ラキ:2005/06/20(月) 22:30:25
前に諸天の事を気になっていましたが、諸天の中でも「天照大神」「八幡大菩薩」て、
天皇の先祖に当たるわけですから、天皇は「王」国主には当たらなく、法華経守護の立場にならないのかと
疑問を感じました。
(曼荼羅本尊に、表されているからです。)
現代では「王」に当たる存在として、政府がありますが、政府は国民の代表で「王」と言う、
単独の国王には当たらないので、日本国には「王」(国主)不在?とも取れないかと思います。
すでにどこかのスレッドで議論されていたら、申しわけございません。m(__)m
無い知恵絞って、考えて出た疑問なので。
この疑問が浮かんだのは「国立戒壇」の事を考えていて、時代を考えると、
現代では到底、「時・国」に当てはめても、成り立たない、主張ではないかと感じたからです。

お叱りを受けるかもしれませんが、私の考えを述べさせて頂きました。

2483パンナコッタ:2005/06/21(火) 00:19:28

八幡大菩薩は十六代応神天皇ですよ。(神国王御書参照)
現代の日本は憲法上、主権在民ですから”王”には、当てはまりませんね。

2484犀角独歩:2005/06/21(火) 01:11:50

2482のラキさんの疑問は、蓮師が国立戒壇を述べたという前提でしょうか?
述べていないでしょう。

また、「現代に」というお話ですが、蓮師の強説を現代にそのまま、当て嵌めたら大変ですよ。
まず、日本中の浄土宗、浄土真宗の坊さんを鎌倉にかき集めて、由比ヶ浜で死刑にしなければなりません。それも斬首刑です。次に法華経を信じない人間もそれに準じます。

「大聖人の仰せのままに」、御書を部分的にしか読まないから言える、御書全編を読んだことのない子供騙し戯言以上の何ものでもないでしょう。「摂受と折伏について」スレで議論しているとおりです。


まあ、石山教学という狭隘な井戸の中で考えれば、そんな議論もありなのかも知れませんが、所詮、土台にしているものが根本的に違っているわけですから、そんなことに時間を費やすより、事実を見ることのほうが先決でしょう。

間違っているものを手にとって、「あなたは間違っている」というほど、虚しい徒労はないわけです。どんぐりの背比べ、目くそ鼻くそを笑うの類の話でしょう。

2485ラキ:2005/06/21(火) 02:43:35
パンナコッタさん。
ありがとうございます。
>八幡大菩薩は十六代応神天皇ですよ。(神国王御書参照)
現代の日本は憲法上、主権在民ですから”王”には、当てはまりませんね。

現代では「王」が存在しない。
この確認が出来ただけでも、助かります。

独歩さん。

>2482のラキさんの疑問は、蓮師が国立戒壇を述べたという前提でしょうか?
蓮師が述べてはいないと思いますが、近いニアンスで述べられた事もないと今は思っています。
石山系の中での狭い範囲での議論で、蓮師の御書でどのように歪曲解釈で「国立戒壇」を打ち立てれるのか?
また、その歪曲解釈をどのように説明したら良いのか、少し考えておりました。
「王」不在なので、現代では通用しない議論と確信の為の質問でした。

>また、「現代に」というお話ですが、蓮師の強説を現代にそのまま、当て嵌めたら大変ですよ。
まず、日本中の浄土宗、浄土真宗の坊さんを鎌倉にかき集めて、由比ヶ浜で死刑にしなければなりません。それも斬首刑です。次に法華経を信じない人間もそれに準じます。

ここまで考えが及んでいませんでした。(^^;

>「大聖人の仰せのままに」、御書を部分的にしか読まないから言える、御書全編を読んだことのない子供騙し戯言以上の何ものでもないでしょう。「摂受と折伏について」スレで議論しているとおりです。
痛感しております。
何かにつけて「一念信解」解が伴っていないので「一念信」しかないと感じております。
御書も切り分でしか解説してなくて、結局は「一念信解」の結論は、子供騙しでしかないと痛感しています。

>「摂受と折伏について」スレ
今一番気になる話題です。
折伏と証して、法論が成り立たないから折伏にはならず。
摂受かとも言えるかといえば、少し疑問。
五十展転が一番あれはる言葉かと思えますが、やはり勧誘でしかないとの実情は拭い去れないと思います。

>まあ、石山教学という狭隘な井戸の中で考えれば、そんな議論もありなのかも知れませんが、所詮、土台にしているものが根本的に違っているわけですから、そんなことに時間を費やすより、事実を見ることのほうが先決でしょう。
ただ今、広い範囲で猛勉強中です。
日興上人から4派に別れ、日目上人から2派に分かれた、事実を最近知りました。
都合の悪いのは公表しないで、自分から求めて調べない限り、謎のままで一生騙されているとこでした。
学び知り、知ればもっと学び知りたくなり、楽しいです。

2486犀角独歩:2005/06/21(火) 02:59:42

ラキさん、顕正居士さんが、ご紹介くださった国会図書館ライブラリーには、以下のような箴言が扉にありますよ。

「真理がわれらを自由にする」
http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/shinri.html


まあ、聖書の言葉らしいですが、特定の信念体系にとらわれているというのは不自由ということです。

宗派教学の碩学がああ言った、こう言ったと恐ろしく知識が豊富でも、実はその信念体系から一歩も出ないとらわれの身となっている人は多いでしょう。

学ぶということは、とらわれからの脱却でなければ、おのが奴隷の主人を変えただけというすげ替えだけの話になります。

所属、指導者、信仰対象が変わっただけで、隷属している、依存しているという自らの不自由には少しも気付けないという結果にならないよう、考え、行動できるかに目標を定めないと堂々巡りになります。

2487ラキ:2005/06/21(火) 03:44:00
>「真理がわれらを自由にする」

とても良い言葉だと思います。

>所属、指導者、信仰対象が変わっただけで、隷属している、依存しているという自らの不自由には少しも気付けないという結果にならないよう、考え、行動できるかに目標を定めないと堂々巡りになります。
信仰心は皆無に無いです。(^^;(問題発言?汗)
石山系指導者は、尊敬とかしてないです。
偉大な先生。猊下とかなんとも思っておりませんし。(^^;
ご心配してくださいありがとうございます。m(__)m

2488藤川一郎:2005/06/21(火) 16:41:32
ラキ様
お久しぶりです。
現代でも日本の王は、天皇とも言えます。
確かに王を執政者と限定すれば(狭義の王)主権在民の現在では、天皇は王とはなりません。
しかしながら、日本の伝統では一部の天皇を除いて、執政者=天皇ではありません。
天皇は今も昔も象徴的な権威者です。
執政者が時に「摂関家」「上皇」「将軍」「薩長」「元老院」「軍部」「国民」と変わっても、王が天皇家である事実は消えておりません。
現代でも海外の大使は「信任状」を内閣ではなく天皇家に提出します。国際法上は「元首」です。
また日本の閣僚は「大臣」と呼ばれております。誰の臣下なのでしょうか?国民の臣下でしょうか(笑)!
そうです。紛れもなく天皇陛下の家臣であります。

2489藤川一郎:2005/06/21(火) 16:48:57
ついでに、現代の皇室典範では、王は「天皇から三親等以下の男子」を指し、天皇はその上位に位置するのですがね(爆)。
すると天皇陛下は「王の中の王」なのですから、ある意味怖い解釈をするかたもいそうですがね!
なお、現代海外からエンペラーと呼ばれるのは日本国天皇只一人でして、本当の「ラストエンペラー(笑)」なのかな!

2490ラキ:2005/06/22(水) 03:00:01
藤川一郎さん。
詳しいご説明ありがとうございます。

>現代でも海外の大使は「信任状」を内閣ではなく天皇家に提出します。国際法上は「元首」です。

しならかったです(汗)

>現代海外からエンペラーと呼ばれるのは日本国天皇只一人でして、本当の「ラストエンペラー(笑)」なのかな!
映画の影響か中国の「ラストエンペラー」が印象にあり、これも初めて聞きました。(汗)
日本史が苦手で(^^;
こんどじっくりお話を聞かせてくださいませ。

海外にも王室がありますが「エンペラー」との表現ではなく、なんと表現してるのでしょうか?

2491藤川一郎:2005/06/22(水) 11:41:09
ラキ様
海外の王室と日本の天皇は意味が違います。王と皇の違いですね。
ちなみに、呼び方を並べてみます。
①天皇、皇帝(Emperor)女帝(Empress)
②国王(King)女王(Queen)
③大統領(President)
④首相(Premier)
ちなみに隠語として、池田大作氏を「P」と呼ぶのはこの「President(大統領)」からきています。

なお外交儀礼上は、①から④の順番で上位となります。
ですから日本の天皇が最上位概念となります。
実は本来の意味では「皇は王を束ねる」のです。

ちなみに現代ですが、あくまでも外交儀礼上の事ですが、国際的な場において同席する際に
①イギリスの女王は日本国天皇に上座を譲る。
②天皇・皇后訪米の際アメリカ大統領が空港へ白ネクタイ(ホワイト・タイ)で出迎える。
(この歓迎方法は米国大統領にとって最敬礼のものとされており、現在その対象となっているのは日本国天皇、ローマ教皇、英国国王のみ)

2492藤川一郎:2005/06/22(水) 11:42:25
>>2488,2491
本掲示板のルールに従いまして、ラキ様をラキさんと訂正します。

2493ラキ:2005/06/22(水) 12:49:26
藤川一郎さん。
重ね重ねありがとうございます。m(__)m
凄く判りやすくてためになりました。^^

隠語の「P」は少し笑ってしまいました。
1番2番の隠語は誰が使用するのかなって、考えてもしまいました。
2番は想像できますが(^^;

2494藤川一郎:2005/06/22(水) 19:16:17
そもそも中華思想では「皇」は、支那(ここでは支那は蔑称では無い)の最高位にしか許されない。天皇が「皇」の字を冠しているのは彼らから言えば、大慢心である。
本来なら、即座に討伐される。現に朝鮮半島に、朝鮮王、百済王、高麗王などはいても「皇帝」はいなかった。それどころか「各歴代の中国皇帝」に貢ぎ物を捧げ、「王の地位」を保証してもらう形式を踏まざるを得なかった。
近代に至って、大日本帝国が「日清戦争」に勝利し、下関条約で「朝鮮の独立」を認めさせ、地位を確保して、初めて「大韓帝国皇帝」が誕生した。
日本は中国との間に海があったため、海を越えてまでの討伐が出来にくかったからこそ、天皇位が堂々と許されていた。
朝鮮は陸続きで何時でも討伐されてしまう危険な国であった。同じく女真族の国(金国後の満州)でも皇帝は許されなかった。それを支那を侵略し、皇帝の地位に就いたのが、清国である。
さて、その支那の最高位で初めて「皇帝」を名乗ったのが、秦の「始皇帝」である。そして最後が「宣統帝」すなわち愛親覚羅溥儀なのです。ですから、中国の「ファーストエンペラー」が「始皇帝」、「ラストエンペラー」が「宣統帝」なのです。
ですから、映画「ラストエンペラー」で呼ぶ「ラストエンペラー」とは、中国における「ラストエンペラー」なのです。

2495銭函:2005/06/23(木) 00:18:30
はじめまして。銭函と申します。私は東北福島出身です。高校の授業で会津の歴史を学びました。歴史認識の違いと言うかうらみは今でも韓国中国だけではなく日本にもあると思います。忘れただけだと思います。

2496藤川一郎:2005/06/23(木) 12:28:36
銭函さん、はじめまして!
会津とありましたので、ここに一文書かせて頂きます。
会津には藩祖保科家より伝わる家訓があり、口語訳するとその第1条に
「大君(将軍家)を第一に思い、忠誠をもって勤めること。他の藩の行いをまねて行動するのではなく、将軍家の為に行動せよ。もしこれが出来ず、他の考えを持つものは、我が子孫ではない。」
とあるため、最後まで官軍に抗したという誤解があります。
しかしながら、会津戊辰戦争の時期には既に徳川宗家(将軍家)は大政を奉還をしており、しかも官軍への抵抗を禁止していた。だから、家訓に従い最後まで抗したと言うのは完全な勘違いでしょう。
確かにこの家訓に従い、当時の会津藩主である会津中将松平容保公が西郷頼母ら家老連中の反対を押し切り「京都守護職」に就いたのは確かでしょう。しかしながら、その松平容保公は孝明天皇より御宸翰を賜っており、その中の和歌にて「もののふとともに歩む」とあり、そのもののふこそ「松平容保」その人のことを読んだことは有名です。
すなわちそのお人柄に触れ、この帝のために全てを捨てんとしたのでしょう。すなわち彼らの認識では自分らこそ「誠の官軍」であると思っていたことは確かでしょう。
そして、もうひとつ忘れてはならないのが、当時の公卿の日誌に、「薩長が佐幕(保守)派の孝明天皇を暗殺し奉り、中山大納言を抱き込み、幼帝を擁して政権を奪取した」とあるのです。
生真面目な容保公が、こんな薩長に従えるわけがありません。会津の人にとっては、正義の戦争だったのです。それでなくては、家老西郷家の女性たちの「20数人壮絶自決」等という悲劇はありえません。
もちろん「孝明天皇暗殺」は現代でも、確実な資料はありません。しかし、明治40年代に伊藤博文を暗殺した安重根までもが、その裁判課程にて「伊藤博文が孝明天皇を暗殺した」等と述べている位、タイミングが良すぎる死に方だったことは事実であります。

2497パンナコッタ:2005/06/23(木) 14:42:15
銭函さん、斗南史のことでしょうか?
藤川一郎さん、容保公は尾張徳川の分家、高須松平家の出で江戸で生まれていますね。
12歳で会津松平家に養子にいき、17歳で藩主になるまでみっちり会津の精神教育を
受けたのでしょうね。ですから義理堅く京都守護職なんぞを引き受け(春嶽に説得された?)
る羽目になったのでしょうかねぇ。
 西郷頼母の家の婦女子が自決した時の「敵か味方か」の問いは哀れを誘いますが、同時に
山川捨松のような人物もいるのはせめてもの救い(救いになるのかな)だと思います。
 孝明帝崩御には確かに暗殺説がありますね。頑なな攘夷論者で公武合体支持者である以上、
討幕派に転じた五百円札あたりには目の上のタンコブであったことは事実でしょう。
一応、「孝明天皇記」「中山忠能日記」では天然痘らしい記述になっていますね。

2498銭函:2005/06/24(金) 00:24:38
藤川一郎さん パンナコッタさん
はじめまして!!
いつも楽しくこの掲示板をレスさせて戴いております。
レスを戴き『へぇ』×30回以上、トリビアの泉みたいです。
(もちろんいい意味でです。)
ありがとうございました。

すみません。
私は斗南史を存じません。
授業中に先生が熱心に語っていたのを思い出しました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

2499パンナコッタ:2005/06/24(金) 12:27:32
銭函さん、どうも。
”歴史認識の違い”と”会津”ということで、落城後の家臣の悲惨な斗南への強制移住
の事と勝手に思ってしまったので、御容赦。(m_m)

幕末の直接関係ない話を投稿してしまいましたが、この時期、大塩平八郎が乱を起こす前に
曼陀羅を書写していたらしいのですが御存知の方ご教授、願いします。

2500顕正居士:2005/06/24(金) 17:02:28
一揆の前に祖父が大石寺の上人から頂いた板曼荼羅を源立寺に返却したという話ではありませんか?

2501パンナコッタ:2005/06/24(金) 19:23:39
2499は、お願いの”お”が抜けていますね。m(__)m

顕正居士さん、ありがとうございます。
大塩平八郎のネタ元は戸田さんのレコードで、たしか「そっくりである」と言っていたと思います。
他に由井正雪も書いていたと言っていたような(ホントかな?)記憶があります。
まあ、戸田さんの場合鶴丸に関しての発言で、家紋の始めを足利義政の時代と言っていたくらいですから
信憑性に疑問があるので上記の大塩平八郎の質問をしてみたのですが、どうやら一杯食わされていた話ですね。

2502彰往考来(しょうおうこうらい):2005/06/24(金) 20:17:26

>2499バンナコッタさん
>大塩平八郎が乱を起こす前に曼陀羅を書写していたらしい

これは初耳です。2500で顕正居士さんが
>一揆の前に祖父が大石寺の上人から頂いた板曼荼羅を源立寺に返却したという話

と指摘されていることでしょう。なお、本件は、『大塩の乱関係資料を読む会会報 第32号』
http://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/kai32.htm

に掲載されている井形 正寿氏の「大塩家と日蓮宗」という論文に詳しいです。以下、その論文を引用します。(一部誤記訂正しました)
 大塩事件を調べていると、いろいろなところで予想もしないことに出くわすことが多い。 大塩平八郎の菩提寺は成正寺であることは、境内の大塩家九基の墓とともに世間周知の事実である。ところが、もう一三年も前になるが、意外なことを聞いた。それは、大塩平八郎の祖父・大塩政之丞が、日蓮宗富士門流大石寺末、源立寺の檀那であったと、同寺の門徒から告げられた。
 その門徒との出会いは、昭和六二年一月、池田市立歴史民俗資料館で開催されていた「大塩の乱と能勢騒動」展を見学し、帰り際に、館長に挨拶していたところ、突然、学芸員がいまここにいられる来館者の質問に答えられないので、ぜひ会って欲しいと引き合わされた。
 その後、門徒の手引きで源立寺の住職と数回お会いし、同寺が大塩政之丞由縁の寺であることがわかってきた。寺は開創以来四百年の歴史があるといわれ、明治一〇年まで摂津国西成郡薬師堂村(現東淀川区柴島一、二丁目界隈、一部は新淀川の河川敷となる)にあったが、同年一一月に、阪急池田駅から歩いて三分の池田市槻木一丁目に移転した。
 源立寺が大阪から池田に移転した理由として、大塩家ゆかりの寺であったため、幕府の宗教的弾圧を受け、廃寺同様の荒廃で明治を迎えた。これに追打ちをかけるように新政府の宗教政策によって、住職不在の寺の廃止が通達されて来たので、講中の人びとによって新しい住職を見つけるなど大変な努力がなされた結果、池田周辺に檀信徒が散在していた関係からか、明治一〇年に心気一転、現在地に移転したと寺史に書かれている。

2503彰往考来(しょうおうこうらい):2005/06/24(金) 20:18:45

2502の続き

寺と大塩家のつながりを示すものとして、大塩政之丞が、総本山大石寺三六世日堅上人から授与された板曼荼羅が源立寺に遺されており、「大塩家先祖代々 大坂天満与力当門之信者」の文書と大塩政丞の先妻、本種院妙因日量の「過去帳」が寺に伝わっている。板曼荼羅には「安永七戊戌年十月十二日」「授与之、摂州大坂住人大塩政之丞成勝」と刻まれ、寺では日堅上人の真筆と伝えている。
 日蓮宗の各宗門では、日蓮が体験会得した法華経の世界を一副の紙幅または板に図顕したものを曼荼羅といい、これに向かって「南無妙法蓮華経」と唱え、法華経を読んで祈ることが修行の基本としている。だから、信仰の対象とする本尊は仏像ではなく、中央に独特のひげ題目の筆法で「南無妙法蓮華経」と大書された、文字『曼荼羅』を本尊として尊崇している。
 板曼荼羅の授与は通例では寺院向けに行われることが多いのに、本山の法主から大塩政之丞に異例の授与がなされたのは、政之丞が篤信の檀那であったと寺では説明している。大塩政之丞の本名(諱)の成余はよく知られているが、板曼荼羅には成勝となっている。成勝の名前が出てくる文書がほかにもある。それは政之丞の後妻西田清(加納または於世ともいう)の妹津佐が、寛政八年摂津国西成郡南大道村郷士沢田義文に嫁入に際し、大塩政之丞が出した沢田家宛ての婚礼祝儀の書状には端裏に成勝の名が記されている。相蘇一弘が「沢田家文書について」(『大塩研究』三号、六頁)のなかで大塩政之丞成勝の書状が紹介されている。 政之丞に授与された板曼荼羅は、現在は源立寺の末寺、府下豊能郡能勢町倉垣の広基寺に本尊として本堂に安置されている。源立寺が池田に移転した翌年の明治一一年一〇月に広基寺は、はじめ源立寺の説教所として開設され、数年のうちに広基寺と公称するようになったと伝えている。
 この板曼荼羅が、なぜ源立寺に伝わったかということについては、寺伝では「大塩乱後、寺に返却された」と簡単に記されている。しかし、大塩平八郎が決起する以前に返却されていたのではないかと思われる興味ある話がある。それは、さきにも書いた西成郡南大道村の沢田家(当主佐平太)に大塩平八郎が挙兵二日前に別離のため訪れた時、床の間に掲げてあった三聖人(老子・孔子・顔回)の図の上に、惜別の辞を認めたものが遺されていた。これについては、相蘇一弘氏論考「沢田家文書について」のなかで紹介されている。 沢田家と源立寺の距離は四キロほどだから、大塩平八郎が沢田家を訪れた日に、この板曼荼羅も平八郎が寄り道してでも源立寺に返却したのではなかろうか。私はそのような身辺整理をしたと思う。
 なぜなら、大塩決起の日、天保八年二月一九日には「救民」の旗とともに「南無妙法蓮華経」の旗が、船場の街にへんぽんと翻っていたということからしても、私は大塩平八郎の手から板曼荼羅は源立寺に返却されていたと、そう信じたい。 (未完)

2504パンナコッタ:2005/06/24(金) 22:19:30
彰往考来さん、詳しい説明ありがとうございます。
やはりマユツバな話しだったのですね。

2505三学無縁:2005/06/28(火) 02:29:57
由比曼荼羅は現存していますし、軍資金稼ぎの方法であったことも歴史学では周知の事実ですね。
大塩平八郎については源立寺の寺報に記事があったと記憶します。

2506犀角独歩:2005/06/30(木) 13:52:55

れんさん、もしご覧になってお出ででしたら、ご教示願いたいのですが、「折伏」という語の‘折’ですが、これは蓮師の筆では、「折」でしょうか、それとも「析」でしょうか。
天台文献を散見しておりますと、後者になっているのです。

ご多忙のところとは存じますが、ご教示を賜れれば有り難く存じます。

2507れん:2005/06/30(木) 19:27:33
犀角独歩さん、真蹟集成収録の蓮師の現存著書で折伏の語を使用しているのは、ぱっと見た限りでは文永九年の土木殿御返事「摂受折伏二義依佛説」と同十年の観心本尊抄「現折伏時」ぐらいだと思いますが、何れも「析」ではなく「折」字でした。もっと細かく捜せば他にもあるかもしれませんが、土木書と本尊抄のそれは上記の通りでしたことをご報告いたします。

2508犀角独歩:2005/06/30(木) 20:35:15

れんさん、突然の質問に拘わらず、速やかにご教示を賜り、まことに有り難うございました。

調べてみますと、禅宗辞典、龍谷大学の辞典、また、『破日蓮義』(天台宗では「析伏」となっておりました。はたして、原文の天台・妙楽などではどうなっているのか、わかりませんが、折伏、析伏は単なる違いとは思えません。たぶん、これだけでもちょっとした論攷がまとまるのではないかと思った次第です。

蓮師は「折伏」の筆記があることが確認できました。
深く御礼申し上げます。

2509彰往考来(しょうおうこうらい):2005/07/07(木) 18:34:23

>2505 三学無縁さん
>由比曼荼羅は現存していますし、軍資金稼ぎの方法であったことも歴史学では周知の事実

由比曼荼羅について書かれている文献がありましたらご紹介ください。
目を通してみたいと存じます。

彰往考来

2510きゃからばあ:2005/07/08(金) 10:02:27

突然ですが、
不動明王が「生死即涅槃」、愛染明王が「煩悩即菩提」の依経を教えてください。

2511パンナコッタ:2005/07/08(金) 13:52:32
愛染は「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経 愛染王品第五」あたりではないでしょうか。

 http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/aizennZ.htm

2512ラキ:2005/07/09(土) 00:16:00
石山系での正しい勤行の仕方で気になった事があります。
海外信徒が「南妙法蓮華経」と片言ながら読んでいてふと思ったのですが、
法華経の元はインドになるので、サンスクリット語で読受が本来正しい?読みかたなのではと思ったのです。
中国→日本と訳されて来たのを、海外に輸出した時点で、日本語の訓読のままって違和感があるのですが、
釈迦の法華経ではなく、蓮師の法華経との概念があるから、日本語読みなのでしょうか?

2513犀角独歩:2005/07/09(土) 08:05:24

パンナコッタさんの博識には驚かされます。
愛染はここに経証がありましたか。
愛染がキューピットと起源が同じと、はじめて知ったときは「へぇ」と思ったものでした。


ラキさん、取り敢えず、譲座本尊の写真、わたしのサイトにアップしてみました。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/jozahonzon.JPG

以下に載る彫刻本尊のものと比較してみてください。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html

2514顕正居士:2005/07/09(土) 12:42:35
>>2512

天台法華、日蓮法華の諸派が依経とするのは羅什三蔵訳の妙法蓮華経です。詳しくいえば開結2経を含めた
法華三部経10巻です。もっと詳しくいえば天台智邈と荊渓湛然の解釈を経た什訳妙法蓮華経です。日蓮法華
ではさらに宗祖遺文が加わります(経・釈・書という)。ですから題目とは什訳法華経の経題のことです。

日蓮正宗の場合をいうと、宗規第5条第2項に次のようにあります。

「本宗は、次に掲げる経釈章疏を所依とする。

正依 妙法蓮華経八巻 無量義経一巻 観普賢経一巻 宗祖遺文 日興上人、日有上人、日寛上人遺文
傍依 摩詞止観十巻 弘決 法華玄義十巻 釈籤 法華文句十巻 疏記」

天台、日蓮の両法華宗は羅什三蔵の学問と翻訳の上に成り立ち、独自の発揮を示した北伝仏教の一派です。

しかしながら、天台日蓮両宗とも「法華経自体」を尊重する精神より元来は起ったのはでないか、天台や日蓮の
伝統に新生命を付与するには、源を尋ねて梵本法華経とそれのインド的解釈を輸入しなければならぬのでは
ないかとは、今日法華を学ぶ者ならおもうことでしょう。

http://www.kosaiji.org/hokke/

霊友会の跡継ぎとして生まれた久保継成氏などもその方向に努力をされた方です。

2515ラキ:2005/07/09(土) 14:08:22
独歩さん。
愛染のナルト模様、比べると違いがよく分かりました。
丸いアンパンとつぶれたアンパンみたいな感じですね。(表現が不適切かもしれませんが・汗)

顕正居士さん。
判りやすい回答ありがとうございます。m(__)m

>ですから題目とは什訳法華経の経題のことです。
題目自体も”什訳”と限定されている物だったのですね。

今は蓮師の教学史を学んでいます。
石山系教団が一貫性がある教学のような表現をしていますが、教学史を学んでいて、
色々な教学が混じり、今の石山教学が出来上がったのだと、知りました。
いつか、原点の法華経とかも学びたい思いです。

2516彰往考来(しょうおうこうらい):2005/07/09(土) 20:29:47

>2510 きゃからばあさん

http://www.voto.org/022401.files/miansio059.htm
に、
教觀大綱見聞:「密教謂愛染明王表煩惱即菩提,不動明王表生死即涅槃。顯教謂龍女表煩惱即菩提,提婆表生死即涅槃。」
とあります。密教の教えのようですね。

また、塩田義遜師は、『棲神』(祖山学院同窓会文学部、昭和12年)の22号「大曼荼羅儀相の研究」75頁に「四天王は法華に出づるが、不動愛染は正しく眞言に出づる所で、祈祷抄に十五壇の秘法を述べその第三に不動明王法、第九に如法愛染王法、第十ニに愛染王法、第十三に不動法等とあるに依て明かである」(一部現代漢字に改めました)と記しています。

ご参考まで。

2517犀角独歩:2005/07/10(日) 01:32:59

> 天台や日蓮の伝統に新生命を付与…梵本法華経…インド的解釈を輸入…今日法華を学ぶ者ならおもう

まったくもって、このご意見はごもっともであると思います。
羅什の翻訳は明文ながら、作為があり、天台の釈は観念観法、つまり止観(参禅)のための説明で、それを法華経内容そのものと思い込めば、まるで本文内容から乖離します。

梵本ということで言えば、わたしが原本訳として信頼してきた岩本訳は、実は意を尽くしておらず、また誤訳も多いというのです。

わたしが、先だっての松山俊太郎師の講義を聴いて吃驚したのは、(こんなことは皆さん、既にご承知なのでしょうか?)法華経を意味するとされてきた SADHARMA PUNDARIKA SUTRA の SADHARMA は、実はもう一つの語彙があり、それは AGRADHARMA であるというのです。そして、偈(詩頌)と長行(散文)では、使い分けられている、また、前者は混淆梵語、後者は標準梵語で書き分けられているといいます。つまり、当初、混淆梵語で記された原形が偈の形で先行し、それを補う文を付加するときは標準的な梵語で書き足した二重構造になっているというわけです。また、これは既に言われていることですが、白蓮と紅蓮が登場するが、それが単に蓮華で統一されてしまっている。また、それを直訳しても、羅什訳と対照を編集姿勢とした岩波文庫では、そのような違いがまるで訳に現れていないと松山師は指摘していました。(当日の、個人的なメモに拠ります。間違っている点があればご叱正ください。また、過ちがあれば、その責はひとえにわたしの書き取りミスにあり、松山師にあるのではありません)

こんな少しの点を見ても、1500年もの間、漢訳法華しか知らなかったわたしたちは、かなり多くの見落としと勘違いが存するわけで、実はその点は天台も、日蓮も気付いていなかったという致命的な点が、今頃になってはっきりとしてきたわけです。

漢訳法華経と天台、伝教、日蓮を絶対し、さらに所属教団教義を絶対する人には、このような記述自体冒涜と映じるかも知れませんが、少なくとも梵本的な視点は、天台から日蓮に至る系譜ではまったく欠落しているわけです。故に顕正居士さんがご指摘になる点を、わたしはもっともなご意見であると思った次第です。

2518A:2005/07/10(日) 22:06:45
どこに記述されていたかはあまりに多すぎて拾い出せないけれど

日蓮聖人は水銀による幻覚だったとか、

御入滅時の地震は往時の記録にないから信用できぬとか述べられているが、
歴史の記録に残るほどの恐怖を覚える揺れだったのだろうか。

真蹟遺文、真蹟遺文と強調されるので
この事実を証明する真蹟遺文を紹介していただきたい。

2523 A:2005/07/12(火) 05:13:06
2518にさらに加えて
独歩説の日蓮聖人は老いさらばえて目的を達せず不満足の生涯であった。
(発言の印象からで正確な引用ではありません)
というのも如何なものでしょうか?

2524犀角独歩:2005/07/12(火) 07:57:03

2518は、直接、わたしに向けられたことではないので、捨て置くとして、2523に、特にわたしのどの投稿と示すわけでもなく、名を挙げています。

> 独歩説の日蓮聖人は老いさらばえて目的を達せず不満足の生涯

とは、別段、わたしの説などというものではありません。たとえば、『創価学会のまちがいをただす』のなかで、森山諭師も類似したことは、記していましたし、また、他で批判でも言われることでしょう。
「独歩説」「如何なもの」などと言うのであれば、その考えが、どのような確実な資料から見て、「如何なもの」なのかを示すことが議論です。そのような根拠を示さず、単にネガティブな日蓮像記述‘狩り’をするような姿勢は、日蓮崇拝という特定の信念体系からの思想統制と弾圧であり、言論の自由を侵害しています。このような投稿姿勢をわたしは批判します。

2525きゃからばあ:2005/07/12(火) 10:16:01

>2511 パンナコッタさん、
>2516 彰往考来さん、

毎回、素晴らしい御教示をありがとうございます。
また、私の「お気に入り」が増えました。

2526 A:2005/07/14(木) 02:10:22
遅くなりました。

> 2518は、直接、わたしに向けられたことではないので、捨て置くとして、2523に、特にわたしのどの投稿と示すわけでもなく、名を挙げています。

はじめにお断りしてあるように記憶にはありますがどの投稿かは検索しきれないのです。書かれたご本人が一番ご存知なはずですし。
2518も独歩さん宛てへのお願いでした。書き落としておりました。すみません。

> 単にネガティブな日蓮像記述‘狩り’をするような姿勢は、日蓮崇拝という特定の信念体系からの思想統制と弾圧であり、言論の自由を侵害しています。

なんと大げさなと思わず笑ってしまいました。一介の信徒が信奉する宗祖像を貶められて、ならばその主張の根拠とされた真蹟・遺文を紹介していただきたいと書き込んだだけですよ。 ちょっと過剰反応なのではないですか。 他意はありません。

紹介していただける真蹟・遺文が「有る」か「無い」かそれだけでいいのです。


水銀による幻覚------こんな事は聞いたことがありませんので。明解な資料をおねがいいたします。

ご入滅時の地震------(御歳六十有一。大地震動す)歴史の記録に残る大地震とは思えません。大地震とされる資料の紹介を。

老いさらばえて-------聖人御難事「よからんは不思議、悪からんは一定とおもえ」「日蓮末法に出すは仏は大妄語人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏滅後二千二百二十余年か間、一閻浮提の内に仏の御言を助たる人、但日蓮一人なり」
このご境涯を失意とは。

納得できる資料であれば考えを変えます。そうでなければゆえ無き侮辱とうけとめます。

2527犀角独歩:2005/07/14(木) 10:47:23

A さん:

まず基本的なことを申し上げます。
もし、あなたが真剣に議論をする気があれば、わたしも真剣に応じます。しかし、当初より、自分の信じるということと違っているという反感から、そのようなことを書くわたしに対して、人格そのものを否定する如き不遜な態度で臨むのであれば、わたしは応答しません。わたしは礼節を重んじます。また、このように応答の投稿を書くのにも時間と手間を要します。このような相手の対応に恩義を感じることのできる常識を有さない人間との議論は時間の無駄であるばかりでなく、抑も不快です。故に質疑応答を望むのであれば、最低限の礼節を重んじてください。ここは他の掲示板とは違い、その点を重視しています。それはまた、管理人さんのお人柄と法律的素養にも支えられています。
この点を遵守いただけるのであれば、わたしは時間と手間の浪費を厭わず、あなたのために誠意を持ってお応えいたしましょう。

2526の質問態度は前2回に対して、謝罪の言葉もあり、前向きであると判断できました。拠って、わたしは応答することといたしました。

> どの投稿…検索しきれない

まず、この点について記します。
当掲示板は過去に一切が消去されるという事故に遭遇しました。
そのためにそれまでのアドレスは無効となり、データの一切も消え去ったかと見えました。しかし、バックアップを常にとっておられた管理人さんのご尽力で大部を復旧でき、今日に至っています。

このページのトップからジャンプするページは、その前のログで、管理人さんの苦心惨憺の尽力なくしては伝わらなかった過去の投稿です。
このデータはすべてダウンロードできます。ですから、あとはPCの検索機能を使えば、ある程度、目的のデータを探し出すことが出来ます。

富士門流信徒の掲示板 過去ログ(2000.12.28-2002.11.24)
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/fujimonkeijiban.htm

では、新しい掲示板データは、ということになりますが、この点では、各自、それぞれ、それなりの知恵を絞って対処しています。わたしは定期的に全データをダウンロードし、マクロ機能を使って、検索をします。1回のダウンロードには数時間を要することもあります。しかし、自分が発言した責任上、その労力を惜しまないようにしています。しかし、それでも詳細に亘ってはフォローできないところもあります。今後とも増大するデータに対処するため、方法を考えているところです。

以上のような努力を前に、単に検索できないとし、さらに不確実な記憶が単に安直に批判するような態度にわたしに応じる義務は、わたしは原則的にないと考えます。しかし、発言をした自己責任はありますので、真摯な態度での質問であれば、お応えすることは吝かではないということです。

2528犀角独歩:2005/07/14(木) 10:48:22

―2527からつづく―

>> 単にネガティブな日蓮像記述‘狩り’
> 大げさなと思わず笑ってしまいました…過剰反応

お笑いですか。わたしはここで議論をし、特定集団の批判、また、相手に敵意をもたれたのと相前後し、多いときで100通以上のウイルスメールを送付されたり、(通常でも、30〜50通送信されてきます)、さらにキャンサー、また、ハッカープログラムが送信され、過去3台のPCが破壊されました。これはわたし一人のことではなく、ここに参加の他の方も経験したことです。以上のような経緯がありますから、当然、過敏になっています。また、対カルト活動は10年に及びますので、身辺も常に危険が伴っているのも事実です。ただし、具体的に記せば、リスクはさらに増大しますので、この点は伏せます。ある意味、ここ10年間は命懸けでした。実際に暴力に遭遇し、身命の危機を実感したことは1度、2度ではありません。それを大袈裟と取られるのは勝手ですが、このような問題を本気で取り組むことは生半可なことではないという人間が、ここにいたことぐらいは記憶に留めて置いてください。

> …真蹟・遺文が「有る」か「無い」

まず、この点について、先に申し上げますが、この質問は、そもそも、趣旨とズレがありませんか。というのは、たとえば、日蓮自身死亡際の地震のことを本人書き残せるはずはありません。その意味では、真跡遺文の有無を問うのはまったく無意味でしょう。
以上のようなご自身の齟齬をよく理解されたうえで、お読みください。

> 水銀による幻覚

この点を日蓮は、もちろん、なにも書き記していないと思います。
この議論は、断定的に記したことではなく、宗教と薬物(殊に向精神作用のある植物、鉱物)との因果関係を類推的に話し合ったことです。それを「断定」とするのは、あなたの曖昧な記憶によるところであり、議論の流れにその責任があるわけではありません。

その類推に関連しますが、、真跡遺文に見られる地名、氏名などに「丹」を含むものがあることは、水銀との関係を類推させます。しかし、これは真言密教、また、仏像造立の際の鍍金との関連も当然、考慮されます。

個人的なことですが、水銀と密教の関係をこのことをmわたしが始めて知ったのは、10年近くも前のことでした。当時、『虚構山幻想寺』という際立ったサイトがありました。残年ながら閉鎖されてしまいましたが、豊富な図形と、深い見識に基づき、タブーを越えて、類推記述する管理者はただものではありませんでした。
このサイトのなかの『虚空蔵菩薩出現』というページに以下の記述を見たのが最初でした。

「日蓮はマニュアル本の虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法経で指定された秘薬を食しながら陀羅尼を唱えたのだろうか? 当時の真言の秘薬には水銀が使われることがあったらしい(シヴァ教の一派に水銀派というのがある)が、もし日蓮がそのとき水銀系の秘薬を飲んだのなら、必ず脳へ悪影響を及ぼしているはずだ。それがさらに幻視をよんだ…」

2529犀角独歩:2005/07/14(木) 10:49:03

―2528からつづく―

この記述から、やや資料渉猟を始め、まとまった資料を蓄積していたのですが、先に記したとおり、過去3回のPC破壊で、大部の資料は失ってしまいました。そのために細部にわたって記すことが出来ないのは残年です。故に概略のみを記しますが、

・水銀は仏像造立の最後の仕上げ、鍍金をするとき、金箔を溶かし込む重要な材料であること。この際、水銀は松明など炙り蒸発させ、金箔のみを残すが、この水銀蒸気を吸い込むと中毒症状を起こすこと
・空海が行い、日蓮も行った虚空蔵求聞持法では、秘薬として水銀が使われていたということ
・この秘薬(水銀)使用では太陽幻想という一過的(もしくは中毒後遺症として継続的な)精神障害を来すようであること

などが、概ねわかりました。また、関連する太陽体験については、『虚構山幻想寺』でも取り上げられていました。また、空海に関する資料を当たれば、同様の資料は容易に当たることが出来るでしょう。ここに共通するキーワードは水銀(丹)であったということです。

この点について、議論されたスレッドは以下のとおりです。
各スレッドを開き「全部」でクリックして表示し、頭から「水銀」で検索すれば、各発言に当たれるでしょう。

鰯の頭も信心?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1083757197/l100
悟りを科学する
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1090358560/l100

以上の点はしかし、わたしより、雖念さん、また、愚鈍凡夫さんのほうがよほど、よく調べていらっしゃいます。また、繰り返しますが、この虚空蔵求聞持法に関する議論は、断定するものではなく、その可能性を語り合ったものです。いまの段階では、現在進行形の議論の一つです。確実な反証が有れば、わたしはいつでも前言を悔い、書き直す用意があります。

> ご入滅時の地震…大地震とされる資料

わたしがこの地震を、どこかで大地震とし、さらにそれが確実にあったと記していますでしょうか。愚鈍凡夫さんが『吾妻鏡』その他の資料から、当時、このような地震があったのだろうかと疑義を呈していらっしゃったと記憶していますし、それを拝読し、特定は困難だろうと思った記憶はありますが、これをわたしが大地震と断定した記憶はありません。何か勘違いなさっていらっしゃいませんか。

2530犀角独歩:2005/07/14(木) 10:49:59

―2529からつづく―

> …ゆえ無き侮辱とうけとめます。

個人的にはどうでもいいのですが、先にわたしに対して、「思わず笑った」「過敏反応」と記したあなたが、このような記述は大袈裟と自嘲されませんか。

わたしは日蓮を敬愛はするものの、既にその無謬性にはとっくに見切りをつけ、日蓮崇拝は卒業しています。そのわたしがどのように表現しようと、それは個人の自由に属します。そのような観点に立つわたしからすれば、このような記述こそ、過敏反応と映じるものです。わたしは、あなたがどのような信念体系下にあるかわかりませんので、適宜な応答となるやわかりませんが、発言の責任はあります。また、実際に蓮師晩年は満足したものではなかったと推察しているのは事実です。ですから、これに応じることといたします。

まず、あなたが引用される資料は、適切な引用であるとは、わたしには思えません。

> 「よからんは不思議、悪からんは一定とおもえ」

という記述を載せる『聖人御難事』は、たとえば、『平成新修日蓮聖人遺文集』には載らない資料で、確実な真跡かどうか、やや疑問はあります。しかし、完全に斥けるわけではありません。多くの場合、真跡と数えられるからです。仮にここで、この書を真跡として記します。
引用される文は、しかし、逢難の農民信徒に充てた言葉ではありませんか。これを日蓮自身に充てるというのは、短絡とわたしには感じます。しかし、それでも、その点をそのままに受け取って、やや記します。

日蓮自身が晩年に関するわたしの管見をあなたは「独歩説」と断定し、

> 日蓮聖人は老いさらばえて目的を達せず不満足の生涯

と記述していますが、その裏面を読めば「日蓮聖人は老いさらばえて目的を達し、満足の生涯」というのが、あなたの見解と言うことでしょう。しかしながら、「悪からんは一定」というのが、所願成就、すべての目的を達した満足した証文となるとは、わたしには思えません。

また、「日蓮末法に出すは仏は大妄語人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏滅後二千二百二十余年か間、一閻浮提の内に仏の御言を助たる人、但日蓮一人なり」という自讃が、目的を達成した満足した生涯の証文であるというのは、どのような意味なのか、わたしには斟酌しかねます。実際にこのように、いくら日蓮が自讃しようと、国主は日蓮を重んじることも、法華経に帰依することも、法華経での調伏祈祷を日蓮に仰せつけることもなく、また、それらが無くとも、結局、日本は亡びることはありませんでした。

2531犀角独歩:2005/07/14(木) 10:50:30

―2530からつづく―

さて、日蓮の身延入山文永11年5月、この時の記述は

「けかち申すばかりなし。米一合もうらず。がししぬべし。此の御房たちもみなかへして但一人候べし。このよしを御房たちにもかたらせ給へ。
十二日さかわ、十三日たけのした、十四日くるまがへし、十五日ををみや、十六日なんぶ、十七日このところ。いまださだまらずといえども、たいしはこの山中心中に叶て候へば、しばらくは候はんずらむ。結句は一人になて日本国に流浪すべきみにて候」

この惨憺たる記述は涙無くして読めません。ようやくと赦免され、鎌倉に戻り、いくばくもなく、身延に向かった日蓮は米一合すら得られず、飢餓に苛まれ、流浪すべき身と記します。痛ましい限りとわたしには映じます。

さらに、 弘安元年には

「やせやまいと申し、身もくるしく候へば、事々申さず…秋すぎ冬にいたるまで、日々にをとろへ、夜々にまさり候ひつるが、この十余日はすでに食もほとをどとゞまりて候上、ゆきはかさなり、かんはせめ候。身のひゆる事石のごとし、胸のつめたき事氷のごとし。しかるにこのさけはたゝかにさしわかして、かつかうを、はたとくい切りて、一度のみて候へば、火を胸にたくがごとし、ゆに入るににたり。あせにあかあらい、しづくに足をすゝぐ。此の御志ざしはいかんがせんとうれしくをもひ候ところに、両眼よりひとつのなんだをうかべて候」

と病苦を訴え、僅かな酒を含んで涙を流す日蓮の姿は大満足の晩年の有様とは思えません。また、遂に筆をもつことも判形をなすことも出来ない程、衰弱した日蓮は

「さりながらも日本国にそこばくもてあつかうて候み」

と身上を表現しています。やがて命を終えます。

たしかにその他遺文のなかでは高唱に自身、聖人であることを表現するところもありますが、『立正安国論』奏進し、国主を法華経帰依させ、法華経による祈祷で二難調伏、安国を期そうとしたのが日蓮その人であり、法華妙文に祈れば「病即消滅不老不死」も叶うとした日蓮は、国主の法華帰依も得られることもなく、身延入山後に痩病に苛まれ、弟子日昭が100歳を超える長寿、日興も88歳の齢を経たにのも拘わらず、本人は61歳で生涯を閉じています。このような有様を見るにつけ、日蓮の生涯が本人大満足のものであったとは、到底、思えないということです。

まして、「極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず」といい、此土法華弘法を誓った日蓮は、擬刎頭・佐渡流罪を経て、「霊山浄土」を言うに及び、「不自惜身命」「我不愛身命但無上道」の経文を宣じ、「奉命他国寧喪身命終不匿王所説言教」と高らかに殉教を歌い上げた一切を捨て、身延隠棲することが、どうして、大満足の一生と言うことができるのでしょうか。むしろ、日蓮は満足なく生涯を閉じたからこそ、遺弟は、申状を武家、天皇に捧げ、その無念を晴らそうとしていったのではないでしょうか。

ただ、わたしは日蓮が失意、無念のうちに生涯を閉じたことを侮辱する意図はなく、滅後以降、殊に中世以降、醸造される日蓮無謬神話とは裏腹に、身延入山以降の日蓮を実像に見るにつけ、感傷的な思いに駆られざるを得ないと言うことです。

2532 A:2005/07/15(金) 07:54:52
早速に長文の御返事をありがとうございます。
独歩さんの文章のわかりやすさと観察の鋭さ、また熱意には感服いたしております。
わたしなどのとうてい及ぶところではありませんし、また議論などとよべるものもできません。

以下は議論ではありません。わたしの感想です。

> このような問題を本気で取り組むことは生半可なことではないという人間が、ここにいたことぐらいは記憶に留めて置いてください。

もとより覚悟を決めて始められたのでしょうから、ヘボな書き込みにも極度に反応されるのが大人気ないような気がしたものですから、失礼を承知で書き込みました。風当たりの強いのも喜びの一つなのではないのですか。

> 日蓮自身死亡際の地震のことを本人書き残せるはずはありません。その意味では、真跡遺文の有無を問うのはまったく無意味でしょう。以上のようなご自身の齟齬をよく理解されたうえで、お読みください。

真跡遺文としないで真蹟・遺文と・で区切ったのは聖人の真蹟とお弟子がたの残された文書のつもりでした。たぶんご指摘あると想定してのことでありました。


> この点を日蓮は、もちろん、なにも書き記していないと思います。

これで結構です。   利根と通力を排除されたのは聖人です。水銀の薀蓄は読ませていただきました。しかし、

当時の真言の秘薬には水銀が使われることがあったらしい(シヴァ教の一派に水銀派というのがある)が、もし日蓮がそのとき水銀系の秘薬を飲んだのなら、必ず脳へ悪影響を及ぼしているはずだ。それがさらに幻視をよんだ…」

だろうか、あったらしい、もし、なら、はずだ、  こんな文章のどこに信憑性があるのでしょう。


> これをわたしが大地震と断定した記憶はありません。何か勘違いなさっていらっしゃいませんか。

地震が虚偽とのご主張がわたしの勘違いなら、これも解決いたしました。  過去の事例を真似たとの発言や、黙過は同意と感じておりましたので、ありがとうございました。勘違いをおわびいたします。


> 実際に蓮師晩年は満足したものではなかったと推察しているのは事実です。

観点や主張によって事象はさまざまに違って見えるものです。また表層部分を見ての評価だけでは真実を見誤るのではとも思います。

ご消息文を拝してうかがえる聖人の正直さ、慈愛、、細かい心遣い、勇気、忍耐力、その他もろもろのご性質は人としての鑑だと確信しております。日興上人もまた然りです。

聖人御難事
寒さ、ひもじさ、処刑の恐怖の中にいる囚われた熱原の農民へのご指南はまことに厳しいものでした。

彼のあつわら(熱原)の愚痴の者ども、いゐはげましてをと(落)す事なかれ。彼等にはただ一えん(円)にをもい切れ。よからんは不思議、わるからんは一定とをもへ。ひだるしとをもわば餓鬼道ををしへよ。さむしといわば八かん地獄ををしへよ。をそろししといわばたか(鷹)にあへるきじ(雉)、ねこ(猫)にあへるねずみ(鼠)を他人とをもう事なかれ。

弟子に教えられたことを自らの場合は別だとされるような不誠実な聖人ではないと考えます。
環境や病身のつらさを正直に吐露され、信徒のご供養の酒とかつかうのありがたさにひとつのなんだをうかべて候と仰せの涙は身の不遇を嘆かれる涙でなく篤い志に喜悦、法悦をおぼえられてのことでしょう。南無妙法蓮華経は万年、未来にわたり流布していくとの大確信に揺るぎなく、法華経身読の上「三度国を諌めて用いられなければ山林に交われ」と身延に入山され後事を弟子にゆだねられた所願成就満足の御境涯であったと私は拝します。


この認識は個人差があってもいい事だと考えるようになりました。互いにこき下ろしあうのは失礼なことになるのでしょう。


長寿のゆえに優れているというのなら長寿日本一だった方に軍配は上がるでしょう。
独歩さんには不似合な比較、問いかけのような気がします。

詳細なお答えの割りに短いですがこれでご勘弁を。ありがとうごだいました。


ところで独歩さんは信仰をおもちですか。唱題はされるのですか。本尊は何か定められたものがあるのですか
御披瀝いただければと思います。

私はこれから勤行です。

2533顕正居士:2005/07/15(金) 08:45:39
○求聞持法と神薬

虚空藏菩薩能滿諸願最勝心陀羅尼求聞持法出金剛頂經成就一切義品
http://www.siddham.org/yuan1/sutra/sutra_1145.html

初蝕後退未圓已來。其酥即有三種相現。一者氣。二者煙。三者火。此下中上三品相中。隨得一種法即成就。
得此相已便成神藥。若食此藥即獲聞持。一經耳目文義倶解。記之於心永無遺忘。諸餘福利無量無邊。

初蝕後退して未だ圓ならざるより已來(このかた)。其の酥に即ち三種の相現ずる有り。一には氣。二には煙。
三には火なり。此の下中上三品の相の中に、一種の法を隨つて得ば法即ち成就す。此の相を得已(おは)らば
便ち神藥を成ず。若し此の藥を食さば即ち聞持を獲(う)。一經の耳目文義倶に解し。之を心に記して永く遺忘
無し。諸餘の福利無量無邊なり。

○虚空蔵菩薩と貴重金属

日蓮聖人「立教開宗」における妙見尊と虚空蔵菩薩の関係(現代宗教研究32号)
http://www.d1.dion.ne.jp/~janis/

2534犀角独歩:2005/07/15(金) 11:15:31

Aさん

> 風当たりの強いのも喜び

そうは感じません。わたしは、極めて合理的にしかものを考えませんので、駆け引きその他は面倒と思うほうです。しかし、Aさんがお考えになっておられること、また、書き込まれたところ、「ああ、わたしもかつてそう考えていた」という回顧に属します。

そんなことから、考え続け、観察し続ければ、わたしの考えは理解されるだろうという思いがあります。その意味で議論でやり合う相手を憎むことはありません。実際、いちばん議論したのは、問答名人さんですし、オフ会、その他にご参加くださる皆さんも、皆大いにやり合った方々です。皆さんを、思惟を助けてくれた恩人であると考えております。いつしか、同意に至るもあり、至らざるもあり、それもそれです。ただし、絶対、無謬というファンダメンタリズム、カリスマ、呪物、集団信仰から脱却されれば、よいという思いはあります。

> 利根と通力を排除されたのは聖人

このように思われますか。そうでしょうか。
かつて、わたしは神秘的な考えに支配されていました。いまはそのような点は廃したのです。たしかに写本遺文『唱法華題目鈔』に「法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず」と載りますが、この書は、真筆でしょうか。真跡遺文で見る利根は「利根・中根・鈍根」の一つで、仏説と蓮師はとらえていますから、これを斥けるのには、疑問があります。では、通力ですが、この語彙は真跡遺文には一度も載りません。
『唱法華題目鈔』全編が、とは言いませんが、該当の文章は、どうも証憑に耐えない気はいたします。ただし、書かれる意には賛成です。

わたしは日蓮を再考するに当たり、非科学的なことはいっさい排除します。そんな観点からすれば、所謂、利根と通力を、日蓮は排除したように見えるけれど、いまの科学から見ればその範疇であると思えます。たぶんに呪術的、神秘的だと見えます。

そもそも、生身の虚空蔵菩薩に会ったというのです。いま、こんなことを言えば、「精神科に行ったほうがいいよ」と言われるでしょう。その原因を考えたのが、いわば「水銀」談義であったということです。信仰という枠内では、もちろん、ありません。薬物による幻視とみるほうが説得性があるということです。そうでなければ、12日に及んだ荒行で、脳内代謝に異常を来した幻視とするか、どちらかと見ていくのが、科学的でしょう。信仰は科学とは関係ないという反論は成り立ちますが、しかし、一般からすれば、科学的事実の元では、信仰における個人の体験=個人的リアリティこそ関係ないのです。


>> …真言の秘薬には水銀が使われることがあったらしい
> あったらしい…こんな文章のどこに信憑性があるのでしょう。

それは一読の感想に過ぎませんでしょう。ご自分で調べてみればよろしいと思います。
そうすると、この記述の信憑性は、ぐんと上がります。要は印象ではなく、事実はどうかということです。調べた結果、わたしはこの記述の信憑性をわたしは指示したということです。

> …表層部分を見ての評価だけでは真実を見誤る

これはまた、逆も真です。Aさんがお書きになる晩年の日蓮像は40年間、わたしを支配していた日蓮像です。そこから、何故、わたしが変遷したか、その点を追ってみてください。そうすれば、いつか、わたしが記した意味はおわかりいただけるでしょう。

2535犀角独歩:2005/07/15(金) 11:15:59

―2534からつづく―

> 熱原の農民へ…

Aさんは、富士門流の方ですか。
お記しになられるようなことは、わたしも思っていたことです。

> 「三度国を諌めて用いられなければ山林に交われ」

わたしは、この考えは、法華経の精神に悖ると思います。
これでは「我不愛身命但惜無上道」という勧持品に、「不自惜身命」という寿量品に、「其罪畢已」という不軽品に違反します。
こう記せば、Aさんは、お怒りになるかも知れませんが、わたしは、この日蓮の隠棲は法華経からの退転ととらえます。但し、この点は意見の同意は見ないでしょうから、無駄な言い合いは止めといたしましょう。

> 長寿のゆえに優れている

わたしは、このような観点で、ものを記したわけではありません。
「病即消滅不老不死」を祈願をする本人には、それが利かなかった厳正な事実を記したまでです。ただし、鎌倉当時、60歳が早死にか・寿命かは即断できないところでしょう。しかし、この点を森山諭師は鋭く切り込みます。

「日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る」とは、文永12年、『可延定業御書』の一節です。果たして、この時点で、日蓮は、自分が60そこそこで死ぬと考えていたのか、一考を要すると言うことです。

> …信仰をおもちですか

宗教への信仰ですか。それはないですね。シャキャムニの教えは信じることと言うより、日々の心の持ち方・行いの在り方を示したものであろうと考えています。シャキャムニは尊敬しますが、信仰するというのとは違います。

> 唱題はされるのですか

するときもあります。よいものではないでしょうか。
けれど、これまた、考えてきたことですが、いまのような唱題のやり方を、しかし、日蓮はしていなかっただろうと考えています。

> 本尊

本尊という考えを、仏教であると思っていません。
このことも何度も記してきました。天台文献を渉猟すれば、すぐに気付けますが、「本尊」という成句は、ただの一度も使用されていません。これは密教用語、また、語彙は中国思想語から転用されたものであろうと考えていますから。

羅什の漢訳文は証憑に難があり、それに基づく天台釈も耐えません。まして、法華経が釈尊の直説であるはずはありませんが、その内容は惹かれるところはあります。そんな次第ですから、日蓮は信仰の対象となりませんし、漫荼羅を本尊と恃むこともしません。

> 私はこれから勤行です。

わたしにとっての勤行…、勤め行うことは、朝7時・昼12時・夜7時に母の食事を作り、日々介護し、また日夜、寄せられる山のような相談メールと電話に、誠意を持って応じることです。儀式化した経典を「本尊」の前で音吐朗々と称えることは、わたしの勤行ではありません。ただし、そのようなことをなさる方々を批判しようとは思いません。けれど、勤行・唱題をしているところに逃げ込んだり、それだけに止める姿は愚かであるとは思います。ただし、これは Aさんを批判しての記述ではありません。

2536犀角独歩:2005/07/15(金) 11:17:29

2533 顕正居士さん

いつもながら、適正な資料のご呈示、まことに有り難うございます。


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