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素朴な疑問

2485ラキ:2005/06/21(火) 02:43:35
パンナコッタさん。
ありがとうございます。
>八幡大菩薩は十六代応神天皇ですよ。(神国王御書参照)
現代の日本は憲法上、主権在民ですから”王”には、当てはまりませんね。

現代では「王」が存在しない。
この確認が出来ただけでも、助かります。

独歩さん。

>2482のラキさんの疑問は、蓮師が国立戒壇を述べたという前提でしょうか?
蓮師が述べてはいないと思いますが、近いニアンスで述べられた事もないと今は思っています。
石山系の中での狭い範囲での議論で、蓮師の御書でどのように歪曲解釈で「国立戒壇」を打ち立てれるのか?
また、その歪曲解釈をどのように説明したら良いのか、少し考えておりました。
「王」不在なので、現代では通用しない議論と確信の為の質問でした。

>また、「現代に」というお話ですが、蓮師の強説を現代にそのまま、当て嵌めたら大変ですよ。
まず、日本中の浄土宗、浄土真宗の坊さんを鎌倉にかき集めて、由比ヶ浜で死刑にしなければなりません。それも斬首刑です。次に法華経を信じない人間もそれに準じます。

ここまで考えが及んでいませんでした。(^^;

>「大聖人の仰せのままに」、御書を部分的にしか読まないから言える、御書全編を読んだことのない子供騙し戯言以上の何ものでもないでしょう。「摂受と折伏について」スレで議論しているとおりです。
痛感しております。
何かにつけて「一念信解」解が伴っていないので「一念信」しかないと感じております。
御書も切り分でしか解説してなくて、結局は「一念信解」の結論は、子供騙しでしかないと痛感しています。

>「摂受と折伏について」スレ
今一番気になる話題です。
折伏と証して、法論が成り立たないから折伏にはならず。
摂受かとも言えるかといえば、少し疑問。
五十展転が一番あれはる言葉かと思えますが、やはり勧誘でしかないとの実情は拭い去れないと思います。

>まあ、石山教学という狭隘な井戸の中で考えれば、そんな議論もありなのかも知れませんが、所詮、土台にしているものが根本的に違っているわけですから、そんなことに時間を費やすより、事実を見ることのほうが先決でしょう。
ただ今、広い範囲で猛勉強中です。
日興上人から4派に別れ、日目上人から2派に分かれた、事実を最近知りました。
都合の悪いのは公表しないで、自分から求めて調べない限り、謎のままで一生騙されているとこでした。
学び知り、知ればもっと学び知りたくなり、楽しいです。


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