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死刑制度についてひと言お願いします

1boro:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。

261とおりすがり:2003/09/15(月) 23:58
今、自民党総裁選の真っ最中だけど、(万が一)亀井氏が総裁になって、
そのまま首相になったら、死刑は停止するんだろうね。
(対抗する民主党首も死刑廃止論者だから、我々国民には選挙で選択肢なし)
一度停止しちゃったら、ものがものだけに再開は難しいだろうな。

となると、宅間被告の死刑がわが国最後の死刑ということに。。。
うーむ。

262人権:2003/09/16(火) 14:07
テロ行為を容認するが如き発言を為した人物に応援されている亀井氏が
廃止を唱えても余り説得力がないような気もしますが・・・

263ばっじょ:2003/09/16(火) 22:58
亀井が首相になって死刑廃止になったらオウム麻原は死刑にはならなくなります。麻原は
裁判を引き伸ばし、死刑廃止になるまで待っているとの話を聞いたことがあります。
死刑廃止だけは絶対に阻止したいです。

264ばっじょ:2003/09/16(火) 23:01
ちなみに麻原には死刑判決がすでに出ましたが、高裁に持っていっているし、最高裁
にまで粘るでしょうから。そのときは死刑廃止になっていることを考えての発言でした。

265ばっじょ:2003/09/16(火) 23:03
死刑に関する本で「死刑はいかに執行されるか」という本があります。私はまだ読みかけですが
結構勉強になります。

266ポポロ:2003/09/16(火) 23:23
東京地裁での麻原に対する判決は2004年の2月27日です。
求刑通り、死刑判決にはなると思いますが、その信者でも
死刑確定となる者が次々と出てくるでしょう。

267むしろ:2003/09/17(水) 14:12
非常に不謹慎なこと言いますけど、宅間もどうせ殺るんだったら小学生
じゃなくて死刑反対派の識者とか人権者の身内とかをやればよかったのに・・・

>>2 地雷撤去
私が考えたのは「新薬の人体実験の刑」、これによって新薬がより早く社会
に出回るのはもちろん、マウスの命も救えるという画期的な刑

268瞥見:2003/09/18(木) 09:59
>>むしろ

本当に不謹慎な書き込みですね。読んでて不愉快です。
死刑反対派の人や人権者の身内(?)は彼らなりによく考えて
あのような考えを持つになったはずです。
「どうせ〜」だろうが何だろうが
彼らは殺されるべき種類の人間ではありません。
あなたの書き込みからは、
「自分と異なる意見をもった人間は死んで欲しい。」
というあなたの陰湿な願望がにじみ出ています。

私は本当は死刑に反対したいのですが、
宅間や麻原を見ていると自分の信条が揺らぎます。
彼らに対して怒りを感じるのは『人を殺したから』。
でも死刑は言い方を変えてもやはり『人殺し』…。
まっとうな理由さえあれば、人は殺していいものなんでしょうか?
まっとうな理由無く人を殺したから、彼らは悪いのでしょうか?
悩みます……。

269tomoe:2003/09/18(木) 13:17
もちろん自分の夫や子供を殺された場合を考えたら、
犯人に対し殺意を抱かずにはおれないでしょう。
実際、宅間被告や松本被告はもとより
「死んだ子の分まで長生きしたい」といった殺人者に対し
「おまえなんか死んでしまえ」と思わず口から出てしまいました。
しかし逆に「命を持って償う」と言われたとしても、
そこに違和を感じます。 
失われた命は絶対に帰らない
遺族は一生癒される事はない喪失感と共に生きて行かねばならない。
死のうと、人の役に立とうと、一生閉じ込められても
人の命を奪った罪は、結局何をもっても償えないのです。
では死刑は何を癒しているのかを考えたとき
全くの無関係な自分の発した殺意の言葉に思い当たり、ぞっとしました。
全く無関係な圧倒的多数の無意識の殺意で死刑制度が存続しているのが
ある側面では事実なのでしょうか?
死刑賛成反対を唱える以前に
このサイトで知った多くの殺人者達と何ら変わらない
自分の命以外は軽んじる己の浅薄さを思い知らされてしまいました

270人権:2003/09/18(木) 14:43
確かに不謹慎だと言われても仕方がないかなとは思います。陰湿な願望
とまでは言いませんが、些か激しすぎのような気がします。

私も究極的には死刑執行の必要などない世の中が実現することを願って
います。アムネスティの言うところの「人が殺されることのない社会」
が。

でも、廃止論というのは平たく言えば「いかに多くの人をいかに残虐な
方法で殺害してもその殺人犯の生命は保証する」とういうことになる
わけですから、率直に言ってそこのところがやはり釈然としない思い
が残ります・・・

271人権:2003/09/18(木) 17:30
もし仮に死刑制度が廃止されるのであれば、犯罪被害者の権利保護と
一体でなければ不公正だと思います。

我が国においては死刑以外の刑罰とりわけ生命を奪うような悪質・凶悪
犯罪に対する刑が軽すぎます。人を死に至らしめても「傷害致死」として
裁かれれば3・4年の刑期で済んでしまうこともまれではない。

特に集団で暴行を加えるような例では責任が分散するかの如く軽くなる
傾向があります。

「更生」「社会復帰」を図ることには異論ありませんが、被害者(遺族・
親族)の「社会復帰」をも同等に考えるべきでしょう。ただ賠償金が
支払われれば済むような問題ではない。

272とおりすがり:2003/09/19(金) 02:07
人権さん、
>>「人が殺されることのない社会」
これは、7億年も前にエディアカラユートピアが崩壊した時点で、
すでに否定されているのでは?藁)

冗談はさておき、この問題が議論されるたびに思うのは、
死刑廃止云々は、宗教的な意味合いが強いのではないかと
思います。
現在死刑廃止を実施している国の多くがキリスト教文化圏です。
キリスト教には、有名な「復讐するは我にあり。。。」という
考え方があります。
そのため、人の命を(正当に)奪ってもよいのは
神だけという思想が根底にあるのではないかと思います。
(しかし異端者に対しては例外としているかも。。。)

また、生活にもキリスト教が浸透しており、被害遺族の心の
ケアを教会や宗教にて実施できているのではないかとも
思っています。
なので、そのような基盤の薄い日本で、西欧と同じような
死刑廃止論議を行っても、いまいち噛み合わないのでは
ないかと感じています。
(もっとも最近は、アメリカでもキリスト教的社会が崩壊して
 問題になっているとか。)

個人的には、日本の社会全体にそのような倫理的な
思想が浸透しない限り、死刑は廃止すべきでない
と思います。

273:2003/09/19(金) 11:54
ここんとこ皆さんの意見をずっとロムで来たが、
やっと私なりの考えが1つだけまとまったような気がするのでカキコ。

「死刑」という具体的な方法は、てっとりばやく言うと
「再発防止対策」なのではないかと思うんだがなぁ・・・。
犯人の命を絶つことで、犯人が起こす再発の可能性は0%になる。
私は、死刑とはそれだけでもじゅうぶんではないかと思うんだが・・・。

私には、元殺人犯がまた人を殺すってのがどうしても許せん。
そして、それを許してしまったシステムは更に許せん。
・・・という感情があります。
ちなみに、被害関係者の復讐的感情等は抜いて考えていますので・・・。

274st:2003/09/19(金) 16:36
イギリスでの死刑廃止に至るまでのプロセスが記述されているページです。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/system/abolish/abolish.htm
また、廃止のきっかけとなった、A6殺人事件のいきさつもあります。この
事件はまだ続いていたんですね。迫力があります。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/victims/hanratty/hanratty.htm

275人権:2003/09/20(土) 14:04
私はキリスト教に就いては疎いので、とおりすがりさんの仰るような
側面があるかどうかよくはわかりませんが、廃止を主張される方々
の言動を拝見していると、そこには何か一種の宗教的信念のごときもの
を感じることはあります。そういう意味では確かに宗教的背景の違いが
反映されているのかも知れません。

ただ、仏教においても「慈悲」というような理念が存在しますし、
「殺生」を禁じてもいるわけですから、そのあたりから廃止の論理が
出てくる可能性もあるような気はします。
もちろん、宗教的背景がどういうものであろうと、最も救済されるべきは
被害者であるということは変らないはずですが。

276アクタ:2003/09/21(日) 01:27
はじめてです。たいへん勉強になるサイトで、
あちこち見させていただいています。

死刑についてですが、私は結論は持ち合わせていません。
当サイトの、英国の死刑執行人史のところなどを
読んでいたりしますと、
死刑制度には、必ず執行者がいなければならない、
というのがとても哀しくなります。
もうすでに出た話かもしれませんが、、、。

277ばっじょ:2003/09/21(日) 04:44
>死刑制度には、必ず執行者がいなければならない

これについて執行者の苦悩を書き綴った本があります。
「死刑はいかに執行されるか」という本です。私はまだ読みかけですが
死刑を考えるについて何らかの助けになるはずですので興味のある方はご一読を。

278ばっじょ:2003/09/21(日) 04:52
>キリスト教

キリスト教で聖書を忠実に信じる時代遅れの人たち、いわばキリスト教原理主義者は
(この人たちはダーウィンだったかな?の進化論を絶対受け付けず人間はいまだに神が
作ったと考えていて、進化論を学校で教えるのを反対し一部の州では進化論を教えるのを
中止させた人たちです。ブッシュのそうなんだけど。)死刑や中絶には強固に反対します。
外国がどうだから日本もこうするべき、という欧米に対する無批判な追従だけは避けたいものです。
日本は日本で独自の価値観で判断すべきだと思いますね。ちなみに死刑囚の収容されるところは刑務所ではなく
拘置所だそうです。

279しましま:2003/09/21(日) 16:00
以前死刑制度には賛成と書きました。その考えは変わりません。
ただ、「執行人の辛さ」を思うと大変複雑です。
屠殺場で働いている人は、自分が殺す動物を絶対に食べられない、と聞いたことがあります。
(違う人もいるでしょうが…)
増してそれが人だったら、それは大変な苦しみでしょう。
でもやっぱり「こんなの生かしといていいのか?!」という感情が収まらない事があるのは確かなんです。

余談ですが、よく裁判で「被害者に対して○○円支払うよう命ずる」と判決が下っても、
実際にきちんと支払っている加害者は15%程度だとか…。
しかも、そうやって支払いを履行しないことに対する罰則はないと聞き、驚きました。
どこまで被害者は苦しめられなければならないのでしょうか?

280Ahura:2003/09/22(月) 01:00
プラトンの「ゴルギアス」だったと思いますが、死刑について、「犯罪によって劣悪化した魂を矯正するための刑罰だ」と
いう意味のことをソクラテスが語る箇所がありました。これは魂の不死を前提とした話で、いわゆる応報は死後
の世界で行われるから、現世においては死後の応報を軽くしてやるために、死刑によって犯罪者の魂を浄化するということで
しょう。プラトンは国家を教育機関として考えていたため、死刑もまた「教育刑」として位置づけられていたようです。
プラトンのような考え方は、「死後の応報」という信仰が崩壊してしまえば成り立たなくなります。
カントやヘーゲルが応報としての死刑を唱えたのは、この信仰の崩壊に見合っているように思えます。
刑罰は「野蛮な」応報刑から「進歩的な(?)」教育刑へと進化・発展してきたのだと死刑廃止論者はいいますが、実際は、「死後
の応報を前提とした教育刑」という考え方が無効化して、「現世において応報を行う」という発想に変化してきたのではないでしょ
うか。

281大谷金次郎:2003/09/23(火) 11:14
賛否に関する理屈は誰にでもあるとは思います。
だから僕はここでどうこうは書きたくありません。

端的に言って「意図的に他人の命を殺めれば死刑は当然」だと思っています。
またそれに準ずる過失(過失かどうか分からないけど、例えば飲酒運転による対物追突などによる致死事故)なども・・・
充分に死刑に値すると思っています。
やっぱり、何だかんだ言っても犯罪抑制にも役立つと思うし、意図的に殺人をする輩などは、更生云々考えるのはかなり人が良過ぎます。
加害者の人権より、被害者の人権や遺族の感情を充分に配慮すべきだと思いますが・・・。
よって死刑制度はあった方がいいと思います。

282草田男:2003/09/23(火) 11:52
死刑が廃止され重無期刑が導入されてしまうと
殺人事件の公訴時効が15年から12年になってしまう。
ただでさえ少ないのに更に少なくなってしまう。
18歳未満の少年には重無期刑が適用されない。
死刑のみならず他の罪が一段と軽くなる。

重無期刑の創設及び死刑制度調査会の設置等に関する法律案
第二の三の1
重無期の懲役又は禁錮に当たる罪についての公訴時効の期間は、十二年とするものとすること。(刑事訴訟法第二百五十条第一号の二関係)

第二の四の1
罪を犯すとき十八歳に満たない者に対しては、重無期刑をもって処断すべきときは無期刑又は有期の懲役若しくは禁錮を科するものとすること。この場合において、有期の懲役又は禁錮を科するときの刑は、十年以上十五年以下において言い渡すものとすること。

283胡桃:2003/09/23(火) 12:02
>端的に言って「意図的に他人の命を殺めれば死刑は当然」だと思っています。

殺意のある殺人とはいっても例えば通り魔のように一方的に加害者が悪い場合も
ありますが、よくある殺人について言うとその多くは顔見知りによる怨みなどが
原因の殺人だったりします。こうした場合、加害者が100%悪いと言えるのか
ちょっと疑問でそういう場合でもやっぱり死刑にするのはどうかなとも思います。
ここのサイトにある「栃木実父殺し事件」「現役映画女優愛人殺し事件」
「阿部定事件」ほかにもありますが、これらの事件の加害者を死刑にするのは
厳しすぎると思います。

それから、飲酒運転による交通事故死などの危険運転罪が適用されるような事故を
死刑にするという考えもまた同じように事故が起きた場合、運転者が100%悪い
とは限らないわけですよね。急に道路に飛び出してきて轢いた場合、酒を飲んで
いなくてもあるいはスピードを出していなくても結局事故になってしまった
かもしれないという例などもあり、こういうのも死刑にするのはどうかなとも思います。

それから犯罪の厳罰化はその効果があるというデータはありません。死刑についても
犯罪抑止力があるというデータは存在していません。単純に刑を重くすれば
犯罪が減ると思われがちですが、そうとは言い切れないようです。交通事故などは
特に危険運転罪など刑が重くなったことで轢き逃げ事件が以前より多くなったという
データがあるようです。

>加害者の人権より、被害者の人権や遺族の感情を充分に配慮すべきだと思いますが・・・。

加害者が死刑確定となったある事件でその被害者の遺族が加害者の死刑を望んでいない
というケースがあります。

死刑にはもはや被害者遺族の復讐心を満足させるだけの意味しかありません。
それだけの意味があれば充分といわれればそれまでですが。

284人権:2003/09/23(火) 14:52
281の方が言っておられるのは「明白な殺意を持って殺した場合は
死刑にされてもやむを得ない」と言う意味ではないでしょうか。
急に飛び出して来た人を避けられずに轢いてしまった(飲酒ではない)
ようなケースまで死刑にという意味ではないと思いましたが。

確かに抑止力を証明する確実なデータは無いかもしれませんが、逆に
抑止力は存在しないということを説得力を持って証明するデータもない
のでは。犯罪の増減には様々な要因が関っているのですから、死刑制度
の有無だけが決定的なものではないでしょう。

近代刑法においては「応報刑」の考え方は否定されて「教育刑」の理念
が導入されているのでしょうが、人間である以上<感情>から100%
自由になることなど不可能であって、ただ<応報的・非理性的な復讐心>
とのみ捉えることにはどうしても違和感を感じてしまいます。

285胡桃:2003/09/23(火) 18:54
>確かに抑止力を証明する確実なデータは無いかもしれませんが、逆に
抑止力は存在しないということを説得力を持って証明するデータもない
のでは。

つまり一般にデータないというならそれを説得力をもって証明しろ、
ということでしょうか? それよりも貴方のほうで抑止力のあるデータを
もってきて説明したほうが説得力があると思いますので、是非ともそういう
データをもってきてください。期待しています。

加害者が100%悪くなくても死刑にしていいのかどうかということを
聞くために交通事故の例を出したまでなのですが、そういうことが
分かっていないのかなと思ってしまいます。

286F:2003/09/25(木) 16:35
初めて書き込みます。
ここでは、死刑制度と無機懲役との差がありすぎる。
果たして死刑は、抑止力になるか、償いの意味があるか、
被害者と加害者の心情や権利をどう汲み取るか、
という点で話し合われているように感じます。

そんな中、私が兼ねてから思っている刑罰が一つあります。
それは人権剥奪です。
国家が国民に対して人権を認めるのならば、
それを剥奪することも可能なのではないでしょうか?
言い換えるならば、国家が加害者にたいして罰則を与えるよりも
社会が加害者に対して罰則を与えるというものです。

被害者が加害者に命を持って償って欲しいなら、
その人間を壊せば良いのです。人ではないのですから、
その加害者の保護者から器物破損等で訴えられるかもしれませんが、
相手は人ではないので殺人者になることはありません。

逆に犯罪に対して、同情の余地が多きければ、
社会は加害者を許容することでしょう。

287F:2003/09/25(木) 17:03
被害者の方がメディアの前や公衆の場で
「命をもって償って欲しい」と言う方がいます。
この「命をもって償う」これは言うならば、
国家に「この加害者を殺してください」
と嘆願しているのと同じではないでしょうか?

心情的には非常に理解できます。
しかしそれは個人の感情の意見であって、
国家や制度で補うものでは無いと思います。

私は死刑反対です。ただ、敵討ちなら許可しても良いと思っています。

288辻風:2003/09/25(木) 17:48
人権剥奪って、具体的にどういう事するの?
たとえば受刑者を町中に放り出して、「こいつは人権が無い」という札でもぶら下げて、
通行人になぶり殺しにさせるとか?
それじゃ、人道的に許される訳がないじゃないですか。
第一残虐すぎるし、そういうことをさせられる国民も非常に不快に感じると思う。
それは刑罰とは全く別の問題だ。
問題なのは、犯罪者も人間であるが故に、その罪を人間としてどう償わせるかであり、
だからこれだけ論争が巻き起こっているのであって、人間を家畜か何かとして扱うか
ということを問題にしている訳ではない。
それに、国家が人権を「認めている」訳ではなく、あくまでも人権を認めた人同士が
国家を形成しているだけのこと。だからその人権をより明確な物にするべく世界中で
人権擁護運動が行われていて、その中から法律が生まれるのだから。

289Katsu:2003/09/25(木) 18:04
>>287
適切な質問か自分でもわかってないところがありますが、
敵討ちというは、敵討ちに失敗したら、加害者は許されるのですか?
そのような加害者が、そのまま存在するのは構わないうことですか?

それに、やはり人権の剥奪って、具体的にどういうことなのか
わかりません。逆に人権が認められてないってことは、何をしても
罰されないということじゃないのかな?
そのために人権を認められる人が被害をこうむることもあるような...

勿論、人権を持つ人は抵抗するけれどね。日本のように、既に法治国家
として成立している国で、Fさんの言っている人権剥奪って、どうやる
のですか?
人権剥奪が可能なのって、独裁的な集団がリーダとして存在するような
場合でないとできないと思えています。

290人権:2003/09/25(木) 19:13
胡桃さんへ:
私は抑止力に関しては肯定も否定もできないのではないか、それ故
死刑制度支持の根拠としても有力なものとはならないであろうという
意味で申し上げたのですが。抑止力を証明するデータが存在するとは
言っていないつもりですが・・・

小生は基本的に死刑を支持しますが、その根拠の一つとして<抑止力>
を挙げることは困難であろうと考えています。率直に言って、この点に
関しては小生には判断しかねるという意味なのですが。

291人権:2003/09/25(木) 19:26
追伸:
274の方が言及されているサイト「また会う日まで」の
補足1で或るデータ(イギリスのものですが)が示されています。

292F:2003/09/25(木) 21:57
今回の発言は犯罪者の権利が認められ、保護されている現在、
人道的にゆるされないことをした犯罪者のみに適用される
このような刑罰があっても良いのでは?と考えた次第です。
たとえば人権剥奪の上、懲役30年というように。

実際問題現実的ではないのは重々承知しています。
ただ、こういう考えかたもあるのでは?という意見として発現しました。
>>288
国家の形成問題については、ここで論ずるつもりなはいのですが、
その考えではすでに追いつかない犯罪が起きているように感じます。
あと一つ聞きたいのですが、相手に確実な死を宣告する
死刑という制度は残虐ではないのですか?

>>289
加害者は唯一の生き残るチャンスをつかんだのです。許しましょう。(藁
スイマセン、言葉が足りなかったですね。ちゃんと推敲すべきでした。
ここでは、第三者に刑を執行させる制度としての死刑ではなく、
被害者当人が引き金を引くような形式のものとして書いたつもりでした。
あなたの発言にはそれだけの責任もあるのですよ、という意味で。

293胡桃:2003/09/25(木) 21:59
>小生は基本的に死刑を支持しますが、その根拠の一つとして<抑止力>
を挙げることは困難であろうと考えています。

最初からそう言えばよかったのでは?

前に貴方は他の人の意見はできるだけ理解するように務めますとか
そういうことを言っていましたよね。でも、貴方の書き込みを見ていると
理解しようとしていないのが分かります。私はできるだけ他の人の意見を
尊重し、実際はこうであるということを述べているのですが、じゃあ、
それを説得力をもってそうであるとかいうことを示せというのはどうかと
思います。少なくても私にはそういう風に言われた気がします。
ちゃんと読めばどういうことを言いたいのか普通は分かるはずですが、
そういうことがわかっているのかいないのか分かりませんが、
死刑の存在だけが犯罪が起こる原因ではないとかここで的外れな意見を
言われても困ってしまいます。そんなことは分かっていますよ。誰が
死刑の存在だけが犯罪の原因になっているとかって言いました?
加害者が100%悪くなくても死刑にしていいのかどうかということを
聞くために交通事故の例を出したまでなのですが、このことについては
何の意見もないのですか?

294バディ:2003/09/25(木) 23:16
余計なこととは承知の上、ひと言だけ言わせてください。
最近こちらを訪れるようになり、皆さんのご意見もようやくひと通り
目を通したばかりの者が、発言するのもおこがましいのですが・・・

特に犯罪や刑法について勉強したことのない私にとっては、皆さんの書き
込みは非常に勉強になることも多く、いろいろと考えさせられたりして
いますが、今のところ、自分の意見・感想を書き込んでみようという気に
なれません。なんだかここのトピックは、言葉じりを捕らえて論破したり、
揚げ足取りのような反論が目立つように思われ、不用意に発言できない
雰囲気なのです。
もちろん、本来「不用意な発言」自体すべきではないですが、以前どなた
かもおっしゃっていたように、考えを文章で表現して伝えるということは、
本当に難しいなと感じています。自分で何度も読み返しながら書いても(
今の私もそうですが)、誤解を与えてしまうことも少なくないでしょう。

そういうリスクも踏まえたうえで、(また以前の方の言葉をお借りしますが)
もう少し自由な発言が出来る場であっても良いのではないかと思います。
boroさんがこちらのトピを立てられた時の、「1」の書き込みを読む限り、
私はそう感じるのですが・・・

「ひと言」と言いながら長くなりました。大変失礼いたしました。

295Katsu:2003/09/26(金) 12:08
>>294
最近、発言するようになった私としては、気になるご指摘ですが、
パソコン通信時代から掲示板などに書き込んできた私としては、
考えを文章で表現するのは難しいということは実感しており、可能な
限り、文体や言葉遣いで判断するのではなく、何をおっしゃりたいのか
好意的解釈するように心がけているつもりです。

だからこそ、疑問に思うことは、問うべきだと思います。でないと
かみ合わない議論になるでしょうし。

後、大事なのは、カチンと来るような反応であっても、それは、
そういう風に受け取られる表現だったと自省することで、対処
するようにしています。

296辻風:2003/09/26(金) 12:18
>>295
俺も頭にきすぎて、未熟者なのに出しゃばってしまいました。すみません。
もっと勉強してから発言するべきでした。

町中でなぶり殺しがあふれるより、死刑の方がマシ、と思ったので・・・

297人権:2003/09/26(金) 16:39
胡桃さんへ:
どうしてそんなに感情的に反発されるのですか。
「死刑の存在だけが犯罪の起こる原因ではない」などとは一言も言っていませんよ。
発言してもいないことを取り上げてどうこう批判するのはフェアじゃない。

これ以上申し上げてもまた「理解していない」と仰るでしょうから控えます。
<縁無き衆生は度し難し>

298人権:2003/09/26(金) 16:53
一言だけ。
交通事故の件はそもそも281の方の書き込みに端を発しているわけですから
御本人に伺った方がすっきりするのでは。小生を問い詰めて論破してもあまり
意味が無いというか・・・

299胡桃:2003/09/26(金) 18:16
>どうしてそんなに感情的に反発されるのですか。

どうして感情的だと分かるんですか? 私はいたって冷静ですよ。それに感情的に
反発したとしてそれが何なんですか? 感情的になってはいけないんですか?
感情的だと勘違いされるような書き込みもしていないのにそういう言い方は
どうかと思います。

>犯罪の増減には様々な要因が関っているのですから、死刑制度
の有無だけが決定的なものではないでしょう。

同じこと言ってますよね。死刑制度に限定して話をしているのに
こういうのはどうかなと思います。どこか論点がずれていることを
言っていることに気がついていないのであればこれ以上話しても無駄でしょう。

>小生を問い詰めて論破してもあまり意味が無いというか・・・

論破? 私は貴方と議論したつもりはないです。疑問に思ったことを
そのまま書いただけです。誤解のないように。

300草田男:2003/09/26(金) 21:22
喧嘩腰の発言は止めましょう

301草田男:2003/09/26(金) 21:23
本人がそのつもりはなくても相手がそう思うのなら控えるべきです。

303小夜子:2003/09/27(土) 11:15
池田小児童殺傷事件の宅間守は死刑になりたいために犯行に及んだと考えていいのでしょうか?
死刑になりたいためということが本心なら死刑制度はやはり考え直す必要がある時期にきていると思います。
こんな事件はめったに起こらないから、ということで済ませていい問題でもないように
思ったりします。法務省としてはもう少し様子を見てみたいといったところなのかも
しれませんが、、、、、。

304st:2003/09/27(土) 11:39
>>303
逮捕直後の彼の発言には「自分はどうせ死刑にはならない」とか言っていた
という報道も見ましたし、過去にも彼は何度か傷害事件等起こしていますが、
精神病者として刑罰を免れています。恐らく彼は強度のソシオパスで、少な
くとも逮捕前後までは、自分は世間をだしむいて死刑を免れると思っていた
可能性があるように感じます。

ただ、現在の彼の心情はどうなのか、僕にはちょっと図りかねます。本気で
死刑を恐れていないのか、悪役として最後を迎えるためのやせ我慢なのか、
いずれにしても改悛の情は今の所全く見せていないらしいですが、、、
皆様はどう思われますか?

305山口虎美:2003/09/27(土) 15:10
st氏のおっしゃるとうり、刑法を独学したり、精神科への逃げ込みなどから、精神
分裂もしくは心身耕弱と判断され死刑は免れると本人は思っていたかもしれません。
だから、1審の死刑判決を受ければ、即日控訴するだろうと思いました。大方控訴
は間違いないと思っていたのではないでしょうか? でもしなかった。
でも、なぜ控訴しないのか?と言う事よりも、なぜあれだけの児童殺傷事件を起こ
したのかという明確な、犯行に至る心情を掴めていない事のほうに疑問が残ります。
当然、常人では想像できないような精神状態になっているのでしょうが、何か、
「ああ、そうだったのか」というような直接的な動機が隠れているのかもしれない
んですよね。範疇分けすれば、「快楽型」というわけでもなく「激情型」のはず。
激情型であれば、明確な犯行に至らせた「動機」があるはず。
話は逸れましたが、「自暴自棄」の極型が今の宅間受刑者だと思います。
彼とコミュニケートできる人間がもしいたとしても、止める事は出来なかったので
はないでしょうか?

306人権:2003/09/28(日) 03:04
別段感情的になっていけないとは思いませんが、論点をそらしている
という御批判は如何なものか。

貴殿は以前にも「事実はこうだと言っているにも拘らず人権とやらは
同じことばかり繰り返している」と批判されていましたが、仰るところの
「事実」というのはあくまでも貴殿がそう判断されたものであって、
見方が異なれば必ずしも事実かどうか判らないのではないですか。

もちろん小生の主張していることもあくまでも個人が判断した結果に
過ぎないわけで、普遍的な真実とは限らないことは言うまでも無い。

「ずれている」のであれば是非具体的に御指摘願えませんか。
この掲示板は確かに議論することだけが目的ではないと思いますが、
時として議論になってもそれはそれでかまわないのではないかと思って
います。

307Kyle:2003/09/28(日) 04:15
このスレッドの初期に、ふと思いついた個人的な疑問を投稿したところ、
“(思考が)ズレている”と指摘されまして書き込みを控えてきました。
それはそれでもうよいのですが、
ちょっと気になる記事を見かけましたので再度書き込みさせていただきます。

このスレッドでも紹介された『死刑執行人もまた死す』というサイトです。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/index.shtml
皆さんもすでにご覧になられたかと思いますが、
このサイト内のあるページに、補足として
“倉田靖司 「イギリスにおける死刑廃止」 研修 565号 58-59頁 (1995年)”が取り上げられ、
それによると、
“ホミサイド(謀殺、故殺、嬰児殺)認知件数の人口100万人あたりの人口比すなわち「発生率」は、
死刑廃止から1993年までの23年間で6.8から11.8へとおよそ倍近い伸びを示している”とのことです。
同時に、それ以外の犯罪も今日まで増加の一途を辿っており、
このサイトの管理人曰く「全国の刑務所は過剰収容に苦しみ、
市民は犯罪被害への恐怖にいらだち、
各政党は犯罪対策を重要な選挙公約に位置づけざるをえない状況になっている」そうです。

また、イギリスにおける死刑廃止から現在にいたるまでの流れを見てみると、
1965年の期限付き死刑廃止法案Murder Act(通称“65年法”)可決から、
1969年の正式な死刑廃止、そして1998年「犯罪および治安紊乱法」の制定によって
名実ともに死刑全廃にいたるまで、ほぼあらゆる時期において国民および一部の議員は
かならずしも全面的に死刑廃止に賛成しているようには(僕には)思えないのです。

もちろん、だからと言って
これらがただちに死刑肯定の理由になりうるとは思いません。

しかしながらわが国の一部の政治家および死刑反対論者の方々が言われる、
「死刑制度をなくしても犯罪の発生率に変化がなかった」という意見の根拠は
どこにあるのだろう、と――
また“EU諸国の市民のアンケートで現在の死刑廃止の状態に賛成が多数を得た”という情報に対しては、
“本当に!?”と、僕は(ふたたび)ふと疑問に思ってしまったのです。
それとも、僕がここに書いたイギリスの犯罪発生率や完全廃止に至るまでの経緯等は
まったく根拠のないモノもしくは誤り(?)として遠の昔に否定されたことなでしょうか。

僕個人は(以前も言いましたように)現状におけるわが国では死刑存続やむなしと考えています。
その理由は、こちらで皆さんが述べれているものとほぼ同様です。

どなたか僕の疑問に答えてくださる方はいらっしゃいませんでしょうか。
マチガイならマチガイで、かまいませんので。
長文レス、失礼いたしました。

308Kyle:2003/09/28(日) 04:26
>>307
訂正
“皆さんが述べれて”×
“皆さんが述べられて”○
失礼いたしました。

309人権:2003/09/28(日) 16:41
Kyleさんへ

以前ある日本人に殺されたイギリス人女性の事件で投稿したことが
ありました。彼女の父親の記者会見での発言「冤罪の問題等がある故
一般的には死刑に反対だが、娘を殺したのがこの○○であると疑いの
余地無く確実に証明できるのであれば今回に限っては死刑を望む」
を取り上げて少々書き込んだように思います。

結局この方(ブラックマン氏でしたか)も死刑に賛成していることに
なるわけでしょう。かといって廃止論者がすべて氏のように自分自身
に降りかかってきた時に容認論者になってしまうとも断言できないと
思いますが。

すでに書いたかも知れませんが、アムネスティ等が死刑執行の度に
抗議声明を出して「国家権力による殺人行為」を非難しています。
いつも思うのですがあらゆる殺人を認めない立場から廃止を主張
されるのであれば、私人間の殺人行為についてもそれを確実に
減らすことができ最終的にはなくせるような具体的な施策・方法が
示されなければ不公正だと思うのですが・・・。でなければ被害者の
生命は保証されないが、殺人犯の生命は如何なる場合でも保証される
ことになるわけですから。

310人権:2003/09/28(日) 23:33
私もこの前「死刑執行人もまた死す」内の補足(Kyleさんの仰っている)
を読みました。Kyleさんの疑問はもっともだと思います。そのデータが
充分信頼するに足るものか否かは私には即断できませんが、少なくとも
全否定はできないのではないでしょうか。

311トシ:2003/09/29(月) 16:37
みなさまはじめまして。
とても興味深い内容だったので思わず書き込みさせていただきました。
僕も死刑制度には賛成なのですが、最近無くていいのか?またはない方がいいのか?
と、凶悪犯罪の裁判などを見る度考えるようになりました。
先日の裁判での遺族の言葉で「生きる価値も無ければ、死ぬ価値もない」と言っていたこと。
なんだかいろいろ考えさせられます・・・。

312正義漢:2003/09/29(月) 21:32
私が初めて死刑(制度)について身近に感じたのは、加賀乙彦さんの書いた「宣告」を読んだ高校1年生の頃でした。その時に感じた死刑に対する捉え方は20数年たった今もあまり変化がありません。その時私は死刑に処される一人の男の側に立った感じ方をしたように思います。この「宣告」という小説のテーマは犯罪を犯した人間の人間性の回復だったと記憶しているのですが、私には「死」を恐れない境地に至った主人公と自分を重ね合わせることができず、「死刑になるのはイヤだ」というかなり単純なものでした。みなさんの意見とはちょっとずれている書き込みですが、極私的な「死刑制度に関する一言」です。

313ケン:2003/09/29(月) 22:44
人が作ったルールから逸脱している人に対しての刑罰の一つとしてある死刑という制度。
考えてみれば、それは自然界の中でも特別珍しいことではないはずです。
群れのルールから逸脱した行動をとる存在は群れから排除されることは珍しくありません。
単純に強者から捕食され搾取される場合もあることでしょう。

凶悪犯罪に対して行われる制度、「死刑」を刑罰として考えるから結論が出にくいのではないでしょうか?
そのものが隣人として存在することが許されなければ、それは排除されて当然のように思います。
こう書くと他の人からは「人は動物ではない」と言われそうですが、私にはそんなに差があるとは思ってません。

私にとって死刑は、死を持って償うのではなく、
隣人として許されない相手に対して行われる罰と考えます。

314人権:2003/10/10(金) 01:09
群馬の女子高生拉致殺害事件の判決が出ましたが
「計画的でない」「被害者が逃走するなど予想外の状況で起きた
偶発的な犯行」などとして結果は無期懲役。

「犯人が人を殺すのは簡単だが、国が人を殺すのは難しい」との
釈明。言い訳するくらいならそのような判決を出さなければいいのでは。
正に被害者の父親が仰るように「犯人の命の方が大事なのか」と言いたく
なります。

「被害者が逃走」しようとするのは当然でしょう。まるで被害者に
落ち度があるかの如き発言ですね。

「謝罪している」「反省を期待する」とも言っているようですが
釈然としない思いが残ります。

315loveless:2003/10/11(土) 02:49
>>314
裁判長が変な言い訳をして、後を濁してしまいましたが、
最近の日本の判例を見ても、極刑は難しいかなと感じました。
司法の公平性は、何よりも重んじられるものと思います。

とわいえ、、
思えば、「国立主婦殺人事件」の検察側の上告が最高裁で棄却された時点で、法曹界では、
被害者が1人の場合はどんな残酷な事件であっても極刑とすることはできない、
というような変なコンセンサスができてしまったのかなあと思っています。

いちおう、最高裁は、被害者が一人の場合でも死刑がありうる
との判断も示したらしいけど、この国立の事件より残酷な事件は
そうそう無いような気が。。。

316一生活者:2003/10/11(土) 09:26
>>314,315
群馬女子高生拉致殺害事件判決と同じ日に死刑が求刑された、
三島女子短大生焼殺事件の判決が気になりますね。
新潮45でルポを読んだのですが、事件のあまりの残虐さ、悲惨さに衝撃を受けました。
被害者の受けた恐怖感、そして被害者家族の憎しみや悲しみは、判決に反映されるのでしょうか。
被害者の人数のみで極刑が回避されるというのは、納得できないのですが・・・。

317人権:2003/10/12(日) 00:53
結局「判例」と「相場」によって決められている面があると思います。
(一説では求刑の8掛けだそうです)
316の方の言われるような<恐怖感><憎しみや悲しみ>は
むしろ「理性的な判断を妨げる」として忌避されているように感じられ
ます。法曹界の方々は<情>というものを非常に嫌悪されるようですね。
(少なくとも量刑判断する場合にはという意味ですが)

今回のように殺されたのが1人であっても身代金目当ての誘拐殺害事件
の場合従来は死刑が選択されることが多かったように記憶していますが
「計画性がなく、偶発的」だとの理由で無期になったのかも知れません。

もちろん、殺された方にとっては「計画的」であろうとなかろうと
何の関係もないわけですが・・・

318無常:2003/10/12(日) 12:27
 はじめまして。
 団藤先生の『死刑廃止論』を第三版の頃から読んでいます。
著者が最高裁判事で陪審として死刑囚の上告を棄却した折、傍聴席から飛んだ
「人殺し!」という声から模索がはじまったという名著です。
被害者になって殺されるという立場や、被告人になって死刑宣告を
受けるという立場に立つことも稀有なことですが、裁判官にまでになって
「人殺し」呼ばわりされるのも、一般人には想像を絶する世界だと思います。 

 今の世界が欧米の価値観を一応『主流』とみていて、
その根底はキリスト教博愛主義から出た自然権思想ですよね。
日本の法律は憲法も刑法も刑事訴訟法も、ルーツは英米や
ドイツから持ってきたもので、憲法の根本的価値なんか正に自然権
思想そのものだと思います。
 いくら明治維新、大戦後と欧米の価値観を取り入れて社会を構成しても、
あちらのように、神様はただ一人で真実は神のみぞ知るという考え方は、
日本人には中々受け入れがたいのではないでしょうか。
 真実は所詮人間には分からないのだから、人間はせめて手続きだけ
精一杯やろう、というあの精神は特に。
「犯人が人を殺すのは簡単だが、国が人を殺すのは難しい」という言葉は、
日本人でありながら、法律に則して制度を扱わねばならぬ裁判官の叫びにも聞こえます。

現状が裁判は仇討ちの場でない以上、裁判制度に応報観念を持ち込んで
議論しても、あまり意味のないことだと思います。
では「野蛮国」と呼ばれようと江戸時代に戻って、日本独自の価値観で
社会を構成し直すといっても、それももはや無理でしょう。
ここまで浸透した欧米文明・文化をすべて捨て去る決意は私にはできません。

結局のところ、大半の日本人にはいまいましいキリスト教博愛主義『汝の敵を愛し、
迫害する者の為に祈れ』ってやつと折り合いをつけるしかないのではと思っています。
かの考え方では、犯罪者の命も被害者の命も優劣はなく等価値であり、苦楽生死
等しく感謝なのですから。(その辺は仏教の無常思想とも通じますね。)

 なお被害者感情、『犯人を殺してやりたい』という遺族の気持ちは、
人間らしい自然で当たり前な感情だと思います。ただ、第三者は
内心の想像に留めて外にこれを語るべきではないと私は思います。
死刑が議論されるような犯罪は、そもそも想像をはるかに超えたところにある事実ですし、全く関係のない他人が事件の加害者に憎悪を掻き立てたところで、被害者やその近親者が癒されるわけではないと思いますから。
 自分にできることといえば、こうした人たちの悲痛な叫びを黙して聴き、
悲しみを共有することくらいではないかと思うのです。

319人権:2003/10/12(日) 13:44
無常さんへ:

「日本人でありながら、法律に則して制度を扱わねばならぬ」
とは、つまり日本人には法治主義はなじまないという意味ですか。
キリスト教国以外の人間は法というものの精神が理解できない
と仰りたいのでしょうか。

本当に欧米諸国では「犯罪者の命も被害者の命も優劣は無く
等価値である」と考えられているのでしょうか。
小生は欧米の事情には疎いですが、例えばアメリカはどうなんでしょう。
廃止論者の方々からは「死刑大国」と呼ばれているように死刑制度が
存在していますよね。一口に「欧米」とは言えないのでは?
貴殿の言われる「欧米」とは端的に言えば「EU諸国」ということでしょう。

「全く関係のない他人が加害者に憎悪を掻き立てたところで、被害者
やその近親者が癒されるわけではない」
第三者は議論してはいけないということでしょうか。
確かに情緒的な議論は避けるべきですが、自分自身が被害者・加害者
になった場合を想定して発言するのは別段問題ないと思いますが。
そもそも「被害者が癒される」とは?どうすれば本当に「癒される」
のでしょう。

貴殿のお考えでは、結局のところ日本がキリスト教の価値観を受け入れ
ない限りこの問題の解決はないという結論になってしまうのでしょうか。

320人権:2003/10/12(日) 13:58
追伸:

別に無常さんを論破するとかそういったつもりではなく、ただ
非キリスト教徒としての素朴な疑問を書き込んだに過ぎません。
御寛恕のほどを。

321無常:2003/10/12(日) 22:25
人権さん。ご質問ありがとうございます。
私も非キリスト教徒です。神道、仏教を含め特定の信仰を持っていません。
これは私の悩みで、答えは持っていないのですが、
素人が趣味で法律の勉強を始めたら、すればするほど
欧米と日本の価値観に差があるように思えたのです。勿論私は、の話で
他の方々がどう感じるかはそれぞれだと思います。

 言葉を選びますが、欧米のいう法治国家つまり法の下の平等という考え方には
私を筆頭に私の周囲の人には馴染み難いと思うのですよ。
決して馴染まないと断言はしません。
大陸法、英米法に共通するあの自然権思想も理解しにくいと思います。
理解できないとは思いません。ただ彼等よりは疎いし遠い存在だと。
勿論、キリスト教徒の中にも異教徒排除の歴史はありましたし、彼らすべてが
博愛主義だなんて私も思いません。今日彼ら、特に米国を見ても明白ですしね。
 
 米国は州によっては廃止州もあるので何とも言えません。
死刑に立ち会う遺族もいれば、死刑囚と和解を進める遺族もいて
あの国らしいなぁとは感じます。

 色々解釈があるとは思いますが、例えば例の児童殺傷の死刑囚と自分の命が
等価値だと言われたら、誰だって冗談じゃないと反論したくなると思います。
 立つことも歩くことも喋ることもできない重度の障害者と、バリバリ仕事を
こなして稼いでいる人の命が等価値だと言われたら、これも別の意味から反論が
あると思います。でも、キリスト教の根本精神では等価値です。
「神の目には罪は見えぬ、唯人が見えるのみである」
「罪を憎んで人を憎まず」「私にとってあなた方すべてみな等しく素晴しい」
こういう思想、つまり人間は存在するだけで価値があるという考えですから。
あの神様は最終的に人間に優劣をつけないのですよ。
私もそんな考え方本当のところ自分が理解しているとは思っていません。
 また、もしすべての人間がこんな価値観を実践したら、それこそ人間=神様に
なって法律も不要になると思います。
でも、この価値観を内に持っている人が多いか少ないかで、随分と社会の
様相も変わるのではないかと思います。

 自然の中に八百万の神様が存在してきた日本の考え方に則して、法治国家
をつくることは可能だとは思いますが、おそらくイスラム法のように、米国
や欧州からは理解してもらえないでしょう。彼らの実際はそこまで博愛でも
寛容でもありませんからね。
 私にはとてもそうした日本固有の価値観で社会を構成しなおすことは
是非はともかく、ちょっと具体的に予測できません。
(続きます)

322無常:2003/10/12(日) 22:27
第三者は議論してはいけないとは思いません。死刑の存置、廃止については
大いに議論したらいいと思います。ただ被害者感情に自ら立ってということで
議論するかしないか、と言われたら私はしないほうを選択する、それだけです。

被害者がどうすれば癒されるのか?
被害者でもない私が軽々に論じてはならないことを前提に、敢えて考えると
私は加害者が死刑になっても、世間が同情してくれても決して癒されないと思います。
奪われた命は元に戻ってこないのですから。

そして怒りや恨みをおろさない限り、心の平和は訪れないと感じています。
多分、そこまで至るには他人には想像もできない苦しみがあると思います。
でもアメリカには加害者と融和するための遺族団体があるのをご存知ですか。
日本でも富山長野連続女性誘拐殺人事件で娘を奪われた母親が、
娘の命を奪った死刑囚の加害者との交流を通じて、死刑廃止を訴えています。
神戸須磨児童連続殺傷事件で愛娘を奪われた母親の手記は、最後は「加害少年を
抱きしめる」で締めくくられています。

一方でそういう遺族の方もおられるのです。
彼らの話を聞くと、憎悪の中で狂ってしまいそうになり、このままでは自分も
残された家族も崩壊するという八方塞の状況に至って、初めて犯人を赦す道を
選択したといいます。「赦し」を「許し」と混同されるむきもありますが、
「赦し」とは決して譲歩して大目に見ることでもなければ、無かったことに
することでもありません。その原点は、これまた相手を等価値の人間として
認めることだと思います。

大変困難で勇気のいることだと思います。
お前の肉親の命が奪われて犯人に対し同様の感情を持てるのかと問われれば、
私は持てない可能性のほうが高いと答えると思います。
でも、「加害者をこの手で殺したい。」と呻く遺族と、加害者を赦す道を選択した遺族を
比べて、どちらが癒されているのかと問われれば、後者であると答えざるを得ません。

 以上、無力な自分が偉そうに私見を述べさせていただきました。
人権さんの素朴な疑問は、私の中にも沸々と存在しているものです。
ですから答えになっていませんが、お互い何かヒントをつかめるといいですね。
文中に出した書籍を記しておきます。もし未読でしたらご参考までに。

団藤重光『死刑廃止論(第六版)』有斐閣
刑法の大家、団藤先生の本。法律の知識がなくても読めます。存置、廃止両論者に有意義な内容だと思います。
彩花へ ― 「生きる力」をありがとう, 著者 山下 京子. 発行 河出書房新社
ベストセラーですね。とにかく凄い内容の本でした。

323人権:2003/10/13(月) 02:23
無常さんへ:

丁寧な御回答ありがとうございます。傾聴すべき御考えだと思います。

確かに欧米の思想・理念を今更否定するのは現実的ではないでしょう。
小生自身の価値観の中にも厳然として存在します。
ただ、「神の前の平等」と言われますが、仏教においても「仏の前
では全ての人は平等」とされますし、イスラムでも多分そうではないか
と想像します。

「欧米と日本の価値観には差がある」のはその通りでしょう。
でもそれはあくまで<差・違い>であって、どちらかが<上>で
どちらかが<下>というような<優劣>の問題ではないでしょう。

「いまいましいキリスト教博愛主義と折り合いをつける」
「米国や欧州からは理解してもらえない」
キリスト教的価値観を高く評価される(と少なくとも小生には思える)
貴殿の見地からすれば当然の発言でしょうが、「理解してもらえない」
のは専ら日本人のせいなのでしょうか。ひたすらこちらが理解しなくては
ならず、一方欧米人の側で理解する努力は必要ないのでしょうか。

貴殿は些か欧米的価値(=キリスト教文明)を高い次元に置きすぎる
ように感じられます。
上でも述べたように我々もその恩恵を蒙っていることは否定でき
ませんが、その他の価値・文明をやや低く見なされているように
思われますが・・・

現実問題として敢えて単純化していえば、廃止論とは
「殺される方(=被害者)の命は保証できないが、殺す方(=加害者)
の命は必ず保証する」
こういうことになるでしょう。よく廃止を唱える方々(例えばアムネスティ
等)が「国家が人を殺さない社会」「人が殺されない社会」を目指す
べきである、と言われます。

でも、ではどうすれば「人が殺されない社会」が実現するのか一向に
実効ある具体策は示されません。これでは不公正ではありませんか。
(続く)

324人権:2003/10/13(月) 02:49
法律を学んでおられる貴殿は既に御存知のことでしょうが、死刑制度
の問題に限らず、我が国の刑事司法においては被害者が全くといっていい
ほど司法の現場から排除されています。裁判一つをとってみても、
公判の期日すら通知されない、いつ服役を終えて出所するのか等の情報が
被害者側には知らされない(通知されていれば防げた可能性大の殺人事件が
ありました)、法廷においても単なる傍聴人として正に「傍聴」するしか
なく、被疑者の供述調書を見るためには別に民事訴訟を起こすしかない等等
被害者の権利が蔑ろにされています(最近になってようやく多少は改善され
てきたようですが)。

廃止された国々ではこのあたりのことにも相当配慮されていると
聞き及んでいます。
このような状況を改善することなしに、廃止だけを主張されるのは
あまり説得力はないのではありませんか(無常さんがそうだと言っている
わけではありません)。

325人権:2003/10/13(月) 03:09
無常さんの仰る「赦す」ということは小生にも少しはわかるような
気がします。

でも、どうして既に嫌というほど残酷な目に遭って打ちひしがれている
被害者側にばかり崇高さを求められるのでしょうか。
加害者にも同等いやそれ以上のレベルが求められるべきではありませんか。
どんなことをしても癒されないとするならば、せめて極限までの正に
死ぬほどの努力・苦闘が殺した側に求められてしかるべきだと思います。

アメリカの例を引用されていますが、所謂「修復的司法」のことでしょうか。
小生も賛成です。ただ、その実現には相当の困難が伴うことが予想され
ますが。

先にも述べたように、論破するなどと構えているわけではなく、無常さん
も仰っているように何かのヒントでも得られればと思っているだけです。

326無常:2003/10/13(月) 18:12
人権さんへ。
ご意見ありがとうございました。人権さんのご趣旨はよくわかります。

全ての人は平等である、という思想はイスラムにも
仏教にも共通しているのは知っています。私にはその中でキリスト教が最も身近でした。
私もこの時代に生まれ育った人間ですから、欧米の価値を優位に置いていると思います。
疑問は持っていますが、それが一応世界のスタンダードであると。
どこかである程度その価値に身を委ねなければ、今の世界で国家も個人も不利益を被る。
そう考えているのでしょうね。これは私個人の限界です。優劣をつけているように
みえたらお詫びします。

もし死刑が廃止されるならば、人権さんのおっしゃるとおり単なる廃止だけでは問題は
済まないと思います。存置にしても廃止にしても、周囲では沢山の仕組みが
用意されなければなりません。これは大事なことだと思います。

『被害者と加害者の人権をシーソーの両端にのせて比べてはならない。』
私はこう教わったとき、どうして?と思いました。
殺された人と殺した人は、命を奪われた、奪ったという関係なのだから
同じ土俵で人権を比べて何が悪いと。今でも心のどこかでそう思っています。

被害者の人権は加害者に侵害され、
加害者=被疑者・被告人の人権は国家権力によって侵害される。
人権の侵害主体が異なるものを比べても、例えばお湯による火傷と
炎による火傷のどっちが熱いかを議論するようなものだというのです。

私が法律論という理屈では人間の心の傷は救えないなと感じる所以です。
(続く)

327無常:2003/10/13(月) 18:13
人権さんのおっしゃる「修復的司法」も含めて、これからは被害者を
社会全体で支えてゆく仕組みが必要だと思います。
私自身は犯罪被害者の救済は司直とは別の分野、例えば医療、心理、宗教、など
被害者とそれをサポートする人々によって為される方が有効だと思っています。
癒しは国家機関よりも民間のあまり経済性に拘らない組織がして、国家はそれを
経済面のみで援助する、それが相応しいような気がしています。
癒しは他人によってはなしえず、自らによってのみなしうると思っているからです。

昔、京都の禅寺であるお坊さんが
「教育というものは、自分に対してしかできない。」と話しているのを聞きました。
被害者の方に崇高なものを求めているように見えたら、それは私の傲慢です。
被害者の方が憎悪と怨恨に苛まれるのは当たり前です。それを赦しが救うかどうかは
被害者自身の勇気と選択によるものであり、私のごとき第三者が求めるのは
まことにおこがましいことだと思います。
ただそういう方もおられるという事実に、私は勇気をもらいます。
人間の強さを感じます。でもだからといって弱い人間を卑下するつもりは
毛頭ありません。私もその弱い人間のひとりですから。

328無常:2003/10/13(月) 18:16
私の大前提は、加害者も含めて「他人は変えられない」です。
そのうえで、自分には何ができるか。それを考えたいと思っています。
あれだけのことをしたのに、これだけのことをしてやっているのに、
という「のに」言葉を私は使いたくありません。(勿論他人が使うのは自由だと思います。)
私の場合、「のに」が出ると見返りを期待して行動している自分に辟易してしまうのです。
(勿論他人が見返りを求めて「のに」を使っているなどとは思いません。
あくまで自分自身の内の問題です。)
加害者が過去を悔悟し、贖罪の意思をもって更生して欲しいと心から願いますが、
結果について自分は評価する立場にないと思っています。

自分にできることはただ、自分の無力を認め、投げ出すことなく努力すること。
それだけだと思っています。

こうして私見を述べているのも、人に意見するというよりは
自分の頭の中を整理したいからなのかもしれません。

存置論も廃止論も、犯罪を少しでも減らし世の中の幸福を少しでも増やすことを
願っていることにかわりはないと思っています。
人間は成長し、そういう未来に向かって僅かでも前進していることを信じています。

(すみません、ひとつ上にレスしてしまいました。長々とごめんなさい)

329loveless:2003/10/16(木) 01:46
無常さん、人権さんの議論の中でひとつだけ気になった点がありました。
それは「すべての人は平等である」という思想についてです。

このスレでも、死刑存廃問題は宗教観が根底にあるのでは?と
疑問を持ったこともあり、この平等思想についても各宗教で違いが
あると思っています。

キリスト教では、人が平等なのは、唯一絶対の存在である神から
等しく命を与えられたということに起因していると思います。
この思想を発展させ、神から与えられた権利は神以外が冒すことが
できないという発想、すなわち、生まれながらにして人はみな
等しく人権を持ち何人も侵すことができないという近代的基本的人権
の発想へとつながるものと考えます。

一方の仏教では、人が持って生まれた魂は平等であり、
人はみな(悪人や女性であっても)精進すれば解脱して仏になれる
というものだったと思います。逆説的には、魂は平等であるけども
人は前世からの宿縁により、美醜や才能、身分、財産などの差が生じてしまう
こともまた受け入れざるを得ないというものだったはず(ちょっとうろ覚え)
また、たとえば、殺人などにより、ある人が殺されてしまった場合も
その人は前世からの宿縁により、その殺人者によって殺される
縁であったと説いていたような気がします。
(その人は殺されることで業(カルマ)を減らし、来世では現世より
 上位の存在として生まれ変わる。殺人者は逆。この辺りの仏教観に
 ついては、手塚治虫氏の「火の鳥」がわかりやすいです)
つまり、どちらかというと因果応報の考え方が強いのではと思います。

イスラムはよくわかりませんが、特に女性の人権についてはキリスト教
世界から考えると著しく人権を損なっていると考える人もいます。しかし、
彼らにとっては、コーランに定められた戒律は絶対のものであり、その中で
の女性の人権は彼らの中ではまったく問題ないはずです。

また、インドのヒンドゥーではカースト制度を基盤としているので、明確に
人々の人権に差があります。インドでは上位のカーストの人が下位のカースト
の人を殺しても罪が軽くなる傾向があると聞きます。

では、肝心の日本はどうかというと、、、
よくわかりません、この国の宗教観は 笑)
(織田信長が比叡山を焼き討ちしちゃったからなあ)

とにかく、人権の考え方やそれに付随する国家による個人への罰則
についてはその社会の宗教観が色濃く出ているように感じます。
ここを考えずに安易にアムネスティなどの意見に同調するのは
危険と思います。

330人権:2003/10/16(木) 03:18
無常さんとの意見交換を通じて私自身の認識も少しは深まったかな
と思っております。

無常さんも疑問に思っておられる<人権シーソー論>私も以前どこかで
読んだことがあり、その時も釈然としない思いがありました。
<加害者の人権は国家権力によって侵害される>
そうでしょうか。
「被害者を殺傷した時点でいわば自動的にそれまで保持していた人権
を失ったものと見なされる」
小生はこんなふうに考えていますが(多分法的には論理的でないの
でしょうが)。

確かに現行の刑事司法においては「加害者vs国家」という図式で審理
がなされており、そこには被害者の関る余地はほとんどありません。
<シーソー論>はこの図式を基本的には支持しているのでしょうね。

無常さんはそうではないと存じますが、廃止を唱える方々の一部には
必要以上に「国家権力」を否定的に見なされる方がおられるように
思います。確かに「国家権力の横暴」は存在しますし、それに対抗して
人権を守るための戦いが求められることもあると思いますが、ややも
すると過剰に敵視するかの嫌いが無きにしも非ずのように感じる時が
あります。

私も死刑という刑罰(残虐だとは思いません。自らが犯した罪業に
比べれば絞首刑が<残虐>だなどとはとても言えないでしょう)が
執行される必要のない時代が来ることを祈っております。

331しッド・ツェッペリソ:2003/10/18(土) 15:28
>329
横レス失礼。発言の主旨に異論などコメントを加えるものではありません。

>人は前世からの宿縁により、美醜や才能、身分、財産などの差が生じてしまう
>こともまた受け入れざるを得ないというものだったはず(ちょっとうろ覚え)
>また、たとえば、殺人などにより、ある人が殺されてしまった場合も
>その人は前世からの宿縁により、その殺人者によって殺される
>縁であったと説いていたような気がします。
>(その人は殺されることで業(カルマ)を減らし、来世では現世より
> 上位の存在として生まれ変わる。殺人者は逆。この辺りの仏教観に
> ついては、手塚治虫氏の「火の鳥」がわかりやすいです)
>つまり、どちらかというと因果応報の考え方が強いのではと思います。

仏教といってもいろいろありますが、ここで輪廻転生を基盤とする死生観は、「仏教」というよりもインド固有の死生観(ブラフマニズム〜ヒンドゥイズム)に由来するものと思います。
ブラフマニズム〜ヒンドゥイズムの主流が基本的に差別肯定に傾いたのとは逆に、仏教・ジャイナ教などがカーストによる差別を無意味だとしたのは確かです。
ただ仏教・ジャイナ教は修道に対する方法論を早くから合理的に確立しようという傾向が強く、
その観点から見ると「カースト」等の違いが修道にとって何ら本質的な意味を持たない、と考えたからこその「平等思想」だと思われています。
要するに「解脱の前での平等」といった感じですね。

>イスラムはよくわかりませんが、特に女性の人権についてはキリスト教
>世界から考えると著しく人権を損なっていると考える人もいます。しかし、
>彼らにとっては、コーランに定められた戒律は絶対のものであり、その中で
>の女性の人権は彼らの中ではまったく問題ないはずです。

よく言われる「一夫多妻制」その他の女性をめぐるイスラムの戒律は、夫を失った寡婦を男性による暴力や経済的困窮などから守ることが目的であったようです。
一夫多妻をする場合には、夫が妻の扱いに差別を設けることは禁じられています。妻たちに平等に愛情を注ぎ、妻たちの生活を保障できる力がなければ一夫多妻は認められなかったのです。
「肌を見せない」といった部外者には理解しにくい戒律も、性暴力から女性を守るのが目的だったと聞いたことがあります。
職業を制限するのも、事実上「売春」をできないようにするためだ、とかね。
自由と平等の名の下に社会的弱者をほったらかしにしておく欧米風「人権」などお笑い種だ、とイスラム圏の人が考えても不思議はないでしょうね。

332草田男:2003/10/23(木) 00:19
私が被害者家族になった場合絶対に加害者に死刑を望む。
この気持ちは変わらないと思う。
加害者が死刑になっても失われた命は帰ってこないが加害者が生きているという事実よりは
いい。
この考えが逆の被害者家族もいるのだから両方に対応できる体型にすべきである。

333loveless:2003/10/23(木) 01:06
>>331
補足ありがとうございます。おかげで理解が深まりました。
宗教は、哲学・文化にも直結しているので奥が深く難しいですね。
宗教観のいまいち定まっていない日本で、宗教が根付いている
国々との「人権」や「平等」意識をどこまで合わせる必要が
あるのか考えなければなりませんね。。。
(伊藤博文なんかもこの辺りで悩んだとか)

話変わって、、、
最近、無期懲役の判決が多いですね。

なんとなく、判事の側で、思い切って死刑にするほどの勇気は無いが、
有期刑だと世論の反発を食いそうということで、適当な折り合い
をつけているような気がします。
無期懲役だと、いまいち重い刑なのか軽い刑なのか判別不能な
ところがあってあいまいなので、司法の側からすると
便利な量刑なのかもしれません。
(うちの親なんかは、無期懲役=終身刑と最近まで勘違いしていた)

個人的には、こういうあいまいな刑は廃止して、終身刑や
上限無しの有期刑なんかに変えるべきと思います。

334はっさく:2003/10/29(水) 19:16
人が人を裁く。という行為はそれ自体が是か非かではなく、
先にも書いてありましたが、犯罪の抑止力になれば良いのだと思います。

死刑があっても犯罪抑止にはまったくなっていない現代において、
既に刑が軽いのでは?と思います。
ではどうしたら良いのかですが、自分で考えて何がいやかと考えると、
連帯責任で、その家系全ての死刑。とかでしょうか。

ただ、生まれが不幸で、親・親族を皆殺しにしてやりたいなどと考える
不届き物にはなんの効力も持たないので、考えが及びません。
だとしたら、かなり前のほうに書いてあった
地雷撤去が良さそうです。
死刑執行でカンボジアあたりに連れて行き、
草原を全速力で走ってもらって地雷1つを自分の体を粉にして撤去。

良いことをした後なら、いい死に方ですね。
糞野郎な奴らもイイ顔して死んでるのではないでしょうかね。

335loveless:2003/10/30(木) 01:29
>>334
駄レスですが、、、
対人地雷は、一般的に殺傷能力が低いです。
大体、大人のひざから下を吹き飛ばす程度の火薬しかありません。

理由は、戦場では人を何人殺すかよりも、何人戦闘不能にするかが
問われます。殺すほどの炸薬量だと戦闘不能になるのは一人だけ
ですが、重傷程度の炸薬量だと、仲間が助けなければならないので
戦闘不能になるのは3人程度になります。

ただし、このような地雷の場合、朝鮮戦争の人民解放軍のように
兵士たちが地雷を全く無視して突撃する場合はほとんど有効
でなかったりします(彼らは隣の兵士が吹き飛んでも気にせず
突っ込んだとのこと。。。僚友が倒れたら介抱するというのは
西洋文化では当たり前でも、東洋文化ではそうではないかも)

ですから、はっさくさんは身一つで地雷一つとコメントして
いますが、身一つで3つ4つはいけると思います。

ま、冗談はさておき、現実問題として、このような凶悪犯罪者
を他国へ輸出するような行為は国際的にも受け入れられない
ものと思います。

日本は日本でなんとかするしかないわけで、国際的にも問題
なくて、死刑(絞首刑)より重い刑というのは仮釈放なしの
重労働終身刑くらいしか思い浮かびません(国際性を無視すれば、、
釜茹での刑とか逆さ磔の刑なんかは相当キツイですな)

絞首刑を最高刑罰とするのは、特に問題は無いと思いますが
333でも書いたようにそのすぐ下の量刑が問題と思っています。
しかも明文化されているわけでもないのに、実質被害者一人
では死刑判決を出していないというのは、ある程度抑止効果を
失っているのではないかと思います。

336st:2003/10/30(木) 04:15
>>333,334
ここに限らずあらゆる所で出ていますが、死刑制度そのものに犯罪抑止効果
があるかどうかは判らない、というのが僕の理解です。今のところあるとも
言えないし、無いとも言えない。だからその効果を今後研究していくのは意
味あるかと思いますが、そんな不確かな効果の有無を仮定して、それを根拠
に死刑の存続・廃止を議論するのは無意味だと思います。

337NK:2003/10/30(木) 04:23
服役中の人間ひとりに対してかかる経費・税金が月/22万だと昨日テレビでみました。
納得できません

338たん:2003/10/31(金) 17:00
うん、7万人も入ってるんだってね。
僕が住んでる市の人口がが4万5千人だからすごい数ですよ
だって東京ドームに入り切らないもんね。
そんだけの人間を食わして、見張って、教育する、莫大な金がかかる訳で。
なにか有効な使い方はないんでしょうか

339黒たん:2003/10/31(金) 21:14
>>337,338
えっ、なにそれ!ホントですか?
・・スミマセン、ビックリしてしまいました。
我々の税金が使われているんですよね、それっておそらく。

でも、我々の税金とか膨大な金額とか・・金の事どうこうを言うつもりはないで
すけど、それが本当に有効に使われているのか疑問ですね。衣食住と言う意味
もあるけど(ここでこの言い方って相応しいのか否か分かりませんが)それ以
上に服役囚の更生の為に、本当に役立つ使い方をしているのか、という・・。
所謂「死に金」としているのではないか、という・・。

340Sutera:2003/11/03(月) 23:29
死には死をもって償うべき・・・だと思います。
ただ死ぬより辛い事もあるとは思うんですが。
難しいですね。

341coco:2003/11/03(月) 23:51
>死には死をもって償うべき・・・

単純だなあ〜。

何も言う気になれないですね・・・。

342:2003/11/04(火) 13:41
ただ死ぬより辛い事もあるとは思うんですが。>340
あります、自分の子供や家族の命を意味も無く奪われた時ですね、
子供の命を奪われた親は自分が死ぬ事より苦痛を感じるでしょう、
それは犯人を死刑にしたからって半分も癒されないとおもいます。
でも、それでもなお、犯人に死刑を求めるのはあたりまえでしょ。
341>決して単純ではないですよ。

343黒たん:2003/11/05(水) 21:01
>>342
そうですよね。何の理由もなく自分の身内の命を奪われたら・・やはり、極刑に
してくれって思いますよね、きっと。もし某かの背景とでも言いますか、経緯
があったとか、第三者的な眼で見て「この程度じゃ・・」っていう殺され方(っ
て言い方おかしいと思いますが)だったとしても、同じように感じるんじゃな
いかと思います。たとえ極刑に処したって、亡くなった者は還っては来ない、
遺された者の心は癒えないってことは分かっていたって。
極端な話、こんな言い方は善くない&本当にやってしまったらお終いですけど、
復讐してやりたいとか、同じ目に遭わせてやりたいとさえ思う事だって・・ある
んじゃないかな。物騒な言い方でスミマセン。
でも、自分の愛する者の命を理由もなく奪われたら、そのぐらいの気持ちにな
るんじゃないかとも思うのですが・・。どうかなあ?

344人権:2003/11/06(木) 13:53
先日も死刑執行に対する抗議声明がアムネスティ等から出されていまし
たが、考えてみればこれは司法が下した判断を否定することになるような
気がします。もちろん司法の判断が常に正しいとは限りませんが。

このサイトからリンクしている廃止論のサイトを時々見ていますが、
そこでは、死刑囚の人権を強調する一方で犯罪被害者の存在がどうも
希薄なように思います。
「被害者の人権」を持ち出すと「それは感情論だ」「復讐の論理だ」等
の批判が返ってくるような雰囲気が感じられて、残念に思うことがよく
あります。

死刑の「残虐性」を訴えるのであればその前にその殺人犯が被害者に
与えた(であろう)「残虐」さをも示すのでなければ不公正だと思い
ますが・・・(残虐性などというものは多分に主観的な概念ですから
結局水掛け論に終わってしまうのでしょうが)。

345:2003/11/06(木) 16:16
私も独身の頃は、というより自分の家族を持つまでは、死刑の廃止について
ほんのすこしですが共感する部分がありました。
今は違います、凶悪な事件報道を見るたび他人事に思えなくなってます。
事件にあった被害者側の人間が中心に活動してるのであれば、すこしは
説得力があるようにおもいますけどね。

346loveless:2003/11/07(金) 23:21
アメリカで、48人あまりの女性をレイプして殺害した事件が報道
されましたが、これがはっきりわかったのは司法取引による
容疑者の自白とのこと(この犯人の容疑は7人の殺害だった)。

死刑には、このように取引の材料としての一面もあるのだと
思いました(もちろん司法取引なんぞせずに事件が
解決するのが一番ですが)

もし終身刑が最高刑であれば、犯人が果たして司法取引に応じるか?
また、応じたとして有期刑に減刑された場合、このような
殺人鬼が再び社会復帰することが受け入れられるか?
(性犯罪者なので去勢してしまえば大丈夫かもしれないが)

347はな:2003/11/08(土) 20:17
本当に、「性犯罪者は去勢する」という法律があったら、すごくいいと思う。
ああいう人達は、もう病気であって、道徳心とか教育しても、更生とは別次元
だと思うのです。
まあ、去勢でその病気が治るのか、脳の方の障害なのでは?って、いう問題もありますけど。
性犯罪者に限らず、日本の法律は現在の凶悪化した犯罪に合ってない。
甘すぎる。もっと被害者の立場を重んじるべきです。
少年法にしても。
いきすぎた人は、表面上、装うことはできても「真の更生」はほとんど無いでしょう。
「更生できる」と言ってる理想論者は、現実が見えていないと思う。

348えふ:2003/11/09(日) 00:35
おひさしぶりです。
確か実際どこかで去勢は実施されていたように記憶しています。
複数回逮捕された性犯罪者に対してだったかと。

ただ私も、それでR・レスラー氏の言うところの「犯行に至る原因となった想像」や
そういった犯罪者の性衝動までどうにかできるのかは疑問に思っていますが。

349人権:2003/11/09(日) 02:13
アメリカの48人殺害事件ですが、48回終身刑を宣告されるとか。
いかにもアメリカならではですね。lovelessさんも仰っているように
死刑にも司法取引があるとは意外でした。

でも、このような凶悪犯でも自分の命はやはり惜しいのですね。
私もはなさんの御意見に同感です。特に生命を奪ったり、重大な
傷害を与えたりする犯罪行為に対する刑罰が軽いように思います。

東京駅のコンビニでの殺人事件の控訴審判決を聞いて、変な言い方
ですがまともな裁判官もいるのだな、と正直思いました。
さほど酌量すべき要因とは思われない理由で減刑される例もないわけでは
ない中で、「結果の重大性」を考慮すべきとの見解は一般市民社会の
常識に沿った判断ではないでしょうか。

350かこちゃん:2003/11/09(日) 15:59
東京駅・コンビニ店長刺殺事件については人権さんのご意見に同感です。

歪んだ社会の風潮を正す意味においても評価すべき判決だと思います。

351loveless:2003/11/11(火) 00:07
>>349,350
コンビニ事件についてですが、私は逆にちょっと違和感を覚えました。
無期懲役という量刑そのものについては異論ないですが、
その理由の一つとして、一審で認めた自首を今回は認めていない
ところです。

このホームページにも詳しく書かれている事件で、甲府信金OL
誘拐殺人事件があったと思います。
事件の経緯は、boroさんが詳細に書かれているので省略しますが、
この事件で印象に残ったのは、犯人の音声とそれを見事に分析した
捜査官でした。
音声と映像という違いはあるにせよ、甲府の事件で自首を
認めるならば、本件も自首扱いでよいのではないかと思います。
(個人的には自首を認めたうえで無期懲役としてほしい)
少なくとも住所・氏名が確定しないうちは自首として
扱うべきと思います。


それにしても無期懲役の判決が多いなあ。
司法も、世間の厳罰化を求める声と死刑廃止論の間で揺れ動いている
状態なんでしょうかね?
316の方が気にされている三島や群馬の事件の最終決着はどうなるの
でしょうか?
もし、コンビニ事件と三島・群馬の事件がそれぞれ最高裁まで
行って、なおかつみんな無期懲役だったら、なんだか違和感が
あります(あくまで残酷性からの視点ですけど)

352kazuko:2003/11/11(火) 15:32
死刑にしたら、犯罪が無くなるか、というとそうではないと思います。

実際に江戸時代にはあれほど極刑が執行されていながら、
犯罪が無くなったわけではありませんでした。

個人的な感情からすれば、動物虐待・幼児への暴行、女性への暴行というような
弱い立場の人間に危害を加える事でストレス解消するような人はどんどん処刑して
この世から消滅させたいと思います。

でも、理性的に考えればケースバイケースではないかと思います。

再犯の恐れのある人物は被害者を増やさない為には死刑にせざるをえないと考えます。

しかし、酒鬼薔薇もそうですが、残酷な犯罪者に尊敬の念を持つ子供もいるわけで
可能であれば社会復帰できるようにした方が良い場合もあるかと思います。
死刑にすれば日本の場合神格化されてしまう恐れもあります。死んだ人は
生きている人の理想の姿のまま存在し続けるという恐ろしさがありますから。

それに、自殺したい人もこの世にいるように、私は死刑にされても気にしない人
というのも居るはずだと思います。普通の人であれば、殺人など考えないのですが
殺人を考える、つまり普通の人ではない人が死刑の判決を受けるわけですし
人を殺さずに自殺してくれたら迷惑がかからない、かもしれませんが
自分が死ぬより他人に復讐しようと考える人もいるのではないか、
それで死刑になってもべつにかまわないという人もいるのではないか
(そんな考え方が正しいとは全く考えておりませんが)

それよりも、被害者を減らすには、殺人犯の動機や社会的背景を調べ
原因を無くす方向で「歪んだ社会」のほうを更正した方が良いのではないかと
思ってしまいます。例えば、ストーカー法やアメリカの銃に対する考えを変えさせよう
とする運動など、その例として考えられます。

なお自分にとって不快な人間の脳を操作する、というような事がこれから先起きる
とすれば、とても恐ろしい事だと思います。何故なら政府は常に正しいとも限らず
国民をコントロールする為なら何でもしたい国というのもありそうですから

353tomokun:2003/11/11(火) 21:05
このスレで死刑制度につい皆さんの意見を聞いてきましたが、
単純に死刑を存続するとか廃止するというだけでは、
今抱えている問題は解決しないようですね。

死刑廃止論者が死刑を反対する理由として、
1.死刑が犯罪抑止につながらない
2.悪質な犯罪者にも更生の可能性がある
3.冤罪を生む可能性がある
4.死刑を死刑執行人に押しつけてよいのか
5.死刑は国家のよる殺人であり、到底許されるものではない

一方、死刑制度支持者の意見として、
A.死刑制度が犯罪の抑制につながる
B.凶悪な犯罪は自らの命をもって償うべき
C.被害者の苦しみや遺族の感情を考慮すれば存続すべき
D.再犯の防止につながる

正直なところ私自身、死刑制度の是非に迷っています。
特に、反対論者の意見5と、賛成論者のCおよびDの意見をどうしても
自分の中で解決できません。
同じように迷っている方もいるかと思います。

現行の刑法では、死刑と無期懲役の落差があまりに大きいのが事実です。
せめて終身刑の導入は必要ではないでしょうか。
死刑の存続については、その後に議論してもよいのではないでしょうか。

終身刑も残虐であるという意見もありますが、犯した罪の大きさを償うこと、
再犯の防止になることを考えればやむを得ないと思います。

あと、今の法律は犯罪被害者とその遺族への人権の配慮がかなり低いですね。
終身刑の導入の前に被害者・遺族へんぽ補償、ケアを充実するべきでしょう。
被害者・遺族へのケアと再犯の防止について考えることなく、ただやみくもに
死刑廃止を訴える人がいますが、その方法はまずいんじゃないかな。
本人にその気はなくても、エセ人権派と呼ばれるだけだと思う。

354歴史好き:2003/11/11(火) 21:06
ロムばかりでしたが、初めて書き込みます。
本題とずれてるかもしれませんが、私が学習した限りでは、江戸時代は、その刑罰の重さから、
犯罪は非常に少なく、大金を横に置いて遊んだとしても、だれも取ってゆくものがないほどだった
とあります。
なんせ、10両盗めば首が飛んでしまうのですから。
確かに犯罪がなくなるまでは行きませんが、現在と比較すると、ずっと安全だったようです。

355loveless:2003/11/11(火) 21:54
>>353
tomokunさん、箇条書きでの意見の集約、見やすくてよいです。

できましたら、私が
>>272 や
>>329 で書いた「その地域(国家)の宗教・文化・社会通念
に照らし合わせるべきである」という点も末席に加えて
いただけないでしょうか?
(上記、5およびB,Cを抽象化しただけかもしれませんが)

「死」や「罰」、あるいは「人権」というのは、宗教・文化・民族
間で意識がずいぶんと違うものと思い、人の死や生命を扱う問題
では避けては通れないものと思います。
(臓器移植や代理母なんかもそうですよね?)

また、揚げ足取り気味ですみませんが、3の冤罪については
別問題と考えます。
どんな刑であっても冤罪は許されない、これは死刑廃止論者
も一致するところと思います。

356瀬田:2003/11/12(水) 02:39
はじめまして。
K大法学部で死刑問題を専攻しています。

こちらのスレッドの内容はほとんど読ませて頂きました。
正直なところ、私自身はこの問題に明確な結論を出せていません。
何の罪もない人が残酷な方法で殺され、その犯人が死刑にもならないでいる
としたら、なんとも釈然としないのが普通ですし、まさしく「不正義」である
と思うのが当然だと思います。
そうした感情論は簡単に無視してよいものではないと思います。
それに、死刑を宣告されるような許しがたい犯罪者が一般社会から隔絶され
る(「死」による確実な隔離)ことによって、社会を守るという一般予防的
な見地からも、死刑の存在には意味があるのではないかと思います。

しかし、万が一にも誤判によって無実の人が処刑されるようなことがあれば、
それこそは言語に絶する不正義であると私は思います。
人間のやることに間違いはつきものです。誤判の可能性は裁判の性質上、
不可避だと言っていいと思います。現に、日本にも免田、財田川、松山、
島田の再審4事件がありますし、イギリスで死刑が廃止される大きな要因に
なったのも誤判の問題でした。
死刑囚にはよく『無罪妄想』というのがあるそうなのですが、全部が全部
そうではないことは想像に難くないでしょう。「自分がやったんじゃない」
と絶叫して絞首台に消えていく人たちの中に、もし本当に無実の人がいると
したら、いったい、こんな不正義なことがありますか。

そういう意味で、私の考えは死刑廃止論に傾いていますが・・・まだ明確な
結論は出せないでいます。tomokunさんとは少し違いますが、迷っている
点では私も同じですね。


lovelessさんは冤罪については別問題だと思うと言われましたが、確かに
私も、どんな事件についても誤判はあってはならないことだと思います。
懲役刑などで刑務所に長い間服役していた人が、あとで無実だということが
わかって釈放されたとしても、失われた時間は戻ってこないという意味から
言えば、これも確かに取り返しがつかないものです。
しかし、そういう利益はいくら重要な、しかも人格的利益であろうとも人間が
自分の持ち物として持っている権利ですが、生命はすべての利益が帰属する
主体であるところの人間そのものです。死刑は、すべての元にあるその生命
そのものを奪うのであって、同じ取り返しがつかないといっても本質的に全く
違うものです。
そうした点で、死刑事件以外の場合の誤判と、死刑事件の誤判とでは質的に
決定的な違いがあると思います。

わかりにくかったらすみません(汗)。

宗教・文化・民族等で死や罰に対する意識が違うという点については、私も
そう思います。ヨーロッパ諸国を中心に世界的に死刑が廃止されてきている
背景には、キリスト教の影響が少なからずあると思います。

357kazuko:2003/11/12(水) 14:39
歴史好き様

私の知る限り、江戸の防犯体制は万全でした。
(木戸の設置、住人同士の監視体制など)
犯罪率が低かったのはその為とも聞いております。

それで尚且つ犯罪も起きる、死刑は公開しておりましたので、
死刑になる前に死にたくないとわめく者もいれば、
見物人に説教する死刑囚もあり、最後まで堂々としていれば賞賛されたり
様々であったと聞きます。

このあたりはきちんとした資料で確認していないのですが
府中刑務所のはじまりは、極刑でもなお犯罪率が減らないことから
どのような犯罪者が多いのかを考慮し、技能が無い為に仕事につけないので
技能を身につけさせれば社会生活を送れるようになるのではないのか
そんなところからはじまったと聞いております。

事実、外国人で刑務所出所の際、自分の国語も読み書きできず、仕事につけないので
お金を沢山持っている日本人から物を盗んでも良いと思っていたが、刑務所内で
自国語(日本からみれば外国語)を習い、技能も身につけてもらって
故国に送り返してもらえる(強制送還)複雑な気持ちだと言った方がいらしたそうです。

生活が苦しくて窃盗などをする人にはこの方法が有効だったと言えるかと思います。

358元愛媛県民:2003/11/12(水) 19:02
>>353 
死刑廃止論者が死刑を反対する理由として、
1.死刑が犯罪抑止につながらない
2.悪質な犯罪者にも更生の可能性がある
3.冤罪を生む可能性がある
4.死刑を死刑執行人に押しつけてよいのか
5.死刑は国家のよる殺人であり、到底許されるものではない

この箇条書きは確かに素晴らしくわかりやすいです。
死刑賛成派としてこれに対する反論を書かせてください。
1.犯罪抑止につながらなくても刑罰は必要です。大麻、覚せい剤などの薬物使用による
 犯人は非常に再犯率が高いですが、この刑罰が必要ではないとは絶対にいえないと思います。
2.確かに犯罪者にも更正の可能性はあります。しかしそれに反して凶悪な殺人事件の犯人が出所してから
 再び犯罪を行う率のほうがはるかに高いと思われます。
3.冤罪と死刑反対というのは、直接結びつける問題ではないと思います。
 極論すれば窃盗犯でも、軽犯罪法違反の犯罪に対しても、冤罪の可能性はあります。
 宅間のような絶対に冤罪ではない犯人をそれによって救うことは納得できません。
4.これも死刑反対と直接むすびつく問題ではないような気がします。
 死刑執行人がそれほどいないならば、募集でもしたらたくさん集まると思います。
 そんなになり手がいないなら、私がなってもよいです。
5.これは常識的な相手間で議論されるなら正論ですが、相手が死刑になるような
 凶悪犯ではこんな正論を主張しているようでは、国家はたちいかないでしょう。
 ちょっと話がそれるかもしれませんが、「国連安保理の決議がなければ」と最近
 主張している政治家は、中国が台湾に核攻撃した場合(別にアメリカがキューバを
 攻撃した場合でも同じですが)には絶対に行動をおこさないということになります。
 どちらも国連安保理での拒否権を持っています。

359瀬田:2003/11/12(水) 21:57
>>358

1「犯罪抑止につながらなくても刑罰は必要」
死刑廃止論者は死刑囚を無罪にしろなどとは言っていません。罰を加えること
には反対していないのです。あなたのそれは誤った解釈であることを指摘して
おきます。この点は混同しないでください。たしかに刑罰は必要です。ですが
それは刑罰論の話ですので、死刑問題と同列に論ずるべきものではありません。
死刑に犯罪抑止力があるのか、という論点は重要なものです。
もし、死刑制度がなくなることで犯罪が増加し、一般市民の生命が脅かされる
ということが明らかであれば、公共の福祉論による死刑の正当化は説得力を
持つことになります。逆に、死刑に犯罪抑止力がないのであれば、その存置の
理由を他へ求める必要が出てくるのです。

2「凶悪な犯罪者は出所後、再犯を行う率がはるかに高い」
何を根拠にそういわれるのでしょうか?法務省の統計には再犯の統計は存在
しません。もし単なる憶測であるなら、それは議論の対象になりませんよ。
通説では交通関係業過をのぞいた刑法犯では4割ほどといわれますが、これは
薬物犯罪が大半を占めているのが実情です。殺人の再犯というのは、刑期が
長いので非常に少ないのです。一番再犯が多いのは無銭飲食であり、これは
刑期がせいぜい十月とか八月なので、幾らでも再犯ができ、前科数十犯という
のがいます。ところが窃盗になると常習累犯窃盗という犯罪類型があるので、
3回やれば刑期が3年以上になり再犯が難しくなる。だから再犯率というのは
一般的に非常に議論しにくく、罪種によって本当に違ってくるものなのです。

3「冤罪と死刑反対とは直接結びつけるものではない」
私はそうは思いません。>>356の後段で申し上げたとおりです。
他の論点では死刑制度を肯定的に捉えながら、誤判の危険のみを理由に死刑
廃止を訴える説も少なくありません。

4「死刑を執行人に押し付けてよいのか」
これは元愛媛県民さんの言うように、死刑問題と直接結びつく話ではありま
せんね。確かにそういう問題があるのは事実ですが・・・
なお、この点については大塚公子著『死刑執行人の苦悩』(角川文庫)に目を
通してみてください。関係者の語ったものをまとめたものだそうです。
日本の死刑制度は一切公開されず、関係者には法律上守秘義務が課されるため
その実情を知るのは困難ですが、数少ない刑務官の問題に関する書物です。
死刑執行が公開されないのは、おそらく公序良俗を害することになるからだと
私は思います。それをマスコミに生々しく書き立てれば、社会にショックを
与え、暴力的な悪い風潮を誘発・助長させるものになりかねません。
正木亮博士が死刑を「現代の恥辱」だといわれたのは、この意味で的を得て
いると思います。

5「凶悪犯相手にこんな正論を主張しては、国家は立ち行かない」
刑法が「人を殺すなかれ」という精神を以って殺人罪を規定している点には
異論はないと思いますが、では国が死刑という法律上の制度によって人を殺す
ことは許されるのですか、人を殺してはいけないという法自身が人を殺すのは
矛盾していませんか、というのがこの論点です。
ドイツでは死刑について「司法殺人」(Justizmord)という言葉が学説の中で
広く使われているほどです。
どちらかというと、倫理的な要素の強い問題ですね。
常識的な相手以外を議論に含めないのであれば、犯罪に関する学問は成立し
ません。哲学として論ずるならそれでもかまいませんが、制度として論ずる
場合には、それでは通らないのです。

360大森:2003/11/13(木) 00:26
こんばんは、初めて書き込みます。私は法律には詳しくないし、哲学的に
論ずることもできないですけど、凶悪犯が死刑になれば、少なくとも当該
犯人による累犯は未然に防げると思います。凶悪犯の更生が100%でない
限りは.....ただの算数の問題みたいですけど。
死刑が残酷な刑罰であるならば、仮出獄無しの終身刑を制度化しない
限り、罪のない人が累犯によって社会から葬られる可能性は常にあるのでは
ないでしょうか。終身刑を制度化することによる負のコストは社会が負わね
ばならないのですが、それを是か非とするところに死刑制度の存続の問題が
あると思います。有史以来、犯罪のない世の中など無いし、社会維持のために
犯罪にたいするコストは負担しないといけないのですから。


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