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短詩人/Hyperion

418秋魚:2013/01/31(木) 03:19:50
(無題)
 妹がため玉を拾ふと紀伊の国の 湯羅の岬にこの日暮しつ

・・「ゆ」という文字はローマ人には不思議な記号に見える。由良という地名がある。和歌山の中ほどにある由良、京都宮津の由良、山形鶴岡の由良。

>・・蜂子皇子の父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、蜂子皇子は馬子から逃れるべく丹後国由良(現在の京都府宮津市由良)から海を船で北へと向った。そして、現在の山形県鶴岡市由良にたどり着いた時、八乙女浦にある舞台岩と呼ばれる岩の上で、八人の乙女が笛の音に合わせて踊っているのを見て、皇子はその美しさにひかれて、近くの海岸に上陸した。

・・八人の乙女とはプレアデスであろう。だんだん「ゆ」の謎が解けてくる。・・国立にある湯楽の里温泉はこの世紀のメッカになるであろう。山形蕎麦という鶴岡のソバを出す。とても美味だ。湯の質もいい。若い学生ようなのが団体で来て騒がしいのが玉にキズ。・・だが、客層が一様でない。「ゆ」の新しいトレンドがはじまる気配。すごいことになりそうだ。

・・出羽三山の羽黒山、月山、湯殿山。これらを開いたのは蜂子皇子という。

涼しさや ほの三日月の 羽黒山
雲の峯 いくつ崩れて 月の山
語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな

・・これは芭蕉が詠んだ句。・・月山は卯年と縁が深い。湯殿山とはこの名はいかに。・・これこそ「ゆ」の秘密か。芭蕉が温泉について書いたものがある。

>・・北海の磯づたひして、加州やまなかの涌湯に浴す。里人の曰、「このところは扶桑三の名湯の其一つなり」と。まことに浴する事しばしばなれば、皮肉うるほひ、筋骨に通りて、心神ゆるく、ひとへに顔色をとどむるここちす。彼桃原に舟をうしなひ、慈童が菊の枝折もしらず。
  やまなかや菊は手折じ湯の匂ひ   ばせを

・・これは加賀の山中温泉で詠んだもの。
・・芭蕉の「奥の細道」出羽三山が旅のターニングポイントとみるが、どうであろう。

・・月山周辺については、シリウス聖方位の観点からおもしろい指摘があった。

>・・山形県荘内地方出羽三山のうちの一つ月山山頂を基点に真北から二〇度西に傾く、ゾロアスター教の聖方向上に月山山頂からほぼ一二キロ北に猿田彦神社。それからさらに聖方向上一〇キロ北に、水神社、稲荷神社が正確にのっている。・・稲荷神社は秦氏の氏神社、水神社の「水」はゾロアスター教の主要神だ。さらに月山山頂から聖方向が始まるのはこの山が「弓月君」即秦氏と深く関わる故にだ。それで月(つき)の山と名付けられたのだろう。

419秋魚:2013/02/12(火) 22:37:54
(無題)
  馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな  はせを

・・Hayabusaに二週間乗らないと肉体も精神も萎縮する。旅に病んだ芭蕉を追っていた。発句の名人というより本人はたしか脇を付けるのが得意と言っていたが。「旅に病む」というのは「旅中で心身を病む」というのではなく「旅に憑かれて夢中になる」意であろう。・・「旅に病み夢は枯野をかけめぐる」という辞世だが、旅の発端というものがあるはずだ。その発端は天和二年(1682年)の江戸の大火にはじまる。俗に言う八百屋お七の因縁の火事が深川の庵を灰にした。お七にとっても恋の妄執の発端となった大火だった。・・「江戸駒込の大円寺から出火した火事は、本郷、下谷、神田、日本橋、浅草、本所、深川まで類焼し江戸の七分どおりを灰じんと化した。」「火はついに江東に及んで、深川の芭蕉庵も急火に囲まれ、芭蕉は潮にひたって危うく難をまぬがれたという。」

・・焼け出された芭蕉は、その後、門人の別荘のある甲州の谷村(都留市)に流寓する。このとき甲州街道を歩いているはずだ。・・多摩川は谷保村のあたりの石田で渡ったと思われる。今は石田大橋という日野バイパスの橋がある。・・極楽湯に向かう。この道は大きく二つのアップダウンがある。芭蕉が甲州に入るには八王子高尾の先で大垂水峠を越えねばならない。大変なヒルクライムになるという。自分もこの大垂水峠を越えて相模湖までいってみたい。今日は極楽湯に向かって多摩でヒルクライムの練習になる。いつぞやの川越街道と比べて道は断然いい。・・もう2度走っているが、この程度の上り坂ならギアチェンジ一つくらいで楽にこなせる。・・ipodというメディアプレイヤーをつけて走った。このipodは最近入手してバッハ「ピアノコンチェルト」、ショパン「ノクターン」、セリーヌディオンのポップスとかシャッフルして聴ける。自転車に乗りながら音楽を聞くというのは危なくないかと思いつつ、でもかなり快適なライダーになった。外の音も入ってくる。後ろからの音が聞きづらいが、いいリズムで走ることができる。これはヒット。

420秋魚:2013/02/21(木) 03:27:38
(無題)
・・うっすら雪。そして朝晴れる。いよいよ懸案の大垂水峠のヒルクライムだ。Hayabusaの手入れといってもブレーキと空気圧のほかにない。Cateyeの電池は交換した。峠の向こうで日が落ちる前にもどらねば。ともかくもヒルクライムになる。・・ずっと20号の甲州街道をいく手もあるが、まずは日野バイパスから多摩川を渡り浅川に出てこのサイクリングロードを辿って高尾山の麓までいく。これは一年前に走った道だ。おそらく一時間半。ロングライドのセカンドステップは峠を越えて甲州に入る。芭蕉も越えた道だ。・・いざ出発して走ってみると浅川CRはすべて記憶のままなんとも容易な道になった。距離は長くなるが20号の煩雑な車道より快適なサイクリングになる。一度通った道は気も楽だ。JRの高尾駅からさらに京王線の高尾山口の駅までここはもう20号になる。ここで一息。高尾山の麓の蕎麦屋でとろろ蕎麦を食べる。なるほど一流の観光スポットの風だ。蕎麦も美味い。この京王線の駅で新しい温泉を掘っている話がある。極楽湯だがこれはいい。自分も長生きしたい。

・・12時20分に高尾山麓から20号で峠越えをアタックする。道幅も狭くなり白線の道になる。そして上り坂。傾斜角はわからぬがギアを一段あるいは二段軽くすれば走れないことも無い。ただやたらと長い坂でこれがヒルクライムだ。山の中は昨日の雪がまだ木々の中に残っていてひいやりする。道路が凍結ということもない。背後から来るトラックが恐怖だ。雪景色はきれいだ。大垂水峠に着けば富士山も見えると聞いた。写真を撮りながらやっと大垂水峠に着いた。まあ富士はうっすら。と、ここで下り坂と思ったらギアチェンジに失敗。チェーンが外れてしまった。こんなところで故障したら目も当てられない。自転車のインフラ整備もながらくご無沙汰だったから、チェーンの戻し方も忘れていた。ともかくもあわてずに破損故障さえなければ万事OKだ。手を油で黒く汚してなんとか復旧させる。インフラのしっかりした自転車に乗るものだ。このHayabusaは川越で転倒した時もほとんど破損はなかった。今度もまったくブレがない。しかしギアはあまりいじらずに今度は下りを慎重に降りていく。ブレーキが命だね。これもシューを取り換えて調整してあったから問題はない。一度道を訊ねながらようやく相模湖駅前に着いた。峠越えはここで成功した。

・・甲斐路の峠越えは江戸の頃なら雲助が出そうなところ。昔の人はこんなところをてくてく歩いて越えたんだ。歩いている人はほとんどいない。自転車はヒルクライムの初級というのでけっこうなメッカらしい。実際数台のロードレーサーに出会ったが、みな手馴れたものだ。軽く追い越されたりした。まあ、下りの坂は楽ですね。でも帰りにここを登ると思うとぞっとする。大垂水峠を越えて下りにさしかかった辺りで、ツンと鼻にくる匂いがした。これはゴミの焼却する匂いだ。ああ気持ち悪い。こんなところさっさと下ってしまいたい。はじめての道はスピードを上げる訳にもいかず、Vブレーキを駆使してなんとか下りていった。・・高尾の麓から相模湖まで約一時間。今回はもう少しかかった。途中美女谷温泉の看板があった。寄ってみたいと思ったが、あとで観光案内所で聞いたらいまは休館してるという。ほかに温泉はないかと聞いたらいくつかあった。藤野やまなみ温泉というのはいいらしい。またこの三月には相模湖畔にいま流行の日帰り温泉ができるとも。よし、今回はもう引き上げだが次回はその温泉にも寄ってみよう。

421秋魚:2013/02/28(木) 02:40:04
(無題)
・・顔が日焼けした。大垂水峠ヒルクライムの帰りは国道20号をまっしぐら。これが懸案の甲州街道。往路の浅川CRでは芸が無い。思ったより走りやすい。これなら夜でも走れる。あのヒルクライムを乗り切ったからには、大方の坂はこなせる。東海道箱根の関というのはひどく大変そうだが。ともかく甲州廻りには一歩前進。必ずや富士の裾野に行く。

・・ipodriderというのをやってる。先のヒルクライムの時は高尾以降は精神集中のためipodは外した。しかしミュージック聴きながらのロングライドはいいリズムで乗れる。まったくノリノリになれる。最近はvanessamae、filippagiordanoを追加した。ipodは画期的な装置だ。音楽は時間の節約だ。クロスオンメモリの基調音だ。

・・芭蕉の「奥の細道」を解読したい。これは夢幻能だと思いついた。あわてて検証している。裏日本に抜けて出羽三山から象潟がピークではないか。

>・・ 江山水陸の風光数を尽して、今象潟に方寸を責*。酒田の湊より東北の方、山を越、礒を伝ひ、いさごをふみて其際十里*、日影やゝかたぶく比、汐風真砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる*。闇中に莫作して「雨も又奇也*」とせば、雨後の晴色又頼母敷と*、蜑の苫屋*に膝をいれて、雨の晴を待。其朝天能霽て*、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ*、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木*、西行法師の記念をのこす。江上に御陵あり。神功皇宮の御墓と云*。寺を干満珠寺*と云。此処に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に尽て、南に鳥海*、天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。西はむやむやの関*、路をかぎり、東に堤を築て、秋田*にかよふ道遙に、海北にかまえて、浪打入る所を汐こしと云。江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし*。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。

 象潟や雨に西施がねぶの花

「・・朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ*、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木*、西行法師の記念をのこす。」

・・、「花の上こぐ」は眼を疑った。これは極楽浄土かもと。

 象潟の桜は波に埋もれて花の上こぐ蜑の釣り舟   西行

・・西行はこんなところにも来ているのか。

422秋魚:2013/03/06(水) 02:14:25
(無題)
・・大垂水峠を走破したので大方のアップダウンは軽いものになった。Hayabusaのインフラにはいつも気づかっているが、少しのブレもない。ブレーキ部分に多少はあるが、あれだけ酷使すればワイヤーも伸びたりする。シューが磨り減ってその分ワイヤーが伸びた気がするが、シューを交換して効きもよくなる。ギアは21段の幅で、極限のものはまだ使っていない。・・今日は青梅の金剛寺までポタリングに出た。途中ギアの未経験の位置を試してみた。2−6、2−7とか。恐る恐るだが、大丈夫な様だった。日野バイパス石田橋から多摩川CRで羽村まで例のごとく河辺の梅の湯をめざし今日はそこを通過して青梅街道を青梅駅の近くまで走りその先宮ノ平に着くより手前で川の方へ折れてそこに将門ゆかりの梅の木がある金剛寺を見つけた。真言宗豊山派の寺で墓地と幼稚園経営をやってるのかあまり観光客は来ないようだ。青梅ゆかりの梅ノ木は平将門の馬の鞭から生ったという。ここは実は30年以上前に一度訪れている。朽ちかけている老梅樹を憶えているがそれは名に負う梅ノ木でなく隣にもう少し大きな梅ノ木があった。この梅ノ木は実がいつまでも青く黄熟することがないという。もう晩盛期で30年の間に無くなっているかもと思ったがいまだ健在であった。梅の花はまだぽつぽつといったところ。野梅でさほど見栄えがよいというのでもない。写真を2、3撮った。・・枝垂れ桜もありこれはかなりのものだ。こちらの方が見栄えはよさそう。桜の頃にまた来てみようか。

・・ipodriderというのをやってる。ipodで音楽を聞きながらサイクリングするのだ。これはとても楽しい。が、今日は危ないことが2度あった。ひとつは小さな信号が眼に入らず赤のとき道路を横断して車のクラクションを浴びた。実は信号はみえたが無視しようとした。音楽に乗りすぎた。whitneyhyustonだったかcelinedionだったか。・・もう一つは狭い道で後ろからの車にやはりクラクションを浴びた。外の音は拾えるが後方の音はやや拾いにくい。いずれも大事には到らなかったが、気を引き締めねばだった。

423秋魚:2013/03/21(木) 01:38:25
(無題)
・・桜の開花がはじまった。連翹とか泰山木とか梅とか桃とか今年はみな同じように咲き始めた。悪い風邪が抜けきらないが、またロングライドに出ることにした。前回、甲州街道20号から大垂水峠を越えて相模湖までいった。西へ行く海沿いの東海道は茶畑や蜜柑畑があって明るい気がするが、高尾より峠を越えて甲州に向かう道は何か陰湿で自転車の乗り入れも気が重い。大垂水峠はヒルクライムのメッカだという。今回もここをチャレンジして相模湖に沿い藤野までいく。藤野から相模川を横断して南の山に入る。やまなみ温泉というのが目標となる。

・・夜間走行を避けるため朝8時に出発。桜の咲き始めた淺川サイクリングロードはもうお手のもの。セリーヌディオンなどipodriderをやって高尾の麓まではあっという間に来た。・・遠乗りをしたくなるのは実は訳がある。きのう小平の温泉で悪いものをみた。ドライサウナに入ってそのまま昇天した人がいた。よい気持ちになって眠ったままになった。酒を飲んでた風にも見えない。もう年だからそういうこともあるか。救急隊が連れ去った。・・この遠乗りのために肉を食べよう。餃子の王将で酢豚を注文した。急いで作るからか煮込みが足りない豚肉でまあ若い人にはいいかもしれない。自分はこれが最後だろう。野獣になりたい気がした。

・・大垂水峠は、やはり胸突き八丁がしんどい。登りきってしまえばあとは降るだけ。今日は前回より車が多いのが、あぶない感じ。ipodriderはやってられない。音楽を聞きながら昇天する訳には行かない。ピークはいつかは来る。我慢我慢で峠に着いた。降りはブレーキコントロルだけいい感じで坂をくだりずっといくと別のチャリダーが休憩しているので道を訊ねた。や、外人か。can i go through bentenbashi? sorry i dont know this way. you from australia? deutshland. ya,
danke schoen. ドイツ人で日本語はわかる。峠でヒルクライムの練習だそうだ。サイクリストの仲間は基本は単独だ。兄弟仁義で2,3のグループで走行するのもある。これはケイリンの影響か。話をする機会があったらうるさくならない程度に声をかけるとよい。枢要な情報は惜しげもなく与え合う。・・帰りの道のために、プレジャーフォレストに行く道を地元の人にも訊ねた。わからなくなったら誰にでも聞くのが一番。・・相模湖駅に着いた。

・・今日はこれから先の藤野までいく。JRでもう一駅さき。20号はさほど快適ではない。よく憶えてないないが、左手に湖があって峡谷みたいなところを渡ったりした。さすがにロングライドに来た気がする。・・藤野駅の観光案内所でやまなみ温泉を訪ねる。今日は祭日で営業してるそうだ。自転車で30分はかかる。実際山奥でアップダウンが3回くらいあったか。なんとか到着できた。げ、自転車置き場がない。なるほどあんな山道では自転車向きではない。みんな車で来てるが、自転車で来るのは自分みたいな物好きだけかもしれぬ。

・・アルカリ泉で透明だが、さらっとしている。丘の上にあって露天の眺望はやまなみのテラスという風だ。客筋は近隣のものが多いようだが、あちこち渡り歩く温泉通もいる。話をするからそういうのもわかる。この周辺だけでも6つの温泉があって、自転車でまわるのは無理としても車ならいともたやすい。驚くべき秘湯の話をしていたが、マニアには上には上がいるものだ。空気にさらされない温泉というのが極上のものらしい。これは初耳だった。源泉かけ流しというのがある。それが近いかも。

・・ここに来るのにほぼ4時間かかった。出掛けにセンベイとデコポン蜜柑それに水をもってきた。休憩をとって水分をとったりするのがサイクリングにはいい。デコポンは実が詰まっていて携帯するのにもいい。店らしい店もない。山道でパンクでもしたら今考えるとぞっとする。パンク修理セットを持ち歩いているが、実際そうなったら果たしてうまく直せるか。・・しかし藤野からこの道は都留や山中湖への標識もあった。大月にいかず直接都留にいけるのだろうか。このあたり山道だが自転車でいけないこともなさそうだ。このあたり奥が深そうだ。

・・駅の案内所では親切にされたので温泉ではなるべく多くお金を落としたい。レストランと売店か。生ビールをいつも飲むが、自転車も車両で酔っ払い運転になるらしい。しかしこれぐらいのアルコールが回らないとロングライドもやってられない。まったく地獄かと思うような道もある。・・売店では、大豆でつくったうどんというのを280yenで買った。めずらしいものだ。

・・帰路は、相模湖のプレジャーフォレストに行く道を考えたが、山道なので一度20号へもどった方がよいということだった。そうしてまたもと来た道を進んだが20号へでる近道をとるのを間違えてしまい、またアップダウンのある山道に入った。舗装はしてあるがとんでもない道で木材の伐採場のようなところで道をたずねた。そのまま登っていくと下りになってプレジャーフォレストにいけますよ。篠原という土地だった。さらに土地の人にも聞いた。やまなみ温泉から直接いった方がよかった。ともかくアップダウンがいくつもある。プレジャーフォレストに出れば津久井湖をまわって橋本にでる。八王子の野猿街道に出られれば府中四谷大橋にいくはずだ。・・プレジャーフォレストにはこの春また新たな温泉ができたはず。みんな車で来ているのか入口は殺風景なところだ。門衛に今度来るときのために情報を教えてもらい、やっと本格的な帰路になった。・・途中正覚寺という俳句寺がある。柳田國男などが民俗学で最初の村調査をはじめたところだという。それにしてもここいら一帯水源が多くこれなら都市も安泰かと思われる。いつか厚木に行ったときも相模川の下流が2本もあって雄大で驚いたものだった。都留の方へは桂川というやはり相模湖から流れる川がある。富士の裾野を蔓がうねって這うように川が流れるからそれで都留というそうだ。こちらもいつかいってみたい。

・・橋本の駅の近くでまた道をたずねた。ヘルメットを被った土建屋さんのようだったが、親切に応対してくれた。16号はバイパスでやめた方がいい。一度駅前にでてそこを真直ぐいきなさい。あ、実はぼくも自転車をやってるんです。急に自転車乗りの話になって、今度は塩山から糸魚川にいく計画がある。へー、すごいもんだね。こちらはまだ素人なのに。もっといろいろ話をしたかったが、未練は禁物ありがとうといってHayabusaに乗った。でもまたどこかで会いそうな人なつっこい風だった。自転車はいい。彼もそういった。・・ここまで来ればあとは目クラで走っても帰れるだろう。そう思ったがもう何度か道に迷い多摩センターのモノレールのある道、ずっと野猿街道で四谷大橋にでた。ここで土手沿いにいきすぐY’sroadがあってここはいい自転車のショップ。ここまで来れば、迷路も出口は予習済み。・・かれこれ帰りも4時間かかった。

424秋魚:2013/04/10(水) 11:58:46
(無題)
・・通いなれた道ならipodriderでいける。ランニング、ウォーキングをしながらのipodは自転車でもいける。音楽を聴きながらの自転車乗りとはほんとに痛快だ。ドボルザークのチェロ協奏曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、セリーヌディオン、ホイトニヒューストンのポップスがこんなにも愉快だとは思わなかった。・・だがこれは実際あぶなっからしく後方の車はよくクラクションを鳴らす。なにか踊りながら自転車に乗ってるみたい。自分ではわからぬ。絶対事故にはならぬという自信があるが過信は禁物。ドラッグでハイテンションになると似たようなものだから。ベートーベンの第九だったらmechanic orangeになってしまうかも。ハハ

・・それにしても最近は消えたアルベルチーヌさながら消えたmomoだ。まったく見えなくなった。一人だけハナミズキの子が小平にいる。きょう久しぶりに見たが少し太っていた。レストランで注文取りにきたのではじめて声をかけた。風邪がまだ残っていて声がおかしかったが声をかける幸せだった。女の子が少し太るのは自分は嫌いじゃない。褒めのつもりだったが、笑いながらすみませんといった。ひょっとして子どもでも出来たのかも。ハハ ビールを飲みながらipodでアンネゾフィムッターを聴いた。妄想が多く出そうになったら音楽を聞くに限る。あとデジカメがいい。音楽と画像で妄想をふせげる。

 アンネゾフィムッター銀狐つらら刺し

・・こんな句を昔はつくった。名前がすばらしかった。

   *

 馬ぼくぼくわれを絵に見る夏野かな    桃青


・・甲斐谷村(都留)に流寓中の芭蕉の句で、いくつか推敲の過程がある。流寓で発句の工夫で悩んだ。絵に自分を見るのは末期の目か。これが旅のはじめにあった。

・・芭蕉最後の旅「奥の細道」で、那須野で最初の俳諧が作られた。その発句は芭蕉で、客人の仕事だった。

 秣(まぐさ)おふ人を枝折の夏野哉   はせを

・・この発句のコレスポンデンスは見事というほかない。・・これをもうすこし続けると、


1 秣(まぐさ)おふ人を枝折(しおり)の夏野哉   芭蕉

2 青き覆盆子(いちご)〔を〕こぼす椎の葉   翠桃

3 村雨に市のかりやを吹きとりて   曾良

4 町中を行く川音の月        はせを

5 箸鷹(はしたか)を手に居(すえ)ながら夕涼   翠桃

6 秋草ゑがく帷子はた(誰)そ    ソラ

・・やれやれ連句的な生活をすっかり忘れていた。

425秋魚:2013/04/18(木) 03:29:31
(無題)
・・今年は桜だけでなく花の開花が早い。躑躅がもう開き始めた。はじめて開く花ほど凛とした花はない。北海道では、雪の冬に堪えた水仙やヒヤシンス遅い春に開く。大きな花びらで開くという。遅咲きもいいが、早咲きはそれで趣きがある。

・・塩船観音寺の躑躅ももう開き始めている。空気のよくない処で勤務している為休日は自転車でずっと川と緑の郊外へ出かけたくなる。呼吸が運動したがる。また青梅にポタリングに出た。

・・青梅の山奥に家でも買って住もうと思う。ひとりで住むのもおもしろくない。相方の女の子を探している。女の子はなかなか話をもっていく機会がない。小平の温泉の子に声をかけようとしたが、昨日も失敗した。

・・一軒家は値も張るし管理が大変そう。マンションを物色した。

・・そういえば駅前のコーヒーショップには、ダニエラビアンキ嬢がいる。餃子の王将の帰りにモカを500g挽いてもらった。ビアンキ嬢の手を触った。

426秋魚:2013/05/08(水) 07:09:54
(無題)
・・自転車遠乗りのステップアップを模索していた。基点となる今のクニタチから四方八達に足を伸ばせる。横浜のみなとみらいには何度かロングライドした。多摩川CRを使うと上流の青梅にもいける。皇居などある都心の出方も憶えた。川越、飯能方面も何度か試みた。・・世界遺産に登録されるという富士山の麓までロングライドするというのがセカンドステップとして思考されたが、甲州街道で大垂水峠を越えたあたりで今のポタリングーロングライドの限界を感じ始めた。輪行袋を使ったり、出先の宿泊を2泊にしたりとロングライドの本来を追究すべきなのだろうが、今の生活の限界がある。・・足元の生活は絶対安泰というわけではない。自転車遠乗りにはこの上ない場所だが、思うところあって、今回生活の拠点を移動することにした。

・・「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」という本がバカ売れヒットしてるらしい。ハハ読んじゃいないが、これは私のことだ。多崎つくるとは。世俗に追いかけられるなら自分はもっと先に行く。これからは色彩の追究がトレンドになる。・・というよりミニアチュール化された色彩はすでにスマートフォンなどでトレンドになってるはずだ。ミニアチュールが流行るだろうというのは、私の青春の放浪時代からあった。中世西欧の「ベリー侯のいとも豪華な時代」というのがひとつの鏡だった。

427秋魚:2013/05/22(水) 02:15:19
(無題)
・・さあこれで拠点ができた。おもしろいことになった。クロスバイクに乗って青梅まででかける。今度はすこし荷物を運ばなければならぬ。昔ヨーロッパを彷徨したバックパックを取り出した。こんなものよくとって置いたものだ。ミレーのパックはブランドものだ。頑丈で肩と背中によくフィットする。ただし開閉がややこしい。たくさんも運べない。とりあえず寝袋とタオル、ロープそれにパンク修理セットは道中の用心のためのもの。今までのただ到達するために自転車に乗るから拠点つくりのためにミツバチのように物を運ぶ。地勢を調査する。ロビンソンの漂流これに違いない。・・ミレーのバックパックライダーというのは、たぶんとても格好わるい。クロスバイクは別名シクロクロスでこれは格好いい。ロングライダーが背中に大きな荷物を負うのはあまりみっともいいものじゃない。しかしそんなことは言ってられない。難破したのだ。

・・多摩川CRで羽村までいきそこから新奥多摩街道にでる。ずっといって途中吉野街道へは今回はじめてチャレンジする。車で行くならこの経路で真直ぐいくはず。すぐに川を越えてこれは多摩川橋といったか。でも車も多くあまりいい道ではない。意外と長く目的地にはなかなか着かない。それでも釜の淵公園というあたりは前回も来た。万年橋のあたりここまで来れば拠点は近い。ぽつりぽつり雨になった。ずっと昔放浪してたころはとんでもない場所と風雨にさらされた。こんなものは何でもない。

428秋魚:2013/05/31(金) 22:26:36
(無題)
・・なんかすごいことになった。このすごさは説明しがたい。ともかく晴れたのでHayabusaに乗って新拠点に向かった。ミレーのパックには道元と世阿彌を入れた。・・一日3時間半しか眠らない生活を十年も続けただろうか。たしかにこれはおかしい。よく堪えたというべきか、ついに破綻がきたというべきか。・・エジプト模様のカップ、レバノンの水注しもパックに入れた。・・自転車はもう日常でメリダのそれはインフラがよいのでこれ一つでよかった。が、新拠点の祝いにコールマンのフォールディング自転車を買った。20インチで小さいのにけっこう重い。しかしこの重さは頼れる。・・飲み物は水。これでいい。・・朱蒙のごとき拠点は城だ。国を造るぞ。

・・梅郷の仙人をたずねる。

・・朱蒙というよりテジョヨンか。さほどのしがらみがあるわけではない。東明聖王というのは誰だったか。絶体絶命の場所で何度も生きたのは天命としかいいようがない。大震災も天命にちがいない。

・・新天地で最初に出会ったのがパニック障害の女だ。昔西欧を放浪してわかったのはこんなところでパニックになってはいられない。いつだってパニックになれる。見知らぬ土地でのパニックはほとんど死だ。日本でのロングライドはどんなひどい状況でも絶対にパニックになることはない。それだけは自信がある。パニック障害をもつ人は前の職場でもいた。あれは何でもない病だ。・・でもきのうはちょっと怖かった。妄想が脹らむんだね。30回は気を失ったという。自分が原因になったら怖いだろう。

・・セクハラについて。世の中にはセクハラを仕掛ける女がいる。これも一種のパニック障害だと思うが。もともとそんなに美貌で可愛いわけではない。せいいっぱい愛想をふりまいて大胆に着飾り何度も何度も呼び出す。それが仕事だから。気があるふりをして乗ってきたらぴしゃりと逃げる。こっちもむこうも本気ではないのだ。最初から本気でないなら、相手をはめる抜け道がある。セクハラを告発して男を殺す。そういう遊びを覚えた女もいる。なるほどね。・・これはたぶんパニック障害。

・・冷静に考えればわかる。

・・ロングライドでよく道に迷い方向性を失うことがある。「よく」ではない「しばしば」だ。これも一種のパニック障害。処方は、通りすがりの人に道をたずねる。どんな人でもたいていは親切に道を教える。時には間違いもあるが。あと地図ももっていないのかとたしなめられることもあった。どこにいきたくてどうして道に迷ったか、こちらの情報を伝えなければはじまらない。パニック障害なら、ここで出口を失うのだろう。てんかんを起こす。自損事故かもしれない。

・・「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」というのは、たぶんこのパニック障害がテーマだ。読んじゃいないが、そうでなければあんなに売れる訳無い。文学はたしかに医師にちがいない。

429秋魚:2013/06/05(水) 00:32:52
(無題)
・・自転車で2時間。これはほんとのところややきつい。一時間というのがとてもよい。2時間というなら連ちゃんはやりたくない。青梅の蒲団やさんは、昔よく綿を積んで1時間でいったというがほんとかしら。青梅・国立を何で自転車で綿を運ぶんだろう。ひょんなことから面白い話になった。・・蒲団の打ち直しをやろうとしたら蒲団やが無い。ホームセンターで出来ないこともないが何か味気ない。配送のサービスすらない。合繊の蒲団は安い。羽毛布団というのが流行のようだ。羊毛を入れるらしい。昔の蒲団は木綿オンリーだろうか。ともかく打ち直しは買うより高くつく。自分の蒲団はもう捨てるべきだろうか。今は捨てるのも大変むずかしい。・・テレビを捨てようとしたら、リサイクル料金がかかるという。業者にタノムと運搬料、手数料までとるという。やってられない。・・蒲団はなんとしても打ち直して使うことにした。

・・アナログのレコードも放置されたままだ。コンパクトなipodで快適な音楽生活を覚えたばかりだ。自転車に乗ってタブララサを聞く。こんな素敵なことはない。・・アンプとターンテーブルは頂き物でこれも使われず捨て置かれたままだった。・・音がでるのか試しにスピーカにも接続してBACHのガンバソナタをかけてみた。ん、太いアナログの音がでる。機械は健在だ。・・アナログの音をオヒサで聴いたが、感動!・・今度の拠点は渓流の近く。ここなら聴ける。これらは一式運んでいく。

・・梅郷の仙人。フォールディングバイクで散歩といってもほかにいくところはない。オーストラリアの人がここに住んでいるという。自転車好きで花が咲いた。家も買った。・・チタンのフレームというめずらしいものだ。30万。わたしのとは比べ物にならない。軽い。・・自転車の覚え方はたどたどしいが、これは自分も同じ。パンク修理はやらないという。で、実際パンクした時の苦労話を聞いた。強引に電車に乗せたらしい。・・自分にはできない。・・顔振峠へはよくいくという。

430秋魚:2013/06/14(金) 01:52:32
(無題)
・・いやはやいろんなことが起きる。コンピュータの自動更新のあとにwindowsが立ち上がらなくなった。予備で使ってたもう一台もそうなった。どんな更新ファイルか調べようとしたが皆目正体がつかめぬ。ウイルスかハッカー攻撃か、最初に思ったのはMソフト。XPのサポートがもう一年を切った。大体更新ファイルが増えてからパソコンはおかしくなった。・・コンピュータは立ち上がった時点でメモリーに物理的障害がおきるとある。これはたぶん過度の情報量をもったスパイウェアをデスクトップにインストールしたせいだろう。しかしMソフトならわたしだけということはない、多くのXP使用者にも害が及ぶはずだ。・・ウイルスソフトを入れてこうなるのは、訳がわからない。結局一台はあきらめ、もう一台のレノボはシステムの復元機能が外に付いているので、工場出荷時の形までもどした。ここにはさほどのデータファイルはない。ただ自動更新はやめた。コンピュータを変えてもわたしのインタネットのアドレスに来るということは未来永劫に攻撃されるということだ。・・問題は愛用していたdellのpentium。一度クラッシュしてHDDを入れ替えた。その後古いHDDのデータを救いチェックディスクで破損を修理回復させた。その古いディスクをもとにもどした。果たして機能するか不安だったが、見事windowsが立ち上がった。クラッシュしたディスクはケースにいれて以前と同じようにデータを救い修理しようとしたが、認識に失敗した。ダメだ。

・・いろいろやったが攻撃されたHDDはもうダメかもしれない。金属部分にドライバーの先を当てたから電気ショートしたかも。修繕した以前のHDDが使えるので当分はこれで無理なく使用できそう。それよりレノボのwindowsもおかしい。updateが効かなくなった。下手にupdateにこだわるとIEXがクラッシュする。というよりアドオンなしで立ち上がるが開けないページが出てくる。いいたくないがこれは完全にMSが仕組んでるのではないか。updateを効かなくするというのは、もちろん自動更新を使えというのだろうが、これが攻撃されたら自動も使えない。XPはやめろということだ。・・これはグーグルのプラウザに切り替えた。

・・今回コンピュータ依存を過度にやるのも問題だとわかった。単なる電子記号の集積だから。バックアップに無頓着なのもよくない。もう一年は使用能力をせばめて使っていこう。

・・青梅のジャッズが聞けるお店「夏への扉」にいった。昔は駅に近い電車の窓からお店の看板が見えたものだが、今はどうか。外装とかほとんど手を入れてないのでくすんでしまい古色蒼然廃屋のようでもある。が、たしかに営業してる。・・こんにちわ。午後の遅い時間で客はいない。マスターは年をとったが見覚えはある。むこうは憶えてないだろう。カレーセットを注文した。・・涙、涙のお店です。

・・それにしてもこの町どうなっちゃうんだろう。青梅駅前の大きなビルは一階地下が食料品スーパーでまだ人の出入りが多い。二階より上は昔は長崎屋などのデパートだったらしいが看板がくすんで取り残されているほか今はどこのテナントも入っていない。というよりビル自体修繕の限界をすぎているみたい。・・駅前通りは昔風の小売店が多い。客がいつも見えないところも多い。人の心配事ではないが、すこし寒くなった。・・わたしの住むあたりは、子供も多いが。

431秋魚:2013/06/18(火) 23:34:34
(無題)
・・宝石、金、銀の類をもって「おたからや」にいった。青梅線にこんなところによくあったものだ。しかしチェーン店でメジャーな店のようだ。立川にいったときも金銀プラチナ買い取りますのお店は何軒かあった。たいしたものではないと思ったが、査定無料であわよくばお宝があるかもしれぬ。すこし恥ずかしかったが、えいとでかけた。・・店の主人は手馴れたもので丁重に応対する。高価買取といってもうまく安く収めるに決まってる。値の付くものはこれだけという。銀ばかり。中にジュエリもひとつ混ぜて秤にかける。シルバーですからといって、計5百yen。・・黙ってOK。選り分けた値の付かないものは捨てていく客も多いだろう。向こうもそう当て込んでるようだ。で、それは持ち帰ることにした。テレカでいいものがある。この際何でも金銭に換えたいところだ。いまのところ一番ダメなのが「本」だ。値の付かないものが多い。困ったもんだ。

・・青梅線で毎日荷物を運ぶ。きょうはいよいよ住民票を移しにかかる。転出届を出しに役所へ。いよいよおさらばになる。・・青梅線は意外とおもしろい。通うたび乗客をそっと観察する。なんか細かくよく見えるのは不思議だ。中学生とか生意気盛りの連中もどやどや乗ってきてこういうのももう何十年ぶりか。特に女性の観察は楽しい。全体が質楚な身なりだが時折飛びぬけて垢抜けた美人もいる。というか福生あたりの女性はちょい怖い。・・青梅線は外人も多い。

・・なつかしいのはSylvie。初恋の男性を歌ったニコラもいいが、yesterdayを歌ったjecroyaisは絶品だ。パリのオランピア劇場で歌ったものは最高だった。ユーチューブで何度か聴いたそれが著作権からロックされ見ることができない。なんとも惜しい。同じjecroyaisでも回想が働きにくいので聴いてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=zKBuSVNDR4I

432秋魚:2013/06/25(火) 02:04:44
(無題)
・・バックパックライダーというと聞こえはいいかもしれない。ライダーといっても自転車は休止して電車に乗っている。背中のパックは重量が均等にかかるから確かに腰への負荷はあるにせよ筋肉は補強される。荷物運びでは物足りないので手提げのバッグをもうひとつ肩にかけて運ぶ。これは確かに安定が悪い。ともかく駅からの道もけっこうなだんだら坂で一塩の汗をかく。・・よく眠れる。新陳代謝の循環がよくなれば血のアクも抜けてくるにちがいない。泥のように眠るというのも久しく経験していない。気を使ってくれる人にはいくらでも話をしたい。これはほんの一部。

・・インターネットラジオというのは素敵だ。ラジオのAM、FMというのは番組が限られているというのもあるが、どうも飽きる。ネットラジオの局の多さ。選択の楽しさだけでも充分いい。calmradio BACHというのを聴いている。飽きない。

・・本を少しさばいた。5百yenになった。・・To have and have notというヘミングウェイの小説は、andではなくorかと記憶していたがこれは大きな間違い。Le port d'angoisseという映画はこれが原作でハンフリボガードとローレンバコールが絶頂だ。

・・how little we know????・・存在感が強烈なら、歌など下手くそでかまわないということか。

http://www.youtube.com/watch?v=mFfuUu5xmMA

・・ハワードホークスはヘミングウェイに言った。・・三文の小説でも映画にすると超一級のものになる。

・・To have and have not??仏語原題 Le port d'angoisse 苦悩の港。

  *

・・Sylvieの存在感も、極まるのは Mon pere 父よ

http://www.youtube.com/watch?v=9ceH0PMBXl8

433秋魚:2013/06/29(土) 00:20:29
(無題)
・・前回のコンピュータクラッシュの原因はわかった。windowsの更新ファイルと中国製セキュリティソフトが干渉しあった結果だ。ああ恐ろしい。たまたまそうなったのかもしれないが何か陰謀くさい感じもする。うまく言えないがともかく自分はHDをひとつお釈迦にした。データも多く失った。ほかにもクラッシュした人は多いだろう。

・・さて、富士山が世界遺産になったそうだが、当然だと思うし、どうでもいいことだ。彼らが騒ぐなら上手にやってもらいたい。・・今は新しい拠点周辺で手一杯。

・・ここいらで唯一のホームセンタCAINZにでかけた。引越し前にフォールディングバイクを買ったのは正解。colmanのそれは折りたたみといってもハンディで持ち運び便利というのではない。がっしり造ってあるからかやたらと重い。一度袋に入れて電車で運んだがもう二度とやりたくない。クロスバイクを車輪を外して袋に入れたほうがはるかに移動しやすいだろう。ともかく運んでからは新地で重宝している。CAINZにいくのは今日で三度目。最初はただいくだけの様子見。二度目はスポーツシューズを買った。三度目はカードを作って小さな脚立を買った。このミニベロで運べるのか心配だったが、わたしの見立てに狂いはない。包装が無いということだったが、サービスカウンターで一番大きい袋を出してもらった。エコだからかもしれぬが、なんとなく出し惜しみ。ともかく自分はなんでもリサイクルの用意がある。店の前で88yenのジュースと百円のタイヤキを買った。・・梅雨の晴れ間で雨は降りそうに無い。前かごにひっかけて落とさぬようえっちらえっちら帰ればよい。今日も道順を変えて小作の駅をめざした。途中東芝の工場がある。さほど広くは無いがたしかに東芝だ。府中の東芝とは比べようもない。電気は不況だが東芝は最近まあ盛り返してきてるはず。でも原発関連ではどうか。ともかく電機はがんばってもらいたい。・・新町7丁目。これはもう青梅の外れか。犬を連れた奥さんが昔一戸建てで住んでいたあたり。こんな地の利のいいところにいて何で青梅の山麓に越してきたのだろう。パニック障害というが、彼女のことは不思議ばかり。24になるうら若き娘がいるそうだ。娘を紹介してくれといったらものすごい形相でにらまれた。パニック障害だというならそこで倒れてみてほしい。常識的な言い草でパニック障害もあったものか。ハハ、彼女はおもしろい。広いところに越してきたのだからお嫁さんをもらいなさいとかなんとか。自分が候補だったみたい。わたしも想像したが、犬のようにはなれない。・・なんというか嫌いじゃないが、今はもう彼女に会えなくなった。

  *

・・そんなことはない。また彼女に会えた。犬を連れて散歩と買い物にでたのだという。駅に近い別のマンションに引っ越していった。通り道だからいつかまた会えるだろう。せまい町だ。・・偶然ね。よく会うわね。パニック障害とか病気もちの女は御免こうむりたい。とはいえパニック障害は愚かな病だ。何が偶然なものか。多崎つくるに偶然という言葉はない。しかしすごいことになった。・・いろいろ話が多い。さしさわりのある話でここで披露できないのが残念。これから芽がでたら育てていこう。ヨークシャーテリアの犬はすこし懐いてきた。サングラスが似合いそう。

・・青梅線沿線の古本屋ことごとく洗っている。といっても数はない。文庫本など値が付かないらしいが、なんとか値をつけてもらった。彼らも大変だ。ネットショップでなんとか食っている。チェーンの古本屋はどうでもいいが、個人でやってる古本屋にはがんばってもらいたい。・・とにかく本はどんどん捨てたい。書を捨てよ。街へ出よう。ではない。書を捨てよ。森へ行こう。ハハ、もう森へなんか行かない。は、フランソワーズアルディ。・・森へ行こう。

434秋魚:2013/07/07(日) 21:39:24
(無題)
・・いやはや空梅雨?今度の砦は西日がきつい。とはいえ風通しがよく窓をあければエアコンはいらない。姉がカーテンを作ってくれたので外の光も遮断できる。プルーストのように内面の世界に篭もることもできそう。バルコニーの前は裏山。いろいろ虫が多そう。毎日蜘蛛の巣を払うのが大変だ。赤いいかにも毒のありそうな蚊がいてこんなのとも格闘している。犬を連れた奥さんが嫌ったのも無理はないか。

・・テレビをようやっと捌いた。リサイクル品だとかで捨てるにも流儀がありやたらと費用がかかる。ねらった業者があることないこといって支払わせようとする。きょうの業者はリサイクルに回さず持ち帰ってつぶすのであろう。リサイクル料プラス千円で引き取ってもらった。ばかな話だが彼らもこれで食っている。領収書にケイタイのナンバーを書いていたからまだ良心的な方であろう。まあがんばってもらいたい。・・それにしても片付けようないのは、本。青梅線のありとあらゆる古本屋にあたったが、なんとか昼ごはん代ぐらいで引き取ってもらえた。話を聞いていると、ネット以外はあまり売れない。可愛そうなくらいでタダでもいいと思うが、向こうも気遣って少しは値をつけてくれる。自分でもネットで調べて売れそうな本というのも分かってきた。・・もう一月でどれくらい本を減らせるか勝負、これは大げさではない。本を大量に捨てにかかっているのは自分だけではない。谷川のおじさんは商売上手で定評だが売り手の攻めがきびしく最近は店もお休みの連続だ。今度はすこしいい本をもっていきたい。

・・青梅線は日曜はすごい活気。立川に出て都心に向かってた頃は、やけにローカルで利用客もどんどん減っていく気がしていた。ほとんど無視していた。

・・青梅より先奥多摩方面は袋小路かと思いきやいろいろ楽しい道があるようだ。青梅街道は実際サイクリストは絶え間なく走っている。電車も多士歳々若いヤンキーから老いの人までリュックを背負ってどこにいってきたのだろう。電車の中だから内輪の話もとどいてくる。知らぬ間に浦島太郎になった。多摩川上流ではカヌーもやるらしい。御岳詣では自分も2度はやっている。あといろいろあるのは今後の楽しみだが、こんなにも都心から興味をもたれているとは、意外。

  *

・・「アルンハイムの地所」というポーの小品がある。

喜びにみちてまどろみ、
大空に眼(まなこ)とざして臥すうるわしの女(おみな)のごと、
げに花園は造られたり。
空の上にも見ゆる紺碧(こんぺき)の野原、相寄り集まりて
大いなる輪を描き、光の花々をちりばめたり。
いちはつの花とその紺青の花びらに置く露玉は、
さながら青きたそがれにまたたく星屑(ほしくず)。
                    ジャイルズ・フレッチャー

「アルンハイムの領地」というマグリットの絵があります。ポーの作品に触発されたといいますが、異曲。

  *

<・・彼は、幸福に関する四つの基本原則、より厳密に言えば、基本条件を認めた。彼が何より重要視したのは、(妙なことだが)戸外でのびのび運動するという、単純でもっぱら肉体的な条件だった。「このほかの方法で得られる健康など、その名に値しない」と彼は語っていた。一例として彼は狐狩りの無我夢中の楽しさをあげ、また大地を耕す者たち、すなわち、ひっくるめてほかの連中よりは幸福だといってよい唯一の階級を指摘した。彼のいう、幸福の第二の条件は、女性に対する愛であった。そして第三の、最も実行困難な条件は、野心を蔑視することだった。第四の条件は、絶えず何かの目的を追求することだった。そして、彼の見解によれば、他の条件が同等だったら、その目的が精神的なものであればあるだけ、獲得される幸福は大きくなる、というのである。・・>

・・なるほど、よくわかる。「戸外でのびのび運動する」という、これはわかる。

435秋魚:2013/07/25(木) 22:16:02
(無題)
・・うわっ。本が大変なことになってる。引越しで処分を始めたら古本屋が激減している。まれに出向いてもほとんど値が付かない。店主と話すとやはり買い手不在で火の車という。インタネットで売りに出すのが一番いいらしい。・・今日は洋書を捌きに神田まで出かけた。青梅線沿線で洋書など捌けるわけがない。ミレーのバックパックに洋書を詰めてああ重い。事前に電話をいれて空振りないようにともかくこれを捌きたい。なんか驚いたことに30年前と同じに経営しているが、やはり本の事情は大激変だという。カントの純粋理性批判などもう読むすべもない。プルーストの失われし時はたぶん読むだろう。プレイヤードの3巻本はいま4巻本になってるというがいくら注釈が増えてももう関係ない。注釈なしで読むまでだ。視力ももろに落ちている。盲目で読む本というのが本念かも。いやはやすごいことになった。本をごみのように捨てるのはつらいことだ。売れるものは売って捌きようのないものは自分が持っているしかないか。・・神田にでて洋書店スブンの話題がでた。ここにいたホリエはけっこう有名でT書店の主も知っていた。最近店を離れたとか。帰りにちょっと寄ったがスブンというのはすごい洋書を置いている。まず普通の客はいない。昨今の本の事情からすると神田もだいぶあやしくなっているようだ。・・御茶ノ水から神保町、神田から東京駅まで歩いた。

毎年恒例の株主総会。だいたい事情がわかったので今年はひとつだけ。そろそろ株からも手をひきたい。・・コンクリートの寿命は約50年。東京オリンピックから50年で新規再生のオリンピックがあれば企業も活気付く。日本株というより日本再生がなるかのアベノミクス。・・それにしても麻生氏は何をいったのだろう。ああいう役者は貴重だ。

・・ついに国立、青梅2往復。ミレーのバックパックがこんなに活躍するとは思わなかった。ほんとに丈夫でよくできている。重い荷物だが腰を悪くするというのはない。ただわたしの運び方はもうひとつ手提げのバッグを運ぶ。これで左右のバランスがくずれる。2度運ぶと足腰が少し張る。腰はひきしまっていい感じだ。・・あるもの総動員。ミッキーマウスの水筒はアルジェリアにもっていったものだ。ほとんど用なしだった。が、それが今この夏の盛りで重宝している。水が貴重だ。

436秋魚:2013/08/06(火) 23:20:50
(無題)
・・あと10日でどれだけ片付くか。掻き捨てても掻き捨ててもゴミの山、などやっていたが、ほんとはゴミの山ではない。すべてをゴミとして処理する業者はごめんだし、もっと律儀な引越し業者は取り扱いが無理であろう。自分ひとりでやらねばならぬこと。過去の追憶を楽しみながらはじめていたがこれも無理になってきた。迅速俊敏な仕分け処理の問題になってきた。・・きょうは燃えないゴミでパン焼機など出したあと役所にラックを粗大ゴミで廃棄する手続きをした。そして一回リュックで荷を運んだ。・・新居でメール接続の不具合を正すためプロバイダに電話を入れた。係員と交渉するまでいかに時間と手間がかかるここ。それでも相手はさすがプロ。一発で解決した。その後にガスレンジの点火の不具合を正すためまた業者に電話を入れる。これも担当員が夕方までに訪問してくれるとのこと。実際来てみてびっくり。不具合は嘘の様に解消されていた。わざわざ呼び出してひらあやまりにあやまり不思議なことだった。・・さて夕方から2回目の荷物運びに出たところ、立川駅でポイント故障。電車は拝島折り返し運転だという。結局荷物運びはあきらめて河辺の温泉に寄った。昔はゴミの巣を拠点にこういう温泉に自転車で通うのがお気に入りの方法だった。はやく引越しを終えてしまいたい。

437秋魚:2013/08/10(土) 00:27:33
(無題)
・・電車に乗るとまあ若い子はほとんどタッチパネルのスマートフォンいじってる。女の子は特に旧式のケイタイではみっともないだろう。最新式のスマートフォンで遊んでる。画像もオリジナルの手の込んだもので美的センスは皆がプロといったところか。スマートフォンの電子部品をつくる会社や通信の会社の株をもってるがスマートフォンの利用者ではない。時代に乗り遅れているかもしれない。あんな小さい器具を使いこなす視力も実は無い。・・本がまったく価値を失ってる。古本といって文字通りの古いやつはまったく見向きもされない。きょうは電車に乗って「苺つみの季節」というコールドウェルの古本を読んでやった。まったくこのごろの私はタバコロードとか怒りの葡萄とか最高によくて八月の光とかそんな気分の毎日である。電車の中ではいつもボロの古本を読んでやることにしよう。決めた。

・・畑中神社で納涼祭があった。ぶらっと物見にでかけた。子供が多くお母さんたちが多く立ち働いてる。活気があるのはなつかしい限り。カラオケ大会もおもしろい。雷が鳴って大雨になった。そのうち坂井よう子さんというプロのギタリストが弾き語りをはじめた。こんな田舎でずいぶん贅沢な納涼祭になった。しかし、大雨で祭りは中止。・・この日は隅田川や昭和記念公園の花火大会も中止になった。

・・坂井さんは軍畑、柚木のほうでリベラという喫茶店をやってるらしい。弾き語りもそこで聞けるらしい。・・ネットのyoutubeでアルフォンスの海というのを聴いた。一曲聴いて満ち足りる。いい感じ。

438秋魚:2013/08/17(土) 00:29:19
(無題)
・・テジョヨン、チャンボゴでも権力に捕縛されて労役を課される時は、肉体を酷使する単純労働の繰り返しになんとしても耐えている。食もぎりぎり制限され生存競争を強いられる。それと比べればミレーのバックパックの荷物運びなど猛暑でもいかにも気楽といえる。労役はシューシュポスのそれに似ているか。たぶん終わりがあるだろうというのが唯一希望だ。

・・ガーネットという詩誌が出てきた。さっと顔が赤らむような拙文が載っていたのでこれも持ち帰ることにした。2001年8月号というから12年も前になる。・・「今、わたしの関心事」というので、?ポエム通信「泥水」に掲載拒否された拙稿、・・石川為丸氏のHP「クイクイ」と私のBBS「俳句ダービー」で話題になった原子力問題をめぐる拙稿がボツになった。編集の市原正直氏には犯罪者呼ばわりをされてなす術もなかったが、さらに大きな犯罪が隠匿された気がしないでもない。この問題は次に大きな原子力の事故が起こるまで私のHPで話題にしていく予定。・・とまああって、このボツ稿も傑作だったわけだが、この一ヶ月後に起きたのは911の貿易センター自爆テロ、この9年と半年後に起きたのが東日本大震災と福島原発の大事故なのはまだ記憶に新しい。

・・青梅線の電車の中で、きょうは、新藤涼子「薔薇ふみ」を読んだ。この種の詩集本来ならわたしの元に絶対廻って来ない。なぜあるのかというと今だから言うが新井豊美さんに借りてそのままになっていた。すまないことをした。よいという詩集で豊美さんが気になるページはそっと折を入れてある。そこを読むとどこがおもしろいのかよくわかる。

・・はるかな岸辺に

エルカステイロはアルタミーラよりもさらに田舎だった
乗りかえるたびにおもちゃのように小さい汽車に変わってゆく
駅前教会の隣のホテルにカバンを置き
さっそく丘陵に登りはじめる
霧が山に融けてこころの中に沁みいるようだ
頂上の 緑にこんもり包まれているところめざし 濡れて歩く
ここの自然洞窟の景観は アルタミーラよりも豊富だった
なつかしいマドレーヌ期の先史人たち
立ちあがって洞窟の壁に絵を描きはじめる

・・

・・こういう詩集もあやうくゴミの中に埋没するところだった。

439秋魚:2013/08/21(水) 23:33:39
(無題)
・・こんな暑いんじゃ一労働ごとにビール飲まずにいられない。温泉で飲む生ビールはとりわけいける。また十年ぶりかで国語と数学の試験を受けた。中学卒業程度といって国語はまだしも数学は得意だったはずがなんとも嫌な学科になってる。注意力が落ちて細かなミスが多そうだ。間違ってもいいじゃんとか自分に甘くなってるからこんな試験はもう最後にしたい。おまけに今回は体力テストまである。前日にビール飲みまくりでそれでいいじゃんと思っていたが、バランス試験というのがとりわけ失敗であった。ぐらぐらしてとてもダメであった。ああ恥ずかしい。美人の試験管にご愛嬌ということにしたいが、試験は落ちたかもしれない。ハハすごい緊張ですね。

・・気分転換で国立の天然温泉にいった。もうここにもゆっくり来れなくなりそうだ。地元だった頃は夜遅くまで温泉とレストランの蕎麦とビールが格別だった。ひさしぶりに来たが同じようにすべてよい。お盆明けでも人はあいかわらず多いが、まあこんなものであろう。小鉢の天丼もいける。売店で縄文の黒米を買おうとしたがもう品目がなくなっていた。どうしてああいういいものを削ってしまうのだろう。・・かわりに地元農家のキュウリを買った。これは青梅に帰ってモズクに和えて食したがまろやかないい味だった。

・・国立はほんとに自由なすばらしい場所だった。八方に開けているというか説明しがたいが自転車乗りには最高の場所といえる。いまの青梅は一本道しかない閉塞感がつきまとう。周囲の半分は未開の山だ。川に沿って散策するとおもしろそうだが一本道。都心にでるのも一本道。近代的な疲労感がある。

440秋魚:2013/09/11(水) 09:07:13
(無題)
・・本を片付けていた「オール読物」という雑誌が出てきた。図書館のリサイクル本で除籍済のものを譲り受けてきたものだ。ゴミで捨てるつもりが不図思いとどまる。直木賞受賞作が全文掲載。車谷長吉「赤目四十八滝心中未遂」。で、青梅線の電車の中でパラパラ読む。出だしから何か身につまされる内容でゴミで捨てる訳にはいかないはずだ。終点までといっても当然最後まで読めない。イントロ留まりだがおそろしく感動。なんて真面目な作家だろう。今回の3ケ月引越しの醍醐味となった。・・で、その本は今手元にあるが、読んじゃいない。少しずつ読む。

・・やった。懸案の3ケ月引越しが遂にfinishした。ああ、おそろしい。本を40箱古本屋さんに引き取ってもらい多くを捨てた。にもかかわらず本はずいぶん沢山運んだものだ。視力が落ちているので、文庫本などはもう読めない。それでもいくらかは運んだ。洋書などももう根気が無くてたぶんあまり読めない。それでもお気に入りは確実に運んだ。古本屋も処分できないものはゴミで捨てずにこちらに運んだ。書類では昔の日記はすべてゴミで処分。「有論」という卒論のノートが出てきたのでこれは回収して後日復元してみたい。セリーヌの翻訳をやっていたK氏のもとにあったはずだが、彼も数年前に亡くなっているのがネットで分かった。昔の日記は読むに堪えない。「有論」だけは自分の原点になっている。これは復元したい。

・・9月。完全引越しのはじめは、ハヤブサ1号で駅裏の「夏への扉」にいった。日曜昼ならやってるはず。いくと盛況ですね。家族連れのほかにサイクリストたちが3人大きなテーブルを独占している。私の席はかろうじてあった。野菜カレーのセットを注文したが、その間客がぞくぞくとサイクリストはひと乗りしてまた後で来ますということだった。ほかにここを目当ての客が来たが、満員でごめんなさいでした。いつもジャズがかかってお茶もケーキも美味で、軽食のカレーは特に美味。みんな知ってる人はここを目当てによく来るらしい。・・前回来たときは客が私のほかは一人もいなかったので少し心配だったが、とんでもない。いいお店はよく人が訪ねるものだ。マスターは前に話をしたので覚えていてくれるかと思ったがすっかり忘れていてハハごめんなさいということだった。3ケ月も前じゃ無理ないか。ママさんの方はいくらか記憶にあるようだが、ともかく長い不在は私が悪い。いつも記憶にあるより美味なカレーをいただいておいとますることにした。コーヒー豆もここで挽いてもらえるらしい。引越しが終わったのでまた来よう。

・・今日は多摩川の上の方へいってみた。梅郷の仙人は留守。ずっといくと柚木あたり、奥多摩橋というのがある。ここを渡ると二俣尾の駅にいくらしい。山の向こうで黒雲がわだかまりゴロゴロ鳴り出したのでここらで引き上げることにした。リベラというお店はどのあたりか。少し探したが見つからない。代わりにpapiercolleというギャラリが見つかった。川はずっと渓谷の風合いでここらに住んでる人はなんか素晴らしい。・・あとでわかったが奥多摩橋よりもうひとつ先の軍畑大橋までの間にリベラはあるらしい。すごいところだ。・・ともかく今日は引き上げ。

・・吉野街道はそこそこ車が多く自転車は気をひきしめて走ること。上流方面は奥が深い。魂が浮き立つようだ。

441秋魚:2013/09/03(火) 18:46:21
(無題)
・・衝撃の奥多摩行。サイクリストやハイカーがよくいく奥多摩に今日は自分でチャレンジ。自転車はまだ慣れていないので小菅の湯への無料送迎バスに便乗した。先日奥多摩橋までいって横道は自転車がいい。幹線の青梅街道、吉野街道は実はすこし怖い。広くないうえ大きなトラックもよく走る。北都留郡にある多摩川源流の村、小菅にあるこの温泉は高アルカリ泉。福生あたりから客を拾って温泉の送迎バスが走る。すばらしいサービスだ。・・なによりも上流の小河内ダムにむかいさらに源流の村、小菅まで奥多摩縦走の感がある。・・御岳、鳩ノ巣、奥多摩までは川と鉄道と並走する感じで、鉄路は単線、川は深い渓谷、街道もトンネルがあったり自転車は本来こういうところを走るものかもしれないが、自分は怖い。バスの運転手さんに感謝。

・・何という風景か。谷の深さと山の緑の深さ。・・足元がすくわれる様でぞくぞく。ちょっとした思いつきの温泉行だったが、見立て以上の驚きの連続。先日すこし上流をさかのぼった時もぐらぐら目眩がしたが、今回はそれ以上。・・奥多摩橋の中ほどに萎れた花束が置かれていたのは、たぶんここから誰か身を投げたものがいたのだろう。そういう場所は近寄りがたく、今回鳩ノ巣など渓谷ではそんな投身の場所はいくらでもありそう。むしろこういう懸崖に巣をかまえる人もいてそういう心情は想像するだけでくらくらする。

・・上流にすすむにつれ谷は深く切り立ちこの垂直性は都会のビルのそれとは趣が異なる。水が流れる川があるからだ。桃源行というより地獄極楽どっち行みたいでどちらかというと地獄行。・・やがて小河内ダム前につき休憩。で、そこからがまたすごい。奥多摩湖はダムでできた人造湖か。細長く竜のようにうねっている。水の色も青緑で今はまだ水量が不足しているようだ。しかしこの湖はいつかひえ上がることもあるか。・・高尾のむこうの相模湖などもこれだけ豊富な水の甕なら下流の神奈川、横浜はまず大丈夫だと思った。・・奥多摩湖の端に今にも乾きそうな川がありこれが多摩川の源流小菅川らしい。

・・小菅村というのは北都留郡で山梨にはいる。源流といってもこんな情けない川一本では奥多摩湖ももつまい。たいていはいくつもの川が流れ込むものだが。エジプトを流れるナイル川なぞ途中で大きく二つに分かれ、青ナイル白ナイルと呼ばれる。ナイルの水源行はそれぞれの領域に生息する民族とぶつかりあうし探検も未知の危険と隣り合わせだった。青ナイルはまだわかりやすい。エチオピアのタナ湖が一応の水源でそこに流れ込む川もまたあった。それより分かりにくいのは白ナイル。ずっとビクトリア湖の方へいってしかしこの湖はまだ途中。そこに流れ込むどの川を白ナイルの本流ととるか。それでもたくさんの川が合流しているのは心強い限り。不滅の川だ。

・・小菅の湯。高アルカリ泉という。透明ですこし硫黄の匂いがするというが自分には分からない。ぬるっとするなら河辺の梅の湯に及ばない。しかしいい湯なのはまちがいない。サウナも小菅村産の千枚岩とかラジウム鉱泉だとかほかとは少し違う。水風呂に入るといつまでも体の皮膚に近いとこまで冷えが来ない。ラジウムのせいか。

・・さほど派手な造りではないが、基本の湯がいいからかよくできている。五右衛門風呂は手足を出して使うものだとわかった。おもしろいのは地獄極楽ロードといって小石を配置して敷き詰めた道がある。足裏のツボを突いて刺激するというものだ。そういうのは以前も見かけたし器具でもある。しかしここの針地獄というのは細かく尖った石を敷き詰めて強烈だ。足裏にすべてのツボがあるのは知っていた。乗って痛いところが悪いのだろう。自分はどうか。・・やはりあそこが悪い。かなり時間をかけてツボを押した。(後日のことだが、これは効果適面奇跡のようなことが起こった)この地獄極楽の石道だけでなくサウナもすばらしい。千枚岩とラジウムという汗のでかたが気持ちよい。このラジウム効果は未知だがなにかある。

・・バスには年寄りの団体が10名ほど。自分は個人参加で食事もひとりだった。源流セットというのが目玉だそうでそれを注文した。いろいろ量が多いというのではなく蕎麦は地元の手打ちで一味違う。ほかに雑穀ごはんとかていねいに美味によくつくってある。お刺身が3切れつくが、ニジマスらしい。あとで女将にきくと甲斐サーモンといって養殖ものだがとてもめずらしいものだという。ここは淡水魚のお刺身がいいようだ。焼き魚も食指がうごく。・・食事のあとでコーヒーを注文していただいたがこれも美味であった。料理は手抜きがなく二重丸。

・・ずっと昔村に唯一映画館があったという。そこの倉庫から出てきたポスターが飾られていた。くらくら眩暈のする温泉行になった。

442秋魚:2013/09/08(日) 23:17:17
(無題)
・・天気がよくない。曇りだが、雨はないだろう。土曜の午後は思い立ってHayabusaで奥多摩をすこし遡った。ほんとにすこし。前回軍畑の方で音楽カフェリベラを探したが見つからず奥多摩橋で引き上げてきた。こんどはもうすこし先をいく。軍畑大橋というのがあるはずでその手前を川の方へ下ればリベラはあるはず。吉野街道は相変わらず時折トラックが通る。川に近いわき道を使っていく。川に近いところはひどい下り坂になる。どうということはない。googleで見ていたとおりリベラは容易に見つかった。多摩川で大きなゴムボートに集団で乗り込み川を下るようなスポーツはなんと言うのだろう。ラフティング?そういうグループの発着場になってるのか、人が多い。そのすぐ上に音楽カフェリベラの看板はあった。ずっと奥まって普通の家のようだが。営業は?自転車を止めて近くにいくとポロンポロンギターの音が聞こえてくる。あ、やっとるな。しかも本人がいるらしい。・・恥ずかしい気もしたがコーヒーでも飲みたくなった。思い切って店に入ることにした。こんにちわ。声をかけるとヨウコさんらしきが出てきた。お茶を飲めますか?はい。どうぞ。というので一風変わったカフェで休むことにした。ここに来る人通りすがりはあまり無いんじゃないか。ボート乗りの連中もほとんど無視みたい。ヨウコさんのギター弾くのを見に来る客だ。・・ええ、知ってます。畑中の納涼祭で大雨になりましたが2曲ほど聴きました。コーヒールンバと知床旅情でしたか。あ、あの日は大雨になって大変でしたね。ええ、でもおもしろかった。あれでよいのです。・・ともかく中へどうぞ。憧れのギタリストに会えるなんてなんか感動ですね。庭のテラスがよいかも。すぐ前はもう川ですね。では、コーヒーをお願いします。

443秋魚:2013/09/09(月) 19:50:34
(無題)
・・もう秋。Hayabusaに乗って秋川街道をゆく。この軽快なクロスバイクはよく使ってあげなくてはただのクズになる。一心同体。

・・ところで秋川街道は自転車乗りには最悪だ。青梅から日の出を経由して武蔵五日市まで。山沿いゆえにアップダウンの坂がある。以前飯能から小川にいった時もそうだった。上り下りが何度もあった。青梅から武蔵五日市まではほぼ一回きりのアップダウンだがなんかだらだらとある。おまけに歩道がないところが多く道幅もせまい。さらに悪いことには大型のダンプがよく走る。小型の車でもけっこうなスピードで自転車は煽られる風だ。ダンプはオリンピック開催が決まったからでもないがえらく興奮した走りで、道幅いっぱいに来るからそのままだと接触するほどだ。ダンプの来ない間に走り、ダンプが来たら道路横に避難するという何とも情けない走りになった。・・途中正装したサイクリストに何台か会ったから、こういうところでも自転車は車道を走ってゆくのだろう。奥多摩にゆく青梅街道、吉野街道いずれも道幅はせまい。ダンプはあまり走ってないようなのは救い。それと比べこの秋川街道は自転車乗りには不向きな道だ。・・しかし出発したからには完走するのが、心情。
秋川渓谷瀬音の湯には何としても着いてみたい。あれはいい温泉だ。結局注意力を集中して必死に走る。万が一変な事故になったらあとはない。自転車に乗れる幸せというのは、六月の雨だから。・・この街道、老人ホームとか斎場が多い。自転車が普通に走れればそれでいいのだが、実にダンプが気になる。最悪といえる。

・・武蔵五日市に着いた。30分、40分といったところ。ここから瀬音の湯まではやはり20分、30分かかる。檜原街道は以前は道幅もせまく嫌な道に思えたが、秋川街道と比べるとぜんぜんよい。なによりダンプが来ない。

・・瀬音の湯にはほどなく着いた。昔は福生の方から多摩川を渡って五日市街道を走った。その時もそんないい道とは思わなかったが、秋川街道の気持ち悪さと比べたら天国と地獄ほど。・・温泉はまったく極楽に思えた。平日なのに人が多い。いいところには人が集まるものだ。・・例のアルカリ性単純泉ってやつ。このアルカリという言葉は流行のようだ。小菅の湯よりもとろりとして微かに硫黄の匂いもする。泉質ならここがno1かと思える。

・・川霧というレストランで食事したあと物産の店にいった。千代鶴という酒は絶品である。上撰辛口という普通のを買った。(今飲んでみたがとてもいい)あと蓬蕎麦とナス。ナスも先ほど焼きナスにしようとしたら備え付けのオーブンではうまくいかない。それでも二つに切って焼いた。味はまずまず。・・あの秋川街道を思うと暗い道を走るなど思いも及ばない。事故らずになんとか切り抜けるのみ。帰路に着いた。

・・武蔵五日市の駅までは楽勝。でそれからがうんざり。最初は上り坂になる。日の出のつるつる温泉への分岐点まではまだよかった。それから序序に山の中にはいる。そして例のダンプが来る。凹んだところでやりすごすのみ。まったくこの街道は最悪。二度と走りたくない。

444秋魚:2013/09/13(金) 15:47:44
(無題)
・・引越しは、ゆかいゆかい。本を40箱古本屋さんに流して物もだいぶ捨てた。これからは物をもたない工夫をすべきだ。中神の古本屋さんはネットショップでさばいてる。自分の本でどんなものが売れてるか。ハッとするものが売れている。「ゲーリースナイダー禅を歌う」というイベントのパンフが売れていた。自分は一回きり読んだ記憶もあまりない。そういうものが他人に興味をもたれ読まれるならそれがいい。吉田一穂のエッセイ集なども売れていた。自分の集めた本はけっこう売れてるはず。・・古本屋さんがんばって、と言いたい。

・・きょうは蒲団の打ち直しが出来てきた。引越し前ゴミで処分しようかと悩んだが、結局こちらに運んで打ち直しを頼んだ。職人気質の蒲団やさんがいて丁寧に品定めをしてふっくら仕上げてくれた。・・国立のホームセンターでは買い替えをすすめていたが。ホームセンタの蒲団は安いがなんか情緒が無い。こちらに運んで打ち直しは正解。もう九月から冷え込むというから、蒲団も準備したい。柄を選ぶ楽しみもあった。ハハ

445秋魚:2013/09/15(日) 20:56:59
(無題)
・・台風が来ている。ひとつひとつ出来ることを積み上げるのは、震災後の人たちと同じだ。電子オーブンレンジを買った。なるべく物は持たないようにしたかったが、食生活にオーブンレンジが便利なのは知っていた。最低限パンは焼きたかった。ネットショップでパナソニックのものを注文した。近年業績の覚束ないパナソニックを応援したかったが、madeinchinaというのはどういうことか。サンヨーの白物家電はたしかハイアールに吸収され、携帯は京セラに、その他本体はパナソニックに吸収された。ハイアールの電子レンジもあったが評判はよくない。洗濯機、冷蔵庫はよさそうだ。京セラの携帯事業はやっと利益がでるようになった。というか北米でちょっとしたブランドになっている。パナソニックのサンヨー吸収はすこし重荷だった。今のところうまくいってないようだ。パナが死んだら日本も終わり。応援したい。・・想いは単純でオーブンレンジも安いものがあった。ネットショップもamazonばかりではどうかと思ったが、結局amazonになった。・・配送予定日の夜になってようやく届いた。朝のうちに来るかと思ったが、青梅の田舎は一番最後になるらしい。早く馴れたいので、スーパーでパンやその他のもの仕入れてきて早速試してみる。オーブンとレンジの切り替わり方がよくわからない。ともかくパンを焼くことだ。このレンジ評判がいいのは音が静かなこと。パナは省エネも心掛けている。果たしてパンは4分ほどでこんがり焼けた。まずまず。

・・ジョニーデップがPLATOONに出ているとは、知らなかった。端役だが。パイレーツオブカリビアンのデップがはまり役で、彼はヒゲを落とすとひどく美青年だ。この映画の主役にという話もあったが、若さを理由に辞退された。22才。・・人格の飛躍。どうみてもデップにはこれがある。PLATOONは小連隊の意。仲間内でそりの合わない2人の戦場での殺害のシーンが有名で、自分もそれくらいしか覚えていない。デップの役は若いだけで純粋な戦争参加するその顛末は、無論、戦死。モロッコという映画でも、外人部隊が戦場で仲間内の諍いがある。・・われわれの職場でも同僚だがどうにもそりが合わず死ぬほど嫌なヤツがひとりはいる。PLATOONはすごい映画だ。気持ち悪い味方を殺してしまうのだから。・・後海賊を演じるデップは、注目。
http://www.youtube.com/watch?v=bqKUcmMeiio&feature=player_embedded

・・クロスオンロードを再開したい。今度の起点はむずかしい。隣の隣の武蔵五日市にいくのが、大変な悪路だった。もう使いたくない道だ。もうひとつ小作に近い滝山街道を使えば八王子高尾にいけるか。高尾に行くのがひとつの課題。この道はおもしろそうだが。・・地図でみると滝山街道から途中で高尾街道にはいる。ここをずっといけば多磨霊園のある高尾に着くようだ。この辺どこもダンプが走っていそうだね。前回の青梅からの秋川街道にダンプが多かったのは、わかる気がする。日の出のゴミ処理場だ。これは問題だ。・・高尾の他に奥多摩もえぎの湯というのもおもしろい。しかしこれは吉野街道、青梅街道を使って実にいやな道だ。輪行を試みるか。自転車で序序に足を伸ばすという手もある。まったくこの辺の街道はトラックが来たら接触しそう。やばい。・・さらにひとつは、青梅坂を上って小曽木街道をゆき飯能にはいる。唐竹から小栗にいくのでなく直接飯能市外へ入る。簡単なら宮沢湖の温泉にいける。あるいは日高の巾着田にもいける。・・この3つくらいか。

446秋魚:2013/09/17(火) 21:37:52
(無題)
・・Hayabusaに乗りたくてうずうず。長らく手入れもしてない。ブレーキの音鳴きが気になるが故障ではない。チェーンに油はあまり気にしなくてよいようだ。しかしいまパンクなどしたら自信がない。車輪外しもうまくいくかどうか。前輪はともかく後輪は予行で一回やっただけだから。周辺にある自転車店もどこに相談したらよいのやら。いくつかあるが。

・・台風一過。飯能の宮沢湖温泉キラリにいくことにした。ざっとネットで道を調べた。まずは青梅坂。小曽木街道に出る。出発前マンションの管理人さんに会って詳しい情報を仕入れた。電子系の技術者だけあって的確な情報をいつも提供する。飯能市街にさえ入れれば宮沢湖までは楽勝だ。・・感無量。というのは、2011/3/11の大震災のあと、身も落ち着かずママチャリで飯能に出かけたのがその年の5月3日。狭山の山を越え入間川を越えた。道を尋ねた人にママチャリをみて憐れみをもたれたようだ。ともかく着いた。宮沢湖温泉。アルカリ性単純泉のすばらしい湯だった。思い出すのは午後から雨になり帰り道を間違えたこと。ひたすら日高の方に向かっていた。大雨というのではなかったが、しとしと濡れた。後日わかったことだがこの雨は放射能がいっぱいあったはず。狭山のお茶がこの放射能のおかげで売れなくなったから。そういえば雨に濡れて髪の毛がよく抜けたし、手にも小さなヤケドのシミができた。・・あの日のママチャリ行以来いまのロングライドは病みつきになった。

・・青梅坂。いい坂だ。何がいいってここに始まる小曽木街道が絶品だから。前回武蔵五日市にいった秋川街道とはまるで違う。斎場とか老人ホームとかゴミ焼き場があってダンプが何台もすごいスピードでやってくるあの秋川街道はもう御免だ。・・青梅坂は伝説になる。クロスバイクで優に登れる坂だ。トンネルもある。狭いが歩道がつづく。これはあとでわかったが沿道に小学校や中学校がいくつかある。その子どもの為であろう。小曽木街道はダンプも走ると聞いたが実際数台来たが煽られて怖いというのはない。バスも走る道で歩道を走ればまず事故はない。黒沢川という川沿いになって辺りの田園風景は絶品。青梅もこの辺に住むとほんと都心に出ずらくなる。過疎の村かも。ずっといくとすぐ岩蔵温泉郷に入る。この岩蔵は由緒が古い。ヤマトタケルがクラを置いて温泉に入ったというからね。ここをいって奥多摩の御嶽に登り甲州に入ったはず。なにかわくわく。・・ここから飯能市街には、山越え尾根越えというかひとつ大きなアップダウンが必ずある。ヒルクライムのきついのをいくつか経験したからたいていのアップダウンは耐えられる。登りはきつかったら無理はしない。自転車を引いて歩けばよい。・・坂を上がりきった辺りでローソンがあった。荷を軽くするため水筒を持ち歩かないことにしたから、ここでジュースとパンを買った。店員に道をたずねた。飯能市街に入る方法は、と。わかりやすい話だった。以前瑞穂の方から216号を通り八高線沿いに飯能街道を走ったときより格段に爽快な飯能入りになった。ずっといくと市民郷土館があり諏訪恵比寿天神のようなのがあり余り人がいないので道がまたわからなくなった。・・能仁寺とか。とまれ東飯能駅の方へすすんだ。ここまでくれば宮沢湖は近い。一二度道を聞いて、以前来たときはこの辺の道も実にいやな道に思えたものだが、今回はどうということもなくたやすく宮沢湖のキラリ温泉に到着した。・・いやー、平日なのに実に混んでる。特に女性が多い。たいていは車できてるが駐輪場はほとんどがバイク、自転車は自分くらい。女性たちは仕事をしてないのだろう。男たちより格段に生活を楽しんでいる。子を産んで子育てをしてそれはそれは大仕事をしてみんなこんな温泉に来て体を休めるのが当然のことという風である。おもしろいね。・・温泉はアルカリ性単純泉のすばらしいものだ。最近こういった超一流の温泉ばかりいってたものだからさほどの感動はなかったが、キラリは露天からの眺めがとてもよい。宮沢湖がみえる。山の上の温泉だ。男湯のほうはすごく混んでるという風でなかった。以前来た時より快適な気がするのは時間的に余裕があるからか、そうでなくともここはクチコミで評判らしい。同じ系列でも国立にあるのはここよりずっとよいが。・・早々にしてレストランにいった。1480yen払ってバイキングというのが自慢らしい。90分食べ放題。飲み放題。自分もこれにチャレンジ。アルコールは別払い。このバイキング実は自分はあまりおもしろくない。いくら食べ放題といっても出てるものはみな同じ。これにチャレンジしてるものがみな同じ料理を味わってるというのがつまらない。個々の料理、まずくはないがバイキングという合理性からスーパーの惣菜みたいな味付けだ。がつがつした子どもには受けそうだが。1500yenも払えば河辺の梅の湯ではもっといいものを食べられる。ともかくバイキング。子どもにもどってあれもこれもガツガツ食べることにした。食はもう食べたくないという食べ方はよくない。もう少し食べたいところでやめておくべきだ。・・今度来た時は蕎麦とビールだけにしておこう。・・

・・ここの温泉つくるとき、縄文の遺跡が出てきたとか。当時の遺物が陳列されていた。宮沢湖は人造湖。にしてもこの山の上の縄文集落はのどかなものだ。いまは温泉だが。

・・帰路に着く。前回道をまちがえてひたすら日高の方へすすんだ。同じ轍を踏まないように右へ右へと折れた。飯能市街に入ってさてもと来た道がわからない。うろうろして今度は西武線の飯能の駅前にでた。飯能は八高線の東飯能よりこちらの方が格段にひらけている。交番があって女巡査に道をたずねた。さすがうまく教える。今度は来た道とは別の道をいくことにした。駅の反対側にでて正面の道をまっすぐいけばよい。T字で突き当たったら右へやがて小曽木街道に出るでしょう。この道をいくことにした。なんという立派な道か。両側は高級住宅街。モールなどもある。感動しながらいくと小曽木街道にでた。ここから岩蔵温泉のあたり通ってあとは青梅坂までけっこうあるがたぶん楽勝。時折大きな車も来るようだったが、歩道もあってのどかな帰り道になった。帰路は80分くらいだった。

・・青梅坂、小曽木街道、岩蔵温泉、飯能。これはいい。

447秋魚:2013/09/18(水) 21:15:56
(無題)
・・多摩川上流、自転車でどこまでいけるか。吉野街道、青梅街道を走ってみる。梅郷梅の公園あたり街道を外れるとのどかな道がある。沖縄料理の店もあるようだ。いまは季節はずれ。梅の咲くころに歩きたい。これから秋にかけ紅葉が奥多摩に映えるだろう。・・吉野街道は時折歩道が途切れる。しかもダンプがよく走る。うれしくない道だ。即清寺を訪ねる。真言宗豊山派で四国八十八所を模した札所があるという。つまりこの寺だけで八十八すべて廻れるという。・・歩いていくと第一番、弐番があって次がどこにあるかわからない。墓地の中に入っていかねばならぬのか。先の方で墓参りの人が見えた。こんなところを歩くものじゃない。・・また街道にでて今度は奥多摩橋のあるところで川を渡った。二俣尾の駅にいく道だ。この橋の景観はあいかわらず足がすくむ。写真をとって向こう岸へ。ここも川に沿った裏道をいく。のどかな道だ。彼岸花がところどころ咲いている。青梅街道はまだいい。ダンプもあまりない。というかダンプは吉野街道を走れということかもしれない。やがて軍畑大橋にでる。ここらあたりまでは前回リベラ探しで来たところ。自転車はよく廻れる。この橋も立派で足がすくむ。これから先奥多摩は峡谷の風で橋は足がすくむところばかり。景色がいいというよりこの世の生があやうく感じられ怖くなる。まったく酔狂な話だ。

・・橋を渡ってふたたび吉野街道。この道はいやな道で、川沿いの裏道をめざしたがすぐに本道のほうに出てしまった。あきらめて吉野街道をひたすら御嶽方面にhayabusaを走らせた。あまりよく覚えてないがダンプが何台か来たのと歩道もあったかどうか。おまけに所々工事をして片側通行になっていた。ひきかえすという考えはなくともかくかんざし美術館のあるところまではいきたい。思うにこのあたりの道まだいい方なのではないか。ほどなく美術館に着いた。おもしろそうだが寄るのはあきらめてともかく御嶽まではいきたい。そう思っていたら御嶽駅の近くまできていたらしい。玉堂美術館の上に着いた。川合玉堂という日本画の大家だ。この美術館寄る気も無かったが身の置き場もなく急遽街道を外れて下のほうへ降りていった。豆腐料理で有名なままごとやのいもうとやというのが店を出していて美術館に寄ったらここで食事をするらしい。蕎麦を食べたかったがここはない。・・その前に美術館に立ち寄ることにした。5百円払っていまは玉堂の水墨画を特別展示していた。玉堂は晩年を青梅の御嶽に住んだ。戦争で疎開してきたという。この美術館には皇室もよく訪れている。そういう写真があった。水墨画とかこのあたりの風景を絵にとりいれていた節がある。寒山拾得とか陶淵明とか。石庭の庭がありひとまわりして心が洗われた。・・もうお昼でいもうとやにはいることにした。豆腐料理の懐石定食を注文して先日のキラリのバイキングよりすこし安い値段だった。ビールは飲まない。・・さすが評判のお店だけあってこの料理の美味なこと。ひとつひとつ絶品の味がする。懐石というのはおもしろい。料理のミニアチュアだ。日本食が世界に誇れるのはこの懐石だ。女の子がスマートフォンで温泉めぐりをしながら懐石料理を楽しむ。これが一番のおしゃれの時代がもうすぐ来る。バイキングより懐石。これにつきる。ハハ

・・ついに御嶽まできた。御嶽登山というのはずっと昔3回やった。きょうは自転車の奥多摩詣でだからこれで目的は果たせた。山には登らない。もうひとつ先の川井の駅までほんとは足を伸ばしたかったが、無理はしない。帰りは青梅街道にでてここを走ることにした。こちらのがいいな。御嶽までなら自転車で楽勝かもしれない。沢井の駅の近くで沢の井酒造があり、豆腐料理のままごとやもある。都内の文人たちが懇親の会をもったりするところだ。時間があったので酒造の見学をすることにした。ここの売店とかもいい。ずっとお酒の話があった。お酒明神は松尾さまという。松尾芭蕉を思い出した。沢の井は元禄17年創業とか。奥の細道の芭蕉死後10年のことになる。沢の井は老舗の酒造。地下水の井戸もみせてもらった。よい水が決めてらしい。・・利き酒はあら冷やしというつくりたて。濃厚なよい味がした。自転車の酔っ払い運転にならないよう、ちょっとだけ。

・・御嶽はヤマトタケルが来ている。その足跡が気にかかる。

448秋魚:2013/09/19(木) 21:39:52
(無題)
・・天高く秋晴れ。hayabusaと出かけずにいられない。きょうは吉野街道をずっと下って滝山街道に入り秋川、さらに戸吹峠をこえて八王子、高尾までゆく。秋川を渡るすこし手前に銘酒千代鶴の酒造がある。なんといっても高尾にいきたい。甲州街道にでる方法を会得したい。この頃のロングライドは横超という感じだ。以前は都心を中心として東西南北自在に足を伸ばせた。武蔵野の郊外の郊外。日本画の川合玉堂は晩年疎開で住んだ多摩川の奥。リベラのサカイヨウコは隠れ家という。いずれにしても一本道で出会うものは限られている。が、果たしてそうか。自転車で走れる道をすべてスキャンしたい。・・そういう大げさなのでもないが、きょうは滝山街道から高尾街道にチャレンジ。最近目に付くのは自転車のロードレースの為×月×日は通行止めになります。というやつ。つまり自転車にはほんとにいい道だということですね。

・・吉野街道は一部でとても走りづらいところもある。ダンプも来るし。しかし滝山街道は爽快この上ない。小作あたりから入る。

・・秋川まではなんとか着きたい。途中トンネルもあってあきるの市内に入る。道は悪くない。睦橋通りを過ぎてここいらは覚えがある。秋川にでる手前に千代鶴の中村酒造がある。ここは帰りに寄りたい。すぐ秋川に出るがここいらはあきるのインターというのか高速道路など錯綜している。滝山街道をどういったらいいのか戸吹トンネルをくぐってこれは長いトンネルだ。車が来ると音が反響してそらおそろしい風だ。早く抜けたい。抜けてすこしいくと高尾街道に出る。ここをいけば高尾にいけるだろう。しかし余りいい道ではないね。交通量が多く道もせまい。歩道もない。創価大学がある。このあたりが一番いやな道だ。犬目という変った地名がある。もう引き返すことはできない。が、帰りの道を想像するとぞっとする。・・思うにはじめてのルートは時間もかかるしむずかしく感じるものだ。このあたりも慣れてしまえばいい道なのかもしれない。ダンプはいただけない。・・だんだんと八王子、元八王子に入って道も広くなってきた。こんどは浅川をわたるはず。ほどなく浅川をわたる。この浅川沿いにいって高尾に行く方法があるのを思い出した。で、それに沿っていこうとしたら川沿いの道が途切れてしまった。畑いじりの人に聞くとこれは北浅川、南の方の川なら高尾にいけるとのこと。なんかもう高尾はあきらめたくなった。しかしいつものことだ完走したくなる。高尾山の麓でソバを食べたかった。・・ずっといく。陣場街道を突っ切ってそろそろ近い。山越えの坂道があって下りついに甲州街道へでた。ほとんどJR高尾は近い。2時間半かかった。

・・駅前の売店でお茶を買いきょうはこれで引き返すことにした。武蔵野陵が近くにありここに昭和天皇もお眠りになってるはず。あの山の向こう側だろう。どうしてここが皇室の墓所か気にかかったがきょうは帰路に着いた。・・帰り道は、たぶん2時間でいける。往路よりずっと楽だ。中村酒造に寄って利き酒をしてみたい。酔わない程度に。

・・千代鶴のファンです。

・・サンマの新物が安くなってる。オーブンレンジの性能を試すためにサンマを一匹買った。塩焼きをつくってみる。取説にはサバの塩焼きはあるがサンマのはない。むずかしいのかな。切り身でなく丸焼きというのが難かも。スーパーに出てるのはよく焼けてるではないか。えいっ。とばかり塩焼きにチャレンジ。切り身をいれ、温度と時間調節。丸皿よりすこしはみでるか。曲げていれる。下にアルミフォイル。内側が魚臭くならないか。ジー・・結果は、こんがりという具合ではないが、魚は焼けた。ともかく食べられるようだ。もっとうまい焼き方がありそうだが、一応これでいける。だがあまり使いたくない。・・千代鶴の純米吟醸の生酒はうまい。酒造に寄って愛想のいい娘さんがいろいろ話してくれた。みやげに買ったものだ。飲みきりサイズでチビチビ飲む楽しみはなかったが冷やして飲むと極上の味がする。サンマに滴らすレモンはなかったが、秋の味覚を楽しんだ。

449秋魚:2013/09/21(土) 18:59:25
(無題)
・・一番いいのは青梅坂、小曽木街道。片道一時間ほどのポタリング。二度目のチャレンジだが青梅坂はまともな坂だ。ずっと登るとトンネルがある。ここを抜けると下り坂。急なところからだんだら坂がしばらく続く。ここはバスも通るようだが。青梅でこのあたりに住むのは勇気がいるな。トンネルという胎内くぐりは日常にしたくない。帰りもこの道を通ってセブンイレブンとかコンビニを探したが一軒もない。ずっといくと岩蔵温泉郷で少しは名の知れたところだが。

・・飯能直竹から山王峠をへて唐竹まで。車の量も多くは無い。自転車は時折。山王峠まですこし歩いてしまった。ここの坂はきついよ。帰りは特に。峠越え。前にも来た道でだいぶ気が楽だ。峠からの下り坂でもう入間川、唐竹は近い。・・さっと来たが、ヤナイ氏は留守であった。車も無い。犬がいて吠えてきたが、自分のこと憶えているよう。すぐにおとなしくなった。・・あきらめて入間川沿いに飯能市街にでることにした。道中コスモス、彼岸花があちらこちら咲いている。巾着田ももう見ごろだろう。去年巾着田にいったときは感動だった。自転車でいくのがよかった。・・きょうのポタリングで彼岸花はずいぶんたくさん見た。ことさら巾着田にいくのもくどい気がする。一回だけにしておくか。・・きょうは飯能様子見のポタリング。ロングライドとはいわない。入間川沿いに下って飯能市街にいくのは意外と長い道のりだ。一時間もかかりそう。下りなのにね。ずっといくと入間川にかかる岩根橋というところにでた。あ、覚えがある。先日小曽木街道から飯能に入った橋だ。ここを登っていけば小曽木にでて青梅にもどれる。・・ここいらに酒造がありそうで寄りたかったが、見つからない。道中有馬酒造というのがあったが休みらしい。天覧山という酒はどこで飲めるのか。・・きょうはあきらめ。岩根橋を渡って小曽木とは反対方向へ自転車を走らせる。美杉台団地のほうへいく。飯能の駅からまっすぐの道があるはず。先日はここを通って帰った。酒造にぶつかるのを期待したが、ありそうになくあきらめ。

・・二度目の帰路になる。車はほどほど。時折ダンプも来る。・・青梅坂。こんどもきつい。トップまでは歩いてのぼる。しかしいい坂だよ。なにかの伝説になるだろう。きっと。

・・青梅駅の裏にいって「夏への扉」に寄る。ここのカレーは美味い。ハイキング帰りの女性が二人客でいる。ここはけっこうファンがいるようだ。・・コーヒーが切れそうで豆を挽いてもらった。梅郷のI氏が福生で個展を開くという。案内状がまだ来てないそうだ。もうそろそろだろう。

・・作品の力。ヤナイ氏の作品に力があるのは見なくてもわかる。展示そのものは不特定の誰かが見ればよい。作品の力を作家は信頼すべきだ。・・不可視の舟。見えないが舟はある。見に行かないのではない。不可視の舟、失われた舟を見ているのだ。

450秋魚:2013/09/23(月) 00:38:27
(無題)
・・福生まで。青梅線で拝島、福生、羽村あたりは異様だ。休日に電車に乗ってくる外人はその体格といいおそらく横田基地の軍人だろう。仲間同士で話す英語を聞き取ろうとするが、ネイテブ同士は早くむずかしい。彼らの生命力といったらいつも圧倒される。クロがけっこう多いが。われわれ日本人はなんか貧弱ですね。

・・知人の絵描きさんの個展があるというので福生の16号沿いにあるAtelier Noteに自転車を走らせた。線路沿いにいけばよい。駅前までいけば後は簡単。八高線の東福生の駅をめざせばよい。あるいは16号でもよい。ただ福生まで時間がどれだけかかるか、興味だった。50分から1時間。そんなものだろう。道に慣れれば45分か。・・16号メイン通りの外れのあたり。喫茶ノエルの2階がAtelier Note.感じよい女主人が案内してくれた。・・ここの女主人以前どこかでお会いした気がするが、どこでだろう。・・あとで思い出したが、三宅島で会ったハットリトモコ氏に似ている。もう何十年か昔のことだが。スキューバをやりに来ていた。もともと看護婦希望だった。なんか似ている。・・なつかしい気もするが。

・・ほどなく作者先生一行が見えた。トシオ先生はどうもみなに慕われているようだ。絵で先生とよく呼ばれている。サジさん、ヤスダさんも見えた。何十年ぶりかの再会だった。ヤスダさんは特にやせちゃったね。わたしは全然変らないというけれどそれって年相応進歩がないということかも。ハハ しかしみんな力強く生きててほしい。・・このギャラリの下でジャズのライブなどもよくやるらしい。即興とか。もともとは自転車店ですごい老舗のようだった。・・さすが福生だ。

・・絵は「植物の呼吸から」という。

451秋魚:2013/09/25(水) 22:58:22
反発のマリア
・・雪を踏み ゆきを婦美 こころ雪の如く 浄化す  (白鳥省吾)

・・大変なことになった。ポエム通信「泥水」の表紙の素晴らしさが今応えてくる。1993年2月号。市原氏、生きててよ。

・・八鳥 −三宅島の妖女ハットリトモコに

 「うまし名の」李白も酒に呑まれける
 パッと開く蜜柑の花
 潜ってみよう珊瑚樹のササメキまで
 「さつきの群生」garnet eyeしてます
 「告らさねと」鯛や河豚やヒラメや
 小悪魔の花啄むケラケセラ
 八丁平に魚目瞑想「あかこっこ」
 磁器のかけら梅花香りぬ
 赤場暁でワープ/android ziggy
 「おやまおやまおやま」面食鳥がゆく

・・あれから二十年が過ぎた。東京から島狂い。大島、神津島、式根島、・・三宅島。足を痛めてよく行ったものだ。三宅島は雄山が噴火するすこし前のこと。・・旅先で出会った妖女はハットリトモコという。幼児の好奇心で冬場にスキューバをやりにきた。そういっしょに山にも登ったね。あれは雄山といっていっしょに登って仲良くなりそこねた。もう記憶はおぼろ。・・反発があったのは、記憶にある。やわらかなものだが。きみは変わりものだった。(わたしと同じく)

・・二十年。都心から同じような反発で弾き出された。これは内緒でこのトリップアートの仕掛けはある意味でわたしが仕掛けたものだ。あんな時代物のブスに誰が本気になるか。トモコさんではありません。トモコさんはマリアです。

・・で、驚くべきことにそのマリアが二十年たって眼前にあらわれた。それも不意に。

452秋魚:2013/10/02(水) 22:55:59
(無題)
・・いやはやすごいことになった。四谷怪談ですよ。イエモン殿。・・温泉は人を癒すばかりではない。地獄温泉というものもある。鉄輪、かなわ温泉。これこそ四谷怪談。・・実際、四谷にはお岩神社というのがあるらしい。トモコさんがそう言う。妻をもたなくても怪談はある。ここをロングライドでいかに克服するか。自転車遠乗りの意味もわかる。すべては、くらぶ山。化けてでるのは貴船山。北緯35度泉。


 梅の花??匂ふ春べは??くらぶ山??闇に越ゆれど??しるくぞありける  (紀貫之)

 秋の夜の??月の光し??あかければ??くらぶの山も??越えぬべらなり  (在原元方)

・・くらぶ山は鞍馬山、貴船山とも。・・ただの暗部山か。

・・貴船は黄船、貴布禰とも。・・気生根という。

・・

 春の夜の??闇はあやなし??梅の花??色こそ見えね??香やは隠るる (凡河内躬恒)


・・貴船寺は鉄輪の舞台。一遍が開いた別府の鉄輪温泉

・・別府市大字鉄輪字風呂ノ本224番2; 緯度: 33.315483; 経度: 131.477806.

>・・社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えている。社名の由来は「黄船」によるものとし、奥宮境内にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小石に覆われたものと伝える。「気の産まれる根源」が転じて「気生根」になったともいう。

・・

  *


 盃やなるとの入日渦桜
                 西鶴

453秋魚:2013/10/12(土) 23:48:27
(無題)
>・・エジプト神話において、人間は肉体、バー(Ba)、カー(Ka・精霊)の3つの要素から成り立っていた。人が死ぬとバーは肉体から離れ冥界へ行くが、肉体がそのままであればカーがバーと肉体の仲立ちをしてアアルで再生できるとされた。そのため肉体の保存が必要となり、ミイラ作りが盛んに行われた。ちなみにバーは、人間の頭をした鷹の姿で現される。

>・・アアル(英: Aaru、Yaaru、 IaruまたはAalu)とは古代エジプト神話におけるアアルの野やエジプトの葦の原野とも言われる楽園のこと。これはヘリオポリス九柱神の一柱であるオシリスが支配する世界である。このことはナイル川デルタのカー(Ka・精霊)として説明される。

・・「葦の原野」・・トヨ葦原瑞穂の国。・・R

454秋魚:2013/10/19(土) 15:23:20
(無題)
・・台風一過。ipodとともにロングライドに出た。といっても、以前の古巣国立に向けてだが。吉野街道、青梅街道を避けて、側道を探していくのが此の頃の走り方だ。青梅から東青梅あたりまではいい道がある。川のある方へ大きな傾斜があるが、その中ほどの道は車も通らず実にいい。曲がりくねって坂もあるのも心地よい変化だ。繭蔵(レストラン)のあるあたりまでは楽しくいける。河辺あたり新奥多摩街道にでても側道を探した。小作、羽村あたりも裏道がある。すっかり秋になってあの猛暑も夢のようだ。ipodに流れる音楽はみな切なく聴けるのは何故だろう。タブララサとかチゴイネルワイゼンとか。そうでなくともホイトニーヒューストンとかセリーヌディオン、フィリパジョルダーノまですべて胸がきりきり心臓に来る。わたしも意外と先が無いのかもしれない。ひとつひとつ出来ることをやらねばならない。いつ大きなカタストロフが来るかしれたものではない。
・・福生の田村酒造の前を過ぎて多摩川の土手堤にでた。このサイクリングロードは昔よく来たものだ。この酒造の嘉泉はよくみやげにした。まあ美味な酒だ。この近辺で地酒のほんとうに美味なのはあきるの市の千代鶴だろう。青梅から滝山街道をゆき五日市線の秋川あたり川のすこし手前に中村酒造がある。もう三度寄って利き酒をし千代鶴を手に入れた。まったく宣伝をしないせいか酒造もひっそりしてる。・・この酒造の魅惑についてはまた後日。

・・毎度来ていつも同じ道というのはつまらない。立日橋を通過しこのあたり実は地勢がよくわからない。モノレールの橋があるはずだが。一度川原に下ってホームレスのテントがよくあったものだ。立川の市営グランドのわきを通って、かなりローカルな道を土手から離れて今回はずっと真っ直ぐ。なんだかだとヤクルトの中央研究所の新築現場にうつかった。ヤクルトはおそろしく成功した企業だ。発展途上の南米とかで爆発的なヒットをしたとか。この中央研究所が谷保にある。すこし坂をあがると城山という魑魅魍魎がいそうなところ。夏はまむしがでる。この城山、中世三田氏の住まいだという。青梅の軍畑はやはり中世青梅一帯の三田氏と八王子あたりの北条氏の戦いがあったという。まあそんな簡単な勢力図でもないだろう。青梅の由来は平将門で多摩川をくだって羽村あたりには阿蘇神社がありこれは将門を討った藤原秀郷ゆかりだという。将門はもう少し調査するべし。

・・引越し前本を引き取ってもらった古本屋に寄った。ここと中神の本屋さんにお世話になった。まあ本の事情は最悪でこちらもいい本をただ同然で投げたものだが。体を悪くしたそうだが、なんとか商売はやってる。商売にさえなれば本屋さんにはがんばってもらいたい。・・多摩川を下るロングライドも国立、府中あたりの温泉が目標でぐっとスケールダウンしたのはいたしかたない。夜暗くなっての帰路は避けようもないから、安全な方法を確保したい。今回めずらしく国立の駅から立川に出るのに道に迷った。線路沿いの道はない。おかしいのは自衛隊の基地があるあたりに来た。まったく不思議。出会う人に道をたずねてひたすら立川の駅をめざした。町で道に迷うのは恐くない。とんでもない方角にすすんでいたようだ。・・昭島の温泉に寄った。ここの岩盤浴は捨てがたい。アルカリ泉も魅惑だが滅茶混むのがやや難だ。もうずっと夜遅い。すこし混み具合も減ってゆっくり帰路は九時になった。

・・ここも拝島からの道がいつもわからない。16号から奥多摩街道にでるのがわかりやすいが、もっといい道があるはずだ。今回探索するはずがもう夜も遅い。あきらめて奥多摩街道に出ることにした。

・・昼は多摩川CR、夜は青梅線沿いの奥多摩街道というのなら定番のルートになる。横浜のみなとみらいに出たいがこれは要考慮。もうひとつ試みたいのが多摩川を遡っての奥多摩行。奥氷川神社ともえぎの湯がある。

455秋魚:2013/10/29(火) 02:21:42
(無題)
・・今日もipodriderに出る。羽村玉川の取水口あたりまで、このあたり何度か訪れたが川沿いにある阿蘇神社はいまだに謎だった。新奥多摩街道とその下の奥多摩街道さらに川べりまでの土地の起伏といいほんとにすばらしい。阿蘇神社の標識は見かけるがそれがいったいどこなのか、今日は絶対見つけてやる。だいたい関東の武蔵の国に阿蘇神社とはこれいかに。うさんくさい気がしないでもない。・・通りがかりのお年寄りに尋ねた。よく知ってるみたいだが、道を教えるのはあまりうまくない。ふにゃらふにゃら。そのあと何人かに尋ねてわかったが、もともと教えずらいところにある。・・玉川の取水口から青梅の方へもどる感じで川沿いだというからそういう道を探して進んだ。水上公園というような広い敷地もあり多摩川の向こう岸も緑豊かでよく見える。滝山街道を秋川へ向けて自転車を走らせたあたりだろう。このあたり向こうもこちらも絶景か。川沿いにずっといくとけっこう走ったが、阿蘇神社の南参道の鳥居があった。・・やった。だが、こんな川べりにあっていいのか。ずんずん参道を進んでいくと自転車は乗れないほどのぼこぼこ道でいけどもいけども本殿はあらわれない。鬱蒼とした木々がでもそれは桜らしく春になったらさぞかし妖艶な花道になりそうでぞくぞくする。犬を連れた奥さんが通りがかったのでまた尋ねてみる。もう少しいくと本殿がありますよ。あ、ありがとう。もう神社は無いのかと思いましたよ。よかった。また気を取り直していくと、あった。・・藤原秀郷がお手植えの椎の古木があるという。いや、風格がある。推古天皇の頃につくられたとか。その後平将門が改築し、藤原秀郷も手を入れた。こんな辺鄙なところになぜこんないわれの多い神社があるのか。今の建物は江戸時代のものでそれでもずっと古い風だ。椎の古木もどれがどれだか今日は神社を見つけただけで満足。日も落ちてきたので写真を一二枚とって引き上げることにした。

・・しかしこの東国になぜ阿蘇神社か、いまだにわからぬ。「・・祭神は、建磐龍命(たけいわたつのみこと)、阿蘇都媛命(あそつひめのみこと)、速瓶玉命(はやみかたまのみこと)で」・・この建磐龍命だけでも読み解くとおもしろいかも。・・速瓶玉命(はやみかたまのみこと)なら多摩川に関係あるか。う〜む

・・きょう再び羽村あたりを通ってipodriderにでる。Hayabusaを動かせておかないと落ち着かない。こんなブレのない自転車はじめてだ。近いうちダンプ街道を奥多摩にむかう。まったくひどい道らしい。ぐっと冷え込む季節になった。・・多摩川べりに出た。まむしが出るというCRだが、ついぞ見たことがないと思っていたらこんな季節はずれで蛇がいた。道のうえで身をくねらせていたから蛇だ。小さいやつだが色合いからしてまむしだろうか。実はわたしは本物のまむしを識別できない。過去にそれらしいのを見かけたことがあるが、○○に魅入られた××になりそうでさっと視線をそらすことが度々あった。赤っぽくて色の風合いだけは憶えている。でもヤマカガシもそんな感じだ。・・ネットのyutubeで蛇女の見世物動画を昨夜みた。きれいな子がきりりと化粧して蛇をあやつり頭から口に呑みこみ最後は噛み切って食べてしまう。ああ、おそろしい。ほんとの蛇だ。こういう見世物は昔からあった定番らしい。どうして女の子はああいう残酷なおぞましいことが出来るのだろう。ああ、こわい。・・蛇をやりすごしてもくもくとipodriderをやる。

・・陽がどんどん落ちて銀色のススキがよく映える。デジカメを落ちてゆく太陽にむけて撮った。逆光の写真というのはデジカメでよくとれる。太陽にむかえば蛇もついては来れまい。・・ロングライドに出ると引き返そうという気はさらさらなくなる。もう何が何でもいくところまでいく。・・というのでこの日も夜遅い帰り道になった。国立から立川へいともたやすい道のはずがまた道に迷った。迷うとは自分の居場所をすべてあきらめることだ。ここにしかいない。東西南北、前後左右の忘却。進んでるつもりが後退したりする。よくある雪中の進軍はこうやって墓穴にはいる。富士山の麓の樹海も同じだろう。方向をあきらめず進んでいても一度錯誤すればそれは致命的かもしれない。前回はどこかで一度方向を間違えた。これは気がついたら修正すればよい。今回はまちがえそうになって早めに道をたずねた。タクシーの女性ドライバーだったがさすがに地理はくわしい。磐石の教示で立川の駅にでた。・・それにしても昔住んでよく知悉した場所がこうもわからなくなって迷うのは不思議なことだ。たしかに土地も人もどんどん変っている。浦島太郎の小さな体験かも。

・・中神の本屋さんに寄る。ここの店主もなつかしい人だ。同年輩でひところ若い頃はヒッピーの先端を生きていた。わたしなど頭が下がる。なんとか古本屋で食っててほしい。ケイバ天皇賞は外したようだった。

・・帰路はかねてより探索しあぐねていた拝島から福生まで一番よい道をさがす。あ、温泉に寄った。ここは混むがいい温泉だ。・・拝島駅の北側にでた。前回まで南にでて16号に押し戻され奥多摩街道をとるのは、えらく遠回り。青梅に行く線路沿いの道がよさそうだが、実は無い。ここでまた道を尋ねる。その人が実にくわしい人だった。16号の側道をいけばよい。そのままいくと東福生にいってしまうが途中で左に折れれば牛浜方面へいく。青梅線にうつかるまで道があれば福生駅前につくだろう。・・果たしてその通りになった。東横インが見えてここまでくればあとは楽勝。先日アトリエノート通いで夜でも帰れる。

・・河辺駅まえのスーパーでパンを買って帰ったのが真夜中近かった。昭島ー福生は30分短縮でよい成果だった。

456秋魚:2013/11/02(土) 21:37:10
(無題)
・・くるおしい秋の日。ipodriderにでる。いきなりタブララサがかかる。多摩川を下ってばかりはよくない。上に行く。吉野街道のダンプを避ける方法を考えておかなければ。というより吉野街道を走らない道はないか。畑中からすぐ下って川沿いの道があった。とりあえず日向和田をめざす。あちこち柚子の黄色い実が目立ち始めている。本格的な紅葉はまだだろう。

・・先日は釜の淵公園の郷土博物館を訪ねた。ここも近いからついぞ訪れてなかったが、いってみると感動!宮崎家の古民家には案内人がいていろいろ解説してくれる。新町にあった吉野家もそうだが、青梅市はえらい。案内人を置いている。郷土館は青梅の歴史がよくわかるように充実している。布団の打ち直しをたのんだ店が職人風でていねいにふっくら仕上げてくれた。明治期から青梅の自慢は夜具地という宣伝がある。ほかに青梅縞の織物も特産だがこれは地味だ。戦時中は吉川英治、川合玉堂らが疎開してきてるが、柚木の山にB29が墜落したり日本機も飛龍とか墜落してエンジンが展示されてある。縄文時代の遺跡もあるし、神話のヤマトタケルも御嶽にやってきた。平将門も闊歩していたしなんかすごいところだ。・・この土地の人はまれに話をすることがあるが、みなていねいに話す。ひねたところは少しもない。自分のようにひねくれのかたまりには忸怩たるものある。・・釜の淵というのは、多摩川はここで大きくS字に蛇行する。川の流れは、かんぽの宿の切り立った岩壁に当たって曲がり、次に向かいの美術館の下の岩壁に当たって曲がる。その岩壁のみごとなこと。ここいらの地層の堅固なのがわかる。大地震が来ても山崩れは無いだろう。

・・きょうは上流をめざす。秋のうちに鳩の巣から奥多摩の氷川神社までいってみたい。とりあえず近辺を散策する。ぞくぞくするのは、羽村あたりの阿蘇神社を探した比ではない。吉野街道の下の道はいい道だ。万年橋から神代橋までにもうひとつ和田橋というのがある。こういろいろ道があるのに吉野街道しか走らなかったのはいかにも迂闊。秋冷えだからでもないだろう。ぞくぞくする。・・なるほどね。吉野街道をパスして日向和田に出られるな。仙人の家を訪ねたが留守のようだった。さらに川縁の道を石神の方にいく。この辺も未知の道だ。柚子がちょうど黄色く色ずく景色だ。また何か今度は細い橋があってそこも渡ると青梅街道がありその上が石神前の駅だ。この駅は無人駅の神さびたやはりぞくぞくする。駅前に桜の古木があってここも春はきれいというか神々しい気だ。田山花袋が明治期に訪れあたりは奇景で桃の花咲く里だという。ここの桜はぜひみたい。隣の石神神社は由緒がわからない。大きな公孫樹の木がある。・・ぞくぞくの連続できょうはもう引き上げたくなった。こわい。すぐ下の青梅街道を走ることにした。ところがさっそく大きなダンプがやってきて煽りはしないがまったくわがもの顔。やはり自転車にはいい道ではない。と思うまもなくサイクリストが3人すいすいと車道を走ってきた。こういう道の走り方もあるのだろう。今度の奥多摩行きでチャレンジしたい。

・・日向和田にでてまた川沿いの道で帰ることにした。そっくりそのまま同じ道にはならない。途中蕎麦やの老舗があってここもいつか入ってみたい。まだまだ未知の土地がぞくぞくと魅惑する。

457秋魚:2013/11/10(日) 01:50:56
(無題)
・・黄葉がはじまってる。青梅郷土館のある釜の淵公園のカツラはみごとな黄葉だ。イチョウのように黄色くなるが葉の形がハート形でゆかしい風だ。紅葉の赤い葉はまずウルシが早い。これはいつか福島の五色沼でみかけた。ウルシの木は自分はまだ見分けられない。

・・紅葉の盛りの頃に奥多摩のポタリングを思案している。少しずつ紅葉がすすむが外に出てないといつの間にか色づきがすすんでいたりする。先日福生のアトリエから見た基地内の木はかなりに色づいていた。ケヤキかな。これも識別できない。山の方が早いはずだが。・・うかうかしてられない。秋川の千代鶴の酒造を訪ねた。ここの酒は美味い。すこし呑んですぐもう一杯呑みたくなる。この味は不思議だ。こう書いただけでも味覚を思い出しすぐ試したくなる。いますこし味わった。・・お店のお嬢さんは利き酒はダメですという。自転車に乗ってきたのがばれてしまったから。絶対ダメ。前は知らなかったことにして飲ませてくれたのに。今回はガンとしてお断り。・・どうせ美味い酒だ。今度奥多摩にいくから「奥多摩」という特別純米にした。酒造の敷地にカキが鈴成り。これは庭のカキです。三つくれた。ありがとう。このカキも美味しかった。・・しかし不思議な味だ。

・・この酒造に行く道も吉野街道を避けていく道を探した。あるあるすこし入り組んでるがくにゃりくにゃりで何度も人に道を尋ね、ええこの土地の人はよく教えてくれる。自分は都会ずれか合理性ばかり追求する風でなんとも涙がでそうになる。・・しかしここもすばらしい道だ。

・・ipodriderで、今日は飯能のヤナイ氏のアトリエに向かった。例の青梅坂。これはそれほどだらだらではない。急なのを一気に上ればトンネルがありそこを越えればずっと下りになる。登るのはつらいが下りはぞくぞく事故のないよう気がひきしまる。・・連ちゃんの自転車はやはり少し重いか。竹林は黄葉はしないがそれでも秋の風だ。凛として気がひきしまる。・・紅葉はけっこう進んでいる。だがまだまだ。山王峠。かならずここに来る。がんばらずに自転車を引いたほうがいい。ここを越えれば直下降。入間川まで。

・・アトリエは盛況だった。

458秋魚:2013/11/21(木) 20:42:49
(無題)
・・琴の弦が秋の日に堪えかねて自ら音をかなでだす。という八木重吉の詩があったような。・・自分もついに懸案の奥多摩ロングライドにうってでた。多摩川の奥へいけばいくほど深くなる渓谷は途中まで何度か試みたが、まったく背筋がすーっと冷えて下半身が脱落するような恐怖がある。あるサイクリストはいともたやすく行ってしまうらしい。なにせ吉野街道、青梅街道ともダンプが多い。道がせまくなってダンプに煽られるのはやってられない。爆音をたてるバイクライダーもいる。郷土館の案内嬢に聞いたが、青梅街道のダンプは煽りはしないらしい。事故ったら彼らもおしまいだ。

・・予習したごとく、裏道を使って奥多摩橋のある二俣尾その先の軍畑までは散歩のごとくすばらしい自転車の走りだ。吉野街道はダンプ街道でいっさい避ける。御嶽までも歩道のある青梅街道はなんなくいける。・・紅葉はこれから一週間が盛りだろう。植林で常緑樹の多いここらの山は、ところどころ自然の植生のあるところは黄葉紅葉が盛んだ。柚子の多い土地だ。・・御嶽から川井まで道路もせまく意外と長い。ここらあたりから未知の道だ。車の用心ばかりで今はあまり記憶がない。紅葉がよくて景色のいいところで小休止。松乃温泉水香園の前もすばらしい紅葉だ。ここはいつか泊まってみたい。古里という駅がある。ここで吉野街道と青梅街道は合流する。昼の時間をねらったので思ったほどダンプは来ない。古里のすこし先で砕石工場があった。おおかたのダンプはここまでか。・・古里から鳩ノ巣まで。鳩ノ巣渓谷もたいへんな紅葉のメッカらしい。今回は割愛。ひたすら奥多摩の氷川神社をめざす。途中白丸ダムのあるあたり。ここらあたり渓谷の景色紅葉は色づきがよい。この辺の橋の名前も忘れたが、写真をいくつか撮った。トンネルがいくつかあるがすべて側道でいける。白丸まで来ると奥多摩新氷川トンネルも近い。入り口をすぐ左の側道にはいるとなんなくもえぎの湯がみえてきた。ここも今回の目玉。今は通過して奥多摩の駅をめざす。もう近い。駅の観光案内所に寄って奥氷川神社を教えてもらう。ついでに他の地図も手に入れる。こういうサービスは無料だが観光地ではできるだけお金は落とした方がいい。温泉で散財するのが自分の常だ。・・奥多摩氷川渓谷が紅葉のランキング一位と聞いたが、どこか。案内所で聞くべきだった。三本杉のある奥氷川神社は駅のすぐ近く。この杉はみごとだが、社はしょぼい。まあ御岳とはくらべられない。さあ、あとはもえぎの湯だ。すぐに温泉に向かった。・・温泉は一時半に着いた。奥多摩まで休み休みで2時間ほど。ノンストップなら家から90分といったところか。観光シーズンで温泉は登山客、ハイキング客で多い。けっこう建物も新しい。どんどん入場してはやく一風呂浴びねば気がすまない。せまいところがごったがえしている。温泉は透明泉で期待した以上。日本の最古層の地層の湯だそうだ。人が多いが温泉はそのほうがいいかも。レストランで自慢の焼き魚定食をとろうとしたらもう売り切れだった。仕方なく蕎麦にして今回はビールもパス。3時には帰路につきたい。柚子こんにゃくと蕎麦の実ふりかけを土産で買った。これは後に家で酒といっしょに試したが、とてもいい。蕎麦の実のふりかけは極妙の味だ。

・・帰路は、やはりダンプが気がかり。はじめての道はこわいものだ。行きはよいよいというが、帰路はまだいい。用心はしたい。

  *

・・いやはやともかくすごい。奥多摩は岩の奇景もさることながらヤマトタケルが訪れたのは、きっとかれも太古のフリーメイソンの一員だったのだろう。御嶽はそういうメイソンの聖所であとから来た奈良時代の行基なんかもメイソンの血筋にちがいない。岩蔵温泉や塩船観音など奥多摩の入り口でみなメイソンの記憶がある場所だ。・・羽村の阿蘇神社。「孝霊天皇9年6月、健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任じられた速瓶玉命(阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝えられる。」これは熊本の阿蘇。なぜこんなところにあるのか。健磐龍命というのはいかにもメイソンの匂いがする。

・・タケルとは。健磐龍命のことではないか。子の速瓶玉命(はやみかたまのみこと)とは、多摩川のことではないか。

459秋魚:2013/11/25(月) 01:38:07
(無題)
・・おどろくべき日和。きょうはipodでハイキング。青梅丘陵コースを歩く。これは謎の道だ。多く語るものはない。

・・ひとつ、千手観音。

・・ふたつ、紅葉盛り。

460ねこ:2013/11/26(火) 11:26:22
明治・昭和・平成天皇即位は12月25日
明治・昭和・平成天皇即位は12月25日

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/35/241_1.html

天皇家はクリスマスを記念している可能性が高い。

明治天皇は1866年旧暦12月25日即位。
昭和天皇は1926年12月25日即位。
平成天皇は1988年ユリウス暦12月25日即位。

( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0102/4/167.html )

461秋魚:2013/11/27(水) 21:49:35
(無題)
・・《有》は、今あたかも天地開闢の時の如く現有する。《有》は蛍光の如く光明して尽十方界に現有する。《有》は、熾烈に現有する《有》は、時じき天地の開闢する《有》の現有全機する《有》は、《有》の母國の空虚より一来する。天地の開闢は、空虚の《有》のまたたく全現しつつ、《有》は、《有》の現有する《有》を神妙に現成する。《有》は世界の辺際より歴来しつつ、《有》は、《有》の現有する《有》の妙技を尽十方に言葉する。天地開闢は、《有》の現有する《有》の物語りで有る。天地開闢は、有る時に突発する《有》の現有する《有》の出来事で有り、《有》と《時》との断層で有る。また《有》と《時》との断層によってあらわるる《有る時》で有る。
《有》は、《有》の現有する《有》は、言葉有りて天地の開闢する天と地との間の空虚に揺り動く。《有》は、空虚の有る《有》の現有する《有》の場所に方位する《有》は、正に一来現有する。《有》は、《有》の現有する《有》は、希薄なまでに豊饒な空虚ゆえ、天地の諸物の注げども満たず、酌めども竭きず有る。《有》は、自らの一来の由り来たる所を知らず有る。如今、《有》は、《有》の現有する《有》の空虚は、葆光開闢する。
 言葉は、《有》の現有する《有》のアプリオリの殺意で有る。・・

462秋魚:2013/11/28(木) 00:04:01
(無題)
・・まいった。まいった。ねこさんまいった。yuzuというネコは、最高に愛おしいネコだった。真冬の寒風吹きすさぶ夜にガラス戸にすり寄って来たっけ。アメリカンストームキャットのハーフ。・・その先は想い出すと胸が痛くなる。

・・紅葉盛り。ここも思い切り寒くなりそう。すこし厚着ででたが、日差しは暑い。バスに乗って、奥多摩源流の小菅村まで再チャレンジ。自転車ではない。奥多摩までは、確認。いつの頃からか木を切って植林は杉がほとんど。近代はまったく間抜けた植林をやった。ところどころ残る雑木林は赤黄もえぎと色づいて実にきれいだ。落葉樹はさほど多くはない。ずっと昔は一面紅葉黄葉がいっぱいだったろう。・・バス酔いをした。

・・奥多摩湖は九月のはじめに行ったときの方が印象は鮮烈。あの頃かなりの日照りだったから。奥多摩氷川渓谷までが黄葉紅葉は盛ん。それから小菅までは落葉期かも。日差しも悪くよい写真がとれない。車からの景色はろくなものでない。自転車に限る。

・・奥多摩から大菩薩峠を越えて塩山に入れるか。これは超こわい。

463秋魚:2013/12/10(火) 01:24:19
(無題)
・・めでたい。めでたい。IDEHDDケースが復旧してハードディスクが使えるようになった。ぷー太郎やっててコンピュータひとつ復旧できなかったら情けない。まったく44ピンの噛み合わせがぬるかった。まったく欠陥品かと思ったくらい。

464山田:2013/12/21(土) 20:17:12
(無題)
・・めでたい。めでたい。SATA接続ハードディスクの換装に成功した。80Gから250Gへ。しかもクローンディスクにも成功した。Windows7はこれから主流になるのでは。古いディスクから丸ごと新しいディスクにすべてのデータファイルを移した。パーテイションの新設はまだこわくてやらなかった。中古のノートパソコンはかなり快適になった。回転速度の7200なんぼとかいうやつだ。ファンはまわるが音は小さく静かになった。

465秋魚:2014/01/01(水) 21:49:02
(無題)
・・元旦の初乗りは、五日市阿伎留神社。日の出に沿った秋川街道はじつに嫌な道だ。歩道もなくて車が多い。だらだら長い坂がある。元旦なら道は透いてるだろう。・・正月晴れのipodriderにでた。ダンプは無いが普通車がひっきりなし。正月くらい家にいろよといいたくなるが、かくいう自分も外に出る。ipodの音楽で自転車乗りはすばらしい。まるで映画の中にいるようだ。流れる風景が音楽で脚色されるし乗り手のリズムもよくまわる。が、これはあぶなっかしいものらしい。よくクラクションを鳴らされた。ipodriderは酒飲み運転に近い。音楽にのめりこんで酔わないという覚悟でなら、ナイスといえる。・・この秋川街道はこわいので途中ipodを外した。

・・二度目の道で、こんなところに採石場があるのがわかった。いったいどんなすごい岩盤があるというのだ。石塵のような嫌な匂いがした。日の出にはゴミの焼却処理場もあるという。日ごろダンプが多いのがよくわかる。・・斎場や老人ホームばかりが目に付く。鬱陶しい道だ。・・坂をトップまで登りつめるとあとは下りになる。はやくぬけたい。・・つるつる温泉への曲がり角までくると武蔵五日市の駅には近い。・・駅前の交番で阿伎留神社への道を聞いた。若いおまわりさんが、うれしそうに地図をひらく。ほんとは地図がなくても知ってるのだろう。ただこれは確実な教え方だ。・・檜原街道をいってモリタ薬局のところで曲がるのですね。川っぺりにあるという。

・・阿伎留神社。アキル文字という神代文字があるという。・・秋留、秋流とか秋魚に近いものか。神輿は六角神輿という。正月なので獅子舞がでていた。・・餅を食べてってよ〜と言ってくれたが、プー太郎の甘え癖がつきそうでそそくさと歩いてまわった。あちこちいろんな小さな社があって神様の名も定かでない。キツネの神様がいたのは憶えている。・・人見知りせず地元の人と少しでも言葉を交わすべきだったか。

・・自転車で、秋川渓谷の瀬音の湯にむかった。何度か訪れているが、この近辺随一のアルカリ単純泉の名湯であろう。正月である程度混んでいるのは覚悟していたが、耐えられないというほどではない。都心の方では芋を洗うようだ。ここは選んで正解。ねらった客がほとんどだ。お湯は実にいい。ドライサウナに入って水風呂につかった。水が冷たく足がしびれてすぐに出た。並大抵ではない。先客のアンちゃんが傍でみてて「しびれるでしょう」と声をかけてきた。茶髪だがそう若いものでもない。きょうは朝一のバスで自分のお気に入りのハイキングをして最後にこの温泉に来たのだという。毎年正月の恒例だとか。いろいろめずらしい話をきく。雲取山にも登ったとか。おもしろい話をいっぱい聞けそうだったが、そうもしてられない。もう一風呂浴びてレストランに向かった。

・・中村酒造の柚子酒とヨモギ素麺をみやげで買った。道中の自転車はところどころ車の多いほかはきわめて爽快。帰りは、五日市街道で秋川までいきそこから滝山街道、吉野街道で帰る。大きく迂回する感じだが、日の出あたりの坂を回避できる。のんびり帰りたい。・・ほどなく秋川の駅前に来た。駅前通はかなり開けている。ここをずっといって毎回少しずつ新しい道をさがしていく。・・自転車は一度外に出ると野生がよみがえる。

466秋魚:2014/01/06(月) 01:43:55
(無題)
・・正月の第二弾。青梅街道まっしぐら。新宿、靖国通り神田、日本橋から隅田川畔に出る。深川芭蕉庵跡、水天宮。都心走破のロングライドも懸案の一つ。青梅街道まっしぐらというのが棘のように刺さっている。奥の細道の出発となった芭蕉庵もまた。こちらの出発は青梅多摩川の万年橋。同じ万年橋が深川にもあるという。かなり著名な橋だぜ。広重の絵にある。元旦に行こうとと思ったが、宿がとれなくて断念。五日市の阿伎留神社はよかった。これは誤算が正解。正月四日目は、青梅街道けっこう車が多い。帰省のもどりだろうか。道は簡単だが、車道はなかなか走れない。二車線あってもぎりぎり端に走ってくるやつがいる。側道という手もあるが、はじめは本道を見ておかねば。瑞穂近くまでは何度かいってるからこわくはない。福生の横田ベースが切れる手前あたりで青梅街道は、新青梅街道と旧道に分かれる。迷わず新青梅を直進する。横田ベースの敷地は広い。向こう側一帯が平野のごと開けてる。以前立川から東村山、武蔵村山、狭山、飯能へ向かった時、この新青梅街道も通った。すこし見覚えのあるあたりを行くとしょぼくれた川に出る。空堀川という。立川活断層沿いの残堀川と同じ系ではないか。これは・・このあたりから記憶もばらばら、久留米というあたりで街道を外れた。駅前からずっといくと団地の中に入って仕方なく犬を連れたおじさんに道をたずねる。あ、団地を突っ切れば街道にもどれるのですね。ありがとう。困ったときは見境無くたずねるも、あまり愛想のよくない人でした。・・ずっといくと田無神社とかあって興味をそそるがそこは通過。井草八幡とかもあってやはり通過。伏見稲荷というのは規模が大きそうで興味をそそるがここも通過。なんだかんだといって荻窪の駅前にでた。ここは何度も来た事がある。これから先はお手の物。

・・自転車の交通規制がきびしくなった。車道は絶対左側。ところどころ巡査が見張ってる。自転車に対する注意標識も多い。荻窪から新宿まで以前は長かった記憶があるが、今回はほどなく着いた。住友不動産の大きなビルがある。ハハ、履歴書はここで審査されたか。丁重に送り返されたが、嫌味はない。高いビルが多くなると駅のターミナルも近い。コーリアンタウンのようなところを通って靖国通りにはいる。その前にファーストフードの店で休みをとった。たどたどしい日本語でインドネシア人か。注文取りがきた。さすが新宿。若い女性客もいる。すっきりスタイルのしなやかな子が多い。いかにも新宿。流行のスマホに余念がない。

・・これから先九段下あたりまで車もすくなく散歩ロードといったところ。ただし靖国の前は参拝客でごったがえす。だれそれの靖国参拝は世界的に注目を浴びるものだが、そうでなくともここの人気は不思議なものだ。

・・青梅万年橋から新宿までおよそ4時間のライド。靖国から神保町まで人通りは多いが気が安まる。はじめて来たときは神保町から東京駅八重洲口にいくのさえ道に迷ったほどだ。東西南北の座標軸さえしっかり把握していればここは楽勝の地理だ。迷うというのはこの座標を失うことだ。方向が少しずつずれて東へ行ってるつもりが南だったり南へいってるつもりが東だったりなんかの拍子にまったく反対の方角にすすむなんてこともありうる。・・ともかく神田駅をめざす。そこを抜けると隅田川にぶつかるまで人形町とか日本橋とかあって浜町というところが水天宮仮宮のあるところ。壇ノ浦の戦いで海に沈んだ安徳天皇の近くの女官が福岡の久留米で隠居したのが本家の水天宮。どういうわけか江戸に分祀されて安産の神様だという。一度人にたずねて水天宮に着いた。やたらと参拝客がおおく安産祈願とは無縁な自分はここもさっさと退散した。

・・あとは隅田川まででて清洲橋をわたったあたりに芭蕉庵跡稲荷神社があるはず。実際はひとつ手前の新大橋というのを渡った。向こう岸を沿ってゆくと途中に芭蕉記念館がある。4時くらいに着いて運よく正月明けできょうは開館していた。二百円払って客もぽつぽつ。自転車のロングライドでこういう展示室は空気がわるく吐き気がしてきた。それでも芭蕉のことは面白くずっと見て廻った。芭蕉の旅の行程が地図で示されていたうち特におもしろいのは「野ざらし紀行」。江戸の大火のあとはじめて旅をする意識が生まれた。・・亡母の供養で伊賀に帰る。すんなり伊賀にいけばよいものを伊勢の西行庵をたずねたり吉野にいったり琵琶湖あたりにいったり大垣にも。故郷伊賀周辺はまあ四方八方歩きつくす。これはいったい何であろう。

・・旅先でほんとに自分で関心がもてる場所があるとほっとする。芭蕉の匂いがして隅田川もああうれしい。水の都というとびぬけたモダンの香りがする。・・萬年橋という浮世絵でみた。亀が吊らされて向こうに富士がみえる。いまは富士はみえそうもないが、風雅な庵に住んだものだ。奥の細道では最後に西行のいた二見浦に向かった。ここの夫婦岩は夏至の頃岩の間から日が昇り富士が見えるという。芭蕉はすべてを見ていたはずだ。・・日が落ちてきた。

・・清洲橋を渡ろうとして思いとどまり、萬年橋を渡りさらに岸沿いにすすんだ。次の橋、永代橋をみたかった。日本橋茅場町界隈から八重洲方面にむかう道だ。で、ずっといって思わず愕然。隅田川はここで二手にわかれる。中州のようなそこにあるのは夕日に浮かぶ摩天楼。なんてきれいなんだろう。先客がケイタイで写真をとっている。日常のごたごたとか生活の悩みとか一瞬吹き飛んでしまうほど。しかし日がどんどん落ちる。美しいものは一瞬という。そういう時の流れだ。自分も写真を場所を変え角度を変えいくつも撮った。暗くなって悲しくなる前に橋を渡って宿のあるセンターホテルへと向かった。

467秋魚:2014/01/25(土) 01:53:39
(無題)
・・DA VINCI CODEという映画をみた。フィクションという胡散臭さを嫌って小説も映画もこのところトンとご無沙汰していた。が、これはおもしろい。

・・根を詰めたことをつづけるのは、よくない。多摩川サイクリングロードをipodriderにでた。ここならipodで音楽を聴いているうちどんな遠くにもいける。目指すは多摩ニュータウン。もう親しいルートで2時間半のライドになるはず。立日橋のところでモノレール線といっしょに走ればよい。極楽湯温泉は東京でここしかない。ここは期待だ。音楽はほとんど入れ替えなし。2Gが容量でこれ以上は無理か。最近はyoutubeのダウンロードも試みた。うまくいったが、いろいろ問題が起きる。ひとつひとつ解決せねばならない。しかしコンピュータの仕掛けはどこもあの手この手で複雑なことをやるものだ。ぷー太郎をやってるうちにチャレンジしてみたい。・・「ロシアより愛をこめて」という007がお気に入り。いくつかyoutubeもあるうちダニエラビアンキがたくさん出てくるのが一番。歌はマットモンロー。主役はもちろんショーンコネリー。この頃ボンドガールといって新作のたびに起用される女優がいた。ビアンキ嬢はイタリア国籍だという。冷戦構造がまだくっきりしていた時代でイギリス諜報局のボンド氏の敵はロシアにあり。この頃はソ連邦だったが。ボンドガールは敵の女スパイの役がほとんど。ロシアという呼び名は悪くない。闘いながら愛欲で解放し勝利する筋書きだ。男も女も個人の才能がフルに発揮されるすばらしい映画だ。愛欲が抑圧されるいまの社会はどうもおもしろくない。

・・バンクーバー冬季オリンピック、アイススケートフィギュアで韓国のキムヨナがみせた007のSPは衝撃だった。フィギュアはペアとかもあるがいつも注目されるのは何故か男子女子のシングル。あのときのキムヨナのコーチはたしかカナダ人。同じコーチがいま羽生結弦について同じようにSPで華麗な技をみせている。「パリの散歩道」というヤツだが。・・フィギュアスケートはロシアにも伝統があって一昔前は強いアスリートがいた。いまでもままいるが。007みたいのは冗談でもやれないだろう。キムヨナの007はとりわけ深い意味がある。007自体が古くなってるということではない。

・・「パリの散歩道」。これはいける。おそらくDA VINCI CODEがパリを止揚した映画のモニュメントとして歴史に関わるのと同じく、「パリの散歩道」もフィギュアの歴史、しかもソチオリンピックで歴史的な大事件となるはずだ。単にフィギュアの歴史のことにとどまらない。「ここまでは言ってもいい。これ以上は言えない。」というヨブ記の教えはここにもある。

・・ipodrider温泉の帰りにnakagami書林に寄った。ここはいい。どん底の本屋さん。若い女の子が差し入れのビールを持ってきたりして。彼はいい。女の子も。・・DA VINCI CODEのDVDがあった。いくらかと聞いたら百円だという。ウソだろと思ったがすぐに買った。退散する理由にもなった。こういうどん底には長居したくないというのはままある。・・でもまた来ます。

・・夜道の自転車にも馴れた。

468秋魚:2014/01/30(木) 23:28:29
(無題)
・・昨年の6月13日頃クラッシュしたパソコンのハードディスク修復にチャレンジ。古いノートパソコンでHDDはパラレルIDEというやつ。一度60Gから120Gに換装した。今となっては遅れた容量だが60Gのがはじめにクラッシュした。必死に換装にチャレンジ。その120Gもクラッシュ。引越しの最中でこの時は以前の60Gを修復しこれをもどしてなんとかやってきた。基本的なところで錯誤がありやっと修復に再チャレンジ。・・まずIDEは古くなっているようだが、充分使えるものだ。ケースに入れてデータ救出とかここまではできた。チェックディスクをしてまた本機のパソコンにもどした。電源を入れるとやはり駄目ですね。ブルースクリーンが出てWINDOWSが立ち上がらない。F8のキーからセーフモードにすべき手順。ところがこれもうまくいかない。反応してるようだがセーフモード画面が立ち上がってこない。これはあとでわかったが、チェックディスクが自動で行われているためだった。即キーを打てばよかった。で、うれしいことにやっとセーフモード画面になった。・・はじめシステムの復元を試みたがエラーが出て失敗。これはHDDを取り出したとき別のパソコンで原因となったセキュリティソフトのファイルを削除した為であろう。システムの復元はクラッシュしたそのままの状態でやるべきだ。・・今回のクラッシュ、原因はわかっている。WINDOWSの更新ファイルが**のセキュリティソフトと干渉したためだ。ならばその更新ファイルを削除すればよいか。コントロルパネルを開いてそのファイルを探した。クラッシュした最後の日にち。あったこれに違いない。このファイル臭い。タスクバーで機能するものだ。まったくクサイがいまは保留。・・で、削除。すると今度はみごとにフル機能でWINDOWSが立ち上がった。やった!ああ、うれしい。めでたい!

469秋魚:2014/02/26(水) 01:12:49
(無題)
・・雪になった。梅の開花の前に雪をみたかった。ここの山水の雪化粧は想像しても震えがくる。柚子の実がまだあちこち樹にある。黄金の雪と竹や樹木にかかる雪と渓流の淵にまで雪が蔽う。人家の屋根も蓑虫の巣のように雪を被る。初雪は家のベランダから墨絵のような景色だった。外に出ることもかなわぬ。朝になり光線の具合が雪を輝かせる。刻々千変万化する雪の絵だ。雪解けの音がジジと絶えずある。

・・残雪がきびしく自転車ものりにくい。多摩川のサイクリングロードは雪が多かろうと悩んだ。が、意を決してipodriderにでた。雪降りを都合にして部屋に篭もる日々が続いた。神経が過敏になって筋肉も萎える。ラジオや音楽ももう飽きてきた。ソチオリンピックで緊張している若者がいるのにこんなに老け込んでいてはよくない。青梅近辺はまだ積雪が残っているが、都心に向けてはだんだん雪もすくなくなる。懸念していた多摩サイは上々の走りになった。

・・なんだ多摩川堤はほとんど雪はない。マガモだろうか水鳥がいる。時折白鷺のようなスタイリッシュなのもいる。サギとツルの区別も覚束ない。ipodの音楽はひさしぶりだと新鮮に聴ける。府中の郷土公園あたりは梅の白い花が咲いている。梅はぽつりぽつり咲くのが風情がある。群れてわっと咲くのは媚がおおい。・・それなら桜がいい。

・・桜といえば、西行法師が旅にでるはじめは伏見墨染寺の桜の枝を折った。これを杖にして千葉の東金までやってきた。杖を地にさして根付いて桜の花が咲いたという。

 ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ

・・こうして桜の花ばかりを追って旅をしていた。昔はどうも好きになれなかった。花ばかりというのは。・・今はすこし理解する。

・・ところでネット検索していたら、おもしろいものにヒットした。「幽雅に咲かせ墨染の桜」という
動画ミュージックがある。

 西行寺幽々子というバーチャルシンガーの歌だ。

http://www.youtube.com/watch?v=acFwGdDybUo

http://www.youtube.com/watch?v=0WBgB6nA3PI

 これはピアノ曲だが、

http://www.youtube.com/watch?v=NlORz2R-Jpk

470秋魚:2014/03/22(土) 15:58:09
(無題)
・・山間は気温も低く花の開花も遅くなる。青梅から奥多摩まで雪が降ったらまず出歩けない。一月もたってもまだ山道には雪があるという。梅の公園の梅祭りも咲きそろわないうちからよく人が訪ねてきた。外人の多いこと。梅ウイルスの流行とかでここいら一帯ダメージが強い。古木がどんどん切られている。

・・花とか天気の具合はほどほどにして今回は山歩きに出ることにした。自転車で梅郷の知人宅までいきそこに置かさせてもらう。梅の公園の脇から日の出山に向かうハイキングコースがある。それほど知られていないがいい道のようだ。残雪があるのでアイゼンを使うようにと入口に注意書きがある。また夏に山奥で小熊が出没したとも。・・余り人と出会わない。道はしっかりしてる方だろう。最初の展望台は琴平神社。昔はここいらは養蚕の地だった。社には招き猫が多くある。蚕を食べる鼠をとる猫が神様だったか。ここでもけっこう見晴らしがきく。・・次に登っていくと三室山がある。ここはさらに見晴らしがきく。先客のハイカーがグループで昼食をとっている。お年寄りが多い。いろいろ山登りの話で盛り上がっている。おばさん連も多い。体力の限界を感じているとこういう山歩きをはじめるようだ。自分も事故でギプスをはめて歩けなかった時期があり、自由に歩けることのうれしいこと。リハビリでは杖突いて富士山に登ったものだ。三室山は岩があちこちあるほかは何もない。大きな岩がある。自分も水をとって休む。・・先客にこんにちわといって日の出山の道をたずねる。声のかすれた人が親切に道を教えてくれる。喉をやられてるようで余り話させても悪いみたい。ほどほどにしてお礼をいってまた出発。今回日出山までは必ず行ってそれから先の予定がない。

・・三室山は御諸山で武蔵のこんなところにあるのは余り知られていない。岩は自然石だがここは謎。道をいくとマウンテンバイクの若者が3人ザッザと音をあげて降りてくる。これも驚き。雲取山でダウンヒルの自転車遊びがあると聞いた。自分が歩いたところまず自転車は無理だろう。そう思っていたが彼らはやるのかもしれない。ガンバレ!と、応援した。

・・梅ノ木峠というところに出た。ここから日の出のつるつる温泉は近いらしい。三室山で話した人もつるつる温泉に寄るのをすすめていた。以前来たことがある。ここに寄るともどれなくなるか。こざっぱりした道を日の出山を目指した。ずっといって最後に急坂があり三室から一時間半で日の出の頂上に着いた。ここにはハイカーが大勢いた。若者もいるが白髪の人もいる。熊除けの鈴を鳴らしたりアイゼンをもったりみんなそれ相応の準備で来ている。・・破れかけた運動靴と拾った木の杖、小さなリュックで身軽を心がけたのは自分だ。晴れたが冷たい風が吹く。時折白い流れ雪もみた。・・日の出山まで二時間半。足が痛くなった。ここの展望は東西南北すべてきく。都心の方は新宿のビルやスカイツリーもみえる。西のほうは富士山はわからないが、大岳山はすこしとんがって見えた。すぐ手前に御岳山。神社の社もみえる。30分もあれば御嶽にいけるという。・・引き返してもどる気はなくなった。頂上でこちらもおにぎりの昼食をとった。

・・日の出山が目標でもうあとはゆとりになった。山道で雪はところどころにある。人も多い。みんなこんなにも気安く山に登るのか。というかけっこう準備しているようだ。自分のように思いつきで登るのは素人かもしれない。御嶽は案の定近かった。ケーブルカーの駅ですぐ下山と思ったが神社まで十分とかある。人もますます多くこのまま帰る手はない。神社に参拝することにした。足は痛い。杖突いて引きずるようだ。足が痛むのは登るより降るのがこたえる。御嶽神社ははたして感動。なんかすごい巨木がある。御嶽講というのがあるらしい。石碑が多くある。各地の庶民の信仰は生半可ではない。・・ここは太占という鹿骨をつかった占いを今でもやってるらしい。ヤマトタケルはオオカミに助けられた。犬神というのもあるか。ペットの犬を連れたお参りもあるようだ。

・・紅葉やという店で蕎麦とビールをとった。やっと少し落ち着く。さすがここの霊峰はすごい。外人も多い。みんな下のケーブルで来るのだろう。自転車で来てるものもいた。ずっと昔来たことがある。あわただしく展望してすぐ下山した記憶しかない。足は回復するどころかさらに痛みを増す。痛みは神経の問題だ。興奮しているうちは痛みはない。

・・下山はやはり歩くことにした。拾った杖はありがたかった。西行は桜の木の枝を杖にしたとか。自分の杖も桜かもしれない。多摩一帯は杉の木が林立している。これがあたりまえのようだがすべて植林したものだ。日の光をとろうと競って上に伸びる。杉はまっすぐに伸びる。しかしこれはもうあちこちで限界。下の方が堪えられないほどだ。・・あちこちで杉の木の伐採があるようだ。これは花粉症などうれしくない木だというので広葉樹とか多彩な木の森に変えようという最近の政策と思える。

・・実際杉の森は一つの美観だけでおもしろいものではない。これからの時代に期待する。御嶽の山の上まで自転車で登れるとみた。車の走る道もある。ここならクロスバイクでいけるか。すこし意欲がでたが、自分の自転車遠乗りの限界も感じはじめている。・・箱根の峠越えなど目論んでいたが、体力の限界が近い。筋力は退化して復旧がやっと。進化というのが無くなってきた。気は若いが。

・・右足と左足で関節部分が痛む。痛み方が違うのはよくわかる。左は昔事故で痛めた。右は正常だが
最近の不精で腰のヘルニアが少しでている。膝が曲がらなくなる。・・とはいえ、誤魔化しごまかしヘンパイ歩きのようで下山。長い道のりだったが行きも帰りも歩いたというのはうれしいことだ。ただし御岳の駅からは電車だった。

471秋魚:2014/04/03(木) 19:20:17
(無題)
・・桜の花ははやい。鬱を払いに羽村から多摩CRに出た。阿蘇神社の桜は二日前には二部咲きだったが、いまはどうか。福生の土手堤はもう満開に近く、人が大勢出ていた。平日なのにまあ奥方と子どもが多い。仕事無しの年金組も多い。天気も晴れて絶好の花見日和。やはり外にでるのが正解。・・頚骨の位置がすこしずれているのか気ままでいると頭痛がする。自転車に乗ることだ。日の出山まで歩いたおかげで足の筋肉は補強された。老化ではなく怠惰だっただけだ。・・Hayabusaは後輪のブレーキを少し調整した。すこぶる効きがよくなった。チェーンが心持ちゆるくなってるようだがこの調整は未知だ。だいぶ乗りこなしているがタイヤは磨耗がすくない。中国製なのにいい質だ。meridaのブランドの故か。台湾製は頑丈にできてるという話だった。・・自転車のライダーも多くでている。みんないい自転車に乗ってる。ヘルメットにぴったりとシャツ。ヘルメットは自分も事故を経験してるから考え物だ。それに保険も。・・身軽でいたいのは山々。

・・花祭り。

まずは、梅岩寺。枝垂れ桜。

・・阿蘇神社はもう一度来てみる。ここの桜は武士の花だ。


・・川の上流へ、石神前には田山花袋が来ている。ずっと昔だ。梅ではなく桃の花里だったという。

   *

・・小曽木街道を飯能へ向けて走る。途中の岩蔵温泉郷にはいつかゆっくり訪ねてみたい。ヤマトタケルが温泉につかった時武具を納めたという岩が今でもあるという。立川断層の露岩ということだが。いまは通過して入間の仏子に向かう。時折大型のダンプも来るが怖いというほどでもない。青梅から飯能へ岩淵というところはカタクリの群生地、その近く成木川の淵に岩井堂観音がある。川縁に大岩が切り立っておりその下の祠が岩井堂。昔ここの観音像が大水で流され成木川、入間川、隅田川へと流され、浅草浦の漁師の網にかかった。それが浅草寺の由来本尊となったという。推古天皇代のことである。いろいろ調べてみるとこの黄金の観音像の話はおもしろい。浅草寺では秘仏とされ誰も見たという話は聞かない。ほんとにあるのだろうか。・・にしてもこの観音堂。人っ子一人みあたらぬ。

・・仏子の手前に阿須というあたり入間川に沿って公園が開けている。桜が咲いている。ここに万葉の歌碑を見つけた。

 安受乃宇敝尓  古馬乎都奈伎弖
 あずのうへに   こまをつなぎて
 安夜抱可等  比等豆麻古呂乎  伊吉尓和我須流
 あやほかど   ひとづまころを   いきにわがする   (巻十四)

・・めまいのする自転車行になった。

・・阿須の山並みは花と黄芽新緑と杉と入り混じった景色。やはりここも武蔵野の広葉樹の森を取り戻そうとしている。

・・仏子のアミーゴでアートの展示があった。

472秋魚:2014/04/14(月) 01:33:43
(無題)
・・まったくいい季節。何をしたらよいのか焦燥にかられる。コンピュータの具合がとてもよい。クラウドコンピューティングなんかにもチャレンジしてみた。データ保存がこれで安全というのでもない。だいたい永久保存したいデータなんてあるのか。コンピュータはとりあえず脳の記憶装置だ。とりあえず。

・・去年の秋奥多摩にいった。奥氷川神社ともえぎの湯。途中鳩ノ巣渓谷とか白丸ダムとか。自分の自転車行では、冒険。だいたい谷が深い上に道路がこわい。車がびゅんびゅん。が、秋の紅葉は壮観だった。・・春の奥多摩にもう一回チャレンジした。例によって軍畑までは何度か来た。軍畑大橋の手前ですこしわくわく。谷が深い。ここから御岳までも歩道があってだいぶ馴れてきた。多摩の霊山は先日訪れたばかり。御岳から先川井の駅までが長い。道路も歩道が無くなる。車の暴走を防ぐためか交通安全のパトカーが出ていた。自転車乗りにはうれしいことだ。古里、鳩ノ巣まで緊張の連続。谷はますます深く、よく来たものだ。鳩ノ巣まで来るとあとは近い。白丸あたりは風光明媚。奥多摩に入る手前、数馬の切り通しという難所がある。いまはトンネルが出来てあるいは外の川に沿った迂回路がある。その手前は数馬峡橋。ここは川合玉堂が晩年をすごした絶賛の景。

「多摩川の楓渓は、ことにすぐれている・・・・渓もよければ谷の形もよい 水の岩にふれて瀬をなしているのも面白い 道は楓渓と相対して秋は美観である」 田山花袋

 山の上のはなれ小むらの名を聞かむやがてわが世をここにへぬべく  玉堂

・・別の画家の歌だが、

 ひとり来て生きるいのちを想ひたり紅葉のくらき山に向かひて  元宋

・・ここを過ぎてすぐもえぎの湯温泉に行く。

・・氷川までの最後のトンネル開通記念で温泉を掘った。それがもえぎの湯という。ハイキング客がよく寄るそうだ。前回はあふれんばかりの客。秋の盛りだった。早春のきょうは平日であまり混んでいない。狙いはよかった。・・新しい温泉の湯はいいものだ。ここも。メタほう酸フッ素泉というこの湯だけでも価値がある。奥多摩の古層は日本列島の最古層という。その湯とは驚き。

・・平日だがやはりサイクリストもポツポツ。みな自転車で手馴れたものだ。・・レストランで焼き魚定食をとった。ヤマメかイワナか日替わりというが、どちらかは不明。美味なり。

・・数馬の切り通し。奥多摩はここが一番のネックであろう。川合玉堂は戦火を避けて晩年は御岳に住んだ。71才。奥の白丸にも一年。・・この白丸のダムが出来る前の景観が随一という。その数馬峡。切り通しに寄ってみた。川に沿って岩山がありそこの断崖を切った道。トンネルもある。どの部分を切り通しというのか。トンネルの脇から岩山を登ってみた。白丸と氷川を結ぶ最大の難所道という。まず馬は通れない。落ち葉で足をすべらせたら谷底へ落ちる。この岩山の塊を向こうへ越えねばならない。道らしきところをいくと山の一段下の頂上らしきところに着いた。社もある。その先さらに急峻を登り天辺の向こうに下る道があるのだろうか。・・ここまで来て最後の登りは恐怖だった。すでに訳のわからぬ岩山の上で谷底がはるかに見えている。スイスアルプスのアイガー北壁といったところ。ここで大地震が来たらと思う。もう二度と来ることは無いと思うが、数馬の切り通しはこんなものだと了解してひきあげることにした。・・途中違う道をと選んだところいい道なのに行き止まりという。ここも崖に沿った怖い道だ。登りはいい。下りはバランスをとるのがむずかしい。足をすべらせそうなところがいっぱい。有名なところだが先日の岩井堂観音と同じく人影は無し。おおかたは下の車道トンネルの交通になっている。

・・数馬峡。ここいらが一番奥多摩らしいか。

473秋魚:2014/04/16(水) 14:33:25
(無題)
・・いったいヤマトタケルは青梅に来ているのだろうか?タケルは存在していないという話まである。いたたまれなくタケルの来歴をうたう岩蔵温泉郷を訪ねてみた。あちこち花は咲き乱れ野山の新緑は色とりどりに染まり自然の息吹の盛んな季節だ。青梅坂から小曽木街道の定番コース。時折の大型車がうるさいが爽快な道だ。30分もあれば着く。途中成木街道とかにぶつかるがこれもいつか名栗の方にも走ってみたい。大松閣、さわらびの湯まで○○キロとかある。

・・ほどなく岩蔵温泉郷に着いた。これくらいなら日帰り温泉もできる。ここも東京の奥座敷とかいって秘湯らしきが今はあまり訪れるものも少なくなった。天然のスパ銭が交通の便のよいところにあちこち出来ている。わざわざ高価な温泉宿をたずねる気もおこらなくなる。そう思うのは自分だがそこそこの温泉党の客がけっこういるようだ。・・ママダ屋という旅館はぜひ訪ねてみたい。

・・ママダ屋周辺を散策した。庭が美しく黒沢川を取り入れて自然がいっぱい。ヤマトタケルが負傷してたどり着いたこの温泉郷。ナトリウム単純泉だが湯治が効くという。タケルが鞍を岩にかけたという。その岩を探してみた。それが存在するというのはネットの記事でみた。黒沢川沿いは大きな岩は無い。奥多摩にあるような断崖もない。黒沢川は少し濁っているがこれは生活汚水か。・・地元の人に聞くしかない。最初のオバサンは愛想のいい人だがここらの者でないという。岩場はわからない。次に庭弄りのオジサンはあきらかにこの地の人。「オイワ」という処でしょう。そういうが四谷怪談を連想してちょっと困った。いえ男岩というそうです。向かいの小川をこえると女岩メイワがある。少し下って信号の手前を山の方へ200mほど登りなさい。自転車でもいけますよ。・・岩蔵の地名の由緒ある岩場が存在する。ネットでもほとんどここを目当てに訪れる人はいないらしい。町でも観光の名所としていない。・・実際登っていくと途中村社の御嶽神社、さらに墓場。なんとも人影も無い。岩井堂観音、数馬の切り通しと同じくまれな訪問客のみか。道も草に蔽われていた。・・あった!ここがタケルの休んだ岩場にちがいない。なんの標示もないが、この岩は立川活断層の露岩らしい。地層を斜めにボーリングして断層のズレを調査するスポットになってる。その表示がある。・・立川断層地震が近いうち起こるという昨今の騒ぎだった。この神聖な岩場をそんな調査の場所にしているのは奇妙な異和感がある。もうほとんど道はないが、さらに山に登る道が幽かにみえる。ここの岩場の上にいくらしい。自転車を止めてさらに這い登った。が、これは数馬の切り通しと同じ体験。登りはよいが降りは恐怖だった。上には小さな祠がひとつ。とってつけたようだ。登りましたよというので写真をとったらすぐに降りることにした。タケルが来たという神秘な場所で異様な霊感がただよう。降りる姿勢はみっともなくも安全第一でともかく下まで降りた。すると向かいの山の方にも道がみえる。ずっと上にも岩がみえる。これが女岩か。この際女岩にもいってみなくては。またまた急坂の道でほとんど道らしきもない。ここも這い登るようにしてアプローチを試みる。ようやく斜交いに岩を認めるところまできた。写真をとる。さらに上になにか見える。が道はもうほとんど見えない。女岩は尖った三角の岩だ。男岩は下の切り立った部分をみたが上の山を言うのかもしれない。・・ここのあたりもうまく整理がつかぬまま怖い霊気に圧されてすぐ下山。男岩よりさらに急な山道を死ぬほどの想いで降りた。・・いやーこわいこわい。これでは立川の大地震もあと数年のうちにきっと起こるのではないか。南海トラフとどっちが先か。

・・タケルはたしかにここに来ている。

474秋魚:2014/04/26(土) 01:33:45
(無題)
・・「善徳女王」は最終話。妖女ミシルが亡くなってから緊張の糸が切れた感じだが息子のピダムが後を継いだ。ネットで何度も繰り返しアップされるので三分の二ほど観ることができた。ミシルは美室という。三室山というのが青梅にもあった。御諸山、三輪山、甘南備山これらは同じものだ。ドラマでは神女といい源花というミシルだった。・・「善徳女王」の種本は、「花郎世記」で、「元々は日本の宮内庁書陵部に秘蔵されていたのを、朴昌和と言う人物が密かに書き写していたとされる筆写本が、1989年に見つかったものだそうだ。」・・脚本家は最近DVDで観たエイゼイシュタイン「イワン雷帝」もよく研究しているようだ。大業というイワン雷帝のロシア統一はトンマン、キムユシンの三韓統一であるし、王権の構造はおおまか似ている。・・「イワン雷帝」は傑作だ。いまのロシアのクリミア統合とかウクライナに対する姿勢はイワン雷帝当時とさほど違わない。登場人物の過度な衣裳が興味深いがさておき「善徳女王」は心理が錯綜して充分近代にも訴える。

「花郎世記」は偽書か否か自分には謎だが、朴昌和はポルノ小説など書いて生計をたてていたとか。

475秋魚:2014/05/12(月) 00:45:52
(無題)
・・入間川という狂言があるそうだ。黒いは白い。高いは低い。暑いは寒い。・・何でも反対にいう土地柄とか。アマノジャクという奴ではないか。実際の入間川は飯能あたりでみたがしょぼい川だった。青梅の成木川から入間川ずっといって川越まで流れ荒川に合流する。飯能より上流は名栗川ともいう。昔から氾濫する川で名を残す。

・・岩船観音堂のある歓喜寺から仏子を通って茶畑のある狭山豊水橋までやってきた。ipodのミュージックはしばしお預け。はじめてチャレンジする道はほんとにわくわくする。知ってる道ならどんなささいな障害も乗り越えていく自信がある。未知の道でもガラスの破片や釘など瞬間でかわして走るようになった。パンクは2年ほど無い。自損事故のようなのは一度ある。実際自転車はかなり危険だ。今回もあきらめて保険に入った。

・・豊水橋から入間川に沿って狭山川越CRというのがある。ここまで来れば道はいい。入間川も水と緑したたる麗しい川になる。ざっと調べておいた通り入間大橋まで進めばそこを渡り大宮までの道もざっとした一片の地図が便りだ。・・もう少しでも迷いそうな気になると傍にいる誰にでも道をきくようになった。土地のものではないのでわかりませんというのがけっこうある。たいていはこれが万全。・・ひさしぶりのロングライドで目眩がしてきた。

476秋魚:2014/05/12(月) 15:32:06
(無題)
・・入間川は上流の有馬ダムから川越で荒川に合流するまで河川敷が広くなる。合流手前付近では土手の内外で高低差があまりない。さほど高くない堤防が決壊すると川越の町は広く浸水し海のようになるだろう。鴨長明の発心集で描いた氾濫の有様はここらへんと思われる。町の高さと水面が同じなのだ。江戸の頃から西川材という材木を流して運んだそうだ。・・荒川はまだずっと未知。こちらが本流と思われる。その河川敷のひろいこと。入間大橋でサイクリングロードは終わるが中洲にはいりさらに荒川にかかる開平橋をわたる。この中洲の道にも車がどっと押し寄せる。入間大橋に来るまでにも川越橋、初雁橋、落合橋とかいくつか橋がありその交通量といったらすごい。いつか小川からの帰路にこの入間大橋をわたったが海の上をわたるようで大変な思いをした。

・・この橋をわたるとあとは大宮まで方角を便りにつき進む。途中何度か道をたずねた。さほど広くはないしあまりいい道ではない。S氏の情報では一時間で着くという。・・開平橋から荒川CRというのがあるそうでここからもうひとつ南へくだった橋までいきそこから大宮へむかうのがベストだったかもしれない。ところで大宮という市名はもう無いらしい。さいたま市というそうだ。何か味気ない。氷川神社は別格で大宮氷川で健在だが。・・かれこれ一時間で着いた。

・・平野のこんなだだ広いところに武蔵一ノ宮の名刹がある。筑波山と富士山を結ぶ直線上に位置する氷川神社。ヤマトタケルが来ているはずだが。荒川にやや近い。縄文の頃はアラハバキの縄張りだった。入間川、荒川という川の交通があった。もっともこの荒川は水路が変更されているらしいが。ずっとずっと昔はここいらも海だったはずだ。・・大宮に住まう旧知のS氏と連絡がとれた。しかし距離がある。4時間近くかかったか。・・駅の東口にでて氷川参道を本宮のほうへ進む。太鼓橋という橋があるからそこで待ち合わせましょう。そういうことだったがいざ歩いてみると太鼓橋なるものがみあたらぬ。近くの人に訊ねてもみな不思議そう。たいこ橋など知らぬという。・・えい、本宮のほうへ鳥居をくぐり、神社の敷地にはいった。するとあるある赤い欄干の橋が。これがたいこ橋か。・・あとでS氏がいうには名前は確信のないものだったという。でもそういうものかもしれぬ。

・・立派な木が立ち並ぶ。松とか、府中の大国魂神社にあるケヤキもあったかもしれぬがよく判別できぬ。庭が清楚でいい。本殿の前に神楽、演能の舞台のようなものがある。薪能でもやれそうだ。

・・さいたま市立博物館のパンフが手元にある。

「・・縄文時代は、約一万年続きます。前期(約6000年前ごろ)には、気候が温暖になり、海水面が上昇し、さいたま市域にまで海がいりこんでいました。」

・・

477秋魚:2014/05/17(土) 16:12:37
(無題)
・・自転車のライト電池が突然切れたりするので予備の単5を買いに出た。ダイソーで百円のがあるはず。単5の電池は需要がないためか置いてないところが多い。Hayabusaのキャッツアイはリサイクル品だが単5を使用。ブランドの品だが一昔前のもの。一度夜道で事故になったがライトの所為ではあるまい。これで充分間に合う。

・・二軒あるダイソーのうち青梅街道沿いの店をたずねた。あいにく置いてない。百円ショップも最近は値段違いのものを置く。SaintValというユーロワインが安価ででている。節約モードでこれを買った。これはあとで飲んだがとても美味い。イタリアとスペインのブレンド酒でどうかと思ったが、いける。ユーロ危機の底堅い味がする。ハハ

・・ママチャリの後輪ブレーキワイヤーまだいかれてないが、これの交換を試みた。以前から予備はもっていた。前輪のはリサイクル購入後すぐに取り換えた。ブレーキシューとか前輪のタイヤも悪くならないうちにチェンジした。自分の手がかかってるので捨てがたいものだ。・・後輪ブレーキワイヤー交換はきょう実は失敗した。最初のワイヤー止めのナットがどうしても外れない。潤滑油をかけてもダメ。けっこうな良品かもしれぬ。ぶち切れるまで使うとするか。あきらめた。

・・クロスバイクのワイヤーなんかも一年に一度交換すべきとあったが。こちらのチェンジは難しそう。ブレーキシューは一度交換した。パンク直しはゼロ。メリダの廉価サイクルだがよくできてる。

・・先日の大宮行に続けて、檜原村までいってみたい。そう思うが調べるとここはやや難関そう。クロスバイクでは無理という人もいる。

・・図書館で、カンパネラを11人で弾き比べてるCDと「世界最古の洞窟壁画」忘れられた夢の記憶というヴェルナーヘルツォーク作品DVDを借りてきた。この十年以上映像と音楽にはすっかりご無沙汰していたのでまったく新鮮。カンパネラは特に元気が出る。ピアノは実はつらいものがある。年いってのピアノは。ヴァイオリンのような弦がいい。・・このカンパネラは弦でも弾ける。これは元気がでる。
・・「世界最古の洞窟壁画」は考古学ドキュメンタリー。フランスオーリニャック地方にあるショーヴェ洞窟の壁画を探る。ヘルツォークはニュージャーマンシネマの旗手というがそういうものがあったか。並みのドキュメンタリーとは一風違う。クロスオンロードの優良ロマンといったところか。・・3万2千年前の旧石器人が描いた絵がみれる。それだけではない。この洞窟のすぐ近く30kmくらいのところにローヌ河畔の屈指の原子力発電所もあるという。原発の温水でワニが繁殖し異種のワニも生まれてくる。放射能の所為だ。・・なんかすごい映像だね。

・・檜原村にある数馬の湯。ここまで行ってみたいが。・・武蔵五日市の駅から秋川渓谷へのぼり瀬音の湯までは何度か訪ねた。細い道でときおり大きな車もくる。地図で調べたがこのもう4〜5倍の距離でずっと登り坂だという。大垂水峠の急スロープほどではないといえリタイヤするサイクリストもいる。帰りは下りで楽だよということもある。チャレンジするなら今しかないか。もう少し調べてみたい。

・・数馬の湯のまた先に蛇骨湯という秘湯もある。ただしここは大蛇が湯浴みしていたという伝承で気味が悪い。いい秘湯らしいが。・・さらにここらから奥多摩周遊道路という伝説的なCRがある。二輪車ライダーの最難関のコースだ。地図でみたらアップダウンとカーブが多い。事故が多発で二輪車は走行禁止になっているとも。・・ネットでみたらここをロードレーサーで走ったという人もいる。思い立ったらどんな難関もたちむかうらしい。すごいね。・・自分はここは無理でも数馬の湯あたりまでは走らねばなるまい。・・大垂水峠さえ二度越えた。

478秋魚:2014/05/20(火) 20:08:43
(無題)
・・朝早く出るつもりが寝坊して7時半になった。それでも自分は早い方。天気予報は今日一日はもちそう。考えていてもはじまらない。檜原街道数馬の湯にむかった。これ以上遅くなると朝の出勤の車がどどっと来るだろう。青梅から日の出、五日市までの秋川街道はすでに車がびゅんびゅん。いつ来てもいやな道だ。お先にどうぞを繰り返しながら長々と山越えの坂道をのぼる。自転車はほんとうは車道を自前の速度で走りきった方がよい。それは解るが変な事故はごめんだ。とりあえず無事に完走したい。日の出に入ってからの側道をひとつ見つけた。毎回新しい道を発見する。武蔵五日市の駅前には前回より10分は早く着けた。観光案内所はまだ開いてそうに無い。帰りに寄ってみよう。コンビニらしきもあまりない。用意したヘルシーバーひとつと水で昼までもつはず。・・ここからそろそろスロープがはじまる。瀬音の湯までは何度か来ている。渓谷沿いの道はそれほどいい道ではない。檜原街道の最初の印象は細くて車が多い。といっても先ほどの秋川街道と比べれば何でもない。気も楽になった。瀬音の湯の先は未知だった。ちょっと先にあるふるさと工房までもこわくていけなかった。すぐに着いた。ここも帰りに寄ろう。次の目標は檜原村役場。ここで道が分岐する。ネットの記事ではここまではなんでもないという。実際いくらかアップダウンがあったが何なく着いた。数馬の湯までずっと登りのスロープという話だったが、実際はアップダウンの繰り返しのように思えた。これも帰り解ったがやはり大方はアップばかりの道だった。帰りはダウンばかり。スロープの傾斜はさほどでないので足つき無しでもいけそう。ヒルクライムのダンシングは体重を乗せたこぎ方でエネルギーロスが少ない。歩くよりよいかも。ただしバランスが崩れるので車が多いところでは危ない。クロスバイクはギアを使ってもヒルクライムには向いてないか。ロードレーサーによく抜かされる。みんないい自転車に乗ってるなあ。自分も体の動くうちにドロップハンドルにチャレンジしたい。

・・たしかに長い。が、・・檜原街道恐れるにたらず。まだ先でこんなものでは無いだろう。車の量がぐっと少なくなった。こんないい道はないという気になった。実際青梅からの秋川街道をぬけて清清していた。・・次にまた道の分岐がある。上の原から来る道がぶつかる。奥多摩へいくのが檜原街道。後半分か。だいぶ近づいたあたりで長々とアップの坂道がつづく。・・檜原街道恐れるにたらず。いくつも修羅場を越えてきたからこれくらいなら自分もやれる。今日の完走は確信できる。絶対死なないだろう。

・・来る前にシェルタリングスカイというDVDの映画を見た。いい映画だ。

・・アフリカのサハラ砂漠。3人のアメリカ人の旅行客。50年代の話でアラブ圏の白人の旅行は冒険に近い。異文化との接触がもろにリスクとなる。・・原作はポールボールズ。映画では疫病でサハラの町で命を落とす。その妻のキットはなおも一人で旅を続けるが実の妻のジェーンがモデルか。いやしんどい映画だ。自分もアフリカを少し歩いたのでよくわかる。・・タンジール、モロッコは欧米不良文化人の溜り場だったらしい。

・・命あってのもの種。貨幣や文化の価値も無に同じ。・・というか、時の消費がしんどいテーマか。

・・檜原村の数馬の湯などサハラ砂漠と比べたら何でもない。ママチャリでも行ける。歩いてでも行けるが、時の消費はやはりリスクか。・・ロングライドに出ない時の消費もさらにリスクだろう。

・・数馬の湯には3時間弱で着いた。敷地内に四賢人の水という飲み場がある。自然水をすこし頂く。

・・檜原村という東京で唯一の村という。温泉はアルカリ性単純泉。フッ素が多いという。田舎でそんなに広くは無いがまあゆっくりできる。ネットでみた限りレストランはメニューは貧弱だったが実際はかなり充実している。舞茸天そばしかないと思ったほど。「おいねめし」という季節野菜の定食をたのんだ。うど、ふき、のらぼう、ふきのとう、とか地元の野菜山菜づくしが目に心地よい。とくに「おいねつるいも」というじゃがいもは特産という。それに定番のこんにゃく。奥多摩地区のこんにゃくはすてがたい。特に御嶽で食べたものはとりわけ美味だった。ここは野菜ひとつひとつ絶品の味がする。秋川渓谷もこれだけ奥にくると野菜は特別のようだ。自転車のヒルクライムの後でよい食事になった。もちろんビールも飲めた。

このすこし先に蛇の湯温泉とか兜家旅館とか伝説的なスポットがある。きょうは数馬の湯までクロスバイクでやってきた。これで引き上げになる。近くに龍神の滝というのがあるという。なんでもむじなが多くそのむじなを三頭山の龍が食べに来るそうだ。そこにいってみた。滝の名所がいくつかある。渓谷を下ってゆくと木橋があっていまにもくずれそう。その先に大きな滝ではないがマイナスイオンを撒き散らす小気味よい滝があった。街道から外れてやはり人はひとりもいない。・・ロングライドを思い立っただけでこんな深秘な場所に来れてしまうなんてほんとに驚きだ。・・こういうのは唯識で異熟というのだろう。

479秋魚:2014/05/24(土) 00:32:52
(無題)
・・先の「シェリタリングスカイ」に続き「アフリカの日々」という映画をみた。否「アフリカの日々」ではなく「愛と哀しみの果て」という題名の映画だ。Out of Afrikaが原題。デンマークの女流作家ディネーセンの小説による。どこまで自伝でフィクションかはわからぬがともかく実際アフリカで日々を過ごしたらしい。

・・こちらの関心はもっぱらアフリカによる。欧米人のアフリカでもちろん二つの映画は時代相も関わり方も異なる。ただし個のしっかりした女性の関わりは注視に値する。

・・今想い出したが、稲葉真弓は「愛と哀しみの果て」を早くに見て嬉しそうに私に語って聞かせたことがある。いつの頃か。私がサハラ砂漠にいく前か後か、たぶん前であったろう。ラブロマンスの題名の通俗なふうが自分にはどうも受け入れがたかった。どうせ現実のアフリカはどんな虚構の映画も無力だろう。小説家だけあってストーリーを話し始めたらくどい映画にも思えた。シドニーポラクの作品は映像美を歌う。その美しさにも打たれたようだ。キクユ族は半ば西欧人とコムニケートするがマサイ族はまるで異質。行進の仕方などよく映画で撮れたものだ。現地人を演技指導した気配はまるでない。・・シェルタリングスカイはまだやらせの感があり。・・まあ映像美をつくるのはこういうものに酔っていてはいけないのだろう。一方でフィクションとみれば徹底して芸術の美であらねばならない。

480秋魚:2014/06/12(木) 03:49:38
(無題)
・・仕事をひとつひとつ片付けたらいやな案件ばかりが残ってくる。レーザージェットプリンターのトナーが切れてきた。一息に無くなればいいものを徐々に薄くなるのは気がかりが続く。田舎にいるのでネットショップに頼るしかない。うまく探せばこれが一番いい買い物になる。純正品と再生品があって再生品の方が高いのは何故か。あと互換品というのがあって当たり外れがありそうだ。これは互換品だがきっと感動する。など宣伝文句にあった。・・けっきょく最安値のそれを注文してみた。amazonはいつも感動する。勿体をつけた配送日だったが、今回も完璧な梱包でとどいた。で、果たしてプリントはうまくいくのか。
「唐会要」という中国の文献をプリントしてみた。・・おおっ、鮮明な印字。視力が落ちているというか老眼でそれでもすばらしい印刷具合だというのがわかる。感動だ。・・まったく人はつまらぬことに感動するものだ。

・・雨ばかりの日がつづく。めずらしくうす曇りで晴れた。こんな日はポタリングに出ずにはいられない。ずっといって昭島あたりの寿司屋を考えたがきょうは拝島、福生の店を探した。牛浜から拝島は道が混んで迷いやすい。何度かいってもうお手の物。拝島駅は北口から南口に移るのが自転車はどうか。線路沿いにいったら公園があって道が無い。うーむ。ベンチに腰掛けている女生徒に声をかけてみた。駅の向こう側にいきたいのだけど。かわいい子だね。最初は緊張してかこわばった表情。話し始めると時々の笑顔がとてもいい。だいたいもう夕方になるのにうら若い女生徒がひとりでこんなところにいるのが不思議。声をかけたら変態と思われるかしら。若い子はいい。・・ややあって近くのトイレから男生徒があらわれた。なんだデートか。・・むこうは楽しそうだったが、邪魔しちゃわるい。ありがとうといって道をすすんだ。なんでこんなところにいるの?など訊いたがこれはヤボか禁句だろう。おじさんは変態かチカンになりかねない。ともかくわかい女生徒と話すなんて感動です。思春期の女の子の笑顔というのはほんとにひさしぶり。

481秋魚:2014/06/25(水) 02:16:15
(無題)
・・このところDVDを図書館から借りて映画づいている。雨ばかりよく降るというのもある。本を読みたいが視力がだいぶ落ちている。本は根気がつづかない。DVDはサポートの切れたXPでWinDVDというソフトを使うとおもしろく再生できる。目もあまり疲れない。映画というもの実はうんざりしていて観たいものではなかった。莫大な資本をかけて見え透いた作り物という気がした。フィクションを楽しむゆとりもない。とはいえ、このところDVDはジェームズボンドの007シリーズがおもしろい。・・昔観たものでは「ロシアより愛をこめて」というのがお気に入りだった。ボンドガールといって女スパイようなのが必ず登場する。ダニエラビアンキが絶演だった。007、実は「ロシアより愛をこめて」しか記憶にないものだった。ショーンコネリーのボンド役ははまり役。この俳優ここで終わってはいけないのは確かだ。

・・きょうはピアーズブロスナンのWORLD is not enoughというのを観た。世界を手に入れようとする女、驚くべきソフィーマルソーが演じている。「禁じられた遊び」の女の子だ。「世界はわたしのものよ」というに「世界は足りないものがある」というボンド。この二人愛欲の場面で生き延びる術を語り合う。女は逃げることという。ボンドは美しい女を愛することという。キザなものいいだがボンド氏の言葉は一貫している。

・・バイオレンスアクションが華々しくエスカレートしてゆくのは映画だから仕方ないのだろう。このへんが陳腐になったら客もあきがくる。ジェームズボンドは英国の女王陛下の諜報員。たったひとりで悪の組織の陰謀をことごとく叩き潰してゆく。おもしろいというか感心するのは、英国という国のしたたかさ。ボンドのアイデンティティは一貫しているが、シリーズをすすめるうちにこのアイデンティティを揺らがせるようなストーリーがよく出てくる。スパイでも二重スパイめいたものはよくある。三重スパイもあるか。あまり複雑にすると客も観ないだろう。

482秋魚:2014/06/28(土) 03:52:50
(無題)
・・田舎に越してきてあちこち蛍をみれる場所がある。そういえば蛍もひさしく見ていない。田んぼの稲作などで農薬を使うからタニシなど絶滅し蛍もいなくなるのだという。羽村の阿蘇神社まわりで蛍の養殖をやっているという。蛍をみにいく会とかチラシがあってその日も忘れていた。雨ばかり降る。・・たぶん今頃だろう。蛍をみれるのは。・・曇り空だが夕方6時を過ぎて自転車に乗った。かなりむずかしい道だが、何度かいって迷うことはない。まったく奥多摩街道から多摩川べりまでの段丘がうねって迷路のようだ。途中の八百屋でアメリカンチェリーとトマトを買った。サクランボも旬のうち一度は食してみたい。何事も旬を逃してはいけない。蛍もいまなら見れる。そう思った。

・・阿蘇神社は無人だった。お水取りの場所が妙になまめかしい。この参道の方に水路がある。春は桜が咲く。すこし歩いたがまだ日が落ちても明るいからか、蛍の気配はない。蛍は養殖しているという。看板があった。昨日の蛍発生は135匹など貼り紙がある。源氏蛍、平家蛍といるらしい。6月末が旬だから、きょうたくさん見れるはず。しかしいないなあ。浴衣すがたのご夫婦があらわれて蛍をみにきた。いないなあといってあきらめ帰っていった。せっかく来たから自分はがんばって残った。そのうち夕闇でなく黒雲だろう。雨になった。ぜったい蛍はでる。と、小川の川筋からすーっと光るものが。あ、蛍だ。一度二度光の糸をひいて消えてしまった。一匹だけだね。・・そのうち蛍観察員の人が車であらわれた。ここで蛍は見れるのですか?きのうはたくさんいたよ。もう少し暗くならないと。雨がひどい降りになってきた。雨が降ると蛍もダメらしい。成虫の蛍は3、4日の命だという。光って乱舞するのは生殖のためらしい。もう少しがんばっているとまた一筋光るものが。あ、蛍です。雨がひどい降りになりそうだ。二匹確認したところで帰宅することにした。こんな雨の中を自転車で進むのもひさしぶり。どこかレストランで休んでいこうか。傘差し運転でけっこう濡れたが、蛍が見れてよかった。

483秋魚:2014/07/10(木) 01:33:23
(無題)
・・郷境というか町の外れによく出かける。いいところだが藪の中というのは退屈だ。制御できない事件も起きるだろう。町外れ村外れを見てみたい。小曽木街道を外れまで成木川にうつかればもう先は飯能の埼玉になる。山王峠を越えると名栗川のある唐竹にでる。友人がいるので何度か越えた。

・・きょうはやはり蛍が見れるという成木川に向かった。青梅坂はよく来たものだ。ヒルクライムのずっと初級になるか。もっと若ければ三日に一度はチャレンジしたい。坂のトップはトンネルでこの上を青梅丘陵ハイキングコースの道があるはず。青梅は昔は養蚕と織物の町という。山奥の養蚕農家が品物を運んで峠越えをしたとか聞く。このトップからの下りは長い。自転車でもかなりなスピードだ。車もそこそこ。無茶はできない。・・例によって岩井堂のあるところ右折せずに少し直進すれば成木川。川に沿った道があるはず。橋を渡って川沿いの道に出た。庚申塚などある田舎道。・・こういうところに住んでる人もいるんだ。蛍のいる場所を聞くために土地の人に話しかけたりする。人見知りのゆとりもない。みんなありったけの知識で応えてくれる。どうしても困ったら、異国ではなりふり構わずだった。パリとか都会のど真ん中でよくやった。町外れの風景といっても必ず幾分かは都市の剛腕に侵食されている。廃車がそのままゴミで捨てられていたり。採石場があったりするのは論外だ。もろに山が消えたりする。・・成木川に沿っては無垢な自然がみえている。

・・いろいろまわったが蛍は見つからなかった。田んぼがあって出そうなところもあったが、陽が早い。ここが蛍見の場所ですよ、というところにもいったが、出るかどうか。一晩ねばれば一匹くらいは見られそう。帰りの道がこわくて引き上げることにした。

・・いつぞやは飯能の郷土館をたずねた。成木川、入間川を越えて飯能市街の外れにある。町境から入れば近い。以前は通りすぎただけ。縄文の頃からずっと飯能焼きの現在まで、このあたり渡来人の村が多いはず。隣の日高の高麗神社とかもっと多くを知りたかったが、入間川の西川材とか名栗の飯能一揆とかそれでも充実しているほうだろう。・・駿河台大学の学生が飯能焼きの歴史を特別展示。案内の学生とすこし話した。情報メディアのゼミ活動だという。いつの時代でも学生はいるものだね。浦島太郎かもしれない。

・・帰りに、青梅線沿い駅の裏手近くいくつか寺、神社がみえる。西分神社というのは、妙見さまを祀る。ネットでパワースポットとか紹介があった。・・たしかに異様な霊気。

・・狛犬が、異様に迫ってくる。

484秋魚:2014/07/24(木) 20:41:17
(無題)
・・梅雨は明けたらしい。多摩川の河原に出て水遊びでもするか。カヌーで遊ぶ人は多い。釣り人もちらほら。自然が多く子どもにはいいところだという。若いAさん夫婦は羨ましい限りだ。子育てが楽しそう。

・・きょうは日の出のつるつる温泉までポタリング。以前は福生の方から多摩川を渡って一直線にやってきた。温泉に近づくにつれアップの坂がこたえたものだ。最後は自転車をこぎきれず足をついて引いたものだ。湯質はアルカリ性単純泉。レストランはまあまあ。・・きょうは恐怖の秋川街道から茅窪というところで右折して平井川に沿っていく。昼前にでたのでダンプとか車の数もあまりないと踏んだが。でもやはりダンプはよく来る。歩道の無いせまい坂道がつづく。この坂さえ登れば下りは楽だ。以前みつけた側道も使ってカヤクボまで来た。この秋川街道の難所はあきらめだ。帰りはすこし遠回りで滝山街道を使うのみ。カヤクボからはずっといい道になる。すこし行くと白山神社参道という表示がある。こんなところに白山神社。よし寄っていこうとばかり道を折れたまではよかった。最初の鳥居があるところで自転車を止めて登り階段の道をいった。が、その長いこと長いこと。山の上のほうにいってもいっても一向に神社らしきものは見えてこない。性分で意地になっていくものだがさすが今回は途中であきらめた。こんな蛇でも出そうな道は退散。はやく温泉で休みたい。
平井川に沿った道。以前は大きな水鳥がいたっけ。車はずっと少ない。太平洋セメントの工場があってここまではダンプが時折やってくる。石灰を採っているのか。いいかげんやめてもらいたいが。そうもいかぬのだろう。・・つるつる温泉まであと二キロといってからが長い。アップが続く。ようやく駐車場がみえてきた。寸前でダウン。体調異変で水を飲む。パソコンばかり触って急に激しい運動をするとよくない。天気も光化学スモッグ状態だ。ともかく温泉へ。リフレッシュするに限る。・・カヤクボまで45分。カヤクボから温泉まで寄り道なければ45分。1時間半ならポタリングの部類だろう。

・・白岩の滝。つるつる温泉から1キロほど下って川に沿って折れる。さらに8百mほどいくと白岩の滝がある。雨乞いの滝という。どんな日照りの時もけして枯れないという。案内嬢に聞くと自転車でいけるという。ただし滝に近くいくには登り坂を歩かねばならない。雨乞いの祈りを今でも捧げるという。けっこうな滝だ。ぜひ寄ってみよう。このあたりの名所、ほとんど人が来ない。もの淋しい道になる。まれに山奥に人家があるが、生活を思ってみただけでめまいがする。・・一台車があって見物客がいたようだ。・・白岩の滝は二段になっており、上の滝は3m、下の滝は12m。だんだらの散歩道をのぼって上の滝までは急な坂道になる。このところ坂道ばかり登る。・・この滝は見映えがいい。何の権化か急にぽつりぽつり雨が降ってきた。滝を拝んだら雨になるという。偶然にしては出来たこと。やはりパワースポットの霊験ということだろう。しかし雨はいらない。・・写真を数枚とって帰路についた。

・・帰ってから体調の異変。やたらと水が飲みたくなる。これはよいことに違いない。帰路は滝山街道に出て遠回りだったが、あの秋川の山の坂道よりましであろう。万寿トンネルを越えて多摩川を見はらかすあたりまで来ればあとは楽勝。吉野街道の入り組んだ裏道はもうお手の物。千ケ瀬のスーパーに寄
って林檎の酎ハイと豆腐を買った。

・・夜、「タイタンの戦い」というDVDを観た。これは巨人族タイタンの話かと思いきやアンドロメダ姫を救うペルセウスの話だった。古いギリシャ神話の映画は特撮がすすんでいてあきないものだ。ハーデスが放つ怪獣クラーケンをいかに倒すか。メドゥーサの頭で眼を見させればどんな怪獣も石になる。ペルセウスは半神半人。生贄とされるアンドロメダ姫をペルセウスは救った。出雲でヤマタノオロチを殺してクシナダ姫を救うスサノオの神話によく似ている。メドゥーサというのも凄まじい女神だね。昔は絶世の美女だったとか。・・イオというペルセウスの守護神は救いだ。

485秋魚:2014/07/30(水) 14:59:38
(無題)
・・いや絶好の自転車日和。日帰りライドの限界に挑む。目指すは行田さきたま古墳群。荒川を行って熊谷の近くすこし行けば利根川にもでる。前回大宮氷川神社に行った時を参考に飯能、狭山の入間川CRにでて川越方面に向かう。終点の入間大橋にでる一つ前の釘無橋を渡り県道12号。これは川越の蔵のある通りの道だそうだ。これを北上し荒川にぶつかるまでここらあたりから未知のコース。川越から入間川を渡る橋はいずれも交通量が多い。落合橋から国道254をいくのも考えたが、この道は以前小川からの帰路でいろいろ懲りている。釘無橋を渡るのが最良か。

・・片道5時間はかかりそう。日帰りライドを思案して朝の6時少し前に家を出た。帰路はすべて田舎の道なので途中日が落ちたら万事休す。以前の小川からのライドは川越まで散々だった。朝早くでればゆとりもある。入間川のサイクリングロードに入れば川越までは楽勝。自転車は昨夜のうちに整備しておいた。栄養バーと水。この水は小さなペットボトルで用意したが、これはまったく不備不足なのが後でわかった。一度経験した道は安心できる。入間川CRの起点豊水橋まではなんなく来た。ここから先も初雁橋でサイドチェンジするのも前回の失敗で覚えたこと。釘無橋まで来て橋の下で涼んでいる人に道を尋ねた。・・すぐ上の釘無橋くらいはわかるらしいがずっといくと荒川にぶつかる話あたりから覚束ない。さらに行田までいくといったら雲の上の話のようだ。生活圏に密着した人は目先のことしか聞かない方がいい。しかし12号はいやな道だ。せまい上に大型車がのべつまくなしに来る。青梅の街道で馴れてはいたが見知らぬ道はこわいものがある。そんなに長い距離ではないから早く荒川にでてしまいたい。直進でいいのか二三度訊きながらついに太郎右衛門橋にやってきた。・・いや荒川の河川敷は広い。海のようなところを渡っている。・・渡ると桶川。昔の空軍飛行士養成学校跡がある。ちょっと寄っていくか。いやー太平洋戦争の記憶ですね。ここから特攻兵も鹿児島の知覧にいって巣立ったらしい。・・案内所のおじさんにまた道を訊いて荒川CRを行田へ向けて走った。

・・川沿いのCRをそのままいけば着くだろうくらいに思っていたが、大間違い。

・・荒川のこのあたり河川敷の広いこと。おまけに何本かの支流が合流しているから河川敷の地勢は複雑怪奇。農地利用の水田が多い。用水路沿いにサイクリングロードがある。本来の荒川CRではない左岸のCRはマイナーな為かほとんど通行者に出会わない。入間川CRでは本格的なサイクリストによく出会った。みんないい格好でいい自転車に乗ってる。趣味のレベルとしても自分は素人に近い。自転車でさきたま古墳風土記の丘に到達できればそれでいい。自転車はいいものに限るが何より体力の問題だ。真夏の日差しはじりじり焼きさす。道はいいし車とも出会わない。あまり快適すぎるのも不安になる。むっとする稲穂の匂い。一面の稲穂の風景も幼少の頃以来。農薬の匂いまでは嗅ぎ分けられない。ずっといくうち工事をやっているから通行止めとか本来のCRではいけないらしい。河川敷も迷路のような趣き。北鴻巣へ行くあたりで荒川のCRを離れる標識があるはずだが、もうだめ。糠田橋から川を離れて行田に向かうことにした。それでも鴻巣あたりまでは川に沿ってしかしこれが行き過ぎて風土記の丘には迷路の中になった。中学校の校庭で水を撒いていた先生に訊ねるとさすが先生よく知っていて教えるのがうまい。ここから見えるアプタというホームセンタを目指しなさい。そして武蔵水路をみつけていくとよい。お礼して、とはいうもののここからがまた迷路のつづき何度か人にたずねてやっと古墳のある公園に着いた。この先突き抜けていくと利根川があるらしい。

・・かれこれ4時間半。思ったより早く到着。史跡の博物館に向かう。学校の集団訪問もあって生徒がうじゃうじゃ。みんな真面目ですね。2百円払ってどんどん見て廻る。稲荷山古墳から1968年出土した
金錯銘鉄剣というのが実物の展示があって、感激。鉄の剣に金の象嵌文字が刻まれている。112文字しっかり読めるのは金の象嵌文字だからで鉄は錆びても金は錆が無いらしい。刀剣の錆び方も崩れるほどではない。文字が際立って読めるのは驚くばかり。江田船山古墳の鉄剣など銀の象嵌文字で銀も錆が来る。いくつかの文字は読解不能。金の象嵌とは考えたものだ。

・・公園の近くに古代蓮の開花がみられるところがある。ツタンカーメンの遺物からでたエンドウの種のように縄文の頃の遺物の蓮の種から発芽させて増やせたものだろう。公園の中にも蓮池がある。大輪の蓮の花がいくつか開いている。寄ることも考えたが自転車の乗りつかれ甚だしくモミの湯という温泉にて休憩することにした。さきたま古墳群といっても学究的な興味が第一というのではない。稲荷山古墳の実物をみて銘文の刻まれた鉄剣を見れるくらいでよい。ロングライドの自転車行は未知のコースでチャレンジだった。シェリタリングスカイなど異国、異民族を歩くリスクと比べればどうということもない。人生の時間はいつまでもあるように感じられるが、急に終止することが真実だ。・・温泉で思い切り体を休めるのは天の助け。・・東京から自転車で来ましたといったら案内嬢はびっくり。

・・九つくらいの大きな古墳がある。今は面影ないが周囲に30以上の小古墳があったという。丸墓山古墳というのがよくみえる。日本最大の円墳という。

・・隣にある前方後円墳が稲荷山古墳。前方の部分を発掘して鉄剣がでてきたから今の前方の形は復元してつくったものらしい。後円部分も発掘調査すればもっと何かでてくるか。この種の古墳は前方の部分しか遺物は納められていないのかよくわからない。ともかく68年に金錯銘鉄剣、画文帯環状乳神獣鏡が国宝として発掘された。銘文から辛亥の年は471年であろう。時のヤマトの大王はワカタケル、雄略天皇ではないか。この説が有力だ。・・周囲の古墳は他に二子山古墳は武蔵最大の前方後円墳。将軍山古墳は横穴式石室から馬冑や太刀など馬に乗っていた武人らしきが埋葬されていたようだ。韓半島南部の渡来人ぽいが、どうか。

・・この地域、荒川の河川敷が異様に広いのは昔から流れの筋を幾通りか替えたためであろうし、すぐ向こうの利根川はもっと雄大であろう。この二つの川に挟まれた土地というのがなんとも意味深く思われる。

486秋魚:2014/08/06(水) 20:58:53
(無題)
・・自転車乗りたちはあちこち繰り出している。自分も外に出て走ってみるとわかる。暑い夏場ははやい時間で出るに限る。6時に北秋川の払沢の滝を目指した。それにしても嫌な秋川街道。二度と走りたくないと思ったが結局ここを行かざるを得ない。早い時間でなるほど車の数はぐっと少ない。が、ダンプ屋さんは朝が早いらしい。けっこう続く。昼間よりはましでサイクリストもけっこう出会う。大きな坂を登ってしまえば下りは楽だ。途中側道も憶えたし武蔵五日市の駅前までは45分くらいで着いた。・・ここから檜原街道を瀬音の湯のある十里木まで途中道がせまくなってダンプが来るとこわいところがある。最初はここは二度と走りたくないと思った道だが。何度かトライするとうまくなる。甘く見ると事故になるから用心用心。自転車の緊張と集中の時間はすべてだ。

・・「千里に旅立て、路粮(みちかて)をつゝまず、三更月下無何(むか)に入る」と云けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享甲子秋八月、江上(かうしやう)の破屋(はをく)をいづる程、・・
・・芭蕉「野ざらし紀行」の出だし。荘子という人は千里の旅を計するに食料の確保で3ケ月かける。意外と現実的な荘子。芭蕉は気にしない。

・・意図した旅のはじめ。

野ざらしを心に風のしむ身哉

霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き

・・江戸深川の芭蕉庵からは、富士がよく見えた。東海道中もずっと富士が見えただろう。富士との別れ。これが最初の旅のモチーフか。亡母追悼で伊賀にもどる旅ということだが。

・・わたしのいる青梅から富士はよく見えない。が、河辺の温泉レストランからは夕焼け富士が見える。日の出山登山をした時も途中小さく見えるということだったが、この空気ではあるかなきか。甲州街道大垂水峠を越えたときもたしかに小さく見えた。まったく多摩のエリアは富士は小さい。・・国立の南武線からは冬場はよく大きく見えたものだ。

・・きょうは、滝。日本名選百の滝にはいるのは東京ではここだけ。払沢の滝。武蔵五日市から檜原街道を村役場のあるところまで、以前数馬の湯を訪ねたからなんなく来た。すぐ先の橘橋を渡って左折なら数馬方面、今回は右折。その先払沢の滝入口までは十分もかからなかった。

・・四段くらいになって流れる滝。垂直下降の一番上の滝まで15分ほど歩くという。カフェとかあって本格的な観光の名所のようだ。朝早すぎて余り人も来ていない。山道を登っていくと奥ツ城まで来たか。すでに人ひとり滝の飛沫を受けて瞑想にふける者がいる。身じろぎ一つなし。邪魔するのも悪いと思ったがこちらもやっとの思いで来たばかり。滝壺近くまでしゃしゃり出た。15、6Mはあろうか本格的な落下の滝だ。滝に打たれる修行というのもあるが、水源で水浴はならぬとお触書。あの滝の上はどうなっているのか湖とかあるわけでもなし。しかしまともな流水をみてこれでよし。昔日光の華厳の滝を観たときは涸れていてがっかりしたものだ。流水を慕う蝶などもいて写真をとろうとしたが、こちらと思えばまたあちらとシャッターチャンスを失った。あきらめ。

487秋魚:2014/08/15(金) 22:36:57
(無題)
・・思い立ったが吉日。お盆のさ中に何もしない手はない。自転車乗りのメッカ、正丸峠をめざした。ライダーが一度は到達したい場所。埼玉飯能と秩父の境にある峠だ。この峠の噂は幾度も聞いている。自転車とバイクこの二つのライダーの聖地に近い。坂のヒルクライムは初級程度だというが。東京の高尾を越えていく大垂水峠はまだ入門でヒルクライムのさわりだという。けっこうきつかったけども。クロスバイクで可能かどうか。自信がなかったが、ここはメッカだ。チャレンジせよということだった。

・・青梅多摩川の万年橋を6時に越えて青梅街道から小曽木にはいるいつもの青梅坂。ここは実にいい坂だ。ヒルクライムもこの程度なら楽勝だが今回は飯能にはいるまでもいくつかアップダウンを繰り返した。小曽木から成木街道にはいるのははじめてだった。吹上峠がありここもトンネルになっている。トンネルというのが自転車乗りにはもっとも嫌な走りだろう。特に車が来るときのエンジン音のけたたましい反響。トンネル全体が轟音に包まれてどこから車が来るのかわからないほどだ。前か後ろか。特に後ろがこわい。トンネルはなるべく早く抜けること。短いトンネルであることを祈る。

・・松ノ木トンネルを抜けてさらに坂を登るとまた小沢トンネルというのがある。成木から名栗に抜ける最後の峠だ。麓の蕎麦やさんの主人とは以前話をしたことがある。酒を飲むようと言ってくれたが閑がとれなかった。サイクリストが一人休んでいて平常のよう。きょうはそのまま通過。トンネルまでの坂は足つきになった。やや長いトンネル。先の出口が遠くにみえる。・・奥多摩の先に出口の見えないトンネルがいくつかある。これは恐怖だ。・・ここはまだいい。と思ったが、トンネルを出て下りの坂が実にいやな坂。いろは坂になってしかも急。下りでよかったが帰りはパスして入間川を下ることにした。

・・ここから入間川に沿って上る道は以前さわらびの湯あたりまで車で来た。自転車では初コースになる。かれこれ一時間になる。思ったよりペースが早い。車の数はさほどでなく朝まだ早いせいかそれでもライダーが3,4台グループで走ってきたり自転車も同じようにグループで来たりする。みな本格的な装備でヘルメットや水筒、自転車もロードレーサーのいいものに乗っている。サイクリング用のシャツは見映えがする。・・有間ダムとさわらびの湯への分岐道で休息。帰りにはここの温泉に寄ってみたい。いまは入間川に沿って直進。やや人家の多い名栗の街道をいけば山伏峠に着くだろう。傾斜はゆるい。楽勝と思ったが、急にスロープも急に道幅もせまくなってきた。前輪のギアを3にしてだいぶ楽になったが速度も落ちる。適当なところで休みを入れていつかは山伏峠に着くだろう。

・・ヒルクライムとバイクライダーが多いと覚悟していた。朝早いためかさほど多くはない。たしかに巡礼のようなライダーとサイクリストにはよく会う。こちらもお遍路の精神で進んだ。途中山肌が白くえぐれた場所がみえる。ここらあたりも石灰の採取場があるようだ。急坂というのでもない。まだかよ〜と思っていたら、とうとうやってきた。山伏峠。坂のトップで「山伏峠」と板があるだけだ。

・・山伏峠から少し下ってすぐ正丸峠にいく分岐道にでる。ややアップになるが先1、2キロほどで正丸峠に着くはずだ。ここまで来れば失敗はない。ずっと気が楽になった。水は前回小さなペットボトルで用意して失敗したから大きいのにしてよかった。食料よりも水。水のありがたさがわかる。あと一本の栄養バー。これも一本で充分。空腹で動けなくなるということは絶対ない。・・ほどなく正丸峠に着いた。

・・茶店があってまだ早いためか店は閉まっている。先客にバイクのあんちゃんが一人。記念写真をとっていた。あまりにひっそりだったので、ここが正丸峠ですか?あんちゃんに聞いてみた。余り話をしたがらない風だが「自分も初心者でここもはじめてです」という。向こう側から上ってきて道はよくないですよ。さいたま市から来たという。おたがい情報をだしあいバイクと自転車ではだいぶ中身が違うようだ。それでも話しに花が咲く。そうこうしているうちに次次と巡礼の自転車、バイクがやってくる。やはり聖地のようだ。天皇陛下と皇太子もここまで来たらしい。碑が立っている。・・店の板前さんも到着して開店となった。記念ステッカーというのが人気らしい。全国から目指してきて正丸のロゴ入りステッカーを買っていくという。住所と名前の名簿まである。ハハ、愉快だね。茶店では蕎麦を買った。・・さあさっきのあんちゃんともほどほどの話にして彼はうれしそうに先に峠を下りていった。自分も下山にはいった。

・・違うルートをも考えたが今日は同じ道で帰路をとる。3時間ほどで着いたのは意外。名栗へ入るまでに1時間。あとは安全でゆっくりきたから2時間。山伏峠の坂はきついが馴れればもう20分は短縮できそう。帰りの下りは楽だ。途中、星宮神社という天御中主命をまつる社を訪ねた。名栗村の守り神だという。左甚五郎のつくった獅子頭があったらしいが今は消失。端正ないい社だ。・・続いて鳥居観音。遠くから山の天辺に観音像がみえる。青梅の塩船観音と似ているが、広大な敷地にどこかの財閥の人が祈願したもので古くはないが活発な信仰をあつめているようだ。今回は山門までで入山はしない。

・・さわらびの湯をさがした。ここは以前友人の車できたことがある。入間川沿いの街道をそれて少しはいったところにあった。川でキャンプをしている親子連れがこぞって湯浴みに来ているのか駐車場の車も多く、ライダーたちも多く寄ってくる。大変な混みよう。お盆のさなかみな考えることは似ているかもしれない。巡礼と沐浴、湯浴み。世相がわかっておもしろい。・・怱々にして温泉をでると地元の物産店が一軒。みやげものの他わかめのおにぎりとビールを買ってこれで昼食。このおにぎりの実に美味いこと。さすがに田舎だ。

488秋魚:2014/08/30(土) 21:49:01
(無題)
・・自転車を整備した。ギアの仕組みが今ひとつわからない。前輪はともかく後輪のディレイラーは見た目も複雑だ。チェーンのかかりを内外にずらして移動する構造と思えるが、どうもね。前回ギアのかかりがよくなかったのは、調整不足。可動部にオイルをさして、軽快になった。kure556は自転車向きではないが、要所には使える。チェーンにたっぷり使って外れたこともあった。潤滑がききすぎるからそっと使用したい。ギアはほとんどシマノ。たしかによく出来ている。

・・雨降りの日が続いた。やっと晴れてもう九月。御嶽山のレンゲショウマも旬を過ぎたか。かねてより懸案の大岳山登山を試みた。1226mの山はここらで一番高い。ハイキングでなく登山になる。自転車で御嶽神社まであがり、そこから2時間ほどのハイキング登山になる。おおまかなプランを立てた。ケーブルのある道を自転車で登る。こんなのヒルクライムと呼べるのか。傾斜の角度は調べようもないがまず無理。自転車は引いて上がる。帰りはダウンヒルになる。

・・予定では朝6時に出発。寝過ごして8時過ぎになった。吉野街道が混むだろう。ここはダンプがひっきりなし。日向和田までは側道でいける。その先不安だったが、工事があったのか歩道がずっと出来ている。簪美術館のあたりは、以前は歩道が無かったはずだ。これはいい。ダンプも相変わらずだが歩道にあがればまず安全。御岳まではなんなく行ける。玉堂美術館を過ぎて左折してケーブル駅のところまで坂道がつづく。これぐらいは足つきは無いのだろうけど一部足つきになる。この辺でもう体調が異変を起こす。汗の出方が不快。この先長いのに続くのか。日常から離れて身体が新しい環境に馴れていないのだ。・・滝本ケーブル駅という。ここからが坂上りの本番。ネットで調べたが、御嶽神社からさらに大岳山まで自転車で上がる記事があった。神社まで上がるというのも大変な思いつきと思っていたが上には上がいる。それと比較するなら神社までは引く手はない。最初の見立てはかなり甘いものとわかった。

「・・山はいりぬるよりこのかたは、一人にあふ一人もなきなり。ただ山の活計の現成するのみなり。」(道元)

・・まったく。山は出かけてみなければわからない。事前にあれこれ気をもむのが無駄になる。体調の管理とはいっても出発前の身体はあてにならない。悪い汗を流していかにはやく馴致するか。水を飲みながらなんとか上のケーブル駅まで来た。神社は近い。自転車を置く場所を確保せねば。通りがかった民家の前に空き地があった。ちょうど出てきたおかみに駐輪の許可をもとめた。が、ダメ。くさることなくずんずんいくと。売店のあるところまで来た。「にいさん。寄ってコーヒーでもどうぞ」客引きのおかみが威勢よい。自転車のあずかりを頼んでコーヒーでもと思ったが、ここでヒマをつぶす訳には行かない。大岳山は鎖場のある登山になる。きっとして鳥居横の空き地に自転車を置いた。レンゲショウマはまだ見られるかも。が、神社にも寄らず一路大岳山に向かった。ケーブルで来た客など人は多い。平日で若い連中もいるのは、みんないろいろ事情があるのだろう。陽気な団体客もいる。・・自転車乗りの筋肉と登山歩行の筋肉では違うのだろう。歩行はたぶん水準がひくい。昔膝をケガしたというのもある。長尾平への分岐点にえらい登山家の碑があった。長谷川恒男という。

「・・登攀の前には、葛藤がある。なぜ悩むのか。それは行動を起こすことによって、『肉体』が滅びることを『精神』が恐れるからだ。『精神』とは、ヒトが人間であることを示す最後の砦なのだ。」

・・いい言葉だ。元気付けられて大岳山に向かった。

・・御嶽神社の奥の院は別にある。ここは寄らずに一路大岳山に向かう。ほんとの奥の院は大岳山だともいう。岩石園、綾広の滝とかにいくハイキングもある。こちらはひどく賑わっている。山にいく人けっこうなお年寄りが多い。平日だからというのもあるだろう。出会う人にこんにちわというが、中には挨拶もしたくないほどな形相の人もいる。山登りが必死なイベントなのだろう。自分も同じことだが。夫婦で歩いている人は絆が万全だ。お互い事故のないよう気遣いがみえる。・・大岳山は遠くから眺めると尖って見える。特徴のある山なのでよくわかる。アルプスのマッターホーン、アイガー北壁のように頂上の前に切り立った崖がある。頂上付近はほとんど岩場だ。鎖場の道がいくつかある。道がしっかりしているのでさほど怖くはないがそれでも下を覗くと切り立った崖だ。ここで大地震が来たら石の山でもどうか。鎖場ではないが這って登るところに来た。足場はある。自転車だったら担がねばなるまい。ロードレーサーの乗り手はいともたやすいというが。ロードバイクの乗り手を夢見ることもある。しかし今日は御嶽神社までがせいいっぱい。帰りのダウンヒルがイベントだ。

・・大岳神社のところまできた。ここの狛犬はかわいいものだ。ここらあたりまでなら自転車も来れそうだ。

・・頂上にはすでに人が数名。出会った人より多い。いくつか登るコースがある。ロードバイクの記事はここから奥多摩方面に抜けたという。奥多摩からあがってきた人と話をした。何度かここに来るという。奥多摩からなら3時間。御嶽からなら2時間。頂上はよく晴れれば富士山も見える。この日はあいにく山頂は雲が多く遠景はかすんでいた。

・・単独で歩いている人は、山登りをひそかな楽しみにしてるようだ。地図をもって山頂での昼食もちゃんと用意してくる。わたしなどは水とクッキーバー一本のみ。実際これしかないと思うとすべて貴重に思える。soyjoyというバーだが、これで充分。神社にもどったら売店で蕎麦とビールで休める。いやー岩がごつごついい山だ。お先にといって下山に入った。登ってくる人にも会う。怖い形相だ。若者はあまりいない。自分の山歩きは素人のそれだ。後から下山に入った人に追い越されてしまった。若くもないのに足が軽いのは馴れてるからだろう。女性にも会う。小学生の遠足の定番だとかネットにあったがそれはないんじゃないか。けっこうきつい。自転車で登るというのが、出来るか否かいつも考えていた。大嶽神社のあるところまで下り、またあの狛犬を拝んだ。

緯度経度, N 35° 45.913' E 139°7.825'.

・・下山はほんとは突き抜けて奥多摩に出るべきだった。同じところをもどるというのはおもしろくない。今回は御嶽神社に自転車を置いてある。長いスロープの参道をダウンヒルするのがイベントの面目だった。もどらねばならない。時々ほんとに年を重ねた人が登ってくる。それはよくわかる。途中ロックガーデン、綾広の滝へ向かう岐路にでた。ここに寄り道する。ここいらはハイキング客が多い。若い女の子も楽しそうに歩いている。めずらしくかわいい子が来た。こんにちわ。いい声だ。・・沢があって下っていくと巨岩の下を一筋の滝が落ちている。これが綾広の滝。すずしい水だ。そのすぐ隣にお浜の桂というのがある。なんでも大菩薩峠に出てくるヒロインお浜に因んだものらしい。この桂の木実は30年以上前に見たことがある。御嶽から下って沢まで降りた。ひどく下って失敗した。どん底で出会ったのがお浜の桂。机龍之介もここを通ったと思えば救われる。この桂の木、昔よりたしかに巨木になっていた。葉がこきざみに揺れるのをずっと記憶していたが。・・ロックガーデンはもう少し先だが今日はここで引き返した。

・・茶店のある通りまでもどった。自転車が無事置かれてあるのを確認し、紅葉屋という蕎麦やを探した。前回ここの蕎麦は美味だった。かわいい注文とりの子がいた。半年も前のこと。・・残念。お休みらしい。売店はふつうやすまないものだが。・・仕方なくもう一軒、朝呼び込みのおかみの店に入った。

>・・経ヶ岬(きょうがみさき)は、京都府京丹後市丹後町袖志に属し、日本海(若狭湾西部)に面する岬。・・京都府及び近畿地方の最北端。丹後天橋立大江山国定公園に含まれる。北緯35度46分45.47秒東経135度13分24.92秒

>・・丹後半島北端をなす岬の周囲は安山岩からなる柱状節理の発達した海食崖になっている[1]。名前の由来は『宮津府志』によると、岬を取り巻く柱状節理が経巻を立てたように見えることによるとされている

>・・もんじゅは、福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉である。北緯35度44分24秒 東経135度59分16秒

489秋魚:2014/09/01(月) 23:57:01
・・
・・稲葉真弓へ

https://img.shitaraba.net/migrate1/8014.shugyo/0000489_2.jpg

490秋魚:2014/09/21(日) 01:42:03
(無題)
・・自転車修行も佳境に入った。のんびりしてると次から次へと友人が逝去する。命あるうちに道を究めねばと。奥多摩の深秘にチャレンジしたい。御岳から大岳山登山。御岳まではもうほとんど庭に近い。川合玉堂のいた鳩ノ巣、白丸もそろそろ見慣れた風景に。奥多摩駅からいくつか道が別れる。このあたりが未知だが。日原街道をずっといって鍾乳洞の暗部までというのも魅力だ。川を遡って奥多摩湖、さらに源流の村丹波山ののめこい温泉までいってみたい。きょうは奥多摩の駅から奥多摩湖に向けて「むかし道」コースを選んだ。
・・もうひとつの源流の村小菅村の温泉にはバスで二度訪れた。その時の道のなんと恐ろしいこと。川に沿って湖に沿ってトンネルがいくつもある。道も細く車も多い。自分のような素人ライダーには大冒険になる。

・・朝早くのつもりが寝過ごして出発は9時過ぎになった。例によって軍畑までは裏道を通る。御岳までは青梅街道も歩道を備えたよい道だ。御岳から川井までけっこう長い。車はダンプのほかに軽の車でも爆走するのはやっかいだ。それに大きな音をたててライダーの群れも来る。古里、鳩ノ巣とここいらもいつかゆっくり散策したい。白丸のダムには魚道というのを見学できる。この日は閉まっていたが。トンネルがいくつかあるが奥多摩までは側道もあって怖くはない。奥多摩の駅までは、なんなく来れた。観光案内所で「むかし道」の情報を求めたら九月一杯通行止めという。雪害で傷んだ道を修繕しているという。紅葉の名所で十月以降が観光の本番になる。奥多摩駅から奥多摩湖まで「むかし道」を歩くと4時間ほどかかるという。自転車で行きたいというと、一部山の中は通れない。本道にでて中山トンネルを走らねばならぬ。このトンネルはやや長く登り坂だという。案内嬢もあまりすすめない風だ。・・そのずっと先丹波山村まで行きたいというと、アップの道でさらに眉をひそめた。次回のために丹波山村と日原鍾乳洞のパンフをもらって、今回は青梅街道を湖にむけて行ける所まで行こうと出発。やはり道が細くなる。トンネルを二つ抜けたあたり側道があり交通整備のおじさんがいる。工事で通れませんよ。でも途中までは大丈夫。トンネルの道はつまらないしここから本道を外れた。いい道でこれがむかしの青梅街道、むかし道らしい。渓谷沿いに人もいない。惣岳渓谷というところに来た。「・・太古以来の大洪水と、1742年、1907年に奥多摩一帯を襲った大水害によって、多摩川南岸しだくら谷より押し出した巨岩怪岩が多数。「惣岳の荒」と呼ばれ、静かな森と荒々しい渓谷のコントラストが・・」
・・昔は材木を流す筏下りがあってここらが一番の難所とか。しだくら橋という吊橋もあり、少し渡りかけた怖くて進めない。谷の深さと巨岩怪岩が驚異。

・・こんな山奥の水害。たぶん豪雨によって土砂の部分が流され岩がくずれず残った。その岩の形が奇岩のままの景勝となっているのだろう。自転車の遠乗り。目の前の現実。ぞっとするところまで来たらそこが今日の折り返し地点。目的はほぼ完了となる。これが労働の勝利。帰り道はいつもうれしい。

・・先ほどのトンネルの道にはもどらず帰りはさらに「むかし道」をたどった。入口で全面通行止めの看板があってほぼ無人だが、ぽつりぽつり歩く人に会う。・・白髭神社がここにもある。この神社飯能の方にもいくつも見かけた。石とか岩にゆかりがあるという。せり出し切り立った岩の陰に社がみえる。絶壁にかかったようにいったいどんな功徳ご利益があるのか。気が動顛して何も確かめられないまま写真をとって怱々に退散した。

・・道中、里の方では朝顔がきれいで谷奥ではコスモスがきれい。コスモスのこれはというような咲き誇ったものがあった。写真を撮ろうか撮るまいか道路に下車するのがめんどうで遂に通過してしまった。まだいいのがあるだろうと思ったが、その先それに優るものはなかった。脳裏にしっかり焼きついている。周りの空気とか一期一会の花だからもう同じ花を見ることはないだろう。そうやって印象を残すのも一興か。

・・ 辛崎の松は小町が身の朧

びわ湖畔で詠んだ芭蕉の句。「辛崎の松は花より朧にて」で知られる名句だが、小町という正体不明の美女佳人はびわ湖に化身する。風景のいい山水は奥多摩にもある。不遇の山水と田山花袋はいっていた。たしかにここは奥が暗い。はいっていくには少しの勇気がいる。

491秋魚:2014/10/03(金) 22:20:32
(無題)
・・未知の土地にいくには勇気が要る。旅客機ではじめてパリに行った時の感動はもう二度とない。空港からタクシーに乗って下手なフランス語で話しかけた。運転手はなぜ話しかけるという。深い意図は無い。一言二言はいいだろう。

・・奥多摩にも未知の土地がある。当たり前だが丹波山村まで自転車でいきたい。奥に行けばいくほど道細くサイクリストには余りいい道ではない。先日むかし道を訪ねた時はバイクライダーが4〜5台で編隊を組んで走ってきたりする。大型車もくる。何よりもトンネル。逃げ場がないから怖い。オートバイが爆音をあげて走るとトンネル内に大反響しておそろしいこと限りない。奥多摩のトンネルは歩道も無く車の来ない間に通り抜けるに限る。すこし長いとやはり前か後ろか爆音を聞くことになる。・・自転車で行く前に下調べ。温泉の送迎バスで小菅村にまずいくことにした。

・・この送迎バスこれまでに2回利用させてもらった。最初はもう何がなんだか。奥多摩湖の小河内ダムを見ただけで感動だった。奥多摩湖は人造湖だ。湖底に沈んだ村もある。深い峡谷から一転、竜の姿態で奥多摩湖になる。湖に沿ってまた細い道。トンネルがいくつもある。青梅街道奥多摩駅までは4つあるトンネルもほとんど側道で迂回できる。新白丸トンネルはやや長いがもえぎの湯への道で迂回。ここまでは何度かきた。問題は奥多摩駅から奥多摩湖まで。むかし道というハイキング道路は自転車では一部利用になる。すべて青梅街道だと8つのトンネルがある。前回は2つ目の白髭トンネルを抜けてむかし道に入った。このトンネルもけっこうきつい。ここでむかし道をいくと4つトンネルを迂回できる。最後は山道になりまた街道へでなければならぬ。そして恐怖の中山トンネル。このトンネルの視察が主なる仕事だった。

・・小河内ダムに出る前に2つ長いトンネルがある。長いといっても1キロはない。出口もみえる。ただ狭い上に傾斜がある。一つは中山トンネル。出口がみえぬという情報だったが、よく見える。傾斜も急というほどでもない。歩道がなく有るか無きかの白線があるのみ。自動車バイクの来ないうちに出来るだけ早く抜けるのが最良。この日はハイキング客が数名トンネル内を歩いていた。ここを抜けてさらに大麦代トンネルというやや長いトンネルがある。ネットの情報では、ここはサイクリスト誰もが嫌がるトンネル。トンネル手前を左折してダム沿いの道をとれば回避できる。難関は中山トンネルのみにしたい。むかし道を使うと多摩湖畔まではなんとか出れそうだ。・・バスの運転手に今度自転車で来たいといったら、アブナイヨ無理といった。これは奥多摩の観光案内所でも言われたことだ。

・・ダムの公園で休憩して、ここから細長い湖に沿って青梅街道がある。カーブが多く入り組んでトンネルも5つくらいはあるが、長くは無い。道がせまいのが気がかり。実際走るとなったら黙々と走るのみ。途中鶴の湯温泉郷というのがある。ダムが出来る前は老舗だった。ダムで沈んであとで温泉を再度汲み上げたものらしい。景色がよすぎて道路ばかりが危うい。・・深山橋というところに来た。この橋を渡れば小菅川に沿って小菅方面へ、橋を渡らず直進すれば丹波川となり丹波村にいく。ずっと迂回して進めば柳沢峠にでてここはヒルクライムの上級。さらに下って甲州市にはいる。自分のクロスバイクでは無理だろう。スロープも急になるが、丹波山村まではいきたい。・・きょうは深山橋を渡って小菅村に向かった。

・・送迎バスは9人ほどの客だった。中に3人ほど台湾人らしき客がいる。一人の男性が盛んにデジカメの画像を動かせながら隣の女性に話している。デジカメのメーカーは分からぬがかなりいい色を出す。飛行機から撮ったと思われる富士山の画像がみえた。かれらツーリストであろう。・・こんなマイナーな田舎の温泉の送迎バスをよくぞ調べたものだ。たしかに台湾人。

・・カトリーヌドヌーブの映画「シェルブールの雨傘」「インドシナ」を観た。この女優、同時代のフランスを代表する女優なのがわかる。「シェルブールの雨傘」ではヒロインはジュヌビエーブ17歳にはじまる。ドヌーブも確かに若い。1957年とかそこいらで、わたしのお姉さんの世代の青春だ。片田舎の雨傘や。初恋の純粋な恋愛はまずうまくいかない。そういう理由がよくわかる。徴兵制がフランスにはある。アメリカのプレスリーなんかも徴兵で2年は海軍にいた。アルジェリアに出る恋人のフランソワ。この2年間の別離だけで充分人生の道が示される。ミュージカルだがしんどい映画だ。・・「インドシナ」の映画はもう後年のドヌーブ。できあがった大人の美貌はさすがというか。舞台が東南アジア、植民地時代のベトナムゆえにもっと哀切な人生が描かれる。これもしんどい映画だ。

492秋魚:2014/10/14(火) 01:13:52
(無題)
・・愛のメモリー。映画のタイトルにでもなりそうな自転車の乗り方を試みる。メモリーが濃密である場所というのがある。自分の生まれた家と土地はメモリーに満ちている。母親のいる場所も。家族というメモリーは誰もが知っている。・・今回はそういうものでなく個人的な新しいメモリーを探索する。

・・多摩川の万年橋から青梅街道、青梅坂から小曽木街道にはいり、ずっと黒沢川、成木川を越え山王峠を越えて飯能にぬける道は、もうお手の物。唐竹にて柳井嗣雄アトリエ開放展を観覧する。

・・入間川

493秋魚:2014/11/06(木) 23:39:59
(無題)
・・この二三日急に冷え込んできた。紅葉が一気にすすみそう。もう一週遅らせば奥多摩も盛りの紅葉になるだろう。ま、盛りというのも飽きが来る。今ぞとばかり自転車を走らせた。・・道筋は充分下調べをしておいたし、自転車もブレーキなどよく調整しておいた。遠乗りをしばらくしていない。もうどこにもいけないかと精神が縮むが自ら鼓舞して出かけるのが常だった。大多摩湯めぐりスタンプラリーに乗って奥多摩六つの温泉のうち五つはすでに廻っている。檜原村数馬の湯、秋川渓谷瀬音の湯、日の出つるつる温泉、奥多摩もえぎの湯、多摩源流小菅の湯。・・そして残るひとつがもう一つの源流の村、丹波山村のめこい湯。この日はここにチャレンジ。

・・「井月句集」岩波文庫で出ている。図書館から借りてきたが、新しく入手せねばなるまい。放浪俳人、奇人で名高い。30代後半、信州の伊那谷に突如あらわれたという。今いうホームレスの先駆けか。すごい学識と句作、書の才がある。

・・思い巡らすことが多い。

・・自転車遠乗りと温泉に限る。多摩川万年橋から上流に沿って奥多摩湖まで、そこから丹波川の源流に遡る。青梅街道を大菩薩ルートで山梨北都留郡に入る。丹波山のめこい湯がいい湯という。・・軍畑まではお手の物。裏道は車もなく静かなあきない道だ。紅葉はまだはやい。軍畑から御岳、駅のある奥多摩までもこれは街道を走らねばならぬ。車多くこわい道だがこれもだいぶ馴れてきた。朝6時半に出発。

・・奥多摩駅のあるところまで、ここいらは氷川という。氷川渓谷。氷川神社もある。ここの三本杉は名高い。なぜここが氷川なんだ。きっとおもしろい消息があるにちがいない。ここから以前来たトンネル多い街道とむかし道を選んでなんとか小河内ダムのある奥多摩湖までいかねばならない。最初二つのトンネルは越えねばならぬ。水滴したたるいやなトンネル。車の来ないのを見計らってえいやと進む。二つ目の白鬚トンネルを抜ければとても静かなむかし道がある。ここまでは以前も来た。・・一度来た道は楽なものだ。惣岳渓谷とかやはり景色はいい。朝はやい為か歩行者はいない。ずっといくとむかし道は途切れまた青梅街道に出る。ここで難関の中山トンネル。ここも予習しておいてよかった。やや長いが車さえ来なければこなせるはず。さきほどの白鬚トンネルとどっこいどっこい。うまく抜けた。次の大麦代トンネルも長いが、ここは迂回できる。もう小河内ダムは近い。・・むかし道の紅葉がけっこう決まっている。

・・やあダムに着いた。ひとつ達成。すこし水を飲み、ぶらりとする。これから先は細長い湖岸に沿って街道をくねくね進む。鶴の湯温泉郷といって日帰り温泉もあるらしい。道が細いが車さえ気をつければむしろ快適なサイクリング。景色もよいが、自転車を走らせるのに集中し写真もとりづらい。一度トンネルを出たところで停止し写真をとっていたら次々と車が来てしかもカーブの場所だ。逃げ場もなくあぶない思いをした。なんとか端の深山橋までいく。ここが分かれ目。左に折れれば小菅村、奥多摩周遊道路。右に行けばめざす丹波山村だ。川はそれぞれ小菅川、丹波川となる。

・・深山橋から源流の道へ、ここからがほんとに未知の道。大菩薩ルートというが。ともかく青梅街道ずっといけば丹波山村道の駅を通って柳沢峠、塩山にでるはず。最初は竜の尻尾のような湖に沿った感じだったが、やがて少しずつスロープの角度が増してきた。湖はいつしか川になりずっと眼下に見下ろす渓谷となる。街道の車はぐっと減り、自転車はほどよいヒルクライムの闘いのみ。あわてることもなく足着きもしこれで今日のロングライドは勝ちとみた。・・それにしてもすごい渓谷。むかし道のあたりも目を瞠るものがあったが、ここも紅葉がすすんでいる分絶景の感あり。これほど奥に入ると針葉樹の植林はなされてないのか広葉樹林の山肌はとりどりの紅葉がすばらしい。眺めている五分十分の間にも色彩は変化してる様。・・それにしても丹波山村はまだかなあ。ずいぶんと登って来たが。秘境のキャンプ場という看板がありそのちょっと先が温泉のある丹波のようだ。

・・井月は芭蕉にのめりこんだな。優秀な長岡藩の武士である克三が何ゆえ刀と弓を捨て脱藩と放浪の道を選んだか。放浪以前のことはあまりわかっていない。「野ざらし紀行」「奥の細道」を踏破した形跡がある。最初の大きな動機は「野ざらしの旅」ではないか。芭蕉庵炎上と亡母追善ということなら、たしかに長岡藩は幕末に灰燼に帰すがそれは放浪より後のこと。母親はどうだ。明治元年頃に喪に服するための帰郷があったという。7才の時高田藩榊原家の三男克三が長岡藩井上進之丞の家に養子でむかえられた。養母と実母がいるはずだ。

494秋魚:2014/11/13(木) 22:33:14
(無題)
・・はるばる来たものだ。ここがもうひとつの源流の村丹波山村。左手に見える山々は入っていけるのか。大菩薩嶺はもっと奥だろう。青梅街道もここまで来るともう青梅でないような。平日でライダーは何人か見かけたが意外とサイクリストは出会わない。道の駅丹波山はけっこうな村だ。なにせ温泉がある。この先まだ道がつづく。もうこれ以上は行く気がしない。ほんとに山奥だ。よく来たものだ。村の物産店もある。車とバイクライダーはずっと多い。彼ら柳沢峠までいくのだろうな。きっと。奥多摩湖の外れからこの丹波山村まで、これは抜けている。途中であきらめるなどないことだ。柳沢峠までいけばさらに感慨もひとしおだろう。ここまででいい。今日は。

・・のめこいの湯。たしかに透明でぬるぬるとのめこい。上質な単純硫黄アルアリ泉というのがわかる。湯温ハ44度とかけっこう高い。この硫黄くささはほんのり。本格的な硫黄泉でないのがいい。もっとゆっくりしたかったが、レストランで食事して引き上げにかかった。田舎にしては豊富なメニュー。このところ蕎麦とビールが定番になった。

495秋魚:2014/12/03(水) 00:06:19
(無題)
・・広葉樹の森林はいま最高に色づいている。杉林が大方の山山もこの色彩の変化で植生のあり方がわかる。亡母の納骨で留守にしていた奥多摩の散策をふと思いついた。木曾ではない青梅の御岳山にもう一度サイクリングでアタックすることにした。前回は大岳山をめざしたが、今回は御岳神社の奥の院に行ってみよう。奥の院は少し離れた別の山だ。遠くから見るときれいなピラミッドの尖った山に見える。ここを訪れない手は無い。

・・二日ばかり雨の日がつづき紅葉はもう末期症状。自転車を整備した。ブレーキの効きをよくし音鳴きも微妙に抑えた。・・やっと晴れたのを幸い朝起きを整えて8時に出発。軍畑あたりまでは優に裏道でいける。途中すばらしい紅葉のスポットがあった。紅葉は赤から黄へと変化する。この変化の途中がほんとうは最高にあわれで美しい。今がその時だった。

・・まったく井月には驚かされる。自然居士とかいって長岡には葬られているが、もとよりここに彼の骨はない。伊那谷に小さな美しい墓があるという。山頭火が苦労して訪れたその墓だ。やっとたどり着いて墓に酒をかけたという。・・「井月全集」を読む。よい本だった。今までに読んでゐなければならない本だった、井月の墓は好きだ、書はほんとうにうまい。・・

・・一度憶えた道はほんとうに気楽だ。自転車を気づかって走れる。自転車の整備もうまくなったものだ。ギアチェンもスムーズにいく。ただ吉野街道はダンプが多い。油断していつどんな事故に会うかもわからない。ipodはつけられない。・・前回と同じ。吉野街道を外れてからスロープアップがきつくなる。水なども小さいペットボトルで来たがこれは失敗。夏ほどではないが喉がかわく。ケーブルのある滝本駅まで長いがなんとか堪えた。・・人は夏場ほどではない。ぐっと少ないがそれでもハイキング客はバスでどっと来る。自転車で参道をあがるのは自分くらいなもの。若い連中ならやるだろうが季節はずれの平日はお年寄りのハイカーが多い。・・あとで頂上にいってわかったが、台湾人だか香港人だか集団でやってくる。言葉がわからない。どうも台湾ぽいが。・・例によってトイレの近くに格好の自転車置き場がある。ほんとは違うのだろうけどここは安全。自転車乗りなど自分しかいない。2時間で着いた。売店はみな閉まっている。・・で、どんどん長尾平、大岳山、奥の院の方へ歩く。天狗の腰掛け杉が目印。そこからいよいよ奥の院へ入る。未知の道。ひとつは未踏の冒険がないとわくわくもない。と途中で出会った人が熊の噂をしてくる。熊でも出るんですか?そうこの先で出たらしいですよ。・・もう冬場だから大丈夫でしょう。ハハそれもおもしろい。看板があって11月はじめ月ノ輪熊の親子連れが何度も目撃されたとある。・・むむ笑い事ではない。熊鈴など用意はないし。

・・ところでこの道。ほとんど正体がない。折から落ち葉がいっぱい。今日は風が強い。杉の根が道の踏み石のようでずっといくと岩が多くここいらも奇岩の名所があるという。それに岩場鎖場もある。もう頂上に近いところはかなり切り立っている。さすが。・・橘姫をまつった祠がぽつんとある。あとはほんとうに山伏の歩く一本道のよう、といっても道らしい道はどんどん見えなくなっていく。ここが道だろうというので、ある場所は這っていったり、やっと奥の院らしき祠の下にでた。男具那の祠とかいう。ヤマトタケルのことだ。シンプルな造りでこれはいい。感動!

・・きょうは全国的に空っ風吹くという。山頂近くは木の葉吹雪の舞だ。道を隠して滑るからあぶない。さすが奥の院。そう簡単には近寄れない。月の輪熊には会えなかったが、さもありなん。彼らも巡礼であろう。頂上の風はとくべつ強い。鍋割山、大岳山とつづけて歩く三人組がいた。若い娘さんもいてやはり若いというのはいいものだね。まだまだいろいろチャレンジできる。

・・下山。途中この石は何か線刻があるようにも見える。

・・駒鳥売店でまたビールを飲むことにした。ピークを見極めたから酒に限る。しかし肌寒い。人はあまりいない。それでも団体で来てるのは外人ぽい。あとは引退した年寄りが体力試しで来てもいるようだ。石碑がいくつもある。おもしろいのは普通の私人が大層な費用をかけて碑をつくっている。自分の墓より永続性があるだろうか。・・雨あがりの晴天の日というので、駒鳥売店の見晴らしは抜群だった。関東平野が一望の下、はるかの山並みまで見える。北に雪をかぶった山は日光男体山、東に双頭の山は筑波山。こんな見晴らしよいのはめずらしいという。日光は江戸の鬼門、筑波はヤマトタケル以来御岳に縁がある。筑波ネの道。

496秋魚:2014/12/07(日) 01:28:23
(無題)
・・しかし参った。整備もゆきとどいて自転車は申し分なく快調とみえた。とりわけブレーキの調節はうまくなった。・・チェーンの緩みは仕方ないか。ギアの掛かりに影響しそう。ハヤブサも少し年を食った。が、まだまだ健在そのもの。ようやく自分の体になじんできている。・・これなら井月の墓参で伊那まで行けるか。が、

・・五日市瀬音の湯から帰り道。多摩川のみえる滝山街道。いきなりパーンと音がした。すさまじい。何事か?・・すこし行くと前輪のタイヤが空気漏れ。や、パンクか。・・なにか針のささった感じもない。・・この道を下り切って吉野街道にでればたしか自転車やがあったはず。パンク修理道具一式もってはいるが、冬の戸外で首尾よくやれる自信もなし。ここは自転車やさんに持ち込むことに。・・自転車だと楽にいけるのにパンクで歩くのは悲惨だね。・・しかし不思議なパンク。あとで調べてわかったのだが、これはバーストという破裂パンクだった。どうも空気圧過剰が悪かったようだ。

・・てくてくやっとのことで自転車やに着いた。と思いきやすばらしいスポーツサイクルの専門店。中にいたおじさん、いきなり修理はできません。うちで買った自転車しかみないそうだ。昼飯も食べずやっている。申し訳ないけど。・・頼んだがダメ。とはいうもののこれくらいの修理はみな自分でやるものらしい。自転車乗りの常識だったかも。あきらめてとりあえず空気をいれてみた。すぐには抜けない。ケイタイ空気入れがはじめて役に立った。家に帰るまで3度ほど空気を入れてなんとか家までもどった。

・・これはひさしぶりにパンク直しのいい機会。まだ前輪でよかった。

・・バーストと気づくまで時間がかかった。まず前輪を外してチューブ交換にかかる。ひさしく前輪も外していない。Vブレーキを解除してクイックレリーズをゆるめる。右左どちらかを時計反対まわりにまわすのが忘れている。適当にまわして車輪は外れる。これも後で分かったことだがレリーズを2度回したなら同じようにもどさないと前輪のセンターがずれる。これは重要。・・さらにレバーを使ってタイヤを外しチューブを取り出さねばならない。タイヤは片側だけ外せばチューブは取り出せる。こういうささいな手順が馴れてない。何度か失敗しながら上達するしかない。タイヤ外しのレバーの使い方もいまひとつうまくない。外すのはいいが、ほんとうに油断がならないのはチューブの装填だ。ねじれがないように空気をすこし入れて取り付ける。以前ママチャリのパンクはかなりいい加減にやった。リムにチューブがからんでいたり。・・あれこれ苦労してなんとか新しいチューブで復旧させる。パンクのチューブはパッチを貼って再度使用可能なようにする。が、これもパンクの穴の位置がむずかしい。ほんとに小さな穴があいていた。これはバーストとは違う。

・・親兄弟と同じで使いなれた自転車もいつまで丈夫かなどもわからない。絶対の信頼を置いてた自転車だが。パンクほどでうろたえてはいけない。実際ロードレーサーなどパンクバーストの記事はよくみる。応急処理の仕方もある。私のバースト、チューブに針刺しのパンクがあり空気圧が過剰になっていたためすぐ近くのタイヤ本体を直撃したか。裂けはさほどではない。溝にそって1cmほど。タイヤの内側をみても穴はなし。繊維状の膜を透過して一気に空気噴出したか。外側には繊維状のものが少し露出していた。最初はただのゴミかと思ったほど。やはり、バースト・・

・・しかし、この日はこれがハプニングではない。これぐらいのパンクはいつでも起こりうる。自分が怠惰なだけだ。・・おもしろいのは帰りに寄った五日市郷土館。このあたり大昔のゾウやウミユリ、サンゴの化石がとれる。ずっと昔は海だった。そんな昔のことではない。鎌倉から江戸の時代、伊奈石という石をとる石工がいた。郷土館の庭に置かれてある。信州伊那谷の石工がここいらで切り出した石だという。江戸城などもこの石を運んだとか。・・伊那谷をさすらった俳人井月は越後からたしかに江戸に出ている。昌平坂学問所に通ったかどうかはわからぬ。「野ざらし紀行」「奥の細道」の起点となった江戸はなんとしても出てみなければならない。痕跡がないが、江戸のどこにいたのか。深川の芭蕉庵には訪れてはいただろう。思うに一時期人目にふれぬ土地を選んだのではないか。芭蕉が芭蕉庵炎上ののち甲州の都留に身を潜めたようにおそらく江戸の西方、日野など甲州街道沿いは近藤勇、土方歳三など新撰組が幅を利かせていたはずだから、そこではない。多摩川を遡って青梅というのもどんなものか。多摩川を外れた秋川、五日市が格好の居場所ではなかったか。伊奈という土地がある。千代鶴の中村酒造も秋川だ。後年、伊那に三十年さすらうのはここの伊奈石工のネットワークに乗ったのではなかろうか。五日市と伊那。・・井月の匂い。

・・自分で修理した自転車を試し乗り。チューブ交換と前輪の着脱。復旧の時車輪がセンターに来るようにレバーのもどしは注意がいる。裂けたタイヤは裏にクリアファイルをあてた。外の裂け目にはボンドを塗りこんだ。これしきでタイヤ交換はない。しかし細部で調節がむずかしい。修理しておかしなことにならなえればよい。・・試し乗りは昭島のはま寿司まで。これは成功だった。

・・パンクチューブにパッチを貼ったがどうも空気が抜ける。穴の位置を間違えたか。そうではなく糊づけが甘く隙間から空気漏れするようだった。すこし剥がしてもう一度糊をつける。こんなやり方はないが空気漏れが止まればよい。これはなんとかうまくいった。・・自転車やに頼まずに自分でやってだいぶ勉強になった。しかしパンク修理もむずかしいものだ。

497秋魚:2014/12/30(火) 01:04:56
(無題)
・・自転車の遠乗りもパンク経験のあとでは恐くなった。クロスバイクに続いてママチャリもパンクになった。修理備品を使っていい勉強をした。備品もこのまま未使用だと劣化するばかりかと思われ漸く役に立つ時が来た。穴をふさいでその後空気漏れがないからなんとか成功した。クロスバイクはチューブ交換して、穴の開いた方はパッチ貼りして今度は予備にまわす。遠乗りはチューブ交換だけでいけるが、自分はまだうまくない。冬場の山の中とかならやってられない。しかし自分でやるしかないだろう。後輪とかパンクしたらかなりめんどうだ。夜間の遠乗りとかは考え物だ。

・・そうはいうものの修理調整した具合をみるために調布仙川までライドを試みる。アートイベントの案内があった。クリストファー遥盟尺八+木村由ダンスといういずれも初見。青梅から国立まで多摩川CRを走ってそこから谷保天満宮あたり甲州街道にはいる。この道はあまりよくない。側道というのもあまりない。とはいえ走り慣れた道だ。ただし仙川は遠い。かつて一度走ったことがある。・・途中まで自転車、半分は電車というのも考えたが、めんどうこのうえない。一直線でライドする。冬場だし体力もどうか。

・・多摩川の土提など快適であちこち護岸工事がすすんでる。町を洪水から守るためにとかいうが、これって上流がダムとか決壊するとかいうのか。奥多摩のダムのコンクリートなども何十年もたてば劣化するだろうしああいうのはどうやって補強するのだろう。永久に固いわけでもあるまい。・・谷保まで2時間、あと仙川まで90分でいけるだろう。途中府中の熊野神社に遭遇。古い古墳がある。全国でもめずらしい上円下方墳といい全体が敷石で蔽われている。それを復元して考古博物館もある。おもわぬ風景で立ち寄ってみた。・・円墳、方墳、前方後円墳にはじまり前方後方墳、双方中円墳、帆立貝式前方後円墳、双円墳、八角形墳とつづき、終末期にあらわれる上円下方墳は7世紀頃のもの。府中に国府が置かれる直前のもののようだ。ガラス玉、鞘尻金具、環金具、釘が出土され、鞘尻金具には七曜文が刻まれていた。

・・七曜文は、陰陽五行思想の木火土金水と日月の七曜を表した古代中国の考えをもとにしてできた文様。六角形とその中心にも見える。

498秋魚:2015/01/02(金) 20:09:17
(無題)
・・寒波襲来。自転車のライドは呼吸器系と脚力のピストン運動は万全だが、どうにも活動しない部分もある。外気に当たる顔や手などは恐ろしく冷たくなる。過度にライドすると手足が自分のもののようで無い様になる。凍傷というところまではいかない。これは年齢のためもあるかもしれない。脳はしっかりしている。末端に血が通わなくなるか。

499秋魚:2015/02/10(火) 01:15:40
(無題)
・・青梅にある二つの芭蕉塚。ひとつは、瀑布山常保寺。もうひとつは、塩船観音寺の裏手にある真浄寺。中継となる二つのパワースポットには最近気がついたばかりだ。

・・まず、瀑布山常保寺。畑中ー大柳を結ぶ万年橋を越えて青梅美術館の斜向かいにある臨済宗建長寺派の寺。十一世住職は小蓑庵支兀。(1738−1811)




玉川
467 夕士峰も朝不尽も見てさらし搗

武の玉川に遊て
113 徐に柳のかぜや小鮎くみ


歳旦
朝霞未だ立あえぬ不盡が根に匂ひそめたる初旭影かな
「不盡」を「駒」と書けるもあり よし貞

述懐
今は世に拾ふ人なき落栗のくちはてよとや雨のふるらん
よし貞

塩原梅関方へ入籍して
落栗の座を定めるや窪たまり


旅人の我も数なり花ざかり    井月
旅人と我名よばれん初しぐれ   芭蕉

この花と時雨をいっしょにした、「花しぐれ」は花盛りの頃さーっと冷たい雨がやってくるという春の季語だそうです。「しぐれ桜」というのは、イメージの類似で「枝垂れ桜」のことのようです。

さくら花梢のしづくおつるより幾世しぐれの名にやふりけむ

従一位資枝

真浄寺は、先日の東青梅から30分ほど西北に歩いた山の辺にあります。塩船観音寺の裏あたりですか。

日野資枝の歌は、花の梢よりしづくがぽたりと落ちるという、エロチックな瞬時のイメージを、「幾世しぐれ」という時の襲(かさね)に昇華したよい歌と思えます。
芭蕉百年忌(1793年)の頃には、石碑はできていた様ですから、井月が江戸にいた頃は、翁塚に詣でる折、この歌もみたのではないかと。

500秋魚:2015/02/24(火) 01:34:35
(無題)
・・あきるのの武蔵五日市。ここにも翁塚がある。むろん芭蕉塚だ。多摩の地にある古い翁塚は三つある。青梅に二つ。五日市に一つ。芭蕉の供養塔だから俳句の刻まれてないものもある。いわゆる句碑とは区別される。芭蕉がそこに立ち寄ったというのでもない。芭蕉の正風を慕うものが一心に碑を建てた。芭蕉の命日などはここに集ったはずだ。五日市のものは開光院という臨済の寺にある。
・・この日は思い立ったが吉日、冬ばれの日、五日市まで自転車を走らせた。例によって、吉野街道から日の出に抜ける山沿いの道は、なんとも殺伐として、自動車が我が物顔にやってくる。ダンプが来るとまず接触がこわい。停止しては、何度も車の群れをやりすごす。おまけに、だんだらのひどい長い坂道になっている。明星大学などもあるが、砕石場、老人ホーム、斎場、スクラップ処理場とか、気の重くなる街道だ。いつもここは走りたくないと思うが、隣町の温泉にいくためにはいた仕方ない道だ。何度か走ってすこしは馴れてきたか。土曜日の昼前をねらう。食事時で車もすこし少なめだ。サイクリストにはぽちぽち出会う。みんないい自転車に乗っていい格好でいるな。けっこうな年寄りも多いが、だんぜん若者はさっそうとして同じサイクリストとして出会うのはほんとに嬉しいものだ。・・上りのスロープは最近無理しないことにしている。足つきでいく。が、今回冬場でしばらく家で垂れ込めたりすると、体調が狂う。気は元気だが、体が外気や運動になじまない。思い切り一汗かくといいのだが、なかなかですね。年のせいかも。集団でハイキングの人たちもいる。街道を外れてまたハイキングの道があるらしい。

翁 塚  武州玉河里五日市村   山市亭梅志建之

玉川塚  武州多磨郡青梅瀧之岡   小簑菴連中建

芭蕉翁霊塚  武藏國杣保内谷村真浄寺門前ニ時雨櫻二樹有リ日野故一位殿御歌有
???????????? ○其櫻ノ陰ニ芭蕉塚ヲ立依之時雨塚ト云又百年忌ニ此塚築故号百年塚

??????????  時雨菴嘯谷 并燕巣連中

・・瀬音の湯。五日市の駅まで来てしまえば、あとはお手の物。檜原街道はさほどこわくはない。最初はひどくいやな街道に思えたものだが。たしかに道ほそく大型車も時折やってくる。こちらの山道にも馴れたものだ。が、油断はならない。温泉までは、慎重に。
・・いつ来ても、ここの泉質は抜群。アルカリ性単純泉。ペーハーも最上位。いま日本の温泉は大流行ですね。大江戸温泉物語が、外国のファンドに買収されるとか。極楽湯が上海に進出。二号店もでき、これからどんどんチェーンを展開するそうだ。評判はきわめて良好。中国人とくいのパクリもうまくいかないでしょう。温泉は。

・・さて、開光院。臨済宗建長寺派の寺院。駅からほど遠からぬ金比羅山の麓にある。檜原街道を外れ五日市郷土館の横をとおり、一度人に尋ねたが、見晴らしのいい高台にあった。あるある山門の前の広場に翁塚の石碑がある。立派なもので石の種はよくわからぬが、翁塚の文字はしっかり彫られている。寛政年間(1789年〜)の建造ではないかというが、意外と石も新しく見えるのは、昭和に入って再建されたのかもしれない。芭蕉百年忌(1794年)が、最初の建立というのがありえそうだ。山市亭梅志は小石川白山の俳人玄武坊に師事したという。この玄武坊は、芭蕉の門人各務支考の弟子という。深川臨川寺に石碑を建てた。ここと京都の双林寺がつながっているようだ。

・・山市亭梅志は、酒屋を営んでいた。1828年文政11年に没しているから、井月が江戸に出た頃は、会うことはなかっただろう。しかし酒屋は息子が継いでいたであろうし、俳句も詠んでいたかもしれぬ。開光寺の住職さんにも訪ねたかもしれぬ。井月はここにも必ずやってきているはずだ。

501秋魚:2015/03/21(土) 02:52:13
(無題)
・・玉川というのは、全国にいくつもあるらしい。六玉川といえばその代表六つの玉川。武玉川というなら、武蔵の玉川で今の多摩川になる。
・・芭蕉の幻住庵に入った頃の門弟で、各務支考という者がいる。江戸の臨川寺というお寺に墨直しの碑というものがあり、この碑は支考の弟子玄武坊と申す者が建てたものだが、碑文は、京都の双林寺にある芭蕉碑を写したものだ。で、その芭蕉碑は支考が建てその文も支考のものだ。双林寺の碑もなにやら墨直しの秘儀がなされていたらしい。墨直しとは、石に彫られた文字にたぶん一年ごとに墨を入れなおすことのようだ。
・・碑文自体とても興味深いものだが、因みに、双林寺の碑文にあって臨川寺の碑文に欠落している部分を抜書きしてみる。

>・・

あづさ弓 武さしの国の 名にしあふ 世に墨染の 先にたつ

人にあらずに ありし世の 言の葉はみな 声ありて その玉川の

みなかみの 水のこころぞ 汲てしる 六すじ五すじ たてよこに

流れてすえば ふか川や この世を露の おきてねて その陰たのむ

その葉だに いつ秋風の やぶりけむ その名ばかりに とささをきぬ

春をかがみの 人も見ぬ 身を難波津の 花とさく はなの鏡に

夢ぞ覚(さめ)ぬる


・・<裏面>

 維石不言(このいしいわず)  謎文以伝(なぞぶんもってつたふ


・・武さしの国の芭蕉庵をいうから、臨川寺にはこの文を省いたのだろうか。支考は、謎文以伝(なぞぶんもってつたふ)とは、謎かけするほど深川芭蕉庵に入れ込んでいたのだろうか。世に墨染の 先にたつ 人にあらずに とは、墨染とはよくいったものだ。墨田川、の川の墨流れ、碑の墨直し、庵の住み直し、すみ吉という信仰まである。・・玉川の玉は、天の安の河の玉ふぶき?本来は単独の玉ではあるまい。玉響の玉流れ、川なのか?・・六すじ五すじ たてよこに ・・これを条理というのだろう。

・・芭蕉庵の隣する隅田川。これを上流にたどれば荒川、入間川、支流を西にたどりさらに遡れば、成木川にはいるともう青梅になる。・成木川の水源がわかれて多摩川にもそそげば、隅田川と多摩川は水脈を同じくするはずだ。が、成木川の水源は飯能に近い黒山にある。入間川と多摩川は分水嶺でへだてられている。・・成木川を支流をみつけてさらに追う。・・黒沢川、北小曽木川。・・この黒沢川こそ多摩川にもっとも近い。岩蔵温泉郷を通る川だ。ヤマトタケルの湯浴みした水は、たしかに隅田川までとどいたにちがいない。・・北小曽木川。これは未知の川。これを追うと青梅丘陵のもっとも奥の雷電山に水源があるという。この山こそ入間川、多摩川の分水嶺か。

502秋魚:2015/03/25(水) 21:51:52
(無題)
・・わが祖父の彫り遺した聖徳太子の木像。子どもの頃から見ているが、祖父の死に目は見ていない。無名の彫刻家と伝えられたが、その輪郭すらもつかめない。親が子どもに語り伝える意志もゆとりもなかったか。遺品がいくつかある。聖徳太子の木像。大黒様の木像。これは大きなものがひとつと細かい18の木像がある。ほかにも日本刀とか彫金の作品も見た覚えがあるが、もう手元にはない。

・・この中で、入神の気品をもっているのは、太子像。なぜならお触書がすごい。

 皇太子之御尊体用材千三百年前ノ建築古材 御台八百六七十年前之古材也

・・太子の千三百年祭にあわせて金堂のお手直しがあった。大正十年に古材を施与され、大正十三年には開眼供養を奉られた。大正十二年(1922年)が太子千三百年祭であろう。

503秋魚:2015/03/29(日) 00:47:35
(無題)
・・昔の記憶を探ると、まあ、浦島さんですね。一息に爺さんになるような。だれもが自分の玉手箱を持っているに違いない。・・さてさて自分の玉手箱はまだ隠されている。

・・北小曽木川の水源は雷電山にあるという。青梅丘陵ハイキングコースの西端にこの山は位置する。494m

・・きょうは、ここ目標で、徒歩ハイキングにでた。体のリズムがいまひとつ。温かになってきたし、こういうときは山歩きに限る。朝早くでるつもりが、睡眠のとり方に失敗して、昼近くになってしまった。体調をくずすよりは、ましであろう。・・自転車で、日向和田の駅まで。この道もほんとに楽になった。庭のようなものだ。駅に自転車を置いて、サジ氏から聞いていたように、青梅街道を二百mほど直進。右手に折れて踏み切りをわたりすこしいって畑に水をまいてる人にたずねた。もう少しですよ。といって、今度は小さな階段道がある。青梅丘陵ハイキングコースへ。・・去年は青梅駅の近くから日向和田まで歩いたから、今年はそのつづきになる。丘陵の尾根つたいにあるこの道に出るまで、急傾斜をのぼらねばならない。出る前の装備はやはり失敗。まだ山の中は寒かろうと思ってマフラーとかセーターとか厚着をした。坂道をのぼって体力はまあまあこれくらいは堪えられる。冬場のあいだ部屋にいること多いとどうも妄想のとりこになるようだ。ちょっとした自転車乗りでは、チェンジがない。・・山歩きはいい。この目論見だけは当たった。・・しかしすぐに暑くなった。マフラーもセーターも外すはめになる。ハイカーによく会う。もうすぐトレイルランのコースになってるからか、歩いてなく走ってる人が多い。さすが人気のハイキングコース。こういうのも思い立ってやってくるまで、気が重いのは自分の性分かもしれぬ。特に山歩きは一大決心に近い。が、歩いてみると実際おどろきありのいいものだよ。

・・山歩きは、言葉をわすれる。出会う人には、こんにちわ、が礼儀。しかし言葉ほど無用のものはない。水と栄養バーだけは、よかった。出かける前は、水なども邪魔な気がしたが、これは大変な間違い。どれほど貴重か。水は。

・・大きな木がある。町ではあまり見ない。葉の形状をさぐるが、かなり上のほうだ。常緑樹。杉、檜ではない、柘植か。・・わからない。

・・このハイキングコース、市民に親しまれているという。なぜか見ているだけで、実際チャレンジするのは、気遅れる。入口というのもいくつかある。青梅坂のあたりから登ろうとしたが、ここにはないらしい。宮ノ平、日向和田、石神前、この駅の近くから入口の道がある。チャレンジしてみれば簡単至極。森林浴の中にはいって、空気も一変。・・みなハイキングのいい格好をしている。やはり自分はシロウトか。靴はスニーカーの底が擦り切れつつあるヤツ。履きつぶすつもりで使った。一度とがった石を踏んで痛かったが、大丈夫、最後まで持った。服装が失敗ですね。ジャンパーはもっと薄くてよかった。・・ともかく一度尾根沿いのコースに出れば、左右の傾斜と景色をみながら、木々の道を歩けばいい。まったく別世界。

・・辛垣山というのがあり、この山頂に戦国末期、三田氏の城があったという。八王子の北条氏に攻められて、天然の要崖に立て篭もった。しかしこんな山まで戦場になったというのは、どうもうなづけない。領地の分捕り合戦は深秘の森をも蹂躙するか。もっと昔平安末期の頃、平将門はやはりこの山中をうろうろ徘徊したというから、また、ヤマトタケルも歩いている。・・ここから奥多摩は渓谷がどんどん深くなる。列島の地層の最も古いものは、ここにもあって、その上で湧き出る水は、温泉にもなる。岩盤がしっかりしてるから、地震はこわくない。・・ただ、石灰をとったり、チャートの山を砕いて石を取るのが、悪い習慣。明治以降東京の近代化は、ここいらの山をつぶしながらの都市つくりだろうか。・・右に展望がひらけて成木町から飯能、入間、ずっと関東平野が見はらかせ、雨上がりのよい日には、日光男体山もみえるという。もっと手前には、山肌を白く見せた、砕石場があるから、あまりいい気分でもない。

504秋魚:2015/04/02(木) 02:30:28
(無題)
・・旅をしなくなってひさしい。というか、かなりせまい地域でさすらいは続けている。大きな旅はないが、小さな旅は茶飯だ。それも蟻の散歩のような。・・だが、蟻は散歩なんてするのかな?

・・パリには長くいっていない。もう行くことはないかも。かわりにパリが舞台の映画をみている。もろPARISという題の映画と「パリは霧にぬれて」という映画。「巴里のアメリカ人」なんてのもおもしろかったが。・・「パリは霧にぬれて」はルネクレマン監督で米女優フェイダナウェイがヒロインで出演。なんとも演歌な邦題だが、DEADLY TRAPが英語の題、la maison sous les abres(木々の中の家)がフランス語の題。フェイダナウェイといえば、わが青春の頃「俺たちに明日はない」が鮮烈だった。原題は「ボニー&クライド」。過激な女優にあこがれたものだ。「タワーリングインフェルノ」「チャイナタウン」・・それほど追っかけをやった訳ではない。「チャイナタウン」はパリで観たか。・・今回の「パリは霧にぬれて」はDVDで観たが、なんとアメリカ人が夫婦子ども連れでパリに逃れてくる。だから、英語が主体ではないか。ルネクレマンがフェイダナウェイをパリに呼んで選んだということだろう。女優のそのままの性格で監督は選ぶものらしい。「チャイナタウン」はポランスキーだったと思うが、やはりしんどい環境に女優をひきずりこんでいる。ひきずりこむではなく、deplacementという配置替え、ずらしか。思い切り転移でしょう。この「パリは霧にぬれて」もそういうdeplacement、転移が読み取れる。地がフランスで図が英語圏。人物は多少神経症をわずらっている。子どもはバイリンガルを試されるゆえ余計神経過敏でしょうね。「禁じられた遊び」のさすがルネクレマン。子どもの描き方はうまい。

・・女優はいいかげん自分の演技を出し尽くすというまでがんばるものではないか。フェイダナウェイの追っかけは今はあまりやりたくない。学生の頃はメリルストリープを少し追っていた。彼女ももうあまり思い出せない。思い出したくもないか。・・今でも衝撃で残っているのは「タクシードライバー」と「羊たちの沈黙」のジョディフォスター。「ハンニバル」まで。この三本で、追っかけの秘密がわかりそう。・・あとはハンニバル以上になれないので追っかけは停止です。

・・ところでPARISという映画はどんなものかも調べてないが、ナイスだった。パリという都市の中で生きるということ。たぶん個人の人格なんてのもあまり意味がない。男女の恋愛の希求なんかもみんなよくわかっている。思うようにいかない分、自由にひらけたものがある。心臓病であす命がないとしても、パリはいい町かもしれない。理解する人ひとりはいる。暮らしつらそうではあるが。でもこれは現代に一番近いパリですね。・・自転車が流行ってるはずだが。

505秋魚:2015/04/02(木) 20:41:51
(無題)
・・花の季節。かねてより時雨桜の咲く真浄寺を訪ねる。東青梅成木街道入口から途中右に一本ずれていく。これを真直ぐいっても塩船の方にはいかない。もう一度右に折れる道をとるべきだった。そこをスルーしてさらにいくと小曽木街道にでてしまう。このまま岩蔵までいくとかなりな大回り。すこし手前の道で霞丘陵の山を越える道を選んだ。土地の人に道を聞くと、自転車でいけないことはないが、ちょっとした難路になるという。いけないことはないに、勇気を得て、そのまま山越えにいどんだ。いま来た道をひきかえすのも癪だった。時間はたっぷりある。が、これは大変な道になった。

・・すぐに舗装のない山道になる。自転車はひいて歩く。徒歩で行くハイキングコースだという。丘陵上部にゴルフ場があってその中を突っ切っていくらしい。ともかく最初の山を登りきることだ。花の咲く道を行く。・・十分くらいの登りならたいしたことはない。今までどれくらいの難路を走ったことか。・・この山越え最終的に失敗したのであるが、上のほうにいっていくつかの分岐道に間違いがあった。道をたずねる人もいない。ほんとにハイキングコースなのかと危ぶむ。たしかにゴルフ場の空き地にはでた。そこから下りになるという。ずっといくと舗装の道にでるが、ここを右にとっておそらく失敗。いくつかほとんど人をみないが工事現場のようなもの。この辺では砕石場しか思い当たらない。・・ずっといってやはり駄目ですね。もとの小曽木へ向かう道にでてしまった。なんとしても山越えをというごり押しはせず、また土地の人に道を聞いて、一端町の方へもどり塩船への走りを選んだ。この辺は何度か来ているので迷うことはない。らくらくと塩船、その向こうの谷野のお寺に向かった。

・・しぐれ桜のこの寺が、どんなに重いかは、これからの課題。真言宗豊山派。青梅の常保寺の臨済宗建長寺派とは一線を画す。われわれ一般からみると同じお寺だが宗派の違いは、各和尚にとって神経質なものらしい。その寺の門をくぐったら他宗の話はしないことだ。さて、桜の花はあちこち咲いている。いぜん寄ったときより、華やかさを増して、しかし清楚な風は、変わらない。ひととおり周って、今回は、住職さんを訪ねた。常保寺、五日市の開光院でも住職さんにお会いできている。突然失礼なことだが、インタフォンを押した。静かな住まいで、特に行事がなければよく話し相手になってくれる。いろいろ調べものをしています。江戸時代の浄月和尚のこと、しぐれ桜のこと。・・でてきた和尚はわかい副住職さんということだった。世代交代でこのお寺のこと古い歴史とかあまりしらないという。古文書もあって、今にも崩れそうな本。まだ整理できてません。ようやっと、資料をまとめて冊子をつくろうかというところ。・・つくりかけの資料はありませんか?どんなものでも。・・おたがいツギハギだらけの情報でそれでも向学心だけは旺盛で意気投合。なんとも涙、なみだの訪問になった。

506秋魚:2015/04/03(金) 23:59:36
(無題)
・・命みじかし、恋せよ乙女

・・さくら さくら  ・・幽雅に咲かせ 墨染の

507秋魚:2015/04/04(土) 23:39:06
(無題)
>・・圓生の「お血脈」は実に面白かった。マクラに弁慶の叡山修行があり、続いてお釈迦さまの話がある。天竺から閻浮檀金という一寸八分の仏体が来日。それを仏敵、守屋大臣が
難波・堀江の池(後に阿弥陀池と呼ばれる)へ捨ててしまう。その後、本多善光がこのみ仏を信州へお連れする。こうして善光寺が出来る。善光寺には、「お血脈の御印」というものがある。これをいただくと、どんな悪人でも罪障消滅して極楽往生ができるという。方々から悪人が集まってこの御印をいただいたため、どんどん極楽へ行く。地獄へ行くものがなくなったので、閻魔大王は困り、会議の末、「お血脈の御印」を盗ませることにあいなった。人選にかかり、熊坂長範、袴垂保輔から鼠小僧にまで候補にあがったが、結局石川五右衛門が選ばれて善光寺へ参って、首尾よく「お血脈の御印」を盗みだした。そこで南禅寺楼門よろしく、「ありがてえ、かたじけねえ、まんまと善光寺の奥殿へしのび入り、奪えとったるお血脈の御印、これせえあれば大願成就」とかたじけなしとの科白と芝居掛った大見えを切って捧いたら、そのまま極楽へと行っちまった・・。

・・カツゾーは、江戸で寄席にも通っていた。噺家が落語をすらすら語れるように、彼も、幻住庵の記をすらすら語るすべを覚えた。

・・「お血脈」は、なぜか強くカツゾーの心を揺さぶった。善光寺というものを、強く意識しはじめたのは、この時かもしれない。

508秋魚:2015/04/07(火) 18:17:25
(無題)
・・自転車に空気をいれたら、前輪の一部が膨れてきた。昨年末バーストしたタイヤの修繕が失敗してるのがわかった。チューブは交換すればよい。タイヤのバースト部分はクリアファイルを切って両面テープで裏から貼り付ける。これが最良の方法。・・手元にあった両面テープで張ってみたが、どうもうまく張り付かない。それでも強引に当てた修繕だったが、ファイルが滑ってキズを塞がなかったようだ。あれから何度か遠乗りもしたが、よくパンクせずもったものだ。・・再修繕しなければならない。タイヤ外しもまだ馴れていない。今度は強力な両面テープを買って用意した。このテープ選びも迷いに迷った。ゴムには着かないものが多い。木、ガラス、プラスチックに有効というのを選んだ。タイヤをどう捉えたらよいのか。表はゴムだが裏は布状のゴムか(?)布に有効というのもあったが。・・前輪を外し、キズのある部分あたりだけチューブを引き出した。タイヤのリムからの外し方は今回スムーズにいった。やはりクリアファイルがずれていましたね。これではダメです。このファイルはそのまま再利用。実際両面テープを使うと、やけに分厚い。これがまた心配の種になった。ともかく、装着しチューブとタイヤをもとにもどし空気を入れてみた。お、今度はいいか。タイヤの脹らみは消えた。

・・仏子アミーゴのアート祭りにでかけた。
小曽木街道から、県道は165かな?ここに折れてまっすぐ。すぐに岩井堂観音がある。成木川と入間川の合流する淵あたり。切り立った岩場。ここの大きな岩の上からは、富士が見えるという。いつもまったく人影がない。ここの観音像はなんと継体天皇の時に奉られたらしい。一度川淵まで下りたが、湧き水のある沢とか、竜宮の洞があるとか、ともかく深秘このうえない。こわいくらいだ。・・さてここを過ぎて、安須。万葉の東歌があった。駿河台大学がこんなところにあって、川までの敷地が桜満開の公園になっている。ここも過ぎて、仏子は近い。車はさほど多くはないが、スピードははやい。後ろからくるのには気をつけねば。・・しかし馴れた物だ。修羅場をいくつくぐってきたか。

・・会場は、近くの子ども連れがいっぱい。個々の子どもを見ると、贔屓しそうで、何人かまとめてみる。あるいは、大人を見る。若い人もいますね。女性は若いとみな美人にみえる。若くなくても写真にとると美人にみえる。・・桜の木の下で、野外演奏会があった。フルート、チェロ、キーボード。プロの方たちのようで、大サービス。・・moon riverなんて、どうも定番のようです。さくら、さくら、とか。思い切り音階を高めるのは、演歌のこぶしの様で、音楽のことはよくわからないけど、なぜかせつなくなるのは、どこにいても変わらない。ただの抑揚の問題かしら?・・永遠の、なんとか。

509秋魚:2015/04/12(日) 16:01:08
(無題)
・・春なのに雪が降ったり、花冷えの日がつづく。きょうは晴れるでしょう。高尾まで自転車を走らせ、多摩森林科学園を訪ねることにした。250種、1500本の桜の木があるという。ソメイヨシノはもう散っているだろう。これからの桜もあるだろう。

・・高尾まで一度試みている。あまり走りたくない道だ。戦国時代青梅の三田氏が八王子の北条氏に攻め込まれたという街道だ。秋川にでるに何度か走っている。千代鶴の酒蔵がある。この滝山街道をどこまでもいけばいいものと記憶違いしていた。秋川を渡り、サマーランドが見える。戸吹トンネルを抜けて最初の十字路で右折が正解だったが、迂闊にも直進してしまった。前回の記憶とどうもおかしい。・・あるていど進んでついに人に道を尋ねた。困った時は見境なくヘルプする。実はひそかに人相はたしかめている。若い女性にたずねたがよく知りませんということだった。次に、家の前で車の手入れしてた人。おじさんで恐そうだったが、尋ねてみると、懇切丁寧な応対だった。まあ、地理をよく知ってる人ですね。同じ道をもどるの癪だからちょいと遠回りだがここを右折、右折を繰り返し、高尾街道にでる道をとった。滝山街道では、約十キロほど余計になるそうだ。道自体はわるくない。もうひとつ秋川街道にぶつかる。この街道をつかう手もあるのか。ともかく高尾街道にでることだ。何回か人にたずねてやっと街道にでた。ここまで来ればあとは直進するのみ。景色も見覚えがある。・・道を間違えたが、二度目はほんとに楽だ。・・JR高尾の駅に着く前に、森林科学園の入口にぶつかった。ハイキング姿の人が行列で歩いている。駐車場は無いということだったが、駐輪場はわずかにある。朝八時にでて二時間ほどで着いた。自転車バーストの再修理して試し乗りというのもあった。実はこれは完璧だった。あれくらいのバーストでタイヤ交換はないだろう。高尾までももう恐くない。自転車を置いて入園チケットを買った。4百yen。

・・多摩森林科学園。桜保存林だけで8ヘクタールあるという。ほかにいろいろ樹木が。昆虫、野鳥、動物もいる。めずらしい木があって今回は眺めるだけ。桜も250種あっても、照合はほどほどに。頭を疲れさせたくなかった。桜が、わっと咲くの、実はあまり好きでない。花の出会いが陳腐だ。思わぬ出会いというのがいつもいい。人もだが。・・ともかくこの桜園は多くの人とまわることにした。みないいカメラをもっている。ゆったりと。わたしは少しせっかちに。皆弁当持参。さらっとまわって、京王高尾の駅までいくことにした。

・・実は、きょうは、気分がいい。井月編「俳諧三部集」という本が手に入った。「越後獅子」「家づと集」「余波の水くき」。こういっても知らない人がほとんどだろう。こういうのライフワークというのでしょうね。涙がでる。

・・京王高尾山口。休日だけあって、人の出が多い。森林園は、お年寄りが多かった。歩くのかなり大変なはずだが。でも、あれくらい歩けなくてはね。・・高尾山は、どうだろう。ミシュランの評価で星三つとか。外人がけっこう出てる。よく地方から東京に出てる人で、高尾山も登ったことない人いるが、どうでしょう。富士山に登らなくても、高尾山くらいは登るものだと思うが。高尾の横、甲州街道をいくサイクリストが多い。国立にいた時はここをめざして自分も何度かきた。神奈川にぬける大垂水峠というのがある。相模湖にでて藤野、上の原、猿橋、大月。・・都留にゆくのが目標だった。ヒルクライムは初級らしかった。青梅から高尾にきて、大垂水峠を越える気はあまりしない。まあ、高尾には楽勝で来れそうですね。・・紅葉やという蕎麦屋にはいって、天ぷら蕎麦とビールをとった。いやー、人が多い。

510秋魚:2015/04/13(月) 20:44:11
(無題)
・・「越後獅子」にのる江戸の俳人。何人かは調べがつく。日本橋とか江戸街中で職を得ているものが多い。井月が江戸にでてるとして、芭蕉ゆかりの場所はすべて訪ねているだろう。芭蕉庵周辺、臨川寺はきっとだが、痕跡はない。江戸の周辺から顔をだしてるものと意気投合すればそのものの家にも訪ねただろう。将軍様のいる江戸城とか長岡藩の武家屋敷とか顔はだしていてもおそらく無縁と決めただろう。
・・それにしても、関為山とは。桜井梅室の門人という。梅室もあちこち漂流する俳人だ。
芭蕉百年忌というのは1794年。この年各地で記念すべき集いがあった。井月はまだ生まれていない。百五十年忌はどうか。1844年。井月22歳

>・・西馬が、高崎清水寺の石段下に「芭蕉句碑」を建てた天保十三年(1842)という年には、大きな意味があったようです。

同じ年に、芭蕉の生まれ故郷・伊賀上野の「愛染院」(遍光山願成寺)では、盛大な芭蕉追善供養が行われています。

翌年の天保十四年(1843)には、芭蕉が眠る江州粟津の「義仲寺」(ぎちゅうじ)で、芭蕉の百五十年忌という大イベントが予定されていました。

・・高尾の帰りに千代鶴の酒蔵に寄った。上撰辛口を一本買った。インド産ピクルスの壜詰めが安く出ていた。酒を飲みつつこのピクルス、チリ入りとあってつんと来る。美味い。・・千代鶴は普通上撰がいつも美味い。

・・芭蕉百年忌は、あちこちである。まさにモニュメント。

511秋魚:2015/04/16(木) 20:01:32
(無題)
・・両国の回向院には訪ねたことがある。鼠小僧次郎吉の墓があるという。天下の大罪人など捕らえられたら首を切ってさらし首というのがよくある。その後はどうなるのかおそらく墓などはつくってもらえまい。この回向院は一風変わった気がある。時代がすすんで犬とか猫とかペットが大もてだ。人間の性格の悪さがはびこるからか、口の聞けないペットにこの上ない心情を抱くような人が増える。で、その愛犬、愛猫が死んでしまうと、わがはらからわが子のように死を供養する。そういうペットのお墓、供養塔がたくさんあるお寺?

>・・回向院では朝・夕の勤行において、明暦大火等の無縁供養をはじめ、ありとあらゆる
生命の供養をしています。

・・ありとあらゆる生命の供養ということらしい。

・・回向院において、善光寺出開帳というのが江戸の頃よりよく執り行われた。

・・幕末期の一連の大地震の勃発をみてみる。wikiより。


安政以前
1847年5月8日(弘化4年3月24日)- 善光寺地震。
1853年3月11日(嘉永6年2月2日)- 小田原地震。
1853年7月8日(嘉永6年6月3日)- ペリー来航。浦賀沖。
1853年8月22日(嘉永6年7月18日)- プチャーチン来航。長崎。

安政年間
1854年3月31日(嘉永7年3月3日)- 日米和親条約締結。
1854年5月2日(嘉永7年4月6日)- 京都大火。禁裏より出火、炎上。
1854年5月17日-(嘉永7年4月21日-)- 下田了仙寺対談。ペリーと幕府側との通貨交換率の交渉。
1854年7月9日(嘉永7年6月15日)- 伊賀上野地震。
1854年12月23日(嘉永7年11月4日)- 安政東海地震(巨大地震)。津波でディアナ号遭難。
1854年12月24日(嘉永7年11月5日)- 安政南海地震(巨大地震)。
1854年12月26日(嘉永7年11月7日)- 豊予海峡地震。

1855年1月15日(安政元年11月27日)- 安政に改元。曳航中ディアナ号座礁。4日後に沈没。
1855年2月7日(安政元年12月21日)- 日露和親条約締結。
1855年3月18日(安政2年2月1日)- 飛騨地震。
1855年9月13日(安政2年8月3日)- 陸前で地震。
1855年11月7日(安政2年9月28日)- 遠州灘で地震。東海地震の最大余震。
1855年11月11日(安政2年10月2日)- 安政江戸地震。藤田東湖・戸田蓬軒圧死。
1856年8月21日(安政3年7月21日)- ハリス下田に総領事として着任。
1856年8月23日(安政3年7月23日)- 安政八戸沖地震(巨大地震)
1856年10月7日(安政3年9月9日)- 下田御用所にてハリスと幕府側との通貨交換率の交渉。
1856年11月4日(安政3年10月7日)- 江戸で地震。
1857年7月14日(安政4年閏5月23日)- 駿河で地震。
1857年10月12日(安政4年8月25日)- 伊予・安芸で地震(芸予地震[28])。
1857年12月20日(安政4年11月5日)- 吉田松陰が松下村塾を引き継ぐ。
1858年4月9日(安政5年2月26日)- 飛越地震。
1858年7月8日(安政5年5月28日)- 八戸沖で地震。
1858年7月29日(安政5年6月19日)- 日米修好通商条約締結。続いて蘭、露、英、仏と五カ国条約。
1858年10月11日-(安政5年9月5日-)- 安政の大獄が始まる。
1859年1月5日(安政5年12月2日)- 石見で地震。
1859年7月1日(安政6年6月2日)- 横浜港・函館港・長崎港開港。幕末の通貨問題。
1859年10月4日(安政6年9月9日)- 石見で地震。
1860年3月24日(安政7年3月3日)- 桜田門外の変。井伊直弼が暗殺される。


・・これで、井月の居場所をさぐるも一興か。

512秋魚:2015/04/18(土) 18:34:11
(無題)
・・もうひとつの秘境、奥多摩日原街道奥にある鍾乳洞まで遠乗りにでた。はじめて奥多摩に来た時、御岳より先、鳩ノ巣とか白丸とか奥多摩駅までも、とても自転車はむつかしい気がしたものだ。何故って、道が細い上に大型車がよく来る。おまけにライダーが群れをなして登ってくる。休日は観光ドライブで車がびゅんびゅん。そうそう通い道はやりたくない。・・その先は別天地の秘境ではある。

・・御岳から川井まで、歩道がなく、車、ライダーがまとめて来たときは、一時停止してやりすごす戦術にした。信号待ちで、一群されば次の一群までは道路は空になる。何度走っても、白丸、奥多摩駅までは、気を抜けない。休日、朝八時から九時までは、まったくせわしない。奥多摩の天気よい休日はどんなものか、興味本位もあった。・・なんとか一時間30分ほどで奥多摩駅に着いた。昔と比べると、一時間は短縮された。・・問題は、はじめてたどる日原街道。日原川という川沿いの道になる。が、多くの車は青梅街道をそのまま直進、湖の方へといく。日原街道は、細くはなるが急に空き空きの道になる。登り道だが、スロープはゆるい。景色もいいし、これは正解。いいポタリングになった。青梅街道の分岐点からおよそ12kmもいけば、鍾乳洞までいけるだろう。結果的に、時間も一時間ちょっとで到達できた。日原トンネルという暗くて細くて長いトンネルが難関と聞いていた。1017mくらい。これは実際2車線で歩道もあった。これなら楽勝。サイクリストの中では秘境でむずかしい道と聞いてはいたが、どうということはない。人気がなくて車も人も少なくていい。

・・この奥、やはり昔から石灰をとったり、チャートを砕いたり、山をつぶしてる景がよく見られる。都心に住んでるとまったくわからない。コンクリートジャングルなどというのが、流行ったときもあった。いったい石灰はある種海の化石だが、どこから採って来るのか。都市つくりは止むことがない。山をつぶしているとは思わなかった。山のひとつやふたつという考えもあるだろう。しかし現場を実際見てみるとなんともおぞましいというか、これから向かう鍾乳洞などは、天然の石灰の秘蹟で、こればかりはさすがに保存しているけれど、どうもちぐはぐな景観はいなめない。

・・さて、せっかく来たので、鍾乳洞を見ていくことにした。要するに、洞窟ですね。すぐ近くの神社は、一石山神社という。ここらの守り神か。開創は、文武天皇時の役の行者(小角)。空海なんかもここに篭もって学問をしたというが、ほんとかしら。

・・やはり、人気があるのか、外人などもいて人がだんだん増えてきた。入口を入ると、気温がぐっと冷えて凍えそう。体を動かせて、どんどん進めば体はなんとか熱くなる。頭をあげると打つかりそうで大きな洞にでるまでトンネルをゆくよう。地獄谷というのもある。三途の河だとか。・・これは胎内くぐりではないか。水琴窟というのもある。これはどこかの温泉にもあって、湯につかりながら音色を楽しんだこともあって、気に入っている。・・迷宮。クレタにあるラビリンスもこのようか。外にでたくなった。

・・行きはアップのスロープでけっこう疲れたが、帰りは楽だ。これなら40分くらいで奥多摩駅までもどれそう。はじめ予想したより遙かに快適なサイクリングになった。もえぎの湯によってそれこそ瞑想でもしてみたい。いやビールを飲みたい。・・この先の雲取山にいつか登ってみたい。駅の案内所で情報をもらうことにした。雲取は日帰りはどうか。バスの運行を教えてくれたが、麓までは自転車ですね。自転車+徒歩。これが一番のエコライフ。

・・もえぎの湯。12時についてしまった。二時以降になるとハイカーがぐっと多くなるという。ここもあたりで、やや透いている。・・ここの温泉、とても気に入ってる。忘れた頃に来ると、感動もひとしお。

513秋魚:2015/04/19(日) 19:19:05
(無題)
常盤

・・(義経)都を落ちたのちの文治2年(1186年)6月6日、常盤は京都の一条河崎観音堂(京の東北、鴨川西岸の感応寺)の辺りで義経の妹と共に鎌倉方に捕らわれている。
・・
・・常盤について、その後の詳細は不明である。侍女と共に義経を追いかけたという伝承もあり、常盤の墓とされるものは岐阜県関ケ原町、群馬県前橋市、鹿児島県郡山町(現鹿児島市)、埼玉県飯能市と各所にある。さらに、飯能市に隣接する東京都青梅市成木の最奥部、常盤の地には常盤が人目を避けて一時隠れ住まわされたという伝承があり、地名は常盤御前に因むと伝えられる。

・・隅田川をたどって入間川、成木川をずっと遡ると、青梅と飯能の境になる。水源は黒山にある。成木川というのはいくども辿っているが、渓流のこころよい川だ。入間川に合流するあたり、岩井堂観音のたたずまいはうれしいもの。昔ここの観音像が隅田川の浅草寺に流れている。・・黒山というのは、未知だ。軍畑から、鎌倉街道というのがあって、小沢峠を越えて名栗の方へと道がある。この小沢峠の上が黒山らしい。やたらとアップダウンがあって、最初はただの田舎道かとみえたが、そうでもないらしい。小沢トンネルの手前で、道が分岐、そこにちょうどお蕎麦やさんがある。以前来た時はここによってあいにく休みであったが、いろいろ話を聞けた。分岐の左の道をいくと、成木川沿いだが、ずっと黒山に向かうらしい。・・これが常盤林道という。義経の母常盤御前が、一時、住まわれた土地という。これは知らなかった。なつかしい隠れ里。・・

・・ところで、「常盤屋之句合」という芭蕉の俳文がある。常盤屋というのは、八百屋のことらしいが。杉風の序に、

「・・鯛のなる木の櫻咲いて、鮒は紅葉をあらそふといへども、青物の青々と四時全き常盤の陰に、ひとり其味の浅く水くさきを愛す。」

・・野菜讃ということらしい。

 おもしろいので、第一番を載せてみる。

 第一番

 左勝
 草すでに八百屋の軒に芳し

 右
 今引も小松がはらのはたな哉

・・左の芳草、八百屋の軒に梅をあらそひ、鶯菜にも初音まちたる心地するに、はた野の原の若菜にすがりて、子の日の松を引添たるもめでたく侍れども、先八百屋の草のかうばしきに心とゞまり侍る。
仍以左為勝。

 * 小松引は、正月初の子の日に、野に出て小松を引き千代を祝った古俗。
 * 若菜 正月初の子の日に、縁起を祝って食膳に上せる菜。春の七種の類。

・・勝とした左が、必ずしも優秀というわけではない。右の今あっての左のすでに。


・・常盤が、成木川の水源近く隠れ住んだというのは、想像するに、もっともらしく思える。

「・・蘭は深山幽谷に自生し、趣が有ることから幽谷佳人と名づけられたそうです。」


・・第十一番

 左持
 女とや茄子。はがくれに打かたぶける姿

 右
 山賤の垣ほのさゝげともよめるや

・・己が葉がくれに、打かたぶける茄子の君、むらさき式部が娘にや。わかむらさきのゆかりにや。いか成るものゝ妻となり、いづれの人のよめとやならん、なつかし。右の句も又、山賤の垣ほにはへる青さゝげ人はくれども言伝もなしとよめるは、古今集寵どのゝ下女のよみたるうた成べし。いづれかおかしく、いづれか哀ふかゝらん。

514秋魚:2015/04/22(水) 19:37:59
(無題)
「天和2年(1682年)の12月28日、駒込の大円寺を火元とする大火が発生し、火は折からの北風にあおられ深川まで燃え広がった。」

「深川の草庵急火にかこまれ、潮にひたり、苫をかづきて、煙のうちに生きのびけん、これぞ玉の緒のはかなき初めなり」

「八百屋お七(やおやおしち、寛文8年(1668年)? -天和3年3月28日(1683年4月24日)、生年・命日に関して諸説ある)は、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。」

・・井原西鶴『好色五人女』巻四「恋草からげし八百屋物語」[編集]

・・井原西鶴『好色五人女』はお七の事件のわずか3年後に出版され、自ら積極的に恋愛行動に移る町娘という、それまでの日本文学史上画期的な女性像を描き、お七の原典として名高い。

・・(あらすじ)師走28日の江戸の火事で本郷の八百屋八兵衛の一家は焼けだされ、駒込吉祥寺に避難する。避難生活の中で寺小姓小野川吉三郎の指に刺さったとげを抜いてやったことが縁で、お七と吉三郎はお互いを意識するが、時節を得ずに時間がたっていく。正月15日、寺の僧達が葬いに出かけて寺の人数が少なくなる。折りしも雷がなり、女たちは恐れるが、寺の人数が少なくなった今夜が吉三郎の部屋に忍び込む機会だと思ったお七は他人に構われたくないゆえに強がりを言い他の女たちに憎まれる。その夜、お七は吉三郎の部屋をこっそり訪れる。訳知りの下女に吉三郎の部屋を教えてもらい、吉三郎の部屋にいた小坊主を物をくれてやるからとなだめすかして、やっとお七は吉三郎と2人きりになる。ふたりは『吉三郎せつなく「わたくしは十六になります」といえば、お七「わたくしも十六になります」といえば、吉三郎かさねて「長老様が怖や」という。「おれも長老様は怖し」という。』という西鶴が「なんとも此恋はじめもどかし」というように十六歳の恋らしい初々しい契りだった。翌朝吉三郎といるところを母に見つかり引き立てられる。八百屋の新宅が完成しお七一家は本郷に帰る。ふたりは会えなくなるが、ある雪の日、吉三郎は松露・土筆売りに変装して八百屋を訪ね、雪の為帰れなくなったと土間に泊まる。折りしも親戚の子の誕生の知らせで両親が出かける。両親が出かけた後でお七は土間で寝ている松露・土筆売りが実は吉三郎だと気が付いて部屋に上げ、存分に語ろうとするが、そこに親が帰宅。吉三郎を自分の部屋に隠し、隣室に寝る両親に気がつかれないようにお七の部屋でふたりは筆談で恋を語る。こののちになかなか会えぬ吉三郎の事を思いつめたお七は、家が火事になればまた吉三郎がいる寺にいけると思い火付けをするが[注 6]、近所の人がすぐに気が付き、ぼやで消し止められる。その場にいたお七は問い詰められて自白し捕縛され、市中引き回しの上火あぶりになる。吉三郎はこのとき病の床にありお七の出来事を知らない。お七の死後100日に吉三郎は起きれるようになり、真新しい卒塔婆にお七の名を見つけて悲しみ自害しようとするが、お七の両親や人々に説得されて吉三郎は出家し、お七の霊を供養する[17]。

515秋魚:2015/04/25(土) 16:56:40
(無題)
・・きょうは晴れてはいるが曇りがち。野山の情報は待っていても何もない。街中から外れて藤橋、霞川、岩蔵街道、薬王寺。青梅の東北東はとても落ち着いている。ママチャリで出かけた。近場なのでipodriderを決め込んだ。藤橋という地名は品がある。御岳ののめこんこんにゃくの女店主が藤橋に住んでいると聞いたばかり。美人だそうだ。ここのさしみこんにゃくは絶品である。ほんとに。御岳にいったらぜひ買うとよい。・・霞丘陵の手前の平地をぬうように流れる霞川。これに沿って自転車の走れる道がある。線路や街道沿いの街並を外れると、急にひろびろした田園風景が広がる。ここを流れる霞川を知ったのもつい先日。水くきの匂いがする。途中カメラをかまえて人が二三。カワセミがでるという。じっと待つのだそうだ。カモとか鯉とかもゆったり。ここをすぎて岩蔵街道をこえ、山の端に向かえば、躑躅の咲く薬王寺は近い。ここらは散歩にでるだけでも気分がいい。
・・参道の下で、無人の野菜売り場があった。じゃがいも、さといも、ネギ、こまつな、エシャレット、あと鉢植えの観葉植物とかすべて百円。・・ちらっと寄って帰りに買うことにした。

・・群雲がときおり通り過ぎ、ぱらぱら雨がきた。天気雨は狐の嫁入りというのだそうだ。薬王寺は青梅の外れにあって、人はさほど多くはない。開創は法相宗の僧で、奈良から聖徳太子お手つくりの薬師菩薩像を運んだという。いまは、真言宗豊山派のお寺。鐘つき堂の門があってめずらしい。・・いやー、ちょうどいい花盛り。来て見なければわからない。日差しの加減が不安定だが、こういうやや曇りの花見も趣がある。

516秋魚:2015/04/26(日) 20:19:39
(無題)
・・きょうはすごかった。感動の一日。わたしのいる青梅から隣の飯能には何度か入った。飯能の田舎の人は、見知らぬ人でも会うとこんにちわと言う。友達も住んでるし心もなごむ。いいところだが、きょうはこの先の秩父へ入るのを試みた。以前いった正丸峠は飯能と秩父の境になる。多くのライダーの目標とされる峠だ。峠で会った人と話したが、入間から来たとか、自分の知らない土地の人と話すとそれだけで感動したものだった。・・例によって小曽木街道から美杉台へ向かい、その先は西武線飯能駅になる。時間がかかるのを見越して6時半に家をでた。一時間くらいで飯能駅についた。電車に乗るわけでなくこの駅は目標ではない。秩父へ入る道をだれかに聞こうと思った。交番もないし朝まだはやい。客待ちのタクシーの運転手に声をかけた。道路のことはよく知ってるはず。わざわざ車から降りてきてまあ親切なこと。ほんとにわかりやすく答えてくれた。299をとって秩父まで、50キロはあるよ。ということだった。アップダウンもきびしいといった。ここでは聞き損ねたが、山がある。この山越えをトンネルを使うか、正丸峠に迂回するか。これが問題だった。正丸トンネルは約2キロあって自転車歩行者には危険というのを聞いていた。

・・自転車のツーリング。自動車、鉄道とかの旅というのとちょっと違うのは、目的地までのプロセスがまったく出来事多く、感動多く、うまいひとなら一篇の小説を書けるでしょう。ロードムーヴィーというのもありうる。ただし、他人はおもしろくもないでしょうね。・・今回の目標は、この正丸トンネルと秩父黒谷の和銅遺跡が本命だった。

・・飯能の美杉台について。実はおもしろい話があったのですが、スルーしてしまいました。美杉台を通過するに、川をふたつ越えます。ひとつ目は成木川、ふたつ目は入間川。・・成木川のなんて美しい川なのでしょう。ほんとに美しい。(最初の感動)・・美杉台については、帰路交番の巡査に聞いた笑い話です。訴訟があるやも知れず割愛。

・・それより、正丸トンネル。飯能から吾野を通って正丸の駅まで、けっこうな距離です。爺さんばあさんにも聞きましたが、たまたま出会った巡査に聞くと、トンネルはもともと自転車が通るようには作ってないとのこと。秩父にゆくには、峠に一度上り、そこを下るとトンネルの向こうに着きます。標識でも、危険と書いてある。・・けっきょくこれでびびって、峠上りをすることにしました。

・・時間とエネルギーの節約でトンネルを選ぶのを、はじめは考えていました。トンネル手前から正丸峠頂上を目指す道、未経験です。よいチャンスかと。上のほうで猿とか鹿とか出会う話も聞いてますから。登りはじめたらそれほど急ではありません。いろはのだんだらですね。4キロほどあって、ただし半分は足着きになりました。猿とか鹿とかは出会いませんでしたが、なんとか頂上へ。・・大変でしたが、次の下りはほんとに楽ちんでした。これもけっこう長い距離で、帰りはどうするか、最後まで悩みの種になりました。(帰路はけっきょくトンネル通過を決意!)

・・ずっといって、芦が久保というところに出て人も車もたくさんでした。果樹園があるらしい。その程度で人が集まるものかと思いましたが、なんと、観光案内所がある!今回はほとんど調べがなかったため、オアシスへ向かう心境でした。すると期待したとおり、大変意気のいいお姉さんがまったく親切いっぱいに教えてくれ、ガイドブックもらえました。案内所のちょっと出たところにバイクを横においてまたえらく美貌でかっこいいお姉さんが、ジュースを飲んでました。女性のバイクライダー時々見ます。ひとりで走ってるのはあまりみません。あんまり格好いいので、どこから来たの?入間です。稲葉真弓にちょっと似てました。あの人も昔バイクに乗ってた様です。わたしは青梅です。外れの今井とか金子とかいきますよ。すこし接点がありましたが、チャリダーとつるむ訳にはいかないでしょう。じゃーね、といって別れましたが、写真を一枚撮らせてもらうべきでしたね。ほんと格好いいお姉さん。

・・このお姉さんから正丸トンネルの情報すこしもらっていました。自転車で通る人もいるとか。これが最後の勇気になりましたが。・・いまは和銅遺跡にむかいます。案内所のお姉さんに聞いたとおり、299を直進し秩父の駅に出る前に県道を右折、そのまま20分ほど直進。いいかげん黒谷の遺跡が近いとは思ったがまだなかなかです。たまらず自動車修理工場らしきで尋ねてみることに。小暗い中で作業をしてるおじさん(若い人ではない)、仕事中でわるいとは思ったが声をかけると、にこにこ出てきて事務所に来なさい。紙に書いてあげます。・・こっちもあまりヒマがないけど、話を聞かざるを得ません。・・で、温泉と遺跡までの地図を書いてくれました。実はこの地図だいぶ間違いが多かったのです。・・ともかく、涙がでるほどお礼をいって、黒谷にむかいました。交通量も多くあまりいい道ではありません。秩父は芝桜が盛りとか、花見客がたくさんでした。

・・和銅遺跡の入口に聖神社があります。このところ神社に寄ること多く、必ず賽銭と願い事をしています。この願い事いつも同じですけど、通じているかな。・・

ここから遺跡、708年に天然のあかがねが発見され、奈良の朝廷に献上されたという、露天掘り跡に向かう道は、なつかしいいつか来た道のよう。

・・羊太夫というのは、この地から奈良まであかがねを運んだ人をいうようです。高崎の多胡碑にある羊というのは、この羊太夫のことかもしれません。

「・・上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せる。」

・・もう12時をまわってる。朝出発してから6時間は自転車に。正丸峠の登りは予定外だった。黒谷の和銅遺跡でも、露天掘りまでは坂道をだいぶ歩いた。街道は、ライダーがめちゃ多い。休日でマイカーの出も多い。いったい埼玉の街道は車が多いので有名だ。水は、やはり貴重だった。クッキーバー一本で食は充分。ただ、油切れですね。いいかげん温泉で休みたくなった。

・・和どうの湯。旅館だが日帰りができるというのでチェックしていた。遺跡からすこし街道をバック、道路向こうにあった。温泉は鉱泉という。おしゃれな旅館のようで、放浪者のようないでたちで、すこし気が引けたが、それは何でもないのはわかっていた。・・見知らぬ土地では、いっさい客人でとおるはず。・・食事はとれないが、温泉はどうぞ。受付お嬢は新米らしいも美形で愛想がいい。うれしくなった。・・支払いを済ませて湯にむかう。昼過ぎで宿の客はほとんどいない。一般客も自分だけ。まったく貸切り湯になった。・・鉱泉というのは、ぬるみもなく表面上は白湯とかわらない。ここは薬師の湯というふれこみだ。この温泉効果は、実は、帰宅してはじめてすばらしいのがわかった。・・ともかくうれしい休息になった。

・・帰りの受付でお礼をいい、さらに食事どころの情報と、飯能へ帰るほかの道はないかと尋ねた。けっきょく寄居からかなり大回りになり299しかないということでした。・・蕎麦とビールをとりたくて、街道を物色しながらいくと、すぐ近くに和どう蕎麦というのがある。もうここに決めて店にはいると、客がいっぱい。注文取りの女性が座敷を案内してくれた。おおかた、車できていてビールの注文は
あまりないのか、お車ですかと聞かれることが多いのに、OKでした。自転車ですが徒歩同然ですから。ここの配膳嬢はなんか注文はぜんぶ暗記、ひとりで全部やってるから、働き者ですね。忙しすぎて愛想がないと思いきや、遅くなってすみませんね。と大きな愛想の声でした。もう○十年若かったら嫁にしたい感じでしたね。

・・さて、いよいよ帰路。足が回らないというのでもない。ただ峠のヒルクライムは、どうか。ともかく299で正丸トンネルの入口までは行かねば。・・武甲山というごつごつした兜のような山が正面にみえる。ときおりライダーの一群が爆音をあげて通り過ぎる。緊張の連続でこういうのもなつかしい風景。峠に向かう道は、ややアップ。・・そうこうしてるうち、トンネル前に着きました。もう決めていてそのままトンネルに直行。車道の端にすこし段差をつけて猫のひたいほどの歩道(?)がある。ここを通るしかない。転落をおそれて足つきでゆくと2キロは長い。かえって危険。綱渡り、薄氷をふむ思いで、自転車を走らせた。車はひっきりなし、よろけて転落はまず命取り。最高に緊張です。途中水で濡れてぬかるみのあるところも。一時停止。・・半分以上すすんでやっと出口の明りがみえてきた。あとすこし、あぶないあぶない、あとすこし、叫びながら、進んだ。 やっと、抜けた。

517秋魚:2015/04/30(木) 19:30:25
(無題)
・・1793年、芭蕉翁百回忌。全国で華々しく営まれた中でも、本丸は、義仲寺であろう。五升庵蝶夢がしきった。

・・
1786 天明6年、『芭蕉翁俳諧集』(蝶夢編)刊。
1788 天明8年2月26日、木姿を伴い中山道を江戸に下る。重厚とともに江戸に滞在。『富士美行脚』
   同年4月9日から加舎白雄は海晏寺で芭蕉百回忌繰上げ法要を行い、蝶夢も法要に参加。
1791 寛政3年梅人『続深川集』刊。蝶夢序。
   同年粟津文庫創設。
1792 寛政4年、『芭蕉翁絵詞伝』完成。
1793 寛政5年、芭蕉百回忌法要を営む。
1794 寛政6年、五升庵の号を瓦全に譲る。
1796 寛政7年12月24日、64歳で没。

・・晩年の十年、芭蕉百回忌に向けた生涯の仕事だとわかる。

・・カツゾーの放浪の地平。蕉翁の旅の軌跡を追う。これは弟子のだれかれもやるし、もっとも通俗な想像力だろう。というか、想像がまったくはたらかない時、せっぱつまった時に選択する道だろう。最初の出奔はおそらく越後から山形の方へ向かった。奥の細道を逆コースで歩いた。象潟にもいってるはずです。昔の光景をとどめていなくてもいいのです。たぶん、足早に。東北を大きく迂回して江戸に入った。東北を歩いた痕跡は無くてもいいのです。

・・蕉翁のモニュメントがもっとも見えやすいのは、芭蕉百回忌(1793年)。これはまったく辺鄙な場所でも案内があれば向かったと思います。特に江戸滞在中は。でも、江戸で何をしていたのでしょうね。

・・俳諧三部集「越後獅子」に載る江戸の俳人たち。・・卓郎、不染、春湖、為山、氷壷、見外・・
カツゾーの江戸の消息は、必ずしもこれらの俳人に会うためではなかったはず。正風が第一義。芭蕉のモニュメントには、まず一度は参学しているだろう。・・深川芭蕉庵、臨川寺・・回向院はどうでしょう。これはカツゾー固有の思惑とは思いますが。


貞享四卯の年、春も彌生の空長閑に、うち霞みたる夕暮ならし

 花の雲鐘は上野か浅草か

 観音のいらかみやりつ花の雲

「かねは上野か浅艸か」と聞えし前の年の春吟也。尤(もつとも)病起の眺望成べし。一聯二句の格也。句ヲ呼テ句とす。『末若葉』(其角編)



・・「鐘は上野か浅草か」とは「上野東叡山寛永寺の鐘か、浅草浅草寺の鐘か。」ということなら、たぶん寛永寺、浅草寺の方にも足を伸ばしただろう。・・「花の雲、雲の花」という入間ことばを知っていたら、隅田川もずっと遡ったと思われます。入間川の方へ。

・・ 「毘沙門堂の花盛、四天王の榮花もこれにはいかでまさるべき。うへなる黒谷、下河原、むかし遍昭僧正のうき世をいとひし花頂山、わしのみやまの花の色、枯にし鶴の林まで、思ひられてあはれ也。」 『俳諧一葉集』


 観音の甍見やりつはなの雲

   【元慶寺】
京都市山科(やましな)区北花山河原町にある天台宗の寺。山号は華頂山。陽成天皇の出産に際して、貞観11年(869)遍昭が開創。後年、藤原兼家らの策謀によって、花山天皇はこの寺で出家した。花山寺。がんぎょうじ。

・・貞観11年(869)。陸奥海溝地震。大津波があり、先年の東日本陸奥沖地震にもっとも似たものです。
 「遍昭僧正のうき世をいとひし」に注目。 遍昭、良岑宗貞といいます。         


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