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元文学青年の俺が世の中の俗物を徹底的に馬鹿にするスレ
1
:
元文学青年の俺
:2025/09/04(木) 11:12:21
5チャンネル文学板の「元文学青年の俺が俗物を徹底的に馬鹿にするスレ」
がどういうわけか急に長文の書き込みを拒否し出したので、こちらを「避難所」
として使わせていただくことにした。
5チャンネル文学板への書き込みが失敗した場合に、このスレに書き込む
ことにする。
書き込む内容は、特にスレのタイトルにこだわることはなく、広く気ままに
あれこれを書きつけてゆく予定。自分の雑談用のスレと言っていい。
52
:
名無しさん
:2025/10/02(木) 18:34:05
持ってきても、が分かりにくくてすみません。付け加えても包含できる、の意です。
53
:
元文学青年の俺
:2025/10/03(金) 12:40:57
>>51
>応答してくれないカミサマ、みたいにも感じます
そう、その通りだと思います。
上記の『海と夕焼』を収めている新潮文庫の『花ざかりの森・憂国』では、三島自身が
自作解説をやっているのですが、その『海と夕焼』について、三島は以下のように述べています。
--------------------------------------------------
『海と夕焼』は、奇蹟の到来を信じながらそれが来なかったという不思議、いや、奇蹟自体
よりもさらにふしぎな不思議という主題を、凝縮して示そうと思ったものである。この主題は
おそらく私の一生を貫く主題になるものだ。人はもちろんただちに、「何故神風が吹かなかったか」
という大東亜戦争のもっとも怖ろしい詩的絶望を想起するであろう。なぜ神助がなかったか、
ということは、神を信ずる者にとって終局的決定的な問いかけなのである。『海と夕焼』は、
しかし、私の戦争体験のそのままの寓話化ではない。むしろ、私にとっては、もっとも私の
問題性を明らかにしてくれたのが戦争体験だったように思われ、「なぜあのとき海が二つに
割れなかったか」という奇蹟待望が自分にとって不可避なことと、同時にそれが不可能なこと
とは、実は『詩を書く少年』の年齢のころから、明らかに自覚されていた筈なのだ。
--------------------------------------------------
この文中の「神風が吹かなかった」と「神助がなかった」という言い回しの部分が、貴殿の
「応答してくれないカミサマ」に相当します。
三島や谷川の「応答してくれないカミサマ」という感覚・感情は、思想的には、ここから
無神論あるいは虚無主義(ニヒリズム)までほんの一歩です。
54
:
名無しさん
:2025/10/04(土) 10:17:17
>>53
色々と連想が働いて面白いです。
応答してくれない、といえばヨブ記における旧約の神でしょうが、谷川の「空」、三島の「海」というふうに、自然物が出てくるのが面白い。日本人的心性というところでしっくりきます。
手近の本から引用をひとつ。
「昭和二十年の八月十五日を境に、それまで死ぬことばかり考えていた私は、生きることを考えなくてはならなくなった。そのとき私を襲ったものは解放感と、同時に思い詰めた気持ちの行き場所を失ったような虚脱感であった。結局、戦争が終って私に残された二つの大きなものは、この虚脱感と人間に対する不信の気持ちであったといえる。そしてこの二つは、今でもたえず隙間風のように私の心の中に吹き込んでくる。」
1924年生まれの吉行淳之介が1973年頃に書いたエッセイです。あまりに直接的に語られているのでドキッとしますが、やはり戦争体験や敗戦というものは多くの人に心理的影響を与えたようですね。
しかし多くの人は「応答してくれないカミサマ」にそんなに長くかかずらっていられません。「応答してくれるカミサマもどき」に願いを託すでしょう。
だからこそ、芸術家が「海」を描き、「空」を歌うことに意味がありそうです。
55
:
元文学青年の俺
:2025/10/05(日) 21:57:54
>>54
あー、何か見覚えがあると思ったが、思い出した。その吉行氏の文章は、自分は丸谷才一氏の
『文章読本』に引用されていたのを読んだのだった。
あらためて読んでみると、吉行氏もまた三島由紀夫と似たような心情を抱いていた様子。自分の
イメージとしては、この2人はまったく対蹠的な資質の持ち主のように感じていたけれども。
>「応答してくれるカミサマもどき」に願いを託すでしょう。だからこそ、芸術家が「海」を描き、
「空」を歌うことに意味がありそうです。
そうですね。そういうことになりそうです。
なお、これについては、関連してちょっと自分でも書きたいことがあります。また後日に
アップさせていただくことにしましょう。
56
:
元文学青年の俺
:2025/10/08(水) 14:10:07
さて、
>>54
での
「しかし多くの人は『応答してくれないカミサマ』にそんなに長くかかずらっていられません。
『応答してくれるカミサマもどき』に願いを託すでしょう。
だからこそ、芸術家が『海』を描き、『空』を歌うことに意味がありそうです。」
に関連して、自分の思ったことを少し。
この「応答してくれないカミサマ」というのは、言い換えると、「無神論」、「虚無主義(ニヒリズム)」
という思想とほぼ同義になりそうであるし、「世界の無意味さ」と言い換えることもできそうである。
また、アルベール・カミュがよく使う言い回しに「世界の無関心」というのがある。カミュがこの
言葉で厳密に何を意味するかは自分はよくわからないけれども、自分としてはこの言葉を「世界
(あるいは自然界)が人に対して無関心であること」ぐらいの意味で受け取っている。この言葉は
自分のお気に入りである。
三島や谷川の「虚無」、「応答してくれないカミサマ」という感覚・感情、あるいは、「世界の
無意味さ」・「世界の無関心」という感覚・感情は、むろん、かなり普遍的なものと言える。
このような感覚・感情に人間はずっと昔から苦しみ、これにあらがってきたのである。その反抗、
反逆の営みが芸術である、と言えるかもしれない。そして、その積み重ねの果実が「文化」なのである、
とも。
この「世界の無意味さ」はしばしば、受け取り手である人間にとって、世界が不条理であり、醜悪
であると感じる源になっていると言えるかもしれない。
芸術家は、それに抗して、この世界に「秩序」や「美」を打ち立てようとするのである。
57
:
名無しさん
:2025/10/09(木) 11:42:04
>>56
世界の無関心、ですか。知らなかった言葉を知れてうれしいです。
後半の解釈が私とは異なっていまして、それが何に起因するかといえば「応答してくれるカミサマもどき」をどう捉えるかだと思います。
「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の價値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の價値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と傳統の國、日本だ。」
三島の檄からの引用ですが、生命尊重や自由、民主主義がいわゆるカミサマもどきとして糾弾されています。経済的繁栄、なんかも含まれるように思います。
ただ、ここに出てくる「日本」も私にとっては疑問で、やはり「海」と言ってくれたほうが首肯しやすい。
三島のことはさておき、「世界の無意味さに抗う芸術家」より、「意味ありげなニセモノの世界に抗う芸術家」の方が私にとってはしっくりくるのです。
いずれにせよ、「美」や「秩序」を打ち立てるのは大変で、言葉にすると途端に嘘くさくなります。
「応答してくれないカミサマ」へ敬虔に祈りを捧げる人々の姿が、チラチラと目に浮かぶのですが。
58
:
元文学青年の俺
:2025/10/10(金) 09:59:27
>>57
>世界の無関心、ですか。知らなかった言葉を知れてうれしいです。
ありがとうございます。ただ、自分の解釈がカミュの真意にかなっているかどうかは
わかりませんが。
それと、
>>56
の書き込みは、
>>54
の文章に触れて自分があれこれ考えたことを書き記した
だけですので、
>>54
に対する直接的な応答というわけではないです。むろん反論でもありません。
59
:
元文学青年の俺
:2025/10/10(金) 13:29:45
さて、谷川と三島の共通性・親近性その他について少し論じてきたけれども、そういう世界観を
めぐるうだうだは別として、谷川の、この「空」という詩は、それ自体、一個の抒情詩として
優れている。
「空はいつまでひろがっているのか
空はどこまでひろがっているのか」
という詩句は、空が人に与える茫漠とした感覚をよく表現しているし、とりわけ、最終行の
「空は何故
ひとりで暮れていってしまうのか」
は、人が夕暮れ・夕焼けに覚える「寂寥感」、「自分はひとりぼっちになってしまった」という
感覚をみごとに捉えている。忘れがたい詩句である。
60
:
名無しさん
:2025/10/10(金) 15:07:50
>>58
丁寧な返信ありがとうございます。私も56を読んだから、57のような連想が湧いてきたのであって、触発されて自分が豊かになればそれで充分です。
客席からのんびりと見守らせていただきます。
61
:
元文学青年の俺
:2025/10/11(土) 11:26:24
>>60
こちらこそ、丁寧な対応で恐縮です。
またいつでも好きな時に書き込んでください。
自分も「応答してくれないカミサマ」という的を射た表現にいろいろ考えさせられました。
62
:
元文学青年の俺
:2025/10/11(土) 11:53:34
さて、谷川の
>>16
の詩についてももう少し語ってみる。
この詩の「俺の上にあの俺のただひとつの敵 乾いた青空がある」の「青空」は「虚無」・「世界の
無意味さ」の象徴と考えることができそうだ。ビリイ・ザ・キッドは生涯、この「虚無」・「世界の
無意味さ」と闘った。そして、今、死にあたってようやくその闘いは終わりを告げることになる。
「俺は帰ることが出来るのだ もう青空の手の届かぬところへ 俺が戦わずにすむところへ」。彼は
「世界の無意味さ」から解放される。自分が死んで、自らが世界の一部となってしまうからだ。
このビリイ・ザ・キッドの、「世界の無意味さ」との闘いとそれからの解放としての死は、自分には
どうしても三島由紀夫を連想せずにいられない。すでに述べたように、三島は「美」・「永遠」・
「絶対」を追い求めた。つまり、「虚無」・「世界の無意味さ」にあらがった。
もしこういう解釈に多少の真実が含まれているとすれば、「三島の霊よ、安らかに眠れ」と祈らずには
いられない。
そして、この詩のビリイ・ザ・キッドや三島由紀夫に自分が心惹かれるのは、口幅ったいことながら、
自分もまたそういうタイプの人間だからである。
日々、「虚無」・「世界の無意味さ」あるいは「世界の無関心」と自分は戦っている。生きている
限りこの戦いは終わらないのだ。
63
:
元文学青年の俺
:2025/10/14(火) 10:39:47
ふう、昨日は暑かったな。
思わず明治エッセルスーパーカップ(チョコクッキー)を食べた。
10月中旬にこのアイスを食べるとは思わなかったな。
64
:
元文学青年の俺
:2025/10/14(火) 10:50:49
さて、
>>51
で初めて言及され、
>>56
でも考察した「応答してくれないカミサマ」について、
もう少しうだうだ書いてみる。
この「応答してくれないカミサマ」の問題は
>>54
で指摘されているようにヨブ記が提示
している問題でもあるし、キリスト教を土台とする西欧世界では、別言すれば、「神なき世界」
の問題とも表現できるであろう。
この「神なき世界」を自分の文学テーマの主軸に据えたのは、周知の通り、ドストエフスキー
であった。アルベール・カミュなどもこの問題に取り組んだ。また、ニーチェは
「神は死んだ」と堂々たる「神の死亡宣告」を19世紀末におこなった。
権威の最上位である神が死んだとされたからには、それ以外のすべての権威も失墜せざるを
得ない。それ以降、モラルの根拠は失われた。20世紀は「ニヒリズムの世紀」であったと
言っていい。
この潮流は現在もなお進行中である。20世紀後半の一時期、実存主義が登場して、
モラルやヒューマニズムの回復が図られたようであるが、一時の流行で終わってしまった。
現在、キリスト教原理主義が根強く力を保っているアメリカなどでもじわじわと無神論が
普及しつつある。われわれ現代人は神のいない荒野をさまよっているのである。ある
意味で、人類はいわゆる「歴史の終わり」に確かに到達したのである。
65
:
元文学青年の俺
:2025/10/18(土) 11:50:05
>>62
に付け足して、あれこれ。
この「虚無」・「世界の無意味さ」あるいは「世界の無関心」との闘いはまた、自分にとっては世界の
「不条理」や「醜悪さ」との闘いでもある。
「醜悪さ」という点では、このスレに関連付けて言うと、「俗物」との闘いでもある。
(もちろん、それは、自分の心の中の「俗物性」との闘いも含めなければならないところである。が、
このスレでは、自分のことは棚に上げるのである) (゚▽゚*))
ちなみに、世の俗物どもの中には、この「世界の醜悪さ」と実にうまくなじんでいる人間がいる。
(特に政治家には多いように感じられるタイプである。醜悪な世界のジグソーパズルの中に、一片のピース
としてみごとにしっくり嵌まるのである)
66
:
元文学青年の俺
:2025/10/18(土) 11:53:18
さて、『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫)を読んだ後、今度は集英社文庫の『谷川俊太郎 詩選集 1』から
『谷川俊太郎 詩選集 4』にまで手を出している。
「自選集」では、一般読者が「あれ、この作品が入ってない」と思うことがよくある。世間で評判の作品
であっても、しばしばそういう作品が抜け落ちているのだ。作者がみずから選んだのだといっても、読者に
不満が残る場合が珍しくないのである。
そういうわけであるから、結局「自選」のものがあっても、他選のやつも買うことになる。さすがに全集を
買うまでには至らないとしても。
谷川詩の場合は、たとえば、教科書によく採られている有名な『朝のリレー』が『自選 谷川俊太郎詩集』には
入っていない。こちらの気に入るであろう詩がまだまだ他にたくさんあるだろうと、上記集英社文庫のやつ
(4冊もある!)をあがなったわけである。
はたして、自分の気に入った作品、なぜこれが『自選集』に収録されていないのかと不思議に思う作品が多々
あった。そして、詩人としての谷川俊太郎のすごさをあらためて認識した。
67
:
元文学青年の俺
:2025/10/19(日) 12:27:16
上の「谷川のすごさ」というのは、たとえば、その詩の形態と内容の多様性である。
>>16
や
>>48
で引用したような、せつない詩がある一方で、谷川には次のような作品もある。
--------------------------------------------------
ゆうぐれ
ゆうがた うちへかえると
とぐちで おやじがしんでいた
めずらしいこともあるものだ とおもって
おやじをまたいで なかへはいると
だいどころで おふくろがしんでいた
ガスレンジのひが つけっぱなしだったから
ひをけして シチューのあじみをした
このちょうしでは
あにきもしんでいるに ちがいない
あんのじょう ふろばであにきはしんでいた
となりのこどもが うそなきをしている
そばやのバイクの ブレーキがきしむ
いつもとかわらぬ ゆうぐれである
あしたが なんのやくにもたたぬような
--------------------------------------------------
68
:
元文学青年の俺
:2025/10/19(日) 13:42:07
谷川俊太郎はユーモラスな詩もたくさん書いているが、いやはや、これは何と言おうか。「カフカ的な
不可解さ」とでも呼べるような趣き。「ナンセンス・ユーモア詩」というカテゴリーに属すると言えるような、
実におかしい詩である。
「めずらしいこともあるものだ とおもって」だとか「このちょうしでは」だとか「あんのじょう」
だとかの、ありふれた言い回しの使い方が絶妙である。
さて、この詩は「ナンセンス・ユーモア詩」と受け取って自分は何ら痛痒を感じないけれども、ある人
からすると、「いやいや、これはそんなものではなく、詩人の深刻な主張もしくはテーマを含んでいるのだ」
と言いたくなるかもしれない。そういう人にはぜひその解をここに書き込んでいただきたい。
69
:
名無しさん
:2025/10/19(日) 17:39:20
>>68
面白い宿題ですね。では、感じたことを少々。
まず、全てが、ひらがな・カタカナで書かれていて、言葉のひとつひとつが等分の重さになっています。そのせいで、言葉の意味がぼやけて、やや離人症めいた世界のように感じます。
主人公が子供だとすると分かりやすいのですが、言い回しが子供のようではない。大人の中に住む子供、という解釈でもいいでしょうが、むしろ「外界をカナ文字でしか受け取れない状態」というのはどうでしょうか。
夕暮れに、外界の意味が解体していく。こう書くと理屈っぽいですね。
冒頭において「おやじがしんでいた」のに、「めずらしいこともあるものだ」と思いながらも、すこしも驚いていない。詩作は理屈ではないので、この辺りのねじれを手がかりに 、実際のところは書き進められたのでしょう。
うろ覚えですが、小林秀雄が柳田国男の話を引用していて、貧しい山民の親父が自分の子供を薪割りかなにかで殺す話、あれも夕暮れだったような。
70
:
元文学青年の俺
:2025/10/20(月) 12:52:06
>>69
レスありがとうございます。
> 〜 やや離人症めいた世界のように感じます。
なるほど。
>夕暮れに、外界の意味が解体していく。
これもなるほどです。
>詩作は理屈ではないので、この辺りのねじれを手がかりに 、実際のところは書き進め
られたのでしょう。
これもなるほど。詩作の実際について興味深い指摘です。自分にはこんな発想はまず
浮かびません。
>うろ覚えですが、小林秀雄が柳田国男の話を引用していて、貧しい山民の親父が自分の
子供を薪割りかなにかで殺す話、あれも夕暮れだったような。
あー、この柳田国男の話、自分も何かで読んだ覚えが。確かに夕暮れの話でした。
夕暮れは「逢う魔が時(おうまがとき)」とも呼ばれ、魔に出会う時間とされていた
のですよね。「妖怪、幽霊など怪しいものに出会いそうな時間」であり、「昔から他界と
現実を繋ぐ時間の境目と伝えられている。この時刻に魔物や妖怪がうごめき始めて
災いが起きると伝えられていた。」(以上のカッコの部分はウィキペディアから)。
と、ここまで書いたが、パソコンがまたもや絶不調なので、今日のところはここまでに
させていただきます。いろいろ書きたいことがあるんですが。
71
:
( ´・ω・`)
:2025/10/20(月) 17:11:08
( `・ω・´)つ旦旦
)三サッ
72
:
元文学青年の俺
:2025/10/21(火) 12:12:52
>>71
おや、これはどうも、ありがとうございます。
熱いお茶やコーヒーがうまく感じられる季節になってきました。
(´·ω·`)さんも、お茶かコーヒーをゆっくり飲んで、ぼちぼちやっていって
ください。
73
:
元文学青年の俺
:2025/10/21(火) 12:15:15
[
>>69
の書き込みをめぐって考えたあれこれ]
69氏は自分と違って、この詩に何やらまがまがしいもの、不穏な空気を読み取っている。
言われてみれば、確かにそうで、自分はこの詩の出始めからのナンセンスさに気をとられ
すぎていたかもしれない。タイトルの「ゆうぐれ」と終わりの2行に焦点を置くと、69氏の
読みももっともだと思えてくる。
自分も終わりの2行には、
>>56
と
>>62
に書いたような「虚無」の気配がここにも漂っている
なあとは思ったけれども。
優れた詩というものは、一歩さらに踏み込んでみると、新たな地平を示唆してくれる
ことがしばしばである。
そういう新たな地平への扉を示してくれた69氏に自分は感謝しなければならない。
74
:
元文学青年の俺
:2025/10/21(火) 12:18:32
続き
・ただ、もう少し自分の関心のあるテーマに引き寄せて述べさせていただくと、以上に
引用した谷川の3つの詩は、根っこが同じという見方ができそうだ。
すでに述べた「虚無」・「世界の無意味さ」・「世界の無関心」という感覚がまず谷川俊太郎の
心の底にあり、それが日常のありふれた夕暮れ・夕焼けの景に接して、自然に、ストレートな
形で生まれたのが
>>48
の「空」の詩、その感覚がビリイ・ザ・キッドの生涯に投影されて
できあがったのが
>>16
の詩、また、その感覚がナンセンス・ユーモアの方角に想像力が延びて
いって成立したのが
>>67
の「ゆうぐれ」の詩、という風に。
・そして、この同じ根っこから派生したと思われる詩が3つともそれぞれ異なる趣きを
有していることは、結局、自分が最初に
>>67
で言った、谷川の詩の形態の多様性を証し
することになっているのである。
・自分は最初、この「ゆうぐれ」の詩は、「空」や「ビリイ・ザ・キッド」の詩とは
別種のもの、対蹠的なものと捉えていたのであるが、どうもそうではないらしい。こんな
見方に着地するとは思ってもみなかった。いやはや、実におもしろい。
75
:
元文学青年の俺
:2025/10/21(火) 12:21:34
また、いつパソコンが不調におちいるか見通しがつかない。
レスがつかない時はそういう事情だと思って、ご寛容のほどを。(゚▽゚*)
76
:
名無しさん
:2025/10/21(火) 18:22:52
>>73
48の「空」の詩を読んだ次の日には、現実の空がいつもと違って見えました。優れた詩を紹介して下さったことに、自分も感謝します。
( ´・ω・`)さんも、「旦」のお気遣いありがとうございました。
77
:
元文学青年の俺
:2025/10/24(金) 15:31:37
>>76
そう言われるとうれしいですねえ。
78
:
元文学青年の俺
:2025/10/24(金) 15:35:46
さて、
>>69
で言及されていた、柳田国男の夕暮れの話は非常に心に残るもので、引用に値するから、
以下に掲げておこう。
自分がこれを読んだのは『遠野物語』だと思っていたのだが、どうも違ったようだ。『山の人生』
が出典のようである。
--------------------------------------------------
山に埋もれたる人生あること
今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく
不景気であった年に、西美濃(にしみの)の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を
二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。
女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情
であったか、同じ歳くらいの小娘を貰(もら)ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てて
いた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里
(さと)へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手(からて)
で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ
入って昼寝をしてしまった。
眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。
二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻(しき)りに何かしているので、
傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧(おの)を磨(と)いでいた。阿爺
(おとう)、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を
枕にして、二人ながら仰向(あおむ)けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、
前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、
やがて捕えられて牢(ろう)に入れられた。
この親爺(おやじ)がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。
そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分らなくなってしまった。私は仔細あって
ただ一度、この一件書類を読んで見たことがあるが、今はすでにあの偉大なる人間苦の
記録も、どこかの長持(ながもち)の底で蝕(むしば)み朽ちつつあるであろう。
--------------------------------------------------
79
:
元文学青年の俺
:2025/10/24(金) 15:37:47
あらためてこれを読んでみる。もう一度読んでみる。と、やっぱり柳田国男はすごい。
何がすごいかと言うと、文中の
「眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた」
という一文がすごい。話のこの位置にこの一文を据えるところがすごい。
「子殺し」というこの悲劇的な話の舞台説明の導入として完璧である。
この一文には何か凄絶なものがあって、シェークスピアの『リア王』か何かの舞台を
さえ連想させるのである。
ちなみに、三島由紀夫もまた、批評文集『小説とは何か』のある章で、やはり柳田国男の
『遠野物語』中のある文章を引用して、激賞していた。
ある、一見何でもないような一文が劇的な効果をあげるのである。
80
:
( ´・ω・`)
:2025/10/24(金) 16:51:06
>>76
69さん。
( `・ω・´)b✨
81
:
名無しさん
:2025/10/24(金) 21:09:01
久しぶりに再読しました。
自分の記憶の中では、真っ赤な夕日が一面に照りつけている映像が残っていたのですが、原文は「小屋の口一ぱいに夕日がさしていた」とあるだけ。年月の経過によって、私の中の夕暮れは赤みを増していったようです。
夕暮れに「くらくらとして」子供を殺してしまう。そして善悪を超えて、私たちはその話を了解できてしまう。そういうこともあるだろう、というふうに。
これはやはり仰るように、夕日の舞台説明の導入あってのものでしょうし、逢魔が時(前近代的なもの・非理知的なもの)の成せる業のように思います。
82
:
元文学青年の俺
:2025/10/25(土) 14:47:48
いやー、驚きました。
「自分の記憶の中では、真っ赤な夕日が一面に照りつけている映像が残っていたのですが、
原文は「小屋の口一ぱいに夕日がさしていた」とあるだけ。年月の経過によって、私の
中の夕暮れは赤みを増していったようです。」
これ、自分とまったく一緒です。
自分もこの一節の強烈な夕日のイメージが残っているからこそ、ああ、あの文章か、と
すぐに反応できた。
そして、原文を確認してみて、案外あっさりした文章なのに驚いた。でも、くり返し
読んでみて、やっぱりこの一文は大したものなのだと認識した次第。
それにしても、まったく同一の経験と感想をお持ちの方がいるとは。
ということは、この一文は、あっさりした書き方がキモであって、そうであればこそ、
後々、読者の心の中でイメージが膨らんでいくことになる。そう考えざるを得ないか、と
思えてきます。
83
:
元文学青年の俺
:2025/10/25(土) 14:50:55
そして、おそらく、柳田国男はこの文章を、そういう効果を計算して書いたのではない。
無意識に、自然にこう書いたのだ。と、そう思わざるを得ない。
凡庸な書き手であれば、ここでつい力を入れて、難しい言葉を使ったり、言い回しに
凝ってみたりするところでしょう。
あっさりした書き方、坦々とした叙述が逆に極めて深い印象を残す。文学の不思議であり、
自分が文学作品を読むのは、こういう言わば「センス・オブ・ワンダー」を味わわせてくれる
からである。
84
:
名無しさん
:2025/10/26(日) 00:31:11
お仲間でしたか。
反対に、どぎつい描写というのは読み手のイメージを限定させるんでしょうねぇ。
作者の作為の無さに、読み手が安心して身を委ねる。そして後々イメージが膨らんでいく、と。なるほど。
85
:
元文学青年の俺
:2025/10/27(月) 12:13:03
>>84
どうも。
まあ、自分がここに書きつけている意見・感想は妄想、思い込みの要素が強いので、
あまり信用なさらないように。(゚▽゚*)
谷川俊太郎の詩『ゆうぐれ』から柳田国男の文章に言及し、この名文を読み返す
機会を与えてくれたことに感謝いたします。
86
:
名無しさん
:2025/10/27(月) 16:52:05
>>85
いえいえ、こちらこそ。いつか読んだ夕暮れを、こういう場所で共有できるとは思いませんでした。ではでは。
87
:
( ´・ω・`)
:2025/10/28(火) 15:39:58
>>86
さんも、気が向いたらでいいので、
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12252/1506108191/
で雑談しているから来てね。
強制じゃないよ。
したらばはURL貼れないので先頭にhつけてね。
88
:
元文学青年の俺
:2025/10/29(水) 11:10:18
それにしても急に寒くなったな。
急遽、コタツを出した。ついこの間しまったばかりという感覚だけど。(゚▽゚*)
89
:
( ´・ω・`)
:2025/10/29(水) 14:56:34
私も数日前からハロゲンヒーターを入れて部屋をほっかほかにしている。
(日本列島の中では暖かい部類に入ると思うんだが)
二人とも文学に造詣が深くてよいな。
同じシーンを分かち合えるということは同じ本を読んでいてもあまりないんじゃないかと思う。
(なお私はマイペースを貫く予定。だけどこうして書き込みを読もうと思えるのは私には楽しいことだ。どこかで本屋や図書館で、ここの書き込みを思い出すこともあるだろう)
90
:
名無しさん
:2025/10/30(木) 00:20:17
雑談スレ、すこしは遡って読んでおかないと失礼かなと思って眺めていたのですが、ラカンとフェミニズムについての私の無知に気付く次第。
同じく、文学への造詣と言われるといやはやなんとも。最近は特に本が読めていないのでお恥ずかしい。
91
:
( ´・ω・`)
:2025/10/30(木) 05:55:00
>>90
その名無しはここを作った人でな。
何年も前にいなくなってしまった。
自分で自分を治すために精神分析(フロイト→ラカンかな)頭に入れてしまう天才。
フェミニズムもだいたいその人の書き込みだな。
私は元"私"で頓珍漢な返答をしている(笑)
彼女の書いてたことをもう少しわかるようになりたいとは今も思っている。ラカンの本はだいぶ積んだままだが。
量子力学が一番興味として私に残ってるかな。
フェミニズムも遅ればせながらほんの少しずつ勉強しているが用語が追いつかないな。
経済学のこととか、彼女はともかく色んなことに対しての理解が深かったな。
私は興味が拡散しすぎるのでな。もう少し腰を落ち着けたらと思うんだが。年齢的には彼女に追いついてしまったんだろうなあ。
本は読める時に読むのが一番楽しく読めるから、5行ずつなどでもいいし、疲れて読めない日が多くあるのが社会人だと思うよ。私は時間がたくさんあっても一日5行の時もよくある。
めっちゃ長文すまん。
92
:
元文学青年の俺
:2025/10/30(木) 10:22:15
>>89
>二人とも文学に造詣が深くてよいな。
いや、自分は造詣が深いとは言えませんね。元は文学青年らしくはあったけど、社会人に
なってからは本が読めなくなった(もちろんこれは言い訳にすぎないけど)。今、多少
時間に余裕が出てきて、読むべき本を読もうとしている。
いわば、青春を取り戻そうとしている。(゚▽゚*)
>同じシーンを分かち合えるということは同じ本を読んでいてもあまりないんじゃないかと思う。
確かに柳田国男の件はビックリしました。こういうこともあるんですねー。
>私はマイペースを貫く予定
こちらもマイペースでいかせていただきます。すぐに書き込みに対応しないこともある
でしょうが、ご勘弁を。(゚▽゚*)
93
:
元文学青年の俺
:2025/10/30(木) 10:23:46
>>91
>自分で自分を治すために精神分析(フロイト→ラカンかな)頭に入れてしまう天才。
そういえば、精神分析学者の岸田秀氏も、自分の病的状態を理解するためにフロイトを
読みだしたようですね。
ラカンやフェミニズムには自分はまったく無知であるなあ。
94
:
名無しさん
:2025/10/31(金) 03:22:59
昔、岸田秀さんの本を一冊だけ読んで、こんなになんでもかんでも幻想と言ってたら病むよなぁ、と思った記憶あり。ひどい感想です。
名無しの天才さんに、色々聞いてみたかったなぁ。私は河合隼雄と中井久夫を一時期夢中になって読んで満足してしまったけれども、フロイトとラカンかぁ、ふーむ。
本読むのにも夢中期と惰性期があって、ガラケーからスマホに変えて以来、惰性期にはスマホを触ってしまう。いつかスマホ断ちをせねば。
95
:
元文学青年の俺
:2025/10/31(金) 16:07:20
>>94
> 〜 岸田秀さんの本を一冊だけ読んで、こんなになんでもかんでも幻想と言ってたら
病むよなぁ、と思った記憶あり。
そうですね。岸田さんの見解、ちょっと割り切りすぎでは、と思うこともあり、警戒して
います。と言ってもたくさん読んでいるわけではないですが。
でも、その『ものぐさ精神分析』のシリーズに収められている三島由紀夫論や太宰治論は
非常に面白く読めました。
また、その世界観は若い頃の自分にはやはり衝撃だった。
96
:
( ´・ω・`)
:2025/10/31(金) 22:22:01
いざ返信となるとまだ緊張があるのか、固まってしまう人みしりー。
私は気分で本を読んでいるところがあるので、どんなに偉い人でも人のスケールで決められた本を読むことが全くできない人間なのがある意味悩みでな。
友達に借りた本(面白いよと貸してくれた本)はたいてい読み切らずに返していて、それが後々大ヒットしていたりしたなあ。
だからというか、文学の徒には憧れがあるよ。
ひとつのことを研究できる人に対する憧れというのかな。
97
:
( ´・ω・`)
:2025/10/31(金) 22:38:20
岸田秀さんは本棚で見かけただけで、本文にあたってはいないと思われる。文豪について語っていることや、日本で独特の理論らしいところが気になります。
>>94
さん
河合隼雄と中井久夫って、つよつよじゃないですか。
夢中になって読んだというのはすごいことだなと思います。
河合隼雄は『影の現象学』を読みました。ドッペルゲンガーの他の言い方をたまにふざけて言っている。二重身について心に強く残ってます。あと小川洋子との対談。
中井久夫は20代にトラウマってた時に『徴候・記憶・外傷』を大枚はたいて買いました。でも覚えているのはアカシアの並木のところだけという始末。最近は分裂病についての記述に関心を向けてます。
フロイトは偉大だけれど、ユングが好きな私。
10代の終わりに離人感について調べていて木村敏の昔の本を図書館で少しだけ。
あとはエヴァンゲリオン直撃世代なのでR・D・レインの『引き裂かれた自己』読みました。
人間の心の仕組みって、解りそうで解らない。
まだまだ考え中……。
98
:
( ´・ω・`)
:2025/10/31(金) 22:52:14
人並みに7時間15分(足す45分分の休憩)働いていた時は、小説の学校卒業した後のゼミの、月たった2枚(400字詰め)の小説の課題さえ疲れて出せなかった。
一応、講師であった先生の必読書は頑張って読んでましたが(エンタメ系の学校だったので現代の小説が多かった)、それでも全部を読破するとか、何作品もどんどん書くという努力家でもないのは、より優秀な同期生を見てるとわかるもので。
そのうち小説自体が書けなくなって、去年の夏頃に25年ぶりくらいに長いまとまりのお話を書き始めたところです。
今はもう、開き直って、そのように(優秀な友達のように)ならなきゃならないという気持ちはだいぶ捨てましたが。
人生リハビリ期のほうが長くなってきたので、周りにもマイペースを勧めてますよ。
ほええキャラ変してる。
自分語り長くなってスマソ。
今日はこのスレッドと本スレとで引用されている部分とその元の本をタブレットのメモにまとめていたところ。
集中して読むのに視認性を上げないといけない体質。
本の題名のメモを取るとか、そういうこともやっと最近またできるようになりました。
99
:
( ´・ω・`)
:2025/10/31(金) 22:54:31
長いので適度にかっ飛ばして下さいませ。( ´・ω・`)ノ
100
:
( ´・ω・`)
:2025/10/31(金) 23:15:58
>>96
人見知りyみたいな発音でヨロシク。
101
:
名無しさん
:2025/11/01(土) 08:35:31
岸田秀の太宰治論、気になる。待てよ、と物置をゴソゴソ。なんと昔読んだ本の中に「太宰治論序説」が入っている。あぁ忘却は恐ろしい。後で読〜もうっ、と積ん読がまた増えてしまう。
中井久夫とトラウマ、といえば訳書でハーマンの「心的外傷と回復」が良書でして、
「よい治療者とは私の体験をほんとうにまともに取り上げて確認してくれ、私が私の行動をコントロールできるように助けてくれる人のことで、私をコントロールしようとする人のことではない」
というサバイバーの言葉が取り上げられています(うろ覚えだから原文にあたった)。本当は白眉の部分を引用したいのですが、センシティブな内容なのでこちらを引用。興味を引けば幸いです。
木村敏さんの本も、昔一冊読んで撤退。敏さん、頭いいしホンモノなんだろうけど、ムズかしいよぉ。レインも読まなきゃなぁ。でも心理学の源流辿りって果てしないし。
102
:
名無しさん
:2025/11/01(土) 09:58:58
小説を書いておられるのであれば、「こころの声を聴く 河合隼雄対話集」の村上春樹との対話などが面白いかと。
村上
(前略) 僕の書く小説というのはリアリズムじゃないものが多いんです。ただ、そのほうが僕にとってはリアルなわけです。リアルなもののほうがリアルじゃない。非リアルに書くほど僕にとってはリアルになるということがあるわけですね。
河合
例えば河合というけしからんやつがおった。腹立ったから怒ったという話をしてもあんまりみんなに説得力がない。河合という人は年齢をカサに着て偉そうなことを言っておったでは、「あ、そうですか」ぐらいになるわけです。ところが年寄り怪獣カワイが現れて、後ろからおぶさってきた――そしたら、それはもう突いて殺さないと仕方ないなというふうによくわかる、それが物語なんですね。そっちのほうがリアルなんです。
物語を書くことについて、これ以上平易な説明を私は知らないので、ここに引用してみました。あ、ちなみに私は村上作品を未読です。
103
:
元文学青年の俺
:2025/11/01(土) 11:38:30
・
>>96
>私は気分で本を読んでいるところがあるので
それは自然な反応なので、それでよろしいんじゃないでしょうか。
・自分はラカンもフェミニズムも知らないし、河合隼雄と中井久夫も読んだ
ことがないなあ。
読書人として、まったくお恥ずかしいかぎり。
中井久夫氏はヴァレリーの詩の翻訳者として非常に気になる存在ではある。
いったん、ここまで。(゚▽゚*)
104
:
( ´・ω・`)
:2025/11/01(土) 22:28:49
お二人ともありがとうございます。 '-')
私の文学コンプレックス(なのか?)は一旦懐に仕舞っておこうと思います。
また来ますね。( ´・ω・`)ノシ
105
:
元文学青年の俺
:2025/11/02(日) 12:55:53
>>103の続き
・さらに付け足すと、ユングも木村敏もレインも読んでない。(゚▽゚*)
・>>98
> 〜 小説の学校 〜
おや、小説を教える学校に通っておられたんですか。若い頃けっこう力を
入れていらっしゃったんですね。
・>>102
ここの河合氏のたとえは実に見事ですねー。
106
:
元文学青年の俺
:2025/11/02(日) 12:57:24
>>104
>私の文学コンプレックス 〜
関心の向く方向が違うだけでしょうから、気になさる必要はないでしょう。
こちらも、(´・ω・`)さんの精神あるいは心理の微妙な領域に踏み込み、それを
きちんと言語化できていることに驚嘆しています。
自分は精神分析学、心理学方面については、まったく議論相手になれないですね。
残念。
107
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 13:23:32
あ、やっと起きて何書こうか考えて、ごはんを食べていたら合間に元文学青年さんが来ていた。どもども。
108
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 13:34:52
>>101
さん
>積ん読がまた増えてしまう。
ふふふ。本は寝ている間に増えるのです。一冊見かけると三〇冊は……。
109
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 13:35:23
ここからが長文になりそうなので一回投稿。
110
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 14:03:15
>>101
さん
> 中井久夫とトラウマ、といえば訳書でハーマンの「心的外傷と回復」が良書でして、
ハーマンの『心的外傷と回復』あります。
111
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 14:19:23
>>102
これを読むと、私はきっと物語の中のリアリティのほうが好物なんだなあ、としみじみ思います。
(歳を重ねて、やっと現実のほうのリアリティ寄りの描写も良いなあと思えるようになってきていますが)
ふむー。どことなく純文、エンタメやSFファンタジー畑、またさらにライトノベル、とジャンル(ととりあえず言いますが)が分かれるごとに読者(時々著者)のほうも戦争しがちなのは、このリアリティの表現方法の違いに鍵があるのかなあ、と仮説を立ててみたり。
私は表紙の視認性の問題でここ20年くらいライトノベルがうまく探せなくなりましたが、どれも好きなので、戦争するなよーと思っています。
112
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 14:19:55
>>110
ぎゃー長文が消えている。
113
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 14:22:07
投稿しなおし。
>>101
さん
> 中井久夫とトラウマ、といえば訳書でハーマンの「心的外傷と回復」が良書でして、
ハーマンの『心的外傷と回復』あります。
114
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 14:23:07
うーん、したらばお前もか。
>>101
さん
中井久夫の『徴候・記憶・外傷』とこれの二冊が、実家から持って出た数少ない鈍器本(鈍器とまでは言えない)で。とはいえ、買ったのが事件の数年後で、真ん中までも読めていないはず。職場のロッカー室で、カバーを外したこれを読んでたな、とか変な記憶ばっかり(笑)
引用、ありがとうございます。センシティブとのことで、よかったらページ数と行数を教えて下さい。本自体は実は今蔵書が全て段ボールの中に閉じ込められているというありえん状況なのですが、出てきたら当たりたいと思います。
私が印象に残っているのは、支援者が被害者の代わりに怒ってはならないという部分で、それを読んだあとに、自力で精神の医者にかかるためにかかりつけの内科医に事情をお話ししたのですが、その方は普段穏やかで朗らかな人なのですが、そのあとずっとご自身の医院の中をぐるぐる円を描いて歩き回っていて。
ああ多分私に起きたことに怒っているのだ、と思い、そうすると自分の無感動だったはずの心に、深い怒りの蓋が開くようで。ハーマンはきっと被害者の主体性の話をしているのだと思うのですが、こういうこともあるのだな、と思いました。(ただ、その先生が無言で怒ってくれたこと自体は、後々も私を心の中で救っています)
>ムズかしいよぉ。
わはは。私はええかっこしいなので、101さんの真似をしよう(笑)
あの時は必死だったのですが、確かにその後、木村敏を積極的に読み通そうとしたことがない。むずかしいよう。
115
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 14:42:49
>>103
私は本当、本屋さんという野(ではない田園だ)に放たれた本の虫で、あっちこっちでガサゴソしているうさぎみたいなものです。紙もかじるし。
(この辺はおそらく親のお陰で地の利には恵まれていた)
本屋および図書館の棚を「読む」のが好きなので、ヴァレリーと言われて「ポール」と出てくるのですが、それがフランスの人かなあくらいで、どこから来たどんな立ち位置の人かはたぶん覚えようとしても覚えていられない。
私はアスペルガーなのですが、それゆえに人間自体に興味を持てないのかな? という仮説を立てています。大好きな漫画家の写真付きインタビューを友達にもらって、写真はいらぬ! と内心怒っていたほど狭量(あ、きょうまでなんでか『さいりょう』と読んでいた)。
ただ、さすがに歳を取る間に人間を愛おしくも思いますし、学習もするので、この傾向は比較的には薄れてきた。割にはやっぱり、本を読む友人と交流を本についてしなかったので即応性がないのと、経験が足りないのに外見はいい大人という。
青年期を丸々病と家のことに費やしたことと、大学に行かなかったことも大きいでしょう。
この辺りは私のメカニズムとして説明しておきたいだけなので、変にかしこまるのはやめておくことにします(笑)
『読んでいない本について堂々と語る──』ことは難しいけれど(笑)、固有の人生について誇りを持っていよう。
116
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 14:55:53
私が始めたことかなと思いますが、人間が読める本の数と興味の幅には限りがありますので(本と知識の量に比して)、知らないことや読んでいないことはなにか技の名前みたいなものがあれば便利ですね。2文字くらいで済みそうな。投了、みたいな。
( ´・ω・`)ノしていたのは私の素の顔が( ´・ω・`)なので、( `・ω・´)ノシにしておくべきかもしれない。
メカニズムとして私は、まず長居していい自分の部屋ができたのが36歳くらいの時で、幼い頃から自室というものを持ちませんでした。
そこからまた今の歳まで自分の机(折りたたみでない)を持っていませんので、なんとか今の狭い家で書斎を作ろうと思います(本棚高いよう!)。
親兄弟からの本棚の継承もほぼなく、あと頭の作りは日本人の平均指数です。
で高校2年くらいから鬱をやっており、境界線のない家族から脱出するのに34年かかっています。(蔵書をほぼ実家に置いてきて、捨てるぞ攻撃でだんだん減っています)
そんなメカニズムなんで、今の目標は今の部屋の本を段ボールから出してなるべく見えるように分類すること、ですね。面倒臭がりなので抜き書き帳なども作らず(若いうちに分かち合える人がいたらそうしたやもですが)、目の前のことに猛突進してしまいがち。
私の取説こんなかんじです。
あ、あと元文学青年さんのスレッドの主旨と逸れるようでしたら(思いっきし逸れてる)、連投規制スレに移るか、本のよもやま話スレ立てますけれどどうします??
117
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 14:57:03
>>105
ここは、また夕方かあとに書きにきます。
長文連投タイプですみません。結構よそでいつも叱られて一日で消えてます。w
118
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 14:57:33
>>106
未レスメモ_φ(・_・
119
:
名無しさん
:2025/11/02(日) 15:28:53
>>114
「第二部 第十一章 共世界」の「想起と服喪追悼のためのグループ」の中のグループ内での話し合い。367ページのメリッサ〜369ページのキラまで。
人間が発した美しい言葉の記録。
元文学青年さんにとっては、思わせぶりな書き込みになってしまってスミマセン。
ヴァレリーの中井訳、未読なんです。「ヴァレリー」の名前にびびって敬遠してたのかもしれません。またいつか読んでみます。
120
:
( ´・ω・`)
:2025/11/02(日) 17:29:41
>>119
名無しさん、ありがとうございます。
家で出てくるより絶対早いので、図書館で当たってみますね。
サンキューデス。
121
:
名無しさん
:2025/11/02(日) 17:55:53
>>120
手持ちの本は旧版なので、増補版とはページ数がずれるかもですが、まあその辺り、ということで。ではでは。
122
:
元文学青年の俺
:2025/11/03(月) 12:59:30
■
>>107
どうも。
書き込みをした後は、いろいろやることがあって、すぐにこのサイトから
離れました。
その後、また覗いてみましたが、レスの内容を考えてその応答を書き込む
余裕がなかった。すれ違いですねー。
■
>>108
>本は寝ている間に増えるのです。
最近聞いた話ではダントツに怖い話だなあ。 (゚▽゚*)
■
>>114
>職場のロッカー室で、カバーを外したこれを読んでた 〜
これは間違いなく周りから浮いてますね。あはは。 (゚▽゚*)
■
>>115
>私はアスペルガーなのですが、それゆえに人間自体に興味を持てない
のかな? という仮説を立てています
ふーむ・・・。自分もひょっとしたらアスペルガーの傾向があるかもと
思っています。
真実を知るのが怖いので、追究しようとはまだしていませんが。
■>『読んでいない本について堂々と語る──』ことは難しいけれど 〜
「読んでない本について堂々と語る」のは俺の得意技である。あは。(゚▽゚*)
評論文はそれなりに読んできたし、文庫目録を読むのが好きだった。
それで、読んでないのに、あらすじは知っていたり。
いったんここまで。
123
:
元文学青年の俺
:2025/11/03(月) 21:58:37
>>116
>なんとか今の狭い家で書斎を作ろうと思います
>今の目標は今の部屋の本を段ボールから出してなるべく見える
ように分類する
「書斎を作る」ってワクワクしますよね。男性雑誌でも特集がよく
組まれたりしています。
頭の中で空想しているだけでも楽しい。(というか、めんどくさいので、
実際は空想するだけで終わってしまうけど。それに、そもそもお金がない)
124
:
元文学青年の俺
:2025/11/03(月) 22:00:56
>>116
> 〜 連投規制スレに移るか、本のよもやま話スレ立てますけれどどうします??
自分は特に気になりませんが、確かに文学板から来る人などは、文学以外の
話題が続くと困惑するかも。
ある程度逸れた話題が続き、なおまだ続く感じなら、「以後は別の〜のスレで」
と誘導すればいいのでは?
このサイト自体が(´・ω・`)さんとは別の人が立てたようなので、いっそ
(´・ω・`)さんが新たに別の「板」(サイト)を立ててもよいかもしれない。
そうすれば、設定などが自分の好きなようにできるし。
おまかせします。
125
:
元文学青年の俺
:2025/11/03(月) 22:01:49
>>119
>元文学青年さんにとっては、思わせぶりな書き込みになってしまって 〜
いえいえ、お気になさらずに。
126
:
( ´・ω・`)
:2025/11/04(火) 01:03:20
>>105
>読んでない
( `・ω・´)b✨
127
:
( ´・ω・`)
:2025/11/04(火) 01:04:19
( `・ω・´)b✨
128
:
( ´・ω・`)
:2025/11/04(火) 01:12:29
>>105
( `・ω・´)b読んでいない✨
129
:
( ´・ω・`)
:2025/11/04(火) 01:13:13
なんの言明(笑)大会なのか。
消えまくる書き込み。(つД`)ノ
130
:
( ´・ω・`)
:2025/11/04(火) 01:13:52
>>105
↑でこれから行きます(笑)
未読の言明自体は別に悪くないのだ。
>小説の学校
あの頃はよくもよくも愚かで直向きで(今もあまり変わってないやも)学歴のこと全くを考えていなかった。
それはさておき、その先の私の夢は小説で食べていくことだった。
親家族に目に見えるもの聴こえるものを腐され笑われるなかで、体育座りの膝の上で書く小説だけが自分の想念を表現できる場所だった。
親の金で行っているので青春の主張もお察しなのだけど、皮肉は言わないでおこうね。( `・ω・´)
生き足りない感じだったので少し返信しにきました。
今日は寝ます。
(消えた書き込みを脳から復元)
131
:
( ´・ω・`)
:2025/11/04(火) 01:15:30
おそらく半角の>を使用するのがいかんのだね。
下書き保存気をつけよう。
132
:
( ´・ω・`)
:2025/11/04(火) 01:16:02
(。-ω-)zzz
133
:
( ´・ω・`)
:2025/11/04(火) 01:25:12
(のちに、就職などで、短大に持ち上がっておけば良かったなとは思うのですが、私にとって人生に起きたことは不可逆なので(その価値は未来において変わるにしても)、あの学校で出会えた人たちからもらったものは今も大切に思います。師は若くして亡くなりましたし、連絡を取る人はほとんどないのですが、一つの体験の濃度として、現役の編集者に赤を入れてもらいながら作品を書けたことも、同志が周囲にいたことも、かけがえのない生の体験でした。可能であればその井の中の蛙の成功体験を上書きする作品を書きたいですね。長生きしよう)
134
:
( ´・ω・`)
:2025/11/04(火) 01:26:30
(。-ω-)zzz
135
:
( ´・ω・`)
:2025/11/04(火) 17:41:25
寝起きにちょっと私の自分語りが過ぎてきたなと思ったので、ハーマンの本を当たってきたり、引用について何か感じた時にまた着込みに来ることにした。
今日は昼夜の寒暖差がありそうだから皆お大事にな。
ノシ
136
:
( ´・ω・`)
:2025/11/05(水) 11:09:39
>>106
>精神あるいは心理の微妙な領域に踏み込み、それを
きちんと言語化できていること
そう言ってもらえると、少し自信がつきます。
少し前に読んだ漫画に「立ち向かう」という言葉があったんだけれど、私は何もできないでずいぶん長いこと人生を浪費してしまったような気になることがあるんですが、立ち向かってきたのかもなあ、とそれを読んで思いました。
言語化だけが私のできることで、そろそろ架空のお話を書かねばならないというか書きたいのですが、言葉にしてきたことが誰かの役に立ったらいいな。
眠い(。-ω-)z
137
:
元文学青年の俺
:2025/11/05(水) 14:10:15
>>135
>今日は昼夜の寒暖差がありそうだから皆お大事にな。
どうも。
昨日は野暮用で街中に出た折り、道を歩いていると金木犀の香りが漂っていたり。
またこの時期がやってきた。急に寒くなってもう冬かと思うほどだけど。
>>130
と
>>133
の書き込みを拝見すると、
「若い頃けっこう力を入れていらっしゃった」というか、かなり本格的に
取り組んでいらっしゃったんですね。
138
:
元文学青年の俺
:2025/11/05(水) 14:56:12
>>136
に関連して書きたいことがあるのだけど、また後で。あるいは明日になるかも。(゚▽゚*)
139
:
元文学青年の俺
:2025/11/06(木) 13:51:13
>>136
に関連して。(
>>136
に対する直接的応答ではありません)
>>56
で、芸術家は「虚無」・「世界の無意味さ」・「世界の無関心」、あるいは、これに
由来する人間の感覚・感情としての世界の「不条理」・「醜悪さ」にあらがって「秩序」と
「美」を構築しようとするというようなことを書いた。
ものを書くというのは、混沌たる世界に形を与える行為である。形を与えるというのは
「秩序」を与えることを意味する。そして、「秩序」とは「美」とほとんど同義である。
すなわち、ものを書くことによって、人は世界の「虚無」・「世界の無意味さ」・「世界
の無関心」にあらがい、「秩序」と「美」をもたらして世界の「不条理」と「醜悪さ」を
減らしている。
以上が一応自分の基本的な考え方である。
(続く)
140
:
元文学青年の俺
:2025/11/06(木) 13:53:43
上の
「ものを書くというのは、混沌たる世界に形を与える行為である」
について、少し補足しておきます。
丸谷才一氏の『文章読本』には次のような一節がある(大岡昇平の小説『野火』の中で、
主人公から銃を撃たれて、ある人物が逃げまどう様子を2段落ほど引用した後の箇所)。
--------------------------------------------------
男の走り方は、うんと厳密に言へば、ローマ字のSよりはむしろ発音記号の∫に近かつた
かもしれない。「私」の射撃はまつたくの「いい加減」ではなく、「いい加減」よりは
だいぶ丁寧だつたかもしれない。男が銃声を聞いて「一層慌しく櫂を動かした」のは、
「私」にさう見えただけで、実はすでに全力を盡して漕いでゐたため、それ以上はとても
無理だつたかもしれない。が、うるさく言い立てればさういふことであったかもしれない
のに、大岡はごくあつさりと、引用文のやうに書いたのである。これほど断定的に「私」
が見、わたしが感じたはずはないが、しかしこれほど断定的に作者は書いた。しかしその
書き方は虚偽でもなければ誇張でもない。彼は乱雑な現実を整理し、方向づけ、秩序づけた
のである。もし彼がさうしてくれなかつたなら、われわれは世界を手に入れるのにひどく
手間取り、その輪郭と色彩はぼやけてゐて何が何だか判らず、つまり、現実と対面する
ことはできなかつたらう。文章とは、混沌たる現実に迷ひながらであらうとも、しかし
それを、その昏迷をさへも鮮明なかたちで提出するものなのである。その場合、もしその
明晰さが結果的に欺瞞となるならば、それは明晰さの質が劣悪なものだつたといふに
すぎない。そして『野火』の文章の明晰さは、わたしが改めて保證するまでもなく、極めて
質の高いものだ。それは、砂浜を走る走り方や、射撃の入念さや、櫂の動かし方に関してと
同じやうに、軍隊や孤独や罪や神についてもまた正確に叙述し描写してゐる。
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141
:
元文学青年の俺
:2025/11/06(木) 13:56:29
ということで、
>>139
に戻る。
以上のようなわけであるから、ここであらためて言っておきたい。
ものを書ける人間は書けばよかろう。
それは、混沌たる世界に「秩序」と「美」をもたらし、世界の「不条理」と
「醜悪さ」を減らす行為にほかならないのであるから。
142
:
( ´・ω・`)
:2025/11/06(木) 17:21:26
丸谷才一『文章読本』_φ(・_・
メモしたA6ノートがたぶんそこにある(笑)
ちょっとお休み期間にして好きな物語を読んでおります。
体力つけてバリバリ書きたいー
143
:
元文学青年の俺
:2025/11/07(金) 12:00:17
>>136
>言語化だけが私のできることで 〜
別のスレの方で、やはり心理的に微妙な領域に踏み込んで議論してますね。
ああいう議論ができるのはすごいなーと思ってます。
(それにしても、話題が微妙なだけに、つくづく一般的な「言語による
コミュニケーションの難しさ」(あるいは限界)というものを痛感させられます)
144
:
名無しさん
:2025/11/07(金) 19:09:43
>>143
こんばんは。
「言語によるコミュニケーションの難しさ」(あるいは限界)
私は掲示板書き込み初心者なのですが、非言語的なものを使えないので本当に難しく感じます。
私もしばらくお休み期間に入ります。元文学青年さんのおかげで、休眠状態だった読書欲に火がつきました。
どうもありがとうございました。
145
:
元文学青年の俺
:2025/11/08(土) 11:20:27
>>144
うーん、どう言ったらいいのか・・・
あえて何気ない風を装わせていただくことにしよう。
「お休み」ということなので、また書き込みをしてくださることをお待ちして
おりますよ。
こちらこそこれまで啓発されるところが多々ありました。ありがとうございます。
146
:
( ´・ω・`)
:2025/11/13(木) 08:49:42
文学青年さんはパソコン壊れたのかな?
風邪流行ってるんでお大事に。
147
:
元文学青年の俺
:2025/11/14(金) 11:37:47
>>146
どうもどうも。
いや、自分も何となく「お休み」したいような気分になっていました。
それと、一昨日から身体の調子がよくなかった。
これが本来の持病の一症状であるとすれば、入院の可能性も考えなくてはならない
ところでした。
今は落ち着いて、ちょっと一安心。 (゚▽゚*)
148
:
元文学青年の俺
:2025/11/14(金) 11:44:25
それにしても、こちらは単にひっそりと暮らしたいだけなのに、パソコンが不具合を
起こしたり、体が不調に陥ったり、なじみのお店が突如閉店していたり、と、とにかく
物事がスムーズにいかない。「世界の悪意」を感じる。
やれやれ、これがこの世で生きるということなのだ。(゚▽゚*)
149
:
元文学青年の俺
:2025/11/14(金) 11:49:19
書き込みついでに、そのうち挙げようと思っていた文章もこの際貼り付けておこう。
>>83
で、「あっさりした書き方、坦々とした叙述が逆に極めて深い印象を残す」と書いた。
その時、何か具体例はないかとちょっと考えたのであるが、ようやく思いついた。
漱石の『坊ちゃん』である。その末尾の文章。
いわゆる「ネタバレ」になるけれど、あまりに有名な小説だから勘弁していただこう。
↓
150
:
元文学青年の俺
:2025/11/14(金) 11:51:29
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清(きよ)の事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、
革鞄(かばん)を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よく
まあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、
もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。
その後ある人の周旋(しゅうせん)で街鉄(がいてつ)の技手になった。月給は
二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが
気の毒な事に今年の二月肺炎に罹(かか)って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで
坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで
坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向
(こびなた)の養源寺にある。
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151
:
元文学青年の俺
:2025/11/14(金) 11:53:24
最後の一文の「だから清の墓は小日向の養源寺にある」は読者の心に深い余韻を残す。
「小説の終わり方とはこうでなければならない」と思わせる見事な締め括りである。
何度読んでも感心するが、とりわけ、「だから」という何気ないつなぎ方にはうなる
しかない。
後年、やはり井上ひさし氏がここを激賞していたことを知った。
(そして、俺の文章鑑賞力も捨てたものではないと思った。はは)
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