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悟りを目指している方

1ラピ。:2013/07/16(火) 21:50:18
悟りの状態は目指して至れるものではありません。
なぜなら、悟りを目的とすること自体、
悟りを遠ざけてしまうからです。

でも日々、頑張っている方の書き込み、お待ちしています。

124ラピ。:2013/09/02(月) 21:12:46
☆ゆうこたん

レディ・ジガ様(笑)座布団一枚!

ゆうこたん実践がんばってるね。
なかなかいい感じで進んでいるようです。

この実践の恩恵のひとつが ゆうこたんも経験されているとおり、
「自己嫌悪」とか「罪悪感」という
自我の得意な思いを経験しなくてすむことです。

この自己嫌悪は実践の妨げになります。
いらない感情です。

これからも「下から」「喜んで!」をますますがんばって!

ゆうこたん、ナイス一句w
まさしくそうです。

嫌なことこそチャンス。
大変なときこそチャンスです。

このままゆうこたんは 実践を結構うまくこなしていくと思います。

そしてさらに実践し続けて最大の嫌なことに出会ったときが
最大のチャンスとなります。

このまま、とことんレッツゴー!!だよ!

by レディ・ラピ。(ってなんじゃそりゃ〜。 真似してみた 笑)

@(*・ω・*)ポッ

125TK:2013/09/03(火) 06:57:25
ゆうこさん

>「へい、らっしゃい!喜んで!」と次々躊躇なく・・・
>
>という境地には至っておりませんがっ

着々と効果が上がっていますよ。

「自分を捨てて、なんでも心から喜んでしよう。」の中で「心から喜んで」
とありますがこれは意識的にという事を指します。

至った我々には心が無い(無心)のです、
ここまで来ると現代の心理学も旧人類の為の学問分野みたいになってしまうわけですが、
最終的に彼岸まで導くのは「意志の力」です。頼りすがれるのは「意志の力」だけなのです。

心(内面)を滅ぼす事が彼岸です。

「意志の力」で「心の好き勝手」に心を動かさせない。

心の動きに「意志の力」で勝つと言うつもりで喜んで感謝してを実行して下さい。

スピ系あたりだと、不愉快な思いに対してはただ黙って見守ってとやると思いますが、
妄想とマインドを駆使して全く構いませんので
「神の化身が私のために試練を与えてくれていてありがたい、感謝」
とか何でもいいですので、感謝して喜んでをやって下さい。

私自身は神を念じる方法を使いました。

重要な点は、「心の動きたがるままに心を動かせてなるものか」と言う所にあるのです。

この前monicaさんの紹介していただいた動画の女性がこの実践の手本になると思います。

あの中の男性と女性の話ししている妄想の内容は全く気にしなくていいです。

ようは何でもいいんです。

ちなみにあの動画のように妄想も使う者が使うと効果が出ますが、
同じ妄想でも人が変わったら酔っ払いを作ります。

あのような妄想も、
はたで見ている訳も分からない者が有難がって持ち帰ると大変なことになります。

本末転倒で、妄想の妄想性のみが独り歩きをして、
これがスピ系の酔っ払いを作る発生源になったりしているわけです。

だから、賢者の吐き捨てた言葉と言えども、訳の分からない者が、
むやみやたらに拾って使い回せるものではありません。

盲人が盲人の手引きはできないのです。

人生を捧げます
http://www.youtube.com/watch?v=bBwhMCBP5KY

>もう既に、いろんなことがありました。
>焼き尽くす炎の体験。
>その中でさえ喜びなのです。
>制限と苦難に満ちた瞬間でさえ、
>試練の炎には喜びがありました。

126ゆうこ:2013/09/03(火) 20:08:28
TK様らぴたま、コメント感謝です(#^.^#)

>自己嫌悪は実践の妨げ・いらない感情
さっそくメモりました。

実は今、仕事で一番にがい感情が、ソレなんです^^;(私ってだめだっていう)。
なので、「あ〜仕方ないな、ジガ様は。」っていうスタンスで
どうにかやり過ごしてます・・

>最大の嫌なことに出会ったときが最大のチャンス

こりわ・・

もう、楽しみにしとくしかないですね!w

昨年、珍しく救急にお世話になる不調期があったんですが
夜中のたうちまわる苦しみが数日続いたある日
痛い肉体のナナメ上から見てる自分がいて
「あ〜、痛いねぇ〜、大変だねぇ〜」とか人ごとのように言うんで
ちょっと、ラクになりました、気持ちだけ。
へんな話ですけど。

だから、最大のチャンスが来たとき、また空中離脱してるかもですw

数年前、
金融から→
いきなり(こどもの寝てる時間の)夜中の肉体労働にチェンジしたとき
(中庸は ないんかい!というつっこみは置いといてw)

足指の爪が両方剥がれましてねぇ

・・・でもなんか、生きてるぅ♪っていう感じはしましたし・・。
(それまで灰色だった視界に血の気が戻ったような?感じでした。
・・・血を見ただけに。w)

で、そのとき、頭に浮かんでいたのは、聖書の一文でして。


「私を通りよき管として、お使い下さい」っていう・・。

若い頃、ちょっとかじっただけの、ナンチャテ・クリスちゃんですが
その感覚を友達に話したら、
「そーゆー考えはどうかな」って否定されまして。

その時は、「そうだよな、なんか独善的かもな。」と思い
そのハード・コア路線から、中級クラスに編入しまして今の仕事なんですが。

「遊びがないのは偏屈、きゅうくつ」
っていう価値観も行動に水をさしていて、
無理やり人と会ったり遊びに行ったり・・。

・・・それが、今、
上でTK師がおっしゃった
>私自身は神を念じる方法を使いました。
という言葉で、なんだか、肯定された感じがしています。

『自分=導管』のイメージは心の奥にしまってあったんで
なるべく、すすをはらって、「天と地球をつなぐキレイな管になりたい」
という想いを、
聖句と共に、堂々と引き出しから出そうと思いました。

人に会うのは好きなので、
これからは、いろいろ考えずに
すーっと、いろんなものを抵抗なく通したいと思います。

3月に買ったポストカードは
黒い点々のある白い壁の前にダルメシアン犬(白黒斑点の子)がいる写真で
https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&ie=UTF-8&hl=ja&rlz=1T4SUNC_jaJP386JP483&q=%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AF%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%80%80%E6%BB%85%E7%A7%81&biw=1005&bih=453&sei=F7MlUpjJFMeGkQWem4CgCw&tbm=isch#facrc=_&imgdii=_&imgrc=G_C7wqShNg8znM%3A%3Bwja6OfcGHIGSiM%3Bhttp%253A%252F%252Fimgstat.ameba.jp%252Fview%252Fd%252F110%252Fstat001.ameba.jp%252Fuser_images%252F20130501%252F07%252Fprop-company%252F54%252Fd2%252Fj%252Ft02200293_0480064012520673939.jpg%3Bhttp%253A%252F%252Fameblo.jp%252Fprop-company%252Farchive-201305.html%3B110%3B110
タイトルが『滅私』なんですね。

この、背景に溶け込んだ犬の体の模様が、
ドット(粒子)、
という所も、何やら深くて好きなイメージなので
布団の側に飾って朝晩見てるんですけど

そういう、
『在るだけで平和で自由』という感じを受けました、ご紹介頂いたYoutube観て。

ま、これまで思い切りエンジョイできたジガ様ライフです。

「年老いたから、これからは神に捧げる」
を自でいくことにしますw

ナンチャテ・クリスちゃん的に、
残念ながら捧げる対象はキリスト様でなく、

宇宙みたいな感じのイメージです。

普段は、ストイックなボクサーとか
そういう、スポーツ選手の生活をイメージすることが多いせいか
最近「ボクシングやってるの?」とか言われたり(髪切ったから?)
カラダに変化も現れてきたりしてるんで

この際だから
『むりやり感謝』のボディーランゲージを、
『お腹に力入れてケツの穴きゅっ(^_-)-☆』

っていうのにしてみましたyo!

・・・丹田ですか、詳しくないですけど、気分はサムライ・ボクサーです

・・・自分でも何言ってるかよくわかりません、すみません!



では長文失礼しました。・・・・・・感謝!(キュッ!)

127ゆうこ:2013/09/03(火) 20:15:19
(引用した写真のページが検索画面になってました、
ごめんなさい、スルーでお願いします)m(__)m

128ラピ。:2013/09/03(火) 22:31:09
☆ゆうこたん

なるほろ、、、。

「私を通りよき管として、お使い下さい」っていいですね。

もし、これをとことんするのなら
まさしく「自分」を捨てなければなりません。

どんなことも自分のものではなく、
すべては神のもの 宇宙のものとして過ごします。

ゆうこたんのどの感情も自分のものではなく、
すべて宇宙のものです。

全てをささげて実践します。

ゆうこたんは単なる通り道として
宇宙に自分をささげなくてはなりません。

まさしく「宇宙の通り道」です。

ゆうこたんの今までの経験の流れはこれからとても役に立つと思います。

灰色の経験も不思議な経験も偶然ではないと思います。
ゆうこたんはずっと「道」を通ってきました。

灰色から戻ってきた時の感じなのですが
それまで頭に気が上がっていたのが(頭がいっぱいになっていたのでは?)
肉体労働により、気が下がり、(気でいっぱいになってた頭が労働により解放され)
元に戻ったのかもしれません。

ちなみにその灰色の世界は「激流」の可能性があったかもと思っています。

>「遊びがないのは偏屈、きゅうくつ」

というのは、今はどんな感じですか?
私も似たような経験があります。

遊びをとことんやってみたら 何か答えを得たのではないでしょうか?

丹田かぁ。なるほどです。
体全体のバランス(頭からお尻の穴ぎゅ、まで)も整えながらの実践は
なかなかいいんじゃないかと思います。

ゆうこたんの頭から足の先まですべてが宇宙の通り道です。

ゆうこたん、ゆうこたんは宇宙の通り道ということで
自分にとって苦い思いすらも感じる時間はありません。

ゆうこたんが本気で挑むのなら
自分の感情でその通り道を詰まらせてはいけません。

ひたすら実践し、感情で通り道を詰まらせることの無いよう
この宇宙のために通り道を常に明け渡して実践してくださいね。

ゆうこたんの良き管を宇宙が使ってくださいますように。

もし、ゆうこたんが本気で目指すのなら
この実践をとことんやってみてください。

とことんすることがポイントです。

そしてレディ・ジガたんが嫌がるほど その道は
彼岸への道となります。

@(*・ω・*)ポッ

129TK:2013/09/04(水) 07:15:30
>「遊びがないのは偏屈、きゅうくつ」

これ、誰でもそう思いますよね、私もそうでしたから。

そしてひたすら、自由に思ったように思いっきり生きなきゃ、って思うんですね。

これ本気でやるととても充実出来ますが当然にトータルではありません、
世の中そう甘くありません、さらに、最終的に行き止まりにぶつかりました。

実はこれが「ワクワク」と言うあのレベルの教えです。

あれなかなかいい教えですけど、思いっきりやると最終的には壁にぶつかります。

なぜなら、実は「ワクワク」はエゴを増強する教えなのですから。

これは正しい方向でエゴを増強するにはいい教えと言う位置づけのものです。

スピ系やってる人見ると面白いですよね、エゴ減らす教えかじってると思うと、
「ワクワク?」それエゴを増強する教えですけど大丈夫ですかみたいな、
あれを同時に一人の人間が食べ合わせをしようと言うのですから、
さすがスピ系、面白いなあと思いました。

ごちゃ混ぜんは駄目なんです。

スピ系の方々、エゴさえ見抜ける目を持ってさえいたら、ちゃんと順番は分かるはずなのです。

最初は「ワクワク」の教えを実践し、次いで「ワクワク」に背を向ける教えを実践し、
最終的に「ワクワク」は消滅(彼岸)する、これが正しい位置づけでの進み方です。

どれも重要なプロセスであることに違いはありませんが、
目覚まし時計を鳴らしながら睡眠薬を次々飲み込んでも、意味はありません。
一人の人の説いた教えでない以上正しい教相判釈(順番立て)は必要です、
教えのごちゃ混ぜは駄目なんです。

こちらは至った者なのです、聞いてくれば答えられる限りでお教えできますが。

第1次実践は思い(ワクワク)を拠り所にする実践、
第2次実践は強い意志の力のみを頼りに進む実践、
この第2次実践の際は第1次実践の拠り所の思い(ワクワク)を完全否定する実践になります。

各々の教えを分かってて利用すると効果がありますが、
何もわからずにでたらめに寄せ集めでは何の効果もありません。

ラピ。さんの第1次実践が思いを拠り所のいわゆるワクワクの実践にあたるわけです。

130ゆうこ:2013/09/04(水) 20:51:54
>らぴたん

>ゆうこたんは単なる通り道として
>宇宙に自分をささげなくてはなりません。
>ゆうこたんのどの感情も自分のものではなく、
>すべて宇宙のものです。

うっ。

かみくだいて自分の名前が入ると
さらっと美しげな聖句の厳しさにビビります。。^^;

>自分の感情でその通り道を詰まらせてはいけません。
そうですよね・・。

ジガの主張が管の壁にへばりつくゴミとすれば

ふと気を抜いて、つまらなそうな顔して作業として動いているときは
管から気がもれてる状態のような気がしてます。

感情と戦ってないかわりに
以前と同じ気持ちで惰性で仕方ない感じで何かやってる

そのときに、「きゅっ」と閉めると
気合いも入るし、
空気もれを直して、頭からつま先にエネルギーを通してる感じがするのです。
&感謝、のボディーランゲージなので、
特に、なんでもない時に役に立ってます。

たとえば食器洗ってるときとか混雑するスーパーのレジとか
以前だとため息まじりの場面で
「きゅ(感謝)」ってやると、なんだか疲れがなくなるという・・・。
(腰痛がなくなってるんですよぉ不思議なことに!!)

>>「遊びがないのは偏屈、きゅうくつ」
というのは、今はどんな感じですか?

→昨日、ここで自然体宣言したので、自然な気持ちです。
特に避ける気もアポる気も起きてないですね。

>もし、ゆうこたんが本気で目指すのなら
この実践をとことんやってみてください。

ちょっとひるむ厳しさを感じると同時に

>ゆうこたんは宇宙の通り道ということで
自分にとって苦い思いすらも感じる時間はありません。

・・という大いなる優しい節理を感じます。
きっと、それを支えに
『この宇宙のために通り道を常に明け渡して実践』、がんばれそうです。

131ゆうこ:2013/09/04(水) 21:51:00
>TK様

若い頃はは広告関係の仕事だったため
いわゆる「クリエイティブな発想」を得るため
天から降りてくるアイデアを追いかけ
自分自身も楽しく、をモットーに生きてこれたんですが

金融に転職し、娘を出産したあたりから
それまでの自分の全てが嫌になり
とどめの311でのトレードで
完全に、自分を罰する気持ちに落ちてしまいました。

自分の何もかもが間違っていた、罪を背負っているという自責感。

娘への自責感は
トレーダー時代に「感情を殺す時間」だけ、救われる気がしていたんですが
そのトレードや金融システム自体が間違っていたと確信したとき
残されたのは肉体的に追い込んで、考える時間をなくすことくらいだったんです。

そんな数年の間に、
療育生活を言い訳に、すっかり人づきあいも悪くなり
ついに夜中に生爪はげても悦に入って働いてる私に対して
友人は「もっと自分が楽しむような気持ちに戻って」と言ってくれたんだと思います。

なので、結果的に
>最初は「ワクワク」の教えを実践し、
>次いで「ワクワク」に背を向ける教えを実践

という経過をたどってきたようにも思えます。

ただ、『実践の教え』にもとづいたものではないために
すべてに対する感謝が徹底されておらず
(特に仕事上の対人関係で)壁にぶちあたってしまったのが今年の6月あたりでして。

気晴らしにいろいろやってみても
レディ・ジガのご機嫌をとりつつ、ジガを抑えるという、
まさにマッチポンプなループに陥ってしまってました。

私の場合、その解決を
経営や営業的側面から書かれた感謝の効力の本に求め、
数冊読んだ後に、らぴたんブログを久しぶりにのぞいて
この掲示板に最近たどりついた次第です。

仕事上、反省一色で、
一生懸命改善中に出会ったお二人の言葉なので
すんなり流れに乗った感じはしております。

おかげ様で自己嫌悪・自己批判の時間も減り
元気もでてきたこの頃でした。
と同時に、昨日の休日は、
レディ・ジガお得意の楽しい気晴らしへの誘惑が頭をよぎっていました。

でもそれは、どうなのか?
「遊びのある、きゅうくつ偏屈じゃない楽しいジガ様になりたいだけか?」
と、いう迷いを胸に、カキコミしていましたが

以前、TK師がおっしゃっていた
「意思によって制すること」「それは正しいかどうかで判断する」という言葉を思い出し、
今は、はっきりしています。

昨日浮かんだ気晴らしは、却下です!

ぶっちゃけ、正しくない悪いことでございますため!m(__)m

その「悪い遊び」をやめたとき、わかってはいたんです。

通りよき管を標榜としている自分と矛盾していることがわかっているのに
このまま反対方向に行ったら多分、ひどい事になると。

そんな事になる前に、
楽しい気分の今が潮時、もうおしまい!と決心したはずなんです。

でも、最近の生活で出番の少なくなったジガちゃんは
「ちょっとくらい、いいんじゃん?息抜きに。」とささやいてきたんですね。

それを昨日、TK師は「神を利用するもよし」と教えて下さった。

だから、今朝から線香たてて、感謝の祈りを再開しました。
(地元の慣習では新月満月のみですが、
以前は毎日手をあわせる時期もあったため)

改めて、天地万物・ご先祖家族・友人知人会社の仲間・こども達に感謝を捧げることにしました。

(これは最近読んだビジネス書の著者が
 優秀なスポーツ選手のメンタルトレーニング法のひとつ「六方拝」と書いてました)

そんな感じの生活ですが
スポーツのストイックさと自責に負けない元気を胸に
「悪い遊び」以外は適度にたしなみつつw
明日もがんばろうと思います。

また長文になってしまいましたが、お二人のコメントに心から感謝します(*^_^*)

132ラピ。:2013/09/04(水) 23:02:45
☆ゆうこたん

「きゅ(感謝)」は気持ちの切り替えに有効ですね。

>感情と戦ってないかわりに
以前と同じ気持ちで惰性で仕方ない感じで何かやってる

うん、うん。実践している時とそうでないときの違いが分かると
気持ちの切り替えもさらにスムーズになると思います。

「はっ!」とそれに気づいたら「きゅ(感謝)」で取り戻して
すぐに実践ですね!

遊びについては私の場合、2次実践の時は遊びどころではなかったので
遊びを楽しむことができませんでした。

常に何か解決しなければならない問題がある感じがして
それを解決しなけらばならない、という強い思いもあったし
その問題を放りなげて遊ぶこともできず
問題をずっと抱えて実践していました。

自分を意図的に追い込んでいたわけです。

第3の実践時は第2の実践のおかげで
だいぶ「気楽」な状態であったので
遊びを思いっきり楽しもうとしていました。

みんなが楽しそうに人生を過ごしている気がして
私も同じようにそう生きたいと思いました。

思いっきり楽しむ実践です。

、、、でも、みんなが楽しそうに見えることをやっても
私は本当に楽しいとは思ってなかったかもしれません。

でもその楽しみの中に「絶対的幸せがある」と思ってたので
無理やり楽しそうなことを見つけて楽しもうとしていました。

常に楽しい気持ちでいるよう、心がけていました。

とことん楽しいふりをしていた、とも言えるかもです。

そして楽しいことを見つけようと無理をし続けて
この楽しみは自分の求めているものではないと気付きました。

やはり最終的には激流に飛び込む必要があります。

ゆうこたん、いよいよ最終体制じゃないかな?

実践を思いっきりやってると 「ふと気づく何か」にチャンスがあります。

とことん実践をやっていて私はふとした師の言葉からヒントを得ました。

とりあえず、とことん実践をしていていると
あるなにかがふとよぎることがあると思います。

ゆうこたんはかつて「私を通りよき管として、お使い下さい」
という言葉がよぎったのですよね。
そんな感じです。

そのよぎった何かをしっかり生かしてね。

とことん実践していたらきっとわかるから。
基本は実践中心ですよん。

私も最後にはある時の師の言葉からヒントを得て
自分から飛び込みました。

ゆうこたんならそれができる。

ゆうこたん、これが最後の道になりそうですね。

実践、がんばってね!

実践中にどうしても気になることがあったらいつでも書き込んでね。

@(*・ω・*)ポッ

133TK:2013/09/05(木) 18:15:06
ゆうこさん

ワクワクの教えはどこかピントの合ってない部分を感じませんか、あれ、
スピ系が正しい教相判釈的な吟味を一切しないままに流布しているバカっぽい教えの一つですから。

なぜなら、ワクワクする事をやっても、そのワクワクはやがて行き詰る、何故でしょう。

この地球もかって物質文明の発展期と言う時代があり、
その時には「わくわく」が地球上にも満ちていたんです。

フロンティアスピリットとか、そういう言葉も流行ったような時代がありましたよね。

つまり、「ワクワク星」というのは、
かつての我々の物質文明発展期とほとんど同じ意識レベルに合致するものと見て良いものですね。

今の人たちより人間的な次元は上でしたよね、しかし、文明的には過去のものなのです。

「ワクワク星」もやがて、我々の文明と同じ道を歩むだけの話しですから。

これがピントのずれの主な原因ですね。

イエスが言うとおり、現代は「ワクワク星」の先の教えが無ければだめな時代なんです。

私にはワクワクする事も、ワクワクしない事もありません、
そもそもいかなる「対象」も私の次元では既に無いのですから。

ここに至るための教えが必要なのです。

つまり、「ワクワク星人」が「ワクワク」するんだよと言うのに対して、
それは、かっての物質文明発展期に通用する教えですから、
このころはどこまで行っても「ワクワク」出来たことでしょう、しかし、
我々は「ワクワク」出来ない事に意識的に無理やり「ワクワク」する、
これがワクワク星人より文明が進んだ我々に必要な教えなのです。

ワクワク出来ないものごとに、無理やりワクワクする。

ワクワク出来るものごとに、ワクワクする事など誰にでも出来る、
我々はワクワク出来ないものごとに意識的に無理やりワクワクする、
と言う教えの違いが出てくるんです。

だから、スピ系って駄目なんですよ、何も中身を吟味しないでワクワクて言ってるから、
バカみたいですよね、あの人たち見てると。

(続きます)

134TK:2013/09/05(木) 18:15:41
(続きです)

>金融に転職し

職業に関わる部分がかなりのウエイトを占めてますね。

今までの苦労は無駄では無いですよ。

あんな仕事が良いとかこんな仕事が良いとか、色々とあったと思いますが、
結論から行くと、どんな仕事も結局同じなんですね、それが違ったように見えてしまう。

トイレ掃除屋さんとか、ごみ収集やさんとか日雇い人足の方とか、
色々な仕事がありますが、仕事はどれも同じなんです。

それが分かってくると、メンタルが出来上がる。

つまり、これがワクワクの消滅です。

私も当初やれるはずだった仕事とは全く違う力仕事とかやってましたが、
私は「嫌」なら辞めないと言う決意がありましたので。

例えば料理人に憧れた人が、運よく老舗に入れたとして、
勤めたは良いが皿洗いを何年もやらされて、その後皮むき何年もやらされて、
でもそれって、だれでも出来る事ですよね、そう思って辞めていく人は、
それまでなんです、そこに居続けると一流になれるチャンスがある。

もし私が人を雇う立場だったら、やりたいと言う仕事はやらせません、
うんとこさと雑用と一般に言われるような仕事をやってもらう事でしょう、
理由分かりますか、例えば料理人が私は料理作るの好きなんです、
だからこの仕事やってます、私はそこのお店には食べに行かなくて結構です。

どうせろくなものださないの知ってますから。

まず雑用を多くやらせてその人間から何を落すのか、
その人間から「やりたい」「やりたくない」を落させるんです。

ようやくやっとそれで、雇い主が金払って雇うだけの仕事がその人間に出来るという事です。

仕事のできない人間に金払って雇うほど馬鹿な雇い主はおりません。

「やりたい」「やりたくない」で仕事やってる人間など、ろくな仕事はできません、
そのメンタルではだめなんです、まず、それを落してもらわなければ、
雑用が嫌でやめたければ早々に辞めてもらいたい、私が雇う立場ならこのように思います。

体育会系で鍛えられた人間は、採用の際は人気あるそうですよ、
私も雇う立場ならそのような人間が欲しい、
最初からメンタルが出来ていて使える人間だからです。

だから、「嫌」なら、大いにその「嫌」を利用してメンタルの糧にしなければだめなんです、
逃げた人間はどこ行ってもお終いですよ。

一流企業の採用の面接官なら、雑談だけでほとんどすべて見抜かれると思います、
いくら敬語で武装しようとも。

結局雇う方も、よりフロー(ゾーン)が実現できている人間、フローに近い人間が欲しいのです。

「やりたい」「やりたくない」に縛られている人間は、一番そこから遥かに遠いです、
その人たちには、もっともっと苦しんでもらわなければ、
苦しんだ量だけ近くなる、そういうものですよ。

たとえ一般に雑用と言われている仕事でも、「やりたい」「やりたくない」に縛られているような
未熟な人がやっていると、はたから見ても、あいつ雑用やらせられていると見えるのですが、
それがね、ベテランが同じ仕事をやっていても、
それが雑用には見えず職人芸のように見えるのです、なぜか知ってますか、
その人はやっている仕事とやっている人間が分離してないからです、
所が、「やりたい」「やりたくない」で仕事をやっている人は、
「やだやだ」と思ってやっているから、仕事と本人がバラバラなんです、
それをはたの者が見るから、その違和感が伝わって、
いかにも雑用をやらせられているように見えるのです。

今の時代に夢を追う人を雇ったら、その企業は損をしたという事になります。

もし、自分が金払って人を雇う立場だったら、今の自分自身のような人間を雇いたいと思うか、
良く考えてみましょう、その上で、
雇い主が雇って得をしたと思えるような仕事が出来れば一番いいと思いませんか、
金を取る以上はプロなのですから。

新人類になれば当たり前にこの辺は楽ですよね。

問題が起きれば起きるほどに、「瞬間」を極めた者の本領が発揮できるのですから、
ほとんど寝ている者と同じリラックス状態でアルファー波でまくりでです。

135ゆうこ:2013/09/05(木) 19:16:54
TK様
>やっている仕事とやっている人間が分離してない

むむむ・・。ものすごいインパクトのある言葉ですね!!!
時間かけて消化&体験を試みてみます!

>問題が起きれば起きるほどに、「瞬間」を極めた者の本領が発揮できるのですから、
>ほとんど寝ている者と同じリラックス状態でアルファー波でまくりでです

先日、「遊ぶように仕事をし、仕事のように遊ぶ状態」って
どんな感じだろうと思ってましたが、ちょっとイメージできました。

>らぴたん
この数日、長文連投で他の方が入りにくくなったかもですね^^;
次にくるときは・・・・
アルファー波出しまくりで来ようと思いますw

さしさわりない範囲で、お二人の具体的なエピソードを拝読できたら
ありがたいです(#^.^#)

(「激流」や「抱えていた問題」、TK師の会社員経験など・・)
・・と、ずうずうしいコメントで終わって、しばし繁忙期に突入してきま〜す(*^_^*)

136ラピ。:2013/09/05(木) 23:12:23
☆ゆうこたん

行ってらっしゃい!
楽しみに待っているのら!

師匠とのエピソードかぁ、、、。

師匠なにかありますかね?てへ!

@(*・ω・*)ポッ

137TK:2013/09/07(土) 09:09:07
>(「激流」や「抱えていた問題」、TK師の会社員経験など・・)

それでは参考までにお話ししましょう。

仕事は大嫌いでした。

こんなつまらないもののために生きているのは無意味だと思ってました。

それで考えついたものが、仕事以外の時間で思いっきり楽しむ事を追求しよう、
そして、他の人たちにも存分にこの楽しさを味わってもらおうと言うものでした。

確か当時のキャッチフレーズは
「みなさん、住まいと職場の往復のつまらない毎日になっていませんか、
空いている時間をフルに使って、
みんなで人生を楽しく有意義なものにしていきましょう」
的なものを掲げて精一杯やっていたと思います。

躓くまでは楽しかったですね、それにいくら仕事以外を楽しいものにしても、
不愉快な仕事には行かなければならない事実は変わらない。

私はずっと職場では頭を押さえつけられていました、
元国体選手だった上の者に、こっぴどく虐められていました、側溝の泥上げ、
階段の掃除、草むしり等々様々な仕事やらせられました。

人のやったミスもほとんど私に被けられました。ちょっとしたことで、
ほとんど毎日延々と長い時間上の者の机の前に立たされて、
怒鳴りつけられていました。

しかし、私には嫌なら辞めないと言う決意がありましたから。

さらに、全くと言っていいほど怨みは起きませんでした。

私はとても痩せてました、肥満度数プラスマイナス10以内が正常値でしたが、
マイナス10より悪かったです。

部署の者から、集団で格好の虐め尽くされるターゲットになっていたようです。

後になってから、ふと前世が想起されて、
これが自分の前世のカルマの清算だった事が分かりましたが、
やられている時には分かりませんでした。

もちろん、
虐められる要素は自分の親や家庭環境から収集している私の特性の中にありましたが、
その親と家庭環境はカルマによって決まるのだなという事も分かりました。

生まれた時に人はみな平等だ等という事はありません、
貧困地域に生まれ飢餓からミイラのようになっている子供たちもいれば、
金持ちの裕福な者の所に生まれる者もいるし、
生まれながらの障害や持病を抱えて生まれてくる者もいます。

私は因縁渦巻くような談笑など全く無い、
つねに虐めと罵りが飛び交うようなドロドロとした家庭環境の中に生まれました。

私は体も弱く持病もありましたし、入院しながら小学校に通ったりしてました。

ただ、私には不屈の忍耐力があったのです、それもどこから来たかと言うと、
私の母親がこの凄い環境の中で虐待されながらも耐えて私を育ててくれた、
子供は親の背中を見て育つと言われていますが、
私の忍耐力のルーツはここにありました。

(続きます)

138TK:2013/09/07(土) 09:09:42
(続きです)

私に与えられたものはこの強靭的な忍耐力だけでしたが、
それは全てを突破できる宝のようなものでした。

私はこのような環境を全て背負って、激流を渡り因縁を断ち切り彼岸に渡りました。

これで終わったんですよ、不思議な事に環境も全てカラッと爽やかなものにかわりました。

自分が変われば、周りは同じに見えても全く違う、変わるのです、
職場から何から環境が全てにおいて一人でに変わるのです。

私は周りを変えたのではない、
自分自身のみをターゲットにして変える取り組みをしただけなのです。

だから私は、周りが親が家族が家庭環境が職場環境が悪いんだ不幸なんだ、
と言っている者たちに言いたい、みんな自分に原因があるんですよ。

周りのせいに被けているうちは、何にも解決などしない。

自分が変われば周りは変わるのです。

どんな一般的に見てひどいと思われる家族や職場環境に囲まれたとしても、
チャンスはある、周りの環境は自分自身の表れとしての結果なのだから、
ただ、自分を変えるだけで良い、それは周りのせいではない。

それを周りのせいだと思っていたらあなたはずっとそのままです。

職場は地域でも大規模施設で、私は悟った後には、発注業務が主な仕事になり、
やたら様々な人がぺこぺこ頭下げてきて、
専門家に指示を出すような業務を主にするようになりました。

他には経理の業務や特にシステム構築もメイン。

私の場合は金払って仕事を出す立場の業務が多くなりましたので、
悟る前との環境は一般的に見たら天と地みたいな、
一人でに一変する事になってしまいました。

休日とかには、
本業とは畑違いの劇場の音響技術の専門家(PA)とかからも報酬だすからと個人的に協力要請とか来ていました。

私が動いたのではなく、周りが動いたのです、でも、当たり前でしたね、
動かない環境の方が無理ですね。

悟っているという事は、異次元ですから、
環境に対するパワーバランスが変化するので、言うだけ野暮でした。

「私には全く自信などありません」、これも謙遜語ではありませんが、
「不安が無いと言うのも事実ですから」これが私なのです。

私がここで述べている事など本来科学者がやるべき事で、
私はそれを職業として収入を得ている者ではありません。

時々、何で私がこのような事を話しているのだ、遅れた原始人の科学者たち、
世間の役立たず、
地球は平らだと言う松明を持って雄たけびをあげているあの者たちを見ていると、
時々このような言葉が私から出てくるのです。

メンタルのなんたるやも分かっていない遅れたどこかの教授と名乗るものが、
体罰問題などにかこつけては、テレビや情報メディアの中で遅れた物を振り回し、
人類を洗脳し固定観念を植え付けては行き詰りの物質文明の中を
さらに最悪のどん詰まりに導いている状況ですから、この世界は、
確実に破滅に向かってます、冗談抜きにです。

ビデオで撮っておいて、50年先で映したら、
あの者たちは原始人類の末期現象とか言われてバカ者呼ばわりされますね。

今の時代の人類が幸せになるための真実(理論)は、イエスの言うとおりで
物質文明のそれとは全く反対なのです。

139ランタナ:2013/09/17(火) 08:39:44
TKさん、ラピ。さん、いつも貴重なお話を有難うございます!

140ゆうこ:2013/09/21(土) 19:27:39
皆様こんばんわm(__)m
忙しくしてるわりにジガ様健在のため、
昨夜、過去記事や掲示板を拝読し、
TK師との会話で、らぴたんが

>第2の実践のきっかけは
それまでの実践を否定される出来事が起こったからであり、
私はこれまたどう生きていけばいいか、との問い

という文を読んで寝たあと(今朝)、
まさに「自分を否定されるできごと」にジガ様が、もう、それはそれは大暴れw

その状態から反省したり無心に実践しようという葛藤で
1日が過ぎました。

そして、TK師の書かれた
>悟った者に近い高精度な自分を見抜く目が必要である

>私自身のエゴ殺し、すなわち第2次実践段階は、
私は私の特殊性で実践段階で悟った者と同精度に近い自分のエゴを見抜ける目があった事によります。

という文を読んで

またもや救われた気分です。
いえ、私が高性能アイズの持ち主という意味でなく、
この苦しい「私」は、これから死にゆくジガ様であって
どんどん改善実践あるのみ、という元気をもらったという意味です。

「誤解されている」「不本意」「悔しい」「恥ずかしい」「ふがいない」
そんな感情と、否定されたことに反論したいジガの感情で
がんじがらめにならず

>ワクワクしない時に意識的にワクワクさせ行動したり、
喜べないような出来事に喜んで行動したり、このレベルの実践になりますから、
自然に心から喜べるような生き方はありません。

・・という所に行くのは、「正直、嫌です。」←と、ジガ様が言ってます。
「なんで私が。」←と言うジガ様は、まだ上から目線です。

明日、飛び込もうと思います。

141名無しさん:2013/09/22(日) 00:51:15
☆ゆうこたん

いろんな葛藤が起こっている今、
チャンスかもしれませんね。

激流とはまさしく激流であって
生易しいものではありません。
覚悟はいいかな?

「楽ちん」という道に激流は起こるはずもなく
それは彼岸への道にはなりません。

だからこそ、葛藤する=激流が起こる道に進むのが
彼岸への道です。

ゆうこたんも、今までいろんな経験をして
それを乗り越えてきたよね。

それがきっと生かせます。

なにかあったら、書き込みしてね。
@(*・ω・*)ポッ

142ラピ。:2013/09/22(日) 00:52:32
141の書き込みはラピ。です。

@(*・ω・*)ポッ

143TK:2013/09/22(日) 09:55:14
ゆうこさん

>「誤解されている」「不本意」「悔しい」「恥ずかしい」「ふがいない」
>そんな感情と、否定されたことに反論したいジガの感情で
>がんじがらめにならず

良かったですね。

ここでまた、カルマが一つクリアできるという事なわけですし。

こういうまたとない機会を逃しての実践はあり得ません。

>・・という所に行くのは、「正直、嫌です。」←と、ジガ様が言ってます。
>「なんで私が。」←と言うジガ様は、まだ上から目線です。


このジガ様の事を仏典や聖書では悪魔もしくはサタンと呼ばれていたものですね。

>明日、飛び込もうと思います。

引き下がったらおしまいです。

魔物が見つけられるようになっただけ目ができてきましたね

144ゆうこ:2013/09/30(月) 21:22:37
こんばんわ。
先日「激流カモーン」とか勇んで出社しましたが
まったくの小波、その後も
常に「ジガ居る?」「居ないな、OK」みたいな自問確認をして
1日がだいぶ無心に過ごせているせいで
かえって小さいことにジガが反応すると
小骨が喉にささったように気になります。
(だいぶジガは静かになっていますが。)

そこで、今日TK師の引用されていたマザーテレサの文を読み
このイメージでいこう、と想いを新たにした次第です。

>実践においては横たわっている具合の悪い病人を主イエスが横たわっているのだと言うつもりで接しなさい、
私たちは看病ではなく修道の実践をしているのです

→目の前に現れる不快な感情を呼び起こす人はイエス(仏)だと。
わざわざジガをざわめかせ、
ふるいにかけやすいよう浮き立たせてくれているんですね。
ありがたいです、そう考えると。

あと、
芽生えている「無我の境地」への興味に対し
>結果を僅かにでも想定して実践したら、至れません。
という文で、はっとしています。
これまで知らなかった世界なだけに、興味深々な今日この頃でした((+_+))

>実践とは私は死ぬまで、この実践を続けて行くのだ
→以前、死ぬ気になってがむしゃらに前進していた頃を思い出し
もう一度トライしてみようと思います。

あの頃、あのまま行けなかった理由は
あまりに絶望的な虚無感にさいなまれたため、本当に死のうか、
家族のために明るく楽しい生活を送るか
という2択で、結果的に中途半端な生活に戻ったわけですが
(うつ病かも、とも思ったため食事や運動で生活改善しました^^;)

今なら、「死ぬまでやるぞ」と頑張る事と明るくしていることは矛盾しませんし
両立することも実践のうちと思って、
楽しめないことを楽しもうと思います。

そして、進んだその先に、

>一人でに至って、自由に色々な事が出来るようになります。
という世界があれば、それでよし、
なくても、きっと悔いはなし、です。

あの頃見えていた未来は、真っ暗な絶望で、
自分も家族も悲しい顔でしたが
今は、一生懸命このまま生きて死んでも、自分も家族も明るい顔だと思います。

弥勒がいろいろな姿になって私の前に現れ
ジガを砕くために試練の小槌をふるって下さっている・・・
う〜ん、自分で書いてて更に感謝が湧いてきました、

明るい未来をありがとうございます。
お二人に感謝しますm(__)m

145ラピ。:2013/10/01(火) 07:47:37
☆ゆうこたん

ゆうこたんのがむしゃらに前進していた頃の経験は
これからもちゃんと生かされていくと思います。

そしてどんなことにも感謝して生きていけば
無敵です。

もう、怖いものはないと思います。

ゆうこたん、これからもゆうこたんパワーで
家族を笑顔で満たしていってね。

すばらしい実践だと思います!

@(*・ω・*)ポッ

146TK:2013/10/01(火) 18:26:49
ゆうこさん

>実践においては横たわっている具合の悪い病人を主イエスが横たわっているのだと言うつもりで接しなさい、
>私たちは看病ではなく修道の実践をしているのです

マザー・テレサのような至った人の指導方法は、そうではない人の話しとは違いますよね。

人間が生きて行く中で、様々な人との出会いがあると思います。

良い人と判断できる人と悪い人と判断できる人とどちらの出会いもあります。

良い人と判断できる人と言うのは、
自分のエゴの理想にかなった振る舞いをしてくれる他人に対して良い人と言う判断が起きます。

悪い人の判断はその反対です。

実は、良い人と出会う事については、その時は良いと思えるのですが、
後になって、
自分にとってはクソの足しにもならない出会いであったと思えるものです。

実際は、自分が数々出会ってきた悪い人の方が、
自分にとって役に立っているのです。

至るとこの事実がよく分かってきます。

147ゆうこ:2013/10/06(日) 20:54:39
こんばんわm(__)m
いつも内面を重視して生活しているものの、
昨今のニュースで気になることがあり
至ったお二人は、どのようにお考えかお聞かせ願いたく書き込みますm(__)m

昨年のマヤ歴世界終末説、
この秋のアメリカデフォルトによる世界的混乱についてです。

終末や時間、未来といったものも
経済的な問題も、もはや幻の一面ということでしょうか?

今年後半、混乱から困窮という状況になった場合、
至っていない私には、激流という恩寵だろうと考えていますが
家族や周囲のことを考えると気がかりです。
特に娘の障害に関する備蓄を本格的にしようかと思っています。

お二人には未来予知的な感覚はおありですか?

148ラピ。:2013/10/07(月) 07:53:54
☆ゆうこたん

昨年のマヤ歴世界終末説、
この秋のアメリカデフォルトによる世界的混乱について

ご存じのとおり、私はテレビも見ないし、
最近はスピリチュアル関係の記事も読んでませんので
そのお話については知らないです。

私がかつて実践してる時は
多少、スピリチュアルな記事は見てたけど(テレビは見ていない)
まず、自分の実践とは関係なかったです。(私の場合は、です)

ゆうこたんはその情報を得て
今、心の中でいろんな出来事が起こってると思いますので
それに対して今できることをするのはいいと思います。

そして確かにそのゆうこたんの中で起こってる思いを
実践へつなげていくのもいいですね。

ちなみにその話は話であって
まだここでは起こっていません。

それとも、そのアメリカの話は
今ここで起こっているのかな?

(私は全く知りませんでした、、、。ごめんちゃい(;´▽`A‘‘)

@(*・ω・*)ポッ

149ゆうこ:2013/10/07(月) 17:24:22
>らぴたん

すみません、ふたつともTV情報です^^;
(特集番組でした)

なんとなく
内面ばかり見て、外の世界のできごとに疎くなってる気がして
ちょっと考えてしまったんですが

マヤ文明の話は、結果的に「外れ」だったようですけど
そもそも時間の観念のない次元の人にとっては無意味な話だろうなぁ
と思ったので質問の例としてあげさせてもらいました。

アメリカの話は今月末にはある程度結果が出るかなぁと思ってるのですが
今の貨幣経済システムは崩壊して然るべきだという思いと
そうなる前の備えという考えがエゴ(保身)につながるような気もしたので
質問させてもらいました。

(たとえば、
異常気象が続いて飢饉が来きそうだから米を蓄えよう、
といった発想は、お釈迦様やイエス様的にありだったんだろうか、
という意味です。)

今朝、ちょっと対物事故を起こしてしまったんですけど
保険っていう考えも備えの一種なので
そういう事に関するお考えもお聞かせ頂きたく書かせて頂きました。

起きるかもしれないことに対して
起きてもいいように何か行動するのが一般人で
一切考える必要がない、というスタンスで生活しているのが至った方たち
というイメージがあるのです。

150ラピ。:2013/10/07(月) 23:05:01
☆ゆうこたん

>アメリカの話は今月末にはある程度結果が出るかなぁと思ってるのですが
今の貨幣経済システムは崩壊して然るべきだという思いと

この「然るべき」というのは思考ですね。
なぜ「然るべき」なんでしょう。
今までのいろんな経験などをもとにして出てきた思考かな。

でもそれは そうなるかもしれないし、そうでないかもしれない、
そんな感じですよね。

よってその思考による「そうなる前に蓄え」というのも
思考による産物となり、
よく考えれば実は何の根拠もないものになります。


>異常気象が続いて飢饉が来きそうだから米を蓄えよう、

そもそも異常気象ってなんでしょう?
雨が全く降らないから?
いつもより暑いから?

言い換えれば異常気象=「雨が降らない、いつもより暑い、、などなど」
ということになり
「雨が降らない、いつもより暑い、、などなど」=飢饉
というわけではないことがわかります。

こういう現象に遭遇したとき 私の場合意味づけはなく
「雨が降らないな」
「今日は暑いな」これだけです。

ただ確かにたくさん雨が降って それにより
実際対応しなければならない状態になれば
それにはきちんと対応します。
(たとえば雨漏りがしたらちゃんとそれを直したり。)

ちなみに自動車を買えば必然的に保険の話もついてきますので
「では入ろうかな」という感じで保険に入ってます。


今の状態からこれから起こるであろう状態を予期することは
単なる可能性を示すだけであり、
そうではないかもしれない。でもそうかもしれない。

でも、その可能性により心が揺らいだり
不安になったりすることはありません。
そもそもその心がない。

「そうかもしれないな」
それだけです。

至ってない場合、その可能性=思考により
影響される自分がいますので
心がいろいろ動き回り、それに対応しなくてはならないかもですね。

そして常に何かをしていますので
安らぐときは、あまりないかもしれませんね。

私たちはそもそもその揺らぐ「心」が消滅していますので
出来事をありのまま見ることができ
それにありのまま対応できます。

雨がたくさん降ったら
「雨がたくさん降った」
それだけです。

雨が降って傘が必要なら傘を差しますが
雨によって揺らぐ心はありません。

ちなみにTV情報って どこまで本当なのでしょうね。

@(*・ω・*)ポッ

151TK:2013/10/07(月) 23:23:07
ゆうこさん

>終末や時間、未来といったものも
>経済的な問題も、もはや幻の一面ということでしょうか?


あなたの構え方は実践者としてはかんばしいものでは無いですね。


中部経典4-131
>過去を追うな、未来を願うな。
> 過去は過ぎ去ったものであり、未来はいまだ至っていない。
> 現在の情況をそれぞれによく観察し、明らかに見よ。
> 今まさに為すべきことを、努力して為せ。
> 誰か明日に死あり、死魔の軍と会わぬと知り得よう。
> 昼夜に怠るな。


マタイの福音書 6章34
>だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。
>労苦はその日その日に、十分あります。


実践者のスタンスは、今全て満ち足りている、これですから。

未来の不安は捨てる、これもです。

今、あっちもこっちも不安な事が一杯あり過ぎてあらどうしましょうって、
これ、実践者のスタンスでは無いですよ。

世俗感覚100パーセントでは実践者とは言えませんね。

これは、実践者の基本中の基本です。

仏教でもキリスト教でも、ヨーガでも。

スッタニパータ265
>尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、
>──これがこよなき幸せである。

マタイの福音書 6章30
>きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、
>神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、
>よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。


ヨーガ・スートラ - Wikipedia(2013年9月3日 (火) 08:52 UTC)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9
>2.ニヤマ:勧戒 - すすめられるべき道徳。清浄・足るを知る・苦行・学誦・神霊への帰入

(続きます)

152TK:2013/10/07(月) 23:24:00
(続きです)

ま、私は実践者ではありませんから。

今の世の中が良いとか悪いかとか、これは主観の問題ですから、
私は方便で主観を「自在」に使い分けます。

ただし「実践者の主観は良い世の中」の選択肢しかありません。

なぜかわかりますか、
アセンションとは自分と対象(世界)の間にある壁を取り払う事ですから、
「悪い世の中」と捉えたら分厚い壁があなたと世界の間に立ち塞がったままになります。

もちろん今のままで行けば「激流」と呼べるような時代は来るかもしれません。

しかし、「激流」こそがメンタルの変容をもたらすものであるのなら、
私やラピ。さんのような「意志」の強さ、
自らのマインドを見抜く目等特性の無い者でも等しくアセンションのチャンスに預かれるという事でもあります。

先駆けて、日本にも大震災がありましたが、
確かに産みの苦しみで過酷な「激流」がそこにはありましたが、しかし、
日本や世界の切り札になるような人材は確実に出現するだろうと思っています。

私も国の激甚災害と局地激甚災害の2回も被災してますし、
災害復旧関係で休日返上で仕事しましたが、それこそ電気とガス供給ストップで、
携帯電話もつながらない、でも楽でしたよ、
死者も出てるし同級生だった者も亡くなったしさすがに不謹慎なので「楽しい」とだけは言えませんでしたが、
我々にとって状況が追い込まれれば追い込まれるほど本領の発揮できる悟った者としては、
かなり一般の人の感覚のそれとは違っていたと思いますね。

現実に中心になって走り回り瞬間的に次々と指示も出したりしてましたし、
はたから見たら、
私も結構緊迫したリアルな被災地域の人を演じていたのではないでしょうか、
でも、実際何もやってないと言う感覚しかありませんから、
眠りながら仕事してるみたいとか、
あまり言うとふざけてるみたいに思われるので我々の真実は表現できません。

ただやってること自体は、休日返上に時間外業務に私の速度をもってして、
緊急性優先のために100パーセントの完成度より落としてクリアーした部分も多くあります。

ですから、
私はこの件についてのほとんど我々の真実の話はしませんと言うより出来ません。

>お二人には未来予知的な感覚はおありですか?

私も「激流」の実践時代は生死をかけましたが、
あなたにとって「激流」の環境が来たとして、
我々にとってもそれが「激流」とは限りません、ただ、
なるようになるだけなのではないですか、それだけの事でしかありませんが、
我々は関心を持っているふりは出来ますが、
実際は「無関心」以外に出来ませんので、
既にアセンションを果たした我々はあなたと異次元なので感覚ももちろん対応力もですが違うのです。

その、
対応力自身ははたから見て切羽詰まっている状況で切羽詰まってなく
全く真実は楽々していると言うアンバランスなアセンションした者でなければできない状況で
出てくるものですから、一緒の土俵で我々を捉えようとするのは違っていると思います。

153ゆうこ:2013/10/08(火) 09:50:20
大変深く、一貫したお答えありがとうございます。
「内面は、自分だけの問題だから試練こそ感謝だけど
娘やまわりの人たちにとっては、あって欲しくない」
という気持ちは、浅い見解でした。

この世に生まれている全ての人の目的・試練・強さを知らず
自分と外を分けて見ているという事ですね。

>尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、
>──これがこよなき幸せである。
>「実践者の主観は良い世の中」の選択肢しかありません。
>自分と対象(世界)の間にある壁を取り払う
>「悪い世の中」と捉えたら分厚い壁があなたと世界の間に立ち塞がったままになります

いますぐ感覚的なところまでの理解は及んでいませんが
内と外、自分と他者・事象をわけずに、
すべてに実践意識を持つよう意思の力で改めて頑張ります。

ありがとうございましたm(__)m

154実践マン:2013/10/09(水) 05:51:37
お久しぶりです。

見抜くこと、感謝すること、正しいこと以外はしないこと、続けています。

肉体的な今の状況を完全に受け入れられるまでに1ヶ月かかりました。
その間、お世話になってる方々の役に立つことを実行してきました。

やっと少しエゴに負けないでいられるようになってきました。

今は無理やり感謝のためにしてることはこんな感じです。

1)出てくる思考や感情に対して
「これは私ではない、私に属するものではない」
と、いちいちスタンプを押すよう心がけ、執着せずコントロールせず、受け流す。

2)人に会うことと、鏡で自分の姿を見ることの区別をしない。人に対しても、自分に対しても、意識的にも、肉体的にも、これはみんなで共有しているものだと心がけ、私がいることに対しての罪悪感を排除する。

3)行動する時には、それを本当にしているのではなく、「○○をしている風の遊び」を楽しんでしていると感謝する。

4)好き嫌いをしない。区別をしない。

無意識で行動したあとに、これは正しくなかった!と気づくことが多々ありますが、それでも、前に比べたらずいぶん楽になりました。

100パーセント正しいことしかしないという状態を作れるように、これから頑張ります。

阿含経典という本を読んでます。
毎日こちらの掲示板に励まされ、継続中です。

お世話になってます!
ありがとうございます^ ^

155ラピ。:2013/10/09(水) 08:00:32
☆実践マンたん

おお!お久しぶり!
どうしてるかなって思ってんたけど頑張ってるみたいですね!
そして成果が出てるようです。

今の状況を受け入れること。(状況に抵抗しないこと)
エゴ(実践を遮る声)に負けないこと。
罪悪感の排除。(これこそまさにエゴの声ですね。無視していいです。)
いろいろできるようになったんやね。

いろんなできることが増えてきたら
さらに実践が頑張れるようになりますね。

ますます実践を遮るものはなにもありません。

実践を遮るものが
エゴだったり、罪悪感だったりしますので。

ちなみに私が実践してる時は
どんな時も真剣で、実践そのものになっていました。

「今ある意志」を実践に使い切る、という言い方もできます。

そうすれば、考える暇もないし
考える暇がないということは
思考によって心が揺らぐことが減る、ということです。
そしてさらに無駄なく実践ができます。

そしてそうやって実践していて
大きな壁にぶつかった時、
どうやっても心が揺らいでしまう時、
そこが勝負どころです。

その大きなエゴの声に負けず実践できるか、
がポイントになります!

実践マンたん、応援しています!

基本は「思考」ではなく実践です。
今の時点ではどんな思考も「エゴの声」になりやすい。

実践マンたん
ますます感謝の日々を送ってね!
@(*・ω・*)ポッ

156実践マン:2013/10/09(水) 13:15:41
ラピ。先生、こんにちは^ ^

はい、感謝以外の意思は持たないようにします。

ありがとうございます^ ^

157TK:2013/10/10(木) 18:36:09
実践マンさん

>1)出てくる思考や感情に対して
>「これは私ではない、私に属するものではない」
>と、いちいちスタンプを押すよう心がけ、執着せずコントロールせず、受け流す。

これ中々いいですよ、私もやりました。

現象に反応して感情が高ぶりかけた時には、
マインドに向かって「これは私のものではない、私はそなたを喜ばない、
考える者であることを捨てよ」とこのような語りかけでマインドを客体化しやり過ごしていました。

感情が高ぶった時の自らのマインドに向けての語りかけは有効です。

感情に押し流されてマインドの動きのままに、自らとの同化を許してしまったら、
悪魔に負けたことになるのですから。

実践とは即ち「戦い」なのです。

スッタニパータ439
>ナムチよ、これは汝の軍勢である。黒き魔(Kanha)の攻撃軍である。
>勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。
>(勇者は)うち勝って楽しみを得る。


>2)人に会うことと、鏡で自分の姿を見ることの区別をしない。人に対しても、
>自分に対しても、意識的にも、肉体的にも、
>これはみんなで共有しているものだと心がけ、
>私がいることに対しての罪悪感を排除する。

彼岸(神の国)に至るアセンションの入口は、上からではなく、同等でもなく、
下にあるのです。他者に対しては、下の者として接するように、これは奥義です。


聖木曜日 - Wikipedia (2013年3月29日 (金) 06:16 UTC)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9C%A8%E6%9B%9C%E6%97%A5
>聖木曜日はイエス・キリストと使徒たちの最後の晩餐を記念する日であり、
>その席でイエスが(へりくだりの行いとして)弟子たちの足を洗ったという記述が福音書に見られるため、
>「洗足木曜日」という呼称が生まれた。

その場の誰よりも頭の位置が遥かに低い仕える者。
他者の前にひざまずいて目の前の他者の足の位置に自らの彼岸(神の国)の入り口があります。

足元の石ころと同等の位置まで自分を落せないのなら、
その者はアセンションを諦めるより仕方がないと思って下さい。

それとも「激流」と呼ばれているものを「緩流」と勘違いしている人とかいるのでしょうか。

ルカの福音書 22章27
>食卓に着く人と給仕をする者と、どちらが偉いでしょう。
>むろん、食卓に着く人でしょう。
>しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。

ヨハネの福音書 13章15
>わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、
>わたしはあなたがたに模範を示したのです。


>3)行動する時には、それを本当にしているのではなく、「○○をしている風の遊び」を楽しんでしていると感謝する。

ネガティブよりは良いと評価はしておきますが、満点とは言えません、
「遊び」より「奉仕」の方が実践としては優れているのです。

つまり、現象に対しての「立ち位置が高い」という事です。

>4)好き嫌いをしない。区別をしない。

感謝で切り抜けると言うのは良いですね。

>阿含経典という本を読んでます。

釈迦とイエスの教えは同一線上の教えですが、
釈迦の教えは出家至上と言う環境で説かれている分、
イエスの教えの方が現代に合う形にカスタマイズが行き届いています。

仏教自身も釈迦を開祖として後に時代の流れに応じて出家至上から大乗(利他)と言う形にカスタマイズされていきます。

阿含経典については基礎を学ぶと言う姿勢で臨まれると良いと思います。

つまり、それだけでは、不足する部分が出てくるかもしれません。

私は至っておりますから私自身が経典です、
聖典を引用するのは聖典にも記載があるよと言う程度の意味ですから。

でも、聞く方にとってもその方が信じる根拠がはっきりしていて親切ですよね。

158実践マン:2013/10/10(木) 19:19:14
TK先生
ありがとうございます。

はい、足もとの石と同じくらい自分を低く落とし、奉仕を実践していきます。

午前中に、エゴがざわざわと騒ぐことがありましたが、なんとかエゴに飲み込まれず抜け出せました。

その時に、浮かんだ言葉は
「私が頑張っているのではない。みんなのおかげで、やらせてもらっている。」
でした。

まさに、自分を高くしていたことに気がつかされました。

今日のことを忘れずに、姿勢を改めます。

励ましの言葉と阿含経典について、アドバイスをありがとうございます。

先生の言葉がスーッと腑に落ちていきます。
とても気持ちがいいです。
ありがとうございましたm(_ _)m

159ゆうこ:2013/10/14(月) 20:32:17
TK様。

この掲示板で初めて読んだ言葉、『激流』とか、引用の数々のおかげで
今日、購入した『仏陀の言葉』という本が
1ページ目から興味深く心に響き、感謝しています。

今回のご縁がなかったら
正直、興味のない世界(知識もなく、読んだ事もない本)なので
まったく頭に入らなかったと思います。

聖書も、若い頃通った教会では、サタンを悪霊のような扱いで
自分の外の対象として扱っていた印象だったため
それも原因で離れたのですが

今、すべては内なるものとして違和感なく理解できるようになり
改めて聖書も引っ張り出してきました。

TVや他の本を見る時間を聖典を読む時間に置き換える程度ですが

以前の私が、今の生活を見たら
真面目すぎてこの世に生まれた意味がない、とため息つくはずなのに
今や、生まれた意味がはっきりした喜びを感じています。

艱難、汝を玉にす。・・・激流の筏、ジガと滅私。

ジガを砕く事象を喜んで
日々の生活を丁寧に感謝をこめて生きる事に集中して
読書はほどほどに、奉仕中心でこれからもがんばります。

160TK:2013/10/15(火) 06:49:44
ゆうこさん

実践者の道を歩んできましたね。

実践の基本は意識的に生きる事ですから、いい感じだと思います。

私がスッタニパータやダンマパダと言う聖典を引用するのは、
代表的な聖典なのでネット上で簡単に拾ってこれるからという事で引用に使わせていただいていますが、
実際の私の実践段階でテキストとして利用したものは、
ラピ。さんにも勧めましたが、次の3冊でした。

・ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2
・ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経
・聖書―新改訳

実はスッタニパータもダンマパダも持っていたのですが、人にやったりして手放しました。

実践にあたっては読む聖典類の数を最低限に減らす、毎日少しずつ必ず読む。

座右の銘のようにして同じものを繰り返し繰り返し読んで接している。

一つに私の実践は聖典類を読む事から始まったわけではありません。

サタンとの過酷な戦いはその前から始まったのです。

少しでもいい手段という事で、釈迦にイエスの教えに辿り着きました。

聖書との出会いは、街中でキリスト教の集会所のチラシをもらったので、
そこで新約聖書をもらいました。

集会所の方は数回出てやめましたが。

>聖書も、若い頃通った教会では、サタンを悪霊のような扱いで
>自分の外の対象として扱っていた印象だったため
>それも原因で離れたのですが

この捉え方もまんざらはずれてはいないですよ、
悪霊といえども全ては自分の中にその原因がありますから、
アストラルの悪霊を自分の内面に潜む者が呼び寄せるのです。

どちらにしても、自分の中の者との戦いです。

聖書に関しては、マタイ、マルコ、ルカ、
ヨハネの四つの福音書だけ読めば他は無視していいと思います。

これらの聖典を毎日かかさず、少しずつ繰り返し繰り返し読むことです。

高次元の手掛かりに少しずつでも触れてなければ、次元上昇は無理ですから。

161実践マン:2013/10/21(月) 19:17:56
石ころと同じように自分を低くする意識を持つように心がけてから、自己嫌悪を抜け出ることができるようになってきました。

自分の立ち位置が高いせいで、自分で自分をいかに苦しめていたのかが分かりました。

立ち位置が高くなっていることに気がついては、低くすることを繰り返しています。

この掲示板でも、私はもっとも実践が出来ていないと思います。それで良かったと思いました。

立ち位置が低い状態が当たり前になりたいです。頑張ります。

ありがとうございました。

162ラピ。:2013/10/21(月) 22:44:06
☆実践マンたん

うん、うん。

私も「自分を捨てて」で実践してるほうが「楽」でした。
実践を遮るものがなかった。

それに気づいたのは「自分を捨てて」を一時期やめて
「自分を大切に」をやりだしてから。

いろんな思いに縛られてしまうことが多くなってしまった。

「下から」は本当に最高の奥義だと思います。

実践マンたんの清き道、これからも応援しています!

163実践マン:2013/10/22(火) 04:47:10
ラピ。先生

ありがとうございます^ ^
はい!楽です。

今は夜で音をたてたり、明かりをつけることができないので、「神様から借りてるこの身体に、目一杯空気を送ろう!」なんていう簡単な目標です。
でも、全然できません。笑っちゃうくらいです。

エゴの波がザブザブ襲ってきます。
早寝早起きがいいのにって思います。
でも、私はもっとも下手なんだから仕方ないと思って楽になります。

眠れるまで、エゴとの戦いです^ ^

164ゆうこ:2013/10/22(火) 08:58:35
皆さまおはようございます(#^.^#)
実践マンさん同様、私も最近眠りが浅いのですが
今日は休みなんで、昨夜は気がねなく悶々しました^^;

日々、無心の時間が増え
比例して体はずっと動いて汗して疲れている気がするのですが
昼間押さえつけられたジガが反発したり、
脳内整理的にいろんな確認事項が浮かんであまり眠れないです。

接客業で細かなな内部連携のある仕事がら
忙しい日は分刻みなんですが
その中で「下から感謝」「滅私」という言葉を浮かべて
ジガのおしゃべりを止めやすくなった半面
うっかり物忘れやボンミスが続き
年齢的な物忘れもあると思いつつも反省して気を引き締めてます。

あと、毎日1ページ程度ですが
ブッダの言葉にある『実践者とはどういう者か』読み
中でも【物に固執しない】という言葉と年末大掃除がかみあったので
数日前から帰宅後は家中の大掃除をはじめました。

本棚にある、これまでの私の思考遍歴と嗜好に関して
ちょっと悩みつつ大量の本を処分中です。
好きな写真集や前職の資料に関しても

---前にも、後にも、中間にも、一物をも所有せず、
無一物で、何ものをも執著して取りおさえることの無い人、
──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ----

という一文に照らして悩み中・・

思考遍歴にあたる本に関してはこだわりなく処分できてスッキリしてます!

これから私が読む本はブッダと聖書の2冊だけです。
これまでの○○法や現生の人の体験談はすべて処分しました。

夢の中でも、古い知人に笑顔で答える自分を見ました。

「今は生きてる意味がはっきりしたからシンプルだし集中してるよ」と言ってました。

165ゆうこ:2013/10/22(火) 09:41:01
もうひとつ、ご報告です。

ラピさんにメールでアドバイス頂いていた社内の人間関係について
良い進展があり、お返事したところだったのですが
(らぴさん、その節はありがとうございましたm(__)m)
先日、その人が家の事情で退職する事になったんです。

せっかく発展的な関係になると思っていたのですが
師匠が前に書かれていたように
周りが変化するというのはこういう事かとも思いました。

ただ、欠員が出る分、さらに繁忙になります。
そこは、ジガを砕く良い波が来るととらえて感謝しています。
>激流の相手はただ自らと同化している悪魔だけ
と思えば、他人の動向は二位の次です。

そんな感じで、
この世に生きる目的はジガを削ぐためだとはっきりしたおかげで
起こりうる難関をありがたく受ける心になれて
だいぶ平静です。


無一物でOK,という境地まで行ってませんが
目指してる姿と照らすと、やるべき事はシンプルに見えます。

あと気付いた点は
「下から」が難しいのは、
年下や後輩・子供に対する無意識の上から目線の時です。
親に対しても批判が簡単なため、無条件服従が難しい。

その点を下記の師の言葉を参考に改善中です。

>たとえ相手が間違っていて自分が実際は正しくても、
まず相手が正しくて自分が違うのだ、あるいは自分が理解できないだけなのだ、
最悪保留と言うスタンスを取りながらも、
自分は相手の言うのとは違うと言う内面の声の方を殺すのです。
そもそも、内容が正しかろうが正しくなかろうが、
内面の声そのものが悟った者のそれではないのですから。

>自分に対してエゴをふるってくれるその振るわれたエゴに対抗せず、
従順に接する事によって、エゴは落ちる

・・・まだ頭の理解で、消化して身になるところまでには至っていませんが
これまで知らなかった対処法なので
「なるほど」と思いながら実践開始中です。


昨日、大掃除で出てきた赤ちゃんの頃の自分の写真や
スーパーでぐずる赤ちゃんに手こずる母親の姿を見て感じた事もあります。

感情そのままをぶつけて
親のエゴを封じる機会を与えて実は親を育てている赤ちゃんのように
この世の役割はその時々で与えられているなあという事です。

赤ちゃんだった自分も今の自分も、
ただの役割と思えば、

日々の至らなさを自己嫌悪や自責でつめてくるジガに対して
「おまえは【私】ではない」と距離が持てる気がします。

いつか過去のアルバムさえ捨てる境地になるのかわかりませんが
過去と未来にとらわれず、今日は大掃除に集中します!

166monica:2013/10/22(火) 12:24:54
皆様、いつもありがとうございます。
こちらへ伺うと、実践を怠ることなく続けていくのだ
と新たな決意がでてくるので、とても有り難く思っています。

小さい報告なのですが聞いてください。
私は音楽好きで一日中よく聞いていましたが、実践に必要ないと思ったので
最近これを止めました。必要ないと思った理由は、音楽の世界に入り現実逃避
していると思ったからです。
(因みに、らぴ。さん TK師匠は音楽はどの様に聞こえていらっしゃるのですか?)

それとたまにですが、実践しながら寝ると実践のなかで起きるときがあります。不思議です・・・

167TK:2013/10/22(火) 20:29:42
なんかみなさん凄いですね。

私の吐き捨てた言葉の中からしっかりとポイントの部分を見逃さずに捕まえていられます。

確かに、巷のその辺では得られない情報もあると思います。

以前も掲示板の私の言葉を人がご自身のサイトに拾っていかれて語録のようなものが出来たりしてましたが、
その辺はご自由にしていただいて構いません。

>私は音楽好きで一日中よく聞いていましたが、実践に必要ないと思ったので
>最近これを止めました。

ワクワク段階の人は、音楽好きなら音楽好きで大いに聞いても良いと思います。

激流段階の実践を厳密に本格的にやると音楽は聞けない事になります。

激流を渡って彼岸にたどり着いてしまえば、
情報に汚される事がなくなりますから、
その辺は聞こうが聞くまいがどちらでも自在です。

>(因みに、らぴ。さん TK師匠は音楽はどの様に聞こえていらっしゃるのですか?)


最近は歌の下手な歌手の方も沢山いるようですから、
下手な人の歌は下手に聞こえるし、上手な人の歌は上手に聞こえるし。

ただ、下手な歌だから耳障りという事ではありません。

ありのままに聞こえてくるみたいな感じでしょうか。

いつか聞いた、警察音楽隊のブラスは下手でした。

この前路上で演奏していた和太鼓のグループは良かったです。

これは音楽の演奏に限らずの事ですが、スポーツ観戦にしろ、
演奏の鑑賞にしろ、一生懸命にそれに取り組んでいる姿に接するのは、
良いですね。

いつかテレビで見たクラッシックの秋川雅史さんも良かった。

やっている人とと、
演奏なりが分離が無く一つになっているような感じでしょうか。

運転中の車の中とかで音楽が鳴ってる時は鳴ってるのですが、
無音の事も結構あって、実際はどちらでも良いです。

音があろうと無かろうと、どちらがどうというものでもないですね。

昔自分が好きそうな音楽が鳴っていても、昔みたいな風ではありません。

168ラピ。:2013/10/22(火) 22:00:46
みなさま、こんばんは〜!
みなさま ほんと実践を頑張られているようですね。

あ、もちろん、私の言葉ももしご参考になるようでしたら
どうぞ持っていってくださいね。

☆ゆうこたん

私も周りが変化していくのを実践中、経験してます。

ゆうこたんが書かれているように
どんなこともチャンスだよね!

うん。やるべきことはシンプルです。

いつも応援しています!!


☆monicaたん

私の場合も、実践中は音楽を聴くときはありませんでした。
そしてひたすら実践でした!
私のかつてのニックネームのひとつが「修行僧」です。(笑)

これからも応援しています!

音楽がどのように聞こえているか、についてですが
師も言われている通り、そのまま聞こえます。

「聞く」という動作なしで「聞こえる」という感じです。


昨日、けりーさんからメッセージをいただきました。
掲示板に載せてもいいとのことですので
転記させていただきますね。

169けりー:2013/10/22(火) 22:24:12
ラピさんにメールをしてから、さらに読み進めていきましたところ、
ラピさんの表現で言う彼岸に至るにはもっともっと覚悟と実践が必要だ・・・という事に気付いた次第です・・・

悟り・・とかでなく、私はただひたすら魂を成長させたくて、今生どこまで自分が本当の自分(ここでは神ですか?)に至れるのか、
その本気度はラピさんと比較はできませんが、自分の中では来世は生まれ変わらない気持ちで取り組んでいます。

きっかけは、自信をもって生きていたのに、その生き方、思考、すべてのことが違うんじゃないかと感じたことから探求の道に入りました。

初めて私が導かれた本で一番心に響いたのは、世俗にいて何をするにも目覚めていなさい・・・でした。

試行錯誤でしたが、至ってからのラピさんが手を動かすにも意識を持っていかなくては動かせない、それと同じ次元の事が書かれてあったのですね。
実際に至ってる方は回りにはいないので、それがどんな状態になるかは、自分の想像でしかなく、こんな感じと思ってた私はラピさんのブログを見て驚愕しました!
甘い!なんて私は怠惰だったのだろう・・・と・・

探求を始めた頃は、おもに甘えが出やすい家族が対象でした。
家族にはほんとに感謝です・・私のやり方は、いままでの人生で付けてきたであろう思考や価値観で行動してきた自分と、
その行動が本当に魂からの事なのか、をよく観察しながら生活していました。

そして、いらない価値観だと思った事は、そうしなきゃ生きてこれなかった自分を受け入れ、もういらないと誓い、行動を変えることでした。

もちろん誤作動も沢山ありました。本当の思いが本当ではなく、欲に絡まれているのに、これが本当だ!としてみたり・・・
でもそれをすると、必ずいつまでも心に残り、同じ出来事がやってくる・・それで気付くとまた仕切りなおし・・・と地味に根気よく、15年以上になりますか・・・
クリア出来た時には、同じような出来事で引っ掛かる事もなくなりますし、会話にすら上がってこない・・今では何で引っ掛かっていたのか忘れてしまった事さえあります。

そうした繰り返しで、楽チンの私になりました。
もちろんそれだけではなく、身体も気が滞ることないようにケアしてきましたし、意識が広がり全体に溶けて消えていきそうになり、
恐怖で戻ってきた事、その時一番感じた事は、
溶けていく事に心地よく思ってる意識と溶ける恐怖を持ってる意識とそれを認識してる意識があるんだ〜ということでした。

楽になる時には必ず夢で確認する等など・・・でもそれは一時の現象でしかないので引っ掛からないよう、また日常に戻る。
人に逢いたくなくなった時、何もする気がなくなったときも数年・・・

そして今は自分の気持ちも揺れることもなく、日常を淡々とこなし、非常時も私が出来る事を淡々とし、
特に何かをしたいという欲もなく、淡々と毎日を送っています。

もちろん友人とのイベントだったり、綺麗な物をみたり、買い物だって、楽しくて出来ることに感謝です。
子供の成長も微笑ましい毎日ですが、私の成長はここまでなのか・・・何かやらなくてはいけないことがあるのか・・・
ラピさんのブログでこれは悪魔のささやきですね・・・私の言い方では、付けられてきたであろう思考の私=嘘の私の思い

(続きます)

170けりー:2013/10/22(火) 22:25:10
(169の続きです)

探求を始める前の私は、人の為にする事を意識なく、していました。
しかしそれがホントに人の為なのか分からなくなり、その行為を意識的にストップして、本当に人の為と思えることだけにしていきました。
ここでは人間関係が総崩れです・・・失う恐怖をかかえながら勇気を持って一人一人に真摯に向き合う事で、その人その人の今の拘り、状態がわかるようになり、
その人に合わせて手を貸せるようになり、またそこに意識を集中せずとも、なんなくしてる・・・そして案外そんな時ほど人は有難いと言う・・・
言われて嬉しいときもあったけど、今はあ〜そうなのね・・・くらいです。

私の友人たちは成長したい意識を持っていて、シェアし合える仲間でもありますが
(同じ事をしてるわけではなく、尊重しあい、指摘もするみたいな・・・なんでも話せる友人です)
ここ数年は、今まで夜中までつきる事なく精神的な事を話していたのに、どうでもよくなっちゃったんです・・・

あ〜貴方は今、そこに拘りをもって、乗越えようとしてるのね。頑張って・・・と心の中で思ってもいないかな〜。
正直あ〜そうなんだ・・・って感じですが、人と会うとき、何かをする時、今からするぞ!と覚悟しないと出来ません。

会話もその人の位置で会話をしてる感じです。演技者です。だから平気で心にもない事を話しています。
・・・が穏やかに過ごしてるので、いいのだと思っています。
もしそれが道に外れている事なら必ず事は起こるのですから・・・でも何もありません。私から話すこともなくなり聞き役です。
私が話す場所がみんなには通じなく、知りたい事を知る人もないからです。全部とはいいませんが・・

ある時は、アンパンマンの歌に号泣し、ある時は急に雨にも負けず・・・の詩が浮かび号泣し、
ある時はフランチェスコの祈りに号泣し、一時期は願ったものでした・・・
理解されるより理解する者になりたい、神様の道具となりたい・・と。
マザーテレサは実は寄付を集める経営にもシビアと聞きその覚悟に感服したり・・・

今は妻であり、母であり、嫁であり、習い物を教える仕事をしていますが、
この先も起きてくる出来事に向き合い大切に感謝して生きていけば、成長するのだろうか・・・と疑問です。

彼岸に至ったのちは涅槃とかかれてありましたが、もしかするとそれはご臨終ですか?
彼岸に辿り着いた世界は、やはり淡々と過ごしているのでしょうか?

神と一体化してる=自分がしてる事が神がしてる事。自分は消えますよね。我神なりですよね?

長くなりましたが、最近の私は怠惰でした。昔ほど意識するのをやめてました。
というのは、何も引っ掛からなくなったし、現実起こす事でトラブルもないので、
意識しないでやってる私は本当の自分とほとんど一体になってるから・・・と思ったからなんでしょうね。
言葉にするとこんなかんじです。

でも違いました。ラピさんに聞くまでも無く、自分の居る場所が・・・居るんです!しっかりと!

今からでも、徹底的に意識すること・・・ただ私が意識していた方法とラピさんがしていたのとは明らかに違いますね。
ラピさんの意識の仕方でしてみると共に、私の生活は淡々と・・・でしたが、喜んで!に変え、
TK師匠のワクワクよりも奉仕の心で・・・を意識していこうとおもいます。

(わくわく、世界の祈りに進んだ友人がいます。いつも幸せ!ありがとう!と言ってるのですが、
ちっとも幸せそうに見えませんし、何より手元が疎かで、話を聞くたび違和感でありました。
今はそっちの道もあるのね・・・と思いますが私の道ではないと確実におもいます。)

こんな私に何かアト゛ハ゛イスして頂けると嬉しいです。
(身体の為にやる事はありますか?やる事がありますか?と聞いてる私が情けないです。早く消え去りたい=究極の自我=起爆剤!)
長いことお付き合い下さってありがとうございます!

171ラピ。:2013/10/23(水) 00:05:25
☆けりーさん

けりーさんのメッセージを読ませていただきました。

今まで道を歩いてきたのですね。

>意識が広がり全体に溶けて消えていきそうになり、
>恐怖で戻ってきた事、


質問です。

この消えそうになった経験はどんな時に起こりましたか?
なにかきっかけとかはありましたか?

172TK:2013/10/23(水) 07:08:10
けりーさん

>初めて私が導かれた本で一番心に響いたのは、
>世俗にいて何をするにも目覚めていなさい・・・でした。

まず、ワクワクの道を精一杯やらない人は次には進めません。

世俗にいて、目覚めている、これはワクワクの道だと思います。

この次の段階として激流の道がありますが、これは、独りで歩む道になります。

誰でも、激流の道に飛び込めるものでは無いと私は思っています。

ラピ。さんも色々な人に接してみて、それをまざまざと感じている事と思いますが。

激流の道は、世俗感情一切放棄の道です。

すなわち、
人の世にいながら誰に対しての依存心のようなものも捨てて一人で生きる道です。

導師の実践者に対する立ち位置は非常に微妙なものが要求されます。

人になずむ事をよしとするうちは、この道には入れません。

私なども、この時期知人との縁も絶って実践せざる得なかったです。

一般的に言って孤独と言われる状態に持っていく必要性があります。

例えば学校とかでクラスに何人も人がいてもポツンと一人で居る人とかいますよね、
このようなポジションで居る必要があるのです。

世俗感情一切ならないと言うのがこの激流の道ですから、
緩流では無いので、本当に勘違いしないで下さい。

多くの人は、ワクワクの実践こそが必要なのです、
それで駄目になったと言う人が激流に進む資格を有する人です。

この激流に飛び込む人と言うのは精一杯色々やってきて、
ついに何やってもダメでどん詰まりだと言う人なので、
この激流の道を歩くことが出来るのです。

ここは誰にでも開かれている道ではありません。

ですから、イエスの聖書も、
釈迦の教えもターゲットが激流段階の人向けの内容なので、
実際は一般に合うものでは無いと思います。

マタイの福音書 7章13-14
>狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
>そして、そこから入って行く者が多いのです。
>いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

173:2013/10/23(水) 10:18:06
ご返答ありがとうございます。

>意識が広がり全体に溶けて消えていきそうになり、
>恐怖で戻ってきた事、

当時、ボディーワーク、瞑想等も沢山していて、その時の体験です。
ボディーワークの時は身体の声を聞こうという意識になりました。
深く入っていった時です。ミクロの世界にアクセスしてたのにマクロになってしまった・・・みたいな・・・
その時探求の扉の前にやっと立ったねと言われました。
その時から比べたらとても成長してると思うのですが、この扉はまだ開けられもしてない・・・と思いました。

世俗にいて、目覚めている、これはワクワクの道だと思います。

はい。そうですね。気付きました。


一般的に言って孤独と言われる状態に持っていく必要性があります。

みんなの中にいても、依存心もなくなり、外側からみたら群れてるようでも意識はそこに居るだけで
十分独りを感じていて、そこには何も引っ掛かりはなくなりました。そこは大丈夫だと思います。

激流の道は、世俗感情一切放棄の道です。

そのようですね

環境は変えず飛び込むことは難しいのですか?
環境を変えずに飛び込んだら、日常ままならなくなるだろうとは想像できます。
それが、ラピさんが短期間だからといってそうではなく、何年もかかる人、途中で挫折する人、
さまざまで、でも、彼岸に至る人は、それだけの実践を積み、本当に覚悟をもった人でないと、無理。
そして、そんな人は稀。

私が甘すぎました。実践も本気で取り組み、自分の本気度がどれだけのものか、仕切りなおしてきます。

いつになるかはわかりませんが、激流に飛び込む準備ができたら、またここにこさせて頂きます。

頭をがつんと殴られた感じです。こうしてられない・・・らぴさん、TK様、ありがとうございました!

感謝!

最後にひとつだけ・・・悟る時には先行く存在が必要だとよく聞きます。激流に乗る覚悟をしてから・・と記しましたが
その間、どーしても行き詰った時には来させて下さい

174monica:2013/10/23(水) 12:06:09
TK師匠さま、ラピ。さま
丁寧なお返事ありがとうございました。
実践を友として生きていきます。
やはり私には、この道しかないです。
ありがとうございました。

175実践マン:2013/10/23(水) 12:56:45
こんにちは。
昨夜のエゴとの戦いで思ったことです。

誰かが嘘をついたら、その嘘を真実と思います。
誰かが隠し事をしたら、その事実は無かったことにします。
誰かが自身を大きくキレイに偽るなら、その人を大きくキレイな人だと思うようにします。

今の私にとっての従順のあり方です。
そう考えを切り替えたら、人を裁かずにすみ、楽になりました。

176TK:2013/10/23(水) 18:34:15
けりーさん

>>一般的に言って孤独と言われる状態に持っていく必要性があります。
>
>みんなの中にいても、依存心もなくなり、
>外側からみたら群れてるようでも意識はそこに居るだけで十分独りを感じていて、
>そこには何も引っ掛かりはなくなりました。そこは大丈夫だと思います。

これをあなたが本格的にやったら、周りの人の方から付き合いを切られていきます。

つまり、あなたは本格的にはやれてません、まず、
悟った者の目でみた本格的というのはあなたの想像以上のものなのです。

>環境は変えず飛び込むことは難しいのですか?

これも何度も言う言葉ですが、このままの環境でやるから、
出家以上に激流になるのです。

出家と言えば、かの有名な何とか教の人たちをネット上で何人も見ましたが、
私の所まで至れている人など居ませんでした。

ニセの成就の印可を与えられて、人に教えを説いている、
このような状況を目にしました。

>私が甘すぎました。実践も本気で取り組み、自分の本気度がどれだけのものか、仕切りなおしてきます。

まだ、やり残したことがあると思うのなら精一杯それをやって下さい。

それでもやればやった分此の岸のままで幸せを手に入れられます。

私の場合はそれ以上どうしても進めなくなったのです。

>いつになるかはわかりませんが、激流に飛び込む準備ができたら、
>またここにこさせて頂きます。

その時には私はここにいないかもしれませんが、
あなたが激流を渡る定めを負った人であれば道はどんな形ででも開かれると思います。

彼岸に渡らずとも此の岸で充分に幸せは手に入れられますから、
あえて彼岸に渡らなくても大丈夫ですよ。

177TK:2013/10/23(水) 18:53:15
>誰かが嘘をついたら、その嘘を真実と思います。

凄いですね、それは本当の実践方法です。

ウソをつく者のウソを見破ってはならないと言うのが真実の実践法です。

しかし、これは当然危険と背中合わせの実践法ですから、あえて私は明かしませんでした。

子供だましと言う言葉がありますが、子供は純粋だから騙されやすいという意味です。

イエスの教えの通りの実践は紛れも無くそのとおりなのです。

マタイの福音書 18章2-3
>そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、
>
>言われた。「まことに、あながたがに告げます。
>あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。


しかし、よく気がつきましたね。

178実践マン:2013/10/23(水) 20:44:05
TK先生

ありがとうございます。

はい、先生がお話されていた実践をしたいと思いました。
自分を低くするだけではなく、人々を神のように尊敬するために、そう考えるのがいいと思いました。
聖書は読んでいますが、残念なことにちっとも意味がわかりません。
そういう意味だったんですね。
先生と出会えて本当によかったです。
1人では全く気がつけませんでした。

たとえ危険な目にあっても、そこに自分がいないことが、とても嬉しいです。停滞はイヤです。
実践、頑張ります。

179ラピ。:2013/10/23(水) 22:50:14
☆けりーさん

>意識が広がり全体に溶けて消えていきそうになり、
>恐怖で戻ってきた事、

私も一瞬消えかけた経験をしています。
第2の実践の時、実践の最後は一気に闇になりました。

この時に経験した闇は
今でもどうやっても表現することができません。
(闇とも違うのですが、とりあえず闇と表現しています)

ちなみにその時は消えそうになるのが怖かったです。
だから消えないよう、抵抗していました。

でもその実践そのものが あるものの消滅だったので
消えることに抵抗しようとしても、実践し続ければ
消えてしまいます。

その当時はその実践があるものの消滅であることに
気づいていませんでした。
消えることについても、
それがどういうことかわかっていませんでした。

でもだからこそ実践を決して辞めず
でも、消えることに抵抗していたのですね。

、、、ま、大変な状況だったのです。
(、、、そしてこの時は至れず、、、、)

でもこのかつての経験が役に立ちました。

新たなる実践中、
かつての闇を経験したときと似たような状態が来たとき
「これだ!」と思い、その状態に飛び込みました。

そして至ることができました。

かつての経験があったからこそチャンスを逃しませんでした。

ちょっと抽象的な表現になってしまいますが
こんな感じです。


>環境は変えず飛び込むことは難しいのですか?

私の実践は「今すぐやれ!」がモットーだったので
環境を変えることなく、どんな時もすぐに実践でした。

この日常、チャンスがいっぱいあります。

今できなくていつできるの?というモットーもありました。

そして実践とともに、仕事や家事もちゃんとしていました。
「やれるからやれ!」と自分に言い聞かせて
こなしていました。

もちろん、体がうまく動かなかったときも
日常、しなければならないことはきちんとしていました。

がんばりました。

どんな条件でも喜んで実践することが
大切だと思います。

大変な時こそ、チャンスです。

けりーさん、応援しています。

どうぞ、なにかありましたらまた書き込みくださいね!

180ラピ。:2013/10/23(水) 22:51:48
☆実践マンたん

ちゃんと実践してるからこその気づきですね。

これからも応援しています!

181ラピ。:2013/10/23(水) 23:41:22
みなさま、こんばんは!

昔からのブログ仲間のヤッズ★さんが
この掲示板を見に来てくれて
それについて記事を書いてくれました!

煩悩くん フルスロットル

http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2661.html

すばらしい記事だと思います!

@(*・ω・*)ポッ

182ちえ:2013/10/24(木) 10:05:50
こんにちわ。悟りを目指していない人、絶対的な幸せを求めていない人で、
でも冷やかしたいわけでもなく、ただその原動力がないだけで、
何かを目指している人に興味がある人は、
どこに書き込めばいいですか?

183ぽにょ:2013/10/24(木) 19:19:06
TK師、らぴ先生、みなさまお久しぶりです。

実践ができている。と、いうよりかは毎日恐怖心との戦いです。(それは体感的なものだったり)

経済的に困窮しても、お金について怖がっている私は本当の恐さから目を背けたいだけだからだ、などの気付きもありました。

恐れに飛び込み現実は動いていますが、思ってた方向には進まず、です。

私自身、悟る、ことについての憧れやこだわりが取れていくような気がしています。が、それが元々持っている敗北感と結びついていないかチェックしながら。
そして自尊心を持つということと下から在る、ということが私にはまだ全然わかっていないようです。

私はずっとフィギュアスケートの浅田真央が好きなのですが、彼女は『小さな時から子犬のように機嫌の悪いことが全然無かった』と聞いて衝撃を受けました。
そして私自身そうあるように心掛けています。怖くても笑う、そんな感じです。

184TK:2013/10/24(木) 19:27:35
ぽにょさん

>経済的に困窮しても、
>お金について怖がっている私は本当の恐さから目を背けたいだけだからだ、
>などの気付きもありました。

あなたは、ほとんどまともな実践にはなっていないですね。

人でも書籍でもいいですから、常に高次元の手掛かりに触れていなければ、
歩める道ではありませんから。

185ラピ。:2013/10/24(木) 22:16:42
☆ぽにょたん

おお!お久しぶり!
どうしてるかなって思ってましたよ。

もしかしたらぽにょたんは
実践というよりは思考や分析している時間が多いかもしれませんね。

実践はつねに実践であり、
気付きを得たらそれすらも捨てて実践となります。

なぜならこの次元での気づきは
どうやってもこの次元どまりだからです。

ぽにょたんは今、どんな実践をしてるのかな。
常に笑う、怖くても笑う、という感じでいいのかな。

それをどんな時もがんばってね。

本気で実践したいのなら「どんな時も」で
例外はなしですよ。

186ヤッズ★:2013/10/25(金) 23:11:02
TKさん、はじめまして!(師の師ということになりますね)
他の方もはじめまして!

ラピ。たん師匠 来たじょ〜(笑)

古くからラピ。さんを知ってる者である故に、TK氏師事後の劇的変化に驚いています。
で、これは本物だとも、、、

そして、その秘密の鍵が「自我の消滅」だったという点にも膝を叩いて納得いたしました。

半田広宣氏のチャネリング存在のオコツトによると、
「これから起こる意識進化は、人間が生きながらにして【死後の世界】へ入っていく
という言い方ができるかもしれません。その意味で言えば人間は不死となります。
そして、それが起きる理由は「自我の消滅」で、
人間は自我の死によって「永遠の生命=真我」に目覚め、
その高次の意識のバイブレーションによって肉体の削除が起きる。」
とまで云っており、肉体の削除が起きるかどうかはさて置き
奇しくも、ラピ。さんが辿った道(自我消滅→真我覚醒【悟り】=彼岸【絶対世界】入り)と同じなのです。

そういえば、以前から不思議に思っていたですが、
ラピ。さんからメールが来る時、「あっ、メール来るな」って感じた瞬間、
やっぱり来ました。しかも何度も(笑)。

此岸の岸辺で何年も意識が佇んでいたとのことでしたが、
だから、あのようなテレパシックなことが出来たのでは?と妙に納得いたしました。

私はバシャールのワクワクも願望実現ワークも「エゴの増大」を招くなぁ、、、
ということで一切やめたという過去があります。
まぁ、それ以前になかなか叶わないという苛立ちもありましたが(笑)
やめてからは、ドラム式洗濯機の当選、、、等、よく叶いました。

このスレでロバーツの話が出ていて、昔、書いた記事(209年)のことを思い出しまして
読み返してみたところ、現在の私とあまり変化ないことが分かりました(滝汗)。
やはり、私もずっと佇んだままなのでしょう。

■熱視線
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1155.html

この記事で書いたことすら忘れていましたが、
ロバーツの意識は「主体と様々な客体」(プレアデス)から「主体・客体の統合」(シリウス)、
更に先の「主体・その間・客体」(オリオン)という先の意識まで到達していますね。
掲示板で書かれている通りです。

これが聖書でいう

「汝はプレアデスの鎖を結ぶことができるのか?
オリオンの綱を解くことができるのか?」
(ヨブ記38章31節)

のことだと睨んでいます。

こういった知識だけは半端なく持っているのですが、
ラピ。さんや他の方のような神秘体験など微塵もなく全て耳年増的な知識ばかり。
(1回半、対外離脱体験があるだけです)

このように、まだまだ此岸という「相対世界」で彼岸を睨みながら憧れて佇んでいる者ではありますが、
人間の意識進化の先はコッチ方向で間違いないと確信しています。

今回、ラピ。さんに私の目になって貰う件、快く(?)了解して頂き、
早速「真我の目覚めより、エゴ消滅の方が先」とアドバイス頂戴いたしました。
(※何がエゴなのかよく分からないので、ちょとだけ真我に起きて貰おうかなと思っていた次第)

言われるまま、自我との葛藤という激流に飛び込む覚悟は出来ましたが、
仕事上で「あっ、コレ後回しにしたいなぁ、、、」と思うエゴに対して
ならば先にやってしまおうという感じで現在対処中でますが、
大体、勝ってしまいます。(エゴ負け)
勝てる戦いしかしていないのかもしれません。

で、今、この「激流」というものを自ら起こせないところで膠着状態。
何かアドバイスなどありましたら、御教示下されば幸いです。

187TK:2013/10/26(土) 00:23:22
ヤッズ★さん
>TKさん、はじめまして!

はじめまして。

要点を捕まえた、なかなか素晴らしい記事でしたよ。

>半田広宣氏のチャネリング存在のオコツトによると、
>「これから起こる意識進化は、人間が生きながらにして【死後の世界】へ入っていく
>という言い方ができるかもしれません。

ちなみにチャネリングなるものは、決して高次元的情報だとは思っていません。

私はチャネリングを捨てる事を説く者です。

>人間が生きながらにして【死後の世界】へ入っていく

私は死後の世界(かの世)を捨てる方法を説く者です。

なかなかたくましい妄想性ですね。

スッタニパータ13
>走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、
>「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は、
>この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て

去るようなものである。



>人間は自我の死によって「永遠の生命=真我」に目覚め、

この捉え方では、永遠の妄想の世界が待っていると言う所です。


>私はバシャールのワクワクも願望実現ワークも「エゴの増大」を招くなぁ、、、
>ということで一切やめたという過去があります。


激流を渡るには筏が必要ですが、筏はエゴでできていますから、
しっかりした筏(エゴ)が無ければ激流は渡れません。

188ラピ。:2013/10/26(土) 07:42:59
☆ヤッズ★さん

ヤッズ★にいたん、ようこそいらっしゃいました。
記事、ほんとお見事でした!
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2661.html

読んでて「うん、うん」と思いました。

私もかなりエゴが強かったのでそれを利用して渡りました。
かつては訳も分からずやっていたのだけど
順番としてはやはり少なくとも2段階必要で
まず、善玉エゴを増大させる実践。

(ちなみにこの善玉エゴは例えば自分の理想に向かって
全てをかけるとか、人のためとか
一般的に言われている「いいこと」を目標にして
精進することによって増幅されたもの。
自分の欲望のまま生きて増幅させるエゴは悪玉エゴで
悟りの道ではかなりの遠回りをすることになります。)

そしてとことん進んだうえで第2の扉が開かれます。

私の第1実践はご存じのとおり
「自分を捨てて喜んでなんでもしよう」でした。

はい、がんばりました。
自分の生き方として当たり前にやってきました。

そしてそれをとことんやりきりましたので
第2の扉が開きました。

ちなみにね、この道は本気で歩くと
「やめよう」などという選択はありません。

「やめよう」という言葉こそが「エゴ」の声なので
それを知っていたら
やめることはできませんね。

なぜならやめること=エゴに負けたこと
になるからです。

ちなみに私は「自分を捨てて」いたので
やめようなんてこれっぽっちも「思いませんでした」

思う自分も捨てていた。

そして自分のやってることに疑問を持たず、
「そうあるべきだ」という理想、信念のもと
とことんしていたからです。

にいたん、この道は本気で歩けば厳しいかもですが
本当にこの道が必要な人は
厳しいとも「思わず」、歩きます。

なぜなら「この道」しかないからです。

そう思える人がくじけず何も言われなくても
もう歩いてしまっています。

かつての私を知っているにいたんなら感じてたかもしれません。

「もっと楽に生きたらいいのに」

でも私はどうしてもそれが選択できませんでした。
というか、そんな選択肢がなかった。

偽りの楽はいらなかった。
続かない楽で私をごまかすことはできませんでした。

普通に生きていたら楽しいこともあるし、そうでないときもある。

でも私は絶対的幸せが欲しかったから
たまに来る幸せすらも捨てたのです。

そんなものいらない、と。

そして捨て続けて、激流を渡り、渡り切りました。

そして今、とても楽に生きています。

今は偽りの楽ではなくて
楽とかそうでないとか、そういうものを超えたものです。

本当に絶対的幸せはあったんだな、って思いました。

厳しいことを書いちゃったかな?(笑)

にいたん、応援していますよ!

@(*・ω・*)ポッ

189ヤッズ★:2013/10/26(土) 09:07:26
祖師、師、貴重なるアドバイスありがとうございます!

オコツト情報や他の情報も、
神秘体験の無さを補完するものとしてガムシャラに取り入れていました。
ただ、これらもエゴの欲を満たすだけのものであり、
エゴの理論武装化を増長していますね。

しかも激流を渡る場合には、その重さで沈んでしまうかもです。
実践者にとって害になることはあっても益にはならないですね。

彼岸(絶対世界)に至ることは、エゴの容器に満充満に充填されたものからの離別でもあり、
かき集めた情報を封印、、、いや捨て去ることにしました。
ここで紹介された最小限の聖典に置き換えてみます。


>激流を渡るには筏が必要ですが、筏はエゴでできていますから、
>しっかりした筏(エゴ)が無ければ激流は渡れません。

>順番としてはやはり少なくとも2段階必要で
>まず、善玉エゴを増大させる実践。

善玉エゴとして「ワクワク」を復活させます。
聖地(絶対的幸せ)奪回に向け「全軍出撃!」という感じでワクワクさせます。


>この道は本気で歩けば厳しいかもですが
>本当にこの道が必要な人は
>厳しいとも「思わず」、歩きます。

この実践の継続力の無さは最大の課題です(汗)。
私をよく知るラピ。さん故に完全に見通されていますね。
ラピ。さんの「修行僧」並のトコトン振りを長年傍目から見ている為、
「こりゃ〜半端なく大変な道だなぁ、、、」だとは感じてます。
で、「ワクワク」がその継続を後押しするというわけですね。


>厳しいことを書いちゃったかな?(笑)

いえいえ強烈なビンタが無ければ、目は覚めないものです。
悪玉エゴや妄想で九尾妖狐化した時など遠慮なく蹴りを入れて下さい。

190TK:2013/10/26(土) 17:38:44
ヤッズ★さん

実践には段階があります。

まずは人間対人間の世界で善を追及するという事。

当然戦いもありで、
出来るだけ高い理想を持ちそれの実現に向けて精一杯生きるという事です。

よく、人生哲学とか色々と言いますが、
実は至った我々には一切の哲学なるものはありませんが、
それは至った時には望まずともそのようになる訳で、
ここに向かうためには人生哲学なり理想なりの拠り所が必要なのです。

まず、拠り所の無い人のエゴは散漫な状態にありますが、
第一段階として、エゴにしっかりとした正しい方向性を持たせて進んでいくのです、
この段階ではエゴを強めれば強めるほど、
前へ進んでいけます。

充実感に満ちて幸せな気分も味わえます。

行きどまる事さえなければこの生き方で一生を貫いても充分だと思います。

確かバーナーデッド・ロバーツもエゴは決して悪いものでは無いと言う説明をしていたように思います。

所が精一杯やっても途中までは確かによかったのに、
どのようにエゴを強めようとそれより先に自分の持つ理想通りには進めない状況がやってきます。

それは、バシャールなどとこの地球は違う特性だからですよ、つまり、
「思いが実現しにくい」と言う特性がこの地球にはあるのです。

これこそが、バシャールなどの低次元を遥かに超えた高次元にアセンション出来る、
またとないこの地球の特性なのです。

つまり、
この地球のような「思いの実現しにくい」環境がなかったら我々の言う第2次実践の段階には進めないと言うわけです。

生きている内に、ワクワクを超えたこの段階に進める事が最良だと思います。

191けりー:2013/10/27(日) 19:32:49
来てしまいました・・・仕切りなおして来ました!

ここ数日、色々と振り返りました!ラピさん心温かい言葉ありがとうございます!(嬉泣)
TKさま、意地悪なお言葉ありがとうございます!(私がそう思ってるだけなので、私の問題ですが・・)

此の岸でも楽しいですよ・・とおっしゃいました(涙)また彼岸に至るのは考えているよりずっと厳しい・・とも・・

私は今生、私のようなものが、彼岸に至れるとは思ってもいませんでした。
そうゆう意味では、甘く考えていたと思います。

でも、このサイトを見つけ、心が震えました。至った人たちが此処にはいる・・と
目の前が開けていく感じでした。もしかしたら・・・と思うと飛び込んでいきたい気持ちでいっぱいです。
(至る前のラピさんのブログだけでしたら、心惹かれる事は絶対なかったと思います。m(__)m
でも、至ってからの言葉ひとつひとつが魅力でした)

何しろ私は自己流なので、段階を踏んできちんと実践されているのか分かりません。
私がしてきた事、なるべくまとめて書きます。判断していただけないでしょうか!

若かりし頃から子育て前半まで、私は正しい!人の為にする!をしてきましたが、
うまく回らなくなってきました。(以前にも少しふれましたが)
何が人の為なのか、子育てをしていて、ほんとは何が正しいのか正しくないのか、
全く分からなくなってしまいました。

そして自分のエゴを徹底的に見ていくことからはじめました。
私の行動のひとつひとつ、言葉の一語一語、エゴを見つけたら、
途中で行動や話すことを止め、気付いた時点で、すぐに修正(こっちの方が善だとおもう方に)
していく事を訓練していきました。
それをしていくと、自然と自分の中に新たな段階が生まれてきます。
エゴは以前ほど意識をしなくても、瞬間分かるようになってきたので、新たなテーマが出てきました。

その間小さな実践は沢山ありますが、ここでは大きなものだけ書きます。
相手を良く理解すること

これは、若い頃から教えられている事なのですが、私の未熟さ故、分かって欲しい!で
今まで歩んできたので、もう卒業!遅ればせながら、理解したい・・という気持ちになり
実践してきたところ、私がびっくりするような態度をしてくる人でも、その人の背景や、初めから
もってる素質のようなものを理解すれば、大抵の事は大丈夫と思うようになり、私の気持ちの中にも
色んな人がいて、本当にそれが当たり前と思うようになったし、そのことを教えてくれた事に本当に
感謝しかないし、赦し・・・という言葉も浮かんできました。
相手も・・・そして何より自分も赦しを乞いたい・・・愛するというテーマもありましたが、
ここでは控えます。
(長くてすみません。続きます)

192けりー:2013/10/27(日) 19:35:17
そして今続行中で、停滞してるテーマ(ここ数年、こればかりです)人の為に・・です。

これは、私が若い頃にしていて挫折を味わったテーマなので、実践するのが怖くて怖くて
なりませんでした。また独りになる・・・
しかし、思っていれば事はおきてくるのですね、母の病気を機に、知人や友人の大病。

人によって、信頼度、必要性など全く違うし、あまり立ち入っても・・関係性によっては
迷惑・・始めは躊躇して、やらない事も・・(全部エゴの声ですね)
でも行動を変えなきゃ何も始まらない!がモットーになっていたので、次からは色んな事をしていきました。
その人が本当に望んでいる事のお手伝い。

そしてそれは継続をしていますが、プラスさりげなく!(やってる〜感を出さずに、なるべく知られる事無く、
出来ればひっそりと)
もうひとつは求められたら直ぐにやる!(これは関わってる人がご高齢の方も多く、年をとってる人って
待てないんです!言ったら直ぐにやって貰えないとすねちゃうんです!)我慢させるのはもうシンドイ
ですからね。
今は言われたら、もしくは耳に入ったら直ぐにどこでも行きます!やります!お手伝いします!自分の事より
優先します。
そんな状態ですが・・昨年までは、自分の時間がなくなるほどすることがあったのですが今は落ち着いています。
まだ次には至りません。でも本当はちょっと心をよぎっています・・

私の実践はこんな感じで進めて来ました。実践していけば必ず楽になる自分がいましたし、
意識して生きるのが当たり前になっているので、この先もこんな生き方だと思います。
私の生きる喜びはわくわくではないのです。

こんな私ですが、此の岸から飛び込みたいです。
今がそのチャンスかはわかりませんが、進むことしか頭にありません。

TKさま、ラピさん、私は実践できているのでしょうか?それとも全く違うのでしょうか?
どちらにしても、今何をすべきなのか、彼岸に向けて導いていただけないでしょうか?
書籍もほとんど読んでいません。興味の湧いた精神世界の本ぐらいです。

193ラピ。:2013/10/28(月) 00:08:24
☆けりーさん

おかえりなさい!

読ませていただきましたよ。

>私が若い頃にしていて挫折を味わったテーマなので、実践するのが怖くて怖くて
なりませんでした。
>また独りになる・・・

ここ、けりーさんの重要ポイントでしょうね。

ちなみに「独り」がなぜ怖いのかな?


今まで確かにけりーさんは頑張ってきたと思います。
きっとそのおかげで いろんなことが意識的にできるようになってきたのでしょう。

ただし、それは此岸レベルのことであって
彼岸からすると「だからどうしたの?」ということになります。
(厳しい言葉かもしれませんが、そうなんです。)

まず、今まで自分が積み重ねてきたことはとりあえず忘れてください。

今の自分を作り上げている がんばったこと、積み重ねてきたこと
そしてそれによって得た知識など
一度リセットしてください。

>プラスさりげなく!(やってる〜感を出さずに、なるべく知られる事無く、
出来ればひっそりと)

これはかつての経験を活かしてのことでしょうか?
それもリセットしてください。

そしてかつて挫折を味わったテーマを
同じようにもう一度実践してください。

けりーさんがかつてやっていた実践なのだから
どんな実践かはけりーさんが一番わかりますね。

もう一度、一からやり直しです。

怖かったのですね。
でもその「怖かった」を彼岸にもっていくことはできません。

「怖い」
その気持ちがあったならば、彼岸を渡ることはできません。

ご存じのとおり、「怖い」というのはエゴの声で
実体のないものです。

単なる出来事に意味づけをしてあれこれ考えて
「怖い」と言っているのです。
そしてその意味づけに反応してしまっているのです。

どうぞ、けりーさんのかつての実践を頑張ってみてください。

あれこれ考えても始まりません。
そもそも、その「考え」こそエゴの声ですから。

「こうなったらどうしよう。ああなったらどうしよう。」

まだ起こっていないことです。

それよりもやってみてください。
思考する時間がないほどに一生懸命。

でもまだいろいろ考えたいのなら十分考えてください。
納得するまでいっぱい 考えてみてください。
決心できるまでとことん考えてください。

ちなみに考えている間は
まだスタートにも立っていません。

まずはスタート地点に立つことから。

決心したら、あとは実践のみ です。

194TK:2013/10/28(月) 00:28:38
けりーさん

あなたの基本姿勢がまず、全然なってませんが。

>若かりし頃から子育て前半まで、私は正しい!人の為にする!をしてきましたが、
>うまく回らなくなってきました。(以前にも少しふれましたが)
>何が人の為なのか、子育てをしていて、ほんとは何が正しいのか正しくないのか、
>全く分からなくなってしまいました。

ここからあなたは今現在ほとんど成長してませんよ。

>そして自分のエゴを徹底的に見ていくことからはじめました。

全然徹底して見てないですよ、言葉だけですね。

いくら表現でやったんだと言ったところで、あのたのメンタルは、
全然やってないんですけどと証言していますが、丸見えです。

あなたは、まだ、ワクワクの範疇を超えていません。

あなたは一体、高次元のテキストに何を使ったのですか。

あなたはいくらか背伸びをした気分かもしれませんが、
まだワクワクの低次元の実践の範疇を超えていません。

195salah:2013/10/28(月) 10:20:20
悟りの一瞥を体験してから何かを探す気になれず
いたのですが、最近、一瞥はしたものの、悟りきってはいない
自分に疲れていました
悟りの先にも実践があったということなのですね
淡々と生きることにエゴが残る故疲れていましたが
ここにまた来させていただきたいと思います
ありがとうございます

196TK:2013/10/28(月) 11:18:27
salahさん

>悟りの一瞥を体験してから何かを探す気になれず
>いたのですが、最近、一瞥はしたものの、悟りきってはいない
>自分に疲れていました

悟りの一瞥を体験したと判断できるのならなぜ人を求めるのですか?

あなたの言う悟りの一瞥と言うのは、人の教え以下なのですか?

だったら、それを悟りの一瞥と言うのはおかしいですよ。

あなたが、悟りの一瞥とまで断言するのなら、
自分の手でそれを確実にするべきです。

あなたの中には、人に対する強い依存心のようなものが確認できます。

それがあるうちは駄目ですよ。

今のあなたに悟りの一瞥と表現できるものがある以上、
私からお話しできることはこれくらいです。

あなたは人を求めすぎるのです。

ラピ。さんも私に会うかなり昔に悟りの一瞥がありましたが、
最終的にはそれを思い出し私の指導では無く自分で進んでいきました。

私はラピ。さんが悟りの一瞥を思い出すまでのお手伝いをしただけなのです。

あなたに対しては、以上です。

197ラピ。:2013/10/28(月) 12:21:00
☆salahさん

salahさんは初の書き込みですか?

ようこそいらっしゃいました。

悟りの一瞥ですか。

私もかつて、悟りの一瞥をしましたが
実は師に出会って教えていただくまで
そうであるとは知りませんでした。

その体験はその時点では
「悟りの一瞥」といえるようなものではなかったからです。

まだ悟ってない人が「悟りの状態」をわかるはずもありません。
わかるのであればそれは「悟りの一瞥」ではありません。

その時点で「悟りとはこういうものであろう」
という想像でその体験を「悟りの一瞥(ではないか)」と言われているのだと思います。

言葉に表せない体験です。
どうやっても今でも表せません。

でももし、本当にsalahさんのかつての経験が「悟りの一瞥」であるのなら
そこまで一度は行ったのですよね?

どうやって行ったか、自分自身が覚えていますよね?

その時の感覚がやってきた時がチャンスです。
そのまま進んでください。

でも今は淡々と生きられているようなのでチャンスは来ないでしょうね。

その「悟りの一瞥」の前に激流が必ずあったはずですから。

その一瞥が本物であるなら、ですが。

198ラピ。:2013/10/28(月) 12:57:46
あ、余談ですが
「悟りの一瞥」の経験は師匠に会うまでは
ほんとに謎の経験でした。

そしてスピリチュアル始めてから
「悟りってこんなものだろう!」
とブログに書いてました。

本物の体験を「あれはなんだったんだろう?」とずっとわからず
偽の知識を本物であるかのように思ってました。

偽の知識と表現しましたが
そもそも悟ることは「知ったりする」ことではないので、
偽の知識も本物の知識もないんですけどね。

知識は知識、道を歩くときは捨て去るものです。

だからスピリチュアルも
悟りの道を歩くのであれば手放さなければなりません。

経験者がここにいます(笑)

ただ私もスピリチュアル、長いことやってきました。

それのおかげで得たものもあります。
そして確かに楽しかった。

だから十分、満足いくまでズピリチュアル、いいと思います。

でも、更なる次元に行くと決めたから、
私は今まで得た知識を全部捨て去りました。

自分は一番下でいろいろ意見を言える立場ではない。
(師は「大会社の入ったばかりの若い新入社員」の例えで話してくださりました)

私は世界中で一番立場の低い至らない者

この姿勢で始めました。

今までどんな経験をしていても
一からのやり直しです。

@(*・ω・*)ポッ

199salah:2013/10/28(月) 13:18:27
TKさんラピ。さん
お返事ありがとうございます
TKさんのおっしゃるようにこの世界でなにをしても
ただのあがきです(あがきといっていいか)
あがきに意味もないのですがここに書き込むしか
ほかに方法がないという感じです
TKさんやラピ。さんはあの体験の状態のまま
この肉体を自分と認識してきた世界を過ごして
おられるのではと思ったからです
私が体験した世界は私は私という肉体を超えていました
ラピ。さんのおっしゃるように説明不可です
でもそれは一瞬だったんです
一瞬だったけどあまりにも強烈で
この肉体世界でなにをするのも意味がなくなったんですが
普通の世界が鮮やかに戻ってきた…と申しましょうか
その世界で肉体的には生きるものだと思いまして
でもそれをやってる途中でさまざまなエゴに振り回され
一瞥なんてあったのかというくらいになってしまいました
苦にどっぷりです
私には師がいません
好んで師を持たずにきたのですがお二人に師に
なっていただけるならと思いました
確かにこの世界で人を頼ってもそれは自分のエネルギー世界の
中のことであり、人を頼るの意味がわからないのではありますが…
ラピ。さんのおっしゃるようにその体験があった状態に自分を
持っていくことが意識的にできるかそしてもしそれができた時には
この肉体日常をらくにやり過ごすことができるようになるのか
と思いました
知っているけど基本的には分離してるんだと思います

200ゆうこ:2013/10/28(月) 17:02:01
こんにちわ。
実践の毎日ですが、今日はかなりの出来事がありました。
先日、「ラピさんにアドバイス頂いて発展的な関係になった」
とご報告した新人部下から

この数カ月、上司として全然できてなかったダメ出しを受けました。

実は、先日のご報告のあと、少し波風がたったため
昨夜は「下から」考えて反省した上で、今日は相手の気持ちを聞いて
さらに謙虚に改善しようと思って話し合ったのですが
そんなもの役に立たず、見たくない自分の弱さをズバリ指摘されました。

恥ずかしいことですが
「とにかく改善したいの」と、不満を聞き出せて
「ごめんなさいね」「これから頑張ります」と、言えたので
これから1から出直しです。新入社員以下の謙虚さと
業務をまとめる工夫を兼ねて頑張るしかありません。

今の会社の前は個人プレーや横つながりの仕事が多かったせいか
年齢に見合った部下を育てる力量が培われていない事に気付かされ残念です。

また、親に対して批判している部分を
そっくりそのまま自分も同じように批判されていることもわかりました。

そんな至らない私ですが、
目的は同化しているダメジガを削ぎ落すことなので
落ち込むヒマなく、砕いて研磨して信頼関係を築くしかないです。
プライドや嫌悪感、自責感など不要です(と、ここに書かせて下さい^^;)

この数カ月標榜していた「感謝」も「下から」も過去のこと
いくらガンバったつもりでも息子と同じ年の子に批判される程度では
甘かったということです。改めてやり直してみます。

ブッダを目標に、実生活上での具体的な改善点も見えたので
あとはやるだけです。
(プライド・ジガや自己嫌悪ジガは、思ったより静かなので
今日は眠れそうです^^;)
ダメな自分を自己憐憫したり正当化して
時間をムダにしないよう気をつけたいと思いますm(__)m

以前なら確実にぐちゃぐちゃ考えそうな局面で
ダメジガを客観視する目線を教えて下さったお二人に感謝をこめて
以上、ご報告でした。長文すみませんm(__)m

201TK:2013/10/28(月) 18:01:24
salahさん

>TKさんのおっしゃるようにこの世界でなにをしても
>ただのあがきです(あがきといっていいか)


私はそのようなことはここでは語っておりません。
もう一度精読されてから、もの申して下さい。

と言うのも、私のスタンスは全く逆ですから、
「折角肉体をまとって生きているのですからそれを有効に活かして」が私の実践者に対して示す姿勢です。

私自身が、
無駄と思えるこの世界と言う捉え方が真実かどうかを確かめるために自分の命を使った挑戦をしたのです。

>ですから、昔から、人間はより高次元にアセンションする事が良しとされるが、
>反対に天の神々は、
>さらなる高次元にアセンションを果たすためにこの物質世界に転生して思いが
>実現しにくいと言う特性を充分に生かして「思い」からの解脱を果たし、
>より高次元へのアプローチを試みるのだと言われていますね。


>如是語経
>> このように聞いて、ある比丘は世尊に次のように申し上げた。
>> 「尊き師よ、諸天神にとってよい境涯へ往く、と言われるのは、一体いかなることでしょうか。
>>また、尊き師よ、諸天神にとって善い所得を得る、と言われるのはいかなることなのでしょうか。
>>さらに、尊き師よ、諸天神にとって、きちんと安定した、と言われるのは、どのようなことでしょうか」
>>
>> 「比丘たちよ、人間の状態こそが、諸天神にとって善い境涯へ行く、と言われるものである。
>>また、人間となって、
>>真理の体現者が説いた教えと僧団の規定とに信仰を得るならば、これが、
>>比丘たちよ、諸天神にとって善い所得を得る、と言われるものである。



>TKさんやラピ。さんはあの体験の状態のまま
>この肉体を自分と認識してきた世界を過ごして
>おられるのではと思ったからです
>私が体験した世界は私は私という肉体を超えていました
>ラピ。さんのおっしゃるように説明不可です
>でもそれは一瞬だったんです

あなたにとってたかが一瞬、しかし、
ラピ。さんも私もその一瞬で得たものを貴重な大切な経典として、
彼岸に渡ったのです。

あなたにはその「一瞬」がある以上、あなたはもう盲人では無いですよね。

私が相手にしているのは主に盲人なのです。

ちなみに、肉体など、彼岸に渡らずとも此の岸にいるままでも越えられますから、
これがあなたの言う悟りの一瞥を表す説明なのですねと言う話なのです。

あなたの私やラピ。さんの次元を表す説明は、
かなり次元の低い人を表す表現になっています。

202salah:2013/10/28(月) 18:31:29
ごめんなさい
どこを精読すればいいかはわかってなくて
ただ肉体を持ってして思いからの解脱を果たすの一文は
なるほどとわかった気になりました
説明がへたくそでTKさんやラピ。さんの次元を表す説明が
低くなっていると感じられたのなら申し訳ないです
私の一瞥が一緒だとかそうでないとかの説明をしようと
おもったのではなかったので
でもTKさんがその一瞬を経典にして進んだとのお言葉を
いただき、またラピ。さんがその体験の状態を思い出すように
と前に書いていただいてるので、そのようにしようと思います
悪魔との対話も読んでみます
ありがとうございました

203TK:2013/10/28(月) 19:18:42
salahさん

>私には師がいません

私同様に聖典などを手掛かりに進んだという事だと思いますが、
あなたの表現する「悟りの一瞥」なる所までこの方法でたどり着いて、
何故にここに来て人に依存しようとするのでしょう。

人からああだこうだ言われるより、
自分のやってきた方法をもっと徹底すればいいと言う結論でいいと思います。

師とする人物を持つ場合、その師に全面信頼しなければならないのですよ、
それがたとえあなたの言う「悟りの一瞥」と食い違う事であったとしてもです。

ですから、私はあなたの悟りの一瞥は人の教え以下なのですかとお尋ねしたのです。

そして私自身、聖典などを拠り所として、
生きている人を拠り所とはしないで来たのです。

しかし、
これは言い方を変えれば全ての生きている人を師として実践したと言う意味なのです。

204けりー:2013/10/28(月) 19:20:00
ラピさん、TKさん 

>あなたの基本姿勢がまず、全然なってませんが。

全然駄目だったのですね。それがわかっただけでも良かったと思います。

私の実践は、ただのトラウマ解消法だったのかも・・・と頭に浮かびました。
次元が違いました。

>でもまだいろいろ考えたいのなら十分考えてください。
>納得するまでいっぱい 考えてみてください。
>決心できるまでとことん考えてください。

考えてても何も始まりません・・・とモットーにしてたはずなのに、
そちらから見ると何も始まってないって事なんですね。

私のエゴを徹底的に見る作業は、ラピさんの言う、甘い言葉で
エゴを静かにさせてるだけだったのかも・・・

エゴは消滅させていくものなのに・・・

>それよりもやってみてください。
>思考する時間がないほどに一生懸命。

エゴの声を一生懸命拾っていた事をやめ、エゴの声を拾わず、
とにかく思考せず、一から始めてみます。

書籍はここで度々引用されてるものを、読んでみようと思います。
自分のやってる事がわかって良かったです。ありがとうございます!

205TK:2013/10/28(月) 19:28:29
ゆうこさん

実践者のスタンスがどんなものか、把握されていると判断できました。

これで、潜伏する自我は表面にあぶり出されてきやすくなります。

あとは、状況に応じて巨大な自我が出てきた時が、
またと無い機会と捉えて有効な実践に充てて下さい。

206TK:2013/10/28(月) 19:40:16
けりーさん

あなたはまだ、ご自身のエゴが見えていません。

見えなければ、エゴへの対処は出来ません。

ちなみに、今書込みのあったゆうこさんは実践者のスタンスが出来てきています。

実践者のスタンスとは、あなたとは違って、
潜伏するエゴを表面に引きずり出す方法なのです。

この実践者のスタンスをとれれば、エゴを見抜く目が無い人でも、
容易に見抜くことが出来るようになるのです。

これらの方法が拠り所とする聖典の中に、載っています。

高次元の手掛かりを常に拠り所としていかなければ、
決して次元上昇は出来ません。

207salah:2013/10/28(月) 19:48:24
TKさん
あたたかいお言葉本当にありがとうございます
おっしゃる通り今なぜ依存なのかです
日常からいわゆるスピリチュアルのうわごとが消えてしまって(それはいいのですが)
ある意味ただの肉体意識まみれになっていたということです
変に安心しきっていたような…そんな感じでした

自分のやってきた方法を続ける…
悟りの一瞥があった前と同じことを結局は続ける、そのこと以外には
ないのですね(アジャシャンティさんの『あなたの世界の終わり』にも同じ事が書かれていました)
定着した目覚めを体現されてるお二人のことをふとしたことから今日訪れた掲示板で知り
お話お聞きした次第です
ありがとうございました

208ラピ。:2013/10/28(月) 20:31:17
☆ゆうこたん

ゆうこたん、すべてがチャンスですね。

>プライドや嫌悪感、自責感など不要です

うん、うん。ひたすら実践です。

そして
「実践できない!」
と思うときこそ実践のチャンスです。

@(*・ω・*)ポッ

209ヤッズ★:2013/10/28(月) 22:51:50
TK祖師、アドバイスありがとうございます!

>まずは人間対人間の世界で善を追及するという事。

「聖地奪回!」とはオーバー過ぎました。
対人間視野で「小さなことからコツコツと」で行きます。
この視野でも探せばいろいろとワクワクできそうなことがありますね。
明日から、、、い、いや今からでも早速実践に移したいと思います。

>確かバーナーデッド・ロバーツもエゴは決して悪いものでは無いと言う説明をしていたように思います。

エゴは人がアセンション(次元上昇)する為に、あらかじめ人の内面に埋め込まれた時限爆弾のようなものなのでしょうね。

>この地球のような「思いの実現しにくい」環境がなかったら我々の言う第2次実践の段階には進めないと言うわけです。

第2次実践の段階=ワクワクを超えた段階=ワクワクに背を向けた意思力のみで進める段階

喩えていえば、エゴは跳び箱の「踏み台」みたいなもので、
次元という跳び箱を飛び越える為に必要なものなのでしょう。
そして、その踏み台は①高さと②反発力で性能が決まると理解しております。

エゴの働きをワクワクする方向に使って行けば、
踏み台の高さ(エゴの増大)がある程度まで増して行き、
跳び箱を飛び越せる可能性が上がりますが、
これだけでは反発力が無いため高く飛び上がることが出来ず、
完全に「跳び箱」をクリアすることが出来ない。
飛び越す為には踏み台に反発力が必要。

「私の為」が存在基盤であるエゴに対し、
相反する方向性の「人の為」というエゴ縮小へ強い意思を持って踏み込むことで
力強い反発力が生まれる。
この爆発的な反発力を生む大元がエゴが自らの生死を掛けた戦い「激流」。

これら2つの効果で「強い反発力のある踏み台」が出来上がり、
「跳び箱(次元)」を飛び越せるようになる。
しかし、思いがすぐに叶ってしまうバシャール星では
この反発力が全く期待出来ない為に、
低くしか跳躍できないということですね。

>生きている内に、ワクワクを超えたこの段階に進める事が最良だと思います。

現在は踏み台の高さ調整の段階で、
踏み込み(第二の扉)はまだ先のことですが、
ワクワクしながらその時を待つこととします。

あとラピ。師匠に今後の進め方を相談したのですが、「ブログ無期限停止」を提案されました。

これが一番「激流」になるかなぁ〜(滝汗)。

師匠が黒といえば黒、白といえば白。
師弟関係とはコレが基本ですが、
絶大の信頼を置くラピ。師匠ならば尚更です。
それ以前に師匠には盲目状態の私の目になって貰っていますので、
その目が「こっちだよ」と示唆を与えば、
それに素直に従うべきは当然です。
で、「ブログ無期限停止」を受け入れました。

停止理由は、私が記事書いている時がフロー状態であり、
フローそのものではないということから。
これは「空っぽ状態」と「空っぽ」の違いと同じだよと言われました。
しかし、それ以外にも何か大きな理由があるだろうと思っています。
多分、文面から自分の欲望のまま書いて増幅させている「悪玉エゴ」を感じたのか、
あるいは、至る前のラピ。師匠が陥っていた泥酔状態=空っぽ状態
と同じだと看破したからではないかと思っています。

最近はブログもフルスロットル暴走機関車状態でしたので、
少し冷静になる為にも丁度いい機会でした。

210TK:2013/10/29(火) 00:07:33
ヤッズ★さん

>絶大の信頼を置くラピ。師匠ならば尚更です。
>それ以前に師匠には盲目状態の私の目になって貰っていますので、
>その目が「こっちだよ」と示唆を与えば、
>それに素直に従うべきは当然です。
>で、「ブログ無期限停止」を受け入れました。

あれ、やめちゃうんですか。

強引に激流に飛び込まされているような感じですね。


>停止理由は、私が記事書いている時がフロー状態であり、
>フローそのものではないということから。
>これは「空っぽ状態」と「空っぽ」の違いと同じだよと言われました。

激流理論はさすが、しっかりしてますが。

ま、頑張って下さい。

211ゆうこ:2013/10/29(火) 09:44:19
お二人からのコメントは本当に励みになります。
ありがとうございますm(__)m

今日は週に一度の休みで週課のデトックスデイなので
心も毒抜きしますが岩盤浴で体からも出すようにしてます(#^.^#)

ブッダの言葉には人の体の事も多く書かれてあって興味深いです。

・・・てか、白状することもあって書き込みしてます^^;

ヤッズさんのブログ、先日のリンクで飛んでみて
すっかり忘れていた自分の名前を見つけビックリしまして^^;

6年ほど前の■覚醒戦隊カクセンジャー■最後の新入り
ブルーグリーン・ゆうこ・・・です、私。ww

あまりアクセスしないままブログも止め
仕事や家庭の方に忙しくして、すっかり忘れてました^^;

あれから療育も落ちつき、会社勤めの人間関係で煮詰まって
久しぶりに今年、ラピたん。のブログから掲示板に辿りつき
先日はヤッズさんのブログに数年前の自分の痕跡を発見して
改めて当時の精神状態を思い出しました。

『覚醒』といっても今と全く方向が違うことを感じてます^^;

ブログを止めたのも
今思えば際限のないエゴの声に疲れたせいだと思います。
ブログを書く時間を家事育児に充てよう、と決めてから生活も向上しましたw

でもブログというツールでアクセスがなければ
確実に皆さまとのご縁もありませんでしたから本当に不思議です。

掲示板で貴重なお時間と労力を頂いてコメント下さるお二人と
皆様とのご縁に感謝です。

覚醒戦隊隊員がそれぞれの数年を経て
今から激流に挑む隊員が彼岸に到着するかどうかはさておき
この掲示板はインターチェンジのようなものでしょうか。

複数の道路が立体交差する中で
二人の師匠のランプを頼りに方向確認して
他の方の道も拝読して
また自分の実践の道の運転に戻る元気を頂く・・・
(フリーライドな点に大変恐縮しております)m(__)m

家々を托鉢して修行した時代に比べ
このようなアクセスツールで、ぬくぬくと家に居ながらの実践です。
大変、とかツライとか、とても言えた身分ではないですね。

また長文になってしまいごめんなさい。

今日も実践がんばります。

212けりー:2013/10/29(火) 17:57:52
TKさん

ゆうこさんをはじめ、皆さんの書き込みを参考に、間違った実践をしないよう
一から始めてみます。 

高次元の書もしっかり読むことにします。 

ありがとうございます。

ラピさん

今は駄目だしされ、久々に寝ても覚めてもお二人の言葉で頭がいっぱいです。
もう、いいや〜・・・との言葉にとらわれないよう、一生懸命やってみます。

ありがとうございます!

213ラピ。:2013/10/29(火) 21:30:46
☆ゆうこたん

カクセンジャー・ブルーグリーン!
ちなみに私はパープル!(笑)

なつかしいね。
ゆうこたんが忘れていた過去の自分に
出会ったって感じかな。

確かにあのころのカクセンジャーは
ワクワクの実践の時だった。

第一次実践やったんやね。

214ラピ。:2013/10/29(火) 21:44:54
☆けりーさん

今けりーさんの頭をいっぱいにしているのは
「エゴ」の声です。

それがエゴです。

私、実はダメ出しはしてないのですよ。


実践は「エゴ」の声を無視してし続けます。

実践を遮る声は「エゴ」の声。
判断したり、意味づけしたりするのがエゴです。

それに負けずに実践、頑張ってね!

応援しています!

215ラピ。:2013/10/29(火) 22:27:52
「ブログと激流どっちがいい?」

その問いに迷わず「激流」と答えましたね。

にいたんのブログを書いている状態がフロー状態で
激流を渡り終えた状態(=悟り)がフローそのものである
というその話の流れから
「ブログを続けるのと激流に飛び込むの、どっちがいい?」
というつもりで聞きました。

そして激流ということになると、渡る時は
ブログを書けないほどの激流を渡ることになると思います。

それはいつ終わるかわかるものではありませんので
一生やり続ける、という決心が要ります。

「いつか終わる」

そんな気持ちでの激流はあり得ないからです。

そういう意味で激流を渡る時は「無期限で」
とお伝えしました。

このやりとりは「今すぐ無期限でブログをやめましょう」
という提案ではなかったのです。

言葉が足りませんでした。

でね、にいたんは今「わくわく」を実践しているのですよね?

にいたんの理想はなんでしょうか?

この第1の実践を思いっきりしたら自然に第2の扉が現れますので
今は「わくわく」を思いっきりすればいいと思います。

にいたんのブログも「わくわく」に使えます。
自分の理想の世界を表現していくのです。

ちなみにかつてもブログでワクワクしたよね。

「幸せゲーム」とか「カクセンジャー」とか。

ゆうこたんもカクセンジャーだったよね!(ここで再集合!(笑)

(ちなみに私の「幸せゲーム」の記事は

ブログのカテゴリ「幸せな金持ち宣言」を見ていただけるとわかります。

http://daisukirapisu.blog87.fc2.com/category15-6.html


ちなみにTK師がこう表現されていましたね。

>強引に激流に飛び込まされているような感じですね。

そんな感じでは決心があいまいになって
激流を渡り切れないし、そもそも激流は起こらないかもです。

実際、今回のことは、「私に言われたから」ですよね。

にいたんが自ら決心して
自分から激流に飛び込む必要があります。

にいたん、今を思いっきり頑張って。

にいたんの望む世界はどんなものですか?

そこからが始まりです。

「まずはにいたんの理想を生きるのだ」



TK師がワクワクと激流の違いを書き込みされています。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/152

私もその2段階を通っています。

216ラピ。:2013/10/29(火) 22:29:47
215の書き込みはヤッズ★さん宛てです。

@(*・ω・*)ポッ

217名無しさん:2013/10/29(火) 23:20:39
イライラしたり、八つ当たりしている自分を感じると嬉しくなるのはなぜでしょうか。

また自分が操り人形のように感じるのはなぜでしょうか。

この意志でさえ、自分のものではないと感じるのはなぜでしょうか?

こんな状態になることはありますか?

218TK:2013/10/30(水) 00:00:06
>こんな状態になることはありますか?

ありません。

219ヤッズ★:2013/10/30(水) 07:43:49
TK祖師、ラピ。師匠!
アドバイスありがとうございます!

>このやりとりは「今すぐ無期限でブログをやめましょう」
>という提案ではなかったのです。

あーーーーーーっ
そういうことだったんですか!
「無期限停止」を聞いた瞬間、目が点になって周りがモノクロになりましたが、不思議と何の躊躇もなく受け入れている自分がいました。でも今回の件、そう言われた後には何故か憑き物が降りたような清々しい気分になりましたよ(笑)。

>そして激流ということになると、渡る時は
>ブログを書けないほどの激流を渡ることになると思います。

「激流」の話に及んだ時、ラピ。師匠は私がかつて起きた過去想念が次々と湧出する「奔流」があって、次から次へと強い想念が湧出して頭の中を占拠して、1〜2週間の間大変だった時のことをチラっと述べられていましたね。確かに、あんな感じで「激流」が起きるならブログ書くどころではありませんね。それにしてもラピ。師匠はあのような状態が過去に数年間も続いていたことがあったとは、、、今更障ながら師匠のメンタルの強靭さに驚くばかりです。

>この第1の実践を思いっきりしたら自然に第2の扉が現れますので
>今は「わくわく」を思いっきりすればいいと思います。

はい、仰せに従います。
もう少しの期間「ワクワク」フルスロットルします。

>にいたんの理想はなんでしょうか?
>自分の理想の世界を表現していくのです。
>「まずはにいたんの理想を生きるのだ」

憧れの人物は織田信長なんですが、「人の為に」という善玉エゴ育成期に、彼のように「第六天魔王」的に振舞ってしまってもいいのかな?と悩むところ(笑)。

>にいたんが自ら決心して
>自分から激流に飛び込む必要があります。

まだまだ私の筏(いかだ)は小さく浮力も強度も無いため、激流に勝てないかもしれませんね。「自分から激流に飛び込む」という表現にずっと???と思っていましたが、紹介されたTK祖師の「激流とワクワクの違い」を読んで納得いたしました。実は、全掲示板読んでいたのでこの書き込みも読んだ筈なのですが、今とは内容の理解度が全然違います。

>この段階では、外を絶対的なものとして、中を滅ぼしていくのです。

最終的にこうならならば、第六天魔王的な織田信長でもいいかも(笑)
「激流」とはそれまで従順に仕えていた明智光秀が一変して起こした「本能寺の変」になりますね(笑)。

>繰り返し述べますがこれは危険な実践法なのでやれとは言わないですが、
>やる人は自分の自己責任でやるしか手がありません。

「激流」がこういったモノである為、「自分から飛び込む」という決心がいるのですね。

>私が実践時に風俗店の前を通りかかった時に店の呼び込みの人に声をかけられましたが、、、
>声をかけてくれた呼び込みの人の行為には非常に感謝するが、、、
>あなたのお気持ちは非常にありがたい、私はあなたにお金だけ払いますと申し出た、、、

>相手を自分を横道にそれるようにたぶらかす悪い者と識別してしまうのではなく、
>あくまで自分に善意を働いてくれた人と捉えると言う点です。

ラピ。師匠との会話で実践時に「100万円貸して!」と言われたら貸すの?という話が出た時に、金額は違うがTK師匠はお金を渡したと言われるエピソードがここの箇所ですね。う〜む、ここまで外を「絶対視」して自我を滅却しなければならないのが「激流」の実践なのですか、、、、この実践は半端な気持ちではできませんし、内部に強靭なエゴが存在(=強い意志力の反映)していなくては出来ないのが分かります。

>人に従うのではなく、「精一杯の高い理想」を持って、
>自分が中心になって人を導こうとする者の立場をとる事です。

R・シュタイナーのいう「絶対恭順」でラピ。師匠からから流れ込んでくる高い次元の流れを受け止めようとしていましたが、どうも今回の件、あらぬ方向に行ってしまったようです。「下から」というのは「激流」実践時における「外の絶対化」の時の言葉なのですね。今回の件、自分の中で情報混乱した状態で、似ているようで違う点がハッキリしてよかったです。

>強引に激流に飛び込まされているような感じですね。
>ま、頑張って下さい。

TK祖師の「呆れたような」この表現には、上の激流内容から判断した意味(強靭な意志力が備わっていない段階では激流に対処出来ないし、それは自分から飛び込むものであって、飛び込まされるものではない)が込められていたわけですね。多謝です。

220TK:2013/10/30(水) 19:09:21
ヤッズ★さん

ブログの記事もワクワク絶好調みたいな感じですから、
それがうまく行かなくなった時に激流と言う捉え方でいいのではないですかね。

ただし、このワクワクにしても、出来るだけの高い目的意識を持って、
中途半端では無く出来る限りの精一杯に取り組むという事がポイントです。

ここでは、散漫になっているエゴに方向性を持たせるわけです。

外に対して自分の理想を全力で打ち出していくわけです。

ただ、ワクワクの実践は誰でもできますが、
激流の実践は激流を本当に渡った人にしか教えられませんので、
一生の内におけるチャンスというものもそうあるものでもないのが事実です。

私の教えの中に今まで見たこともないような内容がもしあれば、
それは、そのようなものだという事です。

222ゆうこ:2013/11/06(水) 08:28:51
おはようございます(*^_^*)

先週は、『常に意識的にふるまう』ことを意識したところ
もう、エゴとりホイホイに大漁にエゴが捕れました。
んで、気づいた後で、
どんな種類のエゴか(自己顕示欲か、不安かなど)
次はどうふるまうか、改善策もあわせてメモすることにしました。

おかげで3日目にはエゴの種類もわかり
だいたい同じ発生源となるエゴにも気がつきました。
しかも改善策通りに行かずに同じエゴに負けることも多いです。

あんまりエゴ大漁で「ヤなやつ〜」と、げんなりしますが
それもエゴの声なんですよね。
やる気をそがれないよう、『スルーで改善』がんばってます。

何度も同じ種類のエゴが、
しつこく出てきては自問→削る、の繰り返しで
以前なら「アタマおかしくなりそう」と思ったはずですが
それくらいとことんで良い、と聞いてるのでダイジョブですw
・・・かなりシブトイ種類のエゴ居ますけどね^^;

「こういうとこは何も変わってないし変わらないんじゃない?一生」とか
「過去にああだったから、もうダメだよ」とか言う虚無エゴも居ます。

そいつの言葉でこれまで何度も挫折してますが今は
「あ、またエゴが言うてる」という感じで客観視できるぶん、
落ち込む時間が少なくなってます。

ブッダの言葉にあるような『蛇の皮を脱皮』するイメージで
ヤな自分という『皮』をどんどん脱いでますが

厚着しすぎで
いつ裸になれるかわかりません!

でも「脱いだらスゴイんです」、よね?私も他の人も。
ボ・キュ・ボーン・・・ぢゃなくてw
きっと、まぶしくて見えないくらいの光の粒子、っていうイメージです。

皮同士、ガピガピぶつけあって塵垢として落とす、
「落としてくれてありがとう」を意識して薄着の冬を迎えます!

223実践マン:2013/11/06(水) 11:44:41
TK先生

これまで理屈で解決する実践をやってましたが、体が動かなくなり、それ以上進めなくなりました。
体の声を聞き、見えない敵が何なのか悪戦苦闘した結果、体を思考の奴隷のように扱うエゴを発見しました。
今後は思考が体に奉仕していこうという意思が強まりました。
もっともっと神様の声を聞くよう努力していきます。
思考ばかりに振り回されていました。
ご指摘いただきまして、ありがとうございました。


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