- 1 :名無しさん :2011/07/30(土) 15:22:25
- 経済学者の責務は重大なのです。
▼未来に夢のない学問は不要です 経済学の定義、ノーベル賞にふさわしい経済学とは 「経済学はノーベル賞にふさわしくない」とノーベルの子孫4人は異議を唱えているとのこと、 生みの親であるアルフレッド.ノーベルの理念から、現状の経済学では、当然と思うのです。
▼アダム.スミスは国富、即ち山高ければ裾高しと考え、 マルクスは山高くなっても裾は高くならないからと配分に重点を置き、 ケインズは労働者を遊ばせることは国富にマイナスと考えた、 3者ともやり方は違うが目的は同じで貧困を撲滅しようとしていた、と理解しています。 裾を高くする政策は結果として、働く意欲がなくなるとの理屈もあり、やり過ぎの福祉も同じです。
▼これらを勘案し、経済学の原点に戻り ※「経済学とは貧困撲滅を研究する学問」と定義すべきです。 経済学の社会に対する影響力は強く、特に経済学に関心のある人は多いので、 定義することで アダム・スミス、マルクス、ケインズが意図した貧困のない世界が作れるのです。
この点で経済学者の責務は重いのです。 (参考)「世界から貧困が撲滅できないなら歴史に残る現世代の恥辱」(ビルゲイツの警鐘)
▼経済学の定義、経済学とは何か、経済学の原点に戻り明確にする必要がある。経済学者の責務です。 http://www002.upp.so-net.ne.jp/HATTORI-n/002.htm
- 2 :与太郎 :2011/08/16(火) 03:24:13
- 政治と経済は社会の両輪であるが、その政治や経済に関する理論を紐解くと社会の実体が見えると考えること自体が既に間違いである。
何れも、各々の社会における、あるいは、個人の都合による説明に過ぎないことであるからである。 特に、為政者や企業のトップと言われる方々にはリーダーとしての立場から言いたい放題ということになる。 現在の世界情勢は、経済を中心として育まれているものであるが、その掲示を運用する方々のエゴからアメリカもヨーロッパも、そして日本も 道を踏み外してしまったことを理解するべきであろう。 経済発展のためが理由と企業運営の都合から、おのおのの立場となる国家を欺き国民を奈落の底に貶めてしまったことが疲弊の元と言うことができるが、 一方、国民はそのことに気が付かないで大企業を神の如く崇め奉ることからその問題点が自分達を苦しめていることを理解することすらできないでいるものである。 この片棒を担いでいるのが国家であり公務員である。 更に、問題とするべきは評論家やマスコミであろう。 何れにしても、国民一人一人が政治や経済を理解し如何に自分の都合を基本とせずにもそれらに対する考察に合致できるか (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 4 :阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと) :2019/04/04(木) 14:24:14 ID:???
- 「資本論、って、資本主義を否定した本なのでしょうか」
https://blogs.yahoo.co.jp/assocy/38024710.html 知恵袋 《 マルクス の 資本論、って、資本主義を否定した本なのでしょうか。 宜しくお願い致します。 》 「資本主義を否定した本」と呼ぶことは、可能です。しかし、その否定の手法は、次のようなものでない、ということに注意する必要があります。 資本論が、とっていない否定の手法とは次のようなものです。 …
- 5 :とっぱ :2021/06/11(金) 18:51:51 HOST:softbank220060158118.bbtec.net
- 感情を含む体験の根本原因は体験者自身の先入観・自分ルール・思い込み・色眼鏡・記憶・判断基準etc。価値観が変わらない限り似たような体験を繰り返す。執着が強いほど感情も強まる
情報をどう解釈し反応し対処するかは解釈者の自由選択。「世相・言葉・服装・風紀の乱れ」はそれを感じる本人の心の乱れの自己投影 不満イヤ不安ウザ不快コワ不信キモ不可解の原因は各人の固定観念にあるので他者のせいにするのは筋違い。他者に不自由を与えた者は自らも不自由を得る 故に、貴方が誰かを怒らせても貴方に相手の怒りの原因はない。逆に、誰かが貴方を怒らせても相手に貴方の怒りの原因はない 他罰的で他力本願で問題解決力が低く対外評価を気にする不寛容者ほど、情緒安定と自己防衛の為にマナー礼儀作法ルール法律を必要とする
感情自己責任論(解釈の自由と責任)~学校では教えない合理主義哲学~ttp://kanjo.g1.xrea.com/
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