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ノート

1千手★:2009/02/11(水) 02:37:28
まずは備忘録代わりに

2千手★:2009/02/11(水) 02:46:15
カエサルがゲルマン人について語るところによれば、「彼らのなかには一定の広さの
土地や自分固有の領地を所有するものは誰一人としていない。毎年、族長や有力者たちが
部族や共同生活を送る血縁集団に対して、彼らにふさわしいと判断した広さと場所の
土地を分配するが、次の年になると彼らを強制的に別の場所に移動させるのである」
(デュメジル『ミトラ・ヴァルナ』8-2)

3千手★:2009/02/11(水) 02:54:17
彼(=カエサル)の報告によれば、ゲルマン人は長いあいだ農業に従事することによって
戦争を行う意欲を失うこと、農民の貪欲さとそれに付随する不正に屈すること、
安逸な生活を追究するようになること、富を愛することによって自分たちのなかに
党派や不和が生じたりすることを恐れていたという。そして最後に、今度は
積極的な理由が挙げられているのだが、それによれば、共有制度は「自分の財産が
有力者たちの財産と平等であることをそれぞれが確認することによって」、民衆を
満足させ、彼らを抑えるのに適している。
(同前)

4千手:2009/02/11(水) 03:10:10
最古の時代から世界を説明したり管理したりする呪術・宗教的な「システム」には二種類あり、
そのうちの一方(ミトラとマヌ、フィデス=テルミヌス女神とヌマ)が血を流さない祭祀形態へと
人を導き、逆にもう一方の「システム」(ヴァルナ、ユピテル)は生き物や動物、ときには
人間の殺害を必要としていたのではないだろうか。
(デュメジル前掲書4-8)

5千手:2009/02/11(水) 03:40:18
[上記のヌマの場合の説明]
ヌマはこの上なく正確な供犠執行者であり、信頼(フィデス)の人である。にもかかわらず、
彼は最小限の出費でその義務を果たそうとする。恐ろしいユピテルの要求する人身供犠を、
策略によってまんまと玉葱と毛髪、小魚に代えただけではなく、プルタルコスによれば、彼は
一度も流血供犠を行わず、小麦粉や灌奠、「他のたいへん質素なもの」(「ヌマ伝」8)を
捧げるだけで満足していたそうである。とりわけテルミヌス女神の祭祀*を定めた際には、
「分別のある彼は、平和の守護者であり正義の証人でもある境界の神がいかなる殺生によって
汚されてもならないと知っていた」ため、生き物を殺すのを避けたという(同書16)。この種の
「ためらい」こそがローマ伝説のヌマをピュタゴラス学派に結びつけるきっかけになるわけだが、
だからといって、それが道学者風の歴史家たちによって人為的にピュタゴラスからヌマに
もたらされたなどと考えてはならないだろう。むしろそうしたためらいはあらゆる暴力を憎む
祭司=王という理想に完璧に一致している。ヌマはただ血を流すことを控えることで、理想を
極限まで押し進めているだけなのである。
(同前)中村忠男訳『ミトラ=ヴァルナ』ちくま学芸文庫より。*はわたしが訂正したところの印。

6千手:2009/02/11(水) 10:07:58
[次はこのミトラ=ヴァルナの双対に対して介入してくる第3の神インドラの話]
第二節で取り上げた負債をめぐる示唆を別とすれば、インドで問題となるのは呪術=宗教的な事例、
あえて言うならば供犠祭主と神々との交換を規制する「儀礼法」とでも言うべきものにほかならない。
すでに見たように、ミトラとヴァルナがこの法を保証しており、不手際もしくは不正な供犠執行者は、
古代ローマにおいて期限を守らない債務者が自動的に債権者のもとに繋がれたのと同じように、
ヴァルナによってただちに「縛められ」かねなかった。ところがブラーフマナ文献には供犠祭主が
思いもかけない仲裁を受けて、この暗い袋小路を抜け出す物語がいくつか語られており、これはやはり
ここで検討してしかるべきだろう。
(デュメジル前掲書6-4)

7千手:2009/02/11(水) 10:18:47
[つづき]
さて、ここで問題にする最初の物語は、すでに第三章第六節で紹介したものである。
すなわち、鬼神の祭官たちの求めに応じて、自分の妻を生贄にしようとしたシュラッダーの奴隷、
マヌの説話がそれだ。ここではメカニズムは歯止めを失い、致命的な暴走状態に陥っている。
もしもマヌが最後までやり遂げず、突如として人間性に目覚めたならば、彼は供犠の法に背くことになり、
ヴァルナの縛めに落ちることになるだろう。そこで彼はためらわずに最後までやり抜こうとする。
するとそこに、ミトラでもヴァルナでもない神が突然現われ、憐れみの情からこの恐るべきディレンマを
率先して打ち破ると、さらにその責任を取り、たとえ供犠が行なわれなくてもマヌはその恩恵に
浴するだろうと決定したのである。この神とはまさにインドラにほかならない。
(同前)

8千手:2009/02/11(水) 10:30:55
[ヴァルナの補足説明]
ヴァルナとは「緊縛神」に他ならない。サティアムとシュラッダー、すなわち
さまざまなかたちの正確さを尊重する者がミトラによって守護されるのに対し、
それらに背く者は誰であろうと、語の即物的な意味でヴァルナによってたちまちに
縛められてしまうからである。
(前掲書6-1)

9千手:2009/02/11(水) 10:47:03
[ミトラとヴァルナの活動範囲が儀礼と供犠の領域を越え、負債とかかわるところで、連帯的に、法的な意味をもっていたことを示すテキスト]

「法によりて汝等(=ミトラ、ヴァルナ)堅く結ばれ、規則によって人間たちに約束を守らせしものなり」
(前掲書6-2)

10千手:2009/02/11(水) 10:51:34
[上記テキストについてのデュメジルの解釈]
一方、儀礼文献がうんざりするほど繰り返しているように、縛めは何よりもヴァルナの専門である。
だとするならば、ここでもやはりミトラが規則に適った交換を温かく見守り、ヴァルナが
支払いの悪いものを「縛める」というかたちで、両者のあいだに連帯関係があることが窺えることになる。
(前掲書6-2)

11千手:2009/02/11(水) 11:15:29
[ヴァルナの縛めを解くインドラ。ヴァルナ→アグニ→一切神群→インドラ→アシュヴィン双神へのたらい回しの後]
ところが、アシュヴィン双神が「曙光」に祈りかけるように彼(=王の息子の身代わりに
生贄に買われた若いバラモン、シュナハシェーパ)に助言したところ、奇跡が起こった。
彼が詩節を一節ずつ唱えるにつれ、王を縛めていたヴァルナの「縄策」がゆるんでいき、
水腫は消えうせ、ついに生贄を捧げる必要がなくなってしまったのである。
(デュメジル前掲書6-4)

12千手:2009/02/11(水) 11:22:18
[承前]
おそらくインドラの介入はこれほど祭司的ではない形態の物語ではもっと決定的なものであったことだろう。
というのも、ヴァルナによって定められた古い王の聖別儀礼(ラージャスーヤ)が、本来は人身供犠という汚点を
有していたのに対し、後代の文献ではインドラによって定められた王の聖別儀礼(アシュバメーダ)が対置されており、
そこには人間の生贄が含まれていないからである。
(前掲書6-4)

13千手:2009/02/11(水) 11:57:06
次に上記6-4のインドラの介入というシーンについてのデュメジルの受け止めを紹介する。
こじの節はデュメジルの著書のなかで最も偉大なページだろう。
ドゥルーズの戦争機械論はこのデュメジルの発見から理解することができるのだが、それをまともに解釈したものをわたしは寡聞ながら知らない。

ここでは自ら戦う神であり、兄弟神マルト神群で最も優れた、英雄集団を統率するインドラが、
ガンダルヴァの王である呪術神ヴァルナに対置されている。すなわち、もはやわれわれは
祭司的な「至上者」固有の神話体系を越え、それが軍事的指導者の神話体系と激しくぶつかり合う
劇的な合流点に立っているのである。
(デュメジル前掲書6-5)

戦士結社が浮かび出てくるのだ!

14千手:2009/02/11(水) 12:04:55
さまざまな証言を総合してみると、これらの戦士たちの経済道徳は、性道徳や行動様式全般と同様に、
たとえ平時であろうと戦時であろうと、他の社会階層を規則づける原則となんら共通するところが
なかったようである。タキトゥスがカッティ族の「戦士結社」について述べるところによれば、
「彼らのなかの誰一人として家や畑をもたず、またなんの煩いの種ももたない。彼らは誰の家であろうと
勝手に上がり込んでは、食物をもらい、他人の財産を乱費し、自分の財産を軽蔑している……」
(デュメジル前掲書6-5)

15千手:2009/02/12(木) 00:46:26
[承前]
ところで、こうした「男性結社」の神は多くの点から見て恐るべき存在であるにもかかわらず、
インドの説話では呪術師的な「緊縛神」との対立で、あたかも慈悲深い神、すなわち定期的な生贄、
ヴァルナの生贄となる人間を解放する神であるかのように見えるが、これもなんら不思議なことでは
ないだろう。戦士と魔術師、別の次元で言えば兵士と警官は、ともに必要とあらば同胞の自由と生命を
侵害するのに躊躇しないが、両者は互いに相手が嫌悪するような方法でそれを遂行するからである。
(同前)

16千手:2009/02/12(木) 00:50:56
[つづき]
とりわけ戦士は法の埒外、あるいはその上位に置かれていることから、赦免権であるとか、
規範的メカニズムのなかでもとくに「厳格な正義」のメカニズムを打ち砕く権利、要するに、
恐るべき決定論に陥った人間関係の中に人間性という奇跡を導き入れる権利をわがものとしている。
(同前)

17千手:2009/02/12(木) 13:39:40
[シュラッダーに関して 供犠の全能性]
実を言えばさまざまな儀礼文献が示唆していたり、いくつかの箇所でははっきりと
明言しているのだが、そのシステムは供犠の全能性という教義にもとづいているのである。
すなわち、そこでは供犠こそがその規則や執行者ともども神々とは無関係に、あるいは神々を超え、
ついにはわれわれの世界をはじめとする他のすべての世界を動かす唯一の原動力となるのである。
(前掲書3-5)

18毛蟹:2009/02/12(木) 18:05:04
僕がたぶん一番好きな映画のタイトルが漸く分かった。
「バベットの晩餐会」というのだ。
忘れないようにここに書いておこう。

19千手:2009/02/22(日) 00:40:17
プルタルコスによればヌマが第2代のローマの王位につく時、カピトーリウムに登って、神の徴が現われるのを待った。
そして吉兆の鳥が現われたのだが。
オバマがアメリカ大統領に就任する時、彼は聖書に手を置いて宣誓をしたが、しかし神の吉兆を待つことはしなかった。
この違いは、きっと小さくないことだろう。

20千手:2009/02/24(火) 13:58:42
『沙石集』1-8「生類を神明に供ずる不審の事」
「諏訪の勘文」に似た話。広がりと考えられる。

21毛蟹:2009/02/26(木) 01:26:38
漸くアメリカも「地球温暖化」を救世主にするらしい。
いま金になるのは温暖化しかないと思ったんだろう。
神を信じない輩、「神なんていない」という輩も「温暖化なんて嘘だ」とは公言しにくい。
今世紀の神様は温暖化なんだ。
汝神の存在を疑うべからず。
今度の神様はバブルをもう一度もたらしてくれる有り難い神様なんだから。

22千手:2009/03/03(火) 10:30:15
http://www.youtube.com/watch?v=r9fZTXC5E1M&feature=related
オニナニケケ。おもしろい。

23千手:2009/03/07(土) 01:46:36
今西錦司「自然学の提唱」
>形態にしろ行動にしろ、この突然変異が適者である場合にのみ、彼は競争に勝ちのこることになるのだが、
その反面において生存競争に破れたものの死滅ということが、いつも考えられている。神様はつねに
エリートの味方をしているということだ。そのへんのところが、キリスト教徒である西欧人には魅力的なのか、
今年はダーウィン没後一〇一年目だがいまだに共鳴者がたえない。(pp.277-278)
 これは今西がダーウィン進化論の説明をしているところだが、ダーウィンの「エリートが適者だ」という論理に対して
ニーチェは正反対の主張をする。「月並みな(平凡な)者(群をなす弱者たち)がもっとも適応しやすいのだ」と。
 社会ダーウィニズムの主張を容れて「白人がもっとも進化した生物だ」という主張を認めるとして、このことは
ニーチェ的な見方からすれば、「白人がもっとも平凡な生物だ」という意味になる。
 このニーチェの見方があまり人に知られていないのは、ニーチェのいう「強者」の像の方が
ほとんど理解されないからであろう。

24千手:2009/03/07(土) 02:07:29
ダーウィン型進化論に対する今西の批判は、全生物は同じ地球から生れた存在であるから、
進化が競争であるはずがない、という主張だと理解してよいのだろうか。
 進化は分化であるというとき、ニーチェの主張は、この分化は強者がおのれの生存の余地を開拓することによって生じるのだ、
という主張だと言っていいだろうか。「棲み分け」を分化と説く今西はニーチェに対して何を言っていることになるのだろうか。
反発は少ないかもしれない。それが東洋の知恵だといえるのだろうか。
 今西が見えなくしている「創造の過程」があるとおもう。
 誰にとっても見えにくいものだが、確実にそれはある。直観音楽の誕生がたとえばそれだ。
 天の火を受け取る時がそれだ(ヘルダーリン)。

25千手:2009/03/07(土) 02:18:26
>進化は個体からはじまるのではなくて、種社会を形成している種個体の全体が、
変わるべきときがきたら、みな一斉に変わるのである(p.270)
 この今西の主張の「種個体の全体が一斉に変わる」というところを、
「ひとつの種個体、もしくは一グループの種個体が変わる」とし、
ここにある種の分断の原理を入れなければならないと思う。
種社会の個体全部が一斉に(同じ方向に)変わることはない、と。

26千手:2009/03/07(土) 02:24:06
それにしても今西の議論は魅力がある。駄弁ではなく、明確な批判、否定があるからだ。

27千手:2009/03/07(土) 10:23:16
上述の「分断の原理」としてひとつ「地域性」というものが提案できないか。
わたしは今西の著作として上掲の「自然学の提唱」以外全く何も読んでいないのだが、
だからこそここで「地域種社会」という概念を提唱しておきたい。
とりあえずは「種社会」の下位概念としてである。今西はこう言っている。
>以上からおわかりのように、この三つの構造単位のあいだは、全体と部分という関係で
結ばれている。すなわち生物全体社会の構成単位は種社会であり、種社会の構成単位は
種個体であるというように。逆にいうなら種個体のすべてで種社会が成立し、
種社会のすべてによって生物全体社会が成立している。生物の種類がいかに多くとも、
この三重構造の体系外にはみだして存在するようなものはいない。この構造の把握こそ、
生物的自然認識の出発点であり、同時に客観的自然観の出発点でもある。(p.267)

28千手:2009/03/07(土) 10:54:54
この話をしておこう。
飛騨には嶽(ダケ)がある。乗鞍嶽、笠ヶ岳。
飛騨の熊はいざという時には嶽の方に入っていくはずだ。
そこまで人間は入ってゆくことができない。
一度乗鞍の山腹に熊を追っていって、霧氷の流れる河を体験した、と橋本繁藏さんは言っていた。
その流れにちょっとでも触れたら、何百メートルも飛ばされてしまう。
熊でもぶっ飛ばされてしまう。
---こんな光景を誰も見たことがないのではないか? 見て、生きて帰った人が他にいるのか、と思う。
その向こう側に熊がいるはずだった。
その、嶽から吹き降ろしてくる霧氷の流れる河を、二キロも三キロも下がって、やっと向こう側に渡れたという。
 嶽があるから飛騨の熊は生きてゆける。橋本さんもそう考えているようだった。

29千手:2009/03/09(月) 19:19:10
『土佐日記』(岩波文庫pp.44-45)
>おもしろきところに船をよせて、「こゝやいどこ。」と問ひければ、「土佐の泊。」といひけり。
むかし、土佐といひけるところに住みける女、この船にまじれりけり。そが言ひけらく、
「昔、しばしありし所の●なくひ●にぞあなる。あはれ。」といひて、詠めるうた、
  としごろをすみしところのなにしおへばきよるなみをもあはれとぞみる
とぞいへる。

この「なくひ」のところ、脚注は<意味不明。文意から考えると、「同じ名」「似た名」の意と思われる>と記し、さらに補注を付けている。
その補注も優れた説がないことを記している。
 だがわたしの考えだとこれは簡単なことなのだ。
 つまり「なくひ」=「名食ひ」なのだ。
 むかし人がしばしばやっていた「名食い」をしているのだ、と訳せるだろうか。
有名な土地の地名を食って、別の土地名前にしてしまうというやり方だ。今で言えば「田園調布」というなをどこかの町名に付けてしまう、というようなやり方だ。
このことを「なくひ」と言っていたのではないか。 あるいは民俗例があるかもしれないが、今はそれを探すひまがない。
だがほとんど確かなことだと思える。

30千手:2009/03/10(火) 01:08:41
『土佐日記』は貫之の土佐との別れを書き遺したものだが、ここにはひと土地(地域)との関わりの最も本質的なものがあると思う。
ひとつ別れの視線であること。その土地から永遠に別れる者の視線で描かれていること。
そしてその土地に心を、断つに断ち難い思いを残していること。
 この観点は、ある地域についての語りの最も本質的なものを含んでいるであろう。
 ひとは、この世を去る時、おそらくこの観点をもつ。

貫之は、任地の土佐で、ひとりの娘を亡くした。その地で埋葬したのであろう。
しかしやがて年月がすぎ、国守としての任期が終わる。土佐を離れ、京に戻らなければならない。
その辛さ、別れがたさ。

この思いこそ地域学のテーマではないか。最も重要なテーマのひとつのはずだ。

31千手:2009/03/10(火) 01:38:12
川勝平太氏は鶴見和子の内発的発展論を十二の特徴に分けて説明しているが、その中にこんな言い方が出てくる。
>第九に、内発的発展論の分析対象の単位は地域である。内発的に発展するのは人間であるが、人は空中に生れてくるのではない。文化の刻印をおされた地域社会に生れてくる。人間は地域文化の刻印をおされた具体的存在である。(『「内発的発展」とは何か』藤原書店p.22)
わたしはここにある違和感を感じる。たとえば貫之にとって土佐は何だったのか? 貫之は土佐文化の刻印をおされた具体的存在なのか?
多少は土佐の文化のかおりもあるだろう。だが文化的なところでいえばほとんど京的なものだ。そしてその奥底まで国家の刻印を押されている。
貫之のような人間は土佐の内発的発展には何の関わりもないような人間なのだろうか。その通りだろう。
だがわたしは貫之がいた延長八(930)年から承平四(934)年の土佐も土佐という土地の地域学の問題と考えたいのだ。
 地域における異人の問題といえるだろうか。地域学はこの観点を欠かしてはならないと思う。

32千手:2009/03/10(火) 01:50:04
わたしはその土地(の生活)を去る者のまなざしから、土地や地域の問題を考えたいのだ。
人はみな、死によって、その土地の生活からは去るのであるから。
そういう存在として、その土地のことをどう語り遺したいのか。
ある地域についての語りは、去り行くもののまなざしによって、この上なく愛おしいものになるのではないだろうか。
地域について語り遺すこと、たとえばかつての一揆について語り遺すこと、語り遺されたこと、ここから幾らかは地域の文化ということが語られるだろう。

33千手:2009/03/10(火) 01:56:20
『土佐物語』のなかの貫之の最後の歌。

みしひとのまつのちとせにみましかばとほくかなしきわかれせましや

きちんと読み取れないのだが、「まつのちとせにみましかば」というのは、土佐に赴任することなく、京にいられたならばという意味が含まれているのだろうか。
そんな気がする。

34千手:2009/03/10(火) 03:53:49
>>33
訂正
『土佐物語』→『土佐日記』

35千手:2009/03/10(火) 22:31:06
>>31
に紹介した川勝理論にに対して。
わたしが考える「内発的発展」あるいは「詩的な場所」の考えでは、
運きの源になるのは、個人かグループであり、
その源になるのが「天から降りた火」ないしは「雷光」なのだ。
ヘルダーリンから「詩的な場所」を考えてゆく限り、「詩人」による「火」ないしは「雷光」の受取りが最初の出来事で、
次でその(グループによる)反復的な広めがある。直観音楽も同じだ。
そうしてたとえばキュルテンは詩的な場所になってゆく。

36千手:2009/03/10(火) 22:49:44
>>31の川勝氏の「第十」も記しておこう。
>第十に、内発的発展論は多様な地域性、多様な発展系列、多様な人間群像を寿ぐ価値多元論である。
>地域の固有性が重視されることによって、そのまま価値の多元性があたたかく肯定され、発展形態の多様性が称揚されるのである。
>地域の数だけ発展の形態がある。西欧の発展も発展の一つの形である。(p.23)
 わたしには川勝氏が具体的にどのような問題を掴まえているのかよくわからない。理想化された抽象的な観念を語っているとしか理解できないのだが、
それはきっと「地域の固有性」がどうやって生れるかがよく分からないからだ。そういうものがはじめから存在するかのように言われると、とてもついてゆけない気がする。
ある地域について、わたしは国家とその外部がそこでどう関わっているか、権力がどんな形で存在しているかにまず関心をもつ。
それこそがある土地の地域性を形づくってゆくものだと思うからだ。たとえば飛騨における大原騒動という農民一揆。それがどうしてそこで生じ得たのか?
 しかし間違いなく大原騒動はその後の飛騨の地域性を形づくっている。

37千手:2009/03/10(火) 23:15:57
<変わるべきときがきたらみな一斉に変わるのだ>
という今西の洞察には、
一揆がなぜ成立するかという問いの本質にまで到達する何かがあるように思う。
そしてそこには住民の生存方の布置に関する共通性があるはずだ。
第二回の安永騒動は、大原代官による検地の方法の変更、余歩の削減、に対する反対運動として、
飛騨の多くの村で「一斉に」農民が起ち上がったものだ。余歩の削減は、多くの農民を困窮に陥れるものだっただろう。
余歩とは勤労控除のようなものだと林格男先生は記す。具体的にもいろいろな余歩について説明してもらったことがあるが。

38千手:2009/03/15(日) 14:23:11
YouTube 2009.3.8 サンデープロジェクト 田中真紀子
http://www.youtube.com/watch?v=XBvEUWHvDEY&eurl=http://snsi-j.jp/boyakif/diary.cgi?start=1&pass=&feature=player_embedded

39千手:2009/03/18(水) 04:47:27
>>31,>>33のまとめ
http://25237720.at.webry.info/200903/article_8.html

40<削除しました>:<削除しました>
<削除しました>

41千手:2009/03/27(金) 03:40:46
http://www.foia.cia.gov/2020/2020.pdf
Mapping the Global Future

Report of the National Intelligence Council's 2020 Project
Based on Consultations With Nongovernmental Experts Around the World
NIC
から部分を引用。pdfを「文字」にするだけでも意味があるだろう。



p.116
"For Washington, dealing with a rising Asia may be the most challenging of all its regional relationships."

Asia is particularly important as an engine for change over the next 15 years. A key uncertainty is whether the rese of China and India will occur smoothly. A number of issues will be in play, icluding the future of the world trading system, advances in technology, and the shape and scope of globalization. For Washington, dealing with a rising Asia may be the most challengeing of all its regional relationships. One could envisage a range of possibilities from the US enhancing the role as regional balancer between contending forces to Washington being seen as inceasingly irrelevant. Both the Korea and Taiwan issues are likely to come to head, and how they are dealt with will be important factors shaping future US-Asia ties as well as the US role in the region. Japan's position in the region is also likely to be transformed as it faces the challenge of more independent seculity role.

42千手:2009/04/29(水) 21:49:35
上橋菜穂子『精霊の守り人』的確でまた冒険物語として面白いのはそれとして、文化事象の解釈としても新しいところがある。
村境などにあるしめ縄に鳥の骨が挟まれていることがある。
1.村に侵入しようとする悪霊に「お前もこうなるぞ」と脅して帰らせる。
2.村に侵入入ろうとする悪霊に、美味しいものを食べてもらって、お引き取りを願う。
 普通はこんな風に解釈されるだろう。
上掲書が示唆しているのは、
3.村の安寧を成立させる出来事が成立するために不可欠な存在である鳥そのものの霊威によって、悪意ある侵入者を防ぐとともに、鳥の崇高な使命を村人の記憶に残す。
 文化人類学者が単に知識として知っていることを越えて、具体的に思考できているところが少しだがある。

43千手:2009/05/22(金) 18:19:48
そこはちやうど両方の空間が二重になつてゐるところで
おれたちのやうな初心のものに
居られる場処では決してない
(宮沢賢治「宗教風の恋」)

上記上橋作品の空間性へのコメントとして

44千手:2009/05/24(日) 00:03:41
宮沢賢治の詩。
第三芸術
蕪のうねをこさへてゐたら/白髪あたまの小さな人が/いつかうしろに立ってゐた/それから何を播くかときいた/赤蕪をまくつもりだと答へた/赤蕪のうね かう立てるなと/その人はしづかに手を出して/こっちの鍬をとりかへし/畦を一とこ斜めに掻いた/おれは頭がしいんと鳴って/魔薬をかけてしまはれたやう/ぼんやりとしてつっ立った/日が照り風も吹いてゐて/二人の影は砂に落ち/川も向ふで光ってゐたが/わたしはまるで恍惚として/どんな水墨の筆触/どういふ彫塑家の鑿のかをりが/これに対して勝るであらうと考えた
(『春と修羅 詩集補遺)

45毛蟹:2009/05/30(土) 01:08:13
>44
>第三芸術

賢治は、第三芸術(この詩では「鍬で掻く以前には賢治にとって芸術家ではなかった人が鍬で掻いた跡」がそれにあたると思いますが)と、それ以外の芸術との間に決定的な差異を認めていたのでしょうか?
僕にはそうは思えません。賢治は「芸術」という言葉を頭の中から消去できなかった人のように思えます。

46千手:2009/05/30(土) 16:42:45
>>45

赤蕪の生育にとってきわめて適したうねの掘り方を知っていて、すっと示してくれる。こういうひともほんとの芸術家だ。
そういう思いだと思います。
『周礼』に言われる「六藝」の「藝」の理解として適切なものだと思います。

47毛蟹:2009/05/30(土) 23:55:54
>46
第三芸術とそれ以外の芸術の違いは何でしょうか?

48千手:2009/06/02(火) 01:02:36
>>47
誰にとっての話? 桑原武夫の? 賢治にとっての? それとももっと広く?
私自身は有効な概念と思っていないのですが。

49千手:2009/06/02(火) 22:27:18
賢治自身は第一芸術、第二芸術などということを言っていないが、『語彙辞典』は、
「農民芸術の主義」のなかで言われる「芸術のための芸術」「人生のための芸術」「芸術としての人生」の三番目のものと
している。
つじつまは合うが、序列立てる発想と、この分類とは別の思考に見える。

50毛蟹:2009/06/19(金) 11:37:39
NHKの朝の番組「この人にトキメキっ!」に大津市在住の今森光彦さんという写真家が登場。
仰木地区の里山(350年の歴史を持つという棚田と雑木林がある)でずぅぅーと昆虫の写真を撮り続けているとのこと。
こんなことを語っていました。
「農家の人と親しくなって営みのディテールを知るほどに里山の生き物が人間の歩調にピッタリ合わせて生きているのが分かってくるんです。例えば畦道の草刈の途中で「あー腰が痛い。今日はここらでやめとくか」と。すると草を刈ったところだけ彼岸花が咲くんです。草刈の前に伸びると刈り取られてしまう。草刈が終わるのを待ってるんです。これは草刈で地熱が上昇するからなんですが、僕には彼岸花の球根が知ってるんじゃないかと思えるのです。」

「在来種のすごいところは共生できるところなんです。この狭い幅の畦道にもざっと3層の植生があります。でも外来種は共生できないんです。」

「だいたい一つの昆虫を撮るのに2年はかかります。つまり2シーズンですね。見切ったと思えるにはそれくらい時間がかかる。見切ったと思えるまで撮らないんです。」

「僕にも苦手な昆虫がいるんです。女郎蜘蛛は捕まえると足を切って逃げるんです。それが嫌なんです。それとゴキブリ。まず1mくらいまでしか近づけないですね。たぶん家の中にいるということが許せないんですね。」

「僕が里山と呼んでいるのは[自然と人間の共有空間]なんです。でもずっとそれには名前が付けられていないんです。」

あー録画しておけばよかった。今森さんの発する言葉は[自然と人間の共有空間]のディテールと触れ合っていて肌理細かく新鮮でした。生物学者っていいなぁ。今森さんは学者じゃないんですけどね。
写真は本当に素晴らしいと思いました。被写体が内側から発散する輝き、生気を捉えていると思いました。見ている視線の中で腐敗してゆく生物の精密画(あの有名な老画家の名前忘れちゃった)もすごいけど。
今森さん風日に来てもらいたいですね。

51毛蟹:2009/06/19(金) 13:12:51
今森さんこんなことも言ってました。

「一回見たら分かったような気になる。これは良くありません。たとえばカブトムシのこと。実は誰も何も分かってないんです。」

(カブトムシもCD再生も何でもたぶん同じなのだろう。「わかっていない」ということを知る手前で探求をやめてしまう。「わかっていない」ということが分かれば観察する他ないのだが)

「虫のかたちには理由があるんです。」

撮影前の観察ノートにはメモと精密なスケッチがびっしり書き込まれていました。

52毛蟹:2009/06/19(金) 14:33:06
今森さんは「虫と一体化する」と話していました。「見切る」とは「一体化」の達成なのでしょう。2年をかけて虫の身体を自分のものにする。もしかすると虫になった自分を撮っているのかもしれません。「愛情」とか「理解」なんかではなく、まるで虫になった今森さんが立ち上がって凱歌を叫んでいるような過剰さを写真から受け取るのです。
ゴキブリの写真(特に顔)が可笑しかった。

53千手:2009/06/24(水) 22:07:00
アファナシエフには素晴らしいところがあるが、なおコンセプチュアルな問題があるだろう。
<和音=無時間=空間性=振動>という図式。
和音は無時間では存続し得ないのだ。
だから、彼にとってもリズムの概念は必要なはずだ。
先日(6月16日)それを質問したかったのだが、適当な場がなかった。
きちんと話したかった。

54毛蟹:2009/06/25(木) 01:07:50
>>53
アファナシエフの言う「無時間」ってどういうものなのでしょう。観念的なものなのでは?
和音が、ヴァイツゼッカーの言う「ゲシュタルト(客観的時間の法則に逆らい、客観的時間の中では無に帰する)」であるとするのはあまりに楽観的だし、
シュトックハウゼンの言う「絶対に時間の無い今」は「無時間」ではなく、ヴァイツゼッカーの言う「客観的にはもはや存在しないものと客観的にはまだ存在しないものとの、現在における同時性を要求する」時刻点、したがって「完全に垂直なここ(シュトックハウゼン)」、時間からリズムへの転換点(「生物にとっては時間ではなくリズムである」ヴァイツゼッカー)だと思います。

55千手:2009/06/25(木) 19:05:35
わずかな時間で彼に尋ねたのは、
"Every sound has it's own innner rhythm?"ということだった。十分通じたかどう変わらない。
"Rhythm?"と聞き直されて、「それがハーモニーだ」と言った、とわたしは理解した。
わたしは「シュトックハウゼンの言う意味でリズム」と言ったが、通じたかどうかあやしい。
ただ、リズムと和音を彼が近いところで考えていることは確認できたようで、とりあえずうれしかった。

56千手:2009/06/25(木) 19:24:14
ブラームスのop.117、ショパンのノクターン、シューマンのクライスレリアーナなどを聴いて、
思うのは、低音の響きをペダルを使って長く強烈に強調するとき、狂気の暗さのような暗いものがその音にぴたっとくっついてくることだ。
これはすごい。
クライスレリアーナなら、はじめの1曲、2曲がいい。この曲はわたしはホロヴィッツを基準に聴いているが、
最後の7曲、8曲目はホロヴィッツの方がよいと思う。「人生は意味もなく過ぎ去る」ということへの苛立ちなどは、不可避に流れる時間の表現が欠かせないだろうからだ。勝手な聴き方には違いないだろうが。
ブラームスもop.117,118,119と3曲収められている中で、op.117が一番いい。これも低音部のどうしようもない暗さの表現がいいのだ。ブラームスのそれが、ぴたっと立ち顕れてくるのだ。
 大胆な暗部の表現、メロディーの進行を気にかけない彼の演奏によってはじめて表現することができたものがそれだ。

57千手:2009/06/28(日) 21:51:26
「無限責任会社」
http://25237720.at.webry.info/200906/article_6.html

58千手:2009/06/28(日) 21:52:46
「フランス、トゥルーズ大学ピケ撤去」
http://25237720.at.webry.info/200906/article_5.html

59千手:2009/06/28(日) 21:54:26
「村井紀『南島イデオロギーの誕生』」
http://25237720.at.webry.info/200906/article_4.html

60千手:2009/07/12(日) 21:51:42
>自然が弟子にしようと定めた人たちに,教師は必要でなかったのです。ヴェルラム、デカルト、ニュートンのような人たち、これらの人類の教師たちは、決して、みずからは師をもちませんでした。
ルソー『学問芸術論』岩波文庫p.51

ルソーのこの本はなかなかおもしろい。
>不謹慎にも学問の扉を打ちやぶり、学問の聖堂の中にこれに近づくに値しないものどもを導きいれたあの著作編纂者たちを、どう考えたらよいのでしょうか。
(同前)
芸術についても手厳しい。だがまったく同感してしまうのだ。

61千手:2009/07/12(日) 22:12:59
>われわれは、物理学者、幾何学者、化学者、天文学者、詩人、音楽家、画家はもっていますが、もはや市民をもっていません。あるいは、まだ市民が残っているとしても、みすてられた田園にちらばっていて、貧乏でさげすまれて死んでゆきます。これが、われわれにパンを与え、われわれの子供に乳を与えてくれる人びとがおちいっている状況であり、彼らが、われわれからうけおtっている感情なのです。
(同前、pp.46-47)
「市民」(citoyens)という概念のこの用法に注意。

62千手:2009/07/12(日) 22:29:53
ルソーが嫌われるとしたら、それは主に、彼が芸術を奢侈(luxe)と密接に結びつけ、そしてそれらを習俗の堕落、趣味の腐敗の生みの親と捉えるところだろう。(pp.37-39)

63千手:2009/07/12(日) 22:47:40
>奢侈は、これを楽しむ金持ちも、これを渇望する貧乏人も、すべてのものを堕落させます。
(前掲書p.93)

>富から奢侈と無為とが生まれ、奢侈から美術が生じ、無為から学問が生じた。
(前掲書p.91)

64千手:2009/07/23(木) 12:19:09
The sun, the Moon, the Earth and its contents, are material to form greater things, that is, etherial things --- greater than the Creator himself made.
John Keat
デューイの本からの孫引き

65千手:2009/07/31(金) 10:50:01
Mauss Essai sur le don

Le mana polynésien, lui-même, symbolise non seulment la force magique de chaque être, mais aussi son honneur, et l’une des meilleures traductions de ce mot, c7set : autorité, richesse.
(p.144)

モースがマナについて語っているのはここだけだったか?

66千手:2009/07/31(金) 10:55:13
修正
seulement
c'est


67千手:2009/08/06(木) 12:18:44
>>65
問題は、de chaque êtreのところ。la force magique(マジカルな力)がそれぞれのものにあるのは、一時的な事なのか恒常的な事なのか。
アニミズムを考える場合決定的な問題だ。
これまでの解釈では、ものの内部に恒常的に存在している魔術的な力としてマナを解釈していたようなのだが、
モースのこのテキストからはそのことは明確には出てこない。
「各々のものにそのとき着いている魔術的な力」とも解釈できるのだ。

68毛蟹:2009/08/07(金) 00:14:44
>67
失礼。モースもマナも知りません。

>ものの内部に恒常的に存在している魔術的な力

「もの」の「内部に存在している」というよりも、その「もの」を「内部に捕らえている力」と考えるなら、(マジカルな力)が一時的なのか恒常的なのかを考える必要はないように思われます。「魔術」を運用する主体は気まぐれなのだから。

69千手:2009/08/07(金) 11:12:50
>>68
このマジック、運用者がいるわけではないようです。

70千手:2009/08/07(金) 19:04:32
>>68
そして「もの」はêtre、英語でbeingです。
もののけのものとは違う。

71毛蟹:2009/08/08(土) 00:02:55
>69、70
>そして「もの」はêtre、英語でbeingです。もののけのものとは違う。

>このマジック、運用者がいるわけではないようです。

そう願いたいものです。「マジカルな力」とは音楽に於ける音の力と同種のものと考えてよろしいのでしょうか。

72千手:2009/08/09(日) 19:41:15
>>71
>「マジカルな力」とは音楽に於ける音の力と同種のものと考えてよろしいのでしょうか。……
 わたしは彼ら(モースやアニミストたち)が何を考えているのかわからない。モースに対しては、あなたは「アニマ」を知らないし考えていない、と言えそうな気がします。
その首根っこを押さえるために、「マナ」についての議論を引いてきたんですが。

73千手:2009/08/17(月) 10:35:44
>>71
>「マジカルな力」とは音楽に於ける音の力と同種のものと考えてよろしいのでしょうか。

よかのかどうかわからない。ただそこ(音の力)に近いところから考え直し、捉えなおしててゆかないと全体が空虚な話になってしまうでしょう。

74千手:2009/08/26(水) 01:30:07
板垣退助の「予が愛郷の念」から

「 試みに先づ地形を見よ、連山北に重疊し、大海南に梗塞し、幾多の渓谷縦横に隔斷して、交
通最も不便を極むるは、往古よりして然りとす。此地形の束縛によりて各村落を孤立せ
しめ、自然に土佐人の性格を鑄冶するに酋長政治の如き割拠偏安の精神を以てするに至
れり。」
 『板垣退助全集』1969年、p.729

「過去に於ける
土佐の歴史は酋長割拠の歴史といふべく、實に蝸牛角上の闘争を以て一貫せり。此等の
遺風は現今に至っても猶ほ消滅せず、或は蝗送りの如き、或は氏宮の祭礼に於ける素人相
撲の如き、往々各村落争轢の事實を現せり。」(同前)

75千手:2009/08/26(水) 01:49:49
(つづき)

「 顧ふに土佐の最も能く統一せられし時代は立志社時代に外ならず、畢竟するに自由民権
の論は時代の新智識に属し、進歩せる歐米の思想よく土佐人特徴の理性に投合せるが
為めに統一の効果を奏せる者にして、既にして其理想の衰ふるや、土佐は忽ち衰萎に就き、
四分五裂の陋態に陥れるにあらずや。」(前掲書、PP795-796、明治四十二年)

土佐人の薩長や米沢に及ばぬ理由を風土的な条件から論じたもの。
この板垣の意識のなかに『土佐日記』は存在したか?
論じられるほどに読んだことはないのだろう。
こうした板垣の文章に、かえって貫之の苦労が推測される。

76千手:2009/08/29(土) 13:57:28
板垣退助の「武士道談」(明治四十三年)には、
>夫れが京都の公家になると云ふと、平安朝以来文弱になり、
>全く儒教化し佛教化して武士道の精神取り失ひ、遂に其の文弱の為めに、天下の大権は
>鎌倉将軍の手に落ちたのである。
とある(『板垣退助全集』1969年、原書房、pp.809-810)。
 紀貫之の『土佐日記』はさしずめこの文弱化の代表のようなものとみなされているのだろう。
板垣が『土佐物語』をきちんと理解していたら、彼の思想はもっと深くなっていただろう。

77千手:2009/09/02(水) 16:05:17
>宗教は
>神若くは仏といふが如き一の畏懼す可きものを仮定して、之を懼るゝことによりて他の
>一切の懼れを除かんとするものなるを以て、猶ほ人の畏懼心を長じ、人心を自由ならしむ
>る能はざるの弊あるを免れず。(大正三年)
(板垣退助「武士道と自殺」全集pp903-904)

なかなかの洞察、と思う。
「人心を自由ならしむる」ことを重視していることにも注目。

78千手:2009/09/02(水) 16:22:26
> 斯の如く武士道の恃む所のものは自己の良心に在り。是故に人若し病んで精神の自
>由を喪ひ、意識の朦朧と、自から己れの良心を恃む能はざる場合に至らば、其身心の痛
>苦を忘れ、若くは精神喪失の為めに来る所の醜態を免れんが為めに、適当の薬剤を得て、自
>殺して以て永き眠に就くことは、これ心の自由、自治を尚ぶ所の武士道の理想たらずんば
>あらず。
(同、pp.906-906)

79千手:2009/09/02(水) 20:18:29
>武士道なるものは、自由主義の最も高潮せるものなり
(同、p.907)

80千手:2009/09/02(水) 21:23:34
>蓋し武士道の第一義は、耻を知るにあることは……

>是を以て武士に在りては、縲絏は無上の耻辱にして、其勢窮まるに方りて自刃し、以て一身を処
>決せしむるは、則ち其面目を保たしむる所以たるに外ならざる也。されば古の武士は、戦
>場に於て敵の為に組み敷かれながらも、縄目の耻は免し給へ、速かに首を刎ねられ候へ
>とて、潔く首級を授けたり。
(同、p.909)

81千手:2009/09/02(水) 21:31:21
>更に彼我法治を異にせるよりして、他の法治の下に生くることを屑とせずして自殺
>せる例あり。

>我邦に在りては、かの北條氏の滅亡に際し、一族門葉悉く自刃し、為に死者
六千八百余人を算したるが如き、其最も顕著なる者と為す。

(同、p.910)

82千手:2009/09/03(木) 00:27:23
板垣の「殉死」についての見解も紹介しておこう。これも一つの死の形を明確にさせている。

> かの主君の病んで死せる後を追ひ、自殺して以て死に従ふ所の所謂殉死なるものは、我
>邦の歴史に於て往々其事績ありと雖も、こは宗教上の迷信より来れるものにして、則ち其
>平生恩顧を受けし所の主君に別るゝに忍びず、冥途黄泉までも之に伴はんと欲する所の
>未来観よりして茲に至れるもの、今にして之を論ずれば愚といふの外なし、是故に古来
>殉死は法律の禁ずる所たる也。
(同、pp.911-912)

執筆年からして明らかなように、板垣はここで乃木将軍の自殺を問題にしようとしているのだが、乃木の自殺は殉死ではないというのが彼の主張だ。
問題は、板垣の描くような「殉死」が、いわゆる殉死のどれほどに妥当するかということだろう。

自由の行為が存在する、それこそ武士道だ、という板垣の議論は、カント主義と一致するが、やはり非常な的確さと射程がある。「明治武士道」(菅野覚明)の枠に収まるものかどうか、点検すべきだろう。

83千手:2009/09/03(木) 15:29:53
>>76は 推敲を加えて
http://25237720.at.webry.info/200908/article_5.html
に再録。

84千手:2009/09/04(金) 06:59:06
>天は人の上に人を造ら
>ずとは西哲の警句なり。西人今や人種の上に人種を造り、彼等が曾て自由と平等と友愛
>の名によりて破りたる階級制度を、更に大なる範囲、更に大なる規模に於て世界人種の間
>に之を造り、彼等自ら人種的貴族となりて有色人種を奴隷視せんとす。是れ豈に近代文
>明の一大怪事、一大時代錯誤にあらずして何ぞや、一国の政治に於ける貴族政治、階級制度
>は、遠き過去に於て平民の為めに既に破られたり。人種問題に於ける貴族政治、階級制度
>に対しては、亜細亜人須らく世界の平民となりて之を打破せざる可からず。是れ新時代
>に於ける自由主義の世界的運動にして、亜細亜人の頭上に懸れる使命にあらざるか。(大正五年)
(板垣退助「世界の時局と日本の使命」、全集p.415)

「天は人の上に人を造らず」の警句をこうして人種問題に応用する、というテクニックは板垣のオリジナルか?

85千手:2009/09/05(土) 01:18:56
> 抑も予の戊辰戦争の役を了へて土佐に帰るや、兵制を改革して、人民に参政の権利を与ふる
>と共に、徴兵の令を布いて兵丁を四民の間に均一に募集し、以て国家有事の日に備ふる
>所あらんと欲し、之を後藤に謀りたるに、後藤は痛く予の趣旨に賛成を表せるも、古来土佐に
>は堕胎圧死の蛮風ありて、其人口の割合他藩に比して尠きを以て、之が根本を矯正するに
>非ずんば到底其目的を達する能はざるべきを説き……(明治四十三年)
(板垣退助「土佐に於ける育児会の事業」、全集p.561)

軍事がエリート(武士)の仕事だったところから国民皆兵制へ。これが四民平等の趣旨にかなうことだという。
そしてその達成のために「育児会」を作って、土佐の死産率を全国平均にまで下げようという政策を作り実行する。
 一貫した現実的な思考み見える。

86千手:2009/09/11(金) 22:00:37
土佐には素人相撲の興業があったらしい。

>土佐では九月十日に興業相撲がある。興業相撲と云つても土佐は一種の素人相撲で、子
>供が寺子屋の退散から集まつて相撲を取る。それで私の邸は広い者であつたから土俵を
>築いて相撲を取らせた。寺子屋の師匠は小笠原淳助と云ふ人で家中の子弟は過半はそ
>れに手習に行つた者である。其寺子が集まつて相撲を取る。(明治三十二年)
「相撲漫談」(板垣退助全集p.747)

板垣退助の邸宅には土俵があったわけだ。


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