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ノート

31千手:2009/03/10(火) 01:38:12
川勝平太氏は鶴見和子の内発的発展論を十二の特徴に分けて説明しているが、その中にこんな言い方が出てくる。
>第九に、内発的発展論の分析対象の単位は地域である。内発的に発展するのは人間であるが、人は空中に生れてくるのではない。文化の刻印をおされた地域社会に生れてくる。人間は地域文化の刻印をおされた具体的存在である。(『「内発的発展」とは何か』藤原書店p.22)
わたしはここにある違和感を感じる。たとえば貫之にとって土佐は何だったのか? 貫之は土佐文化の刻印をおされた具体的存在なのか?
多少は土佐の文化のかおりもあるだろう。だが文化的なところでいえばほとんど京的なものだ。そしてその奥底まで国家の刻印を押されている。
貫之のような人間は土佐の内発的発展には何の関わりもないような人間なのだろうか。その通りだろう。
だがわたしは貫之がいた延長八(930)年から承平四(934)年の土佐も土佐という土地の地域学の問題と考えたいのだ。
 地域における異人の問題といえるだろうか。地域学はこの観点を欠かしてはならないと思う。


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