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詩・歌・管・弦 part 2

100毛蟹★:2007/10/07(日) 15:48:45
>>99
>鬱に病という扉が、どういう意味であるのか。器質的な病因があるのか?
ないなら何をもって扉とするのか。

「あるのか、ないのか」僕にはわかりません。

101ドングリ★:2007/10/07(日) 19:26:09
残念な事に私はこれまで、身内を含め何人かの大切な方を「鬱」からの
自殺という形で失ってきました。
また本当に明るく、陽気な方も更年期に入り、突然鬱になられました。
女性の場合、ホルモンの関係で鬱状態に入る方もおられます。
そういう意味では、私自身いつ鬱に取り付かれるかわかりません。
「鬱に病という扉」と言うと、自分の前や横、(この場合後ろという感じはありませんが)
に扉があり、そこには境界線があるような印象をうけますが、鬱病を含めて私たちは
あらゆる病に取り囲まれ、常に侵食されているように思われます。

102毛蟹★:2007/10/07(日) 20:42:27
>>101
>「鬱に病という扉」と言うと、自分の前や横、(この場合後ろという感じはありませんが)
>に扉があり、そこには境界線があるような印象をうけますが、鬱病を含めて私たちは
>あらゆる病に取り囲まれ、常に侵食されているように思われます。

僕の表現が不適切でした。お詫びします。僕が96で言いたかったのは、「鬱は鬱者が自らの意思で選択した生き方ではないと思う」ということです。

103千手★:2007/10/07(日) 21:00:34
>>97
>鬱者に世界史的な意味があるのではなく、あるとしたら鬱者を取り巻く世界の側にあると思います。

おそらく両方にある、とわたしは想定しています。

104毛蟹★:2007/10/07(日) 21:16:09
疲れました。

105千手★:2007/10/08(月) 03:01:41
>>103

それはニヒリズムの別名だろうからです。

106千手★:2007/10/08(月) 03:36:01
『生きていてもいいですか』(中島みゆき)が届いて、聞いた。これまではレンタルでしか聞いたことがなかった。
こんな歌詞、
「世界じゅうがだれもかも偉い奴に思えてきて/まるで自分ひとりだけがいらないような気がする時……」(「蕎麦屋」)

「人を捨てるなら九月 誰も皆 冬をみている夜の九月/船を出すのなら九月 誰も皆 海を見飽きた頃の九月」(「船を出すのなら九月」)

「エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい/エレーン その答を誰もが知ってるから 誰も問えない」(「エレーン」)

前から疑問だったのだが「誰も問いたい」というのは、誰もがエレーンに問いたいということでいいのだろうか。
それとも、エレーンも含めて、人はみな問いたい、ということなのだろうか。

まずは前者、それから後者に広がってゆくということでいいのだろうか。

107Pentatonics★:2007/10/12(金) 11:04:12
長文失礼

>結局「鬱病」とは、「おれはだめだ」と世間の中で考えることなのでしょうか。
>それなら中島みゆきの「エレーン」の世界とはずいぶん異なっているでしょう。

私は鬱とはそういうものだろうと思っています。当人がそれまでどんなに克己心をもって自律して生きてきたとしても、どんなに誰もが認める優れた仕事をなしてきていても、唐突に「おれはだめだ」の暗闇に落ち込んでしまうことがあると思うのです。
私は佐藤さんの人柄や仕事を貶める気は毛頭ありません。むしろその反対です。
ただ、入院するほどの「鬱」であれば、おそらく当人は強い疲労感と焦燥感、無力感(「おれはだめだ」感)を感じていたろう(これは「鬱病」と呼ばれるものの一般的な症状です)、辛かったろうと慮るのみです。

>ですがそういう世界は、はたからみて非常に鬱陶しい世界です。
>自分の人生に踏み出していないようにみえるからです。

佐藤さんが「自分の人生に踏み出していな」かったなどとは、とても言えません。むしろ映画製作の実践を通して、さまざまな「生き方」に迫って行った人だし、それは佐藤さん自身の生きることの確かめとも深く結びついていたように思います。佐藤さんの映画からはそういうものが強く感じられます。

ただ「鬱」には、自分が自分の人生から急に遠ざけられてしまう感じというのはあると思います。
他の人にはとやかく言えることではありませんし、私にはとてもではありませんが「鬱陶しい」とは言えません。しかしながらだれよりも、鬱者当人が「自分の人生を歩いていない」と感じているでしょう。

それは毛蟹さんが繰り返し書かれているように、「生き方」として選択したりできるものではないし、「必要」があってその扉をくぐるというようなものでもなく、きっかけはあるのだと思いますが、本人の意志や選択に関わらず、それは否応無くやってきてしまうものです。「病気」にかかるように、そういう状態に落ち込んでしまう。それが「鬱病」だと思うのです(※)。

- - - - - - - - - - - -

千手さんが「エレーン」から考えようとしていることについては、私はあまり理解できていませんが、「エレーン」的鬱とでもいうべきところを通って、より深い認識(?)に至る経路があり、そうした鬱への肯定的な考えがあるのかな、という風に読みました。
そして私は当初、それについていけないものを感じたのです。現代日本に蔓延する「鬱」の実感からは遠いものだと感じました。
そこで、
>>89
>>91
のような書き込みをしたのでした。
判りにくいものだったかもしれませんが、
「鬱病は三人称的な一般論を生きることであり、遠方の第三者の視線を恐怖することです」
というのは、現代日本の鬱を言ううえではそんなに外していないのではないかと思います。

ただ一連の議論を受けて少々反省したのですが、客観主義、数値至上主義、市場至上主義のようなものが世を支配するようになる以前にも鬱というものがあったはずで、それについてはこの言い方はほとんど無効だと思いました。「遠方の第三者」ではなく、なにか別の普遍的なものを恐れるような「鬱」があったのかもしれません。そして「エレーン」的な鬱というのも、そうしたところにあるのかもしれないと思うようになりました。ただその頃の鬱は、世間に生きる一般の市民の病ではなかったのかもしれません。ある超俗的な立場で普遍的なものを問い尋ねる人の病だったような気がします(この辺は想像でものを言っています)。

ただ、そうした高踏的な鬱であれ、サラリーマン的な鬱であれ、なにか自分の内側に作った「ものさし」というか「則」のようなものとの齟齬のようなものがあるのではないかという気はします(真面目な人ほど鬱になりやすい・・・)。

- - - - - - - - - - - -

(オマケ)
鬱を「病気だから仕方ない」で済ましてしまうのがよいのかどうか。
 ・がんばらなくていい。
 ・今のままの、ありのままのあなたでいいのです。
 ・とにかくお医者さんのアドバイスを聞いて薬を飲みなさい。
の3点セットが、鬱を直す唯一の道のように言われます。
これでなんとか症状を抑え込んで、労働市場に帰還したところで、その人は救われたことになるのか。
これは一種の洗脳なのではないか。
「そのままの君でいいんだよ」教(どう考えても退嬰的です)に帰依する以外の経路で、生き抜く道はないのか。

108千手★:2007/10/12(金) 17:46:08
あるテキストから:

「映画もだめ。人物も三流。立派すぎてつきあいきれない。だいたい分かってもないくせにニタニタすんな。」

出典も何もお教えしません。紹介する意図もです。

109Pentatonics★:2007/10/13(土) 23:33:55
当分自重します。

110千手★:2007/10/23(火) 02:04:53
原田禹雄さんから次の歌をいただいた。私の「山中智恵子論<十>」の縁でだ。
まずはここで紹介したい。

  とりとめも
    なき夢はてて
      悲しみは
 夜半にめさめし
   身にしむるなり

「悲しみ」がうらやましい。

111千手★:2007/11/01(木) 20:45:38
今年の1月から『日本歌人』誌に連載していた拙論、「山中智恵子論」が10月号をもって完了しました。
それで、本日11月になったことで、わたしのホームページにUPしました。

「山中智恵子論<9> ノヴァリス・巫女・をなり神」
http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/ChiekoYn/YamanakaChieko09.htm

「山中智恵子論<10> 歌のちぎり・その掌に死ねと・果無山」
http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/ChiekoYn/YamanakaChieko10.htm
です。
 この連載が、本年のわたしの最も大きい仕事でした。
 閲読いただければ幸いです。

112千手★:2007/11/05(月) 20:58:12
あのもっそりしたティンパニーが一番いい。一番おもしろい。
クナッパーツブッシュの話。ベートーヴェン8番の話。ブラームスの2番でも。
やおら出てきて、それまでの一応は存在しているテンポを全く無視したように、
自分のテンポとリズムで叩くのだ。
このティンパニがクナッパーツブッシュの「指揮」なるものを一番よく表わしているのではないだろうか。

113千手★:2007/12/13(木) 09:09:35
>>108
出典を示します。
佐藤真「東北の壁」、『東北学』Vol.5、p.256

114千手★:2007/12/13(木) 09:28:06
鬱病……
身近だったYさんのことから考えれば
引受ける必要のない責任まで引受けてしまっていたことが大きすぎる負担になっていたのだと思う
しかしそれを選んでしまう環境があったと思える
誰かが引き受けなければならない問題が生じていた
別の仕方で解決すべき問題だったと思うのだが

115千手★:2007/12/13(木) 09:46:26
自己意識の問題として問題を整理しても何の解決にもならないのではないか。
病気認定は、荷下ろしにはなるのだろう
「もう頑張らなくていい」という安心。
しかし過剰な義務と責任がある人にかかるようにする環境がありうる。
ダブル・バインドにさせられることもあるだろう。
ちょっとした意地悪で人をダブル・バインド状態に落とし込むやり方があるだろう。

116千手★:2007/12/16(日) 22:24:21
>>113
>>108が佐藤さんの著作からの引用だということを知らない、あるいは思いもよらない人と
相手をしているとは思いもよりませんでした。
佐藤さんの出発点になっている経験のはずです。

117千手★:2008/01/06(日) 21:43:18
>ぐずぐずしていれば、いずれ、しみったれた臆病風に見舞われる……
  『地獄の季節』

このスレも過去ログ倉庫に入れようと思っています。

118千手:2008/03/16(日) 02:44:55
[短歌]

○ 笠ヶ岳純白のその雪嶺は連なり悲し雨降りしもの
               拙詠

どうでしょう?

 (このスレッド、生かしておきます)

119千手:2008/03/18(火) 01:27:45
>>118
訂正
雨→天

120千手:2008/05/17(土) 01:12:20
わたしがこれまで見た能の中で、最も素晴らしいと思った舞いは、春日御祭でみた宝生太夫さんの舞いだ。
羽ばたく腕の振りが宇宙を舞い行く舞いに見えた。

121千手:2008/06/01(日) 00:50:40
私のブログにアップしたものを再録しておきます。
http://25237720.at.webry.info/200805/article_5.html

 そして畑中の道を旅人は歩きぬ*

 そんな詩行が島崎藤村の詩の中にあったとおもう。こんな情景が自然に浮かぶようになったのは一乗寺向畑町(京都市左京区)というところに長く下宿していたせいだ。大学に合格して、藤沢(神奈川県)の家から、京都に日帰りで行って、大学の学生課で斡旋してくれているところを見て、自分で決めてきた下宿だ。西村アパートという名の学生アパートだ。二階の西の端の四畳半の部屋で、部屋の扉には、しごく簡単なものだが一応鍵がかかる。窓は北向きで、そこから北の方に畑が広がっていたのだ。その畑の中にはあぜ(畦)があり、夕方の買い物時など、そこを地元の人がよく歩いて通っていた。その細いあぜ道をわたしは長いこと通ることがなかったのだが。
 そのアパートに住んだことは、わたしにはとても幸せなことだったとおもう。その窓からは、少し身を乗りだせば右手に比叡山が見える。頂上まで見えるのだ。わたしが半紙と墨と硯と筆を買って、南画風の絵をまねて画いたりしていたのも、その比叡山に見惚れていたためだ。わたしが自分で画きたくなって何かを画いたのはそれが最初のことだった。大雅を模範にして画いたと言えばかっこいいが、実際はまったく画き方の初歩も知らない下手くそな画だった。だがその入学した年の十一月に姉が亡くなったときには、その中の一番よいものを棺に入れさせてもらった。

     ◇   ◇
 
 その窓からは大家さんの畑が近くにあった。大家の西村嘉三郎さんはまったく無口で、用があってアパートの隣のその家を訪ねたりしたときには、すぐに奥さんを呼びにゆくのだったが、多分京都の中でも田舎の訛りというのがあったのだろう、その「家のを呼んでくるからちょっと待っててくれ」という意味のはずの言葉も、ほとんど聞き取れなかった。ほんとうにまっすぐなお百姓さんという印象の人だった。背は高かった。その大家さんが、夕方時分、畑の中で、鍬の小尻に上体をもたれかからせるようにしてじっと動かずにしているさまをよく見掛けた。まるでミレーの画のように、である。もう今日の仕事を終える時刻になっていたのだろう。何ともいえず美しいのである。
 その大家のおじさんは、だがきっと何かを見ていたのだ。何かをじっと見ていたのだ。それが何かはよくわかる。美しい夕方の景色である。そういえばいつも西の方を見ていた。西日に照らされる畑の土や、作物や、畦の木々や、そして西方の山々や。そして夕焼けの空と雲。美しい景色がいつもあった。あたりまえのようにあった。そして疲れ果てるまで畑仕事をして、そうしてほっとして見る夕景は、人生そのもの、人生の喜びそのものといえるほど美しいものであったに違いない。わたしはその姿にいつも人生の充実というものを感じていたのだった。こうしてわたしはミレーの絵を見る目を得ていったに違いない。
 そしてもう一つだ。ヘルダーリンの次の詩だ。

   そして小川にはよくつくられた橋がかかっている。  (「春」)
  Und über einen Bach gehen wohlgebaute Stege. ("DER FRÜHLING"**)

 このヘルダーリンの晩年の詩の素晴らしさも、この西村アパートの窓の景色から学んだものだった。(京大)短歌会の友人だった鮫島君とこの詩の訳のことで少し話しをした覚えがある。「橋がかけられている」と訳したらどうだろう。その方がよいのではないか、とわたしが尋ねた。彼は、そのまま"gehen"のままのほうがもっとよくわかる、と言った。それはそうなのだ。よく作られた小橋がいくつか通っていること、そのことはとてもすごいことなのだ。神聖な事なのだ。



* 藤村の詩は、「千曲川旅情の歌」の、

  旅人の群はいくつか
  畠中の道を急ぎぬ

の詩句のことだった

122千手:2008/06/01(日) 00:51:52
(つづき)
** ヘルダーリン晩年の「春」の詩を上げておく。できれば近々日本語訳を試みたい。

DER FRÜHLING

Wie seelig ists, zu sehn, wenn Stunden wieder tagen,
Wo sich vergnügt der Mensch umsieht in den Gefilden,
Wenn Menschen sich um das Befinden fragen,
Wenn Menschen sich zum frohen Leben bilden.

Wie sich der Himmel wölbt, und außeonander dehnet,
So ist die Freude dann an Ebnen und im Freien,
Wenn sich das Herz nach neuem Leben sehnet,
Die Vögel singen, zum Gesange schreien.

Der Mensch, der offt sein Inneres gefraget,
Spricht von dem Leben dann, aus dem die Rede gehet,
Wenn nicht der Gram an einer Seele nabet,
Und froh der Mann vor seinen Gütern steht.

Wenn eine Wohnung prangt, in hoher Luft gebauet,
So hat der Mensch das Feld geräumiger und Wege
Sind weit hinaus, daß Einer um sich schauet,
Und über einen Bach gehen wohlgebaute Stege.

123千手:2008/06/17(火) 21:45:48
ペーター・ルーカス・グラーフのあの昔のフルートソナタ(バッハ)が聞きたくて、CDを探していて(LPはあるのだが)
いたら、娘さんとの共演なのだろうか、面白いCDが手に入った。
CLAVES・50-2511だ。2005年の演奏らしい。
本当に聞きたいのは一曲だけ。ホ短調BWV1034の第三楽章だ。
あの静謐ななかに暖かさの沁み出ているような感じの演奏が気に入ってたのだが、この新しい演奏ははじめかなり違和感があったものの慣れてくると聴けるようになってくる。
昔のものに比べればけれん味のあるところがかなり目立つのだが、だがヨーロッパ人の演奏と思えば聴けてくる。
ソロの曲はどれも非常によい。そして上記のホ短調第三楽章アンダンテも聴けるようになってくる。フレーズのめりはりはいい感じに出ていると思う。
そこでニコレ/リヒターの演奏を出してきて聞いたのだが、あのニコレの、殺気を匂わせたままそれを出してしまわないような演奏は、何か非常に聞き苦しいものだった。この演奏が現代でもこの曲の演奏の標準になっているものだと思うが、聞いていると雰囲気だけの絵を見せられたような気になってしまうのだ。ニコレのこの演奏は今や聴けるものではないのではないだろうか。
残酷なものだ。三十年前には一世を風靡していたはずだが、今や過去に信じられたものの遺物にしか感じられない。
どうしてなのだろう。多分グラーフの昔の演奏は今でもきちんと聴けるはずだ。
最も深い感覚、最も深い思考、それ以外のものは何の価値も無くなってしまうのだ。
もっともバッハがニコレの最高の仕事ではないのだと思う。多分シリンクスの方が彼の最高の演奏なのだと思うので、そのことは付け加えておきたが。
しかし、ニコレもリヒターもはっきり古びてしまっている。
残酷なものだ。たとえばそれらより約10年後の演奏だが、グールドのイタリア・コンチェルトは今も何一つ古びることなく私の耳と胸に掴み掛かってくる。

124ほかいびと:2008/06/17(火) 23:20:35

去年からペルセポリスを見るときは弟に借りた
VLADIMIR ASHKENAZYが弾くピアノの
「SCRIABIN piano sonatas」を
PCで聴きながらいろいろ考えたりしています。
ピアノの鍵盤を12色の色で染め表したという作曲家です。

シュトックハウゼンについてはBEATLESの「サージェントペパー・・・」に
出てた人ということくらいしか知らなかったのですが、
宮澤賢治と共にこれらの芸術家は最近は「共感覚」の保持者だということで若い世代に知られていたんですね。

クラッシックは不得意ですがグールドの「ゴールドベルク変奏曲」だけは
有名な録音のやつを以前何度か聞いてましたが、
晩年に録音されたLPのも最近聴いていました。

トルコ行進曲もそうですがゆっくり味わい深く演奏したことが、
クラッシックに興味の薄い私のようなものにも良さが伝わってくる
原因だろうかとおもっていました。
しかし、晩年の「ゴールドベルク変奏曲」は
意識的に味わい深くゆっくり弾いてるというのを少し越えた、
なんていうか、情感豊かな無意識が弾いてる、
自意識なんかもうないグールドの自律神経が弾いてるとでもゆうような、
おだやかさを感じました。

雪舟の画にもその辺に大事ななにかがあるのかもしれませんが、
演奏でも鑑賞でも無意識状態にあるというのことはベストな状態なんでしょう。

125千手:2008/06/18(水) 19:37:08
>>124
ほかいびとさん、グールドはぜひとも聞いて下さい。雪舟と関係があるかは分かりませんが。
シュトックハウゼンはなかなか聞けないと思いますが、ともかく機会があったら「短波」をぜひとも聞いて下さい。少し劣った録音でもいいなら私の方からCD−Rをお送りすることもできます。
それで少し話しは違いますが、>>123のニコレのBWV1034の演奏、よく聞いてみると私がすきでない第一の理由が分かりました。
ほとんどすべての音をビブラートをかけて吹いていることです。それがとても不快なのです。
何を聞かせたいのか、という疑問がたまってしまうのです。隅々まで不要な色づけが施されているように聞えるのです。そしてバッハから音楽として本質的な何を聞取っているかというとそれがあるように思えないのです。
グラーフの旧版の方も聞いて見ましたが、ファゴットを使った音色構成も落ち着いて素晴らしいのですが、アンダンテに関してはグラーフの新版が一番納得して聴けます。
旧版の方がLPで今一歩よい音で聞けないせいかもしれませんが。
グラーフの新版はちょっとオーバーな表現が無いわけではないのですが、それでも彼が「バッハから掴んだもの」ききとることができる気がします。
こんなことも素人談義ではありますが。

126ほかいびと:2008/06/19(木) 07:30:11
>>125
「短波」のご紹介ありがとうございます。

シュトックハウゼンについては、
アメリカの動画サイト「YOU TUBE」で去年からたくさん見てます。
直感音楽はまだ良さがわかりませんが
「オクトフォニー」は概念として面白いなとおもいました。

127千手:2008/06/20(金) 00:28:43
>>126
むむ、なんとも研究熱心な。
けど、直観音楽は聞くものそして演奏するものです。
音楽家になる最短のコース。

次の演奏日がなかなか組めないでいます。
6月29日(日)は空いているんですが、どうでしょう?
もうひとつの案は、曜日に関係なく、毎月9日(命日)を直観音楽演奏日にするということです。

みなさんからご意見をいただければ幸い。

128毛蟹:2008/06/26(木) 01:42:37
千手さん、皆様、お久しぶりです。
突然ですが、近頃気になるニュースがありました。
「磯にクーラーボックスを忘れたから取ってきて」・・・釣り人からの110番通報。
「子供を病院に連れて行きたいが、夕飯をこしらえていて手が離せないから連れて行って」・・・母親(たぶん)からの119番通報。

こういった事例が急増しているとのこと。これはどういうサインなんでしょう。社会的なセーフティーネットも平気で食いつぶす。日本は(たぶん世界も)餓鬼地獄になりつつあるようです。子供たちには本当に過酷な時代が到来しました。

6月29日の直観には参加できます。毎月9日というのは、夜遅くでないとメンバーが集まらないでしょう。やはり練習後に次の練習日を決めるという従来の方法がいいのでは。

129Pentatonics:2008/06/26(木) 10:18:28
29日であれば参加できます。
7/9であれば参加できません。

130千手:2008/06/26(木) 22:41:55
ご意見ありがとう。6月29日(日)の18時からやりましょう。
場所は京都造形芸術大学陽陽館。

このところ「神さま」に会う道を考えていました。一つヒントが見つかって。まだ途中ですが。
多分「刃物研ぎ」でも「神さま」に会えるような気がします。
感覚の研ぎが必要です。演奏のレベルを一段上げるためには。

演奏日、急ですがメーリングリストで回します。

131Pentatonics:2008/06/28(土) 12:53:03
諸般の事情により、欠席させていただきます。
すいません。

132千手:2008/07/09(水) 11:37:56
ペーター・ルーカス・グラーフは狂暴なひとなのだ。BWV1034を聞いていて、その第三楽章の一ヶ所、一瞬、それを感じた。
それは非常に強いものだ。
穏やかさと静謐を基調とした演奏が何故か、ということをも一瞬のうちに理解させてくれた。
ここにはグールドが弾く克明な緩徐楽章に匹敵するものがある。

133千手:2008/07/11(金) 22:32:23
>>124
>トルコ行進曲もそうですがゆっくり味わい深く演奏したことが
これ、わたしとは印象が違います。
「ゆっくり」、それで世界から出てしまうのです。そしてその世界の外の小径を
、その辛さともども、克明に辿りなおしているのです。辿っているのです。
 グールドの「ゆっくり」、そこにはいつもひとり我慢して進まなければならない道を進む辛さがあります。この辛さを辿った先にしか、善はなく、歓喜はないのです。
そんなメッセージをいつもグールドからは聞き取ります。禁欲の辛さ、我慢の辛さ、そしてそこに見えるもの。それが「グールドのゆっくり」です。わたしにとっては。

134千手:2008/07/25(金) 07:13:22
拙論:「鶴見和子歌集『回生』」を紹介します。これもいつ削除するかわかりません。

 ある方から鶴見和子の歌集『回生』(藤原書店)を送っていただいた。入院して歌を作りはじめたということは新聞などで紹介されていて知っていたが、実際に目にしたことはなかった。
 手にとって読んでみると、素晴らしい。その一端を紹介してみよう。こんな歌たちだ。
一、我もまた動物となりてたからかに唸りを発す これのみが自由
二、水、水、といいてウランの火に灼かれしヒバクシャの惨苦あらせてはならぬ カタストロフィ カタストロフィ
三、楡若葉そよぐを見れば大いなる生命(いのち)のリズム我もさゆらぐ
四、猿も鹿も猪も棲むとう七沢に片手片足(へんしゅへんそく)の我 山姥(やまうば)となれり
五、玄関の扉(とびら)開けば山々を渡り来(こ)し風はそこに待ちてあり
六、フル・スピードもて燕(つばめ)自在に飛び交えど衝突せぬを不思議と思う
七、花道を杖もて歩む静(しずか)われ 昔を今になすよしもがな
八、おおらかに死を語りあう友のありてかがよい熄(や)まず我が老いの日々

135<削除しました>:<削除しました>
<削除しました>

136千手:2008/07/25(金) 07:59:52
<承前>
 こうして八首を上げてみると、この歌集の特質の幾つかは見えてくる気がする。第一首にあげた「我もまた」の歌は、ベッドに拘束される入院という状態の中でも自分に思いっきり自由にできることを発見するのである。それが「唸る」こと。ただこの自由を得るためにはみずから人間の枠を壊し、動物への変身を果たさなければならない。作者はそれを断然やってしまうのである。その素晴らしさ。その肯定的な、生ることへの明確な姿勢に瞠目させられる。
 「水、水」の歌も入院中のみずからの渇きをもとに発想されている。ヒバクするとはこうして渇くことなのだ。「ヒバクシャ」を片仮名で記す修辞は、一瞬思考を中絶させ、読者を「ウランの火に灼かれた」ひとびとの現実の苦しみに直面させてくれるものだ。「被爆者」といってしまったら、あの広島、長崎の被爆者のことね、とあっさりと出来合いの概念だけでことを捉えてしまうだろう。それではあのたまらない「渇き」に、直面しがたくなってしまうはずだ。必ずみずからの身体感覚を出発点にして、そこから物事を考えてゆくこと、この姿勢がすばらしい。ニーチェ的な方法だ。
 三首目の「楡若葉そよぐを見れば」の歌には直観音楽的なものがある。あとがきで言われる「経験と歴史とをへて到達した「実存」ともいうべき新しい境地」とは、まさにこの一首の中に言われていることだ.。宇宙のリズムを感じ、そして呼応する、そういう営みだ。この世界がどれだけ豊かなものであるか、ご存命であればお伝えしたいことだ。
 山姥宣言の歌は、痛快なものだ。みずからを山姥と名乗って恥じないひとは極々まれだ。半身不随の異形になって、作者ははじめてその地位を手に入れた。山姥になるとは、悲惨と栄光を同時にわがものにすることなのだ。
 五首目の「山々を渡り来し風」の歌はこの上なく爽やかな歌だ。五月に時々感じることのできるその風は、山々の緑を渡って遠くからやってくる風で、日本の季節の味わいの最良のものの一つのはずだ。この風を、わが師、山中智恵子も歌っていた。「風とほくわたらふ五月」と(『虚空日月』)。この歌集のこの歌で、わたしははじめて山中智恵子の歌った五月の風が再び捉えられたと感じた。
 六首目の、フル・スピードもて自在に飛び交う燕の歌に関しては、わたしは多少の疑問を感じるところがある。これもまた五月であろう。この国に渡り来て、巣場所を見つけ、そして全力で飛び交う燕たち。それもまた五月のめざましいできごとであるが、それを彼ら燕たちはペアリングの行動としておこなっているのだ。激しさも当然である。全力、全速力も当然である。伴侶を得た喜びもそのフル・スピード飛行にはある。この歌で物足りなく思うのは、そのペアリングの必死と歓喜を作者が見落としているところだ。わたしはまた燕の歓喜も感じ取りたいと思う。
 七首目の「静」の歌はまことに巧みに詠まれた歌である。左注によれば作者は国立小劇場で「賤(しず)の苧環(おだまき)」を観たという。静御前の思いと我が思いを重ねてうたう歌は、どこかに(詩歌管弦の)遊びの愉しみを隠していて優雅である。
 わたしが先に引いた最後の八首目の歌である。「かがよい熄まず我が老いの日々」。こういう姿勢をもってみずからの老いを祝福する姿には感動するほかはない。われらはみなこうありたい。われもまたこうありたいと思う。
 最後にもう一首だけ付け加えておこう。多分目立たない歌である。
・ほとほとと病室の扉(と)を叩く音 三日つづきて直輔昇天を知る
 この「ほとほと」は折口(信夫)が説くまれびとの来訪を告げる音だろう。こんなところに、こっそりと、さりげなく、作者のしっかりとした民俗的感性をみることができる。作者はたぐいまれな稟質をもった方なのだと知られる。
   ◇   ◇
 こうして数首あまりを取り出しただけで、この歌集が、生まれることの稀な、秀逸な歌集であることがわかるだろう。ここには感覚と身体によって感得されたのっぴきならないことだけが歌われている。歌い方は過剰、過度なところがまったくなく、すべてが的確を旨として歌われている。この歌集は、わが国の歌壇にとって、またわが国の歌の歴史のなかで、記念され、そして後の歌人によって必ず学ばれるべき一集である。このような歌集が生まれ、そしてそれに触れられたことを、わたしは率直に喜びたい。

137千手:2008/07/25(金) 08:01:36
>>135 一ヶ所訂正のため削除しました。

138毛蟹:2008/07/28(月) 01:46:16
>134,136
ご紹介頂いた歌ですが、僕には「うなり」を発することも、「いのちのリズム」を見出すこともできませんでした。つまりこの歌人が感得した(かもしれない)「のっぴきならない」ことを僕の身体で追体験することはできませんでした。
本当に「のっぴきならない」ことが、変身の瞬間が、この歌人に訪れたのでしょうか?「うなり」の質(それはどんな声だったのか?)の記述、「リズム」の質の記述はありません。葉がそよぐリズムが「のっぴきならぬ」ものであったのなら、その「のっぴきのならなさ」を記述しなければリズムを捕捉したことにはならないと思います。

139毛蟹:2008/07/28(月) 01:52:06
僕が鈍いのでしょうか。確かにこのごろ意図的に感度を下げて想像力の働きを抑えていますが。

140千手:2008/07/29(火) 01:55:06
>>137,>>138
三番の楡若葉の歌は、リズムをもって動く宇宙の一部との呼応の目ざめなのでしょう。
そういうものがあり、そういうことがあるということへの目ざめ。そういうことをきちんと正直に語り記している、そういう歌だと理解しています。
けれど演奏ではない。
そして演奏の能力はそんなに研いてはいない。
あくまで自分の変身を、語り、人に報告するというところに位置している歌です。
山中智恵子のように、歌のことばによって「リズムを捕捉する」ことのできる歌人というわけではないでしょう。

141毛蟹:2008/07/29(火) 09:46:40
>>140
アドバイスありがとうございます。
ご紹介いただいた歌たちと向き合っているうちに、歌人とは何をする人なのかさっぱりわからなくなってしまいました。

>けれど演奏ではない。
>そして演奏の能力はそんなに研いてはいない。
>あくまで自分の変身を、語り、人に報告するというところに位置している歌です。
>山中智恵子のように、歌のことばによって「リズムを捕捉する」ことのできる歌人というわけではないでしょう。

そういうことなんですね。

残念なのは、固有な(のっぴきならない)瞬間の精密な記述がないことで、読み手が自分の引き出しの中からうすらぼやけた記憶を1や3の歌にコピペすることを許してしまっていることです。それがいいことなのか悪いことなのか、どうでもいいことなのか、僕にはわかりません。

「私は葉のそよぎのリズムと呼応した」と言われても、その葉のそよぎのリズムを見せてくれないなら、読み手である僕はその固有なリズムに呼応することはできません。千手さんに看破されましたが、僕は生成(演奏)にしか興味が持てないのです。

142千手:2008/07/29(火) 12:06:32
>>136 訂正
鶴見和子『遺言』を見て発見したんですが、鶴見さんは国立小劇場で「静」をみずから踊っていたようです。
それで、>>135に戻して、
「左注によれば作者は国立小劇場で「賤(しず)の苧環(おだまき)」を観たという。」→
「左注によれば作者は国立小劇場で「賤(しず)の苧環(おだまき)」を踊ったことがあるようである。」
に訂正します。

143毛蟹:2008/07/29(火) 12:08:04
以前千手さんに紹介してもらった「蝉」が登場する山中智恵子の歌が好きです。透明でエロティックな感じがします。蝉の抜け殻のように、自由に出入りできる空間として自分の身体を読み手に提供しているような感じがします。そこ(肉体)に自分は居ないという自信を感じます。勿論僕には何が詠まれているのかほぼさっぱりわからないのですが、この短期な僕が「わからない」ことに癇癪をおこさず、ちゃぶ台もひっくり返さず、「ずっとわからないままでいてね」と願ってしまうのは稀なことです。ピントの外れたファンレターです。失礼。

144千手:2008/07/29(火) 12:09:50
>>141
よく分かります。言葉で「そよぎのリズム」を見せるのは音で見せるよりなお難しいことと思います。
ただ、山中智恵子のように、できる人はいるのです。

145千手:2008/07/29(火) 21:52:24
鶴見さんの『遺言』から面白いところを紹介しておきます(p.88)。
「ところがそんなもんじゃないの。倒れてはじめてわかったのは。萎えたる足は我が気象台なんです。高気圧と低気圧。台風が来る。もうNHKの天気予報より、もっと早くわかるんです。この足が全部感知しちゃう。気圧の配置感知する。逸早く、気圧配置感知する、萎えたる足は我が気象台なんです。そのくらい体が自然の条件と連動しているんです。……」
とりあえずこんなところです。

146千手:2008/07/29(火) 22:00:34
>>143
「虚空日月夢邃きかも」の歌がわからない、と思って、
気がつくと三十年以上経ってました。

147千手:2008/07/30(水) 08:44:36
山中さんのその歌とりあえず全体紹介しておきます。

ただよひてその掌に死ねといひしかば虚空日月夢邃きかも (『虚空日月』)

148千手:2008/09/28(日) 11:44:21
>>141
こんな言い方ができるかもしれない。
短歌は濃縮ジュースのようなものだ。正しく還元できればもともとのシュティムング(Stimmung)を現に再生できる。
高度な歌の場合還元法は非常に複雑だ。だが必ず音律法があり、音律によってみずからのあり位置を正確に指示する。
そしてしばしば本歌など、自分の思考の位置、所在地を指示するための参照歌ないしは参照テクストがある。
音律の組み立て方が作家のもっとも個人的なところ。
還元法は音律を軸にその他の要素を織り込んでゆく一種の個人文法のようなもの。

とりあえず思いつくまま。

149千手:2008/10/07(火) 00:16:06
鶴見和子歌集『花道』 二十四首を読む をupしました。
http://25237720.at.webry.info/200810/article_1.html
コメントをいただければ幸いです。

150千手:2008/10/16(木) 22:40:37
「風土と日本文化研究会」第十六回研究会(2006年11月18日)の『折口信夫・釈迢空の「國」歌』の配布資料をブログで公開しました。
http://25237720.at.webry.info/200810/article_2.html
さらに議論が広がるならなお幸いです。

151千手:2008/10/22(水) 15:00:50
山中智恵子さん、亡くなるとき、わたしの夢枕に現れてくれた、という話です。
http://25237720.at.webry.info/200810/article_3.html

152千手:2008/10/31(金) 22:41:33
フランキーさんという翻訳をしてくれたインドネシアの先生が
「オイナニケケ」というスラウェシ島マナドの民謡のテープを送ってくれました。
その話です。
http://25237720.at.webry.info/200810/article_5.html

153千手:2008/11/01(土) 00:20:55
>>152
CONNIE MARIAさんの歌うその歌を聞くと、言い難い幸福感を感じます。
その幸福感は、そのミナハサ・ツアーの間中感じたものだった。深い深い幸福感。
そのまま死んでもいいと思うような。比類がない。
ちょっと違うが、シュトラウスの「死の四つ歌」の「眠りにつこうとして」に近いかもしれない。
「ケケ」の方がもっと暖かいものだが。
どこかに南の国の幸福があるのだ。

154千手:2008/12/04(木) 13:44:18
 今日読んだ鶴見和子『歌集 山姥』より

翼のべ空飛ぶ鳥を見つつ思う自由とは孤独を生きぬく決意

いい。すばらしい。

155千手:2008/12/20(土) 00:25:51
Die Mauern stehn
Sprachlos und kalt, im Winde
Klirren die Fahnen.
(Hoelderlin: Haelfte des Lebens)
'kalt'の続きが何なのか分からなくなっていた。'trunken von Kuessen'かと思っていたところだ。
'Klirren die Fahnen'だった。それだとなお救いがない。

156毛蟹:2008/12/20(土) 15:13:12
>154
そうでしょうか?
鳥もコミュニティーを離れては生きてゆけないはずです。
「孤独を生きぬく決意」ではなく、「誰にも助けられず一人で死に行く覚悟」なら僕にも共感できます。

157千手:2008/12/20(土) 23:32:20
>>156
そのどちらでもなく、孤立することをおそれずに進んでゆくという姿勢を明確にしている歌だと理解しています。

158毛蟹:2008/12/21(日) 09:53:18
>157
生き物への理解の足りない歌だと理解しました。

159毛蟹:2008/12/21(日) 10:47:53
この歌人の望むところは「生成」ではなく「説得」だと思います。

160千手:2008/12/22(月) 23:34:24
同じく鶴見和子『歌集 山姥』より

もう死にたい まだ死なない 山茱萸の緑の青葉朝の日に揺れているなり

この揺れ、振動に宇宙の無限のふるえがあるようだ。

161千手:2008/12/31(水) 14:49:13
鶴見和子歌集『山姥』の紹介。
http://25237720.at.webry.info/200812/article_4.html

162毛蟹:2009/01/03(土) 10:22:29
>160,161
旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いします。

161拝読しました。160の歌は未来の予測不可能性(意志なき意志)に対する「探り」だと感じました。
「もう死にたい」がなければいい歌です。くどい。どうしてこの歌人はこうも読み手を説得したがるのでしょう。
生理的に拒絶反応が生じます。

163千手:2009/01/03(土) 14:44:53
>>162
(もう死にたい )
まだ死なない 
山茱萸の緑の青葉朝の日に揺れているなり

「もう死にたい」はかなりの部分作者のサービス精神でしょう。
一筋だけが対話になっていると思います。
ベートーベンの
「こうでなければならないのか?
こうでなければならない」
というメモ書きのように。

164千手:2009/01/06(火) 00:39:25
『鶴見和子を語る』という本を読みはじめたが、その中で鶴見俊輔さんがこう語っている。
>それは彼女の価値判断の基準が変わったんです。つまり学問の世界というのがあって、一番はだれだというのが彼女のはじめの発想だったんです、アメリカへ行っても。人生の終わりになったら、自分はいまここで身障者とsていこうやってここで暮らしている。この片隅の暮らしがすべての基準になるんです。だから価値の転換があるんです。(p.62)
>だから名声からは離れていると。(p.62)
>片隅の人生の、これが実人生なんです。だから一番病(いちばんびょう)だと私は批判してきたんだけれども、最後の十年は一番病から自由になった。(p.63)
 俊輔さんのこうした批判的な捉え方はおよそ的確で魅力的なのだが、「最後の十年は一番病から自由になった」という理解には疑問を感じる。短歌を作っていた最後の十年、和子さんは短歌の中にも自分の実経験を型に帰属させる発想法と、よき未来の予告を語るという(未来病的な)発想法を持込んでいて、その大別して二つの発想法によって実人生のリアルな経験を干物のようなものにしてしまっている。
晩年の三歌集(『回生』『花道』『山姥』)を読んで、私がほんとによいと言えるのは二首だけだ。『回生』のなかの「カタストロフィー、カタストロフィー」の歌と、>>160に引いた「もう死にたい」の二首。

165千手:2009/01/06(火) 00:56:55
鶴見俊輔さん(↑)の
>八十歳に近く、彼女が脳出血で倒れたとき、歌は彼女にもどって来た。はじめは型はずれだったけれど、だんだんに型がととのって来て、その後、彼女は紀貫之の歌の理論、歌は生きとし生けるものの、生きる姿勢の中にあるという伝統にもどりました。
という理解にも二重の疑問を感じる。一つは紀貫之の歌論の理解に関して。もう一つは鶴見和子の歌の位置づけに関して。
 これについてはきちんとした反論を書くつもりだが、和子さんはよきにせよ悪しきにせよ、「一番病」を、名利の意識と言えそうなものを、短歌の中にまで持込んでいるのだ。99.9%までがそういう歌だ。通例の一番病や名声欲のようなものとは違ったものだが、だが「リアルなもののかかわり」を何よりも尊重する態度とは逆の物なのだ。

 このことをきちんと書こうと思うのだが、同時に自分は何という修羅の中にいるのだろうと感じる。
 だが俊輔さんは多分わたしのこのような反論も分かっていて、明確には語らないが、そこのところを鶴見和子の「業」として、「自分性」(わたしの造語)として捉えているのだと思う。

166千手:2009/01/06(火) 01:44:58
>>164,>>165
http://25237720.at.webry.info/200901/article_2.html
に修正・再録しました

167毛蟹:2009/01/07(水) 13:17:58
>166
この歌人は「(誰にも助けられず、看取られず)黙して死にゆく」生き物ではありません。しかしほとんどの生き物はそのように死んでゆきます。
この歌人はそのような生き物たちの死から何かを学んだのでしょうか。
山中智恵子の「蝉」の歌にはこの「黙して死にゆく」生き物と同じ生が感じられるのです。なんとなくです。

168千手:2009/01/08(木) 04:00:52
>>167
自分の死としては現在望みうる最高の環境での死しか想像できなかった人だと思います。

169千手:2009/01/08(木) 04:12:29
承前
鶴見俊輔さんがとても的確な捉え方をしている。
>自分ひとりを相手にして、自分ひとりで芝居をしていて、楽しんでいる。p。120
と。主に宇治の施設での最後の十年の生活についてのことだ。この批判的な眼差しに少し驚いた。
 それがさらに、肯定的な捉え方でもあるということが次のところからわかる。
>和子は戦後、政治に出ていたら、当選してますよ。それから一回ぐらいは大臣をやれたでしょう。それが彼女にとって大変にまずいことになっただけなんだ、好きじゃないんだから。それは宇治の施設で自分の部屋で一人芝居しているほうがいいんですよ。それも自分の幸運と思うだけの見識が、彼女には具わっていた。
 鶴見和子の晩期十年の短歌をどう肯定的に捉えられるかを思慮しているのだが、「ひとり生活の処世術」として大きな意味がある仕事だと言えないか、と思っている。

170千手:2009/01/08(木) 04:16:04

後半の引用はp.130

171千手:2009/01/08(木) 04:28:17
こんなページがある。
>鶴見(俊輔) 着るものも、おふくろの着ていた着物を裁断して、自分がいま着て寝てるって。これは和服の問題ですね。ちょっと洋服じゃそうならないと思う。そういうことを楽しんでいたんです。
>黒田(杏子) 終の日のお着物も決めておられたんです。
   「藍鼠の郡上紬に朱の衿かけたるままに書きおきぬ旅装束と畳紙の上に」(『山姥』)
  そのとおりに旅立たれた。俊輔さんがお通夜のとききれいだねえと。
>鶴見 すべて自分の想像の中で楽しんで、死に装束すらも楽しんでいた。
>黒田 最後まで衣食住を堪能された稀有の人。
>鶴見 そうですね。本当に。
>金子(兜太) できたといいうこtだな。それが。見事だよ。敬服するな。p.115
 わたしはそれを「堪能した」とは思わない。むしろ「管理した」と感じる。
 そして金子さんは「敬服する」と言っているが、わたしは敬服しない。むしろ哀れむ。どうしてここまで自己管理しないと気がすまないのか?

172千手:2009/01/08(木) 04:36:19
わたしは最近、哲学者も一種の猟師で、殺すことを本来の仕事にしている存在だと感じている。
何を殺す? 業の尽きた有情を。
 そしてまた「送り」をして成仏の手助けをしてやらなければならない、と。まさに諏訪の勘文の思想だ。

173千手:2009/01/08(木) 04:41:15
「送り」をして、もしくは「食べて」と言い直した方がいいか。

174毛蟹:2009/01/08(木) 08:22:55
>172
よくわかりますが、「カタストロフィー」と「もう死にたい」も火に食わせてあげないと。

175千手:2009/01/09(金) 23:35:57
>>172
を修正してブログにup。
http://25237720.at.webry.info/200901/article_4.html

176千手:2009/01/10(土) 02:11:56
宇治ゆうゆうの里に行って来ました。
診療所の鶴見和子さんの最後にいた病室に入れてもらって、窓の外に「山茱萸の緑の青葉」を探したのだが分からなかった。

177千手:2009/01/10(土) 02:15:29
>>174

哲学者としては、自分も食わないと、という発想をしますが。

178千手:2009/01/10(土) 02:35:12
結局鶴見俊輔さんが和子さんの最後の十年も「一人芝居」と批判している。
これを越える観点と言葉をもてなければ、俊輔さんより先へ行ったことにはならない。
自分にはそれがまだ見つかっていない。
紀貫之の歌論ががアニミズムとえいるのか。
鶴見和子の歌が近代短歌ではなく、貫之につながると言えるのか。
この二点は俊輔さんの議論に対する疑問だが。
和子さんの最後まで貫いた意志的な努力の姿勢はそれはそれで素晴らしいものだと思わざるをえない。
そしてそこに欠けているものとを合わせて、どう位置づけ、どう評価するか。
「ひとり生活の処世術」としての評価以上のことができるのか。
ゆうゆうの里へ行って、ああいう老人ばかりのところで死を迎えたくはないと思った。

179千手:2009/01/10(土) 02:46:41
最後まで業の尽きなかったひとなのだ。

180毛蟹:2009/01/10(土) 21:19:17
>138
こうして数首あまりを取り出しただけで、この歌集が、生まれることの稀な、秀逸な歌集であることがわかるだろう。ここには感覚と身体によって感得されたのっぴきならないことだけが歌われている。歌い方は過剰、過度なところがまったくなく、すべてが的確を旨として歌われている。この歌集は、わが国の歌壇にとって、またわが国の歌の歴史のなかで、記念され、そして後の歌人によって必ず学ばれるべき一集である。このような歌集が生まれ、そしてそれに触れられたことを、わたしは率直に喜びたい。

僕はそうは思いません。この歌人は「黙して死に行く」生き物たちの生と死を自分の都合にあわせて利用しているだけとしか思えません。それは僕が思うに冒涜です。

181毛蟹:2009/01/10(土) 22:47:01
ご紹介頂いた歌たちのメッセージは「わたしはここにいるのよ!」というものだと思います。
鶴見俊輔さんは「観客が一人もいない」という意味で「一人芝居」とおっしゃったのでしょうか。それなら残酷ですね。哀しく滑稽でかわいい「ひとり生活の処せ術」です。

ある意味タフな歌人だと思います。↑のメッセージを発信するために何でも利用するのですから。

>翼のべ空飛ぶ鳥を見つつ思う自由とは孤独を生きぬく決意

千手さんには大変失礼ですが、こんな一人よがりの薄っぺらな歌を詠む度胸は僕にはありません。

182千手:2009/01/11(日) 16:55:02
>>181
>利用しているだけとしか
 この人にも「利用する」前の時間があるのです。その時間が、歌ではほとんど消えてしまって見えなくなっている。それが問題なのですが。

183千手:2009/01/11(日) 17:13:43
↑は>>180の間違い。
>>181
俊輔さんの読みの底までわたしはまだ達することができていませんが、
>鶴見俊輔さんは「観客が一人もいない」という意味で「一人芝居」とおっしゃったのでしょうか。それなら残酷ですね。哀しく滑稽でかわいい「ひとり生活の処せ術」です。
はかなり深い意味でそうだと思います。
けれどわたしが今思っているのは、鶴見和子さんにとって歌が暗黙に予感している他者は、ほんとはごく内密な世界で、自分に、そして俊輔さんに、そして他の兄弟姉妹に向けて作っているように見えます。
「わたしはこんなに意気高く生きてる」ということを示そうとして。
多分再晩期にしろ和子さんを訪ねたら、わたしの仕事が何かということを真直ぐに尋ねられたことでしょう。
その姿美しい意志の形をわたしは決してないがしろにすることができない。
 けれど歌の道としては、本道からは外れていると思います。
  高見山青透くばかりすがた立つつくづくと今をよき咲(ゑま)ひあれ
    山中智恵子『みずかありなむ』「離騒」
 こういう他者の持ち方が正道だと思います。
 けれど他方で、鶴見和子さんほどきちんとした意志の姿勢を貫き、示した歌人も他にいないと思います。
「ひとり遊び」「兄弟遊び」という狭さが残っているにしてもです。

184千手:2009/01/11(日) 17:26:49
「山姥の歌---ひとり生活の処世術」
わたしの鶴見和子論はこんなタイトルになるでしょう。

185千手:2009/01/13(火) 01:22:16
拙詠一首

ひとの死をつぶさに見つつ隅田川父は火中を生き延びたまひたり

柳田国男『炭焼日記』昭和二十年三月九日の条にこんな記述があります。
>今夜夜半過ぎ空襲、全体で百三十機ばかりという、東京の空を覆いしもの五十機、窓をあけて見ると東の方大火、高射砲雷の如し。三時まで起きてふるえて居る。いつ落ちるかもしれぬという不安をもちつつ。

わたしの父はその時三十五歳だったはずです。

186千手:2009/01/13(火) 01:30:24
柳田の認識は、この時のいわゆる「東京大空襲」を少し過少視し(約七分の一)ているようで、
実際はB29、344機だったと言われています。
 翌日の記述だと思われるのですが、「五十機」という発表が公になされていたのでしょうか。

187千手:2009/01/13(火) 02:12:13
再びこの歌:

 もう死にたい まだ死なない 山茱萸の緑の青葉朝の日に揺れているなり

これは古今集・貫之の「生きとし生けるもの」の歌の系譜につながるというよりも、
むしろ道元・正法眼蔵の「無情説法、無情得聞」につながるものではないだろか?
 「もう死にたい」という問も、それに対する「まだ死なない」という聞、これが朝の光の中の山茱萸の揺れのの問・答、説法・得聞なのだ。
無情の説法を無情が聞く。そういう関係に思える。このとき「生きとし生けるものの歌を聞く」という有情のレベルはもう超えられている。

188毛蟹:2009/01/14(水) 01:06:31
>187
>このとき「生きとし生けるものの歌を聞く」という有情のレベルはもう超えられている。

そうでしょうか?有情、無常ってよくわかりませんが、「わたしのいのち」が他者として生きているということの気付きの瞬間だと僕には思えます。

189千手:2009/01/14(水) 02:13:39
>>188
? 有情/無情は確かにものすごく難しい。ただこれが分からなければ道元禅はわからない。
それで、まずはちょっと『古今集』「仮名序」を読んでみて下さい。

190千手:2009/01/14(水) 02:16:31
有情→無情:
生物から無生物(=宇宙の法)への飛躍があるのではないでしょうか。

191千手:2009/01/14(水) 02:22:31
「飛躍」というより「帰入」と言った方が誤解が少ないかもしれません。
「無情説法、無情得聞」で十分明確な表現だと思いますが。
この表現も、考えるならまずちょっと『正法眼蔵』の「無情説法」を読んでみて下さい。

192毛蟹:2009/01/14(水) 10:59:47
>190
>もう死にたい まだ死なない 山茱萸の緑の青葉朝の日に揺れているなり

「黙して生きている」状態にある歌人の「いのち」が歌人に何も語らなかったと断定する根拠を僕はこの歌から見つけることができません。
「いのち」の声を聴き取ったかもしれません。そしてこの歌人が生涯の中でいのちに最接近した瞬間であったかもしれません。それを否定する根拠もこの歌の中にはないと思います。
この歌は生物から無生物への侵入の手前にあると僕は思いました。

193毛蟹:2009/01/14(水) 11:41:57
>192
「侵入」を「帰入」に訂正。

この歌では体力が気力を上回っています。逃れようとする精神を捕まえて身体は生き続けています。青葉は簡単には落ちません。いのちの強さに半ば呆れつついのちに祝福を贈る歌人を僕は想像したいです。

194毛蟹:2009/01/14(水) 23:11:04
「この人は並外れた歌人ではない。この歌人は並外れた人ではない」これを自分なりに確認したかっただけです。

この歌人に関する僕のエントリーはこれで終わります。
千手さんありがとうございました。

195千手:2009/01/15(木) 22:52:31
>>193
いわば体力のなかに宇宙の法を聞きとっている、と考えるのですが。
それが「揺れている」ということではないか、と。

196千手:2009/01/17(土) 03:02:11
山中智恵子さんの歌を一首紹介しておきます。

  星は医師と誰か言ひけむこはれゆく銀河を仰ぎとどめむものを
             『青扇』

197千手:2009/04/04(土) 18:36:41
『風騒思女集』より山中智恵子さんの歌二首。

壊れゆく人間のため空は在り 鳥ありといふすべのなきか

束の間の狂気の晴れ間旅立たむわが尾の尽きるそのところまで

198千手:2009/04/17(金) 00:13:58
Susan Boyle - Britains Got Talent 2009 Episode 1 - Saturday 11th April
http://www.youtube.com/watch?v=RxPZh4AnWyk
「普通のおばさんが!」という驚きの。

199毛蟹:2009/04/17(金) 01:19:49
>>198
普通でない群集=装置から「普通でない」と驚かれる少々歌のうまい「普通のおばさん」を「普通でない」と思い込む努力を惜しまない僕ってたぶん普通なんだなと感じました。

200千手:2009/04/19(日) 05:28:34
拙論「岡本太郎はほんものである(1)」
http://25237720.at.webry.info/200904/article_2.html

201毛蟹:2009/04/19(日) 13:59:45
>200
読ませていただきました。
テキストの最後の部分では八重山の歌の限界について述べておられると読んだのですが、間違っていないでしょうか?

一つ残念なのは

>それは、たとえば、動物と相戦いそして仕留めることとそう違わないことのはずだ。

僕も含めてほとんどの読者がこのような「なまのなまなましさ」の物差しを持ち合わせていないことです。
たいへん意地悪な質問ですが、千手さんはいのちを賭して動物と戦い、仕留めた経験がおありですか?

202千手:2009/04/20(月) 01:54:36
>>201
>テキストの最後の部分では……
挙げたCDの「とぅばらーま」のもっと先はあるだろうということです。
>いのちを賭して動物と戦い、仕留めた経験……
ありません。「いのちを賭し」のところ、猟師の経験ともちょっと違うと思います。

203千手:2009/04/20(月) 02:19:42
>>202 補足
強いクマにとっては、人間のまずもって来れないところに冬眠するということ自体が命がけの行動だと思います。
猟師にとってはそういうところまで行って、熊穴を見つけること自体が命がけだと思います。

204毛蟹:2009/04/20(月) 09:55:47
>>202
>「いのちを賭し」のところ、猟師の経験ともちょっと違うと思います。

そうですよね。熊に力を出させないような方法(寝込みを襲う)でないと職業としては成りたたないはずですから。

>>203
この場合、猟師と熊が命がけで取っ組み合っている相手は自然であって熊(猟師)ではありません。
一般的に「動物と相戦う」という場合、その瞬間、両者に相手に対する殺意があるということを前提していると思います。
穴熊猟の場合熊は・・・寝てるんでしょ?

205千手:2009/04/20(月) 14:56:32
>>204
穴から追い出してから撃ちます。

206千手:2009/04/20(月) 15:00:47
>この場合、猟師と熊が命がけで取っ組み合っている相手は自然であって熊(猟師)ではありません。
 熊と猟師は互いに相手の考えを読んで行動します。何でわざわざ危険な崖の上に寝場所を決めるのか。

207毛蟹:2009/04/20(月) 22:54:45
>>205
>穴から追い出してから撃ちます。

失礼しました。猟師によって2通りの方法があるようですね。

>>206
>何でわざわざ危険な崖の上に寝場所を決めるのか。

それは熊に限ったことではなく、天敵のいる動物に普通にみられる戦略です。天敵と戦うことを回避する戦略です。
もし熊が人間と戦うハメになることまで考慮して崖の上に穴を構えているなら特別な動物といえるかもしれません。

208毛蟹:2009/04/20(月) 23:24:06
今も行われる熊猟って人間の性なんですかね?

209毛蟹:2009/04/21(火) 00:13:13
やっぱり千手さんご自身が熊を仕留めた経験がないとダメだと思います。

210千手:2009/04/21(火) 05:08:23
>>207
>もし熊が人間と戦うハメになることまで考慮して崖の上に穴を構えているなら特別な動物といえるかもしれません
 熊は人間が追ってくることを考慮して寝穴を定めているようです。

211千手:2009/04/21(火) 05:17:22
>>209
最後の行一部修正しました。

>>207
寝穴が少なく、血の臭いがついても同じ穴にまた熊が入ってくるところでは穴の中で仕留めるのが普通のようです。
木曽福島の樋口さんの話。少量の火薬をつめた弾で銃口を耳に当てて撃つそうです。

飛騨の橋本さんは、原則穴から出して、1〜1,5mの近距離でかかってくる寸前に頭に撃ち込みます。

212千手:2009/04/21(火) 05:29:40
>>208
知と技と体術のすべてを傾けて強敵と対決し勝利する喜びが一番のようです。

213千手:2009/07/09(木) 22:48:01
アファナシエフの弾くブラームスop.117は(op.118-6も)は、グールドを越えて、ブラームスの火をその先にまで伝えている。
透明な湧きいでる泉の水が、いわば鋼のように厳しく、また厚みのあるものであることを教えてくれる。
そんな印象だ。

214千手:2009/09/12(土) 19:47:26
アファナシエフの《ショパン:ノクターン》。
こんな苦しいショパンを聞いたことがない。
重く、苦しい。

これはアファナシエフの栄誉だろう。

215千手:2009/09/12(土) 19:50:17
>>209
同行して、殺せば同じことだと思います。

216毛蟹:2009/09/14(月) 01:05:23
>>215
橋本さんがそう仰ったのなら同じなのでしょう。

217千手:2009/09/14(月) 01:21:23
>>216
橋本さんが言ったわけではありません。
技術、胆力では違います。

218千手:2009/09/27(日) 11:35:50
私が最も恩恵を受けているグールドの演奏のひとつは、バッハのピアノコンチェルトの7番だ。
この確信を持った強い音の響きは、最高の音楽の一つだ。
「すきなだけ多くの時間と空間をもっているという確信」もここ、この場にはある。
音楽の最高のもののひとつだ。

219千手:2009/10/10(土) 23:57:51
「ある日の伊東静雄」開始。
http://25237720.at.webry.info/200910/article_3.html

220千手:2009/10/16(金) 11:32:40
「ある日の伊東静雄」6 ここで一応完結。補足を一つつける予定。
http://25237720.at.webry.info/200910/article_10.html

221千手:2009/10/28(水) 21:41:02
「杉本秀太郎の伊東静雄論」連載開始。

http://25237720.at.webry.info/200910/article_11.html

現在2まで公開。
乞うご期待。

222千手:2009/11/03(火) 18:48:09
ヘルダーリンの詩の朗読CDが手に入った。朗読はBruno Ganz。正確な韻律で読んでいるものと思う。
エリギー、とかオーデとか。
自分の思っていた読み方とずいぶん違うので、驚くと同時に、ヘルダーリンの詩が普通の詩人の詩とまったく別物なのだということがわかる。
ほとんど呪詛に聞こえるのだ。多くのドイツ人にとってもそうなのだと思う。
〜はどこにある、〜はどこにある、などということを本気で真っ正面から疑問にして問うているのだから。
たとえばあのアテナイはどこにある、等々(パンと葡萄酒)。
ほんとは呪いや呪詛ではなくて、深々と現在を問い出しているものなのだが。
だがともかくこういう詩には堪えられないドイツ人が多いだろう。

223千手:2009/11/03(火) 19:03:55
Brot und Wein


7
例えば「パンとP葡萄酒」の7の終わりのところ。
 Weiß ich nicht und wozu Dichter in dürftiger Zeit?
Aber sie sind, sagst du, wie des Weingottes heilige Priester,
Weiche von Lande zu Land zogen in heiliger Nacht.

乏しいい時代に詩人が何のために存在するのか、わたしは知らない。
詩人は、酒神バッコスの聖なる司祭のように、聖なる夜の中を、国から国へと移り行くのだ。
(詩人に引き付けて意訳)

聖なる夜の中をめぐり歩くより他のことを知らない者……。

224千手:2009/11/03(火) 19:17:38
さらに、その詩の最後のところ、

8
selbst Cerberus trinkt und schläft.

これが酒神の存在の意味なのだ!!!

ツェルベルス(地獄の番犬)さえ酒を飲んで眠るのだ、と。

葡萄酒はすでにキリストの血さえをも溶解させて、ディオニュソスの酒になっているのだ。
この"trinkt"に気を止める人は少ないのではないだろうか。
いやいや、ヘルダーリンをドイツ語で読もうとするほどの人なら、深くそこに気を止めるだろう。

このさりげない"trinkt"が酒神の存在の意味なのだ。

225千手:2009/11/03(火) 19:18:47
訂正
8→9

226千手:2009/11/03(火) 23:27:30
「パンと葡萄酒」最終行

ヘルダーリンの詩「パンと葡萄酒」の最終行はこうである:

Selbet der neidische, selbst Cerberus trinkt und schläft.
(Brot und Wein)

ここのところ、手塚富雄氏の訳はこうである:

あの妬み深いもの、地獄の番犬ツェルベルスさえも、飲み、そして眠っている。


この訳に何の疑問があるわけでもない。問題はなぜヘルダーリンがここで妬み深い地獄の番犬ツェルベルスを登場させたのかである。
趣旨は、酒神の恩恵が、イエスを通して、ツェルベルスにまで及んでいるということである。
ツェルベルスも眠れるのである。
そして眠るのである。

そうすると「地獄」への行き来が、容易に行えるようになるのだろうか?
ということは、「地獄」が必要なくなるのだろうか。
あるいは「地獄」がなくなるのだろうか。
「地獄」といってもギリシア風の「冥界」のことだということになるのだろうが。

「パンと葡萄酒」最終行

ヘルダーリンの詩「パンと葡萄酒」の最終行はこうである:

Selbet der neidische, selbst Cerberus trinkt und schläft.
(Brot und Wein)

ここのところ、手塚富雄氏の訳はこうである:

あの嫉み深いもの、地獄の番犬ツェルベルスさえも、飲み、そして眠っている。


この訳に何の疑問があるわけでもない。問題はなぜヘルダーリンがここで妬み深い地獄の番犬ツェルベルスを登場させたのかである。
趣旨は、酒神の恩恵が、イエスを通して、ツェルベルスにまで及んでいるということである。
ツェルベルスも眠れるのである。
そして眠るのである。

そうすると「地獄」への行き来が、容易に行えるようになるのだろうか?
ということは、「地獄」が必要なくなるのだろうか。
あるいは「地獄」がなくなるのだろうか。
「地獄」といってもギリシア風の「冥界」のことだということになるのだろうが。

ツェルベルスも酒を飲む。
そして嫉みを忘れ、眠る。

ヘルダーリンは何を言いたかったのか?

227千手:2010/01/17(日) 00:50:13
マイ・ブログに今年初めてのUP。ヘルダーリン詩集について。
http://25237720.at.webry.info/201001/article_1.html

228毛蟹:2010/09/09(木) 16:15:20
ご無沙汰です。
このところ反射神経の顕著な衰えを自覚します。特に運転中など。ボーとしていることが多くて、事後に冷やりとすることがしょっちゅうあります。
夏の間に体内に溜まった老廃物のようなものがあって、それが精神と身体の回路をブロックしているように感じます。デトックスせねばと思うのですが、どうすればよいのか?

さて、千手さんのブログ(芭蕉の俳句についての批判)を拝読しました。

 あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風  『奥の細道』(金沢)

この句です。恥ずかしながら初めて目にしました。
千手さんはこう述べておられます。

>だがわたしの感じでは秋を感じさせるのは決して風ではない。まず光そのものの強さだ。光の暑さ、強さにどことなく衰えが感じられるのである。そしてまた午後の二時、三時ともなれば、光が作る影の感じもどこか違っているのである。そう、照らされる草花の影が、何となく長くなったように感じられるのである。

これは一連の草叢写真の撮影経験を通して獲得された観察眼でしょう。その観察眼は確かに芭蕉よりも鋭いと思います。
しかしながら、僕が疑問に思うのは、次の箇所です。

>とすると、芭蕉はここに、この句の中に、なぜ秋風をもってきたのだろうか? 答えはおそらく、秋風がさきにあったからである。古今集の敏行の歌は、「目にはさやかに見えねども、風の音にも」と歌っていた。それが秋を感じる敏感さの証拠であるかのように。おそらくはこの秋を感じる感性の図式のなかに、芭蕉もみずからも浸かっているのである。多分すっかりと……。

「秋風がさきにあったからである」と断ずるに充分な根拠が示せているとは思えません。
「強烈な日差しの中に立っていたらひんやりした風が吹いてきた」という凡庸なシチュエーションがなぜ考慮されないのでしょうか。なぜ考慮する必要がないのでしょうか。それが疑問です。古今集の敏行に絡め取られているのはもしかすると千手さんのほうかもしれないと思ってしまうのです。

それと千手さんの俳句についてですが、

> あかあかとつれなき日にも秋はきぬ葛の葉ながき夕べの光

「夕べの光」はもう「店仕舞いの光」ではないでしょうか。

>そしてまた午後の二時、三時ともなれば、光が作る影の感じもどこか違っているのである。

そうであれば、強さの頂点をすこし過ぎた時刻の日差しを捕らえないとせっかくの観察眼が生きてこないと思います。「夕べの光」と「あきの風」に決定的な差異が感じられないのです。

229千手:2010/09/15(水) 23:47:22
>>228
謝多。
1.「つれない日」は、自分がじりじりと照らされて逃れようもない日差しのことと思います。
とすると難所を越えていた頃かなと推測するばかりです。金沢では秋風に涼を楽しんでいたようです。
2.午後二時の光(影)の長さを歌の中で表現する技法が見つかりません。
以上です。

230毛蟹:2010/10/25(月) 11:53:22
千手さんの10月24日付けブログを拝見しました。

清らさや風霧水と土の色

その場所によってしか保持し得ないような「結晶」にも似た感触が伝わってきます。
ついメンディエタの作品(土シリーズ)に重ねてしまいました。

231千手:2010/10/26(火) 07:28:29
>>230
ご高評有り難うございました。
実はこの句の実体を基に、「清明」の思想と戦っていけると考えているものなのです。
メンディエタに繋がっていればなお心強いことです。

233千手:2013/11/30(土) 09:56:19
下記の書き込みが有りましたが、営業広告でしたので削除しました。IPアドレスも晒します。

> マフラー バーバリーnode-1aid.pool-182-52.dynamic.totbb.net[23.88.77.75]


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