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詩・歌・管・弦 part 2
123
:
千手
:2008/06/17(火) 21:45:48
ペーター・ルーカス・グラーフのあの昔のフルートソナタ(バッハ)が聞きたくて、CDを探していて(LPはあるのだが)
いたら、娘さんとの共演なのだろうか、面白いCDが手に入った。
CLAVES・50-2511だ。2005年の演奏らしい。
本当に聞きたいのは一曲だけ。ホ短調BWV1034の第三楽章だ。
あの静謐ななかに暖かさの沁み出ているような感じの演奏が気に入ってたのだが、この新しい演奏ははじめかなり違和感があったものの慣れてくると聴けるようになってくる。
昔のものに比べればけれん味のあるところがかなり目立つのだが、だがヨーロッパ人の演奏と思えば聴けてくる。
ソロの曲はどれも非常によい。そして上記のホ短調第三楽章アンダンテも聴けるようになってくる。フレーズのめりはりはいい感じに出ていると思う。
そこでニコレ/リヒターの演奏を出してきて聞いたのだが、あのニコレの、殺気を匂わせたままそれを出してしまわないような演奏は、何か非常に聞き苦しいものだった。この演奏が現代でもこの曲の演奏の標準になっているものだと思うが、聞いていると雰囲気だけの絵を見せられたような気になってしまうのだ。ニコレのこの演奏は今や聴けるものではないのではないだろうか。
残酷なものだ。三十年前には一世を風靡していたはずだが、今や過去に信じられたものの遺物にしか感じられない。
どうしてなのだろう。多分グラーフの昔の演奏は今でもきちんと聴けるはずだ。
最も深い感覚、最も深い思考、それ以外のものは何の価値も無くなってしまうのだ。
もっともバッハがニコレの最高の仕事ではないのだと思う。多分シリンクスの方が彼の最高の演奏なのだと思うので、そのことは付け加えておきたが。
しかし、ニコレもリヒターもはっきり古びてしまっている。
残酷なものだ。たとえばそれらより約10年後の演奏だが、グールドのイタリア・コンチェルトは今も何一つ古びることなく私の耳と胸に掴み掛かってくる。
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