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詩・歌・管・弦 part 2

164千手:2009/01/06(火) 00:39:25
『鶴見和子を語る』という本を読みはじめたが、その中で鶴見俊輔さんがこう語っている。
>それは彼女の価値判断の基準が変わったんです。つまり学問の世界というのがあって、一番はだれだというのが彼女のはじめの発想だったんです、アメリカへ行っても。人生の終わりになったら、自分はいまここで身障者とsていこうやってここで暮らしている。この片隅の暮らしがすべての基準になるんです。だから価値の転換があるんです。(p.62)
>だから名声からは離れていると。(p.62)
>片隅の人生の、これが実人生なんです。だから一番病(いちばんびょう)だと私は批判してきたんだけれども、最後の十年は一番病から自由になった。(p.63)
 俊輔さんのこうした批判的な捉え方はおよそ的確で魅力的なのだが、「最後の十年は一番病から自由になった」という理解には疑問を感じる。短歌を作っていた最後の十年、和子さんは短歌の中にも自分の実経験を型に帰属させる発想法と、よき未来の予告を語るという(未来病的な)発想法を持込んでいて、その大別して二つの発想法によって実人生のリアルな経験を干物のようなものにしてしまっている。
晩年の三歌集(『回生』『花道』『山姥』)を読んで、私がほんとによいと言えるのは二首だけだ。『回生』のなかの「カタストロフィー、カタストロフィー」の歌と、>>160に引いた「もう死にたい」の二首。


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