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詩・歌・管・弦 part 2
121
:
千手
:2008/06/01(日) 00:50:40
私のブログにアップしたものを再録しておきます。
http://25237720.at.webry.info/200805/article_5.html
そして畑中の道を旅人は歩きぬ*
そんな詩行が島崎藤村の詩の中にあったとおもう。こんな情景が自然に浮かぶようになったのは一乗寺向畑町(京都市左京区)というところに長く下宿していたせいだ。大学に合格して、藤沢(神奈川県)の家から、京都に日帰りで行って、大学の学生課で斡旋してくれているところを見て、自分で決めてきた下宿だ。西村アパートという名の学生アパートだ。二階の西の端の四畳半の部屋で、部屋の扉には、しごく簡単なものだが一応鍵がかかる。窓は北向きで、そこから北の方に畑が広がっていたのだ。その畑の中にはあぜ(畦)があり、夕方の買い物時など、そこを地元の人がよく歩いて通っていた。その細いあぜ道をわたしは長いこと通ることがなかったのだが。
そのアパートに住んだことは、わたしにはとても幸せなことだったとおもう。その窓からは、少し身を乗りだせば右手に比叡山が見える。頂上まで見えるのだ。わたしが半紙と墨と硯と筆を買って、南画風の絵をまねて画いたりしていたのも、その比叡山に見惚れていたためだ。わたしが自分で画きたくなって何かを画いたのはそれが最初のことだった。大雅を模範にして画いたと言えばかっこいいが、実際はまったく画き方の初歩も知らない下手くそな画だった。だがその入学した年の十一月に姉が亡くなったときには、その中の一番よいものを棺に入れさせてもらった。
◇ ◇
その窓からは大家さんの畑が近くにあった。大家の西村嘉三郎さんはまったく無口で、用があってアパートの隣のその家を訪ねたりしたときには、すぐに奥さんを呼びにゆくのだったが、多分京都の中でも田舎の訛りというのがあったのだろう、その「家のを呼んでくるからちょっと待っててくれ」という意味のはずの言葉も、ほとんど聞き取れなかった。ほんとうにまっすぐなお百姓さんという印象の人だった。背は高かった。その大家さんが、夕方時分、畑の中で、鍬の小尻に上体をもたれかからせるようにしてじっと動かずにしているさまをよく見掛けた。まるでミレーの画のように、である。もう今日の仕事を終える時刻になっていたのだろう。何ともいえず美しいのである。
その大家のおじさんは、だがきっと何かを見ていたのだ。何かをじっと見ていたのだ。それが何かはよくわかる。美しい夕方の景色である。そういえばいつも西の方を見ていた。西日に照らされる畑の土や、作物や、畦の木々や、そして西方の山々や。そして夕焼けの空と雲。美しい景色がいつもあった。あたりまえのようにあった。そして疲れ果てるまで畑仕事をして、そうしてほっとして見る夕景は、人生そのもの、人生の喜びそのものといえるほど美しいものであったに違いない。わたしはその姿にいつも人生の充実というものを感じていたのだった。こうしてわたしはミレーの絵を見る目を得ていったに違いない。
そしてもう一つだ。ヘルダーリンの次の詩だ。
そして小川にはよくつくられた橋がかかっている。 (「春」)
Und über einen Bach gehen wohlgebaute Stege. ("DER FRÜHLING"**)
このヘルダーリンの晩年の詩の素晴らしさも、この西村アパートの窓の景色から学んだものだった。(京大)短歌会の友人だった鮫島君とこの詩の訳のことで少し話しをした覚えがある。「橋がかけられている」と訳したらどうだろう。その方がよいのではないか、とわたしが尋ねた。彼は、そのまま"gehen"のままのほうがもっとよくわかる、と言った。それはそうなのだ。よく作られた小橋がいくつか通っていること、そのことはとてもすごいことなのだ。神聖な事なのだ。
* 藤村の詩は、「千曲川旅情の歌」の、
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
の詩句のことだった
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