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詩・歌・管・弦 part 2

165千手:2009/01/06(火) 00:56:55
鶴見俊輔さん(↑)の
>八十歳に近く、彼女が脳出血で倒れたとき、歌は彼女にもどって来た。はじめは型はずれだったけれど、だんだんに型がととのって来て、その後、彼女は紀貫之の歌の理論、歌は生きとし生けるものの、生きる姿勢の中にあるという伝統にもどりました。
という理解にも二重の疑問を感じる。一つは紀貫之の歌論の理解に関して。もう一つは鶴見和子の歌の位置づけに関して。
 これについてはきちんとした反論を書くつもりだが、和子さんはよきにせよ悪しきにせよ、「一番病」を、名利の意識と言えそうなものを、短歌の中にまで持込んでいるのだ。99.9%までがそういう歌だ。通例の一番病や名声欲のようなものとは違ったものだが、だが「リアルなもののかかわり」を何よりも尊重する態度とは逆の物なのだ。

 このことをきちんと書こうと思うのだが、同時に自分は何という修羅の中にいるのだろうと感じる。
 だが俊輔さんは多分わたしのこのような反論も分かっていて、明確には語らないが、そこのところを鶴見和子の「業」として、「自分性」(わたしの造語)として捉えているのだと思う。


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