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鬼和尚の仏教講読会 別館2

387鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/03/29(月) 21:59:17 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

松源は靈隱老師の禪を伝えたのじゃ。
破法を破壊して、節約して暮らしたのじゃ。
財布の中には半文の蓄えもなかったのじゃ。
江山に三十年狂客として住んだのじゃ。

388避難民のマジレスさん:2021/03/29(月) 23:13:24 ID:UGqRHdIQ0
368
松源和尚 2/2
巡堂合掌又焼香 巡堂合掌又焼香
竪拂拈槌坐木床 じゅほつねんつゐしょうに坐す
臨済正傳也何處 臨済の正伝またいづれのところぞ
一休東海斷愁膓 一休東海に愁膓を断つ

くま訳
巡堂合掌又焼香という坐禅の作法に従い
竪拂拈槌(じゅほつねんつい)により師の指導を受けて床に坐す。ただそれだけのことなのに、
臨済の門徒のなかに、法を正しく受け継ぐ者はどこにいるというのだ。
一休は日本国において独り松源を受け継ぐものとして斷膓の思いである。

*巡堂合掌又焼香:坐禅の作法
*拈鎚竪払(ねんついじゅほつ):鎚をとり上げ、払子を立てる。師家が学人を接得する手段。
*愁腸(しゅうちょう):うれえ悲しむ心。愁心。
(´・(ェ)・`)つ

389鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/03/30(火) 23:38:57 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

巡堂し合掌して又焼香して供養するのじゃ。
竪拂拈槌し木床に座禅するのじゃ。
臨済の正伝はいずこににあるのじゃろうか。
一休は東海で断腸の愁いを抱えているのじゃ。

390避難民のマジレスさん:2021/03/31(水) 02:44:52 ID:isomS8To0
369
自賛   1/4
大機大用總絃膠 大機大ゆう総てげんかう
如法作家淸宴餚 にょ法の作け淸宴のこう
文君絞酒相如琴 文君がかう酒相じょが琴
終奈薄情無賴嘲 つひに薄無頼のあざけりをいかんせん

くま訳
大きな機会を充分に活かすための表現法があるのである
法に従った禅宗師家の雅な宴のさかな(=悟りへ導く指導技術)みたいなものである。
卓文君が夫の二心を悲しみ、別れの杯を交すと詠い送ったのが相如の琴線に触れたのである。
さてと、相如は薄情な無頼漢だというそしりをどうしたものか。

*絃膠(げんこう):東方朔の十洲記に、「鳳啄麟を以て膠を作る、續絃膠と名く、能く繼絃を續ぐ」と、
故に再び妻を娶るについて續絃といふ、司馬相如、卓文君を娶り、後、かえって将に茂陵の人の女を聘(め)
して妾となさんとす、卓文君、白頭吟を作って以て自ら絶つ、相如乃ち止むと。多情をいふなり。(大成脚注)
*鸞膠續絃法(中国語翻訳):漢王朝の武帝に捧げられた鳳凰骨髄を煮て作った非常に粘り気のある接着剤に
よる接着⇒やや無理がある設定で整合性を高めるようなしかけをする、表現技法・文法。
*餚(コウ・さかな)火をかけて調理した鳥・獣・魚などの肉。乱す。乱れる
*東方 朔(とうほう さく紀元前154年 – 紀元前93年)は、前漢の武帝時代の政治家。下界に住む仙人、お
笑いの神様。
*鸞膠續絃法(中国語翻訳):漢王朝の武帝に捧げられた鳳凰骨髄を煮て作った非常に粘り気のある接着剤に
よる接着⇒やや無理がある設定で整合性を高めるようなしかけをする、表現技法・文法。
(´・(ェ)・`)つ

391鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/03/31(水) 23:58:23 ID:1d4drIFg0
大機大用などは浮気性のようなものじゃ。
法に従う作家は宴会の肴なのじゃ。
文君が酒を絞り、相如が琴を弾くのじゃ。
遂に薄情無頼漢の嘲りをどうにもできないのじゃ。

392避難民のマジレスさん:2021/04/01(木) 02:25:35 ID:/M7/YgoQ0
くま訳全面改
大機大用などは浮気性のようなものである。
法に従う作家は宴会の肴なものである。
文君が酒を絞り、相如が琴を弾くのだ。
遂に薄情無頼漢の嘲りをどうにもできないのだ。

370
自賛  2/4
文章禪話不知真 文章禪話真を知らず
未得道流分主賓 未だだうる主賓を分かつことを得ず
慚愧永劫抜苦業 慙愧すやう劫抜苦の業
筆頭罵詈一天人 筆頭一天の人をめりす

くま訳
文章を読み、禪話を聞いても真理は分からないのだ
未だに修行者達は無分別の境地になれないので、、
慚愧の念に堪えないことに、永劫の苦を取り除かねばならないのである。
まずはその点に付き、天下の人を罵るのである。

*道流(どうる);臨済は修行僧達を「道流」と呼んだ。も本来「道教を奉じる人達」という意味
*慚愧:仏教では、対象を認識する心の中核部分(心)とそれに付随して働く心の作用の部分(心所)から 
 なる総合体として心を捉える。「慚」とは自分自身と法(仏教の教え)に照らして自分がなした過ちを恥
 じると共に、有徳者や善なるものを尊重することである。「愧」とは世間(法律や慣習などの規範) に
 照らして自分がなした過ちを恥じると共に、悪行から離れることである。この慚と愧は一応は区別される
 が、必ず相伴って生ずるとされる。そして、この二つは、心が善なるときは「精進」などの他の善の心の
 作用と共にいつも生じ、逆に心が不善(悪)のときは“恥じない想い”である「無慚」と「無愧」の二つ
 が必ず生ずると考えられている。
(´・(ェ)・`)つ

393鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/01(木) 23:29:18 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

文章や禅話では真理はわからんのじゃ。
悟りを得ていない坊主は主体と客体を分別しているのじゃ。
慚愧は永劫の苦を抜く法なのじゃ。
そのために天下の人々を罵るのじゃ。

394避難民のマジレスさん:2021/04/01(木) 23:54:13 ID:v8V8Mfq60
くま訳改
第三句;慚愧は永劫の苦を抜く法なのだ。
第四句:そのために天下の人々を罵るのだ。

いわれて見れば、うむ。なるへそと思えるのであるが、独力では↑このような訳が思い浮かばないくまであります。

371
自賛   3/4 
傍若無人閑逸心 傍若無人閑逸の心
奈何床下法塵深 しょう下の法塵の深さをいかんせん
夢閨銀燭繍簾月 夢閨の銀燭しうれんの月
白日青天咲朗吟 白日青天わらってろうぎんす

くま訳
俗世間から離れ、他人の目を気にしない。
地の底からわいてくる煩悩をどうするかと言うと、
夜は遊里の銀の燭台や繍簾越し月を眺め
晴れ渡った日中は、笑って詩を詠み吟じるのだ。

*傍若無人:他人の目を意識しない行動。「傍(かたわ)らに人無(ひとな)きが若(ごと)し」と読む。
*閑:1しずか。2.することがなくてひま。のんき。何もしないでいる。
*逸:世間から隠れる。世間に知られない。失われた。
*法の塵(のりのちり)仏法をけがすものを塵にたとえていう語
 六塵:仏語。色・声・香・味・触・法の六境のこと。心を汚し煩悩を起こさせるのでいう。
*夢閨(むけい):一休さんのペンネームの一つ
*繍簾(シュウレン): 刺繍をした簾(すだれ)。
*青天白日:よく晴れわたった青空と日の光。転じて、潔白で後ろ暗いことのないことのたとえ。また、無 
 実であることが明らかになること。▽「白日」は輝いて白い太陽のこと。「白日青天はくじつせいてん」 
 ともいう。
(´・(ェ)・`)つ

395鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/03(土) 00:04:25 ID:1d4drIFg0
>>394 学問も日々の精進が大事なのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

心は傍若無人にして他人に無関心なのじゃ。
床下の法塵は深くしてどうしようもないからなのじゃ。
わしの銀燭は繍簾の月のようじゃ。
白日晴天ならば朗吟を咲かすのじゃ。

396避難民のマジレスさん:2021/04/03(土) 00:50:26 ID:IwyI08X60
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳全面改
心は傍若無人にして他人に無関心なのだ。
床下の法塵は深くしてどうしようもないからなのだ。
わしの銀燭は繍簾の月のようである。
白日晴天ならば朗吟を咲かすのだ。

*「わしの銀燭は繍簾の月のようじゃ」とは、「ワシは(煩悩についての)物事の見方において、繍簾を通
して月を見るようなものだと譬えるのだ。」という理解で良いので有りましょうか?

372
自賛   4/4
純老佳名發海東 純老が佳名海東に發す  
天源派脈截流通 天源の派脈流れをきって通ず
徳山臨済在何處 徳山臨済いずれのところにか在る
歌吹夢閨殘暁鐘 歌吹す夢閨殘暁の鐘

くま訳
一休純老の名声は大應國師を受け継ぐものなのだ。
大いなる源からの流れは、邪法を断ち切り、一休により正しく伝えられるのさだ。
徳山や臨済の流れを受け継ぐものが、他に何所にいるのか、
歌い笛を奏でつつ、一休は一人明け方鐘の音を聴くのである。(祖師たちの教を受け継いでいるのだ)

*純老・夢閨:一休さんのペンネーム
(´・(ェ)・`)つ

397鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/03(土) 23:23:47 ID:1d4drIFg0
↑それでもよいのじゃ。
 更に進歩していけば他の解釈も浮かぶじゃろう。
 それにも囚われずに進むのじゃ。


 わしの名声は尾張海東郡から発したのじゃ。
 天源派の法脈を斬ってわしが通じたのじゃ。
 徳山臨済の正伝はどこにあるのじゃ?
 わしは残照の鐘とともに歌うのじゃ。

 正伝はどこにあるというのは反語じゃな。
 勿論わしの所にあるのじゃ、ということじゃな。

398避難民のマジレスさん:2021/04/04(日) 02:41:42 ID:cHNtCD760
くま訳改
第一句:わしの名声は尾張海東郡から発したのだ。
第二句:天源派の法脈を斬ってわしが通じたのだ。
*尾張:愛知県の妙興寺:大応国師没後その法嗣(ほうし)として国師の頂相を付与された円光禅師が創建
した古刹。大應の木像が
*海東郡:静岡県の円通堂には、大応国師が生まれた時に産湯の水を汲んだと伝えられる、
「東海児孫日転多(ひにうたたおおし)」:虚堂の法を南浦が日本に広めるのを予言した
*天源派=大応派・大応国師の法を継ぐ宗派。天源院、南浦紹明(大応国師)の塔所として、鎌倉市建長寺 
内にある

373    1/3
示淫色人    淫色の人に示す  
巫山雲雨夢中神 ふ山雲雨夢中の神
君子猶迷況小人 君子なほ迷ういはんや小じんおや
風流聖主馬嵬涙 風流の聖主馬くわいの涙
龜鑑明々今日新 亀鑑明々今日あらたなり

くま訳
楚の暗君懐王の夢には女神があらわれたという、
君子でさえ迷うのだから、小人ならいうまでもなく翻弄されただろう。
雅な名君玄宗が馬嵬で流した涙の話は、
今日、教訓とすべきことは、全く明らかである。

*巫山雲雨 ふざんうんう:男女の交わり、情交のたとえ。( 巫山」女神が住んでいたとされる山)。戦国時
代の楚の懐王が昼寝をした際、夢の中で巫山の女神と情交を結んだ。別れ際に女神が「朝には雲となって、
夕方には雨となってここに参ります」と言ったという故事から。
*懐王(かいおう、? - 紀元前296年)戦国時代の楚の王。秦の張儀の謀略に引きずり回され、国力を消耗
 し、最後は秦との戦いに敗れ秦に幽閉されたまま死去した。戦国時代の暗君の代名詞的存在と目され、楚
 の悲劇の象徴とされた。
*馬嵬駅の悲劇:756年に唐の馬嵬駅で、安史の乱により蜀に逃げ延びる途上の皇帝玄宗に対して兵たちが
 楊国忠・楊貴妃を殺害するように迫り、楊貴妃が悲劇の死を遂げた事件
*聖主:徳の高い、すぐれた君主。
*亀鑑(キカン):「亀」は甲を焼いて占ったもの。「鑑」は鏡の意。行動や判断の基準となるもの。手  
 本。模範。
(´・(ェ)・`)つ

399鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/04(日) 21:56:03 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

巫山には夢で雲雨となる女神が現われたのじゃ。
君子でも迷うのに小人は迷わずにいられないのじや。
風流な聖主も馬嵬では楊貴妃を葬り涙したのじゃ。
以上のような亀鑑に明らかなように今日新たに心がけて淫心を慎むべきなのじゃ。

400避難民のマジレスさん:2021/04/04(日) 23:03:07 ID:Hw95uq0M0
374    2/3
示淫色人    淫色の人に示す  
濮上桑間唱哇音 ぼくじょうさうかんあいおんをとなふ
風流年少寵尤深 風流年少寵もっとも深し 
世界三家村裏客 世界三か村裏の客
重華不識二妃吟 ちょう華しらず二妃の吟

くま訳
傾国の淫靡な音楽を大きな音で奏で、
風流な若者を溺愛する。
そんなやつらは、
世界のはての田舎者の客だ
あざやかさだけを有難がり、無学で、娥皇と女英という舜の二妃の吟など知らぬだろう。

*桑間濮上(そうかんぼくじょう):濮水のほとりの桑間という地の意。国を滅ぼすような淫靡な音楽。 
 また、淫乱であること。殷(いん)の紂王(ちゅうおう)が師延(しえん)にみだらな音楽を作らせたが、殷は
 滅び、師延は濮水に身を投げて死んだ。後に、濮水のほとりで聞こえた曲を師涓(しけん)が写し取り、晋 
 の平公のために演奏したところ、師曠(しこう)が亡国の音楽であるとして止めたという故事による。
*哇:わーわーきゃーぎゃー大声で叫ぶ
*三家村:寒村,片田舎.
*娥皇(がこう)は、古代中国の伝説上の女性。堯の娘で、妹の女英とともに舜の妻となった。堯は舜の人 
 格を見極めるために、娘の娥皇と女英の2人を舜に降嫁させた。舜の父母や弟はたびたび舜を死地に置い
 たが、舜は娥皇と女英の機転に助けられて危地を脱した。舜が即位して天子となると、娥皇は后となり、 
 女英は妃となった。聡明貞仁で天下に知られた。舜が死去すると、娥皇と女英は江湘の間で自殺し、俗に 
 湘君(湘江の川の神)となったと伝える。
(´・(ェ)・`)つ

401鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/05(月) 21:08:12 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

傾国の歌を声高に歌い、
年少を深く寵愛することを風流とする者は、
世間知らずの田舎ものなのじゃ。
瞬王がまだ二妃の歌を知らなかった頃のようなものじゃ。

402避難民のマジレスさん:2021/04/05(月) 23:20:32 ID:uaEwwF2M0
くま訳改
第二句:年少を深く寵愛することを風流とする者は、
第四句:瞬王がまだ二妃の歌を知らなかった頃のようなものである。

*重華:古代中国の伝説上の帝王。名は重華。虞舜[ぐしゅん]ともいう。五帝の一人。堯王[ぎょ 
 う]とともに堯舜と併称され、ともに儒教では理想的な帝王とされた。『史記』によると、頑迷な父 
 をはじめ家族は悪徳で乱れていたが、舜は孝行して導いた。これを知った堯王から認められ、帝位を譲り 
 受け国号を虞とし、善政を行った。

375
示淫色人  3/3
所愛肉身飡食忠 所愛の肉身さんしの忠
心肝生鐵一天功 心肝しょうてつ一天の功
男兒死處色何屈 男兒の死処色何ぞ屈せん
悩亂楊花甲帳風 悩らんす楊花甲帳の風

くま訳
肉体が好むところは、食欲に忠実である。
心は鍛えられてなくても、それが世に示される功績につながることもあるのだ。
男子の死に場所として色欲に屈してよいものかと思うのだが、
心乱されてしまうのである、なよやかな美女がいる遊里のとばりの風に

*心肝1 心の中。2 思慮。考え。才覚。
*悩乱:悩み苦しんで心が乱れること。
*楊花(ようか):柳の花。また、なよやかな美女をたとえていう
*甲帳:美しいとばり、
(´・(ェ)・`)つ

403鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/07(水) 00:07:43 ID:1d4drIFg0
肉体を愛する者は忠誠の心をゴミのように掃きちらしてしまうものじゃ。
心肝を鉄とすれば天下の功業もなすことができるのじゃ。
男児の死処が色欲で屈してよいものか。
美女に悩乱すれば花街の風となって消えるのみじゃ。

心臓は忠誠、肝臓は勇気を出すところと考えられていたのじゃ。
鉄の心肝とは忠勇無双と言うことじゃな。

404避難民のマジレスさん:2021/04/07(水) 01:36:43 ID:2riPeU5I0
くま訳全面改
肉体を愛する者は忠誠の心をゴミのように掃きちらしてしまうものなのだ。
心肝を鉄とすれば天下の功業もなすことができるのだ。
男児の死処が色欲で屈してよいものか。
美女に悩乱すれば花街の風となって消えるのみである。

*生鐵:=銑鉄・高炉や電気炉などで鉄鉱石を還元して取り出した鉄のこと。銑鉄を生産するプロセスのこ
とを製銑(せいせん)と呼ぶ。古くは銑(ずく)と呼ばれた。

376
雲門示衆云      雲門衆に示していわく、
古佛興露柱相交。   古仏と露柱と相交わる、
是第幾機。      これだいいく機ぞ。
自代云。       自ら代わっていわく、
南山起雲。北山下雨。 南山に雲を起こせば、北山に雨を下す 

小姑縁底嫁彭郞 しょうこなにによってかほうろうにかす。
雲雨今宵夢一場 うんう今宵夢一場
朝在天台暮南岳 あしたに天台に在り暮に南岳
不知何處見韶陽 知らず何れのところにかしょう陽(雲門)を見ん

くま訳
雲門が説法で修行者に尋ねた。
古佛がお堂の柱と交わる
これにはどんな機縁、悟りに導く縁があるのか?
雲門自ら答えて言った。
南山に雲が起これば、北山に雨が降る。(分別せずにありのままを見れば、仏法の真実が眼前に顕れている
としれるのだ。)

小姑はなぜ彭郞と結婚したか
愛し合う、夢のような一夜
朝は天台に在り、暮には南岳
どこに韶陽があるのだろうか。(雲門はどこにいるのであろうか)

・・小姑と彭郞の波乱万丈の人生の中にも、分別せずにありのままを見れば、仏法の真実が見えるという意
味で有りましょうか?

*彭郞:中国語の翻訳サイトで調べてみた。地名の由来についての伝説が、語られてるであるが、半分も分 
 からない。一休の説明から、たぶんこんな話であろうと推測してみた。
 禁断の恋をして結婚、誘拐、逃亡、再会、波乱万丈の人生を送った彭郞。廃止されて既にない韶陽を懐か  
 しくおもう。
*韶陽(韶州の別名)589年、隋により韶州と改称された。翌年には廃止
 韶陽=雲門。雲門大師が韶州雲門山に住するによる
(´・(ェ)・`)つ

405避難民のマジレスさん:2021/04/07(水) 01:41:56 ID:2riPeU5I0
おまけ
佐藤悦成×先生訳
和訳)諸君、よく聞きなさい。雲門文偃が学人に教えていわれました。
「仏としての衲が外をみるのは、第何番目の働きでしょうか。」と大衆は答えませんでした。
そこで雲門が代わって
「南山に雲が起これば、北山に雨が降る」といいました。

釈意)雲門は、自己の内にある分別を用いることなく、すべてをありのままに観ることができなければ、実
相の会得には至らないと示した。
露柱はその例として説いたのであり、仮有空無の意味を説いている。真実の仏法が何であるか、と問われた
大衆は、あまりに初歩的な質問と捉えて逡巡したのか、問いかけに応じることができなかった。仕方なく雲
門は自らの問に自身で答えることになった。雲が発生すると雨が降るように、思慮分別が入ることなく、自
身の心に隙間が生じなければ。眼前の仏法の真実が現れていることを識ることができるのである。
(´・(ェ)・`)b

406鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/07(水) 23:46:16 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
どんな者でも真摯に修業すれば悟りに至れるということじゃな。

小姑はどのような縁で彭郎の嫁になったのか。
雲雨は今宵一晩の夢なのじゃ。
朝には天台にあり、暮れには南岳にあるのじゃ。
どこにいけば韶陽が見られるのかわからんのじゃ。

407避難民のマジレスさん:2021/04/08(木) 01:40:31 ID:PVB4a6ig0
くま訳改
第二句:雲雨は今宵一晩の夢なのだ。

377
感龍翔寺廢   龍翔寺の廃を感ず
常住物誰用己身 常住もの誰か己身に用ふ
山門境致剪松筠 山門境致しょういんをきる
殿堂只與花零落 殿堂只だ花とともの零落し
廢址秋風二月春 廃しの秋風二月の春

柳田先生訳
寺の什物は誰が私したのか、
境内の松竹も切りとられている。
仏殿も法堂も花が散るように壊れてしまい、
廃墟には春の二月というのに秋風が吹く

くま訳
龍翔寺の荒廃してしまったと感じたのだ
寺の公用物を誰が私物化したのか。
山門から境内までの松竹は切り払われ、
殿堂は花が散るように零落してしまい、
廃墟には春だと言うのに秋風が吹いているのだ

剪松筠(しょういんをきる):松筠は松及び竹にて、山門の風致を添える松や竹などを切り払ひ、見る影も
なきを云ふ。(国訳大成脚注)
廢址秋風二月春:荒廃の跡、楊梅香る春も錦紅散ずる秋も。共に寂々として昔の面影はなし。(国訳大成脚
注)
*大徳寺境外塔頭である龍翔寺(りゅうしょうじ)は、境内3000坪(1万㎡)を有している。
 正式には萬歳龍翔禅寺という。「本派専門道場」とも呼ばれている。山号は瑞鳳山という。 
 大徳寺派の修行専門道場になる。 南北朝時代、1378年、焼失する。 室町時代、1431年以降/文明年間 
 (1469-1487)、林下(りんか/りんげ、在野寺院)になる。以後、徐々に衰微した。 1458年/1461年、一休
 が寺を訪れた。荒廃していたため、修理料(21貫500文)を寄せたという。
*かげまるくん行状集記HP解説より
 『東海一休和尚年譜』寛正2年(1461)辛巳条(師68歳)によると、一休宗純は春に嵯峨に遊び、西京を経由して龍
 翔寺に参詣した。荒涼として僧少なく、堂宇は傾いていた。昭堂(普光塔)は大徳寺が管理していたため
 問題はなかったのであるが、庫院は荒廃が最も甚だしく、僧の威儀をただす太鼓の音は沈黙していた。一
 休宗純はこれを嘆いて、銭数千緡(びん)によって修造を行なったという。1緡(びん)は1貫文にあた
 るため、「千緡」は「十緡」の可能性を指摘される(今泉1998)。両史料の年代は3年食い違っているが、
 どうやら『臥雲日件録抜尤』の方が正しいようで、『東海一休和尚年譜』は年代の錯簡とみられる。
(´・(ェ)・`)つ

408鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/08(木) 23:10:57 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

常住物は誰が己の物としたか。
山門から境内の松竹は切られている。
殿堂はただ花と共に零落しているのじゃ。
廃寺の址に二月というのに秋風が吹くのじゃ。

409避難民のマジレスさん:2021/04/09(金) 00:17:37 ID:CUHV1Hts0
379 (378→351の前)    1/2
虎丘雪下三等僧 二首  虎丘雪下三等の僧
少林積雪置心頭 少林の積雪せきせつ心頭に置く
公案円成上等仇 公案円成す 上等の仇い。
僧社吟詩剃頭俗 僧社に詩を吟ず 剃頭ていとうの俗
飢腸説食也風流 飢腸(ちょう)食(じき)を説く也た風流

瑞巌寺住職 平野宗浄先生解説・抜粋 (一休和尚を語る・NHK教育)
『大慧武庫(だいえむこ)』という宗代の禅の語録に、 ・・・圓通禅師という人がですね、雪の降る日に
、自分の友達の僧堂へ遊びに行った。ところが虎丘雪下という。虎丘というのはお寺の名前で、そこでは丁度、
雪の降る日ですが、お休みの日だったんですね。そこに三種類のグループがおると。一番上等が、達磨さん
が少林におった時に、二祖慧可(えか)がお弟子になりたいと、雪のもの凄く降る胸まで積もる雪の中にジッ
と耐えておったと。それを頭に入れながら、寒い禅堂の中で、坐禅をしておる。これが一番。それから上等
の仇(きゅう)というのは、これは上等の類(たぐい)ということなんです。それから「僧社に詩を吟ず」は第
二番目です。「僧社に詩を吟ず剃頭の俗」というのは第二番目で、筆を執って、墨を刷って、雪に因んだ詩
を作っておる。そういうグループがある。これは中クラスです。それで一番落ちこぼれの人達は、「飢腸
(きちょう)」、・・・腹が減ったという。
腹が減って囲炉裏を囲みながら、食べ物の話をしている。
ところが、(一休さんは、・くま記)風流だと言うんですね。だからね、実はこれを三番目の落ちこぼれを、
つまり救いたいと。これが一番問題だと。一休さんはおっしゃるんですね。お腹を空かしている。落ちこぼ
れの弟子達、これを風流という言葉で、高めて、・・・これを高級な意味での風流という。・・・ここでは
ですね、いろんな食べ物の話は楽しいですよ。・・・ 決して、これは嫌(いや)らしいものでも、何でもな
い。人間としての本来のあるべき姿だと。こういうふうで風流と言っておるんですね。人間の一番大事なこ
とを風流という意味に高めておりますね。

Didier, DAVIN先生解説
『大慧武庫』にある話を背景にしていて、雪が降りますと寺で三種類の僧がいると説明する話である。
上等の僧は僧堂で座禅をしていて、中等の僧は雪を題に詩を詠んで、三等の僧は炉の近くに食べ物の話をす
る。上下ははっきりしているのに、一休は最下位を風流と褒める。作詩は僧のやるべき事ではない、それを
する人は頭を剃った在家と同じであるというのは、最初に見た詩は閻魔の許さない趣味に過ぎない行為であ
るとよく似ている。ただ、讃えられている三等の僧と冷たく認められている上等の間にある詩の立場をどう
理解すればいいのであろうか。一つの仮説として、詩は俗の世界と悟りの世界の仲介にあると考えられる。
僧侶として悟りの境地を理想にしているのは当然な事であり、その悟りから俗の世界に戻るべきというのは
また禅の教えである。禅の修行を大事にする僧に花丸をあげるが、お腹がすいて美味しい食べ物の話を素直
にする僧も立派な人である。ここで救いのない行為は作詩だけである。
しかし、この世界は超えなければならない欲の世界だと言いたい時に、一休は作詩あるいは作詩に引きつら
れる自分を詠う。

くま訳
虎丘の雪下で圓通禅師が三等と評した僧の話
達磨さんが少林にいた頃に、二祖慧可がお弟子志願して、積雪中に耐えていた。
それを念頭に置き、寒い禅堂の中で、坐禅をしている僧は上等な類である。 
僧社で詩を吟じているのは、頭を丸めた俗物である。 
腹が減ったと食べ物の話をしているというのは、風流である。

*虎丘(蘇州):『史記』 の記載によると、2400年前の春秋時代、越王との戦いに敗れた呉王の闔閭
(こうりょ) がこの地に埋葬されてから3日後、その墓に白い虎が現れたことから 「虎丘」 となったと
いう伝説があるようです。しかし、一方では “ 丘がうずくまっている虎のように見えるから ” という説
もあったりで、この辺は今となってはどちらが正解という訳でもなさそうですね。

*虎丘庵:方丈庭園の背後、小高い位置にある小さな茶室。ここは、かつて一休さんが森女さんとお住まい
になっていた虎丘庵です。 二畳の水屋と、六畳、三畳の小部屋だけの、とても簡素なたたずまいの建物で
す。もとは京都東山のふもとにあったのですが、一休さんが74才の時に起こった応仁の乱(1467年〜1477
年)から避難する時に、ここ(現在地)に移築されました
(´・(ェ)・`)つ

410鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/09(金) 23:27:14 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

虎丘寺の三等の僧じゃな。

少林の積雪を心頭に置き、公案を円成するは上等の類じゃ。
僧社に詩を吟じるのは禿げ頭の俗人なのじゃ。
腹が減って食べ物の話をするのが風流なのじゃ。

詩を詠むのは論外の俗人なのじゃ。
修行中の者はまだ悟っていないのじゃ。
悟り終えてもはや何の苦も無く食べ物の話をしているのが一番えらいというのじゃ。

411避難民のマジレスさん:2021/04/09(金) 23:54:56 ID:OdNWOKxA0
380    2/2
虎丘雪下三等僧 二首 
禪者詩人皆痴鈍 禪者詩人皆痴鈍
雪下三等多議論 雪下の三等多議論し
妙喜若是大慈心 妙喜かくのごとく大慈心
説食僧與香積飯 じきを説く僧に香しゃく飯を与ふ

くま訳
禪者や詩人は皆愚鈍である
『大慧武庫(だいえむこ)』の雪下三等の僧は誰かと議論ばかりしてるのである。
浄土では大いなる慈悲を以って、
食ベ物の話をしていた僧に飯が振舞われるのである

*妙喜世界(浄土):仏や菩薩が住む清浄な国土のこと。
*香積飯:香積如来の食べるご飯。転じて、僧の食べる物を敬っていう。
(´・(ェ)・`)つ

412鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/10(土) 23:18:06 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

禅者も詩人もみんな痴鈍なのじゃ。
雪下の三等は議論が多いのじゃ。
妙喜ではこのように大慈悲の心を起こして、
食を説く僧に香積飯が与えられるのじゃ。

413避難民のマジレスさん:2021/04/11(日) 00:52:29 ID:hqpPt0vs0
くま訳改
第二句:雪下の三等は議論が多いのである。
第三句:妙喜ではこのように大慈悲の心を起こして、
第四句:食を説く僧に香積飯が与えられるのだ。

381
禪門寶訓云。圓悟謂妙喜曰。大凡擧措當謹始終。
謹終如始。則無敗事。故曰。靡不有初鮮克有終。
昔晦堂老叔曰。黄檗勝和尚奇衲子。但晩年謬耳。
観其始得。不謂之賢云云。因作偈題後云。

禪門寶訓に云く。「円悟、妙喜にいって曰く、『おほよそ挙措まさに始終をつつしむべし。
終りを謹むこと始めの如くなるときは、すなわち敗事無し、故に曰く、初め有らずといふこと無し、よく終
り有ることすくなし。』
昔まい堂老叔曰く、『黄檗の勝和尚、亦(また)奇なつすなり、ただ晩年あやまるのみ、
その始めに得るを観て、これを賢とはいはず、うんぬん』と。」よってげを作り、後に題すという。

    1/3
鐘楼讃兮猛虎途 鐘楼の讃猛虎の途
衲子金言臨濟徒 なっすの金言臨濟の徒
擡搦與奪辨邪正 だいぢゃく与奪邪正を弁ず
諸祖當機非一模 諸祖の当機一模に非ず

くま訳
禪門寶訓に記されているところによると、「圓悟大師が妙喜に対して言った。『おおよそ立ち居振る舞いは
終始慎み深くしなさい。
終りを慎ましくあることが、始めの如くであれば、間違える事がないであろう。
故に言った、初めに(慎み深い振る舞いが)有らずといふこと無し、(慎み深い振る舞いが無ければ)、良
い終りがあることは少ないであろう。』昔、晦堂老師が曰く、黄檗勝和尚(慧南禅師)は普通とは違った禅
師である。ただ晩年あやまっただけであり、始めから(慎み深さを)得ているからと言って、賢とはいわな
いのだ。この法話に因んで作詞するのである。
    1/3
寺院の鐘楼でほめたたられるのは、猛虎のような(厳しい修行の)道である。
禅師の公案などによる金言で導かれるのが、、臨濟の門徒である。
持ち上げたり、からめとったり、与えたり奪ったりして、正邪をさばくのである。
諸師たちの、悟りへと導く方法は一様ではないのだ。

*禅林宝訓・禅門宝訓:大慧宗杲と竹庵士珪が編集したものを、東呉の沙門浄善が増補改修し、1174-89に
完成。
*妙喜:圜悟克勤の法嗣大慧宗杲の号、1089-1063
*挙措:立ち居振る舞い
*晦堂(まいどう)祖心:=黄龍慧南1025-1100の弟子、建仁寺開山栄西禅師がその法脈に連なる名僧
*讃:1.他人の美徳をほめる。たたえる。2.仏徳をたたえる韻文

おまけ:『五燈会元』巻第十七、黄龍祖心禅師章(霊芝山 光雲寺HPより抜粋)
晦堂祖心、・・・十歳にして出家得度され、長じてのちに雲峰文悦禅師に参じること三年、何らの所得もな
く辞去せんとしたところ、文悦禅師は「必ず黄檗山に住する慧南禅師の道場に行ってご指導を受けよ」とさ
とした。・・・祖心禅師は黄檗に至って慧南禅師のもとで刻苦すること四年、しかもなお開悟することはで
きなかった。この道場は自分には機縁がないと思われたのか、また辞して文悦禅師のところへ戻られた。
・・・或るとき、中国の禅宗史である『景徳伝燈録』を読んでいて、「僧が多福(無字の公案で有名な
趙州の法嗣)に、『多福の竹林とはどのようなものか』と問うと、多福は『一本、二本は斜めの茎だ』と答
えた。僧が『分かりません』というと、多福は『三本、四本は曲がっている』と応じた」という箇所に出く
わした。竹に託して多福の家風をたずねた僧に対して、実際の竹の光景をもって答えたのに妙味がある。こ
の一段に至って祖心禅師は開悟して、自分がいままでついた二人の老師の作略(さりゃく、修行者を導く手
法)の何たるかを徹見した。
ただちに黄檗に戻り、慧南禅師に対して礼拝の坐具をのべようとしたところ、慧南禅師がすぐさま見抜いて、
「お前はすでにわしの宗旨を会得したわい(わが室に入れり)」というと、祖心禅師は跳(と)んで踊らん
ばかりに歓喜して、「仏法の一大事は本来このようなものなのに、どうして老師は公案などを使ってあれこ
れと探索させられたのですか」と問いただすと、慧南禅師は、「もしわしがお前をそのように究め尋ねるこ
とをさせて無心の境地に到らしめ、みずから見て、みずから納得するような体験をさせなかったならば、わ
しはお前を台無しにしたことであろう」といった。
(´・(ェ)・`)つ

414鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/11(日) 23:32:02 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

鐘楼は猛虎の道を讃美するのじゃ。
僧は金言を臨済の徒に与えるのじゃ。
さまざま手段を与奪し、邪正を説くのじゃ。
そのように諸祖は機に当たって一様ではない手段を尽くすのじゃ。

415避難民のマジレスさん:2021/04/12(月) 03:15:17 ID:5SaWg6N20
382   2/3
晦堂老痛處針錐 晦堂老痛処の針すい
隠去彌彰惟勝機 隠し去ればいよいよあらはるゐ勝の機
明眼非元來即是 みゃうげんの非は元来すなわち是
一休是正本來非 一休が是は正に本来非なり

くま訳
晦堂老が晩年過ったのは、針で突かれたような痛みなのだ。
隠し去ることによって、逆に悟りへの道が開かれるのだ。
悟った者が言う非は元来そのまま是なのである。
一休が言う是は正に本来非なのである。

*明眼(みょうげん):物事の真実を明らかに見通せる心の眼。
(´・(ェ)・`)つ

416鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/12(月) 21:49:59 ID:1d4drIFg0
晦堂老は正に痛む所に的確に針を刺すのじゃ。
隠居してもその勝機はいよいよあらわれるばかりなのじゃ。
明眼の者は非は元来即是であると説くのじゃ。
一休は是こそ本来非であると説くのじゃ。

色即是空空即是色ということじゃな。

417避難民のマジレスさん:2021/04/13(火) 03:17:29 ID:zbIV22Qs0
くま訳全面改
晦堂老は正に痛む所に的確に針を刺すのだ。
隠居してもその勝機はいよいよあらわれるばかりなのだ。
明眼の者は非は元来即是であると説くのだ。
一休は是こそ本来非であると説くのだ。

*この詩は全く読解できなかったであります。がっかりでありました。
 鬼和尚、いつもありがとうであります。
 >>413 の詞書の訳・解説もお願いするであります。

381再掲
禪門寶訓云。圓悟謂妙喜曰。 禪門寶訓に云く。「円悟、妙喜にいって曰く、
大凡擧措當謹始終。     『おほよそ挙措まさに始終をつつしむべし。
謹終如始。則無敗事。    終りを謹むこと始めの如くなるときは、すなわち敗事無し、
故曰。靡不有初鮮克有終。  故に曰く、初め有らずといふこと無し、よく終り有ることすくなし。』
昔晦堂老叔曰。       昔まい堂老叔曰く、
黄檗勝和尚奇衲子。     『黄檗の勝和尚、亦(また)奇なつすなり、
但晩年謬耳。観其始得。   ただ晩年あやまるのみ、その始めに得るを観て、
不謂之賢云云。       これを賢とはいはず、うんぬん』と。」
因作偈題後云。       よってげを作り、後に題すという。

くま訳
禪門寶訓に記されているところによると、「圓悟大師が妙喜に対して言った。
『おおよそ立ち居振る舞いは、終始慎み深くしなさい。
終りを慎ましくあることが、始めの如くであれば、間違える事がないであろう。
故に言った、初めに(慎み深い振る舞いが)有らずといふこと無し、(慎み深い振る舞いが無ければ)、良
い終りがあることは少ないであろう。』
昔、晦堂老師が曰く、
黄檗勝和尚(慧南禅師)は普通とは違った禅師である。
ただ晩年あやまっただけであり、始めから(慎み深さを)得ているからと言って、
賢とはいわないのだ。
この法話に因んで作詞するのである。
(´・(ェ)・`)b

418鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/13(火) 21:43:05 ID:1d4drIFg0
大体よいようじゃ。


 円悟は、妙喜に言ったのじゃ。

 おおよそ挙措動作は正に終始を慎むべきなのじゃ。
 終わりを慎むこと、始めの如くであればすなわち敗れることはないのじゃ。
 故に曰く、初めに慎みが無ければ、終わりにも有る事は少ないのじゃ。

 昔、晦堂老師が言ったのじゃ。
 
 慧南禅師は得がたい僧であったが、晩年に誤ったのじゃ。
 その初めに慎みがあるからと、賢者と言われるものではないのじゃ。

 よって偈題を成し後に伝えるのじゃ。

 慧南禅師というのは晩年に火事を出して牢に入れられたというのじゃ。
 そのために非難されるのじゃ。
 悟っても粗忽な振る舞いをすることなく、初心の者のように慎み深く謙虚に過ごせというのじゃな。

419避難民のマジレスさん:2021/04/13(火) 23:15:37 ID:xuQJwPRo0
くま訳改
四行目:故に曰く、初めに慎みが無ければ、終わりにも有る事は少ないのだ。

383   3/3
但歸依積翠庵禪 ただ積翠庵の禅に帰依して
慚愧狂雲名利前 慚愧す狂雲名利の前
一夕一朝日月蝕 一夕一朝じつ月の蝕
終分明白日青天 つひには分明なり白日青天

石井恭二先生訳
ただただ、積翠庵の黄竜慧南の禅に敬服する、
まだ名刹に囚われている自分を、朝夕に恥じる。
日蝕も月蝕も、やがては終り、
ついには晴天白日の空になることは明らかだが。

くま訳
積翠庵に住した黄龍慧南禅師に帰依するのである
愧ずらくは、狂雲が名利に囚われていることである。
日食月食もすぐにおわり、
やがて、天空は晴れ渡るのだ

*積翠庵:黄龍慧南が1066年前後に住んでいた庵
(´・(ェ)・`)つ

420鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/14(水) 21:13:39 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

ただ積翠庵の禅に帰依するのじゃ。
狂雲の名利に囚われていたことを慙愧するのじゃ。
日月の蝕は一夕、一朝しか続かないのじゃ。
すぐに終わって白日晴天が分明になるのじゃ。

421避難民のマジレスさん:2021/04/14(水) 22:47:14 ID:ZaDitCsY0
384
陳蒲鞋    陳ほあい   
賣弄諸人瞞諸方 諸人をまいろうし諸方まんず  
徳山臨済沒商量 徳山臨済もつしゃうりゃう。  
拈槌竪拂非吾事 ねんついじゅほつわがじにあらず    
只要声名属北堂 只だ要す声名の北に属せんことを  

くま訳
人々に自分の力量をひけらかし、周囲をだましたのだ。
徳山や臨済は思考することを否定した。
槌を手に取り、払子を立て、 弟子を育てることなど我ことではなく、
ただひたすら、北方禅(漸悟的な禅)の名声を上げることだけを求めたのだ。

* 陳蒲鞋:黄檗希運禅師の法嗣睦州道明、あるいは、道蹤(どうしょう)禅師、臨済を策励したり、雲門 
 の脚を折ってまでして接得(修行者を親しく指導すること)した人。峻厳極まりない機鋒の禅匠。母親孝行
 でもあり、草鞋(わらじ)を作って母を養ったことで、「陳蒲鞋(ちんほあい)」とも呼ばれた。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>72〜87
*賣弄(まいろう):(才能・賢明さ・媚態などを)見せびらかす,ひけらかす.
*瞞(まん):だます・あざむく
*商量:① 事の由来、すべき方法、事の善悪などをあれこれと考えること。② 相談すること。相談して考  
 えること。
*頓悟・漸悟(とんご・ぜんご):ただちに悟りの境地に達することを頓悟,順を追って次第に悟りに近づ 
 くことを漸悟という。またすみやかに悟りの境地に入ることを頓証菩提という。法相宗では修行の段階で 
 ある声聞,縁覚の位を経ないで,いきなり菩薩の位に入るときには頓悟の菩薩として区別した。また中国 
 の禅宗では,南方に広まった慧能の禅風を頓悟,北方の神秀の禅風を漸悟と呼び,南頓北漸といった。そ  
 の後南宗禅が栄えたため,現在伝わるものは頓悟的な禅である。
*陳蒲鞋に対する一休さんの評価が低かった決定的な理由は何でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

422鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/15(木) 20:33:45 ID:1d4drIFg0
人々に自分の才能をひけらかし、各方面を騙したのじゃ。
徳山臨済のことなど考えなかったのじゃ。
槌をとり払子を用いるのは我が事ではなく、
ただ声名を北堂に属させようとするためだつたのじゃ。

423避難民のマジレスさん:2021/04/15(木) 21:16:02 ID:H3hNGvDU0
くま訳改
第二句:徳山臨済のことなど考えなかったのだ。
第四句:ただ声名を北堂に属させようとするためだつたのだ。

*ここで、北堂は母のことでありますか?
 第四句は、母親のために名声を上げたいと言うような意味でありましょうか?

385
示榮衒徒    榮衒の徒に示す
人家男女魔魅禪 人家の男女魔魅の禪
室内招徒使悟玄 室内に徒を招いで玄を悟らしむ
近代癩人頥養叟 近代癩人のい養そう
彌天罪過獨天然 み天の罪過独り天然

くま訳
名利を求める榮衒の徒に示す詩
男女をだまくらかす技としての禅。
室内に修行者を招入れ、玄旨を悟らしめんとするのが、
最近の癩病患者養叟である。
天下に及ぼす罪悪は奴の天性によるものである

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>808靈山徹翁和尚示榮衒徒法語  
 徹翁義亨(大徳寺1世)の法語
*頥養叟:宗頥養叟禅師
*彌天(みてん):空いっぱいに広がること。天一面に満ちわたること。また、天宮の全体。大きいこと、 
 数量が多いこと、あるいは人格的にすぐれていることなどにたとえる。
(´・(ェ)・`)つ

424鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/17(土) 00:06:21 ID:1d4drIFg0
>>421 寺とか宗派を捨てて母親のところにいつたからじゃろう。
 まだ囚われがあったというのじゃな。
 

>>423 そうかもしれん。
 母親のために禅を捨てたというのじゃな。

425鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/17(土) 00:12:21 ID:1d4drIFg0
また養叟の批判じゃな。

 人家の男女に魔魅の禅を教えるの゛ゃ。
 室内に修行者を招いて玄を悟らせるのじゃ。
 近代のライ病の養叟なのじゃ。
 天に満ちるほどの罪はいずれ天が然らしむことになるじゃろう。

426避難民のマジレスさん:2021/04/17(土) 07:19:15 ID:YIG4xlXs0
鬼和尚、いつもありがとうであります。

386
龍門亭題偈賀天龍寺再興 龍門亭に偈を題して天龍寺の再興を賀す
盡乾坤乃祖門風 じんけんこんない祖の門風
萬嶽嵯峨烟雨中 ばん岳嵯峨たりえん雨のうち
三級浪高黑雲鎖 三級浪高うして黒雲とざす
潜鱗直得化天龍 せんりん直に天龍と化するを得たり

くま訳
龍門亭に偈を捧げて、天龍寺の再興を賀すつのである。
夢窓国師の門風は既に消失してしまっている。
聖地嵯峨の山々は霧雨の中にけむる。
悟りを求めるものにとっての登竜門は、愚か者達によってとざされてしまったが、
生あるものは全て、直接悟りを得ることができるのだ。

*天龍寺:臨済天龍寺派の本山。京都五山の第一位
 天龍寺龍門亭:南北朝時代の1346年に夢窓疎石・夢窓国師が選んだ「十境」のひとつ 
*夢窓疎石(むそう そせき):1275〜1351南北朝時代の臨済宗の僧。9歳のとき甲斐平塩寺の空阿の弟子 
 となって密教を学び,18歳で得度し,奈良,東大寺戒壇院で慈観について登壇受戒した。 20歳で上京, 
 建仁寺の無隠円範に参じて禅に帰し,のちに中国より一山一寧が来日したとき,鎌倉に下って学んだが機 
 縁は契 (かな) わなかった。1325年 後醍醐天皇の勅により南禅寺の住持となるが,北条氏に請われて 
 鎌倉に入り,北条氏滅亡後上京して再び南禅寺に入った。京都騒乱後に足利尊氏の帰依を受け,天竜寺の 
 開祖となった。天竜寺船による貿易を促し、また造園芸術を発展させた。門派は夢窓派といい、五山文学
 の最盛期をつくった。足利氏は末代にいたるまで疎石の門徒に帰依することを約束し,室町時代を通じて 
 夢窓派が隆盛することとなった。
*萬嶽:万岳・多くの山々。
*潜鱗:水中にひそんでいる魚。

おまけ・『碧巌録』第七則 茶席の禅語選HPより抜粋
三級浪高魚化龍、癡人猶戽夜塘水。 三級浪高くして魚龍と化し、癡人猶おくむ夜とうの水。

「修行者が師家のもとに参じその鉗鎚を受けると、鯉が竜門を透過すると竜と化してしまうように、おろか
な人も悟りを得て禅門の竜象となるという意。俗に毎年三月三日に鯉がその滝を遡って竜門を透過すると、
角を生やして竜になるという故事」
「竜門の三段の堰の高なみを上って魚はすでに竜となったのに、愚かものが魚を捕えようと、なお夜の淵の
水をかい出している。言葉づらにとらわれて、勘所を押さえきれない愚かさを喩える」
「鯉は疾くに龍となつて禹門の三級を上つたのに、馬鹿者が何時迄も水をかえている」
「禹帝治水の時、龍門の瀧を切り開きて三段と爲せり。此三段の瀧を、春三月三日桃花の咲く時鯉魚が跳び
越へると、火を發して尾を焦き角を生じて龍となるといふ。鯉魚が已に龍と化したのも知らずに、愚人は暗
夜の池水を汲み干して鯉を探して居るは見るに堪へぬ」

*三級 … 三段になった滝のこと。
*鉗鎚(ケンツイ):「鉗」は金ばさみ、「鎚」は金づちの意。禅家で、師僧が弟子を厳格に鍛え、教え導
 くことをたとえていう語
(´・(ェ)・`)つ

427鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/17(土) 23:53:09 ID:1d4drIFg0
天龍寺の再興ができた賛じゃな。

乾坤宇宙全てを包含する祖師の門風なのじゃ。
嵯峨の万の山は煙雨の中なのじゃ。
三段の滝が波高く黒雲を縛るのじゃ。
それでも潜む鱗類は直ぐに天龍と化することを得るのじゃ。

要するに天龍寺で修業すれば直ぐにでも悟れるのじゃ、ということじゃな。

428避難民のマジレスさん:2021/04/18(日) 06:37:40 ID:QdkMQi020
くま訳全面改
乾坤宇宙全てを包含する祖師の門風なのだ
嵯峨の万の山は煙雨の中なのだ。
三段の滝が波高く黒雲を縛るのであるが、
それでも潜む鱗類は直ぐに天龍と化することを得るのだ。

*乃祖:(ない) 汝の祖父。また、一般に、祖先。だいそ。
*盡:つきる。なくなる。つくす。きわめる。なくす。ことごとく。全部。すべて。

*「三段の滝が波高く黒雲を縛る」は、天龍寺での厳しい修行をすれば、悟りを妨げる障壁を取り除くとい 
 う理解でよいでありましょうか?

387
滅燈齋 
眞前一盞太分明 眞前の一さんはなはだ分明
乃祖靈光照太淸 ないその霊光太淸を照らす
徳嶠悟道我不會 徳けうの悟道、我ゑせず
江湖夜雨十年情 がう湖や雨十年の情

くま訳
目の前に盃があることは、はなはだ明らかなのだ。
祖師から受け継いだ尊い光は天下全てを照らすのだ
徳嶠の悟道は、わしには分からぬが、
江湖の夜雨 ともに修行した十年の情で気にかかるのだ

*中川徳之助先生解説より抜粋。()内はくま添
 自戒集を見ると寛正2年(1461)6月16日、一休は大燈国師の頂相を本寺に返して念仏宗に改宗すること 
 を宣言する。その動機となったのは、一休会下の久参の僧が「我カ印可ト云テ年来久参タテヲシテ、一休ノ後ハ我ニ仏 
 法ヲ問ヘト会裡ノ人々ニ申シアエリ。」とあるような行動をとったことで、この僧を前年の6月11日に擯出し、1年
 後の改宗宣言であった。
 (この)擯出された僧とは、(謹白久参人・・ 
 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>669(にある)崇宗蔵主のことかもしれ 
 ない。(滅燈斎=崇宗蔵主の斎明)
 (387)の頌は、龍潭信禅師と徳山宣鑑の滅燈の問答をふまえて作られているが、あるいはこの頌を一休 
 よりの印可と思い誤り、崇宗蔵主(滅燈斎)は擯出される結果になったのではありますまいか?
*齋:雅号などの何々斎という名。もとは僧侶が法名のほかに付けたもの
*盞(さん):盃
*太淸:天
*徳嶠:徳山のことでありましょうか?
*黄庭堅の詩(サワラ君の日誌blogより)
 桃李春風一杯酒 
 江湖夜雨十年燈
 桃李の花の下で 春風に吹かれて一杯の酒
 江湖の夜雨 別れて以来十年の灯火
*龍潭信禅師と徳山宣鑑の滅燈の問答(じ・た・る先生blogより)
 徳山禅師が、天下に聞こえた龍潭和尚をしたってようやく龍潭を訪ねることができたときのことである。
 龍潭和尚の部屋に入って、師から懇切な教えを聴いていた徳山は、ときの経つのをすっかり忘れていた。
 龍潭和尚が 「夜もだいぶ更けたようじゃ。そろそろ引き上げたらどうじゃ」 と言われたので、ていね
 いに別れを告げて、簾を上げて外へ出ると、外は既に真っ暗闇だった。 しかたなく、龍潭和尚のところ
 に戻ってきた徳山は、恐縮しながら 「暗くて道が分からないのですが」と申し上げた。すると龍潭和尚
 が自ら紙燭(紙に油を染み込ませた物)に灯を灯して目の前に出された。ところが徳山がそれを受け取ろ
 うとすると、龍潭和尚がにわかにその紙燭の灯をフーッと吹き消してしまった。そのとたん、徳山は忽然 
 として悟りを開いてしまった。
(´・(ェ)・`)つ

429鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/18(日) 23:20:40 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、龍は雲に乗って昇天するから黒雲が縛られたら昇天できないのじゃ。
それが悟りの障害を乗り越えることの喩えじゃな。

430鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/18(日) 23:44:56 ID:1d4drIFg0
燈明を滅する滅燈齋というから徳山じゃろう。

顔面の真ん前の明かりははなはだしく明るいのじゃ。
祖師の霊光は天まで届くのじゃ。
徳山の悟道にわしは会っていなかったが、
世間で夜雨に遭えば十年の情がわくのじゃ。

431避難民のマジレスさん:2021/04/19(月) 11:24:53 ID:5liPk8Gc0
くま訳全面改
顔面の真ん前の明かりははなはだしく明るいのだ。
祖師の霊光は天まで届くのだ。
徳山の悟道にわしはあっていなかったが、
世間で夜雨に遭えば十年の情がわくのだ。

*盞→ 一盞明灯=狼煙、かがり火
*「世間で夜雨に遭えば十年の情がわく」とは、自分を慕って訪ねたてきた徳山に対して、龍潭和尚が、導い 
 て徳山自身の内側の光明に気付かせて悟らせた、その機縁についてのことでありますか?

388
賛六祖    六祖を賛す
隋身擔子鈯斧 隋じんのたんすとつぷ
不知何處山翁 知らずいづれのところの山翁ぞ
南方佛法會否 南方の佛法會すや否や
盧公老老盧公 ろ公老老ろ公

くま訳
薪を担ぎ、なたを持ち歩く、
素性の知れぬ山男とみなされていたが、
南宗頓悟禅を打ち立てて五祖の法嗣として認められることになったのだ。
六祖慧能よ!慧能老師よ!

*随身(ずいじん)1 平安時代以降、貴人の外出のとき、警衛と威儀を兼ねて勅宣によってつけられた近衛 
 府の官人。2 神社の左右の神門に安置される守護神。3 桃の節供に飾る雛(ひな)人形の一。4 供とし 
 てつき従っていくこと。また、その人。おとも。5 物を身につけること。携帯すること。
*擔子:天秤棒で担ぐ荷、責任
*鈯斧:なた、斧の類なり(大成脚注)。切れ味が鈍くなってしまった斧、鋭くない斧、不鮮明な
*南方佛法會否:五祖に参じ、八月遂に黄梅の衣法を伝持して山を下る、五祖の指示により南方に遁れ、漁 
 恠にかくれ、後印宗法印の非風動、非幡動の旨を断じ、遂に剃具すと(大成脚注)
 六祖慧能禅師は五祖弘忍(ぐにん)禅師の法の奥義を受け伝法衣を引き継いだものの、身分なく真っ 
 当な出家得度者でなかったことなどから、五祖門下の承認が得られず弘忍の奨めによって、さらに修行行
 脚の旅にでた。そんなあるとき広東省・法性寺の印宗和尚の「涅槃経」の講座があることを聞きつけて
 法性寺を訪ねたときのことである。講座が開かれる法堂の前には幡が立てられて折からの風にあおられて 
 パタパタと音をさせてはためいていていた。・・風が動いているのか、幡が動いているのかという議論に
 対して「風動くに非ず、幡動くに非ず、仁者(あなたがた)の心が動いているのだ」と。断じた。
(´・(ェ)・`)つ

432避難民のマジレスさん:2021/04/19(月) 11:31:24 ID:5liPk8Gc0
*おまけ:
 慧能(えのう)wikipediaより抜粋:638-713年南宗の六祖。父が早くに亡くなり、薪を売って母親を
 養っていた。ある日、町で『金剛般若波羅蜜経』の読誦を聞いて出家を思い立ち、東山の五祖弘忍の下に 
 参じたが、文字が読めないため、行者(あんじゃ)として寺の米つきに従事した。
 その後、弘忍の法を受け継いで広州に帰り、兄弟子の印宗より具足戒を受けて正式な僧侶となり、曹渓宝 
 林寺に移って布教を続け、兄弟子の神秀より朝廷に推挙されるも病と称して断り、以後713年に亡くなる 
 まで布教を続けた。
 伝説
 壁に書かれた詩について
 慧能が弘忍の跡継ぎとして認められた時、次のような伝説がある。弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた 
 者を後継者と認めようといい、当初、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書いたが、弘忍は認めず、それ 
 を聞いた慧能が神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたので六祖となったという。
 神秀の詩
 身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し)
 時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有らしむること莫れ)
 慧能の詩
 菩提本無樹 明鏡亦非臺(菩提もと樹無く 明鏡亦また臺に非ず)
 本來無一物 何處惹塵埃(本来無一物 いずれの處にか塵あいを惹かんと)

 慧能が弘忍の命令で達磨から受け継がれた袈裟を持って大庾嶺まで逃げたところ、500人の僧が追ってき 
 たが、法論して負けて逆に弟子になった者もいるという。

 思想
 慧能は「本来正教無有頓漸(正しい教えに本来は頓も漸もない)」と説いたことは、法話集である『六祖 
 壇経』から明らかであるが、荷沢神会を始めとした鼓吹派が、神秀の漸修禅(北宗)に対して頓悟禅(南 
 宗)を説き、それが新興士大夫階級に受け入れられて爆発的に教線が拡大し・・・後の五家七宗全てがそ 
 の一門から出た。
(´・(ェ)・`)b

433鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/19(月) 22:22:17 ID:1d4drIFg0
>>431 そうじゃろう。
 娑婆世界の苦を経て慈悲深い師匠についたということじゃな。

六祖の賛じゃな。

荷を担ぎ鉈斧を持ち歩く、
どこの山の親父かわからんような者だったが、
南方の仏法に逢うやいなや、
盧公老師、老師の盧公と呼ばれる身になったのじゃ。

434避難民のマジレスさん:2021/04/19(月) 22:57:36 ID:6XTolzis0
くま訳改
第三句:南方の仏法に逢うやいなや、
第四句:盧公老師、老師の盧公と呼ばれる身になったのだ。

389
桃花浪
随波逐浪幾紅塵 ずいはちくろういくこうじんぞ
又値桃花三月春 又あたふとうか三げつの春
流恨三年六十劫 恨みを流す三年六十劫
龍門歳歳曝金鱗 龍門歳歳 金りんをさらす

くま訳   
俗世で波を追い、波の中に(龍=悟りを)探す。
又、鯉が滝を登り龍になると(伝説)にいわれる桃花の3月が来た。
伝説を信じたことを、永遠にうらみつづけるだけだ。
禅門の師家は、登ってくるのが龍か魚か見分けるのだ。

*桃花浪:「禹帝治水の時、龍門の瀧を切り開きて三段と爲せり。此三段の瀧を、春三月三日桃花の咲く時
 鯉魚が跳 び越へると、火を發して尾を焦き角を生じて龍となるといふ。鯉魚が已に龍と化したのも知ら
 ずに、愚人は暗夜の池水を汲み干して鯉を探して居るは見るに堪へぬ」>>386 *くま注再掲
*龍門歳歳曝金鱗:「禹門三級の浪あり、三月に至る毎に、桃花の浪漲る、魚能く水に逆らひ躍つて浪を過 
 ぎる者は龍と化し、 風雷を起こし、其の尾を焼いて天に登る」と。之を飜出したるなり
*紅塵(こうじん):俗世の煩わしさ。
(´・(ェ)・`)つ

435鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/20(火) 21:55:53 ID:1d4drIFg0
俗世の波に随い流れをおって何年も暮らしたのじゃ。
又桃花の咲く三月になったのじゃ。
長年の恨みを流し捨て、
龍は門を出でて毎年金の鱗を曝すのじゃ。

436避難民のマジレスさん:2021/04/20(火) 23:29:20 ID:Z3zUjfmQ0
くま質問
1.「長年の恨みを流し捨て」とは、鯉が滝を登り龍になるという伝説、頑なに信じることをやめると言う理解 
 で良いのでありましょうか?
2.「龍は門を出でて毎年金の鱗を曝す」とは、悟った禅僧は、世間に出て禅機を発揮するのだ、みたいな理解
でよいでありましょうか?
*金鱗:勝れた禅僧の喩え

391
聞聲悟道    もんしょうごどう
見色明心    見色明心    
雲門拈云    雲門ねんじていはく 
観世音菩薩   観世音菩薩
将銭来胡餅   銭を持ち来たりてこびょうを買ひ、 
放下手曰    手をほうげしていはく
元來是饅頭   元来これ饅頭と

即現観音奴婢身 即ち観音に現ず奴婢の身
饅頭胡餅谷精神 饅頭胡餅精神やしなふ
舊時難忘見聞境 旧時忘れがたし見もんの境
滿目山陽笛裏人 満もく山陽てきりの人
 
くま訳
自然の音を聞いて真実を悟り、
色を見て心のあり様を明らめる。
雲門はちょぴっとひねって、話を続けた。
観音さんが、
銭を持って来て胡餅を買った。(菩薩は自分が本来ブッタであることを忘れてるのだ。
手を開いてみたら饅頭だった。(衆生も又本來ブッタであるのだ)

これは、観音菩薩が衆生の身で現れるという意味である
饅頭か餅か(仏陀か衆生か)分別しようと囚われる
以前から知ってるつもりのことに囚われて物事を見たり聞いたりする
目を見開いて、気付けば全ての衆生は仏陀なのだ。

https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
 >>924
*即現観音奴婢身:三十三應身の所なり。
 三十三応身【観音経】より
 …元来は,単独に読まれたのを,中国で合体したもので,後代はもっとも人気ある経典として,再び独立 
 して読まれるようになる。観世音菩薩が衆生の願いに応じて姿を変える三十三応身と,十九の説法につい 
 て説き,衆生がその名をよぶことによって,あらゆる願いが満足されるとするもの。中国では,六朝以来,
 種々の霊験集が編まれるとともに,唐代に密教系の千手千眼観音の信仰が広まると,各地にその霊場が出 
 現する
*滿目山陽笛裏人:丁度昔時の知親に逢う感がするなり。(大成脚注)
(´・(ェ)・`)つ

437鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/21(水) 23:56:01 ID:1d4drIFg0
>>436 それより煩悩を流しつくしたというような感じじゃな。
    長く修業して全て捨てたのじゃ。

 2 そんな感じじゃな。
   悟りを得て巣立ったのじゃ。

438鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/22(木) 00:29:00 ID:1d4drIFg0
声を聞いて悟りを得て、
色を見て心を明らかにしたのじゃ。
雲門がひねって言うのじゃ。
観世音菩薩
銭をもって胡餅を買い、
手を開いてみれば
元来これ饅頭なのじゃ。

即ち観音ではなく奴婢の身なのじゃ。
饅頭も胡餅も身ではなく精神を養うのじゃ。
昔見聞した境地は忘れがたいものじゃ。
見渡す限りの山に陽があたり笛の声に没入するのじゃ。

439避難民のマジレスさん:2021/04/22(木) 15:02:14 ID:8x8UFS8o0
>389
くま訳改
第三句:長年の修行で煩悩を流し尽くしたのだ。
第四句:悟りを得た龍は門を出て巣立っていったのだ。

>390
くま質問
1.「観音ではなく奴婢の身」とは、お金を出して胡米餅を買う時点で、菩薩であることを忘れた奴婢の身で 
 あると言う理解でよいでありましょうか?
2.「饅頭も胡餅も身ではなく精神を養う」とは、食べ物の値段が高いか安いかによって、身の養われ方に違 
 いがあるのではなく、値段にこだわる精神が卑しいみたいな理解で良いのでありましょうか?
3.「昔見聞した境地」とは、悟る前の分別心のことでありますか?
4.「見渡す限りの山に陽があたり笛の声に没入する」とは、ありのままをありのままに見聞きするという理解 
 で良いで有りますか?

44(再掲・https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>688 1/4〜3/4)
三界1/3
來往生霊六道街 らいわうすしゃうりゃう六道のがい
修羅闘諍没生涯 修羅の闘争生涯なし
人間未得諸天樂 人間いまだ諸天の楽しみを得ず
闕減娑婆事々乖 けつげんの娑婆じじそむく

くま訳
生霊が行き来する六道街
修羅道では生涯醜い闘争に明け暮れる、
人間道では、天界の楽しみを知ることはない、
もの足りない娑婆で、ひねくれて事々に背いてみたりする。

*三界:欲界・色界・無色界の三つの世界、衆生が生死を繰り返しながら輪廻す。三有(さんう)ともいう。
*六道(ろくどう、りくどう):衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこ
 と。六趣、六界ともいう。天道(てんどう、天上道、天界道とも)・人間道・修羅道(阿修羅道とも)・ 
 畜生道・餓鬼道・地獄道
(´・(ェ)・`)つ

440鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/22(木) 23:02:54 ID:1d4drIFg0
>>439 一 それでよいのじゃ。

 二 それは食べ物によって悟りの道を示したと一休が書いたということじゃな。
    値段は関係ないのじゃ。

 三 ただ悟る前の境地であるのみなのじゃ。

 四 昔、日の当たる山の中で笛の声を聞いて三昧の境地に入ったということじゃな。
    悟る前にそのような境地に入れたということは、もとから仏であったからということじゃな。

441鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/22(木) 23:08:23 ID:1d4drIFg0
三界の有り様じゃな。

生霊が往来する六道の街なのじゃ。
修羅は生涯闘争に没入しているのじゃ。
人間はまだ天の安楽を得ていないのじゃ。
欠乏している娑婆の者は事毎にそむくのじゃ。

442避難民のマジレスさん:2021/04/22(木) 23:41:24 ID:Y1elTGOI0
>439くま訳全面改
卽ち菩薩であることを忘れた奴婢の身なのだ。
饅頭も胡餅も身ではなく精神を養うのだ。
悟る前の境地は忘れ難いものなのだ忘れがたいものなのだ。
見渡す限り陽があたる山中で笛の声を聞いて三昧の境地に入れたのは、もとから仏であったからなのだ

くま再質問「食べ物によって悟りの道を示した」とは、日常の食べ物である胡餅に対して、特別な食べ物であ
る饅頭。修行によって整えられた意識のあり様みたいな意味でありましょうか?

45(再掲・https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>688 2/4)
2/3
餓鬼畜生無菩提 餓鬼畜生菩提無し
劫空法習徹吾臍 劫空の法しふわがほぞに徹す
無色衆生涙如雨 無色の衆生涙雨の如し
月沈望帝一声西 月は沈む望ていいっせいの西に

くま訳
餓鬼畜生道には、救ってくれる菩提はいない
永遠の法を思い知らされる。
今や姿かたちなく、住人は雨のように涙する。
月が沈むのは、民に慕われた望帝がかつていた西のほうだ。

*望帝杜宇(ぼうていとう):古代の蜀の第4代君主。死後も民に慕われ、2月に鳴くホトトギスは、望帝 
 の魂が鳴いて田植えの時期を教えてるのだと語り継がれた。
*古蜀:約5000年前から約3000年前頃に栄えた。
(´・(ェ)・`)つ

443鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/23(金) 23:16:20 ID:1d4drIFg0
胡餅は衆生であり饅頭はもはや仏陀の喩えなのじゃ。
衆生はもとより仏陀であるという喩えに使われたのじゃ。



餓鬼畜生は苦や無知なために悟りを得ることが出来ないのじゃ。
しかし、人である我は長年の修行で悟りが訪れたのじゃ。
天の最高である無色界の天人衆でも死ぬ時には雨のように涙を流すのじゃ。
ほととぎすの声と共に月が西に沈むようにのう。

444避難民のマジレスさん:2021/04/24(土) 00:04:22 ID:2kJAG2Oc0
くま訳全面改
餓鬼畜生は苦や無知なために悟りを得ることが出来ないのだ。
しかし、人である我は長年の修行で悟りが訪れたのだ。
天の最高である無色界の天人衆でも死ぬ時には雨のように涙を流すのだ。
ほととぎすの声と共に月が西に沈むように

46(再掲・https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>688 3/4)
3/3
威音那畔本去刧 ゐおんなはんもときょごふ
彌勒當來又來劫 弥勒当来又来ごふ
依草附木舊精魂 えそうふぼくの旧(きゅう)せいこん
可憐三年六十刧 憐れむべし三しゃう六十刧

くま訳
誰でも悟らせることが出来た威音王如来が居たのは、昔々お大昔であり、
未来仏である彌勒さんが来るのは、ずっとずっと遠い未来のことだ
死後成仏するまでの間は、魂は生きてたときのままだ。
憐れむべきは、三回生まれ変わり、六十刧の間待たなければならないかもしれないことだ。

*威音王如来(いおんのうにょらい):大昔の仏、誰でもを悟らせることができた仏
*依草付木(えそう ふぼく)① 死後、中有(ちゆうう)の間、人の霊魂が草木に宿っていること。
 ②修学者が言葉や文字にとらわれて、真理の根本を会得せず、悟りの境地に到達し得ないでいること
(´・(ェ)・`)つ

445鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/24(土) 23:13:00 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

威音王如来は大昔に去ったのじゃ。
弥勒の到来は又はるか先のことなのじゃ。
草に依り木々に付属する古い精魂は
三世六十劫の修業をせねばならぬのは哀れなのじゃ。

446避難民のマジレスさん:2021/04/25(日) 00:34:13 ID:ridkw7yo0
391
三界   4/4
須参最上乗之禪 須らく参ずべし、最上乗の禅、
等妙如來豈自然 等妙の如来、豈に自然ならん。
三界無安猶火宅 三界無あんなほ火宅のごとし
三車不識在門前 三車門前に在るを識らず。

くま訳
当然為すべきこととして、最上の修行法としての坐禅をしよう。
如来の如くにありたいのなら、何もしなくてもいいはずがあるまい。
何もしなければ、三界はやすまる処無く、火事の家の中にいるようなものだ。
何もしなくても、誰かが救ってくれることなど無いのだ。

*自然(じねん):「はからいのない」
(´・(ェ)・`)つ

447鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/25(日) 22:03:57 ID:1d4drIFg0
最上の乗物の禅に是非とも参加するのじゃ。
平等妙心の如来に自然に成るのじゃ。
三界には安心は無く、今なお火宅の如くなのじゃ。
三乗の法が門の前にあるのを衆生は知らないのじゃ。

448避難民のマジレスさん:2021/04/25(日) 22:43:52 ID:emCATIgM0
くま訳全面改
最上の乗物の禅に是非とも参加するのだ。
平等妙心の如来に自然に成るのだ。
三界には安心は無く、今なお火宅の如くなのだ。
三乗の法が門の前にあるのを衆生は知らないのだ。

*三車:法華経譬喩品(ひゆほん)に説くたとえ。ある長者の家が火事になったとき、家の中の子供たちに羊 
 (よう)車・鹿(ろく)車・牛(ご)車を与えるからと言って屋外に避難させた。長者を仏に、火事の家をこの 
 世に、子供を世の人に、羊車・鹿車・牛車をそれぞれ声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんがくじょ
 う)・菩薩乗(ぼさつじょう)にたとえたもの。
 三乗:悟りの世界に入るための3種の教え,実践あるいは道を乗物にたとえたもの。 (1) は声聞乗。苦,
 集,滅,道の四諦 (→四聖諦 ) を悟り阿羅漢となるための教えあるいは実践。 (2) は縁覚乗。十二因縁 
 悟って独覚 (→縁覚 ) となる行き方。 (3) は菩薩乗。無上菩提を証得せんとする菩薩たちの道。

392
忍辱仙人    忍にく仙人
須成忍辱波羅蜜 須らくじゃうずべし忍辱波羅密
是如來甚深秘密 是れ如來の甚深秘密 
心火焼盡菩提根 心火焼じんす菩提のこん
阿修羅王滅佛日 阿修羅王仏にちを滅す

茶の湯に親しむHP訳
とにかく耐え忍んで悟りへの修行を成就すべきことが、
如来の究極の教えである。
そうしなければ、業火は悟りの心根を焼き尽くし、
阿修羅は仏や太陽までも握りつぶすのだから

くま訳
当然なすべきこととして、侮辱や迫害を耐えしのび、不動心を得る修行に取り組むのだ
これこそがまさに、悟りを得る為の如来の秘密の教である。
怒りに燃える感情は、悟りを求める心を焼き尽くす。
阿修羅王の怒りは仏の光明を滅してしまうのである。
*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、 
 最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
 参 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>858
*忍辱波羅蜜:菩薩の六種の修行徳目(六波羅蜜)の一つ。種々の外からの侮辱や迫害を耐えしのんで、心 
 を動かさず安らかにする行。
*心火:怒り・しっとなどで燃え立つ感情
(´・(ェ)・`)つ

449鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/26(月) 21:52:35 ID:1d4drIFg0
大体善いのじゃ。

修行者は忍耐の完成を成し遂げるべきなのじゃ。
これが如来の甚だ深い秘密なのじゃ。
忍耐がなければ怒りの火は菩提の根を焼き尽くし、
阿修羅王の如く仏や日を滅してしまうのじゃ。

450避難民のマジレスさん:2021/04/26(月) 22:46:36 ID:zvxCgIyg0
393
余誡會裏徒曰。  余、会裏の徒を戒めて曰く。
喫酒必須用濁醪。 酒を喫せば、必ず須らく濁らうを用ふべし、
肴則其糟而巳。  かうは則ち其のかすのみ。
遂名之曰乾一酒。 遂に之を名づけて乾一酒といふ。
仍作偈以自笑云。 よって偈を作り以って自ら笑ふと云ふ。

醉裡衆人奈酒腸 醉裡衆人酒腸をいかんせん
醒時伎盡啜糟糠 さむる時伎尽きて糟糠をすする
湘南流水懷沙怨 湘南の流水わい沙のうらみ
引得狂雲笑一場 狂雲が笑一場を引き得たり

くま訳
余は、一休会下の弟子達に戒めをを与えたのである。
飲酒する時は、必ずにごり酒にせよ。
肴は必ず酒糟のみとせよ。と。
ついにこの規則を名づけて、さかな一品酒としたのである。
そんなことを、偈にして笑ったのである。

弟子達が酒に酔っていることに対して、はてどうしたものか(と作った規則である)。
酔いから覚めたら、芸も尽き、貧しさを噛締めることになるであろう。
湘南の流水に、懐(ふところ)に重しの石を入れて、入水自殺をした楚の国の屈原が抱いたよな怨みはなど、
狂雲なら、その場で笑いとばしてやることができただろう。

醉裡衆人奈酒腸:屈平が漁夫の辞に曰く、「世を挙げて皆濁り、我独り清めり、衆人皆酔えり、我独り醒む、
是を以って放たる。」と。漁夫の辞に曰く。「衆人皆酔はば、何ぞ其の糟を食うて、其の釃(しる)を歠
(すす) らざる。」と蓋(けだ)し此れ漁夫の意に随うなり。(禅学大成脚注より)
*136漁父: https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>850
*糟糠:酒かすと米ぬか。貧しい食事の形容。"
(´・(ェ)・`)つ

451鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/27(火) 23:40:33 ID:1d4drIFg0
だいたいそんな感じじゃな。

わしは会のものにいさめて曰く
酒を飲むなら濁り酒なのじゃ。
肴はその酒糟のみなのじゃ。
これを名づけて乾一酒というのじゃ。
よって偈を作り自ら笑うのじゃ。

酔っ払った者達をどうすべきかのう。
醒めれば技も尽きて糟糠をすするのじゃ。
湘南の流水に砂を抱いて入った屈原のように独りわしは醒めているのじゃ。
わしが笑いを一つ引き受けたのじゃ。

452避難民のマジレスさん:2021/04/27(火) 23:55:17 ID:Up5zCyqU0
97 (再掲 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>936)
偶作  1/2
慧命微微懸一絲 えみょう微々として一糸をかく
分明臨済正傳師 ふん明なり臨濟正伝の師
識情名利山林客 識情名利山林の客
夜夜秋風枕上吹 ややの秋風ちん上に吹く 

たまたま出来た詩
悟りの智慧など極々わずかで、その細い糸に命を懸けるのである。
誰が臨済の正傳であるかは、明らかである。
迷い、名利を求める参拝者達
毎晩、秋風が枕元を吹き過ぎるような、思いだ

*慧命:悟りの智慧を生命にたとえた語。法命 
*識情:迷いの心
(´・(ェ)・`)つ

453鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/28(水) 22:03:19 ID:1d4drIFg0

正伝の叡智は微かに一本の糸でつながっているのじゃ。
その正伝の師匠は誰か明らかなのじゃ。
名利に迷う客も多いのじゃ。
夜夜秋風が枕の上に吹くような心地なのじゃ。

454避難民のマジレスさん:2021/04/29(木) 23:11:23 ID:mQQhlngY0
くま訳全面改
正伝の叡智は微かに一本の糸でつながっているのだ。
その正伝の師匠は誰か明らかなのだ。
名利に迷う客も多いのだ。
夜夜秋風が枕の上に吹くような心地なのだ。

394
偶作   2/2
睡裡海棠春夢秋 睡裡の海棠春夢の秋
明皇離思獨悠々 めい皇離思独り悠々
三千宮女情難慰 三千の宮女情慰しがたし
更遂馬嵬泉下遊 更に馬くわい泉下の遊びをおふ

くま訳
夢の中の海棠の花のようだと美しさを喩えて詠んだ、
そんな楊貴妃との別離の思いを、英明な玄宗皇帝が悠々と詠んだのだ。
三千人の女官がいても、誰も皇帝を慰めることが出来ない。
更にその(楊貴妃の)魂は、(冨子に乗り移り、)遊び続けているのだ。

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/  >>103

*海棠(かいどう)の睡(ねむ)り未だ足らず」玄宗皇帝が楊貴妃を評した言葉。眠りが足りず酔いのさめ
きらない美人(楊貴妃)のなまめかしさを海棠の花にたとえたもの。
*明皇:英明な皇帝。
*離思(りし):別離のおもい。離別の情。
(´・(ェ)・`)つ

455鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/04/30(金) 23:15:31 ID:1d4drIFg0
睡る海棠の春夢は終わったのじゃ。
英君も離苦の思いに独り泣くのじゃ。
三千の官女も慰めることができないのじゃ。
いまだに馬嵬の泉下に居る者を想っているのじゃ。

456避難民のマジレスさん:2021/04/30(金) 23:34:18 ID:ASe9QUTg0
くま訳全面改
睡る海棠の春夢は終わったのだ。
英君も離苦の思いに独り泣くのだ。
三千の官女も慰めることができないのだ。
いまだに馬嵬の泉下に居る者を想っているのだ。

266(改) 2020/8/23に掲載したくま訳を、鬼和尚解説読後に改めた
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/>>927
この詩に関しては、当初、↓①を基に、くま訳しました。
①國譯禪學大成(二松堂書店・昭和5年)・・・氷輪
②狂雲集(寛永壬午孟春吉旦 西村又左衛門新刊)・・・水輪 
③狂雲集(民友社・明治42年)・・水輪
今回、当時の鬼和尚解説に従い、全面改であります。

井    1/2 
高下互看打水輪 高下互ひに看る水輪を打するを
衲僧轆々轉機輪 衲僧ろくろく機輪を転ず
安禪出定淸華暁 安禪出じょう淸華の暁
汲盡天邊月一輪 汲み尽くす天辺月一輪

くま訳全面改
水車が回るように日々倦まずに精進すれば、
禅僧は禅機を発揮できるよになるのだ。
安禅は清い華の如く暁を出だすというのだ。
そして、天に輝く月一つを汲み尽くすのだ。(月を映す水が無ければ月も映らないのだ。)

*安禅:いっさいの動揺を去り、身心安楽になるところから一心に坐禅を行なうこと。坐禅。
*淸華:栄華・ 権力や財力を得て、はなやかに栄えること。
(´・(ェ)・`)つ

457鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/01(土) 21:25:44 ID:1d4drIFg0
いかすのう。
それでよいのじゃ。

458避難民のマジレスさん:2021/05/01(土) 22:34:51 ID:5Egb2YzY0
395
井    2/2
吸盡西江公案圓 西がう汲み尽くして公案まどかなり
工夫不管溺深泉 工夫管せず深泉に溺るることを
不借寸繩千尺底 寸じょうをからず千尺の底
西來祖意爲人禪 西來の祖意爲人の禪

くま訳
西江の水を汲み尽くすという公案は、完璧である。
深い泉で溺れようとも、一心に禪の修行に励むとは、
短い縄を借りて、長い縄のようにしろというのではない。
達磨の意図は人が為せる禅である

*大河の水を呑み尽くす:一口に吸尽す西江の水―(『馬祖録』)
 龐居士(150の詩 参)が馬祖道一禅師に質問した。「世界のあらゆる存在と与しない、独立自存の人と
 は、いったいどのような人ですか」。その質問に答えた馬祖の語。「お前が西江の水を一口に飲み尽くし
 たら、それを教えてやろう」ということ。禅は独脱無依の絶対主体性を確立することである。自分以外の 
 一切のものと与しないような完全に自立した人間になることである。
*西江(せいこう)は、中国南部流れる川、長江・黄河に次ぐ3番目の長さ。
*不管〜(都): ①「〜であろうと・・・だ」「〜にかかわらず・・・だ」②構わぬ
*水不借路路不借水
 みずみちをからず みちみずをからず
 水は道を借りて流れているわけではない。
 道に沿って流れ、流れに応じて道ができる。
(´・(ェ)・`)つ

459鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/02(日) 22:54:26 ID:1d4drIFg0
西江の水の公案は全く正しいのじゃ。
弟子の工夫は深い泉で息が詰まって溺れるような程度なのじゃ。
一寸の縄程度の智慧で千尺の底を測れなくても惜しいとは言わんのじゃ。
祖師が西来したのは正に人の為に禅を教えに来たのじゃ。

要するに弟子の足りない智慧で役に立たないわからんことを言っても無意味ということじゃな。

460避難民のマジレスさん:2021/05/03(月) 00:46:46 ID:W4iRKgJs0
くま訳全面改
西江の水の公案は全く正しいのだ。
弟子の工夫は深い泉で息が詰まって溺れるような程度なのだ。
一寸の縄程度の智慧で千尺の底を測れなくても惜しいとは言わんのだ。
祖師が西来したのは正に人の為に禅を教えに来たのだ。
396
賛仰山 二首 1/2 仰山を賛す
小釈迦唐朝出生 小釈迦唐朝に出生す
夢中兜率太分明 夢中兜率はなはだ分明
耽源體也潙山用 耽源は体や潙山は用
體用中唯開眼晴  體ゆうのうちただ眼晴を拓く

仰山を賛す
小釈迦が唐の時代の中国に生れたのだ。
夢の中で兜卒天(とそつてん)に昇り弥勒菩薩の所に行ったというのは、明らかだ。
耽源老師によって体を得ることができ、潙山老師によって用を得たのである。
体用の中で悟りを開いたのである。

*仰山慧寂(ぎょうざん えじゃく、804- 890年):唐代の禅僧。諡は智通禅師。
 17歳の時に出家し、各地を遊方した。耽源に会って大悟した。潙山霊祐に出会い、15年前後の間師事し 
 た。後に、仰山に住したので、その名となった。師の住した潙山と合わせて、その系統を潙仰宗と呼んだ。
*體用たい‐ゆう 本体とその作用。たいよう。

*碧巌録「千尺井中」(岩井茂樹先生)
ある時、仰山慧寂が耽源という老師に「井戸に落ちた人を短い縄も使わずに助けるにはどうすればいいので
すか」と尋ねた。それに対し、耽源は即座に答える。そこで放たれるのが「咄、痴漢、誰か井中にある」と
いう言葉だった。意味は「こら、馬鹿者、誰が井戸の中にいるというのだ」というものである。悟ることの
できなかった仰山は、次に潙山霊祐という老師のもとに行き、同じ問いを投げかける。すると潙山は仰山の
名である「慧寂」と叫ぶ。
それに対して仰山は「はい」と答えたが、潙山は「よし出た」と言う。これによって、仰山は悟ることがで
きた。後に仰山は「耽源老師によって体を得ることができ、潙山老師によって用を得た」と回顧したという。
ちなみに、最後の部分は『景徳伝灯録』など中国の経典では「耽源老師によって名を得て、潙山老師によっ 
て地を得た」となっている点が異なっている。
この公案は仰山の語録や事跡が紹介されるたびに引かれたり、禅の公案書に引かれたりして、公案の中でも
もっとも有名なものの一つとなった。日本ではやはり『碧巌録』に引かれたことが大きかった。
(´・(ェ)・`)つ

461鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/03(月) 23:22:09 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

小釈迦は唐朝で出生したのじゃ。
夢の中で兜率天に行ったのはとても分明なのじゃ。
耽源に体を得て、蕃山に用を学んだのじゃ。
体用の中で眼を開いたのじゃ。

体は悟りの本質であり、用は智慧とも言えるじゃろう。

462避難民のマジレスさん:2021/05/04(火) 11:57:00 ID:MyFrn1YY0
397
賛仰山 二首 2/2
枕子夜來推出時 ちんす夜來推出する時
一宗敗闕少人知 一宗敗闕人の知ることまれなり
法身説法座主説 法身説法座すの説
黄葉一枝誑小兒 くわうえふ一枝小児をたぶらかす

くま訳
夜間、枕を手探りで探して、推し出してしまったようなものである。
潙仰一宗禪は衰えて、もはや知る人も少ない
悟りの境地を座主が言葉で説明できるという説である。
もう枯れ果てた宗門であるが、子供を騙しているのである。

*潙仰一宗禪:潙山霊祐、仰山慧寂により鼓吹された禅風。宗風には、黙照禅と称される曹洞宗に類似した
 点も見られるが、家族的で、孤立的な性格があったものと思われる。その宗風が、逆に災いし、同系の臨 
 済宗が隆盛するにつれて、衰退して行き、宋代に至って遂に吸収同化されてしまったものと考えられる。
*"https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>665 948
* 枕子夜來推出時:夜間に手を背(うしろ)にして枕子を摸する
 道元禅師は、以下のように提唱される。
 道吾いはく、如人夜間背手摸枕子。いはゆる宗旨は、たとへば、人の夜間に手をうしろにして、枕 
 子を摸索するがごとし。摸索するといふは、さぐりもとむるなり。夜間はくらき道得なり、なほ日 
 裏看山と道取せんがごとし。用手眼は、如人夜間背手摸枕子なり。これをもて用手眼を学すべし。 
 夜間を日裏よりおもひやると、夜間にして夜間なるときと、撿点すべし、すべて昼夜にあらざらん 
 ときと撿点すべきなり。人の摸枕子せん、たとひこの儀すなはち観音の用手眼のごとくなる、会取 
 せざれども、かれがごとくなる道理、のがれ・のがるべきにあらず。 『正法眼蔵』「観音」巻

*法身説法 :真言宗泉涌寺派 大本山 浄土寺HPより
 密教ではこの現象世界を、真理そのものを仏格化した法身(ほっしん)である大日如来が説法している実 
 在の世界そのものと把える。(法身説法)
 即ち、他ならぬこの現象世界を離れて真実の世界はなく(即時而真(そくじにしん))、悟りの境地も文 
 字や象徴的表現をかりて説く事ができる(果分可説)とする。"
(´・(ェ)・`)つ

463鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/04(火) 23:53:17 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

枕を夜に推しだしてしまうのじゃ。
一宗の敗闕は知る者も少ないのじゃ。
法身の説法は座主の説であるというのじゃ。
黄葉の一枝で子供を誑かすようなものじゃ。

464避難民のマジレスさん:2021/05/05(水) 00:27:44 ID:CJJLwlm.0
398
雨滴齋     雨滴 齋名
蕭々門外是何聲 せうせう門外是れ何の聲ぞ
不會當機問鏡淸 ゑせずんば当機鏡しゃうに問へ  
顚倒衆生迷逐物 てんだうの衆生迷ふて物をおふ
窓前半夜一燈青 窓前半夜一燈青し

吟魂→窓前

くま訳
門外から聞えるのは何の音であるかと、鏡清禅師が尋ねた。
師とのやり取りが理解できなくて、弟子が更に問い返すと、師は適切な指導をした。
衆生は本末転倒して、事物を追いまわして自己を見失ってしまう。自己の外側に意識をさ迷わせて、己を見失う
夜半燈火ともる窓辺である。

*斎名(さいめい・さいみん)雅号などの何々斎という名。もとは僧侶が法名のほかに付けたものだが、後 
 に俗人も用いるようになった。また、広く軒号・院号・庵号をも指す場合もある。斎号。
*蕭蕭(しょうしょう)1 もの寂しく感じられるさま。2 雨や風の音などがもの寂しいさま。
*雨滴聲『碧巌録』第四十六則  (茶席の禅語選HPより)
 擧。鏡清問僧。   こす、鏡清、僧に問う、
 門外是什麼聲。   門げ是れなんの声ぞ。
 僧云。雨滴聲。   僧云わく、雨滴声。
 清云。       清云わく、 
 衆生顚倒迷己逐物。 衆生はてんどうして己に迷うて物を逐う。

 『碧巌録』第四十六則の頌に「虚堂(きょどう)雨滴聲」とある。誰もいない家に雨だれの音がしている 
 情景をさす。
 『新版 禅学大辞典』には、「鏡清道怤と一僧が門外の雨だれの音について問答した公案」とある。 
*鏡清:鏡清道怤禅師
(´・(ェ)・`)つ

465鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/05(水) 23:21:06 ID:1d4drIFg0
鏡清は蕭蕭と門の外の声は何じゃ、と聞いたのじゃ。
弟子は鏡清の問いに上手く答えられなかったのじゃ。
すると鏡清は顛倒の衆生は迷って物をおっているのじゃと言ったのじゃ。
窓の前には半夜一つの青い灯りがあつたのじゃ。

466避難民のマジレスさん:2021/05/05(水) 23:43:03 ID:zbG8/PUw0
399
吊戦死兵    戦死兵を弔(てう)す
赤面修羅血氣繁 赤面の修羅血気繁し
悪聲震動破乾坤 悪聲震動し乾坤を破る 
闘爭負時頭脳裂 闘諍負くる時頭脳裂く
無量億劫舊精魂 無量億劫の旧精魂

くま訳
戦死した兵を弔う 
赤面の阿修羅、血気盛ん。
悪声を放って天下を震撼させた。
闘争に負けた時に脳天を裂かれたが、
永遠にその魂は消えないであろう。
(´・(ェ)・`)つ

467鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/06(木) 21:32:33 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

真赤な顔の阿修羅は血気盛んなのじゃ。
大声で天地を振動させて破るほどなのじや。
闘争に負ければ頭脳が裂けるのじゃ。
その精魂は地獄に行って無量億劫も出ることが出来ないのじゃ。

468避難民のマジレスさん:2021/05/06(木) 23:23:48 ID:cHJhfcC60
400
確頌曰     確じゅに曰く
世間種種奯公圖 世間種々くわつ公の図
道伴知音一箇無 道伴知いん一箇も無し
夜雨蓬窓江海燭 夜雨ほう窓江海の燭
宗門零落盡工夫 宗門の零落工夫を尽くす

くま訳
世間には岩頭全奯禅師の絵が種々あるが、
岩頭の事がよく伝わる絵は一枚も無いのだ。
夜雨降る、水辺に面したあばら屋の窓辺の灯
宗門は零落したが、色々と工夫していたのだ。

*奯公(かつ公):岩頭全豁(ぜんかつ)禅師:、828- 887年)唐代の禅僧。青原行思の下で、仰山慧寂・  
 徳山宣鑑に
 参じ、徳山の法を嗣ぐ。887年、賊に首を斬られて死す。
*知音(チイン)《中国の春秋時代、琴の名人伯牙は親友鍾子期が亡くなると、自分の琴の音を理解する者 
 はもはやいないと愛用していた琴の糸を切って再び弾じなかったという「列子」湯問などの故事から》1  
 互いによく心を知り合った友。親友。「年来の知音」2 知り合い。知己。「知音を頼る」3 恋人となる 
 こと。また、恋人。なじみの相手。
*蓬窓(ホウソウ):蓬(よもぎ)の生い茂った所に面した窓。転じて、貧しい粗末な家。
(´・(ェ)・`)つ

469鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/08(土) 00:52:03 ID:1d4drIFg0
世間には種々の岩頭全豁の図があるが、
修行者仲間と居る図は一つもないのじゃ。
夜雨が古窓から見える江海の灯りに降るのじゃ。
宗門の零落は工夫を尽くしても止められなかったのじゃ。

470避難民のマジレスさん:2021/05/08(土) 02:38:22 ID:isomS8To0
くま訳改
第三句:夜雨が古窓から見える江海の灯りに降るのだ。
第四句:宗門の零落は工夫を尽くしても止められなかったのだ。

401
拈華微咲    拈華み笑
世尊拈出一枝花 世尊拈出す一枝の花
一代禪宗意氣奢 一代の禅宗意気奢る  
金色頭陀獨傳法 金色の頭陀独り伝法
近年知識若河沙 近年知識河沙の若し

くま訳
釈迦は皆の前で一枝の花をかしげて見せたのだ。
これこそ(以心伝心、)正法の禅の始まりである。
仏法の極意が伝わったのはただ一人( 摩訶迦葉)だけであった
最近は、知識ばかり河の砂ほど増えすぎてるのである。(真理は何も伝わらないのである)
(´・(ェ)・`)つ

471鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/08(土) 21:53:32 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

世尊は一枝の花を捻って出したのじゃ。
禅宗一代目の祖師となった迦葉が微笑して答えて意気を上げたのじゃ。
金色の僧迦葉が独り言外の法を伝えたのじゃ。
近年では知識を集めて言外の法を失ったものばかりが河砂の如く多いのじゃ。

472避難民のマジレスさん:2021/05/08(土) 23:12:59 ID:QYy2xejs0
402
會裡僧與武具 1/2 會裡の僧に武具を与ふ
説禪學道本無能 説禪學道もと無能
亂世英雄一錫僧 乱世の英雄一しゃくの僧
覿面當機若行令 てき面当機若し令を行ぜば、
鐵圍百億棒頭崩 鉄ち百億棒頭に崩れん

くま訳
一休会下の僧に武具を与えるのである 
禅を説き、仏道を学ばせても役に立たないのである。
乱世においては単なる錫僧でも英雄になれるのである。
わしの指示通りにして、効果覿面の禅機を発揮すれば、
この世の最果てを取り囲む山々をも、君達は人足頭として、切り崩すことができるであろう。

*錫僧(しゃくそう):法会のとき、偈(げ)を唱え、錫杖(しゃくじょう)を振る役の僧。
*覿面(テキメン):① まともに見ること。まのあたりに見ること。親しく見ること。また、そのさま。
 ② (転じて) まのあたり。まとも。目前。即座。また、面と向かってじかにするさま。③ 目の前に著し 
 い結果が現われること。ある事柄の効果や報いが即座に現われること。また、そのさま。
*当機(とうき):相手の能力素質に応じた導き方をすること。
*令:①(神などの)お告げ。②上位者による指示。命令③よい事。令息、令嬢、令室、令名、令月
*鐵圍:鉄囲山てっちせん:世界の中心にある須弥山(しゅみせん)をめぐる九山八海の最も外側にある鉄で
 できた山。鉄輪囲山。金剛山(こんごうせん)。
*棒頭:① 駕籠かき人足のかしら② 転じて、一般に人足のかしら。
(´・(ェ)・`)つ

473鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/09(日) 23:16:30 ID:1d4drIFg0
会の僧に武器を与えるというのじゃ。
僧兵じゃな。

禅を説き道を学ぶは本から無能力なのじゃ。
乱世の英雄は錫杖一本の僧なのじゃ。
目前の好機に当たってもし命令どおりに行うならば、
鉄囲山の百億も棒の先で崩れ落ちるほどの効果が在るのじゃ。

474避難民のマジレスさん:2021/05/09(日) 23:45:59 ID:2Ox854ic0
くま訳改
第二句:乱世の英雄は錫杖一本の僧なのだ。
第三句:目前の好機に当たってもし命令どおりに行うならば、
第四句:鉄囲山の百億も棒の先で崩れ落ちるほどの効果が在るのだ。

403       
會裡僧與武具 2/2 
道人行脚又山居 道にん行脚又山居
江海風流簑笠漁 がう海の風流さりゅうの漁
逆行沙門三尺剣 逆行沙門三尺の剣
不看禪録讀軍書 禅録を看ずして軍書を読む

くま訳
出家僧は行脚して、又山奥に住み、
海辺川辺の風流を楽しみ、みのを着て漁をする。
そのような修行僧としての道に逆らい三尺剣を帯びて、
禅録は読むのではなくて、軍書を読めばよいのだ。

*道人(どうにん )1仏道の修行をする人。出家得道した人。2 道教を修めた人。神仙の道を得た人。
 3 俗事を捨てた人。世捨て人。
*今川雑記ブログ(山紹先生)より抜粋
 大徳寺では、一休宗純が大徳寺40世春浦宗煕に「法中の姦賊」と悪罵したことに端を発し、一休宗純と 
 春浦宗煕が対立していた。
 一休宗純は、詩集『狂雲集』や『自戒集』で、春浦宗煕批判を展開していて、・・・
 大徳寺72世東渓宗牧が、伊勢宗瑞(北条早雲)に与えた「道号頌」には、伊勢宗瑞は武勇の禅人で、大 
 徳寺で春浦宗煕の弟子として修行していたとある。
 一休宗純が非難した、軍書を読んでばかりいた代表例が伊勢宗瑞といえる。
 今川義忠の後を継いだ今川氏親を伊勢宗瑞は武によって、宗長は文によって支えている。今川氏親の許で、
 一休宗純に心酔していた宗長と春浦宗煕の弟子伊勢宗瑞の間に確執はなかったのだろうか。
(´・(ェ)・`)つ

475鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/10(月) 21:57:47 ID:1d4drIFg0
ほぼそのような感じじゃな。

修行僧は諸国行脚し、又山に住むのじゃ。
川海の風に流れて蓑笠で漁するのじゃ。
逆行の僧は三尺の剣をもち、
禅録を看ず、軍書を読むのじゃ。

僧兵になっても軍書ばかり読んでいてはいかんというのじゃな。

476避難民のマジレスさん:2021/05/11(火) 00:21:40 ID:32coR6eI0
くま訳改
第三句:そのような修行僧としての道に逆らい三尺剣を帯びる者は、
第四句:禅録は読まず、軍書ばかりを読むようになるのだ。それではいかんのだ

404
嘆孤獨老人多欲 孤獨老人の多欲を嘆ず
千古無多富貴時 千古多きこと無し富貴の時
青銅十萬譲阿誰 青銅十萬誰にか譲る
必定後生三悪道 必定後生三悪道
老人何事不前知 老人何事ぞ前知せざる

くま訳
孤独老人の多欲を嘆く
昔は欲は多くなかった。裕福だった時には、
青銅十萬を誰に譲ろうかと思案したものだ。
年老いて欲深では、死後三悪道に堕ちるも必定である。
老人は何でその道理を前もって知ることが出来ないのだ

*三悪道・三悪趣:「道」は梵語 gati の訳語。衆生がみずからの業によっておもむくところの生存の状態、
 またはその世界をいう。悪業の結果堕ちる三つの悪道。地獄道、餓鬼道、畜生道の三つ。三悪趣。三悪。
(´・(ェ)・`)つ

477鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/11(火) 21:33:55 ID:1d4drIFg0
だいたいそんなところじゃな。

孤独な老人の多欲を嘆くのじゃ。

昔は今の時代ほど多くの富貴の者はいなかったのじゃ。
青銅十万銭を死後誰に譲るというのじゃろうか。
多欲であれば死んだ後に三悪道に堕ちるのは必定なのじゃ。
老人はなぜそのことを前もって知らないのじゃろうか。

478避難民のマジレスさん:2021/05/11(火) 22:25:53 ID:ppWy.NFQ0
くま訳改
第一句:昔は今の時代ほど多くの富貴の者はいなかったのだ。
第二句:青銅十万銭を死後誰に譲るというのだ。

405
端午
千古屈平情豈休 せんこくっぺいじょうあにきゅうせんや
衆人此日醉悠々 衆人この日酔って悠々たり
忠言逆耳誰能會 忠げん耳に逆らふたれかよくえせん
只有湘江解順流 只しょうこうの順流をげするあり

碇豐長先生訳抜粋
大昔、楚の屈原(が憂国の情のあまり、自殺したあの時)の思いはどうして休まる時があろうか。 
人々は、(今日の端午の節句)の日にも、酒に酔って、ゆったりと落ち着いている。 *周りのみんなは、
憂国の情などの片鱗もなく、気楽に日を送っている。 
忠告とは聞きづらいもので、(屈原の憂国の言を)一体誰が理解できたことだろうか。
ただ湘江だけが理解してくれて、素直に流れてゆくのみである。 *(屈原が彷徨ったことのある)湘江以
外は、(屈原の心を)理解しようとはしない。 ⇒そのように、わたし・一休宗純の心を理解してくれる者
もいない。ふるさとの山河だけが理解してくれようか。 

くま訳
端午の節句
大昔の屈原の情を思うと、心休まることがない。
大衆は端午の節句の今日、酒を飲み悠々と過している
正しい忠告とは耳に痛いものだという事を理解できる者はいない。
ただ、屈原が身を投げた湘江の流れのみが、彼をつつみ流れてゆく

*會:さとる。理解する。動詞。

碇豐長先生解説抜粋
※端午:旧暦五月五日。屈原が汨羅に身を投げた日。秦が楚の都郢を攻めた時、屈原は汨羅江に身を投げて、
 自殺した命日に当たる。時に、紀元前278年の五月五日で、端午の節句の供え物の粽(ちまき)は、屈 
 原を悼んでのものという。この作品は、世に容れられなかった、楚の屈原を詠うことで、同時に自分の感 
 懐を伝えている。

屈 原(くつ げん、紀元前343 – 278年)は、戦国時代の楚の政治家、詩人。秦の張儀の謀略を見抜き、踊
らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。
端午の節句を詠んだ作品。5月5日は楚の「屈平」が「汨羅」にを投じた日。屈平の霊を祭る為に端午節が
出来た。21歳のとき人生に悲観して瀬田川に身を投じたが運よく助けられた一休、「汨羅」の江に身を投
じた楚の「屈平」に想いを馳せ、慈しんで詠ったか"
(´・(ェ)・`)つ

479鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/12(水) 21:05:59 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

大昔の屈原の憂国の情を思えばわしの心も休まらないのじゃ。
人々はこの屈原の命日の節句の日も酒によって悠々としているのじゃ。
国を思う忠言は耳に逆らい誰が理解するじゃろうか。
ただ湘江の流れる水となった屈原だけが理解できるじゃろう。

480避難民のマジレスさん:2021/05/12(水) 22:39:32 ID:6CTdDagY0
くま訳改
第一句:大昔の屈原の憂国の情を思えばわしの心も休まらないのだ。
第四句:ただ湘江の流れる水となった屈原だけが理解できるだろう。

406
百丈野狐
千山萬水野僧居 千山萬水や僧の居
甲子今年五十餘 かつしこん年五十餘  
枕上終無老來意 ちん上つひに老らいの意無し
夢中猶讃小事書 夢中猶読む小事の書
 
くま訳
百丈野狐(不落因果、 不昧因果)
全国の山河が修行僧の住まいである
六十年周期で世が乱れるとされているが、今年で既に五十年以上経過している
うとうとしている間に気付いたら、年老いてしまうのだ。
夢の中で小事の書を読んでいる場合ではなおのである。

*甲子の年:西暦年を60で割って4が余る年が甲子の年となる。
 王朝交代の革命の年である辛酉の年の4年後で、天意が革(あらた)まり、徳を備えた人に天命が下され 
 る「革令」の年、すなわち変乱の多い年とされた(甲子革令)。それを防ぐ目的で、日本の平安時代以降 
 この年にはよく改元が行われた。
 一休さん存命中(1394〜1481年)前後の期間の甲子の年は1384年、1444年、1504年

* 百丈野狐(無門関):野狐老人は、因果にとらわれて因果に落ちない(不落因果 )世界を妄想し、住職 
  として説いた為に、野狐の身に堕とされ、五百年間苦しんだ。
  百丈和尚は、大修行底の人でも、因果律は免れない。因果律の中にあって、それに執らわれないことを 
  を「不昧因果」と説き、それを聞いた野狐老人を五百年の闇から解放された。 
(´・(ェ)・`)つ

481鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/13(木) 23:53:49 ID:1d4drIFg0
千の山、万の水の野に住む僧がいたのじゃ。
甲子の今年で五十あまりなのじゃ。
無想に陥り老いが来るのもわからなかったのじゃ。
夢の中でなお小事の書を讃えたりしているのじゃ。

僧が法をわきまえず、狐になってもなお外道の法をもち続けているというのじゃな。

482避難民のマジレスさん:2021/05/14(金) 02:39:51 ID:M582UHYA0
くま訳全面改
千の山、万の水の野に住む僧がいたのだ。
甲子の今年で五十あまりなのだ。
無想に陥り老いが来るのもわからなかったのだ。
夢の中でなお小事の書を讃えたりしているのじゃ。

くま質問:「今年で五十あまり」とは、何が五十あまりなのでありますか?
  
407
題大徳寺動亂 1/2 大徳寺の動亂に題す 
禪者爭禪詩客詩 禪者は禪を爭ひ詩客は詩
蝸牛角上現安危 蝸牛角上安危を現ず
殺人刀矣活人劍 殺にん刀活にん劍
長信佳人獨自知 長く信ず佳人独り自知することを

くま訳
大徳寺動乱に付いて詠う 
禅者は禅を争い詩人は詩を争う
かたつむりの角のようなせまい場所で、安危の瀬戸際を争うようなものである
禅師には修行者を導く活殺自在の力があるということを
優れた人は自ずと知るものであると、長く信じているのである。

*対酒 白居易 酒に対す 
蝸牛角上争何事 蝸牛角上(かくじょう)何事をか争ふ
石火光中寄此身 石火光中此の身を寄す
随富随貧且歓楽 富に随ひ貧に随ひ且(しば)らく歓楽せよ
不開口笑是癡人 口を開いて笑はざるは是れ癡人

熊大医学部硬式庭球部の学生さんのための、格言・故事成語」『漢詩』・旺文社)訳
かたつむりの角のような小さなせまい場所で、
(人々は)いったい何を争っているのか。
(人生は)火打ち石から飛び出す火花のような一瞬のうちに、
この身をかり住まいさせているのである。
(そう思えば)貧富それぞれ分相応に、ともかくよろこび楽しんで過ごすべきである。
(くよくよと思い悩んで)大口をあけて笑うこともしないのは、まったくおろかな人である。

*「蝸牛角上の争い」:かたつむりの角の上の意で、人間世界の微小なことをたとえたもの。『荘子』に見
える話で、かたつむりの左の角に国を置く触氏と、右の角に国する蛮氏とが領地を争って戦い、
数万の死体をさらしたという寓話による
[荘子則陽]
(蝸牛の左の角に国をもつ触氏と右の角に国をもつ蛮氏とが互いに戦ったという寓話から)
大局から見ると意味のないような小さい事柄で争うこと。ささいな争いや、取るに足りない細かい議論をい
う。また、宇宙の悠久無限に対して人間世界が微小であることにもたとえる。
「蝸牛の角(つの)の争い」「蝸角(かかく)の争い」とも。
*安危:安全か危険かの瀬戸際の状態。
*殺人刀活人剣(せつにんとうかつにんけん):禅宗で、師が修行者の妄情を断ち切り、修行の完成に向 
 かって自由自在に導くはたらきのたとえ。
*自知:自分のことを自分で知ること。
(´・(ェ)・`)つ

483鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/14(金) 23:05:17 ID:1d4drIFg0
>>482 甲子の巡るのが五十回ということじゃろう。
 甲子が十年で巡るとして五十回で五百歳なのじゃ。
 狐の身になって五百歳ということじゃな。

484鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/14(金) 23:11:06 ID:1d4drIFg0
大体それでよいのじゃ。
大徳寺の動乱の題じゃな。

禅の者は禅で争い、詩人は詩で争うのじゃ。
そんなものは蝸牛の角の上での争いなのじゃ。
殺人刀を活人剣にするのじゃ。
善男子はそれを独りでに知ることができると信じるのじゃ。

485避難民のマジレスさん:2021/05/15(土) 02:38:41 ID:r1ozM1WA0
くま訳改
第三句:殺人刀を活人剣にするのだ。
第四句:善男子はそれを独りでに知ることができると信じるのだ。

408
題大徳寺動亂 2/2
伏虎将軍是我徒 ふくこ将軍是れ我が徒
英雄不失悪魔途 英雄は失せず悪魔の途
吹毛三尺掌握内 吹毛三尺掌握の内
佛法南方一點無 佛法南方一點無し

くま訳
伏虎将軍、山名宗全は、わしの弟子である。
英雄は悪魔のように好機を逃さないのだ。
切れ味のよい三尺の剣掌中に握り
わしの佛法には南方の雪峰のような生ぬるさは全く無いのだ。

*吹毛三尺;鋭利毛を吹くべきの銘剣をいふ、機鋒鋭きに譬ふ。(大成脚注)吹きかけた毛をも、両断 
 してしまうほどの、切れ味のよい三尺の剣
*伏虎将軍;屏風の虎で有名な足利義満のことかと考えましたが、義満は一休14歳の時に死んでるような 
 ので、弟子ではないでありましょう。
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>7 184・>>70 212.>>183 264 
 の詩で取上げてる山名金吾・山名宗全を指すのでありましょう。←虎伏城(とらふすじょう):竹田城の 
 別称:築城者 :1431年山名宗全(山名政豊)西軍の総大将
 義満1358年-1408年
 一休1394年-1481年
*佛法南方一點無:
 http://iriz.hanazono.ac.jp/pdf/st04/st04_0201a.pdf
 雪峰義存(せっぽう ぎぞん、822年- 908年
 趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん、778年 – 897年)
 wiki解説によると、二人の禅風は、共に棒喝よりも、平易な言葉で説明する指導法だったようでありま
 すが、趙州は雪峯を「ぬるま湯」(軟暖處)と呼んでいたそうであります。
(´・(ェ)・`)つ

486鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/15(土) 21:29:54 ID:1d4drIFg0
まだ大徳寺に動乱があるというのじゃ。

伏虎将軍は我が徒弟なのじゃ。
英雄は悪魔の逃げ道を見失わないのじゃ。
吹毛三尺の鋭い剣は手の中なのじゃ。
仏法は南方には一点もないのじゃ。


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