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鬼和尚の仏教講読会 別館2
407
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/08(木) 01:40:31 ID:PVB4a6ig0
くま訳改
第二句:雲雨は今宵一晩の夢なのだ。
377
感龍翔寺廢 龍翔寺の廃を感ず
常住物誰用己身 常住もの誰か己身に用ふ
山門境致剪松筠 山門境致しょういんをきる
殿堂只與花零落 殿堂只だ花とともの零落し
廢址秋風二月春 廃しの秋風二月の春
柳田先生訳
寺の什物は誰が私したのか、
境内の松竹も切りとられている。
仏殿も法堂も花が散るように壊れてしまい、
廃墟には春の二月というのに秋風が吹く
くま訳
龍翔寺の荒廃してしまったと感じたのだ
寺の公用物を誰が私物化したのか。
山門から境内までの松竹は切り払われ、
殿堂は花が散るように零落してしまい、
廃墟には春だと言うのに秋風が吹いているのだ
剪松筠(しょういんをきる):松筠は松及び竹にて、山門の風致を添える松や竹などを切り払ひ、見る影も
なきを云ふ。(国訳大成脚注)
廢址秋風二月春:荒廃の跡、楊梅香る春も錦紅散ずる秋も。共に寂々として昔の面影はなし。(国訳大成脚
注)
*大徳寺境外塔頭である龍翔寺(りゅうしょうじ)は、境内3000坪(1万㎡)を有している。
正式には萬歳龍翔禅寺という。「本派専門道場」とも呼ばれている。山号は瑞鳳山という。
大徳寺派の修行専門道場になる。 南北朝時代、1378年、焼失する。 室町時代、1431年以降/文明年間
(1469-1487)、林下(りんか/りんげ、在野寺院)になる。以後、徐々に衰微した。 1458年/1461年、一休
が寺を訪れた。荒廃していたため、修理料(21貫500文)を寄せたという。
*かげまるくん行状集記HP解説より
『東海一休和尚年譜』寛正2年(1461)辛巳条(師68歳)によると、一休宗純は春に嵯峨に遊び、西京を経由して龍
翔寺に参詣した。荒涼として僧少なく、堂宇は傾いていた。昭堂(普光塔)は大徳寺が管理していたため
問題はなかったのであるが、庫院は荒廃が最も甚だしく、僧の威儀をただす太鼓の音は沈黙していた。一
休宗純はこれを嘆いて、銭数千緡(びん)によって修造を行なったという。1緡(びん)は1貫文にあた
るため、「千緡」は「十緡」の可能性を指摘される(今泉1998)。両史料の年代は3年食い違っているが、
どうやら『臥雲日件録抜尤』の方が正しいようで、『東海一休和尚年譜』は年代の錯簡とみられる。
(´・(ェ)・`)つ
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