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鬼和尚の仏教講読会 別館2
432
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/19(月) 11:31:24 ID:5liPk8Gc0
*おまけ:
慧能(えのう)wikipediaより抜粋:638-713年南宗の六祖。父が早くに亡くなり、薪を売って母親を
養っていた。ある日、町で『金剛般若波羅蜜経』の読誦を聞いて出家を思い立ち、東山の五祖弘忍の下に
参じたが、文字が読めないため、行者(あんじゃ)として寺の米つきに従事した。
その後、弘忍の法を受け継いで広州に帰り、兄弟子の印宗より具足戒を受けて正式な僧侶となり、曹渓宝
林寺に移って布教を続け、兄弟子の神秀より朝廷に推挙されるも病と称して断り、以後713年に亡くなる
まで布教を続けた。
伝説
壁に書かれた詩について
慧能が弘忍の跡継ぎとして認められた時、次のような伝説がある。弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた
者を後継者と認めようといい、当初、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書いたが、弘忍は認めず、それ
を聞いた慧能が神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたので六祖となったという。
神秀の詩
身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し)
時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有らしむること莫れ)
慧能の詩
菩提本無樹 明鏡亦非臺(菩提もと樹無く 明鏡亦また臺に非ず)
本來無一物 何處惹塵埃(本来無一物 いずれの處にか塵あいを惹かんと)
慧能が弘忍の命令で達磨から受け継がれた袈裟を持って大庾嶺まで逃げたところ、500人の僧が追ってき
たが、法論して負けて逆に弟子になった者もいるという。
思想
慧能は「本来正教無有頓漸(正しい教えに本来は頓も漸もない)」と説いたことは、法話集である『六祖
壇経』から明らかであるが、荷沢神会を始めとした鼓吹派が、神秀の漸修禅(北宗)に対して頓悟禅(南
宗)を説き、それが新興士大夫階級に受け入れられて爆発的に教線が拡大し・・・後の五家七宗全てがそ
の一門から出た。
(´・(ェ)・`)b
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