質問者 私はあなたが昨日言われたことを、非言語的に本当に理解したと思います。樹の気づきがあります。樹への条件づけられる応答があります。そして、この条件づけられる応答は葛藤です。それは記憶と過去の諸経験の作用です。それは好き嫌いです。それは先入観です。私は、この先入観の応答が、「私」と呼ばれるもの(の誕生)、または監視者の誕生であることを、もまた理解します。 [受ける]「私 the 'me' 」と [なす]「私 the 'I' 」が、関係すべてに存在することが、明らかに分かります。ここで、諸関係の外側に「私」はあるのでしょうか。
質問者 もしあなたがよろしければ、私はさらに、私はこの世界にどのように生きるのかというこの疑問に入りたいとと思うのです。私はいま、昨日あなたが説明されたとおりに、理想の全くの非重要さを心と頭で理解します。私はそれと全く長い格闘をしたし、理想の卑小さが分かるに至ったのです。あなたは、理想や逃避がないとき、ただ過去(のみ)、千の昨日のみがあるし、それが「私 me 」を作り上げると言っておられるでしょう。それで、私が「私はこの世界にどのように生きるのだろうか」と訊ねるとき、私は間違った疑問を立てただけではなく、矛盾して言明をもしたのです。というのは、私は世界と「私 me 」を互いに対立しあうように置いたからです。そしてこの矛盾が、私が生きることと呼ぶところです。それで、私はその疑問、「私はこの世界でどのように生きるのだろうか」を訊ねるとき、本当はこの矛盾を改善しよう、それを正当化しよう、それを修正しようとしているのです。なぜなら、それが私の知るすべてであるからです。私は他に何も知らないのです。