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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

657避難民のマジレスさん:2020/03/17(火) 10:31:14 ID:/aj9kGRk0
変化の緊要
  
  この世界でどのように生きるのか 5


質問者 どうしてあなたは、それは卑小で不適当であると言えるのでしょうか。私たちはずっと、過去が主題であると言ってきたのですし、いまあなたは、それは不適切であると言っているのです。

K 過去は、私たちの心と頭を保つただ一つのものであるから、ただ一つの主題であるように思われるのです。ただそればかりが私たちには重要なのです。しかし、なぜ私たちは、それに重要性を与えるのでしょうか。なぜこの小さな空間ばかりが重要なのでしょうか。もしあなたが全的にそれに沈潜し、全くそれに参与しているなら、そのときあなたは、けっして変化を聞かないでしょう。全的には参与していない人が、聞き探究し訊ね求める能力のあるただ一人の人なのです。そのときにだけその人は、この小さな空間の卑小さを見ることができるでしょう。それで、あなたは完全に沈潜しているのでしょうか。それともあなたの首は、水の上にあるのでしょうか。もしあなたの首が水の上にあるのなら、そのときあなたは、この小さなものが卑小であることが見えるのです。そのときあなたは、見まわす間を持つのです。あなたはどれほど深く沈潜しているのでしょうか。あなた以外に誰もあなたのためにこれに答えられません。まさにこの疑問を問うことにこそ、すでに自由があるのです。ゆえに、恐れていないのです。そのときあなたの視覚は広汎です。過去のこの様式があなたの喉元を完全に捉えるとき、あなたは黙諾し、受け入れ、服従し、従い、信じます。あなたがそれから昇って抜けはじめているのは、あなたがこれは自由ではないと気づくときだけです。それで、私たちは再び訊ねています - 変化は何でしょうか。革命は何でしょうか。変化は、知られるものから知られるものへの動きですし、政治的革命すべてはそれなのです。この種の変化は、私たちが話をしているものではありません。罪人たることから聖人たることへ前進するとは、一つの幻想からもう一つへ前進することなのです。それでいま私たちは、これからあれへの動きとしての変化を免れて自由です。

質問者 私は本当にこれを理解したのでしょうか。私は、怒り、暴力、恐怖が私に生ずるとき、それらをどうすべきでしょうか。私はそれらに自由な統治を与えるべきでしょうか。わたしはそれらをどのように扱うべきでしょうか。そこに変化がなければなりません。そうでなければ、私は前あった私であるのです。

K これらものごとはその対極により乗り越えられないことは、あなたには明らかでしょうか。もし明らかなら、あなたは暴力、妬み、羨み、怒り、貪欲のみを持つのです。感情は挑戦の結果として生ずるし、そのとき名づけられるのです。この感情の名づけが、それを古い様式に再確立するのです。もしあなたがそれに名づけないなら、これは、あなたがあなた自身をそれと同定しないという意味であり、そのとき感情はいまあるし、それ自体で去ってしまうでしょう。それに名づけることがそれを強めるし、それに、思考の全過程である継続性を与えるのです。

質問者 私は隅に追い込まれていきます。そこで、私自身を現実にあるままに見るし、私がどれほど卑小であるかが分かるのです。そこから、次に何が来るのでしょうか。

K 私のあるままからのどんな動きも、私のあるままを強めます。それで、変化は全く動きでないのです。変化は変化の拒否なのです。そしていまだけ、私はこの疑問を訊ねられるのです - いったい変化はあるのでしょうか。この疑問は、思考の動きすべてが終わりになったときにのみ、訊ねられるのです。というのは、思考は無変化の美しさのために拒否されなければならないからです。有るものを離れる思考の動きすべての全的否定に、有るものの終わることがあるのです。
(´・(ェ)・`)
(おわり)


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