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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

683避難民のマジレスさん:2020/03/22(日) 11:43:36 ID:D8qZy99Q0
くまめも1

もしも葛藤は必然、ものごとの自然の秩序であると受け入れたなら、社会が表し支えるものごとすべてを受け入れなくてはならない。 - 戦争、野心的競争、攻撃的な生の道 - いわゆる聖地の内側と外側での、人々の残忍な暴力のすべてを。
錯綜した格闘すべてをともなう葛藤という所作と、心が秩序、調和、平和、美しさ、愛を要求するという所作 - この二つの所作を、考慮するほうがよいのではないか。
私たち自身と社会の無秩序を検討し、分析し、自分自身と社会の無秩序の諸原因を探し、心はそれらから解き放たれて自由にろうとしても、文学の他、何の成果をも生み出していない。
多くの聖者は、諸概念と思想的監獄のなか自分自身を麻痺させてきた。
私たちの葛藤の原因は、願望のこの果てしなくつづく二元性。 − 妬み、羨み、貪欲、野心、攻撃、恐怖、その他すべらてを造り出す諸対極の終わりなき回廊。
この問題にはまるで違った接近がないのか。
伝統的接近のなか心は作動するが、心の伝統的接近はもっと多くの無秩序を造り出す。
問題はいかに無秩序を終わらせるのかではなく、むしろ、心は伝統を免れて自由にそれを見つめられるのか。
そのときおそらく、全く問題はないのかもしれない。
(´・(ェ)・`)


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