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鬼和尚の仏教購読会 別館
546
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/16(木) 23:08:04 ID:LC3de7YgO
>>545
方便としての「空」を、後世、釈迦的緻密な分析方法であ、哲学的にしてしまったのでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ
547
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/16(木) 23:08:42 ID:LC3de7YgO
>>545
方便としての「空」を、後世、釈迦的緻密な分析方法であ、哲学的にしてしまったのでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ
548
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/16(木) 23:36:35 ID:LC3de7YgO
>>544
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)
スクリーンの上を影が飛びかっているだけだ と気つ゛けば、突然、あなたは自
分がいることに気つ゛く。
その影はまやかしだが、 あなたは実在している。
影のなかに自分を見失って しまうと、あなたは現実感を失い、 自分があるこ
とをすっかり忘れてしまう。
夢のなかでは自分があることをすっかり忘れ、 夢が現実になっている。
あなたの現実は丸ごと 夢に食いつくされている。
夢は現実をすべて奪い去り、 うつろなあなただけが残される。
夢から現実を取りもどすと、 あなたがありありと存在するようになる。
あなたの内側に中心が生まれ、 あなたはひとつにまとまる。
これが「個性化」「結晶化」と呼ばれるものだ。
世界が現実のものになるか、 あなたが現実のものになるか、 そのどちらかだ
――その両方が 同時に現実のものになることはありえない。
それを覚えておきなさい。
その両方が同時に現実のもの になることはありえない。
それが風景の焦点ゲシュタルトを変えることだ。
世界から現実感を取りもどせば、 あなたがありありと存在しはじめる
――あなたは実存を達成する。
人々は二種類のタイプに大別することができる――
もつことに関心を寄せる人々と、 在ることに関心を寄せる人々に。
もつことに関心を寄せる人々は、 世界が実在することを――
もっと金をため、 もっと権力を手に入れ、 もっと名声を高め、信望を集める
ことを 信じている。
彼らは中身がからっぽの人々だ。
彼らは自分の中心を完全に失っている。
彼らは自分が誰であるのかを知らない。
真の自己は影になってしまっている。
そして別の種類の者たちは
――私は彼らを「宗教的な人々」と呼ぶ――
外界から現実を取りあげて、
それを元あった場所にもどす。
彼らは実体を獲得するようになる。
彼らは実存をもつようになる。
彼らはさらなる存在感をもつようになる。
より大きな存在感を発している人に出会うと、
人は必ずある種の磁力を感じる。
仏陀が無数の人々を引きつけたのは、
この実質をともなった存在のゆえだった。
それは目にすることができる。
政治権力を握っている者をのぞき込めば、
中身はからっぽであり、ただ藁わらだけが詰め込まれている。
金をたくさんためこみ、大したものをもっているつもりになっている者
――彼をのぞき込めば、
そこにはただ黒い穴が開いている。
貧しい男、乞食がその背後に隠れている。
実存をそなえた者は、
帝王の身なりをしていることもあるし、
乞食の身なりをしていることもある
――だが、彼はつねに帝王だ。
彼は仏陀のように托鉢をしているかもしれないし、
ジャナク王のように帝王の座についているかもしれない が、
どちらにしても違いはない。
彼は ど こ に い て も つねに帝王だ。
彼の王国は内側にあり、 彼には風格がともなっている。
彼はどうどうとしている!
あなたは存在していない。
あなたはものはもっているが、
実存をもってはいない。
そしてあなたはものを代用品として使っている。
ものをもてばもつほど、ますます 自分の存在を信じることができる。
渇望し、貪り、野望を抱くのはそのためだ。
もっともっとものを所有しようとするのは、それが 「俺はひとかどの人間なん
だ」と言って 自分をだます唯一の方法だからだ。
だが、実存をそなえている人は関心を抱かない。
もつことは彼のゲームではない。
それは彼が 世間を後にして、 世間を捨ててしまうという意味ではない。
世間を捨てるということは、その人がまだ 世間を生々しい現実であると考えて
いることに他ならない。
さもなければ、どうして捨てたりするだろう?
あなたは朝起きて、
「私は夢を捨てたんだ。王様になった夢を見ていたのに、私は王国を捨てたん
だぞ」
と大きな声で近所に触れまわったりはしない。
人々はあなたが狂ってしまったと思う だろう。
彼らは警察に通報するだろう。
彼らはあなたに精神科医のところへ行って、 心の治療を受けるようにと言うだ
ろう。
「君はおかしくなってしまったのかい? それが夢なら、いちいち捨てなくても
いいはずなのに」
仏陀が放棄したのは、 彼が夢のなかに生き、それには 堅固な実体があると考
えていたからだ。
彼は森のなかで光明を得た。
いいかね、放棄したとき、彼は無知だった。
世間を捨てる前に光明を得ていたら、 彼はけっして放棄などしなかっただろう。
捨てる意味などない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
549
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/16(木) 23:46:54 ID:LC3de7YgO
>>544
> スクリーンの上を影が飛びかっているだけだ と気つ゛けば、突然、あなたは自
分がいることに気つ゛く。
> 夢は現実をすべて奪い去り、 うつろなあなただけが残される。
夢から現実を取りもどすと、 あなたがありありと存在するようになる。
←ここでの「あなた」、「自分」はマハラジやマハリシやパパジが言う「真我」でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ
550
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/17(金) 23:35:14 ID:1d4drIFg0
>>546
そうじゃ、それは本来方便としての方法であり、実践のためのものなのじゃ。
それを知らなければ空が実際のものと見まがう空見に陥るのじゃ。
>>549
そのようなものじゃ。
認識できない認識主体なのじゃ。
それがあるとき世界はないのじゃ。
観念であるからのう。
あることとして全てを観るのじゃ。
551
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/18(土) 09:07:28 ID:LC3de7YgO
>>548
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん
ジャナクは王として宮殿に暮らしているとき光明を得た。
だから彼はそれをけっして捨てなかった。
そんなことをしても意味がなかった。
クリシュナは一度も放棄しなかった。
そんなことをしても意味がなかった。
影にすぎないものを どうやって捨てるというのだろう?
仏陀が放棄し、マハヴィーラが放棄したのは、 彼らがまだ光明を得ていなかっ
たからだ。
私が言おうとするのは―― 人々は無知だったからこそ 世間を放棄したのだと
いうことだ。
仏陀でさえ、無知だったときには世間を放棄した。
光明を得ると、彼は世間にもどってきた。
もどってこざるをえなかった。
深く眠りこけ、自分たちが見ている夢が現実である と錯覚している者たちが大
勢いる ことを知っていたからだ。
彼はみんなを目覚めさせねばならなかった。
中心は、 外界から現実感を取りもどした ときにはじめて現れてくる。
あなたは みずからの現実を事物に与え、 みずからの現実を事物に注ぎ込んで
いる。
それは観察することができる―― 人々は事物との抜き差しならぬ情事にはま
っている。
彼らはみずからの魂を事物に注ぎ込み、 自分の正体をすっかり見失っている。
彼らは事物のなかに埋没してしまっている。
わが家にもどってくるがいい。 現実を取りもどすのだ。
事物はあなたが 現実感を与えた分だけ 現実になるのであり、それはあなたの
投影だ。
そうでなければ、それはからっぽの、 白いスクリーンにすぎないものになり
、 重要性を失って、それに溺れることも、 それを捨てるということもなくなる
。
どちらも的をはずれたものになる。
まず空観が三つの観想の最初にくる。
いっさいの事物は空であると見なされる。
次に仮観が行なわれる。すべてが空であることを知りながら、 事物を破棄せず
に、空の只なかで自分の仕事を行なってゆく。
よく聴きなさい。
なぜなら、世間で苦しみをなめている人々は、ほとんど必ず世間との交わりを
絶とうとしたり、
絶ってしまったりはじめるからだ――
まるで世間に問題があるかのように!
問題は世間にあるのではない。
問題は あ な た だ。
それにどこへ行こうと、
あなたは行く先々で問題を引き起こす。
あなたはみずからの影を投げかける。
世間を捨てることもできるが、
世間は白いスクリーンにすぎない。
が、映写機はあなたの内側にある。
どこに行っても、あなたはそこに、別の何かに自分のフィルムを投影しはじめ
る。
それは宮殿ではなく、粗末な小屋かもしれない――
だが、その小屋があなたの王国になる。
それは小屋ですらないかもしれない。
ヒマラヤをさすらっているとき、私はたくさんの人々に出会った。
あるとき私は三十年以上も洞窟で暮らしている聖者に――いわゆる聖者に出会
った。
私は二、三人の友人と一緒にいたが、その洞窟が気に入ったので、私たちはそ
の洞窟で一夜を過ごすことにした。
彼はひじょうに腹を立ててこう言った。
「どういうつもりかね?これは 私 の 洞窟だぞ!」
私は言った。
「でも、あなたは世間を放棄なさったのではありませんか?
この洞窟があなたのものだとは不思議ですね?」
彼は言った。
「とにかくこれは私のものだ。三十年も私はここで暮らしてきたんだ」
「あなたは三十回も生まれ変わり、ずっとここで暮らしてこられたかもしれま
せん。でも、放棄することの意味は何ですか?なぜあなたは妻を捨てたのです
か?なぜあなたは家を捨てたのですか?何が問題だったのですか?"私のものだ"
という考えが問題だったはずです。今やこの洞窟はあなたのものです。となる
と、その洞窟とともに問題が生じてきます。所有欲が洞窟に染みついてしまっ
ています」
どこへ行くかは問題ではない。
自分の生を変えることはそれほど簡単ではない。
あなたはみずからの知覚を、ものを見る視点ゲシュタルトを、実存そのものを
変えなければならない。
呂祖師は言った。
事物を破棄せずに、空の只なかで自分の仕事を行なってゆく。
すべては空であると知るが、人はみずからの仕事を行ないつつ゛けてゆく。
どこにも行く必要はない。
どこに行けるというのだろう?
この世界はいっさい空だ!
ヒマラヤはMGロードの店と同じくらいにからっぽだ。
そしてヒマラヤの樹々や動物はプーナの住民と同じくらい実体がない。
そのあいだには何の違いもない。
違いはあなたの中心、あなたの内なる実存に起こらねばならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
552
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/18(土) 09:35:36 ID:LC3de7YgO
>>551
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)
だが、事物を破棄しないとしても、それらに注意を注ぐこともない……
これがその変化だ――人は打ち壊すこともなく捨て去ることもなく、しかもそ
れらに注意を注ぐこともない。
人は注意を注ぐのを控えるようになる。
注意は餌だ。
そのようにしてあなたは事物に執着するようになる。
ある女性に魅了されると、あなたは何度でもその女性を見つめたくなる。
あなたは餌をやっている。
あなたは投影をしている。
あるものが気に入ると、あなたはそれに注意を払うようになる。
注意を払うことで、あなたはそれに執着するようになる。
注意を払うことが橋になって執着が生まれる。
何も捨てる必要はない。
ただ橋を壊せばいいだけだ。
事物に注意を払うことなく世間のなかで生きなさい。
虚空のなかを動いているかのように進んでゆきなさい。
――これが中観だ。
これができたら、あなたの内側に中心が生まれる。
あたかも世間のなかにいないかのように 世間で暮らすことができたら、 世間は
ただの夢にすぎないかのように 世間で暮らすことができたら、 突然、大いなる
エネルギーが―― 散逸していたエネルギーすべてが あなたの内部で結晶化する。
あなたはありとあらゆるやり方でエネルギーを散逸させてきた。
あなたは四方八方に漏らしている。
注目することで漏らしている。
あなたがもはや漏らさなくなり、 注意力がもはや不動のものとなり、 注意が
内側に集まり、 内側で蓄積され、 内側で結晶化するとき、 中心が生まれてく
る。
空観を実践しているときには、 万物を破棄しえないことを知りながら、 それ
らに気をとめないようにする。
人はこの夢がつつ゛いてゆかねばならないものであることを知っている。
この夢はまた美しいものでもある。
そこで思い煩うことなど何ひとつない。
捨て去らなくてもいい、打ち壊さなくてもいい、それと闘わなくてもいい。
あなたは自分の影と闘ったりはしない。
あなたはそれが影であることを知っている。
それは影であると知っているから、打ち壊したいとも思わない。
どこまでも後をついてくるから、けっしてあなたのもとを去らないから、それ
のことを心配しない。
あなたはそれが影であることを知っている。
この世間が影であることを知ると……実在の影であって実在そのものではなく、
湖に映る月であって月そのものではないと知ると、人は世間の只なかにあって
さえくつろぐようになる。
世間をまったく気にもとめずに、人はみずからの務めを果たし、みずからの仕
事をし、飄々ひょうひょうとしながら暮らしつつ゛けてゆく。
このようにして三つの観想はひとつになる。
そうなったら三つの観想はもはや三つではなく、それはただひとつの観想になる。
あなたは中心に収斂してゆき、中心を自覚するようになる。
グルジェフが「自己想起」と呼び、仏陀が「サマサティ」――留意――と呼び、
マハヴィーラが「ヴィヴェック」と呼んでいたのはこのことだ。
今やあなたはリアルではないものを見抜き、現実と非現実を識別している。
今やあなたは何が影であり、何が実物であるかを見抜いている。
あなたは実物の月を見たし、水に映る月影も見た……
だが影はつつ゛いてゆく!
影はそれが影であると気つ゛いたからといって消えてゆくものではない。
それはつつ゛いてゆく。
そして問題は何もない――それは美しい!
湖のほとりに坐って、月影を眺めていればいい――
それは美しいし、何の問題も生じてこない。
だが、あなたはそれが実在しないことを知っている。
だが、とどのつまりは空を体得することで力が得られる。
だが、覚えておきなさい――統合、結晶化は、ひとえに空を体得することから
生まれてくる。
それが瞑想の出発点になる。
それゆえに、空観を実践するときには、空は紛れもなく空であるが……
さあ、あなたがたはもう少し深く入ってゆかねばならない。
いっさいが空であると知ると、問題が生まれてくる。
あなたはその空を何かしっかりとした実体があるものだと見なしはじめるかも
しれない――それが問題だ。
というのも、頭マインドはいつも言葉にとらわれてしまうからだ。
『不思議の国のアリス』というすばらしい本のなかにこんな一節がある……
アリスが王様のもとへ到着すると、王様はラブレターが届くのを今か今かと待
ちわびていた。
彼は誰を見ても「使いの者に会わなかったかね?」と尋ねてまわる。
王様はアリスにも「こちらへ向かっている使いの者に会わなかったかね?」と
尋ねる。
アリスが「誰もいませんわ」と言うと、王様は彼女が"ダレモイナイ"という名
前の誰かに会ったのだと思い込む。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
553
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/19(日) 00:00:58 ID:LC3de7YgO
>>552
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)
王様は言う「おまえよりも足がのろいやつじゃ、"ダレモイナイ"は。でなけり
ゃとっくに着いておるはずじゃ。わしは何度も何度も同じ知らせを聞いておる。
たくさんの者がここに着いたが、みんな口をそろえて"ダレモイナイ"と言う。
なのにまだダレモイナイは到着していない!おまえよりも足がのろいやつじゃ
、ダレモイナイは」
当然アリスは「王様は何を言ってらっしゃるのだろう?私より足がのろい人は
誰もいないですって?」と考えて、こう言い返した。
「誰もいないわ、私よりも足が速い人」アリスは気分を害していた。
すると王様は言った。
「ダレモイナイは、おまえより足が速いのか?ではなぜそいつはまだ着かんの
じゃ?」
話がこんがらがったわけに気つ゛いたアリスは、
「王様、ダレモイナイなんて人は誰もいないんです」と言った。
すると王様は言った。「もちろんじゃ。ダレモイナイはダレモイナイに決まっ
ておる。だが、そいつはどこにおるのかね?」
こうして話は延々とつつ゛いていった。
空でさえものになってしまいかねない。
仏教哲学で起こったのはそれだ。
哲学者はあたかも空が神であるかのように、空が生の本質そのものであるかの
ように、空について語りはじめる。
彼らはあたかも無が何ものかであるかのように、無のことを語りはじめる。
無は言葉にすぎない。
自然のなかにはノーは存在していない。
ノーは人間が発明したものだ。
自然のなかでは、すべてがイエスだ。
自然のなかには、肯定的なものだけが存在している。
否定的なものは人間がこしらえたものだ。
例えば、この椅子はただの椅子だ。
自然のなかでは椅子は椅子でしかない――それがありのままの姿だ―― だが、
言葉では 「これはテーブルではない、これは馬ではない、これは人間ではない」
と言うことができる。
これらの言明はすべて正しい。
椅子はテーブルではないし、馬ではないし、人間ではないからだ。
だが、これらは否定的な言語表現にすぎない。
自然のなかでは椅子はただの椅子でしかない。
自然のなかに否定的なものはなく、 ただ肯定的なものだけがある。
だが、言語のなかには否定形が存在し、その否定形ゆえに大いなる哲学が生ま
れてきた。
無そのものがひとつの事物になってしまう。
不在がある種の存在であるかのように語られる。
だから、それに注意しなさい。
あなたに注意をうながすために、呂祖師は言う。
いいかね、空は紛れもなく空であるが、仮象も空であり…… 幻影(仮象)は少
なくとも 幻影としては実在する と考えはじめてはいけない。
幻影もまた空であり、 そこには何もない。
例えば縄を蛇だと錯覚するとしよう。
見ると蛇がそこにいるが、明かりをもってくると消えてしまう。
そうなると「蛇はどこへ消えたのだろう?蛇はどこからやって来たのだろう?」
という疑問が湧いてくる。
蛇は一度も現れたこともなければ、消え去りもしなかった。
それは存在しなかったのだ。
実のところ、縄はいつも縄だった。
それはあなたの錯覚だった。
あなたが蛇をつくりだし、それを投影した。
それは妄想マインドの産物 にすぎなかった。
いいかね、空は空であり、
仮象も空であり、
中心も空である。
これが仏陀のなす最大の貢献だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
554
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/19(日) 22:56:37 ID:1d4drIFg0
空とは法であるからそれに囚われてはいかんのじゃ。
それもまた悟りを得るためには捨ててしまうしかないのじゃ。
空をもったまま悟りにはいけないのじゃ。
彼岸に至れば捨て去るべき観念を滅するためのいかだでしかないのじゃ。
555
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/19(日) 23:09:45 ID:LC3de7YgO
>>553
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)
ヒンドゥー教徒たちは「世界はまぼろしだ」と言う。
ジャイナ教徒たちは「世界はまぼろしであり、心マインドもまぼろしである」と言う。
仏陀は「世界はまぼろしであり、心はまぼろしであり、中心もまぼろしである」
と言う。
彼の洞察力はとてつもない。
彼は言う――
見られるものが幻影だとしたら、どうして見る者が実在しえるだろう?
これは最も深遠なにゃはんニルヴァーナの言明だ――
夢がまぼろしだとしたら、その夢を見る者も幻影であり、踊りがまぼろしだと
したら、その踊り手もまた幻影だ。
彼は何を言おうとしているのだろう?
彼はこう言おうとしている――
まず世間を捨て、それから心マインドが紡ぎだす幻想を捨て、さらに中心とい
う、自己という考えも捨てなさい、と。
そうしなければ自我エゴが生き残る。
新しい名前で、巧妙な仕方で、自我が生き残る。
それもまた去らせなさい。
あらゆるものを去らせなさい。
ただ虚空、無だけをあらしめなさい。
その無のなかにすべてがある。
その完全な不在のなかに臨在がある。
仏陀はその臨在のことはけっして語らない。
彼は、それは身をもって知るべきものだと言う。
そのことは語るべきではない。
なぜなら、心は実に狡猾であり、臨在について語れば、それを渇望するように
なるからだ。
神について語れば、心はその神を手中におさめることを考えはじめる。
仏陀は神については何も語らないが、それは神が実在しないからではない――
覚者より他の誰が神の存在を知りうるというのだろう?
だが、彼がけっして語らないのにはある深いわけがある。
神について語ると、神を得たいという欲望を生みだしかねないからだ。
そして、もしそこに欲望があれば、あなたはけっして神に到りつくことがない。
欲望はすべて消えなければならない。
無欲の境地にあってはじめて神は到来する。
仮観を実践するには大きな力が必要である。
このとき仮象はあきらかに幻影であるが、 空も幻影であり、中心も幻影であ
る。
中観の道にあるときには、やはり 空の心像を生みだすのであるが……
これらの空の心像は助けにすぎない。
まず、世間からあなたを連れだすために、仏陀は「世界は空である」と言う。
すると幻影が真実になってしまう。
そこで仏陀は「幻影もまた空である」と言う。
すると中心が真実ということになる。
そこで仏陀は「中心もまた空である」と言う。
まったき沈黙のなかで、いっさいのものが跡形もなく消え失せる――
そのまったき沈黙のなかに祝福があり、神がある。
また仮観を実践するときも、 それを仮象と呼ばず、中心と呼ぶのである。
中心そのものについては別に説明する必要はないだろう。
いっさいのもの――世界、想念マインド、自己――が消え去ると、いったい何
が起こるのだろう?
呂祖師の言うとおりだ。彼は、別に説明する必要はないだろう、と言っている。
さらに何かを言うことは危険だからだ。
さらに何かを言うと、あなたに欲望の対象を与えることになる。
そして欲望が生まれると、全世界がなだれ込んでくる。
これはすならしい方便だ。
それに瞑想することができたら、あなたは無限なるもの、永遠なるもの、時を
越えたもの、真実の生を得るだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
556
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/19(日) 23:13:22 ID:LC3de7YgO
>>555
oshoの言う(神の)臨済とは、アートマン、ブラフマンのことでありますかね?
(´・(ェ)・`)つ
557
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/20(月) 23:07:07 ID:1d4drIFg0
↑そのように捉えて善いのじゃ。
それは本来言葉で語れるものではなく、自ら追求するものであるからのう。
どこまでも追求して行けば、悟りも得られて真実の意味を知るのじゃ。
語ることの出来ないものを伝えるには、法によって体現させるしかないのじゃ。
558
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/21(火) 08:54:22 ID:LC3de7YgO
>>555
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音
タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、 相反する二つの存在原理――
闇と光、陰と陽を生みだす。
陰からは受容的な女性原理が現れ、陽からは創造的な男性原理が現れる。
陰からは生命が現れ、陽からは受容的な本性が現れる。
ひとりひとりの人間のなかには胚胞があるが、それは 受胎の瞬間に命と性、生
命と本性に分かれる。
個々の人間の肉体のなかで、それらは二つの極 ――アニマとアニムスによって
表される。
この二つは生涯にわたって争い、主導権を求めて闘いをくり広げる。
生命エネルギーが下方に向かって流れれば、すなわち、何の障害もなく 外界に
向かって流れ出せば、アニマがアニムスに打ち勝ち、黄金の華は開かない。
生命エネルギーが逆流のプロセスによって導かれたら、すなわち 蓄えられ、散
らされずに上昇させられたなら、アニムスが勝利をおさめている。
生涯を通じて生命エネルギーを蓄える道を守る者は、 黄金の華の境地に到達す
るだろう。
そこで自己は対立物の葛藤から解き放たれ、再び タオ、分かたれていないもの
、大いなる一者とひとつになる。
古池やかわず飛び込む水の音
これは松尾芭蕉の最も有名な俳句のひとつだ。
この俳句には、目覚めた人々だけが気つ゛くことのできる格別の味わいがある。
その美はたんに審美的なものではなく実存的なものだ。
そのかぐわしい香りは悟りの境地から放たれる。
タオとはひとえに何の但し書きもない、形容もつかない、ありのままの姿を指
している。
タオとはただ"そのようにある"ということだ。
古池やかわず飛び込む水の音
俳句はふつうの詩ではない。
ふつうの詩は空想から生まれる。
ふつうの詩は想いマインドの産物だ。
俳句はただありのままの姿を映しだす。
意識は鏡になって、目の前にあるものを映しだす。
鏡は映るものに影響されない。
その前を醜い人が通りすぎても、鏡が醜くなることはない、
鏡には何の変化も起こらない。
美しい人が通りすぎても、鏡が美しくなることはない。
映す相手が誰もいなくても、鏡は前と同じで変わらない。
映しても映さなくても、善いものを映しても悪いものを映しても、鏡は清らか
なままだ。
目覚めた人の意識もそうだ。
芭蕉は仏頂禅師の弟子だった。
このとてつもなく美しい俳句が生まれたとき、芭蕉は古池のほとりにある小さ
な庵で暮らしていた。
ある日のこと、にわか雨があがると、仏頂禅師は芭蕉のもとを訪れ、
「近頃のおまえの見解けんげはどうかな?」と尋ねた。
いいかね、師は「どんな知識を身につけたかな?」
と尋ねるのではなく、「見解はどうかな?」と尋ねている。
見解けんげというのは知識とはまったく別のものだ。
知識は借り物だが、見解は自分自身のものだ。
知識は外からくるが、見解は内側から生まれてくる。
知識は手垢にまみれているので醜い。そして
知識はけっしてあなたの実存の一部にはなりえない。
それはいつまでたっても異質なもの、よそよそしいものであり、
あなたのなかに根をおろせない。
見解はあなたのなかから育ってくる。
それはあなた自身の開花だ。
それはまぎれもなくあなたのものであり、
それゆえに美をそなえ、解き放つ力を宿している。
真理はけっして誰からも
借りることができない。そして
借りてきた真理はもはや真理ではない。
借りてきた真理はすでに虚偽だ。
語られるやいなや、その真理はたちまち嘘になる。
真理とは体験されるべきものであり、聞いたり、読んだりするものではない。
真理はたんにあなたが蓄えてきたものの一部に、あなたの記憶の一部になるもの
ではない。
真理は実存的なものでなければならない。
あなたの実存の毛穴のひとつひとつがそれを感じなければならない。
そう、それはひとつの感性フィーリングでなければならない。
ひと息ひと息が真理で満たされていなければならない。
それはあなたのなかで脈動し、あなたのなかを血のように巡らなければならない。
真理が体得されると、あなたはそれになる。
だから仏頂は弟子に向かって、
「芭蕉、近頃のおまえの見解けんげはどうかな?」と尋ねた。
そしてこの"近頃の"という美しい言葉を忘れてはいけない。
真理はつねに成長している。
真理は動いている。
それは静的ではなく、ピチピチと躍動している。
それは踊りだ。
それはそびえゆく樹々、流れゆく川、まわりつつ゛ける星々のようだ。
真理はけっしていかなる意味でも静的な現象ではない。
それは停滞したものではなく、実にダイナミックに、勢いよく動きまわっている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
559
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/22(水) 00:18:47 ID:1d4drIFg0
オショーは芭蕉が好きなのじゃ。
禅味のある俳句を作ったからなのじゃ。
俳句は悟りの境地をも表す三行詩という解釈で世界に広まっているのじゃ。
外国人の俳句集も出版されているのじゃ。
560
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/22(水) 00:34:09 ID:LC3de7YgO
>>558
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
いきいきとしているためには動きつつ゛けていなければならない。
死だけが静止し、死だけがよどんでいる。
だから死んでいる人々もうわべは生きているようにみえるかもしれないが、
真理がもはや成長していなければ、彼らは死んでいる。
彼らの魂はもはや成長していない。
真理とは観念ではなく、あなたの実存そのもの、あなたの魂そのものだ。
それゆえに師は「 近 頃 の おまえの見解けんげはどうかな?」と尋ねた。
彼は過去のことを尋ねているのではない。
知識はつねに過去に関わり、空想はつねに未来に関わっている。
彼は現在のことを尋ねている、 現に目の前にあるもののことを尋ねている。
芭蕉は答えた。
雨過ぎて青苔を流す つい先程まで雨が降っていた。
雨はあがり、青い苔がみずみずしく輝いている。
悪くはないが、まだ充分ではない。
それはすでに過ぎ去ったことであり、 現に目の前にあるもののことではない。
それはすでに記憶になっていて、 今まさに体験していることではない。
仏頂は満足しなかった――悪い答えではなかったが、まだまだだった。
そして絶妙な答えが出るまで、 意にピタリとかなった答えが出るまで、 師は
けっして満足しない
―― 芭蕉のように大きな力量を秘めた 人物を前にしてはなおさらだ。
もはや芭蕉の師、仏頂のことを知る者はいない。
彼はただ芭蕉のおかげで知られている。
この弟子には無限の力が秘められていた。
師はそうたやすく満足することはできない。
それを覚えておきなさい!
器が大きければ大きいほど、 あなたには困難な課題ワークが課せられる。
師はあなたにきびしい態度を取るだろう。
彼はあなたを少しも容赦しないだろう。
芭蕉ほどの器をそなえていない者の答えならばそれでもいい。
師はうなずいて同意したかもしれない――が、芭蕉はだめだ。
数分の間があいても、ずれていることに変わりはない。
すでに雨はあがり、空は晴れ、太陽が顔をのぞかせ、その光を 古池や、庵いお
りや、あたり一面に投げかけている。
師は「まだ言葉が足りない!」と言った。
師が「まだ言葉が足りない!」と言うのは、 もっと言葉を加えなさいという意
味ではない。
彼は言葉の数が足りないと言っているのではない。
彼はこう言っている―― もっと深みのあることを言いなさい、
もっと力強いことを言いなさい、
もっと実存的なことを言いなさい、
もっと内実のあることを言いなさい!
(p533)
まさにそのとき、 蛙が池にポチャンと飛び込む音が聞こえた。
彼はこう詠んだ。
かわず飛び込む水の音 さあ、これがタオだ――
現に目の前で、あるがままに、息つ゛き、脈動している、 まさにこの瞬間。
タオは過去を知らず、未来を知らない。
タオはただひとつの時制しか知らない――それは現在だ。
タオは 今 こ こ しか知らない。
みずからの思考マインドを消えてゆかせれば、 過去もないし、未来もない。
過去と未来は思考の産物だ。
実際に存在するのは現在だけだ。
そして過去もなく、未来もないとしたら、
どうしてそれを「現在」と呼べるだろう?
現在は過去や未来と照らし合わせてはじめて意味をもつ。
現在は過去と未来のあいだにはさまれている。
過去と未来を取り去れば、現在もまた消え失せる。
それがタオの瞬間だ――
時間が消え、人はありありと その場にいて、完全に今ここにいて、 過去の亡
霊のあいだをさまようこともなく、 まだ生まれていない未来の心像のなかをさ
まようこともない。
これが<光明エンライトメント>の瞬間だ――
時間が消え、人はただただここにあって、 他のどこにもいない。
そして時間が存在しないときには、 思考マインドも存在しない。
思考と時間は同義語だ。 思考の量が増せば増すほど、人は 時間を意識するよ
うになる。
だから西洋の国々では時間をひじょうに意識するようになった。
それは思考を発達させてきたからだ。
山や密林のなかに住んでいる原始的な人々のところへ行ってみるといい。
原住民のところへ行くと、そこには時間の観念がない。
それは 考える力マインドがまだ発達していないからだ。
だが、それが再び起こる――理解によって、 過去への郷愁と未来への 夢想を
すべて落とすと、 時間は再び消える。
そして時間が消えるとともに、
突然、思考はどこにも見当たらなくなる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
561
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/22(水) 22:55:31 ID:1d4drIFg0
今あるものを観て、過去を推測するだけではまだ時間があるのじゃ。
今この瞬間を切り取ってこそ、今ここにあると言えるのじゃ。
今ここにあるものをありのままに認め、現しだすことこそ真の芸術なのじゃ。
かつて誰もなしえなかった悟りの芸術なのじゃ。
562
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/23(木) 02:27:53 ID:LC3de7YgO
>>560
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
そして思考が消えると、静けさが訪れる。
その静けさのなかで、彼方なるものが地上に浸透してくる。
その静けさのなかで、未知なるものがあなたのなかへ降りてくる。
その静けさのなかで、神との出会いが起こり、
その静けさのなかで、感謝の祈り、祝福が湧き起こる。
その静けさのなかに、神の王国が出現する。
かわず飛び込む水の音 これがタオの言辞だ。
これがタオだ――素朴で、純粋で、まさにあらわだ。
この答えを聞いて、師はこのうえもなく喜んだ。
弟子がわが家に帰り着くと、 師はいつでも歓喜する。
師の喜びには限りがなく、まるで 自分が再び光明を得たかのようだ!
すでに欠けるところのない師の実存に、 さらに満ち足りたものが加えられる。
師につけ加えねばならないものは何もないが、 弟子が覚醒へと燃えあがり、炎
と化すたびに、 師はまるで自分が光明を得たかのように感じる。
師はこのうえもなく喜んだが、 まさにその師の喜びが機縁となって、 芭蕉は
光明を得た。
師の嬉しそうな顔を、 師が放つ喜びのオーラを、 師がうなずいて認めるさま
を――あるいは 何も言わずに、その静けさを天の恵みのように 弟子の上に注い
でくれるのを見て、 芭蕉は光明を得た!
なんとすばらしい光明の瞬間だろう!
これまで無数の人々が光明を得てきたが、 芭蕉のような仕方で光明を得た人
は これまでになかった。
師が喜んでいたので、まさにその 師の喜びが芭蕉の胸を剣のように貫いた。
花々が彼の上に降り注いだ。
師は微笑んでいたにちがいなちがいないからだ……
師は喜びと祝福に満ちた目で芭蕉を見つめていただろう、 きっとこれまで聴い
たこともないような音楽が聴こえていたにちがいない。
もしかすると、仏頂は踊りだすか、 それに類する気違いじみたことをやった
にちがいない。
弟子が光明を得る というのは些細なことではないからだ。
のちに、芭蕉はこの俳句を ダイヤモンドのように磨きあげていった。
彼は生涯をかけてそれを磨きあげていった ――なぜなら、これは希有な現象だ
からだ。
この小さな俳句……
古池やかわず飛び込む水の音
芭蕉自身の光明のプロセス を誘発したのはこれだった。
彼はそれをダイヤモンドのように磨きあげていった。
彼はそれをカットして、さらにもっと深みを加えていった。
彼は"古池"を加えた。
最初の句はこれだけだった……
かわず飛び込む水の音
のちに彼は"古池"をつけ加えた。
私の感じでは、古池が自分も加えて くれるようにと主張したにちがいない。
古池も加えられてしかるべきだった――
古池がなければ蛙もいなかっただろうし、その蛙が 飛び込むことも、水の音が
することもなかっただろう。
芭蕉は古池に多くのものを負っている。
彼はそれを加えた。
そこで俳句はこうなった……
古池やかわず飛び込む水の音
さらにそののち、彼は「水の」という言葉を落とした。
そうなると俳句は前のように完全な形ではなくなるが、
前よりももっと完成度の高いものになった。
それはこうだ……
古池やかわず飛び込む、音
それは前ほど完全な形ではなくなった が、より完成度の高いものになった。
より完成度の高いものになったということで、 私は何を言おうとしているのだ
ろう?
今やそれは成長しつつある現象になり、 ピリオドが打たれることはないとい
うことだ。
前のものには終止符が打たれ、仕上げがすんでいた。
それには何も加えることができなかった。
瞑想の機縁となるものは何も残されていなかった。
だが、"音"だけになると、扉が開かれてくる。
もはや終止符は打たれていない。
それはひとつの探求になる。
だから、それは完全な形は失った が、より完成度の高いものになった。
今やそれはまったく非の打ちどころがない。
成長しつつあるという意味において非の打ちどころがない。
今やそれは成長しつつある樹であり、予測することができない。
今やひとりひとりがそれに瞑想しなければならない。
そしてこれは芭蕉に従おうとする探求者 にとってすばらしい瞑想のひとつに
なった。
それは前よりもいちだんと美しいものになった。
いつも覚えておきなさい、 完全なもの、完全無欠なものは、何かを失ってし
まう ――それは死んだものになる。
優れた画家たちはみなこのことを知っている。
そして最も優れた絵というのは 少し未完のままで残されていて、 最後の一筆
は加えられていない。
最も優れた詩というのは 未完のままで残されている。
だから扉が開いたままになっており、 あなたはそのなかに入ってゆくことが
できる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
563
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/23(木) 23:09:44 ID:1d4drIFg0
老子の道徳経にもタオとはあまりにも微妙で捉えられず、見ることも聞くことも出来ないというのじゃ。
名前も付けられないそれに仮に名づけてタオというのじゃ。
それを求めるために心も可能な限り鎮めなければならないのじゃ。
極限まで静まった心にタオは芽生えてくるのじゃ。
564
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/24(金) 00:08:50 ID:LC3de7YgO
>>562
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
あなたの 実存は未完の詩と親しく交流することができ、 実存がそれを仕上げ
ることになる。
それはあなたの 実存のなかで完結する。
だから、それはこのようになった……
古池やかわず飛び込む、音
さらにそののちに、彼はまた言葉 を落とし、とうとうこうなった……
古池やかわず飛び込む、ポチャン!
さあ、今や絶頂に近つ゛きつつある。
ただの"ポチャン!"。
このほうが真実に近い…… カエルにとって、 池にとって、 実在にとって
より真実だ。
実在は"ポチャン!"しか知らない。
あなたはただその場に立ちつくし、 そして驚異の念に打たれ、 探求し、瞑想
をはじめる。
誰かが芭蕉に尋ねた。
「あなたはどうして『水の』という語句を落とし、 最後には『音』という言葉
まで落としてしまったのですか?」
芭蕉は言った。
「どんな音がするのか耳を澄ましてほしいのだ。私は言いたくない。
どんな音がするのかあなたの耳で聴いてほしい」
古池やかわず飛び込む、ポチャン!
あなたはまったく新しい瞑想的な空間に放り出される。
突然、古池の姿がくっきりと目に浮かんでくる。
それは目の前にあるかのようにありありと感じられる。
そしてカエルが飛び込む。
それは過去にいるカエルではない……ポチャン!
あなたはその音を再び聴くことができる。
それは現実そのものになる。
これは偉大な芸術であり、芸術家が体験したものを、受容的であり、みずから
を開き、いつでも冒険に出かける 用意ができている人のなかに再び再現させる
ことができる。
ブッダたちはみなこの方法を取る。
彼らの言明は「瞑想」と呼ばれるプロセスを あなたのなかに引き起こすための
機縁にすぎない。
これがタオのやり方だ―― あなたをありのままの現実に連れもどすこと。
これは私のやり方でもある―― あなたが瞬間とぴったりひとつになるのを助
けること。
まさに こ の 瞬間! こ れ がそれだ!
タオは教義ではない。
それは気つ゛きに到るための独自な道だ。
それは目覚めの道、光明の道、わが家へ帰るための道だ。
タオとは単に道を意味する。
そしていいかね、 それはふつうの意味での道を指しているのではない。
「道」という言葉を耳にするたびに、 人はどこか遠くにある目的地のことを、
その道が到り着く先を考えはじめる。
いいや、タオとは道のことだが、目的地とは関係がない。
では、それは何を意味しているのだろう?
それは"ものごとのありよう"を意味している。
それはたんにものごとのありよう、すでにあるもの、 そうであるところのもの
を意味している。
達成しなければならないものなど何もない。
すべてはあなたの上に降り注いでいる。
ただ今ここにあって、祝うがいい。
私にとって宗教とは祝祭だ。
だが、タオのような単純シンプルな現象を好まない人々がいる。
彼らの自我エゴは手ごたえがないので物足りなく思う。
彼らはいつもけわしい道に興味をもつ。
彼らはいつも困難なものに興味をもつ。
困難なことがなかったら、 彼らはそれをつくりだす。
彼らはものごとをあっさり行なうことができない。
彼らは 単純であることが苦手だが、 単純であることが、神のなかにある唯一
の道だ。
神とは単純さ、天真爛漫さだ。
神はバラの茂みやマンゴーの林から聞えてくるカッコウの鳴き声と同じくらい
単純だ。
神は少女たちのくすくす笑いと同じくらい単純だ。
神は樹から舞い落ちる木の葉と同じくらい単純だ。
神は松の老木を吹き抜けてゆく風と同じくらい単純だ。
だが、神がそのように単純であることを好まない人々がいる。
そういった人々が神学をつくりだす。
そういった人々が神にまつわる難解で、抽象的な空論をつくりだし、 ものごと
全体をほとんど理解できないようなむずかしいものにしてしまう。
だが、神はひじょうに単純だ。
古池やかわず飛び込む、ポチャン!
そう、神はそれに似ている…… それをしっかりこころに刻んでおきなさい。
あなたの自我が策を弄しはじめるからだ。
人々はそのようにしてタオの単純な道を取り逃がしている。
キリスト教には実に多くの信者がいる。
仏教には数多くの信者がいる。
イスラム教には数多くの信者がいる。
だが、タオは今だに教団ではない。
タオが教団だったことはないし、組織になったことは一度もない。
個人が存在し、 個人がそれに従い、 個人がそれを通して成就して きたがそれ
はけっして大衆の道にはならなかった。
なぜか?
それはタオが 自我の流儀を落とす用意ができている者たち、 子どものように
単純で、天真爛漫になることができる者たち だけに開かれているからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
565
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/24(金) 23:32:56 ID:1d4drIFg0
老子や荘子の教えは道家と呼ばれるのじゃ。
道教とは違うものじゃ。
道教がそれを勝手に取り入れて老子や荘子を仙人の一人としているだけなのじゃ。
老荘の教えは常にそれを理解できる者だけのものなのじゃ。
566
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/24(金) 23:38:02 ID:LC3de7YgO
>>565
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ
567
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/25(土) 00:03:13 ID:LC3de7YgO
>>564
59黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
問題のむずかしい面だけを見ようとする者たちがいる。
彼らの目には単純な解決方法は映らないし、いつも 最も複雑なやり方を考えな
ければならない。
それで思い出したが、ある若者がニューポートにある高級な会員制のカントリ
ー クラブに入会を申し込んでいた。
ごく控えめで風采のあがらないこの若者は、 入会を許可されるためにはクラブ
の審査員とゴルフを一ラウンドやらなければ ならないと告げられた。
約束の日の午後、彼は最初のティーグラウンドでホッケーの棒や、クリケット
の つちや、ビリヤードのキューをもって審査員たちと出会った。
審査員たちは胡散 臭そうな目でじろじろと眺めたが、それでも球を打ちはじめ
た。
驚いたことに、 若者はホッケーの棒を手に取ると平然と二百七十五ヤードをか
っ飛ばし、続いて クリケットのつちで打ったセコンドショットはみごとな弧を
描いてグリーンに オンした。
そして彼はビリヤードのキューで二十フィートのパットを沈めた。
途方に暮れる審査員をアンダーパー六十八で散々にやっつけたあと、若者は彼
ら とともにクラブ・バーに向かった。
彼はスコッチとソーダを注文したが、注文の品がくると、ショットグラスの中
身を自分の肩ごしにカウンターの上に置いて あるソーダのなかへひょいと投げ
込んで、それらを混ぜた。
この若者のしなやか な身のこなしの芸当を見せつけられて、クラブの審査員は
再び唖然とした。
「実にあざやかなお手並みだねぇ!」と彼らは叫んだ。
「あなたのすばらしい 才能はどこから降って湧いたのですか?」
「生まれてこのかた」と若者は説明 した。
「どんな運動も僕にとっては子どもの遊びのようなものだったんだ。何 でもす
ぐにできてしまい退屈で仕方ないから、何をするにつけても、一番むずか しい
やり方でやるようにしてるんだ。ピンポンのラケットでテニスをしたり、 テニ
スのラケットでピンポンをしたりしてね……」
「ちょっと待ってくださいよ」とクラブの審査員のひとりが口をはさんだ。
「もしあなたの言うことが本当で、どんな運動でも一番むずかしいやり方で やるというのなら、ひとつ質問があるんです
よ……」
「わかってますよ」と 若者は微笑みながら言った。
「みんな同じことを尋ねるんです。いいですよ、 教えてあげましょう――ハン
モックの上で立ちあがることについてでしょう?」
これが自我エゴのやり方だ。
タオは単純シンプルだ、単純そのものだ。
ハンモックの上で立ちあがらなくてもいい。
タオに関する最も基本的なことがらは、 それは子どもの遊びのようなものだ
ということだ。
だが、子どものようになることは人々には不可能に近いことのようだ。
誰が子どものようになりたがるだろう?
イエスは「幼子のようにならないかぎり、私の神の王国には入れない」と言う
。
だが、誰も子どものようにはなりたがらないようだ。
私たちの悲劇はそこにある。
私たちは何日間もタオの世界の奥深くに分け入ってきた。
今日で経文は終わり、呂祖師の言葉もこれが最後だ。
これらは単純だ。
それらを理解するには単純でなければならない。
そこには大した知識は含まれていないが、 紛れもなく多くの洞察が含まれてい
る。
それらはあなたを物知りにさせたりはしない。
むしろ逆にすべての知識を取り去って、 あなたを無知にする。
だが、もし無知になれたなら、 勇気を奮い起こして知識をすべて落とすこと
ができたなら、 無知な状態のまま生きてゆくことができたなら、 人と神のあい
だの障壁がなくなり、 人と<存在>のあいだの障壁がなくなる。
知識は障壁をつくりだす。
アダムがエデンの園から追放されたのは、 知識の樹の実を食べてしまったから
だ。
その実を吐きださなければならない。
ひとたび知識が吐きだされたら、 あなたは清浄になる。
そしてその清らかさのなかで、 すべてのものが手に入るようになる。
あらゆるものがすでに待ち受けている。
ただあなたが汚れ、知識でいっぱいになっているために、 それを見ることがで
きないだけだ。
さて、経文だ――
タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、 相反する二つの存在原理――
闇と光、陰と陽を生みだす。
陰からは受容的な女性原理が現れ、 陽からは創造的な男性原理が現れる。
陰からは生命が現れ、 陽からは本性が現れる。
これが『黄金の華の秘密』の最後の章句だ。
あなたが覚えておけるように、
論書のすべてがここに要約されている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
568
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/25(土) 23:50:12 ID:1d4drIFg0
>>566
どういたしまして、またおいでなさい。
タオでは質朴であることが尊ばれるのじゃ。
多くの知識や才能を発揮することはよくないというのじゃ。
むしろ何の飾りも無く、無能であることが本質に近いというのじゃ。
そうであれば全ての競争から離脱し、タオに合一するというのじゃ。
569
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/26(日) 09:56:53 ID:LC3de7YgO
>>567
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、 相反する二つの存在原理――
闇と光、陰と陽を生みだす。
まず、タオとは何か?
あるがままのもの、名もなく、制約もない、ただあるがままのもののことだ。
それはいっさいのものを包含している。
それは樹や星を包み込み、あなたや私や動物や鳥たちを包み込んでいる。
それは森羅万象のすべてを包み込んでいる。
そしてあるがままのものはこれから存在するいっさいのものを含んでいる。
タオを言葉にすることができないのは、それがいっさいのものを包含している
からだ――
あらゆるものを包み込める言葉はない。
言葉の目的そのものが区分を示すことにある。
言葉の目的そのものが類別することにある。
テーブルはテーブルであって椅子ではない。
椅子は椅子であって犬ではない。
犬は犬であって人間ではない。
言葉はそのまわりに明確な境界があってはじめて意味をもつ。
それは他のあらゆるものを締め出してしまう。
それはちっぽけなものだけを内包して、存在全体を締め出してしまう。
タオは万物を内包して、何も締め出すことがない。
タオを言葉にすることができないのはそのためだ。
タオは、示すことはできるが言い表すことはできない。
タオの人のなかに入ってゆくことができ、タオの人を自分のなかに入ってこさ
せる用意ができているなら、彼はその味をあなたに味あわせることができる。
タオの人は一瞥いちべつを与えることが――包み隠さぬ<存在>の全容を閃光の
ように垣間見させることができる。
だが、あなたは怯えてしまうかもしれない。
大いなる歌『バガヴァッド・ギータ』のなかで起こったことはそれだ。
弟子のアルジュナは師であり、友であり、導き手であるクリシュナに尋ねた。
「あなたは深遠なことを語られます。
あなたは実に巧みに論じられます。
あなたの言葉には強い説得力がありますが、私の胸の奥深くにはまだ疑いが
残っています。
それはあなたがおっしゃることを私自身がまだ体験していないからです。
なぜその一瞥を与えてくださらないのですか?
ほんのちょっと味わうだけでいいのです。
いつまでも議論を続けてもしかたありません。
どんなに論をつくしてもしかたありません。
ほんのすこしでも味わえば、私は納得し、疑いは消え去るでしょう」
クリシュナは「いいだろう」と言った。
そして師と弟子のあいだに起こった最も美しい物語のひとつが生まれた。
クリシュナの身体はみるみる大きくなり、無限大に広がると、世界が彼のなか
で巡りはじめた。
アルジュナは恐れおののいた。
クリシュナには無数の手があり、全ての星とすべての惑星が彼のなかにあった
。
生と死が彼のなかにあり、彼のなかですべての両極が出会い溶け合っていた。
それは混沌カオスだった。
アルジュナは自分の気がふれてしまったのではないかと思った。
彼はおののきのあまり目をつぶり、悲鳴をあげ、「元にもどってください!二
本の腕をもったふだんのあなたの姿にもどってください。もう一度私の懐かし
い友にもどってください。これはあんまりです!」と叫んだ。
クリシュナは元にもどると、こう言った。
「こうなることはわかっていた。おまえには全体の姿を味わう用意がまだでき
ていない」
全体の姿はあなたを震撼させる。
その広大無辺な姿はあなたを震撼させ、あなたの正気を奪ってしまう。
それは奈落であり、あなたはシャボン玉のようにその奈落のなかに消えてゆく
。
それはあまりに広大なので、あなたは自分が誰なのかまったく識別できなくな
ってしまう。
アルジュナに起こったことはそれだ。彼は言った。
「おっしゃる通りです。私は死んでゆくような感じがしました。
あるいは自分が狂ってゆくような感じが、またはすでにおかしくなっているよ
うな気がしました。
本来の姿にもどってくださって感謝します」
するとクリシュナは言った。
「これは私の本来の姿ではない、あれが私の本来の姿なのだ」
タオは無限だ。
タオは全体なるものだ。
タオとは森羅万象のすべてであり、それゆえに言葉で表すことはできない。
だが、師と弟子が親密に触れ合うなかで、その何かが脈動をはじめる。
あなたが<全体>に呼応できるようになり、分離したものとしては働かなくなり、
しばらくのあいだ分離の観念が消えて、ひとつにまとまる瞬間がある。
しずくが海のなかに消え去ると――一瞬かもしれないが――あなたはタオとは
何かを知る。
だから、タオは言い表すことはできないが示すことはできる。
私がここでやっていることはそれだ。
ここは哲学を学ぶ場所ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
570
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/26(日) 23:01:53 ID:1d4drIFg0
全てであるものを現す言葉は無いのじゃ。
タオというのも仮に付けられた名前なのじゃ。
全てが一つならば一つですらないのじゃ。
一つとか二つというのはいくつもあるものごとにつけられた数字の観念であるからのう。
無であり、観念の否定でしか全ては表せないのじゃ。
571
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/26(日) 23:06:22 ID:LC3de7YgO
>>569
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
私はあなたがたにどんな哲学も教えてはいない。
これは実存的な道場スクールだ。
私はあるがままの<存在>を教えている。
そして<存在>はすでにここにある。
もう少し勇気を出してみずからを開き、 それが入ってくるのを許せばいいだ
けだ。
それはあなたの扉を叩いている!
イエスは言う。
「叩きなさい、そうすれば扉は開かれる。
求めなさい、そうすればそれは与えられる。
探しなさい、そうすればそれは見つかる」
私はまったく逆のことをあなたがたに言いたい。
神はあなたの扉を叩いている。
何千年ものあいだ叩いてきた。
聴きなさい!
神が扉を叩いている……
扉を開けなさい。
耳を澄ましなさい!
神はあなたに
「みずからに課した牢獄から出てきなさい」 と言っている。
神はあなたを探している!
邪魔をしてはいけない!
神があなたを探すのを手伝いなさい!
神が探しているのにあなたは 逃げている、
何生にもわたって 逃げつつ゛けている。
惨めなくせに、それでもあなたは 逃げつつ゛けている。
そして神の手が近つ゛いてくると、 いつもあなたは身震いする。
だが、私にはわかっている。
その恐怖が起こるのも無理はない。
何が怖いのだろう?
それは神が存在するなら、 自分は存在しえないという恐怖だ。
フリードリッヒ・ニーチェは言っている。
「神が存在するなら、どうして私が存在しえるだろう?
だから私は"神は存在しない"と 決 め る 。
そうしてはじめて 私 があることができる」
何百万もの人々がそのように決めてしまっている。
彼らは自分が残るために神を否定してしまっている。
神が存在しなければ、 自我エゴにも存在する余地がある。
神が存在するなら、どのようにして 自我を支えればよいのだろう?
何によって?
あなたはもはやそこにいなくなる ――それが恐れだ。
神は自我の死だ。
タオを味わうことはできるし、 タオを体験することはできる。
だが、ある条件を満たさなければならない。
あなたはいかなる自我ももたないほど 素朴シンプルにならなければいけない。
"私"という思いが消えるほど 静かにならなければいけない。
タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、相反する二つの存在原理 ――
闇と光、陰と陽を生みだす。
一なるものが二になる――これは道家タオイストがものに取り組む姿勢のまさ
に基盤をなしている。
なぜなら、そこではじめて遊びが生まれるからだ。
ひとつのものは二つにならなければいけない。
そして二つのものは互いに対立しなければならない。
そうしてゲームがはじまる。
古代のヒンドゥー教の聖典は「神は独りだったので、深い孤独感を味わってい
た」と言う。
神は他者をつくることにした。
ヒンドゥー教徒が<存在>はリーラだ、遊戯だと言うのはそのためだ。
神はちょっとした楽しみのために他者をつくりだした。
タオはひとつだが、顕れるやいなや、それは二つにならなければいけない。
形あるものは二元的にならなければいけない。
それはけっしてひとつではなく、二つに――分裂して二つにならなければいけ
ない。
それは物質と意識に、男と女に、昼と夜に、生と死にならなければいけない。
この二つの原理は至るところで目にすることができる。
生は何から何までこの二つの原理で成り立っているが、その二つの原理の背後
には一なるものが隠されている。
この二元性、両極のあいだに巻き込まれたままでいるなら、あなたは世間にと
どまっている。
聡明になって、もう少し意識をとぎ澄まし、もっと深く事物の奥底をのぞき込
むようになったら、
あなたは驚くだろう――これらの両極は実は対立する極ではなく、互いに補い
合っている。
そしてこの両者の背後にはたったひとつのエネルギーがある
――それがタオだ。
タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、
相反する二つの存在原理――闇と光、陰と陽を生みだす。
陰からは受容的な女性原理が現れ、陽からは創造的な男性原理が現れる。
陰からは生命が現れ、陽からは本性が現れる。
基本的に、極性は男と女
――男性的なものと女性的なもの――と名つ゛けることができる。
そのように理解するほうが私たち人間の現実感覚に近い。
それは「肯定と否定」とよんでもいいが、それでは少し距離ができてしまう。
「陰と陽」「シヴァとシャクティ」
「男と女」と呼ぶことで、それは私たちのハートにとても近しいものとなる。
私たちはこういった二元性を知っているからだ。
男は女に惹きつけられ、女は男に惹きつけられる。
ところが一緒になると二人のあいだには喧嘩が絶えなくなる。
別れては暮らせないが、一緒になっても暮らせない。
とてつもない魅力があるが、反発も強烈だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
572
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/26(日) 23:08:29 ID:LC3de7YgO
>>570
空とかアートマンと同じ感じでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
573
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/27(月) 23:56:44 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、タオもまた観念を超えて行くための観念なのじゃ。
その名前によって定義されるものではなく、ただ無であり、沈黙がその教えとなるものなのじゃ。
自我を超えて観念に囚われなければそれに到達するのじゃ。
そして名前を超えたその本質を了解するのじゃ。
574
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/28(火) 01:05:46 ID:LC3de7YgO
>>571
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
恋人と一緒にいると、あなたはどうやって独りになろうかと考えはじめる。
あなたは自由のことを、独りになることを、美や静けさや、そういったすべて
のことを考えはじめる。
ところがいざ独りになると淋しくなって、相手が恋しくなり、愛に満ちた空間
や温もりやあれやこれやを思い浮かべるようになる。
独りになるとそばにいたくなり、一緒にいると独りになりたくなる。
見守ってみるといい。
それはあなたへのすばらしいメッセージだ。
それはただあなたは半分であり、女性も半分であることを告げている。
一緒になると、あなたがたはひとつになる。
だが、そうなると問題が生じてくる。
そのひとつになった瞬間、あなたがたは歓びにあふれ、祝い喜ぶが、 そうなる
と問題が生じてくる。
このひとつになった状態、これは 男のものだろうか女のものだろうか?
どちらが優先的な要素になるのだろう?
それが葛藤だ。
男と女はひとつになりたいのだが、 男はそのひとつの状態のなかで主導権をと
り、女を屈服させ、服従させておきたい。
そして同じ欲望が女の側からも起こる。
男のほうが屈服し、服従すべきだと。
どちらもひとつになりたいのだ が、そのひとつの状態は 私 の も の でなけ
ればならない。
私が男であれば、そのひとつの状態は男のものであり、 女は男のなかに消え去
らなければならない。
私が女であれば、そのひとつの状態は女のものであり、 男は女のなかに消え去
らなければならない。
葛藤、魅惑と反発、人生の悲喜劇のすべてはそこから起こってくる。
女性的な原理は受容的であり、男性的な原理は創造的だ。
そしてどちらも手を携えて進むしかない。
ばらばらでは、どちらもが苦しむことになる。
そうなったら女性には 受け取るものが何もなく、虚しい気持ちになる。
受け取ってくれる相手がいないと、 男性の創造性は失われてしまう。
その価値を認め、励ましてくれる人がいないからだ。
女性は受け取り、励まし、 男性が創造性を発揮するのを助けてくれる。
男性の創造性は 女性が受容性を深めるのを助けてくれる。
この女性の受容性はたんに生物的なものではなく、 霊的スピリチュアルなもの
でもある。
優れた詩人の背後にはいつも 霊感を与えてくれる女性の影が見え隠れする。
女性たちみずからが偉大な詩人だったことはない
――彼女たちにはその必要がない――
だが、 女性なくしては優れた詩はけっして生まれない。
女性は灯台の役目を果たす。
男たちは偉大な詩人ではあったが、女性が いなければ詩はたちまち精彩を失い
しぼんでしまう。
受容性と創造性は鳥の二つの翼だ。
未知なるものへと向かうこの飛翔は、 二つの翼があってはじめてなし遂げら
れる。
翼ひとつでは、鳥はどこにも行けない。
そしていいかね、創造性のほうが 受容性より価値があるというわけではない
――それらは等しい、完全に対等だ。
右の翼のほうが優れているとか、 左の翼のほうが優れているなど といったこ
とはけっしてありえない。
それらは対等だ。
同じではないが、対等だ。
今や女性のハートには創造的になりたい という大きな欲求があるが、それに
はある理由がある。
それは創造性が賛美されているからだ。
ノーベル賞は創造的な人にのみ与えられるものであり、 ごく奥ゆかしい受容性
を示す者たちには与えられない。
さあ、これは醜い状況であり、 創造的になりたいという強迫的な願望をつく
りだす。
なぜなら、受容的な人々はまったく称賛されず、 話題に取りあげられないから
だ。
だから世界中の女性たちが創造的になりたがっている
が、創造的になりたいと思ったとたんに、女性たちは 女らしさ、優美さを失い
はじめる。
女性はどんどん男っぽくなってゆく。
創造性というのは男性的な原理だからだ。 女性はどんどんきつくなってゆく。
彼女はやわらかさ、まろやかさを失い、 ごつごつとしたかどをもち、 闘いは
じめるようになる。
ウーマンリブの活動家が怒鳴っているさまを見てみるといい。
その声を張りあげている様は醜い。
彼女たちの闘いが正しいことはわかるが、 闘うというのは女性にふさわしい道
ではない!
闘いそのものが女らしさを破壊してしまう。
それは違う形で行なわれなければならない。
実のところ、男が女性の平等のために闘うべきだ。
理解力をそなえた人、思慮深い人、知性をそなえた人が、 女性の解放を目指し
た男性の運動をつくりだすべきなのだ。
彼らが闘うべきだ!
それは男が女に押しつけてきた隷属だ―― 男たちはやましさを感じるべきであ
り、 自分たちがやったことをすべて元にもどすべきだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
575
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/29(水) 07:47:16 ID:LC3de7YgO
>>574
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
だが、女性が闘いはじめたら―― そして、そうなれば当然、彼女たちは創造
的になって、 絵を描いたり、踊ったり、歌ったり、彫刻をしたり、 作曲をした
りすることを考えはじめる――
彼女は無意識のうちに男のまねをしている。
だが、覚えておきなさい―― 男のまねをする女はつねに二流の男になってし
まう。
それは醜いことだ。
対等であろうとする努力そのものが無駄になってしまう。
女性は一流の女性にしかなれない。
男になろうとすれば、二流の男になる他にない。
男が受容的になろうとしても同じことが起こる。
男は女性がそなえている自然な受容性をもつことができない。
彼は二流の女性になってしまう。
一流であるためには、 みずからの本性に従わなければならない。
けっしてまねをしてはいけない。
みずからの内にある本性に従いなさい。
みずからの内に備わっている本性に従いなさい。
その本性が実現されてはじめて、人は 至福、成就、充足の境地に到り着くか
らだ。
女性は生命、いわゆる生命、 普遍的な現象としての生命を生みだす。
男、すなわち男性的な要素は、人間性を生みだす。
男は部分的であり、女は普遍的だ。
男はものごとの細部にこだわる。
男は専門家になる。だから 男性が主導権を握っている分野はみな、 遅かれ早
かれ細分化してゆくことになる。
科学ではまさにそれが起こっている。
あらゆるものが徐々に細分化されて新しい枝を生じ、 その枝がまた分岐して、
今やことのすべてが 収拾のつかないものになっている。
男はたくさんの知識をつくりだし、 細部にこだわってきたが、今やその知識
から 全体像を組み立てる者はひとりもいない。
どうやって全体をまとめたらいいのか誰にもわからない。
その統合は男性ではなく、 女性を通してはじめて起こりうる。
なぜなら、女性は ものごとを普遍化する原理だからだ。
男性は切り分け、女性はまとめあげる。
それゆえに、女性のほうが男性よりも 宗教を身近なものに感じるし、つねに
男性よりも 宗教に親しみを覚えてきた。
あなたはその事実を観察したことがないかもしれない。
根本的なことは、宗教は 一なるもの、全体性、全一性 という見地でものをと
らえるということだ。
まさにそれがタオだ。 「神」と呼んでもいいし、好きな名前で呼べばいい。
科学は解剖し、分割しつつ゛け、電子、最小の粒子に逢着した。
両者はまったく正反対の方法だ。
宗教はどんどんものをつなぎ合わせていって、 すべてを包含する究極のタオに
到る。
それは究極の統合ユニティだ。
科学はとめどなく分割を続け、ますます専門化してゆく。
彼らによれば、専門化とはより狭い対象に関して、 より多くのことを知ること
だと言う。
聞いた話だが…… 二十五世紀のことだ…ある男が医者を尋ねた。
彼は高齢で、目の調子がおかしかった。
医者は「どちらの目が悪いんですか?」と尋ねた。
すると彼は言った。「右目じゃよ」
医者は言った。「すみませんが、別の医者のところへ行ってください。 私は左
目が専門なものですから」
いずれこういったことが起こるだろう。
それはすでに起こっている。
人間はもはやひとつの統合体ユニティとは見なされていない。
おびただしい数の専門家がいる。
誰も人間を 全体として、全一なるものとしてとらえていない。
それは医学が直面しつつある、医学が目を背けず直視して、 解決策を見いださ
なければならない最大の課題のひとつだ。
なぜなら、患者はひとつの統合体とは見なされていないからだ。
頭の調子が悪ければ、全体から切り離して頭だけが取りあげられる。
アスピリンか何か、ただ薬をちょっと与えるだけでいい。
誰も身体全体のことなど気にかけない。
アスピリンはまず胃にゆき、じかに頭に向かうわけではない。
胃はどうなるのだろう?そんなことは誰も気にとめない。
人間は統合体ユニティだ。
人間を機械のように扱うことはできない。
車の具合がおかしければ、修理工場に行って、部品を交換する。
機械には魂がなく、部品を寄せ集めたものにすぎないからだ。
では、魂とは、何だろう?
魂とは部品の寄せ集め以上のものが そこにあるということだ。
その背後には統合体がある。
現代の医学の前にはこの事実が大きく立ちはだかっている。
なぜなら、これらの科学はどれも男たちが発展させてきたものだからだ。
女性からの影響が欠けている。
女性はつねに普遍化する。
彼女は統合的な見地でものをとらえ、 部分的な見地ではけっしてものをとら
えない。
女性はけっして緻密な計算をしたりしない。それはありえない。
女性は、つねに包括的ホーリスティックな 姿勢でものごとに取り組む。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
576
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/29(水) 23:48:30 ID:LC3de7YgO
>>575
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
二十五世紀前に記されたこの言辞 が意味するものはそれだ。
それは現代にも響き合う。
タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、 相反する二つの存在原理――
闇と光、陰と陽を生みだす。
陰からは受容的な女性原理が現れ、陽からは創造的な男性原理が現れる。
陰からは生命が現れ、陽からは本性が現れる。
ひとりひとりの人間のなかには胚胞があるが、 それは受胎の瞬間に命と本性に
分かれる。
人はみな単一の存在、一なるものとしてやってきて、そののちに分裂する。
それはプリズムを通過した光線が七色に分かれるのに似ている。
受胎がプリズムのような働きをして、
ひとつの白い光線が七色に分かれる。
一なるタオは分裂して
二つの相反する極――男と女になる。
いいかね、どの男もたんに男というのではなく、その背後には、彼のなかには
女が隠れている。
女の場合も同じだ。
どちらも両方の性を備えている。
顕在意識が男であれば、無意識は女だ。
顕在意識が女であれば、無意識は男だ。
それはそのようになっている。
そして外側の女性や男性と出会いたいという欲望はかなえられることがない――
内なる男性と内なる女性を出会わせるすべを知らないかぎりは。
外側の女性はいくつかの出会いの一瞥いちべつを与えることしかできない。
それは美しい瞬間ではあるが、大きな代価を払わねばならない。
恋人たちはみな知っている――確かに忘我の瞬間がときにはあるが、それを得
るためには大きな代価を払わねばならない。
みずからの自由を失わなければならないし、
みずからの実存を失わなければならないし、
依存するようにならなければいけない。
人はありとあらゆる妥協をしなければならなくなり、それが傷となって、うずく。
外側の女性や男性との出会いはつかの間のものでしかありえない。
だが、別の出会いがある。
それはタオの秘められたメッセージのひとつだ。
あなたは内なる女性を見いだすことができる――
あなたの意識と無意識が出会い、
あなたの光と闇が出会い、
あなたの大地と空が出会い、
あなたの肯定と否定が出会う場所で。
あなたの内側でその出会いが起こったら、
あなたは全体になっている。
「タオの人」と呼ばれているのはこのことだ。
タオの人は男でもなければ女でもない。
彼はみずからの一なる状態に帰り着いている。
彼は独り(alone)であり、完全にひとつ(all alone)だ。
老子は男とも呼べないし女とも呼べない。
仏陀は男とも呼べないし女とも呼べない。
イエスは男とも呼べないし女とも呼べない。
生物学的には男だが、 霊的な観点から見るとそうではない。
霊性のうえでは、彼らは両者を超えている。
仏陀の内側には無意識がなく、 分割がない。
彼は 分割されていない。
分割がなくなると、内なる葛藤はすべてやんでしまう。
分割があると、人は 絶 え ざ る 内乱状態にあり、 外側の女性と争うだけで
なく、内なる女性とも 絶えず闘いつつ゛けることになる。
あなたも身に覚えがあるだろう。
泣き出したくなる瞬間がやってきても、内なる女性は涙を流すことをためら
わないが、 男のほうがそれを止めてしまう。
内なる男が言う。
「おい、何をやってんだ?気は確かかい?他人に女々しくなったと思われるぞ。
泣いてはいけない!君のような男にはふさわしくないぞ。女が泣くのは かま
わない、好きなだけ泣きわめかせておけばいい。でも、君は表情を変えず、厳
しく 、いかめしい態度を取り、弱みを見せてはいけない。涙を押さえるんだ!」
こうして闘いがはじまる。
同じことが女性にも起こる。
あなたは樹に登りたい。その樹はとても美しく、 雲と戯れんばかりに高くそび
えている。
誰だって登りたくなる。
ところが、あなたの内なる女性が言う。
「待って!登ってもいいのは男の人だけよ、 あなたはだめ。あなたは女でしょ
う。女にとって何がふさわしく、何がふさわしくない か考えなきゃだめよ。
一定の行儀作法、エチケットに従わなきゃいけないわ」
――そこであなたは我慢する。
これが絶え間なくつつ゛いてゆく。
男は女の側面を抑え、女は男の側面を抑えてゆくが、 やがて抑圧された部分が
微妙な仕方で復讐をはじめる。
それは裏口から入ってきて、あなたを毒するようになる。
女性が非常にかたくなで、冷酷になり、小言を言って、くってかかり 、醜くな
る瞬間があるが、それは男が復讐しているということだ。
樹に登ることはきっとすばらしいことだったのに、 あなたはそれを抑え込ん
だ。
今度は男が裏口から入ってきて、あなたは 夫や子どもに向かって金切り声を張
りあげたり 、ものを投げつけたりしはじめる。
さあ、これは醜いことであり、病的な振る舞いだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
577
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/29(水) 23:52:22 ID:1d4drIFg0
女性的であるもの、受動性の極致がタオの求める境地なのじゃ。
それは既に無我にも近いものじゃ。
自我が無ければ全てを受け容れるのであるからのう。
それが真の宗教的なあり方なのじゃ。
578
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/31(金) 05:14:38 ID:LC3de7YgO
>>576
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
泣けばよかったのだ。
涙は生の一部だから美しい。
泣けばよかったのだ。
その涙を隠す必要などなかった。
涙を隠せば、笑うこともできなくなる。
あなたはいつも恐れるようになる――
笑い過ぎたら、笑いによって緊張がすっかり解けて、 抑圧された涙がこみあげ
てくるかもしれない。
ニーチェは「私が笑うのは涙を隠しておくためだ。笑わなければ 泣きだしてし
まうかもしれない。私はそれを恐れる」と言った。
さあ、これはひとつの面にすぎない。
人は微笑みを絶やさずにいることができる。
それは本当の笑いではない。
人は微笑みを絶やさずにいることができる――それは社交上の駆け引きだ。
そうすれば目から涙があふれそう になっているのを誰にも気つ゛かれないで
すむ。
人々はあなたの微笑みに気を取られてしまい、あなたの目には気つ゛かない。
これはひとつの方法だ。
もうひとつは笑うどころか、微笑さえ浮かべず、岩のように固い表情をすると
いう やり方だ。
他人には鋼鉄の男だと思わせておけばよい。
これが「スターリン」という 言葉の意味だ――鋼鉄の男。
スターリンは一度も笑わなかったと伝えられている。
鋼鉄の男――その彼がどうして笑えるだろう?
鋼鉄の男は笑えない。
だが、これは醜いことであり、機械のようになることだ。
それでは人間らしさを失ってしまう。
人は偽物、まがいものになるか、岩のようにかたくなり、 堅い殻をつくりあげ
て、絶えず自分を抑制していなければならない。
タオは、みずからの実存の両極を否定する必要はないと言う。
それを受け容れなさい。 それはあなただ! そのどちらの光線もあなただ。
それらを出会わせ、融け合わさせなさい!
それらをともに踊らせなさい!
再び一なるもの―― タオ、分割されざるもの、大いなる一者―― の洞察を
得ることができるように、 それらを深く融合させなさい。
個々の人間のなかで、それらは二つの極――アニマとアニムスによって表される。 この二つは生涯にわたって争い、主導権を求めて闘いをくり広げる。
主導権を求めて闘うのを止めなさい!
それはあなたの内なる政争だ。
どちらもけっして主導権をとることはできない。
どちらも必要であり、対等に求められる。
それらは正反対なので、
両者を受け容れるのはひじょうにむずかしい――論理の上では
両者を受け容れるのはひじょうにむずかしいが、それでも両方を受け容れなさ
い。
論理は生には当てはまらない。
生にもっと当てはまるのは、弁証法として知られるものだ。
論理は生には当てはまらない。論理は直線的だ。それは両極を含んでいない。
タオは「両極はつねにそこにあり、並んで走っている」と言う。
そのプロセスは論理的ではなく弁証法的だ。
正の命題テーゼには、反の命題アンチテーゼが立ちはだかる。
男には女が立ちはだかり、この対立、この葛藤、この挑戦から、エネルギーが
解き放たれる。
そして、そのエネルギーは、あなたが愚か者なら浪費されるし、あなたが賢け
れば蓄えられる。
浪費されれば、あなたは絶え間のない葛藤、内乱を味わい続けることになる。
あなたの生は分裂症になってしまう。
あるいは、あなたが知性をそなえ、親しみを込めた深い抱擁のなかで相反する
ものを包含するすべを知っていたなら、 反の命題に対立した正の命題は、 あな
たの実存のなかに新しい現象 ――"合の命題ジンテーゼ(統合)"を生みだす。
あなたはより高い次元に上昇する。
あなたはより深い形で統合される。
そして再びその合の命題が 正の命題として働いて、 反の命題を生み出し、
再びより高い次元で合の命題(統合)が生まれる。
それがどこまでも続いてゆき、 波の上に波が重なり、 どんどん高まってゆ
く。
続々と新たな次元が開かれ、 人は進み続けることができる。
究極の次元は、あなたの生の全面的な統合だ。
いっさいの葛藤が消え失せる―― 落とそうとしなくても、 ひとりでに消え失
せる。
これがタオ、<道>、 分割されざるもの、 大いなる一者だ。
生命エネルギーが下方に向かって流れれば、すなわち、何の障害もなく外界に
向かって 流れ出せば、アニマがアニムスに打ち勝ち、黄金の華は開かない。
エネルギーが下へ、すなわち外に向かって流れると、
再び同じものを生みだす力、生殖力になる。
それは大いなる現象だ!
あなたはそのようにして生まれた。
誰もが――仏陀やイエスやクリシュナのような人たちもみなそのようにして生
まれた。
エネルギーが下に向かって流れると、それは新しい人間を、神が宿る新しい形
をつくりだす。
だが、黄金の華は開かない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
579
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/05/31(金) 23:01:58 ID:1d4drIFg0
タオもまた分割されていないものを説くのじゃ。
統一されたものであり、気付く意識であるものに心の中を追求して至るのじゃ。
全てが私に還り、私も無に還っていくのじゃ。
アートマンであり、ブラフマンであり、タオでり、意識であるものだけが在ると知れるのじゃ。
580
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/31(金) 23:31:05 ID:LC3de7YgO
>>578
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
あなたは別の人間――子ども、すばらしい子どもをつくりだす。
生は続き、生は流転を続け、どこまでも流れ続けるが、それでは黄金の華は開
花することができない。
黄金の華はどのようにして花開くのだろう?
生命エネルギーが逆流のプロセスによって導かれたら、 すなわち蓄えられ、散
らされずに上昇させられたなら、 アニムスが勝利をおさめている。
可能性は二つある。
下に向かって流れるエネルギーは性欲になり、
上に向かって流れるエネルギーは霊性になる。
下に向かって流れるエネルギーは生殖力になり、
上に向かって流れるエネルギーは創造力になる。
下に向かって流れるエネルギーは新しい生命を生みだし、
上に向かって流れるエネルギーは あ な た を再誕生させる。
イエスが「再び生まれ変わらないかぎり」――父や母からではなく、
みずから上昇する働きによって生まれないかぎり、
ドウィジャ、"二度生まれし者"とならないかぎり
――「私の神の王国に入ることはできない」と言うとき、
彼が言おうとしているのはそのことだ。
黄金の華は、あなたの実存の最高の頂で待ち受けている。
ヨーガの見取り図では、それは「サハスラーラ」
―― 一千枚の花弁をもつ蓮華 ――と呼ばれている。
それは第七番目のチャクラであり、頭のなかにある。
最も低いのは性のチャクラ、ムラダーラであり、
最も高いのは第七のチャクラ、サハスラーラだ。
エネルギーがいちばん低いチャクラから下降すると、新しい生命が生まれる。
エネルギーが蓄えられ、上昇させられると、いつかそれはサハスラーラに達し、
そして黄金の華が花開く。
もちろん、それにはエネルギーが必要だ。
それはひとつの可能性として、潜在力として、そこに潜んでいるにすぎない。
エネルギーが供給されないかぎり、それは開花することができない。
それは樹に水をやらないのと同じだ。
樹は待ち望んでいるのに、水をもらえない。
樹液は上に向かって流れてゆかない。
どうして数限りない花を咲かせることができるだろう?
できるはずがない。
樹は苦しみ続け、ほとんど枯れそうになっている。
樹はゆっくりと死んでゆくだろう。
葉も一枚ずつしおれてゆき、やがて枝が枯れてゆき、最後には根が死んでゆく。
樹には絶えず上に向かって流れてゆくエネルギーが必要だ。
樹液は樹のなかを巡るが、人間もまた樹になぞらえることができる。
そして人間を樹になぞらえる私の比喩は新しいものではない。
それは最古の象徴のひとつだ。
それはユダヤ教の神秘的な流派スクールのなかで用いられてきた。
それは「生命の樹」と呼ばれる。
仏教が禅においてその頂点を極め、イスラム教がスーフィ―においてその絶頂
に達したように、ユダヤ教はカバラにおいてその究極の頂に到達した。
カバラは「人間は樹であり、花を咲かせるためには膨大なエネルギーが必要だ」
と言う。
だが、エネルギーを蓄えるということは、エネルギーを抑えることではないと
いうことを覚えておきなさい。
多くの人々がここで道を誤ってしまう。
エネルギーを蓄えることは、エネルギーを抑えることではない。
そのプロセスはまったく違う。
抑圧するということは、最も低いセンターを絶えず抑えつけているということ
だ。
最も低いセンターを抑圧し過ぎると、性の倒錯が起こる。
それが自然に解放されるのを許さず、いちばん低いセンターにエネルギーが溜
まり過ぎると、それはなんらかのはけ口を見いだして性的な倒錯を引き起こす
恐れがある。
それは必ず倒錯を引き起こす!
それは病気をつくりだす。
精神科医、心理学者、精神分析家に尋ねてみるといい。
彼らは「心理的な病が百例あるなら、そのうちの九十五パーセントはセックス
に起因している。どこかでセックスが関連している」と言うだろう。
九十五パーセントというのはかなりの数だ。
そして精神科医や精神分析家のもとを一度も尋ねたことがない人たちもけっし
てましな立場にいるわけではない。
誰もが抑圧されている。
抑圧は変容ではない。
このことをはっきりと理解しておきなさい!
抑圧が変容に通じることは絶対にありえない。
では、変容とは何だろう?
そしてエネルギーの蓄積とは何だろう?
エネルギーを蓄えるというのが 瞑想的なプロセスだ。
それは道徳家になることではない。
私はこのうえもない助けとなる ささやかな技法をやってみることを勧める。
それは昔からずっと道家の人々によって用いられてきた。
それは師から弟子にのみ伝えられてきたものであり、
それゆえに書物に記されたことはなかった。
だが、今や公開されるべき時がきた。
なぜなら、今や何百万もの人々が 書物を通して霊的な探求に取り組んでいる
からだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
581
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/01(土) 13:15:51 ID:LC3de7YgO
>>580
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
師はいつも得られるものではない。
これはあなたのエネルギーを変容させ、 上に導いてゆくための単純な技法だ。
そしていつも覚えておきなさい――道家の技法はごく単純だが、 「こんなに単
純なことが、どうしてそんなに大切なのだろう?」 などと思わないように。
それを実際に行ない、 試してみれば、あなたにもわかるだろう。
これがそのやり方だ……
少なくとも一日に二度は―― 最良の時間は早朝、ベッドから出る直前だ。
頭がはっきりし、目が覚めてきたと感じたら、二十分間それをやりなさい。
朝、何よりもまず最初にそれをやりなさい!
ベッドから出てはいけない。
そこでそれをやりなさい。
その場でただちにやりなさい!
なぜなら、眠りから出てこようとしているとき、 あなたはひじょうに繊細で、
受容的になっているからだ。
眠りから出てこようとしているとき、あなたは すがすがしく、いきいきとして
いるから、 影響はひじょうに深く浸透してゆく。
眠りから覚めたばかりのとき、あなたは あまり頭マインドのなかにいない。
だからすきまギャップがそこにあり、そこから この技法があなたの内奥の核ま
で 浸透してゆくことができる。
そして早朝、あなたが目覚めようとし、大地全体が目覚めつつあるときには、
大いなる覚醒のエネルギーの潮流うしおが 至るところを取り巻いている。
その潮流を使いなさい。
その機会を逃がしてはいけない。
古代の宗教はみな、早朝、 日が昇るときに祈りを捧げたものだ。
なぜなら、日の出とともに、大自然の すべてのエネルギーが上昇してゆくか
らだ。
その瞬間、あなたは上昇してゆく エネルギーの波に楽々と乗ることができる。
そのほうがやさしい。
夕方になると、それはむずかしくなる。
エネルギーが後退してゆくので、流れに 逆らって闘わなければならなくなる
。
朝のうちは流れとともに進んでゆくことができる。
だから、早朝、半睡状態でまどろんでいるとき、 ただちにその場ではじめるの
がいちばんいい。
そして手順はとても簡単だ。
姿勢を変える必要はないし、ヨガアーサナもいらない。
沐浴しなくてもいいし、何もいらない。
あなたは仰向けになったまま、 ただベッドに横たわっていればいい。
目は閉じたままにしておく。
息を吸うときには、大いなる光が頭から 入って来るようにまざまざと思い浮
かべる―― まるで太陽が頭のすぐそばに昇ってきたかのように。
黄金の光があなたの頭のなかに差し込んでくる。
あなたは中空であり、 黄金の光はあなたの頭のなかに差し込んできて、 どん
どん深く深く浸透し、芯までうるおすと、 あなたの爪先から出てゆく。
息を吸うときには、このような 視覚化をしながら吸いなさい。
息を吐くときには、別のことを思い浮かべなさい――
闇が爪先から入って来る、暗黒の大河が爪先から 入ってきて、上に昇り、頭か
ら出てゆく。
まざまざと思い浮かべることができるよう に、ゆっくりと、深く息をするがい
い。
ごくゆっくりとやりなさい。
眠りから覚めたばかりのときは、 ひじょうに深い、ゆったりとした 呼吸をす
ることができる。
身体が休息を取り、くつろいでいるからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
582
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/01(土) 13:23:59 ID:LC3de7YgO
>>581
いよいよ、あと一回で「黄金の華の秘密」も終りである。
講読会で取り上げてきた書物は読み流すことのできないものばかりであるが、
そこで語られてる言葉は、実践が通して実感できなければ意味のない言葉なのでありまましょう。
実践としてくまは、できるだけ常に意識を内側にむけるようにしているであります。
(´・(ェ)・`)つ
583
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/01(土) 23:46:46 ID:LC3de7YgO
>>581
61黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
もう一度くり返そう―― 息を吸うときには、黄金の光を 頭から入ってこさせ
るようにする。
黄金の華はそこで待ち受けているからだ。 この黄金の光は助けになる。
それは全身を洗い清め、創造力を すみずみにまでゆき渡らせる。
これは男性的なエネルギーだ。
そして息を吐くときには、想像しうる最も 暗い闇を、闇夜のような、川のよ
うな 暗闇を爪先から昇らせ――
これは女性的なエネルギーであり、 あなたをなだめ、 あなたを受容的にさ
せ、 あなたを落ち着かせ、 あなたを休ませる――
そして頭から出てゆかせなさい。
そして再び息を吸い、黄金の光を入ってこさせる。
朝早く、これを二十分間やりなさい。
次によい時間は、夜、再び眠りにつくときだ。
ベッドに横になり、しばらく力を脱いてくつろぐ。
今や眠りと目覚めのあいだを行ったり来たりしている。
ちょうどその只なかにいると感じはじめたら、 プロセスを再び開始して、二十
分間続けなさい。
それをやりながら眠ってしまうのがいちばんいい。
なぜなら、その影響は潜在意識のなかに とどまり、作用しつつ゛けるからだ
。
三ヶ月経つと、あなたは驚くことだろう。
ムラダーラ、最も低い性の中枢に絶えず集まってきていた エネルギーは、もは
やそこにとどまってはいない。
それは上に向かってゆく。
先日、ある人が質問をよこした。
彼はこう言っている。
「私はここで、他のどこでも見かけたことがないほどの 飛びっきりの美人に会
いましたが、性的な匂いは少しも感じません」
どうしてそうなるのだろう?
確かに彼の観察は正しい。
深く瞑想すれば、あなたは 性的な香りをふりまかなくなる。
そこには違う種類の美がそなわる ようになり、性を刺激するものではなくなる
。
それは霊性の香りを放つようになる。
それは情欲の粗雑さではなく、 繊細な優美さをそなえるようになる。
セックスはあなたの梯子の最下段であり、粗雑だ。
エネルギーが上昇すると、まったく異なる種類の 美と優しさがあなたのなかに
湧き起こってくる。
それは聖なるものだ。
肉体性は希薄になり、 霊性の密度が増してゆく。
三ヶ月間、この単純な技法をやれば、驚くだろう。
抑圧する必要はない。
変容が起こりはじめている。
生涯を通じて生命エネルギーを蓄える道を守る者は、 黄金の華の境地に到達す
るだろう。
生涯にわたってこれをやり続けることができたら、いつの日かそれが起こる。
呂祖師は、あなたが忍耐強くあり続けるように、
生涯を通じて……と言っている。
それはいつでも起こりうる。
それは今日起こるかもしれないし、明日起こるかもしれないし、明後日に起こ
るかもしれない。
それはあなたがどれだけ強烈に、誠意を込めて働きかけるかに、どれだけ強い
憧れをもち、どれだけ全一に入ってゆくかにかかっている。
あなたのなかで黄金の華が咲くその日、覚者の境地ブッダフッドが開かれる。
あなたはありうる最も偉大な宝を獲得した。
生涯を通じて生命エネルギーを蓄える道を守る者は、 黄金の華の境地に到達す
るだろう。
そこで自己は対立物の葛藤から解き放たれ、 再びタオ、分かたれていないもの
、大いなる一者と ひとつになる。
タオからタオへ、一なる者から一なる者へ――
プロティノスはそれを"一者から一者への飛翔"と言う。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
584
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/01(土) 23:47:16 ID:1d4drIFg0
↑ご苦労さんなのじゃ。
精力のエネルギーを気に変えて頭頂に導くのが小周天の原理なのじゃ。
それは抑圧ではなく解放なのじゃ。
無理にするものではなく自然に流れが習慣化していくのを待つのじゃ。
そうすれば肉体は蘇り、サマーディにも至るのじゃ。
585
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/02(日) 00:03:04 ID:LC3de7YgO
昨年10月17日から読んでまいりたした「黄金の華の秘密」、本日終了であります。
OSHOの本をもっと読めならいいなと思いますので、またいつか、ネット上でひろえたら、講読会で取り上げたいと思います。
明日からは、
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
の講読会をはじめます。
鬼和尚、みなさま、よろしくお願いします。
(´・(ェ)・`)つ
586
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/02(日) 07:23:14 ID:LC3de7YgO
>>585
1「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
序章:愛と無の祝祭
―あなたは愛、あなたは無の踊り手
すべてが始まる以前、あなたは「純粋の意識」そのものとして存在していた。
愛の中で完全に満ち足りた愛そのもの、
気づきを伴った空間そのもの、
安らぎ以上の平安そのものであった。
あなたの本質は映像が映し出される映画のスクリーンと同じもの。
あなたは英知の輝き、宇宙の創造者に「創造するという概念」を与えた人だ。
忘れることができることは全て忘れて、決して忘れることができないそのも
のとしてのあなた自身を知りなさい。
あなたはその上で全ての物事が起こる基盤だ、ただ起こらせなさい。
あなたは今、この瞬間そのもの、
この今から逃れられる私が存在するだろうか?
あなたが真理そのものであり、唯一存在するのは真理だけだ。
あなたの本質は無活動。
太陽が無活動であるように本質は不動だ。
活動は思考の投影から起こるもの。
あなたのドラマ、あなたの世界。
あなたは貴重なこの瞬間、現存そのもの。
あなたに触れたそよ風は悪魔でさえ神聖にする力を授けられる。
あなたは対象やアイデアに気づいている自分に気づいているそのものだ。
あなたは気づきよりももっともっと静かなそのものだ。
あなたは命、そこから命という概念が生み出される。
あなたの本質は静寂そのもので、それを手に入れることはできない
それは常に存在しているのだから。
あなたはまず空間という概念を作り出した。
そして存在・意識・至福という姿をとった。
「世界」というのはあなたの*1マインドが生み出したもの、
全てはあなたの*2ハートから、核心から、無から、起こって来る。
今、ここに存在するのがあなたのハート。
このハートの祠の中であなたは愛として留まっている。
そこから時間と空間が生み出される。
あなたは内側、外側という概念を持たない内側にいる。
マインドがどこにも存在しないところが内側、壁が存在しないところが内側。
全てのアトムにあなたは存在している。
このことを知った時、あなたは至福に満たされる。
あなたは無そのもの、究極の実体、
無から無と言う概念を取り除いて無だけを残しなさい
無を超えるものは何もないのだから。
全ては無から現れ、無の中で踊り、無に帰っていく。
波が海から起こり海の上で踊り海に帰っていくように
あなたはこの無の踊り手だ。
この無から外れて存在するものは何もない故に
無は全てを含んで満ち満ちている。
存在と無存在の間に無は存在する。
自由であるためには、この安らぎに満ちた無が
あなたの基盤であるという確信が必要だ。
あなたの中ですべての出来事が起こる。
起るべきことは起こるのだから安らぎに満ちて影響されずにいなさい。
平和に満ちていなさい、そうするとこの平和が外に広がっていく。
平和から生まれるものは平和、混乱から生まれるものは混乱。
だから平和でいなさい、この平和を宇宙に奉げなさい。
これが唯一あなたがすべきことだ。
「私は平和だ」と考えることでさえこの平和を乱してしまう。
だからただ静かにしていなさい、あなたの「在るがまま」でいなさい。
あなたは「在る」ことであり、「在り続けた」でもなければ、
「在り続けるだろう」でもない。
あなたは死に侵されない永遠性、
そこには時間が存在しないので死も存在しない。
そのまさに永遠性というのは今、この瞬間のことだ、それが「在る」ということ
だ。
単に「在る」ということはいつも輝いた存在だ。
私自身、これが存在の光だ。
このダイヤモンドの光は隠しおおせるものではない。
マインドが存在しない時、
あなたの顔は美と無垢で光り輝く。
ただ静かにして、あなたのあるがままでいなさい。
用語解説
*1 マインド 思考の集合体。
*2 ハート 心臓や心という意味ではなく、源泉、センターという意味。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
587
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/02(日) 18:47:44 ID:Zjqr/UEo0
>>585
お疲れ様でした!
貴重な文献を鬼和尚さまの解説で読むことができました。
ありがとうございます。引き続き講読会、楽しみにしています。
588
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/02(日) 22:28:38 ID:LC3de7YgO
>>586
パパジは、「静かにしていなさい」と繰り返し言うのである。
最初は、静かにするにはどうしたらよいのでしょうか?
と聞きたくなったのであるが、
読み進むと何となく、わかってくるような気がしてきたのである。
(´・(ェ)・`)つ
589
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/02(日) 22:37:25 ID:1d4drIFg0
>>585
ご苦労さんだったのじゃ。
正に菩薩の行ないじゃ。
またよろしくなのじゃ。
この書はひたすら集中を訓練することではなく、気の操作によってサマーディにまで一気に到達させる方法を示したものなのじゃ。
クンダリニー・ヨーガと同じ人体のエネルギーを使う法なのじゃ。
気の感覚が分かり、精神集中だけでは効果が上がらない者には福音となる書なのじゃ。
しかし、サマーディから先に行くにはやはり精神の修練も必要なのじゃ。
その部分にタオの実践が必要なのじゃ。
それが還虚合道なのじゃ。
590
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/02(日) 22:45:40 ID:LC3de7YgO
>>589
鬼和尚、ありがとうでありま。
今後ともよろしくお願いしするであります。
(´・(ェ)・`)つ
591
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/02(日) 22:47:27 ID:LC3de7YgO
>>586
1「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
序章:愛と無の祝祭(つづき)
あなたは空間、決して移動進行することの無い空間。
内側の空間、外側の空間という区別は名前と形のために生じる。
いかなる対象物、考え、行動に対する執着を取り除くことによって
この名前、形という概念を取り除きなさい。
あなたはすでに喜びの園にいるのだから、
幸せである為にあなた以外に誰も必要としない。
過去のことに思い巡らすと悲しくなると言うのなら
この「今」に帰ってきなさい。
この喜びのこの瞬間が過去の記憶や苦しみを消し去ることができる。
なぜならこの瞬間こそが幸福のありかなのだから。
だから苦しむ為に過去の記憶に戻ると言うのはまさに馬鹿げている。
条件付けのない意識が幸福と静けさをもたらす。
この静寂は時間や空間とは何の関係もない、「今」に存在する。
思考によって条件付けされた幸福はマインドの幸福だ。
最初の条件付けである「私」は幸福の妨げになる。
エゴの欲望と期待によって幸せな人は誰もいない。
だから幸福を望むなら、考えないこと、欲望を持たないこと。
ただ静かにしていなさい、考えることは暗い墓場にいることだ。
幸福であるためには一切何も保持しないことだ、
さもないとあなたのポケットから死んだ魚のような悪臭が漂うだろう。
親愛なる友よ、幸福は体験ではない、あなたの本質なのだから
そのために何もする必要はない。
幸福は私の本性だという真の知識が幸福をもたらすのだ。
ここ、ここに美酒があるのに誰も知らない。
全てがここにある、これが意識だ。
意識がこの宇宙の全ての基盤だ。
「それ」、即ちあなたは全ての分子、アトムに存在する、
時間や空間でさえ「それ」がその存在を与えるのだ。
あなたが肉体やマインドの服を着ていると誰が気づいているのか、
誕生や死の繰り返しがこの同じ意識の中で起こっていると誰が意識しているの
か?
あなたが「それ」だ。
すべての活動や無活動、多様性や一体性、これらはすべて意識の中に存在する。
束縛はこのことを否定することであり、自由はそれを知っていることだ。
あなたはそれだ、あなたはその意識だ
意識、
感覚では捉えることができない。
頭では理解することができない。
意識だけがいたるところに存在する。
それがあなたの内に「私」として湧き上がって来る
それは太陽の輝き、地球の自転だ。
それは空間と時間を超えたもの。
逆に時間と空間は意識から生まれて来るのだ。
マインドで真理を探そうと努力するなら
それを見逃してしまうだろう。
これらのマインドの試みが動きとなり、雲となり、その不動性を隠してしまうか
らだ。
思考が止まった時に、それはそれ自身の姿を現す。
一瞬だけで良い、思考の動きを止めなさい。
一秒だけで良い、全ての欲望、全ての思考を止めなさい。
一瞬だけで良い、「私が」という考えを捨てなさい。
そうすればあなたは誕生と死という輪廻から永久に越えられる。
この輪廻が*3サンサーラ、あなた自身の想像のたまもの。
誕生も始まりも死も存在しない。
真の知識によってのみこの輪廻を止めることができる。
「私は一体誰なのか?」
この自問がこの輪廻を止めることができる。
だから決心しなさい。
人間としてのこの生はすばらしい祝福だ、決して無駄にしないことだ。
延期することはサンサーラ、苦しみの繰り返しだ。
あなたが困った時にはいつでも、「私は夢を見ているのか?」と自問しなさい。
これは「私は誰か?」という質問と同じことで夢から覚めることが出来る。
そして、あなたはあなたの真我と恋に落ちるだろう。
その時初めて「他人」を知ることになる。
この知識の光をあなたがどこにいようとも燈し続けなさい。
静かにしていなさい、考えないでいなさい、努力しないこと。
束縛されるには努力が必要だが、自由であるためには努力はいらない。
心の平安は思考と努力を超えたところにある。
思考と努力がそれを隠して、決してそれを明らかにすることはできない。
このために静かにしていることが愛と平和の宝庫を開ける鍵となる。
用語解説
*3 サンサーラ 個人が解放されるまで繰り返される生と死のサイクル。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
592
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/04(火) 00:08:43 ID:1d4drIFg0
自我の在る者は過去の記憶から悲しみや怒り寂しさなどに苦しめられるのじゃ。
そしてそれらを未来にも続くであろうと認識するから不安になるのじゃ。
過去の記憶に囚われず、記憶を未来に投射せずに今ここにあれば誰でも幸福になれるのじゃ。
それが本来の意識なのじゃ。
593
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/04(火) 05:09:34 ID:LC3de7YgO
>>591
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
序章:愛と無の祝祭
この静けさがノーマインド、この無思考が自由だ。
何もないこと、この静けさにあなた自身を一体化させなさい。
しかし注意しなければならないことは、それを経験にしないことだ。
経験は「観察者と観察されるもの」という二元性を持つマインドの罠で
それから遠ざけてしまうからだ。
「ただ在ること」は「ただ在ること」だ、観察者や観察されるものは存在しない。
「私は自由だ」という経験は、「私は束縛されている」という経験と全く同じマインドの罠だ。
対象を手放したあとは主体も手放しなさい。
全てを手放して、静かにしていなさい。
人生の目的は平和でいること、
全ての生き物を愛すること、自分が誰かを知ること。
あなたの本性を知れば全てを知ることになる。
この潔癖な知識のみ、無のみが存在する。
限界のない無からどのようにして抜け出すのか。
名前、形の様相はこの無の戯れだ。
今、ここで、ただ静かにして、あなたは一体誰なのかを知りなさい。
あなたはこの瞬間に存在する、「これ」に自己紹介しなさい。
マインドをいろいろな方面に向けないことだ。
修行なし、過去なし、未来なし、
あなたのハートの中の無も、空間でさえ存在しない。
永遠に自由であるために、この一瞬に向かって自己紹介しなさい。
この瞬間はいつもこの瞬間だ。それは不変だ。
マインドと概念から自由になることが本当の自由だ。
自由はあなたの基本的に持って生まれた権利だ。
この瞬間を最も有効に使うにはその中に溺れてしまうことだ.
静かにしていなさい、あなたは内側の内側にいる、
どこにも定着しないで、努力するのをやめなさい。
努力と修行の概念は束縛になる。
ただ静かにしていなさい、
どこにいようとも、ただ静かにしていなさい。
名前と形というものが事の本質を隠してしまう。
これが教訓だ。
名前と形に囚われることは、自由への障害になる。
あなたの基盤である意識がそれに覆われて見ることができないからだ。
馬の彫像といえば目は素材のグラナイトを見ることができない。
指輪を見なさい、それを作っている素材のゴールドは見ることはできない。
ゴールド無しに指輪が成り立たないように
名前と形は意識を離れて存在することはない。
波が起こる以前は静かな海であった、欲望が起る前は無であった。
切望や束縛を壊しなさい。
経験者ではなく経験している、見る人ではなく見ているに同一化することによ
って
それらを破壊しなさい。
あなたは意識そのものであつて、意識がある「人」ではないのだから。
自由であるためには自由のように振舞いなさい。
自由とは欲望がないことだ。
すべては無欲の状態の中で知ることができる。
何も所有したくないのならポケットはいらない。
過去は過去なのだから記憶というポケットに入れて持ち歩かないことだ。
自分は生きていると知っていながらどうして過去という墓場に入ろうとする
のか。
一時的なものには執着しないで、あなたの絶対的な真我に執着しなさい。
あなたが執着した全てのもの、あなたが愛した全てのもの、
あなたが知っている全てのものは、いつか消え去ってしまう。
このことを知った上で、世界は自分のマインドが創り出し
その中で演じて、苦しんでいるだけなのだと分別しなさい。
真理か、そうでないか識別しなさい。
既知は真理ではないので来ては去っていく、
未知は変わらない真理だ、それと一緒にいなさい。
現れては消え去る全てのものは実在しないのと同じだ。
それらから蜜の甘さは味わえないのだから、執着するのはやめなさい。
そして、いったん手放したら、もう二度と取り戻そうとしないことだ。
永遠にあなた自身の存在の中に留まりなさい。
真理は不動だ。行ったり来たりはない。
エゴの混乱、動揺が全宇宙の混乱を創り出す。
しかし、真理は不動だ。
このエゴがどこから、どのようにして生まれて来るのか注意深く見てごらん。
「私」というのは単なる親から社会からの条件付けの集まりだ。
習癖の集まりにすぎない。
個人というのは本当の私がエゴという着物を着ているようなものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
594
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/04(火) 22:49:49 ID:1d4drIFg0
名前と形はインドではナーマ、ルーパというのじゃ。
伝統的な分類による観念の要素なのじゃ。
記憶に拠って人は名前と形で全ての物事を認識しているのじゃ。
自分も名前と形で認識しているのじゃ。
それも記憶に依存したものであるから謬見となるのじや。
595
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/05(水) 04:55:19 ID:LC3de7YgO
>>593
1「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
序章:愛と無の祝祭(つづき)
個人というエゴを捨てなさい。
エゴはそれが問題だという、
神はそれは問題ではないと言う。
全てが至高の力に支配されているのだから
エゴの決定力は幻想にすぎない。
全能に直面しなさい。
降伏するとはあなたのエゴを、個別性という概念を明け渡すことだ。
降伏するとはあなたの馬鹿さ加減、邪悪さを
存在の意志に明け渡すことだ。
それだけのことだ。
川が海に流れ込むように降伏しなければならない。
降伏とは「あなた」という川の分離感が
海の中に流れ込んで、川であるという限界が無くなってしまうことだ。
そして、起こることは起こるがままにすることだ。
空間に降伏しなさい。
真の知識でエゴを溶かしなさい。
自問という乗物に乗って愛と崇拝と一緒に
あなたの真我に、静かに内側に入っていきなさい。
この自問はすべての努力を捨てるということだ
静かに、静かに入っていきなさい、小さな思いつきでさえ大きな雑音となる。
静かにしていなさい。
静かにしていなければならないのはエゴであって、あなたはそのエゴではないと知りなさい。
この沈黙は話をする、しないとは全く関係が無い、
マインドの中に一つの思考も湧き上がらない状態を沈黙と言うのだ。
静かにしていなさい。
考えるのを止めなさい。
努力するのを止めなさい。
この何も無いこと、この静けさにあなた自身を一体化させなさい。
そこには「獲得」するものは何も無い。
源泉の本性は耕して栽培してその実を得るというものではない。
あなたは意識で農夫ではないからだ。
既にそのものなのだから
どうしてそのものになろうと努力する必要があるだろう。
社会から押しつけられた束縛から逃れようと努力することは、
押しつけられた自由を獲得するのと同じことだ。
あなたはものや考えに気づいていることに気づいている「それ」だ。
気づきとは、「対象に気づいている自分に気づいている」ことだ。
あなたは「それ」、静けさそのもの。
覚醒への近道はマインドの純潔さに頼っている。
このショートカットはあなたの欲望を切るということだ。
欲望の対象物が幸福をもたらすのではない。
これは逆に束縛を与える。
獲得したあとの無欲状態が幸福をもたらすのだ。
無欲が幸福をもたらすのだ。
欲望だけがあなたの平和と休息への道を妨げている。
この欲望というのがマインドの病癖だ。
欲望なしに生き、幸福でいなさい。
幸福はあなたの本質だからその為に何もする必要はない。
自分を知る、自分の本質を知るということが幸福をもたらす唯一の道だ。
「ここ」、ここに美酒があるのに誰も知らない。
世界の出来事、自由、マインド、全ては存在しない。
これが究極の真理だ。
究極の真理は全て無であり、いつも無であったということだ。
ノーマインドとは外側の世界とは関係がない。
ノーマインドが無に行きつく唯一の道で、他に道はない。
本質が明らかになるのはあなたがノーマインドの時だ。
だから静かにして、何も考えないこと、努力をしないこと。
何も考えないでおこうと努力しないこと。
自分の本性を知るには
強靱な肉体とマインドと意志が必要だ。
あなたはやり遂げねばならない。
単にメニューを読んでいるだけでは空腹を満たすことはできない。
食物を食べなさい。
愚かなマインドを征服しなさい。
理解するということではない、「在る」ということだ。
自由でありたいと決めるのはマインドではない。
なぜなら自由を達成した時、マインドは存在できなくなるのだから。
マインドをコントロールしなさい。必要な時は召使いのように使いなさい。
ここ、この瞬間に自由である為にはマインドは必要ない。
私が本当に教えたいことは、
「教えることができないそのものについて」教えたいのだ。
私の教えは教えることができないということだ。
全ての教えが湧きあがって来るその源泉、
その本質について私は教えることができない。
この本質というのは全てを超越しているので
教えるとか教えないとかの問題ではない。
その本質とは全ての言葉が生まれて来るその源泉のことだ。
バグワン(マハルシ)ならこう言うに違いない。
真理はここにある、あなたは一体何が欲しいのか?
決断はあなたにかかっていると・・・。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
596
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/05(水) 22:55:53 ID:1d4drIFg0
百万人のブッダがいても一人の人間に永遠の意識を教えることは出来ないのじゃ。
それは自ら到達しなければ理解も出来ないものなのじゃ。
教えられるのはそれに至る方法だけなのじゃ。
そうであるから方法を教わったならば、実践するしかないのじゃ。
597
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/06(木) 03:29:10 ID:LC3de7YgO
>>595
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part1
真我というのはあなたであるところのもの、
あなたは「*1それ」だ。
測り知れない「それ」から、経験や概念が現れる。
真我は往来のない一瞬。
それは、*2ハート、*3アートマン、無。
それは、それ自身の中で、それ自身に対して、それ自身で光り輝いている。
真我が生命に息吹を与える。
それを探し求める必要は何もない、それは「ここ」にあるのだから。
あなた自身があなたが探し求めているものだ。
「それ」が存在する全てだ。
唯一真我のみ。
欲望だけが生まれ変わっただけであなたは決して生まれてこなかった。
何もかって起ったことはないし、何も存在したものもない。
この何もないこと、これがあなたの本質、
そして、これが究極の真理だ。
完全にあなただけ、即ち美しさだけが存在する。
唯一真我のみ。
あなたの本質は意識だ、ということは明らかで拒むことはできない。
あなたはハートの蓮華の中で至福の喜びに満ちて存在している。
静かにしていなさい、
そうするとあなたの真我があなたの真我にその姿を現わすだろう。
「真我を知る」ということは他の全てのものを犠牲にしても知る価値があるものだ。
他の全てのものは意識から出現する蜃気楼にすぎないからだ。
全ての生き物の中に真我が存在する。
それ故に他人を愛するということは真我を愛すること、
自分自身を愛することと同じだ。
真我は最も偉大な愛で同時に最も愛すべき愛人、
愛というのが真我の魅力で、真我が真我を魅了する。
この愛、この喜びの源泉のほかに何もない。
あなた自身がどんなに美しいか見てごらん。
あなたはこの内なる美しさ、愛そのもの。
これでもない、これでもない。(*4Neti,Neti)
しかし、あなたの本質は決して拒絶されることはない。
それは「今」だけに存在する。
起きていようが、寝ていようが、夢見ていようが、
唯一「今」に存在する、
唯一真我のみ。
この現在の瞬間が光であり、真我である。
この瞬間は束縛でも自由でもない。
概念を超えた最も貴重なものだ。
この瞬間は全てが投影される何もないスクリーン。
それはいつも不動で何にも影響されず時間を越えたもの。
究極とこの「存在」の間には何の違いもない。
この瞬間にいるためには
この瞬間にいたいという欲望も含めて、全ての欲望を捨てることだ。
本質的に名前も形もない「それ」に数え切れない名前がつけられた。
存在、気づき、至福、アートマン、真理、真我、吉兆、美、
自由、神の愛、完全、無、意識、瞬間、無努力、ここ、沈黙、*5ブラーフマン。
舌が「舌」という言葉を話すように、
あなたがあなたの名前を呼ぶ。
あなたの先入観であなたの本性が覆われないように
仏陀は否定的な言葉で真我について話した。
たとえば、‘ANATA’とは、触れることができないもの、
姿のないもの、目に見えないもの、
近づくことのできないもの、知ることのできないもの、穢れのないもの。
観念と世界が現れる以前にあなたは存在している。
それ故に「それ」は言葉では言い表すことはできない。
真我は自分自身を理解する必要はない。
自由というのは自由という概念が現れる以前にあった。
「私」という概念、マインド、過去が消え去ったあとに残されたもの、
それがあなただ。
何もないということは何の概念もないということ。
それがあなただ。
平和・美・愛と同一化しなさい。
それを体験するのではなく、それと同じものになるのだ。
「私は無活動、活動は私の中で起こっている。
私はスクリーン、私は『それ』。
私は決して生まれてこなかったし、決して死にはしない。」このことを知りなさい。
用語解説
*1それ 本質的に名前のない真理を指す代名詞
*2ハート 心臓や心という意味ではなく、源泉、センターという意味。
*3アートマン 全ての存在の不滅の本質、ブラーマンと同じ意味。
*4Neti,Neti これでない、これでない。
ウパニシャッドに書かれた言葉、ブラーフマンは言葉や思考では言い表すこと
はできないので、絶対の真理を見つける為に全てを拒否していく過程
*5ブラーフマン ヒンドゥイズムの絶対的現実、究極の真理、存在・知識
・至福
(´・(ェ)・`)
(つづく)
598
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/06(木) 23:00:48 ID:1d4drIFg0
アートマンは認識できない認識主体なのじゃ。
認識主体から全ては認識されるのじゃ。
しかし、認識主体のみは認識できないのじゃ。
それにたどり着くには全てを否定するしかないのじゃ。
599
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/07(金) 04:08:36 ID:LC3de7YgO
>>597
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part1(つづき)
意識そのものと同一化しなさい。
自分は誰かと覚えていたらこの世の中の動きは宇宙の踊りだ。
往ったり来たりするものに留まるのではなく、
自分自身に留まりなさい。
個別な自我はマインド。
「在ること」は未知の領域を持たない。
自分自身が自分自身に気づいて「在ること」なのだ。
「在ること」に同一化しなさい。
マインドが純粋・潔癖なら、存在する全てに真我を見るだろう。
すべての概念、特に純粋さの概念を取り除くことでマインドを純粋にしなさい。
そうすると真我が無のマインドにそれ自身で姿を現すだろう。
エゴ、マインド、そして全ての創造物は真我から真我としてやってくる。
醜悪な疑念や差別や分離感でさえ美しい源泉から湧きあがってくる。
真我の中ではすべきこと、すべきでないことは存在しない。
不幸に直面しても、あなたは不幸ではない。
あなたは不幸に影響されることのない気づき。
波は海から切り離せないように光線も太陽から切り離すことはできない。
これと同じように、あなたは存在から離れて生存することはできない。
あなたはこの瞬間、全てが存在するこの瞬間。
経典の中に内なる三つの神聖な川について書かれている。
それらは存在・意識・至福。
それらは思考や努力で対象化されたり、主体化されることはない。
それはとても親密で、とても身近にある。
網膜の背後、息をする以前にある。
これを見る必要はない、あなたはそれだから。
あなたは、「存在」・「在ること」とどんな違いもない。
目で見るということではなく、全ては「在る」ということを見てごらん。
対象物を見るということではない。
単に見ることが、「在る」ことだ。
意識が本来の「母」。
このことを知っているならこの「母」が面倒見てくれる、
幸福・平安・不死を与えてくれる。
この「母」を知らないために問題に巻き込まれる。
既知の母は永遠の平和と愛を与えることはできないから
あなたの本質であるこの「未知の母」、「それ」に戻りなさい。
至福は永遠だ。
マインドが死んだとき、至福が湧きあがってくるように見えるけれども
至福は体験から来るものではない。
それはあなたの本性だ。
至福は賢者のハートだ。
至福はこの贈り物をあげようと全ての人を呼んでいる。
「あなたは全ての存在のハートの中に座っている。」
これが真理だ。
この真理であなたの顔は光り輝く。
庭で庭仕事をしている王は王のままで決して庭師ではないように、真我は世間
の庭の中にいても真我として在ることができる。
活動的な世間で活動しているのはあなたであなた自身の真我ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
600
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/07(金) 22:12:42 ID:1d4drIFg0
パパジの説くことは実に明確じゃ。
人は何かになったり、何かをしたりしなかったりする必要も無いというのじゃ。
ただそれであるだけであるから、何もする必要は無いのじゃ。
何もしないと言うことが最高の道なのじゃ。
修行していない者には難しいことであるがのう。
601
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/07(金) 22:30:40 ID:LC3de7YgO
>>599
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part1(つづき)
世界の物理性が現れてくる、その源泉に行きなさい。
そうすると広大さ、秘密の神聖なあなたのハートの核心を発見するだろう。
しかし、対象に執着したり何かに成ろうとする欲望のためにこのことを忘れて
しまう。
欲望と期待のためだ。
全ては一つで、一つが全て。
古びた習癖の期待や欲望を捨て、この共通の真髄に一体化したならあなたは宇
宙の皇帝だ。
「今」・「ここ」に戻ってきなさい、そうするとあなたがこの「今」・「ここ
」になる。
全ては真我。
あなたと私の違いは単なる言葉、単なる概念の違い。
あなたの中の真我は私の中の真我で全ての存在の中の真我。
全ての源泉は同じだ、これが真我、これが愛、これが慈悲。
真我から離れようとしても決して離れることはできない。
「私は海、目に見える全ての形態は私の上で踊っている波だ」、これが知
識。
波が起こるとき、海は何も失うものはない。
波が静まるとき、海は何も得るものはない。
波が遊んでいるときは海も遊んでいるのだ。
私は海、私は水、私は波。
海と水と波の間に分離はあり得ない。
そこには何の違いも、動揺も動揺する人もいない。
「私」、あるいは他の思考を起こすことが波を起こすことだ。
どんなに波立とうと、水は水のまま。
だから全てをあるがままにあらしめなさい。
全てがあなたの真我なのだから。
河が海に流れ込むように、あなたであるところのものに流れ込みなさい。
幸福、至福、存在、宇宙に流れ込みなさい。
「ここ」には気づきのみ、真我のみ。
たとえそれを忘れてしまってもあなたは「今・ここ」にある「それ」だ。
忘れっぽいあなたに気づいているのはあなたなのだから。
あなたは目覚め・夢・眠りの三つの状態に存在する覚醒の意識。
この変化する三つの状態の中で唯一真我のみ消えることはない。
真我はノーマインド、ノーマインドは肉体を持たない。
ノーマインドのこの美しさから芸術や直感的洞察が生まれる。
かって何も起らなかったしこれからも何も起らない。
あなたはいつも完成された愛であり平和であり続けた。
変化するものは真実ではない、真実であるものは変化しない。
あなたは変化を超えた、言葉では言い表せないその秘密、その純潔さだ。
しかし、「私」に触れると誇りという概念で汚されてしまう。
「私が努力してやり遂げた」というこの「私」は、真の「私」ではない。
真の「私」は全てが自分の反射―投影だということを知っている。
単に「私が在る」と知っていることは無努力の状態だ。
これが瞑想であり*6サハジャつまり自然な存在の状態だ。
宇宙の塵の一つ一つの中に数え切れない宇宙が存在し、数え切れない仏陀が光
り輝いている。
あなたが理解できるようにそれを説明するのは難しいがこれは事実だ。
それを見ることはできる。
たとえば、全てが一つの原子から現われる、それは神秘だ。
誰もこの神秘を解くことはできない。
私たちがいつもサットサンガで話している「この瞬間」も アトムと同じようなものだ。
その一瞬にあなたの全ての生をみることができる。
全ての人が本質的に仏陀なのだ。
用語解説
*6サハジャ 自然で完全に悟りを得た状態。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
602
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/09(日) 02:02:42 ID:LC3de7YgO
>>601
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
崎山綾子翻訳
第1章 真我 ☆Part2
Q:永遠で、しかも定義することができない存在を明示してもらいたい。
その存在があなただ。
なぜそれを疑っているのかね。
悟りというのは疑わしい言葉、思考、概念ではない。
悟りというのはいつも「ここ」にある。
「ここ」というのはこの空間にという意味ではない。
「ここ」というのはマインドが届くことができない内なる場所という意味だ。
この「ここ」というのは「そこ」の反対語ではない。
この「ここ」というのはどこでもなく、それはあなたの*1ハートだ。
マインドが動かないとき、全てはハートに帰って来る。
宇宙の全てがあなたのハートの中の一点に存在する。
この「ここ」にマインドの向きを変えなさい。
そうすると、マインドは消え去る。
そして光、知恵、愛だけが残る。
これがあなたそのもの、これがあなたといつも一緒にあるものだ。
Q: 私が肉体でもなく、マインドでもないとしたら一体私は何なのでしょうか?
あなたは真理、善、美の形をとる無形性だ。
これがあなたの形態だ。
我々がここでやっていることは直接それを見るということだ。
しかしあなたはこれに向かって進んでいくのではない。あなたがこれだ。
Satchitananda。
これが*2アートマンの形態だ:真理・意識・至福、これがあなたの真我だ。
それを外に追い求めるのではない、「それ」は内にある。
至福はあなたの内に。それがあなただ。
真理はあなたの内に。それがあなただ。
美はあなたの内に。それがあなただ。
愛はあなたの内に。それがあなただ。
Q:真の気づきとは何ですか。
例えば花という対象物に気づいている気づきがある。
真の気づきはこの対象に「気づいていることに気づいている」気づきだ。
それは乱されない単なる気づきでその中でことが起こり、消え去る。
対象物や出来事に対する気づきを超えた気づきがある。
あなたはその気づきでその中に対象に対する気づきが存在している。
この真の気づきには名前が無い。
名前をつけようとしたら問題が生じる。
あなたには名前が無いし、形も無いので何も見ることはできない。
「私は名前無し、形無し」ということを知りなさい。
それが「私は自分の真我に気づいている」ということだ。
純粋の意識がその中にあなたを引っ張り込むのだ、あなたがその中に入って行
くというのではない。
もしあなたが入って行くというのならそれはエゴが入って行くということだ。
しかし「それ」があなたを引っ張り込むとき、「それ」があなたを家に連れて
帰ろうと決めたのだ。
理由は分からないがこれが起っていることだ。
意識によってあなたが選ばれるというのは非常に珍しい。
しかし一度「それ」に引きずり込まれたらその人の旅は終わりだ。
そう、気づきに名前を与えたりしないこと。
さもないとそれはある人の観察の対象物のひとつになるだろう。
意識は決して観察され得ない。それはいたるところに満ちている。
無限界、永遠そのものだ。あなたはそれに溶け込んでゆかねばならない。
現実にはそれは溶け込みでもない、それを言い表す言葉はない。
「それ」と同じように無垢で純粋でいなさい。
そうするとあなたは「それ」によって選ばれる。
あなた自身の努力で決してできることではない。
あなたはとても美しいので花婿によって花嫁として選ばれた、と想像してごらん。
これがどのようにして事が終わるかだ。
Q:私はすべての出来事を遠くから見ている観察者のような感じがします。
この観察者は誰からも影響されない、この観察者はどんな自己証明も持たない
。
名前、形を超えたものだ。
あなたがこの種の観察者であるとき、誰もあなたに触れることはできない。
あなた自身にさえ触れることはできない。
そうすると恐怖はなくなる。森の中に独りで行くことができる。
ライオンやタイガーにあっても恐れることはない。
彼らの目の中を見つめなさい、そうすると誰もあなたを殺せない。
用語解説
*1ハート 心臓や心という意味ではなく、源泉、センターという意味。
*2アートマン 全ての存在の不滅の本質、ブラーマンと同じ意味。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
603
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/09(日) 22:42:07 ID:1d4drIFg0
パパジの説く事はどこまでも気付いていることなのじゃ。
それは気づいている者があるということを意味しないのじゃ。
真の気付きは主体無く起こるものじゃ。
全てであると言う気付きなのじゃ。
604
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/09(日) 22:42:42 ID:1d4drIFg0
パパジの説く事はどこまでも気付いていることなのじゃ。
それは気づいている者があるということを意味しないのじゃ。
真の気付きは主体無く起こるものじゃ。
全てであると言う気付きなのじゃ。
605
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/09(日) 23:52:53 ID:LC3de7YgO
>>602
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part2(つづき)
Q:私は*3超意識を一瞥したことがあります。それは意識の広がりであり、
存在の中心が存在しない感じでした。
あなたが何かを一瞥するとき、あなたは一瞥を一瞥する人になる。
あなたが一瞥するものは一瞥する人の対象物だ。
一瞥するには、「一瞥する人・一瞥・一瞥されるもの」があるはずだ。
誰の対象物にも決してならない超意識をどのように一瞥することができるのかね?
神でさえこれを見ることはできない。
なぜなら神でさえ、その帰依者が信仰する知覚の対象だからだ。
この超意識の一瞥は不可能だ。それは対象化されることはありえない。
それは主体なのだから。
本当のことを言えば、それは主体でもない。
主体と対象という関係がないとき、一瞥はありえない。
全世界が見る人・見ること・見られるもの、で成り立っている。
しかし、超意識はこの分類には属さない。誰かが自由でありたいという非常に
強い欲望を持ったとき、それは超意識に向かって動いていく。
そしてそれと溶け合って、「それ」そのもの になる。
蛾が炎に向かって飛んで行き、炎に口づけしたとき何が起こる?
蛾ではなくなる。炎は幸福に燃えて、「私の愛しい人、こっちへおいで。あ
なたが来るのを待っていたのだよ。」この蛾は戻っては来ない。炎となってしまうからだ。
このようにことは起こって一瞥はありえない。
自由でありたい人は誰でもその人を呼び続けている何かによって導かれている
のだ。
Q:エネルギー・ゴールデンライト・気づきの間にはどのような関係があるのですか。
ウォーターは英語、アグアはスペイン語、パニはヒンディ語。同じ実体に対し
て3つの異なった名前。
このように「それ」を*4シャクティ、光と呼ぶこともできる。
光というのは何かについての知識を持つということだ。
光が知識だ。知識はエネルギーだ。
そのエネルギーがあなたを知識に導き、全ては一つだということを知るのだ。
あなたは知識そのもの、そしてエネルギーだ。
そしてこれは気づきと同じことだ。
異なった人々によって異なった言葉が使われるように違いは言葉だけだ。
ある人は「自由になりたい」と言い、仏教徒なら「無になりたい」、他の人は
「*5ニルヴァーナが欲しい」と言うだろう。
これらの異なった言葉は名前のない同じ実体を意味しているのだ。
パニ、アグア、ウォーターの実体には名前がない。
このように「それ」を気づき、光、エネルギーと呼ぶのはその人によるのだ。
しかし、「それ」は名前のない、形のないものだからそれ自身の名前を知らない。
だから名前のついたものは、真実でない何かであるに違いない。
名前や形が名前や形のない「それ」へと導く?
一体どうして名前と形のないものを見つけることができるのか?
それは不可能なのだから、名前と形のないものを探そうと試みないことだ。
しかしこの光がそこにある。そしてこれが知識、このエネルギーが気づき、そ
こには何の違いもない。
シヴァとシャクティは同じものだ。
一方は知識で、他方は自分自身がシヴァであると知るためのエネルギーだ。
エネルギーは決して死なない。エネルギーは常に残ったままだ。
形は現れたり消えたりするがエネルギーはいつも「ここ」にあるだろう。
Q:基盤としてですか?
そうだ、エネルギーが基盤だ。そして基盤はエネルギーによって「私は基盤
だ」ということを知るのだ。
そこには何の違いも生じない。「私は『それ』だ」というこのエネルギーの知
識はエネルギーそのもの、知識そのもの、光そのもの、知恵そのものだ。
これはまた「自由」とも呼ばれている。
Q:気づきとエネルギーは異なったものではないのですね?
そうだ、それらは異なったものではない。
波は海から起こり、海とは異なったもののように見える。
名前は違う、動きは違う、高さや幅や広さが違う。
また、波は動く。そして波は、元は海であったことを忘れる。
しかし、海と波の中身は同じだ。
さて、波は今ともかく「私は海だ」と思い出す。
だから、岸に向かう波の動きをあらしめなさい。
波が立って、落ちて、消えるのを許しなさい。
これが世界の顕現と消滅の過程だ。しかし海は何も心配していない。
基盤、本質は波になるのを気にしないのだから、波の動きは問題にはならない。
用語解説
*3超意識 肉体に属する意識ではなく、肉体、マインド、を超えた普遍的な意識
*4シャクティ 聖なるパワー、エネルギー、恩寵と悟りを授けるエネルギー。活動性
*5ニルヴァーナ 消滅、絶滅、仏教用語、全ての欲望が消滅した悟りの状態。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
606
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/10(月) 23:02:35 ID:1d4drIFg0
究極にまで達した教えには常に悟りへの道を示すものがあるのじゃ。
それをいろいろな名前で呼ぶが、実際は同じものなのじゃ。
名前も形も無いものに導くために仮に設定して示すだけなのじゃ。
実践によってのみその彼方に至ることができるのじゃ。
607
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/10(月) 23:55:14 ID:LC3de7YgO
>>605
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part2
Q:それではエネルギーはいつもそこに有り続けるということですか。
いや、エネルギーはいつも「ここ」にあり続けるのだ。
海がある限り、海そのものの中に、波が動いて消えるのを許すエネルギーがあ
り続けるのと同じように。
Q:もしあなたが死んだときには?
それは波が海に消え去ることと同じことだ。
死については誰かから聞いただけであなたの体験ではない。
あなたは生まれて来たと誰かが言ったのを受け入れたために、いつか死ぬとい
うことにも同意したのだ。
しかしエネルギーそのもの、基盤そのものは死なない。
肉体は波と同じだ。
姿形は消えてなくなるが本質は不変だ。この理解がエネルギーと呼ばれるのだ。
基盤に帰っていくことがシヴァになること即ち、不変の海になることだ。
Q:どうして全ての欲望を断つことができるのですか。
静かにしていることによってだ。
Q:私は私の自己証明を失ったのか、それとも自己証明のない真我を見つけた
のでしょうか。どうか明らかにして下さい。
あなたはどんな自己証明を失くして、どんな自己証明を探し出したのか解らな
いのだね。
肉体との同一化が以前の自己証明だ。
そのときあなたは、息子になり父になり母になる。
肉体との同一化に留まっている限り、全ての自己証明を超えた「私は在る」と
いう自己証明を持つことはできない。
これが真我との同一化だ。
エゴ-マインド-肉体-感覚-対象物との同一化ではない。
Q:究極の解脱によって真我の美が永久に光り輝く為に、どうすれば私のマイ
ンドを完全に破壊することができますか?
至福の海でありなさい。
そうしたら世界との関係は見えなくなるだろう。
海だけが見えるのだ。
海の外とどんな関係も持たないこと。
満ち足りた水、満ち足りたあなた自身との繋がりだけだ。
この充満性があなたの本質だ。
これは楽しむべきものだ。
海の中にいなさい。
海として海だけを考えていなさい。
他に何もいらない。
海だけがあなたのマインドの中に、目の中にあるべきだ。
常に海の実体と繋がっていなさい。
これがあなたがすべきことだ。
「それ」を考えていなさい。
「それ」を嗅ぎなさい。
「それ」を聞きなさい。
「それ」を触りなさい。
そうしてあなたの戦いは終わるだろう。
Q:思考の流れと流れの間隙は何ですか?
その間隙が意識だ。
雲と雲の間には間隙がある。
その間隙が青空だ。
思考のスピードを落としなさい。
そうだ!その間隙を見つめなさい。
雲よりも間隙に注意しなさい。
最初の思考が去って次の思考はまだやってこない、それが意識だ。
それが自由だ。
それがあなたのいる場所、あなたの住家。
あなたはいつもそこにいる、分かるかね。
注意する方角を変えなさい。
図形を見るのではなく背景を見るのだ。
壁のように大きな黒板に白い点を書いて、「何が見えるか」と尋ねたら、99
%の人が黒板を見ないで、「白い点が見えます」と答えるだろう。
大きな黒板は見えないが目に見えないほど小さな白い点は見える。
なぜかね?
これがマインドの固定したパターンだからだ。
黒板ではなくて図形を見ること、空を見ないで雲を見ること、意識を見ないで
思考を見ること。
これは教訓だ。
いつも意識を見なさい。
意識があなたであると知りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
608
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/11(火) 21:35:44 ID:1d4drIFg0
思考や感情等の全ての観念の働きの背景に意識はあるのじゃ。
肉体や思考や感情に囚われていると、それが感じられないのじゃ。
全ての観念と認識を超えた背景に眼を向ければ感じられるようになるのじゃ。
それは寝ている時にさえ在ると感じられるのじゃ。
609
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/11(火) 22:14:37 ID:LC3de7YgO
>>607
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part2(つづき)
Q:ここでは「あなたは肉体ではない」と度々話されていますが、生きている
ことの神聖さを体験する為には肉体は貴重だと信じている人たちがいます。
その人たちは完全に肉体と同一化することによって解放されています。
生 命の神聖さはあなたの内にある*6プルシャ(Purusha:根本的な霊魂)
だ。
「それ」を経験しなさい!
それは男や女の形をした肉体ではない。
あなたが男性か女性かに関わらず内なるハートのプルシャだ。
ウパニシャドや他の聖典には、このプルシャは親指と同じぐらいの大きさだと
書かれている。
それはあなた自身のハートの中にあって永遠の炎として燃えている。
それがあなた自身、あなたのアトーマン(Atman:不滅の真我)だ。
それに集中して見てごらん。
あなたはこのプルシャで、男や女という性別ではないということを知るだろ
う。
全ての人はプルシャであるけれども誰も「それ」と同一化することができない。
他の興味の為に肉体と同一化しているのだ。
誰もこの永遠のプルシャについて聞いたことはない。
これが私が話していることだ、現れもしないし、消えもしないもの。
私 が話しているのはそのプルシャだ。
もしあなたが「それ」になりこのプルシャと一つになった時は、舌が話すの
ではなく、言葉がやって来るその源泉から「それ」が話しているのだ。
舌は話すことができる、しかし話すことができるという力は一体どこからやっ
て来るのか?
それはプルシャと呼ばれる源泉からやって来るのだ。
私が話しているのはそのプルシャだ。
Q:あなたの恩寵だけが私をマインドの世界から目覚めさせてくれるでしょう。
自由に対するこの熱望さえもあなたの恩寵です。
どうか私の本当の名前を教えて下さい。
あなたに与えられた名前は両親や牧師によって与えられたものだ。
これらは本当の名前ではない。
あなたは名前と一緒に生まれて来たのではない。
生まれた後でスーザンとか他の名前になる。
あなたは名前ではない、名前があると決して考えないことだ。
本来あなたは名前無し。
形があれば名前がある。
名前があるところには形があるに違いない。
あなたは形ではない、あなたは形の中身だ。
あなたは名前のない誰かだ。
形だけが名前を必要とするのだから。
あなたのハートに誰が座っている?
それには名前があるかな?
ハートの住人、それが本当のあなただ。
あなたは両親から生まれて来たのではない。
あなたは「それ」、名前のない「それ」、
決して死ぬことはないし、生まれることもない「それ」、
永遠である「それ」だ。
人の言うことを信じるなら、なぜ私が言っていること、「私はそれだ」と
信じないのか。
私はアートマン、私は平和、私は愛、私は至福、
これが信じられないのなら、このマントラを永久に唱え続けなさい!
「私は至福」。
Q:形を持たない、この至福に形という考えを押し付けたくないので、どんな
新しい身元証明も持ちたくありません。
名前や形との同一化を捨てる決心をしたなら、その場であなたは形のない物
になるだろう。
もし身元証明という概念に触れない時、あなたは今、ここで、自由だ。
あなたの名前を使う為にあなたは過去に触れる。
人々はあなたを名前で呼ばなければならないがその名前はあなたの過去とは何
の関係もないものであるべきだ。
仏陀というのも名前だ。
仏陀を仏陀と呼ぶ時、どんな個性が頭に浮かぶかね?
このように名前は、どんな執着も関係性もあなたに思い出させるべきではな
い。
それゆえに*7サットサンガではどんな個性とも全く関係のない名前が与えら
れるのだ。
人々は古い名前や過去をここに残していく。
私がMiss無をここに連れてきなさいといったら、彼女をここに連れてこられ
るかね?
言葉はそこにある、意味もそこにある、しかし「無」を連れてくることがで
きるかね?
それはできない。
このようにあなたのア-トマンには個人としての名前がついているがそれを捕
まえることはできない。
それは空間を超えたもので、触れることはできないからだ。
用語解説
*6プルシャ 根源的な魂
*7サットサンガ 真理との交友、実現した聖人と弟子、探求者の交友、真理についての質問と対話。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
610
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/11(火) 22:16:46 ID:LC3de7YgO
>>609
プルシャ(Purusha:根本的な霊魂)とアトーマン(Atman:不滅の真我)は同じ意味のようでありますが、言葉の違いの理由はあるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
611
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/12(水) 22:39:33 ID:1d4drIFg0
それは人によって違うのじゃ。
生命や肉体の神聖を信じる者には、それがプルシャから来ていると説くのじゃ。
一切を否定するアートマンは、そのような者には厳しすぎるからのう。
相手にあった教えを説かなければ、実践せず、実践しても長く続くことも無いからなのじゃ。
対機説法なのじゃ。
612
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/13(木) 07:25:27 ID:LC3de7YgO
>>611
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ
613
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/13(木) 07:47:38 ID:LC3de7YgO
>>609
3「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part2(つづき)
Q:人生の中で消極的なものを拒否する必要は何もないのですね。
それらは来ては去っていくのですから。
ただ執着しないでいるということですね。
この世界の全てのものはやって来て、留まって、去っていく。
やって来て、留まって、去っていかないものがあなた自身の真我だ。
Q: 求道者には3つの範疇があるといわれています。樟脳のようにすぐに会
得する人、ガンパウダーのようにまもなく会得する人、湿った木のように時間
をかけて会得する人。湿った木にどんな助言をしますか?
範疇はない。
得るものは何もない。
あなたはいつも自由だ。
しかしあなたの注意が他のものにむいている。
一時的な対象物から注意をそらして、注意をあなた自身に向けてごらん。
本当のあなたはいつも「ここ」に存在する。
Q:樟脳のように燃えて「ここ」にいつもいたい。
樟脳を火の近くに置くとすぐに着火する。
あなたの決心、献身、勤勉さ、熱心さが強烈な時、グルというのは火であなた
のハートは樟脳だ。
ハートの中でその火に近づくと何も残らずに燃え尽きてしまう。
もしあなたが炭のようであれば、燃えるのに時間がかかり燃えた後には灰が残
る。
生木ならもっと時間がかかる。
しかしたとえ生木でも炭でも真我だけに注目している人は数分で全てを終えて
しまう。
Q:私の中のこの気づいていることが「それ」ですか?
いや、それではない。
この気づいていることは「それ」ではない。
あなたは人や物や考えに気づいている。
しかしこれらの全てのものは過去に属している。
過去に対する気づきはそれではない。
この「気づいていることに気づいている」それが「それ」だ。解るかな?
この「気づいていることに気づいている」のは誰か?
対象物に気づいている時、あなたのマインドは同時に何かに「気づいてい
ると気づいている」。
そう、この「気づいていることに気づいている」のは誰か。
頭を180度回転して、何かに気づいている「それ」に直面しなさい。
そしてこれを知ったなら忘れてしまいなさい。
そうしないと、それは過去の体験となって、一時的な体験を何か価値のあるも
のとしてあなたの注意を引き付ける。
気づいていることは過去に属さないのでその体験については忘れてしまいなさ
い。
そうすると悟りにさえも執着しない世界中で一番自由な人だ。
全てを忘れなさい。それが 全てだ。
もし憶えていると、憶えていることは記憶でこれは過去だ。
あなたの前にやって来るものに対してその場で対応しなさい。
それが全てだ、これが私の助言だ。
Q:どのようにして「それ」を知ることができるのですか?
「それ」を幸福、平和、愛と表現しているがこれらではない。
これ以上のものだ。
期待することができるものをはるかに超えたものだ。
期待はマインドにすぎないし、マインドそのものは存在しない。
これらをはるかに超えているがまさにこの瞬間に知ることができる。
「それ」を知るのに膨大なプログラムは必要ない。
努力や手段も必要ない。
ただ静かにしていることでひとりでに現れる。
単にそれを妨害しないことだ。
今、その機会を与えなさい。
何億年も無駄にしてきたのだから、今、その一瞬を与えなさい。
「それ」が自然と明らかになるのを待ちなさい。
「それ」自体がひとりでに現れるのを待ちなさい。
あなたの概念、意図、期待、考えを「それ」に押し付けるためにその啓示を知
ることができない。
ただ静かにしていなさい、そうすればそれが起こるだろう。
瞑想によってでもなく、集中によってでもなく、聖地巡礼によってでもなく、
苦行によってでもなく、教会にいくことによってでもなく、ヨガをすることに
よってでもない。
これらは、「それ」を知るのに何の助けにもならない。
「それ」を知るのを延期させているだけだ。
「それ」はここに在る。
マインドがあなたを騙している。
決して耳を傾けないことだ。
ただ単に静かにしていなさい。
考え始めないことだ。
そのための努力でさえ必要がない。
「それ」はひとりでに現れるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
614
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/13(木) 23:03:25 ID:1d4drIFg0
>>612
どういたしまして、またおいでなさい。
気付いていることに気づいてることは、悟っていなければ難しいじゃろう。
どこまでも遡る無限遡及になるからのう。
その観念も実は心の変化によるものと気付けば捨てられるのじゃ。
過去の自分の気付いたことを追っているだけであるとその働きを見極めるのじゃ。
615
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/14(金) 07:34:30 ID:LC3de7YgO
>>613
4「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part2(つづき)
Q:内側だけが真実だということですね。
もし内側が真実なら外側もまた真実であるに違いない。
全てが真理で全てが真我だ。
Q:マインドを超えたこの愛の深みに入って行くためにあなたの最初の一押しを
与えてください。
超えたところに行きたいのかね?
それなら一人で行きなさい。
何も一緒に連れていかないことだ。
何についても考えないことだ。
思考を持っていかないことだ。
何も考えないというのが超えたところだ。
問題はあなたが考えるときやってくるのだ。
私は苦しんでいると考えている、恋人のことを考えている、これらすべての考
えることを絶対的にやめることだ。
そうすると過去の習癖に戻ってくることはない。
単に考えないこと、一人でいること。
全世界が思考から現れるように問題は思考から現れる。
なぜ問題に巻き込まれるのかね。
単に考えないこと、何も考えないときは、ほかに何もする必要がない。
これで十分だ。
そして何も考えないようにと努力しないことだ。
Q:(質問者が理解して笑い出す)とても簡単です。
超えたところからやってくるこの笑いは、概念なしの笑いで普通の笑いとは
非常に違った笑いだ。
笑うことが全てのことの終わりだ。
Q:今あなたと一緒にいるということで胸がいっぱいです。
とても幸福すぎてあなたの言葉を理解しようとしても私のマインドは動きそう
にありません。
これが知恵だ、これが理解だ。
Q:かって一度も触れたことのない、何か無のようなものに触れた気がします。
これが至福だ、これが永遠の幸福だ、これが無だ。
これは時間の中で起こったことではないのでこの一触れで十分だ。
これから差し込んだ光が永久にマインドを捕らえるのに十分だ。
あなたと古い習癖や行動との葛藤をこれが許さないだろう。
あなたは大変幸運だ。
ひとつスーフィの寓話を紹介しよう。
大昔の宮廷で人々が地位の順に従って王が来るのを待っていた。
そこにみすぼらしい服を着た男が入ってきて一番上の席に座った。
首相がこの新参者に彼の身元を明らかにするように命じた。
「お前は首相か?」
「それ以上だ」と男は答えた。
「お前は王様か?」
「どの王よりも偉大だ」
「お前は神か?」
「私はそれよりも上だ」と貧しい男は答えた。
「神より上のものは何もないぞ」と首相は言い返した。
それが答えを引き出した、「その何もないのが私だ」。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
616
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/14(金) 22:25:43 ID:1d4drIFg0
神でさえ観念の中にあるものじゃ。
何も無いものは観念を超えた所にいるから神より上なのじゃ。
神以外のどのような観念よりも高いのも当然なのじゃ。
王とか大臣なども観念遊戯に過ぎないのじゃ。
617
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/15(土) 00:46:27 ID:LC3de7YgO
>>615
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part3
Q:真我が全ての中心ですか?
真我には中心がないし,円周もない。
中心に瞑想しようとする瞑想者もいないし、瞑想もない。
真我は流動的で自然で自発的で、やり手がいないので疲れも知らない。
やり手というのは「私がこれをしている」、「私はこれをしなければならない」
、「私は困っている」、「私は幸福だ」。
人との関係性も肉体を通り過ぎていくだけで真我とは何の関係もない。
あなたはこれらのことに影響されないし、これらの概念を超えたものだ。
世界や神や生き物たちに背を向けても、真我には決して背を向けないことだ。
あなたは何億年ものあいだ、真我に対して内気であった。
真我を見ないで見る価値のないものを見続けてきた。
今、あなたの真我に内気であってはならない。
目をしっかりと開いて真我を見てごらん。
Q:パパジ、空間だけです。
すばらしい!すばらしい!それは空間だ.それは限界がない。
全てはこの空間の中にあり、あなたはこの空間だ。
あなたが空間であるとき、全てがこの空間の中にあるのだから全ての欲望はこ
こで終わりになる。
これが空間が実体である人の欲望の全てが、欲望が起こる以前に満たされてい
るということだ。
国の王は「この土地、あそこの土地を買いましょう」とは言わない。
王は全てを所有し、王国の君主なのだからこんな考えは決して起こらない。
このようにあなたが空間になったときは欲望の終わりだ、と言うことは苦しみ
の終わりだ。
欲望が苦しみを与える。
欲望が起こると、その近くに行きたい、それを達成したい、それを手に入れた
い、そしてあなたはそうするだろう。
そうしてあなたは幸福になる、違うかね? 欲望の対象物があなたを幸福にしたと考えるかもしれないが、真実は達成した
あとの欲望の不在が、その無の瞬間があなたを幸福にするのだ。
欲望無しでいることが幸福であることだ。
あなたの源泉に帰るとき、あなたは幸福だ。
これが幸福の秘訣だ。
全ての苦しみと死を取り除くためには源泉として留まりなさい。
そこでは何も存在しない。
全ては完全で満ち足りている。
それがあなたの本質だ。
あなたは既に「それ」であり、いつも「それ」であり続けるだろう。
「私は肉体」、「私はエゴ」という観念が苦しみを引き起こす。
教え込まれたこれらの観念が、存在しなかったときがあった。
そのとき、あなたは完璧であった。
そして、今も完璧だ。
頭の中に詰め込まれたこれらの観念を取り除きなさい。
振るい落としなさい。
そうすると、この今の瞬間に、あなたは誰かということを知るだろう。
さて、どんな考えが今あなたの中にあるのかな?
(´・(ェ)・`)
(つづく)
618
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/15(土) 23:37:50 ID:1d4drIFg0
中心とか外とか内とかも全て観念なのじゃ。
それがあるうちはアートマンには到達できないのじゃ。
全ての欲と観念を振り捨ててアートマンを求めるのじゃ。
そうすればアートマンも現れるのじゃ。
619
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/16(日) 00:09:22 ID:LC3de7YgO
>>617
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part3(つづき)
Q:全てに執着していると、どれだけ苦闘しなければならないかと気づいています。
苦闘する必要はない、苦しむというのはもがく事だ。どんな思考も起こさな
いこと。
「誰が苦闘するのだろう?」という考えや「私」という考えでさえも起こさな
いことだ。
「私」はない、肉体はない、エゴはない、マインドはない、感覚はない
、対象はない、顕現はない。
過去を振り返って、起こったこと(顕現)の全ては、感覚と感覚の知覚作用に
すぎないと理解しなさい。
感覚というのはマインドが外に向かって働いているということだ。
実際にはマインドと感覚を区別することはできない。感覚がないときマインド
はない。
マインドというのはエゴ以外の何ものでもない、エゴは「私」以外の何もので
もない。
そしてこの「私」という存在感は源泉そのものだ。
今度は源泉から始めよう、どうなるか見てごらん。
「私」は源泉から湧き上がる、波が海から湧き上がるように。この「私」
を湧き上がらせなさい、すべてをこの「私」に属させなさい。
「私」が起こって、エゴになる。エゴがマインドになる。マインドが感覚
になり感覚はそれぞれの感覚に応じた対象物となる。
これらの全てはあなたの内側で起こっている。これらの全ては意識の中で
起こっている。意識の中にある全てを見るためには、あなたは意識で在らねば
ならない。
しかしあなたは自分は肉体だ、マインドだと思っているのでいつも困難の中にい
る。
これを見ることができない。これが苦しみの原因だ。
あなた自身を個的なエゴ―マインド―肉体と考えるのは傲慢だ。
個人が全てを動かしていると考えるのは傲慢だ。傲慢以外の何ものでもない。
なぜ全てをこの意識と呼ばないのか?
全ては無だ。あなたは無の中で踊り手の役を演じているだけだ。単にこの
ゲームを演じなさい。
あなた自身を個人として見るか意識として見るかそれはあなた次第だ。一
つは破滅的、他方は平和だ。
平和以外に何が欲しいのか?「存在」として留まって見てごらん。
あなたは何もコントロールする必要はない。何かが起こるだろうと期待しない
ことだ。あなたは空間だ。
全てが「私」で、全てが「あなた」だ。全てが「それ」自身でこれがあな
たの本質だ。
「それ」について何もする必要はない。全てを解放して、今、無を見てご
らん。全てが投影されるスクリーンを見てごらん。
映画館に行ってスクリーンに映し出された映像を見ている。山や川やロマンス
、強盗の襲撃事件など・・・。
映画が終わったとき、スクリーンは川の水で濡れてはいないし、ロマンスの香
りもないし、盗賊の発射した銃弾の穴もない。スクリーンは完璧に白いまままだ。
この世界の顕現はあなたのマインドを横切る欲望の投影と同じだ。だから観客
としてのあなたは簡単にその映画にのめり込んで同一化されてしまうのだ。
あなたはこれらの映像ではない、あなたはスクリーンだ。スクリーンは映画が
始まる前、最中、終了後、みな同じだ。
もしあなた自身が完璧で、不変で、永遠のスクリーンと同一化したなら、あな
たは何が起こっても平静で、その変化に苦しむことはない。
逆にそれらを楽しむことになる。全ての存在はこの一つの潔癖なスクリーンだ。
それは全てを超えているので、埃を払ってきれいにするという修練は必要ない。
悟るには生涯の修練が必要だと説く教師達こそ、彼らのマインドという埃を払
って、きれいにするべきだ。
Q:私は永久に「これ」が欲しい。
あなたは初めて「この」経験をしたのだね。
過去に経験した全ての経験は消えてしまった。
だから「この」経験を永久に保ちたい。しかし「この」経験はあなたから決し
て離れることはない。
以前は全てがあなたから去っていった。「今、ここ」では、決して取り残され
ない。
あなたは正にその至高の力によって握られている、だから決して取り残される
ということはありえない。
もう恐れる必要はない。あなたは逃げられない、決して逃げられない。
この愛から逃出すことはできない(笑)。
一度それに触れたら、あなたは自分を見失う。
全ては解き放されて、「それ」そのものになる。
河が海に流れ込んでいくとき、河は即座に海になるように。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
620
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/16(日) 23:49:36 ID:LC3de7YgO
>>619
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part3(つづき)
Q:それが可能だということがまだ信じられません。
河が海に流れ込んでいくとき、河は永久に海であり続けることができるかと
自分に質問するかね(笑)?
それは過去の恐れだ、その恐れは今あなたから消えていく。
全ての経験は永遠ではないので消え去ってしまう。
それらは想像、幻想に過ぎなかったから消えていったのだ。
今、この経験は概念や知覚や想像を超えたものだ。
それはどこに消え去るというのか?
波は恐れているので、「私は生涯波としてありたい」という考えが波のマイ
ンドの中にある。
「私はなくなる、私はなくなる」と波は恐れている。
「私はなくなる」、どこに消えるのか? どこに行くのか? 消えて次は何にな
るのだろうか?
波が消えたとき、波は波でなくなり、その本質に帰っていく、海だ。
過去、波が海であった、現在、波が海である、未来、波が海であり続けるだろ
う、永久に!!
そこには時間という概念は全くない。時間というのは無知なマインドの中に存
在する。
光や知恵の中では「私は全体から分離している、私は広大さや充満性から分離
している」という考えは起こらない、これを知らないのが無知だ。
分裂はない、全てが一体で、愛で美だ。これから逃れることはできない。
今あなたの無知は消え去った。これが永遠の生命、これが蓮花の蜜だ。
Q:はい、解ります。いま無が見えます。
すばらしい! もし見えるなら、この見ることが在ることだ。
目を通して対象を見るときは物が歪んで見えるかもしれないが、この見ること
は在ることだ。
これを見る為のもう一つの目があるのだ。どの目を使うかはあなたにかかって
いる。
この視覚は肉体的な目とは何の関係もない。
それは内在性、内なる視覚だ。
この目を使うなら、外側も内側も、いつもこの目で見ることができる。
ニルヴァーナとサンサーラは何の違いもなくなる。見るものは全て内側にある。
全ての美しさ、知恵。その目は限界を超えて見ることができる。
内側でもないし外側でもない。解るかな? 顔にある目を通して見ることを止
めたら、他の目が開く。
あなたが今ここでやったように「私」という思考をつかんで源泉に帰りなさい
、そうするとその視界が開けるだろう。「無が見える」と言ったとき、この無
が「その」視界の美しさだ。
聖なる視界。あなたは理解するだろう、そして全てが美しい存在として見える
だろう。
Q:真我の観点からすれば何もすることはないというのは解りますが、私のい
るこの時点からマインドを解き放し、エゴ中毒を取り除くのに何かすることは
できないのですか?
最初に、あなたの観点が真我の観点より優れているかどうか見てごらん!
もしあなたが創造者やグルやあなた自身の真我より優れているのなら、もし
アートマンよりも優れているのならあなたの観点に従いなさい。
その結果を見なさい。
真我の観点というのは真我だ。
真理は真理、これは既に今、ここに。
あなたの真我に会うのにどんな修練が必要かね?
Q:いいえ、必要ないでしょう。しかし思考がやって来ると・・・・
真我は肉体より前に存在している。
あなたが話すことより前に、言葉よりも前に存在している。
どのようにして真我に行き着くのかという概念、実践や方法という概念を捨て
なさい。
捨ててしまったらそこに何があるか言ってごらん。
どこに居るのか言ってごらん。
努力や実践の概念を持ち込まないこと。
努力しようと考えないこと。
私が意味していることを本当に理解したなら、あなたは誰か、あなたは何が欲
しいか言ってごらん。
実践なし、思考なし、マインドの坩堝をかき混ぜないこと。
努力しようとしないこと。
私の話を聞いたのだから今度はあなたが話す番だ。
さて、あなたは誰か言ってごらん。
考えないこと、努力しないこと。
Q:私は神に会いたいだけです。
だから神があなたをここに今連れて来たのだ。
全ての人が神だ。
しかし私達が私達の中に神を見ない限りその事実を知ることはできない。
まず神をあなたの内側に見つけることだ。
そうしたら動物の中にも、鳥の中にも、岩の中にも神を見つけることができる
だろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
621
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/17(月) 23:58:45 ID:1d4drIFg0
神を信じる者には神を説くのが智慧なのじゃ。
その神もまた自らの心の中にあると言うのじゃ。
信じる神を心の中に見出すのじゃ。
そうすれば全てが神と気づくのじゃ。
622
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/18(火) 03:59:57 ID:LC3de7YgO
>>620
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part3(つづき)
Q:人々の目の中に神が隠れているのがだんだん見えてきました。
(笑いながら)神は隠れてはいない。
神が見えないということは、あなたは神以外のものを見ているということだ。
だから、他に何も見ないで唯一神だけを見るべきだ。
そうすると、あなたの目を通して見ているのが神そのものだ。
あなたの重荷を下ろして、神に降伏して静かにしていなさい。
そうすると神があなたの重荷を引き受けてくれる。
重荷を頭の上に担いで歩いている限り神はあなたの面倒を見ることはできない。
そのようなあなたにとっては、神は隠れているようにしか見えない。
Q:あなたは私が神だといいますが、私という一滴のしずくが海と同じなので
すか?
一滴と海との間には何の区別もない。海を創っているのはその一滴の全体性だ。
一滴、一滴の無数の集まりが海だ。
Q:それらは質的に同じ物ですか?
あなたのノーマインドは私のノーマインドと同じですか?
質的に同じだ。
一粒の砂糖と一ポンドの砂糖、味は同じだ。
そうだ、あなたのノーマインドは私のと同じだ。
Q:ノーマインドには疑いがないと言われましたが・・・。
(笑いながら)ノーマインドには疑いがない。
何もないのだから何を疑うのかね。
Q:ノーマインドの中での経験は何ですか。
そこに経験はない。ノーマインドの状態から抜け出したときにのみ対象に対
する経験がある。
過去の経験を取り除きなさい、そうするとこの瞬間には経験はない、経験すべ
き何ものもなく、経験者もいない。 あなたは全てから自由だ。
経験は時間の中で起こるがこの瞬間には時間がない。
この瞬間は時間とは無関係だ。
Q:ジャスミンと呼ばれる波はパパジと呼ばれる波に見つめられて一つになり
たい、そして「それ」を祝いたい。
波が海と一つになったとき、祝祭が始まる。
私は海ではないと考えているのは 波だけだ。「私は水と共に、どこにでも行く
ことができる」「私には長さや幅があるので岸まで行ける」。しかし再び、波
は沈んで海となる。
波の本質である水は海の本質である水と何の違いもないのだから「私は海だ」
ということを知りなさい。この水が海と波をつないでいる基盤だ。
基盤は波が海から分離していると考えても何の影響も受けない。
あなたは海と何の違いもない。海は波と何の違いもない。
この事実をあなたは祝うべきだ。これが分裂の終わりだ。
真我なしには何も起こらない。
全ての存在は真我として一つだ。
波は海の胸座で遊んでいる。
波は海と別れていると感じながら、時間の中で動き回っている。
そして最後に波は海に帰っていく。
波は海から湧き上がり、海の中で動き、海の中に帰っていく。
一体性はそのままだ。
波の動きは海にとっては何の問題もない。
海はあなたから離れた存在ではない。海は決してあなたを騙したりしない。
もしこれを知っているなら、あなたは好きなように遊ぶことができる。
愛は、海は、あなたを決して忘れない。もしこれを知らないとあなたは苦しむ
ことになる。
Q:昨夜、強烈な夢を見ました。その後かなりの沈黙が続き目を覚しましたが
、この夢が何を意味しているのか私には解りません。
夢は問題ではない。この沈黙が境界だ。目覚めでもなく眠りでもない、沈
黙だけが存在する。目覚めと眠りを越えたこの境界、そこには何の経験もない。
そこでは過去の記憶は存在しないし、それには名前もない。
もし名前を使いたいのなら、沈黙か無が最適だ。何を意味しているのか解らな
いというのが、それが境界域の沈黙であったという確証だ。
なぜなら、そこでは感覚や記憶力が働かないし、エゴも存在していないからだ。
これは眠りと目覚めの間の空白だ。
そこでは「私」・「あなた」・「彼ら」というのがない。
これを「無」と呼んでもよい。
そこから全てが現れたように、そこに全てが消えてゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
623
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/18(火) 22:47:45 ID:1d4drIFg0
ノーマインドとは気付きの状態なのじゃ。
そこでは思考も感情も静まり、心の本来の姿が見えるのじゃ。
主体は無く、全てが一つと見えるのじゃ。
誰にでも訪れるありようなのじゃ。
特に寝覚めで自分を忘れている時に感じることができるじゃろう。
624
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/19(水) 03:04:43 ID:LC3de7YgO
>>622
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part3(つづき)
Q:私は自分はライオンであるということを知っているのに、なぜ私はロバと
一緒に歩いているのでしょうか?
私の中のロバ性を解放していつもライオンでありたい。
あなたがライオンであると知っていたらロバと一緒に歩いても、問題はない。
ロバはライオンの餌だからだ(笑)。
だから、彼らは一緒にいることはできない。
ライオンが自分がライオンであることを忘れて、自分はロバであると考え出し
たなら、それは問題になる。
あなたに洞察を与えるライオンの話をしよう。
昔、ある村に一人の洗濯男が住んでいた。
その当時は村人達の洗濯物をロバの背に載せて川辺に運んだものだ。
ある日、洗濯男が川で洗濯しているところへ、一匹の雌のライオンが水を飲みに来た。
そのとき、密猟者が銃でライオンを撃ち殺した。
雌ライオンは死ぬ間際に赤子を産み落とした。
そこへ密猟者が来てライオンの皮を剥いで去って行った。
ライオンの赤子は後に残されて、かわいそうに思った洗濯男はその赤子を家に
連れて帰ってミルクを飲ませて養育した。
さて、このライオンの子に何が起こったか、注意して聞きなさい。
このライオンの子は誰が自分の母親か知らずに洗濯男に養育された。
そして毎日彼と一緒に川に行った。
遂にこのライオンは大きくなって、洗濯男はこのライオンのロバに洗濯物を担
がせ始めた。
このライオンは他のロバと一緒に草を食べ始めた。
なぜなら、人は一緒にいる人の習癖を見習うものだから。
子どもが煙草を吸う人と一緒にいると、同じように煙草を吸い出す。
このようにして習癖というものが形作られるのだ。
ある日この「ロバ」は他のロバと一緒に野原で草を食べていた。
一匹のライオンがこれを見て言った、「一体全体どうしたことか? どうして
あのライオンはロバと一緒に草を食べているのか?
ライオンの餌はロバだ。
しかしあのライオンはロバと一緒に草を食べている。近寄って見てみよう。」
ライオンが近づいた途端、この「ロバ」も含めてすべてのロバは逃げ去った。
ライオンは素早く、この「ロバ」の首根っこを捕まえた。
「どうしたのだ、お前はライオンだ。それなのに私を恐れてロバ達と一緒に逃
出した。お前と私は一緒の家族に属するのだぞ!」
「いいえ、ライオン様、どうか嘘をつかないで下さい。私はロバです」と、年
長の思慮深いライオンにとらわれた若いライオンは震えながらそう言った。
「私はロバです。どうか私を食べないで下さい。私の兄弟達が私を待っていま
す。どうか許して下さい。どうか冗談を言わないで下さい。私は自分がロバで
あるのを知っています。」
「お前はライオンだ。お前がロバだと考えるのは馬鹿げた事だ。」と賢いライ
オンは言った。
「どうして私がライオンであると信じることができましょう。私はロバです。」
そこでこの賢いライオンはこの「ロバ」を川に連れて行って「水の上に写って
っているお前の顔を見てごらん、お前の顔は私の顔と同じではないのか?」
この「ロバ」は叫んでいった。「確かに私の顔はあなたの顔と同じだ!!」
「今度は口を開いて私のように吠えなさい」。この「ロバ」はどのようにして
吠えるのかしらなかった。誰も吠え方を教えなかったので、他のロバ達と一緒
にロバのように啼いていた。しかし、吠えることはライオンの本性だ。
そこでこの「ロバ」は口一杯あけて吠えたのだ。
その途端、この「ロバ」はライオンになった。
この吠え声が、本当の自分についての疑いを拭い去ったのだ。
そしてこのライオンはロバを食べる為にその後を追っていった(笑)。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
625
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/19(水) 23:16:51 ID:1d4drIFg0
誰もが生まれ育った環境によって、自己イメージを作ってしまうのじゃ。
それによって大抵は一生自分の能力を限定して生きるのじゃ。
自分自身を観察できればそれも変えられるのじゃ。
本来の自分の智慧と力を解放できるからなのじゃ。
626
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/20(木) 01:29:31 ID:LC3de7YgO
>>624
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第1章 真我 ☆Part3(つづき)
さて問題は、このロバがどのようにしてライオンになったのか?
即座に彼はライオンになった。
何がこの「ロバ」をライオンにしたのか?
吠えたことだ。さもなければいつまでもロバのように啼いていた。
このように、あなたはあなたを川に連れて行き、あなた自身の顔を見せてく
れる*サットグルが必要だ。
あなたはロバではないが肉体に束縛された人々のロバ的社会に住んでいる。
「私は束縛されている、私は苦しんでいる、私は死んでいく」という人々はす
べてロバだ。
グルは「あなたは束縛されていない」と告げる。
「私は自由だ」とライオンのように吠えなさい。
それがロバとライオンの区別をつけるのだ。
しかしあなたは「メー」とヤギのように啼いているだけだ。
というのもこれがあなたの住む社会の習癖だからだ。
悪い連れ合いをもつとライオンでさえロバになる。
あなたは、ロバのような両親のもとで育った。
これが違いを作るのだ。
あなたが私の前に来るときは、私は無理にでもあなたの顎を開かせて吠えさ
せる。
そうしないとロバはライオンの前にとどまることはできない。
何世にもかけて排泄した 自分の汚物の中にいるのを止めなさい。
ライオンになりなさい。
それはあなた次第だ。
延期して、大人になって、年を取って苦しむだけだ。
ロバがしていることをあなたはしているのだ。
誰かがあなたに汚れ物を担がせて、洗濯屋があなたのボスになるのかね?
違う!! いつかあるライオンがあなたを見つけてあなたはライオンになる。
あなたは既にライオンなのだから。
ロバはライオンにはなれない。
歪んだ愚かな社会だけがあなたをロバにするのだ。
感覚はロバで、あなたの本性はライオンだ。
永遠に形をとらない意識だ。
ライオンのサットグルがあなたを意識の湖に連れて行き、
あなたの本当の顔を見せてくれる。
「あなたは既に『それ』だ」、
これがグルが言うべき全てだ。
私の親愛なる友よ、あなたは自由だ。
誰が「あなたは縛られている」と言ったのかね?
考えてごらん、誰もあなたを縛ったことはないし誰もあなたの足に鎖をつけ
たことはない。
あなたはただ「束縛されている」と考えているだけだ。
そしてその「考え」が束縛になる。
もし「私は自由だ」と考えるとあなたは自由だ。
それはあなた次第だ。
しかし「私は自由、あなたは自由」は唯一思考だ。
もしあなたが何も考えないとき、あなたは目覚めた人になる。
Q:私を川に連れて来て下さって有難うございます。
しかし、私は口を開いているだけで吠えてはいないのです。
口を開けてあくびをするのは眠たいときだ。
吠えるということは目覚めるということだ。
ライオンが吠えているときは、ライオンが起きているという証拠だ。
森の動物達、鹿や兎達はその吠え声を聞いて逃げ回る。
しかしライオンがあくびをすると誰もがこう言う:「ライオンは眠っている、
さあ餌を探しに行こう」と。
吠え声を聞くと誰もが穴の中に隠れてしまう。
このようにあなたが吠えるとマインドの習癖や怠性、あなた自身を見つけるの
を妨害している平和の盗人、全てが逃出してしまう。
そうしてあなたは目覚めるのだ。
その吠え声とは「私は自由だ!」
肉体やマインドや目を肥やすために何かを探しているあなたはあくびをして
いるということだ。
だからあなたは吠えなければならない、「私は自由だ!」。
吠える為にはどこへ行くべきか?
あなたのエゴが眠っている、そのときがサットサンガにいく最適なときだ。
完全に眠っている人々は彼らの真我の吠え声を聞いたことがないので今なお眠
り続けるだろう。
そういう人たちは時機が熟していないのでサットサンガに連れて来る方法はな
い。
そういう人たちは眠らせておきなさい。
しかしあなたは目覚めていなさい。
サットサンガにやってきなさい。そしてライオンのように吠えるのだ!!
(´・(ェ)・`)
(おわり)
627
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/20(木) 22:58:46 ID:1d4drIFg0
悟るとは自分がなにものであるかを悟るということなのじゃ。
師は自分がなにものであるかを悟らせてくれるものなのじゃ。
自分がなにものであるか悟れば無我になるのじゃ。
更に無我を観る者さえ悟れば大悟徹底なのじゃ。
628
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/21(金) 01:38:20 ID:LC3de7YgO
>>626
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第2章 サットグル:真のグル ☆Part1
真我がサットグルだ。
内なるものがあなたを助けてくれる。
あなたの真の案内者は内に、
知恵と知識は内に。
しかしあなたの先入観のためにそれを見ることができない。
サットグルは内に。
「それ」だけを瞑想しなさい。
サットグルは他の何よりも偉大だ、
神でさえもかなわない。
サットグルは真理-気づき-至福。
サットグルは太陽、
サットグルを見つけたらあなたの松明はもういらない。
あなたは内なる真我の言葉を理解することができないので、
サットグルが外なるグルとして現れる。
あなたが自分は肉体だと考えているなら、肉体を持ったグルが必要だ。
あなたに平和を与えてくれる聖人と一緒にいなさい。
彼はサンサーラという砂漠の中で、
涼しい木陰を与える大樹のようなものだ。
このグルは羊のようなエゴの屠殺者だ。
グルの役目は私はあなたの内にいると教えて、
あなたは存在―意識―至福だと確信させることだ。
真のグルは誰でもこう言うに違いない:
「内を見なさい、あなたと真我とグルの間には何の違いもない。」
宝物のありかをグルは教えてくれる。
真のグルかどうかは頭の上のダイヤモンドや、弟子の数では判断できない。
真のグルというのは、
その人の現存があなたに平和を与え、
欲望や執着や切望を取り除く人だということを知っていなさい。
*1ジニャーニの松明の火は偽りの確信でできた家屋を完全に燃やしてしまう。
しかし、*2カビールの言うように誰もこの火をありがたく受取る人はいない。
グルは真理を知っている。
この真理を、謙虚な弟子達に伝達する。
目での一瞥、手で触ること、思考、
あるいはアルナーチャラのように沈黙によって、真理を伝達する。
この沈黙が不動の光だ。
真のグルには弟子はいない、
全てが「存在」であり、沈黙だけが話す。
完璧なグルには教えることがない。
なぜなら彼は、あなたはすでに自由だと知っているからだ。
真のグルの「教えでない教え」は、「グルなし、弟子なし、教えなし」、
「何もかつて存在したものはない」、この教えを言葉なしで伝えねばならない。
この教えを言葉なしにあなたのハートに植え付けねばならない。
もしあなたがそれを理解しようとしたら、
それは頭の中に植え付けられることになる。
真のグルは名前や形や概念を取り除く。
説教師はあなたの首に縄をかけて捕らえようと、
それらをもっと付け加えていく。
説教師は死肉に集まる禿鷹のようにあなたにしがみつく。
真のグルはそれぞれの弟子達が吸収することができるものを教えて送り返す。
だからあなたはグルをテストしなければいけない。
グルの系列を調べなさい。これは大変重要だ。
グルの弟子への解答は、
実質的な経験をあなたに与えることによって返答されるべきだ。
聖者はマインドからではなく、無から答を出すからだ。
マインドとマインドの付き合いには、どんな価値も美しさもない。
真我に近づくことは、危険に瀕して歩いているようなものだ。
二人は一緒には行けない。
マインドや思考でさえも連れて行くことはできない、
唯一あなたを助けてくれるのは真我だ。
この「炎」に触れたものは全て「炎」になるように、
聖者に触れて聖者になる。
真我を知ると真我だけを見る。
この真我があなたの真のグルだ。
最終的にはあなたのグルとあなた自身、両方の名前と姿を取り除かねばならない。
月を見たいなら、月を指し示している指にとどまるべきではない。
名前と形のあるところには偽りがある。
目に見えるものは何も自由を与えることができないのだから、
名前と形は自由への障害となる。
溺れかけているときは真我だけを掴みなさい、
他のものを掴むと死ぬだけだ。
サットグルは内に、「それ」だけを瞑想しなさい。
真のグルは真我、
他の全ては真我を指し示す指だ。
五つの要素でできたものに執着しないこと。
用語解説
*1ジニャーニ 智慧そのものの人、悟りを開いた人。
*2カビール (1440-1518) インド、バナラシの聖人
(´・(ェ)・`)
(つづく)
629
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/21(金) 23:04:00 ID:1d4drIFg0
悟りを得た本物の師は常に弟子に自らの心の中を観るように教えるのじゃ。
それだけが真の師の仕事なのじゃ。
嵐の中の船のように時々心が迷う弟子に、常に自らの心を指し示す灯台のような存在なのじゃ。
心の中の自らの名前とイメージが見えたならば師の役目も終わるのじゃ。
630
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/22(土) 10:22:02 ID:LC3de7YgO
>>628
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第2章 サットグル:真のグル ☆Part1(つづき)
グルは目に見えようが見えまいが肉体ではない。
どんな肉体にも依存しないことだ、
それらは真理を指差している指にすぎないのだから。
グルはあなた「自身」だ。
エゴ自身ではなく、「今、ここ」にある「あなたの真我」だ。
グルの姿を拒絶したら、至高のものだけが残る。
あなた自身の真我を失うということは不可能だ。
グルによってあなたは誰かと知らされることが必要なだけだ。
このパイロットは愛と美で、この自由がマスターだ。
ただ静かに座っていなさい、全てはうまくいく。
Q:グルとは何ですか。
文字どうりの意味は「暗闇を取り除く人」という意味だ。グルはあなたのハート
を開いて、光を見せてくれる「それ」だ。グルは知恵と光そのものだ。
Q:どのようにして真のマスターを見分けるのですか?
真のマスターは彼の言葉や行為を通して見分けることはできない。しかしあなたの
マインドは彼のまわりにいると静かになるだろう。マスターとしてのしるしや徴候が
言い伝えられているが、真のマスターにはどんな徴候もない。ともかく彼はメッセー
ジを言葉なしに伝えることができる。
Q:真我を実現するためにはグル、生きたグルが必要ですか?
生きたグルの恩寵なしに真我を実現することはできない。あなたが身体の中にいる
のなら肉体を持ったグルが必要だ。さもなければグルは内在しているがあなたはその
言語を理解できない。だから肉体を持った探求者には肉体を持ったグルが必要だ。そ
うして、対話を通じて探求者の疑問が取り除かれる。そして、探求者はグルが内にい
ることを理解する。
「グルはあなたの内にいる」と教えるために、グルが外に必要だ。
グルはあなたの内なる無形性であなたもまた形の無いものだ。もしこれを知っている
のなら、肉体を持ったグルは必要ない。幸運にもあなたが肉体を持った真のグルを探
し出したのなら、決してこのチャンスを逃がすものではない。
Q:肉体を持たないマスターは、私のマスターになるべきパワーを持っていますか?
もしあなたが肉体を持たないマスターの言うことを聞くことができるだけのパワー
を持っているのなら、肉体を持ったマスターは必要ない。マスターはいつもそこに肉
体なしでいるのだから。「それ」はあなたを通じて話している。「それ」はあなたの
ハートの中にいる。彼の言うことに耳を傾けないのかね? あなたの内で教えている
、姿の無いマスターの言うことを聞かないのかね?
Q:はい、聞いています。
もし聞いていたなら、このような質問をするはずがない。
Q:生きたグルを持たない、キリスト教徒や仏教徒はどうなるのですか?
西洋にいようが東洋にいようが、あなたは生きたグルを見つけなければならない。
そしてそのグルをテストしなさい。そのグルの現存がマインドを静かにさせるのなら
、そのグルに従いなさい。一緒にいなさい。あなたは肉体だと考えるなら、あなたを
助けるために肉体を持ったグルが必要だ。
自由になりたいという強烈な欲望を持っている人は、真のグルを見つけることがで
きる。私の場合がそうだが、グルがあなたの戸口にやって来るのだ。私は他のどんな
欲望もかなわないほどの一つの強烈な欲望を持っていたからだ。
Q:*3ラマナ・マハルシのように、ある人は肉体を持ったグルなしに真理を見つける
ことができたのはどうしてですか?
ラマナ・マハルシもまた、非常に大きな体格をしたグルを持っていたのだよ(笑)。
それはアルナーチャラだ。グルはどんな形もとることができる。アルナーチャラは沈
黙そのもので、不動だ。これらは真のグルの徴候だ。真のグルは言葉では教えない。
言葉では真理を伝えることはできないからだ。マハルシも又アルナーチャラのように
、沈黙の中で教えた。多くの他のグルは昼夜、犬のように吠えている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
631
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/22(土) 23:26:42 ID:1d4drIFg0
アルナーチャラとはマハリシの住んでいた山なのじゃ。
沈黙する山がマハリシのグルだったというのじゃ。
自然は常に人に沈黙を持って導いているのじゃ。
そこで深い瞑想に導いてくれるのじゃ。
632
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/23(日) 00:05:34 ID:LC3de7YgO
>>630
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第2章 サットグル:真のグル ☆Part1☆Part2
あなたが静かで、平和であるなら、この平和があなた自身のグルだ。
「それ」はあなたの内を除いてどこにも見つけることはできない。
これが私たちが、*4オーム、*5シャンティ、シャンティ、シャティと唱えてサット
サンガを始める理由だ。マインドから生じる疑問を取り除くために、あなたはここで
質問することができる。しかしこれは単なるおしゃべりではない。疑いがないとき、
あなたは平和になる。
Q:グルを2人持つことができますか? それとも一人を選ばなければなりませんか?
全てがあなたのグルだ。岩は沈黙を教えてくれる。木は慈愛を、風は執着しないこと
を教えてくれる。グル、講師、心理学者、好きなだけ持つことができるが、あなたに
とってサットグルは一人しかいない。どのようにしてこのグルに会うのか? エゴな
しでだ。
サットグルはあなた自身の真我の内にいる、
他のどこにもいない。
あなたのサットグルはあなたのハートに住んでいる、
すべての存在のハートに住んでいる。
内なるグルの言葉を理解することができないので、
彼の恩寵として外に姿を現し、内を見るようにと教える。
マハルシはいつも言っていたものだ、「真のグルは内に……」
多くのグルはこの事について話さないで、彼らの写真だけを持っているように強制す
る。これらのグルからは心の平和を得ることはない。とにかく、ラマナアシュラムに
行ってラマナのホールに座るだけで、平和がそれ自身であなたのところにやって来る
だろう。
用語解説
*4オーム そこから全ての創造がおこる根源的な音
*5シャンティ 平和
Q:マスターと弟子の関係は何ですか? それはどのように働くのですか?
マスターというのは、あなたは光そのもので暗闇は決して存在したことがないとい
うことを教えてくれる人だ。(パパジは質問者の目を見つめて、一息して笑いながら)
これがどのようにして働くかだ。
なぜマスターと弟子の関係を望むのかね? 弟子とマスターの間には関係があると誰
が言ったのかね? どの本に書いてあったのかね? あなたはこれを聞いたことがあ
るだけで、この関係については何も知らない。もし私がそれについて話しても、あな
たはそれを理解することはできないだろう。
まず最初に、この関係の中に落ち込むことだ。そうしたら説明なしに理解することが
できる。あなたが誰かと恋に落ちたときは、愛についての説明は必要がないだろう。
もし7歳の娘に母親が恋について説明しても、少女は理解できないだろう。
この関係の中では努力しなくてよいのだ。最愛の人の前にいる時、この最愛の人はあ
なたに努力するようにとは言わないだろう。この最愛の人はあなたの面倒をみて、そ
の人がすることをすべて受け入れるだろう。愛の中では対話は必要ないので、何が起
こっているのかとたずねようともしないだろう。愛の中では、対話なし、質問なし、
答えなし。単に二人とも静かだ。
今あなたは静かで、あなたの最愛の人も静かだ。何か素晴らしいことが起ころうとし
ている。待ちなさい。
Q:あなたと私の間にはどんな違いがあるのですか? なぜあなたは椅子に座ってい
て、私は床の上に座っているのですか?
違いがあると信じている人が床に座り、信じない人が椅子に座るのだ。(笑い)
Q:グルは神と一つですか?
覚醒した人と神の間には何の違いもない。神というのは、大文字のGOD。宗教とは
何の関係もない。グルと神は両方とも形を持たない。形の無いところに違いは存在し
ない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
633
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/23(日) 23:16:48 ID:1d4drIFg0
ここでパパジは最大最高の教えを授けたのじゃ。
相手の眼を見ることで永遠の意識を見せたのじゃ。
相手がサマーディ位にまで達していたら、師の一瞥によって無我にも辿り付けたじゃろう。
残念ながら何も感じられなかったようであるがのう。
言葉の無い教えこそ最も偉大な教えなのじゃ。
634
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/24(月) 00:14:17 ID:LC3de7YgO
>>632
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第2章 サットグル:真のグル ☆Part2(つづき)
Q:不滅性については何も知りませんが、マスターが死ぬと何が起こるのですか?
実体は残るのですか? 私のグルがかなり前に亡くなったのですが、彼はまだ私の助
けになるでしょうか? あなたのグルが亡くなったとき、あなたにとってそれはどう
でしたか?
私のグルは死んではいない。私のグルはただの骨と皮と血と骨髄だと、決して思っ
たことがない。私には私の大切なグルだけしか見えない。そのグルは内に、あなたの
「真我」の中に。内なるこれが外に現れて、「私はあなたの内にいるよ」と教えるの
だ。もしあなたのグルが生きている間にこの教えを明らかにしていたら、今そんなに
悲しむ必要はないのだが。
グルの教えはグルの肉体よりもっと大切だ。カップの中の水を飲む時、カップを食べ
て水を捨ててしまうのかね? そうじゃない、カップの中身がもっと大切で外側では
ない。外にあるのはただの器で、器の中に何があるのか誰も知らない。
肉体のないあなたのグルは、目に見えない姿であなたのハートの中に今もいるのだと
いうことを見てごらん。この見えない姿は決して死なない。内を見るとこれが分かる
だろう。あなた自身もまた、見えない姿にならなければならない。そうすると、あな
たが愛した全ての人の見えない姿を見ることができるだろう。
誰かを深く愛すると、たとえその人が死んでも、目を閉じたらその人を見ることがで
きる。たとえ眠っていても夢の中でその人を見ることができる。しかし、その愛は非
常に親密な愛、真の愛でなければならない。あなたが心の底から真にその人を愛する
時、その人は決してあなたから離れることはない。
あなたは今ここにいるのだから、2〜3日滞在してあなたが見逃したものを見つけ出し
なさい。グルは決して死なないのだから、グルに対する執着は永遠に残るだろう。
Q:どうか内なるグルを見つけるのを助けて下さい。
外なるグルが内なるグルの居場所を教えてくれる。頭の中で多くのことが起こって
いるので、内なるグルが隠れ続けて来た。だから内なるグルを見ることができないの
だ。
内なるグルが見えないのは、
どこか他の場所を見ているからだ。
外側を見るのをやめなさい、
そうするとあなたの努力なしで
「それ」がそれ自身で姿を現すだろう。
愛と快楽を追い求めるマインドをただ止めるだけでよい。
マインドはあらゆる所からあなたのお尻を蹴りながら、延々と物を追い求めて走り続
けるように計略を仕掛ける。少数の人がこれらのずる賢こい計略から自由でありたい
と望む。少数の人がマインドの奴隷になるのを拒否して、自由になることを決心する。
マインドを奴隷としてコントロールしなさい、
そうするとマインドは非常に役に立つものだ。
このマインドへの計略を外なるグルから学びなさい。
奴隷をコントロールすること、奴隷を愛すること、奴隷を静かにさせておくこと。
マインドを困らせないこと、マインドがあなたを困らせるのを許さないこと。
これがマインドのコントロールの仕方だ。
全ての人がこれをすることができると言うわけではない。少数の人がこの試みに成功
するだろう。
Q:グルへの奉仕について話して下さい。私がここにいることであなたの役に立っているのでしょうか?
グルから知識を受け取るには12年間グルに奉仕しなければならないと私はかって言
ったことがある。昔はこれが伝統であった。今、人々は大変急いでいる。人は私のと
ころにやって来て、「自由が欲しい、今夜の便で帰らなければならない」(笑)そう
いう人たちには私はこう言ったものだ。
「他の興味にロープをつないでおいて、急いでやって来て自由が欲しいとは何事だ!
昔は12年間のテストと言ったものだ。」
本当に自由が欲しい人でない限り、人々は逃げ帰ってしまった。グルを騙しにやって
きた人は、12年間のグルへの奉仕と言うと逃げ帰ってしまった。その目的の為に、弟
子はグルに12年間奉仕するように言われた。12年後にグルは弟子に知識を与えたもの
だ。
ここでは私は12年間要求しない。私はあなたの時間のほんの瞬間が欲しいだけだ。人
々にはそれさえも難しいようだ。あなたの全人生の中でほんの一瞬、ここで私と一緒
にいて欲しいだけだ。
殆どの人にはこれができない。この瞬間を見逃したら、35億年の生と死の輪廻を又め
ぐり続けねばならないのに。あなたは今ここにいるのだからたった一秒間、私と一緒
に過ごしてほしい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
635
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/24(月) 23:49:19 ID:1d4drIFg0
内なるグルの導きは修行者が真に悟りを求めるようになったら来るものじゃ。
カラスの声とか鐘の音とか経文とかあらゆるものに現われるのじゃ。
万物は全て意識であるからのう。
内なるグルは常に全てから導きの手を差し伸べているのじゃ。
636
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/25(火) 05:28:04 ID:LC3de7YgO
>>634
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第2章 サットグル:真のグル ☆Part2(つづき)
Q:私は私のグルが亡くなる前、9年間彼に仕えました。
あなたはよい顔つきをしている、9年間の献身があなたの顔に輝いている。あなた
の前のグルが、*1ラクナウで後の3年間をすごすようにとあなたをここに連れて来た
のに違いない。だからあなたはここにいるのだ。これが前のグルの目に見えない恩寵
だ。
3年間ここにいなさい。自由になる為の非常に簡単な方法を教えてあげよう。
外でサットサンガにやって来る人たちの履き物をきれいにしなさい。これがあなたの
エゴを拭い去るだろう。サットサンガホールの準備が整ってからやって来るのではな
い、準備をする為にやって来るのだ。椅子を拭いて、床を掃いて、靴も磨くのだ。一
日でもよいからこれを試しなさい。これがあなたのエゴをきれいにする。エゴがなく
なると無になることが可能だ。
Q:あなたの為に何かできますか?
今言ったばかりだ。私の為に何もする必要はない、みんなの為にそれをするのだ。
みんなの世話をしなさい。そうすると彼らはあなたに会うのが楽しみだ。「神に仕え
るよりも神の帰依者に仕えたほうがよい。」これが言われていることだ。
寺院に行くと、入り口でほこりを集めて額にこすりつけて入る。エゴの無い人にとっ
ては寺院のほこりさえ神聖だ。それがなされるべきことだ。さもないとエゴが強すぎ
て今世で解脱することはできないだろう。
Q:あなたは毎日私たちに愛を降り注いで下さいますが、私はそれに値するほど純真
ではないと感じています。
あなたの中に不純さを見つけ出したのはよいことだ。そうして初めてあなたのハート
を清めようと試みるが、誰も自分のハートの不純さに気づく人はいない。まずあなた
自身の不純さを清めることから始めなさい。
あなた自身のマインドが清められると、他人のマインドの不純さは目に付かなくなる
だろう。だから、不純なもの、思考を取り除きなさい。思考のあるところには不純さ
がある。思考がないとき、あなたは全てに値する。
Q:グル自身が弟子の夢の中に現れるというのは本当ですか?
非常に真剣な探求者で、グルを見つけることができない人々にこれが起こるものだ。
夢の中で指示が与えられる。私の場合、私のグルはこのようにして最初に現れた。
*2エクナスのグル、*3ジャナルディンスワミもまた夢の中で彼のところにやって来
た。エクナスは夢の中である住所を与えられた。夢から覚めて、その住所に行って、
そこに彼のグルを見つけて彼は悟った。
真剣な求道者でありなさい、そうするとあなたはグルを見つける必要はない。あなた
のグルがあなたを見つけるのだから。神でさえあなたのところにやって来るだろう。
Q:今朝目が覚めた時、昨夜あなたが私の夢の中にやって来たのを思い出しました。
私たちは川辺に座っていて、私はあなたに一輪の花を手渡しました。あなたは花を見
て微笑んで“川の行方は一つだ”といいました。
私はあなたを仏陀の時代へと連れて行こう。
仏陀とその弟子達は静かに座っていた。
そこにカシャップ(迦葉)がやって来て、微笑みを浮かべて一輪の蓮の花を仏陀に手
渡した。
仏陀は微笑みを返して、その時カシャップは悟った。マハカシャップ(摩訶迦葉)に
なったのだ。
それ以来、何世紀にも渡って人々はこの意味を探りだそうとした。一輪の花を手渡す
、微笑、悟り。これは大変な教訓だ。
あなたは一輪の花を摘んでグルの所に持って来る。グルは微笑む。グルからの微笑で
どうしてカシャップが悟りを得たのか、誰も正確な意味を探り出すことができない。
もしその意味を理解したいなら、静かにして、ただ見ていなさい。カシャップがそこ
に戻って来るだろう。それは非常に簡単だということを意味している。
一輪の花を持っていく、グルに差し出す、彼は微笑む。そしてあなたは悟りを得る。
なぜグルが微笑んだのかと尋ねないこと。何も尋ねないこと、そうするとあなたは花
のように咲きほころぶのだ。
多くのことがこの話に付け加えることができる。しかし何も尋ねないこと。そこには
深い意味があるのだ。あなた自身でその答えを見つけ出さねばならない。私があなた
に与える質問は……
一輪の花とは何か?
どのようにして花を差出したか?
微笑の意味は?
誰に花を与えたのか?
花の意味するものは何か?
用語解説
*1ラクナウ インドのウッパルプラデッシュ州の首都、パパジが住んでいた町
*2エクナス (1533-99)インド、マハラシュトラ州の聖人
*3ジャナルディンスワミ インドの聖人
637
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/25(火) 22:59:27 ID:1d4drIFg0
禅でも作務という日常の作業を修行として行うのじゃ。
掃除や洗濯や炊事等を黙々と行うことでエゴを滅する修行になるのじゃ。
修行する自分が特別な存在であるというエゴが消えていくのじゃ。
そのようにすることで自我も滅しやすくなるのじゃ。
638
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/25(火) 23:36:20 ID:LC3de7YgO
>>636
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第2章 サットグル:真のグル ☆Part2☆Part3
Q:思考を殺すための鋭い武器がほしい。
鋭い知性を持った人に降伏しなさい、戦争と平和の計略に詳しい人に降伏しなさい。
彼にあなたの戦車の手綱を委ねなさい。彼の命令に従いなさい。グルへの降伏という
武器意外に鋭い武器はない。彼があなたのために戦ってくれる。
私はグルに降伏するように助言する、
内側から彼の言うことを聞きなさい。
そして、肉体は機械と思いなさい。
あなたがそれを動かすのではない、それはただ動いている。
ハートに座している御者を見つけなさい、
そうするといつも平和でいられるだろう。
Q:平和を見つける為に、あなたの前に座ってあなたの目を見つめても宜しいでしょ
うか?
その人の目を見つめたら平和と休息を見つけられると誰があなたに教えたのかね?
それには真実味がある。マインドが静かな人の目を見つめると、あなたもまたあなた
「自身」の中に平和を見つけることができる。マインドが不動な人の目を見つめるか
、その人のハートを見入るかどちらかだ。そうしてあなたのマインドは静かになる。
あなたは平和を見つけることができるだろう。
この目に引き付けられて、他のものを見るのを忘れてしまう。今度はあなたの目を、
あなたの目の後ろを見つめてごらん。外側の対象物でなく目の後ろを見てごらん。そ
うすると、どのようにして静かにしていられるかという「コツ」を見つけることがで
きる。
Q:西洋に帰ると古い習癖が又戻って来る、と考えるのはマインドの罠ですか? ど
のようにマスターの現存が「自由であること」を助けるのでしょうか?
西洋に帰ると心の平和が乱されるとどうして考えるのか? あなたがここにやって
来たときは不安があった。今あなたは平和を知っている。平和をあなたとして持って
帰りなさい。
誰もこの平和を乱すことはできない。「これ」や「あれ」を望むことで、あなた自身
の平和をかき乱すのはあなたなのだ。今これを試してごらん。あなたの平和は決して
乱されることはなく、あなたはいつもサットサンガにいるだろう。
真に幸運な人だけがサットサンガにやって来る。何億年もの間、何世にも渡ってサッ
トサンガを熱望していたに違いない。その間に苦行や修業をしたに違いない。だから
今この平和を勝ち得るのだ。そのために相応しい年齢だ。あなたはサットサンガでは
非常に若い年代だ。これは珍しいことだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
639
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/26(水) 22:42:11 ID:1d4drIFg0
欲を持ち、執着して苦しむのも自分の心が起こすことなのじゃ。
場所とか人によってなるのではないのじゃ。
自ら意志を起こして欲を遠ざけ、執着を無くすならばどこにいても心は鎮まるのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
640
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/26(水) 23:44:34 ID:LC3de7YgO
>>638
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第2章 サットグル:真のグル ☆Part3(つづき)
Q:イエスキリストが生きているのと同じような意味で、ラマナ・マハルシはまだ生きていますか?
ラマナ・マハルシは生きている。これは信じることではなく真実だ。何も創造され
なかったし、何も消滅したものもない。全てがいつもここにある。
目覚めた人だけがこれを見ることができる。全ての存在はまだ「ここ」にいる。それ
らは決して消えることはない。どこに行くことができるのだ? それらは「ここ」に
とどまっている。全宇宙の全存在はあなたのハートの中に存在している。他に存在す
るところはない。
ハートそのものの中に全ては存在し続ける。
あなたのハート以外に何もない。
宇宙の中の全てのもの、始まりから終わりまで、山脈から流星まで、
全てはあなたのハートの中の点にすぎない。
あなたも「ここ」にいる、全ては常に存在する、これが究極の知識だ。
創造はない、保存はない、破壊はない。
創造者が現れる以前からそれはあるがままにあったし、
あるがままにあり続けるだろう。
創造者はこのハートの本質から生まれて来るのだ。
(パパジはアメリカからの長い手紙を読んでいる。自由に向けての何年もの葛藤、自由
にもっと近づくために環境を変えようと試みている人の話だ)
私が今読んだ手紙に対する私の意見は、自由でありたいという切望が内から湧き上が
って来ているが、まわりの環境がそれを許さないので環境を変えたということだ。
彼は、真のグルの近くにいて学ぶということをしたことがない。これ以外のことは全
てやり遂げた。そして今は砂漠や僧や尼僧に執着している。あなたはどこでも好きな
ところに住むことができる。山と街になぜ区別をつけるのか、なぜ違いがあるべきな
のか? 違いがあるのは、マインドがあなたを騙しているからだ。
街のど真ん中で静かにしていることはできるが、ヒマラヤの洞窟では静かにしている
ことができないかもしれない。環境のことは忘れてしまいなさい。
あなたの人生で、愛と平和を知っている人、
それを手渡してくれる人と一緒にいるのがよい、
このマスターは、人生の荒波を乗り切ってあなたを運ぶ筏だ。
筏なしで人生の荒波を越えていくのは簡単ではない。
山中であろうが家の中であろうが、瞑想で時間を無駄にしないこと。
その代わり、マスターのところに行きなさい。
マスターが筏だ、それがあなたの面倒を見てくれる。
唯一筏があなたを運ぶ、瞑想や努力はあなたをどこへも運ばない。
この筏がマスターだ、この事を知りなさい。
時間を無駄にしないこと、彼自身の真我を知っているその人を探しなさい。
その人は、あなたの全く知らないことを教えることができる。
今がその時だ、この機会を無駄にしないこと。
ここでは私は瞑想や修練を教えない。
ただ、静かにしていなさい。
一瞬でよい、静かにしていなさい。
マインドの坩堝をかき混ぜないこと。
一瞬のフィンガースナップで目覚めないのなら、私の前に来てこの公式はあなたには
適さないといいなさい。ここに来て私と顔を突き合わせてごらん。そうすると「静か
に座ったことがないので、愛と平和にあったことがない」ということはできない。こ
の挑戦は全ての人にオープンだ。今日、明日、明後日……。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
641
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/27(木) 21:42:17 ID:1d4drIFg0
クリシュナムルティも通常の集中的な瞑想を否定したのじゃ。
それは逆に心を鈍くさせ、習慣的にさせるからというのじゃ。
心を鎮めることが出来たら、それが真の瞑想になるのじゃ。
そのようにして瞑想する者の居ない瞑想は既にサマーディの領域に達しているのじゃ。
642
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/27(木) 22:56:41 ID:LC3de7YgO
>>640
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第2章 サットグル:真のグル ☆Part3(つづき)
Q:あなたがラマナ・マハルシに逢った時、目覚めるのに殆ど時間はかからなかった
と聞きました。
ラマナ・マハルシの一瞥であなたは自由になったというのは本当ですか? その時の
グルの伝達力の本質は何ですか?
マハルシは、いつも目を開けたままホールに座っていた。特に誰を見るというので
もない、彼の目は空っぽであった。私が彼の前に座った時、彼は他の誰でもなく私だ
けを見つめていた。この一瞥は恩寵だ。恩寵は、グルの恩寵を最も必要としている人
の上に注がれる。
ウパニシャッドに書かれているように、一瞥で十分だ。グルからの一瞥、一触れ、一
言で十分だ。マントラを唱えたり、瞑想したり、修練したりする必要は何もない。し
かしあなたは神聖であらねばならない。その時、この一瞥は目の後ろに焼き付くだろ
う。その時、全身が沈黙と愛の中で光り輝く。
ラマナ・マハルシのその一瞥は、世界中のもっとも偉大な聖者や賢者の目とは比べ物
にはならない。それが真我から真我への一瞥だ。だから、もし賢者があなたを一瞥し
たなら、この世に生まれて来た目的は達したのと同じだ。カビールはこう言っている
:
人間の姿をして、この世に生まれて来るというのは大変な祝福だ。
だから、死ぬ前に今世で真理を悟るのだと決心しなさい。
なぜ今世、なぜ今日ではないのか? なぜ今日だ、なぜ今ではないのか?
急がないと、肉体からこの鳥が飛び去ってしまったら後悔するに違いない。
Q:私はマナリの山をとても愛していますが、山はあなたと一緒にいることに比べた
ら比べものになりません。あなたの近くにいると、真我探求や神への愛の深さを非常
に強く感じます。神、グル、真我は同じだと経典では言っていますが、この祝福され
た三位一体の秘密を明かして下さいますか?
*1ヴェーダでは神、グル、真我は同じだと書かれているのを私は知っている。しか
し、グルを通じてのみ神や真我を知ることができるのだから、私はグルが神や真我よ
り高い位置にいると信じている。ここで王の調髪師であった男の話をしよう。
この男は毎朝8時に王のところに行き、マッサージをし、髭を剃った。ある朝、いつ
ものように彼が王のところに行こうとしているとき、彼のグルが訪ねて来た。彼は喜
んでグルの身体を洗い、朝食と昼食を用意した。彼はすっかり王のところに行くのを
忘れてしまった。
グルを十分にもてなし、世話をした後で、彼は王を思い出した。「グルジ、私は王の
ところに行って王の足をマッサージしなければなりません。王はリューマチもちで2
時間のマッサージなしでは宮廷へ行くことはできません。今日、私は大変遅れてしま
ったので王は怒っているかもしれません。王が私を罰して、私は二度とここに戻って
来れないかもしれません」
グルは答えて、「さあ、行きなさい。しかし夕方には戻って来てお茶を入れて下さい
」
そうして彼は宮殿に向かった。彼が宮殿の門を入ると上官がにこにこして彼に微笑ん
だ。そして王の前に行ったら、王は膝まづいてお辞儀をした。「どうか殿下、私にお
辞儀などしないでください。これは罰よりも辛いものです。あなたが私を殺しても構
いませんが、あなたが私にお辞儀をするという辱しめは我慢ができません」。
王は説明した。「今朝のマッサージは非常によく効いて、何十年来初めて助けなしに
一人で歩くことができた。私の足は治ったのだ。ダイヤモンドのネックレスを褒美に
あげようとしたが、お前は既に帰ってしまったあとだった。」
この調髪師は敬礼していった、「親愛なる王様、長い間あなたにお仕えしましたが、
今日でおいとまいたします。これからは私のグルに仕えたいと思います。」そうして
、彼は残りの人生をグルと一緒に過ごした。
そう、私はグルを一番におきたい。そして真我、神だ。この事をあなたはここで学ぶ
だろう。
用語解説
*1ヴェーダ 最古のヒンディー教典
(´・(ェ)・`)
(つづく)
643
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/28(金) 22:59:14 ID:1d4drIFg0
目覚めた者が他の者も目覚めさせることが出来るのじゃ。
それは本当に寝ている者を起きている者が起こすようなものじゃ。
目覚めているという意識が他の寝ている者を揺り起こすのじゃ。
それには一瞥や一言でも十分なのじや。
644
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/29(土) 00:09:30 ID:LC3de7YgO
>>642
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第2章 サットグル:真のグル ☆Part4
Q:「グルなし、教えなし、弟子なし」とあなたは言いますが、私はこの事について
少し疑問に思っています。明後日、私はフランスに帰ります。グルなしで、ラクナウ
に帰って来ることなしに、私の内なる声に従うだけで自由を獲得することができるの
ですか? 覚醒した人の恩寵、現存が必要なのではありませんか?
グルとグルの恩寵なしにあなたは目覚めることはできない、自由になることはでき
ない。明晰な目を持って、正にその角度に立っている人が月を指差すことができる。
偏見を持って、間違った場所に立って、間違った角度を見ている人は、月を見ること
はできないので助けが必要だ。
明晰な目を持った人は、あなたの目の向きを彼の指と一列に並べるようにと言う。す
ると木の上のカラスの頭が見える。そして、指とカラスの向こうを見ると月がそこに
ある。しかし、指やカラスの頭に捕まったなら月を見ることはできない。指針は月と
何の関係もない。
だから、明晰な目を持った人が指やカラスから目を離すように言う。グルの姿に執着
してはいけない。殆どのグルは指に執着している弟子を保持して、そしてグルも弟子
も満足している。エゴが膨張すると、指が崇拝されて月は忘れられる。
私心の無いグルだけが、グルを超えてゆくようにという。自分は単なる指針で、執着
する必要のないメッセンジャーだと宣言する。
私心の無い、明晰な目を持ってすべての人を助けるグルを見つけ出すのは難しい。
Q:あなたはグルなし、弟子なしといいますが、ここにいる多くの人々があなたから
恩恵を得ているのはなぜですか?
私がグルなし、弟子なしというのは、与える人と受取る人がいないということだ。物
理的な人はいないということだ。グルは物体ではないし、弟子も物体ではない。与え
る人は物体でもないし、受取る人も物体ではない。
これが私の意味するところだ、与える人はいないのだ。物理的な肉体には永遠性はな
い、肉体は現れては消え去る。肉体がどんな教えをあなたに与えることができるのか
? マインドと感覚が何を教えることができるのか? マインドや感覚そのものに永
遠性はない、常に変わり続けている。
真の教えは唯一永遠によって与えられ、
永遠によって受けとられる。
永遠は永遠に何も与えるものはない、
だからそこにはグルも弟子もない。
あなたはすでに「それ」だ、
物体ではない、感情ではない、心ではない。
これらの形態を取り除くと他に何が残っているか、
何が必要なのか見てごらん。
これを見つけるために非常に多くの方法がグルによって与えられるが、どれも時間を
かける価値はない。新しく得たものはすべて、いつか失うからだ。すべての獲得は一
時的な獲得だ。全ては来て、去っていくのだから。獲得しなかったものを見なさい、
すでにそこにあるものを見なさい。
あなたがすでに持っているものを、誰があなたに与えることができる? 私がグルや
教えはないというのはこのためだ。ある人たちはこれを信じることができないが、こ
れは事実だ。あなたは誰にも、自分にも依存することはできない。依存は平和や愛で
はない。何にも依存しないことが幸福だ。
何が平和か見つけなさい、外側からどんな助けも必要としないものを見つけなさい。
これは、いくら時間をかけて修練しても知ることはできない。時間の中では見つける
ことはできないとしたら、一体どのようにしてそれを見つけるのか?
時間そのものは幸福ではない、時間を感じる時はいつもマインドがある。マインド・
時間・思考の間には何の違いもない。だから、平和が欲しいなら時間のことを考えな
いことだ。思考はいつも過去のものだから、何も考えないことだ。
平和は決して過去に属するものではない、平和はこの瞬間に現存する。
思考は過去のもの、マインドも過去のもの。どんな思考、マインドあるいは過去も持
ち込まないとき、その時が知恵と光と平和の瞬間だ。それは獲得したり、達成したり
できるものではない。
それはすでに「ここ」にある。すでにここにあるものを得るのに、経験は必要ない。
「平和は既にここにあるよ、グルから得ることはできないよ」といってくれる人が必
要なだけだ。
これを理解することができる人は非常に希だ。殆どの人は、平和とは感覚的な快楽だ
と思っている。そうではない。男と女のセックスから来るのではない、セックスから
の快楽は一秒で終わりだ。消えてしまわない喜びを見つけなさい。
用語解説
*1アシュラム 森の中の隠遁所、聖人やヨ-ギとその弟子達の住居。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
645
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2019/06/29(土) 22:53:45 ID:1d4drIFg0
修行者が時々修行している自分に自尊心をもってしまうように、グルと弟子の関係にも魔が起こることもあるのじゃ。
有名なグルの弟子であることで驕ったりすることもあるじゃろう。
まだ悟っていないグルは多くの弟子によって昂ぶることもあるじゃろう。
そのような関係は迷いの道でしかないのじゃ。
グルも弟子も迷いの内にある間だけの関係であり、それを越えていかなければならないのじゃ。
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