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お気に入りのローマ皇帝

1カイザー:2002/06/13(木) 23:16
人気投票にも、『ごく稀に』参加して頂いてる方もいらっしゃるようで
すので、ここでもカキコしてくれたら嬉しいです。

好き嫌いはともかく、オクタヴィアヌスはやっぱり偉大です。
アントニウスじゃ、どう考えてもライバルとしては役不足。いっそのこ
と、カエサルが暗殺されずに2人が天下を巡って争うという歴史IFの
方が面白そうです。

892カイザー:2003/12/23(火) 13:02
ネルヴァを評価する根拠って、結局の所はトラヤヌスへの継承しかないですか
らね。
そこに至る過程をネルヴァの明敏な政治手腕と考えるか、いきあたりばったり
の結果オーライと考えるかで、正反対の評価になるのも分かります。まあ、ネ
ルヴァを五賢帝に数えるのがそもそも無謀というか(笑)。

フリードリヒ2世って、面白い立場の人物ですよね。
アル・カーミルと彼が仲良しさんだったのは知ってましたが、ヴァレリー様と
もお友達だったんですね。
それにしても、そんな危険人物なフリードリヒを全盛期の教皇と言われるイン
ノケンティウス3世が推挙したっていうのも、不思議ですね。血縁で選んだと
いうのもあるんでしょうが、本性を見抜けなかったのかなあ?

893カイザー:2003/12/23(火) 13:09
>ローマ初心 さん
初めまして、掲示板への書き込みありがとうございます。

オトは『ローマ皇帝』というカテゴリーの中なら、知名度は上から数えた方が
早いそこそこメジャーな皇帝だと思いますが、ローマ史に関心がないような人
が知ってるような名前ではないでしょうね。

女装癖の普及率はどうなんでしょうね。
元老院議員とかのローマの支配層が、女装したりすると眉をひそめられたとは
思いますよ。
女装した男娼とやることやる(?)のは、OKでしょうけど(笑)。

894マッティアス:2003/12/23(火) 23:49
☆ローマ初心者さま☆
マルティアリスやらユウェナリスの風刺詩でもオトは取り上げられてますが、両者の
評価は正反対ですね。マルティアリスなんかは、彼の死を称えて、「ウティカのカトー
よりも偉大だ」みたいなことを書いてますが、ユウェナリスは「汝は楯よりも鏡を誇り
とした」とか、オトの女装癖というか化粧(美容)への入れ込み具合をけなしてます。
少なくとも、女装癖っていうのはメジャーではなく、男娼がやることで、風刺詩によく
出たからと言って、本当に流行っていた訳ではない。むしろ、そういうものに対して、
不寛容な時代ほど、辛らつに風刺(揶揄)される、みたいなことを本村俊二先生が言って
いましたね。

オトは一応、プルタルコスに取り上げられてるし、どちらかといえば知名度は高いです
よね。でも、皇帝になった事やその死に様はローマ史ファンにこそ有名ですが、一般的
には、ネロに妻を寝取られた、というエピソードのほうが有名だと思います。

895マッティアス:2003/12/23(火) 23:59
>フリードリヒ2世
インノケンティウスが彼を押した当時は、まだ若くて何の業績も無い頃だから、本性が
見抜けず、ライバルの皇帝候補のほうが危険に見えたのではないかと思います。
猫かぶっていた可能性も高いと思うし。

>五賢帝
五賢帝とか言って、本当に有能だったっぽいのはトラヤヌスとハドリアヌスくらいです
よね。マルクス陛下は能力はあるけど、性格的に戦時の皇帝向きではないし。
しかし、ハドリアヌスも危なかったですね。危うくドミティアヌスの二の舞。記憶の断罪
をされかねなかったとは。有能だろうと何だろうと、人付き合いがうまくないと損だって
ことですね、皇帝でも。エキセントリックだったり、孤独癖がある人は辛いですね。

896ローマ初心者:2003/12/24(水) 11:54
レスありがとうございます。
オトはそこそこ有名な皇帝だったんですね。
めちゃくちゃマイナーかと思ってたんで以外でした。
オトの事は最初寝取られたエピソードぐらいしか知りませんでした。
また教えてちゃんで申し訳ないですが
彼は元老院議員だったんですか?(ルシタニア総督になる前)
あと女装癖は風紀の乱れたローマでは当たり前かと思っていたら違うんですね。

897マッティアス:2003/12/24(水) 21:33
オトは確か、ルシタニア総督になる前って何も役職についた経験がなかったはずです。
彼の兄ティティアヌスは52年の執政官ですから、バリバリの議員ですけど。
まあ、ルシタニア送りになったのが26歳ですから、一般的にいって、せいぜい財務官
(クアエストル)くらいしかつけないはずですが。なので、議員ではないでしょう。
ただのネロの取り巻きでご学友で、悪友で元カレです(笑)。

ちなみに、ドミティアヌス治世に亡きオトの誕生日をこっそり祝っていたかどで処罰
された、オト・コッケイアヌスは、ティティアヌスとネルウァの姉妹の間に生れた子
です。皇帝の家系って意外とつながってるんですよね。

898カイザー:2003/12/28(日) 10:33
>風紀の乱れたローマ

例えば軍旗が乱れた軍隊というのがあったとしても逃亡兵を処刑したりはする
訳で、主流派は基本的に保守的なもんです。今の日本でも、援助交際なんかを
肯定的に評価するなんてのは、一部の偏った知識人ぐらいのもんでしょう。

もう一つ気になるのは、ローマの風紀は乱れていたと本当に推定出来るのかと
いうこと。
当時の大国には後漢なんかもありますが、当然そういった所でも売春もあれば
政治腐敗もある訳で、目立ってローマが退廃しているということはないと思い
ます。
ローマの(しかも前期帝政という安定した時代の)風紀が乱れていると仮定す
るなら、それこそ中世ヨーロッパでもイスラム世界でも現代の日本でも風紀は
乱れていると思うのですが。
塩野七生さんは、いくらなんでも共和制時代のローマを美化しすぎだと思って
います。

ドミティアヌスの時代にオトの誕生日を祝うと罰せられたというのも不思議で
すね。ウィテリウスなら明らかにフラウィウス朝から見たら重罪人でしょうけ
ど、オトやガルバなら正統性を認めても良さそうなもんなんですが。
政治的野心を疑われちゃったんでしょうか?
そういえば、ウィテリウスは記憶の断罪処分はくらってなかったんでしたっけ?

899マッティアス:2003/12/28(日) 20:47
記憶の断罪って、ネロの次はドミティアヌスじゃないですかね?多分。
オトの誕生日を祝うってことは、ある意味神格化された皇帝への礼拝と同等の行為と
見なされるということかな、と思っています。それがまた、執政官級の甥でしょう?
政治的野心、乃至はドミティアヌス体制への批判と取られたのではないかと思います。

ローマの退廃については、カイザーさんのおっしゃるとおりだと思います。
いずれにせよ、ある程度文化レベルが進むと、悪所というのは出てきますよね。それに、
それが普通のコトではなく、揶揄や批判・処罰の対象となったということは、ある程度
の人がそれを行っていたにせよ、大方はそれをまずい、と思える風潮とか良心があった
ということに他ならないわけですよね。
塩野さんの共和政マンセーも大変の物ですが、じゃあカエサルってどうなのよ?と問い
詰めてみたくなりますね。

900カイザー:2003/12/29(月) 12:10
ウィテリウスは記憶の断罪処分されるほどの皇帝でもなかったんですね。
そういえば、ガルバ、オト、ウィテリウスの3人は死後神格化もされてないん
でしょうか?

カエサルの様な道徳心が欠如した人間が独裁者になるのは、風紀が乱れている
と言えますよね。ローマ国内の女性関係とか借金しまくりもそうですが、クレ
オパトラなんていうエジプトの女王を愛人にして子供を作ったりするのを『道
徳的』に好意的に評価するのは不可能でしょうねー。
偉人が道徳的であるかどうかなんてことを評価の基軸にしたりすると、偏った
見方になっちゃうんですよね。結局、現在の価値観で断罪する様なことになっ
ちゃいますし。

901マッティアス:2003/12/31(水) 00:47
>ガルバ、オト、ウィテリウスの3人は死後神格化もされてないんでしょうか?
されてるはずはないと思うし、わざわざ記憶の断罪もされてない(可決されたとして
実行する暇もない)気がします。でも、オトはネロの復権を宣言していたような気が
しないでもないです。記憶が曖昧ですみません。本を確認してないので。

カエサルはねえ。むつかしいですねえ。クレオパトラの件は、彼が彼女を妻にしたい
とか言い出さない限り、手を出してガキができるくらいのことはおっけーなんでしょう
ねえ。当時の感覚では。塩野さんは子供を認知させようとしたり、カエサリオンを彼の
後継者だと主張したクレオパトラのことを、ローマのことがわかってない、とか批判
していましたが。クレオパトラだってエジプト女王として、少なくとも私生児を生む
わけにはいかなかったと思うんですけど。クレオパトラとカエサリオンについては、
評価がどっちかに偏ったものばかりですね。
それにしても、本当に政治家や英雄に道徳的観念を評価基準に加えるのは、相当無理が
ありますね。道徳家=名君なわけではないし。

902真奈美:2003/12/31(水) 16:45
当時のエジプトの人々はどう受け止めたのでしょうか、
女王が未婚の母になったということは。そのへんについて触れたのを
読んだ記憶はないですね。現代人からするとかなり世間体の悪いことの
ように思えますが。結局カエサリオンは即位してしまってるし。

903カイザー:2003/12/31(水) 17:06
残念ながら、今年中に1000レス達成は不可能ですねー(笑)。

ガルバ、オト、ウィテリウスはザコ皇帝扱いなんですね。ローマ帝国の概説書
なんかには絶対名前が挙がる皇帝達なんですけどね。

クレオパトラを責めるより、クレオパトラを愛人にして子供まで作ったカエサ
ルを責めるのが先だろうと私なんかは思いますね。カエサリオン誕生の知らせ
を聞いたカエサルは「あちゃー、やっちゃったかー」みたいなこと思ってたん
でしょうね。塩野先生は賛成してくらないでしょうけど。
エジプトの中だとアントニウスの後ろ盾もあったでしょうし、カエサリオンは
カエサルとクレオパトラの正統な子供として扱われていたんじゃないでしょう
か。
カエサリオンの正統性が認められなかったのは、ローマ内部の話であって、エ
ジプトは別の話なのでは。

904真奈美:2003/12/31(水) 19:01
エジプト内部で認められているならばエジプト王家の跡取りということで
かまわないんでしょうに。母の子としての地位を与えれば。
もしも生まれたのが女児だったら、ずいぶんあとの話は変わっていそうですね。

905カイザー:2003/12/31(水) 23:49
とは言っても、エジプトはローマの監視下に置かれた事実上の属国だった訳で
すから、いたずらにローマの反感を買うようなことをするのもやばいんですよ
ね。
クレオパトラの目算では、アントニウスがローマの覇権を握れば、カエサリオ
ンが王位を継ぐのもOKだと考えたんでしょう。結果論ですが大失敗でしたね。

クレオパトラは、アントニウスにもオクタヴィアヌスにも距離を取り、カエサ
リオンは人質としてローマに差し出し、ローマが望むならカエサリオンをエジ
プト王にするというぐらいの考え方だったらよかったんでしょうね。
クレオパトラも、エジプトがローマの属国にすぎないということを十二分に理
解出来ていれば、もう20〜30年ぐらいはローマから見逃されていたかもし
れませんね。

906マッティアス:2004/01/01(木) 00:50
あけましておめでとうございます。このスレもとうとう足掛け3年ですねえ。

クレオパトラは一応、弟のプトレマイオス13世(数あってるか不安)と結婚していたので、
未婚の母というのとは違うのですが、カエサルの子だというのを(周りはわかっている
でしょうが)はっきりさせておかないと、政敵であった弟の子というカタチになってしま
いますからねえ。それはイヤでしょう。
あとは、多分彼女の目算としては、ローマがあんなだと知る前は、最高権力者である
カエサルの子であれば、我が子はもうちっとマシな扱いを受けられるとか、エジプトで
王であることも、しっかり認められるみたいなカンジだったのでは?と思います。

ちなみにカエサリオンも一応、エジプトの共同統治者だったはずですよ。もう一人の弟
プトレマイオス14世だか15世が病死した後は。

907真奈美:2004/01/01(木) 06:35
謹賀新年

ええと、アキラスだのポティノスだのに担ぎ出されていたのが13世
(ああそうか、この弟の存在をすっかり忘れていた、ははは)、
そのあとまた結婚したのが14世、カエサリオンは15世。
この弟たちも影薄いですね、アルシノエのほうがまだ勇ましい。

やはり淀とイメージ重なるなぁ。

908カイザー:2004/01/01(木) 20:54
新年明けましておめでとうございます。

カエサリオンがエジプト王になってプトレマイオス15世だかになったという
のは、どこかのエジプト史の本で見た覚えはあります。まあ、カエサルの子供
でさえなければ、別にクレオパトラの子供がエジプト王になっても問題はなか
ったんでしょうね。
クレオパトラからしたら、カエサルの子というのが武器なんでしょうが、ロー
マはカエサルの国ではなく衰えたとはいえ元老院が支配する国だというのを分
かってれば、また違った選択肢もあったかもしれないのに。
やっぱり、クレオパトラはエジプト一国の安泰だけを考えてなかったのかなあ?
アントニウスに肩入れしたりとか、カエサリオンを王位に継けたりとか、単な
るエジプト王を超える野望を持っているとローマに疑われたら、いずれ間違い
なく滅ぼされるだろうというのは目に見えていそうなものなのに。

909マッティアス:2004/01/02(金) 23:30
カエサルやアントニウスに肩入れは止むを得ないと思いますよ。宗主国のトップに財力
なり兵力の提供を命ぜられたら、断る訳にはいかないと思うし。断ったら、一国の安泰
も望めませんて。択ぶ側を間違ったと言うか。まあ、カエサリオンのこともあるから、
彼女がオクタウィアヌスと組む事はないですが。
ヘロデなんかは、両方の陣営をうまいこと渡り歩きましたよね。どっちとも友情が成立
してるんですよ。すごくないですか?
あとはねえ、多分、属国からは宗主国の政治システムなんてわからないので、どっちか
といえば王制のようにトップが一人、というカタチのほうが理解しやすいし協力もしや
すいでしょうね。だから、元首政時代のほうが他の国はローマと戦争も交渉もしやすい
んですよ。

910カイザー:2004/01/04(日) 00:22
そうですね、クレオパトラの命運はアントニウスという疫病神に目を付けられ
た瞬間に終わっていたのですね。アントニウスがやばくなった時に、クレオパ
トラを暗殺してオクタヴィアヌス派に乗り換えたりとかが、わずかながら残さ
れたプトレマイオス朝の延命策なんでしょうね。
確かに共和制のローマって重要人物が台頭しては失脚の繰り返しでしたもんね。
しかも、血縁で権力が継承されないですし、単純に独裁者を一本釣りする(の
が簡単ではないと思いますが)というより、『ローマという政府』を相手にす
るという外交交渉が望まれたのでしょうね。そんなの都市国家のまま強大化し
たローマぐらいのもんでしょうね。

911マッティアス:2004/01/07(水) 00:09
>共和政ローマ
やりづらいでしょうね、他の国は。ローマのトップだったり、そこに派遣された責任者は
コロコロ換わりやがるし、元老院とかいう厄介なものがあるから、いつ取り決めが無効に
されるかわかったもんではないですもん。

>アントニウス
前にも書いたかもしれませんが、私の師匠が言っていたのは、アントニウスとオクタウィ
アヌスの年齢が逆だったら、彼らの関係は良好なままだったのではなかろうかと。
アントニウスって、三国志に喩えれば呂布とか馬超系だと思うんですよね。だからトップ
よりも強力な武将としていたほうが、存在感とか価値があるカンジ。で、何だかんだで、
意外と上(カエサルとか)には従順だし、可愛げがあるからナンバー2のがいいんですよ。
オクタウィアヌスにはそういう愛嬌がないですからね。でも、もし彼が年長者でもう少し
余裕があって、20歳くらい下のアントニウスと組んだら、結構最強だったんじゃないかと
思います。まあ、そうなるとアグリッパの出る幕はないんですが。

912真奈美:2004/01/07(水) 09:41
アントニウスは、一武将でいることに納得していればハジを残さずに
すんだろうと思いますよ。脳筋でも活躍どころはあるのだし。適材適所の
できる上司がいれば。
先日、横山光輝の「史記」を少し読んだのですが、改めて、君主の幸せは
良い家来を持つことだと思いました。たとえ君主自身は凡庸でも、心がけの
良さ、賢い忠言を採用する分別があればだいたい安泰でいられますね。
(それにしてもこの作家も顔の描き分け決して多くない)

>アントニウスという疫病神に
きっと、アントニウスサイドから見ればクレオパトラが疫病神だったでしょうね。

913カイザー:2004/01/07(水) 19:09
結論としては、カエサルもアントニウスも無事に政界から消えてくれたお陰で
オクタヴィアヌスという類い希な手腕を持った独裁者が誕生できたので、万事
OKなんでしょうね。
前も言ったことがありますが、カエサルでは元首制というこじつけの形式的共
和制というシステムを考え出すことが出来なかったでしょうから、例えブルー
トゥスの暗殺が失敗していても、遠からず暗殺されていたことと思います。

「史記」にしろ「三国志」にしろ「水滸伝」にしろ、こういう中国系の作品だ
と、「よきにはからえ」というタイプのお君主が必ずべた誉めされてるんで、
半分ぐらい割り引いて見とくべきだと思いますよ。
こういうのは、中国の(というより儒教のかな)価値観で、そうあるべきだと
いう願望を投影している訳ですから。
多分、仰っているのは、晋の文公(重耳)か斉の桓公のことではないかと思う
のですが、こういう実績を残した人物もいれば、秦の2世皇帝胡ガイみたいに国
を滅ぼした人物もいる訳ですから。

914マッティアス:2004/01/07(水) 23:13
元首政というシステムを考え出せない時点では、カエサルよりもスッラのほうが賢い
と思ってしまったりします。いや、カエサルの寛容さ、っていうのは結局、元老院と
いう存在と決して並存できないものだと思うんですよね。前にも言った気がしますが、
彼の寛容さというのは結局の所、他者を自分より下と見ているからこそできたことだ
と思うんです。だからこそ、ルビコンを越える羽目になったんですけどね。(あの時、
アントニウスとクリオ以外の議員ってほとんどカエサルに反対で、良くても中立だっ
たようですね。)
オクタウィアヌスだってアントニウスがいた頃はかなりギリギリまで、支持率が異様
に低いです。確か、アクティウムの海戦以前は半分以上がアントニウス支持で。
オクタウィアヌスが彼自身の政治的手腕を大いに発揮できたのは、ライバルがいなく
なって、余裕ができてからですよね。

中国の話の君主像については、カイザーさんのおっしゃるとおりですね。実際には、
話では暴君扱いだったり、悪玉キャラのほうが政治的業績や手腕は後世まで役に立っ
ていたりしますものね。始皇帝とか曹操、司馬仲達なんか、結構悪くない。
とりあえず思うのは、自分と部下の力量を如何に性格に把握して、程を弁えられるか、
それが出来た人が優れた君主だったりするんでしょうね。

915カイザー:2004/01/08(木) 22:27
マジでブルートゥス達が劇的な形でカエサルを暗殺したりしなかったら、カエ
サルは元老院と対立して惨めな形で失脚してた可能性はかなり高いと思います
ね。そしたらローマの帝政は存在せずに、軍人皇帝時代みたいに分裂してたと
かもありえますよね。
ローマファンでこういうこと言う人って本当にいませんが、カエサルが暗殺さ
れたのってローマ史にとって大きなプラスだと思うんですけどね。結果論って
言えば結果論ですけど。

916マッティアス:2004/01/09(金) 10:40
ローマファンには圧倒的にカエサル信奉者が多いですからね。とはいえ、彼はやはり
どちらかというと既存システムの破壊の天才タイプ(信長タイプ)であって、建設型と
いうか、改革型ではない気がしますよね。オクタウィアヌスは、その辺、既存の権力
構造をうまく騙したり利用しながら、改革していく天才ですよね。
ただし、オクタウィアヌスでも、カエサルの暗殺というのがなければ表舞台に登場で
きたかわからないし、彼の失敗から学んでああいう天才的な着想をできたかも謎です
よね。
そういうイミで、カイザーさんのおっしゃることは非常に正しいと思います。多くの
ローマファンにはかなりヒンシュクは買ってしまいそうですけどね。

917ローマ初心者:2004/01/09(金) 17:37
前、その時歴史が動いたで
クレオパトラの最期が描かれてたんですけど、
そこに出てくるオクタウィアヌスがなんか
嫌な奴に描かれててむかつきました。
(アウグストゥスファンなので)
彼女とカエサル、アントニウスの愛を美化しすぎだ…。

私もカイザーさんの新説一理あるなーって思いました。
カエサルも好きですけど、もっとみんな
オクタウィアヌスのことも見てくれ〜!って叫びたいです(汗)

918カイザー:2004/01/09(金) 22:45
いや、別に新設ってこともないと思いますけど。
アレクサンドロス大王だってインド征服は諦めた訳ですし、どんな偉大な人物
にだって限界や欠点はあるという当たり前のことを言ってるだけです。

高校の世界史の先生もカエサルファンだったようで、ポンペイウスやオクタヴ
ィアヌスより格上の人物だとか、世界史における5本の指に入る重要人物だと
か言ってましたが、違和感をひしひしと感じていたものです。
当時は、大してローマ史に詳しくなかったから、もっと勉強すれば先生の言っ
ていることも分かるのかなと思ってましたが、ローマ史について知識を増やせ
ば増やすほど、カエサルのローマ史における立場は有力な政治家の一人にすぎ
ないという認識が固まっていくという、塩野七生さんと正反対の方向に。
とどめが「ローマ人の物語」の「ルビコン以前」と「ルビコン以降」。塩野先
生の異常なまでのカエサル萌えを見れば見るほど、カエサルが嫌いになってい
く自分がそこにいました(笑)。

ということは、私がHPの日記とかで「マリア様がみてる」をべた誉めすれば
するほど、それをみて世界に誇る日本の傑作である「マリア様がみてる」を嫌
いになる方が増えるということもあるんでしょうか?(笑)

919ローマ初心者:2004/01/10(土) 09:06
ローマ人の物語、まださらっとしか見てないんですが、
カエサルに割いているページ数の多さにちょっとひいてしまいました。
帝政になってからとかネロまでで一冊終わるのに…。
カエサルについてだけ、確か幼年時代とか伝記風に
なってましたよね。
かえって淡々と扱っている時代の方が楽しく読めるような。

920カイザー:2004/01/10(土) 11:22
実は「ローマ人の物語」、ちゃんと全巻揃えていますが、この2年ぐらいのは、
まともに中身へ目を通してなかったりします(汗)。カエサルだけで2巻(1巻
と半分ぐらいかな)も費やしてるのが、塩野史観なんでしょうね。「ローマ帝国
衰亡史」のギボンだって、決して公平な記述ではないんですけどね。

本能寺の変の場合は、なかったらなかったで普通に織田氏の政権が誕生してた
んじゃないかと思います。織田信長の場合は、敵対者を必要とあれば皆殺しに
する覚悟なんて当然のように持ってましたし、飴とムチの使い分けはカエサル
とかよりずっと上なんじゃないかと思います。
2人の生きた時代も場所も全然違うんで、簡単に比較は出来ないのですけどね。
カエサルにしても信長にしても、自信の命を狙っている人間なんていくらでも
いるのを分かってた筈なのに、自信が殺される直前は油断しまくってたという
のは、同じですね。

921マッティアス:2004/01/10(土) 12:44
そうそう、そこなんですよ。信長のやり方はむしろカエサルよりスッラかなあ、とか。
塩野さんとかカエサルFANに言わせれば、それこそがカエサルの寛容さなんでしょう
けれども。“敵対者皆殺し”はカエサルよりもむしろオクタウィアヌスのほうがやり
ましたね。第二次三頭政治の粛正とか。
別にカエサルで2巻費やすのは構わないのですが、その後も何かと言うとカエサルとの
比較をして、“この人確かに頑張ったけどダメね。カエサルより全然格下〜”みたいな
記述がしょっちゅう出てくるのを見ると、いい加減うざくなってくるんですよね。
「ローマ人の物語」に関しては、お二人と同様(?)、淡々と扱っている巻のほうが読み
やすくて好きですし、彼女の著書でカエサルに対して一歩ひいてしまったカンジです。

922カイザー:2004/01/10(土) 15:49
カエサルの寛容というのも悪く言えば、優柔不断なだけとも言えますよね。殺
すべき政敵は、やっぱり殺しとくべきなんですよね。少なくとも、それがどれ
だけリスクが高いかを自覚しとく必要があったと思います。
カエサルって、明らかに他者を見下して舐めていますね。そういうのを感じ取
った人には、普通に嫌われてたんじゃないかなと思います。

今、ユーゴ紛争について書かれた本を読んでるのですが、今のアルバニア人っ
てイリュリュクム人の末裔になるんですね。アウレリアヌス、ディオクレティ
アヌス、コンスタンティヌス1世などといった軍人皇帝の末裔だとは、全然知
りませんでした。他には、今のルーマニア人=ラテン化したダキア人だとも書
いてました。
こういうのが定説かどうかは、正直よく分からないんですけどね。

923マッティアス:2004/01/11(日) 14:56
カエサルの寛容に関して言えば、彼が自分の思想と同様、他者の思想も干渉されるのは
おかしい、という考えだった(と塩野さんは言っていますが)とすれば、やはりそれは
実の所、他者の思想を尊重しているのではなく、他者の力を軽視しているからだと思い
ます。優柔不断な人だったら、終身独裁官になるまでの人生は歩めてないと思います。
ごくまれにいるのですが、自分のリスクとかに鈍感というか、恐怖感が微妙に欠如した
人間だったのではないでしょうか、彼は。

アルバニアって、そうですね。言われてみれば、属州イリリアのほうですよね。アルバ
ニアはなにげに、オスマン帝国に対抗してがんばっていた地域ですよね。イスラム教国
だった気もしますが。
ルーマニアはルーム=ローマから来ている名称なのはわかっていましたが、そうか、
ダキアなんですね。デケバルス?トラヤヌス治下にローマになった地域なんだ〜。
ローマ抑えておくと、以降のヨーロッパ史を見る目が全然変わりますよね。

924カイザー:2004/01/11(日) 17:13
ローマ史って中世以降のヨーロッパ史と断絶してる訳ではないですからね。
ちゃんと現代に至るまで連続性があるんですよね。逆に古代ギリシア史とかだ
と、ローマ史を間に挟んで断絶しちゃったという印象ですけど。

アルバニア人=イリュリュクム人もルーマニア人=ダキア人というのも、本当
なのかどうか判断する材料がないんですよね。他にそういうこと書いてる本と
か見たことないですし、スラブ系民族やアジア系遊牧民(アヴァール、ブルガ
ール、マジャール)が次々にバルカン半島に進入を繰り返してましたから、言
語学的には一緒でも実質的には別系統の民族なのかなーとか思ってしまいます。
ハンガリー人は自称フン族の末裔ですが、まあこれもウソでしょうし。

925マッティアス:2004/01/11(日) 21:10
ハンガリー=フン族は信じていましたよ、いまのいままで。世界史の授業であまりに
もっともらしく語られていたから。匈奴やウイグル族がノシてきて、アジアに居場所
がなくなったフン族が、ゲルマン人大移動で空白地帯になったヨーロッパ北部に定住
するようになった、ていう話。あっちゃ〜。専門外の話は何でも信じちゃうもんです
ねえ。
ああ、そうか。だからローマ史に興味があるわけでも無いと、クレオパトラ小説とか
ハリウッドのうさんくさいローマものとか、史実と信じてしまうんですね。怖いなあ。
日本史の場合は大河ドラマがそういう微妙な影響力があるのでしょうが。

ともあれ、バルカン半島の民族はスラブ系やアジア系部族の侵入や、イスラムの支配
を通じて、ほんとうに様々な民族の混血が何世紀にも渡って繰り返されてきたのだと
思いますよ。だから、なにげに美形も多い(笑)。
実質的にはまったく別系統でも、同系統でもない、というカンジでしょうね。

926カイザー:2004/01/12(月) 02:00
ハンガリー人というのは、オットー1世に討伐されたマジャール人が建てた国
なんですが、マジャール人がフン族の係累だった可能性がないとは言い切れな
いんですよね。ただ、ハンガリーというフン族の末裔を意味する名前は、後か
ら勝手に自称してるだけです。
初期のブルガリア王(ハン)なんかも、アッティラの子孫を自称してましたね。

こういう遊牧民の国家って、まともな文献資料がないんですよね。中国とかペ
ルシアとかローマといった隣接していた勢力が書き残した資料が辛うじてある
だけ。建造物なんかも残したりしないですし、ジグソーパズルみたいに推理し
ていくしかないんでしょうね。

927マッティアス:2004/01/12(月) 15:44
アジア系遊牧民といえば、モンゴル系かウイグル系、トルコ系ですからねえ。語族と
しても、ウラル・アルタイ語族なんで、実の所、そんなには違いが無い。ヘタをすると
先祖は皆同じである可能性だってありますから、微妙。王=ハンというのは共通なの
でしょうね。ブルガリア王がアッティラの子孫というのはかなり信憑性が低いにしても。
そういえば、エトルスクもアジア系ではないかという説もあって、ローマにもかなり
アジアの血が入っている可能性もあったりして、結構面白い事になってますよね。

928カイザー:2004/01/13(火) 21:24
マジャール人やブルガール人は、大王アッティラの直接の末裔ではないにして
も、『いとこの末裔』程度の位置づけは出来るかもしれないですね。
そもそも、フン族そのものが民族系統が不明だった筈。フン族=匈奴という説
もありますけど、これも根拠があやふやなんですよね。匈奴という名称そのも
のも一つの民族を指す名前というより、遊牧民の部族連合をさす広い意味だと
する説もあるそうですよ。

そういえば、ホスロー1世と争ったエフタルのことを白フンと教科書に書いて
ましたが、この辺の事情はご存じです?
西方のローマ人(ギリシア人かな)がゴッチャにしてるのか、ペルシア人がフ
ン族に重ねて呼んでたかのどっちかだと思うのですが。

929マッティアス:2004/01/14(水) 11:12
匈奴って名称はローマ人にとって、反抗的なゲルマン部族一般を指すスエビみたいな
ものなんですね。高校の世界史の教諭はモンゴル系かトルコ系あたりの強大な遊牧民
を大体匈奴扱いしていたっぽい、と説明してくれました。

エフタルの件は知らなかったですね。西方の人が遊牧民のことを一緒くたにしていた
可能性は非常に強そうですし、いろいろありそう。

930カイザー:2004/01/17(土) 11:02
マケドニア朝以降のローマ何かでも、蛮族への呼称はメチャクチャですよ。
西欧のカトリック教徒はひとくくりにフランク人、東方のトルコ人はペルシア
人と、本当は分かってるのに敢えて古風な名前で呼んでるんですよね。
そもそも、ギリシア人のくせに自称ローマ人というのが、根本から間違ってい
るんですが(笑)。

そういえば、今のギリシア人とアテネやスパルタが最盛期だったころのギリシ
ア人って、どの程度つながっているんでしょうね?

931マッティアス:2004/01/18(日) 12:59
ものすごく混血が進んでそうですよね。スラブ系、ユダヤ系、ムスリム系が住み着い
たり侵入したりした地域ですから。大昔のアッティカ系とかドーリア系とかとは、か
なり違ったものになっていそうですよね。遺伝子的には。
基本的には島国で完全鎖国していない限り、混血は避けられないのではないかと思い
ます。長いスパンで見た場合。

932カイザー:2004/01/18(日) 21:40
日本なんか、本当に特別なんですよね。ちょっと疑わしい時代を無視したって、
天皇家が軽く1400年〜1500年も存続してるのって、ヨーロッパとかと
比べたら全然当たり前と違いますよね。

ローマ人の定義というのも曖昧ですよね。カエサルの時代ぐらいまでは、ロー
マ市民=ローマ人と呼べなくもないでしょうが、帝政になっちゃうとローマ市
民の範囲がどんどん広がっていくし、皇帝だって「非ローマ人」ばっかりにな
っちゃうし。
最後の「ローマ人」の皇帝って、リキメールに擁立されて使い捨てられたセヴ
ェルス(3世)帝かなと思うんですが、この人の出身地はイタリアなんでしょ
うかねー?一応、ローマの元老院議員だそうですけど。
アンテミウス帝の次の皇帝だったグリュケリウス帝もイタリア出身かもしれま
せんが、この辺のザコ皇帝の話題って耳にしないですねー。当たり前って言え
ば、当たり前ですけど(笑)。

933マッティアス:2004/01/18(日) 23:22
ローマ人というのは、元々はローマ在住の市民権保有者(自由民)だったのが、領土拡大
でローマ市民権保有者ならば、ガリア人だろうと東方人であろうと、“ローマ人”に
なったというイメージでした。イタリア出身という定義は少なくともポエニ戦争以降
ではあてはまらないでしょうね。植民都市出身者でも一応“ローマ人”家系だったり、
とかいろいろあるでしょうし。トラヤヌスも一応、バエティカ属州出身ですが、家系
としてはイタリアからの植民家系なんですよね、

>この辺のザコ皇帝の話題って耳にしないですねー。
すみません、ほんとに知らないです(爆)。時代すら見当がつかないです(汗)。

934カイザー:2004/01/19(月) 00:26
イタリア半島在住者だって、サムニウム人とかギリシア人もいましたから、ロ
ーマ人とイコールで結べるようなラテン系の語族ばかりではないですしね。
帝政以前というより、同盟市戦争がラテン人のローマ市民権独占が不可能にな
った転機なんでしょうね。
それまでは、ラテン系以外のローマ市民って、もちろんいたんでしょうが、ま
だまだ完全少数派だったんじゃないかと思います。

でも統一時代はともかく、ブルガリア人とかセルビア人はローマ市民とは言え
ないでしょうし、その頃の皇帝達もローマ市民とは認めてないような気がしま
す。
ローマ法的にはどうなってるのか、よく分かりませんが。

935マッティアス:2004/01/20(火) 11:53
カラカラ勅令とは関係ないですよね。まあ、これも統一時代限定っぽいですが。
ローマ法も読んでみたい気がしますね。絶対途中で挫折すること請け合いですが、邦訳
欲しいなあ。テオドシウス法典。

イタリアというカテゴリーもビミョウですよね。帝政時代と共和政時代ではちょっと違
うのではないかな、なんて思ったり。少なくとも、北イタリアは共和制末期とかって、
イタリアと認識されていたのかどうか微妙。ヴェルギリウスの出身地付近のマントヴァ
あたりは、ガリア・キサルピーナ扱いだったのかイタリアと見られていたのか、ものす
ご〜くビミョウです。

936カイザー:2004/01/20(火) 20:40
ヘラクレイオス朝と以降のローマ帝国で、ローマ法がどうやって運用されてた
のか考えたら不思議ですよね。テマ制とかプロノイア制なんて教科書にも載っ
ている制度は、ローマ法に関係なさそーですね。

ユスティニアヌス法典が整備されたりしてるんで、イスラムの侵攻によるヘラ
クレイオス朝の暗黒時代までは、統一時代から連続性を持ってローマ法が運用
されていたのではと思います。
この辺の歴史って、史料がないせいもあるんでしょうが、さらっと流されまく
ってて良く分かんないんですよね。メロヴィング朝のフランク王国の歴史もよ
く分からない所ですし、7〜8世紀の西洋史って実は日本人にとって完全に盲
点なのでは?

937マッティアス:2004/01/24(土) 12:01
そうですね。研究者も皆無だとは思えないですけど、そのあたりを中心に取り上げた本
って、見かけない気がしますね。世界の歴史シリーズとかで、大まかにキリスト教と
中世ヨーロッパとかいう括りで、さくっと触れて(詳細な記述はあまりない)終わっちゃう
カンジですよね。

多分ユスティアニアヌスのだとは思いますが、洋書(英語)ではローマ法のものすごく
分厚い本があるので、きっと残っている文は網羅されていたりするのでしょうが、邦訳
ではこういうの多分、出てないですよね。気になります。
西欧世界が西帝国崩壊後に、ある程度カタチが見えてくる時代(カール大帝あたりから
でしょうか?)のコンスタンティノープル政権は、なんだかイメージ的には所謂ローマ法
とは違う法体系ができあがっていそうな気がしちゃいますよね。

938カイザー:2004/01/24(土) 15:58
ユスティニアヌス法典は、フランス革命後のナポレオン法典を整備する時に参
考にしたといいますから、法律関係の研究の題材として色んな洋書はありそう
ですね。
まあ、私は横文字の本は読めないので、邦訳じゃないとダメなんですけど。

単性論やイコン禁止令を巡るキリスト教史にとっては、この7〜8世紀はポイ
ントとなる時代なんで、詳しい研究者もいてるような気はします。キリスト教
関係の本を探してみるのも手かもしれませんね。

昨日、難波の本屋さんでシチリアの晩鐘に至るシチリア王国史の本を売ってる
のを見つけて買おうかどうかずいぶん迷ったんですが、5000円ぐらいする
値段を見て諦めちゃいました。
2〜3000円ぐらいならなあ。発行部数の少ないマイナージャンルですから
ねえ。

939マッティアス:2004/01/25(日) 21:16
う〜ん…私の場合は、3000円台ならば結構、買ってしまうかも知れません。もちろん、
その時に自分がハマっているテーマに限ってですが。
キリスト教史だと、正教会関連の本が昨年あたりちょこっと出ていた気がします。この
あたりだとわりに手ごろな価格の本もありそうですが。

発行部数の少ないテーマは、本当に頁数の割に高い本が多いですよね。困ったものです。
分厚くて高いのならば、仕方ないかな、と思うか持ち運びの不便さや読むための労力を
考えて諦めるかできるんですけどね。薄いのに高いと、無性に腹が立ちます。買わない
のみならず。

そういえば、ユダヤ戦記の訳者がエウセビウスを訳すらしいので、これはちょっと欲し
い気がします。

940カイザー:2004/01/25(日) 22:58
これは絶対に欲しいって、思ったら1万円ぐらいなら買っちゃうでしょうね。
欲しいことは欲しいけどそれほどでもないかなあ、という辺りが多いんですよ
ね。
シチリアの晩鐘の本っていうのは、あのランシマンの訳本なんですが、メチャ
クチャ分厚かったので、それなりにはリーズナブルだと思います。やっぱり、
次に見かけたら買っとくべきかなー?

私はベリサリウスの秘書官を務めたというプロコピウスの著書なんかも読んで
みたいですね。
エウセビウスって、名前はよく聞きますけど、あんまり印象ないんですよね。
どの辺りの時代を記述してたんでしたっけ?

941マッティアス:2004/01/26(月) 12:21
エウセビウスがコンスタンティヌス時代の人だったので、おそらくそこまでに到る教会の
迫害と栄光への歴史ではないかと思われます。ドミティアヌスとネロが同格のキリスト教
迫害者扱いされてたとか何とかいう、かなり熱意の有る教会作家だったはずです。
怖いです。コンスタンティヌスと影で結びついていた、あのお人は。
しかし、軟禁されていたユリアヌス兄弟をいじめちた宦官も同じくエウセビウスなので、
ややこしいことこの上ないです。

942カイザー:2004/01/26(月) 21:33
史家のエウセビウスっていうのは、コンスタンティヌス1世の死の床に立ち会
って、大帝が自身の手によって洗礼を受けたと主張した人物なんですね。
全然、違う所にエウセビウスという名前の史家がいてるのかと思ってました(汗)。

最近やっと整理出来てきましたが、コンスタンティヌス一族の名前もややこし
いんですよね。コンスタンティウスとコンスタンティヌスとコンスタンスとい
う名前がいっぱいいてて、何にも知らない人が見たら絶対に混乱するでしょう
ね。
セヴェルス朝のドムナとかママエアとか、うじゃうじゃいてるユリア軍団とか
も、すらすら言えるようになって、初めて一人前のローマファンなんだなと考
えると、私はまだまだはな垂れ小僧です(笑)。

943マッティアス:2004/01/28(水) 23:55
いやあ、もうごちゃごちゃですよ!
エウセビウスだって3世紀末〜4世紀に何人いるんだよ?ってカンジで。ギボン読み
ながら、教会関連だけでどこそこのエウセビウスが何人も出てきて、チョ〜ちゃぶ台
返しってカンジ? ←頭脳壊滅状態。
セウェルス朝のユリアは4人だから、まだカンベンしてやりますが、エウセビウスは
許し難いですよ。ぬが〜。
コンスタンティウスとコンスタンティヌスとコンスタンス?そこに関しては皇帝の
名前なだけに自分の不明を責めるだけですけどね(弱っ!)。

944カイザー:2004/01/29(木) 00:36
筑摩文庫版のギボンを読んでると、エウドキアとエウドクシアという人物名が
別の単語みたいに記述されているのですが、これって同じ単語なんじゃないか
なーと思いつつも、その疑問は大学時代からずっとままほったらかしだったり
します。
コンスタンティウスとコンスタンティヌスとかオクタヴィウスとオクタヴィア
ヌスみたいに、紛らわしい名前は他にもあるんで、やっぱりエウドクシアとエ
ウドキアも別の単語なんですかねえ?

945マッティアス:2004/02/06(金) 15:16
すみません、ちょっと間があいてしまいました(>_<)。ちょっと死んでいたもので。
エウドキアとエウドクシア、スペルが違うなら別の単語だと思うのですが、同じ名前
っぽいですよね。どうなんだろう。コンスタンティヌスとコンスタンティウスと同様
なんでしょうね。きっと。正確なことはわからないけれども。
オクタウィウスとオクタウィアヌスだと、同じ名前だけど後者は小みたいな意味合い
があるとかなんとか、塩野さんは言っていましたけど。←信憑性高いのか?

946カイザー:2004/02/06(金) 21:44
風邪でも引かれたんですか?
鳥インフルエンザとかSARASとか、ぶっそうな病気にかかったりしないよ
うに、お体大事にして下さい。

コンスタンスは、コンスタンティヌスJrみたいな意味だそうですから、塩野
さんの主張が正しいのかもしれないですね。私には学がないので、真偽の判定
が出来る訳ではないのですが。
コンスタンス2世のことを、コンスタンティヌス・ボゴナトゥスとかコンスタ
ンティヌス4世と呼んでいる年代記もあるそうですから、コンスタンスとコン
スタンティヌスの関係は、ほぼ間違いないとは思います。

そういえば、コンスタンスという名前の人物の父親の名前って、私の知ってる
限りは全部コンスタンティヌスですね。
コンスタンス1世の父親は大帝コンスタンティヌス1世、コンスタンス2世の
父親はコンスタンティヌス3世、でもう一人僭帝コンスタンスの父親はブリタ
ニア軍を率いてガリアを制圧した僭帝コンスタンティヌス(3世)でした。
偶然なのか、コンスタンティヌスの子供にコンスタンスという名前を付ける慣
習でもあったのか、どっちなんでしょうねー?

947マッティアス:2004/02/07(土) 09:54
すみません、ちょっと眼精疲労と腱鞘炎がひどくて(>_<)。PCに向かう気力が…。

わかんないですね〜。名前についての本とか読めば、いろいろわかるんでしょうけど。
エウドキアとエウドクシアも、スペル知りたい。いや、調べれば簡単にわかるんで
しょうけれども。
コンスタンスのほうが、一見、コンスタンティヌスの変形というよりは語幹というか
原型っぽいんですけどね。コンスタンティウスとかよりも。でも、どれもフランス語
にしたら、コンスタンタンになってしまいそう(^-^;A。

948カイザー:2004/02/07(土) 22:54
ちなみにエウドクシアという名前はアルカディウスとヴァレンティニアヌス3
世の皇后の名前として、エウドキアはテオドシウス2世の皇后やヴァレンティ
ニアヌス3世の皇女の名前として挙がっています。ギボンの記述の仕方を見る
限りでは、おそらくは別の単語なんだろうと思うのですが・・・。

アルファベットで表現したら、はっきりと違いが分かるのかなー?

そういえば、コンスタンスとかコンスタンティウスという名前は、ヘラクレイ
オス朝以降に見かけなくなるのですが、何か理由でもあるんんですかねえ?
「三銃士」に登場するコンスタンスっていうヒロインの名前は、原作ではどう
いう綴りなのか、ちょっと気になります。

949マッティアス:2004/02/14(土) 23:16
コンスタンス、コンスタンツェ(これは問題ないか)はその国では女性名っぽいですよね。
ていうか、***USとか***ANUSというラテン名がもう廃れて、変形しちゃってますから。

しかし、エウドクシアとかエウドキアってなんとなくギリシア語表記っぽい名前ですね。
ギリシア文字についてはさらによくわからないので、同じ綴りなのかどうかもわからない
ですし、もしかすると、同じような単語でも表記が何通りかある場合って多いみたいで。
ほんとに専門家の記述にすがって、その通常の読み方で人名も認識するしかない、という
のが我々、一般ピープルの立場ですからね。

950カイザー:2004/02/15(日) 13:49
かつては公用語だったラテン語が失われて、ギリシア語だとかに取って変わら
れちゃいますもんね。パレオロゴス朝の頃のローマ皇帝の名前って、前期帝政
の時と全然ちがいますもんね。
コンスタンティヌス(コンスタンティン)っていう歴代皇帝達の間で最も多く
採用された名前にしたって、コンスタンティノポリスがあるからこそ、受け継
がれたのかもしれませんね。

ローマじゃなくても、紛らわしい名前ってありますよね。
ペルシアなんかだとクセルクセスとアルタクセルクセスとか、フランクだとカ
ールとカールマンとかクロタールとロタールとか、良く分かってませんが語源
は絶対に一緒なんだろうと思います。

951マッティアス:2004/02/16(月) 17:36
語源は一緒だけどバリエのある名前もありますよね。同じ国の人名でも。
ヨハネ→ハンス=ヨッヘンとか、パブテスマ(洗礼者)のヨハネ→ジョヴァンニ・
バッティスタ=ジャン・バッティスタ、みたいに。紛らわしいですよね。
クセルクセスとアルタクセルセスだと、アルタが何かしら接頭語か何かなんでしょうね。

コンスタンティノポリスのローマ帝国は文明的には完全にギリシア・小アジア系列
ですからねえ。教会ですらラテン語なんて使わないんだろうな、というイメージが。

952カイザー:2004/02/16(月) 23:42
ギリシア語はラテン語と並んで、中世を通して聖書の訳本が存在する言語です
から、コンスタンティノポリス教会ではラテン語は不要だったかもしれません
ね。
逆にラテン系のカトリックで、ギリシア語の扱いはどうだったんでしょうね。
フランクに接近するまでのローマ教皇って、ほとんどがギリシアやシリアの出
身者ばかりだったから、ギリシア語が完全無視ということもないかと思うので
すが。

まあ、外人さんが見たら、日本人の同音で別の漢字とか、ちっとも分からない
でしょうね。
今の天皇陛下が崩御したら、平成天皇と贈り名されるんでしょうが、平安時代
に死ぬほど紛らわしい名前の平城天皇がいたのをふと思い出しました。こうい
うのを区別出来てる欧米人って、どれぐらいいるんでしょうね。

ローマでも何でもないのですが、三国志で張飛が曹操の親族でもある夏候淵と
姻戚関係にあるというのは、三国志ファンの間ではそれなりに有名なことなん
ですが、中国では三国志の研究がほとんどなされてない為に、この姻戚関係を
元に張飛が魏のスパイだとする説を得意げに紹介したおバカな研究者がいたそ
うです。

953マッティアス:2004/02/17(火) 11:38
>張飛が魏のスパイだとする説を得意げに紹介したおバカな研究者
これ面白すぎます。その説でいっそ小説とか見てみたいです。

>ラテン語、ギリシア語
そういえば新約聖書って、ラテン語とギリシア語はどちらが先に書かれたんでしょう?
↑超☆無知(汗)。旧約に関しては、紀元前2世紀だか3世紀だかにアレクサンドリアで
70人訳聖書が書かれていますが。
なんとなくイメージ的に(←調べろよ!)、東西教会が分裂してから、西はラテン語、
東はギリシア語って分かれてしまったのかと思っていました。

>漢字と欧米人
ヘイジョウとヘイセイではアルファベット表記にした場合違うから、まだいいです。
しかし、わかんないでしょうね。ホントに。欧州人の名前を漢字で表記せざるをえない、
かつての中国もすごいものがありましたけどね。マテオ・リッチとか、受験のために
中国名覚えさせられましたが。
鈴木一朗と鈴木誠が親戚だとか、とんでもない風聞が流れるのも仕方ないですよね。

954カイザー:2004/02/17(火) 21:57
いや、まあ、張飛の経歴を考えれば、可能性はゼロではないと思うんですよ。

①徐州時代に、袁術との戦争中に留守役だった張飛があっさり城を呂布に奪わ
 れたのは何故か? → 曹操のスパイだったから

②大敗北を喫したはずの長阪橋の戦いで、しんがりを務めた張飛が、曹操軍に
 討ち取られず生き延びたのは何故か? → 曹操のスパイだったから

③漢中を占領した劉備が、漢中太守は張飛であると言われていたのを覆して、
 新参の魏延を抜擢したのは何故か? → 張飛がスパイであることがばれたから

という感じでこじつけ・・・・、もとい柔軟な発想を持てば、仮説としてはあ
りかもしれません(笑)。

955カイザー:2004/02/17(火) 22:04
旧約聖書のラテン語訳って、ずっと聖ヒエロニムスの業績だったのかと思って
ましたが、再翻訳というのが正確な表現なんですよね。
でも、ギリシア語訳を行った人物が誰かというのは、聞いた覚えがないですね。
直接ヘブライ語から訳したのか、ラテン語のものを訳したのか、どっちなんで
しょうね?

956マッティアス:2004/02/20(金) 11:36
やはり、そういうのは聖書学の本とか教会史関連の本を読むしかないんでしょうね。
>聖書の訳

>張飛=魏のスパイ説
まあ、そういうのも面白いですけどね。あくまで仮説として考えるのはいいんですが、
歴史研究者としてはやはり、それなりに根拠というか状況証拠だとかもうちょっと、
そのあたりにも触れて欲しいなあと思うんですが。だめですか?

957カイザー:2004/02/23(月) 00:50
すいません、中国の研究者さんは、『張飛と曹操が親戚だという新事実』を発
見したということだったようです。「三国志」ではなく、「魏略」の記述が原
典で、張飛と夏候淵との姻戚関係の根拠は、結構怪しいんだそうです。
新たな古文書を発見した訳でもないのに、普通に書いてる記述を新事実だと発
表するとか、常識じゃあり得ないですね。

アンブロシウス、ヒエロニムス、アウグスティヌス、ヨハンネス・クリュソス
トモスといった辺りの、キリスト教の聖人達は、実際にローマの表舞台にも登
場してるんで、一度ちゃんと調べときたい所ですね。

最近は、積ん読ばかりが増えてきてるんで、少しづつでも読もうとは思ってい
るんですが。すぐに、楽チンに読破出来るマンガを読んじゃうんですよね。

958マッティアス:2004/02/23(月) 15:30
そうですよね。なんか、本は買ってしまうと安心してなかなか読まないんですよね。
特に化粧箱入とか薬包紙みたいのでカバー付きだったりすると、めんどくささ倍増☆
ですよね。
漫画だとソッコ〜読めるから、すぐに読破するんですけど。
CDとDVD、ゲームの関係にも似ていますよね。

アンブロシウスにはどうしても、「背教者ユリアヌス」のうざいイメージがあるので、
一度ちゃんと歴史なり教会関連の本でよまなきゃいけない気がします。

959カイザー:2004/02/24(火) 21:25
アンブロシウスは、ローマ市の女神像を撤去っするかどうかで、異境派の元老
院議員シンマクスと論戦したりとか、ローマ帝国版カノッサの屈辱とも言える
ようなテオドシウス1世との関係とか、大して知名度高くなさそうな名前の割
にやたらと重要な人物ですよね。
この人、メディオラムの司教に就任するまではキリスト教徒ですらなかったと
かいう、適当な経歴だったような記憶があります。マニ教から改宗した弟子の
アウグスティヌスも似たような経歴ですし、初期キリスト教会と中世カトリッ
ク教会は、同じ正統派でも完全に別の組織なんでしょうね。

>「背教者ユリアヌス」
10月に新幹線の中で中巻をちょこっと読んだきり、また放置プレイしていま
す。

960マッティアス:2004/02/25(水) 11:34
初期の教会関係者って、他の宗教やら哲学やらを一通り学んだ上で、最終的にキリスト教に
行き着いた人が多いので、アンブロシウスのような経歴はわりに一般的ですよね。
なので、異教徒を論駁するにもギリシア哲学的的な弁論術を駆使していたり、相手方の
思想にやけに詳しかったりするんですよね。
中世になってしまうと、よほど革新的というか、文芸への保護意識が高い宮廷でもないと、
キリスト教以外の文献やら思想やらの研究などがなされないカンジですね。

話はまるっきり変わりますが、「ロード・オブ・ザ・リング」いいですよ。
ビジュアル・イメージを楽しむのに。ビザンツをイメージした街並みとか、象部隊とか、
ローマ軍風陣形やら攻城機やらが見られますから。そういう映画ではないんですけど。

961カイザー:2004/02/25(水) 22:23
元老院議事堂の女神像撤去の議論も、特定の宗教の偶像である女神像が議事堂
にあることは、多様な信教の自由の阻害になるといった感じの、詭弁とはいえ
多神教徒の痛いポイントを突いた筈です。こういうのが、改宗者の強みなのか
な?
中世とかだと、さすがに偏見だと思いますが、「ダメなものはダメ!」みたい
な、イメージですよね。

実は「指輪物語」って、映画も小説も完全にノータッチなんですよね。
昔、「ロードス島戦記」とかが好きだった頃に読もうかと思ってたんですが、
読まずじまいです。ハリーポッターとかも、何も知らなかったりします。

962マッティアス:2004/02/27(金) 11:01
ハリポタは、なんとなくネギ先生のモデルっぽいけれども、私は映画1作目で合わない
と感じて、それっきりです。「指輪」は映画だけでも小説だけでも結構面白いです。
歴史ものっぽいコスプレ感を楽しむには映画ですけどね。

ローマは、キリスト教を国教化する前(公認、とは別)は比較的寛容なイメージがある
んですけどね。
キリスト教が国教となって、それ以外がマイノリティで一部の知的エリートしか異教の
ことを知らない状況になると、帝政前期時代に一般市民がキリスト教に持っていた偏見
に近い、悪しきものとして“ヤバげ”なイメージだけが一人歩きするうちに、忌避され、
それが慣習化するうちに、本当にただいけないものになってしまったのが中世、なのか
も知れないな、と思いますね。
でも、西側カトリック世界は、とりわけ中世は異端に対しても非常に不寛容ですよね。
コンスタンティノープルのローマ帝国の方が東方教会諸宗派や異教徒に比較的寛容。

963カイザー:2004/02/28(土) 10:00
言われてみれば、ネギくんはハリーポッターがモデルになるんでしょうね。
最近、次々と発売される、31人の女生徒達のCDを買うべきか、考えていま
す。
先生、悩める子羊はどうすればいいんでしょうか!?(笑)

確かに、ミラノ勅令〜アンブロシウスとテオドシウス1世の行った異端・異教
迫害の間は、キリスト教と異教が共存出来てましたね。ヴァレンティニアヌス
1世なんかは正統派の皇帝でありながら、異教にも寛容だったとか。
女神像の件が問題になったのは、次のグラティアヌスやヴァレンティニアヌス
2世の時代ですもんね。

964マッティアス:2004/02/29(日) 12:11
>31人の生徒達をどうするか。
好きな生徒だけはとりあえず買っておいて、聴いてみてよかったら、コンプリートする、
っていうのはどうでしょう?
は!生徒にえこひいきとかしてはいけませんよね、アスカさん。

でも、ほんとそこまで他を圧していこうといく気迫があるキリスト教徒ってすごいです
よね。3世紀くらいまではそれなりに信者を持っていたオリエント諸宗教なんかは、
掛け持ちオッケーだったし。ユダヤ教だって、まあ、一部の特権階級の人々とか商人
だけかも知れませんが、議事堂や神殿・王宮に女神像みたいのとか、動物の像とかを
設置しちゃったりしてるのに。なんだろう、新興宗教の強みだったんですかね?

965カイザー:2004/02/29(日) 18:19
女性とは31人でもCDは31枚じゃないみたいですね。多分、1年で毎月発
売で合計12枚になるんだと思います。アスナさんとかのメインキャラは一人
で一枚だけど、他のメンバーは何人かで1枚ということのようです。

ちなみに、私的には最近は桜咲刹那さんが一押しです♪

キリスト教はやっぱり他の宗教とは別物なんでしょうね。
イスラム教の支配した地域なら、異教もそれなりに生き残ってますが、キリス
ト教、特にカトリックが支配した西欧の異教ってほとんどが滅んでますもんね。
そんな暗黒の中世を生き抜いたユダヤ教徒ってのは、凄いなー。

966マッティアス:2004/03/01(月) 14:40
木香さんらぶらぶのせっちゃんがお気に入りですか。私は本屋ちゃんです。>ネギま!

ユダヤ教が生延びたのは、他民族に対して拡大しないからですよね。ローマ時代もそう
でしたが。たまに、キリスト教側にナショナリズムが怒ると虐殺されてしまうのですが、
そうでもないときは迫害される程度で。生命が脅かされない程度の迫害・差別はむしろ、
内部での結びつきを強固にするような気がします。

967カイザー:2004/03/01(月) 23:38
そういうユダヤ人が生み出したのが、人権思想だとか社会主義といった自らが
滅ぼされないですむような、キレイ事の巧妙なロジックなんですよね。
選民思想を肯定する訳ではないですが、ユダヤ教徒は滅ぼされていった他の異
教とは違う、選ばれたというか生き抜くだけの何かを持った宗教なんでしょう
ね。

ドイツ騎士団が恒常的に行っていたという異教徒狩りから身を守るために、改
宗したリトアニア人と対称的です。
民族固有の宗教を捨てるなんていうのは、苦渋の選択なんでしょうが、不甲斐
ないですよね。リトアニア人が滅ぼされずに現在までも存続出来たんだから、
これが正解なんでしょうが。

968マッティアス:2004/03/18(木) 16:53
あ、ずいぶん間があいちゃいましたね。すみません、ちょっと浮気(?)していたもので。

ユダヤ教も実は結構生き残りを図って努力した時期もあったんですよ?多分。
ヘレニズム時代に、プトレマイオス朝のファラオに進言して、アレクサンドリア図書館に
七十人訳聖書を置いたり、とか。あとはドミティアヌス時代というか、フラウィウス朝
時代には、ユダヤ戦争の言い訳のために著書をしたヨセフスだけでなく、ユダヤ的生活
様式が(キリスト教ではなくって)議員階級の人にまで、例のフラウィウス・クレメンスも
そうですが、広まったということですからね。
こういう努力をすっかり諦めたのが、キリスト教がマジョリティーになってから、なんで
ないかと思ったりするのですが。

それでも生き延びられたのは、彼らがわりかし有能だったり(商人としてとか)、イスラム
教の興隆によって救われた部分とか、ある気がしますね。
ユダヤ教とイスラム教が不仲になったのは、20世紀になってからですもんね。

969カイザー:2004/03/19(金) 00:28
ユダヤ教最後のメジャー化の試み(と呼んでいいのか怪しいところですが)は、
ハザールのユダヤ教国教化になるんでしょうね。ハザールとローマやイスラム
世界のユダヤ教徒の間でネットワークとか成立してたら、また違った歴史があ
ったかもしれませんね。
とか言いながら、ハザールの情報って、ちんぷんかんぷんなんですが。未だに
君主の名前すら一人も知らない・・・。

ユダヤ人のシオニズム運動の帰着点が、イスラムの土地であるエルサレムでの
新国家建設になってしまいましたからね。
ユダヤ人は撤退する気なんてないでしょうし、イスラム側だってエルサレム周
辺地域を完全放棄するなんてあり得ないでしょう。何年先か分かりませんが、
いずれ再度の中東戦争が起こるんでしょうね。

970マッティアス:2004/03/19(金) 11:31
近代ナショナリズムによる中東戦争の時代までは、というか中世頃までは、ユダヤ教が
時折迫害されたりするほか、特に激しい弾圧がなかったのは、多少メジャー化の試みを
しつつも、実は大々的に布教をすることはなかったからではないかと思います。
968のカキコと矛盾するように思われるかも知れませんが、基本的に彼らがしたのは、
自分たちが迫害されるべきものではないこと、を主張するために、自分たちの教え
や生活信条、歴史などを他の人々に知らしめることだったのだと。
選民思想を持っているわけですから、他民族のために動かない代わりに、自分たちの
宗教を押し付けることもしなかった、というのがユダヤ教の基本的スタンスでしょう。

だから、実際のところは世界宗教になろうという思考が欠如しているし、ハザールは
彼らの望むところでもなかった気がします。もちろん、感化されて改宗してくれるのは
大賛成でしょうが、しょせんは他民族ですからね。
初期アラブ帝国(ムスリム世界)における改宗者とかペルシア人に対するくらいの感情で
受け止めていたのではないかと。

971カイザー:2004/03/19(金) 21:56
シオニズム運動に詳しい訳ではないですが、シオニズム運動の一つの成功だっ
た筈のロシア革命によるソ連邦成立が、結局ユダヤ人の理想郷たり得なかった
ことと、ナチスの大規模なユダヤ人迫害が、ユダヤ人の有力者に意地でも独立
国を建設するという選択させたんでしょうね。
マッティアスさんの言うような、自分達が危険ではないという事実を広めるだ
けでは、自分たちは決して安全にはなれないというのが、イスラエル建国派の
結論になるのでしょう。

100年先か1000年先か分かりませんが、いつかアメリカが衰退して中東
への欧米系ユダヤ人の影響力が喪失したら、イスラム教徒にエルサレムのユダ
ヤ人は皆殺しにされるような気がします。
ナチスのユダヤ教徒迫害は、妄想というか共感をあんまり感じませんが、未来
のパレスチナ人の復讐は必然であるように思います。
逆にイスラム側が徹底的に弱体化するという可能性もあるのかもしれませんが。

972マッティアス:2004/03/22(月) 13:12
多少は嫌々ながら、ってところもあったとは思いますが、他民族がそれなりにうまく
やっていたのがオスマン朝時代だったとすると、西欧風ナショナリズムの高揚を強引に
東方に持ち込んだことは、無意味に東欧や西アジア世界を混乱させ、民族同士の敵対を
招いた気がしますよね。
旧ユーゴだって、ムスリムやユダヤ教徒、スラブ系民族などがそれなりに共同生活を
送っていたわけで、人道主義といいつつ、多くの人々に自由を訴えながら、殺し合いを
させたり、介入して大量殺害をやっている昨今のあり方は、最盛期のローマ帝国とは
正反対だと思うんですよね。

ナチスのユダヤ人迫害は賛同できませんが、キリスト教世界成立以来、何世紀かごとに
起こる動きの一つに思えたりもします。十字軍とか、レコンキスタのときには、なにげに
ムスリムよりも信心深いキリスト教徒たちに酷い目に遭わされたのは、ユダヤ教徒たちで
あったように思われます。
しかし、本来的には異教徒にも比較的寛大であったイスラム側が、ユダヤ教徒を虐殺とか
せざるをえない情勢というか、心情になるのを見るのはイヤですね。

973カイザー:2004/03/22(月) 22:29
十字軍国家でも、第2回、第3回十字軍の失敗によって、イスラム教徒との宥
和が進んだといいますが、今のイスラエルが周辺諸国と仲良しになるシナリオ
がちっともイメージ出来ません。
イラクとかサウジが本当に親米国家になって、穏健なイスラム民主主義が誕生
するとかが、辛うじて見える可能性という所でしょうか。
曲がりなりにもトルコの民主化を成し遂げた、ケマル・アタテュルクは偉大で
す。アルメニア人を殺しまくったとかいうダークな話もあるのですが。

民族自決っていう理想は、決して世界平和に貢献してないですよね。
ローマやハプスブルク帝国のように、支配下に置かれた民族もそれなりにやっ
ていけたというシステムだったあったんですよね。
まあ、逆の場合の方が遙かに多いのですが・・・。

974マッティアス:2004/03/23(火) 15:53
アルメニア人も殺しまくったけれども、宗教結社も弾圧しまくりましたよ。
>ケマル・アタテュルク

民族自決っていうのは、ある意味、他の民族との共存を否定する思想になりかねない
ですよね。怖い。本当に世界平和に貢献してない。
かといって、自国民が殺されたから、他の国を空爆していいという、アメリカ的人道
主義理論というか、愛国主義もまたヤバいんですけど。
何が一番理想的なのか、ってわからないけれども。かつての大帝国時代に多民族が
それなりにやっていけた方向のほうが、現代社会よりもむしろイイカンジな気がする
のも寂しいハナシです。

イスラエルは本当に周辺諸国とうまくやっていけるとは思えませんよね。確かに、あの
あたりの土地はユダヤ民族の故地であるのですが、いまでは多くのムスリムの故地でも
あるわけで。変に民族自決とかの思想がなければ、十字軍時代のように共存することも
できると思うんですけど。
実際は欧州側が厄介払いしたかったのと、戦争中に利権をつかむために建国させたような
もんですからね。なんだかなあ、もう、ってカンジです。
こういうモンダイをカエサルならばどうするのか、塩野さんにも語ってもらいたいです。
↑だからって政治的影響力はまったくないですけども。

975カイザー:2004/03/24(水) 00:47
いやあ、塩野先生ならカエサルなら大丈夫という、妙に説得力はあるけどウソ
ツケこらと言いたくなる感じで、太鼓判を押してくれると思いますよ(笑)。
かつてのローマは寛容さを示しつつも、つべこべ抜かすような分からず屋(カ
ルタゴとかマケドニア)はボコボコにするという、アメとムチの使い分けが巧
みでしたね。
いや、何も考えてない野蛮人=ローマ人だったという気もするのですが(笑)。

ナショナリズムっていうのは、本当にどうしようもない問題ですよね。
日本だって、イスラム教徒(別に中国人でもキリスト教徒でもいいのですが)
の人口が5〜10%ぐらいになったら、排外運動が高揚すると思います。いや、
人ごとじゃなくて、多分私も移民排斥運動なんかに賛意を示すだろうと思いま
すね。

976マッティアス:2004/03/24(水) 11:00
日本人は昔から、鎖国主義的なところがありますからね。個人的には国内を大きなツラして
歩き回ってるメリケンさんのほうがうざいのですが。(歩行者に爆竹投げつけてきやがるガキ
とかなんとかしろよ!しつけがなってないんだよ!!)
しかし、移民ではなく、日本人でムスリムになることを受容する人が増えた場合はどうする
のでしょうね?生国に関わらず、改宗することはありえないことではないと思うので。

しかし、ローマの寛容さとか言いながら、やつらも結構利権のために介入したがりですよね。
しゃあない、っちゃあしゃあないんですが。基本的に商人大国は意外と合理的で、多民族
共存を妥協かもしれないけれども比較的受け入れますよね。アレクサンドリアなんかに
ユダヤ人共同体があったりとかするのはいい例だと思います。

塩野さんは、いまの大国にはローマのような寛容さがない、とか言いそうな気がしない
こともないですよね。よくわからないけれども、状況の違いとか時代の違いを考慮せずに
何でもローマは素晴らしい、カエサルならば、という論調で政治を語るのは如何なものか
と思うのですが。

977カイザー:2004/03/25(木) 00:48
大阪は朝鮮・韓国籍の人が大勢いる筈なのですが、実は私の知人には一人もい
ない(もしくはカミングアウトしてない)んですよね。もし、面識のある人間
が外国籍だったりしたら、いいにしろ悪いにしろ私の考え方も影響を受けるよ
うな気はします。

塩野さん自身も本当はカエサルだって歴史上の偉人の一人であって、超越的存
在ではないと気付いてるとは思うのですが・・・。
本人はマスコミやファンといった周囲の期待に応えて、伝統芸能としてカエサ
ルヨイショを続けているという説を提唱したい所です。
正直、ああいうのが全部しらふでの発言であるなら、普通に異常です。

978マッティアス:2004/03/25(木) 11:52
周囲に期待される役割を果たしているのですね。塩野さんも。著名人は大変だ〜。
まあ、そういう周囲の期待に添った活動をしつつ、自らの思想も表現するのって、
本当に難しいですよね。
ローマの皇帝達もそういう努力をしていたと思うんですよ。名君と言われるような
人は。皇帝になってからのアウグストゥスなんかは良い例だと思います。
方向性を間違っちゃったのがネロとか初期のカリグラで、反対に行政能力はあっても
そういう努力をしなかったために不人気なのが、ティベリウス、ドミティアヌス、
ハドリアヌスあたりではないかなあ、と思います。カエサルも元老院議員から見れば
そうかな?

外国人問題でふと思い出しましたが、ローマ人が一番偏見を持っていたのはカルタゴ
ではなくエジプトみたいですね。あそこは皇帝領ということで事情も特殊なんですが。
で、ユウェナリスを読んで驚いたのが、ドミティアヌスが才覚を見込んで重用していた
人物(さすがに議員にはしてない)に、エジプト人がいたようなんですよ。相当羽振りが
良かったらしいんですけど。ユウェナリスは超ブ〜イングしてました。
こういうエジプト人への偏見や不信感というのは、一体いつ頃から抜けたんでしょう?
そのあたりが気になってなりません。

979カイザー:2004/03/27(土) 00:33
いや、私も分かってないのですが、そもそもエジプト人っていわゆるローマ化
をしてるんですか?
ゼノン帝の所属するイサウリア人なんかも、統一時代からのローマ領内の民族
だと思いますが、ゼノンは蛮族出身の傭兵というゴート人とかとそう変わらな
い立場だったようなイメージです。じゃなかったら、本名のタラコシデッサと
いう名前から改名したりしないような。
ちなみに、ゴート人出身の皇帝といわれるティベリウス3世も即位と同時にア
プシマルという名前から改名してるんだそうです。

ローマ市民権の付与の範囲という意味では、カラカラ帝以降はエジプト人もイ
サウリア人もローマ人になるんでしょうが、ローマ帝国のマジョリティの枠に
は入れて貰えてないような気がします。あくまで、想像ですが。

そういえば、ローマ市民権という身分が意味を持つのはいつまでになるのか調
べようと思いつつ、ほったらかしにしてますねー。
後期帝政あたりから、農奴制(コロナートゥス制)に移行していったとか世界
史の授業で教えて貰ったから、ディオクレティアヌス帝の頃にはアントニヌス
勅令は形骸化しちゃってるという程度の理解にとどまっています。

980マッティアス:2004/03/30(火) 16:50
図書館からようやく、塩野さんの最新刊が来たんですよ。まだほんのちょっとしか読んで
ないんですが。アレクサンデル・セヴェルスが死んだトコまでしか。
彼女なりに、カラカラ〜アレクサンデル・セヴェルスは今後の迷走というか、3世紀の
危機のカギになっていると考えているようで、頁を割いてる、というのですが。
短い!短いよ、ちょっと。確かに治世も短いんだけど。アレクサンデルは13年ですが。
アントニヌス勅令はめっちゃ叩いてますね。確かにそうなんだけれども。
でも、なんとなくカラカラは嫌いではないのかな?と思いつつ、相変わらずカエサルと
比較されたりすると、ちょっと冷めちゃいますね。もういいよ、って。

それにしても、どうなんでしょうね。とりあえず、エジプト人皇帝って出てないですよね。
やっぱり被差別人種なんですかねえ。多分、3世紀までは近親婚をしていた形跡もあるし。
ゲルマン人より、さげすまれた存在なイメージありますよね。
エジプトっていっても、多分アレクサンドリアみたいな大都市と、一般の村落ではまた
違うのだろうし。

981カイザー:2004/03/31(水) 00:35
僭帝を全員は把握できてないので、その辺は不明ですが、いわゆる概説書とか
で「皇帝」として扱われている人物に、エジプト出身者は存在しない筈です。
アフリカのベルベル人とかも、どの程度ローマ化してたのかちょっと疑問です。
マッティアスさんの仰るように、都市部と村落や狩猟部族なんかは切り離して
考えるべきなのかもしれないですね。
ガリアには、3世紀頃から傭兵系ゲルマン人の集落がいくつもあったみたいで
すが、こういうアントニヌス勅令時にローマのコミュニティの枠外にいたゲル
マン人がローマ市民権を有していたのかどうか・・・。
そういえば、先週発売のSAPIOに掲載されていたインタビュー記事でも、
塩野さんはアントニヌス勅令を批判してましたよ。

982マッティアス:2004/04/02(金) 11:16
よっぽど、気に障ったんでしょうね>アントニヌス勅令
いやそういう↑レベルの話ではないと思いますが。なんていうか、これが後々まで尾を
引いた問題だと、再三おっしゃってますからね。取得権と既得権の違いによる、人々の
モチベーションの低下を招いたこととか。社会階層の分化と硬直化を招いたとか。

確かに、ギボンを読んでいても気になりましたが、統一帝国の後期になると、階層が
細分化されて、わっけわからなくなってきますね。おいらバカだも〜ん、って開き直って
読んでたけど。

アフリカのベルベル人(ムーア人というべきかな?)も、必ずしも帝国領内にいたわけ
でもない感じがあるので、市民権はもらってなさそげ。ローマの言う文明化とかも、
ビミョ〜に圏外っぽいかな。
やはり、退役軍団兵の入植とか軍団駐屯地との関わりがある都市部と、一般の村落でも
だいぶ格差とかありそうだし、帝国の恩恵とかなんとか、関わりなさそう。
ゲルマン部族でも、たとえば五賢帝時代とかフラウィウス時代にすでに領内に組み込ま
れたり、文明化の恩恵を受けた部族には、様々なルートで市民権を得た人々がいると
思います。
ゲルマン部族自体、居住地域は広いし、部族数も半端じゃないから。遠くは恩恵ない
と思います。

983カイザー:2004/04/02(金) 23:41
「ローマ人の物語」は、2年分が積ん読になってて読もうという気がなかなか
起きないです(汗)。
カラカラのアントニヌス勅令がなければ、ローマの活力が維持できたかどうか
は、クエスチョンではあると思います。

「ローマ帝国の没落」に載っているサーモンの有名な論文によれば、2世紀に
は補助軍の人員不足が深刻になっていて、その対処療法としてローマ市民権の
ばらまき(入隊以前に市民権を与えるなど)を行っていたそうです。しかも、
それでも補助軍の構成員の不足は解消出来なかったとか。
カラカラのアントニヌス勅令は、軍隊の弱体化を確定したのではあるかもしれ
ませんが、属州民を軍隊の構成員とし除隊後に市民権を与えるという前期帝政
のシステムは破綻をきたしていたことに変わりはないでしょう。
カラカラがアントニヌス勅令を発布しなかったとしても、軍人皇帝時代が20
〜30年遅くなったという程度ではないかなというのが、塩野さんに好意的な
見方をしての私の感想です。いや、塩野さんの意見を読んだ訳ではないんです
が(汗)。

そんな訳で、破綻したローマ軍の構成員がゲルマニアから出稼ぎに来たゲルマ
ン傭兵主体に移行して、将来のスティリコなんかの登場へとつながっていくわ
けです。

984マッティアス:2004/04/04(日) 10:15
実際、市民による正規軍はもっと前から破綻してましたよね。ネルウァが出した法令でも
わかりますが。(息子の右の親指を切って、兵役につけないようにする風習の禁止)
なんでしょうね。やっぱり平和ボケしてくると、っていうか別に兵役につかなくても
食えるようになれば、あんまりそんな任務につきたかない、ってのが人情なんでしょうか?
議員に至っては、元首政初期(ユリクラ朝)にすでに、パトリキや第3世代くらいの人は
軍団見習とかしなくなって、元首属州へは赴任しないパターンも増えてるわけだし。
軍の人員不足は時代の趨勢だったんでしょうね。

985カイザー:2004/04/04(日) 14:17
今の日本でも一緒ですが、戦争しなくても食っていけるようになると、軍隊に
人材が集まらなくなるんでしょうね。
危険だし、給料が高いわけでもないし。

質で言えば市民兵や農民兵という形式が最高なんでしょうけど、結局は傭兵に
移行せざるを得なくなって、いずれ破綻するというパターンになっちゃうんで
しょうね。
自領内で兵員を供給する民族が存在せず人口も減少傾向にあった西ローマ帝国
が滅んで、イリュリュクムやアナトリアといった古代末期以降でも兵員を供給
できる地域を自領内に持っていた東ローマ帝国が中世を生き抜いたというのは、
偶然ではないでしょうね。
良く言われることですが、アナトリアからルム・セルジュク朝を駆逐できなく
なって以降、ローマ帝国の弱体化に歯止めがかからなくなってるのも、同じ理
由からですよね。

986マッティアス:2004/04/05(月) 11:25
傭兵は金次第で、愛国心があるわけではないですからね。プロフェッショナルだけど。
やっぱし、あんまり軍隊なんか入りたくはないでしょうね。いい暮らしに慣れちゃうと。
社会の上層部が率先して兵役つかないと、下はなかなかついていかないんじゃないかな?
気のせい?しかも、社会の質の低下というか、そこはかとない不景気感(でも生活レベルは
そこそこ)という状況があるから、無償でむしろ財力を使わなきゃいけない自治都市の参事
とかもなりてがいなくなっちゃうんでしょう?3世紀って。イヤなカンジだなあ。
いまの日本に近い状況なんじゃないかなあ?なんて思いながら、塩野さん読んでます。

イリュリクムは3世紀の軍人皇帝の一大生産地ですよね。辺境だったから、まだ気概が
あるというか、上昇志向のある若者が軍隊に入ったりしてくれてますからねえ。
東の政権も長く続くと、そこらの地域も辺境ではなくなってくるから、傭兵に頼らない
と回らなくなるんですよね。

987カイザー:2004/04/06(火) 00:20
普通の条件では軍を維持できないから、ボーナスを弾んだり市民権を与える条
件を弛めたりといった施策を取らざるを得なかったのが、五賢帝以降のローマ
であり、その行きついたところががアントニヌス勅令ということになるんでし
ょうね。

当然と言えば当然ですが、傭兵と市民兵(農民兵)は士気が全然違ってて、兵
数が互角であれば、傭兵は市民兵に全く相手にならないそうです。
完全に傭兵制に移行してしまっていたヘレニズム諸国が、市民兵のローマ軍に
ケチョンケチャンにやられてたりするのがいい例だと思います。第3次ポエニ
戦争だと逆に必死になったカルタゴの市民兵に、最強のローマ軍が苦戦してた
りもしますよね。
まあ、傭兵だと練度の面で兼業兵士である市民兵より勝っているのと、傭兵は
常備軍になり得ても市民兵は常備軍になり得ないというのが、ポイントになる
のでしょう。

寄せ集めの傭兵を使って東ゴート王国と戦ったベリサリウスって、改めて考え
直したらメチャクチャ凄いんですよね。皇帝でもないのに、凱旋式を挙行した
のは伊達じゃないです。

988マッティアス:2004/04/06(火) 11:10
皇帝でも皇族でもなしに凱旋式挙行ですか!すっご〜い!
ていうか、本当はそうあるべきだと思うんですけど。いっくら戦功あげても、手柄は
皇帝じゃあさあ、モチベーションあがらないですよ。凱旋将軍顕彰もいいんだけどさ、
ピソの陰謀事件の検挙に活躍したティゲリヌスとネルウァがもらっちゃうレベルでは。
こればっかりは、アウグストゥスを誉める気になれない政策でしたよね。

それにしても、傭兵部隊を率いて東ゴート撃破ですか。カッコイイなあ、ベリサリウス。
東ゴートのほうは市民兵なわけですよね?やるじゃん☆ってカンジ。

実際、兵士が自国民でなおかつ、自分の生活とか家族とかを守る、ていう目的があった
ればこそ、頑張れるってところはありますよね。
だからかも知れないけれども、経済大国でなおかつ軍隊も強いぜ〜って状態を長く続ける
のって、ものすごく大変だと思うんですよね。
あるイミ、アメリカってすごいなあ、と思うけれども、現代だと一人一人の白兵戦の能力
っていうよりは科学技術のレベル勝負ってところがありますもんね。

989カイザー:2004/04/07(水) 01:40
東ゴート王国そのものも、アマル朝(テオドリック大王の血筋)が断絶してて、
ゴート人が一枚岩でなかったのとイタリア在住のラテン系住民が蛮族の統治で
はなくローマへの復帰を望んでいたという事情は加味しとくべきではあります。
そもそも東ゴート王国の主力となるべき東ゴート人からして、少数しか存在し
ない訳ですし。

まあ、でも、だからと言ってベリサリウスの偉大さは全く損なわれることはな
いですけどね。
けちんぼのユスティニアヌス1世はベリサリウスに募兵したばかりの新兵を押
しつけては、激戦地に送り込むという無茶を繰り返してましたからねー。
ローマ史上、最も苦労が報われなかった人物はベリサリウスが№1ではないか
と。あれだけ忠誠を尽くしておきながら、失脚の仕方が悲惨すぎ。
よく非業の人物としてあげられるスティリコなんか、半分ぐらい自業自得だし。

990マッティアス:2004/04/07(水) 09:50
そういえば、塩野さんスティリコも好きですよね。『痛快!〜』を読んで思ったけれども。
私はほんと、その辺り知らないんだけれども(そろそろギボンの続きでも買おうかと)、
よく名前だけは聞きますものね。逆にベリサリウスはカイザーさんのところを知るまで
聞いたことも見たこともなかったです。
統一帝国はやっぱり強いですね。コンスタンティノポリス政権、あまりに日本ではマイナー
すぎます。読みやすい本があったら読む気はものすごくあるのに〜。
そういえば、ユスティニアヌスでさえ、東ローマファン以外にはテオドラ様しか知られて
ないですよね。ひどい話だ。あれだけ長く存続したのに。

あ、すごい990ですよ!もう!!

991カイザー:2004/04/07(水) 22:18
1000カキコもついに目前に迫ってきましたねー。

ユスティニアヌス1世の時代って、ローマ史の中でも最もポピュラーな時代の
一つだと思うのですが、内乱の1世紀→ユリウス・クラウディウス朝に比べる
と、かなりマイナーではありますね。
そもそも、テオドラだって大して有名じゃないような(笑)。
ユスティニアヌス1世に従って、素直に配下の軍勢をゲルマヌスやナルセスに
引き継いだベリサリウスの末路皇帝を見るに、皇帝を凌ぐ権力や軍事力を持っ
たらすかさず簒奪するべきなんだろうなというのが、素朴な感想です。

去年、ヘラクレイオス朝のことを調べましたが、どの本を見ても情報が断片的
で、別に深く掘り下げた知識まで求めてないのに情報が整理出来ないんですよ
ね。
とりあえず、東ローマ帝国の全時代の概略史をそらんじるようになりたいです
ね。次はイサウリア朝を勉強しないと。




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