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なぜエスペラントは普及しないのか?
1
:
papageno
:2008/01/04(金) 23:25:54
すでにいろんなスレッドで語られて来たことではありますが、単独のスレッドが無かったので立てさせていただきます。
いろんな視点からのいろんな意見を出して行きましょう。
232
:
ame
◆HREx5v8CFA
:2008/06/29(日) 20:47:39
松戸さんは以前、このようなことを言っておられました。
>一般的には語学というのは「実利」や「生活上の必要性」のた
>に行なわれるものだと考えられていますが、しかし実際には「楽しさ」や「面白さ」を求め
>てなされることもけっこう多いということが判りますね。
>ということで、エスペランティストもこのような「楽しさ」や「面白さ」を求める力のすごさという
>ものを素直に認めて、これをエスペラント運動のために利用することを考えるべきだと思うんですね。
それは確かにそうですが、ではエスペラントが出来ることによって得られる楽しさ、面白さ、は果たしてあるんでしょうか。用意できるのでしょうか。
結局のところ、日本のアニメが好きで日本語を学ぶ人も、韓国の映画が好きで韓国語を学ぶ人も、言語それ自体に興味を抱いているのではなくて
それを習得することによって得られる楽しさ(アニメや映画に直に触れることが出来る楽しさ)を得たいから始めたのであって、これはつまるところ趣味追求のための「実利」の範疇ではないでしょうか。
233
:
ベダウリンデ
:2008/06/30(月) 16:00:30
私もそろそろ「前向きな会話」がしたいし、松戸さんと会話して癒されたいので、そろそろ戻って来て下さい。
(不毛な言い争いには、さすがに疲れた)
エスペラントの「楽しさ」と「実益」ですが、これは実際使ってる人の証言が一番ではないでしょうか。
実益面で英語に勝てる訳ないのは分かってるけど、私なんか、結構楽しんでますけど。
私の場合「人的交流」はゼロですが、そんな事してなくても結構楽しいです。
もちろん人的交流が好きな人は、それが一番楽しめると思いますが。
ネットでニュース読むだけでも楽しいです。
今はまだ実力が伴わないけど、日本語読解力と同レベルで一読で読みこなせるようになれば、
外国人のブログとかも読みたいなー、なんて思ってます。
一気読みできれば、ラジオ聞き取りも可能になるんだろうけど、まだまだです。
英語の「イディオム」(ですか?)字面と全く異なる意味を表現する用法は無いと思うので、
その点で、英語より取っつき易いのは実感してます。
でたらめ文書いても許されちゃう面があると思うので、気楽でもあります。
その意味では日本人、生真面目すぎかな?英語と同じように「間違いは許されない」とか思っていそう????
ちゃんと教科書で学ばないと、とか、思っていそう????
234
:
胡人
:2008/06/30(月) 21:09:16
エスペラント!ホントに面白いと思います!
ベダウリンデさま、人的交流ゼロでも面白いってのは結構前向きで良いと思います。
でも良い環境があれば(それが難しいのかもしれませんが)生の会話交流はより面白いです(^^)
私の参加しているクラブは、現在、正直、大変面白いです。
アジア系留学生(英検900点以上)と外国語大学教授のお二人が春から増えて、とても学習自体が面白くなっています。
お二人とも、ネット独学でエスペラントを始められ、独学歴半年くらいですが、実際の会話術を獲得するために当クラブを探して参加されるようになりました。加入されてから2、3ヶ月たちましたが、もう翻訳とかはほぼ完璧ですし、会話(耳も口も)もこの頃は大変スムーズに美しく分りやすくなってきたように思われます。
お二人の考え方、また其々の知識の蓄積の披露を互いにエスペラントで会話しながら楽しんでいます。外国語教授はヨーロッパの中世史〜第一次世界大戦の歴史も長年の専門の一つで、その専門的な薀蓄も私には大変面白いです。あっという間の2時間です。
留学生は、仕事では必ず英語が必要なお国柄なので、子供の時から自然に学ばなければならない環境だったし、また、正直、試験で点数を取るのは簡単だし何処が難しいのかわからない的な発言の後、何故エスペラントなのか?という話題になり、彼的には、結局エスペラントが楽しいから、続けているそうです。何かエスペラントのもつ、その言葉自体の自由さ加減が心のリフレッシュに良いと思うとエスペラントで言っていました。
結局エスペラントは、意志の疎通をはかる言語という道具です。使用する人によって様々だという事で、右も左も中立も結局、その人によるわけです。
所詮道具なので、言語自体が歪んでいるとかではなく、問題があるとすれば、それを使用している人々に結果、帰する様に思えます。
だから、どの様な方法においてでも、より多くの様々な人々がエスペラントに参加されればそれがひいてはより良い方向に結び付くと思えます。
その意味で松戸さまが様々な切り口で普及を考えていらっしゃるのだと思います。
ただ松戸さまとの相違点は、用語、単語についての考え方の様です。
難しい事は分りませんが、エスペラントで会話すればするほど、日本語的な言い回しを考えるよりも、今自分は何を人に伝えたいのか、とエスペラントで考える様になってきます。自然、日本語的な言い回しをしない様に会話している今日この頃です。文学の翻訳はまた別の問題でしょうが・・・
235
:
松戸彩苑
:2008/07/01(火) 05:41:00
>>231-232
たしかに、きわめて難しいんですよね。
とにもかくにも英語が幅をきかせていますから、多少なりとも英語を身につけざるを得なくな
ってますからね。
しかし考えてみますと、エスペラントには、英語には無い長所もあるんですよね。
(あくまでも日本国内で英語を勉強した場合の話ですが)英語を勉強すれば、それなりに読
めるようにはなりますが、しかし細かいニュアンスまで理解できるようにはなかなかなりませ
んし、話すことなんかですと、まともな英語で言いたいことを自由に表現できるようになるの
は至難の業です。
一方エスペラントですと、語根をしっかり身につけるだけで(もっともこれも、それなりに大変
なんですが)、書いたり話したりというアクティブな言語使用の際にも、自信をもって行なうこ
とが出来るんですね。
これが、英語よりもエスペラントのほうが有利であるという数少ない点なんですよね。
そして私は、このエスペラントの長所を最大限に活かせるのが「エスペラントで雑談をするこ
と」(ネット上での雑談なども含む)だと考えたわけです。
まともな英語で自由自在に雑談をするのはたいへんに難しいと思うんですが、しかしエスペ
ラントでなら(少なくとも理論上は)易しいわけです。
私が「雑談」にこだわるのには次のような理由もあります。
(1) 「文献」について考えてみると、エスペラントの文献はきわめて貧弱であるし、また当
面はこれを大幅に改善することも見込めない。
だから、文献を売りにすることは出来ない。
(2) 「自由自在に雑談を行なう能力」というのは、誰にとっても必要になるだろうと予想さ
れるし、また多くの人にとって楽しいものであるとも思う。
(3) 「自由自在に雑談を行なう能力」というのは、小説を読んだり、エスペラント書きのサ
イトを作ったり、エスペラントをつかって海外旅行をするといった際にも大いに役立つ
と考えられる。
こういった事情がありますので「雑談が自由にできる」というのを売りにすれば良いだろうと
考えたわけです。
つまり英語はすでに「文献を読む」とか「必要最小限のことを言ったり書いたりする」ために
必要不可欠になってしまっていて、この状況を簡単にくつがえす方法は無いわけですが、
エスペラントは「自由自在に雑談をする」という方面でその利点を活かしてエスペラント話者
を増やし、そこからさらに他の分野での使用を増やしていく、というゲリラ的な戦術をとるしか
ないんだと私は考えたわけですね。
簡単に言えば「英語とエスペラントで棲み分ける」「ニッチを探して、そこに定着して、徐々に
勢力を拡大していく」ということです。
なんといっても英語とエスペラントではあまりにも力が違いすぎますから、正面からぶつかっ
たのではエスペラントに勝ち目はまったく無いわけです。
ビジネスの世界では「大企業が手を出さないことをやることで、中小企業が生き延びる」と
いうことがあるわけですが、エスペラントもそういうことをしないと絶対に生き残ることは出来
ないと私は考えたんですね。
236
:
松戸彩苑
:2008/07/01(火) 05:42:54
(
>>235
の続き)
ame さんは
>>232
で
> 日本のアニメが好きで日本語を学ぶ人も、韓国の映画が好きで韓国語を学ぶ人も、言語
> それ自体に興味を抱いているのではなくてそれを習得することによって得られる楽しさ(ア
> ニメや映画に直に触れることが出来る楽しさ)を得たいから始めた
と書いておられますが、それはたしかにその通りです。
少なくとも現時点では、エスペラントでないとアクセスできないような魅力的なコンテンツを
エスペラント界が作りだすということは不可能だと私も思います。
(すでに存在している作品にエスペラントの字幕をつけることは可能ですが、それは「エスペ
ラントでないとアクセスできない」ものではないわけです。
そもそも魅力的な作品は、ただちに世界の主要言語に訳されるようになっています)
しかし私は、そういうことが出来なくても「自由自在に雑談ができる」ということさえ可能であ
れば、エスペラントは十二分に魅力的なものたりうると考えているんですね。
考えてみれば判ると思うんですが、たとえば日本人とフランス人が日本のアニメやマンガに
ついて「英語で」論じるということは普通にあるわけです。
要するに英語というのは、アメリカやイギリスなどの文化的コンテンツにまったく魅力を感じ
ていない人たちのあいだでも使われているということなんですが、これを考えますと「自由
自在に雑談ができる」のであれば、エスペラントでも良いってことになるんじゃないかって
思うんですよね。
ということで、私はエスペラントが「自由自在に雑談ができる」言語としてやっていけば、生き
延びることもできるし、話者の数が増える可能性もあるんじゃないかと考えてるわけです。
もちろん、このレベルまでエスペラントに習熟するのは(とくに欧米語を母語としていない人
にとっては)楽ではありません。
しかし考えてみますと、将棋・碁・チェスというのは「頭を使い」なおかつ大部分の人にとって
は「やってもカネにならない」ものなんですが、しかし愛好家はたくさんいるんですよね。
ですから、将棋・碁・チェスをやるような感覚でエスペラントをやる人が増えれば良いんじゃ
ないかなと考えてるんですね。
また、アマチュア無線・切手収集・伝書バトなどを見れば判るように、楽しいものであれば、
マイナーであってもそれなりに愛好者がいるんですよね。
(もっともこれらの趣味は、マイナーとは言っても、日本国内にある当該の団体の会員は数
万人はいるんですが)
とにかく「エスペランティストが、エスペラントを楽しんでいる」というのを世間の人に知っても
らうというのが、最良の宣伝になると思うんですね。
現に「エスペラントを利用して海外旅行をする」なんてことは、世間においてもけっこう好意
的に言及されたりしてるんですね。
ですから「エスペラントをつかって世界中の人たちと楽しく雑談をする」そして「そういう活動
ができるんだということを世間の人に知ってもらう」というのが良いと思うんですね。
---
ということで私は「自由自在に雑談ができる」言語としてやっていくことを考えているんです
が、しかし残念ながら、今のところ「あくまでも理論上の話」「潜在的な可能性」というレベル
にとどまっていると私は見てるんですね。
話題はアニメやマンガでも良いし、スポーツ・園芸・音楽・釣りでも良いし、日常生活に関す
ることでも良いんですが、こういったことをエスペラントで自由自在に話すことができる人と
いうのがあんまり多くないような気がしますし、日本人ですと、結局は英語などの欧米語が
得意な人だったりするんですね。
またそれだけではなく、こういったことを話すのに必要な単語が不足・混乱しているというこ
とさえあると思うんですね。
237
:
松戸彩苑
:2008/07/01(火) 05:45:07
(
>>236
の続き)
ここの「エスペラント改造論」スレを見ていただくと判ると思うんですが、たとえば
(1) 「引き分け」に当たる表現が、辞書によってバラバラ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/173
‐175
(2) 「作詞家」という表現は、辞書によってバラバラ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/177
みたいなことがあるわけですね。
(ほかにもいろいろあるんですが、くわしくは当該スレをご覧ください。
また、このスレに書いたもの以外にも、この手の問題はたくさんあります。
今後もそういった問題について論じていくつもりです)
もちろん術語以外の表現については、複数あっても、ちゃんと理解されるのであれば良い
のです。
しかし、どうも私の見るところでは、エスペランティストというのはこの手の語彙・表現という
のをなめていて「そのうち自然にできる」と思っているので、まともに出来ないということが
あり、辞書を編纂してみて初めてこの手の語彙・表現が大量に不足・混乱していることに気
づいて慌てるわけですが、なにか載せないと仕方がないので、辞書編纂者が適当に考えて
辞書に載せるということがあるから、この手のエス訳が辞書によってバラバラになってしまう
んだと思うんですね。
で、こういう状態では「自由自在に雑談ができる」言語としてやっていくことは不可能ですし、
また、この手の、母語であれば誰でも知っているような概念を表わす語彙・表現が不足・混
乱しているというのでは、エスペラントの信用を大きく下げるような事態が起こりかねないと
も思いますので、私は「現在の文明社会に住む成人であれば誰でも知っているような語彙・
表現」の整備についてうるさく言っているわけなんですね。
---
ずいぶん長くなりましたが、私はこのように考えているわけです。
しかし私も、これでもかなり楽観的だろうなと思いますね。
今後は「英語を頂点とした多言語主義」が徐々に広まっていき、自国内で生活している庶民
であっても、英語に接したり、あるいは英語が必要になったりする機会は、ますます増えてい
くでしょう。
また、翻訳機械も進歩・普及していくでしょうから、そうなりますと、私の提唱するプランが実
現する可能性もどんどん減っていくわけです。
そういうことがありますから、私は長年エスペラントをやっている人たちに対して「残念だけれ
ども、今のようなやり方をしていたのでは衰退するだけなんだよ」としつこく言ってるわけなん
ですが、私の言い方が悪いのかもしれませんが、どうもベテランほど耳を傾けないみたいなん
ですよね。
ベテランの人たちはどうやら
たしかに問題はあるかもしれないが、これまでこういう状態で何とかやってこれたんだか
ら、今後も何とかなるんじゃないか。
ネガティブなことを言うと、これからエスペラントをやろうとしている人たちにマイナスイメー
ジを与えることになる。
ということを考えておられるみたいなんですが、これほどナンセンスな話はありません。
そもそも世間の人たちから見れば、エスペラント運動というのは完全に「失敗」しているもの
なんですね。
ですからベテランのエスペランティストが「これまで大丈夫だったから」みたいなことを書いて
るのを世間の人たちが読むと、はげしく違和感を感じるはずなんですね。
むしろ私のように「こういう問題があるから、さんざん頑張ってきたにも関わらず、うまく行か
ないんだ」と論じているほうが、よっぽどマトモに見えるわけです。
「少なくとも現状についてはちゃんと判っているんだな」と思うはずなんですね。
残念ながらベテランの人たちはその程度のことでさえさっぱり判っていないのですから、や
はりエスペラント運動は衰退していくしかないのかなと思いますね。
(終わり)
238
:
松戸彩苑
:2008/07/01(火) 05:57:42
>>233
私と話したいことがある場合には、私の意見が訊きたいということを明記したうえで書いて
おいていただけると有難いですね。
この掲示板に書いてあることはけっこう読んでると思うんですが、私に対する呼びかけが
無い場合には、たとえ読んでも私のほうに特にコメントしたいことが無くて、「なるほど」「た
しかにそうだよね」と思うだけということが多いですから。
>>234
あとでコメントさせていただきます。
239
:
ベダウリンデ
:2008/07/01(火) 08:30:11
>胡人様
>結局エスペラントは、意志の疎通をはかる言語という道具です。使用する人によって様々だという事で、右も左も中立も結局、その人によるわけです。
>所詮道具なので、言語自体が歪んでいるとかではなく、問題があるとすれば、それを使用している人々に結果、帰する様に思えます。
>だから、どの様な方法においてでも、より多くの様々な人々がエスペラントに参加されればそれがひいてはより良い方向に結び付くと思えます。
全く同感です。エスペラント会に所属している方から、このように言って頂けると、
エスペラント界って結構捨てたもんじゃないな、と見直します。
ちょっと希望が出てきました。dankon!
240
:
ベダウリンデ
:2008/07/01(火) 09:04:46
>松戸様
>残念ながらベテランの人たちはその程度のことでさえさっぱり判っていないのですから、や
>はりエスペラント運動は衰退していくしかないのかなと思いますね。
「ベテラン」に頼るのはもう諦めましょうよ。
「よろず」でさんざん説得しても全く聞く耳無しではなかったですか。
Nさんなんて、私がここで「予想」していたことまで持ち出して(理念が好きでやっていて、今の人間関係が楽しい、ということ)いました。
「もうこれ以上は言うな」というメッセージでしょう。
松戸さんは松戸さんなりに、頑張ればいいと思います。
検索して他人のブログを見てると、せっかく意気揚々とエスペラント始めても、だんだんと興味が薄れていってしまった様な人も見受けられます。
そういう人は、明確な政治意識で始めたのではなく、なんとなく「平和」って感じに惹かれて始める感じです。
また、私の想像で失礼かもしれないですが、
今時誰もやっないであろう「エスペラント」なんてできたら自慢かも、みたいな「ネタ」として始める人も結構いるんじゃないか、と思ってます。
そういう人たちはきっと、(私のように)サークル活動は求めてないと思います。
だから、ネット上で気軽にエスペラントを「使える場」があるといいなあ、と思います。
日本語併用で外国人も交えて会話する場とかあったらいいと思います。(ROMしてるだけでも)
(初心者にはエスペラントオンリーのサイトは存在しないに等しいんです、どうせ読めないから)
241
:
ame
◆HREx5v8CFA
:2008/07/01(火) 15:53:36
>考えてみれば判ると思うんですが、たとえば日本人とフランス人が日本のアニメやマンガに
>ついて「英語で」論じるということは普通にあるわけです。
>要するに英語というのは、アメリカやイギリスなどの文化的コンテンツにまったく魅力を感じ
>ていない人たちのあいだでも使われているということなんですが、これを考えますと「自由
>自在に雑談ができる」のであれば、エスペラントでも良いってことになるんじゃないかって
思うんですよね。
なるほど。言われて見れば確かに、そこにエスペラントの活路があるかもしれない。
例えば、日本の学者とフランスの学者が共同研究したりするときは、英語を使って意思の疎通をするんですが
そりゃ、フランス人学者のほうが多少なりとも日本人学者より得意だったりするけれども
それでもやっぱり、相応の苦労をして英語を使っています。
そういった場面に、「英語よりも簡単に習得できて公平」というエスペラントの武器を活かせれば...。
242
:
松戸彩苑
:2008/07/06(日) 10:09:59
最近は暑くって、まとまった文章を書く気になかなか成れなかったんですが、みなさまはい
かがお過ごしでしょうか。
>>234
エスペラントの会話を楽しんでおられるようで、たいへん結構なことだと思います。
私もエスペラントの「会話」「雑談」を重視・奨励しているわけですが、この意見の正しさが
改めて確認されたように思いました。
ただし
> ただ松戸さまとの相違点は、用語、単語についての考え方の様です。
> 難しい事は分りませんが、エスペラントで会話すればするほど、日本語的な言い回しを考
> えるよりも、今自分は何を人に伝えたいのか、とエスペラントで考える様になってきます。
> 自然、日本語的な言い回しをしない様に会話している今日この頃です。文学の翻訳はま
> た別の問題でしょうが・・・
と書いておられるのを拝見しますと、私の言わんとしているところが伝わっていないのだな
と感じないわけにはいきません。
「エスペラント改造論」スレに私が投稿した文章を読んでいただければ、私の言ってるのは
「日本語的な言い回し」といったレベルの問題ではなく
現代の文明社会に住んでいるふつうの成人であれば誰でも知っているような物・事に
ついて、エスペラントは厳密に表現できるようになっていない。
エスペラントが発表されてから100年以上も経ってるのにこのような状態なのだから、
今までのようなやり方ではダメだということであるし、ザメンホフの見通しは甘かったと
いうことでもある。
と論じているのだということが判るはずなんですけどね。
つまり私は
どう考えても、文明国の言語であれば必ず備えているであろうような語彙・表現が、エス
ペラントでは不足・混乱している。
ということを言ってるわけですね。
まぁ確かに、「エスペラント改造論」スレで私があげているような表現というのは、ちょっと会
話をする程度であれば、ほとんど必要が無いようなものかもしれません。
それは以前から認めているんですが、しかしだからといって「今までのように放ったらかしに
しておいても良い」ということにはならないはずです。
私の考えでは「こういった語彙・表現をちゃんと作っておかないことが、エスペラントの潜在
的な可能性をおおはばに削いでいる」「逆に、こういった語彙・表現をちゃんと作れば、エス
ペラントは今まで以上に素晴らしい言語になる」と思うんですね。
(私もそうですが)みなさんはエスペラントを英語に太刀打ちできるようにしようと考えている
わけですから、こういった問題についても真面目に考えていただきたいと思います。
そうしないと、いつまでたっても「それなりに表現できるんだが、ちょっと難しいことになると
精密に表現することが出来ない言葉」だということになってしまいます。
これでは英語に太刀打ちできるわけがありません。
世間の人たちは「それだったらブロークン・イングリッシュとあんまり変わらないし、通用度や
学習環境といったことを考えれば、エスペラントにはメリットが無い」と判断するだろうと思い
ますね。
243
:
松戸彩苑
:2008/07/06(日) 10:10:41
(
>>242
の続き)
また、欧米においてもエスペラント運動は停滞ないしは衰退をしているわけですが、これも
私の指摘するような「日常生活に必要な語彙・表現の不足・混乱」というのが原因の一つに
なってると思うんですね。
そもそも、ほんとうに学習容易で、なんでもちゃんと表現できるようになっているというので
あれば、そういう便利なものが欧米で広まらないわけが無いんですね。
もちろん英語には敵わないでしょうが、しかしエスペラントがほんとうに便利であれば、エス
ペラントの便利さや楽しさというものがエスペランティストの周囲にいる人にも理解されて、
そういう人たちのなかからエスペラントを始める人が出てきて、少しずつではあっても話者
が増えていくというふうになっても良さそうなものです。
しかし現実には、そうなっていないわけで、日本以上にレベルの高い運動をしていたはずの
欧米で、エスペラント運動が停滞・衰退してるんですね。
こういったことを考えますと「日常生活に必要な語彙・表現の不足・混乱」というものがエス
ペラント運動の足を引っぱっているのではないかと疑わざるを得ないんですね。
エスペラントというのはきわめてチグハグな発展のしかたをしてまして、詩にはむやみやたら
と力を入れてきたのですが、日常生活に必要な語彙・表現のほうは「放っとけば自然にでき
る」とでも考えていたのか、それとも社会改革を目指していたので、日常生活に必要な語彙・
表現といった「形而下」の問題には関心が持てなかったのか、理由は判りませんが、とにか
く現在に至るまで放ったらかしにしてたんですよね。
そのせいでエスペラントは、ノーベル文学賞候補を2人(カロチャイ、オールド)も出している
一方で、「3つの角(tri anguloj)」と「複数の三角形(trianguloj)」を口頭で区別することが出
来ないという、きわめてイビツな発展をしてきたわけです。
それで私は、このような歪みをみんなで直していくべきであると訴えているわけです。
一生けんめい詩を作っている人たちには悪いのですが、どう考えても、詩よりも、日常生活
に必要な語彙・表現のほうが、多くの人たちにとって必要だと考えたからです。
(もちろん、詩は必要ないと言ってるわけではありません)
---
どうもエスペラント界のベテランの方というのは「エスペラント界の常識」と「自分の経験」だけ
で判断するので、「日常生活に必要な語彙・表現の不足・混乱」と言われてもピンとこないみ
たいですね。
しかしそれでは「すでに英語が国際語」「エスペラントなんて失敗したことが歴史的に証明さ
れている」と言ってる世間の人たちと発想がまったく一緒なんですよね。
この人たちも「世間の常識」と「自分の経験」でしか考えられないから、エスペランティストの
言ってることにまったく耳を傾けないんですね。
で、考えていることのレベルが同じであれば、数の多いほうが勝つに決まっています。
これではいけませんので、私があげるような「エスペラント界全体や社会全体における具体
的な事例」と「それについての解釈」といったことにも注目していただきたいと思いますね。
(終わり)
244
:
松戸彩苑
:2008/07/06(日) 10:30:00
>>243
の続きを書きます。
私は「エスペラントは文明語としてちゃんと出来ていない」とか「今までのエスペラント運動
のやりかたには問題がある」とか主張していますが、しかしこのような意見をベテランの方
たちが見聞きすると、ひょっとすると
これまでにエスペラントを介して築いてきた「友情」や「信頼」はニセモノである。
と言われているように感じるのかもしれないですね。
しかし当然のことながら、私はそういうことを言ってるわけではないのです。
ベテランのみなさんがエスペラントを利用して得たものがニセモノであるはずがありません。
ただ、これまでのやりかたを改めれば、もっと運動が大きくなり、楽しいことが増えるのでは
ないだろうかと言っているだけなのです。
長年エスペラントをやってこられた方というのは、あまりにもエスペラントと密着しすぎていて
(というか、エスペラントと精神的に一体化してしまっていて)、エスペラントやエスペラント運
動を少し離れたところから冷静に観察して得られた意見というものを受け入れられなくなっ
ているのではないかと、私は思ったんですが。
245
:
松戸彩苑
:2008/07/12(土) 10:36:15
>>240
たいへん遅くなりましたが、私もそうなんだろうなと思いますね。
私としては「日常生活に関する語彙・表現」の整備だけは、政治思想に関係なく出来るの
ではないかと思っていたんですが、それもどうやら無理っぽいですね。
やはり新人さんに期待したほうが良いんでしょうね。
246
:
松戸彩苑
:2008/07/13(日) 09:35:42
藤原直哉という経済アナリストの方がいらっしゃるんですが、この方が書いた『国家破綻
Ⅱ』(2004年 あ・うん)という本のなかに、エスペラント運動を進めていくうえでも参考に
なりそうなことが書いてあったので、引用することにします。
なお、引用文中に「思い」という言葉が何度も出てきますが、これは「将来の目標」「ビジョ
ン」といった意味です。
成功している企業は、みな会社の中で思いがきちんと定義されている企業である。自
分たちは誰のために、何をすべきなのか。この事業が社会にどのように貢献し、必要と
されているのか。そういうことをきちんと経営者が思いとして口にし、社員教育を徹底し
ている企業は、勝ち組に入っている。
「そうはいっても、そんなことでは飯が食えない。とにかく今日の飯代を稼ぐために働い
ているんだ」というような会社は、形はあるが、思いがない。そういう会社ほど変化に弱
いので、ちょっとした状況変化に経営が傾き、危うくなっていくのである。
みなさんもご存じだと思うが、NHKの『プロジェクトX』という番組がある。毎回さまざまな
話が出てくるが、共通したテーマはただ一つ。偉大な人が偉大な仕事をするのではなく、
普通の人が偉大な仕事をする物語なのである。
本当の企業の力というのは、じつはそこにあるのではないか。どこかのプロ野球チーム
のように、金にまかせて他球団の四番打者ばかりをそろえても、チームワークが整わな
ければ優勝することはできない。
これと同じようなことが、大なり小なり企業でも起こっている。とくに外資系の企業に顕著
だが、ヘッドハンティングで優秀だと言われる人材を集めてきても業績が上がっていか
ないのである。
逆に、普通の人をきちんと教育している企業のほうが業績を伸ばしている。それは先に
述べたように、思いを共有化しているので変化に強いからである。だから、人材が長続
きし、その人がまた新しい社員を育てるという好循環をもたらしている。
じつはアメリカでも、本当に好業績を続けている会社は、スタープレイヤーが集まった会
社ではなく、普通の人が愚直なやり方で、だが思いを持ってやっている会社なのだ。
一九九〇年代から、企業改革の方法論として、リストラクチャリングやアメリカ式コーポレ
ート・ガバナンス、アウトソーシング、情報インフラの導入など、さまざまな理論が日本に
入ってきたが、本当によい業績を継続的にもたらすための決定打ではなかった。九〇年
代にアメリカから入ってきた経営手法やITが発達してできた経営手法は、一時的に会社
を良くすることには貢献したが、一〇年、二〇年といった長期的に安定して業績を向上さ
せる手法ではなかったのである。
むしろ、会社経営を場当たり的にしてしまった感が強いように思う。たとえば、コーポレー
ト・ガバナンスと称して誰にでもわかる経営を目指したために、素人でもわかるような経
営しかできなくなり、本来専門家でしかわからない独自の投資が行なえないという弊害
も出てきている。
一九九〇年代に登場した経営の教科書は間違っていたとまでは言わないが、少なくとも
中途半端なものであった。しかし、もっと抜本的に企業経営のやり方を変えていかないと、
うまくいかないということだけははっきりした。
世界的に見ても、継続的に好業績を続けている企業は、「プロジェクトX」のように、普通
の人が偉大な仕事をしているところなのである。アメリカに経営品質賞というものがある
が、その考え方はまさしく「プロジェクトX」そのものである。普通の人が偉大な仕事をする
仕組みづくりを行っている企業を評価するものなのだ。そのため、普通の人をいかに教育
して、チームワークを高めていくかということが、企業成功の方程式として改めて見直され
はじめている。
247
:
松戸彩苑
:2008/07/13(日) 09:36:19
(
>>246
の続き)
「プロジェクトX」の世界を築き上げるには、気持ちの問題が非常に重要になる。とくに、経
営者は顧客にもいい顔をし、株主にもいい顔をなどと八方美人的な考えでいると、その場
限りの経営で終わってしまいがちだ。時間をかけて人を育てていかなければならないとい
う強い信念を持って経営にあたらなければ、本当にいい仕事をすることはできない。社長
任期の三年間でうまく業績をあげて、高額な退職金をもらおうという発想の経営者には時
間をかけた経営も人材の育成もできないし、継続的な業績向上ものぞめない。
二一世紀に入って、そうしたことがはっきりと見えるようになってきた。企業成功の方程式
は、もはやアメリカ型の教科書ではない。アメリカ型教科書とは、言ってみればウォール街
のための教科書。「ウォール街型教科書よ、さようなら」である。これからはウォール街の
常識とは別のところに、企業成功の方程式が存在する。
(同書213〜217ページ)
248
:
松戸彩苑
:2008/07/27(日) 01:21:18
私は ladio さんから教えていただいた若田恭二(著)『大衆と政治の心理学』を読んでいる
んですが、この本を読んでいて、私は「世間の人たちのメンタリティ」よりもむしろ「エスペラ
ンティストのメンタリティ」のほうが気になったんですね。
私の見るところでは、エスペランティストは
本来は、政府や国際機関がエスペラントを推進すべきなのである。
政府や国際機関がエスペラントをやるのが当たり前なのであって、これらの組織の代わ
りに自分たち(エスペランティスト)だけが現在エスペラントをやっているわけだが、こうい
う状態は根本的におかしい。
って考えてるんですね。
ですから、政府や国際機関がエスペラントに対して援助をしたりするのは「当たり前」なんだ
っていう意識がどこかにあるんだと思います。
また逆に、ちょっと前にポーランドの国際放送がエスペラントの放送をやめたわけですが、
ああいう事があると、あたかも永遠の愛を誓った恋人に突然捨てられたかのように、本気
で腰を抜かすことができるんですね。
私なんかは、欧米においてエスペラント運動が停滞ないしは衰退してるんだから、エスペラ
ント放送が無くなるのも止むを得ないだろうとしか思わなかったんですが、しかし「本来は、
政府や国際機関がエスペラントを推進すべきなんだ」と信じて疑わない人にとっては、絶対
にあってはならない出来事だったみたいですね。
ということで、エスペランティストの考えている事というのは、世間の人たちの考えとは根本
的に違っているわけです。
このような意識のズレというのを無くしていかない限り、いくら宣伝しても効果が無いし、世
間の人たちから認められることも無いと思いますね。
249
:
松戸彩苑
:2008/07/27(日) 11:49:05
最近、私が考えていることを書いてみようと思います。
ピジン・クレオール語というのがありますが、これは19世紀末にフーゴー・シューハルトとい
う言語学者が本格的に研究をはじめるまでは、言語学者は「まともな言語」だとは考えてい
なかったんですね。
正確に言いますと、シューハルトの研究以降も、ピジン・クレオール語をまともな言語だとは
考えない言語学者はたくさんいたわけで、言語学の世界でもピジン・クレオール語をまとも
な言語だと考えるのが普通になったのは20世紀後半になってからのようなんですね。
また、現代ヘブライ語にしても、エリエゼル・ベン・イェフダという人が復興運動をはじめてか
らしばらくの間は「絶対に不可能」だと思われていたわけです。
それから「手話」だって、長い間まともな言語体系だとは思われていませんでした。
ということで、これらは皆「昔はまともな言語だと思われていなかったのだが、現在ではちゃ
んと認められている」というわけなんですが、これらが「まともな言語」だと認められるように
なった理由というのを、もっと考えてみようと思ってるんですね。
---
それから、ヨーロッパには現在でもラテン語を自由自在に使いこなすような人がいますし、
インドには現在でもサンスクリット語に堪能な人がいるわけなんですが、そういう人がいる
からといって「ラテン語やサンスクリット語は生きた言語だ」とは言われないわけです。
もちろん「ラテン語やサンスクリット語は、まともな言語ではない」などと言う人はいないわけ
なんですが、しかし少数ながら流暢に話すことのできる人がいるからといって「生きた言語」
であるとは言われないのはなぜなんだろう?と思ったわけです。
私がこういうことを考えようと思ったのは、言うまでもなく「いまだにエスペラントが認められて
いない」からなんですが、現時点での予想では「その言葉を使って生活している共同体が存
在するか否か」という点で区別されているのではないかと思います。
(終わり)
250
:
松戸彩苑
:2008/07/27(日) 12:05:54
>>249
に補足しますが、世間の人たちの間では、エスペラントというのはラテン語みたいな
ものだという印象があるのではないでしょうか。
つまり「生活感が感じられない」「浮世離れしている」「ごく少数の熱心な人たちが、俗人に
は理解できないような小難しいことをしている」といったイメージですね。
まぁ、こういったことについて、もっと考えてみようと思っております。
251
:
Kakis Erl Sax
◆CcpqMQdg0A
:2008/07/27(日) 23:18:29
まともと見られるには、政府があって、軍隊があって、
多少国なり、民族なりがないと無理かもしれませんが、
現在のところ、19世紀のパレスティナに移住したユダヤ人のような
需要を持った集団がいないというのが問題ですね。
そういえば、人工言語アルカは掲示板を引っ越しました。
エスペラントも最終的には『ARIA』のような文学作品の調味料という
他の芸術言語と同様の地位に落ち着くかもしれません。
伝統芸能の世界です。
http://www2.atchs.jp/kakis/
252
:
松戸彩苑
:2008/07/28(月) 23:48:18
>>251
エスペラントを話す人間が「国」を持つってわけにはいきませんので、「国」なしでエスペラン
トを発展させなければならないんですよね。
そういや昔(20世紀前半に)、ヨーロッパに「エスペラントのみを使う街」を作るっていう構想
があったらしいんですが、結局実現しなかったんですよね。
253
:
Raku
◆yP0a9GGqWA
:2008/07/29(火) 05:21:31
>エスペラントを話す人間が「国」を持つってわけにはいきませんので、
多民族国家の共通語、公用語、国語となることは理論的には可能です。
それはザメンホフの本来の目的の一つでもあったわけです。
254
:
松戸彩苑
:2008/07/29(火) 23:26:34
>>253
エスペラントが「多民族国家の共通語、公用語、国語となること」が「ザメンホフの本来の
目的の一つ」だということは私も当然存じ上げておりますし、おそらく Kakis Erl Sax さんも
ご存じだと思います。
しかし、ヘブライ語復興運動もエスペラント運動も1880年代に始まったわけですが、前者
は完全に成功したのに対して、後者はいまだに不本意な状態にあるわけですね。
と言うか、世間の多くの人は「エスペラントはすでに完全に失敗している」と考えてるわけ
です。
このように、ヘブライ語復興運動と比べますと、エスペラント運動のダメさ加減がよく判るん
ですね。
また、パプア・ニューギニアには「トク・ピシン(Tok Pisin)」という英語から派生したクレオー
ル語があるんですが、これが今ではパプア・ニューギニアの公用語の一つになってまして、
国会での討論にも使われているんですね。
(ただし議事録は英語で書かれるそうですが)
言っちゃあ何ですが、もともとトク・ピシンを使っていた人たちの大部分は、近代的な教育な
んてものはほとんど受けていなかったはずなんですね。
そういう人たちが作りあげた言語が、今や一国の公用語となっているわけですが、これに
対して、エスペラントの話者は世間の平均以上の学歴をもっているのにも関わらず、エスペ
ラントのステータスは、トク・ピシンに遠く及ばないわけですね。
で、「これはどうしてなんだろう?」と考えざるを得なくなるわけですが、「やっぱり国とか民
族主義みたいなものが無いとダメなのかな」という話になったわけですね。
私もこれを完全に否定することは出来ません。
やっぱりそういうものが無いとダメなのかなという気もいたします。
ただ一つ言えることは、私はロバート・セントジョン(著)『ヘブライ語の父ベン・イェフダー』と
いう本を持っているんですが、この本を読みますと「ヘブライ語復興運動と比べると、エスペ
ラント運動は真剣さが足りない」ように思えるんですよね。
そこが問題じゃないかと思って、私はこの掲示板でいろいろと言ってるわけなんですが、長
年エスペラント界におられる方たちには、どうもなかなか判っていただけないようですね。
255
:
松戸彩苑
:2008/07/29(火) 23:31:22
>>254
に補足しますが、エスペランティストの方たちが頑張っておられることは、私だって
よく判っているんですよ。
それはよく判るんですが、しかし、どうも頑張る方向性が良くないんじゃないかって思うん
ですね。
256
:
松戸彩苑
:2008/08/01(金) 03:59:52
1954年以来、世界エスペラント協会(UEA)は、ユネスコと関係を結んでいます。
そういうことがあって、世界エスペラント協会の主催で年に一度開かれる「世界エスペラント
大会(UK)」の際には、ユネスコ事務局長の名前で祝辞が届きますし、日本ユネスコ協会
連盟のサイト内にあるリンク集のなかにも、日本エスペラント学会が入っていたりするわけ
です。
http://www.unesco.jp/contents/link/link2.html
(余談ながら、UKにおけるユネスコからの祝辞は、UEAの機関誌「Esperanto」にしか掲載さ
れませんので、世間の人たちはまったく知らないはずです)
このように「ユネスコからも認められている」ということが、エスペランティストにとっては大き
な誇りや自信となってるものと思われます。
---
しかし私は、このような見方に、あえて異議を唱えたい。
たしかにユネスコが、エスペラントに一定の価値を認めていることは間違いありませんが、
しかし冷静に考えてみますと、ユネスコがエスペラント運動のためにしてくれているのは
(1) 1954年以来、世界エスペラント協会と公式な関係を結ぶ。
(2) 世界エスペラント大会に祝辞を送ってくれる。
という事だけではありませんか。
エスペラント界には「政府や国際機関がエスペラント運動を推進すべきなんだ」と考えてい
る人が少なくないと思われますが、ユネスコみずからがエスペラント運動のために積極的
に活動をしたということは一度も無いんですね。
もちろん、ユネスコがエスペラントのために予算を割くというのは困難だと思います。
しかし例えば、ユネスコが発行している雑誌に、エスペラント運動に関する記事を載せたり
するという事であれば、おカネをかけずに出来るはずなのです。
でも、そういうことをしたという話は聞いたことがありません。
私じしんは、ユネスコが発行している雑誌を読んだことはありませんが、しかしもしもユネス
コの雑誌にエスペラントに関する記事が掲載されれば、エスペラントの雑誌がそれを取り上
げないわけが無いんですね。
しかし、そういう記事を読んだことがありませんから、やはりそういうことをしてくれたことは
無いのでしょう。
それにだいたい、ユネスコが本当に大事だと判断すれば、世間に対して、協力や寄付を呼
びかけることだって出来るんですね。
日本ユネスコ協会連盟のサイトを見ますと「世界寺子屋運動」なるものを展開していて、募
金を呼びかけていますが、もしもユネスコが本気でエスペラントが大事だと考えるのであれ
ば、こういうことだって出来るはずなのです。
でも現実には、やってないんですね。
---
このように考えていきますと、結局ユネスコは、エスペラントの意義を部分的には認めている
が、しかし「政府や国際機関がエスペラント運動を推進すべきなんだ」という考えはまったく認
めていないんだと判断するしかないんですね。
1954年以来、UEAはユネスコに対して定期的に、エスペラント運動に関する情報を送り届け
ているはずなんですが、しかしそれにも関わらず、上記のような対応しかしてくれないというの
が、残念ながら事実なんですね。
(終わり)
257
:
松戸彩苑
:2008/09/20(土) 15:59:16
エスペラント運動の歴史を勉強すると判るんですが、日本においても欧米においても、19
50〜60年代のエスペラント界には、今では考えられないくらい知識人がたくさんいました。
それで現在でも「エスペラント運動をこの時代のようにしたいものだ」と考えてる人が少な
くないみたいなんですが、しかし私は、この考えには賛成できません。
というのも「1950〜60年代のエスペラント界には知識人がたくさんいた」というのは事実
なんですが、しかしそれにも関わらず、それ以降はエスペラント運動は「落ち目」になったか
らなんですね。
つまり
知識人がたくさんいたにも関わらず、エスペラント運動は落ち目になった。
という事実がありますから、知識人に過大な期待をかけても仕方が無いと私は思うのです。
また
1950〜60年代にエスペラント界にいた知識人たちの次の世代の知識人たちは、エス
ペラントを支持しなくなった。
つまり、1950〜60年代にエスペラント界にいた知識人たちは、自分たちの後輩たちを
エスペラント界に引き入れることが出来なかった。
また言い方を換えれば、エスペラントは知識人層から見放された。
ということもあるわけです。
私はこのように考えますので、知識人に期待をしたり、1950〜60年代のエスペラント界を
羨ましがったりする気にはまったくなれないのです。
むしろこれは「知識人をアテにしてもうまく行かない」ということを実証しているだけなのだと
思うんですね。
---
これまでにも何回か述べたと思うんですが、パプアニューギニアで発達した「トク・ピシン」と
いうクレオール語は、エスペラントとはまったく正反対の条件のもとで発展してるんですね。
トク・ピシンというのは元々は、パプアニューギニアを訪れた英語話者と現地人との接触に
よって生まれた片言の共通語だったわけです。
で、現地人は近代的な教育なんか受けてるわけが無いですし、欧米人のほうだって船乗り
とかですから、高い教育を受けてる人間はそんなに多くはなかったと思います。
しかしそれにも関わらず、トク・ピシンは大いに発達・普及して、現在ではパプアニューギニ
アの公用語の一つとなってるんですね。
このように考えますと、エスペラントとは好対照といって良いわけです。
で、どうして知識人の多かったエスペラントが落ち目になって、逆に、話者のなかに教育を
受けた人間がほとんどいなかったトク・ピシンが発展・普及したのかと考えますと、やはり
「日常生活のなかで使っていたか否か」という点が対称的な結果を生んだんだと思うんで
すね。
ということがありますから、私は「たとえ娯楽でも良いから、エスペラントを日常生活のなか
で使う人を増やすべきなんだ」と言ってるわけですね。
258
:
松戸彩苑
:2008/09/20(土) 16:10:17
(
>>257
の続き)
それから以前から気になっていたのですが、エスペランティストというのはどうも
高級なことが出来れば、それよりもレベルの低いことは全部できるんだ。
というような考えをもってるみたいに私には見えるんですね。
もっと具体的に言いますと
文学作品を書く(という高級な)ことが出来るから、日常生活に必要な語彙(などという
低レベルの語彙)は十二分にそろっているんだ。
といった考え方をしてるってことですね。
こういう考えを持っているから、私が一生けんめいに「日常生活に必要な語彙・表現を整備
しないと、エスペラント運動は落ち目になるばかりですよ」と言っても、ぜんぜん理解できな
いんじゃないかと思うんですね。
しかし、こういう考えというのは明らかに間違ってるわけですね。
たとえて言えば、小学校の1〜5年で習う漢字を憶えずに、6年生で習う漢字だけをぜんぶ
憶えたことをもって「小学校で教える漢字をぜんぶ身につけました」と言ってるようなものな
わけですが、もちろんこんなのは間違ってるわけです。
結局、「高級」だろうが「低級」だろうが、そういうことには関係なく、整備するとか憶えるとか
しないとダメなわけです。
私の見るところでは、エスペラント界には「抽象的」にばかり考えるクセがあって「具体的」に
考えようとはしない人が多いという印象を受けるんですが、これもその一例だと思いますね。
具体的に考えようとしないから、トク・ピシンにも負けてしまうんじゃないかと思います。
(終わり)
259
:
松戸彩苑
:2008/09/28(日) 11:37:53
私は今まで「娯楽を利用しよう」とさんざん言ってきたわけですが、たとえ娯楽を利用したエ
スペラント運動を展開したとしても、パチンコや競馬が好きだなどというような人間は、やっ
ぱりエスペラントなんかやらないと思うんですね。
エスペラントで遊ぶにしても、数千もの単語を憶えて使いこなせないといけないわけですか
ら、勉強するのが好きだという人しかエスペラントをやるわけがないのです。
---
エスペラント界に長年いる人であれば、エスペラントを始めたものの数年でやめてしまった
という人を何人も知ってるはずです。
私もそういう人を何人か知っていますが、そういう人たちだって決して頭が悪かったり、い
い加減な人間だったりしたわけではないんですね。
かなり頭も良く、真面目な人たちだったんですが、それにも関わらず挫折してるんですね。
私は、こういう人たちを挫折させないための方法が必要だと思って、「娯楽を利用しよう」と
言ってるわけです。
---
また、町田健という言語学者が『言語学が好きになる本』(1999年 研究社)という本のな
かでエスペラントについて論じていますが(
>>16-18
)、このなかに
> 結局エスペラントは、クラシック音楽とか日本舞踊とか俳句のような、一種高尚な趣味の
> 一つといった雰囲気に包まれているんでして、国際語としての実用性を発揮するのは、
> 残念ながら難しい状況にあるといえるでしょう。
と書いてあるんですね。
この文章を書いた町田健という人は、東大の大学院を出たプロの言語学者であり、ソシュ
ールの解説書なんかも書いてる人なんですが、そういうきわめて頭の良い人でさえも、エ
スペラントのことを「一種高尚な趣味の一つといった雰囲気に包まれている」と言ってるん
ですね。
こういう知的な人物から「高尚だ」と思われてしまうようでは、広まるわけがありません。
やはりエスペラントは、もっともっと大衆化しないとダメだと思いますね。
(終わり)
260
:
松戸彩苑
:2008/09/28(日) 12:47:15
たとえ遊びであっても、現時点でエスペラントをやろうと考える人というのは、とても貴重な
人材なんですね。
なんせ、日本共産党や、町田健氏のような優秀な言語学者でさえもエスペラントのために
何かしようとは思わないわけですから、これは当然なんですが、しかしこの当たり前のこと
がまったく判っていないエスペランティストが多いんですね。
こういうことが判っていないから、欧米や日本のエスペラント運動は停滞・衰退してるんだ
と思います。
261
:
松戸彩苑
:2008/10/11(土) 12:21:15
鈴木孝夫、田中克彦(著)『対論 言語学が輝いていた時代』(2008年 岩波書店)という
本がありますが、この本のなかに「言語学者はエスペラントに好意的ではない」という話が
出てきます。
【田中】(中略)ところで、エスペラントにいちばん反対するのが言語学者なんです。とい
うのは、一八六六年のパリ言語学会の規定に、「言語の起源に言及する論文は採用し
ない」というタブーがありましたが、それと「新しい国際語について議論する論文は載せ
ない」というのがセットになっているんです。一八六六年頃というのは目白押しに新しい
ことばの提案がでてきた時代だから、その流行をシャットアウトするために、言語学会
がそういう規程を設けた。そしてボラピュックができて、エスペラントが発表されたのが
そのちょっとあと、八七年なんです。言語学者は本質的に新しいことばをつくることに敵
意を示している。
それからもう一つ ― これはぼくの分析ですよ ― ヨーロッパの言語学の伝統の中に、
人間がことばをつくってはいけないというタブーがあるんですよ。イデオロギー的に人間
がことばをつくるのを許さない。これは強いですよ。ことばは神がつくったものだからとい
うんですね。
【鈴木】無意識の抵抗ね。
【田中】言語学の教育、教科書を通して教師の心情にもそれがあるから、エスペラントを
ばかにする習慣がずっとあって、ぼくにもそれはあったんです。「ばかにする」という言葉、
ちょっと適切ではないけれどもね。
【鈴木】そう。あんまりシンパセティックでない。心情的に何か賛成できないと言うのでし
ょうが、私には、どうしてもやはり世界共通語は理屈の上から考えてもできないし、また
あるはずがないというさっき話した考えがある。ただ、現実に共通語が必要な面は認め
るから、その範囲に限って使用するのは止むを得ない。
(同書101〜102ページ)
この引用文の最後の部分で、鈴木氏が
私には、どうしてもやはり世界共通語は理屈の上から考えてもできないし、またあるは
ずがないというさっき話した考えがある。
と言っておられますが、この「さっき話した考え」というのは、おそらく次の箇所だと思われ
ます。
【鈴木】私は言語は環境に対応して変化すると言いましたが、言語のすべての面がいま
の知識のレベルでは、日本語がこうなっているのは日本人が住んでいた環境の結果だ
とすべてを一対一にきれいに説明できるわけではないけれども、日本の風土とアラビア
などを比べると、日本は世界でもすごく雨が多いので、家のつくりや衣服、味噌醤油にし
ても、キノコ類にしても日本の文化というのは大体湿り気を前提としている。女の肌がす
べすべ餅肌なんていうのも日本の湿りのせいであって、ヨーロッパ人の女の肌がサメ肌
なのは風土なんですよね。
それに合わせて日本語の語彙というのは、やはり日本人が住んでいる四季が変化する
環境に適合するように選別されたというか、そうなっているわけね。アラビア語ではラク
ダの語彙が何百とあることがよく例に使われるけれども、やはりその場所で生きていく
ために、その民族が必要とするものに語彙が集中するという形で、結果的に言語の多
様性がそこにできる。ただし、言語というのは一ぺんできてしまうと、環境が変わっても
すぐ明日から変えますというふうな一対一の即時変更性がないために、移住したため
に風土的な裏付けを失うとか、時代遅れになってしまった言語特徴、昔の文化の段階
で適合したものがまだ残っているということがあったり、また、よその言語の影響を受け
るとか、簡単にいかないところがある。けれども、人間の言語というのは、人間が違った
環境に出会っても自分を壊さずあまり変化させずにいられるために、変える必要のある
中間世界としての文化の一部であるがゆえに、どうしても変わらざるを得ない。
262
:
松戸彩苑
:2008/10/11(土) 12:22:41
(
>>261
の続き)
そうなってくると、地球環境が均一ではない以上、地球規模に広がった人類の言語が
どこでも同じ一種類になるはずがない。そして地球環境を均一にしようとすれば、人工
のエネルギーでもって北極は温める、南洋は冷やすということです。これがまさに現代
社会がいまグローバリゼーションの名の下にやっていることです。南方の涼しい竹の風
通しのいい家をコンクリートにして冷房し、北国では石油を使って暖房するというふうな
エネルギー消費の非常に多い、自然を破壊して人工環境に変える方向へと人間が収
斂しているわけですね。でも人間が環境を人工化するのはそろそろ限界です。同じよう
に、世界中の違った環境に適応するために異なった文化をもっている多種多様な人間
が、一堂に会して同じ言語で会議をするというのも、もともと無理なことなんです。本当
はするべきではない。
じゃ国際語は要らないのかというと、世界中を旅行してまわる人が多い今みたいな現状
では、ホテルとか空港での言語などは単一の言語にしてもかまわない。ただ、一般の日
常生活とか人々の感情まで世界中の人が単一の言語で喋るべきだとか喋ったらいいな
というのは、幻想に過ぎないし、あり得ない。つまり、いろいろな人間の住む環境が違う
以上、この違いに対応するために言語が違うのは当然どころか、必然なんですから。だ
から人間にとって大事な部分は住む場所が違えば違うのが当たり前だと言っているの
です。
(同書94〜96ページ)
ずいぶん難しいことを考えてるものだと感心せずにはいられませんけれども、この引用文を
読んで感じるのは
(1) とりあえず、書いてあることは正しいと思う。
しかし、だからといってエスペラントを否定する理由にはならないとも思う。
(2) ひょっとすると鈴木氏も「エスペラントというのは民族語を全廃することを目標としてい
る」というふうな誤解をしているのではなかろうか。(してないかもしれないが)
「国際共通語」という名称に問題があるのかもしれない。
民族語における「共通語」というのは、方言にとって代わるべきものだと考えられるこ
とが多かったから、「国際共通語」は同じことを世界規模で行なうものだろう、などと
誤解する人がたくさんいても当然なのかもしれない。
だから我々は、エスペラントを宣伝する際には、必ず「そうではない」と何度も強調す
べきであろう。
(3) こういうことを考えられる人というのは、たしかに頭が良いのだろうと思うが、しかし、
その頭の良さというのは、エスペラントを実際にやってみることなしに全否定してしま
うという、まことに困った態度を生んでいる。
また、こういう人を理論や理念で説得するのは、きわめて困難であると思われる。
それから鈴木氏は「平等と言うけれども、ヨーロッパ語中心じゃないか」という、よくある疑問
についても言及しておられます。
【鈴木】ヨーロッパでは、歴史的にフランス語の大変に優位な時代が一九世紀まであって、
それから英語に移っているのだけれども、英語、またはフランス語だけが威張るのはけし
からん、というわけで、エスペエラントというヨーロッパ語全体のごったまぜみたいなもの、
ヨーロッパ語の簡略版みたいなものを普遍言語にしようという考えが出てきたのは無理
もない。けれども、私が田中さんにエスペラントのことを伺いたいいちばんの理由は、ヨー
ロッパ以外の全世界の民族言語がエスペラントから閉め出されているのは、「すべての
人に等距離」という平等理念から言えば、おかしいじゃないか、あまりにヨーロッパ中心
じゃないか。なぜ日本の学者で、モンゴル語もでき、日本語もできる田中さんが、不満と
か文句を言われないのかなというのが私の疑問なんです。
【田中】必ずそれは出てくる疑問なんです。国際語だなんていったってヨーロッパの言語
じゃないか、ヨーロッパの言語の変形だと言うんですけれども、そうはいってもアジアの
共通語が現実問題としていまつくれないでしょう。ぼくはエスペランティストじゃないけれ
ど、エスペラント語とその運動、支持者のことをなるべく理解してあげようと思っている。
(同書99ページ)
これについても反論しようと思えば反論できるわけですが、しかし説得するのは、なかなか
大変だということが判りますね。
263
:
松戸彩苑
:2008/10/11(土) 12:25:21
(
>>262
の続き)
ところで最初の引用文中で、田中氏が「言語学者がエスペラントを支持しない理由」につい
て述べておられましたけれども、この本のなかには以下のような記述もあるんですね。
【田中】そうそう、インテルリングア。ぼくは鈴木さんのイングリックと非常に近いと思って
いるんだけれども、ただ、イングリックは自然発生的にできる。エスペラントは計画的に
つくる。だから言語学者がどうしても反感を持ってしまう。ぼくも、歴史的に発展しない言
語は言語じゃないという考え方を数年前まで持っていたんですよ。(中略)
一九世紀がつくった言語学のタブーに口を封じられている状態ではよくない。言語学と
いうのは、いろいろなタブーを置くでしょう。ソシュールのように歴史を考慮してはいけな
いとか、ブルームフィールドのように意味を考えてはいけないとかいったタブーを置くこと
によって言語学が成り立っているようなところがある。そのタブーを基準にしてほかの言
語を判断してはいけないと、ぼくはいま少し悔い改めているんですよ。
(同書108〜109ページ)
また私の考えでは「言語学者がエスペラントを支持しない理由」として、このほかに、次のよ
うなものがあると思うんですね。
(1) 言語学者というのは「言語を学問的に扱う」という事をきっちりと身につけた人たちで
ある。
で、この「言語を学問的に扱う」という事のなかには「実際に使われている、ありのま
まの言語のありようを、そのまま正確に記述する」といったことが含まれている。
これは逆に言えば「現実の言葉のありようを無視して、勝手に作ってはいけない」と
いう事である。
つまり、言語学というのは、本質的に「作る」という発想が欠けてると思うんですね。
「整理する」というのはあるんですが、「何にも無いところから作る」ということは絶対
にやらない学問なんですね。
こういうことを骨の髄まで身につけた人たちから見ると、シロウトが勝手に作っている
ようにしか見えないエスペラントみたいなものは、どうしても「安易」「いい加減」に見
えてしまうのではないでしょうか。
判りやすく言うと「子供の暗号遊び」みたいなものではないかと思ってしまうということ
です。
(2) 「エスペラントを日常的に話す社会」というものが存在したことが無い。
考えてみれば、現代ヘブライ語にしても、トク・ピシンにしても、この言葉を日常的に話
す社会があったから、数百万人もの母語話者を獲得することが出来たのだが、エスペ
ラントの場合は、現在にいたるまで、そういうものが存在しない。
だからエスペラントというのは、現代社会においてラテン語やサンスクリット語などを
流暢に話せる人たちのようなもの(つまり個人的な趣味)にしか見えないのだろう。
また、エスペラントには、モノリンガルのネイティブ・スピーカーが存在しない(現在にお
いても過去においても)ので、他の言語の影響を受けてばかりいて「独立した言語」で
はないように見える。
(3) 単純に「エスペラントは広まっていない」「成功しているようには見えない」から、関わ
りをもつ気になれない。
成功すれば、当然、関わっても良い。
これまでにも言語学者がエスペラントに言及したことがあったんですが、調べてみると、
好意的な意見の多くは、エスペラントが盛んだった1920〜30年代か1950〜60年
代のものなんですね。
こういう事実を知って、私は「言語学者というのも、ずいぶん現金なものだ」と思いまし
た。
こういった事があって、言語学者はエスペラントに関わろうとしないのだろうと思いました。
結局、残念なことなんですが、「現在の正統的な言語学を身につけてしまうと、エスペラント
みたいなものを素直に受け入れることが不可能になる」ということがあるみたいですね。
264
:
松戸彩苑
:2008/10/11(土) 12:27:11
(
>>263
の続き)
周知のように、田中氏はエスペラントに好意的な人物ですが、田中氏も、かつてはエスペ
ラントに批判的だったわけです。
『エスペラント発表百周年記念 社会言語学シンポジウム 講演録 言語的多様性の中の
国際語を考える』(1987年)という本があります。
これは、1986年8月5〜7日に行なわれた同名のシンポジウムの講演録なんですが、その
なかに田中氏による次のような発言がありました。
【田中】今から十年くらい前になりますか、トンキンさんと、「危険な言語」を書いたリンス
さんと三人で、日本エスペラント学会で対談をしたことがあります。当時、私はエスペラン
ト運動に対し非常に批判的でしたが、今は少し違っています。私はもう五十を越えた人
間でありますけれども、年をとってから言葉に対する考え方がどんどん変ってきておりま
す。それはマルの理論に対してもそうでありますし、印欧語の比較言語学についてもそ
うであります。十数年前はクレオールとかピジンとか、こういう言語は本当に劣った言語
だと思っていたのでありますが、それ以後いろいろ生活上の経験も、理論上の経験もし
たわけです。本を読むことにもよりましたし、何よりも人間経験をたくさんしました。そのこ
とによって今では、私は、さまざまな国際語が考えられるけれども、エスペラントについて
言えば語彙は大部分、西洋の起源をもってはおりますけれども、今の段階ではエスペラ
ントは非常に現実的な、先ほどの講演の中で申しましたように、エスペラントの理論的な
面よりも経験的に綜合された言語であるという面を、私は強調したいと思っております。
そこで、どうしても国際的に使える言語として、そして中立性という理想をかなえる言語
として、かなり批判的な気持があっても、私はエスペラントの運動に水をかけるようなこ
とはしたくないと思っております。
(同書21ページ)
「では、どういった理由からエスペラントに好意的になったのか」ということが問題になるわ
けですが、それについては田中克彦(著)『エスペラント ― 異端の言語』(2007年 岩波
書店)に書いてありました。
私たちは何か外国語を学んでみようと思いたつとき、どんなふうにかはっきりとは言え
ないが、その外国語が帯びているイメージにひかれている。ではそのイメージは、いっ
たい何によってつくられるのだろうか。ことばそのものというよりは、そのことばが話され
ている国、そのことばで登場するファッションだの映画だのによるところが大きい。
最近も、その映画に登場する俳優さんに夢心地でになってしまったおばさまたち、それ
も、そのときまでこれといった外国語を本気でやったことのないような人たちまでが、俳
優さんの話すことばの熱心な学習者になってしまったというできごとがあった。
そのことを思いあわせてみると、エスペラントには国もなければファッションもない。まし
てや、エスペラント女優さんもいない。そうすると私たちは、エスペラントのイメージを何
によってつくるのだろうか。
おそらくエスペラントを学んだり話したりする人からではなかろうか。たぶんあの人がエ
スペラントをやっているらしいと聞けば、その人が代表してエスペラントのイメージをつく
る。そうなると、エスペラントを学ぶ人は、どこか魅力のある人であってほしいし、また、
学ぶことによってそうなってほしい。
その点では、本書にたびたび登場していただいた、ブランケさん、クズネツォーフさん、リ
ンスさんたちは、その著書と同様、御本人もまことに魅力あふれる人たちである。私が
本気でエスペラントに心ひかれるようになったのは、これらの本の著者、そしてその作
品のなかに登場する人たちによってである。
(同書211〜212ページ)
いちばん最後の段落に、ちゃんと書いてありますね。
265
:
松戸彩苑
:2008/10/11(土) 12:28:24
(
>>264
の続き)
また『シンポジウム「いま、国際交流の言語とは?」講演録』(1988年)という、1987年8
月30日に行なわれたシンポジウムの講演録があるんですけれども、このなかに田中氏の
問題は、言葉は、やさしいから広まるのではない、ということであります。私は前にいつ
か、エスペラントを広めるにはどうしたらいいかということを講演の場でたずねられたの
でありますが、これからほかの講演者もでられまして討論をしますけれども、これは最
後に言うべきことであるかもしれません。しかし、もう1回、いいことは繰り返して言いた
いと思いますが、エスペラントは、やっている人が魅力的であれば、ほかの人も学ぶと
いうことです。私は田舎で生まれた人間ですが、子供のときに、親戚のすてきな女医さ
んが一所懸命ドイツ語やフランス語をやっていたから、私もあのお姉さんがやっている
ような言葉を勉強してすてきになりたいと思った記憶があります。それと同様に、エスペ
ラントをやる人はやっぱり魅力的であってほしいのです。
(同書17〜18ページ)
という発言が載っているんですね。
さらに『対論 言語学が輝いていた時代』のなかにも
【田中】(中略)いま、函館に、ロシア極東大学の分校ができているんです。そこの教授
でロシア語の先生なんだけれどもエスペラント語がすごいうまい人がいて、彼と付き合っ
ているうちに、エスペラントのことをもっと理解してあげようという気持ちになったんです。
(同書109ページ)
などと書いてあるんですね。
これらの発言・文章を総合しますと
(1) 田中氏は、以前はエスペラントに批判的であった。
しかし、エスペランティストと付き合うようになって、考えが変わった。
(2) ここで重要なのは、「理論的な知識」によって考えが変わったというよりは、むしろ「エ
スペラントを使う人との付き合い」によるところが大きかったということである。
(3) そういう個人的な体験があったからこそ「エスペラントをやっている人には魅力的であ
ってほしい」と何度も言っている。
(4) 以上のことを簡単に言えば、「理論」などよりも、「エスペラントをやっている人の魅力」
という「理論とは関係のない部分」のほうがよっぽど重要だということである。
(5) 田中氏のような、1970年代から社会言語学の本を書いてきた学者でさえもそうなの
ですから、世間の人たちなんかは、余計そうなんですね。
ということで、鈴木氏や田中氏などを見ても、やはり「理論や理念でエスペラントを理解させ
るのはムリ」だということが言えると思いますね。
それから「むしろ、エスペラントを遊びとしてやろうと考える人のほうが、よっぽど頼りになりそ
うだ」という私の持論も、こういった考察から導き出されるわけです。
学者より遊ぶ人のほうが頼りになるというのは矛盾しているように見えますが、しかしエスペ
ラントというのは現代の常識をはるかに超えてるものですので、現代の常識にしばられてい
る人間よりも、そうでない人のほうが良いという事なんですね。
(終わり)
266
:
ベダウリンデ
:2008/10/14(火) 06:30:19
エスペラントで何が一番嫌いかって、いうと、「運動」っぽいところ。
エスペランチストは普及活動をしなければならない、という暗黙の了解がありそうなところ。
普及活動と言っても、宣伝活動だけでなく
「宣伝よりエスペラントを使うのが先決だ」みたいな感じで、
他人の行動にとやかく口出ししがちな傾向があること。
「趣味」なんだから、みんな勝手に好きにやればいいじゃん、って思う。
他人の行動に口出ししやすい点が「運動」っぽい。
私は意見・感想は書くけど、あれするな、これするな、とかは、書いたつもりはない。
267
:
ベダウリンデ
:2008/10/15(水) 06:27:02
「あいさつ・雑談」スレから、Rakuさんに追い出されてしまったので、
続きをこちらに書きます。
「あいさつ」スレで、「自然」に会話が発展してしまった中で、
松戸さんが
>世間には英語一辺倒の風潮がある
が、これを打破するのにエスペラントが有効であると考えられるから
とおっしゃいました。
これって、エスペラントでは右派左派中道問わず、ほぼ全員の意見だと思います。
でも、私はこれすら気に入らないんです。
英語の支配する現世界=悪
それを打破するエスペラント=善・正義
ゆえにエスペランチストは正義
エスペラントを理解しようとしないもの(もしくはこの社会)は悪、少なくとも、愚か者
こういう発想が嫌なんです。
中には、「共通の言語でなければ真の理解はできない」とか言う人もいます。
「あーこの人、心がきれいだな、エスペラントに惚れこんでいるんだな」というのは分かるけど、
そんな「いい人」でさえ、時に「自分は正義である」という傲慢さを見せるので嫌いです。
まとめると「エスペラントって正義の運動だから嫌い」
268
:
松戸彩苑
:2008/10/16(木) 02:52:07
ベダウリンデさんの言わんとしていることが、ようやく判ってきたような気がするんですが、
次のような事でしょうか。
(1) 松戸彩苑は「エスペラントを取り巻く状況は厳しい」と書いているが、これは事実だと
思う。
「世間の人たちは、エスペラントの話者の数が増えないかぎり、エスペラントに興味を
持たない」「日常生活に関する語彙・表現が不足・混乱している」「日本や欧米のエス
ペラント界は高齢化している」というのは、おそらくその通りだと思う。
(2) 松戸彩苑は、こういった問題を解決するための方法を提案している。
しかしそれは、エスペランティストに多大な労働や忍従を強いるもののようにしか見え
ない。
もちろん、エスペラントの現状は厳しいのだから、エスペラントを広めようとするのなら
ば、そのくらいの事をしなければならないのかもしれない。
しかし、ベダウリンデさんは「エスペラントはやりたい」けれども「こういう事のために動
員されたくはない」と思う。
また、エスペラントをやってる他の人たちも、そうなのではないか。
(3) 松戸彩苑のやってることは、それなりに理由があるとは言え、結局「他のエスペランテ
ィストのやってることを批判する」とか「自分の意見を押しつける」という事になってしま
っているのではないか。
しかし考えてみると「他人の批判」「自分の意見の押しつけ」というのは、松戸彩苑に
限った話ではない。
他のエスペランティストも、世間に対して「英語の批判」や「エスペラントや思想の押し
つけ」をやっているのではないか。
(4) エスペラント界において「批判」や「押しつけ」が横行するのは「エスペラントを無理に
普及させようとしている」からだと思う。
結局、これが元凶だったのである。
だから、普及させようなどとは考えず、エスペラントの現状をそっくりそのまま受け入れ
て、ただただ実用するだけにすれば、「他人の批判」や「押しつけ」が無くなって良いと
思う。
これでだいたい合ってるでしょうか?
269
:
松戸彩苑
:2008/10/18(土) 07:56:43
>>268
で「ベダウリンデさんの言わんとしていること」を予想して書いたんですが、もう1つ
の可能性もあるんですよね。
つまり(1)は同じですが、(2)以降は
(2) つまり「どんなに頑張っても、エスペラントは広まらない」ということだと思う。
松戸彩苑は、エスペラントを広めるための方法を提案しているが、エスペランティスト
に多大な労働や忍従を強いるもののようにしか見えないし、これだけ頑張ったとして
もエスペラントが広まるとはとても思えない。
(3) だから、むりに普及させようなどとは考えず、エスペラントの現状をそっくりそのまま受
け入れて、趣味として実用していけば良いのではないか。
というものです。
---
もちろんこれだって合ってるという保証は無いんですが、でもいちおうこのくらいにして、まず
最初に
>>266
にある
> エスペランチストは普及活動をしなければならない、という暗黙の了解がありそうなところ。
という点について考えていきましょうか。
1905年に第1回世界エスペラント大会がフランスのブローニュ・スュル・メールという田舎町
で開催されたんですが、このときに「エスペラント運動の本質に関する宣言」、通称「ブローニ
ュ宣言」というのが採択されました。
この5か条から成る宣言の邦訳は、水野義明(編訳)『国際共通語の思想』(1997年 新泉
社)などで読むことが出来るんですが、これの第1条は次のようになっています。
一、エスペラント運動とは、中立的人間言語を全世界に普及させる運動である。この言語
は、諸民族の内的生活に干渉せず、現存の民族言語の排除を目的とすることも決してな
く、民族を異にする人びとに相互理解を可能にし、さまざまの民族が言語をめぐって紛争
が絶えない国ぐにで公共機関のための仲介言語となることができ、すべての民族にひと
しく興味ある作品を発表できる言語である。これとはべつの思想や希望をエスペラント運
動に付け足すエスペランチストがいても、それはまったく個人的な問題であって、エスペラ
ント運動は責任を負わない。
(同書192ページ)
これを読めば判るように「エスペラント運動とは、中立的人間言語を全世界に普及させる運
動」なんですね。
とは言っても、私の解釈では「エスペラントを使いはするが、しかし普及活動は一切しない」
という人がいても、べつに構わないとは思うんですね。
つまり、そういう個人がいるのは構わないけれども、しかしエスペラント界全体に「普及活動
をやめる」よう提案するってわけには行かないだろうと思います。
270
:
松戸彩苑
:2008/10/18(土) 08:08:36
いま思いついたんですが、ひょっとするとベダウリンデさんは
>>268
の(1)でさえ関心が
無いのかもしれませんね。
つまり、世間においては伝書鳩・切手収集といった趣味があって、一部の人たちからは「マ
イナーな趣味だな」などと思われたりしています。
しかしおそらく、やってる当人たちは「楽しいんだから、マイナーだろうとどうでも良いじゃん」
と考えてるんだろうと思うんですね。
ベダウリンデさんは、これと同じようなことをお考えになってるのかもしれませんね。
(いちおう言っときますと、私は伝書鳩・切手収集を軽蔑してはおりません)
271
:
松戸彩苑
:2008/10/18(土) 09:28:07
ベダウリンデさんは
なんでエスペラントは、他の言葉とは違って、判りにくい思想だとか理論だとかがくっ付
いてくるんだろう?
とお考えなのだろうと思いますが、エスペラントの場合「社会運動」として始まって、これまで
続いてきたという歴史があるんですね。
もちろん、
>>269
の「ブローニュ宣言」の第1条を見れば判るように、エスペラントの普及活
動以外の思想や希望は「個人的」なものであって、エスペラント界全体には関係が無いっ
てことになってますが、しかし現実には、エスペラント運動全体の性格というものに決定的
な影響を及ぼしてきました。
ですから「理屈ぬきで、ただ単にエスペラントを使うだけでも良いじゃないか」ということを言
うのにも理屈がいる、みたいな困った雰囲気が、まだ多少は残ってるように思いますね。
272
:
松戸彩苑
:2008/10/18(土) 10:46:29
それからベダウリンデさんは
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1158175917/558
において
> 英語は所詮民族語だから、「不得意です、できません」で逃げられるし(就職等で不利に
> はなると思いますが)
と書いておられますが、今後30年もすると状況は大きく変わるだろうと思いますよ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1163065578/190-191
に西江雅之という方の書いた「英語はできて当たり前」という文章を引用しておきました。
この人は有名なポリグロットであり、けっして英語一辺倒の人ではないんですが、しかしそ
ういう人であっても、現状を冷静に観察して、このような発言をしてるんですね。
押しつけがましい人というのはエスペラント界の外にもたくさんいますから、英語ができない
人間に対する圧力というのは、どんどん強くなっていくと思いますね。
もちろん、高性能の翻訳機械が普及すれば話は別でしょうが、しかし、そういうものが近い
将来において実用化されるという保証はありませんので、やはり「英語ができないんじゃダ
メ」というふうになる可能性がきわめて高いということになるでしょう。
273
:
松戸彩苑
:2008/10/18(土) 11:49:40
ザメンホフは「中立的な言語と、中立的な宗教的基盤があれば、戦争や民族間対立を無く
すことが出来るのではないか」と考えたわけなんですが、これをそのまま受け入れる人は、
エスペラント界にもほとんど居ないと思います。
しかし、ザメンホフの提案した「解決策」はダメだとしても、戦争や民族間対立を無くす(ある
いは減らす)という「ザメンホフの立てた問い」についてはきわめて重要だと考える人がエス
ペラント界にはたくさんいまして、そういう人たちがこれまで頑張ってきたというわけなんで
すね。
で、私の場合は、戦争や民族間対立を無くす(あるいは減らす)ということはもちろん重要だ
と思うんですが、これについては「人間の本性」について考察することが必要不可欠だと考
えてまして、これまでそういったことを考えてきました。
これは言い換えれば「エスペラントのような国際共通語と、これまでに唱えられてきたような
思想だけでは、戦争や民族間対立を無くす(あるいは減らす)ことは不可能である」と考えて
るってことなんですね。
「それでは松戸彩苑は、エスペラントにどんな役割を期待しているのか」という疑問がわいて
くるだろうと思いますが、私が期待しているのは
世界は、英語を頂点とした多言語主義にむかって進んでいるが、このようなヒエラルキー
に多少なりとも風穴を開ける。
ということなんですね。
たとえば津田幸男という先生が1991年に出版した『英語支配の構造』なんかを読んでいた
だけると判るんですが、世界中で流されている国際ニュースというのは、英語のものが中心
になってるんですね。
ですから、アメリカ・イギリスなどの英語国にとって都合のいい解釈がなされた報道が世界
中に流されてしまうという状況があって、報道がひどく偏ったものになっているという問題が
あるというわけです。
こういう問題を多少なりとも正すということに、エスペラントが役に立てば良いなと思っている
わけです。
日本の場合、ネットが普及する以前ですと、テレビや新聞が流す報道に対して批判ができる
のは週刊誌くらいのものだったわけですが、ネットが普及してからは、ネット上の掲示板やブ
ログなどで個人が自由に批判できるようになったわけです。
これと同じように、大マスコミの世界は英語中心のままであっても、世界各地にいる個人が
ネットをつうじてエスペラントであれこれと情報交換ができるようになれば、英語中心のマス
コミ情報に多少は批判ができるようになると思うんですね。
(断わるまでもなく、こういうことに関心のない人にムリやり押しつけるようなことは絶対にし
ません)
もちろんこういったことは、すでにネット上で始まってはいるんですが、しかし「日常生活に必
要な語彙・表現の整備」であるとか「学習途中で挫折したり eterna komencanto になったり
してしまう人を減らす」といったことも必要だと思うんですね。
274
:
ベダウリンデ
:2008/10/19(日) 09:07:42
>1) 松戸彩苑は「エスペラントを取り巻く状況は厳しい」と書いているが、これは事実だと
> 思う。
普及が前提条件ならば、おそらくその通りだと思います。
>(2) 松戸彩苑は、こういった問題を解決するための方法を提案している。
> しかしそれは、エスペランティストに多大な労働や忍従を強いるもののようにしか見え
> ない。
松戸さんは、「語彙の不備を発見する」ことを楽しんでいると思います。
それは、忍従といった苦痛とは異なると思っています。
「語彙の不備を発見することを趣味とする」人が、他にも、もっといていいと思うのですが、
どうやら、いないようですね。
>(3) 松戸彩苑のやってることは、それなりに理由があるとは言え、結局「他のエスペランテ
> ィストのやってることを批判する」とか「自分の意見を押しつける」という事になってしま
> っているのではないか。
松戸さんが「押し付け」ようと思ってるなら押し付けです。
でも、他の人が「そんなことやっても、エスペラントの普及には貢献しない」と、
松戸さんの行動を否定するようならば、それも押し付けです。
お互いに「押し付け」合ってるように、私には見えます。
>だから、普及させようなどとは考えず、エスペラントの現状をそっくりそのまま受け入れ
> て、ただただ実用するだけにすれば、「他人の批判」や「押しつけ」が無くなって良いと
> 思う。
そう思ってます。「押し付け」がまかり通ってるから、不快なんです。
>(3) だから、むりに普及させようなどとは考えず、エスペラントの現状をそっくりそのまま受
> け入れて、趣味として実用していけば良いのではないか。
「押し付け」の発生する原因は、無理に普及させようとしてるから、だと思っています。
普及という多義名分のためには、全員一致団結して、最も効率的な行動を行うべきだ、となるからです。
また、それとは別に、普及が目的だと、
「普及する人偉い人、させない人ダメな人」という図式も出来上がります。
押し付けや忍従以上に、私にとっては、こういう「ランク付け」が嫌いです。
でも、エスペラントが、もともと「運動」であった、という事実からすると、
「普及」は逃れられない宿命かもしれませんね。
少なくとも私は、「運動」で「言語」はやりたくないです。
275
:
丹花
:2008/10/19(日) 17:34:59
私も賛成です。説権箱の上に、人が乗るくらい実用は大変だと、先生はたとえて言われました。でも使えばいいのだと思います。
276
:
丹花
:2008/10/19(日) 17:39:35
石けん箱、固形シャンプーの上でなければ、いみがつうじない。
277
:
丹花
:2008/10/19(日) 17:41:35
石けん箱、固形シャンプーの上でなければ、いみがつうじない。
278
:
ベダウリンデ
:2008/10/20(月) 08:56:12
>世界は、英語を頂点とした多言語主義にむかって進んでいるが、このようなヒエラルキー
> に多少なりとも風穴を開ける。
たとえ「英語が頂点」でも、最近は「多言語主義」が見直されているので、
私はそれでいいと思っています。
日本人は日本語で何不自由なく生活できて幸せです。
願わくば、世界の全ての人々が、それぞれが自分の母語で、
何の不自由なく生活できるように、社会全体が発展してほしいと思っています。
日本にも言語面で不自由してる人はいる、という意見があると思いますが、
行政などが指導して、できるだけ多言語対応するようにすれば、それでいいと思います。
多言語対応は、必要に応じて自然発生もしてますね。
(大きな?)駅の構内案内には中韓語併記が当たり前だし、
レジの前には「両替できません」の表示が、ロシア語やアラビア語でさえ書かれています。
どうしても伝えなければならない事は、民族語で対応しないと、実際問題として困ると思う。
エスペラントは相手もエスペラントができないと、全く何ら、意味を持たない。
世界中の人がエスペラントを使いこなす、というのは無理でしょう。
(丹花さんの先生も、実用は大変だ、とおっしゃっています)
同様に、世界中の人が英語を使うようになる、というのも、ありえないと思います。
多言語対応こそ、これからの世界、もっともっと必要になると思います。
エスペラントはお遊び言語として楽しく発展していくべきだったけど、
生みの親ザメンホフが余計な事言ったばっかりに(思想が重要だ、と)
ただの「運動」として、日陰で細々生きながらえる運命になってしまいました。
279
:
ベダウリンデ
:2008/10/21(火) 09:14:38
全ての運動=日陰の存在、とは限りませんね。
社会に役立ちそうな、或いは、現に役立っている「運動」はいくらでもあるでしょう。
エスペラントは「運動」を標榜する割には、社会への貢献度は低いですね。
実態は限りなく「遊び」なのに、「運動」を名乗る。
エスペラントは何のための「運動」なのか、非常に理解しがたいです。
英語は悪だからエスペラントで打破しよう、と言われても、
英語という言語そのものが悪である、とは思えない。
英語圏国家の政治が悪い、という政治見解だったら理解できるし、
多言語主義「運動」も、言語運動として非常に良い方向性だと思う。
それに比べエスペラント運動は、全くもって「意味」が分かりません。
また、一部のエスペランチストですが、言語運動ですらない、政治運動としてエスペラントをする人もいます。
9条を広めるためにエスペラントを使用する、などです。
でも、本気で9条を広めたいなら、ターゲットとする国の民族語でアピールしなきゃダメでしょう。
「どうしても伝えなければならない事は民族語で」ですよ。
政治運動としても、エスペラントは非常に中途半端です。
まあ、エスペラントで政治運動をしたい、という人は、
単に、エスペラントというお遊びにハクをつけたいだけなんだろうな、と思ってます。
き真面目な人は、お遊びにも大義名分が無いと、安心して遊べない、ってこともありますからね。
むしろ大義名分をつけてでも「遊ぶ」って大切ですから、それはそれでいいのかな?
280
:
ベダウリンデ
:2008/10/22(水) 09:35:53
よく考えたら、「多言語主義」も「理念」なんですよね。
今まで私は「理念は嫌い」とか言ってたけど、「多言語主義の理念」には大賛成です。
細かい中身や問題点までは分からないけど、名前を聞いただけで「賛成!」と思える。
逆に「エスペラントの理念」については、そこここの掲示板を含め、私は多数読んできました。
しかし、全く「納得」することはできませんでした。
屁理屈・ゴタクのオンパレードで、自分の思い込みを他者に押し付け、エスペラントの意義を理解しない者に対しては「理性が無い」とか、馬鹿扱いで終り。
「エスペラントの理念」を読んでも、常に不快感しか残らなかったので、
「ああ、私って理念が嫌いなんだ」と思ってしまった。
でも、違った。「理念」が嫌いなのではなくて、「エスペラントの理念」なるものが嫌いだったのです。
ただ、遊びとしては、そこそこ面白いんだろうな、と想像はつきます。
エスペラントは「理念」を売りにするのではなく、
「遊び」としてアピールすれば、一般受けも向上すると思いますよ。
「遊び」だから、興味のない人はやらなくて結構。
でも、やらないからといって「理性が無い」だのは言われない。
そんなエスペラントになったらいいね。
281
:
ベダウリンデ
:2008/10/23(木) 08:33:46
多言語主義は現在のEUの方針でもあるようで、私は「良い傾向だ」と思っています。
しかし、エスペラントの普及を目指す人から見ると、これは逆に「脅威」のようです。
このままでは、ますますエスペラントの出番が無くなってしまう!ということなのでしょう。
それに対抗するため言われる事が、「翻訳にかかる膨大なコストをエスペラントの採用で削減したらどうか」という案です。
私は、お金は必要な所にはかけるべきだ、と思います。
多言語主義は、民族の言語の保護、という世界的福祉の目的にかなっています。
そんな大切な事なのだから、お金は惜しまず使っていいと思います。
ケチらせて浮いたお金で何したいんですか?軍事費の拡張ですか?(これは単なるイヤミですが)
それにエスペランチストはもともと金儲けには執着しない性格の人々だと思います。
金儲け第一主義なら、今頃エスペラントなんかで遊んでいないでしょうから。
それなのに、エスペラント普及の話になると、突如「金」の話をする。
その当たり、エスペラトを普及させるためだったら、理屈は何でもありなんだなー、という気がしますね。
282
:
ベダウリンデ
:2008/10/24(金) 08:27:55
今、「エスペラント文専用スレ」で繰り広げられてる丹花さんとRakuさんの会話がいいですね。
意外と、他の掲示板含めて、こんな雰囲気は初めて、画期的な事ではないですか?
良いと思える理由。まず第一に、一行文で私でも読める内容の文章なので、親しみが持てます。
他の掲示板などでは、エスペラント文のみ(書いたの日本人)の長文も目にしたことがありますが、
あんまりスゴすぎてもね、ついていけないんですよ。(無理してでも読みたいほどでもないし〜)
(こう言っては失礼ですが)英語習いたての中学生が嬉しくて書いてる感じ。
「エスペラントの楽しさ」がそのまま伝わってくる感じ。
これは「なんでも掲示板」の快挙では?
283
:
丹花
:2008/10/24(金) 13:51:44
べダウりンデサン、ありがとう私も、あなたの喋りが好きです。私には、できない会話をされています。
284
:
ベダウリンデ
:2008/10/25(土) 06:25:03
ありがとう丹花さん。あなたは心が広いです。
エスペランチストの皆さん、丹花さんの寛大さを是非とも見習ってほしいものです。
エスペランチストたるもの、心広き寛大な人々であってほしいと思うんですが、
現実は逆のようで、気に入らない人間は意地でも追い出そうとしたり、
「偏狭」な面も目立ちます。
エスペランチストに対しては、物申したいことがまだまだあります。
285
:
ベダウリンデ
:2008/10/25(土) 17:45:43
そもそも「世界を一つの言語で統一しよう」という発想自体が
「全体主義的」で今の時代にそぐわないのではないか、と思います。
「なんで世界共通語は無いんですか?」「エスペラント語がありますよ」的なやりとりは、ネットで頻繁に見ますけど、
質問者の方も「あったら便利だろうな」的な単純な発想で聞いてるんだと思う。
もしも本当に(たとえ英語であれ)一つの言語で統一されたら、
代償として便利さを得るにしても、個々の人間にとっては、苦労することや失うものの方が多いだろうと思う。
「エスペラントこそ真の国際語にふさわしい」とか言うと、
非エスペランチストにまでエスペラントを押し付ける形になってしまいます。
自分が趣味でやってる言語を世界中の人に押し付けようだなんて、なんとゴーマンな、と思うのです。
それも、その背景には「これこそが正義だ」という発想があるからますます怖いんです。
今英語は共通語として機能はしてるけど、地球人全てに課せられてる訳ではない。
英語で統一すべきだという思想が正義としてまかり通っている訳ではない。
英語は強いけど、「多言語主義」はそれに十分対抗できる「理念」だと思う。
286
:
ベダウリンデ
:2008/10/26(日) 11:27:53
でも、現在の状況が調子が続くなら、エスペラントが世界の統一言語になることはありえない。
現在の状況・・・・
例えば、エスペランチストが核爆弾のスイッチを手にし、「エスペラントを共通語にしないと世界中を爆破する」と脅すとか、そういう事がない限り。
まあ、そんなSF的な発想をしなくても、EUの公用語のひとつになれば、少しは進展するかもしれないけど。
でも、それも難しそうですよね。
なぜならば、エスペラント界自体がまだ、一致団結してEUにプッシュをかける、という統一見解に至ってないみたいなので。
すなわち、エスペランチストの中には、EUのような世俗の汚い(?)権力者集団がエスペラントという崇高な理念を理解できる筈がないと、
EUに全く期待すらしてない人もいるようなので。
で、結局今の状態が続き、ほそぼそと「下から」の普及をしなければならない。
せいぜい頑張っても、現状維持に留まるんだろうな、と思います。
だから、私も「安心」なんです。
エスペラントはエスペランチストのコミュニティの中で、楽しく国際交流をしていればいいと思う。
誰に迷惑掛ける訳でないし、いい事だと思う。これからもそういう路線でいてほしいと思う。
「普及」に関しては、「正義」などを露骨に表に出さない方が、逆に感じよく思われるのではないですかね?
各種趣味団体も愛好者を獲得すべく、「普及活動」してます。
エスペラントも、そんな感じで、市民へのPRとか普及活動すればいいと思う。
287
:
なつ
:2008/10/26(日) 12:26:57
>>「世界を一つの言語で統一しよう」という発想
言語統一をかかげるエスペランティストは異端的だと思いますよ。
ザメンホフはもちろんだれもメジャーな人は言っていません。
あくまでも非母語以外の第一、第二の共通的言語が第一の目標だと思います。
ちなみに少なくとも現在科学の世界では完全に英語が共通語として統一されてますね。
北欧で開かれるノーベル賞関連のものも英語でされると思いますし。
288
:
ベダウリンデ
:2008/10/27(月) 10:23:51
なつさん、すごいお久しぶり。
私が言っているのは、エスペランチスト達の意思(統一を目的とするか否か)ではなく
結果予想として、です。
「共通語を作ろう」は、結果として「世界を同じ言語で統一しよう」と
同じ事になるのでは、と危惧しているのです。
今、英語が世界を席巻して母語が失われている国がある、といいますが
エスペラントだって、それと同じ結果になると思います。
つまり、万が一エスペラントが世界共通の第二外国語となって、
エスペラントさえできれば国際的に通用するようになったら、
母語教育をないがしろにしてでも、エスペラント教育をしよう、
という国が出てきても全くおかしくないです。(今の英語と同じ)
エスペラントには英語に比べ「正義」や「平等?」の名目があり、
その作用で、英語以上に世界を席巻する速度は速いかもしれない。
そしたら民族語は軒並み衰退するのでは?と危惧しているだけです。
ただし、今は、内輪のコミュニティで「第二外国語」として使って遊んでるだけみたいなので、全く安心です。
「平等」も大方の人が疑念を抱いてるみたいだし、「世界の第二外国語」には、たぶんならないと思うから、安心。
289
:
ベダウリンデ
:2008/10/27(月) 17:54:51
最後の2行、「第二外国語」じゃなくて、「第一外国語」です。
今の日本の常識では(第一)外国語は英語、第二外国語は大学とかで選択するもの、でした。
エスペラントが英語の代わりの外国語になるって意味です。
290
:
ベダウリンデ
:2008/10/30(木) 08:59:58
今「よろず」でDさんが頑張ってて、私は心打たれた。
一部引用すると、『オイラ達が望んでいるのは“言語の統一による平和の樹立”ではなくて、“豊かな社会を実現するために現代的な流通環境を構築して社会貢献すること”だもの!』
『言語の中立性ってのは、語根を民族語から採ったかどうかというだけで決まるんじゃない。その単語(シニフィアン)が、特定の民族の文化(のシニフィエなりレフェランなり)とのみ結合してしまっているかどうか点がかなり重要なんだ、と。』
エスペラント語の捉え方とそれへの期待度は、私とDさんは、たぶん、意見が全然違う。
でも私には伝わってきた。
エスペラントがどのような理想の言語であってほしいか、という、Dさんの真摯な思いが。
文章って、そして言語でのコミュニケーションって、基本は相手に自分の気持ちや考えを伝えることだけど、
受け取る側も、それを精一杯読み取る義務があると思う。
たとえ意見は違っても、それとは別に、自分と異なった意見を言ってくる相手の気持ちを理解しようとする努力が
コミュニケーションの上では重要なのではないか、と思うんです。
「よろず」では、Dさんの長文の真摯な訴えは、『特にコメントもない』の一言でスルーされてしまいました。
日本語で他人の気持ちも読み取ることもできない人間が、エスペラントで一体どんなコミュニケーションをしてるのでしょうかね?
サルートンとか表面的な会話して、これこそ異文化コミュニケーションだ! カンドー!とか言ってるのかな?
日本語ですら、他人に歩み寄ることもできない人間が。
291
:
丹花
:2008/10/31(金) 10:11:21
私も若いころ、悩みましたよ。日本人同士でも、通じないことが多いのに、エスペラントをしてもだめなのではないかと。デ今は面白くなりました。
292
:
丹花
:2008/10/31(金) 10:13:53
でーーーでも、
293
:
ベダウリンデ
:2008/10/31(金) 10:24:07
290でとりあげた「よろず」のコメント、「編集」入ってました。
実は、私が見た時には、「コメントもない」発言に加え、「○さんを見てるようで怖い」という旨の表記がありました。
昨日は、○さんの名誉も考慮し、敢えてそこは引用しませんでしたが、
その文言は、今は消されてしまいました。
よって、私の「怒り」は、うまく読者には伝わらないかもしれませんが、
まあ、その人も自分の暴言を反省したって事だから、良しとしましょう。
294
:
ベダウリンデ
:2008/10/31(金) 10:46:30
私は心優しい人間だから、書き移すのも酷過ぎる文言ほど、敢えて触れなかったりするんですが、
後で消されちゃうと、こっちが不利になっちゃうかもね。。
この掲示板は編集できないから、常に真剣勝負ですね。
後で消したくなるような、なまっちょろい気持ちでは書けないです。
丹花さんは性格が良さそうだから、
日本語でもエスペラント語でも、きっと素敵なコミュニケーションをしてらっしゃると思います。
295
:
ベダウリンデ
:2008/10/31(金) 17:26:05
言葉って、いったん放ったらもう戻らない、矢のようなものだと思う。
飛んでった先で誰に刺さっているか分からない。
自分の意図しない所で誰かに刺さってるかもしれない。
それでも、放った人はその責任を持つべきだと思う。
これは、リアルな会話でも、ネットの書き込みでも同じだと思う。
気分にまかせてネットに暴言を書き込んで、その後ですぐ編集削除。
それで最初から無かったことになるとでも思っているのだろうか?
自分の発言には最後まで責任を持つ意気込みで書いてほしいものだ。
おこちゃまじゃないんだろうから。
そりゃエスペラントは出来損ないのへっぽこ人工語かもしれん。
でも少なくとも「コトバ」に関心があるからエスペラントやってるんだろうから、
自分が日本語で放つコトバにも細心の注意を払ってほしいものだと思う。
296
:
ベダウリンデ
:2008/11/02(日) 07:03:07
「よろず」で特定の個人名をあげ、中傷的な文言を書いたのは「よろず」のAさんです。
編集削除は誰でもしますが、Aさんは、私が読んだ後、そして、それへの批判的な文をここにアップした後
(即ちかなりの時間が経過した後)でそういった問題発言を削除してしまいました。
私は優しいから、中傷発言まではコピペできなかったんですよ、それをいいことに、卑怯ですね
感情のままにネットに暴言を書き込むのは、
いつまでもおこちゃまじゃないんだから、本気で反省してほしいものです。
(「よろず」見たけど、Aさん開き直ってたよ)
(Dさんが、自分のこと言われたのかと勘違いして反省してた、ごめんね)
297
:
ベダウリンデ
:2008/11/02(日) 09:14:50
だにょさんへ。
「よろず」の投稿文『れ:箸、そろばん、ハンガー 投稿者:だにょ 投稿日:2008年10月28日』に、
私は感動したんですよ。だにょさんが、エスペラントに対して抱いてる期待が理解できました。
私はだにょさんとは違って、エスペラントには社会的な期待は一切していないんですが、
だにょさんの「美しい心」は伝わってきました。
期待度は違うけど、だにょさんと同意見の部分もあります。例えば
『英語を積極的に取り入れることは植民地主義じゃないと思うにょ。長い年月をかけて合意してきた共通語を使っている人達にエスペラントの使用を進めることは構わないけど、全面変更を求めることは非常に酷なことにょ。』
これには「賛成」。
英語の「おかげ」で世界的に通用する単語(特に物の名前)が普及したのは、人類にとって非常に便利です。
海外旅行先で「テレフォン」「タクシー」「トイレ」ETC・・・
そういう「緊急事態」に必要な単語が(発音が通じれば?)、世界で通用するというのは、便利です。
外国人が日本に来た場合も同じです。
「トイレット」っぽい発音をしてるな、と思ったら、案内してあげればいいのです。
ネツェセーヨなんて言っても、どこの国でも理解してもらえず、悲惨な目に会うのはエスペランチスト自身です。
エスペラントでは、英語=打破しなければならない悪、とみなして、
英単語の流入を非常に警戒してる面がある。
でも、既成事実となった「世界語としての英語」を認めないと、
いつまでたっても実用不能な、エスペラントオタクのためのお遊び言語の域を出ないと思いますね。
298
:
ベダウリンデ
:2008/11/02(日) 09:33:09
それから、「アバーコ」(算盤)、「シャーコ」(チェス・将棋)に対する問題提起も、非常に本質的と思います。
私は、結論としては「アバーコ」「シャーコ」でいいじゃん、と思います。
だから結論としては、「よろず」のNさんと同じですが、理由は全く異なります。
私の理由は「エスペラントはヨーロッパ語なんだから、アバーコ、シャーコで仕方ないよ」というものです。
ザメンホフさんがエスペラントを考えた時、彼の頭にはおそらく、ヨーロッパ語しか無かったと思います。
Nさんは、
『したがって、もしザメンホフがエスの基本語彙を定めるときに日本(人)のそろばんの凄さを知っていたら、あるいはsorobanoが公用語になっていたかもしれません。しかし彼にはわからなかったし、そろばんの類は各地にあり、それらを一括して代表させるのに、歴史をさかのぼり、古語に頼ってabakoを選んだのではないでしょうか。』
と言っていますが、たとえザメンホフが「日本の算盤」を知っていたとしても
私は「アバーコ」になったと思います。
なぜなら、エスペラントは最初から徹頭徹尾、ヨーロッパ人のために作られた言語だからです。
いちいち、世界各国にある物の、それぞれの完成度を比較検討して、その上で単語を選定した、とは思えません。
それをNさんのように「もしも」の話で納得させようとするのは、私にとってはそれは「屁理屈」以外の何ものでもありません。
だにょさんは、エスペラントに「平等」を期待してますが、私は全く期待してません。
299
:
ベダウリンデ
:2008/11/02(日) 09:48:38
ただし、エスペラントは「生きた」言語でもあるのです。(内輪の仲間内で、ね)
民族語と同様に、新語は入ってくるのです。
「ハイコ」(俳句)、「ゴーオ」(碁)は、エスペラント語に取り入れられた、と聞きます。
ハイコは、エスペラント語根の合成語に打ち勝ち、
ゴーオは中国語語源のそれに打ち勝ったそうです。
つまり、エスペラントでも、勝負の結果強い物が勝ち残る、弱肉強食の世界なんです。
ハイコ、ゴーオが勝ったのは、エスペラント界での俳句、囲碁の普及を通じて広まったのですが、
その裏には、組織力(と、金)の力があったから、成し遂げられたのだと思います。
算盤も、エスペラント界で「日本の算盤文化はすごい」と認めさせれば「ソロバーノ」の語が普及するかもしれないです。
同様に、英単語語源の単語も、なし崩し的に入ってくるんじゃないでしょうかね?
フトバーロ(サッカー)、バスバーロ(野球)とか、避けられないと思う。
300
:
Raku
◆yP0a9GGqWA
:2008/11/02(日) 10:03:11
ベダウリンデさん、大丈夫ですか?わたしはあなたの精神の健康が心配です。
301
:
丹花
:2008/11/02(日) 10:22:58
この板の勢いにきずいたら、良いのにね、非エスペランチストの人も、私はそれを期待したいです。
302
:
松戸彩苑
:2008/11/02(日) 12:08:20
最近ベダウリンデさんがさまざまな問題提起をされています。
私もそれなりに理解はしたものの、しかし少なからず違和感も感じていたんですね。
今回はそういったことについて論じてみようと思います。
---
まず最初に気になったのは、ベダウリンデさんは「エスペラントの押しつけがましさ」につい
ては激しく批判するのですが、その一方で「英語の押しつけがましさ」にはまるで無頓着だ
という印象についてです。
もちろん、エスペラントを無理やり押しつけたり、エスペラント界の内部で、ある特定の思想
を押しつけたりするというのは絶対にやめなければなりません。
しかし、そういうことはありますが、世界的な規模で見れば、英語のほうがよっぽど押しつけ
がましいんですよね。
そういうことにも気づいてほしいのですが、ベダウリンデさんにとっては、そういう事はどうで
も良いみたいですね。
私をはじめとして大部分のエスペランティストは、あくまでも「英語の押しつけがましさ」を批
判しているわけであって、「英語は言語学的にダメな言葉なんだ」などと言ってるわけでは
ありません。
それから「多言語主義が進んでいる」というのは事実なんですが、しかし、だからといって
「英語に関心のない人は、英語を勉強しなくても良い」というふうにはなってないんですね。
むしろ逆に「英語は義務」という考え方がどんどん強くなってるわけです。
また、多言語主義が進んだと言っても、ありとあらゆる場面でそういうふうになるというわけ
でもないんですね。
行政のほかに小売業の世界でも多言語化が進むだろうと思いますが、しかし、それ以外の
ところでは難しいと思いますね。
また商業においても、多言語化が進むのは、一般人相手にモノを売る場面だけであって、
国際的な商取引の場面では、英語の地位は揺るがないだろうと思うんですね。
こういうことがありますので、私は「多言語主義」が進んでいることは認めますし、それは国
際化が進めば必要になるんだということも認めるんですが、「これで国際的な言語問題は
すべて解決したんだ」などと楽観的に考えることができないんですね。
---
それから、ベダウリンデさんは
>>278
で
> エスペラントはお遊び言語として楽しく発展していくべきだったけど、
> 生みの親ザメンホフが余計な事言ったばっかりに(思想が重要だ、と)
> ただの「運動」として、日陰で細々生きながらえる運命になってしまいました。
と書いておられますね。
しかし、ザメンホフがエスペラントを作って普及させたのは、ユダヤ人迫害をはじめとする世
界の民族間の不和を少しでも緩和したいと考えたからだったんですね。
もちろん
>>269
にあるブローニュ宣言の第1条を読めば判るように、思想は義務ではあり
ませんから、一生、思想とは関係なくエスペラントをやっていても、まったく構わないのです。
とは言うものの、ベダウリンデさんのように、ザメンホフの願いというものを「余計な事」呼ば
わりするというのは、あまりにも無神経ではないかと思います。
これではまるで「ザメンホフをはじめとするユダヤ人は、ときどき起こるポグロムによって殺
されても構わなかったんだ」って言ってるみたいに私には思えたんですね。
(実際には、ただ単にそこまで考えてないだけだと思いますが)
ということで、ベダウリンデさんはザメンホフの願いにはひどく冷淡なんですが、その一方で
>>280-281
において多言語主義を手放しで礼賛しておられるんですね。
>>281
には
> 私は、お金は必要な所にはかけるべきだ、と思います。
> 多言語主義は、民族の言語の保護、という世界的福祉の目的にかなっています。
> そんな大切な事なのだから、お金は惜しまず使っていいと思います。
とまで書いておられるんですね。
「エスペラント運動によって、ポグロムのような暴力によって殺される人がいなくなってほし
い」というザメンホフの願いについては「余計な事」呼ばわりした人が、多言語主義の前で
は「お金は惜しまず使っていいと思います」などと書いてるのを見て、私は、軽いショックを
受けたんですね。
ベダウリンデさんの人権感覚というのが、まったく理解できなかったからです。
303
:
松戸彩苑
:2008/11/02(日) 12:10:04
(
>>302
の続き)
ということで、ベダウリンデさんのおっしゃることというのは、部分部分だけを見るとそれなり
に理解できることも書いてあるんですが、全体として見ますと、ずいぶんバランスの悪い議
論だなと思ったんですね。
それで私は「どうして、こんなふうに考えるのかなぁ」と思ってあれこれ考えてみたんですが、
おそらくベダウリンデさんは
エスペラント界を、自分にとって居心地の良い場所にしたい。
という願望が強すぎて、こういうチグハグなことを言ってるんだろうな、という結論に達しまし
た。
「エスペラント界を、自分にとって居心地の良い場所にしたい」と考えて無茶なことを言う人
というのは、ベダウリンデさんに限りません。
自分の思想を押しつける人たちだって、まったく同じように考えているんですね。
なぜこんな事をするかというと、エスペランティストの多くはエスペラントを「自分の精神を安
定させるための道具」として利用したいと思っているからなんですね。
俗世間のなかにいると、精神的に疲れてしまいます。
だから、精神の休まる場所を確保するために、エスペラント界を自分にとって居心地の良い
場所にしておこうと考えるのは判らないでもないんですが、しかし、あまりにも自分勝手なこ
とを言ったりやったりされると、やっぱり困るわけですね。
もちろん、エスペラントを楽しいことに使うのは大いに結構なんですが、でも「エスペラントの
普及活動は禁止」とか「エスペラントと思想を結びつけるのは禁止」などと言ってもらっては
困るのです。
(こういうことを言うのも、やはり「押しつけ」だということを忘れないでいただきたいものです)
やはりブローニュ宣言にあるように
(1) エスペラント運動は、エスペラントの発展・普及を目的としている。
(2) エスペラント運動は、特定の思想とは結びついてはいないが、しかし個人的に結びつ
けることを禁止してもいない。
というのが、もっとも合理的であり、多くの人の自由を保障するものだと思うんですね。
---
ベダウリンデさんは
>>280
において、エスペラントの理念は嫌いだと書いておられますが、
しかし私なんかは「だったら、エスペラント以外の人工語をやれば良いんじゃないか」と思う
んですよね。
たとえば Ido なんて言葉はエスペラントとそんなに違わないですから、すぐに憶えることが
出来るだろうと思います。
またノシロなんかは、世界中の言葉から単語を採用していますので、ヨーロッパ語中心で
はなく、一つの言葉のなかで多言語主義を実践しているものと考えることが出来るでしょう。
ほかにもいろんな人工語がありますが、遊びが目的ならば、こういった言葉でも充分では
ないかと思いますね。
どうして、そうされないのでしょうか?
(終わり)
304
:
Raku
◆yP0a9GGqWA
:2008/11/02(日) 14:09:32
松戸彩苑さん、ベダウリンデさんにかまってはいけません。
305
:
ベダウリンデ
:2008/11/02(日) 17:13:17
松戸様、私は、自分の「エスペラント論」を展開してるだけです。
「エスペラントなんて(社会的には)意味無いよ」というのが結論です。
世間の、大部分の人と一緒です。
こんな事書いたらエスペランチスト達は全員怒り心頭だろうと、分かってました。
彼らは、エスペラントが本当に救いの言語だと信じてるから。
誰だって、信じてるのもをけなされたら怒るでしょう。
だから、Rakuさんの「怒り」も、私は理解できます。
松戸さんについても同じです。いくら「ザメンホフの正しさ」を私に説教しても無駄です。
ザメンホフ氏の切なる「願い」は分かるけど、エスペラント語が現実の解決策として、それに答えられるとは思えないのです。
これが私の「結論」です。私は自分の発言に責任を持ちます。
ちなみに私は「エスペラント界を、自分にとって居心地の良い場所にしたい。」なんて思ってません。
エスペラントの勉強も最近してない。現実の日本語人生で十分満足だなーとつくづく思うこの頃。
だから、日本語含めた多言語世界を大事に、と思ったんです。
ただ、自分なりに色々考えるって事は、何事につけ、楽しい事ですね。
エスペラントっていったい何?と考え、ここにアップすることは、
しばらくの間、私の楽しみでした。
みんなも頑張れ! エスペラントの良さをもっと一生懸命アピールしなよ!!!
私に突っ込まれて怒ってるようじゃ、マダマダだよ!
306
:
松戸彩苑
:2008/11/02(日) 20:50:22
>>305
「世間の、大部分の人と一緒です」という言葉で、納得のいった点もあれば、まだ納得いか
ない事もありますね。
たとえば世間の人たちにとっては「ザメンホフの願い」なんてものは、ほとんど意味を持た
ないでしょう。
大部分の人は「今、エスペラントが具体的に役に立つのかどうか」という点にしか関心が無
いだろうと私も思います。
ですから、これについては納得がいったんですが、しかしベダウリンデさんが「普及活動」ま
で目の敵にしているというのが、いまだによく判らないんですね。
たしかに「押しつけ」になってはいけないんですが、しかし押しつけがましくない程度にやる
のであれば、べつに問題は無いはずなんですね。
その程度の活動もダメだというのであれば、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・インターネット上な
どで大量に流れている英会話学校の宣伝だって押しつけがましいからダメって事になりそ
うなものだと思います。
それに「普及活動はいっさい止めました」なんて言ったら、世間の人たちだって驚くんじゃな
いですかね?
こんな極端なことは、世間の人たちだって、さすがに考えないと思うんですけどね。
「自分にとって居心地の良い場所にしようとした」という事でないのであれば、あとは「あまり
よく考えないで、極端なことを言っちゃった」って事くらいしか思いつかないんですが、どうな
んでしょうか。
---
ところで私は
>>303
の最後の部分に「エスペラントの理念が嫌いなのであれば、どうしてエ
スペラント以外の人工語をやろうとしないのか?」と書きました。
これはもし、ベダウリンデさんが「エスペラント以外の人工語は話者が少ないから」なんて答
えてきたら、私は
エスペラントの話者が多いのは、ベダウリンデさんが批判してやまない「普及活動」を熱
心にやってきたからだ。
また、ベダウリンデさんが嫌っている「エスペラントの理念」に関心を寄せる人が、それな
りに居たからだ。
だから、「普及活動」や「エスペラントの理念」をさんざん批判しておきながら「話者の多さ」
だけは遊びのために利用したい、などというのは筋が通らない。
と言ってやろうと思ってたんですが、読まれてしまいましたかね?
(まぁ、私が指摘する前に気づいてくれたほうが良いんですが)
これまでに何度も書いてきたように、「思想」も「普及活動」も関心が無ければ無視してれば
良いんですね。
でも、こういったものをエスペラント界から無くせと言われても、それはとうてい受け入れるこ
とは出来ないわけです。
(終わり)
307
:
松戸彩苑
:2008/11/03(月) 09:46:50
>>305
「普及するか、しないか」ということですが、たしかにベダウリンデさんがおっしゃるように、
私も広まらない可能性のほうが圧倒的に高いとは思います。
ベダウリンデさんは
(1) 今みたいな事をしてたのでは絶対に広まらない。
それは松戸彩苑の分析からも明らかである。
(2) それは正しいのだが、しかし、それを克服するためのものとして出された松戸彩苑の
提言にしたがって普及活動をやったとしても、(多少は広まるかもしれないが)大々的
に広まるということは絶対に無いだろう。
といったことをお考えになっているのでしょう。
私にしても、ただ単に「現在考えられうる最善の方策を提示した」ということであって、これ
を実行したからといって「1000人に1人がエスペラントを使える」という状態に必ずなると
考えてるわけではありません。
しかし、諦めなければ多少は広まる可能性がありますが、諦めてしまえば、それで終わりだ
と思うんですね。
---
また、ベダウリンデさんはご存じないのだろうと思いますが、かつては(1960年代までは)
エスペラントというのは世間においてもそれなりに認知されていたんですね。
当時は、現在よりもエスペラントを学習する人が多かったんですね。
とは言っても、せいぜい現在の数倍くらいのものだったんだろうと思うんですけれども(数値
化されたデータを持っていませんので、こんな言い方しかできません)、しかし今では信じら
れないくらい世間はエスペラントにそれなりの理解を示していたらしいのです。
そういう事がありますから、学習途中で挫折する人や eterna komencanto になってしまう
人を減らしたり、日常生活に関する語彙・表現を整備したりして、エスペラントを使って何ら
かの活動をする人が少しずつでも増えていけば、世間の人たちもそれなりに認めてくれる
んじゃないかって思うんですよね。
世間の人たちは、スローガンや議論だけですとまったく認めてくれないでしょうが、たとえ単
なる遊びであっても具体的な活動であれば、それなりに認めてくれるんじゃないかって私は
思ってるんですが。
そういえば、こんなニュースがありました。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/57314
漫画で日韓交流推進 北九州市で初のフォーラム
第1回北九州まんがフォーラム(北九州市、県主催)が2日、小倉北区のリバーウォーク
北九州「北九州芸術劇場」で開かれ、韓国の漫画文化の現状報告や人気漫画家のト
ークショーがあった。県内外から約100人が参加し、満員の会場は熱気に包まれた。
著名な漫画家を多く輩出する北九州市は、漫画をテーマに地域活性化に取り組んでお
り、日韓交流を促進しようとフォーラムを企画。第1部は、韓国で日本漫画を販売する出
版社の柳在玉(ユジェオク)局長が「韓国では漫画雑誌の売り上げが年々減っているが、
人気上位は日本の漫画」と現状を説明。
第2部では韓国の人気女性漫画家の朴素〓(パクソヒ)さん(30)が「北九州は漫画に
関心を持つ人が多い。交流の場を作ってくれた市民に感謝したい。日本が舞台の漫画
も描きたい」と語った。朴さんはトークの途中で日本でも約180万部を売り上げた漫画
の主人公を描くサービスも見せた。市は2010年度に漫画を通した体験・交流施設「漫
画ミュージアム」(仮称)を小倉北区に開設する予定。
308
:
松戸彩苑
:2008/11/03(月) 09:48:01
(
>>307
の続き)
読めば判るとおり「マンガで国際交流」という事なんですが、この程度のことで良いんです
ね。
「マンガで国際交流なんて、ふざけてるじゃないか!」なんて言って怒る人は、(たまには
居るでしょうけど)ほとんど居ません。
つまり世間というのは、エスペランティストが「国際的な言語問題」だとか「世界平和」だと
か連呼しても無視するのですが、「マンガで国際交流をする」ということですと、県や市が
おカネを出しますし、マスコミもニュースにするんですね。
世間というのはこういうものなんですね。
ベダウリンデさんは不思議に思われないでしょうけれども、エスペランティストの多くは、こ
のあたりのことが判ってないんじゃないかと思いますね。
---
ということで、エスペラントの普及をはばむのは
(1) 「絶対にムリだ」と考えて、はなから諦めてしまうこと。
(2) 「従来のエスペラント運動は間違っていない」と考えること。
なんだと思うんですね。
こういった考えを改めて努力をすれば、英語には敵わないにしても、しかし世間の人たちか
ら見てもそれなりに価値のある活動ができると思うんですけどね。
(もちろんエスペラント界は、これまでにもさまざまな活動をやってきたわけですが、しかしそ
れらは、世間の人たちから認められ、ながく記憶にとどめられるには至らなかったのです)
でも、それがなかなか出来ないようですから、結局エスペラントが広まることは無いんだろ
うなと考えざるを得ませんね。
また、サブプライム問題で始まった世界的な不景気というのもありますから、よけい厳しいで
すね。
でもまぁ、望みを捨てずに「なにが問題なのか」「どうすれば良いのか」ということを提言して
きたわけですし、これからも続けていこうかなと思ってるわけです。
(終わり)
309
:
ベダウリンデ
:2008/11/03(月) 17:26:55
>306 お返事だけとり急ぎ・・
>しかしベダウリンデさんが「普及活動」ま
>で目の敵にしているというのが、いまだによく判らないんですね。
一般の趣味活動と同程度の「普及活動」なら、外部の人間から見ても全く抵抗ないです。(初心者講習会等)
>「自分にとって居心地の良い場所にしようとした」という事でないのであれば、あとは「あまり
>よく考えないで、極端なことを言っちゃった」って事くらいしか思いつかないんですが、どうな
>んでしょうか。
自分の気持ちに正直に向き合えば「居心地が良い場所でなくて残念だった」という気持ちです。
部外者の私が既存のエスペラント界を改造しようだなんて、大それた話です。
既存のエスペランチストの皆様が「今が居心地良い」と感じていれば尚更です。
合わない者は去れ、ということです。
でも、私も一時期一生懸命勉強してたから、悔しくて、それで過激発言になっちゃったのかな?と思う。
>「エスペラントの理念が嫌いなのであれば、どうしてエ
>スペラント以外の人工語をやろうとしないのか?」と書きました。
人工語なんてどれも似たり寄ったりだろうから、関心が無いのです。日本語で十分!
初めてこの掲示板を見た時「理念がない者は続かない」と書いてあり、ショックでした。
でも、結果、そうなってしまったんですよ。書いた人、今頃嘲笑ってるだろうなーって思う。
でも言いたい。理念がない人=軽薄、飽きっぽい、だから続かない、というのではないのです。
既存のエスペランチストの皆さんに「ついていけない」から、続かないんです。
解決策の提案:
「理念」とか抽象的な語でなくて、「エスペラント語が世界平和をもたらす救世主だと信仰できない人は続かない」って書く。
「これは宗教です」って明言してほしい。
310
:
松戸彩苑
:2008/11/03(月) 19:02:26
>>309
> 初めてこの掲示板を見た時「理念がない者は続かない」と書いてあり、ショックでした。
> でも、結果、そうなってしまったんですよ。書いた人、今頃嘲笑ってるだろうなーって思う。
> でも言いたい。理念がない人=軽薄、飽きっぽい、だから続かない、というのではないの
> です。
> 既存のエスペランチストの皆さんに「ついていけない」から、続かないんです。
エスペラント界には、理念や思想なんかとはまったく関係なくエスペラントをやってるって人
がたくさんいるんですけどね。
関心が無ければ無視してれば良いし、押しつけがましいことを言われたら、ブローニュ宣言
の第1条をもちだせば良いんですよ。
とは言うものの、要するにベダウリンデさんは「思想重視派の人たちの押しつけがましい議
論」に対して免疫が無いんでしょうね。
それで、必要以上に怖がってしまうって事があるんでしょう。
私が大学生のときは、すでに学生運動みたいなものは消滅してたので、そういうものを肌
で体験したことは無いんですね。
その代わりに、元は革新派だったけど、さまざまな疑問を感じて脱退したという人が書いた、
革新派の人たちの問題点や矛盾なんかを指摘・批判するような本をたくさん読みましたの
で、私にはそれなりに免疫があるんですよね。
そういや10年以上前に、かの有名な篠沢秀夫先生(若い人は知らないかな?)が日本エ
スペラント学会に入会されたことがあったんですが、すぐに止めてしまったみたいなんです
よね。
私は「機関誌の内容があまりにも左翼的だったから止めちゃったのかな?」って思ったん
ですけどね。(単なる推測ですが)
311
:
ベダウリンデ
:2008/11/04(火) 08:44:41
>エスペラント界には、理念や思想なんかとはまったく関係なくエスペラントをやってるって人
>がたくさんいるんですけどね。
>関心が無ければ無視してれば良いし、押しつけがましいことを言われたら、ブローニュ宣言
>の第1条をもちだせば良いんですよ。
「ブローニュ宣言」を持ち出す所が既に宗教っぽいんですいよ。
経典のここにはこう書かれているから、そこにすがる、みたいな。
私は「世間の常識」で「言語と思想は無関係の筈だ」と思ってます。
(宗教色の強い人は、この「世間の常識」を否定するんでしょうね)
他に宗教っぽい所は「ザメンホフ無謬説」です。
「今の時代の視点で見れば、ザメンホフにも至らぬ点はある。それは認めるが
それは時代がそうだったから仕方ない、ザメンホフのせいではない」という意見です。
例えば「ザメンホフが日本の算盤を知っていたらソロバーノが採用されたかもしれない、でも知らなかったから仕方ない」みたいな意見です。
「もしも」の話をしてまで「完璧な人間」ザメンホフを祀りたがるのって、「宗教」だなーと思います。
「よろず」メンバーは(各自個性はあるけれど)全体的に内省的で、反世俗で、一方で自己主張は自信満々で、もろ「信者」って感じなんですが、
比較的自由そうに見えるRakuさん、松戸さんあたりも、結構「ザメンホフ教」なんじゃないか、と私は読んでるんですが・・・
エスペロさん、ヤパーノさんあたりはどうなのかなー?とか思う。
312
:
松戸彩苑
:2008/11/04(火) 23:54:44
>>311
> 「ブローニュ宣言」を持ち出す所が既に宗教っぽいんですいよ。
> 経典のここにはこう書かれているから、そこにすがる、みたいな。
> 私は「世間の常識」で「言語と思想は無関係の筈だ」と思ってます。
> (宗教色の強い人は、この「世間の常識」を否定するんでしょうね)
先にお話ししたように、ザメンホフは「民族間の争いを緩和したい」と思ってエスペラントを
作って普及させたわけですが、しかし、こういった思想をエスペラントと抱き合わせにして他
人に無理やり押しつけようとは考えていなかったんですね。
それでザメンホフは「エスペラントと思想との間には直接的な結びつきは無い」ということを
ブローニュ宣言において明言しておいてから、あくまでも私的な活動として、民族問題解決
のための運動を始めるんですね。
こういう事情があったわけですから、べつにおかしくないと思うんですけどね。
要するにブローニュ宣言というのは「会則」みたいなものなんですね。
エスペラントの団体に限らず、不特定多数の人たちが集まって出来ている団体ですと、どこ
でも会則というものがあって、それに則って団体を運営しているわけですが、こういうやりか
たのどこが「宗教っぽい」んでしょうか?
そもそもブローニュ宣言のなかには、神だとかいった言葉はいっさい出てきません。
団体が決まり(それも、メンバーの思想上の自由を保障するような決まり)を作っただけで
「宗教っぽい」と言われても、それは納得いきませんね。
どうもベダウリンデさんは、宗教や法律みたいなものに対してアレルギーがあって、「そんな
ものが無くても、世間の常識があれば大丈夫」って考えておられるみたいですね。
これは要するに「普通の日本人」だということです。
宗教や法律というものに慣れている外国の人であれば「ブローニュ宣言を持ち出す所が既
に宗教っぽい」なんてことは絶対に言わないはずです。
結局、ベダウリンデさんのおっしゃる「世間の常識」というのは、現代日本の常識にすぎない
のではないかって気がしますね。
余談になりますが、国際化が進めば、日本国内においても「日本の常識」が通用しなくなっ
てくる可能性があるんですよね。
そういうことも考えておいてほしいですね。
とは言うものの、「ベダウリンデさんのような考え方が、日本の一般人の考え方なんだろうな
ぁ」とは思いますので、エスペラント界のほうでも対応を考えないといけないだろうと思います。
(とは言っても、ブローニュ宣言を廃止したりはしませんが)
---
それから後半の「ザメンホフ無謬説」ですが、私はこの掲示板において従来のエスペラント
運動のありかたを批判していますが、その際に「ザメンホフの考えには間違いがあった」と
明言してるんですよね。
もちろん、あの時代に独力であれだけの事をしたというのは、ものすごいことだと思います。
でも、やはり間違いは間違いだと思っています。
ですから、私はザメンホフを尊敬してはおりますが、信仰はしていません。
ベダウリンデさんの「ザメンホフ無謬説」はおかしい、宗教じみているというご意見には賛成
ですね。
(終わり)
313
:
ベダウリンデ
:2008/11/06(木) 08:34:02
確かに、「宗教」と言ってしまうと語弊があるかもしれないですね。
私がエスペラントでイメージした「宗教」は、(もちろん揶揄的な意味で)
日本で時々ニュースになるような「怪しげな新興宗教」です。
世界の各地域で、住民に根差し、その地で「世間の常識」になってる「宗教」には
悪いイメージはありません。
ただの普通の人間(実際には、普通以上に悪人かもしれない)を「教祖」として称えるのが「怪しげな新興宗教」です。
松戸さんがザメンホフを「尊敬」するのは、個人の心情の自由で、良いことなのですが、
特定の人物を尊敬する人が集団化すると、傍から見ると「怪しげな新興宗教」に見えます。
「思想」がバックボーンにあるから、ただの「ファンクラブ」とも、ちょっと違う。
また「尊敬」も度を超すと、「信者」っぽく見える原因かもしれない。(あくまで日本語のニュアンスで「信者」)
Rakuさんも、松戸さんも、私がザメンホフをけなしたら怒ったので、信者だなー、と思ったのです。
「ザメンホフ無謬説」も、ただの水道水を神の水と信じるような、
「真実を捻じ曲げる欺瞞」としか思えませんでした。
あと、世俗や一般世間に対してやたらと「排他的・批判的」なのは、「怪しげな新興宗教」の特徴ですよね。
ちゃんとした(?)の「宗教」は、逆に、世俗とか一般世間のルールを作ってる面もありますから。
314
:
ベダウリンデ
:2008/11/06(木) 09:02:15
Mi amis Esperanton sed malamis esperantistojn.
エスペラントは魅力的な言語で、それを勉強する事は私の楽しみでありました。
しかし、掲示板で目にするエスペランチスト達の発言には「ついていけ」ませんでした。
互いに発言しては無条件に賛美し合ってるから、あれがエスペラント界では普通の価値観なんだと思うけど、
私には「嫌悪」の情しか抱けなかった。
なんでだろう、、と思うけど、「極端に反世俗」だからかな?と思う。
言語は愛しつつ、それの同好者には、嫌悪の情を抱かざるをえない。
エスペラントは私には、自分が二分され引き裂かれるような、「苦しみ」をもたらしました。
同じ悩みを持った人、他に誰もいないのかな?と思ったのですが、
もしかして「異端の言語」の筆者がそうかも?と思いました。
エスペラントのシンパを自称しつつ、決してエスペラントの入門以上に入り込まない筆者。
言語学者なんだから、ちょっと本気出せば、ちょちょいとマスターできるであろうに、それをしない。
そこで、もう一度、本を読み直しました。ありましたよ、ヒントが。
P192 『修正を許さないほとんど唯一の方法は、ザメンホフという教祖様をほめたたえる伝記を書き・・・・』
P208 『あのヒゲの大きなザメンホフをあまりほめたたえて偉人物語にしてしまう運動は好きになれなかったし』
そしてP211
『エスペラントを学ぶ人は、どこか魅力のある人であってほしいし、また、学ぶことによってそうなってほしい。』
私は当初は、「エスペランチストは平和を愛する人達だから、きっと人間的にも尊敬できる人達なんだろうな」と思った。
そして、筆者の言葉のように、エスペランチストは自覚して、自己の「魅力」を増すように努力してる人達なんだろう、と思った。でも、違った。
で、改めて読むと「そうではないから、そうであってほしい」という筆者の願いのようにも読み取れる。
だって実際に魅力的な人が多ければ「魅力のある人が多い」って書くじゃないですか?
願いとして書くってことは、実際はそうじゃないから、なのかも。
そこまで読み取れなかったのは、私の不覚でしたね。
ちなみに時を同じくして偶然に「よろず」にも、この本に関する話題が書かれてました。
315
:
松戸彩苑
:2008/11/06(木) 23:10:21
>>313
たしかに、私も以前論じたことがあるんですけれども、エスペラント運動においては創始者
の名前や顔を前面に出しすぎなんですよね。
国際的に有名なNGOには、赤十字社、ボーイスカウト&ガールスカウト運動、ライオンズク
ラブ、ロータリークラブ、アムネスティなんかがありますけれども、創始者が有名なのは赤十
字社くらいのもので、それ以外の団体の場合には、創始者の名前はほとんど知られていな
いんですよね。
また赤十字社の創始者であるアンリ・デュナンにしても、ノーベル平和賞を受賞したので有
名なわけですが、しかし赤十字社は「創始者の思想を学びましょう」なんて言ってるわけで
はないですし、アンリ・デュナンの顔写真をあちこちに貼りつける、なんて事もしてないんで
すよね。
こういったことを考えますと、やはりエスペラント運動というのは他の社会運動とはずいぶん
違っていて、個人崇拝みたいだよなって思いますね。
こういったことは私もやめたほうが良いと思っています。
---
それから、現在にいたるまでエスペラント界には、ザメンホフの思想や意見というものを突き
はなして客観的に見ていこうという発想が無かったんですね。
私はこの掲示板において、そういうことを提唱してきたつもりなんですけどね。
しかし
> (Rakuさんも、)松戸さんも、私がザメンホフをけなしたら怒ったので、信者だなー、と思っ
> たのです。
と書いておられますが、これはたぶん、ベダウリンデさんが「ザメンホフが思想とエスペラント
とを個人的に結びつけることを禁止しなかったのが嫌だ」と言ったことに対して、私が反論し
た事なんかを指しているのでしょうかね?
どうもベダウリンデさんには、あまり調べたり、他人の立場に立って考えたりしないで、思っ
たことをどんどん書いていってしまうという傾向があるように思いますね。
(というか、反応を見るために、わざとけなしてみたんじゃないかって気もするんですが)
そういうところに、多少腹を立ててしまったかもしれませんね。
でも、エスペランティストの大部分だって、世間の人たちのエスペラント観について知ろうと
もしませんし、世間の人たちの立場に立って考えようともしないわけですから、まぁ似たよう
なものだとは思っております。
さらに言えば、こういう「自分とは違う思考・行動パターンをもつ個人や集団についてまとも
に調べたり、そういう個人や集団の立場に立って考えたりしない」という態度が、民族問題
の解決を阻んでいるんだと私は思いますね。
もっとも、その個人・集団がヤバそうなものであれば、とりあえず逃げなければなりませんし、
理解しようなんて気になれないのも当然なんではありますが。
---
それから田中克彦氏の「エスペラントを学ぶ人は、どこか魅力のある人であってほしいし、ま
た、学ぶことによってそうなってほしい」という発言ですけれども、これに関して
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1199456754/264-265
に私の考えを書いておきました。(少々読みにくいかもしれませんが)
エスペラントは世間においては全然認められていないわけですから、こういうものを長年やっ
てる人が「頑固」なのは仕方が無いのかな、とは思いますね。
でも、自分の家族や知人にさえも理解されないというのでは広まるわけがないんですから、
自分の家族や知人にも理解できるようなことを言ったりやったりしてほしいなと思いますね。
(終わり)
316
:
ベダウリンデ
:2008/11/10(月) 09:40:46
>(というか、反応を見るために、わざとけなしてみたんじゃないかって気もするんですが)
わざとじゃなく、本気でけなしました。
外に出ると世間はエスペラントとは無関係に回ってる。
心から良かったなーと思う。
でもエスペラント掲示板は面白いから、そこここ、つい見ちゃいますね。
「他人を理解できない」のは、私だけじゃないみたいですよ。
317
:
隣の隠居
:2008/11/10(月) 11:58:57
思想問題もものすごく大きな問題なんだけど、それは「いったんエスペラントに興味が出た人を排除する原因」の話のような気がします。
エスペラントが普及しない最大の問題は、「普及していないから、誰も学ぼうとしない。誰も学ばないから普及しない」の悪循環という話だと思うんです。
これって、結局、パソコンのOSがマイクロソフト製だったり、VHSビデオとベータビデオの規格争いの話と同じですよ。
OSにしろ、ビデオにしろ、結局は、どれだけソフトを揃えたかということで決まってしまったわけで、エスペラントを普及させるのも地味にコンテンツを増やすしかないと思います。
つまり、
一般人に普及させる策:コンテンツを充実させて、「普及していないから学ばない。誰も学ばないから、普及しない」という悪循環から脱出。
エスペラントに興味を持って学ぶ人を引きつけ続ける:思想問題を持ち込ませない
という2段階に分けて考えるべきだと思うんです。
この掲示板で報告があるオタク向けのコンテンツの充実の話なんかは、いいんじゃないかと思います。
期待してます。
318
:
ベダウリンデ
:2008/11/10(月) 17:54:14
>302
>「エスペラント運動によって、ポグロムのような暴力によって殺される人がいなくなってほし
>い」というザメンホフの願いについては「余計な事」呼ばわりした人が、多言語主義の前で
>は「お金は惜しまず使っていいと思います」などと書いてるのを見て、私は、軽いショックを
>受けたんですね。
>ベダウリンデさんの人権感覚というのが、まったく理解できなかったからです。
これは完全に私の意図する範囲を超えた松戸さんの誤読です。
「余計な事」とは、ザメンホフの願いではなく、
創始者の立場なのに、思想を重視せよ、と言った事が「余計な事」だと思ったのです。
創始者の発言は影響力大でしょう。
そのせいで、のちのち現在に至るまで、エスペラントは思想に支配され続けているのです。
「皆の者、好きに使うが良し」とか言っていれば、また別の発展をしたのでは?と思っただけです。
また、なぜ「多言語主義」にお金を費やしてはいけないのか、も理解できません。
どこの国でも、少数民族の言語保護対策をしようと思ったら、それなりにお金はかかるでしょう。
でも、お金かけてでもやったほうがいい、と思ったのです。この発想のどこが「悪」なんでしょう?
それでどうして「人権感覚」まで疑われちゃうのか、そこも意味不明。
319
:
ベダウリンデ
:2008/11/10(月) 18:13:26
>315
>ベダウリンデさんが「ザメンホフが思想とエスペラント
>とを個人的に結びつけることを禁止しなかったのが嫌だ」と言ったことに対して、私が反論し
>た事なんかを指しているのでしょうかね?
私は「思想とエスペラントとを個人的に結びつけることを禁止しなかったのが嫌だ」
なんて、一度たりとも思った事ないし、おそらく書いた事もないですよ。
思想については、私は完全に個人主義の立場で、
エスペラントでも思想でやりたい人はやればいいじゃん、という考えを貫いてきましたよ。
「嫌悪」はしても、その思想をやめろ、とは一切言ってませんよ。
嫌悪は生理的なものだから、仕方ないです。
嫌ってるからって「迫害」とかするつもりないし、
むしろ、こちらから静かに去るべきだ、と思いました。
嫌いなタイプが多い集団に、あえて近寄く必要無いです。遊びなんですから。
320
:
隣の隠居
:2008/11/11(火) 23:30:45
松戸さんとベダウリンデさんの立場って、そんなに違わないと思うんですけどね。
ただ、松戸さんは問題意識は豊富にあって、いろいろ考えてはおられるのは分かるんですけど、従来型のエスペラント運動の発想にまだ引きずられているような気がします。
うまくは説明できないんですけどね。
321
:
ベダウリンデ
:2008/11/12(水) 06:28:04
どひゃーっという驚き発言を「よろず」で発見!!
コピペします。また削除するだろうから。
なぜコピペするか、、、エスペランチストってこういう人なんだよって
エスペラントに関心を持った心が美しい人に知らせたいから。
表向きは装っても、本心はこう思なんだよ、って。
Dさんの発言(英語で普及してる単語をエスペラントに置き換えたら大変だろう、という意見)に対して、Aさん
>エスペラント界から出て行けばいいのではないですか。
>サッキングがそれほど現実的だと思うのなら。
>つまり、こういう人間なんだな。
>これが本音だ。
>英語帝国主義の手先だな。
322
:
ベダウリンデ
:2008/11/12(水) 09:57:14
エスペラントに関心を持つ人って、心がきれいな人だと思う。
世界中の人と会話して、誤解や争いのない平和な世界が作れたらいいな、という願いを持てる人。
「ザメンホフ氏の願い」そのものだと思う。
Dさんも、きっと、Dさんなりの理想(私も細かい点までは把握してないけど)を求めてエスペラントに近づいたんだと思う。
オタク文化でエスペラントを広めるというコンセプトを持ち、
その実践として、コスプレなどのオタク語を含む文章を翻訳しようとして、
その上で、実際問題として、エス語置き換え問題にぶち当たり、悩んだんだと思います。
そこまでしてる人に、どうして「出て行けばいい」などと言えるのだろうか?
まだ「削除」してないみたいだけど、よろずのお仲間さんたちは、どうコメントするのかな?
いつもどおり、全面賛成と賛美? それとも「無かったこと」にする? あはは
323
:
隣の隠居
:2008/11/12(水) 23:15:40
>>322
まだログは残ってるようですね。
全部を完璧に読んだわけじゃないんですが、オタク用語だと”コスプレ”は英語で"Cosplay"であって、他の外国語でもこれに準じた綴りになっています。
エスペラントだけ、"Kosupure"って綴っても、日本人以外には意味は通じないと思いますよ。
英語憎しのあまり、国際的に通用するかどうか考えていないんでしょうね。
ローマ字をヘボン式にするか訓令式にするかと同じような問題でしょう。
324
:
隣の隠居
:2008/11/12(水) 23:23:19
>>323
エスペラント界のコスプレの定番的な訳語は"kostumoludo"ですか・・・
こりゃ、絶対通じませんよ。
オタクはネットウヨっぽい人も結構多いから、エスペラント界的なやり方を押し通せば、反感かうだけなのに・・・
325
:
ベダウリンデ
:2008/11/13(木) 06:27:29
Dさんが考えたコスプレの訳語はKospleoです。Kosupureではありません。
(私がめんどくさがってカタカナで書いたから誤解をまねきましたね、すみません)
またDさんは決して「ネットウヨ」ではないと思います。
Aさんのコメント、削除したら「卑怯」だし、削除しなければそれがAさんの正真正銘の意見ってことだし、
(エスペラント界の排他的性質を示す重要証言となるでしょう)
どっちにしろ「やっちまったなー」って感じ。
326
:
ベダウリンデ
:2008/11/13(木) 09:26:34
よろずのお仲間さんがどうコメントするかも見物。
Aさんのコメントに対しノーコメントだったら、私は「賛同」とみなしますね。
つまり、エスペラント界全体の傾向として、「異端児は容赦なく排除」いう証拠です。
Dさん、何も悪くないですよ。エスペラントに期待を抱き、頑張って翻訳して、
そしてオタクとして「コスプレ文化」に誇りを持ち、コスプレの語感をそのまま尊重したい、と思っただけだと思う。
その延長で、「サッキング」など業界用語も、その世界の人にとっては「誇り」なんだろうから、尊重しないといけないのでは?的な発想?
と、そう、私は理解してるんですが(違ったらすみません)、それのどこが「英語帝国主義」なんだろうか?って思う。
不当なレッテルを貼りつけてでも、自分と異なる考えを持つ人間を追い出そうとする。
そんな事が平然とまかり通っている団体が、自分達の言語こそ真の国際語にふさわしいなどと、ぬかしてるんですよ!?
「自分の考えと異なる者は排除したい」。だから世界では紛争や人権侵害が絶えないんじゃないですか?
排除体質の団体が支配する言語がもしもホントに国際語になったら(実際にはありえないから安心)、世界は恐ろしいことになると思う。
世界が平和になればいい、と思ってエスペラントに関心を持った心の美しい人達が、ある人は「洗脳」され、
排他的で自分達だけが正しいと信じる団体、それこそ「怪しげな新興宗教っぽい」団体に取り込まれる。
幸いにも「洗脳」されなかった人は、屈辱的な気分を味わいながら「出ていく」。
それが「エスペラント」なんだな
327
:
隣の隠居
:2008/11/13(木) 19:57:43
>>325
Dさんは、国際的に通用しやすい"Cosplay"に近い"Kospleo"だということは承知しています。
個人的には"Cosplejo"とか"Kosplajo"とかいった候補も浮かびますが、"Kostumoludo"はあり得ないでしょう。
全くの机上の空論です。
「腐女子」は"Fujxosino"でしょうかね、それとも「やおい」の派生語として"Jaojulino"とかもあり得るかな?
まぁ、DさんのHPを訪問すればいろいろ分かると思いますが・・・
こういう新しい試みを叩いて排除しようとしながら、「普及しない」と嘆いても・・・と思います。
自分が何をやっているか分かってないんでしょうね。
328
:
ベダウリンデ
:2008/11/17(月) 08:15:38
「よろず」の方で、Aさんからコメントを頂きました。
>いま、「なんでも」の掲示板を覗いて、書き込みをしようとしたら、海外からの書き込みは
>できない仕組みなんですね。
>それで彼等、この掲示板を覗いてるそうですから、返事させて貰いますね。
>彼等によると、だにょさんは「異端児」だそうです。
>でも私に言わせると、田舎者、です。世界基準価値の作法も満足に使えない、田舎者です。
>そんなのがエスペラントを改造するとか言って、陰でこそこそと悪口を言うしか脳が無い。
>まあ、土人の祈祷師、そういうのを感じます。
言いたい事、2つほどあります。
>彼等によると、だにょさんは「異端児」だそうです。
「彼等」(読みは「彼ら」でOK?)って誰と誰と誰・・・・ですか?
ここで「Dさん擁護」をしているのは私だけです。
遠慮なく「なんでものBさん」とでも書いて下さい。
「隣の隠居」さんもレスつけて下さいましたが、直接やりとりするのはこれが初めてだし、
今までのやり取りをリアルタイムで読んできた上でのレスなのかも、疑問です。
きっと、掲示板が寂れれるから「親切心」でコメントしてくれたと思うのですが、「それだけのこと」です。
「よろず」と違って「なんでも」には「仲間意識」なんて微塵も無いですよ。
常連さんである、Rakuさんや松戸さんも、私は怒らせちゃったし、
怒らせはしてないけど、「政治的見解」が異なる立場の人もいっらっしゃいます。
逆に、私は「よろず」メンバーが互いに議論し合っている所を読んだ事が無いんです。
いつも、ちゃらちゃらとお世辞を言い合って、賛同し合っている。
『この掲示板は「よろず」とは違うんです!』(流行語大賞候補の言い回し)
その上、下記の様なコメントまでついてます。
329
:
ベダウリンデ
:2008/11/17(月) 08:26:06
「よろず」Aさん筆
>子供が学校から帰って来て、いじめのことでお母さんと話しています。
>子供「だって学校でA君は汚いから、触っちゃいけない、ってみんなが言ってたもん」
>お母さん「そのみんな、って言うのは誰なの。名前を言ってごらん」
>子供「C君とB君とD君と、それからえー、、、(沈黙)」
>子供の言う「みんな」というのは、既成事実ではなく、空想の中でのみんな、なのですね。
>だにょさんの、
>「英語をそのまま使うことは植民地主義と同様です。これからはエスペラントを使うべきです」と、悩みもなくあっさり変更を促す
>も、子供の言う「みんな」と同じで、具体的にそれを言ったエスペランチストの名前を上げて
>ごらん、と言うと、黙り込む程度のものなんです。
>「だって、エスペランチストのみんなが言ってたもん」。
>こんなのは大人の会話ではない、というのはどうなんでしょう、日本では一般的に知れて
>いないのかも知れませんね。
>(にっこり)。
Aさん自身が、私の個人的発言を「彼等」という不特定多数の発言にすり替えた事も、
「空想の中」ですよ。
330
:
ベダウリンデ
:2008/11/17(月) 08:54:47
それから二つ目は
>でも私に言わせると、田舎者、です。世界基準価値の作法も満足に使えない、田舎者です。
>まあ、土人の祈祷師、そういうのを感じます。
「異端児」ではなく、「田舎者」「土人」だそうです。
「異端児」では生ぬるいから、悪口をより強めるニュアンスで「田舎者」「土人」と言いたいのでしょう。
「田舎者」・・都市部ではなく山間部とかに住んでる人が、これを悪口として使われたらどう思うでしょうね?
また、「土人」とは、どういう民族を想定した上での発言ですか?
私はこの言葉は、民族差別用語だと思っています。
いくら頭にきてカッとしたとしても、「悪口」として、この言葉を使うことは、私だったら絶対できません。
民族差別はいけないことだ、と思ってるからです。
Aさんという方は某欧州国在住のエスペランチストで、奥様はその国のエスペランチストだそうです。
「よろず」の会話などから察するに、Aさんは某欧州国で生活している上で、東洋人として「民族差別」を感じることがあるそうです。
私も海外旅行した時に、「これって差別?」的な漠然としたものは感じたことがあるから、分かる気はする。
でも、日本にいれば、自分は主体民族だから「民族差別」を「受ける」感覚は全くない。
(「与える」ことは、なるべく避けたいとは思ってる)
「受ける」立場として、そういう状況に常に身を置くのは、つらいと思う。
でも「負の連鎖」というのかな? 差別を受けた者がより弱い者へ差別を向ける、ということもあるのかな?
とAさんの「土人」発言を読んで思った。
あらゆる民族から民族差別の感情が無くなるといいね。。。
あ、それからDさん、私が「擁護」なんてしちゃったから
かえって「書き込み」しづらくなっちゃったのかな?
私が「出ていけ」発言に触れなければ、こっそり「削除」されて
「何もなかった」ことになったのかな?
331
:
隣の隠居
:2008/11/17(月) 12:40:34
ベダウリンデさん
>>今までのやり取りをリアルタイムで読んできた上でのレスなのかも、疑問です。
>>きっと、掲示板が寂れれるから「親切心」でコメントしてくれたと思うのですが、「それだけのこと」です。
おっしゃるとおり、リアルタイムでは読んでません。
結構トンチンカンなことを書いたかもしれないです。m(_ _)m
あまりトンチンカンなことを書くと「過去ログ嫁!」って怒られますが、ネットではそれぞれ関心のあることは違いますし、通りすがりでコメントをつけることも多いです。
この「なんでも掲示板」は、みんな自分の考えていることを思い思いに書いているので、一枚岩ではないですよ。
ここに限らず、ネットってそういうものです。
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