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なぜエスペラントは普及しないのか?

314ベダウリンデ:2008/11/06(木) 09:02:15
Mi amis Esperanton sed malamis esperantistojn.
エスペラントは魅力的な言語で、それを勉強する事は私の楽しみでありました。
しかし、掲示板で目にするエスペランチスト達の発言には「ついていけ」ませんでした。
互いに発言しては無条件に賛美し合ってるから、あれがエスペラント界では普通の価値観なんだと思うけど、
私には「嫌悪」の情しか抱けなかった。
なんでだろう、、と思うけど、「極端に反世俗」だからかな?と思う。

言語は愛しつつ、それの同好者には、嫌悪の情を抱かざるをえない。
エスペラントは私には、自分が二分され引き裂かれるような、「苦しみ」をもたらしました。

同じ悩みを持った人、他に誰もいないのかな?と思ったのですが、
もしかして「異端の言語」の筆者がそうかも?と思いました。
エスペラントのシンパを自称しつつ、決してエスペラントの入門以上に入り込まない筆者。
言語学者なんだから、ちょっと本気出せば、ちょちょいとマスターできるであろうに、それをしない。
そこで、もう一度、本を読み直しました。ありましたよ、ヒントが。

P192 『修正を許さないほとんど唯一の方法は、ザメンホフという教祖様をほめたたえる伝記を書き・・・・』
P208 『あのヒゲの大きなザメンホフをあまりほめたたえて偉人物語にしてしまう運動は好きになれなかったし』

そしてP211
『エスペラントを学ぶ人は、どこか魅力のある人であってほしいし、また、学ぶことによってそうなってほしい。』

私は当初は、「エスペランチストは平和を愛する人達だから、きっと人間的にも尊敬できる人達なんだろうな」と思った。
そして、筆者の言葉のように、エスペランチストは自覚して、自己の「魅力」を増すように努力してる人達なんだろう、と思った。でも、違った。
で、改めて読むと「そうではないから、そうであってほしい」という筆者の願いのようにも読み取れる。
だって実際に魅力的な人が多ければ「魅力のある人が多い」って書くじゃないですか?
願いとして書くってことは、実際はそうじゃないから、なのかも。
そこまで読み取れなかったのは、私の不覚でしたね。

ちなみに時を同じくして偶然に「よろず」にも、この本に関する話題が書かれてました。


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