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小沢民主党は加藤憲政会のように「苦節十年」となるか

1キラーカーン:2008/09/10(水) 22:37:58
 福田首相が辞任表明をして、総裁選モードになっている自民党のあおりを受けて、あわててマスコミ対策を打ち上げている民主党ですが、小沢党首の「威光」を恐れて無投票にした党首選がそもそもの原因ですので、「身から出たさび」といったところでしょう。

という訳で、お題は表題の通りです。

 第二次大隈内閣の与党だった同志会(後の憲政会、民政党)を主体としたは対華21か条などの「失策」により、党首の加藤高明(第二次大隈内閣の外相)も含めて「政権担当能力」がないとみなされ、原政友会内閣が原首相の暗殺後、弱体化して政権担当能力が疑問視されても、元老西園寺が加藤憲政会に政権担当能力がないと判断していたため、なかなか政権の座が憲政会に回ってきませんでした。

 その中で、いわゆる第二次護憲運動のさなかに行われた総選挙で憲政会は第1党となって、加藤高明は「苦節十年」を経て与党に返り咲きます。
 首相となった加藤は普通選挙法や治安維持法の制定など、加藤憲政会が政権担当能力を持つことを実証し、その後の2大政党制による政権交代といった「民主政治」が当時の日本においても可能であるという歴史的実績を作りました。そのため、護憲三派連立内閣が崩壊して、加藤首相も含めた閣僚全員の辞表を提出した際も、加藤の辞表は受理されず、加藤憲政会単独内閣が発足します(この憲政会単独内閣は、かつて第二次加藤内閣とも言われていましたが、最近では第二次内閣ではなく「連立崩壊による内閣改造」とされているようです)。

 小沢民主党は加藤憲政会のように「試験」に合格して、政権担当能力がある政党とみなされるでしょうか、それとも、試験に落ちて、自民党政権の延命に手を貸すでしょうか。それは、遠からず行われる総選挙とその結果組織される内閣の実績で明らかになります。

自民党からみた考察は、またの機会に

26キラーカーン:2009/05/11(月) 21:22:25
ちなみに、宮崎県は鉄道、道路網が貧弱なため、対福岡であっても、長距離交通を航空に頼らざるを得ない事情があることから宮崎空港は「最強の地方空港」ともいわれています。このことが、東国原知事がなんと言われようと道路整備に熱心な理由ともなっています。

というわけで、どの道、神戸空港が関空の完全代替空港となりえない以上、神戸空港は関空は共存せざるを得なくなります。このことを前提として神戸空港が生き残る方法を考えれば、豪州のジェットスターに代表されるような近距離国際線{中国、東南アジア、豪州のLCC(低価格航空会社)}専用空港(場合によっては、国内線のLCC(スカイマーク、スターフライヤーなども含めて)として「空港は不便だが、安い航空便(国内線、国際線双方)に乗れる」空港として独自性を発揮するしかないでしょう。

伊丹空港については、近くの伊丹市に陸上自衛隊の中部方面総監部という北陸、東海、近畿、中国、四国の各地方を管轄下に置く司令部(と近畿地方を管轄におく第3師団の司令部)があることから、阪神大震災級の災害が発生した際に陸上自衛隊(大阪府庁)による臨時の災害指揮所、物流拠点(航空機、ヘリで各地に連絡が可能であり、3000mの滑走路もあるので軍用機の運用も可能です)。

場合によっては、各国からの救援物資を空輸によって直接受け入れることが可能で、そこから、自衛隊によって、空路、ヘリによって被災地に迅速に配達することもできます。さらにいえば、関東大震災級の災害が首都圏を襲ったときに、立川の防災基地も機能しなくなるという場合の「バックアップ」としても機能させることができます。

したがって、伊丹を「廃港」にし、かつ、空港機能はそのままにしても十分存在意義はあります。それではあんまりということであれば、八尾空港にある自衛隊の航空部隊を移転させ、平時から運用することによって「遊休地」化を避ければよいでしょう。

27キラーカーン:2009/05/11(月) 21:22:40
空港アクセスについていえば、最近の「エコ」の流れから行って、道路ではなく、鉄道整備をメインにすべきでしょう。和歌山方面からのJR、南海の乗り入れは過去に実績があり(紀勢本線の電化に伴い廃止)、和歌山市−和歌山駅間の電化をすれば、南海電車の紀勢本線乗り入れは可能です。現状でも、ディーゼルカーを使えば相互直通は可能です。

問題は、和歌山以南の紀勢本線の線形改良です。現在は、「くろしお」、「スーパーくろしお」というような急カーブが多い紀勢本線に対応した振り子電車が走っていますが、現状の線路ではこれ以上のスピードアップは困難です。ということで、カーブの多い区間については、特急専用の線路(自動車道路で言う「高速道路」あるい「バイパス線」)を作って、その区間だけは湖西線のように在来線でも160〜200kmで走行できるようにすれば、所要時間を劇的に短縮できます。特急専用であれば、単線ですみます。

理論上、この「バイパス線」を特急が15分未満で走り抜けられるのであれば(現状の在来線の最高速度で約30km、160km/h運転であれば40km未満)、上下あわせて30分に1本の特急列車を走らせることができます。単線ですむのであれば、建設費は抑えられます。また、土地単価の比較的高い市街地を買収しなくても済みます。これなら、高速道路を一から全線を整備しなくても一部の整備で済みます。

大阪市内側で言えば、資金的な問題を度外視すれば、なにわ筋線ではなく、なんばパークス辺りから南海本線の地下別線を作って、近鉄の大阪難波駅の真下に「別線なんば駅」を作って、近鉄・阪神⇔南海の乗換えを便利にする乗り換え動線を設定し、なんば以北は「第2御堂筋線」として北上して、梅田を経由して、そこから地上に出て新大阪駅に接続するということになるでしょう。

阪急と南海は線路の幅を除いてはそれほどの差はありませんので、梅田−新大阪間は、4(3)線方式によって十三から阪急の新大阪連絡線に乗り入れるという方法もありえます。なお、現在開発中の車輪の幅を変えられる「フリーゲージトレイン」が実用化されれば、文句なく直通できます。さらに「妄想」モードでいえば、新大阪から、神戸方にある引き上げ線を延長して東海道新幹線を関空まで延長するということも考えられます(博多−博多南駅方式)。

こうすれば、東京⇔新大阪間の新幹線を関空まで延長させて、米原当たりまでの旅客を奪うことは可能ですし、山陽新幹線からも乗り入れさせれば、岡山あたりまでカバーすることも可能になります(現状の配線でもそれは十分可能)。

事実上可能性はないですが、そこから、紀州新幹線、紀淡海峡を通っての四国新幹線という足がかりにもなります。(鳴門大橋は構造上、強度上新幹線用の線路を敷設することができるようになっています。瀬戸大橋も同様)

深夜に新幹線貨物列車を「ドクターイエロー」と併結すれば、関空−東京間が3時間以内で結ぶことが可能(また、新大阪駅で方向転換になりますが、神戸、博多方面からの直通も可能)となりますので、深夜に運行できない成田や羽田の間隙を縫って対東京の空輸便も扱うことが可能です。

もはや、交通インフラ(特に骨幹インフラ)は一企業でまかなえるものではありません。インフラ整備は公共負担で、運用費だけは運営会社に任せるという「上下分離」という方法に向かわざるを得ないでしょう。もちろん、建設費も償還できればそれに越したことはありませんが、それを求めるのは酷でしょう。

そのため、欧州各国の鉄道では国鉄や市営(公営)というものが多く、日本のように私鉄が発達しているところはありません(顕著な例外はスイス)。鉄道整備を民間資本に頼った米国では鉄道は斜陽産業(米国の鉄道輸送は、旅客ではなく貨物輸送のほうが主体)になっています。このため、長距離旅客鉄道部門は各私鉄から切り離され「アムトラック」という別企業体を作って運営(線路は基本的に各鉄道会社のものを使用:JR貨物方式)しています。

28キラーカーン:2009/05/13(水) 22:45:54
というわけで、南海がメリットのある形で、梅田まで延長させるにはハードルがあまりにも高いので、関空アクセス鉄道としての、なにわ筋線(を含めたJR在来線及び南海の新線整備)は必要ないというのが現在の私の見解です。南海汐見橋駅(とJRなんば駅)が都心ターミナル駅としての使命を終えている現在、南海が難波駅を見捨てて、「ラピート」をなにわ筋線に振り替えるメリットはありません。

つまり、阪急からの旅客を取り込むくらいのことをしなければ南海にとってメリットはない。そして、このような多大な投資をするのであれば、「乗換抵抗」(後述)を局限して、路線延長効果を最大限に教授できる態勢を構築しない限り南海はメリットを感じることはないでしょう。

究極的には直通で、この場合、南海の「片乗り入れ」で済みます。つまり、阪急はなにわ筋線に乗り入れる必要はない。さらにいえば、JRはなにわ筋線に「はるか」と関空快速を振り分けなければならないほど現在の路線が混雑しているわけではない。おおさか東線、JR東西線の活用も可能。

ちなみに、交通の分野では、「乗換抵抗」と言う用語がありまして、乗客の乗り換えのための負担は、時刻表上の乗り換え時間よりも長く感じる(負担に感じる)じます。
山形新幹線の場合、その「負担」分は乗車時間に換算して「30分」に相当すると言う調査結果もあります。

さらに言えば、この「乗換抵抗」があるため、航空機での所要時間が短くても、鉄道で乗換なしで3時間までの距離なら鉄道が航空機に対して優位に立てるという「鉄道3時間の法則」が成立するのです。(この場合は空港アクセスなので、厳密に言えば、この法則の守備範囲ではありませんが、「乗換がなくなる」ことの典型例です)

東京−大阪間で言えば、
航空機:所要1時間(羽田ー伊丹)
新幹線:所要2時間半(東京−新大阪)
と言うように、羽田(伊丹)までの移動(乗換)を強いられる負担は「1時間半」に相当します。

それでもというのであれば、「ラピート専用ホーム」を近鉄・阪神の難波駅の直下に新設するくらいでしょう。JRはダイヤ編成上のネックである西九条−新大阪駅の間の改良でしょう。

そのばあい、なにわ筋線は「ミニ地下鉄(=長堀鶴見緑地線:リニアモータ)」方式で建設して、建設費を安く上げ、あわせて汐見橋線もミニ地下鉄方式に変更した上で相互乗り入れし、最終的には(OTSのように)大阪地下鉄に譲渡すると言うことも視野に入れてもいいかもしれません。

29キラーカーン:2009/05/13(水) 22:46:22
関空はいわれているほど、アクセスは悪くないのも以前の投稿のとおりです。再掲しますが
関空−天王寺30分
  −なんば30分(35〜40分)
  −梅 田45分(65分)
  −新大阪60分(55分)
はノンストップであれば十分可能です(カッコ内は現状ダイヤ)。
(ちなみに、羽田−品 川20分弱)
      羽田−浜松町20分弱)

それでは、ググッた結果としての、データですが(数字はすべて「約」がつきます)

在来線単線の場合必要な空間は:幅4m、高さ5.7m
(必要であれば、「車両限界」、「建築限界」で調べてください)

建設費
在来線高速化では約22億円/km
狭軌新幹線では約47億円/km

高速道路の場合
阪和道:60億円/km
舞鶴若狭道:約65億円/km

と鉄道高速化の方が安価になる可能性は十分にあります。
また、高速道路並みの片側2車線の道路を作ろうと思えば、幅は10m(2.5m/車線)くらい必要でしょう。となれば、必要とする用地買収、トンネルの容積でも単線の方がコンパクトにできます。

道路との一体整備と言うことであれば、上下2車線の道路の中央分離帯に単線の高速新線を敷設すると言う方法もあります。これなら、鉄道側は特許で済むので、道路と一体化している部分の用地買収の経費は必要なくなります。

もう少し詳しく知りたい方は「特許線」、「免許線」で検索してください。鉄道の世界ではこの2つは明確に区別されます。前者がいわゆる路面電車の敷設・営業許可に当たるものです。ちなみに、大阪地下鉄は鉄道免許ではなく、この「特許」によって敷設されています(=大阪地下鉄は、法規上、地下を走る路面電車)。

30キラーカーン:2009/05/13(水) 22:46:35
線路の幅が同じというのは鉄道の相互直通に関するひとつの条件にしか過ぎません。例えば、線路の幅が同じ東海道新幹線と阪急電車は相互直通は不可能です。現在の鉄道において相互直通に関する主要条件は

1 車体の大きさと線路用の空間との関係
2 電化方式
3 信号(保安)方式
4 線路の幅

です。
「1」については、先日、相互乗り入れを開始した阪神と近鉄ですが、電車の大きさが異なります(阪神車:全長19m、近鉄車:全長21m)。このため、御影駅では、近鉄の車両が同駅を通過する際に同駅に「触れない」ことを確認しています

(停車させる場合には、ホームと電車との間が開きすぎて危険な状態となるため、事実上、近鉄車が御影駅に停車することは不可能なため、近鉄に乗り入れる快速急行は御影駅を通過します)。

「2」については、阪急をはじめとする関西大手私鉄及びJR在来線は直流1500v、東海道新幹線は交流25000v(60Hz)ということで、新幹線の線路上では、阪急電車のモーターは動きません。その逆も然りです

「3」については、JR福知山線の尼崎駅付近での事故で有名になった「新型ATS」というものがありますが(正式には「ATS−P」といいます)、この方式に対応していない電車は新型ATSの区間には乗り入れできません。

これらの理由から、単に線路の幅が同じというだけでは車両の相互直通は無理で、「相互直通専用の電車」を決めています(他には、地下線を走る場合には、電車の前面に「避難用の扉」をつけること、実際上の理由としては、他の電車の足手まといにならない程度の性能を持つこと等々があります)。

つまり、
・ 上記「1」「2」、「3」が異なり「4」だけが同じ場合
・ 上記「1」「2」、「3」が同じで「4」だけが異なる場合
では後者のほうが相互直通はしやすいということもあります。

もちろん、現実には保線の問題、相互乗り入れ区間をどこまでにするか等々もからむので、そう簡単ではありませんが、阪急と南海では条件は後者の方に近い(ここは推測、ただし「2」は同じです)。つまり、乗り入れ区間が短距離であれば、4(3)線方式の方が簡単で経済的ということがあります。そして、そういう区間は日本を含め外国にも存在します。

数年待てば、フリーゲージトレイン(線路の幅を変えられる電車)が実用化される(現在鉄道総研で開発中)でしょうから、それまで待てば、線路の幅という問題は小さくなります。

そこまでして、南海が難波・梅田以北に乗り入れるメリットがあるかといえば、私は懐疑的ですので、結論は、冒頭のように、南海が難波以北に延長する利益はないということになります。

31キラーカーン:2009/06/18(木) 22:57:26
分量上端折りますが、Rosy America さんの

>24時間航空機を受け入れる空港を少なくとも一箇所は必要である。
>需要が限られた関西に理想の空港を押し付けたのが全ての間違いだが、
>関東に24時間空港がない以上日本として関空をしっかり維持管理しなければならない。 
>国際線と国内線を分離した行政の誤りを正すためにも、
>利用者の利便性改善のためにも、伊丹を廃し関空に集約すべきである。
>一部は新幹線に流れるだろうが、結果的に関空の収支改善になる

に基本的に賛成です。
色々言っても、日本の現役空港で一番の「理想の空港」は関空というのが悲しい現実です。

・24時間運営可能
・3500メートル以上の滑走路が複数あり、同時使用が可能
・都心(ミナミ、天王寺)まで約30分
・国際線と国内線の乗り継ぎが同一の空港で可能
(ちなみに神戸空港とは船で30分と「意外に近い」)

というところだけ見れば、これだけのスペックを誇る関空のどこが不満かと。今の日本で望み得る、まさに「理想の空港」といっても過言ではありません。

32キラーカーン:2009/06/18(木) 22:58:14
航空交通の最適化ということであれば、伊丹を廃止して、関空に集約するのが最適解でしょう。極論すれば、伊丹の代替は新大阪駅と新神戸駅(と京都駅)で可能です。「のぞみ」東京−大阪間が2時間30は普通になりましたから、もはや、伊丹でも勝負になりません。しかし、需要が大きすぎるために、飛行機でも生き残っているという状況でしょう。ただし、関空の潜在能力を生かすには、現状の施策では不十分です。

 航空貨物ということからすれば、現在、東京−大阪間を貨物列車が最短6時間15分程度で結んでいます。(ちなみに、これは、東京−大阪間の在来線最速記録です。)このことからすれば、東京−関空間は7時間程度で結ぶことが可能です。これであれば、関空の深夜発着枠を利用することにより、成田空港の運用停止時間(午後11時〜午前6時)の間隙を縫って東京都心部から西側の航空貨物についての「ハブ」となることもできます。

 旅客輸送については、韓国の仁川が直接のライバルとなります。日本国内、あるいは韓国、台湾、中華人民共和国の沿岸地方の地方都市からの乗り継ぎ客を集める方策を考える必要があります。香港やシンガポールでは深夜発着便(午後11時〜午前1時)という便も結構ありますので、関空でもそのような時間帯での乗り継ぎ便を設定できるようにする必要があるでしょう。

このような施策を行うためには、着陸料の大幅な低減、関空発成田経由の国際線の設定というような大胆な方策が必要になると思います。

伊丹については、「もしも」の際に空港として復活させたければ、そのまま残すもよし、八尾の自衛隊を持ってくるもよし、跡地を何かに開発するもよし、色々あるでしょう(ただし、騒音問題が華やかなりし頃からすれば、飛行機の騒音は格段に減っていますので、そういう「技術進歩」(=騒音が「受忍限度内」になってきたこと)が、伊丹存続論の後押しになっているとも考えられます

33キラーカーン:2009/06/18(木) 22:58:45
 ここからはアクセス(鉄道)編です。阪急電車は、十三−新大阪間の免許は持っていますので、その間の線路を敷設しようと思えば(収支の見通しなどがつけば)今でも可能です。昔は、
・十三−新大阪−淡路間
・曽根−神崎川
等々という免許も持っていましたが、ほとんど放棄してしまい、阪急が今でも保有しているのは十三−新大阪間だけだといわれています。
 新大阪駅にも阪急の駅を建設する準備はできていまして、具体的にいえば、新幹線の26番線の北側に「阪急新大阪駅」が建設される予定です。本来は、2面4線(阪急曽根駅や庄内駅のような感じ)の予定ですが、JRが26番線の北側にもホームを増設したいとのことで、一部阪急新大阪駅用の空間を流用する可能性があるといわれています。
(26番線の外側にもう1本(ホームのない通過用の)新幹線用線路を敷設するスペースはあります。その逆側にも同じスペースがあったのですが、それは現在20番線となっています)

 関空アクセスに関していえば、現状の線路状況でも、停車駅を見直せば、なんば・天王寺までは30分は楽に達成できます。問題は、梅田方面で、現状の線路状況で最大限の降下を得ようとすれば、「スーパーはくと」用のディーゼル車を購入して、

・最高速度を120km→130km
・振り子機能によってカーブの通過速度を上げる

ことによって、阪和線、大阪環状線、梅田貨物線、南海線を「ノンストップ」で爆走させるということになるかと思います。ここまですれば、関空−JR北梅田新駅(ちなみにJRにも「梅田」駅は存在し、現在は貨物専用駅)間は40分くらいにはなるでしょう。

 なぜ、「くろしお」(含「オーシャンアロー」)用の振り子電車を使わないかといえば、電車の場合、振り子電車に対応するために架線の張り方を変える必要がある(そのような対策が必要のない電車(例:JR九州の883系)もありますので、そういう電車を使う方法もあります)のですが、ディーゼル車ではその必要がなく「線路があれば」走ることができるということもありますが、「スーパーはくと」用のディーゼル車の維持整備は智頭鉄道ではなくJR西日本が行っていますので、運用上も問題ないと考えられるからです。

34キラーカーン:2009/06/18(木) 22:59:57
 とはいっても、そういう「関空特急」優先ダイヤを組むことは、快速や普通の電車の本数を削減することにもつながります(F1でいう「クリアラップ」を作る必要がある)ので、アーバンネットワークでは難しそうです。とすれば、新大阪駅の新神戸駅側にある留置線を延長して、十三あたりから阪急の直上高架で淀川を渡り、その後、地下にもぐり、西九条近辺で大阪環状線の直上高架に出てそのまま関空に直結する「関空アクセス新幹線」を作るという方法はあります。

 これなら、新大阪(北梅田新駅)−関空間は30分以内で結ぶことも可能です。また、現状の配線でも京都方面、新神戸方面から直通することが可能です(新神戸方面からは新大阪で進行方向が逆向きになります)。さらに、「貨物新幹線」を設定すれば上述のように、関東(少なくとも、神奈川、静岡)向けの航空貨物であっても、24時間空港の利点を生かして関空扱いにしても勝負することも可能です。
 また、関空から神戸空港では、現状でも高速船で30分というアクセスなので、わざわざ、陸地を迂回するよりは格段に近いです。

和歌山方面のアクセスですが、
それでは、ググッた結果としての、データですが(数字はすべて「約」がつきます)

在来線単線の場合必要な空間は:幅4m、高さ5.7m
(必要であれば、「車両限界」、「建築限界」で調べてください)

建設費
鉄道の場合
在来線高速化(複線)では約22億円/km
狭軌新幹線(複線)では約47億円/km
フル規格新幹線(複線)では約60億円/km

高速道路の場合
阪和道:60億円/km
舞鶴若狭道:約65億円/km

と鉄道高速化の方が安価になる可能性は十分にあります。
特に狭軌新幹線(いわゆる「スーパー特急」)であれば、200km/h以上で走ることは充分可能です(ミニ新幹線用車両では、新幹線区間を240km/hで走行しています。

また、高速道路並みの片側2車線の道路を作ろうと思えば、幅は10m(2.5m/車線)くらい必要でしょう。となれば、必要とする用地買収、トンネルの容積でも単線の方がコンパクトにできます。

道路との一体整備と言うことであれば、上下2車線の道路の中央分離帯に単線の高速新線を敷設すると言う方法もあります。これなら、鉄道側は特許で済むので、道路と一体化している部分の用地買収の経費は必要なくなり、鉄道敷設費は格段に低くなります。

ということで、温暖化対策などの観点から、鉄道をメインに整備した方が安上がりの可能性もかなりあります。ちなみに、在来線の表定速度では100 km/hが最速ですが、新幹線のこだまでは150 km/hくらいは出ますから、控えめにみて120 km/h 位としても、現在のくろしおが75〜80 km/hですので、鉄道高速化によって、所要時間が2/3くらいになる可能性はあります。

35キラーカーン:2009/06/24(水) 21:45:40
床屋政談(民主党のブーメラン)

「天才軍師キラーカン」とも「ピンチをチャンスに変える男」とも言われる民主党の菅代表代行ですか、氏のブログで

>日本の国家公務員法にもその102条に公務員の「政治行為の制限」が規定されている。
>イギリスの上級公務員は「国政レベルで議論になっている問題について公の場で発言し
>たりマスコミに意見を発表すること」が規則で禁止されている。しかし日本では禁止さ
>れているかどうか必ずしもはっきりしない。ここに問題がある。

と書いていますが、ここまでくると・・・です。

例えば、例の田母神氏の「論文」問題でも、論文作成・提出は「政治的活動ではない」というのが一応の政府統一見解になっているようです。つまり、田母神氏の「規則違反」は論文の部外提出時の報告義務を怠ったということだけのようです。
http://www.mod.go.jp/j/sankou/touben/170kai/syu/tou210.html
ということで、田母神氏が退官に追い込まれたのは、上司である防衛大臣が「こんな部下とは仕事ができない」と「左遷」したところ、「たまたま」定年になったというところです。

また、日本国憲法上も職業を問わず、日本国民には思想、信条の自由が保障されているというのが大前提で、職業に応じて制限がかかるということになります
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000626.html
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000627.html
それは、田母神氏でも同じで、田母神氏はその前提で議論をしていましたが、「武人という認識に欠ける」といった批判を受けることもありました。

で、また、民主党は、民主党の方針に従わない高級官僚にはやめてもらうということも言っていますが、そういうことをすれば、現行法制上「解雇権の乱用」にもなりかねません(田母神氏の件でも懲戒免職にはできませんでした)。

 戦前には、そういう官僚を「休職」にして、与党が変われば、現職に復帰する(と入れ替わりに、それまで現職だった人が休職になる)ということもありました。現在では、そういう理由で休職にできるかどうかも疑問です。

ちなみに、日本憲政市場最初の政党内閣といわれている第一次大隈内閣(俗に「隈板内閣」とも言われます)ですが、当時、任用資格のなかった勅任官(現在の局長級以上)に国会議員など政党の息がかかった人物を「報酬」として任命したため、次の山県内閣で文官任用令が改正されて、そのような政治人用ができる職が極端に少なくなりました(ちなみにこの文官任用令の改正で軍部大臣現役武官制が確立しました)。

このような体たらくであれば、民主党政権になっても、加藤高明内閣のように政権担当能力を認められるのではなく、第一次及び第二次大隈内閣のように「失格の烙印」を押される可能性が高くなるでしょう。

民主党の支持母体である官公労は、逆に、このような政治的行為を行なうべきだと主張しているのですが・・・

36キラーカーン:2009/06/26(金) 23:21:21
床屋政談(「ピン芸人」と首長との意外な共通点と議院内閣制)

 東国原宮崎県知事の「衆議院選に立候補するなら自分を自民党総裁候補に」という発言が話題になっていますが、この発言が計算されたものなら、氏は政治体制の何たるか、具体的にいえば、「大統領制」と「議院内閣制」との差とは何かについて、一般国民にも分かりやすい形で提示してくれました。
 大統領制と議院内閣制について簡単に説明すれば

大統領制:国家元首であり政府の長(大統領)を住民の直接選挙で選出する。議会は原則として大統領に対する不信任・解任ができない。

議院内閣制:政府の長(首相)を国会(二院制の場合、一般的には下院・衆議院)が選出する(国民から見れば間接選挙)。議会(下院・衆議院)は首相に対する不信任(首相の辞職か議会(下院・衆議院)の解散の二者択一を迫ること)ができる。その一方、首相は議会(下院・衆議院)の解散権を持つ。また、大統領制とは異なり、国家元首は別に存在する。

ということになります。この場合、名称が「大統領」、「首相」ということにはこだわりません。政府の長がどのように選出されるのかということにのみ着目したものです。

 独国をはじめ欧州には、首相とは別に「象徴元首」としての「大統領」が存在する国もありますが、そのような国は大統領制ではなく、一般的に議院内閣制の国として扱われます。また、台湾の国家元首は「総統」といいますが、この場合は同じ「総統」でも、ナチスドイツとは異なり、大統領制として扱われます(英語で台湾の総統は「president」つまり大統領)。

 実は、この中間に実権を持った国民の直接投票によって選出される大統領と議会の信任に基づく首相の両者が並立する「半大統領制」という政治形態(フランス他)という体制がありますが、専門家でも定義や分類の幅が大きくなりますので、本稿では割愛します。専門家でもなければ、半大統領制はフランス独自の体制(とせいぜい「ワイマールドイツ」)と理解していても事実上問題はないでしょう。

 海外には、議院内閣制と大統領制が機能不全に陥ったときの緊急措置としてこの制度を利用できないかと考えている専門家もいますので、日本の「政治改革」に興味がある人はこの制度を勉強しても面白いかと思います。それでも、日本に半大統領制(或いは「大統領制」)、或いはそれらの変形としての「首相公選制」を導入する場合、「大統領制」と「立憲君主制」が両立するのかという問題は依然として未解決のままです。

37キラーカーン:2009/06/26(金) 23:21:52
実は、この「大統領制」と「立憲君主制」との相克を理解する絶好の機会がこの総選挙で現出します。それは、幸福の科学、つまり、「幸福実現党」の選挙公約である憲法改正案に見ることができます。その案では

第三条
行政は、国民投票による大統領制により執行される。大統領の選出及び任期は、法律によってこれを定める。
第四条
大統領は国家の元首であり、国家防衛の最高責任者でもある。大統領は大臣を任免できる。
第十四条
天皇制その他の文化的伝統は尊重する。しかし、その権能、及び内容は、行政、立法、司法の三権の独立をそこなわない範囲で、法律でこれを定める。

 この案を見れば分かるとおり、幸福実現党は日本を共和国にして大統領制を敷いて、天皇制を廃止することとしています。もちろん、政治学的にいえば、この発想は「王道」を行くものです。天に二日がないのと同様に、異なる正統性を持つ国家元首が複数存在することはありえません(アンドラのような特殊な例外はありますが)。
 首相公選論において「そういう論点を提示する人もいる」と述べるにとどまり、正面から論じることを避けていた「天皇」と国民の直接投票によって選出される「大統領(公選首相)」とどちらが国家元首にふさわしいかというまさに「国体」に関する論点が突如として持ち上がったわけです。

 わが国の場合、国政は議院内閣制を採用しているのはご存知のとおりですが、地方自治体の知事や市町村長(合わせて「首長」ともいいます)は大統領制の地方版といってもよい制度となっています(ただし、議会の議決に対する首長の拒否権や議会による首長の不信任など、純粋な大統領制よりは首長と議会との関係が密接な場合があります。)

 このことは、行政の執行形態においても、国と地方とでの違いをもたらします。つまり、
・ 国では行政は各大臣の合議(全会一致)で推進
・ 地方自治体では知事の主導権で推進
という傾向になり、言い換えれば
・ 首相:ひな壇芸人などを「いじる」司会者(MC)
・ 知事:ピン芸人
・ 大臣:ひな壇芸人(自分のコーナーを短時間でも持っている場合もあり)
・ 議員:視聴者参加者、或いは、スタジオの観客
というイメージになろうかと思います。

 ということであれば、知事(特に「タレント知事」)が国政に進出して「埋没」するといわれるのは、「ピン芸人→ひな壇芸人」になるからということで説明がつきます。これまで、小なりとはいえ、「ピン芸人」としてそこそこやってきた人(=周りの注目を一身に浴びてきた人)がひな壇芸人(その他大勢のうちの一人)としての才能があるとは限りません。国政でも「ピン芸人」としての役割を保障するための「言い値」として

自分を首相候補にしてくれ

というのは、「タレント知事」であるからこそ言えたものだったのかもしれません。
 地方の「ピン芸人(タレント知事)」としてそこそこ人気もある人が、いまさら「ひな壇芸人(陣笠議員)」として今以上の人気が出るかどうか計算が立たない。地方と同じように、ピン芸人で自分の裁量がある程度あるのなら何とかなるかもしれない。また、地方の人気タレントの看板を背負って「東京進出」をするのだから自分を安く売ることもできない。地元を見捨てて東京になびくのかという「ファンの声」もある。これらの事情という「連立方程式」の解が上述の「自分を首相候補にしてくれ」という言葉だったのでしょう。

38キラーカーン:2009/06/26(金) 23:22:33
例えば、東国原知事の要求は

「ミヤネ屋」という読売・日テレ系の番組がありますが、その司会者である宮根氏をレギュラーコメンテーター(=陣笠議員)という形で東京進出させずに、「ミヤネ屋」をそのまま東京でも放映させろ(番組の司会者=首相・党首としろ)

というものに近いといえます。言い換えれば関西で絶大な人気を誇る司会者を東京で「レギュラーコメンテーター」として扱っては、宮根氏の長所を消してしまうという懸念がある。できれば、そのまま司会者(MC)として東京進出させる方が氏の個性が生きるという判断と相似形ではないかと思う次第です。

 官僚出身や国会議員、地方議員出身の知事であれば、或いは「輪を以って尊しとなす」という立ち居振る舞いを身につけている人は、自然と「ひな壇芸人」としての立ち居振る舞いも身につけていますから、こんな発想は出てきません。

言い換えれば、「議院内閣制の常識」にどっぷり浸かった人には全く思い浮かばない発想でしょう。これも、注目・責任を一心に浴びるという「首長(大統領制)」と「ピン芸人(タレント)」との相似性が思いもよらない化学反応をしたということだと思います。これを、「政治家(知事)」として計算した発言であれば、東国原知事の嗅覚・感覚は恐ろしいものがあります。

39キラーカーン:2009/06/26(金) 23:22:52
東国原知事の発言を受けて、「知事の任期も全うしていない」のに何を言うかという自民党側の反論がありましたので、いわゆる先進6カ国(G7、或いはG8から加、露を除いたもの)で、国政に進出してから大統領又は首相になるまでどれくらいの期間を要したかということを、とりあえず、「ウィキペディア」(日本語版→英語版→独語版→仏語版の順)で調べてみました。厳密性にかけるとは思いますが、一般的な傾向を探るには十分だと思います。

 これらのこと(後述)から言えることは、「政権交代可能な二大政党制」という細川政権からの「政治改革」の集大成の時期であれば、自民党議員の「経験年数が足らない」、「1期目途中で」という批判は当たらない可能性はあります。「CHAGE」をスローガンとしたオバマ大統領は上院議員1期目での大統領就任という今の東国原知事と同じ立場であり、劇的な政治構造解改革を体験したイタリアも、非議員内閣という議院内閣制では「禁じ手」を使ったことも考えれば、このような東国原知事や橋下知事のような「ピン芸人」知事という選択肢はもっと真剣に考えてもよいのではないでしょうか。
 といっても、東国原知事の「実績」が分からないままで、その「可能性」に賭けるというのはあまりにもリスクが高すぎます。道路建設については、宮崎の交通インフラの脆弱性は一応知っていますので、東国原知事が高速道路建設に熱心なのは理解できるのですが、それだけです(個人的には、高速道路よりも、九州新幹線の鹿児島−宮崎(空港)延伸とか、宮崎名産で高千穂鉄道の復活とかという方が好みですが)。

40キラーカーン:2009/06/26(金) 23:23:24
1 日本
 橋本総理以降7名の総理を輩出していますが、初当選以降おおむね30年以上の経験年数を要しています。政治家としての経験年数(≒当選回数)が短い(少ない)といわれた 福田前総理(17年)、安倍元総理(13年)でも他の先進諸国と比べて極端に短いというわけではありません。

2 米国
 戦後の大統領では、中央政界(州知事、連邦議員)デビュー(就任)後、10年未満で大統領まで駆け上がったのが、オバマ、ブッシュJr、カーター、アイゼンハワーと4人います。しかも、アイゼンハワーは政治家経験なし、オバマは上院議員1期目途中という東国原知事と同じ立場での大統領当選です。
 この一方、ブッシュ(父)、フォード、ニクソン、ジョンソンは中央政界デビュー後20年以上の経験を経て大統領に就任しています。最長がジョンソンの26年で麻生総理の29年よりも短い。

3 英国
 戦後の首相で下院初当選後20年未満で総理まで駆け上がったのは3名。メージャーの下院議員当選後11年を最短に、ブレア15年、ウィルソン18年。
 一方、ヒューム32年(上院議員)、マクミラン33年、イーデン32年、チャーチル40年、キャラハン30年と1970年代くらいまでの総理(特に保守党)は、30年以上の国会議員が必要で、最近は上述のように短縮傾向でしたが、ブラウン首相が(ブレアに党首の座を譲ったこともあり)下院初当選後28年目の就任とまた長期化の兆しを見せているが、保守党のキャメロン党首が2001年初当選と、メージャーの最短記録を更新する可能性があり、全体として短縮傾向にあるかもしれない。

41キラーカーン:2009/06/26(金) 23:24:16
4 独国
 敗戦による断絶があるため、エアハルト、ブラント、キージンガーの3人はそろって1946年からの政治家生活のスタート(これは伊国にも該当する)のため、データとしてはやや例外として扱った方がいいかもしれない。しかし、経験年数は連邦議会当選後おおよそ15〜20年の範囲に揃っています。アデナウアーだけが、戦前からの政治家経験を持っており、市長就任後31年目での首相(初代西独首相のため、連邦議会議員経験はなし)となっています。アデナウアーがある程度の長期政権となったため、敗戦直後に政治家デビューした人々が相応の経験を積んで連邦首相になることが可能となったため、伊国ほど、短い経験年数で連邦首相に就任することはありませんでした。
 例外は、コール首相で、党首になってから連邦議会議員となっています。もっとも、その前に党の地方代表、州首相など地方政治家経験が豊富で、市議会議員から23年で首相まで上り詰めています。
 これは、連邦制で地方での政治経験も重要視されるというドイツの政治風土のためかもしれません(東独出身のメルケル現首相を除いて、歴代首相は州首相、州大臣、市長のいずれかの職を経験しています)。

5 仏国
 ド・ゴールを除く第5共和制の大統領にサンプルを絞ったため、サンプル数が少なく、傾向がつかみにくい。強いて傾向らしきものを言えば、

保守本流=20年弱
(ジスカールデスタン:18年
 サルコジ:19年
 ポンピドゥー11年(議員経験はなく、銀行頭取→大臣→大統領))、
保守傍流=25年前後(シラク:28年)
革新陣営=30年以上(ミッテラン:35年)

となるかもしれません。
 しかし、ミッテランの35年というのは、革新陣営(社会党)で、かつ、第4共和制からも活躍していた政治家という合わせ技と思われます。

6 伊国
 まず、敗戦による断絶のため、戦後の政治家のスタートは1946年の憲法評議会議員になります。これは、敗戦直後の西独と同様ですが、西独のアデナウアーに対応する存在がいないため、戦後直後は必然的に政治家経験年数が少なくなります。このため、1950年代までの首相就任者は政治家経験10年未満で首相についています。
 キリスト教民主党(DC)の永久与党第1党体制による政権たらいまわし状態と(欧州最強とも言われた)永久野党のイタリア共産党との対立構造という意味では日本の自民党の1党優位体制と一番似ている国かもしれません。1990年代になって、共産主義の崩壊と汚職事件によって、従来の政治構造が崩壊し、政党構造も大幅に変革されています。
 1990年代以前では、上述のように、敗戦後の時間経過につれ、経験年数も上昇し、1960年代での首相初任経験年数は15年を超え、おおむね20年前後になってきました(また、伊国では首相に返り咲く人が多いため、再任を含めた平均経験年数はより長くなります)。ただし、DC以外の首相(スパドリニ、クラクシ)は10年未満の経験年数で首相に就任しています。イタリアのDCでは日本のような「年功序列たらい回し」的な要素が大きいようです。
 しかし、1990年以降、この状況が一変します。冷戦の崩壊によるイタリア共産党の崩壊、汚職事件によるDCをはじめとする連立与党の崩壊によって、自民党の派閥連合政権にも似た伊国の政権構造が崩壊したのです。非議員の首相2人(ディーニ、チャンピ)を挟んで、左右の(緩やかな)2大政党制移行した後は、国会議員の経験年数はダレーマ首相の11年が最長で、ベルルスコーニ首相に至っては、自身が設立した政党(連合)から出馬して初当選で首相に就任しています(プローディ首相は地方政界で30年以上の経験があるので、他の国会議員経験0の首相(ディーニ、チャンピ、ベルルスコーニ)と一緒にしては酷かもしれません)。

42キラーカーン:2009/06/26(金) 23:28:25
日本 麻生 29
福田 17
安倍 13
小泉 29
森 31 29
小渕 35 29
橋本 33 32

米国 オバマ 5 13
ブッシュJr 7
クリントン 15
ブッシュ 23
レーガン 14
カーター 8
フォード 25
ニクソン 23
ジョンソン 26
ケネディ 15
アイゼンハワー 0
トルーマン 11
ルーズベルト 13

英国 ブラウン 28
ブレア 15 12
メージャー 11
サッチャー 20 16
キャラハン 30 30
ウィルソン 19 18
ヒース 20 15
ヒューム 32
マクミラン 33
イーデン 32
チャーチル 40
アトリー 23

独国 メルケル 15
シュレーダー 18
コール 6 -3
シュミット 21
ブラント 20 12
キージンガー 17
エアハルト 14 18
アデナウアー 31 32

仏国 サルコジ 19 24
シラク 28 9
ミッテラン 35 19
ジスカールデスタン 18
ポンピドゥー 非議員 11

伊国 ベルルスコーニ 0 0
プローディ 0 33
アマート 9
ダレーマ 11
ディーニ 非議員
チャンピ 非議員
アンドレオッティ 26
デ・ミータ 25
ゴリア 11
ファンファーニ 8
クラクシ 7*
スパドリニ 5
フォルラニ 22
コシガ 21
モロ 17
ルモル 22
コロンボ 24
レオーネ 17
タンブローニ 14

43キラーカーン:2009/06/27(土) 02:05:44
「タレント知事」として話題になっている橋下大阪府知事、東国原宮崎県知事の双方とも、一種の「非常事態宣言」をして、その非常事態からの脱却を公約に当選をはたしました。
東国原:どげんかせんといかん
橋 下:府職員は倒産会社の社員
というように。

 したがって、この「非常時」を乗り切るために、思い切った施策を打つことも許される立場ではありますが、そういう施策を打つ事態というのは一種の「戦時体制」ですので、いつかは「普通の体制」に戻る時期が来ます。

 つまり、知事が熱心に仕事すればするほど、その仕事のスタイルを放棄する時期が早く到来するということになります。また、「戦時体制」は短ければ短いほど民政に与える影響は小さくてすみます。

 これらのことを勘案すると、橋下、東国原両知事の「現在」のスタイルが通用するのは1基年が限度というのが「相場」だと思います。先の大戦も結局、4年足らずであったというのが「感覚的」な根拠です。つまり、2期目からは、通常の体制、最低でも期限(2期目には終わること)を明示した「出口戦略」を語るを語る必要があります。そうでなければ、県民、府民の「耐乏感」も限界に来ます。

 ということで、2期目には「普通の知事」に戻るか、1期で目処をつけて退任するかという戦略しか残されていないと思います。それができなければ、1期目の余韻で再選はできる(現職知事はよほどのことがない限り、再選時には負けない)が、2期目の途中で「レイムダック」になるか、辞職に追い込まれるかを迫られ、「まとも」な形では2期目の任期を満了できなくなるでしょう。

 その意味では、1期目の途中で転進するのは、案外「賢明」な戦略なのかもしれません。

44キラーカーン:2009/07/07(火) 22:49:50
床屋政談(天皇陛下の外遊と君主大権と立憲君主制)

 現在、両陛下のカナダへの行幸啓に加えて麻生首相もサミット出席のためイタリアへ出発と天皇陛下と総理大臣双方とも国内にはいないという一種の「権力の空白」状態が発生しています。
 解散があってもなくても、9月までには衆議院選挙がある情勢です。解散時期について

天皇陛下の国外への行幸中は解散が行われない
天皇陛下の国外への行幸中に解散を行えば批判を浴びる

という新聞記事がありましたが、日本国憲法の「正統的」な理解(特にマスコミの主流であるリベラル的見解)では、この記事は「的を外している」(理由は後述)といわざるを得ません。もちろん、麻生総理は、「(皇太子殿下が天皇陛下の代理として国事行為を行うため)法的には問題はない」という見解を表明しています。

 天皇陛下の国事行為は日本国憲法第6条と第7条で規定されているのはご存知のとおりですが、その中に「衆議院の解散を行うこと」というものがあります。つまり、衆議院の解散には御名御璽が必要ということになります。一方、天皇陛下(又は摂政を含めた国事行為の代理者)の行う国事行為というものは

内閣の助言と承認によって行い、国政に関する権能を有しない

というものです。つまり、実質的決定権は内閣にあり、天皇陛下はその内閣の決定に対する拒否権を有しない(天皇が「政治的」に動く余地はない)というが「国事行為」であって、そこが、君主が「政治的に」動く余地が残されている(殆ど「ゼロ」ですが、決して「ゼロ」ではない)「君主大権」との本質的な差異とされています。

 つまり、国政に関与する権能が「ない」ということを以って、日本の憲法学者は天皇の立憲君主性を否定しているのです(言い換えれば、立憲君主とは国政に関する権能が「ある」ということです)。さらにいえば、「天皇が行う」行為に特別な意味(特に政治的な意味)を持たせないようにしてきたというのが、戦後のリベラル派の主流であったはずです。多くの憲法の解説書にもこうあります「天皇は象徴に過ぎない」と。

 ならば、国事行為の代行者が国内にいる以上、内閣の天皇に対する助言と承認機能が維持されている限り、その認証行為(国事行為)は誰であっても問題ないという結論に至るのがリベラル派の本流であるはず。私がリベラル派なら、

 天皇陛下ご本人でなければ解散の認証はできないというのは「天皇の神聖化、地位の強化」につながる、控えめに見ても、「天皇本人」が国事行為を行わなければならない「大事」な国事行為があるというような日本国憲法の運用には反対する。

というような論立てをします。国事行為には政治的な権能がないのならば、国事行為について、天皇陛下本人が行おうとしかるべき「誰が」代理しても「政治的」同じです(この問題については後述)。といいますか、同じでなければならない。衆議院解散というような政治的に大事な事柄は当然内閣が決定する。国事行為を行うものが誰かによってその権利が制約されることは象徴天皇制の趣旨から言って許されない(私もこの結論には賛成です)。

 国事行為では、本人が行ってもしかるべき代理の人が行っても政治的にはなんら問題はありません。しかし、実質的決定権者の代理ということではそうは行きません。例えば、現在、麻生総理が外遊中なので、官房長官が内閣総理大臣の代理として職務を行っています。「代理」しかも「包括的な代理」ですから、総理の外遊中において、官房長官は総理の「全て」の権限を行使できるという解釈は当然可能です。
 つまり、総理がサミットで外遊中の隙を狙って総理大臣代理である官房長官が衆議院の解散をできる。この場合の官房長官は閣議で反対されても、総理の代理として閣僚の任免権を行使できます。つまり、「首相外遊中の衆議院解散に反対だ。総理の帰朝を待つべし」という閣僚がいても、官房長官は総理大臣代理の権限を以ってその閣僚を罷免できます。あたかも、閣議で解散に反対した島村農水大臣(当時)を罷免して、解散を「強行」したように。

 その一方、外遊中などの総理大臣代理は、あくまで「代理」であって、現状維持を原則とすべしという解釈も成り立ちます。この場合では、想定外の事態(現職閣僚の死亡により、(兼任も含め)その閣僚の穴を埋めなければならない場合など)衆議院の解散や閣僚の更迭といった「政治的」で「能動的」な行為は極力限定されます。現代では、電話などで現地の総理と連絡を取って、総理大臣代理が総理としての権限を行使することはありえます。

 このように、何らかの「実質的決定」を行うべき人間の代理であれば、その決定は「本人でなければならない」という理由は相応の妥当性を有します。

45キラーカーン:2009/07/07(火) 22:50:02
 ここで、君主大権に話を持っていけば、例えば、英国の立憲君主制ではどの場合(理由)であれば、国王は首相の解散権に「拒否権」を発動できるかということが憲法上の論点として残存しています。一般論で言えば、首相が解散権を「濫用」した場合ということなのですが、どういう場合が「濫用」かということについて議論が行われているということです。

 極端な例でいえば、首相が衆議院を解散して過半数を取れなかった場合、過半数を取れるまで何度も連続して解散権を行使できるかということです。そういう場合には、いくらなんでも君主が拒否権を発動すべきというのが、「憲政の常道」であることは論を待たないでしょう。

 そのように君主(日本国憲法下の天皇も含む)に実質的権限がまだ残っているのであれば、君主本人の外国への行幸中に衆議院解散を行うのは可能な限り避けるべきという命題は成立すると思います。しかし、象徴天皇制の元ではその命題は成立しえません。そのような「政治的な契機」と切り離されたところに君主が存在するというのが、「象徴天皇制」であり、個人的には、これこそが、日本国憲法の憲法学における先進性(立憲君主制のあるべき道)を示したものだと思っています

46キラーカーン:2009/08/18(火) 22:58:59
以前の投稿で、もし民主党政権になれば、

>加藤高明内閣のように政権担当能力を認められるのではなく、
>第一次及び第二次大隈内閣のように
>「失格の烙印」を押される可能性が高くなるでしょう。

と評したことはありますが、では、このような憲政党→憲政本党→立憲同志会→憲政会→民政党とともに二大政党の一翼を担った自由党→立憲政友会(一般的には略称の「政友会」といいます)はどのようにして「統治能力」を身に着けていったのでしょうか。

 政友会が自身に統治能力があることを示したのは、第一次西園寺内閣からです。いわゆる元勲・元老の次の世代が始めて首相になった第一次桂内閣の後を受けて、第一次西園寺内閣が発足しました。当時の政友会は、伊藤が枢密院議長に就任した後、公家出身の西園寺公望が後継総裁に就任し、実質的な党務は松田正久と原敬が担当するという体制でした。首相が政友会総裁であることから、一応政党内閣といわれますが、政友会員は松田と原の二名だけ(西園寺を入れても三名)であり、約10名で構成される内閣の過半数にも満たない入閣者でした。その他の入閣者は、前首相である桂の息のかかった官僚や山縣の養子、旧公家や旧大名といった政友会にとっての「抵抗勢力」でした。これら「抵抗勢力」の入閣者は、再任されることはありませんでした。林と牧野は後の政友会(系)内閣でも入閣していることから、林(外相)、牧野(文相)の両名は政友会に近い外務官僚(牧野も外務官僚)といえるでしょう
 第二次西園寺内閣も、政友会からの入閣は三名(松田と原ともう一名)と増えましたが、閣内での過半数には至っていません。しかし、軍人を除いた新入閣者は後の政友会(系)の内閣に再入閣しており、第一次西園寺内閣のように、非政友会系の人物を入閣させず、明らかに政友会に近い人物を入閣させています。
 政友会員の閣僚が閣僚の過半数を占めたのは第一次山本内閣のときです。この内閣は、大正政変によって生まれた海軍・薩閥と政友会との事実上の連立内閣であり、首、陸、海、外相以外の閣僚は政友会に入党するという条件で発足した内閣です(首相の山本は現役の海軍大将のため、政党員にはなれない)。
 このように、政友会は、可能な限り政友会員で固めた第四次伊藤内閣が短命内閣に終わった失敗から、最初は、政友会色を抑えた「抵抗勢力」との妥協職の強い内閣で、「抵抗勢力」からの信用を得つつ、徐々に政友会色を出していくという「漸進戦略」を採用しました。また、憲政会が統治能力を認められた加藤高明内閣においても、発足当初は「護憲三派内閣」といわれたように、政友会を連立与党としており、原、高橋両内閣(及び閣外協力の加藤友三郎内閣)での与党経験を生かすことが可能でした。そして、その後の連立の崩壊による憲政会単独内閣を経て政友会と並ぶ二大政党への道を歩むこととなったのです。

 もし、民主党内閣ができた場合、参考にすべきは、このような「漸進戦略」をとった政友会の手法でしょう。となれば、具体的には
1 自民党脱党組のベテラン議員(羽田孔、小沢一郎)
2 非自民連立政権での閣僚(江田五月、菅直人、藤井裕久、石井一、熊谷弘)
3 非議員の閣僚(榊原英資、勝間和代氏)
という人物を入閣させて、安定感を出すということになるのですが、浮かぶ人名が・・・

 余談
 立憲政友会は板垣退助が設立した自由党を前身としています。第一次大隈内閣で憲政党と合同して与党になりましたが、結局、分裂してもとの鞘に収まった後、伊藤博文を総裁に迎えて立憲政友会と名前を変えます。それを契機に、金子堅太郎など伊藤派といわれた官僚も政友会に入会します。
 当時の首相は伊藤のライバルで大の政党嫌いでもあった山縣有朋でした。山縣は政友会が結党直後で体制が固まっていない状況で、北清事変の事後処理に一応の区切りが付いたことを理由として内閣総辞職し、伊藤が後継首班を引き受けざるを得ない状況に追い込みました。伊藤は、軍部大臣と外務大臣以外を政友会員で固めた政党内閣を組織します。しかし、この内閣は、いわゆる党人派と官僚派との対立が表面化し、短命に終わります。
 なお、戦前の内閣において、軍人が就任することが当然視されていた軍部大臣の他に外務大臣も外交官経験者(外交官経験者で適格者がいない場合に限り軍人)が就任することが事実上の慣例(この純粋な例外は後藤新平のみ)と化しており、この3ポストは(もちろん与党に近い外交官が就任しますが)純然たる政党員が占められないものでした(原内閣でもこの3ポストは政友会員ではない)。

47キラーカーン:2009/08/29(土) 23:54:45
床屋政談(政友会の下野と自民党、あるいは政友会の落日と加藤高明内閣)

 第4次伊藤内閣の失敗を糧に第1次、第2次西園寺内閣、第1次山本内閣で着実に統治能力を身に着けていった政友会ですが、第1次山本内閣がジーメンス事件で内閣総辞職になって、第2次大隈政権で野党になり、かつ、総選挙で過半数を割ってしまいました。

 政友会は、その後、寺内内閣を経て原内閣で政権に返り咲きます。原内閣は、総裁の原敬の指導力(米国のテツオ・ナジタ氏に「政治技術の巨匠」とまでいわれた)もあり、当時では3年以上という長期政権となりましたが、原首相の暗殺で突然の終焉を迎えました。

 以後、政友会は、迷走を続けます。原内閣の後継総裁・首相となった高橋是清ですが、指導力不足により、内閣は短期間で瓦解します。続く加藤友三郎政権では、閣外協力(貴族院の政友会系の議員のみ入閣)に甘んじ、第2続く第2次山本内閣では、第1次とは異なり、完全野党、そして、続く清浦政権では、「野党ボケ」で清浦首相からの「禅譲路線」を目指す一派が政友本党として政友会から分裂して、総選挙に臨むこととなり、憲政会に第1党の座を奪われてしまいます(しかも、第2党は政友本党)。

 余談になりますが、いわゆる首相と与党を決定する完全な「政権選択選挙」というのは、日本憲政史上このときの選挙のみであり、今回の総選挙が2回目となります(清浦内閣は政党内閣路線へ道を戻す「選挙管理内閣」という側面がありました)

 果たして、政友会が原長期政権の後に

原内閣→高橋内閣→加藤友三郎内閣→第2次山本内閣→清浦内閣→加藤高明内閣

と転落して行ったように(それでも、政権担当能力がある大2等の出現という「メリット」もありましたが)、自民党も、小泉長期政権の後に

小泉内閣→安倍内閣→福田内閣→麻生内閣→鳩山内閣

というように転落するのか、あるいは、民主党が第2次大隈内閣で政権担当能力の実証に失敗して「苦節十年」の時代になるのと入れ替わりに、政権与党に返り咲くのか、日本の大正デモクラシーとの関係で

歴史は繰り返すのかという興味があります

48キラーカーン:2009/10/27(火) 00:43:36
床屋政談「岡田外相と桂太郎と鈴木貫太郎」
平成の御世に犬養毅と並んで「憲政の神様」といわれた尾崎「愕堂」行雄がいれば、同じ「ゆきお」内閣の外相発言についても

詔勅を以って弾丸と無し、玉座を以って胸壁となす

と言うのではないでしょうか。
 この言葉は、二個師団増設問題→上原陸相単独辞任→第二次西園寺内閣総辞職で沸き起こった大正政変(第一次護憲運動)の真っ只中で成立した第三次桂内閣が混乱する政局を収集するために「詔勅」を利用した事を衆議院で尾崎議員が追求した時の有名な言葉です。
 もちろん、現在は、内閣の助言と承認に基づいて天皇の国事行為とそれに準ずる行為が行なわれることとなっていますので、国会召集時の天皇陛下の「お言葉」について、それに対する影響について、内閣が全責任を負うと腹をくくれば、各内閣がその時々の情勢を盛り込んだ「創意工夫に富む『お言葉』を作成すること」も可能でしょう。しかし、首相の施政方針演説ではなく、陛下のお言葉に「〇〇法案・・・」というような個別具体的な案件を載せるということは、それ自体

陛下の政治的利用

といわれても仕方がないでしょう。つまり、首相の施政方針演説に盛り込まれた案件よりも重要な課題として示されたということを意味するのは間違いありませんから。

 ダイシー(や英国の立憲君主制の実例)を持ち出すまでもなく、立憲君主制とは、内閣(や国会)が権力的部分を担当し、君主(天皇)が権威的部分を担当するという権威と権力の分割(と輔弼/助言と承認による融合)という危うい「政治的フィクション」によって成立しています。天皇陛下の「お言葉」もその「フィクション」の反映であるわけです。そのため、「お言葉」は基本的には政治から超越した内容(=一般論極まりない)内容であるわけです。それは

右派の「陛下に責を帰し奉らない」
左派の「陛下の政治的利用の抑止」

という左右両派の妥協の上に現在の象徴天皇制の運用がなされているということです。そのため、現行憲法の「国政に関する機能を有しない」という条文は制定主旨がどうであれ、結論として、日本の歴史にも合致した「よい制度」だと思っています。
 もちろん、その「フィクション」の構造を変えて象徴天皇制を維持するということは論理的には可能です。ひいては、その変更をお言葉に反映させるということも可能です。そういうことが可能かどうか、とりあえず「思考実験」としてみましたが、とりあえずの案は

首相の施政方針演説を廃止して、天皇陛下の「お言葉」に統一させる。「お言葉」に対する質問については首相が全責任を持って答える

とすれば一応は可能です。この主旨は「『お言葉』ー『施政方針演説』=0」という数式を確立することにより、陛下のお言葉の政治的部分については首相(内閣)が全責任を負っているということを明らかにするということです。これは、英国王が議会で「施政方針演説」を行なっているということを参考にしたものですが(http://news.livedoor.com/article/detail/4414310/参照)、これは、英国(女)王陛下は内閣を指して「My Government(私の政府=内閣)」ということが許されているからであって、天皇陛下が同じ事を言えば、それこそ・・・という事態になることは予想されます。
 そして、この件が問題になっての岡田外相の弁明ですが

「陛下のご意思として従来と同じように続けるというのなら、それは陛下の判断だ」

こんな問題で「聖断」を求めてどうするのか。そういう問題が起きないように、内閣が全責任を持って「助言と承認」を行なうというのが象徴内閣制の根本でです。開いた口がふさがらないのは こういうことを指すのでしょう。先帝陛下は好きなテレビ番組を聴かれてもお答えにはなりませんでしたし、大臣の内奏の内容を漏らしただけでも批判を浴びて辞任に追い込まれた実例があります(増原内奏問題)。
 こんなことで陛下の宸襟を悩ませ奉るのは輔弼の臣として失格以外の何者でもありません。降伏か徹底抗戦かの板ばさみで「最後の切り札」として聖断を使った鈴木貫太郎総理(当時)も草葉の陰でないているでしょう。

 書いていて馬鹿らしくなりましたので、ここまでにしておきます。

49キラーカーン:2009/11/20(金) 23:11:57
「いとこ」と少子化(核家族化)と(傍系)男系原理の希薄化

 少子化と晩婚化、独身者の増加で、夫婦と子供2人という「標準家庭」がもはや「標準」ではないといわれて久しいです。
 ここで、表題の「いとこ」ですが、「いとこ」とはご存知のとおり、親同士が兄弟の間柄をいいます。親同士が兄弟ですから、正月やお盆といった帰省ラッシュの時期には「孫の顔を見せる」という名目で親、子、孫という3世代が一つ屋根の下に勢ぞろいすることになるのはそう珍しいことではないと思います。こういった状況から、「いとこ」というのは

家族の一員ではない人の中で一番近しい人
(よく言われる例として、「一緒にいた彼女(彼氏)は?」と聞かれた場合に「いとこ」と答えるというベタなものがあります)

ということになると思います。近くに住んでいるとか家族関係が良好であれば、いとこ同士といっても兄弟同然ということもあるでしょう。
 こういう環境の場合、男2人兄弟であれば、「長男には男の子供がいないので次男(の長男)を後継者として育てよう」という判断をしても、さほど問題がないと思います。それは、帰省という行事を通じて、いとこ同士が祖父の家で定期的に顔を合わせ、しかも「孫」という同格の立場でいることから、おじいちゃんにつながる「近しい親戚」であるという一体感が醸成されるからだといっても過言ではないでしょう。
 ここからが問題です。親が健在の間は帰省もします。そこで、(仲があまりよくなくても)兄弟と顔を合わせますし、その波及的効果として孫である「いとこ」同士も顔を合わせます。しかし、親が亡くなった後で、兄弟同士が一同に会する機会を持つ親戚はどれだけいるでしょうか。核家族化が進んだ現状では、親が亡くなれば、子供は名実ともに一家として独立します。このような状況の中では「またいとこ」以上の関係は感覚的に「親戚」と認識する機会が実質的に失われます。運がよければ、「曽祖父」の葬式や法事あるいは「いとこ」の結婚式で「またいとこ」が顔を合わせる状況はありうると思いますが、定期的ではありません。また、そういう大規模な「法事」は数年毎です。
 さらに、兄弟である親同士の仲が非常によく、また、それだけの「大家族」が一同に会するだけの場所を提供できる(一族総出でホテルに泊まる)だけの物理的・金銭的余裕がなければだめでしょう。あるいは、子供である「いとこ」同士の仲がよければ、「いとこ会」という形で集まって、その子供同士が「またいとこ」として認識できるという機会があるかと思います。
 ここまで述べてきたことは、「いとこ」や「またいとこ」といわれる関係の人がいる場合です。しかしながら、昨今の少子化と晩婚化(一生独身化)によって「いとこ」関係というのが少なくなっていきます。親が一人っ子であれば「いとこ」は存在しません。また、(「未婚の親」という例を除いて)兄弟の一方が独身(結婚経験がない人)であっても同様に「いとこ」は存在しません。となれば、「いとこ」そのものが『希少価値』になります。しかし、「またいとこ」まで関係を広げたとしても、実際に会う機会のない「系図だけ」の親戚関係となって、親戚という実感が湧かない場合が多いのも上述のとおりです。
 更に、「標準家庭」でも子供が二人ですから、男女の出生率からすれば男と女の2人兄弟というのが多くなることから、さらに「男系のいとこ同士」という関係になれば、さらにその『希少価値』が高くなります。このような状況の中で、「家督相続」というような場合を考えてみれば、長男に男の子供が生まれなかった場合

ほとんど他人の傍系の男系血族より近しい女系の血族(例:姉の子供)

の方に親近感が沸いても仕方のない状況になります。場合によっては、男女を問わず子供に継がせようという意識が働くのも無理のない状況になります。これらがあいまって、一番近い傍系血族(いとこ)の存在が希薄となっていった結果と、旧来から日本の商家や職人の家には、「婿養子」という習慣があり直系原理がかなり浸透していたことが相俟って、日本国民の意識全体として

(傍系男系血族の存在の希薄化による)直系の論理の突出

ということになってしまったということです。そして、そのような意識が皇位継承問題に微妙な影響を及ぼしているということです。この状況を評して宮崎哲也氏は

男系原理と直系原理の衝突

と評していましたが、慧眼だと思います。そして、現在の少子化などの状況から、直系原理が強くなる傾向にあります。そのような中で、「皇族」という傍系も含めた親族制度を維持している天皇家の家長である天皇の継承順位がどうなるのかということも合わせて問われているのだと思います。

50キラーカーン:2009/12/03(木) 02:17:32
 前回の「いとこ」の続きですが、「いとこ」関係ということを言い換えれば、「父−子−孫」の三代(いわゆる「直宮家」)で家系が完結するということです。ここまでは、前の投稿で述べたように、多くの人々にとって実感を持って理解できる親戚関係ということになります。つまり、多くの人にとって、自分自身が実感できる「傍系血族」は「いとこ」が限界であるというのが、核家族化の帰結です。
 さらに、言い換えれば「いとこ」同士ということは、「孫同士」ということと同値です。この「孫同士」という意味において、「いとこ」(長子の子供と次子の子供)は同じです。ここからが、皇位継承問題に移行しますが、悠仁親王殿下の誕生により皇位継承論議が一気に下火に向かったのは、悠仁殿下が

今上陛下の孫(この意味において愛子内親王殿下と悠仁殿下は上述のように「同格」)

であったことが無視できない要因であったと思われます。言い換えれば、皇太子殿下の即位後に悠仁殿下が誕生された場合では、

やはり愛子殿下が皇位を次ぐべきだ

という意見が現在よりも大きいのではないかと推測できるからです(今上陛下の長子と今上陛下の甥では「同格」にはならない)。なぜなら、愛子殿下の皇位継承を正当化するのは

直系原理が男系(傍系)原理より優先する

というところに最大の論拠があるからです。「いとこ」同士の場合、孫同士であれば、直系原理でも「同格」ですが、子供と甥では、直系原理で優劣が生じます。
 さらに、ここから更なる思考実験ですが、殿下が生まれたのが秋篠宮家ではなく、三笠宮家系の皇族(例:桂宮家)だったらどうだったでしょうか(桂宮は車椅子の生活ですが、独身であり、若くて健康な女性を娶れば、現在においても、行為継承権者ができる可能性を一応残しています)。さらに仮定を重ねれば、皇位継承権者が三笠宮の系統(寛仁親王、桂宮、高円宮)にそれぞれ存在するという状況であれば、皇位継承に関して、制度的には問題ない程度まで皇位継承権者を有していることになります。
 このような状況の場合、三笠宮系の男性皇族と愛子内親王殿下ではどちらが皇位にふさわしいかといえば、おそらく愛子内親王の方が多数派となるでしょう。なぜなら、悠仁親王が誕生された後でも愛子殿下のほうが皇位継承者にふさわしい(=直系原理が男系原理に優先する)という声が根強くありますから、愛子殿下の「競争相手」が三笠宮系ではそれ以上に情勢が愛子殿下の方に有利に傾くでしょう。

51キラーカーン:2009/12/07(月) 22:08:30

「無矛盾な公理的集合論は自己そのものの無矛盾性を証明できないから」(by長門有希)
「ありがたいことに私の狂気は君達の神が保障してくれるという訳だ。よろしい、ならば
 私も問おう。君らの神の正気は一体どこの誰が保障してくれるのだね?」
(by少佐@ヘルシング)
「デウス・エクス・マキナ」(演劇で言う「機械仕掛けの神」を用いた演出手法)

という、とあるアニメや漫画の台詞などがネタ振りです。長門有希の台詞はオリジナルではなく、元ネタはゲーデルの不完全性定理ですが、発言者は筆者の好みにより選択しました。これら3つには共通点があります。それは

「とあるもの」の「中の人」にはその「とあるもの」の正当性をその内部の論理「のみ」で外部の人に対して証明することはできない。もっと極端に言えば、「中の人が」正しいと「信じている」論理体系(公理系)で説明しても、外部の人はその正当性を理解できない(控えめにいっても「理解できるとは限ら『ない』」)。
 或いは、その逆に、設定が破綻した場合や根本的な矛盾に直面した場合、外部からいきなりやってきて、「中の人」の理屈や経緯と関係なく強引に決着をつけるという手法(「デウス・エクス・マキナ」)を使っても許されるということです(逆にそういう解決手法を取り込んで「制度化」した手法が「フェイル・セイフ(Fail Safe)」或いは「ビルト・イン・スタビライザー(Built in Stabilizer)」に発展していきます)。
 ちなみに「デウス・エクス・マキナ」の元々の意味は、そういう強引な解決を図る演劇手法。

ということです。
これを、法律学、政治学の世界に強引にひきつければ、すなわち

自己の属している(政治的)共同体を支える根本的理念の正しさは、その共同体に属する人物、団体(組織)は外部に対してその「正しさ」を証明できない

ということになり、いわゆる「統治行為論」(長門&少佐発言)や「国家緊急権」(デウス・エクス・マキナ)を巡る議論ということになります。
 誤解を恐れず、単純化すれば、「統治行為論」、「国家緊急権」とは、ある国家の法体系が及び範囲はどこまでなのかということを画定する行為のことです。その範囲の外側には法律の力が「及ばない」(統治行為)し、外側からの法体系への攻撃に対しては法律では反撃することができず、「力」によってのみ実効的な反撃できる(国家緊急権)ということになります。
 この理論が問題になる場面というのが国家安全保障という「力」(バランス・オブ・パワー)の世界(軍事(防衛)の世界)であること、或いは革命・クーデターという「内乱」の世界であるということは容易に想像が付くでしょう。国外であれば「戦争」、「非対称戦」、「戦争ではない軍事行為((Military) Operation Other Than War:MOOTW)などといわれ、国内では「戒厳」といわれます。
(続きは気が向いたときに)

52キラーカーン:2009/12/17(木) 21:51:37
谷垣自民党総裁
「過去の経緯を踏まえ、天皇と政治の関係は非常にデリケートな仕組みになっている。最もデリケートな問題に権力をどう行使していくのか」

菅副総理
「陛下のそばにおられ、他の行政庁(の事務次官)とはやや性格が違うところもある」

今回は、「枕」にこの二人の発言を並べました。この二人の言葉を少し置き換えます

「過去の経緯を踏まえ、軍事と政治の関係は非常にデリケートな仕組みになっている。最もデリケートな問題に権力をどう行使していくのか」

「軍を扱うため、他の行政庁とはやや性格が違うところもある」

となりますが、あまり違和感がありません。一般論で言えば、このままでも十分通用します。特に、谷垣総裁の言葉はそうです。
 やや強引にひきつければ、この「やや性格が違う」というのはなぜかといえば、宮内省も防衛省も本来的に「時の政権」に忠誠を誓うのではなく、抽象的な存在である「国(天皇)」に忠誠を誓うからです。くだけた形で言えば、双方ともその使用は厳格な制限の下に置かれ、時の政権による恣意的な「政治的利用」は禁じられているといっても良い性質のものです。そして、天皇も軍隊もその扱いを誤った場合、その反作用はただ事では済まない状況に陥ります。

天皇は日本最強の「権威」を持ち、自衛隊は日本最強の「武力」を持ち、かつ、上述のように時の政権からはある程度独立した正当性を持っているため、ややもすると「政治のコントロールが利かない」という状況に陥ります。

53キラーカーン:2009/12/17(木) 21:52:13
このような天皇と軍隊を巡る事情と民主政治との妥協点が前者においては「象徴天皇制(立憲君主制)」であり、後者においては「シビリアン・コントロール」であるのです。しかも、この両者は日本における歴史的経緯から、諸外国における立憲君主制及びシビリアン・コントロールとはかなり異なった形をとっています。すなわち

天皇は国政に関する権能を持たない「象徴天皇制」
(内閣の助言と承認に対する拒否権もなければ、発議権もない)

自衛隊は「巨大な警察力」として創設され、法制度上、現在においてもそのままである
(行動を起こすには法律上の根拠が必要(「ポジリスト」方式)

ということです。
「象徴天皇制」も「シビリアン・コントロール」も「民主政治」による他者(君主及び軍隊)への統制原理(ルール)であるわけですが、これらが健全に機能するためには

統制を受ける側(天皇、自衛隊)がその統制原理(ルール)に服することは勿論の事、統制を行う側もその統制原理(ルール)に服すること

が必要不可欠であるわけです。
 一般的には、統制に服する側の「ルール違反」が問題になることが多いのですが、ごく稀に統制する側の「ルール違反」が問題になる場合もあります。何故かと言えば、統制する側は「民主政治」という政治の場における最大の正統性を有しているというのが最大の理由です。
 今回の「特例会見」問題も、田母神問題も統制を受ける側(宮内省職員、自衛官)が統制する側の「ルール違反」を指摘したことにあります。しかし、前者については、指摘は正当とされ、後者についてはそうはなりませんでした。
 このような差異が出た理由は何かといえば、前者については、統制を行う側が従うべきルールが明確であり、後者についてはそれが明確ではなかったということに尽きます。もっとも、前者については、宮内庁長官が政治の側の「リール違反」を明確に指摘したのに対し、田母神氏の「論文」ではその「ルール違反」を明確に指摘していませんでした。
そのことと相まって、「天皇の政治的利用」については一般国民の間にコンセンサスがある(しかも国際的にもある程度妥当する)のに対し、シビリアン・コントロールにおける政治側が従うべきルールついてはそれがないかあったとしても国際的に妥当するものとは言い難いものとなっているからです。
 これらの問題についても、統制する側(政治側)の「ルール違反」を指摘した者に対して

指摘するなら職を辞してからにしろ!

という批判が同じように生じたのも示唆的です。
双方とも本来従うべき「民主的統制」に従わなかったという意味においては同様であるということをこの批判は示しているからです。「特例会見」においては「統制する側」のルール違反はある程度明らかだったため、「統制する側」のルール違反を指摘した者への支持が多いですが、○○問題については、
「統制する側」のルール違反が不明確
「統制する側」のルール違反を見逃していた
「統制する側」がルール違反を犯していたという認識がなかった
の3つの理由により、「統制する側」のルール違反を指摘した者への支持が広がらず、いわゆる「識者」といわれるレベルでそのルール違反を指摘したのが佐瀬防大名誉教授しかいなかったということだったのです。しかし、一般国民の間では、○○問題においても「統制する側」がルール違反を犯したということを本能的に察知したため、現在においても一定の人気を保っているということでしょう。

54キラーカーン:2009/12/17(木) 21:52:42
ここから第2部の「国事行為」と「天皇の政治利用」になります。
国事行為は日本国憲法第七条に列記されています。これに加えて、同第六条に規定のある最高裁長官と総理大臣の任命も合わせて国事行為といわれることもあります。ここでは後者(いわば「広義の国事行為」)を指します。具体的には

内閣総理大臣の任命
最高裁判所長官の任命
憲法改正、法律、政令及び条約の公布
国会の召集
衆議院解散
総選挙施行の公示
認証官(国務大臣など)の認証
恩赦の認証
栄典の授与
批准書など外交文書の認証
外国の大公使の接受
儀式を行ふこと

を指しますが、これらの行為には、「儀式を行ふこと」を除いて一定の傾向があることです。それはすでに決定されたことを天皇陛下の名前で確認、或いは、公にすることです。
 つまり、ある事項が終わったということを明らかにすることです。これらのことは、「既に決まった」ことなので、天皇陛下の行為によって結果は変わりません。極端に言えば、天皇陛下が拒否権を発動しても、時の首相が「関白左大臣」として、これらの国事行為を行っても何も問題がないというものです。いわば、天皇陛下の行為を「出口」として使っています。
 「特例会見」では、天皇陛下の行為によって将来の「良い結果を導く」という意向が働いていました。上述の国事行為との比較で言えば、天皇陛下の行為を逆に「入口」として使ったといえます。
 今回の「特例会見」について、何故、「政治利用」という指摘が説得力を持ったかといえば、

「一ヶ月ルール」を破り、それによって、天皇陛下の「公平性」を毀損したこと
天皇陛下の行為を「入口」或いは「突破口」にして、望ましい結果を導き出そうとしたという(日本国憲法から機能的に導き出さ、それが一般国民の間においても「妥当」と思われている)「国事行為」の趣旨から外れた行動を天皇陛下に強いたこと

があげられるでしょう。これらのことから、帰納的に「天皇陛下の政治利用」を定義するとすれば

 天皇陛下にある行為を強いる事により、時の政権にとって都合の良い結果を導き出すことを(或いは、「えこひいき」)を企図する行為

と定義することができると思います。
 日本国憲法の制度上、天皇の行為は「政治的」色彩を持つということはそのとおりです。こういう定義をはっきりさせることによって、

「国事行為」そのものが天皇の政治的利用であるという

批判に対抗できるかと思います。
 さらに付け加えれば、天皇を含む「君主」は民主政治とは別の正統性によってその存在が認められています。そのような存在である君主(天皇)が民主政治と共存するためには

政治的実権を時の政権に譲り渡す
すべての国民(及び外国)を平等に扱う

ということが必要になると思います。
君主(天皇)が「えこひいき」をしているとの疑念をもたれた場合、すべての国民の自由と平等を標榜するという民主政治の理念に反することにもなり、ひいては、君主(天皇)を政治の場に引きずり出しかねません。だからこそ、君主(天皇)の行為で政治的色彩をまとうものは時の政権が「独占的に」実質的決定を行うことによって、その政治的色彩を君主(天皇)からはがす必要があります。
 君主(天皇)は全国民の君主(天皇)であって、時の政権とその支持者のみの君主(天皇)ではありません。従って、時の政権が、政権維持のためなどで権力を恣意的に運用した際には、「抜かずの宝刀」となっている君主大権を公使することにより、民主政治における「デウス・エクス・マキナ」として機能することが求められる場合があります。
 このことによって、君主(天皇)の持つ政治的有用性を封じ込め、民主政治の場から引き離す(政治的な契機から超然とさせる)ことによって、民主政治との両立(立憲君主制)を実現させているのです。この、君主(天皇)を政治利用しないという「政治の側の自制」ことが、民主政治を守り、かつ、君主制(天皇制)を守るというために必要不可欠であるということです。これが、谷垣自民党総裁の言う

「天皇と政治の関係は非常にデリケートな仕組みになっている。最もデリケートな問題に権力をどう行使していくのか」

ということの実際的意味だと思います。その意味で、谷垣総裁の言葉は簡にして要を得ているということができます。

55キラーカーン:2010/01/15(金) 23:38:35
昨年末の習近平副主席との「特例会見」問題でも話題になりました「国事行為」ですが、日本国憲法第四条には

「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」

と書かれてあり、具体的には、「国事行為」と明示されている同第七条各号の事項と国事行為とは明示されていませんが天皇陛下自身が任命すると同第六条に規定されている最高裁長官と総理大臣の任命も合わせて国事行為といわれることもあります。以下では後者(いわば「広義の国事行為」)を指します。
 具体的な事項はWEBなどで当たって貰うとして、これらの国事行為については「儀式を行ふこと」を除いて明確に一定の傾向があることです。それは

他の機関によって既に決定された事項を天皇陛下の名前で確認、或いは、公にすること

となります。「儀式を行ふこと」についても、既に決まった式次第に則り、天皇陛下の御臨席を賜って従って儀式を挙行することが実際上の運用(「ぶっつけ本番」の儀式に天皇陛下の御臨席が可能とも思えない)でしょうから、結局、すべての国事行為について、上記のこことは当てはまるといっても過言ではないでしょう。
 言い換えれば、天皇陛下には国事行為の実施について、拒否権もなければ、発議権もなく、ましてや、意見を述べる権利もありません。ましてや、(タイムマシンが発明されていない現在において)過去に生じた事象を変化させることも出来ません。ただひたすら、その国事行為について勉強し、理解し、内閣の助言と承認の元に行動するということしか出来ません。そして、その

「拒否権もなければ、発議権もなく、ましてや、意見を述べる権利もありません」

ということが、憲法第4条の「国政に関する権能を有しない」という部分に該当し、実質的には、上記の「他の機関によって既に決定された事項」ということを意味します。
 この、本来の決定権者と表面的決定者(対外的公示者)とが異なることを、行政法学の世界では「専決」と「代決」といいます。
 まず、「代決」は「本来の決裁権者が何らかの理由(海外出張、休暇など)で決裁不可能なので、代理の人が決済すること」ということで、「代理決裁」の略とでも思っていただければ十分です。これは、官公庁に限らず、どの世界でもあることだろうと思います。この場合は、社長代理などと代理決裁であることを明記することが多いですが、官公庁ではそのような場合でも本来の決裁権者名で決定を公示することがあります。
 次に、「専決」とは「本来の決裁権者が定型的な処理について、恒常的に部下に決裁権を委任(委譲)するが、対外的には本来の決裁権者の名前で公示(公表)する」ということです。
 例えば、市民会館の使用申請と許可を例に取れば、よほどのことがない限り、形式的な審査で済みます(申請者がここの市民か、申請期限を守っているか、使用日時が他の申請と重複していないか等々)。このレベルであれば公民会館長でなくても、その下のレベルでも十分対応できます。このような事項まで、本来の決裁権者である公民会館長が行うと、公民会館長がかなり多忙になります。こういうような場合は、内部規則で、実際の決裁権を部下(例:担当係長)に委任(委譲)して、業務の効率化を図るということになります。但し、対外的にはそのまま市民会館長の名前で使用許可書を発出します。申請者から見れば、市民会館長の名前で許可が下りていますが、実際は担当係長が許可しているということになります。

56キラーカーン:2010/01/15(金) 23:38:50
 ここで、国事行為に話を戻せば、専決と国事行為は「実質的決裁権者と対外的公示者とが『分離』している」という点で共通点があります。専決は決裁権を部下に委任(委譲)しますが、国事行為の場合には、公表者を決裁権者の上位者とするという差異があります。どちらとしても、繰り返しになりますが

他の機関によって既に決定された事項を天皇陛下の名前で確認、或いは、公にすること

ということになります。言い換えれば国事行為の視点は「過去に」向かっているものであるということです(これは専決でも同じです)。更に言えば、変えられない過去(の決定)のうち、重要なものについて天皇陛下の名前で公示するという性質のものです。そして、繰り返しになりますが、これらの決定について、天皇陛下は拒否権もなければ、関与することも出来ません。つまり、過去の決定について、天皇陛下を利用するは不可能ということです。今回の「特例会見」の問題点は、それとは逆に、

「あらかじめ」天皇陛下を介在させることにより、「将来生じる結果」を自己の有利になるように仕向ける

と将来の結果を操作するために天皇陛下を用いたという点にあります。
 そして、今回の「特例会見」においては、日中関係を好転させたという「過去(結果)」に対しての「箔付け」ではなく、「将来」の日中関係を好転させるための「梃子」として天皇陛下を利用したという意味で「政治利用」に当たるということになります。
 戦前の政治過程の教訓から、政治的な実権を天皇から剥奪したとしても、それでも天皇陛下には、歴史的、伝統的権威という無視し得ない力が残っています。そのような天皇陛下の持つ力(歴史的、伝統的権威)を利用し、かつ、その権威の利用者を時の内閣に「封じ込める」ための手段が日本国憲法第4条、第6条、第7条の規定だったのです。
 既になされた決定事項に対して国事行為か否かということで、「重要度」を分からせるということを「政治利用」といえば政治利用にあたります。しかし、今回の問題は、天皇陛下を誰(天皇陛下でさえ)も変えられない「過去」の行為の軽重の尺度として用いたことではなく、「将来」の結果の操作するために用いたことが問題となったのです。
 その前にも問題となった岡田外相の「お言葉」問題についても、国会の召集決定という「過去」ではなく、召集後の国会審議、国会運営という「将来」に対しての箔付け効果を狙ったものであるが故に批判を浴びたのです。
 そして、天皇陛下の行う国事行為(及び公的行為)の箔付け効果は過去に向かうものであって、将来に向かうものではない。そして、その箔付け効果は時の内閣「助言と承認」によって管理する。それが、谷垣自民党総裁の

「過去の経緯を踏まえ、天皇と政治の関係は非常にデリケートな仕組みになっている。最もデリケートな問題に権力をどう行使していくのか」

という質問に対する現時点での回答だったのです。その歴史的教訓を民主党は全く生かしていないということだったのです。

57キラーカーン:2010/01/21(木) 22:19:52
>>「過去に向かうご公務」と「将来に向かうご公務」のところです。

ここのところは文字にするのが難しかったのですが、あえて、文字にすれば、あのようになったということです。

 天皇陛下は、憲法の規定(国会の議決)に従って選定された総理大臣(候補者)を、総理大臣を任命しますが、その総理大臣の選定過程には一切関与することは出来ませんし、その「候補者」に拒否権を行使することは出来ません。総理大臣の選定は、国会議員(政党)が自身の権限と責任においてなされなければなりません。そして、そのような手続を経て選定された総理大臣「候補者」を天皇陛下は必ず総理大臣に任命しなければなりません。

 その選定過程に「陛下の意中の候補者は・・・」というような陛下の威を借るような言動で、選定結果、つまり「将来起こる事象」を自己の有利に持っていこうというのが、現在の日本社会におけるいわゆる「陛下の政治的利用」の最大公約数的見解だと思うわけです。
 例えば、小泉内閣時代の女系天皇容認に向けた皇室典範改正論議においても、「陛下の真意は実のところ・・・」というような憶測記事が週刊誌に掲載されたようなことがありましたが、そのような陛下の意思(言動)を自己の有利な結論(これも「将来」の話)を導く材料として利用するというのが、「政治利用」の典型例です。

 国事行為とはレベルは格段に違いますが、「皇室御用達」という看板がそれなりの威力を持つことがあります。最近でも、子育て用の絵本やおもちゃで、「愛子殿下が使われた」品物が良く売れるということがありましたが、それも、本質的には、「その時点まで」という「過去」の品質などに対する「箔付け」であって、「将来に向かって」その品質を保証したものではないはずです。「過去」は皇室御用達だったこともあったが、「現在(将来に向かって)」はそうではないというのは珍しくないでしょう。
 現実問題としては皇室御用達という看板が「将来」の売り上げに寄与することはあるでしょうし、そういう効果を見込んでいるということもあるでしょう。しかしながら、そういう効果を「度を越して」見込むと「皇室を商売に利用した」といわれることになるでしょう。

その「度を越して」の「度」という言葉を「過去に向かって」と「将来に向かって」と表現しました。

 更に例を挙げれば、オリンピックのメダルは「過去の成績」への箔付け、表彰であって、その評価は将来に対するものではないのと同じものだと思います。しかし、「メダリスト」として、その栄誉は「将来に向かって」効力を持つという場合もあるということは否定しませんが、それは、付随的なものであると考えます。

 例えばオリンピックのメダルをもらって何年も経った後に犯罪を犯すなどして「地に堕ちたメダリスト」という見出しが週刊誌などに躍ることも有り得ますが、それによって、メダルが剥奪されるわけではありません。しかし、その「メダリスト」という栄誉の将来への効力が失われることは十分有り得ますので、メダリストという栄誉は「過去」の成績に対するものであって、「将来に向かって」の効果が本質的ではないということを表していると思います。

 小難しくいえば「反射的効果」という言葉で説明は出来ますが、そこまでの必要は現時点ではないでしょう。

 今回の例で言えば、習近平氏が「国家主席就任後の初来日」であれば、「国家主席就任」という「過去の決定」に対する箔付けという理由付けは出来ます(たとえ、それが将来の日中関係の改善を視野に入れていたとしても)。
 今回の場合は「『将来』の国家主席の青田買い(とそれによる中国の内政への「干渉」と小沢氏の「将来的」政治基盤の強化)」、「『将来に向けて』の日中関係の改善」という主目的があまりにもはっきりしていたので、これほどの騒ぎになったのでしょう。

58キラーカーン:2010/01/21(木) 22:20:05
 おそらく「30日ルール」だけであれば、これほどの問題にはならなかったと思います。「30日ルール」を破った趣旨が、「過去」に向いているのではなく、「陛下の威を借りて」自分の有利なように「将来」を操作しようとしたと思われたことが、今回、これだけの問題になった原因であると思います。

 国事行為(天皇陛下)の箔付け効果の本質とは過去の決定に対するものであって、現在進行形の議論や未だ確定していない将来の箔付けではない。そして、何を箔付けするかということについて、陛下は何ら権限を持たないというのも上述の通りです。

 その意味で、上述の皇室典範改正論議における有識者会議の議長(座長?)が「陛下をはじめ、皇族方の意見を聞くことは全く考えていない」というのは一応の筋は通っています。個人的には四角四面に過ぎるとは思いますが、目くじら立てて反対するようなものではないと考えています(しかし、戦前、戦後の皇族制度の「生き証人」として皇族最長老の三笠宮(昭和天皇の一番下の弟で「ヒゲの殿下」の父君)の意見は聞いても良かったとは思いますが)。

 宮内庁長官と内閣官房長官との関係ですが、上司と部下は「ルール」に従って支配し、支配されるということが求められています。特に「法治行政」という看板を掲げている行政の世界はそうです。そして、今回は上司の側が「ルール」を破って不当に部下を支配しようとした疑いが極めて濃厚なわけです。このような場合、上司に対して、諫言して翻意させることが出来なければ、上司の上司に対して、「異議申立」をするしかないでしょう。

 そのままでは。上司にもみ消されてしまうのが関の山ですから。

 例えば、検察が不起訴処分にした事件を一般国民の代表である検察審査会が起訴すべきという議決2度を行った場合、検察は起訴しなければなりませんが、その場合、検察官役は検察の一員である検察官ではなく、在野の弁護士が行うこととされています。これは、検察が乗り気でない事件を検察官に担当させても、公正な刑事裁判の進行は期待できない(「片八百長」となる可能性がある)からでしょう。そのような国民の正当な権利行使であっても「検察官役などという『権力の味方』になるのは断固拒否する」と息巻く弁護士がいるのもご愛嬌です。

 一般企業でも「パワハラ」への対処として、上司の上司を味方につける(最悪でも公平公正な立場をとってもらう)という方法があるのと同じです。この場合、宮内庁長官の「上司の上司」とは誰かといった場合、それは

>>主権者たる国民の代理者である代議員が

というとおり、「国民」となります。その意味で、宮内庁長官の国民に対する内部告発は「間違いではなかった」わけです。そして、それが、民主党の目指した政治だったはずです。ただ、民主党は

与党になったから好き勝手に政治権力を振るうことが出来る

と勘違いしている節があります。
 そのような政治では「力」は保持できても、「権威」や「正当性」を調達することは出来ません。そして、そのような政治は得てして「独裁政治」や「強権政治」といわれるのです。
 このままでは、旧 来 の 政 治 過 程 を 破 壊 し て、挙句の果てに対華21か条要求で国際的に非難を浴びた第二次大隈内閣のように 統治能力なしといわれて、首相候補も出せずに、後に「苦節十年」の時代を味わう事となる「同志会→憲政会」と同じ道を鳩山政権(民主党)は歩むことになるでしょう。民主党は初めて手に入れた与党という権力に酔いしれ、歴史の教訓或いは(天皇制が生き延びてきた)歴史の重みを忘れてしまっているのです。

60キラーカーン:2010/09/26(日) 02:55:30
越境将軍と沖縄地検あるいは若槻礼次郎と仙石官房長官

今回の沖縄地検の「政治的配慮」は本来検察庁が行なうべきない(行なってはいけない)ことを行ない、それを内閣が追認したということで、将来への禍根を残したと思います。
 検察は法に従い、罪を犯した(と判断される)人を刑事裁判にかけ、有罪を勝ち取るのがその組織に課せられた使命です。その過程で「政治的配慮」が入ることはあってはならないとされています。だからこそ、検察官は、行政組織(法務省)の一員でありながら、業務の遂行上、他の一般職公務員とは異なり、高度の独立性が保障されています。だからこそ、総務省の長である法務大臣が検察官に職務上命令を出すということは「指揮権発動」といって、現在の日本では「抜かずの宝刀」扱いされています。見方を変えれば、この「指揮権発動」は司法権に対する「シビリアンコントロール」という見方も可能です。
 このように、検察庁が職務を遂行するに当たっては、政治的配慮(思惑)を排して、それこそ「法に従って粛々」と行なわれる必要があります。それに反して政治的配慮を優先させることはそれこそ「国策操作」として批判を浴びることとなります。今回の事件において、政治的配慮という理由で船長の釈放を「知見の独断」で決定したことについて、本来なら内閣が

検察の政治への介入であり、「国策釈放」に該当するため、内閣として認めることはできない

と突っぱねなければならないのにもかかわらず、結局「追認」してしまいました。
これも、戦前の日本に類例があります。時代は八十年ほどさかのぼります。関東軍が満鉄の線路を爆破したこと(柳条湖事件)を発端として満州事変が勃発します。この事態を受けて、当時の満州軍司令官であった林銑十郎が「独断で」指揮下の部隊を満朝国境を越えて満州へ派遣しました。このような部隊の派遣を行なう場合には、大元帥陛下の命令が必要であり、それこそ、統帥権を犯す所業でした。
これを受けた閣議では、独断で越境した朝鮮軍を引き戻すべきという意見も出たのですが、時の首相である若槻礼次郎が、越境した朝鮮軍に対する費用の支出を認めたために、軍部による政治への介入が加速したという、日本史上ひとつの転換点ともなった事件です。当時、陸相も不拡大方針には賛成しており、参謀本部も「これ以上の越境は正式な命令を得てから(無視されたという点では参謀本部も「被害者」)」という立場でしたから、内閣が派遣費用を認めなければ、陸軍首脳部はそれに同調していたと思われます。
もちろん、軍隊の移動に関する命令は参謀本部から天皇陛下の名前で朝鮮軍に伝達することになり、内閣は関与できないのですが、上述のことから、その命令を出すことについてはおそらく問題がなかったかと思われます。従って、内閣が費用支出を認めなければ、現実問題として、越境した朝鮮軍は元に戻らざるを得ない状況に追い込まれたのにもかかわらず、内閣がその越境を追認したことから、軍に対する政治的統制が利かなくなってきたということです。

歴史では、その林司令官は「越境将軍」ともてはやされ、陸軍大将、陸相、教育総監、首相と陸軍軍人としてはこれ以上望むべくも無い出世を遂げました。今回はそういうことは無いでしょう。各大臣は「現行制度上ありうる」と嘯いていますが、この場合はそれこそ「権限濫用」ということで、検察は法に従って粛々と職務を行なう、内閣が政治的責任を負うという職務分担をはっきりさせなければならないのにもかかわらず、内閣が責任を検察に「丸投げ」したという状況になっています。また、岡田幹事長は「蚊帳の外」だったようです。

民主党の唱えた「政治主導」や「官僚内閣制を排し、党と内閣が一体となって」という根本理念はどこへ言ったのでしょう。

61新八:2010/09/26(日) 11:58:20
>>「政治主導」で官僚を指図し、「官僚内閣制を排し、党と内閣が一体となって」
思いっきり、悪さをして、その責任取らず、他人に擦り付けていると見れば、整合はとれますけどね。



指図された方は、たまったものじゃないでしょうね。

62キラーカーン:2010/11/15(月) 22:19:54
民主党政権は第一次大隈内閣のように未熟さをさらけ出した

ということで、昨年の総選挙前では、護憲三派内閣→憲政会単独内閣 
とまでは行かなくても、第二次大隈内閣程度の未熟さであればとは
思っていましたが、それよりもひどく、内部対立により数か月で
崩壊した第一次大隈内閣(隈板内閣)の方がふさわしいでしょう。

当時であれば、政党内閣がだめなら超然内閣や中間内閣という方法も
あったのですが、現在では、基本的に、総選挙でしか政権が変わらないので
下手をするとあと3年民主党内閣が続くこととなります。

その間に「日本終了」とならなければよいのですが

63新八:2010/11/16(火) 23:03:43
うーん

64キラーカーン:2011/08/07(日) 00:42:46

 森元総理だったと思いますが、「首相は辞める気にならなければ、周りが辞めさせることができない」(≒本人が辞めると言わない限り辞めさせることができない)といっていました。
 で、制度的に、辞めさせるための手段でもあった「内閣不信任」を空振りにさせた管総理は「安心して」総理の座に居座ることができるのです。管首相は、内閣不信任案提出が話題に上らなかった時点では、一刻も早く国会を閉会して、補正予算などの課題から逃げ切りを図っていたのですが、不信任案提出が不可避となった時点で、

不信任案否決→(「一時不再議」を根拠とした)国会延長による居座り

に戦術を切り替えてきました。それが、国会延長幅をめぐる管首相と民主党執行部そして、野党との駆け引きの実際上の意味です。
 もっとも、国会閉会になって、次期国会(秋の臨時国会)を召集するのは内閣の権限(天皇の国事行為)ですので、いったん国会を閉会してしまえば、管首相は次期国会開会期日を可能な限り引き延ばす戦術をとるはずです。そして、次期国会召集時点で「一時不再議」はリセットされますから、今度こそ、内閣不信任案は可決されるでしょう。ペテンが通じるのは最初だけで、二度目はありません。

 ということで、現在、管首相が「辞める辞める詐欺」で居座りを図っていて、周りも管首相を引きずり下ろすことができないという閉塞状況に陥っています。
 上の投稿で「デウス・エクス・マキーナ」について少し触れました。この「デウス・エクス・マキーナ」とは、

これまでの経緯と無関係の外部の第三者が強引に介入して問題の解決をしてしまう

というのが、実際上の意味ですが、実は、立憲君主制における君主をこの「デウス・エクス・マキーナ」として機能させることが可能です。といいますか、そういう機能を立憲君主制の君主に期待しているというところがあります。
 立憲君主は実際上、内閣の輔弼によって、君主としての行為を行います(法律の公布、首相の任免、衆議院の解散等々)。しかし、立憲君主制では、君主には内閣の輔弼(上奏)を拒否する権限が法律上残されています。また、一定の場合には、内閣の輔弼を待つことなく、君主としての行為を行うことができる(例:英国王によるヒューム卿への「大命降下」(首相指名)」)場合があります。しかし、これらの行為を君主自らの判断で行うということになれば、君主自身が政治の場に飛び込むことになるため、失敗すれば、君主の失脚、すなわち君主制の廃止という結果も招きかねません。
 したがって、政治的に成熟した国家の君主制では、結果的に

立憲君主制(明治憲法体制の天皇)→象徴君主制(象徴天皇制)

という経過をたどってしまうということになります。
 これは、君主が政治の場にとっては「外部の存在」へと追いやられることを意味します。
 しかし、立憲君主が、現実的には「外部の存在」(=象徴天皇制)と同様であったとしても、法律的には、立憲君主としての権限が残されています。その権限を、

「外部の存在」であり「政治的とは別次元の権威(正当性)を有している」

君主が、ここぞという時に振るうことによって、実質的な「デウス・エクス・マキーナ」として活用することができるということです。
 もちろん、君主がそのようにふるまうためには、党派的利害から超然としている「長老政治家」(≒元老)の輔弼が必要であるということは論を待ちません。
 つまり、現在の状況でいえば、公平を期すために、村山元首相(社民党)、中曽根元首相という非議員の元首相の輔弼(助言)を根拠として、天皇陛下が、首相を解任するという「強権」を振るうことになります。これができれば、現在の閉そく状況を打破することは可能です。ただし、陛下自らの出馬には慎重の上に慎重を期さなければならないというのはこれまでの歴史が示しています(例:満州某重大事件(張作霖爆殺事件)の処理を巡る昭和天皇の事実上の田中儀一首相への不信任、終戦の聖断)。
 こう考えてみれば、立憲君主制というのは、非常時の時にも効果を発揮できるシステムではないかと思いなおしている次第です。

65キラーカーン:2011/11/15(火) 23:31:32
大阪市長選挙で、共産党が候補者擁立を取りやめるという「異常事態」に発展し、橋下氏が対立陣営を「大政翼賛会」と評していますが、歴史的事実からみれば、橋下氏と維新の会の方が「大政翼賛会」と言うにふさわしく、既成政党側は、ナポレオン時代の「対仏大同盟」と形容するのが適切です。いわゆる「体制翼賛運動」の経緯は
1 既成政党に不満を持つ層が「近衛新党」を画策
2 既成政党側が反発
3 第二次世界大戦の勃発
4 世界的危機に我が国が対応するための「新体制運動」
5 既成政党が「新体制運動」になびく
6 大政翼賛会の成立
というもので、
・近衛=橋下
・近衛新党・大政翼賛会=維新の会
・第二次大戦=現在の日本の閉そく状況
とすれば、「瓜二つ」と言ってよいくらいの相似形を描きます。

さらに言えば、戦前の日本の政治体制は権力の分割度が高く「独裁は不可能」と言われていました(だからこそ、統一的な国家戦略が確立できず、先の大戦で負けたという評価も一定の説得力を持ちます)。当時においても、大政翼賛会は大政翼賛会は「現代の幕府」であり、「臣下の独裁につながる(=天皇大権の侵害)」として違憲論も強く、その違憲論にも一定の配慮をしなければならない状況いでした。

それでも、戦前の体制、特に226事件以降、「軍部の独裁」であったという見解は根強い物があり、控えめに見ても、戦時体制という環境と「軍部大臣現役武官制」という拒否権は、軍部−特に陸軍−を最大の政治勢力に押し上げたという意味で、当時の軍部は「独裁的・圧倒的」権力を有していたともいえます。つまり、「ルールに従っても『独裁(的)』権力行使は不可能ではない」ということです。それは、民主主義体制でもそうです。

また、敵か味方かをはっきり区別し、選挙民の対立感情を煽るだけ煽り、選挙後に敵対勢力を包摂するのではなく、「叩き潰す」(「勝者総取り」≒自身に投票しなかった有権者の意思は大阪市民の意思ではありえない)を公言するような橋下氏は

二元代表制→議会と首長との対立・膠着状態→首長の権限強化→首長独裁

というラテンアメリカ諸国で大統領民主主義は崩壊した道筋(これも「民主主義のルール」に従って結果)を現在のところ着実に歩んでいると言えます。

ですので、「独裁」という言葉も、発言者の語彙の貧困さの問題はあるにしても、理由のないことではありません。もう少し、正確を期すのであれば

橋下氏の政治手法は、二元代表制(大統領制、日本の地方自治体の首長)の民主主義的性格を弱め、権威主義体制(≒独裁)に向かうリスクを増大させる。その意味で「民主主義の敵」と表現することも可能

さらに言えば、大統領選や知事・市長選によって、ただ一人を選出することにより、その人の下にまとまらなければならないのにもかかわらず、一人を選出したことで、「勝者総取り」によって、選挙戦で生じた対立関係を更に拡大させ、最終では、敵を壊滅させることでその亀裂を「なかったことにする」という「仁義なき戦い」の世界に陥るのが二元代表制(大統領制)のリスクです。橋下氏の手法では、そのリスクは現実化・拡大することはあっても縮小することはありません。そして、最後は、対立勢力の「暴力的介入」により大統領制民主主義が無くなってしまうということになります。
(「降伏しても皆殺し、戦えば、皆殺しにするまで戦いを続ける」という公言している相手であれば、それこそ「生死をかけた戦い」を挑まざるを得ないでしょう。それを「対抗勢力がなりふり構わない」と形容するのは自由ですが)

66キラーカーン:2011/11/15(火) 23:31:57
政治(権力行使)には法律では対応(規定)できない色々な作法があります。ルールに決められた権限をフルに活用することが、民主主義にとって反作用を起こすということは、鹿児島県阿久根市の市長と市議会との対立事例でも明らかです。橋下氏はそこまで政治家として未熟ではないかとは思いますが、法律家であれば 「法律で認められた権限をフルに行使して何が悪い」 という発想の方が正しいと思っても仕方がありません。それが、政治家と法律家との違いです。

そして、このまま行き詰れば、橋下氏は 「自分に投票した【有権者の自己責任】であり、だまされた方が悪い」 と有権者に責任を転嫁し、首長から去った後は、政治家としては、韓国の歴代元大統領のように「悲惨な末路」をたどるでしょう。それが、敵味方の対立を煽りに煽って二元代表制のダークサイドを増幅して権力を握った大統領・首長がたどる末路です。だからこそ、いったん大統領になれば、死ぬまで、大統領であり続けようとする国が多いのです。

大統領・首長は自身に投票してくれただけの大統領・首長ではありません。反対票を投じた人の大統領・首長であります。その選ばれた大統領・首長が選挙後も敵味方にこだわり、敵の壊滅に全力を挙げるのであれば、その時点で大統領・首長失格です。このような選挙の跡こそ「ノーサイド」の精神が必要なのです。ラグビー部出身の橋下氏は、世間の風にさらされて「ノーサイド」の精神を忘れ去っているのでしょう。

大統領・首長は、その区域でただ一人だけしか選ばれない「特別な人」です。その「特別な人」という優越感に酔っぱらって、政治家・首長としての適切な権力行使とは何かということまで意識が回っていないのでしょう。その「優越感」こそが、大統領制民主主義に潜む「独裁制」への罠なのです。

大統領・首長選で「敵味方の(感情的)対立を煽る」という手法は、一見、大統領・首長選になじむ手法に見えますが、民主主義にとっては「悪魔のささやき」に近い物があります。その意味において、「政治家」橋下氏は「悪魔に魂を売り」、「有権者を大統領制の罠に追い込んでいる」ともいえます。

橋下氏の「独裁的」手法は現在の民主という政権のような議院内閣制の「ダークサイド」である「カオス」状態の方が生きるはずです(自民党では、そのような場合における「寸止め」、「ガス抜き」の能力はそれなりにありました。例:会長一任)議院内閣制における処方箋が大統領制(地方公共団体)にも有効な処方箋であるとは限りません。そもそも、国と地方公共団体では制度設計が異なりますから、その際を認識せずに、「国も地方も」同じ処方箋で対応できるかとの「誤解」を蔓延させたのが橋下氏や河村氏をはじめとする「改革派首長」の負の側面です。

橋下氏には「更地」にできる能力はあっても、「ビルを建てる」能力はありません。橋下氏の手法では破壊は効果的にできるかもしれませんが、建設はできないでしょう。それでは、せいぜい1期4年しか持ちません。その意味で、府知事の任期を全うせずに市長選に転身したことは「賢明」な判断だったと思います。同じ任期「投げ出し」の倉田氏の場合は、すでに15年以上池田市長を務めてきています(それ以前にも池田市議会議員を10年以上務めている)ので、事情が異なるとともに、「政治家」としての能力にも格段の差があるように見えます。

橋下氏は、政治家ではなく、「名物ワンマン経営者」の方が似合っています。

67キラーカーン:2011/11/28(月) 00:40:02
橋下氏が、知事選、市長選と両方勝利したようです。

私は橋下氏の手法が「独裁」というものではなく、「大統領制民主主義」に潜む「リスク」(敵か味方か二分し、その亀裂を修復不能にさせ、敵を壊滅することでしかその亀裂をなくすことはできないということ)をあられもなく露見させたという意味で、地方自治体制度の危険度を上げたということが問題だと見ています。

それを「独裁」と表現するのは、批判者の語彙に決定的な問題があるのですが、「好意的」に解釈すれば、橋下氏の「敵か味方か」の二分法、そして、選挙後も「敵をぶっ潰す」という手法が、大統領制民主主義に潜むリスクを指摘したとも言えます。

 個人的には、橋下氏の手法は議院内閣制(国政)の停滞の処方箋として「より」適切であると思っていますが、橋下氏本人は、議院内閣制の下での政治活動には興味を抱いていないようです。

 現在の制度上独裁は不可能と言いますが、「独裁」という「イメージ」でいえば、明治憲法体制では、権力が今以上に分立化していて「独裁」は不可能な体制でした、というのは学術的に、現時点で誰も否定することのできない「歴史的事実」として定着しています。

だからと言って、戦前において藩閥政府や軍部の独裁がなかったと言って信じますか?

大統領、知事、市町村長という首長は、制度上、明治憲法体制における天皇と首相の地位を兼ねる人です。

といって戦前のような「独裁」は不可能だとまだ信じられますか。

 議院内閣制のように、反対派(敗者)が野党として目の前に現れる議院内閣制と異なり、首長選での敗者は、文字通り、政治の世界から消え去ります。そのため、首長は当選した直後から

自分自身に票を投じた人だけではなく、対立候補に票を投じた人の首長

という宿命を帯びます。
 その宿命を忘れ、今までのように「敵か味方か」の二分法にこだわり、大阪市の「粛清」に乗り出せば、韓国のように 「ろくな末路をたどらない前大統領」 や、 ラテンアメリカのように「大統領制民主主義の失敗」 という道を歩むことになります。

 その、勝ちか負けかにこだわり、勝者としての権利を前面に押し出して、「仁義なき戦い」を仕掛け、その果てに、「勝者総取り」が当然として、敗者を顧みることのない姿勢が、大統領制民主主義の「リスク」となります。

 それが、端的に表れるのが(大統領ではなくなったという意味で)「敗者」となった韓国の前大統領の「悲惨な末路」です。

 また、かつて、衆議院選挙が中選挙区制で行われた中、ただ一つの「小選挙区」であった奄美群島区の「仁義なき戦い」が衆議院選の名物として面白おかしく取り上げられていたのは、その変形です。

 明治憲法体制における天皇陛下が、「憲法の規定に従った」天皇大権を文字通り行使すればどうなるか。「決められたルールに従って権限を振るうのがなぜ悪い」というのは、法律論としては正しいのですが、政治家としては「未熟」を示すことがままあります。

 そして、明治天皇も昭和天皇も「政治家」としての成熟とともに、受動的君主として、自己の権限行使に抑制的になって行きました。

 首長のモデルケースでもある米国の大統領は、非君主国において「君主のようなもの」を作るという観点から制度設計されたとも言われています。

 そして、橋下氏はその「未熟さ」がゆえに、(全国ただ一つの選挙区でただひとりが選出される)首長(選)には意欲を示しますが、国政には興味を示していません。それは、首長(選)における 「民衆の恩寵を一身に受ける」そして「勝者総取り」 の魔力に取りつかれているからであり、

 歴史的に見れば、橋下維新は「近衛新体制」→「(市議会、府議会の)大政翼賛会」と今のところ相似形を描いています。

 1期4年で辞め、しかるべき人に引き継げば、旧来のしがらみを破壊し、引き際を心得た「名君」となる可能性はあります。それ以上であれば、「政治家」として、成長しなければ、旧来の仕組みを破壊し、「北斗の拳」の「ヒャッハー」の世界を残しただけという「暗君」に陥るでしょう。

明治維新でも、「明治六年の政変」、「西南戦争(明治十年」、「明治十四年の政変」と体制が固まるまで、4年前後の間隔をおいて「大政変」が起きています。また、第一次大戦も4年間、第二次大戦は6年間(うち、独ソ戦、大東亜戦争と文字通り「大戦」になったのは4年間)です。その意味からも、一種の「非常事態は

 このままでは、自身の政策が遂行できなかった時点で
・職員が悪い
・議会が悪い
・国が悪い
と他者に責任をかぶせ、最後には

・政治は一寸先は闇
・そのようなリスクを込みで自分を選んだ有権者の「自己責任」
と開き直ることになるでしょう。

68キラーカーン:2011/11/28(月) 00:54:47
橋下氏が、知事選、市長選と両方勝利したようです。

私は橋下氏の手法が「独裁」というものではなく、「大統領制民主主義」に潜む「リスク」(敵か味方か二分し、その亀裂を修復不能にさせ、敵を壊滅することでしかその亀裂をなくすことはできないということ)をあられもなく露見させたという意味で、地方自治体制度の危険度を上げたということが問題だと見ています。こういう手法も政治の世界ではなく、経済活動の世界であれば、「名物経営者」として称賛されるでしょうし、弁護士という「勝ち負け」を生業とする分野でも頭角を現すことができるでしょう。しかし、それが政治の世界でも通用するとは限りません。

それを「独裁」と表現するのは、批判者の語彙に決定的な問題があるのですが、「好意的」に解釈すれば、橋下氏の「敵か味方か」の二分法、そして、選挙後も「敵をぶっ潰す」という手法が、大統領制民主主義に潜むリスクを指摘したとも言えます。

 個人的には、橋下氏の手法は議院内閣制(国政)の停滞の処方箋として「より」適切であると思っていますが、橋下氏本人は、議院内閣制の下での政治活動には興味を抱いていないようです。

 現在の制度上独裁は不可能と言いますが、「独裁」という「イメージ」でいえば、明治憲法体制では、権力が今以上に分立化していて「独裁」は不可能な体制でした、というのは学術的に、現時点で誰も否定することのできない「歴史的事実」として定着しています。

だからと言って、戦前において藩閥政府や軍部の独裁がなかったと言って信じますか?

大統領、知事、市町村長という首長は、制度上、明治憲法体制における天皇と首相の地位を兼ねる人です。

といって戦前のような「独裁」は不可能だとまだ信じられますか。

 議院内閣制のように、反対派(敗者)が野党として目の前に現れる議院内閣制と異なり、首長選での敗者は、文字通り、政治の世界から消え去ります。そのため、首長は当選した直後から

自分自身に票を投じた人だけではなく、対立候補に票を投じた人の首長

という宿命を帯びます。
 その宿命を忘れ、今までのように「敵か味方か」の二分法にこだわり、大阪市の「粛清」に乗り出せば、韓国のように 「ろくな末路をたどらない前大統領」 や、 ラテンアメリカのように「大統領制民主主義の失敗」 という道を歩むことになります。

 その、勝ちか負けかにこだわり、勝者としての権利を前面に押し出して、「仁義なき戦い」を仕掛け、その果てに、「勝者総取り」が当然として、敗者を顧みることのない姿勢が、大統領制民主主義の「リスク」となります。

 それが、端的に表れるのが(大統領ではなくなったという意味で)「敗者」となった韓国の前大統領の「悲惨な末路」です。

 また、かつて、衆議院選挙が中選挙区制で行われた中、ただ一つの「小選挙区」であった奄美群島区の「仁義なき戦い」が衆議院選の名物として面白おかしく取り上げられていたのは、その変形です。

 明治憲法体制における天皇陛下が、「憲法の規定に従った」天皇大権を文字通り行使すればどうなるか。「決められたルールに従って権限を振るうのがなぜ悪い」というのは、法律論(弁護士)としては正しいのですが、政治家としては「未熟」を示すことがままあります(例「伝家の宝刀」は抜かないことに意味がある)。

 そして、明治天皇も昭和天皇も「政治家」としての成熟とともに、受動的君主として、自己の権限行使に抑制的になって行きました。昭和天皇は田中義一首相を結果的に辞職に追い込んだ昭和自身の言動について後年「若かったから(当時20代後半)」と言われたようですが、それは、一面の真実だと思います。

 首長のモデルケースでもある米国の大統領は、非君主国において「君主のようなもの」を作るという観点から制度設計されたとも言われています。

 そして、橋下氏はその「未熟さ」がゆえに、(全国ただ一つの選挙区でただひとりが選出される)首長(選)には意欲を示しますが、国政には興味を示していません。それは、首長(選)における 「民衆の恩寵を一身に受ける」そして「勝者総取り」 の魔力に取りつかれているからです。

 歴史的に見れば、橋下維新は「近衛新体制」→「(市議会、府議会の)大政翼賛会」と今のところ相似形を描いています。

69キラーカーン:2011/11/28(月) 00:55:04
 1期4年で辞め、しかるべき人に引き継げば、旧来のしがらみを破壊し、引き際を心得た「名君」となる可能性はあります。それ以上であれば、「政治家」として、成長しなければ、旧来の仕組みを破壊し、「北斗の拳」の「ヒャッハー」の世界を残しただけという「暗君」に陥るでしょう。

明治維新でも、「明治六年の政変」、「西南戦争(明治十年」、「明治十四年の政変」と体制が固まるまで、4年前後の間隔をおいて「大政変」が起きています。また、第一次大戦も4年間、第二次大戦は6年間(うち、独ソ戦、大東亜戦争と文字通り「大戦」になったのは4年間)です。その意味からも、「非常事態は4年間が限度」という経験則は成り立つと思います。

 最後に、このままでは、橋下氏自身の政策が遂行できなかった時点で
・職員が悪い
・議会が悪い
・国が悪い
と他者に責任をかぶせ、最後には

・政治は一寸先は闇
・そのようなリスクを込みで自分を選んだ有権者の「自己責任」
と開き直ることになるでしょう。

70キラーカーン:2012/01/29(日) 22:53:00
橋下「独裁」批判と六法

昨今、橋下氏を「独裁者」、「ハシズム」といって批判していた反橋下氏の学者などが橋下氏と直接対決して「論破」されるというのが名物となっていますが、それは、ある意味仕方のないことです。(私に言わせれば、実際的な意味がまったくない「政治ショー」以外の何者でもない)というのは、反橋下派の面々は

自己の反対する政策を唱える橋下氏を「独裁」と批判している

という「ねじれ」状態になっているからです。このため、橋下氏の「口げんか」程度の論説に対抗できないということになっているのです。

 この補助線として、六法を使います。六法とは、ご存知の人もいるかと思いますが、「憲法」、「刑法」、「民法」、「商法」、「刑事訴訟法」、「民事訴訟法」の6つの法律をいいますが、このうち、憲法から商法までの4つを「手続法」、残りの2つを「手続法」といいます。この違いを簡単に言えば

実体法:権利、義務を定めた法律
手続法:裁判や業務のやり方を定めた法律

となります。刑事訴訟法、民事訴訟法は「訴訟法」という名前がついているように、この2つの法律は「裁判のやり方」を定めた法律です。つまり、刑事法(刑法と刑事訴訟法)でいえば

刑 法:何が「罪」か定めている
刑訴法:「有罪」(無罪)と言い渡す手続を定めている

ということになって、この2つがそろって、初めて「罪人」となるわけです。さらにいえば

目的は手段を正当化しない

という、よく言われる言葉の「目的」が実定法、「手段」が手続法の領域になります。つまり、この場合でいえば

政策=目的=実定法
独裁=手段=手続法

となるわけです。
 実体法上の議論と手続上の議論とはきちんと峻別しなければなりません。それができていないあるいは、政策論を「独裁」という手続論で批判している時点で、反橋下派というのは、「ミスリーディング」なわけです。
「独裁」批判であれば、手続論の次元に限定できるわけで、そうなれば、橋下氏の言う「対案」云々という批判は意味を持たなくなります

私のように「(一部の)政策」には賛成だが、そのやり方(「独裁」大統領制のリスクを拡大する政治手法)には反対

という人にとっては、「対案」云々という反論が意味を持たないということというのは明白でしょう。(このばあいの「対案」とは「政策」についての対案であるのは明白)

 そういう、サヨク的な「目くらまし」程度では、百戦錬磨の橋下氏には「勝てない」でしょう。

「銀河英雄伝説」にみられたように

優秀で民のことを思いやる独裁者
   VS
自己の利権氏考えない政治家しかいない腐敗した民主主義体制

のどちらが、幸せかという、身も蓋もない議論になっているのが
「ハシズム」論争の現実というのが、私の感想です。

その意味では、現在の閉塞状況の中で、手をこまねいて、橋下氏や維新の会という「橋下新体制」「橋下翼賛運動」という現実を招いた自民・民主両党の責任は、戦前の政友会・民政党と同じく大きいものがあります。

余談
橋下氏の言う「維新」は「革命」の意味であって、維新ではありません

「維新」は英語で「RESTORATION」といい、「RESTORE」(修理する)という語の名詞形です。
(車などでは、古い車を修理して走れるようにしたものを「レストア」ものということがあります)

つまり、古くなったものを修繕して使えるようにするという意味であり、だからこそ 

「王政復古」(幕府及び摂政・関白の廃止)

というスローガンが意味を持ったのです。

つまり、平安時代で親政を行い、後世に理想化された醍醐・村上天皇の「延喜・天暦」の治を再現するということだったのです。
(ちなみに、「後醍醐天皇」という諡号はこれにちなみます)

だからこそ、「最後の元老」西園寺公望は、天皇大権の全ての輔弼者をおくこと(≒首相の権限強化)を「幕府・関白」の復活として認めようとしませんでした。

『「大政翼賛会」違憲論』もその延長線上にあります。

71キラーカーン:2012/02/08(水) 22:39:54
>>実体法

は「実定法」

の間違いでした。

72キラーカーン:2012/02/08(水) 22:42:16
すいません

「実体法」

が正解です。
迷走してすみません。

73キラーカーン:2012/02/15(水) 22:20:44
橋下氏の手法は、突き詰めれば、「民意」を受けた俺のほうが上。下は上のいうことを聞くのが当然、ということにしか過ぎません。今回の発端も 「知事の言うことを聞かない市長はけしからん」 という「私怨」にしか過ぎません。それは、組織の論理であり、政治の論理ではありません。橋下氏は選挙戦中に口を極めて罵っていた「行政官」としてしか機能していないのです。「政治家」なら議会や反対勢力を対等の立場で説得できなければなりません。その説得力こそが「リーダーシップ」なのです。

また、橋下氏の手法である「民意を背景にして反対派を殲滅する」という(上か下かにこだわる)手法は外交・防衛では使えません。この手法は、基本的に「同格」の間の交渉ごとである国際政治では使えません。国内政治でも、首長が内部政治でこのような手法を使うのは「禁じ手」とされています。米国でも、戦時大統領制という概念があるようですが、それも、「敵国を叩く」ために権力を(民意を『一身に』受けた)大統領(首長)に集中させるものであって、内部の政敵を殲滅するために、そのような「戦時大統領制」という「独裁的」な権力を使うことはありません。しかし、橋下氏は内部の政敵を殲滅するために、躊躇なくそのような手法を使っており、その意味での異様さが目立ちます。

ほとんど感心することのない田原総一郎氏の言説で、今回珍しく感心したのは

「維新の会は民主集中制であり、共産党の体制に極めて近い」

というものでした。こればかりは「さすが」といわざるを得ませんでした。

わが国でも、「憲政の常道」の不全から、現在の伊国の「非議員首相内閣」と発想は同様の斉藤、岡田内閣を経て、憲政の常道の回復を図ったのですが、結局、「昭和維新」を唱えた連中が226事件を起こし、その後、
近衛ブーム→近衛新体制運動→大政翼賛会
となったのは、歴史の記すとおりです。また、当時「東条幕府」や「憲兵政治」といわれていたのも偶然ではないでしょう。

逆説的に言えば、このような風潮を招いた既成政党、特に谷垣自民党の体たらくは、自ら、立憲政治、民主政治の安楽死へ向かっているようなものです。

橋下氏の言う「維新」は本来の維新ではなく、「昭和維新」と唱えながら、実際は「革命」を目指した青年将校と同種です。実は「維新」ではなく、事実上同じ事象を指して言う、よく似た発音の言葉である「御一新」を「維新」と(聞き)間違えた可能性もありますが、それはそれで政治家としては問題です(「御一新」なら「革命」の意味もあるといえなくもない)。

226事件の理論的支柱といわれた北一輝が天皇制を否定していたというのも、橋下氏の「民意のほかに権威なし」という態度とダブります。

つまり、選挙での民意という「正統性」と天皇陛下の持つ歴史的伝統的権威という「正統性」との衝突について、橋下氏はあまりにも無頓着です。発生論的に言えば、大統領は 「君主の代替物」 として発生したものであり、その点で、国民投票で選ばれた行政の長(≒大統領)と伝統的な君主とを両立することは、「世界史的な大実験」 でもあります。天皇の持つ「権威」というものに「民意」という「権威」をもって橋下氏が挑戦するという構図です。

その中で、建前としての「天皇親政」と実際としての内閣・議会による統治との隙間を埋めたものが

理論では「天皇機関説」、現実には「元老」制度

というものでした。元老亡き後は「憲政の常道」で行くというのが「最後の元老」西園寺公望の意思でしたが、それは叶わず、西園寺は真珠湾攻撃の直前に亡くなります(ちなみに西園寺は、指導者層では戊辰戦争参加者最後の生き残りであり、「明治維新」を体験した生き証人でもありました。)

74キラーカーン:2012/02/15(水) 22:20:57
参考としての試案は次のとおりです

基本
1 議院内閣制を維持

2 地方分権を進めるために二院制を維持する
(一般的に、連邦制(道州制)では、国民代表である下院と州代表である上院との二院制になる。その意味で、道州制導入と一院制導入を同時並行的に行うことは、統治機構上「腸捻転」を起こしている。)
 ・衆議院は国民代表
 ・参議院を道州制(仮称)の道州の代表
(各道州数名。これだけで、参議院の定数が100人以下になる)
・法律案については衆参両院の可決が必要。ただし、
  (1)両院協議会で合意案が可決されたとき
  (2)衆議院が3分の2以上の多数で再可決したとき
  (3)3会期連続して同じ法案が衆院で可決されたとき
  は法律となる
 ・国会承認人事については参議院が独占的に行う
 ・予算と条約については現行どおり(いわゆる「予算関連法案」については、通常の法律改正ではなく、予算審議と一体審議を行い、予算成立とともに予算関連法案も成立する(ガソリン税の暫定税率などの「空白の1ヶ月」を避けるため)

3 地方自治体(大統領制→半大統領制)
 ・地方自治体は、道州、県、市(旧政令指定都市)とする。
 ・道州は国の事務以外(国防、外交、全国的な統一業務)のすべての行政事務を行う
 ・複数の道州にまたがる事案は、関係道州の合意により国に仲裁を求めることができる
 ・県には郡を、市には区をおく
 ・複数の県、特別市にまたがる事案は、関係県、特別市の合意により道州に仲裁を求めることができる
 ・首長(道州総監、県知事、市長)は自治体の長として国及び他自治体との折衝を行う
 ・地方庁(道州庁、県庁、市役所)の長として副長を置く
 ・副長の数は条例で決める
・副長は域内行政について首長の権限とされたものの他は最終的な責任者である
 ・副長は地方議会議員から指名を受け、首長によって任命される
 ・副長が地方議会の不信任を受けたとき、首長は副長を更迭するか地方議会を解散する
 ・議会に答弁者などで出席する局長に地方議会議員を任命することができる
 ・副長、局長に指名された議員は欠員扱いとし、退任とともに議員の職務に復帰する
  (地方議会議員としては一種の休職)
(経過措置)
 ・首長権限を副長(副知事、副市長)に委任するという内部規則を制定
 ・地方議員から登用した副長(副知事、副市長)及び局長(部長)の補選を行わない。
  (あるいは、補選の必要のない選挙区から登用)
 ・副長(副知事、副市長)不信任の代わりに首長不信任を行う
  (副長(副知事、副市長)不信任を首長不信任とみなす)

4 選挙制度(国政)
 ・衆議院は比例代表決戦投票制とする
 ・第1回投票→決選投票への足切は5%(議席配分には利用しない)
 ・得票率2.5%以上の政党は、決選投票進出政党に名簿を融合することにより決選投票進出資格を得る
(5%以上の得票を得た政党も融合することは可→トップ賞獲得のため)
 ・トップ賞は総議席の15%。残りの85%を決選投票での得票率に応じて分配
 ・候補者名簿は定数と同じ
 ・名簿を融合した政党は任期中、院内統一会派を組む(トップ賞の持ち逃げは不可)。
  (第1回投票→決選投票の間で事実上の連立工作を「可視化」する)

5 選挙制度(地方)
 ・比例代表決選投票制
 ・各党の名簿掲載人数は定員以内であれば自由
・投票者は政党に関わらず、定員以内で加除訂正自由
・第1回投票で過半数かつ登録有権者の4分の1超であれば、その時点で当選
・足切りラインは「なし」(第1回投票で当選できなかった候補者はそのまま決選投票へ)

6 選挙制度(共通)
 ・名簿に掲載されていない名前を追加することも可能
・国政選挙は定数の10%(追加分の人数を抹消し名簿掲載者数を定数に合わせる
・地方選挙は定数の20%(追加後の任数は定数以下。超過する場合にはその分を抹消)
 ・名簿掲載者数は選挙活動が可能
 ・名簿に掲載されていない人物を名簿に追加することも可能(事実上の散票)
  (立候補していない人でも当選が可能)
 ・追加された名前は順位が最下位とし、複数追加された場合には得票数による
 ・選挙に出馬して落選後3ヶ月以内であれば、元の職場に出馬時の条件で復職が可能
 (選挙期間・当選中は休職扱い。もちろん、落選を期に転職することも可能)

75キラーカーン:2012/12/18(火) 23:54:46
総選挙で、自民党が圧勝しました。
巷では「総選挙効果」の賜物で、自民党の真の支持率ではないという論調がほとんどですが、
実は、前回の総選挙と前々回の「郵政解散」の方が小選挙区効果が大きいです

小選挙区制では、経験則的に「三乗則」が働くといわれています
(得票率が「1:2」であれば、議席獲得率は「1:8(2の三乗)」になるというものです。

で、現在の小選挙区比例代表並立制になってからの小選挙区における得票率と
議席獲得率との関係について、上述の三乗則が働くかどうか見てみました。

結果は、
1 「三乗則」に一番近いのは今回の総選挙
2 最初3回は「三乗以下」であり、第一党にそれほど有利な結果ではない
3 前回と前々回は「三乗超」という結果であり、「相場感」以上に第一党が有利
という結果となりました。

つまり、今回の選挙結果が小選挙区制において予想される結果であるということです。
米国大統領選挙では、民主党(共和党)優位の州は大体決まっており、
実質的には10州程度の「swing states」で勝敗が決まるといわれています。
英国でも、総選挙で結果が入れ替わるのは全体の3分の1程度の選挙区
といわれており、このような「全国的な風」が起きる小選挙区制では「三乗則」
以上に第一党に有利になるといえます。

ここまでくれば、
1 衆議院は完全小選挙区制で決定の迅速さを確保
 (今の日本の情勢では、再可決に必要な3分の2に第一党が届く)
2 参議院は完全比例代表制にして、国民の意見の縮小コピーにして
 「多数(衆議院)の暴走」の歯止めとなる「良識の府」としての機能を期待
というような制度設計のほうがよいかもしれません。
(国会同意人事については、米国流に、参議院の専権とするのも一方)

76新八:2012/12/19(水) 23:05:53
>小選挙区制では、経験則的に「三乗則」が働くといわれています

全く関係ないんですが、爆発の三乗根則を連想してしまいました。
(爆発起点からの圧力は、距離の三乗根に比例する…
つまり、出来るだけ遠くに逃げると助かる確率が上がるという話)

爆発起点からの距離が1㍍より3㍍の方が、27分の1になるという法則です。
とにかく逃げるが勝ちです。覚えておいて損はありません。

77キラーカーン:2012/12/21(金) 00:40:09
>>爆発の三乗根則
そういえば、その変形で、被害半径は爆発力の2/3乗に比例するということを聞きました。

レーダーは探知距離の4乗に反比例するのでしたっけ?

78新八:2012/12/22(土) 11:12:49
合ってると思いますよ。
面積は距離の二乗なので、照射波と反射波で四乗。
その分減衰することになるのでしょう。
まぁ専門じゃないので詳しくは言えませんが、実際は周波数で特性が変わっていたりして
現実に即すための係数とかありそうですけどね。

79キラーカーン:2013/03/30(土) 01:04:27
衆議院総選挙の違憲判決が世間を賑わしている昨今ですが
違憲判決そのものは以前から出ているので、予想されていたことです。

訴訟になっているのは殆ど自民党候補者が当選した選挙区で、
最も一票の価値が軽い千葉4区(野田前首相が当選)では、
提訴されていない(自民以外では、維新と民主の当選選挙区が
1つずつ)というのは、この裁判が「法の下の平等」ではなく、
安倍政権の正統性に「けちをつけるだけ」ということが明らかです。

ということは措いておいて、
今回で、目新しいのは、「選挙無効」判決が出たことです。
これまで、選挙は国民主権に直結する「高度な政治的行為」
ということで、三権分立とはいえ、「違憲判決」で立法府の
自覚を促すが、選挙辞退の有効性については、口出しを控えてきた
事項です。

無効判決を出してしまえば、現在の衆議院で可決された全議決が無効
となってしまい、現国会では定数是正もできないというパラドックス
に陥る羽目になるので、それこそ「統治行為論」的に現衆議院の議決
が有効させるべく、選挙までは無効にならないと言うのが「実務的」
な予想です。(参議院の緊急集会でしのぐという手もなくはないですが)

この辺の難しい話は「定数配分訴訟と『選良』の限界」
http://synodos.livedoor.biz/archives/2040388.html
でも見てください

80キラーカーン:2013/07/11(木) 21:11:24
エジプトの「クーデター」が世界的には話題になっているようですが、
その状況を見るにつけ、日本に生まれた幸せを感じています。

「民主化」によって樹立された政権が未熟な場合、その揺り戻しが
起こるというのも、これまた、予測の範囲内なのですが、一般的な憲法
では、そのような政権交代を許容できず、(一旦、憲法停止して、)
新憲法制定という手順を踏むのがよくあるパターンです。

この場合は、その政権交代が「クーデター」という形態をとることが
多く、新憲法制定までの混乱や「強権支配」が避けられないということ
も、まま、起こります。

しかし、大抵の場合、そのような「強権支配」が国家の安定のために
必要であるというのも冷酷な現実です。

で、明治の我が国の場合、
第一次大隈(隈板)内閣→第二次山縣内閣→第四次伊藤内閣
と、政党内閣→超然内閣→政党内閣という政権交代が「平穏」に
行なわれました(第二次山縣内閣は首相を含む10人の閣僚中、半数の
5人が軍人(うち4人が現役)という「軍事政権」でした)

しかし、第一次大隈、第四次伊藤両内閣は、1年と持たずに崩壊します。
その間の第二次山縣内閣は約2年(で大臣の交代も無い)という「安定」政権でした

以後、原内閣まで、現役軍人と政党党首がまるで「二大政党制」のように
交互に首相の座に付くという他国には見られない「特異」な政治構造を
確立させます(これを「1900年体制」や「桂園時代」といいます)

この政治構造の中、政党(党首)内閣は、徐々に政権担当期間を延ばし、
原内閣で3年以上という長期安定政権を打ち立てるまでに成長します。

我が国は、このような「平穏な民主化」を達成したという戦前の歴史を
もっと誇ってもよいと思いますし、貴重な歴史的経験として世界に発信
してもよいと思います。

81キラーカーン:2013/07/21(日) 01:19:20
今回の参議院選挙で、憲法96条改正が話題になりました。
憲法学会では「改正限界説」(憲法改正には一定の範囲があり、その範囲を超える憲法の変更は、「改正」ではなく「新憲法制定」となる
という学説が主流です。この「改正限界説」と明治憲法から日本国憲法への「改正」との理路的整合性をつけるためにひねり出されたのが
「8月革命説」というものです。

まぁ「改正限界説」に従って、憲法96条改正は日本国憲法の改正では不可能だとすると、

では、国民主権という「憲法制定権力」により、日本国憲法を廃止して「新日本国憲法」を制定すべし

という議論が起こったときに、どのような理論で「反対」するのでしょうか。あるいは、

そもそも日本国憲法を廃棄自体が不可能

という「国民主権を無視した」立論をするのでしょうか。

82Emmanuel Chanel !ninja ◆YgrwY/6wqs:2013/07/21(日) 02:27:17
データ故障で、私の個人掲示板を、別プロジェクトで試験的に作っていたものをベースに
リニューアルした(完全に公平とか出来る事でもないので、今回は左翼が来たら追い出す
積もり…)のですが、ネタ投下がてら、
国家緊急権・天皇陛下に非常大権を…
http://forums.emmanuelc.dix.asia/viewtopic.php?f=5&t=5
というトピックを立て、波浪規定さんに頼んでコメントを貰ったりしました。
国家緊急権・非常大権とか、キラーカーンさん他のみなさまは、どう思われるでしょうか?

83キラーカーン:2013/07/22(月) 02:02:03
国家緊急権・非常大権ということですが、とりあえず、2つに大別すると次のようになります。
1 政権の正当性があり、それに対する外部の脅威(外部からの侵略、天変地異)
2 (民主的)政権の正当性が失われた場合に一時的に非民主的政権を樹立させること

一般的には、「1」の場合に、超法規的措置を発動できる権限を国家緊急権や非常大権といいます。
この場合、国家緊急権や非常大権を認めるのであれば、
ア 首相
イ (首相が死亡した際などでは)内閣で生き残った閣僚の誰か
ということでよいと思います。とにかく楽をしたい言い方であれば「内閣」が国家緊急権・非常大権を有するといっておけば、それで済みます。

ただし、緊急事態においては、国事行為である国会召集手続きによらず、定足数以上の議員の要求があれば、自主的に国会を開会できるという規定は必要かもしれません。

さらに言えば、そのような緊急事態においては、「法の支配」とは別の「掟」が支配するということで、その「掟」を可能な限り明示しておくということでしょう。
 つまり、「法」と「掟」との移行条件、移行手続きを「法」で定めておくということです。

もちろん、それでも想定できない事態もあるでしょうから、そういう場合には、期限を区切って内閣に実施権限を与え、国会の事後承認が無い場合には、その時点で打ち切りという規定が必要になるでしょう
(これは、明治憲法の規定と事実上同じです)

問題は「2」の場合で、その場合は、サルトーリの「交代大統領制」が1つのたたき台となると思います。

「交代大統領制」とは、総選挙の結果を受けて発足する政権は議院内閣制であり、その政権が行き詰れば大統領制に移行するという政治体制です。

我が国で近い例を挙げれば1900年体制ということになります。

つまり、「選挙」に基づく政権が正当性を失ったと思われる場合、別の正当性(正統性)に基づく政権樹立回路を持っておくことにより、民主政の自助努力を促すということです。

それには、選挙とは別の正当性を持っている君主の正当性に依存するのが一番合理的ということだと思います。

議院内閣制での大統領であれば、その大統領の正当性に依存するということになり、それについては、イタリアのモンティ政権がその例となります。

とりあえず、こんな感じです。
「1」の国家緊急権や非常大権の発動要件などについては、また気が向いたときに

84Emmanuel Chanel !ninja ◆YgrwY/6wqs:2013/08/28(水) 14:20:40
お礼を遅れさせてすみません。投稿ありがとうございます。
交代大統領制にわざわざするなら、天皇が非常大権を持つ感じで、226事件を手本に
対応して貰えればいいかなという感じです。

85キラーカーン:2013/08/29(木) 22:19:37
誤解のないように念押しですが、「2」の場合において「非常大権」や「国家緊急権」という語を使うのは、私独自の用法で、その意味で使う専門家はまずいないと思います。

86キラーカーン:2014/04/02(水) 01:41:33
歴史や社会の周期性については、色々言われてきています。経済学で
は、60年周期という「コンドラチェフの波」というものもありますし
、個人の人生で言えば「天中殺」や「大殺界」というのも周期論に該
当します。

最近、明治以降の日本史について、つらつら考えてみると、政治上の
大きな傾向については、25年程度で転換するという仮説が見えてきま
した。まとめれば、

1 開国・維新の時代(25年:1853年〜1877年)
2 体制整備(藩閥と民権派)の時代(24年:1877年〜1900年)
3 「1900年体制」の時代(26年:1900年〜1925年)
4 体制の変動・崩壊の時代(21年:1925年〜1945年)
5 戦後復興の時代(27年:1945年〜1973年)
6 安定成長の時代(18年:1973年〜1989年)
7 「非自民」の時代(23年:1989年〜2012年)
8 「ネトウヨ」の時代?

といったところです。

簡単に解説すれば
「開国・維新の時代」
 これは、ペリー来日から西南戦争までの時代で、文字通り、開国・維新の
時代であり、イメージがつかみやすいと思います。

「体制整備の時代」
 これは西南戦争で「不平士族」が決定的敗北を喫し、西郷、大久保、
木戸という維新の三傑が相次いで世を去った後、「富国強兵」により、
列強の脅威を排除して西洋列強に伍する国家建設にまい進する時代です。

「1900年体制」の時代
 これは、藩閥と自由民権運動との対立は、結局、選出勢力(政党)と
非選出勢力(軍・官界)の2つに収斂し、前者は伊藤博文が設立した
立憲政友会、後者は山縣を中心とした「山縣閥」と言われました。
 この2大勢力体制が一応の完成を見たのが1900年ということで、
これを「1900年体制」とも言います。

 この時代の前半は、山縣の後継者と目された桂太郎と伊藤の後継者
である西園寺公望両名の間での政権たらいまわしであったので、両者の
名前を取って「桂園時代」とも言われます。
 後半は、海軍、立憲同志会という第2勢力も首相を輩出するようになり
ますが、陸軍・山縣閥と政友会が2大勢力ということには変化がありませんでした。

 しかし、原の暗殺と山縣の死が同時期に起きたことにより、この2大勢力
の政権担当能力が低下し、山縣閥は政権堪能能力を失った時点で、
この時代は終わります。

「体制の変動・崩壊の時代」
 これは、政友会、憲政会(立憲同志会の後身)の2大政党制から、
満州事変、日華事変を経て敗戦に至る「大日本帝国憲法体制の崩壊」に
至る時代です。これも、「歴史認識」論争でイメージがつかみやすいと思います。

「戦後復興の時代」
 これは、言い換えればオイルショックまでの「高度成長」の時代です。
「三丁目の夕日」の世界と行ってもよいと思います。これも他言を要しないでしょう。

「安定成長の時代」
 これも、オイルショックからバブル景気を経て昭和天皇崩御までの時代です。
昭和天皇崩御はソ連崩壊とほぼ同時期の出来事であり、世界史的な大事件
ですので、周期が若干短くなっています。 

 「非自民の時代」
 これは、我々にとっては、「歴史認識論争の時代」と言い換えた方が
分かりやすいかもしれません。政治の世界では、消費税の影響で参議院
で自民党が惨敗し、過半数を割ったときから民主党政権までの終焉までの
時代に相当します。

 つまり、「政権交代可能な2大政党制」言い換えれば政権担当能力のある
「非自民勢力」の結集という大きなテーマがあった時代です。しかし、それは、
細川政権、民主党政権により、「泡沫(うたかた)の夢」となってしまいました。

「ネトウヨの時代」
 ということで、第二次安倍政権成立で、我が国の政治トレンドは新たな
段階に入ったというのが、私の「現時点での仮説」です。

 言い換えれば、「サヨク」の時代であった「非自民」の時代が民主党政権の
否定で終わった今、この時代を言い表すのに適切な言葉を捜せば、
「ネトウト」となるでしょう。「ネトウト」と「ネット右翼」との乖離等々
色々議論はありますが、これが「時代の雰囲気」というものなのでしょう。

87御前:2014/04/09(水) 05:08:29
頭休めに。
夜中これ見て笑いが止まらず、眠れなかった。

https://www.youtube.com/embed/cbVIzaZ8T7I?rel=0

88キラーカーン:2014/11/25(火) 22:43:16
衆議院が解散され、選挙モードです。
巷では、獲得議席予想が姦しいですが、大きな傾向として

1 自民が議席を減らす(どのレベルかは見解が分かれるが、
 安定多数は確保できるのではないかという見方が強いように思える)
2 民主が議席を増やす(100前後という予想が多いように思える)

となっていますが、これも小選挙区制の効果です。
議席の総数は前回から5減なので、ほぼ同じことから、

自民が減れば、野党が増える

のは理の当然です。
では、どの党が増やすのかといえば、
小選挙区制により、各選挙区の政党数が「2」に修練するという
ドゥベルジェの法則によれば、その恩恵を受けるのは、

痩せても枯れても第2党である民主党

ということになります。
しかし、逆に

第一党が「総取り」状態となって、民主党以下の野党が選挙区で壊滅

という状況もある得るのが小選挙区の怖さです
(カナダでは、与党が総選挙で2議席しか得られなかったという例もあります)

89キラーカーン:2015/01/13(火) 23:37:59
このスレの元記事が「加藤憲政会」と「苦節十年」というわけ
ではないのですが、民主党党首選挙が行われていることもあり、
野党第一党党首論としての、加藤高明論、谷垣論です。

与党の座を明け渡した政党にとって、下野した期間でいかに
党首(執行部)の求心力を保ち、かつ政権奪回の力を蓄えを
するのかというのがはかなりの難問です。

小選挙区制になっても野党の離合集散が行われている我が国の
状況がその端的な例です。

加藤高明は第二次大隈内閣の総辞職後、山縣閥と政友会が
政界の主流となり、憲政会が脇に追いやられる野党時代の
「苦節十年」で憲政会を政友会に匹敵する二大政党の
一角に育て上げ、自身も首相の座に就きます。

谷垣氏も、民主党に政権を奪われ、下野した自民党にとって一番
つらい「苦節三年」時代の自民党総裁として自民党を支え切り
安部政権に繋げた功績というのは政党に評価しないといけないでしょう

現代政治は議院内閣制であっても、「党首力」が全面に出やすい
「大統領制化」が進んでいるという説もあり、その意味では、

旧き善き自民党的政治家の掉尾に位置し「いいひと」である

谷垣氏が首相として求められる機械は巡って来ないかもしれません
恐らく谷垣氏は、後世、「首相になれなかった政治家」として
評価されるでしょう。しかし、「苦節三年」を耐えるために自民党
に必要とされ、そして、その責務をほぼ完全に全うした「守りの政治家」
として評価することは必要だと思います

しかし、現在の民主党党首選挙に立候補している三名にそのような
「苦節○○年」を耐えることができる「党首力」があるかと言えば
それは厳しいものがあるというのが、現時点での私の見立てです

90御前:2015/02/24(火) 13:53:22
とかく中東にはうとい日本人(私も含め)ですが、これからは関わっていかねばならなくなるのでしょう。
イスラム世界研究者、池内恵氏の記事は面白く読んでいます。
アラビア語ができるって、すごいなぁ。

http://chutoislam.blog.fc2.com/

91キラーカーン:2015/03/18(水) 21:34:31
池内氏は、テレビで拝見した限り、
宗教心よりも「脱」宗教心の方ほうが理性的で優れている
というような印象を持ちましたが、
それはそれとして、例の人質事件の当初から、
安易な安部首相批判はテロの片棒を担ぐことになると、
旗幟を明確にしていたという点は、さすがだと思います。

英語を母語とする人にとって、日本語とアラビア語は習得が難しい言語の双璧だそうです。

92キラーカーン:2015/07/26(日) 00:42:23
最近、「田中角栄再評価」的な書籍・ムックをちょくちょく見ます。
20〜30年前は「派閥政治」、「中選挙区制」は「悪の根源」的な見方をされていましたが、
最近は、小選挙区制における「風」の効果の大きさ、より直接的に言えば

自民党に得票率を大きく上回る議席を与える現行選挙制度

に対する反省が強いようです。

私見で言えば、中選挙区制の自民党政権は、「組織化された連立政権」であり、派閥は実質的に「政党」であったというものです。
最大派閥の田中派は社会党(当時)と同じくらいであり、最小の河本(三木)派でも民社党や共産党と同じくらいの議席数でした。

選挙区の定数が増えれば、比例代表に近くなるというのは直感的に理解できると思います。
基本的に、選挙区で議席を獲得するためには
1/(定数+1)
の得票率が必要です(例:2人区では33%、3人区では25%、4人区では20%)

参議院選挙で言えば、2人区独占には、67%(3分の2)以上の得票率は必要
というかなり高いハードルです(候補者乱立なら、もう少しハードルは下がるでしょうが)。

閑話休題
現行衆議院選挙制度が都合が悪いから、田中角栄を持ち上げるというのであれば、
あまりにも節操がないという批判は免れないでしょう。
そうならば、田中角栄を戦後最大の政治家と評した小室直樹を田中角栄を弁護した
故にマスコミから干し、「狂気の学者(博覧狂気)」のレッテルを貼った面々は懺悔してほしいです

93新八:2015/07/26(日) 21:07:48
そうだよね

94キラーカーン:2015/08/09(日) 00:55:59
「田中角栄再評価」本を見て、明治以後で、悪役政治家の「ラスボス」
として語られるある政治家のことが頭をよぎりました。

その名を「山県有朋」というのですが、「歴代首相物語」で彼のことを
「やっと、『等身大』の山県を論ずることができるようになってきた」
という旨の記述があります。

だから同というわけではないのですが、個人的なつぶやきとして

95キラーカーン:2015/09/06(日) 00:44:46
政治における勝者とは、「味方を作る」(「敵を作る」のではない)

アレント・レイプガルト(Arend Lijphard)の「民主主義対民主主義」
と言う比較政治学の古典中の古典があるのですが
同署における氏の結論として

二大政党制による多数決主義よりも他党制によるコンセンサス方式
の方が民主主義が安定する

と言うものがあります。
政治とは多数(過半数)を獲得することを目指す以上、当然のように
思えるかもしれませんが、実はかなり難しいものです。
現実には、「味方を作る」ことの前段階である「敵を作らない」
と言う段階にとどまることが多いと思います。

中選挙区時代の自民党は、この「敵を作らない」あるいは対立しても
「決定的な対立には至らない」と言うシステムが無意識のうちに
組み込まれていたと思います。
それを野党にまで拡大すると「国対政治」といわれていたものに
なると思います。

ただし、「味方を作る」のは難しいものです。
これは、コンセンサス方式(≒全会一致)の場合を考えれば
よくわかると思います。

その逆で「敵を作る」と言う手法は、短期的にはまとまりやすいです。
特に、多数を必要とせず、少数でこじんまりと纏まる場合には効果的です

このため、少数党や一人しか選出できない小選挙区制で「一回限り」
と言うことでは、効果を発揮します。
それは、「究極の小選挙区制」である大統領制でも同じです。

しかし、「敵を作る」という手法は、持続力に欠けます。
それは、「常に敵を必要する」と言うことを必要するために、
敵を妥当すれば、次の敵が必要となり、それは、「際限の無い内ゲバ」
に発展するからです(敵を打倒すれば、次の敵は「昨日の味方」
から見つけるしかないからです。
これが、J・リンス他が「大統領制民主主義の失敗」で指摘した

大統領制は議院内閣制に比べて民主主義の(長期的)安定度に欠ける

と言うことに意味になると思います。
その「敵を作る政治」の頂点にいるのが橋下大阪市長です
彼の政治スタイルは「敵を必要とする」ために、「作っては壊し」
の連続で、安定した政治勢力足り得ないものです。

その意味で、田中角栄は「敵を取り込む」と言う意味で、
有能な政治家だったでしょうし、現在の「敵を作る政治」状況で
一種の懐旧をもって語られる政治家となったのでしょう。

96あきんど:2015/09/08(火) 09:12:32
>カーンさん
とても勉強になります。
例にして許されることなのか不安ですが、学校のクラス内で選ばれる「学級長」というのを、これにあてはめてみると面白いのではないかなと感じました。

色んな意味でそれが当てはまるような気がしてなりません。

97キラーカーン:2015/12/27(日) 23:26:46
そろそろ、年末ですが、「一台の風雲児」こと橋下大阪市長が政治家引退を表明しました。
これまでの書き込みのように、「政治家」橋下徹については、「破壊者」以外の存在意義は見出せません。

ここで、橋下氏の「政界復帰」についての「予想」をしてみたいと思います。
ここでの「予想」の前提ですが
1 氏が「何を言った」かについては「全く考慮しない」。これまでの「行動」のみで判断
2 氏は大統領制を好む
3 (「2」の派生ですが)議院内閣制の「出世コース」はたどらない
です。

で、ここから導き出される橋下氏にとっての「最高」の結論は

初当選=首相就任

です。そして、この条件を極力満たすための条件で、橋下氏が実現可能なのは
ア 「連立与党党首」としての首相就任
のみです。
議院内閣制による王道では、与党第一党の党首としての首相就任ですが、
現在の橋下氏が自民党総裁になれる可能性はゼロでしょう。
と言うわけで、「ア」の条件に戻るのですが、この条件が成就するのは
「特殊状況」下です。

55年体制の自民党でも、「保守本流」といわれた旧田中派の系列、同大平派(宏池会)、同福田派(清和会)以外から首相が出た事例を想起
すれば、わかると思います。

三木政権は、ロッキード事件
中曽根政権は、鈴木首相辞任後、次世代(安倍晋太郎、竹下、宮沢)が育つまでの端境期で「三角大福中」の最終便で滑り込んだ
宇野政権は、リクルート事件での混乱
海部政権は、リクルーと事件の混乱が収まらないうちに宇野政権が退陣
という「特殊事情」が必要となります。

とすると、橋下氏が国政復帰するためには

「維新」が加わることで、改憲に必要な2/3の議席を得られることで、
「改憲」決議に賛成することの見返りとして橋下氏に首相就任

がほぼ唯一の「実現可能」なシナリオでしょうが、実現可能性はそう大きくはないでしょう。

補足
上記の「シナリオ」を補足として
α:「忘れられない」ための入閣は、非議員としての入閣
β:その際「非議員の副総理」という条件をつける
γ:「非議員閣僚では副総理になれない」という「憲法上の欠陥」を煽る
Δ:議院内閣制を大統領制(ひいては「象徴天皇制の廃止」)に変える憲法改正を目指す

という「究極シナリオ」も射程に入ります
※「副総理」が総理代行の期間中は、首相の権限を「全て」行使できる
という憲法学説もあるため、「副総理」にも総理と同様に「国会議員」
という条件が「運用」として、付される可能性があります
(これまでは、非議員副総理という事例はない)

98キラーカーン:2016/06/18(土) 00:28:01
またまた、首都大学東京の「気鋭の憲法学者」の木村草太氏が、

憲法第7条に「国民のために」という文言があるので、
国民のためにならない解散の上奏を天皇は拒否できる

という奇怪な説を述べています。
「アベニクシー」が嵩じて「象徴天皇制」すら忘れてしまったようです

つい最近まで、「立憲君主制の母国」であるイギリスでも、
「最後に残された国王大権」として、極限られた場合には
首相の解散の上奏を国王は拒否できる、とされていました。

現在は、英国でも、衆議院選挙は原則として任期満了選挙であり、
首相の解散権は原則としてはないという法律が成立して、
首相の解散権は制限されています。

我が国のように、現在では、無制限の首相の解散権を認めている国は
少数派なので、「首相の解散権」の制限については、「一般論」として
論ずる実益はあるので若干の解説をします

英国で首相の解散権が制限する法律が成立したのは

1 総選挙での敗北が首相の自動的辞任とはならない
 (憲法上は「勝つまで」解散することが出来る)
2 現在は保守党と自由民主党との連立政権なので、連立与党として
 首相(与党第一党の党首)の解散権への拒否権を確保したい

という二つの理由で成立しました。
この「1」のカッコ書きの理由による解散の上奏については、
国王に拒否権があるというのが、英国憲法上の有力な解釈でした

翻って、我が国の状況を見るに

1 憲法上天皇には「国政に関する権能はない」ので、内閣の上奏
 に対する拒否権を有しないというのが「確立した解釈・運用」
2 憲法上、衆議院選挙後、初めて召集される国会の開会に際して
 総辞職し、その国会の最初の議題が首班指名である

と言うことになっていますので、実は、日本国憲法上、首相の解散権
を制約する理由に乏しいということになります。

「1」の理由として、憲法第7条の「国民のため」は、同条の「国政に
関する権能を有しない」と対になって、国事行為における天皇の恣意を
排除するという趣旨でしょう。

このため、解散の上奏拒否というを認めるということは「天皇の政治介入」
を認めることになり、象徴天皇制と言う日本国憲法の「大原則」を無視
することとなります。
(「象徴天皇制」の変更も「憲法改正限界説」によれば、改正できない
 との見解を導くことも可能です⇒国民主権の実質的改正)

「2」の規定により、「大義のなき解散」を行った首相(内閣・与党)は
選挙で敗北し、国会召集時に内閣総辞職を強いられるので、その時点で
責任を取らされる(「勝つまで解散」は不可能)

と言うことになるので、現状でもあまり実害はないということになります。
残る論点としては、連立内閣の場合で解散についての見解が割れた
と言う場合ですが、それこそ「解散して信を問う」ということが
正当化されてしまいます。

99Doctor.K:2016/06/18(土) 09:08:16
上記のキラーカーン様の投稿を読んで、憲法7条の「国民のために」とはどういうことかと思い、手元の参考書から探してみました。

「帝国議会での憲法改正案審議の際、『国民のために』は、『国民の名において』もしくは『国民に代わって』の意味なのか、『国民の利益のために』の意味なのかと質されて、答弁者は後者であると答えているが、通説は前者であると解している。(中略)したがって、『国民のために』という文言は、明治憲法下の天皇の行為が統治権の総攬者である天皇の固有の権能の行使として行われたものであったのに対し、そのような天皇のあり方をあらためて否定する意味をもつ」(『注釈憲法1』有斐閣、2000年、268-269ページ)。

100キラーカーン:2016/06/19(日) 01:30:30
>>答弁者は後者であると答えているが、通説は前者であると解している。

そのようなやり取りがされているとは知りませんでした。
ただ、憲法学者の「傾向と対策」から、そういう解釈が「通説」だろうとは
思っていましたが。

ちなみに、私の憲法の教科書は佐藤幸治の「憲法」でした。

101御前:2016/07/02(土) 23:35:53
素晴らしい、よくぞ言いました!

https://www.youtube.com/watch?v=9Ln92GuxmIA

102キラーカーン:2016/07/04(月) 01:22:57
御前様

ネットの発達で、誰でも、マスコミと同じように世界中に「報道」
できる手段を手に入れたことで、マスコミの「報道しない自由」
が通用しないと言うことなのでしょう。

追伸
サッカーの欧州選手権でイタリアはドイツにPK戦の末に負けました
イタリアの前評判は決して高くはなかったのですが、コンテ監督の
「相手はドイツ。負ければ終わり。累積警告を考慮する余裕はない」
と啖呵を切れば、

ドイツのレーヴ監督も、今大会初めてという
「対イタリアスペシャル」
の布陣で対峙するという采配を見せてくれました

しかし、なんといっても見所はPK戦でのブッフォンとノイアーとの

ゴールキーパー世界一決定戦

でした

103御前:2016/07/12(火) 08:44:31
参院選に青山繁晴氏が当選したのは(それも上位)、日本もちょっと希望持てます。

104キラーカーン:2016/07/14(木) 00:48:51
組織的な支援がない青山氏が50万票超を取ったのはびっくりしました
青山氏の政策志向からすれば、「こころ」辺りから出馬なのでしょうが
その辺りが自民党の「懐の深さ」といったところでしょうか。

今回から有権者となった18才から20歳までの有権者の比例区の投票先は
自民党が多く、「こころ」も全国平均より多かったとのことです

先日の英国の国民投票もそうですが、「明示された主権者の意思」
は非常に重いものです。

フランスの第五共和国憲法も直接国民投票で改正するというのは、
当時では「違憲の手法」だったのですが、最高裁は

違憲の手続きといえども、主権者の意思が明示された以上、
それに従わざるを得ない

ということで、「違憲の手続きによる憲法改正」を追認しました

英国も、最近まで最高裁は上院の中にあり、違憲立法審査権もない
(主権者の意思の合憲違憲を問うのはナンセンス)という体制でした。
これほど主権者の意思は重いものです。

105御前:2016/07/15(金) 16:02:17
このまま行ったら、昭和15年生まれで終戦時20歳男が当選する可能性大。そうなったら、東京は舛添体制どころの話はなくなるでしょう。小笠原も中国の実効支配下に入るんぢゃね? オール野党支持の都知事が誕生するのは、票割れさせた自民党(安倍さん含み)の功績ということになりますわね。

106キラーカーン:2016/07/17(日) 00:48:53
>>昭和15年生まれで終戦時20歳男

好意的に解釈すれば「60年安保」が『終戦』だったということでしょう
(昭和15年生まれで20歳はちょうど1960年になります)

自民党都連の「迷走」具合には目も当てられません。
(そもそも、最初から国会議員を排除して推薦候補者選定を
 進めたことから、???状態でしたが)

石原長男も「リーダーの器」ではなかったということです。

107新八:2016/07/19(火) 17:57:32
やべぇ、櫻井誠の演説聞いて涙出ちゃった。

統一候補が巣鴨で演説したらしいですが、その後の動員された共産党の方々のご発言が面白いです。
youtubeで、適当に検索すれば当たるので、ご覧あれ(ってもう見てますよね)

108御前:2016/07/19(火) 19:54:02
小池百合子氏、リードの模様。
鳥越氏は巣鴨に人を集めておいて、応援に来てた森進一に歌わせてお終いにしたらしいですね。ジジババの原宿「巣鴨」だから、喋らなくても森進一を連れてきゃOKとか思ったのか...

https://pbs.twimg.com/media/Cnov0nJVIAEYg7f.jpg

109キラーカーン:2016/08/05(金) 00:56:35
都知事選挙も終わりましたが、はっきり言って

・自民党東京都連の自滅
・それにもまして、野党4党のふがいなさ
・鳥越候補の「斜め上」のはずれ具合

といったのが、「主役」でしょうか。
そのあおりで、

・立候補を取り下げた宇都宮氏の評価が上がったり、
・SEALDの「常負不勝」あるいは「逆神」伝説の最終章
・宇都宮氏に対する「内ゲバ」
・鳥越氏の女性問題と慰安婦問題との間の「ダブルスタンダード」を見せつけた「リベラル」

という「リベラル」の終わりになり得るものでした。

ただ、

・与党分裂といえども宇都宮氏では勝てない

という野党の判断は正しかったと思います。また、

・増田氏は期待通りでしたが、小池氏出馬受けての対応が拙劣すぎた

というところでしょう。
投票後には、病床の谷垣幹事長(当時)に責任をなすりつけるといった
醜態をさらけ出しました。

まぁ、「古い政治」の終わりの終わりとなったのがこの選挙になるのかもしれません

110御前:2016/08/07(日) 13:28:17
都知事は女性が選ばれ、防衛大臣も稲田氏になりましたね。でもって早々にこの問題。どうするんですか、コレ!?
憲法改正やってる時間はないと思いますが...深刻
 

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/08/2303.php

111新八:2016/08/08(月) 19:05:49
世の中、めまぐるしい…
挨拶ボイコットで、醜態を更にさらし(小学生か!)

東シナ海
オリンピック
高校野球

陛下…

112キラーカーン:2016/08/16(火) 00:46:38
東シナ海は、「敵失」で「ボーナスポイント」が転がり込んできたという感じです
(海難事故で、排他的に救助活動を行えたというのは、わが国の実効支配下
 にあるという何よりの実証になります)

陛下の「お言葉」については、

「陛下のお気持ちを汲んで制度を変更する」ことはNGなので 、
「べっ、別にあんたのためにやったんじゃないから、勘違いしないでねっ!!」

というツンデレ的な対応が政府に求められるという展開になりました。
「皇太子の不在」については、旧皇室典範でも、昭和元年から今上陛下
のご生誕まで「皇太子不在」の時期がありましたので、問題になるとは
思えません。

オリンピックは、これまでと違って、「下馬評」どおりにメダルが取れているので
選手のメンタル面の調整もうまく言っているのかな、という印象を持っています

113御前:2016/08/16(火) 11:15:11
抗議と極めて遺憾をお題目のように唱え続けていた結果がこれですから...
また来年もやりそう。でもって、毎年恒例になるんだろうか。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160815-00000124-jij-pol

114新八:2016/08/19(金) 22:08:59
とりあえず、貼っておきます

https://www.youtube.com/watch?v=exQZL9y8Kco

メンタルの重要性は理解できる。
しかし、メンタルってどうやって鍛えるのか?
(「おおきく振りかぶって」にさわりが表現されている。大事なことは漫画に書いてあるなぁと思うことです。)

115キラーカーン:2016/08/27(土) 02:21:08
オリンピックも終わりました。

カヌーでの初メダルをはじめ、メダルの数は期待以上で、
かつてのような「とらぬ狸の・・・」とならなかったのは
よかったと思います。

人類は吉田沙保里を倒すのに16年かかった
(伊調馨は12年以上かかっても倒せていませんが、
 人類より前に吉田沙保里が倒していた)

という言葉も生まれました。
とにかく、4年後の東京を楽しみにしましょう

116御前:2016/08/31(水) 14:40:07
水差すわけじゃないですけど、日本は今度のオリンピック開催国を最後にした方がいいかもですね。高度成長の時代と違い、今やオリンピックやっても黒字より赤字が多く、特に先進国はもう開催国になるのに熱くならない。
莫大な金を投じてオリンピック施設やら選手村やら整えても、宴が終わればゴーストタウンというところばっかりだし...

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/3cf5b85398830a3d1e79705c133ece93

だから逆説的に、「最後」の東京オリンピックで盛り上がりたいって思いますけどね。

117キラーカーン:2016/09/01(木) 23:05:48
確かに、今の日本では、五輪開催地でなくても楽しめるという幸せな国でもあります。

>>宴が終わればゴーストタウン

冬季五輪のサラエボはゴーストタウンどころか「戦場」となりました

118キラーカーン:2016/11/20(日) 01:08:37
米国の大統領選挙が終わり、まさかのトランプ当選で
世界を巻き込んでの大騒ぎとなっていますが、個人的な感想を言えば、

「アメリカもとうとう大統領制の暗黒面に堕ちたか」

というものです。
大統領制は「全国一区の小選挙区制」であるため、
対立陣営が「仁義なき戦い」となって、民主政治が機能しなくなる
というのは、このスレでも述べてきましたが、今回の大統領選挙も

中間層から零れ落ちた白人層vsマイノリティ+グローバリストの勝者(いわゆる「リベラル」)

の埋まりがたい溝が拡大しこそすれ、埋まらないことから、
政治の停滞を招いて、それに政治的に「中立」な軍の介入を招く
という展開で、民主政治が崩壊するという途を南米諸国が歩んだ
といわれています

しかし、米国は例外的に、大統領制でも「溝」が拡大しない
政治風土にあるといわれてきたのですが、今回の選挙で
リベラルの振る舞いが余りにも狭量に過ぎて、米国の分断を拡大
させているという状況になっています。
トランプ、クリントン両氏は選挙終了後、

「大統領は米国全体の大統領であって、支持者の大統領ではない」

という声明を出していることが、その「溝」の拡大に対する懸念を
表明しているのが救いです。

当選しても、大統領選での「公約」がそのまま実行できるとは限らない
のは、洋の東西を問わず一般的な傾向でありますが、トランプ氏もそうなるでしょうか

個人的には、任期途中で「もうやめた」と辞任するリスクもあるのかなと
思っています

119新八:2016/11/23(水) 15:58:40
トランプさんが大統領選挙に勝利しました。
ドナルド・トランプさんを戦車道適合戦車になぞらえるとすると
何になるでしょう。(下げは、「それだ!」で)

これは、私のオリジナルなので、たたき台として考えてください。

カエサル「ドナルド・トランプを戦車に譬えるなら何になるだろう。差し詰め私なら、WASPが満を持して送り出したM-26パーシングと言ったところだろうか。」
エルビン「いや、グローバリストが跋扈する世界に、突然現れ、戦局に決定的な変化をもたらした、Ⅴ号ティーガーⅠだろう。」
左衛門佐「M-4シャーマンに16ポンド砲をのっけただけで、戦局が好転できると期待させたファイア・フライなんじゃないか?」
澤梓  「移民の無制限な流入阻止と、TPP非批准の二方向同時射撃で、だれしも予想し得なかった結果をもたらした、M-3リーじゃないかと…」
カエサル・エルビン・左衛門佐「それだ!」

120新八:2016/11/23(水) 16:00:51
すいません、「おりょう」が抜けてました。

121キラーカーン:2017/07/04(火) 23:29:40
小池都知事が、都民ファーストの代表を辞任するという理由として
「二元代表制」云々で、首長が議会会派の党首を務めるわけには行かない
といっているようですが、二元代表制とは、首長の地位が議会の信任に依存しない
という意味であって、「首長が党首であってはいけない」という意味ではありません。

最近の例では、マクロン仏大統領が自らが党首となって新党を立ち上げました。
わが国の地方自治体制度でも、議会による首長不信任が規定されています。
この点で、アメリカのように「完全な」二元代表制ではないので、
首長が政党党首を務める意味はあります。

まぁ、都民ファーストが有象無象の寄集めで、これからは「ボロしか出ない」
ので、今のうちに利益確定させて、「損切り」したというところでしょう。
下村衆議院議員の元秘書が訴えられて、議員辞職或いは失職の可能性もあるので
その際の追求も前もって避けるといったところでしょう。

122御前:2017/07/05(水) 02:54:54
小池氏辞任の後、都民ファーストの会代表になるのが野田数氏と聞いて驚きました。(ガセじゃないだろうな?)
野田氏って大日本帝国憲法復活だの天皇主権だの、まるで皇国史観かというようなこと言ってる人でしょう? 
自民大敗でザマァみろと喜んでいる「オール・マスコミ」は、どうするんだろ? 
面白そうだから、是非大騒ぎになりますように〜

123キラーカーン:2017/08/04(金) 01:52:45
内閣改造が行われました。
左右問わず、最大の話題は、「河野外相」でしょう。

昭和の時代、「重要閣僚」とは、外務、財務(大蔵)、経産(通産)を指していました。

ここで、河野外相が実績を残し、「河野洋平の長男」という呪縛を解けば、
「いざという場合」の総理総裁候補にのし上がれるかもしれません。

一方、岸田前外相は、5年近く外相を務め、政調会長という、
総理総裁コースの「本流」に乗ることができました。

政調会長を無難にこなせば、衆目の一致する「将来の総理総裁候補」
として認知されます。

その後は、党幹事長と財務大臣の座を狙うこととなります。
そこまで行けば、「一度は総理総裁の座に着くべき男」とみなされるでしょう。

124新八:2017/08/04(金) 13:47:32
なるほどなるほど、勉強になります。
岸田前外相には、
政調会長→財務大臣→幹事長→総理大臣
といった流れで総理の座を射止めて貰いたいものです。

私としては、今回の組閣に関して、野田総務相というところが面白い点かと思っております。
メディアが、良い感じに持ち上げているところが特に関心の高いところです。

125キラーカーン:2017/10/01(日) 01:51:33
>>ここから導き出される橋下氏にとっての「最高」の結論は
>>初当選=首相就任
>>です。そして、この条件を極力満たすための条件で、橋下氏が実現可能なのは
>>ア 「連立与党党首」としての首相就任
>>のみです。
(中略)
>>と言うわけで、「ア」の条件に戻るのですが、この条件が成就するのは
>>「特殊状況」下です。
(中略)
>>とすると、橋下氏が国政復帰するためには
>>「維新」が加わることで、改憲に必要な2/3の議席を得られることで、
>>「改憲」決議に賛成することの見返りとして橋下氏に首相就任

という投稿を以前したことがありますが、小池都知事がこの路線を進む可能性が
出てきました。

「小池新党」は過半数を取れない(=首相になれない)と予測する人は多いのですが、
(欧州では与党第一党党首が首相になるのが大原則です。)
我が国の政治風土では珍しくありません。

終戦直後では、片山内閣総辞職後、与党第二等の芦田内閣が発足したり、
細川内閣では、細川首相の日本新党は与党第四党でした。
また、村山内閣では村山首相の社会党は与党第二党でした。

追伸
『民進党蘇生計画 (中央公論 Digital Digest)』
が本年9月25日発売という素晴らしいタイミングでの発売でした


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