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小沢民主党は加藤憲政会のように「苦節十年」となるか
47
:
キラーカーン
:2009/08/29(土) 23:54:45
床屋政談(政友会の下野と自民党、あるいは政友会の落日と加藤高明内閣)
第4次伊藤内閣の失敗を糧に第1次、第2次西園寺内閣、第1次山本内閣で着実に統治能力を身に着けていった政友会ですが、第1次山本内閣がジーメンス事件で内閣総辞職になって、第2次大隈政権で野党になり、かつ、総選挙で過半数を割ってしまいました。
政友会は、その後、寺内内閣を経て原内閣で政権に返り咲きます。原内閣は、総裁の原敬の指導力(米国のテツオ・ナジタ氏に「政治技術の巨匠」とまでいわれた)もあり、当時では3年以上という長期政権となりましたが、原首相の暗殺で突然の終焉を迎えました。
以後、政友会は、迷走を続けます。原内閣の後継総裁・首相となった高橋是清ですが、指導力不足により、内閣は短期間で瓦解します。続く加藤友三郎政権では、閣外協力(貴族院の政友会系の議員のみ入閣)に甘んじ、第2続く第2次山本内閣では、第1次とは異なり、完全野党、そして、続く清浦政権では、「野党ボケ」で清浦首相からの「禅譲路線」を目指す一派が政友本党として政友会から分裂して、総選挙に臨むこととなり、憲政会に第1党の座を奪われてしまいます(しかも、第2党は政友本党)。
余談になりますが、いわゆる首相と与党を決定する完全な「政権選択選挙」というのは、日本憲政史上このときの選挙のみであり、今回の総選挙が2回目となります(清浦内閣は政党内閣路線へ道を戻す「選挙管理内閣」という側面がありました)
果たして、政友会が原長期政権の後に
原内閣→高橋内閣→加藤友三郎内閣→第2次山本内閣→清浦内閣→加藤高明内閣
と転落して行ったように(それでも、政権担当能力がある大2等の出現という「メリット」もありましたが)、自民党も、小泉長期政権の後に
小泉内閣→安倍内閣→福田内閣→麻生内閣→鳩山内閣
というように転落するのか、あるいは、民主党が第2次大隈内閣で政権担当能力の実証に失敗して「苦節十年」の時代になるのと入れ替わりに、政権与党に返り咲くのか、日本の大正デモクラシーとの関係で
歴史は繰り返すのかという興味があります
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