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小沢民主党は加藤憲政会のように「苦節十年」となるか

48キラーカーン:2009/10/27(火) 00:43:36
床屋政談「岡田外相と桂太郎と鈴木貫太郎」
平成の御世に犬養毅と並んで「憲政の神様」といわれた尾崎「愕堂」行雄がいれば、同じ「ゆきお」内閣の外相発言についても

詔勅を以って弾丸と無し、玉座を以って胸壁となす

と言うのではないでしょうか。
 この言葉は、二個師団増設問題→上原陸相単独辞任→第二次西園寺内閣総辞職で沸き起こった大正政変(第一次護憲運動)の真っ只中で成立した第三次桂内閣が混乱する政局を収集するために「詔勅」を利用した事を衆議院で尾崎議員が追求した時の有名な言葉です。
 もちろん、現在は、内閣の助言と承認に基づいて天皇の国事行為とそれに準ずる行為が行なわれることとなっていますので、国会召集時の天皇陛下の「お言葉」について、それに対する影響について、内閣が全責任を負うと腹をくくれば、各内閣がその時々の情勢を盛り込んだ「創意工夫に富む『お言葉』を作成すること」も可能でしょう。しかし、首相の施政方針演説ではなく、陛下のお言葉に「〇〇法案・・・」というような個別具体的な案件を載せるということは、それ自体

陛下の政治的利用

といわれても仕方がないでしょう。つまり、首相の施政方針演説に盛り込まれた案件よりも重要な課題として示されたということを意味するのは間違いありませんから。

 ダイシー(や英国の立憲君主制の実例)を持ち出すまでもなく、立憲君主制とは、内閣(や国会)が権力的部分を担当し、君主(天皇)が権威的部分を担当するという権威と権力の分割(と輔弼/助言と承認による融合)という危うい「政治的フィクション」によって成立しています。天皇陛下の「お言葉」もその「フィクション」の反映であるわけです。そのため、「お言葉」は基本的には政治から超越した内容(=一般論極まりない)内容であるわけです。それは

右派の「陛下に責を帰し奉らない」
左派の「陛下の政治的利用の抑止」

という左右両派の妥協の上に現在の象徴天皇制の運用がなされているということです。そのため、現行憲法の「国政に関する機能を有しない」という条文は制定主旨がどうであれ、結論として、日本の歴史にも合致した「よい制度」だと思っています。
 もちろん、その「フィクション」の構造を変えて象徴天皇制を維持するということは論理的には可能です。ひいては、その変更をお言葉に反映させるということも可能です。そういうことが可能かどうか、とりあえず「思考実験」としてみましたが、とりあえずの案は

首相の施政方針演説を廃止して、天皇陛下の「お言葉」に統一させる。「お言葉」に対する質問については首相が全責任を持って答える

とすれば一応は可能です。この主旨は「『お言葉』ー『施政方針演説』=0」という数式を確立することにより、陛下のお言葉の政治的部分については首相(内閣)が全責任を負っているということを明らかにするということです。これは、英国王が議会で「施政方針演説」を行なっているということを参考にしたものですが(http://news.livedoor.com/article/detail/4414310/参照)、これは、英国(女)王陛下は内閣を指して「My Government(私の政府=内閣)」ということが許されているからであって、天皇陛下が同じ事を言えば、それこそ・・・という事態になることは予想されます。
 そして、この件が問題になっての岡田外相の弁明ですが

「陛下のご意思として従来と同じように続けるというのなら、それは陛下の判断だ」

こんな問題で「聖断」を求めてどうするのか。そういう問題が起きないように、内閣が全責任を持って「助言と承認」を行なうというのが象徴内閣制の根本でです。開いた口がふさがらないのは こういうことを指すのでしょう。先帝陛下は好きなテレビ番組を聴かれてもお答えにはなりませんでしたし、大臣の内奏の内容を漏らしただけでも批判を浴びて辞任に追い込まれた実例があります(増原内奏問題)。
 こんなことで陛下の宸襟を悩ませ奉るのは輔弼の臣として失格以外の何者でもありません。降伏か徹底抗戦かの板ばさみで「最後の切り札」として聖断を使った鈴木貫太郎総理(当時)も草葉の陰でないているでしょう。

 書いていて馬鹿らしくなりましたので、ここまでにしておきます。


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