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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
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仕切り直します。
新しいスレッドも、基本的な課題設定から始めます。
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生物の進化と多様化の科学なる番組を現在もBS232で放送していますが、同番組講師の主張は相変わらず古色蒼然たる自然選択論に軸足を置いており、全く無意味です。
同講師は他の自然選択論支持者と同様自然選択論の工程を全く理解していません。
つまり自然選択論に無知でありながら、それを正しいと信じ込む例の不明の態度を取り続けます。
同講師も他の自然選択論者と同様自然選択論のセントラルドグマである「選択」の概念を理解していません。
ダーウィンは少なくとも自然選択が膨大な敗者を生むシステムであることまでは理解していましたが、彼の追随者たちの多くはその事実すら理解していません。
しかしダーウィンが理解できていたのはそこまでで、その形質の優位性が生存率にどれだけの差異をもたらすのかについてまでは想像力が及びませんでした。
これは致命的な見落としです。
自然が行使できる唯一の力が生存の制限、つまり生存率に関してであることに対する理解が不足している訳です。
その点を多くの自然選択論支持者たちは極めて安易な態度でに見過ごしています。
有性生殖で言うなら繁殖年齢における生存率の差異が現実にどれほどのものなのか。
その具体的な考察を行って自然選択論を検証しようとした自然選択論者は皆無です。
それが自然選択論を科学として検証する核心です。
それが言い出せない、それを認識するだけの知能が無い、勇気が無い、目を背ける、権威に隷属する、それらがないまぜになって自然選択論の悪夢は続きます。
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ダーウィンは宗教嫌い、唯物論嫌いです。
彼のターゲットは宗教的創造論であり、有神論的進化論ではありません。
言いたかったのはただ一つ、種は変異する、です。
そしてその変異の原因を自然選択に求めます。
そもそも進化と言う言葉も最初は使っていませんでした。
自然選択のアイデアを得たマルサスの人口論も稚拙、とても一般論に敷衍できる代物ではありません。
何故ダーウィンがこれ程までに自然選択論に固執したのかも不明。
その自説の正当化しようとする異常な情熱の出所も不明です。
科学と言う用語を殆ど使わない彼が科学をどこまで意識していたかも不明です。
少なくとも科学的方法論には関心があったとは思えません。
従って全ては彼の想像の世界の中で語られており、事実による検証は皆無です。
ダーウィン自身が自然選択の工程に対する理解が不足しているので、検証の仕様もありませんね。
その自然選択論を無検証に金科玉条の如く信じ奉る。
未だにそれをやっているのが総合説に代表される現代進化論です。
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設計問題はあらゆる場面で突き付けられます。
現代科学の進歩はそれを更に切実なものにします。
宗教とそれをしっかり切り分けるためには上質の知性が必要です。
それが無い者に語る資格はありません。
宗教者には更に語る資格がないですね。
宗教者もどきも。
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デザイナーの存在そのものや、どのようにして生物の進化を司ったのか、
客観的に示せないなら、「科学理論ではない」ということはわかりますか。
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設計問題はあらゆる場面で突き付けられます。
現代科学の進歩はそれを更に切実なものにします。
宗教とそれをしっかり切り分けるためには上質の知性が必要です。
それが無い者に語る資格はありません。
宗教者には更に語る資格がないですね。
宗教者もどきも。
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極小世界から全宇宙まで張り巡らされた膨大なアルゴリズムも極めて明確にその存在を窺わせます。
より明示的なのは生物の存在ですね。
中でもゲノム情報の暗号性はその存在なしには決して有り得ないこの上なくあからさまな事実として提示されます。
全ては単一では存在しえず、膨大なアルゴリズムの中で相互連携の中で初めて存立し得ます。
ダーウィンも生物種間の相互連携については何度も言及していますが、残念ながらそれが自然選択論にフィードバックされることは
全くありません。
自然選択論は彼が大事に温めて育てた子供で如何に風雨に曝されようと守り抜く、大変ひ弱な過保護児です。
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ダーウィンは宗教嫌い、唯物論嫌いです。
彼のターゲットは宗教的創造論であり、有神論的進化論ではありません。
言いたかったのはただ一つ、種は変異する、です。
そしてその変異の原因を自然選択に求めます。
そもそも進化と言う言葉も最初は使っていませんでした。
自然選択のアイデアを得たマルサスの人口論も稚拙、とても一般論に敷衍できる代物ではありません。
何故ダーウィンがこれ程までに自然選択論に固執したのかも不明。
その自説の正当化しようとする異常な情熱の出所も不明です。
科学と言う用語を殆ど使わない彼が科学をどこまで意識していたかも不明です。
少なくとも科学的方法論には関心があったとは思えません。
従って全ては彼の想像の世界の中で語られており、事実による検証は皆無です。
ダーウィン自身が自然選択の工程に対する理解が不足しているので、検証の仕様もありませんね。
その自然選択論を無検証に金科玉条の如く信じ奉る。
未だにそれをやっているのが総合説に代表される現代進化論です。
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自然選択論は極めて稚拙です。
それに対して進化の過程は極めて複雑で精妙です。
とても偶々の変異とそれに対する環境による生存率の制限で説明できる代物ではありません。
自然選択論において自然が行使できる唯一の力は生存率の制限です。
それによって全てが成し遂げられるとダーウィンは言っている訳です。
それが科学的であると主張し信じ込んでいる人たちが未だにアカデミズムの中央に陣取っているんですから呆れます。
中立説は自然選択論に対立こそすれ補強しないものであることは言うまでもありませんが、それがあたかも自然選択と折り合って説明可能であると言うデタラメなレトリックが弄されます。
まず何が必要か、それは自然選択論を一度完全にリセットして素直に進化の事実と向き合う事です。
それが出来ない限り、進化論が科学として成立することは決してありません。
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今回の最重要点はこれですね。
>当時は現在の知識では摩訶不思議な物質が真面目に論じられてきました。熱や磁気、電気も粒子と考えられたりしてました。
>磁気なんか鉄の中を自由に透過して他の物質に影響しないのにその粒子同士は作用する不思議物質と考えられていました。
摩訶不思議かどうかしりませんが、波動方程式を見れば分かるように、波動は質量と弾性を前提にしています。質量があれば「質量×加速度」の抵抗を生じ、弾性があれば「ばね定数×変位」の抵抗を生じます。そういう抵抗を生じる物質が切れ目なくつながっていれば、物体がすり抜けることができません。
熱や磁気や電気が物体をすり抜ける粒子なら、光粒子と同様、つながりのない離散的な存在ということです。波を伝える媒質でないならそれでよいですが、すり抜ける粒子は波を伝えません。
質量の定義はMaなる抵抗を与える存在です。弾性の定義はKxなる抵抗を与える存在です。抵抗自体が定義なのですから、巨大な弾性をもつエーテルは、エーテル同士だろうが、別の物体とだろうが、すり抜けることはありません。この場合の別の物体は、天体や砲弾や人間のことで、自分も質量と弾性をもつ存在です。
もし磁気の粒子なるものが他の物体をすり抜けるなら、磁気粒子間には弾性を作るような相互作用が働かず、その粒子同士が干渉するなら、干渉の原因は弾性ではないということです。
そのことは、熱、電気、磁気の作用が、加速度に比例する慣性力とも、釣り合いからの変位に比例する弾性力とも、まったく異なる法則に従うことで裏付けられます。熱、電気、磁気の粒子なるものがあったとて、その事例を波動の媒質には適用できません。
>貴方が硬い硬い言うからそれに合わせているだけです。
>私は流体だと言っています。
波を伝える空気も水も流体ですが、その中を動く物体は抵抗をうけます。当然です。質量と弾性がなければ波は伝わりません。そして波動方程式に従えば、巨大な速度の波には巨大な弾性が必要で、必然的に「ばね定数×変位」の巨大な抵抗を生じます。流体か固体かの問題ではありません。
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>密度が濃くても通過する並びがあるとしてそれより密度の薄い方が全く通過しないって明らかにおかしいですよね。
おかしいですか? 要は、物質が均一に分布するか、部分に集中するかの問題でしょう。
17世紀のボイルの実験以来、一様に見える物質も、実は細かい粒子に集中しており、粒子間に隙間があると分かってきました。でも、なぜ集中するかは不明な時代です。物質が粒子に集中するなら、粒子同士の集中も、集中の集中も考えられます。ダイヤモンドと黒鉛では、集中形態が異なることも考えられます。どんな構造を否定する法則もないのですから。
>エーテルのみ頑なに否定するのはおかしいと思いますね。
いいえ。質量と弾性をもつ物質が切れ目なくつながりながら、物体の通過に抵抗を与えないのは、物理法則で否定されます。そういう物理法則があるのだから、しかたがありません。物質内部の構造とは、そこが違います。
>スリットの縁に引っかかって軌道が曲がって結果的に干渉縞が生じるとか粒子だけでも無理くり説明も出来ますよ。
実際に、18世紀までに観測された縞模様は粒子説で説明されました。しかし、2重スリット実験の縞模様は、ニュートン環の縞模様とは違うのです。ファインマンの図は光ではなく電子を扱ったものですが、同じ現象なので、再度紹介します。スクリーンに反映されるのが、光の明るさと考えれば、ヤングの実験の再現になります。
www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html
Fig. 37–1は粒子が2つのスリットを通る場合ですが、スクリーン上の光の強さは、2つのスリットを通ってくる光の合計になってるのが分かりますか? 粒子なら当然そうなります。
ところがFig. 37–2では、2つの光が重なった部分に、1つの光だけの時より暗い部分がありますよね。これこそ、ヤングが見つけた、粒子では絶対にありえない現象です。2つの合計が1つの時より暗くなる現象を説明できるのは、波の位相しかありません。位相が180度ずれた波は、打ち消しあうからです。
もはやエーテルの矛盾があっても波動説を排除できませんでした。時系列を整理すると、
18世紀まで:波動説にはエーテルの矛盾、粒子説には矛盾なし→波動説は正しい科学を逸脱
2重スリット実験:波動説にはエーテルの矛盾、粒子説には干渉縞の矛盾→どちらも逸脱
電磁波の発見:波動説の矛盾は解消、粒子説には干渉縞の矛盾→粒子説が逸脱
となります。
>実際に並べた鉄球で波動は伝わります。
それは鉄球に質量と弾性があるからでしょうが!
「並べた鉄球」って説明のための比喩ではなく、本物の鉄球を言われていたのですか? それなら、並べた鉄球にご自身が突っ込んで、無抵抗で通過できるか、試してみてください。
>vって波の伝播速度であって媒質の速度じゃ無いですからね。
むろんです。私の投稿のどこが媒質自体の移動を語っていますか? 波の伝播速度を解析した結果が「v² = KL²/M」だと言っており、解析過程も紹介しました。否定をなさるのなら「v² = KL²/M」以外の形で、波の伝播速度を表してください。
>合理性が無いのにコンセンサスが得られてるもんはないでしょ。
それは切り口が違います。エーテルは矛盾というコンセンサスがあったか、と問われたのだから、合理性がある理論が必ずコンセンサスを得られるかを考えるべきです。データに裏付けられたセンメルウェイスの主張は、コンセンサスを得ませんでした。合理性のない理論がコンセンサスを得るのは不可能でしょうが、合理性のある理論がコンセンサスを得ないことはあり得ます。
>「当時はそう思われてなかった」、と言うことは変えようがありません。
>>582で述べたとおりです。検証対象は当時の理論です。当時の科学者ではありません。
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ID論の証明は、従来の科学的証明とは異なります。
その理由は「知性」を証明する必要があるからです。
この知性の存在自体が従来の科学の方法論には馴染みません。
知性の定義自体が科学的には中々説明しづらいものだからです。
だからと言ってそれを非科学的と非難するのはお門違いですね。
では、人間の持つ知性は一体どう説明するんでしょう。
我々は人間の持つ知性に対してさえその実体に十分な説明を与えることは出来ません。
しかし「知性」が無ければ文明が成り立たない事は誰でも理解できる紛れもない事実です。
逆にこの文明を成り立たせているものが知性であると定義することも出来るでしょう。
ではその知性の由来は一体何処から来てるのか、それを完全に説明することが出来る人は誰もいないでしょう。
しかし「知性」が存在するのは紛れもない事実ですね。
それを否定する人は誰もいないでしょう。
それを理解するのがID論の理解にとっても極めて重要な事です。
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ビッグバンを起点とするこの宇宙の生成、生命の誕生、生命の進化、これらの過程に関しては、現在その概要はかなり明らかになっています。
宇宙誕生時の極小時間単位のモデルも示されています。
しかしその根本原因に関しては全く未解明、謎のまま残されています。
宇宙誕生前が完全に無であったのかどうかも全く不明、何故極小空間が突然膨張を始めたのかも不明です。
更にその後原子とそれによる物質が生成され、星が誕生しこの宇宙が出来上がったメカニズムに関しても、解明されているのはごく一部に過ぎません。
更に生物に関して言えば、その誕生の過程は全く謎に包まれいます。
提唱されているRNAワールド仮説にしても、とてもその全体像を説明し得るものではありません。
進化の過程も全く同様、何故個々の種が誕生したのか、その正確なメカニズムは全く未知です。
つまり、この宇宙の生成原因、生物誕生と進化、それらの根本原因は現在科学においては全くお手上げの状況にある訳です。
誤った科学主義とは、それをそうではない、現代科学は既に十分な事象を解明しておりそれで説明出来ない事象は殆ど存在しない、こんな思い上がりによって生み出されます。
従ってその様な誤った科学主義者たちは現代科学で説明のつかない事象を何とか既成の科学で説明を付けようとする、更にはその様な事象は事実として存在しないとまで主張するトンデモナイ暴論に走る訳です。
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学術分野にも色々ありますが、進化論に関して最も大きな問題は科学では無いものが科学だと信じられている事です。
現在主流とされる総合説もダーウィン進化論がベースになっています。
それを科学だと主張している訳ですから、それはつまりダーウィン進化論を科学だと信じている訳ですね。
この空想と科学の区別が付けられない致命的な誤謬を長年にわたって犯し続けています。
かれらはID論を非科学的だ、宗教だと言って排撃する訳ですが、では彼らの信じているダーウィン進化論の一体どこが科学なのか。
自然選択が観察されたとする数少ない実例であるダーウィンフィンチにしても工業暗化にしても、全く厳密に自然選択を説明できるものではありあません。
繰り返し説明してきた通り、それは単に都合の良い変異が起こりさえすればそれを自然選択と極め付ける、自然選択の工程に対する完全な無理解が生むものです。
自分達が科学でなく癖に相手を非科学と論難する。
それが彼ら進化論者の採っている態度です。
科学の方法論に対する無知、無自覚。
長くアカデミズムで科学的と主張されてきたからと言って、それが科学である根拠にはなりません。
科学であるためには、どうしても科学と主張したいなら、科学の方法論に則って、事実に依る証明を行ってもらいましょう。
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ID論、つまりインテリジェントデザイナー論というのは、1980年代以降提唱された、
比較的新しい議論です。
それ以前の創造論は基本的に宗教に拠って立つものが殆どで、そういった従来の創造論から
宗教色を一切排したものがID論です。
提唱者に宗教的な背景を持つ人たちが多いのは事実で、その為科学を装ったIDを隠れ蓑にした
宗教だと言う指摘もよくなされます。
これな何度も言ってきたことですが、提唱者に宗教的な背景があろうがなかろうが、ID論自体は
宗教ではありません。
そこには協議もなければ人格神も存在しない。
神からの啓示も存在しません。
従って、ID論自体を宗教と決めつけるのは誤りなわけですが、ID論に対する未理解、
若しくは単にID論の攻撃材料にするためにID論を宗教と決めつけている人たちも
少なくありません。
ID論には宗教の前提である無検証の信仰が存在しません。
そもそもこの問題は、この世界は何の作為もなく全くの偶然、偶々の産物なのか、
それとも何らかの作為、意図に基づいて設計されたものかなか、
と言う根本命題に由来します。
これは突き詰めれば宇宙誕生のビッグバンにまで遡ることになります。
この宇宙の誕生が全くの偶然なのか、そうではなかったのか、と言う話ですね。
ツマリ簡単に言ってしまえば、この世界の設計者がいるのかいないのか、
と言う話です。
この場合、設計者が何者か、は特定できない、特定しない、特定しようがない、
と言う話になります。
設計者の実体が全く不明なので、それを検証しようがありません。
従って、ID論を従来の科学の範疇で規定することは出来ないわけです。
あくまで仮説、さらに言えば仮説以前の推論ですね。
しかしながら、その推論の根拠は全て科学的な知見に基づいています。
あらゆる科学的な事実を検証し、それ以外の結論が導けない、つまり設計者なしには
この宇宙も存在しえない、と言うのがその論理で、その結論の正しさを担保するのは
ロジックの正確さ厳密さ以外にはありません。
それを非科学的と非難するのが的外れであることは、言うまでもありません。
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ダーウィンは存在する化石群が不連続である事、また例えばカンブリア紀に突然一斉に出現する多様な化石群がそれ以前の地層には全く存在しないことを認めています。
これは地質学者としては当然の態度です。
しかしそれにも拘らず彼は変異は全て連続的であり、カンブリア紀以前にもそれ以降と同様に生物の進化の連続が存在していた筈と主張します。
ただ化石証拠がいくつかの理由により存在してないだけ、発見されていないだけというのが彼の言い訳です。
つまりそれは全て彼の空想です。
カンブリア紀に至るそれ以前の連続した変異は現在完全に否定されていますね。
彼はスノーボールアースを知りません。
全ての中間種を埋め尽くす微細な変異の連続も未だ発見されていません。
自然選択論はつまりこの様なダーウィンの想像に完全に依存しています。
そしてその証拠が存在しないものを科学と称したりします。
それに対する反論を非科学的と非難したりもします。
呆れ果てますね。
それが現代進化論の主流とされる立場です。
この愚かしさは一体何なんでしょうね。
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>もはや根負けした相手が議論を打ち切ることを待っているとしか思えないのですが・・・
いや、相手も相手だからね
絡みを止めるだけの知性も無い笑
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ダーウィンは自らを不可知論者と称します。
つまり最終的には知り得ない。
その観点から言えば創造の主体は知り得ないという事になります。
その認識は正しいですね。
そしてダーウィンは更に無神論者ではなくて不可知論者だと主張します。
この基本的な構想はIDとほぼ同一です。
不可知論と言うのも宗教的な不可知論から非宗教的な不可知論まで内容はかなり錯綜しています。
例えばラッセルは不可知論者であり更に言えば無神論者だと名乗ります。
彼の根本は無神論です。
このように様々な立場から不可知論は語られますが、要は最終的には決して知り得ないものがあると言う認識では一致しています。
不可知論を完全に否定するのは不可能でしょう。
完全に全てを知り得る事が出来ない事はロジカルにも証明出来そうです。
何処まで行ってもその先があります。
その存在理由の追求は止むことなく無限に連鎖します。
IDの実体も最終的には不可知です。
不可知が不存在の理由にならないことはこれまで見てきた通り明らかですね。
つまりIDの実体が不明であることはIDの存在自体を否定する理由にはならないのです。
それを混同して、論拠にしようとする人たちもいますが、それは論点のすり替えです。
IDの存在はあらゆる事象の観察から極めて簡明にロジカルに証明されます。
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アインシュタインが最後までその存在の同意を拒んだ量子世界にける因果律では説明しきれない諸現象は現在事実として認められ、それらは世界認識のパラダイムシフトを要求しかねない状況にあります。
人間の想像力はまだ事実に全く追い付けていません。
それが理解できないでいると結局科学も理解できないことになります。
どちらにしても自然選択論者はそもそも科学者ではありませんが。
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ま、デザイナー論は「科学理論ではない」、ということだけわかっていればOKです。
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ID論が声高に叫ばれているのは米国です。
背景には多くのプロテスタントの存在があります。
米国大統領もID論に言及しています。
従って、裁判でその教育問題が取り上げられるような事態になる訳ですね。
ここで一つの誤解と混同があります。
ID論は別に進化自体を否定していないんですね。
その様に主張しているのは聖書原理主義者たちです。
従って、進化論vsID論と言う対決構図は誤解を招くものです。
ID論は謂わば有神論的進化論です。
進化の事実は認める、科学的な知見は全て受け容れる、それがID論者の姿勢です。
つまりID論が非科学的と言われる根拠は何処にもありません。
知性ある設計者の想定は、逆に科学的な知見からロジカルに導かれるものです。
それは背理法であり消去法です。
そのロジックが非科学的だと言ったら、数学の証明は成り立ちませんね。
ドーバー裁判の判事の判断は、それらが全く理解出来ない偏見に基づいています。
彼の論拠はID論批判者のID論は宗教であると言う一般的な見解をそのまま口移しにしているだけで、彼自身が思考して判断したものではありません。
元より科学的な知見の乏しいこの判事にはこの裁判を裁く資格はありません。
鞭毛モーターの問題も全く検証できずにID論教育違憲の判決を下します。
それをあたかもID論裁判のスタンダードであるかのように見做すのはとんでもない誤謬ですね。
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ビッグバンを起点とするこの宇宙の生成、生命の誕生、生命の進化、これらの過程に関しては、現在その概要はかなり明らかになっています。
宇宙誕生時の極小時間単位のモデルも示されています。
しかしその根本原因に関しては全く未解明、謎のまま残されています。
宇宙誕生前が完全に無であったのかどうかも全く不明、何故極小空間が突然膨張を始めたのかも不明です。
更にその後原子とそれによる物質が生成され、星が誕生しこの宇宙が出来上がったメカニズムに関しても、解明されているのはごく一部に過ぎません。
更に生物に関して言えば、その誕生の過程は全く謎に包まれいます。
提唱されているRNAワールド仮説にしても、とてもその全体像を説明し得るものではありません。
進化の過程も全く同様、何故個々の種が誕生したのか、その正確なメカニズムは全く未知です。
つまり、この宇宙の生成原因、生物誕生と進化、それらの根本原因は現在科学においては全くお手上げの状況にある訳です。
誤った科学主義とは、それをそうではない、現代科学は既に十分な事象を解明しておりそれで説明出来ない事象は殆ど存在しない、こんな思い上がりによって生み出されます。
従ってその様な誤った科学主義者たちは現代科学で説明のつかない事象を何とか既成の科学で説明を付けようとする、更にはその様な事象は事実として存在しないとまで主張するトンデモナイ暴論に走る訳です。
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ゲノム、つまりDNAの塩基配列は生命の根幹にある訳です。
生命体を誕生させるためにはゲノムの存在が必要条件、ゲノムなくしては生命体は存在しえない、
と言う話になる訳です。
このゲノムの極めて精密で周到なシステムが偶然誕生しえたのか、
これが進化論を考える上でもその根幹に置くべきテーマです。
ダーウィンの時代は想像もしえなかったこのシステム、それがダーウィンの提唱した
自然選択説で説明可能、と未だに多くの人たちが疑いもなく考えています。
もっとも原始的な単細胞生物が何故誕生したのか、これは未だに全く解明されていない
謎です。
その原初の生命体が人にまで進化したその過程は、複雑化と多様化です。
その複雑化と多様化が何故成し遂げられたか。
自然選択論者は当然その自然選択論によってその過程を説明しようとしますね。
自然選択論は、簡単に言えばより生存に適したものがより多く生き残ることによって、
進化がもたらされる、と言う考え方です。
ツマリ生存に有利なものが生き残り、より生存に有利な形態になる。
では、複雑化と多様化は本当に生存に有利であったのか。
単にその個体数を増やすためだけであれば、複雑化は全く必要がありません。
多様化も、その環境に応じた多様性があれば十分で、現在の様に数百万種に及ぶ種を
誕生させる必要はありません。
コレは極めて自明の事柄なんですが、何故か自然選択論者はそれを無視します。
不都合な事実にはすべて目をつむる、若しくは何とか言い訳をこじつける、残念ながら
それが自然選択論者の態度の真実です。
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なぜ、デザイナーは数百万種に及ぶ種を誕生させたんでしょうか。
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>>604
>波動方程式を見れば分かるように、波動は質量と弾性を前提にしています。
していません。あくまで波動の速度と言うだけで媒質に質量があれば影響を受ける場合があると言うだけです。
>そういう抵抗を生じる物質が切れ目なくつながっていれば、物体がすり抜けることができません。
相互作用する独立した粒子ならエネルギーも伝わるし、その粒子間を別の物質等が通ることも可能です。
>すり抜ける粒子は波を伝えません。
と言うわけで、私はそうは思いません。
>波を伝える空気も水も流体ですが、その中を動く物体は抵抗をうけます。当然です。質量と弾性がなければ波は伝わりません。そして波動方程式に従えば、巨大な速度の波には巨大な弾性が必要で、必然的に「ばね定数×変位」の巨大な抵抗を生じます。流体か固体かの問題ではありません。
粘性が0ならその流体中の物体は理論上抵抗は受けませんよ。
実際に超流動体は抵抗0です。
>17世紀のボイルの実験以来、一様に見える物質も、実は細かい粒子に集中しており、粒子間に隙間があると分かってきました。でも、なぜ集中するかは不明な時代です。物質が粒子に集中するなら、粒子同士の集中も、集中の集中も考えられます。ダイヤモンドと黒鉛では、集中形態が異なることも考えられます。どんな構造を否定する法則もないのですから。
ですから具体的にどう言う構造?グラファイトより密度が高いのに透過するのはその密度に偏りがあって超々高密度の部分があるからでそこ以外はグラファイトより密度が低い?
グラファイトより密度が低い部分があるのにグラファイトより硬いのはなんで?そもそもその根拠は?
仮説としてはありでしょうけど無理も大いにありますね。
エーテルと本質的にかわらんです。
>いいえ。質量と弾性をもつ物質が切れ目なくつながりながら、物体の通過に抵抗を与えないのは、物理法則で否定されます。そういう物理法則があるのだから、しかたがありません。物質内部の構造とは、そこが違います。
その物理法則が絶対との根拠は?その物理法則とやらが間違ってる可能性や正しいとしてもちょっとした改良やアレンジで普通に成り立つかも知れません。
と言うのも根拠無く妄想で作り上げたものでなく、観察事例に対して立てられた仮説だからです。
だから即否定みたいに短絡にいかないのです。
>しかし、2重スリット実験の縞模様は、ニュートン環の縞模様とは違うのです。
繰り返しますが粒子としての振る舞いも観察されているのが二重スリット実験です。
波動が肯定されたのはそっちの方が説明に説得力があったと言うだけです。
>18世紀まで:波動説にはエーテルの矛盾、粒子説には矛盾なし→波動説は正しい科学を逸脱
>2重スリット実験:波動説にはエーテルの矛盾、粒子説には干渉縞の矛盾→どちらも逸脱
>電磁波の発見:波動説の矛盾は解消、粒子説には干渉縞の矛盾→粒子説が逸脱
科学の逸脱を間違って理解しています。
何度も言っていますよね。矛盾があったところで即却下にはならないと。
記憶に新しいところでは2011年にニュートリノが光より速いと言う実験結果が得られたとして話題になりました。
特殊相対性理論をひっくり返すものですが即否定せず追試検証がなされました。これが正しい姿勢です。
結果を結果としてありのまま受け入れどう説明できるか仮説を立て検証するのは逸脱でも何でもありません。
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>「並べた鉄球」って説明のための比喩ではなく、本物の鉄球を言われていたのですか? それなら、並べた鉄球にご自身が突っ込んで、無抵抗で通過できるか、試してみてください。
粘性0、つまり摩擦が0なら理屈の上では可能ですよ。
>否定をなさるのなら「v² = KL²/M」以外の形で、波の伝播速度を表してください。
その式は弦の波動や音波などの波に関して成り立つってだけです。
あくまで波の伝播速度は媒質の特性に依存すると言うだけで質量の無い媒質だと質量に依存しようがありません。
例えば電磁波なんか質量に依存しないため媒質の質量に関する考慮はありません。
電磁波の伝播速度は誘電率や透磁率など媒質の物質特性に依存しますが、これらの物質特性は質量とは直接関係ありません。
ですから、電磁波の伝播速度を求める際には、媒質の物質特性に基づく計算が行われますが、その中には媒質の質量は含まれませんでしょ?
重力波とかもそうですね。どちらも19世紀以降のものですが考え方はこう言うことです。
vはあくまで波の伝播速度ってだけで波長と時間で表されるものでしかないの。質量を持った媒質なら質量が媒質の特性に影響するかもね、ってだけの話。
媒質の物質特性に質量が直接関係しているかどうかはモノによるとしか言えないの。
>データに裏付けられたセンメルウェイスの主張は、コンセンサスを得ませんでした。
ですからセンメルヴェイスの件は科学では無く政治的なもので潰された例です。
エーテルの話とは意味が違います。
>検証対象は当時の理論です。当時の科学者ではありません。
当時の科学者が何を持って判断したか?当時の理論ですよ。何言ってんの?
で、繰り返しますがどう言葉を重ねようと絶対に納得は出来ませんよ。
そもそもエーテルの否定っていわば悪魔の証明のようなもんですからね。却下しきれるもんじゃ無いんです。
だからもうすっ飛ばして先に進めて下さい。
もう当時の波動説が科学を逸脱してた体でいいから、そこからIDとかにどう繋げるのか
さっさと語って下さい。
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今回の一番の論点は、これですかね。
>その物理法則が絶対との根拠は?その物理法則とやらが間違ってる可能性や正しいとしてもちょっとした改良やアレンジで普通に成り立つかも知れません。
むろん物理法則とて絶対ということはありません。
しかし物理は自然科学の知識体系の中で最も根源的なものです。仮説Aと仮説Bがあり、Aは既知の物理法則と整合するが、Bは既知の物理法則の変更を要求する場合、AよりもBの方が、はるかに受け入れがたいことを意味します。相対的な蓋然性に格差があるということです。
16世紀の地動説と18世紀の光波動説の話をするのは、それが理由です。私が本サイトでやってきたのは、すべて相対比較ですよ。
>あくまで波動の速度と言うだけで媒質に質量があれば影響を受ける場合があると言うだけです。
私としては、繰り返すしかありません。
質量と弾性が入らない波動方程式を導いてください。誘電率や透磁率のような、19世紀以降の知見を使わずに。
>19世紀以降のものですが
はい。電磁波も重力波も、18世紀には観測どころか概念すらなかったものです。イメージできないものが、科学の対象になりますか。いったい何を探求し検証するのですか?
品種改良なら、概念もあり、人類が行う実例もあり、>>472で述べたように検証可能とは思いませんか?
正当な科学を、逸脱してるのは、どちらですか?
>相互作用する独立した粒子ならエネルギーも伝わるし、その粒子間を別の物質等が通ることも可能です。
>粘性が0ならその流体中の物体は理論上抵抗は受けませんよ。
エネルギーが伝わるのは分かってます。問題は波動が伝わるかです。質量と弾性が入らない波動方程式を導いてください。
>グラファイトより密度が低い部分があるのにグラファイトより硬いのはなんで?
密度と硬さに関係がないことは、18世紀でも分かってます。金は鉄より重いけど柔らかい。同じ元素で比べるなら、氷の密度が水より小さいことも知られてました。硬さを決めるのは密度ではなく、結合の強さです。その結合力を支配する原理が不明な時代でした。
>仮説としてはありでしょうけど無理も大いにありますね。
>エーテルと本質的にかわらんです。
それを否定する物理法則があるかないかです。ダイヤモンドの質量分布に疎密があっても覆される法則はありませんが、エーテルは力学体系を覆します。また、質量分布の疎密は具体像をイメージできても、電磁波を知らない時代に、質量と弾性のない媒質はイメージできません。
>粒子としての振る舞いも観察されているのが二重スリット実験です。
私が言ってるのは1801年のヤングの実験ですよ。どういう粒子性が観測されましたか?
>vはあくまで波の伝播速度ってだけで波長と時間で表されるものでしかないの。質量を持った媒質なら質量が媒質の特性に影響するかもね、ってだけの話。
質量と弾性が入らない波動方程式を導いてください。
>センメルヴェイスの件は科学では無く政治的なもので潰された例です。
政治的な理由で反対する人だって、まさか政治スタンスを反対理由には挙げないでしょう。反対論が科学に依るものか、科学以外に依るものか。それを判断するには、論者ではなく、理論自体を検証するしかありません。検証対象は当時の理論です。当時の科学者ではありません。
>そもそもエーテルの否定っていわば悪魔の証明のようなもんですからね。却下しきれるもんじゃ無いんです。
質量と弾性が入らない波動理論を具体的に構築すれば、エーテルが必要なくなります。それでよいのです。ですので、質量と弾性が入らない波動方程式を導いてください。
>もう当時の波動説が科学を逸脱してた体でいいから
理解も納得もなく「逸脱してた体」で進めるのが、あなたがおっしゃる正当な科学ですか?
-
何とか言い逃れの口実を探す。
これがダーウィンが種の起源で繰り返し行っていることです。
彼がその思い付きである自然選択論に何故そこまで固執したのかはよく分かりません。
それを危うくする証拠、否定しかねない現実に対して彼が取り続けた態度です。
事実によって反論することはしない、出来ないですね。
従って「こう考えれば説明できる」と言う言い訳に終始します。
事実による反論は皆無です。
この様に考えれば自説による説明は可能だ、つまり想像です。
それを現代の総合説はそのまま引き継ぎます。
従って進化論の多くの部分は想像になります。
そしてそれを科学と称したりするわけです。
訳の分からない無知な人達もソレを科学と信じ込みます。
これは映り込んだ解明できない映像を単なる光学現象や自然現象、フェイクと断じてそれ以外の可能性を何が何でも否定るやり方と何の変りもありません。
そもそも進化論は再現検証不能です。
レンスキーの大腸菌培養実験の様に細胞や分子レベルでの実験が可能なだけです。
レンスキーの大腸菌培養実験は色々と示唆に富んでいますね。
それを自然選択論の論拠にしようとする人たちもいますが、それは自然選択論の必要な工程の詳細を全く理解しない人達です。
実際自然選択論の必要な工程を殆どの人たちは理解せずに自然選択論を振りかざします。
それでよく科学を名乗りますね。
想像と科学の区別すら付けられない、つまりフィクションとノンフィクションの判別が出来ない訳です。
それが自然選択論を支える人たちです。
-
前適応、適応放散、共進化、遺伝的浮動、淘汰圧、これらの曖昧な理解、不正確な用法、様々な理解のミスリードをもたらすこれらの用語も進化論学会の惨状をよく示しています。
誤解を与える、更に言えば言葉によって欺く。
現代の総合説は進化の真実を何一つ説明出来ていません。
何一つ、です。
そのベースとなっている自然選択論からしてダーウィンの妄想に過ぎないのですから、その上に成り立っている総合説が正しかろう筈もありません。
この科学の方法論に則らない学問分野が成立している自体が極めて嘆かわしいですね。
中立説自体は基本的に科学的な手法に則っていますが、それを進化殊に自然選択論と無理やり接合しようとするともうデタラメです。
何故こんな惨状を呈しているのか。
ひとつは進化が再現検証が殆ど不能であるという事実です。
その状況に付け込んでレトリックを弄して言いたい放題、言葉では何とでも言える世界です。
もう一つは彼らが宗教的と考える事柄にたいする強いアレルギーです。
一種の科学信仰ですね。
これは進化論学者以外の科学者にもある程度共通するものです。
そしてこれも理由が不明ですがダーウィンに対する強い思い入れがあります。
このダーウィン崇拝が止まない理由が何処にあるのか、それは彼らに自問してもらうしかありません。
-
自然選択によっていかなることも成し得る、と言うのがダーウィンの構想ですね。
生物を自然が選択し得るのは唯一生存率のコントロールと言う手段によってです。
それですべてが成し得ると考えた訳です。
環境によって生物の生存に制約を与える、その方法以外にありません。
これはラマルク的な用不用による変異を度外視しての話です。
ダーウィンも実は変異はラマルクと同様に考えていたので話は少しややこしくなりますが、これは総合説における自然選択で考えましょう。
全くランダムな変異を生存率の制限によってコントロールすることでこれだけ複雑で精巧で多様な現実の進化の事実が説明可能なわけもありません。
中立説、遺伝的浮動なども総合説は持ち出しますが、更に進化の実体を説明する力はありません。
お伽話ですね。
それを科学と信じる住人達。
この話も飽きるほど繰り返してきましたね。
-
自然選択論者に共通している特徴は決定的な想像力の欠如なので、そういった事にすら考えが及びません。
彼らの自然選択論に対する思い込みは正に宗教者の態度ですから、そもそもそもそう言った事柄に対して想像を巡らそうとする意志が存在しないんでしょうね。
その点において完全に科学者失格と言われても彼らは何も抗弁できない筈です。
ゲノムだけに限定して観察してもその驚くべき周到さ、計算され尽くした複雑さ、精密さはそれ自体人智を遥かに超えるものです。
現在急速にゲノムのメカニズムは解明されつつありますが、それはまだゲノムの持つ巨大なシステムのほんの一部にしか過ぎません。
そんなものが自然選択の結果で説明できる訳もありあせません。
そんなことにすら、彼らは想像が及ばない訳です。
彼らのそんな存在自体、想像を絶するものですね。
-
科学の方法論を知らないものが科学を名乗る、科学者を詐称する。
かれらの宗教的な態度はつまりは無知と想像力の欠如の産物です。
それに気付くことなく科学を標榜します。
それを許しているのは一つは進化論の再現検証不能性であり、もう一つは極めて貧弱な理性です。
これは殆ど惨状です。
-
進化はゲノムの突然変異、つまり単塩基置換、ゲノム重複、そして遺伝子の水平伝播、取り込み、共生とそれによる遺伝子取り込み等によってもたらされます。
これらはエラーではありません。
エラーは基本的に有害、ゲノムは強いエラー修復機構を有しています。
それらの変異の原因、何故その様な変異が生じたかについては現在の所殆ど分かっていません。
しかし説明不能だからと言ってまさかその想定が非科学的だとは誰も言わないでしょう。
しかし実際殆どそれと同じ事を言ってるのが自然選択論者です。
それらの変異は跳躍的な進化をもたらします。
自然選択論者、ダーウィンは進化は全て漸進的であると主張します。
全く事実と反する訳です。
-
果たしてこの世界は設計されたものなのか。
或いは設計など全く存在しない完全な自然状態の中で成立しているものなのか。
世界認識はこの2択になります。
中間形態のモデルとしては、一部は設計されている、と言う考え方もあるでしょう。
しかし、一部にしろ設計されていると言うその一部とは何を意味するのか。
一部でも設計を成し得る設計者が存在するとすれば、その設計者が全体の設計を成し得ない理由が何処にあるのか。
ID論名は理神論とニアイコールです。
つまりIDとはこの世界全体の設計者です。
生物を設計し得るという事はひいてはこの世界を設計したことになります。
この辺りの概念が整理できないとID論の基本が理解できません。
理神論は初期設定にすべてを委ねますが、そこは異論のあるところですね。
敢えて中間関与の可能性を否定する理由は見当たりません。
その方法に関しては、初期設定と同様不明と言う他ありません。
自己組織化が大きな役割を果たしているのは容易に想像できますが、自己組織化も初期設定が必要です。
初期設定に依らない中間関与があり得るとしたら、それはどの様な形で行使されるのか。
進化における有り得ない奇跡群にそれは適用されたのか。
生命誕生、真核生物誕生、多細胞生物誕生、有性生殖、カンブリア爆発、それ以降の有り得ない奇跡が中間関与なしに可能なのか。
可能であればそこには驚くべき初期設定が存在したことになります。
先ずは、ゲノムの変異に関して地道な研究を続けるしかありません。
設計の前提はそのアプローチの仕方の話です。
-
自然選択論を批判する人たちでも、ダーウィンは誠実な科学者であったと評価する人がいます。
実は私も最初はその様にダーウィンを見做していました。
自説の弱点を包み隠さず語る。
それに反する事実があれば何時でも受け入れる準備がある。
彼は著書の中でその様に述べます。
一見するととても誠実な態度ですね。
これに多くの人たちが騙されます。
しかし注意深く読み進めるとそれは見せかけだけに過ぎないことに気付きます。
ダーウィンは結論において1ミリも譲りません。
そもそも全く譲歩するつもりが無いんですね。
自説の難点をあからさまに示して見せながら、「しかしこのように考えれば」「説明は十分可能である」この様に必ず反論に転じて議論を逆転させます。
これは彼のロジックの常套手段です。
そしてこれも驚くべき事ですが多くの人々がそのロジックを易々と受け容れてしまいます。
それは科学的手法とは程遠いものです。
-
実際ダーウィン自身科学と言う言葉を殆ど使っていません。
科学的な検証と言うこと自体に関心が無いように見受けられます。
それを後の追随者たちは、ダーウィンは優れた科学者だ、更には自然選択論は厳密に検証された科学だなどと極めて的外れな主張を展開します。
ダーウィン自身、実験もしくは観察事実による仮説の証明と言うプロセスには無関心です。
「種の起源」でも勿論その様な証明は一切なされていません。
全ては、こう考えれば説明できると言う彼の想像の世界の中で完結しています。
-
>>621
>むろん物理法則とて絶対ということはありません。
>しかし物理は自然科学の知識体系の中で最も根源的なものです。仮説Aと仮説Bがあり、Aは既知の物理法則と整合するが、Bは既知の物理法則の変更を要求する場合、AよりもBの方が、はるかに受け入れがたいことを意味します。相対的な蓋然性に格差があるということです。
それが両者に合ったから一方が根拠バトルに負けていても完全に棄却できなかったのですよ。
波動説の方が蓋然性が高いモノがあり、逆に粒子説の方が蓋然性が高い事象が存在した。総合的に判断して当時は粒子説に軍配が上がりましたが
波動説を完全棄却するまでは至らなかった、それだけのお話です。
>はい。電磁波も重力波も、18世紀には観測どころか概念すらなかったものです。イメージできないものが、科学の対象になりますか。いったい何を探求し検証するのですか?
>品種改良なら、概念もあり、人類が行う実例もあり、>>472で述べたように検証可能とは思いませんか?
>正当な科学を、逸脱してるのは、どちらですか?
イメージできない?波動が伝播することをイメージするのになんの困難があります?貴方が質量に拘ってるからイメージ出来ないだけですよ。
当時の人は質量の無い不可量流体やらマイナス質量の物体やらいろいろと想定しています。当時の人を舐めすぎです。
あと、仮説を立てるのは正しい科学的姿勢です。逸脱でも何でもありません。
>エネルギーが伝わるのは分かってます。問題は波動が伝わるかです。質量と弾性が入らない波動方程式を導いてください。
波動はエネルギーの伝播ですよ。エネルギーが伝わるのが分ってるなら波動も理解して下さい。
あと波動方程式は通常、質量による項は含まれません。これは、波動方程式が一般的に質量の影響を直接的に取り扱わないためです。
導くもクソも無いんです。はじめっから入ってないの。
古典的な波動方程式は、主に波の振幅 𝑢 とその波の速度 𝑐に関する方程式であり、質量の影響を取り入れることはありませんよ。
この方程式は主に振動の伝播を記述するために使用され、特定の媒質や系の質量に関する情報は含まれません。
ただし、場合によっては、波動方程式を導出する際に媒質の密度や弾性率などの特性を考慮に入れることがあるってだけ。
質量のある媒質の場合のみ質量を式に組み込むことも出来る、それだけの意味しかありません。
>密度と硬さに関係がないことは、18世紀でも分かってます。金は鉄より重いけど柔らかい。同じ元素で比べるなら、氷の密度が水より小さいことも知られてました。硬さを決めるのは密度ではなく、結合の強さです。その結合力を支配する原理が不明な時代でした。
金と鉄は別物ですし、水と氷は液体と固体であり比べるのが間違ってます。
氷でしたらより低温の方が密度も硬度も高くなりますよ。
なんにしろ高密度なのにスカスカっぷりが多いってのは完全否定はしませんがとても苦しい仮定と言えます。
>検証対象は当時の理論です。当時の科学者ではありません。
基本的に科学者は理論によって判断します。
あと理解されてないようですが、センメルヴェイスの件は科学的手法を逸脱した例でありエーテルの話とは違います。
>質量と弾性が入らない波動理論を具体的に構築すれば、エーテルが必要なくなります。それでよいのです。ですので、質量と弾性が入らない波動方程式を導いてください。
だから、もともと入っていません。
質量やらが必須ってのは当時の誰がいつ述べていましたか?貴方の思い込みだと思いますよ。
>理解も納得もなく「逸脱してた体」で進めるのが、あなたがおっしゃる正当な科学ですか?
繰り返しますが、仮説を立てるのは科学的に全く間違っていません。
「逸脱していた」と言う仮説を元に論理展開して下さい。
そもそも何度も言いますが当時の波動説とかが逸脱していたとして、それをもって貴方がどうしたいのか私には皆目見当が付きません。
話を進展させるためにもさっさとお願いします。
-
ダーウィンは自分を博物学者だと思っていたでしょう。
進化論という考えが徐々に確かだとして受け入れられ、共通祖先からの分岐が系統分類に革新的な光を与えるに至り、
後世からみれば今風の自然科学者と呼ぶことがあたりまえになったということです。
『起源』が品種改良から説き起こしているのは、人の選択によって生物が形や性質を変えていくという、誰でも確認できる事実を示すためです。
当時、生物の種はデザイナーによって個別に誕生したとするのが常識でしたが、デザイナーに捉われることなく「自然現象として」説明できるんじゃないか、変化する環境との関わりのなかでどう子孫を残し得るかというテーマが、人による選択と置き換え可能だと、
当時としては画期的な発想であり、165年経った現在では、生物学にとっていわば原理の一つです。
ガ
>全ては、こう考えれば説明できると言う彼の想像の世界の中で完結しています。
デザイナー論のように全ては神の意思と考えれば説明できる、という想像のなかで完結する思想とは異なり、
いま確認できる事実をもとに構築し、また自説を否定する事実が確認されれば(反証されれば)受け止めるが、どうだろうか、
という態度は、科学そのものです。
、
-
この1点にしぼりましょう。それで話が進むでしょう。
>質量のある媒質の場合のみ質量を式に組み込むことも出来る、それだけの意味しかありません。
では、質量のない媒質だとして「v² = KL²/M」の代わりに、Mが入らない形で、vを表す式を導いてください。
できるはずですよね。
それと、あなたが考える媒質は、弾性はあるのですか? 巨大な弾性がうむ硬さこそが、エーテルが物体を通さない原因ですが。
まあ、それも「v」を数式で表現すれば分かりますけど。
-
ID論が理解出来ないで何で無意味な論争の真似事を繰り返してるだろうね
-
つまり実はID論ナンカどーでもいい、ずっと論争の真似事をやっていたいって事だな
-
これだけ言っても、また、こういう反応がくるかもしれませんね。
>質量やらが必須ってのは当時の誰がいつ述べていましたか?貴方の思い込みだと思いますよ。
あなたは、質量は必要「ない」とおっしゃる。私が、それに対して、質量が「ある」形で波速vを表すことを求めたら、あなたの意が通じてないと言えますよ。
でも、私は、あなたの主張を受けて、質量が「ない」形でvを表すことを、求めて続けております。
当然できますよね。
やってください。
-
ID論も進化論も議論はおろかマトモに理解する気もナイ
やりたいのは意味のない論争の真似事を延々続けることダケってコトね
-
>>633
>質量のない媒質だとして「v² = KL²/M」の代わりに、Mが入らない形で、vを表す式を導いてください。
>できるはずですよね。
津波とかだと重力加速度と水深の積の平方根
電磁波だと光速を誘電率及び透磁率の積の平方根で割ったものとかですね。
そもそも波動方程式が何を表しているか分ってますか?
波動方程式における関数は、通常、時間tと空間座標xの2つの変数に依存する関数でしかなくvは波動の速度を表す単なる定数です。
波動性を示すならこの方程式が成り立つ、それ以上の意味はありません。
ですからスポーツ観戦で見られるメキシカンウェーブ(観客が次々と立ち上がり、手を振って再び座ることでスタジアムを波のように見せる現象)も、波動方程式を用いて記述することが可能です。
これに質量が関係あると思いますか?この場合vは観客が反応する速度に対応します。
他にも鳥とかの群れの動きやら交通流の動き、病気の伝播速度も波動方程式でモデル化できます。
重要なのは波動性の有無であって質量の有無じゃありませんよ。
あくまで質量のある媒質に関しては質量も重要な要素に成り得るってだけの話です。
質量は必須ではありません。
>それと、あなたが考える媒質は、弾性はあるのですか? 巨大な弾性がうむ硬さこそが、エーテルが物体を通さない原因ですが。
知りません。正直どっちでも良いですから。
>これだけ言っても、また、こういう反応がくるかもしれませんね。
>>質量やらが必須ってのは当時の誰がいつ述べていましたか?貴方の思い込みだと思いますよ。
はい。貴方の思い込みだと思います。
質量やらが必須ってのは当時の誰がいつ述べていましたかね?
>あなたは、質量は必要「ない」とおっしゃる。私が、それに対して、質量が「ある」形で波速vを表すことを求めたら、あなたの意が通じてないと言えますよ。
>でも、私は、あなたの主張を受けて、質量が「ない」形でvを表すことを、求めて続けております。
>当然できますよね。
>やってください。
はい。やりました。
と言うか、先にも言いましたが別にエーテルに質量があるならそれでも別に良いんです。どっちでも同じような性質と見なすだけですから。
正直、これもどっちでもどうでも良いです。
私が言いたいのは波動方程式に質量は必須の項目で無いって事だけです。
と言うことで、どっちでも良いと言う立場なんでこの1点に絞っても話は進みません。
とりあえず、「逸脱してた体」で進めるのが一番かと思います。
何度も言いますが逸脱してたとしてどうしたいのか分りません。
当時も逸脱してたんだから今のも許容しろ、見たいなふざけた論理展開くらいしか現状、私には考えられません。
どうしたいんですか?
-
>津波とかだと重力加速度と水深の積の平方根
なんで津波の話がでてきますか。問題になってるのは光ですよ。まさか、津波と光の区別がつかないのでしょうか? 区別がつかないのなら、以下のことを考えてください。
光は宇宙空間を伝わりますが、そこでの「水深」って、なんのことですか?
重力加速度が入るのなら、重力の方向に関係なく、光速が同じなのはなぜ?
そもそも水面波は2次元領域を伝わります。伝播するのは重力と直交する平面内です。光は3次元領域を伝わるではありませんか。
>電磁波だと光速を誘電率及び透磁率の積の平方根で割ったものとかですね。
電磁波など18世紀には概念すらもありません。イメージできないものが、科学の対象になりますか? いったい何を探求し検証するのですか?
>メキシカンウェーブ
・・・・v²がどんな形で表されるのか、私も見てみたいです。提示をお願いします。
私が要求してるのは「光波動」のv²を「18世紀の知識体系」で表すことです。そうでなければ、今の議論で意味がないのが、分からないのですか?
>正直、これもどっちでもどうでも良いです。
よくありません。「光波動」のv²を「18世紀の知識体系」で表すと、光が伝わる空間中のあらゆる物体が、巨大な抵抗を受けて身動きがとれなくなると、私は言っております。否定をなさるのなら、「光波動」のv²を「18世紀の知識体系」で、物体が抵抗を受けない形で、表してください。
-
片やID論、進化論とは無関係な前時代的な独りよがりの物理の認識論を延々繰り返して唯々議論もどきのマウントを取り続けたい。
片や議論を引き戻そうとして応答して見せるが決着させるだけの知識も知性もなく、同じ議論もどきを際限なく繰り返す事しかできない。
かくして不毛な応酬は止むことが無い笑
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>18世紀まで:波動説にはエーテルの矛盾、粒子説には矛盾なし→波動説は正しい科学を逸脱
>2重スリット実験:波動説にはエーテルの矛盾、粒子説には干渉縞の矛盾→どちらも逸脱
>電磁波の発見:波動説の矛盾は解消、粒子説には干渉縞の矛盾→粒子説が逸脱
それぞれ、その時確認できた証拠に基づいた仮説ですから、科学の手法に則り、新たな事実の確認に伴って更新を重ねてきただけです。
フロギストン説から酸素発見ストーリーの方がシンプルでわかりやすいと思いますが、
論理的にきちんと説明できているように見えても、別の観察結果が矛盾を生み、仮説を練り直すがうまくいかない、なんて自然科学史上あたりまえのことです。四苦八苦の末、ようやく科学者間のコンセンサスを得て定説となっても、まだひっくり返る可能性をはらむのが科学理論ってもんです。
18世紀には電磁波という概念もないのだから、18世紀の光波動説は科学理論ではない、なんていう主張は、
デザイナー論が科学を逸脱していない=疑似科学ではないことを示すための布石なんでしょうが、
具体的な証拠に基づかないデザイナー論こそ科学を逸脱しているというところをなぜスルーするのか…16世紀の地動説や18世紀の波動説と比べた蓋然性云々とは異なる、科学的方法論についての無知、無理解、としか捉えようがありません。
「1億年前に行われた品種改良の可能性」をデザイナー論の根拠とすることからも、それがわかります。
自然選択についての反証可能性を問う中で、周期表や第2法則、メンデルの法則を持ちだし、「一見、反証に見える事象があっても、別の理由があってそうなるだけかもしれず、そのような理由はないことを証明しなければ、つまり悪魔の証明をやらなければ、反証とは見なされない」
という主張から、科学の方法論とあわせて反証主義についての無知・無理解がはっきり伝わります。
デザイナー論は反証可能でしょうか。1億年前の品種改良は反証できますか。
具体性に即して、反証主義では反証しやすい理論ほど、より良い科学理論ということになります。
「こう思う」というだけじゃ反証もできないので、科学理論にはなり得ないことをご理解ください。
物理法則に適い、具体的な実例もあるから、1億年前に品種改良が行われた可能性があるという主張のどこに誤りがあるか、よく考えてみましょう。
-
>640
スレッドの論点とは関わりのない独りよがりなカキコミを大量に垂れ流す行為は、「荒らし」です。
邪魔なだけなので、やめてください。スレッドを潰すつもりなのかもしれませんが、スルーされるだけなので、無意味です。
-
>>639
>なんで津波の話がでてきますか。問題になってるのは光ですよ。まさか、津波と光の区別がつかないのでしょうか?
えぇ…?波動方程式の話でしょう?
>電磁波など18世紀には概念すらもありません。イメージできないものが、科学の対象になりますか? いったい何を探求し検証するのですか?
エーテルが硬いってのも18世紀の概念じゃないけどね。
質量とは無関係に速さを表わされるよ、って具体例の一つってだけだよ。
当時、知られていようがいまいが質量によらず波動方程式は記述できることを示しただけのお話。
>v²がどんな形で表されるのか、私も見てみたいです。提示をお願いします。
観客の反応速度って書いてるでしょうが。
あとは屈伸運動のスピードも影響するとは思いますが、単なるウェーブの速さですよ?
>私が要求してるのは「光波動」のv²を「18世紀の知識体系」で表すことです。そうでなければ、今の議論で意味がないのが、分からないのですか?
知識体系で表すも何も観測した速さをそのまま当て込むだけでしょ。
>「光波動」のv²を「18世紀の知識体系」で表すと、光が伝わる空間中のあらゆる物体が、巨大な抵抗を受けて身動きがとれなくなると、私は言っております。否定をなさるのなら、「光波動」のv²を「18世紀の知識体系」で、物体が抵抗を受けない形で、表してください。
十分に小さく、摩擦粘性がないと仮定すれば抵抗は受けませんよ。
しかしまぁ、私も頑固なんで話が進まないにゃー、本当に私として質量の有無とかはどっちでも良いのです。所詮は架空の物体の話だし。
もう当時は科学手法を逸脱してたで良いですよ。
認めるのでそれで進めましょう。
-
大体ID論を誰もマトモに理解出来ないのに、
ナンデ
ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
のスレで書いてるんだろーね笑
-
疑似科学とはダーウィニズムの事。
だからダーウィニズムをテーマにしないと意味が無いんだけどね
まーソレも理解出来ないんでね笑
-
>>644
デザイナーという概念が、科学という手法、つまり客観的な知の体系づくりになじむのかどうか、という大事な話をしています。
デザイナー前提に凝り固まった人にはわかりづらいと思いまので、まぁ、読むだけにしといてくださいね。
-
テネシー州議会下院は今日、学問の自由に関する法案を72対23で可決した。この法案は、生物学的進化、気候変動、ヒト・クローンなど論争の多い科学的問題について、批判的思考と客観的議論を奨励しようとする教師や学区を保護するものだ。
「この法案は、科学教師の学問の自由を保護して進化論のような論争の多い科学的テーマを十分かつ客観的に議論できるようにすることで、健全な科学教育を促進します」とディスカヴァリー研究所のCasey Luskinは述べた。ラスキン氏はさらに次のように述べた。
この法案が科学ではなく宗教を奨励していると批判する人々は、法案を読んでいないか、あるいは異なる科学的意見を検閲するという彼らの目的から注意を逸らすために、煙幕を張ろうとしているのです。
法案は次のように明白に述べている。この法案は
いかなる宗教的または非宗教的教義をも奨励するものではない。
本項は科学情報の教育活動を保護しているに過ぎず、いかなる宗教的または非宗教的教義をも奨励せず、特定の宗教的信条または非信条、宗教または非宗教に対して賛成または反対の立場で差別を奨励するものではない。
テネシー州議会上院はすでに超党派の圧倒的支持でこの法案を可決していた。テネシー州の法案は、2008年にルイジアナ州で採択され「ルイジアナ科学教育法」(Louisiana Science Education Act)として知られる学問の自由政策と類似している。
進化理論の科学的長所と短所の両方を教える教師を保護するため、今年四つの州が学問の自由に関する法律の制定を検討した。その法案の多くが、オンラインでwww.academicfreedompetition.comに掲載されたモデル法令を含め、ディスカヴァリー研究所が起草した法律サンプルを参考にしている。
現在少なくとも九つの州の州政府や自治体が、ダーウィン進化論を支持または支持しない科学的証拠について教師が議論することを擁護し、奨励し、場合によっては義務付ける政策をとっている。
-
自然選択論に基づいたダーウィン進化論が完全に証明された科学であると信じ込む頑迷なダーウィン教徒でなければ、上記法案は妥当であると考えるのが極めて常識的な判断でしょう。
それに反対するのは、つまり頑迷固陋のダーウィン教の信徒という事です。
-
ID論が声高に叫ばれているのは米国です。
背景には多くのプロテスタントの存在があります。
米国大統領もID論に言及しています。
従って、裁判でその教育問題が取り上げられるような事態になる訳ですね。
ここで一つの誤解と混同があります。
ID論は別に進化自体を否定していないんですね。
その様に主張しているのは聖書原理主義者たちです。
従って、進化論vsID論と言う対決構図は誤解を招くものです。
ID論は謂わば有神論的進化論です。
進化の事実は認める、科学的な知見は全て受け容れる、それがID論者の姿勢です。
つまりID論が非科学的と言われる根拠は何処にもありません。
知性ある設計者の想定は、逆に科学的な知見からロジカルに導かれるものです。
それは背理法であり消去法です。
そのロジックが非科学的だと言ったら、数学の証明は成り立ちませんね。
ドーバー裁判の判事の判断は、それらが全く理解出来ない偏見に基づいています。
彼の論拠はID論批判者のID論は宗教であると言う一般的な見解をそのまま口移しにしているだけで、彼自身が思考して判断したものではありません。
元より科学的な知見の乏しいこの判事にはこの裁判を裁く資格はありません。
鞭毛モーターの問題も全く検証できずにID論教育違憲の判決を下します。
それをあたかもID論裁判のスタンダードであるかのように見做すのはとんでもない誤謬ですね。
-
進化論vsID論と言う対決構図は、より正確に言い換えれば進化の過程に設計者が介在するかしないかと言う議論になります。
設計者が介在するかしないか、これ以外の選択肢はないですね。
1かゼロかです。
従って、その設計者の実体が一体何のか、その介在の方法がどんなものか、それらは議論の論点ではありません。
介在したかどうか、その判断が問題の核心であり、議論すべき論点です。
それを実体は何だ、どの様な方法で介在した、それを示せなければID論は成立しない、この様に主張するのは論点のすり替えでしかありません。
ID論の本質は、設計者の存在を示す事であり、その実体や介在方法を示すものではありません。
ソレに関して言えばそれは不可知論の範疇です。
重力の本質が示せないのと全く同様の話です。
言い換えれば、知性の本質が不可知であるのと同様の事です。
ID論否定論者は知性に対する理解自体が不足しています。
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少なくとも、コピペを大量に垂れ流す荒らし行為は、やめてください。
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学術分野にも色々ありますが、進化論に関して最も大きな問題は科学では無いものが科学だと信じられている事です。
現在主流とされる総合説もダーウィン進化論がベースになっています。
それを科学だと主張している訳ですから、それはつまりダーウィン進化論を科学だと信じている訳ですね。
この空想と科学の区別が付けられない致命的な誤謬を長年にわたって犯し続けています。
かれらはID論を非科学的だ、宗教だと言って排撃する訳ですが、では彼らの信じているダーウィン進化論の一体どこが科学なのか。
自然選択が観察されたとする数少ない実例であるダーウィンフィンチにしても工業暗化にしても、全く厳密に自然選択を説明できるものではありあません。
繰り返し説明してきた通り、それは単に都合の良い変異が起こりさえすればそれを自然選択と極め付ける、自然選択の工程に対する完全な無理解が生むものです。
自分達が科学でなく癖に相手を非科学と論難する。
それが彼ら進化論者の採っている態度です。
科学の方法論に対する無知、無自覚。
長くアカデミズムで科学的と主張されてきたからと言って、それが科学である根拠にはなりません。
科学であるためには、どうしても科学と主張したいなら、科学の方法論に則って、事実に依る証明を行ってもらいましょう。
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相手をして欲しいのかそうでないのか…
男の、それも老人のメンヘラってなかなかキツいにゃー。
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最も強調すべきは、これへの回答ですね。科学的考察の本質に関りますから。
>知識体系で表すも何も観測した速さをそのまま当て込むだけでしょ。
いいえ。問題は観測値を説明する理論です。その内容によって理論の合理性を判定します。そして「v² = KL²/M」が導かれる波動説では、光速の巨大な観測値を説明するのは不可能と、私は主張しております。
この主張を否定するには、19世紀以降に知られた概念に基づくことなく、3次元空間を巨大速度で伝わる波動を説明できねばなりません。具体的には「v² = KL²/M」でないかたちでv²を表すことです。
>えぇ…?波動方程式の話でしょう?
なんのために波動方程式を問題にしたと思いますか。光波動説の合理性を検証するためです。
当然、波動方程式は、光と同じ振舞いをする波動を表さねばなりません。津波が伝わるメカニズムは解明されており、重力と直交する平面を2次元的にしか伝わらないことが、分かっています。
「波」という共通語に飛びついて、津波と光波動を同じ方程式で扱えると主張するのは、「硬さ」という共通語に飛びついて、粘性流体とばねを同じ方程式で扱えると主張された(>>316)のと、同工異曲。ライオンはヒツジと同じく哺乳類だから、ヒツジと同じく草食動物と、主張するようなものです。
>エーテルが硬いってのも18世紀の概念じゃないけどね。
硬い媒質は当時の知識体系から導かれることで、本当にその認識がなかったのなら、それは人の問題にすぎません。しかし、電磁波の概念は、当時はもちようがありません。問題は、当時の知識体系から導かれるべき、合理的な理論と逸脱した理論です。
それにしても、18世紀の人が硬い媒質を想定しなかったのなら、光の巨大な速度をどう説明したのですか? v²を数式で表して示してください。
>観客の反応速度って書いてるでしょうが。
>あとは屈伸運動のスピードも影響するとは思いますが、単なるウェーブの速さですよ?
v²を数式で表してください。
>十分に小さく、摩擦粘性がないと仮定すれば抵抗は受けませんよ。
もう言葉だけで語るのはおやめください。「十分に小さく、摩擦粘性がない」物質が、3次元空間を巨大な速度で波動を伝えるメカニズムを、v²を表す数式で示してください。
>もう当時は科学手法を逸脱してたで良いですよ。
>認めるのでそれで進めましょう。
理解も納得もなく認めるのが、おっしゃるところの正当な科学ですか? >>631では、
>「逸脱していた」と言う仮説を元に
とおっしゃいましたが、逸脱していたという仮説は、既知の物理法則を覆すことなくしては、反論不可能と、私は主張しています。16世紀の地動説も同様。
反論できないから認めるということなら、それで結構です。同様の考察は、今後も繰り返されますが、次に進みましょう。
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悪いけど、次に進んでも無駄だとおもうよ
共にID論も進化論も理解出来てないんだから
まさかちゃんと理解出来てるなんて思ってないよね?
スレの標題から外れまくって見るに堪えないから書いてるだけ
書いてる事が無理解丸出しだからね
ID論者たちが何を論拠にID論を主張してるかすら知らずに書いてるよね?
自分たちは良いつもりかもしれないが、ギャラリーは呆れて見てる
特に付き纏いの常習犯に言っておくがコレはレスが欲しくて書いてるんじゃ無いから誤解しない様に
無意味な相手にレスするつもりは毛頭無い事は再三言って来た通り
どうせ何も理解出来ないんだから無視しておけぼいい
ぼーっと眺めてるだけでいいんだよ笑
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ID論者たちの論拠は、デザイナーなしに人間は存在し得ないという信念です。
サイエンスの方法は、人の信念を、少なくとも括弧に入れることから始まります。
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>>654
>いいえ。問題は観測値を説明する理論です。その内容によって理論の合理性を判定します。そして「v² = KL²/M」が導かれる波動説では、光速の巨大な観測値を説明するのは不可能と、私は主張しております。
繰り返しますがvは波動の伝播速度でしかなくv² = KL²/Mってのは特定の物理的状況でしか成り立ちません。
具体的に言うとばね-質量系においてのみです。
弦の上を伝わる横波はv² = 弦の張力/線密度ですがv² = KL²/Mの形に直接対応させるのは難しいです。
固体中の音波はv² =個体のヤング率/密度 v² = KL²/Mとは異なる形です。
水面波はv² = 重力加速度×水深でこれも特定の物理的条件に基づくものでv² = KL²/Mとは直接関係ありません。
電磁波もv² =1/(透磁率 ×誘電率 )これも異なりますね。
つまり大前提が間違ってます。あと観測値を説明できる必要は無いです。観測値それ自体があるのが重要なんです。
説明できようが出来まいが波動性が観測された、それが事実でありそれ以上でも以下でもありません。
>波」という共通語に飛びついて、津波と光波動を同じ方程式で扱えると主張するのは
同じ方程式で扱えます。何言ってんの?
>硬い媒質は当時の知識体系から導かれることで、
それを説明してごらん。
>>観客の反応速度って書いてるでしょうが。
>>あとは屈伸運動のスピードも影響するとは思いますが、単なるウェーブの速さですよ?
>v²を数式で表してください。
観客同士の距離をL、立ち上がるまでの時間S、立ち上がったことに反応するまでの時間をAとするとv=L/(S+A)となります。
小学生レベルです。
>もう言葉だけで語るのはおやめください。「十分に小さく、摩擦粘性がない」物質が、3次元空間を巨大な速度で波動を伝えるメカニズムを、v²を表す数式で示してください。
メカニズムを数式で表すの意味が分りませんね。小さく摩擦が無いのは他の物質に対してです。
>理解も納得もなく認めるのが、おっしゃるところの正当な科学ですか? >>631では、
>
>>「逸脱していた」と言う仮説を元に
>
>とおっしゃいましたが、逸脱していたという仮説は、既知の物理法則を覆すことなくしては、反論不可能と、私は主張しています。16世紀の地動説も同様。
正当な科学ですよ。単なる作業仮説です。
何か仮説をめんどくさく考えすぎですよ。仮説は自由です。
物理法則を覆そうがどうでも良いのです。ずっと言ってるでしょ?どんなトンチキな仮説でも仮説を立てるのは科学的に正しい姿勢だと。
大事なのは仮説を立てた後にどうするかです。
>反論できないから認めるということなら、それで結構です。同様の考察は、今後も繰り返されますが、次に進みましょう。
反論はあればしますが、とりあえず進めて下さい。
先に私の考えを述べておきます。
当時の学説が科学的に逸脱していようがいまいが現在の全く別個の問題なので、それを持って今の学説が科学的か否か論じるのはどうかと思います。無意味と思ってます。
当時の学説が科学的手法を逸脱していたならルイセンコのように扱う、それだけでありIDどうこうは全く関係ありません。
私の主張は科学と非科学は明確な線引きが出来ず、よりどちらかよりと言う判断しか出来ないだろうと言うもので
その判断はそれぞれの根拠の量と質で決まると考えます。これを根拠バトルと私は称しています。
根拠は科学的手段、具体的には「観察事例事象がありそれに対する仮説の立脚、仮説の検証、結果の判断、発表、専門家集団による評価、普及、それを踏まえた新たな研究のサイクル」
これで積み上げられます。
このサイクルの逸脱を科学としては許すべきではないと思っています。
あと私が非科学と思うのは、ある程度結論の出たもの、否定棄却されたものを新たな知見や証拠、もしくは新たな解釈なしに取り上げる行為です。
以上が私の一貫した考えです。これで私の中で結論が出てるので相当納得行く説明でも無いと考えは変わらないだろうなぁ。
さて、当時の理論が逸脱してたとしてどう展開するんでしょうね?楽しみでもあり不安でもあります。
私としてはこんなのよりIDをどう科学的に扱うかを話し合いたいんだがねぇ。
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いつの日か理解されることがあるのだろうか・・・
>水面波はv² = 重力加速度×水深でこれも特定の物理的条件に基づくものでv² = KL²/Mとは直接関係ありません。
光波動は3次元領域を前後左右上下に伝わります。2次元領域しか伝わらない水面波では例になりませんし、宇宙空間を伝わる光波動に働く「重力加速度」と「水深」って、いったい何のことですか? 少し頭を使えば、おかしいと分かるでしょう。
>同じ方程式で扱えます。何言ってんの?
上記の理由で、水面波の方程式は、光波動には使えません。あくまでも使えると言い張るのなら、宇宙空間を伝わる光に働く、重力加速度と水深とは何かを説明してください。かつ、どうすれば水面波が3次元領域を伝わるかを説明してください。必ずやってくださいよ。
>電磁波もv² =1/(透磁率 ×誘電率 )これも異なりますね。
18世紀には電磁波の概念すらもありません。イメージできないものが、科学の対象になりますか? いったい何を探求し検証するのですか?
>弦の上を伝わる横波はv² = 弦の張力/線密度ですがv² = KL²/Mの形に直接対応させるのは難しいです。
>固体中の音波はv² =個体のヤング率/密度 v² = KL²/Mとは異なる形です。
はい。張力とヤング率という、硬さを表す物理量が入ってますよね。つまり巨大な速度には巨大な硬さが必要ということです。とくに、流体中でも伝わる光の最も適したモデルは音波ですが、この部分を読んでください。
en.wikipedia.org/wiki/Wave_equation#Stress_pulse_in_a_bar
「KL²/M」が「ヤング率/密度(E/ρ)」に変換されてますよね。物理的意味が同じだからです。
>それを説明してごらん。
張力やヤング率という、硬さを表す物理量が、v²にあることです。つまり光の巨大な速度には、媒質の硬さが必要なのです。ところで「張力」「ヤング率」って何のことか分かります?
>説明できようが出来まいが波動性が観測された、それが事実でありそれ以上でも以下でもありません。
2重スリット実験以前の観測事象は、粒子説でも説明可能でした。それなら、わざわざ、硬い媒質という物理矛盾がある光波動説を唱えることに、合理性がありますか、と尋ね続けています。
>観客同士の距離をL、立ち上がるまでの時間S、立ち上がったことに反応するまでの時間をAとするとv=L/(S+A)となります。
物理の解答になってません。「立ち上がるまでの時間」と「立ち上がったことに反応するまでの時間」が、どういう物性で決まるかというのが物理です。
隣接部の変位への反応なら、それがつまり媒質の硬さになります。硬いばねほど波が速く伝わるのを知りませんか?
>小さく摩擦が無いのは他の物質に対してです。
ですから、同じ物質であれ他の物質であれ、すり抜ける物質が、波を伝える媒質になりますか? よろしいですか。
∂²u/∂t² = v² ∂²u/∂x²
という波動方程式の基本形を成立させるには、慣性力と復元力が必要なのです。水面波だろうが電磁波だろうが変わりません。慣性力とは変化を続けようとする力です。復元力とは元の状態に戻ろうとする力です。
熱、電気、磁気が透過する物質と見なされたとおっしゃいますが、熱は高温部から低温部に移動するだけ。電気と磁気は同極は反発し異極は引き合うだけ。慣性力も復元力も働かないから、波動の媒質の条件を満たしません。
>物理法則を覆そうがどうでも良いのです。ずっと言ってるでしょ?どんなトンチキな仮説でも仮説を立てるのは科学的に正しい姿勢だと。
ここにいたっても、理解ができませんか? 私は仮説の相対比較をしております。そして、物理法則と矛盾する仮説は、物理法則と矛盾しない仮説と比べて、はるかに蓋然性が低くなります。にもかかわらず、矛盾する仮説を矛盾しない仮説よりも優位におくのが、正当な科学の手法ですか、と問い続けているのですよ。
>反論はあればしますが、とりあえず進めて下さい。
16世紀に天動説よりも地動説を、18世紀に光粒子説よりも光波動説を、優位におくのは、正しい科学の手法に反するという理解がなければ、進めません。
まずは、水面波と電磁波が、なぜ光波動の例にならないかの理解から始めてみませんか? ご発言を見てると、何年かかるか分かりませんが、避けて通るわけにもゆきません。
>こんなのよりIDをどう科学的に扱うかを話し合いたいんだがねぇ。
正当な科学の手法を明らかにしてからです。抽象語としては「根拠バトル」でよいですから、地動説と波動説という具体例で検証しましょう。
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> 656
それはオマエの歪んだ信仰者の信念だろ?
死ぬまで変わらない笑
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果たしてこの世界は設計されたものなのか。
或いは設計など全く存在しない完全な自然状態の中で成立しているものなのか。
世界認識はこの2択になります。
中間形態のモデルとしては、一部は設計されている、と言う考え方もあるでしょう。
しかし、一部にしろ設計されていると言うその一部とは何を意味するのか。
一部でも設計を成し得る設計者が存在するとすれば、その設計者が全体の設計を成し得ない理由が何処にあるのか。
ID論名は理神論とニアイコールです。
つまりIDとはこの世界全体の設計者です。
生物を設計し得るという事はひいてはこの世界を設計したことになります。
この辺りの概念が整理できないとID論の基本が理解できません。
理神論は初期設定にすべてを委ねますが、そこは異論のあるところですね。
敢えて中間関与の可能性を否定する理由は見当たりません。
その方法に関しては、初期設定と同様不明と言う他ありません。
自己組織化が大きな役割を果たしているのは容易に想像できますが、自己組織化も初期設定が必要です。
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うん、ID論≒理神論というのは、正しい捉え方だと思いますよ。
インテリジェントデザイナー論=自然神学ですのでね。
自然神学は、Oxford Languagesによる定義では、
「キリストにおける啓示を基礎とする啓示神学に対し,人間に本来的に与えられている理性(自然の光)によってキリスト教の真理性を証明しようとする神学。すでにトマス=アクィナスの思想に,こうした傾向が萌芽的に見られる。理神論なども含む。」
理神論は、「宇宙の創造主としての神の実在を認めるが、聖書などに伝えられるような人格的存在だとは認めない。神がおこなったのは宇宙とその自然法則の創造だけで、それ以降、宇宙は自己発展するとする」(ウィキ)キリスト教神学思想ですが、人間の理性を軸に神を知る、というところは同じですからね。自然神学は理神論の神学論争を踏まえてますから、あたりまえっちゃそうですが。
ちなみに、理神論が流行ったのは17世紀後半から18世紀にかけての啓蒙時代ですが、科学が育っていくのも同じ時代です。
その理由の一つが、「宇宙が自己発展するなら、その因果関係を知ればいいじゃん、神様を前提する必要なくね?」という発想ですね。
これは当時、キリスト者にとっては唾棄すべき思想ということになりますが、
科学的方法の発展・確立とともに価値と事実という領域の切り分けが進み、キリスト者が自然科学者であることへの違和感はなくなります。
そこで思い出すのは、モースが、日本人の学生たちが進化論を何の抵抗もなく受け入れたのでビックリしたというエピソード。
まぁあたりまえですよね。日本には、文化的伝統として造物主信仰という考えがなかったんで、価値観に抵触しませんから。
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初期設定に依らない中間関与があり得るとしたら、それはどの様な形で行使されるのか。
進化における有り得ない奇跡群にそれは適用されたのか。
生命誕生、真核生物誕生、多細胞生物誕生、有性生殖、カンブリア爆発、それ以降の有り得ない奇跡が中間関与なしに可能なのか。
可能であればそこには驚くべき初期設定が存在したことになります。
先ずは、ゲノムの変異に関して地道な研究を続けるしかありません。
そのアプローチの仕方の話です。
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アプローチの方向性が間違っている為に徒労を重ねている良い例が有性生殖の誕生です。
生存に有利になるように進化した、進化とは生存の優位性の追求の結果である。
生物が獲得した形質は何らかの生存における優位性によってもたらされたものだ。
これは自然選択の原理が進化のエンジンとして刷り込まれた思考によって生じたものです。
つまり何らかの生存における優位性が存在しないと進化する筈がないと言う思い込みです。
その思い込みにより、有性生殖の誕生も必ず何らかの生存における優位性が存在した筈だと考える訳です。
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>先ずは、ゲノムの変異に関して地道な研究を続けるしかありません。
>そのアプローチの仕方の話です。
あなたのアプローチは神学思想という角度からとはっきりしてますよね。自分で言ってるんだから。「もう一つ」は、個体が持つDNAの総体であるゲノムを、どう科学的に理解していくかというアプローチの方法です
。
地道な研究が積み重ねられ、とくにDNA塩基配列の解析が可能になってからは飛躍的にわかってきてますよ。
たとえば現生人類の歴史的分布を、母系(ミトコンドリア)・父系(Y染色体)ハプログループの両面から跡付ける作業など、お見事としかいいようがありません。
還元不能な複雑性(=自然神学の荒野で拾っちゃった懐中時計)といったアプローチは、もはや神学思想の擁護にはなりえないんですよ。
そのあたり、現在の科学的な成果を知れば理解できることなので、お勉強してくださいね、としか言いようがありません。
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無知がムキになって更なる無知を曝け出す笑
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有性生殖は最も単純に考えても雌雄同数存在するとして繁殖における効率は1/2になります。
雌しか出産できないですからね。
更に雌雄の出会いの機会の問題や減数分裂における効率の問題があります。
それでも進化における生存における優位性を信じ込んでいる研究者たちはその優位性を探し求めて四苦八苦します。
これが長年研究者たちを悩ませるパラドクスと呼ばれています。
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しかし、進化における多様化も複雑化も明らかに繁殖効率に反しているんですよ。
それに気付かない。
進化は繁殖効率を追い求めた結果ではありません。
そう信じ込むのは自然選択と言うダーウィン進化論の刷り込みがあるからです。
唯一の解は設計の結果と考える事です。
極めて単純明快な解です。
それが受け容れられないのは、既成概念に捕らわれた排他的思考です。
そしてそれが科学とは対極にあることに何時まで経っても気付けず言いる訳です。
結果として無駄な研究労力を費やし続けることになります。
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科学史上の評価と実態の乖離の最も激しい人物は恐らくダーウィンでしょう。
ダーウィンはニュートン等と共にウエストミンスター寺院に埋葬されています。
何らかの毀誉褒貶はあるにせよ、大勢としてはダーウィンは科学史を塗り替えた偉大な科学者である、というのが通り相場です。
では、実態はどうでしょう?
ダーウィンはソモソモ科学者とは呼べません。
まして科学史を塗り替えるどころか、進化論を大きく迂回させた重大な戦犯です。
この評価の致命的な齟齬は世界認識すら誤らせます。
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津波の話は混乱を呼びかねないので、解説しておきましょう。なぜ「v² = KL²/M」とは異なる形なのか?
波動とは振動が伝わる現象で、振動は、同じ動きを続けようとする慣性力と、釣り合いの位置に戻ろうとする復元力が働いて、起こります。音のような3次元領域を伝わる波は、慣性力を生むのが質量で、復元力を生むのが弾性です。「KL²/M」の分母に質量(M)、分子に弾性(K)があるのは、そのためです。
慣性力と復元力が必要なことは、津波のような水面波も同じですが、津波の場合は、釣り合いの位置に戻ろうとする復元力も、質量が原因なのです。波には、平らかな水面の時より高くなってる「山」と、低くなってる「谷」がありますよね。重力の働きで、山は低い位置に戻ろうとし、それに押されて谷は高い位置に戻ろうとする。これが津波に働く復元力なのです。つまり「KL²/M」の分子からKが消えてMが現れます。
すると、分子と分母の両方にMが入るから、結局、数式からはMも消えることになります。津波の速度を表す数式に質量が入らないのは、それが理由です。結果的に数式から消えるからとて、質量がなければ波が存在できないのは、以上の説明で明らかでしょう。
もしも、この説明でも納得できないなら、これだけを考えてください。
おっしゃるように、津波を支配する数式には、重力加速度が入ります。でも、重力って何に対して働きますか???
質量でしょうが!!!
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ラマルクはダーウィンより50年以上前に進化論を提唱しています。
種は変異するとして、ダーウィンと違って最初から進化の語を用いました。
単純なものから複雑なものへ進化するというダーウィンが描かなかったグランドデザインも描いています。
科学的知見の乏しかった当時の話なので、誤りも多数存在しますが彼の主張した獲得形質の遺伝は現在エピジェネティックによって一部でそれが存在することも示されています。
評価はダーウィンに比べて不当に低いですが、実はダーウィン以前にダーウィンに比べて遥かに意味のある説を提唱している訳です。
その50年以上後にダーウィンは種の起源を著しますが、これは明らかに逆行ですね。
それは取りも直さずダーウィンの主張が科学では無いことを意味します。
科学は逆行しません。
因みにダーウィンは用不用説を支持していますね。
そしてそれは自然選択論には全く反映されていません。
論理的整合性にダーウィンは関心がなかったという事ですね。
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自然選択の各工程の詳細な検証が何故行われてこなかったのか、それにも拘らず自然選択論を何故平然と科学と称して来たのか。
その理由がよく理解できません。
恐らくは単純に信じ込んでいる。
検証せずに信じ込むわけですから、それは宗教です。
それを科学であると信じ込めるその背景は権威ですが?アカデミズムですか?常識ですか?
その無能ぶりは目を覆うばかりですね。
再現可能性が大変低いが故に実験的な検証観察が困難。
その隙間に入り込んで繁殖する宗教的な思い込み。
それが自然選択論に立脚した現代進化論です。
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>>658
いつの日か理解されることがあるのだろうか・・・
>光波動は3次元領域を前後左右上下に伝わります。2次元領域しか伝わらない水面波では例になりませんし、宇宙空間を伝わる光波動に働く「重力加速度」と「水深」って、いったい何のことですか? 少し頭を使えば、おかしいと分かるでしょう。
波動方程式は2次元でも3次元でも表すことができます。波動方程式は、波の伝播を記述するための偏微分方程式であり、空間次元が異なる場合でも基本的な形式は同じです。
次元が変わると偏微分の数が増えますが基本的な構造は同じです。波動方程式は波の伝播を記述するための基本的なツールでしかありません。
>上記の理由で、水面波の方程式は、光波動には使えません。あくまでも使えると言い張るのなら、宇宙空間を伝わる光に働く、重力加速度と水深とは何かを説明してください。かつ、どうすれば水面波が3次元領域を伝わるかを説明してください。必ずやってくださいよ。
上記の理由で使えます。水面波の式は光に使えない?当たり前でしょ。
こちらは波動方程式の基本構造について語っています。
>18世紀には電磁波の概念すらもありません。イメージできないものが、科学の対象になりますか? いったい何を探求し検証するのですか?
18世紀に概念が無いとかそんなものはどうでもイイのです。理論の発展は違えど18世紀と現代で世界の物理法則が違ったわけじゃありません。
重要なのは質量なんざ持ち出さなくても波動の伝播速度を記述できるという絶対的真実です。
貴方がやるべきは、18世紀のころは質量がないと波動の伝播速度は表せないとされていたことを示すことです。
当時の誰がいつそのようなことを述べていたか示せないなら、貴方の思い込みとしかみなせませんよ。
繰り返しますが波動方程式は時間と空間による2変数の偏微分方程式であり速度は変数に影響するただの定数ってだけです。
質量は媒質の特性において重要な要素になり得ますが必須ではありません。
>張力とヤング率という、硬さを表す物理量が入ってますよね。つまり巨大な速度には巨大な硬さが必要ということです。
ヤング率=硬さと単純ではありませんが、ヤング率を密度で割ってるので髙ヤング率なら速いと一概には言えませんよ。
>張力やヤング率という、硬さを表す物理量が、v²にあることです。つまり光の巨大な速度には、媒質の硬さが必要なのです。
と言うわけでダウトです。
そもそも硬くなかったら絶対的に速くは伝わらないものですか?
>2重スリット実験以前の観測事象は、粒子説でも説明可能でした。それなら、わざわざ、硬い媒質という物理矛盾がある光波動説を唱えることに、合理性がありますか、と尋ね続けています。
繰り返しますが本当に硬いのかはっきりしてないので矛盾とみなすのは早計です。
また、その一個だけで勝負するのも合理的とは思いません。否定する証拠があろうとそれ以上に支持する証拠があるなら充分検討に値します。
根拠バトルは根拠の‘質”と‘量”によります。
>物理の解答になってません。「立ち上がるまでの時間」と「立ち上がったことに反応するまでの時間」が、どういう物性で決まるかというのが物理です。
>隣接部の変位への反応なら、それがつまり媒質の硬さになります。硬いばねほど波が速く伝わるのを知りませんか?
生理的ものです。突き詰めれば物理ですが問題はそこではありません。
伝播速度が物性によらない例ってことです。つまり質量はやっぱり必須では無いと言うとてもわかりやすい例です。
-
>ですから、同じ物質であれ他の物質であれ、すり抜ける物質が、波を伝える媒質になりますか?
媒質同士が相互作用するならなりますよ。
>ここにいたっても、理解ができませんか? 私は仮説の相対比較をしております。そして、物理法則と矛盾する仮説は、物理法則と矛盾しない仮説と比べて、はるかに蓋然性が低くなります。にもかかわらず、矛盾する仮説を矛盾しない仮説よりも優位におくのが、正当な科学の手法ですか、と問い続けているのですよ。
まだ理解出来ませんか?矛盾することを示さない限りそれ自体が仮説でしかないんです。
そして学説は総合的に判断されます。1個矛盾があったところでそれ以上に証拠の数が多ければ単純に却下できないのです。
物理法則に矛盾するかも、と言う一つしか見ていないからそうなるのです。
>16世紀に天動説よりも地動説を、18世紀に光粒子説よりも光波動説を、優位におくのは、正しい科学の手法に反するという理解がなければ、進めません。
>まずは、水面波と電磁波が、なぜ光波動の例にならないかの理解から始めてみませんか? ご発言を見てると、何年かかるか分かりませんが、避けて通るわけにもゆきません。
もう一度断言しますが絶対に認めません。
当時は矛盾と見なされていないのが多数派だった正しい根拠バトルで後れをとったという絶対的事実は変わりようが無いからです。ですから無駄なので進めて下さい。
もう逸脱してたで良いと言ってるでしょ?なんでそこから逃げるの?
>669
>おっしゃるように、津波を支配する数式には、重力加速度が入ります。でも、重力って何に対して働きますか???
>質量でしょうが!!!
質量の無い光も影響を受けますよ。
あと正確には表面張力や粘性も影響を与えるのですが、基本的に液体によらず全て重力加速度と水深で決まります。
極端な例で言うと水銀も水も同じ水深で同じ重力加速度の場所なら同じ速度になります。
質量によらないんです。
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>水面波の式は光に使えない?当たり前でしょ。
はい、当たり前です。ゆえに、水面波に質量と弾性の項がないことは、光波動に質量と弾性の項がなくてもよい説明になりません。あなたがやるべきは、3次元方向に伝わる波動を、18世紀の知識体系で説明することです。質量と弾性なくして、それが可能ならやってみせてください。
>ヤング率を密度で割ってるので髙ヤング率なら速いと一概には言えませんよ。
おっしゃる意味が分かりません。
ヤング率が大きくても、密度も大きければ、速度が大きくないと、言われるのですか? でも、現実に大きい光の速度を説明するのだから、そんな話をしても仕方がありませんが。
>生理的ものです。突き詰めれば物理ですが問題はそこではありません。
生理的なら、光波動に適用できないのは、水面波と同様ではありませんか。
そもそも「立ち上がるまでの時間」とか「立ち上がったことに反応するまでの時間」なんて言ったところで、説明になりません。なぜ波が速く伝わるかを尋ねられて、伝わるまでの時間が短いからと、答えますか?? (あなたならやるかもしれない、という気もしますが・・・)
「立ち上がるまでの時間」や「立ち上がったことに反応するまでの時間」が、どういうメカニズムで決まるかを明らかにし、そのメカニズムを光波動に適用できるかを考えるのですよ。
>媒質同士が相互作用するならなりますよ。
「相互作用」なら何でもよいのではありません。波動を伝える相互作用です。
空間を伝わる波動には、質量と弾性が必要なのです。それを否定なさるのなら、津波などではなく、3次元空間を伝わる波の例で説明されるべきです。私は「v² = KL²/M」という数式を示していますので、同じことをしてください。
媒質同士の相互作用も、質量がうむ慣性力と、弾性がうむ復元力でなければなりませんが、熱、電気、磁気ではどれも働きません。そもそも、質量の定義は加速度に比例する抵抗であり、弾性の定義は変位に比例する抵抗です。抵抗が働くから物体を透過できないので、熱、電気、磁気が物体を自由に透過する物質なら、質量も弾性ももたない、すくなくとも光の巨大な速度を説明するような質量と弾性はもたない、ということです。
>物理法則に矛盾するかも、と言う一つしか見ていないからそうなるのです。
その時代の物理法則と矛盾する地動説と波動説が根拠として挙げる事象が、その時代の物理法則と矛盾しない天動説と粒子説でも説明されるなら、それでも矛盾する説が正しいと主張するのが正当な科学ですか、と尋ねています。この切り口で答えてください。
>当時は矛盾と見なされていないのが多数派だった正しい根拠バトルで後れをとったという絶対的事実は変わりようが無いからです。ですから無駄なので進めて下さい。
私が問題にしているのは、当時の理論であって、当時の科学者ではありません。当時の知識体系では矛盾のある理論を、当時の人が矛盾と認めなかったのなら、当時の人が誤っただけです。その判断は、理論自体を検証して行うしかありません。
それにしても、当時の人は本当はどう考えたのでしょうね。>>654で尋ねたことを再度お尋ねします。18世紀の人がエーテルの巨大な弾性を想定しなかったとして、では光の巨大な速度をどう説明しましたか? v²を数式で表して示してください。
>質量の無い光も影響を受けますよ。
やれやれ今度は一般相対論ですか。
相対論も電磁波もおなじこと。18世紀にそんな概念はありません。イメージできないものが、科学の対象になりますか? いったい何を探求し検証するのですか?
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>>物理法則に矛盾するかも、と言う一つしか見ていないからそうなるのです。
>その時代の物理法則と矛盾する地動説と波動説が根拠として挙げる事象が、その時代の物理法則と矛盾しない天動説と粒子説でも説明されるなら、それでも矛盾する説が正しいと主張するのが正当な科学ですか、と尋ねています。この切り口で答えてください。
「その時代の物理法則」って何でしょう。その時代に確認できたことに基づく人の解釈ですよね。
新たに事実が加われば解釈も変わり、波動か粒子か…それぞれの証拠に基づいて長く対立した「考え」が、
結局のところアインシュタインによってどっちも正しかったとわかっちゃったという、「科学の営み」ですよね。
「その時代の物理法則」って、デザイナー論に基づく物理法則の解釈があり得るとも読めるわけですし、
今後そうしたスタンスで論理が展開されるでしょうから、楽しみにしています。
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もう本当に良いので
認めます。
当時の地動説も波動説も科学を逸脱しており当時のそれらを推す科学者もどこかおかしかったと認めます。
だから進めて下さい。
もう認めると言っているのだからお願いします。
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進めて見たところで待ってるのは更なるカオスだけ笑
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では、次のステップに進みますが、1点、注意を喚起します。
>当時の地動説も波動説も科学を逸脱しており当時のそれらを推す科学者もどこかおかしかった
私は、当時の理論には物理的矛盾がある点で、正当な科学から著しく逸脱したと主張しました。
しかしながら、当時の人が、そういう理論を支持するべきでなかったとは、主張しません、
その意味するところは、議論が進めば明らかになります。無用の誤解を避けるため、慎重に説明を進めます。
次の投稿をお待ちください。
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はい。
その前に一応これは聞いておきます。
当時の科学者が科学を逸脱しているにもかかわらず、何故指示したと考えますか?
あと物理的矛盾を逸脱と捉えてるようですが、光速度不変とか粒子と波の二重性やら万有引力とかも当時の常識では物理的矛盾ですが、これらの提唱も逸脱ですか?
違うなら何が異なりますか?
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>当時の科学者が科学を逸脱しているにもかかわらず、何故指示したと考えますか?
「指示」ではなく「支持」ですね。
それは必ず語りますが、順序を踏みたいので、今は述べません。
>光速度不変とか粒子と波の二重性やら万有引力とかも当時の常識では物理的矛盾ですが
「光速度不変」「波の二重性」「万有引力」が何のことを言われているのかを明らかにし、なぜ矛盾と考えるのか、理由を述べてください。一般論ではなく具体的に。
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>>680
>「光速度不変」「波の二重性」「万有引力」が何のことを言われているのかを明らかにし、なぜ矛盾と考えるのか、理由を述べてください。一般論ではなく具体的に。
「光速度不変の原理」:光速度不変の原理は、アルベルト・アインシュタインによって1905年に提唱されたものですが、
この理論は、真空中の光の速度は観測者の運動状態に依存せず、常に一定であるというものです。
普通は観測者の運動によって対象の物体の速度は変化します。この原理は当時の物理学の常識を大きく破るものです。
「粒子と波の二重性」:ルイ・ド・ブロイによって提唱されたものですが、当時、物質は粒子としてのみ理解されており波動としての性質を持つという考えは非常に革新的でした。
古典物理学では、粒子と波動は完全に異なるものと考えられていました。これも当時の物理学の常識を大きく破る大矛盾です。
「万有引力」:ご存じ科学の大巨人ニュートンの提唱したものです。当時は物質の運動は近接作用、直接作用で働くと考えられており、このような遠隔作用はありえないとされました。
ライプニッツなどはオカルトだと一蹴しています。ニュートン自身も悩んだようでプリンキピアに「私は仮説を作らず」と書いたのは有名ですよね。
ニュートンはその後、その作用にエーテルの介在による近接作用を考えたりしています。つまりこれも当時は物理的矛盾であったわけです。
あともっと分りやすいのに「大陸移動説」とかはどうでしょう?
不変と言われていた大陸が動くという物理的大矛盾を置いておいて提唱された説ですが、ウェゲナーは科学をないがしろにしてこの説を発表したのでしょうか?
もう一つ、ちょっと前に言ったニュートリノ光速超えのお話は?現在の物理に明らかに反するものですが、これを発表した研究チームは科学を逸脱した態度だったんでしょうか?
これらも逸脱ですか?そうならそれで結構です。
違うなら何がどう違うのか、説明お願いします。
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どれも、私が問題としたような矛盾ではありませんが、個別の例を説明するよりも、最も重要な点を指摘します。16世紀の地動説と18世紀の光波動説は、なぜ正当な科学から逸脱するのか。ただ、説明できないことがあるだけではありません。既知の理論では説明できない事象を、矛盾のまま受け入れねばならないことはあるのですから。
1609年にケプラーの法則が登場し、天体位置の予測精度で、地動説は天動説に決定的な差をつけるようになりましたが、この時点では、地球に恒常的な風が吹かない矛盾は、解消されてません。矛盾の解消は、ガリレオによる慣性の法則を待たねばなりませんでした。
1801年の2重スリット実験で、光波動説を認めるしかなくなりましたが、この時点では、鉄より硬い媒質が空間を充たすはず、という矛盾は解消されてません。矛盾の解消は、マクスウェルによる電磁波理論を待たねばなりませんでした。
どちらも矛盾を含む理論が受容される例ですが、こういう矛盾は、今回問題にした逸脱ではありません。なぜなら、たとえ未解決の矛盾があっても、地動説や光波動説を受け入れるしかない証拠が見つかったからです。もはや天動説と光粒子説では説明不可能でした。
16世紀の地動説と18世紀の光波動説は、そうではありません。
地動説の証拠とされた惑星の逆行運動は、周転円を想定した天動説でも説明可能でした。光波動説の証拠とされた事象も、光粒子説で説明可能でした。それらの説明は、今の私たちが知る物理法則に照らすと、おかしなものですが、当時知られていた物理を覆すものではなかったのです。
つまり、一方に当時知られた物理法則と矛盾する地動説と光波動説があり、他方にそのような矛盾がない天動説と光粒子説があります。そして、地動説と光波動説が根拠とする事象は、天動説と光粒子説でも説明可能です。
それでも、なお地動説と光波動説を支持するのが正当な科学なのか、天動説と光粒子説でよいではないか、というのが私の問題提議です。
このことを頭に入れた上で、>>681で挙げられた例が、同様の逸脱であるかを考えてください。やはり逸脱と思われるのなら、あらためて回答します。
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進化論vsID論と言う対決構図は、より正確に言い換えれば進化の過程に設計者が介在するかしないかと言う議論になります。
設計者が介在するかしないか、これ以外の選択肢はないですね。
1かゼロかです。
従って、その設計者の実体が一体何のか、その介在の方法がどんなものか、それらは議論の論点ではありません。
介在したかどうか、その判断が問題の核心であり、議論すべき論点です。
それを実体は何だ、どの様な方法で介在した、それを示せなければID論は成立しない、この様に主張するのは論点のすり替えでしかありません。
ID論の本質は、設計者の存在を示す事であり、その実体や介在方法を示すものではありません。
ソレに関して言えばそれは不可知論の範疇です。
重力の本質が示せないのと全く同様の話です。
言い換えれば、知性の本質が不可知であるのと同様の事です。
ID論否定論者は知性に対する理解自体が不足していますね。
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うん、不可知論でもいいと思いますよ。
要するに、「事実」を元にした科学理論ではない、ということなので。
ハクスリーが言い出したとよく言われますが、同じような意味でカントの「物自体」以来、哲学的にも長い歴史がありますね。
進化論という科学にまつわるところでは、「神はいるともいないとも客観的には言えないでしょ」という、宗教的信念を括弧に入れるという意味合いが強いです。いわば神学と科学を分けるツールとして機能した言葉ですね。
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>知性の本質が不可知
神が存在しなければ人間の知性などあり得るわけがなく、神の意思は人間には知りようもない。
キリスト教造物主信仰を凝縮した、わかりやすい表現ですね。
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ダーウィンは自らを不可知論者と称します。
つまり最終的には知り得ない。
その観点から言えば創造の主体は知り得ないという事になります。
この基本的な構想はIDとほぼ同一です。
そしてダーウィンは無神論者ではなくて不可知論者だと主張します。
不可知論と言うのも宗教的な不可知論から非宗教的な不可知論まで内容はかなり錯綜しています。
ラッセルは不可知論者であり更に言えば無品論者だと名乗ります。
彼の根本はむしろ無神論者です。
様々な立場から不可知論は語られますが、要は最終的には決して知り得ないものがあると言う認識は一致しています。
不可知論を完全に否定するのは不可能でしょう。
完全に全てを知り得る事が出来ない事はロジカルにも証明出来そうです。
何処まで行ってもその先があります。
その存在理由の追求は止むことなく無限に連鎖します。
IDの実体も最終的には不可知です。
不可知が不存在の理由にならないことは見てきた通り明らかですね。
つまりIDの実体が不明であることはIDの存在自体を否定する理由にはならないのです。
それを混同して、論拠にしようとする人たちもいますが、それは論点のすり替えです。
IDの存在はあらゆる事象の観察から極めて簡明にロジカルに証明されます。
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ID論を正確に理解するためには、いくつかの基本的な事項の理解が前提になります。
先ず、IDを神と称してID論を宗教と極め付ける、この様な態度を取り続ける人たちには先ずID論を理解する資格はありません。
ID論が宗教であるなら、科学的な知見も不用、ロジックも顧みる必要はありあません。
逆にID論は科学的な知見に立脚しロジックによって証明されるものですから、全くその逆を行っている訳でそもそも話になりません。
更に、自然選択論に基づく総合説に代表される現代進化論が実際の進化のメカニズムを何一つい説明出来ていない事を十分に理解する必要があります。
現代進化論は基本を偶然性に置いています。
それはつまり現代進化論を認める事は進化が偶然の産物であると理解することです。
完全な偶然では如何なる進化も起らない、それを理解出来なければ矢張りID論を理解することは出来ません。
それが十分に理解できたなら、自ずと進化にはそれを必然たらしめる何らかの要因が存在する、と言う結論になります。
その進化を必然たらしめる要因の存在が承認出来たなら、それは何らかの設計の存在に帰着します。
つまりID論は極めて自然な思考の流れの中で示されるものなのです。
そして何らかの設計が介在するとした場合、それは宇宙生成のビッグバンにまで遡り、その初期設定まで行ったと考える必要があります。
それは時空、物質、あらゆる物理法則、物理定数を含みます。
それをIDは生物的な何者かだ、等と言ってるようでは全く話になりませんね。
ID論について何一つ理解できていない、と言う話です。
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>IDの実体も最終的には不可知です。
そう、神様という人の想念ですからね。
「不可知」という言葉が、科学の手法とは相いれないこと、そろそろ理解してもいいんじゃないかな。
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科学的認識も含めてあらゆる認識は不可知論に逢着します。
それすら理解出来ない者にID論を語る資格も無いのは言うまでもないてすね。
ダーウィンも不可知論者です。
そしてダーウィンは宗教嫌い、唯物論嫌いです。
彼のターゲットは宗教的創造論であり、有神論的進化論ではありません。
言いたかったのはただ一つ、種は変異する、です。
そしてその変異の原因を自然選択に求めます。
そもそも進化と言う言葉も最初は使っていませんでした。
自然選択のアイデアを得たマルサスの人口論も稚拙、とても一般論に敷衍できる代物ではありません。
何故ダーウィンがこれ程までに自然選択論に固執したのかも不明。
その自説の正当化しようとする異常な情熱の出所も不明です。
科学と言う用語を殆ど使わない彼が科学をどこまで意識していたかも不明です。
少なくとも科学的方法論には関心があったとは思えません。
従って全ては彼の想像の世界の中で語られており、事実による検証は皆無です。
ダーウィン自身が自然選択の工程に対する理解が不足しているので、検証の仕様もありませんね。
その自然選択論を無検証に金科玉条の如く信じ奉る。
未だにそれをやっているのが総合説に代表される現代進化論です。
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自然選択論を振りかざす人たちは例外なくその自然選択によって進化がもたらされる工程を正確に理解していません。
これは本当に驚くべき事です。
変異⇒選択⇒集団中に固定と言う各工程全ての理解が全く不十分です。
それだけいい加減に考えていながら尚科学であると主張しているその神経は理解を超えます。
極めて安易にそれが成し遂げられると考えているんですね。
それを初めから前提と考える、つまり宗教です。
そしてそれが宗教的な態度であることに全く気付きません。
特に安易に考えているのが変異が選択される過程です。
それはある特定の変異だけが選択される必要があります。
この選択される工程が成立する為にどんな条件が必要とされるか、そこに全く考えが及んでいません。
致命的な想像力の欠如です。
その工程が具体的な事実と照応して確認されなければ、科学としては成立しません。
そこが理解できないんですね。
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>>682
>個別の例を説明するよりも、最も重要な点を指摘します。
できれば個別の例でお願いします。
なんとなく、他に説明できなければ矛盾もOKで、どんなに苦しくても別に説明する術があるなら矛盾は許容しないみたいに捉えられるのですが、そう言うことですか?
だとしたら大陸移動説とか陸橋とか浮島で説明ができたりするので逸脱ですか?
万有引力みたく説明自体を放棄しているものはどうなのですか?
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>変異の原因を自然選択に求めます。
ここに自然選択を理解してないのが良く表れてるね。
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オマエだよ笑
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何一つ理解出来ないね笑
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進化論もID論も笑
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