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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
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うん、ID論≒理神論というのは、正しい捉え方だと思いますよ。
インテリジェントデザイナー論=自然神学ですのでね。
自然神学は、Oxford Languagesによる定義では、
「キリストにおける啓示を基礎とする啓示神学に対し,人間に本来的に与えられている理性(自然の光)によってキリスト教の真理性を証明しようとする神学。すでにトマス=アクィナスの思想に,こうした傾向が萌芽的に見られる。理神論なども含む。」
理神論は、「宇宙の創造主としての神の実在を認めるが、聖書などに伝えられるような人格的存在だとは認めない。神がおこなったのは宇宙とその自然法則の創造だけで、それ以降、宇宙は自己発展するとする」(ウィキ)キリスト教神学思想ですが、人間の理性を軸に神を知る、というところは同じですからね。自然神学は理神論の神学論争を踏まえてますから、あたりまえっちゃそうですが。
ちなみに、理神論が流行ったのは17世紀後半から18世紀にかけての啓蒙時代ですが、科学が育っていくのも同じ時代です。
その理由の一つが、「宇宙が自己発展するなら、その因果関係を知ればいいじゃん、神様を前提する必要なくね?」という発想ですね。
これは当時、キリスト者にとっては唾棄すべき思想ということになりますが、
科学的方法の発展・確立とともに価値と事実という領域の切り分けが進み、キリスト者が自然科学者であることへの違和感はなくなります。
そこで思い出すのは、モースが、日本人の学生たちが進化論を何の抵抗もなく受け入れたのでビックリしたというエピソード。
まぁあたりまえですよね。日本には、文化的伝統として造物主信仰という考えがなかったんで、価値観に抵触しませんから。
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