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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
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>同列に扱うべきでない、と言っています。
なら18世紀の光波動説は一発アウトですね。20世紀に量子力学が登場するまで、粒子と波動は排他関係にありましたから、波動説を支持するのは、粒子説は誤りと言うことで、同列どころではありません。やはり、波動説は教えるべきでなかったと言われるのですね。
>粒子説に使われたリソースが他に割かれることで粒子説の知見が遅れる可能性を言っています。
>波動説、粒子説どちらが進むと見なそうと遅れると見なそうと、自分はそう考えると言う抽象論ですよね。
抽象論? 19世紀の進歩の遅れは、具体的に想定できます。2重スリット実験のおかげで、光は波であり、媒質のない波がありうることが、広範に納得されました。とりわけ、後者は革命的な発見だったはずです。
そうなると、なぜ波が伝わるかを、だれもが考えます。電磁場の発見は(おそらく)偶然の産物ですが、そこから電磁波(つまり媒質のない波)の発想へいたり、電磁波の速度理論値が光速の実測値と一致したことで、光は電磁波という重要な新知見へいたりました。これとても、光が粒子と信じられていたら、簡単にゆきません。ニュートリノが光速(電磁波の速度)で運動するように、速度の一致は粒子でも起こるのだから、光は電磁波と同じ速度で運動する粒子と見なされると思います。
さて、18世紀に光波動説が教えられ、リソースが割かれたことで、粒子説のどういう知見が、遅れましたか? 具体論で語ってください。
>矛盾が一つ二つあろうと即却下にはなりませんよ
あなたが問題にしたのは「難易度」ですよね。
光が波なら巨大な速度の横波と示す観測事象と、18世紀の波動理論を合わせると、鉄よりも硬い固体が、あらゆる空間を充たしており、私たちを含む万物が、その中を動いていると結論されます。これって、ものすごい難易度を、エーテルに与えるとは、思いませんか?
>それはそれとして、とりあえずこちらの質問にも答えて欲しいです。
質問とは、これですか?
>IDを宇宙人介入説とかを差し置いて優遇する理由は何か、教えて頂きたいですね
品種改良は、人類が実行しており、効果が実証されていることが、一番でしょうね。地球史上の知的生物を人類に限定する必要を、認めません。
人類のような知的生物が発生したということは、知的生物が繁殖する環境が、地球にあることを意味します。その環境は、人類の発生前にもあったでしょう。
例えば、飛行生物は、昆虫、翼竜、鳥、哺乳類と4度発生しました。脊椎動物だけで3度。飛行生物が繁殖する環境があるから、繰り返し発生したはずです。
現在の生物を観測して、過去の生物を、直接の証拠はなくても、想定する理由は、昔と今の環境に共通点があるからです。違いますか? 同じ考察を、知性の進化に適用してはいけない理由を、私は知りません。
IDの問題点を追及されるのは結構ですが、科学史上の諸理論、今は私が挙げる地動説、光波動説との、相対比較を忘れないでください。
再確認しますが、18世紀に光波動説が教えられたのは、歴史の中の誤りだったのですね。なくせるものなら、なくしてしまいたい痛恨事なのですね。
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> 品種改良は、人類が実行しており、効果が実証されていることが、一番でしょうね。地球史上の知的生物を人類に限定する必要を、認めません。
おいおい、「地球史上の知的生物を人類に限定する必要を、認めません。」
それならどんな知的生物がいたのか、「具体論で」教えてください。
話は、そこからですね。
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自然選択論は基本的に偶然性に依存しています。
「偶々環境に適した生存に有利なものが生き残って進化した」
と言ってる訳で、そこに予めの目的性は全くありません。
つまり偶然が積み重なって人間も誕生した、と言っているわけです。
そう信じ込んでいる。
偶然が積み重なって人のような複雑極まりない生物がどうして出来上がるのか、
それを真剣に考えれば疑問をいだきそうですが、そうならない。
ツマリ信じ込んでいる、それこそ宗教的な態度といえるでしょう。
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木村博士は、1988年に次のように述べました。「今後に残された大きな問題の一つは、表現型レベルの進化(注:形態の進化)と分子レベルの進化との間にどうしたら橋渡しができるかということである」[木村資生著『生物進化を考える』岩波文庫(1988年)58ページ、]
それから30年近くたった近年、分子進化学者の宮田隆は次のように書いています。
「木村博士も述べているように、いかにして二つのレベルの進化を統一的に理解できるか? これは今後の分子進化学に課せられた重要な課題である」[宮田隆著『分子から見た生物進化』講談社ブルーバックス(2014年)42、43ページ]
形態の進化を、DNAの突然変異によって分子レベルで説明することができないという未解決問題が、現在なお存在しているのです。
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ゲノム、つまりたった4種類の塩基が対になって2重螺旋で延々つらなることによって構成されている
DNAの遺伝情報によって、すべての生物の形態と生命活動は規定されています。
従って生物の進化もこのゲノムの進化つまりゲノムの変異そのものです。
人のゲノムの全てが読み取られたからと言って、その意味が解明されたことにはなりません。
ゲノムの塩基配列の意味は、むしろ大部分が未知であり未解明です。
その塩基配列の変異が何故もたらされたのか、それを明らかにするのが進化を理由を解明すると言う事です。
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科学という方法論は「人が確認できること」をもとに論理を組み立てますから、「予めの目的性」という考えがありません。
ID]論=自然神学という思考のコアは、「生物という複雑な仕組みが存在の原因である神の意思なしにありうるわけがない」というものですが、
さて、人が自然とその歴史を理解する上で、「原因となる神の意思」は不可欠なものなのでしょうか。
確認できたこと、確認途上のこと、確認の方法すらわからないことを含め、確かなものを求めるのが科学の営みですね。
神の意思に投げてしまえば謎は消失するでしょうが、イコール自然理解を放棄するということになります。
啓蒙時代の宗教否定やイギリス経験論の哲学者たちの思考を参照するまでもなく、「神の意思」という人の想念に基づく主張は、科学理論とは異なるものだという基本的な理解が必要ですね。
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>>114
>なら18世紀の光波動説は一発アウトですね。20世紀に量子力学が登場するまで、粒子と波動は排他関係にありましたから、波動説を支持するのは、粒子説は誤りと言うことで、同列どころではありません。やはり、波動説は教えるべきでなかったと言われるのですね。
もう一度言いますが、私の主張をねじ曲げないで下さい。
単に同列に扱うべきでない、と言っています。
根拠が示せないなら主流と並べるべきではないと言うものです。
研究するしないは好きにすれば良いのです。
根拠の質に寄らず同列に扱うか、もしくは一方を排除するかの二者択一に強制しないで下さい。
そんなことは一言も言っていません。
教えるならありのまま教えれば良いのです。「粒子説はこう言う根拠があり、こう言う不備がある。一方波動説はこう言う根拠がある。それらを比較し現状どちらが確からしい。」と言うだけです。
IDも「現状科学的根拠は乏しく、専門家で支持するものはほぼ皆無の説である」とかちゃんと明記するなら教科書に載ろうとドーキンスも内容に文句は言わないと思います。
もっとも、そんなものをわざわざ教科書に載せて貴重な学生の時間を奪うな的な、別の批判は出るでしょうけど。
>抽象論? 19世紀の進歩の遅れは、具体的に想定できます。
仰るように「想定」してるだけです。抽象論でしょ?
波動説が当時の主流である粒子説と並んで研究されたとして必ずしもヤングの実験が前倒しされるとは限りません。
粒子説も波動説が全く台頭しなかったらもしかしたら光量子仮説がアインシュタインより前に出てきたかも知れません。
ただどちらも、たらればの話なので正直余り意味はありません。
所詮、希望的予測による早まった一般化です。
ですからここで考えるべきは一般論として、
‘根拠としての質関係なく何でもかんでも同様に扱うことと、根拠の質の高いものを優先して扱うのはどちらの方がより早く目的に到達し得るか?”なのです。
>あなたが問題にしたのは「難易度」ですよね。
>
>光が波なら巨大な速度の横波と示す観測事象と、18世紀の波動理論を合わせると、鉄よりも硬い固体が、あらゆる空間を充たしており、私たちを含む万物が、その中を動いていると結論されます。これって、ものすごい難易度を、エーテルに与えるとは、思いませんか?
はい。難易度です。
現状の物理的にあり得ない性質とかそう言うのは特に問題ありません。普通のことです。
鉄より固い物質と同様の性質を持ちながらも万物が動くのに問題がない不思議物質、そう言うものと仮定するのです。
膨張しようが薄まらないダークエネルギーやら虚数時間やら、光速度不変ってのも普通に考えて意味が分らない性質ですよね。
しかしそう言うものととりあえず取り入れてるでしょう?
そして難易度ですが複雑性とも言えます。
エーテルにしろダークエネルギーにしろ単一の物質なり概念なりです。
しかしながらIDとなると単純な物質ではありません。システムなんです。
先にも言ったとおり、部品を想定するかそれらにより作り上げられた機械を想定するかの違いに相当します。
>質問とは、これですか?
答えになっていませんよ。
聞きたいのは宇宙人介入説とかよりID説を優遇する納得するに足る理由です。
可能性に訴える論証を行うのは別に良いですが、Kenさんは「可能性の有無」と「可能性の蓋然性の高低」を混同しています。
IDの可能性も不可能性に頼った詭弁と感じます。
>その環境は、人類の発生前にもあったでしょう。
とする根拠も不明ですが
「昔と今の環境に共通点があるから知性の進化に適用する」が成り立つなら
同じ論法で「昔と今の環境に共通点があるから大量破壊兵器生産の進化に適用する」とかも言えますよね?
でもそれはおそらく否定すると思います。なぜでしょう?
>再確認しますが、18世紀に光波動説が教えられたのは、歴史の中の誤りだったのですね。なくせるものなら、なくしてしまいたい痛恨事なのですね。
繰り返しますので、この部分はしっかり理解して下さい。
それぞれの根拠がどうでどう言う立ち位置にいるかも教えるなら問題はないのです。
問題は‘根拠が不足してるのにその立ち位置を騙ること”なのです。
根拠も無いのに光波動説が主流のように教えられたのなら大きな誤りでしょうが、教えられても傍論的に追いやられているなら科学として健全ですよ。
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ID論は、予断無くこの現実世界、宇宙、生物を観察し、ロジカルに推論すれば簡単にその存在の確からしさが確認できます。
対して自然選択論に軸足を置いた現代進化論は、科学的根拠ゼロ、更に注意深く検証すればそのロジック自体が完全に破綻しています。
どちらを採るべきかは言うまでもありませんね。
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IDの存在は、例えば生物におけるどの様な事象を取り上げても、それを詳細に検証すれば背理法に依って容易く証明されます。
その証明は、ロジックが理解出来なければ勿論理解できません。
また、事象を詳細にあるがままに観察する能力に欠けても同様です。
固定概念に捉われ、そこから一歩も抜け出せない、迷信の囚われ人もまた同様です。
アントニーフルーの述べたゲノムの暗号背はその象徴的な例ですが、一例にすぎまません。
これは宇宙創成から現在に至る過程の全てにおいても全く同様です。
対して、自然選択論は思い付きの妄想ですからね。
厳密な科学的証明は皆無、本当の証拠も皆無です。
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繰り返し説明してきた通り、ID論は極めて簡明に証明されます。
それは自然観察に基づく合理的な結論です。
反証は不可能と言っていいでしょう。
そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
それが論拠にならない理由も何度も説明してきましたね。
逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
それを強いバイアスに依って素直に認めることを拒む人たちも多数存在します。
その様なバイアスは科学に反するものです。
それが理解出来ないのはつまり科学を理解していないという事です。
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>逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
神様を客観的に示せれば、科学的な議論が可能になりますから、努力してみてください。
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科学的証明とは、事実に依る証明です。
数学は科学とは呼ばれませんから、数学の場合はひたすらロジックと計算に依ります。
そこが科学と数学の違いです。
従って、科学においては事実の裏付けの無いものは証明されたとは言えません。
幾らレトリックを弄して、この様に考えれば説明できると言ってみたところで、それに照応する事実を示せなければ証明した事にはなりません。
全ての科学理論は事実による検証が不可欠です。
物理や化学においてはそれは言うまでもない事で、どの様な理論も必ず事実による検証に曝されます。
相対性理論や量子論ですら、未だに検証の対象でもあります。
それに対して科学を標榜しながら検証を放棄しているのが自然選択論です。
その支持者たちは、それが検証されていると言うトンデモナイ錯覚に陥っている。
若しくは最初から信じ込んで検証を放棄している訳です。
それは科学ではなくて宗教です。
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繰り返し書いてきましたが、自然選択論には実証的な根拠はゼロです。
これは誰も示せない筈です。
よく言われる観察例がまったくソレに該当しない事も繰り返し書いてきましたね。
対してID論は、自然界におけるどの様な生命現象を観察しても、背理法によって極めて明示的にIDの存在が示唆されます。
まあ、背理法自体が理解出来なければどうしようもありませんがね。
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>IDも「現状科学的根拠は乏しく、専門家で支持するものはほぼ皆無の説である」とかちゃんと明記するなら教科書に載ろうとドーキンスも内容に文句は言わないと思います。
光波動説を教えた人は、観測事象を波動説で説明することを教えたので、「波動説は、現状科学的根拠は乏しく、専門家で支持するものはほぼ皆無の説である」なんて教え方をしてませんよ。やはり教えるなってことですね。
>波動説が当時の主流である粒子説と並んで研究されたとして必ずしもヤングの実験が前倒しされるとは限りません。
波動説がなければヤングの実験もなかった、といってます。だって波動説を検証する以外に、2重スリット実験を考案する理由がありますか? あるなら説明してください。
>粒子説も波動説が全く台頭しなかったらもしかしたら光量子仮説がアインシュタインより前に出てきたかも知れません。
波動説なしに、どういう思考過程で光量子説に到達しますか? 量子力学の基本則は「エネルギー = プランク定数 × 周波数」。「周波数」という波動特性が入ってることを知ってますか? 光波動説なくして、光量子説はありえません。あるなら思考過程を具体的に説明してください。
以上は、議論の根幹に関わります。必ず説明してください。
>仰るように「想定」してるだけです。抽象論でしょ?
抽象論ではないから、上記のように、具体的な点を問題にします。想定が問題ではなく、どれだけの事実に基づいて、想定するかです。
そもそも、波動説が教えられたから粒子説が遅れたという想定で、「無駄であり害悪」と言われたのが始まりでしょうが。この想定は自明のこととしながら、批判的に検証すると、想定だから抽象論とは、どういう論理構造でしょうね。
>鉄より固い物質と同様の性質を持ちながらも万物が動くのに問題がない不思議物質、そう言うものと仮定するのです。
>難易度ですが複雑性とも言えます。
正体不明の不思議物質を仮定し、難易度が下がったことにするとは! いっそ、正体不明の造物主を仮定して、宇宙誕生論の難易度を下げてみませんか。
「不思議」とは原理が分からないという意味だから、最大の複雑性があるのですよ。原理を解明するとは、多様な可能性から絞り込んで、複雑性を減らしてゆく過程だとは思いませんか?
>聞きたいのは宇宙人介入説とかよりID説を優遇する納得するに足る理由です。
だから、品種改良は現実に行われているが、宇宙人が介入した観測例はありません。
>「昔と今の環境に共通点があるから知性の進化に適用する」が成り立つなら同じ論法で「昔と今の環境に共通点があるから大量破壊兵器生産の進化に適用する」とかも言えますよね?
品種改良と考えると説明がつく事象があるなら、品種改良を行える知性を想定します。大量破壊と考えると説明がつく事象が観測されるなら、大量破壊兵器を作る知性は真剣な考察対象になります。
>根拠も無いのに光波動説が主流のように教えられたのなら大きな誤りでしょうが
そんなことは教えてないし、IDと関連した論点にもなりません。今のID論が世の少数で、自然選択が主流であることは、ID論者も承知してます。ID論は、IDは合理的だと教えているので、主流だなんて教えてません。もしかして、そういうID教育なら、よしとされますか?
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波動説も粒子説も科学理論ですから、インテリジェントデザイナー論と関連した論点にはならないでしょう。
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アインシュタインが最後まで認めるのを拒んだ重ね合わせや量子もつれと言った現象も、現在は完全に存在する事象として承認されています。
アインシュタインはその因果律が説明出来ないため承認を拒んでいたわけですが、この様にその理由が因果律的に説明不能であっても存在するものはいくらでもある訳です。
説明不能と不存在はよく混同されます。
その為に無理繰りで説明をこじつけようとしたりもします。
これも極めて誤った態度ですね。
未知の事、説明不能の事、それが存在する事、その様な事実が存在する事を素直に受け入れられない人達は、結局先入観に囚われて中々真実に到達することが出来ないでいます。
信仰は理性の隙間に入り込みます。
一番まずいのは、信仰と合理性、つまり科学の区別が付かない事です。
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>未知の事、説明不能の事、それが存在する事、その様な事実が存在する事を素直に受け入れられない人達は、結局先入観に囚われて中々真実に到達することが出来ないでいます。
未知や説明不能というのは、人の認識能力の限界を踏まえた理解の方法にとっては前提ですから、「神様がいなければ生物進化はありえないという真実」は、神様が客観的に示されない限り受け入れることができません。
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信仰は理性の隙間に入り込みます。
一番まずいのは、信仰と合理性、つまり科学の区別が付かない事です。
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背理法により、消去法でもいいですが、極めて簡明にロジカルに設計の存在は証明されます。
しかしその証明を信じたくない、受け容れたくないと言う多くの人々も存在します。
人間は論理によっては中々説得されないものです。
先入観、感情、信仰、固定観念、これらが混ざり合って人間の確信は生じます。
これらのバイアスを注意深く取り除かないと客観的な真実には辿り着きません。
それには能力、資質の問題もあるでしょう。
その辺りの問題を抱える人たちにとっては、相当に骨の折れる作業になるでしょうね。
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IDの存在は、例えば生物におけるどの様な事象を取り上げても、それを詳細に検証すれば背理法に依って容易く証明されます。
その証明は、ロジックが理解出来なければ勿論理解できません。
また、事象を詳細にあるがままに観察する能力に欠けても同様です。
固定概念に捉われ、そこから一歩も抜け出せない、迷信の囚われ人もまた同様です。
アントニーフルーの述べたゲノムの暗号背はその象徴的な例ですが、一例にすぎまません。
これは宇宙創成から現在に至る過程の全てにおいても全く同様です。
対して、自然選択論は思い付きの妄想ですからね。
厳密な科学的証明は皆無、本当の証拠も皆無です。
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>>127
>光波動説を教えた人は、観測事象を波動説で説明することを教えたので、「波動説は、現状科学的根拠は乏しく、専門家で支持するものはほぼ皆無の説である」なんて教え方をしてませんよ。やはり教えるなってことですね。
波動説は根拠があったからでしょう。
教えるならありのままと言っています。
当時の状況で波動説は粒子説と同様に確からしいと教えるのは駄目だと思いますが、それぞれがどう言う状況下にあるかを元に教えるなら大いに結構です。
ですから何度も言っていますがIDを教えるなとは言っていません。
立ち位置を騙るなと言っています。
いい加減、理解して下さい。
>波動説がなければヤングの実験もなかった、といってます。
ですから無くせとは微塵も言っていません。
>光波動説なくして、光量子説はありえません。あるなら思考過程を具体的に説明してください。
同様に粒子説なくしても光量子説はあり得ませんからね。
波動説の台頭で反対に粒子説が追いやられたため、光電効果の説明が困難となっていたでしょう。
>そもそも、波動説が教えられたから粒子説が遅れたという想定で、「無駄であり害悪」と言われたのが始まりでしょうが。この想定は自明のこととしながら、批判的に検証すると、想定だから抽象論とは、どういう論理構造でしょうね。
別に自明とは言ってないでしょう。
単にそういう風にも考えることが出来ると言ってるの。色んなところで私の主張をねじ曲げないで下さい。不愉快です。
私の言も貴方の言も推論に過ぎず、実際のところは検証しようがないことだよね。と言っています。
貴方がこう言う具体論がある、と言うのと同様にこちらもルイセンコの例とか挙げてますからね。
一つ二つ例があったところでそれを一般化するのは無理がありますよ。
それより最初から一般論でどちらが確からしいか考える方が良いのではないですか?と提案しています。
>正体不明の不思議物質を仮定し、難易度が下がったことにするとは! いっそ、正体不明の造物主を仮定して、宇宙誕生論の難易度を下げてみませんか。
造物主の場合はIDと同じくシステムとなります。
単一のモノかそれらのネットワークなりの構造物かの違いです。
ですので難易度は跳ね上がりますよ。
>だから、品種改良は現実に行われているが、宇宙人が介入した観測例はありません。
地球人も宇宙人ですよ。
と言うことで観察事例はいっぱいじゃないですか。
40億年近く掛けて身に着けた技術をそれより短時間で身につけたと想定するより、もっと悠久の時間を過ごした宇宙人を想定する方が確実だと思いませんかね?
と言うことで宇宙人介入説も同様に教えないと駄目ですよね。
>品種改良と考えると説明がつく事象があるなら、品種改良を行える知性を想定します。大量破壊と考えると説明がつく事象が観測されるなら、大量破壊兵器を作る知性は真剣な考察対象になります。
白亜紀末の大量絶滅とか大量破壊と考えられる事象ですね。
これ本気で取り組む考察対象になりますかね?
ならないなら何でですか?
>そんなことは教えてないし、IDと関連した論点にもなりません。今のID論が世の少数で、自然選択が主流であることは、ID論者も承知してます。ID論は、IDは合理的だと教えているので、主流だなんて教えてません。もしかして、そういうID教育なら、よしとされますか?
主流の説と並び得ると根拠が薄いのに騙ってるのが問題だと何度も何度も言っています。
主流でも何でもないと承知してるはずが公共教育で現在進化論と同様に教えろとぬかしているから問題となったんですよ。
先にも言いましたが非主流でも真面目に研究してる人や分野はいっぱいあります。
IDもそう言う形ならこう言う問題にはならなかったと思います。
私自身もIDと言うアイデアは興味のある考えでもあるし科学として検討したいと思っています。
そう言う中で科学の手順を逸脱した行為に出るのは本当に邪魔でしかありません。
Kenさん自身は主流だなんて教えていないと考えているようですが、実際に公共教育に未だ不十分な状態で科学としてしゃしゃり出てきています。
思想や信念は自由ですが、科学を語るなら科学のルールに則って然るべきです。
しゃしゃり出るならそれだけの根拠の提示が必要となってきます。
私が主張しているのは一貫してそこです。
ご理解願います。
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ラマルクはダーウィンより50年以上前に進化論を提唱しています。
種は変異するとして、ダーウィンと違って最初から進化の語を用いました。
単純なものから複雑なものへ進化するというダーウィンが描かなかったグランドデザインも描いています。
科学的知見の乏しかった当時の話なので、誤りも多数存在しますが彼の主張した獲得形質の遺伝は現在エピジェネティックによって一部でそれが存在することも示されています。
評価はダーウィンに比べて不当に低いですが、実はダーウィン以前にダーウィンに比べて遥かに意味のある説を提唱している訳です。
その50年以上後にダーウィンは種の起源を著しますが、これは明らかに逆行ですね。
それは取りも直さずダーウィンの主張が科学では無いことを意味します。
科学は逆行しません。
因みにダーウィンは用不用説を支持していますね。
そしてそれは自然選択論には全く反映されていません。
論理的整合性にダーウィンは関心がなかったという事ですね。
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生物種の多様性を説明するうえで、ラマルクはそれぞれの種は進化の階段を駆け上がり続け、にもかかわらす今でも下等な生物がいるのは種が次々と新たに誕生するからだと考えました。
ダーウィンは、一つ・あるいは少数の種が分岐を重ねて多様性をもたらしたと考えました。
後に続く多くの客観的な確認を通して、ダーウィンの考えが正しかったことがわかっています。現生生物の塩基配列の変化を確かめることで系統樹を描けることもその一つです。
だから、現代生物学の基礎のひとつとして、ダーウィン進化論がおかれています。
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IDの実体が全く不明、ID論者は誰元の実体が説明できない、これも持ってID論否定の論拠にする人達も少なくありません。
しかしこれはID不存在の論拠にはなりません。
実体が分からなくても確かに存在する、これはダークマター、ダークエネルギーについても全く同じことが言えます。
この宇宙の95%を占めると言われるダークマター、ダークエネルギーが存在する事は現在物理学上の常識です。
しかし誰もまだその実体の解明には成功していません。
これは物理法則による計算によって推測されるものです。
IDに関しては勿論計算は出来ません。
そしてそこで不可欠とされるのは知性、知性による設計です。
その様な知的設計が存在しなければ、この宇宙は成立しない。
背理法の帰結です。
しかしその実体は全く不明。
しかしその存在は証明できる訳です。
この辺りの理解も、出来ない人には決して出来ないんですね。
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科学は最新が最も正しい。
過去に比べて、と言う話です。
日々新しい事実の発見、新しい理論の発見によってその知見は更新されます。
新しい理論は事実に依って検証され、更に事実に依って書き替えられます。
それはつまり未来に亘ってはその理論が書き替えられる可能性があることも意味します。
その様に日々事実に依って検証されるのが科学理論です。
自然選択論を正しいと主張するなら、検証に曝されなければなりません。
そして驚くべき事に、より適応的な変異が生じればそれが自然選択の証明であると言う極めて飛躍した論理が横行しています。
自然選択以外にその様な変異が存在し得ることに目を向けようとしない、そもそも自然選択論の工程を全く理解していない、その結果です。
160年以上前のダーウィンの思い付きの空想を今猶信じ続ける研究者たちの存在は異様です。
この話は今までもいやと言う程繰り返してきましたが、それでも現状を見るとまた同じことを言わざるを得ません。
競争原理によって進化がもたらされると言う誤った思い込みは多くの人たちに本能レベルで刷り込まれています。
自然は競争原理と言う極めて非効率な手段は採用しません。
その刷り込みの元凶はやはりダーウィンと言うべきでしょう。
ダーウィンの功績はゼロ、進化論を迂回させている罪は重大と言うべきです。
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生物の設計は、人間にとどまらずあらゆる生物に関して微に入り細に入り極めて周到で巧妙、驚くべき精巧なメカニズムを備えています。
中でも物質的な肉体と意識の接合にかんしては、取り分け注意深い設計がなされている様に見受けられます。
非物質的な存在としてしか規定できない意識、精神の実体がどの様なものであれ、それは極めて絶妙に脳機能と接合されています。
それがうまく接合しなければ意識体としての生物は機能しないと考えられるので、当然と言えば当然ですが。
意識の実体が今後どこまで解明されるかは、不明です。
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>IDを教えるなとは言っていません。
>公共教育に未だ不十分な状態で科学としてしゃしゃり出てきています。
私が言う教えるとは、ID論という根拠のない説が出回ってます、という教え方ではありませんよ。真っ当な科学理論として教えることです。前者の教え方ならよい、と言われてるようですが、そんな教え方は考えてないし、かつての光波動説の教え方でもありません。
もしかして「公共教育」だからダメなのですか? 私塾ならよいのですか? でも、公立学校だろうが私塾だろうが、今の論点に関係はありません。教育が科学の進歩に与える影響を、論じているのですから。
ルイセンコ理論の例を挙げられますが、旧ソ連の農業が被害を受けたのは、ルイセンコ理論が教えられたからではなく、ルイセンコ理論以外が弾圧されたからです。何かを教えたからではなく、何かを教えるのを禁じたからですよ。
ドーキンスの寄稿文にあるように、当時のブッシュ大統領は、自然選択もIDも教え、学ぶ側が判断すればよいと述べました。まさしく、粒子説と波動説が並立した18世紀はそうだったのです。この自由があれば、例え波動説が教えられても、粒子説が被害など受けません。それとも受けましたか? 受けたなら、それを示すように求めましたが、あなたは示せないのです。
>波動説の台頭で反対に粒子説が追いやられたため、光電効果の説明が困難となっていたでしょう。
量子論の歴史はこうです。
まず19世紀は光波動説が支配し、プランクも波動説だけを信じていました。ところが、波動説をよくよく考えると、黒体放射で無限に周波数の高い電磁波が出ることになり、エネルギーの収支が合いません。そこで、電磁波は連続的な存在ではなく、離散的な「かたまり」で、周波数が高いほど「かたまり」のエネルギーが大きいと考えれば、説明がつくと思いついたのが、量子力学の始まりです。そして、周波数が大きい「かたまり」はエネルギーが大きいから、電子の運動エネルギーに変わるというのが、光電効果です。どこにも、18世紀の光粒子説は関与しません。
18世紀の粒子説なら、電子の運動エネルギーに変わるのは、光の粒子の運動エネルギー、つまり「質量×速度の2乗÷2」になります。粒子の周波数なんて、概念すらありません。18世紀の光粒子と20世紀の光量子は全くの別物で、光量子は光波動説の産物です。
こんな物理講義を延々とすることになるとは思いませんでした。19世紀の電磁波理論も、20世紀の量子論も、18世紀には矛盾だった光波動説が教えられ、生き残ったからこその成果で、光粒子説とは、今思えば天動説みたいなものだったと、納得されたことでしょう。それとも、まだ断固として認めませんか?
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>別に自明とは言ってないでしょう。
>単にそういう風にも考えることが出来ると言ってるの。
「無駄であり害悪」だから、科学理論として教えるな、と言われるではないですか。害悪が自明ではなく、単にそういう風にも考えることが出来る程度で、そこまで言われますか? 一方で「波動説の台頭で反対に粒子説が追いやられた」とも考えてるのですよね。なら、光波動説は害悪だから、科学理論として教えるな、という結論になるでしょうが。
結局、今のID論を科学として教えるのは害悪だが、18世紀の波動説は害悪ではないと、その違いを説明できてないのです。
>単一のモノかそれらのネットワークなりの構造物かの違いです。
「単一のモノ」とは「鉄より固い物質と同様の性質を持ちながらも万物が動くのに問題がない不思議物質」のことですよね。しかも、そんな物質が存在できる原理は不明なのですよね。なら、そこでどれほど複雑な原理が働いてるか、分からないではありませんか。なぜ、難易度が低いと、決めてかかるのですか?
おっしゃるような不思議物質を単純な存在と考えるのは、原理など気にせず、不思議を不思議のまま受け入れる、科学とは対極の発想ですよ。
>40億年近く掛けて身に着けた技術をそれより短時間で身につけたと想定するより、もっと悠久の時間を過ごした宇宙人を想定する方が確実だと思いませんかね?
思いません。私がIDの可能性を見る鳥の発生が1億年前なら、39億年は40億年の97.5%です。2億年前でも95%です。宇宙人を想定するより、その程度の差は、知性が生じる生じないを分ける差ではない、と考える方が合理的です。
でも忘れないでください。IDの合理性を比較する対象は、宇宙人説ではなく、実在した地動説や光波動説ですよ。
>白亜紀末の大量絶滅とか大量破壊と考えられる事象ですね。
今、知られている、地球史の大量絶滅は、隕石衝突その他の原因で、自然環境が変わったことで、説明されています。要するに自然現象です。知性を推測させる大量破壊はそういうものではありません。例えば、大量絶滅と同時期に、火薬の使用を示す硝石と硫黄の大規模集積や、核兵器に使えるレベルの濃縮ウランが見つかれば、知性の存在を考えるはずです。
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基本論点を整理します。
まず、私がいうところの「IDを教える」とは、おっしゃるところの「科学としてしゃしゃり出る」ことを意味します。根拠のないID論なるものが存在する、なんていう教え方ではありません。
次に、IDが科学としてしゃしゃり出ることの是非は、IDだけ考えて判断してはいけない、ということです。これまたおっしゃるところの「正しい科学の方法に則る」目的が、科学の進歩に寄与することにあるなら、正しい科学の方法に則らない理論がしゃしゃり出たことで、現実に何が起こったかを、検証せねばなりません。
その具体例に挙げたのが、16世紀の地動説と、18世紀の光波動説です。地動説は恒常的な風が吹かない理由を、光波動説は媒質が存在しない理由を、説明しなかったことから、到底、正しい科学の方法に則っていたとは、言えません。
しかし、両説とも、これがなければ、その後の科学の飛躍的な進歩は、ありえませんでした。地動説はニュートン力学の、光波動説は電磁気学と量子力学の、それぞれ原因になったのですから。そうなると、おっしゃるところの「正しい科学の方法に則る」のは、しゃしゃり出ることを許す許さないの、判断基準にふさわしいのかが、問われます。
正しい科学の方法に則らない理論が何をしたかを検証するとき、忘れてならないことが、もう1つあります。その理論がしゃしゃり出たことの影響と、他の理論が排除されたことの影響を、はっきりと区別することです。
ルイセンコ理論が、旧ソ連の農業に甚大な被害を与えたなどと言われますが、被害を与えたのはルイセンコ理論がしゃしゃり出たからなのか、それともルイセンコ理論以外が弾圧されたからなのかを、断じて混同してはいけません。
いろいろと細かい話をしてますが、すべては上記の問題の解を求めるための試みです。
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>光波動説は害悪だから、科学理論として教えるな、という結論になるでしょうが。
>結局、今のID論を科学として教えるのは害悪だが、18世紀の波動説は害悪ではないと、その違いを説明できてないのです。
とりあえずさんは、そんなこと言ってないですよ。落ち着いてきちんと読んでほしいと思います。
インテリジェントデザイナー論が科学理論だと主張するなら、ちゃんと科学の方法論に則った説明が必要ですねといってるだけでしょう。
>今、知られている、地球史の大量絶滅は、隕石衝突その他の原因で、自然環境が変わったことで、説明されています。要するに自然現象です。知性を推測させる大量破壊はそういうものではありません。例えば、大量絶滅と同時期に、火薬の使用を示す硝石と硫黄の大規模集積や、核兵器に使えるレベルの濃縮ウランが見つかれば、知性の存在を考えるはずです。
「中生代の品種改良」と同じことで、そういうロジックそのものは成立しうるでしょう。
でも自然科学は、あくまで自然の中で確認できることをもとにした人間の思索と確認作業から成り立っています。
地球史上の大量絶命の原因として硝石、硫黄、濃縮ウランを想定して知性の存在を語ることは、かつての神を前提としたスコラ哲学の議論と変わりがありませんね。
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>地動説は恒常的な風が吹かない理由を、光波動説は媒質が存在しない理由を、説明しなかったことから、到底、正しい科学の方法に則っていたとは、言えません。
これが、後知恵です。当時確認されている事実をもとに考察した科学的考えです。
>しかし、両説とも、これがなければ、その後の科学の飛躍的な進歩は、ありえませんでした。地動説はニュートン力学の、光波動説は電磁気学と量子力学の、それぞれ原因になったのですから。そうなると、おっしゃるところの「正しい科学の方法に則る」のは、しゃしゃり出ることを許す許さないの、判断基準にふさわしいのかが、問われます。
科学理論というのは、ニュートンの言葉として有名な「先人の肩の上にのって自然を見渡す」というように、積み重ねです。
そして積み重ねられるのは誰でも確認できる事実であって、文化的な価値観にまみれた神様の意思ではありません。
>ルイセンコ理論が、旧ソ連の農業に甚大な被害を与えたなどと言われますが、被害を与えたのはルイセンコ理論がしゃしゃり出たからなのか、それともルイセンコ理論以外が弾圧されたからなのかを、断じて混同してはいけません。
ルイセンコ理論が科学的に間違っていたからです。それがしゃしゃり出たのは、当時の政治思想が後押ししたからです。シンプルな話です。
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おっと、ニュートン自身は自然の仕組みの解明は神の摂理を明らかにすることだと考えていたようですが、
その後、科学の方法と信仰の切り分けが明快になっているので現代の基準で捉えてくださいね。
アインシュタインのスピノザの神、「神即自然」のように、西欧文化では神様が骨がらみですからね。
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>>140
>真っ当な科学理論として教えることです。
ですから、そのためにはしっかりと科学的根拠の提示が必要と言っています。
できなければ現状科学理論としては不十分な仮説であることを教える必要があります。
>もしかして「公共教育」だからダメなのですか? 私塾ならよいのですか?
科学の手順に則るならどこでも好きにすりゃ良いですよ。
科学を標榜するならどこでも駄目な行為です。
>旧ソ連の農業が被害を受けたのは、ルイセンコ理論が教えられたからではなく、ルイセンコ理論以外が弾圧されたからです。何かを教えたからではなく、何かを教えるのを禁じたからですよ。
なぜ弾圧される必要があったのか考えましょう。
ルイセンコ学説を優遇する必要が無いなら弾圧なんか起きるわけ無いでしょう。
>例え波動説が教えられても、粒子説が被害など受けません。それとも受けましたか? 受けたなら、それを示すように求めましたが、あなたは示せないのです。
そりゃぁルイセンコのようなレベルの弾圧が無かったからってだけでしょう。
単純に根拠が当時粒子説より弱かったから非主流となっただけの話です。
政治的な働きも無かったわけじゃ無いですが、基本的に科学の手法に則った行為だっただけですよ。
教える教えない、学ぶ学ばないは好きにすりゃ良いんですよ。
今も昔も
>光量子は光波動説の産物です。
波動説では光電効果が説明困難だったから当時問題だったんですよ。
19世紀は粒子説と波動説の立場が逆転してました。粒子説が取り上げるには弱い状況だったんです。
光を粒子と捉えれば光電効果は説明できましたが非主流だったため除外されてたんです。
その中、アインシュタインが光の粒子性を再度取り上げることで光量子仮説が出てきたのですよ。
>「無駄であり害悪」だから、科学理論として教えるな、と言われるではないですか。害悪が自明ではなく、単にそういう風にも考えることが出来る程度で、そこまで言われますか? 一方で「波動説の台頭で反対に粒子説が追いやられた」とも考えてるのですよね。なら、光波動説は害悪だから、科学理論として教えるな、という結論になるでしょうが。
お願いですから言わんとしていることを理解しようとして下さい。
私が何を害悪と断じているか分っていますか?波動説だろうがID説だろうが仮説それ自体に善悪も何もないのです。
その扱い方に問題があると言っているのです。
ID論を科学として教えるのは大いに結構です。ただその為には科学的根拠がいるよね、としつこくしつこく言っています。
「害悪なのは根拠が弱い状態で現在の立ち位置を騙ることです。」
もう本当に人の主張を理解して下さい。
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>「単一のモノ」とは「鉄より固い物質と同様の性質を持ちながらも万物が動くのに問題がない不思議物質」のことですよね。しかも、そんな物質が存在できる原理は不明なのですよね。なら、そこでどれほど複雑な原理が働いてるか、分からないではありませんか。なぜ、難易度が低いと、決めてかかるのですか?
>
>おっしゃるような不思議物質を単純な存在と考えるのは、原理など気にせず、不思議を不思議のまま受け入れる、科学とは対極の発想ですよ。
科学的観察や実験から導き出されたものなら科学ですよ。
上記のアインシュタインが唱えた粒子と波動の二重性をどう考えますか?
原理不明のあり得ない特徴ですよね?
そう考えるしか無いからありのまま受け入れたわけです。
当時のエーテルも同様です。
実験や観察から波っぽいことが示され、当時の状況として媒質を想定する必要があった。
あり得ない特徴だが媒質が必須ならそう言う不思議な媒質としてありのまま受け入れるしか無いです。
科学では普通のことです。
そして科学の特徴はそこで終わらず、その不可思議な特徴を検討検証して行きます。
受け入れてからどうするか?が科学です。端っから受け入れないことが科学では無いのです。
そして難易度の話ですが複雑性の話になります。
仮定がどれ程少なく出来るかとも言えます。科学理論の基本としてあるオッカムの剃刀ですね。
>要するに私がIDの可能性を見る鳥の発生が1億年前なら、39億年は40億年の97.5%です。2億年前でも95%です。宇宙人を想定するより、その程度の差は、知性が生じる生じないを分ける差ではない、と考える方が合理的です。
1億年手とんでもない時間ですけどね。
もっと時間を掛けられる宇宙人ならより洗練された技術や知性を備えたIDを想定できますよ。
そう言う部分では宇宙人説はより合理的ですよね。
>今、知られている、地球史の大量絶滅は、隕石衝突その他の原因で、自然環境が変わったことで、説明されています。要するに自然現象です。
そんなこと言い出したらIDも自然選択とかで説明できちゃいますよ。
優遇する意味が無いですよね?
>これまたおっしゃるところの「正しい科学の方法に則る」目的が、科学の進歩に寄与することにあるなら、正しい科学の方法に則らない理論がしゃしゃり出たことで、現実に何が起こったかを、検証せねばなりません。
ルイセンコ農法、魔女狩り、中華料理店症候群、フードファディズム…現実にイロイロ起こってますね。
>地動説は恒常的な風が吹かない理由を、光波動説は媒質が存在しない理由を、説明しなかったことから、到底、正しい科学の方法に則っていたとは、言えません。
先にも言いましたが説明が付かないことが一つ二つあったところで、即科学理論として失敗とはなりません。
矛盾が本当に矛盾なのか検証が必要ですし、何よりその説を支持する確たる証拠があれば簡単には揺るぎません。
地動説にしろ波動説にしろ問題はあったとしても、別に確たる支持する理由も同時に存在したのです。
一方、現状IDはその支持する理由が非常に弱いのです。
ですので地動説や波動説は例として相応しくないと思います。
>地動説はニュートン力学の、光波動説は電磁気学と量子力学の、それぞれ原因になったのですから。そうなると、おっしゃるところの「正しい科学の方法に則る」のは、しゃしゃり出ることを許す許さないの、判断基準にふさわしいのかが、問われます。
歴史学者の誤謬ですね。
GBさんが仰るように後知恵です。
>ルイセンコ理論が、旧ソ連の農業に甚大な被害を与えたなどと言われますが、被害を与えたのはルイセンコ理論がしゃしゃり出たからなのか、それともルイセンコ理論以外が弾圧されたからなのかを、断じて混同してはいけません。
ルイセンコ学説が‘不当に”支持されたからに他なりません。
もう一度言いますが、なぜ弾圧されたか考えましょう。
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ここに及んでも、ルイセンコを持ち出すのが、信じられません。
この問題の本質は、他理論が弾圧されたことにあるのは、理解されますよね。弾圧の理由など関係ない。弾圧された事実で十分です。
今のID論が自然選択説を弾圧してますか? してませんよね。ブッシュ大統領は、自然選択もIDも教えればよいと言ったのです。しかも、それぞれの学校が、または学区が、そう決めればの話です。強制も弾圧もどこにもない。ルイセンコとは、まるで違う話でしょうが。
大統領の考えと同様の例を歴史に求めるなら、光の正体論争こそがふさわしい。粒子説を教えるのも、波動説を教えるのも、完全に自由でした。だから、IDを教育に持ち込む害悪を主張するなら、18世紀に同様の害悪を見つけるべきです。
あなたはそれを見つけられません。波動説を教えたから、粒子説へのリソースが割かれたなどと言いながら、粒子説の何が遅れたのかと尋ねると、まともに答えられず、追及すると、なんと光電効果の話がでました。
>光を粒子と捉えれば光電効果は説明できましたが非主流だったため除外されてたんです。
いいえ。「非主流だった」光粒子説では、光電効果など説明できません。光量子は全くの別物だからです。光量子のエネルギーは、プランク定数×周波数。周波数にのみ依存するから、強烈な赤い光を長時間照射するより、微弱な青い光を一瞬照らすほうが、電子を激しく動かします。18世紀の粒子理解では考えられないことです。
>上記のアインシュタインが唱えた粒子と波動の二重性をどう考えますか?
>原理不明のあり得ない特徴ですよね?
原理不明って・・・残念ながら、あなたが知らないだけです。
その原理は量子論の初期に教えます。光は光量子という離散的な単位で存在する意味で「粒子」です。しかし、量子サイズの微小な存在には、不確定性原理が働き、位置を特定できません。ただし特定できないといってもランダムではなく、どこにどれだけの確率で存在するかは、厳密な数式に従うのです。そしてその数式が波動関数なのです。これが、粒子と波動の二重性です。原理不明ではありません。
ただし、18世紀の光粒子なら、波動との二重性は完全矛盾です。これも、光粒子と光量子が、まったくの別物で、光量子の説明に、光粒子説など何の役にも立たない証拠です。
>そして難易度の話ですが複雑性の話になります。
>仮定がどれ程少なく出来るかとも言えます。科学理論の基本としてあるオッカムの剃刀ですね
鉄よりも硬く、しかし万物を無抵抗で通過させる不思議物質が、少ない仮定で説明できると、なぜ分かりますか? これこそ原理不明なのに。こんなもの、オッカムの剃刀の対象ですか。
科学の基本として「A説はB説よりもシンプルである」のみならず「〇〇は××よりも△△である」という比較級表現を用いるなら、数値化すべきです。
例えば、19世紀までは、炭素やシリコンなどの原子が、最も根源的な粒子と思われました。この理論だと、天然の元素だけでも、水素からウランまで92種類の根源粒子がある。ところが内部構造が解明され、どんな原子も、陽子、中性子、電子の3種類の粒子で構成されることが分かり、理論がシンプルになったのです。数値としての3は92より小さいからです。
不思議物質が品種改良よりシンプルと言われるなら、数値で表してください。
>1億年手とんでもない時間ですけどね。
2.5%という相対差が問題だと言ってます。
>地動説にしろ波動説にしろ問題はあったとしても、別に確たる支持する理由も同時に存在したのです。
では、今のID論にはない、確たる支持する理由を具体的に述べてください。むろん、16世紀の地動説と18世紀の波動説ですよ。
>歴史学者の誤謬ですね。
>GBさんが仰るように後知恵です。
意味不明。
前にも言いましたが、歴史に学ぶとは、後知恵を得ることです。矛盾がある地動説や波動説が教えられたことが、科学に大貢献した、という後知恵に学びましょう、と私は言っております。
それと、第三者の発言を読むことを求めるなら、合意した形をとってください。
(1)第三者の考えを、自分の言葉で言い直す
(2)第三者の発言の使える部分を、自分の投稿に貼り付ける
(3)第三者の投稿を丸ごと自分の発言と見なせる場合のみ、投稿番号を指定する
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現代の主流説とされる総合説とID論を比較してみましょう。
先ずID論から行きましょうか。
ID論は科学的な知見に基づく推論です。
その推論はあらゆる科学的知見からロジカルに導かれます。
そういう意味では科学的な仮説と言って差し支えないでしょう。
しかし他の科学的仮説と大きく異なる点は知性と言う科学的な定義がかなり困難なものをその前提に置く点です。
これは知性の解釈と言う人間の意識にも関わる複雑な問題を提供します。
しかし知性をどう定義しようと、因果律をもたらすアルゴリズムの存在は否定の仕様がありませんね。
その様なアルゴリズムは何故生み出されたのかという事です。
答えは背理法に依って明確に導かれます。
一方の総合説ですが、これはずっと述べてきた通り、あまりにお粗末です。
多くの人たちはそれを科学と信じているようですが、これも繰り返し説明した来た通り全く科学理論の体をなしていません。
先ず事実に依る実証が皆無です。
都合の良い変異が起こりさえすればそれが自然選択だとするトンデモナイ誤解と極め付けが横行しています。
それは選択と言う自然選択における最も重要なフェーズを無視していることになります。
そして膨大な選択されざる者たちを生産し続けなければならないそのシステムのロジック自体が自家撞着であると言えます。
その様な誤解が生じる大きなポイントは、選択という事象に対する無理解です。
この自然選択論の最も根幹の部分の事象がロジカルに理解出来ないでいる訳です。
その最も肝心な部分の検証を完全にパスして、それを科学理論と称している訳です。
自然選択論の科学分野における正しい位置づけは、ダーウィンとその追従者によって提唱され信じ込まれている科学的な実証が全く伴わない淘汰されるべき仮説です。
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>旧ソ連の農業が被害を受けたのは、ルイセンコ理論が教えられたからではなく、ルイセンコ理論以外が弾圧されたからです。何かを教えたからではなく、何かを教えるのを禁じたからですよ。
ルイセンコ理論は誤りでしたが、当時の政治体制に利用され、科学的な議論を抹殺したために旧ソ連の農業が被害を受けました。
現在のアメリカは旧ソ連とは異なり、インテリジェントデザイナー論を擁護する勢力が勝手に進化論を抹殺することはできません。
多くの議論が繰り返された結果、裁判所の判断を含め、インテリジェントデザイナー論を科学理論として理科で教えることを禁止する、という経緯をたどります。
いちばん大きな疑問は、インテリジェントデザイナー論を科学理論として進化論と同列に教えることで、どういう結果が生まれる、あるいは期待するのでしょう。
デザイン論を科学教育に取り入れない理由は、数十年にわたる議論の結果から明らかです。科学理論として対等に扱うことが不可能なんですから。
>「非主流だった」光粒子説では、光電効果など説明できません。光量子は全くの別物だからです。
アインシュタインが光量子仮説を取り入れるまで、どの時代にどの説が優勢だったかは、その当時確認された事実に基づく解釈の違いによるでしょう。
理論に基づく推測が事実と矛盾する場合、新たな解釈が必要になりますが、その理由がわからない間は原因不明の現象です。とにかく事実を受け入れ、説明の方法を探るしかありません。
波動説、粒子説、光量子説もどんどん積み重なる事実に基づく解釈の歴史であり、自然科学の営みそのものでしょう。
インテリジェントデザイナー論が科学理論だと主張するなら、シンプルに、科学的方法論に基づく説明が必要だと思いますよ。
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「世界と自然の仕組みの精巧さや精妙さは、人間の思考力や技術を超えている」という考えを前提とし、「世界にこのような精巧な仕組みや因果が存在するのは、『人知を超越した者』の設計が前提になければ説明がつかない、つまり、神は存在する」という主張による証明である。 これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。
これはそのまま現代のID論の主張の骨子です。
自然神学はその構想は科学と基本的に同一です。
それをキリスト教に引きずり込もうと言うのは宗教者側の都合に過ぎません。
この自然神学のロジックは現代の科学的知見に依ってより強固なものになっています。
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宗教には排他性がありますが、自然選択論者も同様の排他性を持ちます。
検証を拒む姿勢も共通しています。
つまり妄想のおもちゃの家の住人とその周辺に広がる城下町です。
この景色は中々変わりませんね。
人間の宗教心は何処かにその居場所を求めます。
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ID論は、予断無くこの現実世界、宇宙、生物を観察し、ロジカルに推論すれば簡単にその存在の確からしさが確認できます。
対して自然選択論に軸足を置いた現代進化論は、科学的根拠ゼロ、更に注意深く検証すればそのロジック自体が完全に破綻しています。
どちらを採るべきかは言うまでもありませんね。
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>「世界と自然の仕組みの精巧さや精妙さは、人間の思考力や技術を超えている」という考えを前提とし、「世界にこのような精巧な仕組みや因果が存在するのは、『人知を超越した者』の設計が前提になければ説明がつかない、つまり、神は存在する」という主張による証明である。 これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。
これはそのまま現代のID論の主張の骨子です。
はい、そうですね。インテリジェントデザイナー論=自然神学です。
人知を超越した者を客観的に示せない以上、「科学理論ではない」ということに気づいてくださいね。
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ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね。
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科学は最新が最も正しい。
過去に比べて、と言う話です。
日々新しい事実の発見、新しい理論の発見によってその知見は更新されます。
新しい理論は事実に依って検証され、更に事実に依って書き替えられます。
それはつまり未来に亘ってはその理論が書き替えられる可能性があることも意味します。
その様に日々事実に依って検証されるのが科学理論です。
自然選択論を正しいと主張するなら、検証に曝されなければなりません。
そして驚くべき事に、より適応的な変異が生じればそれが自然選択の証明であると言う極めて飛躍した論理が横行しています。
自然選択以外にその様な変異が存在し得ることに目を向けようとしない、そもそも自然選択論の工程を全く理解していない、その結果です。
160年以上前のダーウィンの思い付きの空想を今猶信じ続ける研究者たちの存在は異様です。
この話は今までもいやと言う程繰り返してきましたが、それでも現状を見るとまた同じことを言わざるを得ません。
競争原理によって進化がもたらされると言う誤った思い込みは多くの人たちに本能レベルで刷り込まれています。
自然は競争原理と言う極めて非効率な手段は採用しません。
その刷り込みの元凶はやはりダーウィンと言うべきでしょう。
ダーウィンの功績はゼロ、進化論を迂回させている罪は重大と言うべきです。
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全ての科学的知見とその進展はID論を支持し補強します。
対する自然選択論は迷信、お伽話です。
そして多くの名のある科学者たちも、そのお伽話の迷信から未だに抜け出せないでいます。
その理由を考えるのは彼ら自身の責任ですね。
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灘史上、東大史上最高の天才と呼ばれてネットでも話題になっている岡田康志氏は、神様つまり設計者の存在を前提に生命現象を考察していますね。
理化学研究所チームリーダー、東大教授である同氏は、生命システムの効率性、その根本原因に神の存在を想定します。
ノーベル賞に近いとも言われていますね。
IDの想定は、この様なある現象に対するアプローチの方法において有効な思考上の武器となります。
逆にそれを非科学的とか言って排除しまくっていると自然選択論の様な誤ったドグマに陥ってしまう訳です。
科学的思考の効率性にID論、つまり設計者の想定は寄与します。
頑なにそれを撥ね付けていると、思考を大きく迂回させることになります。
真実から遠のき続けているのが自然選択論の上に立脚した現在進化論と言っても良いでしょう。
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>自然は競争原理と言う極めて非効率な手段は採用しません。
その通りです。いかに多くの子孫をたまたま残すことができたか、ということですから。それが自然選択です。
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>理化学研究所チームリーダー、東大教授である同氏は、生命システムの効率性、その根本原因に神の存在を想定します
個人の考えと、科学的な確かさとは、別問題です。
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ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね
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つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
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キリスト教は殊に西欧社会においては現在も猶極めて強固な精神的支柱として存在します。
ローマ以降の西欧社会の歴史はそのままキリスト教との関連において記述されます。
従って、自然神学もキリスト教の文脈の中で述べらる事が多いですが、それが自然観察に基づくもので啓示神を意味しない点において、実はキリスト教と対立するものです。
その意味においては自然神学は基本的にID論と同一の主張を行います。
バチカンがID論が啓示神人格神を認めないとの理由でそれを警戒しているのと同様の事が、自然神学に対しても言える訳です。
それでも一方では自然神学を神の存在証明として援用するキリスト教徒も多数存在します。
そして同様にID論においても似たような状況がある訳です。
ここに科学と宗教の決定的な混同と混乱があります。
そしてそれは科学の文脈でID論を語る上で大きな障害になります。
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つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
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「種の起源」の体裁は神学書のものだと言う指摘があります。
種の起源は有害無益ですが、同様に神学も科学にとって有害無益です。
宗教は科学を妨害することすらあれ、科学に利することは何一つありません。
ID論もソレを神学の流れで捉えている限り宗教のドグマから逃れることが出来ません。
宗教は人間の無知と弱さによって紡ぎ出されます。
逆に言えば人間が全知であり強靭な理性を持つ存在であれば宗教が誕生する余地はありません。
つまりダーウィンの居場所はそこだという事です。
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宗教的信念は科学にとって有害無益です。
従って自然選択論も一種の宗教的信念と見做すことができます。
ダーウィンはデザインを自然選択と見誤りました。
そしてそれが彼の宗教的信念となります。
何ら事実による検証を経ない思い付きに囚われ続けます。
それは残念ながら自然神学にも該当しません。
勿論科学の対極です。
それに気付かない後のダーウィニストたちも同様に宗教的信念に囚われた人たちです。
彼らはそれを科学と思い込むわけですが、その無自覚は不気味ですらありますね。
-
Kenさん
>私が言う教えるとは、ID論という根拠のない説が出回ってます、という教え方ではありませんよ。私が言う教えるとは、ID論という根拠のない説が出回ってます、という教え方ではありませんよ。真っ当な科学理論として教えることです。前者の教え方ならよい、と言われてるようですが、そんな教え方は考えてないし、かつての光波動説の教え方でもありません。前者の教え方ならよい、と言われてるようですが、そんな教え方は考えてないし、かつての光波動説の教え方でもありません。
「真っ当な科学理論として教えることです」。
それなら、真っ当な科学の手順に従った提示をしなければだめですよね。
そこで必要なのは、まず、デザイナーの客観的な存在証明ということになっちゃうんですよ。
それができなければ、サイエンスの手法からすれば詭弁を弄しているだけ、ということになります。
-
つまり科学を知らずに科学、科学と叫んでいる訳です。
従って科学的根拠、科学的証明の意味も分からない。
ダーウィニストが自然選択論が科学的に証明された科学だと主張しているのはその典型的な例ですね。
ではどの様に科学的に証明されたのかと彼らに問うても絶対にまともな答えは返ってきません。
そもそも自然選択の原理を厳密に理解していないのだから、話になりませんね。
ただ漠然と、みんながそう言ってる様なので、と言う様な理由だけで信じ込んでいます。
突っ込まれればしどろもどろ、妄想を口走りだします。
一度胸に手を当ててよく考えてみましょうね。
-
知性の劣る人、感性の鈍い人、権威に盲従したがる人、こういった人たちが事実を直視できない人達の類型です。
それらは基本的に資質の問題なので、その特徴は終生変わることがありません。
彼らは科学の進歩の阻害要因となります。
事実を直視するのは、実際の所それ程簡単ではないんですね。
-
能力には個人差が有ります。
これは如何ともし難いですね。
埋めようが無い差と言うものが存在します。
それを自覚出来ない、若しくは自覚するのを拒む人達も存在します。
結局彼らは終生真実に辿り着く事は有りません。
妄想を信じたまま終わる訳です。
それも自覚出来ないままにね。
-
>>148
>この問題の本質は、他理論が弾圧されたことにあるのは、理解されますよね。弾圧の理由など関係ない。弾圧された事実で十分です。
違います。
本当にもういい加減理解して欲しいのですが、問題の本質は「科学的手順を無視して台頭したこと」なのです。
弾圧だろうが虐殺だろうがここにおいてはそれは問題ではありません。
人道や倫理の話をしているのではありません。科学の話をしています。
もう何度目か分りませんが、ID論が害悪とは言っていません。根拠不十分で科学として騙り主張することを害悪と言っています。
そんなに解りがたい説明してますかね?
私が単にIDだから害悪と言っていると思っているんですか?そう捉えているなら理解出来ていません。
もう少し落ち着いてよく読んで下さい。
>波動説を教えたから、粒子説へのリソースが割かれたなどと言いながら、粒子説の何が遅れたのかと尋ねると、まともに答えられず、追及すると、なんと光電効果の話がでました。
これも例えで出したの理解出来ていませんね。実際にそう言うことがあったとは一言も書いていません。あくまで可能性の話を論じています。
波動説が非主流とならず教えられたらもっと早く科学の理解が進んだ、と言う貴方の主張に対し所詮後知恵であって確実性は無いと言っています。
波動説が教えられていたとてヤングさんの実験が前倒しになった保証はないし、逆に波動説へリソースが割かれることで光の粒子性の知見が遅れどっちにしろ光学分野が進まないかも知れません。
所詮、可能性の話で余り意味はありません。実際過ぎ去ったことで今の知識でアレコレ言っても無意味です。
ですから一般論で語るべきと提案しているのです。
>いいえ。「非主流だった」光粒子説では、光電効果など説明できません。
粒子説で説明しろではなく粒子性を用いる必要があったことを言っています。
粒子説でも波動説でも説明が難しかったと言うことです。
>原理不明って・・・残念ながら、あなたが知らないだけです。
>
>その原理は量子論の初期に教えます。光は光量子という離散的な単位で存在する意味で「粒子」です。しかし、量子サイズの微小な存在には、不確定性原理が働き、位置を特定できません。ただし特定できないといってもランダムではなく、どこにどれだけの確率で存在するかは、厳密な数式に従うのです。そしてその数式が波動関数なのです。これが、粒子と波動の二重性です。原理不明ではありません。
言葉を言い換えただけで説明になっていませんよ。
不確定性原理がなぜ働くのか説明してごらんなさいな。できないですから。
あくまでそう言う「特性」でしかありません。その特性を受け入れ数式を求めそれを利用しているだけです。
公理みたいなもんですよ。
>鉄よりも硬く、しかし万物を無抵抗で通過させる不思議物質が、少ない仮定で説明できると、なぜ分かりますか? これこそ原理不明なのに。こんなもの、オッカムの剃刀の対象ですか。
と言うことで粒子と波動の二重性と同じです。そう言う特性として受け入れます。仮定としてはそれ位ですね。
受け入れないなら矛盾の無い別の説を考えるだけです。過去の人も実際行っています。
>2.5%という相対差が問題だと言ってます。
宇宙人ならもっと行けます。より合理的ですよ。
>では、今のID論にはない、確たる支持する理由を具体的に述べてください。むろん、16世紀の地動説と18世紀の波動説ですよ。
どちらも対立説で説明困難でもよりシンプルに説明できる事象が複数あった、それに尽きます。
地動説なら火星の逆行とか波動説なら光速値の一定性やらニュートン環の原因とかですね。
>意味不明。
>前にも言いましたが、歴史に学ぶとは、後知恵を得ることです。矛盾がある地動説や波動説が教えられたことが、科学に大貢献した、という後知恵に学びましょう、と私は言っております。
温故知新は結構ですが後知恵を持って昔の人たちの意志決定を批判するのは間違っています。
歴史学者の誤謬と呼ばれる詭弁論法です。
今も昔も科学として最適な手法をとろうとまっとうな研究者や科学者は努力しています。
科学的手法を無視して科学的に大成功って例はあったとしても非常にレアなものだと思います。
少なくとも私は知りませんよ。
>それと、第三者の発言を読むことを求めるなら、合意した形をとってください。
別に読むことをススメも邪魔もしません。
GBさんの言葉も私の言葉もどちらも‘後知恵”と言う意味は変わりませんから。
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自然選択によっていかなることも成し得る、と言うのがダーウィンの構想ですね。
生物を自然が選択し得るのは唯一生存率のコントロールと言う手段によってです。
それですべてが成し得ると考えた訳です。
環境によって生物の生存に制約を与える、その方法以外にありません。
これはラマルク的な用不用による変異を度外視しての話です。
ダーウィンも実は変異はラマルクと同様に考えていたので話は少しややこしくなりますが、これは総合説における自然選択で考えましょう。
全くランダムな変異を生存率の制限によってコントロールすることでこれだけ複雑で精巧で多様な現実の進化の事実が説明可能なわけもありません。
中立説、遺伝的浮動なども総合説は持ち出しますが、更に進化の実体を説明する力はありません。
お伽話ですね。
それを科学と信じる住人達。
この話も飽きるほど繰り返してきましたね。
-
自然選択論者に共通している特徴は決定的な想像力の欠如なので、そういった事にすら考えが及びません。
彼らの自然選択論に対する思い込みは正に宗教者の態度ですから、そもそもそもそう言った事柄に対して想像を巡らそうとする意志が存在しないんでしょうね。
その点において完全に科学者失格と言われても彼らは何も抗弁できない筈です。
ゲノムだけに限定して観察してもその驚くべき周到さ、計算され尽くした複雑さ、精密さはそれ自体人智を遥かに超えるものです。
現在急速にゲノムのメカニズムは解明されつつありますが、それはまだゲノムの持つ巨大なシステムのほんの一部にしか過ぎません。
そんなものが自然選択の結果で説明できる訳もありあせません。
そんなことにすら、彼らは想像が及ばない訳です。
彼らのそんな存在自体、想像を絶するものですね。
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生命体のシステム全体で見れば、ゲノムも含めて更に複雑で精妙なシステムの上に成立しています。
進化の過程においてはゲノム重複、他の種からの遺伝子取り込み等が極めて重要な役割を果たします。
そして特定の遺伝子の獲得が進化を飛躍させます。
それら全てが自然選択とは無縁の世界です。
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繰り返し説明してきた通り、ID論は極めて簡明に証明されます。
それは自然観察に基づく合理的な結論です。
反証は不可能と言っていいでしょう。
そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
それが論拠にならない理由も何度も説明してきましたね。
逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
それを強いバイアスに依って素直に認めることを拒む人たちも多数存在します。
その様なバイアスは科学に反するものです。
それが理解出来ないのはつまり科学を理解していないという事です。
-
>そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
実体不明な根拠をもとに科学理論をつくれるわけがありませんね。
-
ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね。
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思弁じゃだめ。サイエンスの方法論に則った、客観的な証拠がないとね。
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ついでに書いちゃいますけど、Kenさんの主張は、具体論という名目のもとの思弁ですね。
-
宗教には排他性がありますが、自然選択論者も同様の排他性を持ちます。
検証を拒む姿勢も共通しています。
つまり妄想のおもちゃの家の住人とその周辺に広がる城下町です。
この景色は中々変わりませんね。
人間の宗教心は何処かにその居場所を求めます。
-
つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
-
世界と自然の仕組みの精巧さや精妙さは、人間の思考力や技術を超えている」という考えを前提とし、「世界にこのような精巧な仕組みや因果が存在するのは、『人知を超越した者』の設計が前提になければ説明がつかない、つまり、神は存在する」という主張による証明である。 これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。
これはそのまま現代のID論の主張の骨子です。
自然神学はその構想は科学と基本的に同一です。
それをキリスト教に引きずり込もうと言うのは宗教者側の都合に過ぎません。
この自然神学のロジックは現代の科学的知見に依ってより強固なものになっています。
-
宗教的信念は科学にとって有害無益です。
従って自然選択論も一種の宗教的信念と見做すことができます。
ダーウィンはデザインを自然選択と見誤りました。
そしてそれが彼の宗教的信念となります。
何ら事実による検証を経ない思い付きに囚われ続けます。
それは残念ながら自然神学にも該当しません。
勿論科学の対極です。
それに気付かない後のダーウィニストたちも同様に宗教的信念に囚われた人たちです。
彼らはそれを科学と思い込むわけですが、その無自覚は不気味ですらありますね。
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自然科学は自然理解を目的にしていることをお忘れなく。
宗教が扱う人間にとって大切な価値とは分けて捉えないと世界理解を誤りますよ。
、
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つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
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能力には個人差が有ります。
これは如何ともし難いですね。
埋めようが無い差と言うものが存在します。
それを自覚出来ない、若しくは自覚するのを拒む人達も存在します。
結局彼らは終生真実に辿り着く事は有りません。
妄想を信じたまま終わる訳です。
それも自覚出来ないままにね。
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キリスト教は殊に西欧社会においては現在も猶極めて強固な精神的支柱として存在します。
ローマ以降の西欧社会の歴史はそのままキリスト教との関連において記述されます。
従って、自然神学もキリスト教の文脈の中で述べらる事が多いですが、それが自然観察に基づくもので啓示神を意味しない点において、実はキリスト教と対立するものです。
その意味においては自然神学は基本的にID論と同一の主張を行います。
バチカンがID論が啓示神人格神を認めないとの理由でそれを警戒しているのと同様の事が、自然神学に対しても言える訳です。
それでも一方では自然神学を神の存在証明として援用するキリスト教徒も多数存在します。
そして同様にID論においても似たような状況がある訳です。
ここに科学と宗教の決定的な混同と混乱があります。
そしてそれは科学の文脈でID論を語る上で大きな障害になります。
-
宗教は科学とは対極にあるものです。
仏教に関しは、ある種認識論として物理学、量子論等との関係性が論じられたりしていますが、例えばキリスト教に関しては正しくそれに該当します。
前提を無検証に信じ込む。
マリアの処女懐胎を主張しますね。
ID論は宗教的前提を排して構築されますから勿論宗教ではありません。
ID論を宗教者が主張しようが、自らの信じる宗教への誘導を画策しようが、それ自体が宗教ではない事に変わりはありません。
従って、ID論を宗教だと言って攻撃しようとする人達は自ら宗教的な立場に身を置いて発言していると言う事になります。
自然神学から現在に至るまで、設計者の存在の確証は強まりこそすれ弱まる事は決して有りません。
科学の進展による知見の拡大は設計の存在をよりなくてはならないものと位置付けます。
多くの科学者は、設計問題に踏み込む事をためらいますが、そこに踏み込まなければ効率良く真実に迫る事は出来ません。
一部にそれを認識している研究者もいる様ですが、まだまだ少数派ですね。
-
>科学的手法を無視して科学的に大成功って例はあったとしても非常にレアなものだと思います。
この点こそ主題です。科学の進歩のためには、あなたのように「科学的手法」なる規制をかけるのがよいのか。私のように、完全自由にして、自然の選択圧力に任せればよいのか。
>弾圧だろうが虐殺だろうがここにおいてはそれは問題ではありません。
>根拠不十分で科学として騙り主張することを害悪と言っています。
それなら、ルイセンコ理論のような、弾圧があった事例を出すのが間違いです。弾圧はないが、根拠不十分な理論が主張されたことで、科学の進歩が阻害された実例を挙げてください。
>所詮、可能性の話で余り意味はありません。実際過ぎ去ったことで今の知識でアレコレ言っても無意味です。
おかしいですね。科学の進歩を阻害する害悪があるというから、本当に阻害したかを実例で検証したのに、所詮、可能性の話で意味がないと、言われるのですか? なのに、検証もしてない、害悪があるという説は、意味があるのですか。
>粒子説で説明しろではなく粒子性を用いる必要があったことを言っています。
粒子説が不要なら、リソースが割かれて、粒子説の研究が遅れたことの影響がなかったことになります。光粒子の概念だけあればよかったなら、粒子説が消えない限り、概念はあります。結局、波動説が生き残り、リソースが割かれたことの影響はなかったのです。
>不確定性原理がなぜ働くのか説明してごらんなさいな。できないですから。
????これも、量子論講義の初期に説明されますが。
何かを観測するには、観測対象に光や電子を当てねばなりません。ところが、対象が量子サイズの大きさだと、光や電子を当てる行為自体が、対象の状態を変えてしまうのです。ゆえに状態を確定する観測ができず、不確定になります。どんな教科書にも載ってる話でしょうけど、私の情報源はファインマンです。
www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html
Fig. 37–3とFig. 37–4が、観測のための光を当てると、状態が変わることを示します。
>あくまでそう言う「特性」でしかありません。その特性を受け入れ数式を求めそれを利用しているだけです。
>公理みたいなもんですよ。
公理!
鉄よりはるかに硬いのに万物を自由に通過させる物質を、公理とされるのですか?
でも、その公理なるものは、既存の物理法則と両立できないでしょうが。
恒常的な風という地動説の矛盾と、鉄より硬い媒質という波動説の矛盾。これを解消できない限り、地動説と波動説に、根拠があるとは見なせません。だって、おっしゃるような公理で天体の動きや光の正体を説明したとて、代償に非常に広範な事象を説明不能にしてしまいます。より根源的な物理法則を覆すのだから。
私は、鳥の発生をIDで説明することに根拠があると考えますが、たとえ、それが誤りとしても、中生代の品種改良は、物理法則を覆すことはありません。
>受け入れないなら矛盾の無い別の説を考えるだけです。過去の人も実際行っています。
なら、矛盾を解決するまで、地動説も波動説も、主張されるべきでないことになりませんか?
>どちらも対立説で説明困難でもよりシンプルに説明できる事象が複数あった、それに尽きます。
>地動説なら火星の逆行とか波動説なら光速値の一定性やらニュートン環の原因とかですね。
それなら天動説と粒子説でも説明されたではありませんか。それとも地動説と波動説の方が「シンプル」といわれますか? でも、シンプルさの定量的評価法を、説明されてません。
それに、この問題は、上記の「公理」と直結します。上記のような形の公理を認めるなら、仮定の複雑さシンプルさなど無意味だからです。
例えば、上で、惑星の逆行を、地動説の根拠に挙げましたね。それはコペルニクスが地動説を考えた理由です。天動説なら、周転円のような仮定が必要ですから。でも、考えてください。単に、逆行もする惑星があるという公理を設定すれば、そんな仮定は不要ではないですか。
複雑にみえる仮定を積み上げるのは、既存の知識体系との矛盾を回避しつつ、観測結果を説明する理屈を考案するからです。おっしゃるような「公理」を認めるなら、その必要自体がなくなります。
天動説と粒子説が、地動説と波動説にはない仮定をおいたのは、そのとおりです。しかし、それらは、恒常的な風や鉄より硬い媒質に比べたら、はるかに論理的なものです。確立された知識体系と矛盾しないように、慎重に考えた結果ですから。
オッカムの剃刀は、現象を説明できる理論が複数あるなら、シンプルなものが優れると言ってるので、説明できないことを公理にして済ませよなどと、いっておりません。
-
>189
>それなら、ルイセンコ理論のような、弾圧があった事例を出すのが間違いです。弾圧はないが、根拠不十分な理論が主張されたことで、科学の進歩が阻害された実例を挙げてください。
なぜルイセンコを除外しなければならないのか不明ですね。
弾圧が何のためになぜ起きたと思っていますか?根拠不十分な理論を正規の科学的手順を無視して主張し押し通すためですよ。
弾圧が無い例だったら中国とかでのルイセンコ農法推進があります。
反対派の弾圧は殆どありませんでしたが国が強力に推し進めたため悲劇が生まれています。
>おかしいですね。科学の進歩を阻害する害悪があるというから、本当に阻害したかを実例で検証したのに、所詮、可能性の話で意味がないと、言われるのですか? なのに、検証もしてない、害悪があるという説は、意味があるのですか。
過去に起きたことに対してこうすれば良かった悪かったなんて可能性以上では述べられず検証のしようがありませんよ。
実例で検証とか言いますが後知恵の理屈でしか無く、本当にそうなるかなんてタイムマシンでも無い限り確かなことは言えません。
ですから「そう言うのは一般論で考えるべき」と言っています。
>????これも、量子論講義の初期に説明されますが。
>
>何かを観測するには、観測対象に光や電子を当てねばなりません。ところが、対象が量子サイズの大きさだと、光や電子を当てる行為自体が、対象の状態を変えてしまうのです。ゆえに状態を確定する観測ができず、不確定になります。どんな教科書にも載ってる話でしょうけど、私の情報源はファインマンです。
はい。間違ってます。
不確定性原理と観察者効果を混同しています。
不確定性原理は観察者効果と無関係に存在するもので、Kenさんの言っている観察者効果は不確定性原理によって生じる現象の一つでしかありません。
不確定性原理はあくまで特性であって現状そのまま受け入れるしか無いものですよ。
電子が当たったから状態が変化しちゃったみたいな単純なものなら皆そこまで悩まなかったと思います。
○不確定性原理→観察者効果
×観察者効果→不確定性原理
>鉄よりはるかに硬いのに万物を自由に通過させる物質を、公理とされるのですか?
>でも、その公理なるものは、既存の物理法則と両立できないでしょうが。
そのように考えるしか無いと言うことです。
それをありえないとして完全却下して見向きもせず別の説に移るか、鉄のように硬いモノとして別の理屈を考えるか、そもそもの大前提を疑うか、それらを考え検証することが科学です。
実際に当時も鉄より固いとか言われた状況下でも色々アイデアを出し検証しています。
正しい科学の姿勢ですね。
当時の物理法則の常識と両立できないけど受け入れるしか無かったモノなんて色々あるでしょ?
先の不確定性原理然り、光速度不変の原理然りね。
-
つづき
>なら、矛盾を解決するまで、地動説も波動説も、主張されるべきでないことになりませんか?
なりませんよ。
矛盾があっても実際有用な部分があるなら主張するのに何をためらう必要があるのです。
矛盾が無いとか有用な部分を過大に偽るとかしなければ主張は自由です。
解らない部分や矛盾のような部分もありのまま言えば良いだけの話です。「現状こう言う矛盾はあるが、こう言う部分なら上手く説明できる」そう言うだけです。
これ、科学では普通のことですよ。
>それとも地動説と波動説の方が「シンプル」といわれますか? でも、シンプルさの定量的評価法を、説明されてません。
シンプルに説明できる部分があると言うことです。
その‘シンプルさ”はものにもよりますが‘仮定の少なさ”と思って良いんじゃないかなぁ?
>単に、逆行もする惑星があるという公理を設定すれば、そんな仮定は不要ではないですか。
良いんじゃないですか?
仮説を立てるのは大いに結構なことですから。
重要なのはその後の仮説の検証ですよ。
>天動説と粒子説が、地動説と波動説にはない仮定をおいたのは、そのとおりです。しかし、それらは、恒常的な風や鉄より硬い媒質に比べたら、はるかに論理的なものです。確立された知識体系と矛盾しないように、慎重に考えた結果ですから。
ですから繰り返すように当時として真っ当な科学的対応をしていたと言うことに落ち着きます。
天動説と粒子説が主流になったのは正しい現象だったと言うだけのことです。
現代の知識において当時の科学者が天動説や粒子説を取り上げたのは間違いだと言うのは無意味です。後知恵の詭弁です。
間違いだったと言われても「そうですね」としか言えません。
そんでもって、それを持って「将来正しいかも知れないから証拠も大してないけどIDを持ち上げようぜ」
とか言われてもそんな勝ち目の薄い博打に乗る科学者はいませんよ。
個人的に研究するのは自由ですし好きにすら良いですが、正規の科学的手法をねじ曲げる大義はありませんよ。
根拠の高い説を優先的に取り上げるより、根拠の薄い説を積極的に取り上げた方が結果的に科学が早く進歩することをちゃんと示さないとだめですョ。
誰も納得できませんよ。
-
>なぜルイセンコを除外しなければならないのか不明ですね。
対立説の弾圧や、国が強力に推し進める状況は、ID論にはないからです。
IDを教えるのが害悪と言われるなら、おっしゃるところの「根拠の薄い理論」が、ただ教えられただけで、科学の進歩が阻害された実例を出してください。
>過去に起きたことに対してこうすれば良かった悪かったなんて可能性以上では述べられず検証のしようがありませんよ。
ですから、それならなぜ、根拠の薄い理論が教えられると、進歩が阻害されると言えるのですか? こちらは「過去に起きたこと」すら、実例を出せないのに。
>矛盾があっても実際有用な部分があるなら主張するのに何をためらう必要があるのです。
下の文章を読み、私がいう意味の矛盾があっても、利用される理論があるか考えてください。
不確定性原理について、さかんに言われてますが、∆x∆p = ħ/2という数式や、存在確率が波動関数に従うという法則には、他の物理法則との矛盾がありません。だから観測結果を説明する理論として使えます。
重力は、17世紀のニュートンが法則を明らかにしましたが、なぜ重力が働くかは、まだ解明されません。その意味では、あなたが不確定性原理で言おうとしたことは、むしろこちらが該当します。でも、それが容認されるのは、重力が観測されるだけでなく、今の重力の法則が、他の法則と両立できるからです
鉄よりも硬いのに、万物を抵抗なく通す物質は、そうではありません。
硬いとは、変形されないという意味でしょう。物体を通過させるのは、変形されるという意味ですよね。豆腐に指を突きさすと入るのは、豆腐が容易に変形するからです。鉄塊で同じことができないのは、鉄塊が変形しないからです。硬いものは変形せず、よって異物の侵入を許さないのが、既存の物理法則です。エーテルはこの物理法則と矛盾するので、光波動説のためにエーテルを想定すれば、はるかに広範な事象の説明ができなくなります。豆腐を鉄塊に投げつけたら、豆腐が鉄塊に入ってゆくというのと同じですから。
このように、原理を説明できないのみか、確立された法則と両立できないのに、それでも有用される理論があるのでしたら、実例を挙げてください。
>現代の知識において当時の科学者が天動説や粒子説を取り上げたのは間違いだと言うのは無意味です。後知恵の詭弁です。
>間違いだったと言われても「そうですね」としか言えません。
いまだに、私の論点を外しておられます。当時の物理法則と矛盾のない天動説や粒子説を支持するのが、正しい科学のはずです。あなたがその時代にいれば、同じことをされたことでしょう。
しかし実際には、矛盾のある地動説と波動説が教えられたことが、次の時代の進歩につながりました。そういう歴史の後知恵があるのだから、つまり「正しい科学の方法」が役に立たなかった歴史があるのだから、これに学びましょうと言っております。
また誤解をされる前に言っておきますが、私は、16世紀に地動説を、18世紀に光波動説を、教えるべきだった、とは言っておりません。
そうではなくて、教えたい人と教わりたい人がいるなら、自由にやらせておけばよい、と言ってます。そういう自由こそが科学を進歩させるとも、言ってます。
むろん、自由にすれば、おかしな理論は出てきますよ。それでも構いません。結果が出る科学の世界は、容赦のない選択圧力が働くからです。完全な自由競争の下では、ルイセンコ理論のようなものは淘汰されます。科学の正しい方法に背くからではなく、結果をだせないからです。
前にも言いましたが、生物の進化と対比してみてください。生物に起こる突然変異は、有害なものが大半でしょう。それでも、自然界の容赦のない選択圧力があるから、その個体は繁殖せず、種単位では害を受けません。
一方、突然変異の中に、繁殖に役立つものがあることが、生物を進化させます。16世紀の地動説や18世紀の光波動説のような、いわばランダムがうんだ異端の中に、科学を進歩させるものが現れるのと同じです。強制的な排除で、その芽を摘まないようにしましょう、というのが、私が本スレッドで言い続けてることです。
-
>×観察者効果→不確定性原理
「観察者効果」をどういう意味で使っておられるのでしょうか?
不確定性原理は、観察対象に影響を与えず観察する技術がまだない、と言ってるのではありませんよ。影響を与えず観察するのは、理論的に不可能だから、未来永劫、不確定しか観察できないから、不確定性そのものが法則だと言っております。そこにはロジックがあるでしょう。わけのわからぬ不確定現象が見られるだけなら、現象が出ない状況を、もっと真剣に探すはずです。
観察行為が影響を与えることは、∆x∆p = ħ/2という数式が語ります。ħは定数だから、∆xを小さくすれば、つまり位置の不確定性を小さくするような観察を行えば、∆pつまり運動量の不確定性が大きくなります。逆に∆pを小さくする観察を行えば、∆xが大きくなります。
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>192
>対立説の弾圧や、国が強力に推し進める状況は、ID論にはないからです。
>
>IDを教えるのが害悪と言われるなら、おっしゃるところの「根拠の薄い理論」が、ただ教えられただけで、科学の進歩が阻害された実例を出してください。
本当に私の主張をもう一度しっかり考えてくれませんか?
根拠が薄かろうが教えるのも学ぶのも好きにすれば良いと、ずぅ〜っと言ってます。
害悪なのは「根拠が薄いのに他の有力な説と同列レベルかそれ以上に騙ること」だともう何度も何度も書いています。
もういい加減、勘弁して下さい。
正規の科学的手順をとらないことを問題としています。
国によるものだろうと個人によるモノだろうと関係ありません。
科学として正しいか否かです。
>ですから、それならなぜ、根拠の薄い理論が教えられると、進歩が阻害されると言えるのですか?
そちらの主張と同じです。可能性の問題に過ぎません。
ルイセンコ学説の台頭はロシアの生物学分野に大きな停滞をもたらしたと言われていますが、
もしかしたらルイセンコ学説が取り上げられなくてもロシアの生物学界は特に新たな知見も無くどっちにしろ進歩が無かった可能性だってあります。
歴史におけるたらればはエンタメとしてはありですが、そこまで意味はありません。
実際に非主流を優遇するのが科学の発展において有用か否かはそんなものではなく、
「一般論から考える方が良い」と主張しているのです。
>このように、原理を説明できないのみか、確立された法則と両立できないのに、それでも有用される理論があるのでしたら、実例を挙げてください。
光速度不変の原理もそうですね。大陸移動説もそうです。
先にも書きましたが、他の科学的知見と整合しているのは重要ですがそれが絶対とは言えないのです。
その知見をひっくり返す場合ならそれもアリです。
原理不明でもデータと整合するため仮定するのは普通の話です。
繰り返しますが大事なのはその後ですよ。
エーテルにしても光の波動性が確かなモノとなったため、ありえなかろうが想定する必要が出てきたわけです。
その場合考えることは鋼のように硬いと言う前提が違うとか、硬さと流動性を併せ持つものだったりとかだったわけです。
そしてそれを実際検証していました。
当時は波動は媒質が絶対的に必要という認識でした。その状況下で物理的に矛盾があったとかで即脚下なんかしませんよ。
絶対的に必要なんですから。
その場合、本当に矛盾があるのか、矛盾を説明できないかまず考えるモノです。
>しかし実際には、矛盾のある地動説と波動説が教えられたことが、次の時代の進歩につながりました。そういう歴史の後知恵があるのだから、つまり「正しい科学の方法」が役に立たなかった歴史があるのだから、これに学びましょうと言っております。
しつこいですが繰り返します。
理解して下さい。
教えるのも学ぶのも自由です。当時のは同説も地動説も主流ではありませんでしたがその研究者には信じるに足る根拠がありました。
だから研究を続けた。それは正しい姿勢です。
IDも同じようにすれば良いだけです。
繰り返します。
問題は‘科学の正規の手順を逸脱する行為”です。
当時の地動説も波動説も逸脱なんかしていません。
それに対しルイセンコや牛乳有害論みたくID論はそこから逸脱していたから問題となっているのです。
ですので
>いわばランダムがうんだ異端の中に、科学を進歩させるものが現れるのと同じです。強制的な排除で、その芽を摘まないようにしましょう、というのが、私が本スレッドで言い続けてることです。
とのことですが、そもそもがランダムじゃないから問題なんですね。
強制的に芽を引っ張り出してるだけです。
正しい流れに戻すためには強制的に摘むしか無いのです。
何を研究するも発表するも自由ですが科学を標榜するならその基本ルールは遵守しましょう、と言うのが私が一貫して言い続けていることです。
ルールを守るならどんなトンチキな仮説を主張するのもOKです。
まぁ、いろいろ突っ込まれるでしょうけど、それが正しい議論です。
>影響を与えず観察するのは、理論的に不可能だから、未来永劫、不確定しか観察できないから、不確定性そのものが法則だと言っております。そこにはロジックがあるでしょう。
その通りです。そのものが法則でありそのまま受け入れるしか無いのです。
一般的に測定を行うかどうかに関わらず、物理的な世界には不確定性が存在するとされていますよ。
そう言うものなんです。
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D論は、予断無くこの現実世界、宇宙、生物を観察し、ロジカルに推論すれば簡単にその存在の確からしさが確認できます。
対して自然選択論に軸足を置いた現代進化論は、科学的根拠ゼロ、更に注意深く検証すればそのロジック自体が完全に破綻しています。
どちらを採るべきかは言うまでもありませんね。
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IDの存在は、例えば生物におけるどの様な事象を取り上げても、それを詳細に検証すれば背理法に依って容易く証明されます。
その証明は、ロジックが理解出来なければ勿論理解できません。
また、事象を詳細にあるがままに観察する能力に欠けても同様です。
固定概念に捉われ、そこから一歩も抜け出せない、迷信の囚われ人もまた同様です。
アントニーフルーの述べたゲノムの暗号背はその象徴的な例ですが、一例にすぎまません。
これは宇宙創成から現在に至る過程の全てにおいても全く同様です。
対して、自然選択論は思い付きの妄想ですからね。
厳密な科学的証明は皆無、本当の証拠も皆無です。
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全ての科学的知見とその進展はID論を支持し補強します。
対する自然選択論は迷信、お伽話です。
そして多くの名のある科学者たちも、そのお伽話の迷信から未だに抜け出せないでいます。
その理由を考えるのは彼ら自身の責任ですね。
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インテリジェントデザイナー論は、思想・信念としてならどこで教えてもかまわないと思いますが、科学理論として教えるのはいけない。
教科書に載せるとしたら、理科ではなくて社会科の思想史でしょう。ルイセンコ理論なんかも、そうですね。
宗教的思想・信念も、世界を説明する方法の一つであることは間違いありません。しかし科学理論ではありえない。科学の方法論を無視してますから。
客観的に確かめられたことをもとに事実を追うか、あるべき姿をもとに解釈をこねくり回すか…科学理論としては、後者は事実に基づかない詭弁になるだけです。
その具体的な、わかりやすい例が「中生代の品種改良」ですね。客観的な根拠が、まったくありません。
「そう考えれば」、デザイナーを示せなくてもデザイナーを基盤にした世界観を説明できる。そういう、人の想念というだけですね。
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ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね。
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繰り返し説明してきた通り、ID論は極めて簡明に証明されます。
それは自然観察に基づく合理的な結論です。
反証は不可能と言っていいでしょう。
そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
それが論拠にならない理由も何度も説明してきましたね。
逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
それを強いバイアスに依って素直に認めることを拒む人たちも多数存在します。
その様なバイアスは科学に反するものです。
それが理解出来ないのはつまり科学を理解していないという事です。
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科学的証明とは、事実に依る証明です。
数学は科学とは呼ばれませんから、数学の場合はひたすらロジックと計算に依ります。
そこが科学と数学の違いです。
従って、科学においては事実の裏付けの無いものは証明されたとは言えません。
幾らレトリックを弄して、この様に考えれば説明できると言ってみたところで、それに照応する事実を示せなければ証明した事にはなりません。
全ての科学理論は事実による検証が不可欠です。
物理や化学においてはそれは言うまでもない事で、どの様な理論も必ず事実による検証に曝されます。
相対性理論や量子論ですら、未だに検証の対象でもあります。
それに対して科学を標榜しながら検証を放棄しているのが自然選択論です。
その支持者たちは、それが検証されていると言うトンデモナイ錯覚に陥っている。
若しくは最初から信じ込んで検証を放棄している訳です。
それは科学ではなくて宗教です。
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宗教的信念は科学にとって有害無益です。
従って自然選択論も一種の宗教的信念と見做すことができます。
ダーウィンはデザインを自然選択と見誤りました。
そしてそれが彼の宗教的信念となります。
何ら事実による検証を経ない思い付きに囚われ続けます。
それは残念ながら自然神学にも該当しません。
勿論科学の対極です。
それに気付かない後のダーウィニストたちも同様に宗教的信念に囚われた人たちです。
彼らはそれを科学と思い込むわけですが、その無自覚は不気味ですらありますね。
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まず、>>189で述べた、最も基本的な論点を、再掲します。
科学の進歩のためには、あなたのように「科学的手法」なる規制をかけるのがよいのか。私のように、完全自由にして、自然の選択圧力に任せればよいのか。
これが本題です。以下の諸点も、すべてこれを考察する題材と考えてください。
>根拠が薄かろうが教えるのも学ぶのも好きにすれば良いと、ずぅ〜っと言ってます。
私がいう「教える」とは「ID論なる根拠の薄い理論が存在する」という教え方ではありません。「特定の進化は、自然選択よりもIDが合理的に説明できる」という教え方です。要するに、過去の地動説、波動説と同じ教え方です。この教え方を「好きにすれば良い」というのでなければ「ずぅ〜っと」言われてることにはなりません。
>害悪なのは「根拠が薄いのに他の有力な説と同列レベルかそれ以上に騙ること」
「同列レベルかそれ以上に騙る」とは、どういう意味ですか? 自説が正しく他説が間違いと主張するのは、それに該当しますか? 16世紀の地動説も、18世紀の光波動説も、そう言ってますよ。地動説と天動説、18世紀の粒子説と波動説は、完全排他関係にあります。一方が正しければ、他方は完全に誤りです。
おっしゃるとおりなら、地動説も波動説も、教えられたことが害悪だったとなり、上で述べた最初の点に戻ります。
>実際に非主流を優遇するのが科学の発展において有用か否かはそんなものではなく、「一般論から考える方が良い」と主張しているのです。
またしても「優遇する」なんて言ってる。私は、主流派は非主流派を「すておけ」と言ってるだけです。優遇など必要ありません。2005年のID差し止め訴訟のような妨害をしなければよいのです。優遇も妨害もないのが自由競争です。
それと「一般論」が、歴史の経験から学んだ知恵の意味なら、どういう経験からどういう一般論を得たのか、具体的に述べてください。
>光速度不変の原理もそうですね。大陸移動説もそうです。
>その知見をひっくり返す場合ならそれもアリです。
>エーテルにしても光の波動性が確かなモノとなったため、ありえなかろうが想定する必要が出てきたわけです。
光の波動性が確かなものと万人が認めたのは、19世紀最初の年に行われた2重スリット実験です。おっしゃるような状況は、2重スリット実験から電磁場の発見までの、20年余りを語るならよいでしょう。でも、私が問題にしてるのは、それより前の、観察事象が粒子説でも説明され、光の波動性が確かなものでない時代のことです。その時すでに、光の媒質エーテルは主張されていました。この歴史を語っています。
地動説も同じです。ケプラーの法則(1609年)で地動説の優位が決定的なるより前の時代に、恒常的な風が吹かない矛盾にも関わらず、地動説は主張されていました。
>問題は‘科学の正規の手順を逸脱する行為”です。
>当時の地動説も波動説も逸脱なんかしていません。
(1)「科学の正規の手順」とはなにか
(2)その手順を逸脱すると、科学の進歩が阻害されるのか
(3)地動説と波動説は逸脱しないが、IDは逸脱するのか
この3つを説明してください。それぞれが、議論の本質に関わるものです。(2)は仮説の検証ですから、現実に進歩が阻害された事例を、証拠として出してください。繰り返しますが、ルイセンコ説のように対立説を妨害する場合は、証拠になりません。
>一般的に測定を行うかどうかに関わらず、物理的な世界には不確定性が存在するとされていますよ。
そんな言い方は、不確定性原理の本質を外します。
観測行為自体が引き起こす特別な不確定性があり、∆x∆p = ħ/2という明示的な定量関係が、不確定の程度を支配します。同じ不確定性は、粒子と波動の二重性の原因でもあります。ファインマンの図が示すように、同じものが、観測行為がなければ波動として、光を照らして観測すると粒子として現れます。
ニュートン力学も、電磁気学も、相対性理論も、他の物理理論は、そんなことは言いません。
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ハイゼンベルクの不等式が示す不確定性原理は小澤の不等式によって書き換えられ小澤の不等式を支持する実験結果も報告されています。
ハイゼンベルクの不等式は実験によって検証される事なく量子論の中心概念のひとつとしての不確定性原理を示すもの信じられてきましたが、それが覆えされたと言う事です。
ハイゼンベルクは量子そのものの特性である揺らぎと観測する事によって生じる誤差の切り分けが曖昧であったのを小澤の不等式によって整理されたとされます。
もう一つ、ケナードの不等式がありますが、これは量子論から数学的に導かれるものとされ、ハイゼンベルクはその辺りも混同していたと指摘されています。
一般に言われる量子論における観測問題は観測による波動関数の収縮です。
この波動関数が収縮する理由に関しては実際全く不明で、そこにまたさまざまな解釈が存在します。
そしてこの問題も今の所完全に解決される兆しはありません。
人間の意識の介在も主張されています。
二重スリット実験で量子の波動性が示され、観測する事によるその収縮も確認されます。
その二重スリット実験で人間の意識によってスリットを通過した粒子が偏在することを示す実験も報告されています。
実験結果に対する解釈はその理論に拠って常にその結果が示されれば証明された仮設と認定でき、逆にその過程と結果における因果律が示せなければ、それは一つの解釈と言うことなります。
極めて検証が重要視される物理学の分野においても、解釈問題は想像の世界です。
そして想像だけでは勿論それが検証された科学理論とは言えません。
そして自然選択論は完全に空想の世界の物語に過ぎません。
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科学の方法論を全く踏襲していないのが自然選択論ですが、何故か自然選択論は科学的であると主張されその様に信じ込んでいる人たちがむしろ多数派だと言うのは大変理解に苦しみます。
繰り返し述べてきましたが、ダーウィン自身科学と言う言葉を殆ど使っていません。
ダーウィンが科学の方法論を正しく認識していた形跡もありません。
彼の主張は基本的にこの様に考えれば説明できると言う彼の想像の世界での話です。
その後1930年代の集団遺伝学者と称される人たちによって科学の体裁を整えたかのように錯覚されますが、これも何一つ科学の方法論に則っていません。
自然選択論は思い込みと錯覚に依って支えられているのです。
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誤解がないように、歴史を整理しておきましょう。
[地動説と風]
(1) 1543年、コペルニクスが地動説を出版。もっとも私的には16世紀の初めから、知人に地動説を語っていた。地動説の登場と同時に、恒常的な強風が吹かない事実が、矛盾となる。
(2) 1609年、ケプラーの法則が登場。天体位置の予測精度で、地動説の優位が確立された。ただし、なぜ風が吹かないかは、依然として謎。
(3) 1638年、ガリレオが「2つの新しい科学」を出版。慣性の法則を説明し、風が吹かない矛盾を解消した。
私が問題にするのは、(1)の段階です。
[光波動説とエーテル]
(1) 1800年まで。波動説が証拠に挙げる光の交差、屈折、ニュートン環等は、粒子説でも説明されていた。一方、波動説には、鉄よりはるかに硬い物質が空間を充たすという矛盾があるが、媒質を必要としない粒子説には、矛盾がなかった。
(2) 1801年、ヤングの2重スリット実験で、粒子説では絶対に説明できない事象が明らかになり、波動説の優位が確立された。ただし、媒質の問題は、依然として残る。
(3) 1821年、ファラデーが電磁場を発見。1855年、マクスウェルが電磁場が電磁波を作ることを説明し、媒質のない波がありうることが分かる。1862年、電磁波の速度の理論値が、光速の観測値と同じだから、光は電磁波で、エーテルは必要ないことが分かる。
同じく、私が問題にするのは、(1)の段階です。
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ホームセンターコーナン生野店の駐車場で、12時頃〜16時頃に来ては鳩に餌を与えている『なにわ 581 く 29-54』のキャップ帽クソハゲジジイが究極的にうざいし腹立つから誰かなんとかしてくれ。
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>203
>私のように、完全自由にして、自然の選択圧力に任せればよいのか。
先にも言いましたがIDの公共教育で教える行為は自然を逸脱しているから問題なのです。
他を無理矢理弾圧するのと同様の行為です。
>私がいう「教える」とは「ID論なる根拠の薄い理論が存在する」という教え方ではありません。「特定の進化は、自然選択よりもIDが合理的に説明できる」という教え方です。
それは正しいですよ。
「特定の進化は、自然選択よりもIDが合理的に説明できる」と言う主張に対し
「いや、こう言う理由で合理的では無い」、「しかしこう言う根拠からこう考える方が妥当だ」…
こうして議論は進みます。
>自説が正しく他説が間違いと主張するのは、それに該当しますか?
との問いですが、該当しますし正しい行為です。
何度も書いているように根拠バトルなんですから。
そうして科学的コンセンサスを得られて始めて一般化でき教科書などに載ることになります。
それなくして公共教育に乗せようとしているから問題なんです。ここで語ることが出来るのは一般化できた事柄のみです。
それ以前のモノは特定のコミュニティとかでまず磨き上げないとダメです。非主流はそうしてコツコツ根拠固めに奔走していますよ。
現段階でのIDの一般化できている部分は「ID論なる根拠の薄い理論が存在する」と言うとこだけです。
教科書に載せられるならそこぐらいで、「特定の進化は、自然選択よりもIDが合理的に説明できる」と言うのはコンセンサスが得られておらず公共で教えるのは先にも言ったとおり時期尚早です。
>(1)「科学の正規の手順」とはなにか
ある事象に対し仮説を立て、検討し、検証し、理論を修正するそれを繰り返しながら最適な一般論を構築する行為と考えます。
>(2)その手順を逸脱すると、科学の進歩が阻害されるのか
大体が検証方法の不備です。ルイセンコを頑なに否定しますがルイセンコ学説は検証をほとんど行っておらず、自説に不利となるまともな対立理論の検証結果を排斥すると言う手順の逸脱を行っています。
ピルとダウン人、イルメンゼーのクローンマウス生成実験のような証拠の捏造、これらも明らかにその分野の発展を阻害したと言われています。
>(3)地動説と波動説は逸脱しないが、IDは逸脱するのか
当時の地動説も波動説も現状のありのままを説明しただけです。IDもそれだけなら何も問題はありませんでした。
しかし一般化出来ていない部分を一般化しているように騙ってしまっている。
一線を越えてしまっているんです。
単に研究する、ホームページやセミナーでも開いて啓蒙するとか書籍を刊行するとかなら良かったと思います。
当然批判もあるでしょうけど、それで議論が生まれるのは良いことです。
それに対し公共教育機関で教えるというのはそこをすっ飛ばす行為です。
まともな科学的研究も教科書に載るまで相当の議論検証に晒されています。IDだけ優遇するのは間違いです。
自由競争をお望みなら無理矢理公共教育機関にねじ込む行為は愚挙であり暴挙です。
>同じものが、観測行為がなければ波動として、光を照らして観測すると粒子として現れます。
観測が無くても粒子性は備わっています。
数式は予測などに使えると言うだけで、関係を記述してる式と言うだけです。
どのように働いているか自体を説明するもんでもできるもんでもありません。
そう言うものとして受け入れるしかないものですよ。
私の言が信じられないならそれはそれで結構ですので今一度調べて下さい。
観測者効果と不確定性原理をたぶんごっちゃにしてますよ。
>>206
先にも書きましたが矛盾があれば即ダメとはなりません。
矛盾があろうと他で上手く説明できる部分があるなら検討する価値はあります。
前に語っていたエントロピー増大の法則の話も遡ればエントロピーの減少という矛盾があったかも知れません。
かといってそれでエントロピー増大の法則は即棄却するべきでしょうか?
批判されようと信じるに足る根拠が本人にあるならどうしようと好きにすりゃ良いのです。
ただし科学を標榜するならその正規手順は遵守しようね、ってお話です。
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>地動説と波動説は逸脱しないが、IDは逸脱するのか
地動説にも波動説、粒子説、大陸移動説や進化説にも、少なくともそれが主張された当時、確かだろうと思える客観的な根拠がありました。
インテリジェントデザイナー論にはそれがないから、科学理論から逸脱するんです。
そもそもの出発点からして、
『宇宙・自然界にみられる精巧さや複雑さは機械的・非人称的な自然的要因だけではすべての説明はできず、そこには「デザイン」すなわち構想、意図、意志、目的といったものが働いていることを科学として認めよう』という理論・運動である。(ウィキペディア:インテリジェントデザイナー)
サイエンスの手順による自然理解とは異質なものですね。
(自然神学の再興です)
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観察事実に基づく合理的な推論によって、設計の存在は極めて容易に導き出されます。
信仰に囚われて事実をありのままに受容れる事が出来ない人、ロジックを追うだけの知能にかける人、そう言った人達にはID論は何時まで経っても理解する事は出来ませんね。
従ってそう言う人達にID論をいくら説いてみた所で何の意味もありません。
やるだけ無駄です。
信仰、盲信は変わる事が有りません。
論理によって説得される事は決して有りません。
それを説得の可能性ありなんて妙な期待をしてしまうととんでも無い泥沼に足を踏み込んでしまう事になります。
一切相手をしないのが最も賢明な判断です。
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キリスト教は殊に西欧社会においては現在も猶極めて強固な精神的支柱として存在します。
ローマ以降の西欧社会の歴史はそのままキリスト教との関連において記述されます。
従って、自然神学もキリスト教の文脈の中で述べらる事が多いですが、それが自然観察に基づくもので啓示神を意味しない点において、実はキリスト教と対立するものです。
その意味においては自然神学は基本的にID論と同一の主張を行います。
バチカンがID論が啓示神人格神を認めないとの理由でそれを警戒しているのと同様の事が、自然神学に対しても言える訳です。
それでも一方では自然神学を神の存在証明として援用するキリスト教徒も多数存在します。
そして同様にID論においても似たような状況がある訳です。
ここに科学と宗教の決定的な混同と混乱があります。
そしてそれは科学の文脈でID論を語る上で大きな障害になります。
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自然選択論に否定的な人たち、例えばID論者の中にでも自然選択論を完全に否定している人たちは必ずしも多くは無い様です。
むしろ完全否定はしていない人達の方が多数派の様にも見受けられます。
しかしここは重要な点で、果たして自然選択による進化が起こり得るのか、そこをしっかり見極める必要があります。
結論は、言うまでも無くこれまで繰り返し説明して来た通り、自然選択によって進化が起こる事は一切ありません。
先ず第一にロジックが完全に破綻しています。
それは不必要な膨大な選択されざる敗者を生むシステムだからです。
その様な非効率なシステムは進化のエンジンとしては到底採用出来ません。
そして実はそこが多くの研究者から見逃されている点です。
その膨大な敗者の化石証拠の不存在をダーウィン自身もずっと気にしていました。
少なくとも彼は膨大な敗者の存在が必要で有る事までは認識していたのです。
そしてその想定自体が現実を説明するロジックとしては成り立たない理由です。
勿論その膨大な敗者を示す化石証拠も皆無です。
競争原理は文字通り淘汰、つまり不適合者を排除する為の原理であり、進化をもたらす原理ではありえないのです。
計らずもselectを淘汰と訳した日本語訳はその事実をよく示しています。
選別は生存の制限でしかなく、その膨大な敗者を生むシステムは進化のエンジンとしては機能する事は有りません。
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今回も、具体論に抽象論で答えておられます。それしかできない人なのですか?
>IDの公共教育で教える行為は自然を逸脱しているから問題なのです。
科学の進歩をどのように妨げたか、具体例を求めているのに、「自然を逸脱している」では、答えになりません。ID論があることで、進化理論のどこがどう阻害されましたか。
>「特定の進化は、自然選択よりもIDが合理的に説明できる」と言うのはコンセンサスが得られておらず公共で教えるのは先にも言ったとおり時期尚早です。
16世紀の地動説も、18世紀の光波動説も、コンセンサスなどありませんが、教育されてます。何よりも、コンセンサスのない理論を「時期尚早」に教えたせいで、科学の進歩が阻害されましたか? されたなら実例を出してください。
>ルイセンコ学説は検証をほとんど行っておらず、自説に不利となるまともな対立理論の検証結果を排斥すると言う手順の逸脱を行っています。
ルイセンコは例にならないと言いました。反対者を収容所へ送ったルイセンコ理論を、今のIDと同一視しますか。「検証結果を排斥する」って、IDがそれをやってますか? そのせいで、その検証結果が、隠蔽されているのですか?
>ピルとダウン人、イルメンゼーのクローンマウス生成実験のような証拠の捏造
IDが証拠を捏造しましたか?
根拠の薄い理論を教えると、科学の進歩が阻害されると立証するには、弾圧や捏造など、進歩を阻害する、他の要因を除いた条件で、何が起こるかを観察せねばなりません。実験・観察の初歩ではないですか。
>当時の地動説も波動説も現状のありのままを説明しただけです。IDもそれだけなら何も問題はありませんでした。
>しかし一般化出来ていない部分を一般化しているように騙ってしまっている。
またも抽象論。本当に、それしかできないのですか?
もう1度、具体論を整理します。よろしいですか。
[地動説]
主張の根拠は、惑星の逆行運動
その現象は、周転円を想定した天動説も説明した
地動説には、恒常的な風が吹かないという、天動説にはない矛盾があった
[光波動説]
主張の根拠は、光の交差、屈折、ニュートン環など
それらの現象は、粒子説も説明した
波動説には、鉄より硬い媒質という、粒子説にはない矛盾があった
[ID]
主張の根拠は、複雑すぎる進化。私(Ken)の場合は、鳥の進化の力学
それらの進化は、自然選択でも説明できる(私は、鳥の進化は自然選択では難しいと考えますが、ここでは説明できるものとします)
地動説、波動説と異なり、物理法則を否定する矛盾は、IDにはない。
以上の条件をふまえ、かつての地動説、光波動説より、IDの根拠が弱いとは言えない、と私は言ってます。反論なさるなら、抽象論ではなく、上の具体論に具体論で応じてください。
>矛盾があれば即ダメとはなりません。
同じ事象を説明する2つの理論があり、一方にのみ説明できない矛盾があれば、おっしゃるところの「根拠バトル」で負けると思いませんか? かつての地動説と波動説がそうです。
エントロピーの起源問題との違いも、理解してください。起源問題は、純粋に論理的な問題で、熱力学第2法則と矛盾する事象は観測されてません。一方、我々の乗り物が動いても風を感じないとか、我々が自由に動く空間を物質が充たしているとなると、現実の観測事象と矛盾するのです。
くれぐれも誤解しないでください。私の論点は矛盾があるからダメというのではなく、矛盾があり根拠バトルで負けるはずの理論が、教えられて伝わり、それが科学の進歩に貢献した、という点にあります。しかも、上で述べたように、そういう理論が教えられても、進歩が阻害されたりはしません。ゆえに、教育に制約など持ち込むべきでない、というものです。
とにかく、なにをおいても、抽象論を排し具体論を語ることを心がけてください。根拠バトルとは、具体例を示すことではありませんか。
>観測が無くても粒子性は備わっています。
私は、ファインマンの講義を紹介しました。(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html)
Fig. 37–3では、スクリーンに波が出ているのに、光を当てて観測したFig. 37–4では波が消え、粒子を発するFig. 37–1と同じになってますよね。観測によって粒子性が現れるとは、そういう意味です。
あなたは、観測が無くても備わる粒子性とは、どういうものか説明してください。
>観測者効果と不確定性原理をたぶんごっちゃにしてますよ。
では、ご自身の言葉で、観測者効果と不確定性原理を、説明してください。
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