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福音
86
:
非活動1年生
:2004/02/26(木) 22:58
続きです。
私は「ゴータマさんみたいに物を考えれば、みんな楽になるよ〜!」っていう
主張はすごくよく理解できますが、その事と「ゴータマさんを初め様々な如来さんに帰依
すると極楽浄土に行けるよ、あるいはその様な心理状態になれるよ〜」は
かなり差のある考えです。
前者は「哲学」で後者は「宗教」です。釈迦は果たして「幸福」(あるいは平安)という心理状態を
何かに帰依させることで得させようと思っていたのかどうか、と私はいつも考えます。
私はそもそも「帰依」の意味がよく分からないのかも知れませんが・・
87
:
非活動1年生
:2004/02/26(木) 23:27
自己レスです
>ゴータマさんみたいに物を考えれば、みんな楽になるよ〜!
私の解釈するゴータマさんオリジナルな考えとは
「世の中には悲しい事物そのものも、嬉しい事物そのものも存在しない。
物事を悲しいと思う心が存在する」っていうものです。
これを突き詰めると、仏教には「瞑想」という言葉は良く似合うけれど
「祈り」という言葉はしっくりこないなぁ、と私はよく思うデス。
これらの書き込みは「ワタシ、ニホンゴ、ヨク、ワカリマセ〜ン」の
外国人が仏教観を書き込んだくらいに思って、間違ってたり、失礼があったら
ユルシテクダサ〜イ。
88
:
ラビット
:2004/02/26(木) 23:27
キリスト教では三位一体の神といって父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊
なる神がいます。唯一目で見ることが出来たのが子なる神のイエス・キリストということ
になります。
今を生きている人間に働いて助けてくれ、完成に向けて導いてくれるのが聖霊なる神
です。ですから洗礼を受けてクリスチャンになるといことはこの聖霊なる神を受けられる
ということになります。救いは行いによるのではなく信じる信仰によるのです。
聖霊のことを英語でHoly Spiritといいます。
89
:
みれい
:2004/02/26(木) 23:48
非活動1年生様
この表がわかりやすいかな、と思います。
http://www.butujihyakka.com/butuji/butuma/butuma2/manyu62.htm
「仏事百科仏事マニュアル」
私もまだまだ勉強中です。教わる事ばかりです。
鎌倉時代に今の仏教に残るスーパースター達の、
法然さん親鸞さん日蓮さん栄西さん道元さんらが天台宗(いわゆる仏教総合研究所)から独立して広めたので、
そこでいいのではないでしょうか?
そのあたりはyurikoさんが抜群に詳しいです。
御釈迦さんの捉え方が、そもそも各宗派によって違うみたいです。
それこそ尊敬されたり崇め奉られたり、過去の人とはじっこに追いやられたり。
個人的には御釈迦さんに人間らしさを感じます。
で、これだけ語り継がれる言葉を残したと言う事は素ですごい事だと思います。
逆にキリスト教の「神」「宗教」に対する概念がよくわからないです。
とあるご住職さんから、「キリスト教も仏教も人間が出始めたのも宇宙の長い歴史から考えれば全然短いもんだけども、
それらの説いたものは切り取った角度は違えど、悠久の時間にのっとった道理は同じものだよ」
「道理にそった宗教は残ってゆくけれど、道理から外れた宗教は100年経たずに消えてゆくよ」
というダイナミックなご意見が出て、たまげました。
さすが、だてに宇宙を説いていない仏教。
遠〜い先、キリスト教とも融合して仏教とかキリスト教とか宗教とか思想とかのくくりも概念もなくなる時代がくる気がするのは私だけではないと思う。
生きているあいだは無理だと思いますが。
そんなわけで、創価学会の呪縛から離れられた私はいろんな教典を楽しんで、
あらためて法華経も今の学会と違う視点で見直してみたいなと思っています。
90
:
みれい
:2004/02/27(金) 00:11
>「ゴータマさんを初め様々な如来さんに帰依
すると極楽浄土に行けるよ、あるいはその様な心理状態になれるよ〜」
これは浄土宗の教えに近く、阿弥陀様に帰依すると浄土(極楽)へいける、ということをお釈迦様が説いた、とするものですね。
元々の浄土教典は、もう少し違うものみたいです。
>「世の中には悲しい事物そのものも、嬉しい事物そのものも存在しない。
物事を悲しいと思う心が存在する」
こちらは日本でもっとも認知の高い「般若心経」の教えです。
知らずに会得してますね(笑)。
(私は般若心経はもっと怖くてドロドロしたイメージでしたが、中身をみたらとんでもない、実にすがすがしい。個人的には映画「バニラスカイ」を思い出します)
また「唯識」という仏教的心理学にもその「心」の考え方というか思想が出ています。
座禅で得られる「悟り」って、私もわかりませんが、ひょっとしたらそういうものなのではと思っています。
仏教の非科学宗教的側面はトランスパーソナル心理学が近いかもしれません。
私はまだそこまで近寄れませんが、調べてみてくださいね。
91
:
非活動1年生
:2004/02/27(金) 15:59
>「道理にそった宗教は残ってゆくけれど、道理から外れた宗教は100年経たずに消えてゆくよ」
私はこの住職さんの言う「道理」の意味が、どの様な物かは分かりませんが、この言葉には
極めて日本人的宗教観がある、と思いました。
私は、日本人は自分達が思っている以上に「合理的」民族だと近頃思います。又、仏教を(日本人の考える仏教を)
大変「合理的な」ものである、とも思っています。
しかしながら、私が仏教に惹かれ得ない大きな理由の一つは、不思議に聞こえるかもしれませんが
この「道理」にあります。この問題は自分でも説明することが手に余るほど難しいので上手く言葉に
出来るかどうか分かりません。
私はある時以来、「この世に因果律は無い」と考え始めました。こう書くとみれいさんを初め、多くの
人が私を「何という悲観論者!」と思うかも知れませんね。いや、人によっては「この人は未開人である」
と断じられるかも知れません。
しかし、私は現実社会においては恐らくは「道理」や「論理」を重んじる合理主義者であり、時として人から
「アンタは理屈っぽい」と罵られる(?)人です。
私は世の中の大抵の事を「道理」で考える人間ですが、同時に世の中には「道理」や「理屈」や「論理」の入る余地を
許さない「不条理」が存在している、と考える人でもあります。
(自分の考える「不条理」を今は上手く説明出来ないので、それは又、考えて書きますね)
ともかく多くの日本人が拠り所とするであろう「道理」という言葉が、実は私を逆にとんでも無い「ニヒリスト」に仕上げて
いった、という事実だけお伝えしておきます。
私はみれいさんの仏教に対するお考えを決して否定する意図でこれを書いたのでは有りません。
また、ご住職さんのお考えの「道理に沿った宗教」というお言葉の中の「道理」と、私がここで書いた「道理」
はある意味で異質であり、並べて考えるべき言葉では無かったかも知れません。
お気を悪くされたら、ごめんなさいね。
92
:
ラビット
:2004/02/27(金) 23:02
非活動さんの言う道理は世間体と言うことも入っているでしょうね。
キリスト教の言う真理に従え、を日本で実行するといろいろ摩擦、
争いが起こりますよね。
真理とは何か?となるとこれがまた難しいのですよね。
93
:
非活動1年生
:2004/02/27(金) 23:35
ラビット様
>道理は世間体と言うことも入っているでしょうね。
残念ながら違います。
善行を行う人間が必ずしも幸せになるとは限らないという人間社会の不条理や
あるいはこの世の全てが(人間の尺度による)秩序によって動いている、という様な
考えを私は「道理lと言ったつもりです。
どうしてこの様な事に私が否定的であるかについては又、書き込みます。
94
:
みれい
:2004/02/27(金) 23:36
非活動1年生様
実に深く考える方ですね。さすがですね。
非活動さんの因果律がどういうものを指すのか、にもよりますが、
因果律も、学会のそれとはまたちがう捉え方の「因果律」があると私は思います。
(信仰しないから病気になった、とか、祈ったから治った、というようなものは、
プラシーボ効果にはいいかもしれません。私も信の一念で祈って蕁麻疹とか治しちゃった経験もあります。治らない経験もたくさんあります。
もし私が当時クリスチャンでもきっと蕁麻疹治してます)
例えば非活動1年生様がここに書き込むことによって、ここを読んだ誰かになにかしら影響を与えます。
また書いた内容や時間やその時買って食べたおやつ(笑)なども世の中に何かしら影響を与えます。
そういう因果律はありかと。
また、「道理」というのも、私自身はごくシンプルに考えています。
「この世をいかに生きるか」というそれだけじゃないかと。
生まれてからすでに身に纏う生い立ち、育つ環境、性格、肉体、病気、財産、能力、寿命、
すべて違う一人一人がいかに生きて寿命をまっとうして死んでゆくか、
その尺度を残していったのが御釈迦さんじゃないかと思っています。
生き方を示す教え。(←ちなみに示す教えと書いて宗教ですが)
人間の不条理さも苦しみもニヒリズムも道理の中に含まれています。
どれだけ不条理であろうがあの世が輪廻しようが極楽だろうが、病気が治ろうが治るまいが、
最後は人間いつか必ず死ぬのだもの。いつ死ぬか、わからないし。
また、ご住職さんと私の「道理」も違うと思います。もちょっと深い気がする。
非活動1年生様はご自身の「道理」を見つけてゆけばと思うのです。
私にも教えてくださいねm(_ _)m
私はまだまだ自分の中に鬼を飼っています。
また、周りから聞いても、自分の生の経験と照らし合わせて見い出さなければ実感はないと思うのです。
その為の御釈迦さんの「後世に伝える為の伝言」がいろんな教典だったり、法華経だったりすると思います。
日蓮さんもその過程にいて、学会員さんも私達もその伝言の過程にいます。
末法といっても私達の世代で終わりではないですよね。
ハピネスを願う気持ちに宗教差も国籍も国境もないはず。
(余談ですが「妙法蓮華経方便品第一」を知っている学会員さんはどれくらいいるのでしょう。
私ずっと気になっていました)
95
:
みれい
:2004/02/27(金) 23:43
書いている間に越されてしまいました(汗)
ちなみに我々凡夫の尺度とお釈迦様の尺度は違います。
人間の道理には必ず思い余った欲望がからんでいるものです。
だから人によって尺度がちぐはぐなの。
それらの真ん中を縫ったのが御釈迦さん。
キリストさんの尺度も(んん、尺じゃないな・・・インチ?)
真ん中を示して、あとはわりと寛容なのかも・・・
96
:
非活動1年生
:2004/02/28(土) 00:09
>また書いた内容や時間やその時買って食べたおやつ(笑)なども世の中に何かしら影響を与えます。
そういう因果律はありかと。
私もそう思います。実は私は「因果律」はない、と言ったのは人間の考える
ような「因果律」は存在しない、と言う事で、実は違う尺度の「因果律」は
ある、いや、あって欲しい、と考えるのです。
(このややこしい話は続く・・・)
97
:
非活動1年生
:2004/02/28(土) 00:11
あらら、書き込み中にかぶってしまいました。
又、後ほど。
98
:
みれい
:2004/02/28(土) 00:27
スレッドとずれていくので、「仏教あれこれ」へ移動します。
ラビットさん、お邪魔しました。
また寄ります(^^)/~~~
99
:
ラビット
:2004/03/04(木) 00:42
そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とを全ての人々の
ためにささげなさい。王たちや全ての高官のためにもささげなさい。私達が常に
信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
これは私達の救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。
神は全ての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただお一人
なのです。
この方は全ての人の贖いとしてご自身を献げられました。これは定められた時に
なされた証です。私は、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に
信仰と真理を説く教師として任命されたのです。私は真実を語っており偽りは言って
いません。
(新約聖書 テモテへの手紙Ⅱ 2:1−7)
これはイエスの直弟子の12使徒には入っていないのですが異邦人改宗の目的として
特に選ばれたパウロが書いた手紙です。ペテロやヨハネよりも多くの手紙が新約聖書と
して採用されているのですよね。
100
:
非活動1年生
:2004/03/04(木) 18:28
ラビット様
お久しぶりです。
>>77
自己訂正文
「7の7倍許せ」は「7の70倍許せ」の間違いでした。謹んでお詫び申し上げます。
49回と490回は雲泥の差でした・・・
パウロはキリスト教をユダヤ人以外の人々に広めた人ですね。
現在のキリスト教はユダヤ教からは遙かに遠い存在ですが、
当時は「ユダヤ教の神」「ユダヤ人のみの神」という観念があって、ユダヤ人
意外の人々に福音を伝える事に対してはペテロやヤコブとパウロの間で
相当激しい論争があった、と聞いています。しかし実際にはキリスト教は
パウロの功績により爆発的にヨーロッパ社会に広がり、最初はキリスト教徒を迫害していたローマ帝国
も最後には「国教」に定めるまでに至りました。
この辺りの歴史は大変興味深く、小さな集団に過ぎなかった「原始キリスト教団」が
あらゆる迫害に屈する事無く、世界に広まっていく過程にはパウロという人の存在は
甚だ大きかったと思います。
101
:
ラビット
:2004/03/05(金) 19:16
非活動さん、キリスト教に詳しいですね。パウロの果たした役割って大きいのですよね。
系図によればイエスもユダヤ人の中のユダ族、パウロもユダヤ人の中のベニヤミン族と
いうことですね。
近親憎悪なのか未だにユダヤ人の大部分は昔からのユダヤ教を固く守ってイエス・キリストを救世主、
メシアとして受け入れません。今のイスラエル、パレスチナの紛争もユダヤ人がキリスト教を
受け入れなければ最終解決はないのですよね。ですからクリスチャンの指導者はユダヤ人が
キリスト教に改宗しやすいようにうまく伝道してやらないといかんわけです。
102
:
ラビット
:2004/03/07(日) 23:08
イエス・キリストのことを思い起こしなさい。私の宣べ伝える福音によれば、
この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。この福音のために
私は苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖に繋がれています。しかし、神の言葉は
繋がれていません。
だから、私は、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。
彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。次の言葉は真実です。
「私達は、キリストと共に死んだのなら、
キリストと共に生きることになる。
耐え忍ぶなら、
キリスト共に支配するようになる。
キリストを否むなら、
キリストも私達を否まれる。
私達が誠実でなくても、
キリストは常に真実であられる。
キリストはご自身を
否むことが出来ないからである。」
(新約聖書 テモテへの手紙Ⅱ 2:8−13)
103
:
ラビット
:2004/04/07(水) 00:40
イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。すると、片手の萎えた人がいた。
人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」
と尋ねた。
そこで、イエスは言われた。「あなた達の内、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に
穴に落ちた場合、手で引き上げてやらないものがいるだろうか。人間は羊よりもはるかに
大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」
そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように
元どおり良くなった。ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうか
と相談した。
(新約聖書 マタイによる福音書 12:9−14)
今度の日曜日は復活祭(イースター)です。キリスト教の祭りではクリスマスと並ぶ大きな
祝祭日です。
104
:
ラビット
:2004/04/17(土) 06:18
救われるとはどういうことでしょうかね。まあ今度の拉致から開放されると言うような
切羽詰った生命に関わること、病気から救われること、借金苦から開放されることなど
具体的なことの他に魂が救われると言いますね。
自分が何から救われたいのかをハッキリさせる必要がありますね。宗教で救われるのか、
宗教以外でなら何で救われるのか。
振り出しに戻って考えることも大事かもしれませんね。私自身キリスト教で充分救われて
いないと思っているからかな。
105
:
ラビット
:2004/04/18(日) 07:48
キリスト教の救いは端的に言えば「罪な道」から「義の道」に変えられる事です。
仏教で言えば王道を歩けるようになることでしょうか。キリスト教ではキリストを
信じる事によって罪人が義人にされると言うわけです。さまざまないいこと、善徳を
積む事によってではなくキリストの十字架の贖いの血を信じる信仰によって救われる
と言うわけです。学歴のある無神論の人が道徳的に生きていれば一番いいようですが
危ないのですよね。
106
:
ラビット
:2004/05/05(水) 01:45
彼らが使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した。
「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。
それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した
責任を我々に負わせようとしている。」
ペテロと他の使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。
私たちの先祖の神は、あなた方が木につけて殺したイエスを復活させられました。
神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦す為に、この方を導き手とし、
救い主として、御自分の右に上げられました。私達はこの事実の証人であり、また、
神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。」
(新約聖書 使徒言行録5:27−32)
今「パッション」と言うキリストの十字架刑をリアルに描いた映画が封切られています。
是非観てください。私はまだ観ていないのですが無神論者や仏教徒にどんな影響を与える
でしょうかね。楽しみです。
107
:
ラビット
:2004/05/12(水) 06:54
「パッション」は日本人は観ない方がいいかな? 肉と血の残酷さをこれでもか
これでもかと強調して見せるだけで霊的なものをちっとも感じなかったなあ。
あれだけ暴力を受けたら十字架に着く前に死んじゃうよね。こんな感想しか持てない
のはそれだけ自分が罪深いと言うことだろうね。今の自分はとても敬虔なクリスチャン
とは言えないからね。しかし、こんな映画を観てクリスチャンになって救われたいと
思う者がいるだろうか。やっぱりキリスト教は血なまぐさくて怖い、止めておこうとなる
のではなかろうか。
日本人にキリスト教の良さを説明するのは難しいなあ。神社には血なまぐささ微塵も
ないからね。自然崇拝の神道、大陸系の悪魔もいないしなぁ。今の世界は日本の古からの
本当の清さが必要なんだよね。今の日本は清くないからなぁ。
108
:
モーリス </b><font color=#FF0000>(JExy6YJA)</font><b>
:2004/05/12(水) 20:05
>>107
>ラビットさん
はじめまして(たぶん?)
8日〜9日にかけてオールナイトで観てきました。
なんかあの映画観るとユダヤ教の司祭たちよりも
ローマの兵士たちのほうが憎たらしく映って仕方ないのですが(笑)
ピラト総督は「もうお前ら勝手にしろ」という感じだったそうですが
そういう状況でローマの兵士があそこまで積極的にイエスの処罰に協力
してたのが理解に苦しむところです。
演出上あのようにしたのかもしれませんが・・・
109
:
ラビット
:2004/05/13(木) 14:32
モーリスさん、
クリスチャンの信仰を量る上で大事なのは「あのような十字架に付けたのは
自分の罪である。」と言うのがあります。ですから私達は異邦人のローマの兵士の
行為でも自分を重ねて見てしまうのでしょう。キリスト教信仰の原点はここなんですよね。
「申し訳ありません、あのように痛めつけたのは私の罪です。お赦しください。あなたを信じ
て付いて行きます」と。
私自身はこれが弱いものだから、あんたの信仰は本物にならないのだと言われています。
どうしてもまだ芯から「自分の罪のために十字架に架かられたキリスト」が信じられない
のですよね。
最後の場面で手甲に釘の穴の開いた右手を写して肉をまとったままのキリストの
復活を強調していましたね。あのまま死んだのでは救世主にならずただの敗北者と
して終わりますからね。
それと血だらけのキリストの血は「いけにえの子羊の血」ですからああなっちゃう
のかなあと思いました。遊牧民族の神と農耕稲作民族の神の違いですかね。
製作者のメル・ギブソンはまだ若いのですね。1956年産まれですって。
110
:
Day Dreamer
:2004/05/13(木) 17:56
ラビットさん
お久しぶりです。「非活動」より改名致しました。よろしくね。
「パッション」はまだ見ていません。クリスチャンのお友達に誘われたのですが、
私はすっご〜く恐がりなので、見る勇気が無かったのです・・・
そんな訳でまだ見ていない私がこの映画について意見を言うのも変なのですが、
予告編とかを見る限りは、この映画は今までのキリストの受難を描いたあらゆる
映画とは質を異にしているようですね。
昔、学校から見に行った「クォ・ヴァディス」の様な伝統的なキリスト教映画は
どこかに「西欧」のエッセンスがありましたが、この映画は当時のユダヤを忠実に
再現しているようで、その点でキリスト教の原点を知るにはよい機会だと思います。
(と言いつつ、見られないままの私・・・)
111
:
MILD SEVEN
:2004/05/14(金) 11:21
こんにちは。
<私の友人?アメリカの某大学院生へした今日の助言。>
私は、争い好きな女は嫌いです。
危険です。
アダムは、サタンから誘惑されませんでしたが、エバは、サタンに誘惑されました。
アダムを誘惑したのは、エバです。
聖書の中で、パウロも、この件について警告しています。
・・・
主を恐れることは知恵の訓戒である。
謙遜は栄誉に先立つ。(箴言15章33節)
<黙示を学びなさい>
イエスの証しを保つ者は、サタンと戦う宿命があるのです。
証しについては、聖書と同様・全体を把握しなければなりません。
・・・
頑張りやの女性は・・・どう 教育すればいいのでしょうか?
とほほ・・・。
112
:
ラビット
:2004/05/14(金) 16:10
Day Dreamer(非活動1年生)さん、お元気ですか。
余りお勧めできませんがどうか足を運んでみてください。メル・ギブソンも
現アメリカ大統領と同じようにアル中や麻薬におぼれた時期がありキリスト信仰
でボーンアゲインしたのですって。近頃の映画はそういえばどれも大音響で残酷
なシーンが多いから時たま映画を見る者には刺激が強過ぎたのかもしれません。
キリスト教もイスラム教もS価も宗教のいい面と悪い面があることをもっと自覚し
ないといけませんよね。私は宗教があまりにも集団的力になるのが嫌なのです。
113
:
MILD SEVEN
:2004/05/16(日) 01:23
女性は金がいい。
戦うのは男の役目!?・・・銀。
でも、錆びない銀は・・・プラチナ。
それがいい。
女性蔑視ではありません。
むしろ、成長への助言です。
通常なら、悟れるはずですね。
114
:
ラビット
:2004/05/16(日) 05:32
ボーンアゲイン(生まれ変わり)、創価学会で言う人間革命ですね。
宗教で生まれ変わっても現大統領ブッシュのような困った人物も出てくると言うことです。
私は近頃生まれ変わった人、人間革命した人に懐疑的になってしまいました。本当にいい方に
だけ人間革命してくれるといいのですが変な風に人間革命して自分も人も不幸にする人が
いますからね。
女性の真心、乙女心は貴重ですね。現代はさまざまな騒音、雑音でなんと意図もたやすく
これが踏み躙られていることか。子供達の純心な無垢な心も大切に育ててあげたいですね。
115
:
MILD SEVEN
:2004/05/17(月) 12:10
池田創価の特徴としては、アメリカ人等の良い単純性を馬鹿にしていたり、共産圏(良い理想面も含めて)を馬鹿にしている。
宗教法人としては、バランスと深さに欠けた幼稚な組織。
根本的に何かが違うと、気がつくでしょう。
ラビットさん。
耐えてください。
116
:
ラビット
:2004/05/20(木) 08:14
福音とは一言で言えば神の御子イエス・キリストを信じればあなたもあなたの家庭も
救われると言ういいニュースのことです。どのようにすれば救われるのか?
ただ聖書を信じ、イエス・キリストを信じればいいのです。
こうなるんですよね。「信じる者は救われる」バカみたいにシンプルでしょう。
下記はユダヤ人パウロから見て異邦人のローマの信徒にあてた手紙です。
この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、
御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた
のです。
この方が、私たちのイエス・キリストです。私たちはこの方により、
その御名を広めて全ての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて
使徒とされました。この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように
召されたあなた方もいるのです。
(新約聖書 ローマの信徒への手紙 1:2−6)
117
:
ラビット
:2004/05/21(金) 07:48
キリスト教的生活の規範
愛に偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛を持って
互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、
霊に燃えて、主に仕えなさい。
希望を持って喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者達の貧しさを
自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすように努めなさい。
あなた方を迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪って
はなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、
高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。
自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。誰に対しても悪に悪を返さず、全ての人の前
で善を行うように心がけなさい。出来れば、せめてあなた方は、全ての人と平和に暮ら
しなさい。
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐は私のすること、
私が報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べ
させ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
悪に負けることなく、善をもって勝ちなさい。
(新約聖書 ローマの信徒への手紙 12:9−21)
これ以上の言葉はないでしょうね。これを実行できるのは聖者、聖人でしょう。
クリスチャン大統領と言われているブッシュがこれを真面目に実行してくれれば
どんなに世界は平和になることだろう。全てのクリスチャンは規範として目指す
べきなんですがね。聖霊の助けを得てそうしょうと言う訳です。
118
:
ラビット
:2004/05/28(金) 01:12
兄弟たち、万一誰かが不注意にも何かの罪に陥ったなら、”霊”に導かれている
あなた方は、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も
誘惑されないように、自分に気をつけなさい。
互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることに
なるのです。実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、
その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。
そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることが出来ない
でしょう。めいめいが、自分の重荷を担うべきです。
(新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙 6:1−5)
これもパウロの手紙です。今の自分に言われているようで耳が痛いです。
119
:
ラビット
:2004/06/10(木) 07:43
私がよく訪れるサイトに載っていたものです。これが福音なのです。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/2431/sing004.html
120
:
ラビット
:2004/07/13(火) 07:24
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。
私の父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなた方の
ために場所を用意しに行くと言ったであろう。行ってあなた方のために
場所を用意したら、戻って来て、あなた方を私のもとに迎える。
こうして、私のいる所に、あなた方もいることになる。私がどこにいるのか、
その道をあなた方は知っている。」
トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私達には分かりません。
どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。
「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに
行くことができない。あなた方が私を知っているなら、私の父をも知ることになる。
今から、あなた方は父を知る。いや、既に父を見ている。」
(新約聖書 ヨハネによる福音書 14:1−7)
イエスは自分を見た者は父なる神を見たことになると言っています。イエスの中に
神性が全て現れていると言うのですがね。キリスト教では天の父なる神が本当のあなた達
の父であると教えるのですが、この世の父の存在も大事ですよね。
121
:
ラビット
:2004/08/03(火) 01:18
実にキリストは、私達がまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために
死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために
命を惜しまない者ならいるかもしれません。
しかし、私達がまだ罪人であったとき、キリストが私達のために死んでくださった
ことにより、神は私たちに対する愛を示されました。それで今や、私たちはキリストの
血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、
なおさらのことです。
敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、
和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
それだけでなく、私達の主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしています。
今やこのキリストにを通して和解させていただいたからです。
(新約聖書 ローマの信徒への手紙 5:6−11)
キリスト教の象徴である十字架の本当の意味は父なる神との和解のいけにえの血なのです。
血を流さなければ本当の罪の赦し、和解はないという厳しい真理があります。
122
:
ラビット
:2004/08/05(木) 14:17
ネットサーフインをしていて偉いものを見つけました。24時間365日
休みなく聞くことができるようです。善人の福音伝道放送ですね。
http://www.bbnradio.org/japanese/bbnnet/read.asp
123
:
ラビット
:2004/09/06(月) 23:55
そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とを全ての
人々のためにささげなさい。王たちや全ての高官のためにもささげなさい。
私達が常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
これは、私達の救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。
神は、全ての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエス
ただお一人なのです。
この方は全ての人の贖いとしてご自身を献げられました。これは定められた時に
為された証しです。私は、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち
異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。私は真実を語っており、
偽りは言っていません。
(新約聖書 テモテへの手紙Ⅰ 2:1−7 )
これは異邦人伝道のために召されたパウロが弟子のテモテへ送った手紙の一部です。
神と人との仲介者がキリスト・イエスであるとありますね。
124
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 15:35
>>35
>その時人間にとっての本当の「宗教」がどんなものであるかを何故か急激に
>意味もなく、悟りました。
はーなるほど。
宗教とはようするに意識の中にアナを開けて掘り、そこでつぼにはまることである。
そのつぼはいろんなでき方で意識の中にあり、それは歴史でできた穴であったり、
呪文で開けられたアナであったり、連帯の中で生まれた穴であったりしているよう
です。ようです、というのはこれは宗教意識論の研究議論なのでまだ未完成だから
なわけですが。
しかしたとえば、キリスト興の場合は、要するにこのアナが「キリストによる食材」
というアナだったわけでしたね。それである種人類にそれなりに共通した意識のアナ
を開けられるということに気がついた過去の歴史上の人物がいて彼らはその実体験に
基づいてこの教義を「キリスト興」として広めたのです。
その教義は要はそのアナがそれなりに効果を持ちうるアナだったので、その安定停留点
に人が安住できると思われたために、それがそれなりに人類に同じアナの開け方を
教えてその観念を広めることができたのです。
125
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 15:42
そしてまたにゃ散れん興の場やいもですが、これもまた要は意識にアナを開けて
そこに安住する方法でした。
それは呪文で開けられたアナでした。呪文は生理学的な方法論であり、広くはヨーガ
論的な解読が可能で、要するに脳下垂体に対して暗示的な刺激を生理学的効果によって
与えて生理学的に開けられた穴がそれでした。
それは要するに機械的な方法論でしたから、誰にでも簡単にすぐ開けられました。
それが間違って解釈され、あたかもそれが宗教の一種であるかのような誤解の下に
得にパラノイアなにゃ散れんによってそれが拡大解釈されて現代の創価学会のよう
な宗教に収束したわけでしたが、これも実は意思にあけられた結晶欠陥のような
アナでした。そこに意識の染みがたまりこみ、そこに安定停留点を作り出すことに
成功したのです。
そこには限りなくどこまでもそこに浸り込むための詭弁が「宗教」の名において
その教説として含み述べられた結果、人々はそれを宗教として限りなく勘違いして
進む道を得ました。それがにゃ散れんの始まるおおいなる勘違いの道でした。
126
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 15:51
このように、人類の意識の類型、パターンは同様であり、そこには精神的な方法と
生理学的な方法どちらによっても、宗教という名で同様に意識の穴をあけてそこに
安定的に停留する方法を開花させたのでした。
そこに安住した「信者」は、そこが新しい自分の済むべき世界として感じることができ、
そこで感じられたすべてが世界の真実なのだと勘違いする道を用意されたのです。
結果、信者はそのアナの中ですべてを解読し、解釈し、そしてすべてをそこから見る
という行為を習慣化する結果、信者らの行動はすべてその元締めである宗教のもたらす
アナの開け方が唯一の真実世界の開示であるという信念に立つことを容易ならしめ、
そして生じる困難や経験もすべてそこから解釈され、読解せられた結果、信者はあらゆる
現実をそのアナで感じる体感と意識の安住の感覚から受容することを余儀なくされる
に至り、こうして「宗教」という名の「アナに付随する意思世界」つまり「思い込み
で発生する新しい居住地」を得ることを可能にさせたのでした。
127
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 15:59
このように突然の訪問はぶしつけではあると思うものの、余はこの真実を世に訴えねば
夜も日も明けぬと思うあまり、やはりここで真実を開示するべkぢえあると感じたの
だったが。
さてだろうか、キリスト興もにゃ散れん興もどちらもこの興ざめのする正しい議論を
受け入れることができるだろうか。
いやー尾もろいね〜。
でもおそらくこれは真実だよ〜ん。100年後には明らかになるだろうが。
そのときにはキリスト興もにゃ散れん興も消えてなくなっているだろうなー。
どうよ。
128
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 16:11
さて、ここでこうした正しい議論をあえてのべねばならないと判断した最大の理由
とは、
1.宗教が世界に紛争や対立をもたらす最大の原因と理由を創っている
1.それを解決する最大の関門とは、すなわち自己すなわち特定の宗教を
共通の土台で客観的に読解する必要があることに気づくことであること
1.そしてひたすら呪文戦争にあけくれることをやめさせ、そこから
初めて正しい自己を見出すべきことを教える必要があること
これらが世界平和の基礎とは何かを正しく議論させる土台であると、正しく教える
必要があるからだと信じる結果である。
宗教よ、ひたすらアナを掘るのではなく、ひたすら「正しい」とは何なのかを熟考
せよ。そして「真実」を探し出せ。
世界平和はそれからである。
わかったか?
129
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 16:44
>>124
>しかしたとえば、キリスト興の場合は、要するにこのアナが「キリストによる食材」
>というアナだったわけでしたね。それである種人類にそれなりに共通した意識のアナ
>を開けられるということに気がついた過去の歴史上の人物がいて彼らはその実体験に
>基づいてこの教義を「キリスト興」として広めたのです。
>
>その教義は要はそのアナがそれなりに効果を持ちうるアナだったので、その安定停留点
>に人が安住できると思われたために、それがそれなりに人類に同じアナの開け方を
>教えてその観念を広めることができたのです。
さて、これをもう少し具体的に言えばこうなるだろう。
キリストの贖罪とは、要するに自分の罪悪感をキリストの受けた苦に擦り合わせ、
それに擦り付ける、という心的行為のことである。それを信念として信じることが
「キリストの贖罪」であった。多くのキリスト教の信者はこれを最初に教会で
諭され、過去に自分が犯したと思われた罪悪感の感覚と感情をそこで吐露し、そして
それがキリストによって代わりに罰されたのだから、自分は代わりにその罪責から
開放され、もうその罪悪感情に悩まされることがなくなるというものであった。
これは現実にそのように感じられ、それが真実であると実感させられるだけの効果を
もった現実であったことはそれを体験した誰もが証言していることであったが、ここ
で考えるべきことは、果たしてそれは「キリストの贖罪」という神学的解釈を正当化
可能にできるだけの事実なのかということであった。ここに実はキリスト教徒の
誰もが気が付いていない真実がそこに隠されていた。
130
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 16:53
この現実の事実は、確かに自分の人格の一部を占めていた重要な要素であった「罪悪感」
という現実に関係しており、そうであるが故にこそそれについてもうそこからは
議論不能であると感じるが故に、そこからは神の領域であり、そこからは踏み込んでは
ならないと考えられてきたのではないか?
しかし、それらの現実の感覚の体験というものは、別にそれ自体は「キリストの
贖罪」という秘密めいた教義の正当性を保証するものではおそらくはなかっただろう。
なぜならば、それはあくまでも、
「あなたがそうだと信じた」→「そうしたらあなたは罪悪感から開放され」
→「結果、あなたはそれを得、開放を体験することができた」
という事実以外の何ものでもなかったからである。これはそれに対して何らかの
思弁がいかに付随されようとも、それはあなたが「そうだと信じた」結果の体験で
あり、その付随された思弁の結果ではないからだった。つまり、これはその付随
させられた勝手な思弁の真実性をおそらくは保証しないに違いなかろう。
それは解釈のひとつであり、しかも聖書という文書をそれに対してあくまでも沿う
形でとにかく解釈する結果、それを読解するひとつの方法としてのみ存在することが
許されているひとつの仮設にすぎないのである。
131
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 17:03
ではそれを実験的に説明する方法論を具体的に述べよう。
あなたはたまたまその罪による罪悪感情を擦り付けるべき対象としてキリストではなく、
なんでもよい、仮に仮定した何かの不遇の誰かの死や苦を対象とし、そしてそれが
自分の罪悪感情の吸い取り紙であると仮定したその信仰を持ったとしよう。
そのときに果たしてあなたの体験したその贖罪の御業んまるものは、同様にして
まざまざと起こるのであろうか?
答えはおそらくはYESであろう。人はそのような暗示によって与えられたレトリック
によって自己が抱えてきた罪悪感という名の人格の一部を他の何者かによって吸い取って
もらえることを可能にすることを知ることだろう。つまりあなたの罪悪感の吸い取り紙は
キリストでなくても何でもよかったのではないか?
これはキリスト教に対する重大なアンチテーゼとなりうるのであるが、これについては
まだ誰も経験させられていないかもしれないが故にのみ、この重大な仮説はまだ
立証されてはいない。がしかし、その可能性が示されている以上、アプリオリには
キリストによる贖罪論という神学教義は決して立証されているという結論には至れない
ことを知るに違いあるまい。
つまりあなたの体験した贖罪の御業なるものは、実際にはほかのだれかの死や苦でも
なしえたかもしれない「体験」なのであった。それに対する確定的な議論はまだ行われて
はないのである。
132
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 17:15
さて生理学的効果であると適切に指摘した呪文興による幸福感の読解についてである
が、これも上記したキリスト教への読解と同様であった。
多くのにゃ散れん信者はあくまでもその呪文の効果が「法力」であると信じている。
しかしそれは本当だろうか?
つまりそれは「真実」あるいは「真理」だったのだろうか?
にゃ散れんはあくまでもそうだとしたが、すでに別項にも書いたとおり、それは
こじつけであり、あくまでも天台のチギによる勝手な解釈に基づいた議論であった。
インドの釈迦は決して法華経を説いたわけではなく、「大乗非仏説」が正しい史実
であった。
したがって法華経の内容な基本的に後代の大乗運動の著者ら、そして漢文への翻訳者
らの自由な創作に基づくあらゆる後付けの思弁の産物であったことはもはやほとんど
間違いのない真実であろう。
そうした文脈の中で、法華経のタイトルへの信仰、呪文の効果という意味でのそれへの
崇拝信仰が生まれたのであったが、結局はそれは釈迦、つまり当時目覚めた人と意味で
名づけられた「仏」の説いた説ではないかった法華経がどんどん一人歩きして後付けで
付加的にどんどんと追加されていった教説の中で生まれた教義であった。
133
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 17:25
その中で偶然に生まれたのが、法華経のタイトルへの信仰であった。
おそらくはその端緒は、浄土三部経のひとつ「観無量寿経」の一節である、「なかなか
救われることのないゲホンゲショウ(下品下生)の者にはどうやって教えてやれば
いいでしょうか」「如来は言われた、それには南無阿弥陀仏となえさせよ」「ではゲホン
ではないがゲショウ(中品下生)の者にはなんと教えてやればよいでしょう」「それには
大乗の経典のタイトルを唱えてきかせよ」が元になり、こうして諸大乗経のタイトルには
「力がある」という教説が生まれることとなった。
天台のチギもそうした思弁を受け継いだであろうことは容易に想像されるが、結果法華経の
タイトルには不思議な力がこめられていると主張するに至ったのであり、それを日本では
日蓮が真に受けて信じる「神学」を構築したのであった。
しかし現実にはその生理学的な効果のほどを、天台真言宗の僧侶メンバーの一人であった
日蓮は実験的な唱えの行でなんども確認しつつ体感し、そしてその言を真実であると
信じるに至ったというのが本当のところだっただろう。
134
:
アロエ
:2004/09/20(月) 17:29
割り込み失礼します。
つまり、法華経の成立過程の認識が間違っていたのに、それなりに「穴」埋め効果が
あったということは、「穴」を埋めるものは基本的に何でもいいという証左なわけですね。
135
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 17:31
というわけで生まれた日蓮のナンミョーホーレンゲーキョーはこうして生理学的な
効果があるゆえに広まった。
それは病気を治し、元気を生み、人々にあかるい希望を与える源であると感じさせる
呪文となったからである。
「女房と避け酌み交わし、ナンミョーホーレンゲケヨウ」
これなどはそうしたおよそ宗教とは無関係のような「元気の出るジュモン」としての
馬鹿でもできるパソコン、みたいな位置付けで日本の隅々まで広まった所以であった
といえたわけであった。それは誰にでもでき、また法華経の意味内容などともほとんど
無関係に存在する効果を発揮したからである。その意味とはなだったのだろうか?
136
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 17:48
>>134
まそういうことですね。つまりは宗教が争うのはやめて、それを科学的に分析しろ
ということです。
-----
>さて生理学的効果であると適切に指摘した呪文興による幸福感の読解についてである
これがその答えだった。「ナンミョーホーレンゲーキョー」なる呪文が効果を持った
ゆえんは、それがヨーガのマントラが持つ効果と同様であった。
この新しいマントラは音韻の並びがうまいぐあいにできており、その音韻の並びが
もらたらした効果が内分泌腺の新しい刺激効果をもたらしたとは言えただろう。
その秘密は現代にいたるまで解明されることはなかった。しかしまだ解明された
わけではない。だがこういうことは言えるのである。キリスト教に対して語った
のと同様に、
・「ナンミョーホーレンゲーキョー」を唱えることで得られた快感や体感が
法華経の法力によるものであるという証拠はどこにもない
・それが思い込みであるのか、はたまた生理学的効果であることを説明する実験は
まだ行われていないものの、どんな思想を信じていようと「その音韻を唱えれば
得られる体感」というものは、おそらくは「宗教」として保持しうる思想とは
無関係な効果であることは容易に推測可能であること
・現実に同じジュモンを唱える信者同士が簡単に争い合い、しかもその争う「道具」
としてその呪いの効果を持つとされるそのジュモンを用いていることが可能なこと、
それは結局のところそのジュモンが「道具」ではあっても「我々を教える主体」では
ありえないことをほとんど証明していること
これらの現実によって我々は、こうしたジュモンがもともと宗教の名で語られてはならない
種類のものであったことを知るのではないだろうか?
あえて言うなら、それはせいぜいヨーガの方法論としてであり、マントラとしての
瞑想の道具としてであり、それが一宗教を構成するための崇拝の対象にはなりえなかった
ことを物語っているように考えられるのである。
137
:
アロエ
:2004/09/20(月) 17:54
なんだかだが・・・さん、ありがとうございます。
面白い話なのですが、管理人さんのお願いを聞いてくださいね。
138
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 18:08
さて、しかしナンミョーホーレンゲーキョーの信者の多くには、こうした思弁だけ
では納得がいかない向きもあろう。
なぜなら彼らの多くはナンミョーホーレンゲーキョーによる「不思議な体験」という
ものもまた体験したり経験したりしているからである。
たとえば、それは単に自分が唱えて自分が元気になったというけでなく、祈ったら
他人の病気も治ったり、うまいぐあいに経済的な援助があって救われたりといった
めぐりあわせという部類での奇跡とか福運といったものに対する解釈がまだであった
からである。
これらはこのジュモンがそれらだけでなく、ジュモンとしての戦争の道具として使われ
ていることも関係があったのだが、それらの対外部的な効果としての現れをどう説明
するのかという点であった。しかしこれらはすべて同じ力であるだろう。
ヨーガはしばしば超感覚的知覚、あるいは念力といった超自然現象とも関係して語られ
てきたとおり、我々の潜在能力としての超感覚的知覚や念力とった能力は実は本当に
存在していて、それへの関係においてこうしたマントラ行によってそれらが開発されて
いくということはありうるということであっただろうと考えられるのであった。
139
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 18:09
>>137
わかりました。ではまたですね。
ではでは。
140
:
アロエ
:2004/09/21(火) 19:46
>現実に同じジュモンを唱える信者同士が簡単に争い合い、しかもその争う「道具」
>としてその呪いの効果を持つとされるそのジュモンを用いていることが可能なこと、
>それは結局のところそのジュモンが「道具」ではあっても「我々を教える主体」では
>ありえないことをほとんど証明していること
昔、「題目を唱えるだけで人格が磨かれるのかどうか?」という議論をみなでした覚えがあります。
その時は結局、鶏と卵の議論に終わりました。
「人格を磨くには学会活動だ」なんて言うのでしょうが、
学会活動に無縁な人の方が人格者だったりするんですよねぇ。
141
:
地下五階のイヒカ
:2004/09/21(火) 22:37
若実若不実は同志間だけに適用されるものではないって事なんですがね
って、っこじゃあスレ違いだよう。
ラビットさん、ごめんね m(_ _;)m ゴメン!!
142
:
ラビット
:2004/09/22(水) 12:00
ヒイカさん、
地下五階とは変わっていますね。私も静けさを求めて地下深くで瞑想したいなどと
思ったことがあります。キリスト教では「汝の隣人を愛せよ」がメインテーマとはいえ
人間関係、特に宗教的近隣騒音などがあると煩わしくなりますからね。
S価学会の人は集団力に頼るのではなくもっと個人の、自分の力を信じて戦うといいの
ですがね。指示や命令に従い過ぎますよ。
143
:
ラビット
:2004/09/22(水) 12:06
イヒカさんでしたね。昔旭化成のCMに近いのがありましたっけ。
144
:
地下五階のイヒカ
:2004/09/22(水) 17:37
こんにちは、地下五階のイヒカことイタルと申します
地下五階って、ここの板の地下五階なんですよ。
そこにはイヒカの意味も載ってます。宜しければご来店ください(謎)
独り言にも載せましたが、今の宗教団体はどこも「隣人(他宗教・他派)を愛せよ」なんて言う
組織は存在していないと思っています。(みんな目には目を歯には歯になってますね)
私は学会所属では有りますが、努力をいたしております。(曖昧表現ですな(^▽^;) )
集団力・・・・・しょせん組織に所属しているって事はそう言った事になるのではないでしょうか。
本当に、個と個を尊重した世界って言うのは難しいのですね。努力をしていきたいと思います。
それでは、井戸の底に戻ります。<m(__)m>
145
:
ラビット
:2004/10/18(月) 23:00
下記のURLの先生はキリスト教原理主義に近いですが普通の教会の牧師さんです。熱心なクリスチャンは
これを追求しているんですよ。仏教をやっている人から見ると奇異に映るでしょうね。
http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/
2001年説教集一覧、5月13日「私たちの希望・キリストの再臨」をご覧ください。
147
:
ラビット
:2004/10/31(日) 06:30
下に面白い視点の投稿がありましたので張り付けておきます。
天皇とキリストの違いですね。
「神の子キリスト」と言う命題を、人々に理解して貰うことは難しいことだった。
http://www.asyura2.com/0411/senkyo6/msg/474.html
投稿者 新世紀人 日時 2004 年 10 月 30 日 22:47:12:uj2zhYZWUUp16
政治は元々は祭りごとでありました。本来的にはそうなのであり、今でも、そうであるはずなのです。それはさておき、
「神の子キリスト」であると言う命題を、人々に理解してもらう事は、大変に難しい事である事を、原始キリスト教の指導者達は痛感していたに違いありません。
イエス・キリストは明らかに人間であり、幻ではありませんでした。生身の人であったのです。
しかし、そのキリストは「神の子」であると自らを規定し、弟子達はそれを信じていました。彼らは、その意味を知っていたのです。
人でありながら、其のままで神の子であることが解っていたのです。
ところが彼らは、自分達の理解だけでそれを済ませておくわけにはゆかなかったのです。
彼らは、その命題を人々に「信じて」貰わなければならなかったのです。
彼らは、乱世において人々を救う事を使命と考えていたので、それの達成のためには、この命題をぜひとも人々に受け入れてもらわなければなりませんでした。
しかし、この命題の理解には、幾つも抽象的思考を重ねてゆかねばならず、一般庶民は生活思考から離れての思考は行えなかったので、その壁を乗り越える事は容易なことではありませんでした。
しかし、何とかしなければならない。
救われるべきは、抽象思考ができる知識人たちだけではないのだ。一般庶民こそが、救われなければならない。
そのように、彼ら指導者達は考えていたでありましょう。
「この命題を信じる事さえ出来ればよい」
「そうすれば、キリストを通じて『神』からの護りをいただける」
そのために、どうすればよいか?
彼らは、その時、「飛躍」を行ったのでしょう。
キリストの母をマリヤその人のままとして、
父は…「神」としたのです。
人が母親の体内から生まれる事は、目にはっきりと見える事実なので歪める事は出来ない。
しかし、父である事は、現在のように証明することは難しかった。
彼らの信仰心と差し迫った使命感が、この飛躍的思考を編み出したのです。
しかし、そのことにより、
生活者大衆の多くに、この命題を受け入れて貰う事が出来て、
人々を救いに導く事が出来たのです。
しかし、その弊害も同時に発生しました。それについては、ここでは省きます。スペースがありませんから。
さて、我が国の天皇について、解り難いのは確かでありましょう。
そうであるからこそ、昔から我が国では、詮索してはこなかったのでしょう。
天皇の方も、キリストや原始キリスト教の指導者たちのような立場には居られないでしょう。
しかし、知ろうとする真剣な思いがあれば、知る事が出来るのではないでしょうか。
「神の子キリスト」の命題を知りえた人たちが少なからず居たように。
148
:
ラビット
:2004/12/13(月) 16:03
このスレッドはちょうど一年前に始めているようです。
それはそうとう近頃Merry Christmas!ではなくHeart in Chrismas
などと言う人が増えているのが少し気になります。それだけ宗教を厳密に考える人が増えたからかなあ。
素直にメリー クリスマスと言って欲しいですね。
クリスマスソングが流れているデパートは明るく本物と言う気がするのですがそれ以外だとなにか
暗い商店街やデパートになるから不思議ですね。それだけ日本でもいい方のクリスマスが定着して
いると言う事ですね。メリー クリスマスのついでにイエス・キリストを信じます、と言うと
キリスト教徒になってしまいますがね。
日本では仏教、神道、キリスト教と、いろいろな文化・文明になっています。このクリスマスの時期の
キリスト教の雰囲気が一年中盛んになって毎週教会に行く人が増えたらいいのですがね。誰がどの宗教を信じよう
がその人の責任ですから尊重してほっておいてあげないといかんのですよ。
149
:
ラビット
:2004/12/15(水) 00:40
クリスマスの時期ですので聖書の中でこれぞキリスト教といった箇所を一つ
載せておきますね。
では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神が私達の
味方であるならば、誰が私達に敵対できますか。私達全てのために、その御子
をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒に全てのものを私達に賜らない
はずがありましょうか。
だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは
神なのです。誰が私達を罪に定める事が出来ましょう。死んだ方、否、むしろ
復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、私たちのために
執り成してくださるのです。
誰が、キリストの愛から私達を引き離す事が出来ましょう。艱難か、苦しみか、
迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。「私達は、あなたのために一日中死に
さらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、これら全てのことにおいて、私達は、私達を愛してくださる方によって
輝かしい勝利を収めています。
私達は確信しています。死も、命も、天使も、支配する者も、現在のものも、
未来のものも、力あるものも、高いところにいる者も、低いところにいる者も、
他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、
私たちを引き離す事はできないのです。
(新約聖書 ローマの信徒への手紙 8:31−39)
150
:
ラビット
:2005/01/08(土) 22:14
下の方はキリスト教との出会いを証しされています。
http://www.ne.jp/asahi/fgbmfi/japan/t2074hara.htm
151
:
ラビット
:2005/01/15(土) 06:22
ここは子育て中の人も多いようなのでシカゴ在住の子育て真っ最中で熱心な
日本人クリスチャン学者家庭のHPをご紹介しますね。ハイレベルで庶民的なのですよね。
http://nakamurafamily.net/diary/diary_current.html
152
:
ラビット
:2005/01/25(火) 10:49
日本で正統派キリスト教はどうして伸びないのか。1%の壁を越えられないのですよね。
集団行動主義の日本人には個人の主体性を重んじるキリスト教は基本的に向かないのですね。
新しくクリスチャンになった分だけ古いクリスチャンが辞めて行っているような状態は
指導者側にも問題がありますが聖書を本気で深読みするとだんだんついて行けなくなるのでしょう。
これを乗り越えて最後まで残る本物のクリスチャンはほんの少数になるようです。
もっと日本人に分かりやすく受け入れられ長続きするキリスト教に出来ないかなあ。
下の方はキリスト教再建主義者と言われている方です。
http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda3/15XhTKUy8Ggp679882.htm
153
:
ラビット
:2005/01/26(水) 07:40:56
日本人に分かり易くしたキリスト教なんていったら怒られるけど、さしずめ
南無十字架基督、南無十字架基督、南無十字架基督、と唱題するようなキリスト教で
しょうかね。
キリスト教はユダヤ人のユダヤ教を発展させたものと言えます。評判の悪いユダヤ人勢力は今
でも世界の中でアメリカを中心に隠然たる勢力を誇っていますよね。日本ではキリスト教と
ユダヤ教を一緒にしてキリスト教を否定する人も多いですね。イエス・キリストはダビデの子孫
ですからユダヤ人の出と言う事になります。イエス・キリストをメシア、救世主と認め、信じる者が
キリスト教徒なのです。今でもユダヤ人でキリストを神の子、メシアと信じていないユダヤ教徒は90%
以上です。ユダヤ人がみんなキリスト教徒になったとき「最後の審判」が来るなんて考えもあるのですよ。
神の御子が地球に降りてきて受肉しイエス・キリストとなり十字架にかかって私やあなたの罪の身代わりに
なってくれた有り難いお方ということです。そのまま死んでしまわれたのではなく復活して天から私達を
見守り必要な助け手である聖霊をもっていつでも導いておられるということです。
154
:
ラビット
:2005/02/17(木) 19:29:43
本当の救いって何でしょうね? 下の先生は理解されていると思いますが
自分がどこまで実体験できるかなんですよね。
メッセージ 2004・7・4 小 石 泉
救いとは何か
--------------------------------------------------------------------------------
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。使徒16:31
クリスチャンは「私は救われました」とか「あなたは救われていますか」という言葉を当然の
ように口にします。しかし、この言葉は一般にはほとんど理解されていません。それどころかクリスチャン
と自称している人でさえ本当に理解しているだろうかと思うことがあります。
一体、キリスト教の救いとは何でしょうか。
一般的には「救われる」という言葉は、困難なこと、危険などから助けられることを言います。しかし、
キリスト教での救いは違います。
1. 何から救われたのでしょうか。
罪と、死と、裁きから救われたのです。
2. その結果どうなったのでしょうか。
罪が許され、永遠の命を与えられ、神の子とされたのです。
私はユダヤ教徒やイスラム教徒に聞いてみたいと思います。
「あなたは救われていますか?」。どんな答えが来るか非常に興味があります。
http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/
155
:
名前はごめんね
:2005/02/24(木) 23:20:33
ここが世にも名高いかける様のホームページです
http://kakerun.ifdef.jp/
156
:
名前はごめんね
:2005/03/20(日) 07:42:21
創価学会員も、キリスト教プロテスタント福音派ファンダメンタリスト(原理主義者)も、その独善性と社会的危険性では同じ。
後者がブッシュを支援し、ブッシュ政権を日本の与党である公明党(創価学会が支持母体)が支持する。
国際社会の平和も揺るがしている。
ブッシュ(キリスト教プロテスタント福音派ファンダメンタリスト)は、イラク攻撃を現代の十字軍などと言っている。
その言葉の背景には利権があることは、イラクでの米国企業の優遇を見れば明らか。
次は、シリアを標的にしているようだが。。。
というか、そもそもいつになったらイラクの「大量破壊兵器」は見つかるのか。
157
:
ラビット
:2005/03/23(水) 10:47:43
ホームページメッセージ 2004・11・28 小 石 泉
http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/
収穫の時までに
神の正しい裁きのときがやってくるのです。私はそのような結末、正しいことが正しいとされ、悪いことが
悪いとされるときがくると判っていなかったら、到底、正常な神経を保っていることが出来ません。
私は神を信じないで、神の正しい裁きを信じないで生きることは至難の業です。神の正しい裁きがあるから
希望が持てるのです。あまりにも当然のことです。
さて、ではお前はどうなんだ、お前は正しいのか。神の審判に前に出ることが出来るのかと聞かれるでしょう。
その答えは決定的にNOです。私は罪人です。私は地獄にふさわしい者です。私には神の審判に耐えられる善
も正義も全くゼロです。だから私はキリスト教を信じているのです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるため
である。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
ヨハネ3:16〜18
私はこの希望によって生きています。「御子を信じるものは救われる」とあるからです。
「御子を信じるものは裁かれない」とあるからです。
158
:
ラビット
:2005/03/27(日) 08:07:05
キリスト教徒にとっては今日はクリスマスより大切なイースターです。
イエス・キリストが十字架につけられてから三日目に復活した日を祝う日です。
http://www.family.gr.jp/easter/reflections/easter-heishi.htm
159
:
ラビット
:2005/04/23(土) 07:11:21
下記は日本の「救世軍の父」といわれる山室軍平の教えです。救世軍は本部が
ロンドンにあるプロテスタントの一教派です。
>伝道とは、愛をひとに行うことです。
いやがる人をつかまえて、無理矢理
自分の信じる宗教を聞かせることではありません。
伝道とは、ひとに親切を行うことです。
世の中のひとが、罪と災いに悩む様子を見て、
いてもたってもいられなくなり、
そのために心配し、そのために力を尽くし、
そのひとを、不幸で悲惨な状態から
助け出すことこそが、
本当の伝道です。
ですから、本当の伝道は、
口や舌でするのではなくて、
身体でするべきものなのです。
それだけではありません。
真実な心を注ぎ込んでこそ、
はじめて本当の伝道ができようというものです。
私たちの集会や講演や説教や訪問や個人伝道が、
多くの場合なんの成果も挙げないのは、
愛が足りないからです。
本当に相手のことを気の毒に思い、
そのために力を尽くすことをしていないから、
骨折り損になる場合が多いのではありませんか。
私たちは、愛に満たされた心に動かされて、
キリストの福音を宣べ伝えたいものです。
山室軍平
山室軍平「キリスト信者の特徴」
『使徒的宗教』大正5年、pp.147-148
※上記の引用は、原文を現代口語文にあらためたものです。>
http://wind.ap.teacup.com/prayer/
160
:
ラビット
:2005/05/21(土) 17:13:06
下記はユダヤ人についてのキリスト教再建主義者の一人冨井氏の見解です。
>>聖書が主張しているのは、「ユダヤ人は神を捨てたので、捨てられた。」ということです。
イエスが、このことをマタイ24章において主張された。
ユダヤ人は、悔い改めず、イエスを十字架につけ、最後のチャンスを自ら捨てた。
そのため、ユダヤは滅亡した。
最後にマサダの要塞において、玉砕するまで彼らの問題意識は、倫理ではなく、政治にあった。
ユダヤ人は、自分たちがローマに支配されているのは力が弱いからだと考えた。
だから武力闘争に解決を見出した。
しかし、イエスは、「右の頬をぶたれたら左の頬を向けよ」といわれた。
抵抗運動をするのではなく、自分たちが屈辱的な目に遭っている原因が、「律法違反」にあったということを見とめて、進んで征服者に服従しなさい、と教えられた。
しかし、高ぶった彼らは、イエスの教えを拒否し、イエスを政治的なメシアと誤解して期待し、イエスが期待通りに動かないことを知るや一転して十字架につけろと騒ぎたてた。
今のイスラエル政府は、マサダの人々を英雄とあがめている。
これこそがイスラエル政府の本質だ。
つまり、2000年たってもまだ本質が見えていない。
今のイスラエル政府の「政治的解決」、ユダヤ人の「政治的・経済的世界征服」の野望は、みな聖書の解決法を否定したところに原因がある。
ユダヤ人が回復するために残された唯一の道は、「柔和な者は幸いである。地を相続するから。」とのイエス・キリストの御言葉である。
パレスチナ人への虐待によって、政治的闘争によって、武力によって、イスラエル国を作るという野望は必ず失敗する。
しかし、それでは、イスラエルの領土回復、イスラエルの民族的回復がすべて間違いか?というとそうではない。
なぜならば、神はイスラエルを選民としてまだ残しておられるから。
パウロが回復を祈ったように、イスラエルは霊的に、そして、肉体的にも、民族的にも回復する。
もしこれが事実でなければ、イエス・キリストの「すべての国民を弟子とせよ」との命令は、ユダヤ人だけには適用できないということになるのだ。
日本人がクリスチャンの国民になるのを目指すのと同様に、ユダヤ人もクリスチャンの国民になるように祈って働くべきではないか?
民族的回復には領土が不可欠である。日本人には日本列島という領土がある。
じゃあ、ユダヤ人には必要ないとでも言うのか???
シオニズム批判の決定的な欠陥は、「ユダヤ人を迫害されたさすらいの放浪者に永遠になれ」と実質的に命令することにある。
この点について反シオニスト、置換神学者は反論してほしい。>>
162
:
ラビット
:2005/06/26(日) 23:08:51
キリスト教の神学は完成されているわけではありません。いろんな人が研究中と言っていいのではないでしょうか。
私のような者も研究者の一人というわけです。(W)
>>聖徒たちは、天に永遠にわたって住むのではありません。この地球が新しくされて、新しくされた地球が救われた
義人たちの永遠の住まいとなります。>>
http://www.nax.ne.jp/~cat/goodnews/love/b25.html
163
:
ラビット
:2005/09/09(金) 15:38:37
お久しぶりです。いよいよあさって9月11日(日)総選挙投票日ですね。
何を信じどこへ投票しようと自由なはずですがこれが近頃おびやかされている
のですよね。大きな組織に入っているといろいろな考えの人がいて当然です
のに同じ候補者に集約されて事実上、上の命令に従って投票するのですよね。
これが思考停止の原因であり、息苦しい奴隷社会の原因なのですよ。
多くの人に自分の考えを伝えるにはインターネットとか新聞とか本とかありますが
なんと言っても最大のものはTVでしょう。選挙はTVの上手な使い方で
決まるようです。年々TVの公明党・創価学会の露出度増えてきているのを感じます。
それだけこの組織の日本社会への進出、浸透が進んでいる事を示しています。
他宗教の者や考えの違う他党の支持者はなんとも言えない恐怖を感じております。
このまま自公に投票して行きますと恐怖の言論弾圧、暗黒社会が待っている事は火
を見るより明らかです。今止めなければ絶対後悔します。一人でも多くの人にこの
恐ろしさを知らせたいのです。コンピューターの発展が独裁者による恐怖の一元化
社会を造り易くしているのですね。人間にとって一番大事なのは一人一人の考え、
心の自由なのですよね。
164
:
MILD SEVEN
◆mGe7cnwGY6
:2005/09/16(金) 00:57:01
メールありがとう。
返事しときましたよ。
165
:
ラビット
:2005/09/22(木) 15:37:27
私の近くに何人もいるのですよ。何があってもすぐナンミョウホウレンゲキョウ、良くても悪くてもナンミョウホウレンゲキョウ、
不幸になろうが幸せになろうがナンミョウホウレンゲキョウ、生きようが死のうがナンミョウホウレンゲキョウ、
もう超越して人間じゃあないですね。お陰でこっちは眠れずノイローゼです。うまく対処しないと本当に廃人にされてしまいます。
人間には休みが必要です。間が必要です。心の自由が必要です。考える自由が必要です。嫌なものと関係を断てる時間が必要なのです。
166
:
ラビット
:2006/01/17(火) 18:37:30
お久しぶりです。下の説教をされている方は40歳の若い救世軍士官学校の教官です。
『三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも、その弟子達も婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、
母はイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
イエスは母に言った。「婦人よ、私とどんなかかわりがあるのです。私の時は
まだ来ていません。」しかし、母は召使い達に、「この人が何か言い付けたら、
その通りにしてください。」と言った。
そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも
二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい。」
と言われると、召使い達は、かめの縁まで水を満たした。
イエスは、「さあ、それを汲んで宴会の世話役のところへ持って行きなさい。」と言われた。
召使い達は運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒が
どこから来たのか、水を汲んだ召使い達は知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿
を呼んで、言った。
「誰でも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわった頃に劣ったものを出すものですが、
あなたは良いぶどう酒を今までとって置かれました。」イエスは、この最初のしるしを
ガリラやのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子達はイエスを信じた。』
(新約聖書 ヨハネによる福音書2・1−11)
./podcast/Sermon20060115.mp3
167
:
ラビット
:2006/01/19(木) 07:34:36
下記のアクセスが出来ないようです。近頃言論の自由がこういう形
でも進んでいるのを強く感じます。組織的に専門家が目を光らせているのでしょう。
./podcast/Sermon20060115.mp3
168
:
ラビット
:2006/01/19(木) 07:48:35
こちらから入り「少佐の日記」を開けて見てください。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/2431/
169
:
ラビット
:2006/02/06(月) 00:01:32
キリスト教にしても創価学会にしても他の宗教にしても、誰かが仲介というか
手引きをしてくれないとなかなか入れないものですよね。小さなきっかけもあれば
熱烈な体験をさせられる事もあるでしょう。私自身はキリスト教が一番いいと思い
できるだけ多くの人に信じてもらいたいわけです。キリスト教のやり方はやはり
教会に行って実際に牧師や教会員と交わっていく事からでしょう。新しい求道者を
温かく迎い入れてくれる教会、キリスト教のやり方を分かりやすく教えてくれる教会
を増やさないとキリスト教は日本では伸びないですよね。これだけ悩みの多い時代、
各人のニーズに真面目に応えられないとだめなんですよね。
http://www.hyuki.com/four/laws.html
170
:
ラビット
:2006/02/10(金) 16:43:16
こんな人もいるのですね。創価学会の理事と幸福の科学の理事長を
やった人だそうです。私はキリスト教の中でいろいろな宗派を渡り
歩いた者です。本当のものを求める求道心が人一倍強いのでしょうね。
http://asyura2.com/0505/cult2/msg/639.html
171
:
ラビット
:2006/07/10(月) 18:13:03
人助けになるいいサイトがあればこれからも紹介したいともいます。
キリスト教系のサイトでも怖いサイトがありますがあまり神経質に
ならなくてもいいと思います。
>>12
のステップとは?
EAの12のステップは、私たちが回復し、心の落ち着きを持てるようになってゆくための、
生き方のプログラムとも言えるものです。
私たちの持つ問題、たとえば対人恐怖や不眠、不安など。 これらの問題から回復して
ゆくための最初のステップは、問題の根底にある自分の感情に対して、 私たちは全く無力だと
認めることです。私たちが、自分の感情に対して無力であると認めることによって、
回復に向かってゆく希望がつかめるのです。
ミーティングでの仲間との正直なわかちあいを通じて共感し、自分だけでは
ないということに気づき、 未解決の問題とも仲良くやって行くことを学んでゆきます。
自分を超えた大きな力(=ハイヤーパワー)を通じて自分の自己中心性を知り、
自分のエゴを手放してまわりの人々と仲良くやって行くことを身につけてゆきます。
この自分を超えた大きな力(ハイヤーパワー)という考えに違和感をおぼえる人もいるでしょう。
また、何が自分を超えた大きな力であるか、わからないという人もいるでしょう。 ですが、この疑問に
この場で答えることはできません。ハイヤーパワーとは、 ひとりひとりが自分で選び取るものなのです。>>
http://homepage1.nifty.com/ea_japan/12step.html
172
:
ラビット
:2007/04/03(火) 22:59:32
お久しぶりです。今年も桜の季節がやって来ましたね。残された生涯を悔いなく
幸せに過ごしたいと思います。
下記はmy mixiに載っていたものです。
>>●「‥‥キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 」(Ⅰペテロ2:21〜24)。
私がまだ20代の若い頃、灯台で働いていたのですが、あるクリスチャンとの不思議な出会いがあり、聖書を手にして読み始めた時に、最初に非常に驚いたことが二つあったのです。そして、その一つは、「すべてのものは、この方(キリスト)によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:3)という箇所であり、もう一つは、「キリストは罪を犯したことがない」と書かれてあるところでした。
私は、その時まではキリストは、キリスト教の教祖(開祖)くらいにしか考えていなかったのですが、そのキリストが万物の創造者であると知って仰天してしまいました。広大な宇宙にある無数の星の一つ一つも、地球上の山や川、湖などの美しい自然、動植物、そして人間をもお造りになられた方であると知って本当に驚きました。自分が考えていたキリストとはあまりにもかけ離れていたので、最初はなかなか信じることができなかったのです。
それから、人間は、毎日人を憎んだり、ウソをついたり、高慢になったり、他人をさばいたり、中傷したり、悪口を言ったり、心の中に汚れた思いを持ったりして罪を犯しますが、「世の中に罪を犯したことがない人間などいるのだろうか?」という疑問を持ったのです。それで、聖書を徹底的に調べてみても、イエス様に罪を見つけることができませんでした。キリストの的も味方も敵も、キリストには罪がないと証言しているのです。これは非常に驚いたことです。イエス様を裏切ったユダも、キリストを裁いた裁判官であった総督ピラトも、キリストには「罪がない」ことを告白しているのです。
そして、聖書を何度も何度も繰り返し読み進むうちに、確かにイエスは神の御子であり、この方こそ、私たちの罪のために十字架に架かって身代わりに死なれた人類の救い主であると信じることが出来たのです。その時から、もう40数年が過ぎましたが、今もその確信は少しも揺らいでいません。聖書は読めば読むほど、イエス・キリストのすばらしさ、偉大さを知らしめてくれる書物なのです。
西洋のある国の話ですが、あるキリストの集会が行われていた建物の正面に、「Christ is the answer」と書かれてあったそうです。人生にはいろいろな問題があります。病気もあれば、試練もあります。死の不安と恐怖もあります。対人関係の悩みもあれば、家庭内の問題もあります。一つ一つの問題は異なっており、類似しているものもあるでしょう。そして、この世の中には、いろいろな人が住んでいて、いろいろな問題があります。しかし、人生のあらゆる問題の解決の鍵とその答えは、キリストにあるのです。
しかし、その意味は、決して、キリストを信じれば何も悩みがなくなるとか、病気にならないとか、金持ちになるとかのご利益宗教のようなものではありません。でも、病気などの試練に会っても、その中にあっても喜んで生きる力が与えられます。人類の諸問題の根本的な解決は、罪と死の解決なくしてあり得ないのですが、イエス・キリストは、その根本的な問題の解決のためにこの世に来て下さいました。旧約聖書は、その救い主の預言であり、新約聖書にはそれが成就したことが書いてあります。
冒頭の聖句は、この世の中でクリスチャンは生きて行く中で、例えば、職場などでも、いろいろな不当な苦しみを受けたり、不条理なこともあるけれども、それに対してどのように対処すればよいのかという問いに、ペテロはイエス・キリストの模範を示したのです。しかし、キリストの模範に従う前に、まず、キリストを救い主として受け入れなければならないのです。クリスチャンになろうとする多くの方が、この順序を間違えて、・・・・・>>
173
:
ぱるぱる
:2007/04/04(水) 08:44:23
>>172
ラビットさん、何度同じことを注意されてもわかりませんか?
そういう貼り付けは、この板にとって本当に迷惑です。
もしかして何らかの理由でラビットさんはこちらかのアクセス禁止を
待ってらっしゃるのでしょうか?
174
:
ラビット
:2007/04/04(水) 09:43:02
ごめんなさーい。今後気をつけます。自分で考え、自分の言葉で書いたものだけにします。
175
:
Love
◆gxloveUhfc
:2007/04/12(木) 14:25:31
>>174
ラビットさん、あやまるのであれば、「ごめんなさい」でいいのではないでしょうか?
なんだか神経を逆なでされている感じです
とりあえず警告1ということで。。。
次同じことがあったらバリバリさん認定とさせていただきますね
176
:
ラビット
:2007/04/20(金) 20:22:18
管理人のLOVEさん、どうも失礼しました。
多くの人が宗教カルトに騙され苦しんでいます。はじめのうちはいいのですがだんだんそこの型に嵌って、本人も気づかなくなっているのかもしれません。私は普通のキリスト教徒ですがどこかの教会に属している限りバランスを欠いてどこか傲慢になるようです。気をつけたいと思います。
私が一番創価学会が問題だと思うのは政教分離が成されていない事です。日本がイスラム圏の国のようになって欲しくないのです。近頃司法、警察関係にも学会員が多くいて命令系統が二つに分裂して来ているのを感じます。地方自冶体や大会社でもそうなって来つつあるとしたら恐ろしいことです。末端の善良な学会員も使える内はいいのですが、結局使い捨てにされて行くのではないでしょうか。私は基本的に宗教はどこであれ固い組織を持ってはならないと思っています。ですから一人でも多く勇気を持って脱会されることを望みますし、新らしく入会する事に反対します。自公政権の恐ろしいまやかしに気づいて欲しいのです。
177
:
コロリン
:2007/04/30(月) 21:38:41
スレ主のラビットさん、はじめまして、コロリンと申します。
気になる個所が何点かありましたので、書き込みさせていただきます。
①>日本がイスラム圏の国のようになって欲しくないのです。ご心配なさらなくても大丈夫です。わたしたちの師匠の師匠である。
創価学会第二代会長の戸田城聖先生は、世界で一番先に、原水爆禁止宣言を訴えた方であります。戸田先生の遺志を、弟子である。池田先生にしっかりと受け継がれております。
②わたしの友人は学会員という理由で警視庁採用試験を20回も落とされております。
③遺志の強い人間は協会に属しようが、組織に属しようが、傲慢になることは決してありません。
創価学会はイスラム圏のテロ組織に荷担するようなことは、決してありません。もし自衛隊がアメリカに協力して復興支援、人道支援、以外の戦いの最前戦で戦うことになったならば、自民党と決別することは間違いありません。また先生を支持してくださっている世界中の大学や人道団体がだまっているはずがないのです。学会はそこまで馬鹿ではありません。ラビットさんは飛躍しすぎというか、思い込みが激し過ぎると思います。おかしな週刊誌に洗脳されていると思いますよ。
178
:
犬作
:2007/04/30(月) 22:30:39
>>177
コロリンさん、はじめまして。
>②わたしの友人は学会員という理由で警視庁採用試験を20回も落とされております。
それは違うと思うよ。
だって、創価学会員のお巡りさんは現に居るし、かなり難しい試験だからではないでしょうか?
あと、傲慢な幹部や学会員は、現に居るし、そういう人に出会ってないのは
かなり運がいいかも。
179
:
ブタ作
:2007/04/30(月) 22:49:29
>>177
>②
能力に欠陥が有る奴は、なにも一般人だけに限らないw
創価の馬鹿に多いのは当然でしょうw
お友達も、試験に通る能力そのものに問題があったんでしょうねw
友達は選んだ方が良いかと思うけど、あなたも創禍じゃしょうがないねw
180
:
コロリン
:2007/04/30(月) 22:56:58
犬作さん、はじめまして。
満点なんですけどね〜。警察は地方公務員はだから、おそらく警視庁の場合は採用していないのかな? それとも警察になったあとに学会員になった場合はいいのかな? それともこの10年の間に緩和されてきたのかな〜。
181
:
コロリン
:2007/04/30(月) 22:59:47
>>179
礼儀を知らない方は無視させていただきます。
182
:
ガ〜ン
:2007/05/01(火) 02:09:34
コロリンさん、初めまして。
「戦争ほど残酷なものはない、戦争ほど悲惨なものはない。」これを知らない学会員はいないでしょう。しかし四年前の2月、NHKの討論番組で冬柴鐵三氏は「反戦運動は利敵行為」と嘯きました。そしてイラク戦争開戦時は公明新聞紙上で、「非はイラクにある」「イラクの脅威は深刻」(2003/03/21付・3面)と謳っています。創価学会は自民党と決別する前に公明党と決別するべきではありませんか?
183
:
ガ〜ン
:2007/05/01(火) 02:23:21
なぜ反戦なのか。なぜ生命尊厳を説くのか。それはすべての人間には仏性が具わっているからという確固たる根拠を学会員は知っているでしょう。知っていながらイラク戦争に荷担した公明党を支援し続けている学会員たちは、何者なのでしょうか? このようなことに疑問を持たず、疑問以前に関心すら示さず、威勢の良いスローガンに酔いしれながら盲目的に活動する学会員は少なくありません。私は、イスラム圏の過激派的にはならないにしても、権力者に都合の良いロボットを製造し飼い慣らし続ける創価学会というものに不安を禁じ得ません。
184
:
Love
◆gxloveUhfc
:2007/05/01(火) 11:18:50
>>179
ブタ作さん
はじめましてぺこ <(_ _)>
あなた色の創価管理人Loveと申します
はじめて書き込みなさる方には必ず挨拶をお願いしておりますので、今一度トップの注意書きをよくお読みになってくださいね
185
:
Love
◆gxloveUhfc
:2007/05/01(火) 11:21:04
犬作さん、ガ〜ンさん
お話の途中大変申し訳ありませんが、コロリンさんはひとり言スレッド<<828にて、ワタクシ管理人Loveよりバリバリ認定を受け、バリバリさん限定スレッドでしか書き込みができなくなっていますので、レスはそちらでお願い致します。
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