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福音
136
:
なんだかだが・・・
:2004/09/20(月) 17:48
>>134
まそういうことですね。つまりは宗教が争うのはやめて、それを科学的に分析しろ
ということです。
-----
>さて生理学的効果であると適切に指摘した呪文興による幸福感の読解についてである
これがその答えだった。「ナンミョーホーレンゲーキョー」なる呪文が効果を持った
ゆえんは、それがヨーガのマントラが持つ効果と同様であった。
この新しいマントラは音韻の並びがうまいぐあいにできており、その音韻の並びが
もらたらした効果が内分泌腺の新しい刺激効果をもたらしたとは言えただろう。
その秘密は現代にいたるまで解明されることはなかった。しかしまだ解明された
わけではない。だがこういうことは言えるのである。キリスト教に対して語った
のと同様に、
・「ナンミョーホーレンゲーキョー」を唱えることで得られた快感や体感が
法華経の法力によるものであるという証拠はどこにもない
・それが思い込みであるのか、はたまた生理学的効果であることを説明する実験は
まだ行われていないものの、どんな思想を信じていようと「その音韻を唱えれば
得られる体感」というものは、おそらくは「宗教」として保持しうる思想とは
無関係な効果であることは容易に推測可能であること
・現実に同じジュモンを唱える信者同士が簡単に争い合い、しかもその争う「道具」
としてその呪いの効果を持つとされるそのジュモンを用いていることが可能なこと、
それは結局のところそのジュモンが「道具」ではあっても「我々を教える主体」では
ありえないことをほとんど証明していること
これらの現実によって我々は、こうしたジュモンがもともと宗教の名で語られてはならない
種類のものであったことを知るのではないだろうか?
あえて言うなら、それはせいぜいヨーガの方法論としてであり、マントラとしての
瞑想の道具としてであり、それが一宗教を構成するための崇拝の対象にはなりえなかった
ことを物語っているように考えられるのである。
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