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素朴な疑問

2638パンナコッタ:2005/10/19(水) 19:42:10
コピペしただけなので、他意はありません。薩曇分陀利経ですね。失礼しました。 <(_ _)>

平安期の襲では、色の組み合わせで春夏秋冬様々な呼び方がされたようです。
夏 萌葱+灰色で葵  朽葉+紅で百合
秋 縹+灰色で月草       などなど・・・ 
比喩表現であったとすれば、意外と十二色とは限らないのではないでしょうか。

ただ、割合贅沢な供養品であることは間違いないと思います。

2639犀角独歩:2005/10/19(水) 20:04:00

パンナコッタさん、どうも。

ネットで、12色で検索していたら、以下のようなページがありました。

天皇にも関わることなので、藤川さんが詳しいかも知れません。
関係あったら、みっけものというところでしょうか。

http://www.kariginu.jp/kikata/5-1.htm

2640パンナコッタ:2005/10/20(木) 12:32:54
直接ではないのですが十二いろの参考として『徒然草』 第二百十六段を、

『最明寺入道、鶴岡の社参の次に、足利左馬入道の許へ、先づ使いを遣わして、立ち入られたりけるに、
あるじまうけせられたりける様、一獻にうちあはび、二獻にえび、三獻にかいもちひにてやみぬ。その座には
亭主夫婦、隆辨僧正、あるじ方の人にて坐せられけり。さて「年毎に賜はる足利の染物、心もとなく候」と
申されければ、「用意しさぶらふ」とて、色々のそめ物三十、前にて女房どもに小袖に調ぜさせて、
後につかはされけり。
 その時見たる人の、近くまで侍りしが語り侍りしなり』

鎌倉でそこそこの立場の人たちの間には、色つきの布は流通していたみたいですね。

2641犀角独歩:2005/10/20(木) 15:59:35

2640 名前:パンナコッタさん

これはなかなか、興味深い。
有り難うございます。お気付きの点がありましたら、是非、また、ご紹介ください。

2642パンナコッタ:2005/10/21(金) 19:17:56
独歩さん、
注法華経には、薩曇分陀利経 で引用されていました。
 http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/tyu_syu.htm

法華三昧経はないようですね。

2643犀角独歩:2005/10/21(金) 21:03:24

パンナコッタさん、さすが。
ともかく、「薩曇分陀利」ということですね。

2645独学徒:2005/11/03(木) 22:38:22

お薦めスレッドにて、池田令道師の「富士門流の信仰と化儀」を紹介させていただきましたが、池田師は同著の中で「二箇相承の考察」http://home.att.ne.jp/blue/houmon/ikeda/kegi02.htm#《「二箇相承」の考察》と題して、二箇相承に関する師の持論を展開されています。

池田師は要約すると、西山本門寺の日興筆「宗祖御遷化記録」の「弟子六人事 不次第」と、「二箇相承」は矛盾するとして二箇相承を批判しています。
そして師は、「宗祖御遷化記録」の内容から「六人同格」であることを主張されています。

「二箇相承」の真偽にについては「偽撰」ということで同意しますが、「六人同格」については、今ひとつ疑問が残ります。

「宗祖御遷化記録」には、紙と紙の継ぎ目に本弟子四人の署名・花押(日向・日頂は他行)がありますが、それは以下のようになっています。

日昭・花押  日朗・花押  日興・花押  他行  他行  日持・花押 

(興風談所「日興上人全集」112頁 ※但し御筆写真の同479頁では、『弁闍梨・花押  大闍梨・花押  白蓮闍梨・花押  他行・佐土公  他行・伊与公 蓮華闍梨・花押』となっています。)

もし「六人同格」であるならば、「日興・花押」と「日持・花押」の間に、「他行」を二人分入れずに以下のようにするのが自然だと思われます。

日昭・花押  日朗・花押  日興・花押  日持・花押  他行  他行  

しかし「他行」でその場にいなかった、日向・日頂の分を間に入れ、日持が一番下に署名・花押をなしたのは、年齢や入門順もさることながら、そこには厳格な格付けがあったような感じを受けます。

そのような意味で私は、「六人同格」は今一つすっきりしないと感じます。

2647ラスカル:2005/12/15(木) 08:49:34
犀角独歩さん、308を読むと、聖人手本の鎌倉時代と平和憲法後の折伏化導の仕方は変わるのでしょうか。変わらなければならないのでしょうか。教義と漫陀羅授与を修学した僧を見本として、在家は自他共に唱題をし力あれば一句であっても語り他者を折伏すると同時に自分を折伏して自分の心の師となって仏国土をつくりあげる。漫陀羅‐法華経行者‐皆成仏道のあり方をどのように見ますか。

2648犀角独歩:2005/12/15(木) 09:30:01

ラスカルさん

308とは、このスレの2002/08/19のわたしの投稿のことでしょうか。
旧いところからお読みいただき恐縮です。

当然、時代によって、全く異なると思います。もっと言えば、異ならざるを得ないでしょう。

なお、わたしは「折伏」という点については、今成師説を採り、種々述べてきました。ご参考にしていただければと思います。

> 漫陀羅

漫荼羅については、他スレで述べてきたとおりです。

> 法華経行者

涅槃経を離れ、純一法華に拠ること、また、法華のなかで差別に抵触する部分は排除すること、神話を排除すること、そして、残る法華精神には拠るのは可という立場です。

ただし、「行者」という点は重要で、これは加持祈祷を為す密教的な意味合いを持つものでしょう。この点は在家のあずかり知らない点です。

> 皆成仏道

四弘誓願に通じる点で、皆、ブッダの教えに基づき、ブッダを仰ぐ日蓮に続くという点では異論はありません。

ただ、仏教でも、仏法でもなく、仏道というとき、ここに道教の影響が見え隠れもし、日蓮というより道元的な着想とも感じます。細かい点ですが。

わたしがここで投稿をし続けるのも、いわば、皆成仏道を考えてのことです。

2649ラスカル:2005/12/15(木) 12:47:52
ざぁーと急ぎ目を通してるだけで全項読んでるわけではありません。■純一法華とは注法華経をみれば少しは解析できるのでしょうか。それとも、曼陀羅正意に垣間見えるでしょうか。■密教の関わりには否定的(受持者守護のみ)で布教でわかりやすく弘めるため唱題成仏に特化していくのが日蓮仏法の真意だと考えたいからです。諫暁と広宣流布からなのか雨乞いの祈祷や戒壇堂(東大寺、延暦寺に対して本門寺を建てる)の事で加持祈祷の事を考えているのでしょうか。■日厳尼御前御返事・叶ひ叶はぬは御信心により候うべし全く日蓮のとがにあらず(加持祈祷や仏像主義、真言や華厳に陥らない)、妙法曼陀羅供養事・成仏得道の導師なり(教法本尊)など末法・無戒の世で法華第一を宣揚する基軸(私は妙の字よりも蓮の字の説得力を先に考えたいと思っています。)があったと思います。こういう思いは素人さんのサイトで『本尊(曼陀羅)は文字でなくてはならなかった』の言で仏像では教義を自分で考えなくなるのではと思いました。師弟相承があれば大丈夫と言う事でも無いのでは。と断じます。何か「断じます」では偉そうでしょうか。

2650ラスカル:2005/12/23(金) 17:15:32
私みたいのが書くと混乱に落としかねないのですが見てるだけでストレス溜まりますから素朴な疑問に書きます。■やっぱり私には漫陀羅正意しかないわけです(問題提起)■聖徳太子◆薬師寺◆伝教大師(聖徳太子の理想を引き継ぐと誓ったとか)◆台密(あらゆる生命が仏に成る)其他◆日蓮聖人(振舞表現or成句表現)■漫陀羅は法華経や天台密教を鑑みて表現された(晩年に空海の書を所望したとか)■戒壇堂は僧己心の授戒の場で漫陀羅を授与する所ではないから後回しなのでしょうか。信心の継承があれば建物は問題では無いのか。広宣(漫陀羅という修行方法を造り出して広め宣揚する事か)流布完成の時を待つべきなのか。■山折哲雄氏、渡邊寶陽氏が対談・宗教再考・第2回・日蓮の思想と社会性・上 で、由比ヶ浜で斬首されるべきは日蓮を殺そうとした者ではないか云々。に対して、三証で明らかになる事を示しなさい。という意味で言われた言葉である事を認識しなければならない云々をどのように読みますか。(弱冠文意が違うかも)

2651長安:2006/01/02(月) 13:51:01
ちょっと教えてください。

奉安堂には樒が飾られていないそうですが、戒壇の大御本尊には、
毎日のお水も献上されてないのでしょうか。あと、お供え物とかはどうですか?
元旦には鏡餅などがご供養されますが、そういった品々も供えられないのでしょうか?
よろしくお願いします。

2652藤川一郎:2006/01/04(水) 13:39:14
>>2651
結論のみにて、失礼します。
全て、貴見のとおりです。
奉安堂は、御内拝(御開扉)の時のみ、お開けするものです。
当然、毎日のお水などはあり得ません。

なお、客殿遙拝所にある経机の樒等が、戒壇の御本尊への御給仕となります。
以上。

2653長安:2006/01/05(木) 12:17:47
藤川一郎様
さっそくのお返事ありがとうございます。
たいへんよくわかりました。

2654問答迷人:2006/02/22(水) 16:59:03

昨年12月に日蓮正宗第68世日如上人御座替り式が執り行われましたが、66世日達上人が67世日顕上人に渡さなかったとのことで問題になっていた相承箱は、今、どうなっているのでしょうか。どなたかご存知の方がおられましたらお教えください。

2655れん:2006/02/24(金) 19:24:50
>2654 問答名人さん私は部外者ですから、勿論石山の“相承箱”について、全く存じあげませんから参考にはなりませんが、巷間に囁かれる如く、その中身が両巻血脈やそれに付随する相伝書ならば、堀日亨師が本因妙抄講義において「石山ニ於テモ、古イ時代ノ先師方々ハ此ノ両抄を余リ大切ニナサラナカッタラシイ」(杉谷師筆録)と述べられているように石山固有のものではなかったようなので、相承箱なるものは、後の時代に石山の“相伝”の象徴的な道具としての意味で作られたものではないでしょうか?ですから、万一相承箱が前法主から後継法主への直接授受が成立しなくとも、それが石山の言う“相承”の断絶を意味する訳ではなく、従って相承箱のありかをあれこれ気にすることはないと個人的に思います。個人的には石山の比較的古い相伝文献と思われる本尊点画伝(典拠・日蓮宗宗学章ショ目録)、四帖見聞(典拠・日有師談聞書拾遺)、妙法蓮華経色心実相境智根源口決(典拠・妙観文庫目録・完則宝蔵目録)本尊秘伝(以前この掲示板で話題になってましたね)、日目直授相承(典拠・興風叢書〔4〕63ページ)、鏡像円融御本尊口決(典拠・興風叢書〔4〕150ページ)、そして顕師の言う十二箇条(典拠・家中抄道師伝)あたりが伝承されていれば良しとすればよろしいかと思います(もっとも、これらの文献は現時点において全容は全く公開されておらず、ゆえに内容・伝来等何一つ学術的な検討・鑑定は経ていないもので、学問的には全くの無価値であり、よって単にこれらの伝承をもって正当性を主張しても、その正当性を学術的に立証することは不可能ですが)。

2656彰往考来(しょうおうこうらい):2006/02/27(月) 14:09:07

>2654 問答迷人さん

私も部外者ですし2655でれんさんがおっしゃるように相承箱など後世のものと考えますので、どこにあろうとあまり興味はないのですが、2006年(平成18年)1月18日付け『創価新報』6面の記事を抜粋して紹介しておきます。(敬称略は原文のママ)
****************************************
検証 12・12 日顕〝偽装相承〟
(前略)
日顕の相承疑惑。その核心の一つが、〝日顕の手元には相承箱がない〟ということだった。
この点に対し日顕は、憂宗護法同盟が著書『法主詐称』で糾弾した直後、「『御相承箱』は、総本山内のしかるべき場所に常時厳護申し上げてある」(平成15年7月22日付院達)、「相承箱は日達上人からお受け申し上げ頂いて、そしてしかも、それから一歩も御宝蔵から、外に出ておりません」(同年8月21日、目通り)と発言している。それが本当であるというなら、今回の〝相承〟に際して、「○○が相承箱を御宝蔵から客殿へ運んだ」という記録をなぜ残せなかったのか。日顕にとっては疑惑を払拭する絶好のチャンスだったのではないか。
さらに、相承箱については、青年僧侶改革同盟の松岡雄茂氏からも昨年、「『御相承箱』の外見を何らかの形で宗門僧侶に示せばよい」「相承箱の写真を撮り、公開するだけでもよい。なぜ阿部には、それができないのか」と糾問された。
これに対し日顕は、「(回答を)明確に拒否する」と完全に逃げてしまった。しかも、この〝遁走〟の回答を出した日が、昨年12月13日。つまり、日顕が早瀬に相承をしたという日の翌日なのだ。相承の場に箱があったのなら、松岡氏の質問に対し逃げる必要などまったくない。堂々と応じて写真でも公開すれば済んだはず。それができなかったのだから、「これにより、日顕が相承箱を所持していないことは、ほぼ確定したと言ってよい」(1月2日付、松岡氏の日顕への公開質問状)と言われるのも当たり前だ。
それにしても、日淳法主から日達法主への相承に関わり、その記録の大切さ、儀式に箱が必要なことを誰よりも感じているはずの早瀬が、いざ自分が当事者になった時には、箱もなければ、満足な記録も残せないというのだから情けない話だ。
(後略)
****************************************
要は、何処にあるかわからないというのが当時者以外の現状でしょう。同日付の『創価新報』6面では日淳法主から日達法主への相承記録を記載した『大日蓮』昭和34年12月号を紹介しています。ここには、「(昭和三十四年十一月)十六日(中略)午前一時五十分 御相承箱を守護しハイヤーにて本山向け出発 先頭車(細井日達新猊下相承箱八木師奉持、落合師)」とあります。日蓮正宗側もせめてこの程度の内容を開示すれば事足りるのではないでしょうか。もっとも仮に記録があったとしても“相承箱”などいくらでも作れる、日達上人から相承したかどうかわからないというような創価学会からの批判は予想されますから、それであれば無視を決め込んだこうがよいという考えなのかもしれません。しかしそれでは今世間を騒がせている堀江メールの真贋論争と同じような低次元の議論と思います。これで信じろというほうが無理です。

2657問答迷人:2006/02/28(火) 09:36:48

れんさん

懇切なご回答、誠に有難う御座います。

相承箱の中身については、66世の達師が語った言葉を伝え聞いています。当時の法華講の三浦教学部長に対して、非公式ですが、次のように語ったそうです。「相承箱と言っても、特別な物が入っているわけではない。堀上人(日亨師)が全て表に出してしまったので、みんなが知っている事ばかりだ。」

まぁ、この達師の言葉によれば、富士宗学要集に収められている程度の内容かと想像しています。れんさんがご指摘の諸文献は未公開のものですから、相承箱には収められていないのではなかろうか、と想像したりしています。

相承箱の受け渡しと相承の受け渡しとは、同じではない、とのご指摘、尤もであると思います。ただ、相承の儀式に、相承箱の受け渡しが行われない、という事は不都合であり、相承そのものに対する疑難の元になっていることは事実なので、日蓮正宗僧俗に取っては、重大関心事で有ると思います。

2658問答迷人:2006/02/28(火) 09:41:51

彰往考来さん

あっ、創価新報ですか。見落としていました。ご提示有難う御座いました。

>要は、何処にあるかわからないというのが当時者以外の現状

了解です。どうやら、ご提示の経過からすると、早瀬新法主の手元に無いことだけは確かなようですね。

2659れん:2006/02/28(火) 20:07:53
問答名人さん、ご教示ありがとうございます。
非公式ながらも、相承箱の中身は堀日亨師が全部出してしまったとの達師の御発言は重みがありますね。
達師の言を踏まえて推察しますと、やはり相承箱の中身は、基本的には富士宗学要集相伝部におさめられた文献なのでしょう、これに付け加えるとすれば、日文字口伝(保田日我師等の写本が宮崎県史や千葉県の歴史に納められています)や日順図と称する形名種脱判摂名字之相承(杉谷師筆録の堀日亨師の本因妙抄講義に具文が公開されてます)が入るでしょうね。ただ、以上の文献の内、本尊三度相伝と同内容の文献は日朗師門流にも伝承され、三時弘経次第・本門弘通事・富士一跡門徒存知事は別としても、両巻血脈以下の諸文献に至っては尊門等にて成立したものが、室町後期から戦国期にかけて他の富士門諸山に伝播・受容されたと見るべきものですので、石山固有のものとは言えないですから、むしろ古来からの石山義の核心は、石山において現在も未公開の先に記した諸文献の方にあるかと思います。
>ただ、相承の儀式に、相承箱の受け渡しが行われないということは不都合であり、相承そのものに対する疑難の元になっていることは事実なので、日蓮正宗僧俗に取っては、重大関心事…
私は部外者ですから、客観的に見てしまいますが、確かに、日蓮正宗僧俗の皆さんにとっては重大な関心事ですよね。お気持ちは理解できます。ただ江戸期の日穏師の記述からは、当時の相承の儀式において相承箱の受け渡しの儀式が行われたとは明確に読み取れないので、部外者の私としては、いつのころから石山において相承箱が相承の儀式に用いられるようになったのかそちらの方が気になったりしてしまいます。

2660犀角独歩:2006/03/01(水) 00:55:23

『弁惑観心抄』を読むと、法体相承の主張があります。要するに、彫刻本尊(戒壇之大御本尊)の相承です。

一閻浮提総与だから、みんなものというのは、学会の論調で、日応はたしかに、この相承を挙げて、この本尊の所有権を相承することを第一義に数えています。

まあ、学会が触れたくないところでしょう。

2661れん:2006/03/01(水) 20:03:40
近代以降の所謂法躰相承といえば、応師が弁惑観心抄に述べるが如く石山法主による彫刻本尊の所有権の継承にあるでしょうね。しかし、石山歴代の著述(一般に正本写真が一部分でも公開されているもの)による限り、精師が家中抄において戒壇院安置の板漫荼羅の存在を言いだし、寛師が一閻浮提総体(総与?だとしても寛師の言うそれはあくまでも末寺僧俗と一般大衆との順逆二縁の結縁・末寺の僧俗の師弟相対・本山法主と末寺の住職との師弟相対の“信心”という前提にたっての総与であって、現在の“異流儀”化した学会の主張の如く“総与”だからみんなのものなどという低俗・低劣なものではないでしょう)・三大秘法総在云々の解釈を付し、応師に至ってその所有権の授受が法躰相承の正体とされるにいたっているように読めます。しかし、少なくとも現在の彫刻そのものは、独歩さんが明らかにされた如く、後世に石山の“誰か”が弘安三年五月九日付けの日禅授与漫荼羅を原本として作成されたもので、これをもって、法躰相承の正体とするのは近代以降の石山ならいざ知らず、上代の文献には見られないので、石山七百年の歴史のなかでも、比較的近代成立の新義ではないかと愚考します。
室町期の石山では九代日有師が「此ノ大石寺ハ高祖ヨリ以来干今仏法ノ付属不切次第シテ候」(聞書拾遺)「釋尊出世ノ本懐タル末法修行ノ寺ニ於テハ未三國立候處ニ此ノ富士大石寺ハ上行所傳ノ題目弘通寺の元ニテ候」(御物語聴聞抄)と述べているので、おそらく特定の漫荼羅の所有権の授受ではなく、そのものずばり上行所傳の題目すなわち「上行菩薩所傳妙法蓮華経五字」(法華取要抄)とそれについての法門口伝の継承の方が、むしろ歴史が古いのではないかと愚考しました。

2662犀角独歩:2006/03/01(水) 20:52:51

れんさん、有り難うございます。

概ね、ご賢察に賛同します。
わたしも彫刻本尊を法体相承という、日応に、実は現世代の彫刻再造の因果関係を読み取れるとしたら、まあ、笑止千万と言うほかありません。

ところで、この御大事箱なんですが、石山では、これはいつ頃から存在していたんでしょうか。

東寺展か何かで、真言のこの手の箱を見た記憶があります。
まあ、そんな物真似の物真似といったところでしょうか。

創価学会論法はいまいちわからないのは、阿部さんにこの箱の相承がなかったから、不相承、では、六巻抄に相承が尽くされているという議論との整合性はどうなるのかという疑問が生じます。まさか、御大事箱に六巻生姜詰まっているわけでしょうか(笑)

だいたい、この箱、そんなに大事だったら、日蓮から日興、日興から日目と創価学会も主張する血脈相承の段階でどう継承されたかを言わなければ何の意味もありません。途中から出来たまがい物の授受をもって、不相承云々をすること自体、わたしはナンセンスだと思うわけです。本因百六箇といった要山の物をもってきたり、日精記述する切紙相承なんかを挙げて、それがそのうち、とりまとめられて、箱に収めて、その箱の授受が相承なんだという論法は、どれほどの意味があるのかという疑問があります。

わたしの記憶では、御大事箱というのは、たしかに近代では授受に意義を持たせたわけですが、本来は、血脈不断の窮余の策として、もし、相承が出来ない場合のために、その内容を納めた副次的な役割のものであったという説明をどこかで読んだ記憶があります。阿部さんの講義であったかもしれません。しかし、こんな言われ方は以前からされていたように思います。また、御大事箱が紛失したとすれば、その中身の内容は、仲居が知悉しており、次代に継ぐというまさに仲介役も、不断の策として講じられているというのが、石山の論法であったと思います。ですから、御大事箱にスポットを絞って、不相承云々をする論調は、まあ、論究が甘いと思えるわけです。

なお、六巻抄に相承がすべて尽くされているなんて言うのは、問題外の論法で、これでは、石山の統括権、彫刻の譲り、さらに漫荼羅書写等の大事が欠落しています。相承については、日寛も触れていますが、別段、六巻抄はそれを指し示すものではなく、結論的に、彫刻本尊が人即法本尊であり、それを所持するのは石山の自分であるというのが論旨です。つまり、その意味に置いて、日応の論法と何ら変わらないわけです。

わたしからすれば、むしろ、れんさんがかつて取り上げられた四帖の内容のほうが、よほど、興味深いですね。

2663犀角独歩:2006/03/02(木) 09:44:58

【2662の訂正】

誤)六巻生姜
正)六巻抄が

2664藤川一郎:2006/03/02(木) 11:02:52
「御大事箱」と言う場合と「御相承箱」と言う場合がありますが、「御大事箱」と言う場合、どちらかと言えば重須談所にかって存在して武田軍に奪取された物を指す場合が多いようです。
いわゆる「武田勝頼の臣重須を襲い二箇相承等を奪う」の時に当然二書だけ奪われたとされるものでは無く、箱ごと奪われたとされております。

石山で言う御相承箱は、もっと後代に口伝相承に付随して作られたもので、石山伝承を信じる側ですら最初からあったとはされておりません。
ですから石山教学中でも箱その物にそれほどの重要を持つ根拠は過去から現代まで無かったと思います。

なお、ここからは余談ですが創価学会が「相承箱を出せば良い」等と言っておりますが、たとえ出しても「後から作成した物」と報道するのは目に見えており、黙殺した方が利口だと思います。
大体、信徒が云々するならまだしも、他宗が相承箱云々などと口出す権利が創価学会にあるのかは疑問ですが?
さらに「相承箱が大宣寺にある」云々についても、当の大宣寺さんが無いと公式発表しているんですから、それを否定するにはよほどの根拠が必要だと思います。しかしほとんどが伝聞風聞でして、ましてや某人がかって書いた手記などを根拠にするに至っては、全く無意味だと思います。

すなわち、相承箱が本山にない根拠など元から希薄ですよね。

2665犀角独歩:2006/03/02(木) 12:43:28

> 2664

概ねこのご意見には賛成します。
抑も「金口嫡々相承」というのは、口で語って伝えるという意味でしょうね。箱を渡す渡さないは副次的な話ですね。

創価学会が相承云々をするのは、阿部さん攻撃の格好の材料だからでしょうが、それ以上に「エレベーターのなかで」とか、「大、次はおまえだ」とかいう、戸田さんから池田さんへの相承?に対して、それこそ、池田さん本人が言い出した話(阿部さんと同じ)であること、かつ、次期会長が、石田次男さんを戸田さんが指名したはずだとか、そんな批判を突っ込まれる前に‘言った者勝ち’みたいな論法である本質から考えると、何故そんなにムキになるのかが、よくわかります。

いずれにしても、細井さんから剥奪された法華講総講頭の地位を再度与えたのは阿部さん、また、七百遠忌慶讃委員長に指名したのも阿部さん。それを受けたのは、当の池田さんであったわけです。もし、池田さんが阿部さんからの指名を拒否し、その段階で「不相承、偽法主」と糾弾していれば、誰も石山に従う学会員はいなかったでしょう。長としての責任はここにあります。

そんな先見の明、見破る眼力が池田さんになかったからこそ、いまの問題になったわけです。C作戦がどうの以前の問題です。

池田さんの‘相承’疑惑から、巧みに目を逸らす格好の材料としての阿部さん不相承騒ぎ、C作戦云々以前の阿部さんを見抜けなかった池田さんの問題、このような視点から視線を逸らすような解説は、端から見ていれば、「どっちもどっち」というほかないことになります。

2666犀角独歩:2006/03/03(金) 08:39:49

わたしは、石山について、有利な意見を言う気など毛頭ありませんが、御大事箱(相承箱)に関する記述の学会側の論法はレトリックがあると思います。

日淳氏から日達氏への相承した記録には「相承箱」があるのに、今回はなかったといった類の話は、説得力がありません。

「十一月十五日午後六時十二分日淳上人の命により、御相承箱を守護して左記の六名大講堂横より出発…十一時十二分、大田区池上町…猊下御留錫宅に当着」(『大日蓮』S34.12)

学会よりの論調では、ここに「相承箱」とあるのに、今回の相承では、その記述がなかった。だから相承箱はないというわけですが、しかし、淳達両氏の相承と、今回の顕如両氏では状況が違うわけです。何が違うかと言えば、上記記述に見られるとおり、淳達の時は大田区池上の留錫先でのことで、今回は石山でのことであった違いです。

前者の例は実に特例で、石山ではなく、留錫先での相承、そのために相承箱が命を受けて運び出されるという当別場自体であったから、その点が記録されたのでしょう。

通常(今回の場合とは言いませんが)相承が石山で行われれば、相承箱はそこにあるわけですから、何もその箱をわざわざ複数の人間に見せたり、触らせたりせず(むしろ、しないほうがよいわけで)箱が必要であれば、その箱のある場所で相承は行われるのではないでしょうか。この場合、一々に「相承箱」を云々する必要は生じないことになります。

過去に、創価学会に離脱僧が出、現在でも石山、また末寺での出来事が逐一、詳細に漏れている事態は、要するに石山内部に創価学会へ情報漏洩をするスパイが存在していることを示唆しています。それが誰であるのかはある程度、見当はついているでしょうが、このような人間が内部で跋扈する状況であれば、相承箱の形貌、存在を報道することは実に危険なことということになります。盗難、もしくは、なかを開けてみられる可能性を孕むからです。

日淳氏から相承を受けた日達氏は、では、その箱をどこに置いていたのか。病院で容態が急変した際、彼は石山に戻ろうとした。日淳氏の場合は、留錫先、相承箱を自分の元に運ばせたのに対して、日達氏は、その相承箱のある場所に戻ろうとしたのだと思います。ある場所とはどこか、私邸でしょうか。戻ろうとしたのは石山でした。となれば、この箱は留まっていたことになります。しかし、その後、とかく噂されるところに拠れば、それは大宣寺にあるとか、□□寺にあるとか言われてきたわけです。

ここで真面目な報道、類推をしようとするのであれば、元来、石山にある相承箱が、どうして、その外にあるのかを説明する義務が生じます。
日達師亡き後、誰かが秘密裡に運び出した…、とすれば、このことは事件性を孕むことです。

学会側の論調では「日顕には相承はなかった」「よって、日顕は相承箱を持っていなかった」「よって、今回は相承箱に触れられない」という三段論法?になっています。しかし、この論法は、その箱が、日達師逝去後、外に運び出されたという前提によっていることになります。この点が証明できなければ、相承箱は日達師の時代からいまに至るまで石山に存在していたことになるのではないでしょうか。

日達師も、日顕氏も、また、いまの日如氏も、みな石山、内事部、その内、大奥での執務でしょうから、箱もまた、そこにあり続けるとするのは、素直な見方でしょう。しかし、そこに箱がないというのであれば、不相承云々以前に、箱が消えたミステリーの謎解きをする義務が「相承箱」疑惑を述べる側にあると、わたしは思います。

是非とも説得力のある説明を聞いてみたいものです。

2667犀角独歩:2006/03/03(金) 08:44:10

【2666の訂正】

誤)淳達の時
正)淳達両氏の時

誤)当別場自体であった
正)特別の事態であった

2668れん:2006/03/04(土) 20:07:32
犀角独歩さん
>創価学会論法…いまいちわからないのは、阿部さんにこの箱の相承がなかったから不相承…では六巻抄に相承が尽くされているという議論との整合性…疑問
私も、ご指摘の学会の論法はいまいち理解できないですね。素人なりに六巻抄を読みましても、富士系他山成立の相伝書を援用して法義を展開して、自山正当を述べていますが、私が先に挙げた未公開の石山歴代の著述は引用されておらず、石山相伝の核心は述べていないなという印象を受けます。三十九世日純師の消息によりますと内容は不明ながら石山の付属には「所謂生の御付属の次第は常途の如く蓮興目の次第是れなり。さて次に死の御付属とは(中略)蓮目興の次第是れなり」(興風紀要第2号168ページ)と二つあるそうですが、いずれにせよ、六巻抄に石山の“相承”が尽くされているとは思えませんね。
>四帖の内容の方が、よほど興味深い…
私もそう思います。四帖は有師聞書によれば時師の著述とされますが、石山でも時師の著述は、“訴状”や近年の研究で時師筆と判明した“三師伝”あとは消息文しか公開されてませんから、私も目師の弟子であった民部日盛師とも師弟関係があったと思われる時師の四帖の内容の方が興味がありますね。
藤川さん
>石山で言う御相承箱はもっと後代に口伝相承に付随して作られたもの…
御説参考になりました、有難うございました。

2669犀角独歩:2006/03/12(日) 13:26:45

藤川さん

もし、ロムされていらっしゃったら、明治3年の「大教宣布の詔」についてレクチャーしていただけませんでしょうか。
よろしくお願い申し上げます。

2670鳳凰:2006/03/13(月) 14:46:13
皆様はじめまして。いつも独歩様、問答名人様の過去スレで、
勉強させて頂いております「鳳凰」と申します。

さて、今回の「ご相承箱」云々の件は、もともと学会側の主張ではなく、
正宗改革派の僧侶メンバーによる問題提起であったと認識しておりました。

勿論、陰には学会が付いている云々との憶測はいくらでもできますが、
情報の発信元全てを学会と断定し、学会の解釈はおかしいとの顛末を多見します。
改革派僧侶の発表をそのまま検証もせずに、用いる学会側にも問題はありますが、
本来の発信元の主張は日蓮正宗自信である事も考えねばならないかと存じます。
中断させてしまってすみませんでした。

2675犀角独歩:2006/03/13(月) 23:04:13

2670 鳳凰さん、はじめまして。

> 正宗改革派の僧侶メンバー

この人々は何宗の僧侶ですか。どこの所属でしょうか。
その実質的な所属が創価学会であれば、創価学会といわれることになりませんでしょうか。

ここでいう実質的な所属というのは、どこから金をもらって食っているのかという意味でもあります。

所属宗派もなく、寺院もなく、頭だけ剃って坊さんだと言われても、コスプレじゃないんだからというほかありませんよね。

まあ、実際のところ、問題提議などという穏便さは感じません。
宗創の顰蹙を買う蹴飛ばし合いと同じようなものでしょう。

今日日、法華経は後世の創作、日蓮の時代は釈迦滅後2000年を経ていない、仰いでいる「本門戒壇の大御本尊」は後世の模造品、自称僧侶が、改革がどうだと言っている場合じゃないだろうというのは、正直な感想です。

2676 鳳凰:2006/03/14(火) 02:10:21
独歩様、丁寧なレスを頂き、大変恐縮でございます。
ある意味、憧れの独歩様からレスを頂戴できた事、大変嬉しく存じます。
独歩様からのご質問にはインラインで回答させていただきます。

>この人々は何宗の僧侶ですか。どこの所属でしょうか。


日蓮正宗改革同盟並に青年僧侶改革同盟の連盟による、
「改革時報」が大元かと存じます。

「改革時報」によれば、「渡辺慈済」氏を筆頭に証言を致しております。

>その実質的な所属が創価学会であれば、創価学会といわれることになりませんでしょうか
一部の僧侶は確かに、学会から供養を受け取って生計を立てておるようですが、
幾分かの僧侶は、自著による印税等で生活をしている旨を伺っております。
伝聞ではありますが、此等の話が事実であれば、あながち学会の責任のみに、
結論付けるのは早計な感がございます。

むしろ問題視したいのは、以前、学会も昭和50年代に、現在の改革僧侶と
同様の発言をした正信会に対して、その主張を排斥したにも関わらず、
現在になって、全面的に正宗攻撃に使用している事にいささかの嫌悪感を感じる次第です。

>コスプレじゃないんだからというほかありませんよね。
現代の正宗寺院の僧侶はコスプレと表現されても仕方がない気がします。
芸者やホステスの肩を抱き、泥酔の体を晒した久野住職、森茂住職、及川住職、
有川住職、船橋住職、保高住職、高野住職、滞道住職等の姿を見るに付け、
「職業」としての僧侶ではなく、「行態」としての僧侶の存在が大事であると
認識しております。「僧とは我等が行者也」(非真筆)と仰せの如く、
三類の敵人をあらわす行者で無ければ、信徒は追従することはできません。
宗祖の嘆きを思うばかりでございます。

>法華経は後世の創作、
大乗非仏説でございますね。私はこれには少々の意見を持っております。
後日、不勉強ではございますが、諸見を述べたいと存じます。
ただ、一言申すのであれば、奪って論ずれば、小乗すら非仏説とも言えますし、
与えて論ずれば、ゴータマは大乗、なかんずく法華経をとかずんば、
出生の本懐である、皆成仏道の法門を表せなかった聖人と位置づけられる事でしょう。
本日は多忙な為、私の見解を述べることはできませんが、間違いや誤解があれば、
ご指摘頂けたら幸甚でございます。

>日蓮の時代は釈迦滅後2000年を経ていない、
中村像法説ですね。私は大衆の機根を重視しておりますので、
万民が末法の初めと意識していたあの時代に、大聖人が現れる必要性があったと
思っております。

>仰いでいる「本門戒壇の大御本尊」は後世の模造品
実は私は創価学会員です。明らかに戒壇本尊は偽者でしょうね。
独歩さまの研究成果は大変勉強になり、私も同調する点が多々ございます。
問答名人様と独歩様のご研鑽により、沢山の人が納得された事でしょう。
慎みながら感謝申し上げます。ただこれにもいささかの私論がございます。
後日まとめてUPしたいかと存じます。ただし、独歩さまの研究成果にケチをつける
内容ではございません。むしろ、どう捉えるべきかに重点を置いた私論でございます。

いずれにせよ、お世辞ではなく、憧れの独歩さまより、丁寧なレスを頂戴した事、
大変嬉しく存じます。深く感謝申し上げます。
私は多忙な為、時折しかレスはできませんが、時間があれば勉強させて頂いております。
これからも宜しくお願いいたします。

2677犀角独歩:2006/03/14(火) 10:27:36

2676 鳳凰さん

ここは、「さん」付けというのが、管理人さんの意志です。
どうぞ、お気軽にどうぞ。
なかなか、骨のある問いかけをいただきまして、嬉しく存じます。

> 一部の僧侶は確かに、学会から供養を受け取って生計
> 幾分かの僧侶は、自著による印税等で生活をしている

何をもって僧侶とするのかは、難しい問題ですね。
ただし、一般的に僧侶というのは、国が認めた宗教法人の、取り分け、仏教教団において、出家、教師資格を有したものをいうのでしょうね。
まあ、よく町中に坊さんの格好をして、お経みたいなことをぶつぶつ言いながら、手に掲げた鉢に金を入れてもらっている連中がいます。あれを僧侶といえるどうか。わたしは個人的には、あんなものを僧侶とは思いません。
では、件の改革同盟といった人々は、一度は、宗教法人日蓮正宗大石寺大石寺で出家得度し、教師となったが(なるまでいなかった人もいるそうですが)、その後、破門になったわけですね。この段階で、僧籍は剥奪されたわけです。さて、この人々を僧侶と呼べるかどうか、という問題です。わたしは個人的には僧侶であると思っていません。これは社会一般の感覚として、僧侶とは認知されないという意味です。

> あながち学会の責任のみに、
> 結論付けるのは早計な感がございます。

そうですね。ただし、情報というのは、それを使用したものも、その責任を負います。
最近で言えば、永田さんという議員がいい例です。
創価学会は公式に、改革同盟の自称僧侶の情報を使用した、それも学会大本営がではなく、一部会員がということになるでしょうか。
ですから、これを直ちに学会というのは、ご指摘のとおり、やや不適切な表現かも知れません。

> 学会も昭和50年代…同様の発言をした正信会…主張を排斥…現在…全面的に正宗攻撃…いささかの嫌悪感

なるほど、ごもっともなお考えであると存じます。

2678犀角独歩:2006/03/14(火) 10:28:02

―2677からつづく―

> コスプレじゃないんだからというほかありませんよね。
> 現代の正宗寺院の僧侶はコスプレ

いえ、わたしは石山の坊さんを言っているわけではありません。上述したとおり、社会通念上、僧侶と見なされないのに、僧侶を自称し、そのような格好をした人々を言っています。

例をインドに採れば、バラモン教の記述には、品格のある当掲示板で記すのははばかれますが、「奴隷の処女を毎日犯せ」といった記述が読んだ記憶があります。涅槃経では、刀杖をもって、不信謗法の人々攻撃することを是とします。日蓮もまた、念仏者の首を刎ねろといったわけです。では、これらの行為をしたものが僧侶かというと、その教えに添った僧侶でしょう。仏教では飲酒は禁戒ですが、当宗では宗祖以来の伝統であり、他宗で言えば般若湯という例もあります。では、これらが僧侶と呼ぶか。また明治以降「肉食妻帯沙汰の限りに非ず」と放逐され、実際に肉を食らい、妻を帯し女犯とする。これを僧侶と呼べるかどうか。部派、初期仏教教団、なにより、一歩、日本を出れば、このような所行の人々を僧侶と認める国は少ないでしょう。しかし、日本では僧侶です。
ただ、それを僧侶として認めるか・否かは個人の判断にあるのでしょう。
わたしは、多くの僧侶の知人がおります。肉食妻帯飲酒喫煙なんでもござれの方々も多い。しかし、反面、そのような破戒?にありながら、世のため、人のために活動し、日々、勤勉な学問をする人も多くいます。後者の姿をもって、わたしは僧侶として尊敬する人もあります。一概には論じられません。

> …住職…

ここに実名を挙げていますが、これがあなたの目的ですか。
あなたが創価学会員であれば、まず学会員として、会の責任を背負うことになります。
他人のことより、自分の所属する団体のほこりを払うほうが先決ではないでしょうか。
当掲示板では、このような行為は馴染みません。他でおやりになったほうがよろしい。
そもそも、当掲示板は、もとより、石山僧侶など問題にしていません。

> 三類の敵人をあらわす行者で無ければ、信徒は追従…宗祖の嘆きを思う

なるほど。では、創価学会はどうでしょうか。いまでは「日顕宗は邪宗、他は他宗」などという口コミが広まっているようですが、このような軟化路線を宗祖は嘆きませんか。

>法華経は後世の創作、
> 大乗非仏説

いえ、違います。教典成立史です。

> 小乗すら非仏説とも言えます

そのとおりですね。
経典の制作は釈迦滅後約100年を経てからのことですから、まさにそのとおりでしょう。
ですから、わたしは大乗非仏説と言っているわけではありません。小乗というのは大乗を自称する側からの一方的な貶称ですね。教典も、仏像も、もっと言えば漫荼羅も、非仏説といえば、そういえるでしょう。

> 法華経をとかずんば、出生の本懐である、皆成仏道の法門を表せなかった聖人

まあ、このような宗教的ドグマは個人的に信仰するのは勝手です。

>日蓮の時代は釈迦滅後2000年を経ていない、
> 中村像法説

中村元師に限ることではありませんでしょうね。これは考古学的な成果ですから。
また、いまは繁く資料を挙げる暇はありませんが、南岳、また、天台、さらに伝教にしても、自分が生きた時代を末法と認識していたというのは、もはや、常識です。

> 万民が末法の初め…大聖人が現れる必要性

このような考え方も信仰に属することですから、個人の範囲では勝手なことでしょう。
わたしのこれらの信仰を否定する意図はありません。ただし、それを人に勧める段階では、それなりの責任を背負う、そして、当掲示板は事実究明を主旨としますから、特定団体の宣伝や、個人信条の押し売りは馴染みません。自己に主張があれば、証拠をもって論じることが気味づけられていると言うことです。
しかし、石山、学会の教義は釈迦50年の説法の最後に説いたのは法華経というご認識に基づいていることは動かし難い事実です。

> …「本門戒壇の大御本尊」は後世の模造品
> …いささかの私論がございます

是非、お聞かせください。
また、私説に関して、立証からのご批正は大歓迎です。


> これからも宜しくお願いいたします。

こちらこそ、よろしくお願いいたします。

2679彰往考来(しょうおうこうらい):2006/03/14(火) 12:50:28

>2676鳳凰さん、横レス失礼。

>日蓮正宗改革同盟並に青年僧侶改革同盟の連盟による、「改革時報」が大元
>幾分かの僧侶は、自著による印税等で生活をしている

日蓮正宗改革同盟?そんな組織ありましたっけ?憂宗護法同盟のことですか?ちなみに憂宗護法同盟などの著書は憂宗護法同盟著『法主詐称』(エバラオフィス)、憂宗護法同盟著『続・法主詐称』(鳳書院)や渡辺慈済著『日蓮正宗“落日の真因”』(第三文明社)などですが、宗門批判を創価学会系と思われる出版社から出されていて、主な購買層は創価学会員でしょう。まして『法主詐称』などの内容は聖教新聞社発行の『創価新報』の記事と重複する部分が多く、同一人物が書いているか、少なくとも『創価新報』のスタッフと憂宗護法同盟が相互補完関係にあると判断されるわけです。それであれば、とても「自著による印税等で生活している」わけではありませんね。言葉は悪いですが日蓮正宗と創価学会の紛争ネタで飯を食っているのと変わらないでしょう。彼らが戒壇本尊の真偽問題などで研究書でも出せば見直すのですけどね。憂宗護法同盟は今でも戒壇本尊がホンモノと信じているのでしょうかねえ。信じるのは勝手ですが今のままでは先細りが見えています。

2680鳳凰:2006/03/14(火) 13:45:44
>ここは、「さん」付けというのが、管理人さんの意志です。
了解致しました。それでは独歩さん、レスありがとうございます。
大変勉強になります。

>よく町中に坊さんの格好をして、お経みたいなことをぶつぶつ言いながら、
>手に掲げた鉢に金を入れてもらっている連中がいます。
不法入国の外国人を托鉢僧に見せ、布施の金額をシノギとしている暴力団も、
多々いるようです。

>その後、破門になったわけですね。この段階で、
>僧籍は剥奪されたわけです。
改革同盟のメンバーには、未だ僧籍剥奪をされてない方もいるようです。
恐らくは改革メンバーとして名乗りを上げれば、活動に支障がでると
考えていらっしゃる方と、名乗りを上げるタイミングを見計らっている方、
改革に興味はあるものの躊躇していると言った方々もいるようです。

確かに独歩さんの言われる通り、「僧の定義」って難しいですよね。
社会通念上から見れば、大聖人も職業僧とは言えなかったのではないでしょうか。

2681藤川一郎:2006/03/14(火) 14:01:55
宗務広報No.1037   H18.3.13 宗務院
創価学会、秋谷栄之助、青木亨らに賠償命令
樽澤道広師への名誉毀損報道を厳しく断罪

 創価学会は、平成16年2月13日付聖教新聞に、会長・秋谷栄之助、理事長・青木亨、副理事長・原田稔、副会長・奥山義朗、青年部長・杉山保、男子部長・弓谷照彦の6名による紙上座談会を掲載しました。
 この座談会は、樽澤道広師が本妙坊檀家の葬儀に際し多額の御供養を強要したとして、同師を「強欲のクソ坊主」「卑しい“商売根性”丸出しのやつ」「法を食らう餓鬼」などと、口汚く罵倒する内容でした。
 しかし、樽澤師が檀家に対して多額の御供養を強要したことなどなく、また実際にも、当時そのような多額の御供養が本妙坊になされた事実もありません。そもそも、同座談会が前提とする葬儀が執行された平成7年当時、樽澤師は本妙坊住職ですらなかったのですから、聖教新聞の報道はまったくお粗末なでっちあげで、まさに悪質な名誉毀損行為であります。
 そこで、樽澤師が原告となり、創価学会並びにこの座談会に登場した6名を相手に、損害賠償等を求めて東京地裁へ提訴しておりました。
 本日の判決で、東京地裁民事第18部・原敏雄裁判長は、これらの聖教新聞報道が事実ではないとしたうえで「被告秋谷らが本件各発言をし、被告創価学会が本件記事を新聞紙上に掲載し同新聞を頒布した行為は、原告に対する名誉毀損として不法行為を構成する」として、創価学会、秋谷栄之助、青木亨ら被告全員に、連帯して80万円の損害賠償金を支払うよう命じる判決を下しました。
 この判決により、聖教新聞による虚偽報道の事実が浮き彫りとなりました。
今後も、同様の悪質な不法行為に対しては、厳正に対処してまいります。
以上

上記のような裁判があったようです。創価学会にとって80万円位は痛くも痒くも無いでしょうが、実名を出しての記載はできるだけ慎重にすべきでしょうね。
これは聖教新聞の例ですが、公共的な掲示板も同様だと思いますね。

2682鳳凰:2006/03/14(火) 14:05:41
>それを使用したものも、その責任を負います。
仰る通りだと思います。また、その内容の真偽も考慮して使用すべきかと存じます。

>石山の坊さんを言っているわけではありません。
>ここに実名を挙げていますが、これがあなたの目的ですか。
言葉が足りずに失礼致しました。正宗法華講に信を取っていらっしゃる方達にも、
大変失礼な文章になってしまいました。深くお詫び申し上げます。
昨晩の文章は、改革同盟の資料を見ながら書いておりまして、
深く考えもせず、短絡的に取り上げられている写真記事の名前を記載してしまいました。

>自分の所属する団体のほこりを払うほうが先決ではないでしょうか。
仰る通りでございます。学会にも職員職にありながら、
酷い私生活を営んでいる輩もおります。また、教学的な矛盾も多々ございます。
少しでも自分が関与している世界では、誰人も自由にのびのびと素晴らしい、
信仰生活や成長を遂げられるよう、ますます尽力・努力して参ります。

>このような軟化路線を宗祖は嘆きませんか。
これは私論です。学会云々の話では無い事を前置きして話をします。
私は当時の時代状況や、民衆の宗教に対する依存度、政治部分での関与等が、
現代とは明らかに異なっていたかと存じます。

これらを考慮した場合、宗祖の布教戦略は必須であったと思うのです。
ただ、現在の時代状況を考慮した時、ただ教条的に他宗を批判するだけでは、
布教も困難になり、むしろ排他的な精神のみが撮りだたされ、
昔の学会宜しく、傲慢な偏狭宗教に陥ってしまうのではないでしょうか。
私個人では、ある意味こういった運動はもっと早くやるべきだっと思っています。

2683鳳凰:2006/03/14(火) 14:13:54
>南岳、また、天台、さらに伝教にしても、自分が生きた時代を末法と認識していた
独歩さん、お手数でなければ、上記の件、ご教示頂く事は可能でしょうか。

>石山、学会の教義は釈迦50年の説法の最後に説いたのは法華経というご認識
仰る通りでございますね。

>彰往考来さん、
レスありがとうございます。

>日蓮正宗改革同盟?そんな組織ありましたっけ?
ごめんなさい。私、勘違いで間違えてしまったかもしれません。
自宅に戻って確認致します。

>『創価新報』の記事と重複する部分が多く、
新報は私の知人が書いてますので、明らかに別人が書いております。
ただ、仰る通り、資料の相互互助はありますね。

>戒壇本尊がホンモノと信じているのでしょうかねえ。
真剣に研究しているメンバーの中には、学会であれ、同盟僧侶であれ、
疑義を唱えてる方々が多々います。私は明らかに後世の偽作であると思います。

>公共的な掲示板も同様だと思いますね。
そうですね。短絡的すぎました。失礼致しました。

2684管理者:2006/03/14(火) 14:22:36

鳳凰さん 

お伺いいたします。

当掲示板の書き込みルールでは、個人情報については、「一、紙名、年月日を明記した上で、個人情報が含まれる新聞記事を転載すること。」は禁止事項には該当しませんが、2676レスでは、「改革時報」と有るのみで、号数が特定されていません。又、個人名の記載がありますが、これは記事からの転載なのでしょうか、それとも写真から個人名を特定されたのでしょうか。

2685藤川一郎:2006/03/14(火) 14:38:25
彰往考来さん

横レスですが組織の是非はともかく「日蓮正宗改革同盟」と言う組織は存在します。もちろん日蓮正宗宗門とは無関係ですが。
機関誌は「改革時報」でして、我が家にも数回入っていた事があります。
創価新報と似ている記事が多かったように記憶しております。

2686鳳凰:2006/03/14(火) 14:52:46
管理者様、

>又、個人名の記載がありますが、これは記事からの転載なのでしょうか、
>それとも写真から個人名を特定されたのでしょうか。

お答え致します。改革時報に掲載されている写真からの転載でございました。
帰宅後、号数や発行年月日等をご報告致します。

>富士川一郎さん、
組織の存在有無の件、ありがとうございます。

2687彰往考来(しょうおうこうらい):2006/03/14(火) 16:19:20

>2685 「日蓮正宗改革同盟」と言う組織は存在・・・機関誌は「改革時報」 
藤川一郎さん

了解しました。私も少し整理してみます。似たような名前でこんがらがっています。

2688ご参考に:2006/03/14(火) 18:46:36
ttp://www.nichiren.com/jp/index.html

日蓮正宗青年僧侶改革同盟HPURL

2689パンナコッタ:2006/03/14(火) 19:17:41
憂宗護法同盟と青年僧侶改革同盟ですね。
青年僧侶改革同盟の人たちが離山の時、TVのワイドショーで取りあげられたことがありましたね。

2690鳳凰:2006/03/14(火) 22:53:16
「改革時報」第20号になります。
発行元は「日蓮正宗改革同盟」、「青年僧侶改革同盟」となっております。

問題となった写真の記事は、2面、3面に記載されています。
記事の見出しは「御前様に続け!と弟子も暴走」とされております。
写真が撮られた場所、人物等については何ら記載がありません。

取り急ぎのご報告まで。

2691犀角独歩:2006/03/15(水) 10:32:18

2683 鳳凰さん

>>南岳、…天台…伝教…自分が生きた時代を末法と認識

以上については、既に過去に議論があった点です。

『現代人が納得できる日蓮教学』の169以降
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/169-

2692鳳凰:2006/03/15(水) 14:10:16
独歩さん、

ご提示ありがとうございます。早速勉強させて頂きます。
実は以前にも目を通してはいたのですが、浅学故に理解が至りませんでした。
大変失礼致しました。

また、ご多忙にも関わらず、迷妄の学徒に道を示し下さる器量に、
慎みながら感謝申し上げます。

2693鳳凰:2006/03/15(水) 14:18:15
信仰者が、学問的見地から知識を得るほどに「壁」と言うものができます。
所謂、仏説非仏説論、教義創作論、本尊偽作論、等々・・・・。

信仰者の立場で、自分達の不知なる「事実」に出会ったしまった時、
皆様はどのようにそれを捉え、消化されてるのでしょうか?
素朴な疑問として、問題提起させていただきます。

2694犀角独歩:2006/03/15(水) 17:14:11

2693 鳳凰さん

当掲示板における過去の議論の一切は、仰るような疑問と解消、そして、各人の選択に基づいているのでしょう。

わたし個人は事実にあらざるものは、用いずということ選択をいたしました。
気分としては、何度か紹介した以下の高橋紳吾師の考えに賛同し、自分自身の仏教観を再編成しました。

「教祖の釈迦は、現代のカルト的宗教が説くような、「私を信じなければ不幸になる。地獄におちる」式の脅しの言説は一切していない。
とはいえ仏教が輪廻思想から自由でないのは、当時のバラモン(婆羅門)や沙門(シュラマナ)たちが共有していた文化的な枠組みのなかで釈迦が生きていたからだが、釈迦にとってより重要だったのは、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決であり、苦悩の原因が執着によっておきることを解き明かし、それらは正しい八つの行ない(八正道)を実践すること(道諦)によってのみ解決にいたるという極めて常識的な教えを提示することだった。とすれば人生問題の実務的解決は、釈迦に帰依しなくても実践できることで、したがって釈迦は秘技伝授の超能力者でも霊能者でも、ましてや「最終解脱者」でもなく、もちろん「神」のような絶対者でもなかった。しかしカリスマを求める周囲の心情はいつの時代も変りがない。死後の釈迦は次第に神格化され、俗化される。たとえば釈迦の骨がフェティッシュな崇拝の対象となったり、、釈迦の言説とされる教典それ自体が信仰の対象となったりという、釈迦が最も忌避した「執着」へ人々は再び回帰したのである。そこにあるのは象徴(シンボル)の病である。
もっとも八正道の実践だけでは出家修行者のみ可能な小乗仏教であって、これでは一般大衆には宗教的な喚起の世界は与えられない。そのために救済のビジョンが必要で、大乗仏教における阿弥陀信仰のように、方便として帰依の対象が求められる。これは補助自我とみなすことができよう。それは超越的な形態をとっていても、もう一人の「自分」なのであるから、その「超越者」を「信じている」自分を調べる義務は、その個人にある。
補助自我−自我のかたわらにあって、自我の充足を助けるもの。「ペット」や「わが子」のレベルから「思想」や「神」などの抽象的なものまである」(『超能力と霊能者』現代の宗教8 岩波書店 1997年2月5日 第1刷 P215)

2695彰往考来(しょうおうこうらい):2006/03/15(水) 17:41:49

>2693 鳳凰さん

そんなの答えは簡単です。

見ざる、言わざる、聞かざる、です。(ワハハ!冗談!)

とはいえ現実は非常に難しいですね。
それを乗り越えるのは強烈な信仰体験か、島田先生がおっしゃるような所属組織をコミュニティーとして捉える(平たく言えば、人間関係とか友達づきあいといったもの)といったところでしょうか。
私の場合は、ひょんなことから、戒壇本尊に疑義を持ち、富士門流史をずっと自分の研究テーマにしてきましたから、ある意味で矛盾追求は生きがいのようなものです。従って所属組織のトップが言っていることとは見解が異なっていても、特に自分から組織を出て行くつもりはありません。自分のほうが正しいのだからとやかく言われる筋合いはありません。コミュニティーとして捉えれば問題はないわけです。政党と同じで必ずしも自分の考えと100%同じというわけにはいきません。異なるところがあってもやっていけます。私の所属組織のトップは戒壇本尊はホンモノと言っていますが、これって本心から言っていないと思うから、はてさていつになったら本当のことを吐くのかしらんと第三者的に眺めているわけです。ま、学生時代からひねくれていたんでしょうね。授業中に教師が何箇所間違いを教えるか数えていましたから。でも間違いをタマに言う教師がいたとして、それを生徒が皆の前でぎゃんぎゃん言ったら教師は立場がありません。そんなもんでしょう。信じるものは救われないのです。ライブドア株を信じた(こんな虚業を信じるのも欲ボケしていませんかと言いたいのですが)人が裏切られたのと同じなのです。

2696犀角独歩:2006/03/15(水) 19:39:29

彰往考来さんへ、横レストいうことで

> 強烈な信仰体験…所属組織をコミュニティー

面白いですね、この考え方は。いや、批判ではなくて。彰往考来さんという人となりを感じます。
日蓮は、虚空蔵救聞持法という強烈な信仰体験、…それも真言的な… を経て、真言的であったこととは関係なく、その後、処罰によって身命に及ぶという法華経的な信仰体験も経、やがて天台宗、天台沙門という所属組織のコミュニティーから乖離することになっていったわけですね。
わたしのなかでは、このような日蓮の人生系譜というのは、どこかで常に意識しています。

> 所属組織のトップは戒壇本尊はホンモノ

この組織にわたしもかつていたわけですが、この「ご供養」のために、どれだけ、我慢を強いられたか、また、周囲には田畑家屋を売り払った人までいました。集まった金は半世紀近く前で350億円でしたか。いまの貨幣価値にするとどれくらいになるのでしょうか。正本堂供養実名名簿は800万人というわけですが、その800万分の1に自分もいました。なにせ5000年はもつと言われた“民主主義によって再定義された”「国立戒壇」でした。
ところが、中に入れる当の本尊がこれが偽物であったわけです。
先に鳳凰さんは「出生の本懐」ということを記していましたが、日蓮の出世の本懐は「本門戒壇の大御本尊の建立」というのが、創価学会も、石山を受けてのお定まりでした。ところが、これが後世の模造品でした。そうなると、この本懐、一体、どうなってしまうのか、実はこんな余波があります。
学会はいつから知っていたのか、憶測の域を出ませんが、いずれにしても、その入れ物の正本堂の供養をタネ銭にして、半世紀で、巨万の富を形成したわけです。5000年持つはずだった正本堂はわずか25年で瓦礫になりましたが、2000円それがしの拝観料×5000人で、創価学会との蜜月時代は日に何度もご開帳し、その1割だかを創価学会にバックしていた(これは本当なのでしょうか?)、そんな経済効果を待つまでもなく、正本堂供養金の大半は建築に、ではなく、タネ銭となったんでしょうか。

「あとになって2倍にも3倍にもなって返ってくる」などという、今日日、悪徳商法でも言わないようなキャッチフレーズが大まじめに信じられたわけです。実際に何十倍にもなって返ってきたのは、金を握った組織そのものであり、今の創価学会の発展はそこに濫觴があったわけですね。

所属組織という点から言えば、「こんな詐欺まがいの組織にいられるか」(というのは、かつての個人的な感情でした。断定ではなく、わたしの個人的感想ですが)から、わたしはこのコミュニティーを蹴ったわけです。同類扱いされるのは御免であると思ったからです。
しかし、それは組織としてのことで、たしかに個人レベルでは、感情的な悪口は言われたものの、そこにいまでもコミュニティーは感じます。


さて、もう一方の信仰体験というやつは、社会心理学でいえば、個人的リアリティということになり、いつもわたしが挙げるヤスパースの妄想の定義、(1)間違った考え(2)強い確信(3)訂正不能、信じてきたことが間違った考えであっても、根っこではそれに確信を懐き、端から見れば訂正が出来ない、これでは妄想といわれても致し方のないことになります。宗教病理の範疇です。また、感応は指導者と被指導側、本尊と信者にとっては、宗教信条では美徳かも知れませんが、宗教病理では感応症とダブります。極度の信仰体験もトランスといった異常心理が扱う問題とどこで線が引けるのかという問は、どうでしょうか。

現在、世界に目を向けると、宗教名目で、騒ぎを起こしているところには一神教の問題があります。ところが、日蓮本仏といわず、本門本尊とは一神教ならぬ一仏教であるわけです。
もう一点。かつて、キリスト者が問題にしたのは偶像崇拝でした。楠で出来た「本門戒壇の大御本尊」は生身の日蓮というわけですが、偶像崇拝といわれても致し方がないわけですね。いわば、一神教と偶像崇拝がセットになった上で、極端なファンダメンタリズムに、アナクロニズム、100年前に崩壊した仏教神話が、いまだに大まじめに教学試験の問に出るような集団で言う信仰体験とは一体なんぞや。これが世間一般の問いかけでしょう。
「謗法だ」と喚けば、「それじゃ、中世の魔女狩りだよ」と顰蹙の一つも買うところでしょう。

一般人は、仏教知識があるわけではないでしょうから、上記のような状態で「熱狂的で、変な連中」で等閑視するわけですが、内部では、やってみなければわからない体験主義という格差。
しかし、1回経験して、徹底した挙証主義で再考したうえで、わたしは鳳凰さんのように、問うたわけです、「さて、どうしようか、21世紀の日蓮は」と。

2697犀角独歩:2006/03/16(木) 00:02:36

【2696の訂正】

誤)虚空蔵救聞持法
正)虚空蔵求聞持法

ちなみに、わたしは信仰で得た歓喜、進歩を貶す意図はありません。
創価学会にしても、顕正会にしても、仰いだ本尊は模造品であったけれど、ごまんと功徳の体験談はあります。組織と共に仰ぎ、その人生に価値を感じる人々もあるのでしょう。

しかし、「自分たちは、こんな体験をしたから、○○は絶対だ」と、こう結論づけたいところですが、さにあらず、漫荼羅は真っ赤な模造品、しかし、功徳の実証はあった、さて、なぜだろう、ここに、新たな問題があります。
他スレで「若し正境に非んば、縦い偽妄無くも亦種を成ぜず等云々、故に須く本尊を簡んで以て信行に励むべし」と日寛が力んだところで、模造品の本尊でも、この実証の数々です。これはなかなか興味深いテーマであるといえます。

なぜ、模造品でも、そうだったのか、当スレ「素朴な疑問」に相応しい疑問といえます。

2698鳳凰:2006/03/16(木) 02:04:15
独歩さん、彰往考来さん、
レスをありがとうございます。両雄様のご回答は、確かに自分も感じ取った点でもあり、
大いに共感できる次第であります。

私の場合は、幸いなことに信仰で得ている功徳(成長)が著しい為、
教義と実果を別に捉えるようにしております。
つまり、自身を成長させる法則の因果と捉えており、教義の矛盾や、
後世に明らかになる事実は、実果をあらわす為の方便と捉えております。
自分を成長させる起爆剤として、方便である教義を用い、
実践による実果を自身で堪能すると言った生き方を選択しました。
方便(現代語で言う所の方便)に矛盾や誤謬が生じるのは仕方ないと思ってます。
良い意味での「楽観主義」なのでしょうね。笑 

とは言え、明らかなる間違いは、会員の為にも少しずつでも正しくするべきであり、
個人も、教団ももっと正しく成長するべきだと思っております。
宗教的ドグマや利己主義に固まることなく、間違いや誤解は正し、
より良く大衆に納得できうべく、教義の編纂を行うべきだと存じます。

その意味では、このようなHPに出会い、正しき道、正しき真実をお伝えしてくださる、
研究者、学徒の先輩達に深く感謝を申し上げる次第です。
これからも宜しくお願いいたします。

2699鳳凰:2006/03/16(木) 02:30:53
>日蓮の出世の本懐は「本門戒壇の大御本尊の建立」
ありえない話だと思っております。これに関しては私は持論を持っておりますが、
やはり憶測的な域から脱却する事はできないため、論及しませんが、
物を顕す事が出生の本懐とは当然思えません。

>その1割だかを創価学会にバックしていた(これは本当なのでしょうか?)
おそらくこれは誤謬ではないでしょうか。正本堂に関する供養会計報告も、
拝観料等についても、弁護士並に監査人監督を受けておりますし、
実際に正本堂の供養会計報告は「正本堂の詩」にも明確に収支の発表がなされております。

>模造品の本尊でも、この実証の数々です
面白いテーマですね。ただ、これは学術的や教義的に解明することは難しく、
おそらく信仰的考察でしか説明できないのではないでしょうか。

私的には、個人のオピニオンとしてしかお話できません。
印刷であれ、お筆であれ、印刷であれ、コピーであれ、仏(ゴータマではない)が、
己心に見出した法則を、本尊として顕してくださった。
我々が無心に本尊に向かい、題目をあげることにより、日蓮が得た仏果を同じように
感得できるのではないかと考えております。

雪山童子が法を後世の人に託す為に、木に彫った説話がありますが、
そこで重要視されるべきは、彫られた木や紙といった材質云云ではなく、
そこに書かれた内容こそが、後世に伝えられるべき「宝」であると思っております。

あくまでも個人的な見解ですが、主題、日蓮、仏界の代表たる釈尊、多宝が
書かれている本尊であれば、九界の衆生である我々が題目を唱えるとき、
日蓮と境智冥合して、日蓮が悟りし法が我々の胸中に涌現するのではないかと考えております。

まぁ、この考え自体カルトと言われてしまうかもしれませんが、
現在の正直な感想でもあります。学会の教学とは明らかに異なりますけど。

2700鳳凰:2006/03/16(木) 02:46:07
>…それも真言的な
一つ質問させて頂いてもよろしいでしょうか。

近年、日蓮は「法華真言未分化」であったと言う言葉を耳にします。
実は知人とこのテーマについて、多少なりとも調べた経緯がありました。
私は反対意見をもっております。

そこで、皆様にお聞きしたいのですが、『昭和定本 日蓮聖人遺文』に掲載されている、
「不動・愛染感見記」をどう思われますか?
または、「法華真言未分化」をどう考えていらっしゃいますでしょうか?

過去レスで若干触れられている箇所を拝見しましたが、私は大いに疑問をもっています。
後日、順を追ってその理由をレスさせて頂きますが、
よろしければ、皆様のお考えをご教示いただけたらと存じます。

2701鳳凰:2006/03/16(木) 02:51:17
訂正させて頂きます。

×)後世に明らかになる事実は、実果をあらわす為の方便と捉えております。

○)教義は、私にとって、実果を顕す為の方便であると捉えておりますから、
後世に明らかになる真実や、誤謬である点が多々存在していたとしても、
それほど差し支えがあるわけではございません。むしろ、後世になって、
より本当の実態が明らかになるべきではないかと考えております。

ああ・・文才がない自分が悲しく感じます。

2702犀角独歩:2006/03/16(木) 09:12:21

鳳凰さん

まあ、学会員で、少し教学を囓っている人であれば、誰でも言い出す同じ質問ですね。
要するに、創価学会員という範疇での、真言未分、感見記疑義というのは、北林さんの影響でしょう。会内の、伝言ゲームを自分の意見であると思い込んでいる類ではないでしょうか。

先ず、感見記についての、北林さんの見解より、諸師の鑑別を、わたしは信頼します。

日蓮の真言未分は、初期遺文類にあるところであり、何より「本尊」という言葉自体、真言の用語です。天台、妙楽はもちろんのこと、天台の初期文献に、この語の使用も、教義もありません。

そもそも、日蓮本覚論などという場合の「本覚」は、田村芳朗師も指摘しているとおり、空海にその起原を見ます。天台教学の本覚化は空海の影響であるということです。その学風を学んだ日蓮に真言の影響がないわけはありません。
日蓮漫荼羅で大日如来の勧請があるものもあります。日蓮における多宝如来観は、大日如来と密接な関係にあることは後期の遺文でも明らかです。

そして決定打。日蓮漫荼羅の左右に梵字で記される不動・愛染は大日如来の脇士であり、法華経には全く登場しないところです。その根拠は当然ながら、真言宗でしょう。

なお、質問以前の「方便」ということですが、これは upaya を語源とし、その原意は「近づく」という意味です。「巧みなる手だて」などという意味であるといわれるのが一般です。「ウソも方便」などというのは、俗訛した誤用以外の何ものでもありません。

2703犀角独歩:2006/03/16(木) 09:32:47


そうそう。一つ書き忘れました。
「漫荼羅」という用語もまた、真言を起原とするものでした。

日蓮は初期、比叡山が慈覚以来、真言に泥むことを批判するわけですが、最終的に漫荼羅・本尊という真言宗のアイテムに落着していきます。
なお、漫荼羅本尊に何故、不動・愛染が記されるのか、それこそ、不動・愛染感見記で記される日蓮の神秘体験によるのだという指摘はあったはずです。この場合、法華霊鷲山法華説法と四菩薩附属をモチーフにしたはずの漫荼羅に、なぜ、真言宗の不動愛染が載る説明証拠として感見記を挙げることになります。

なお、日蓮が当初、出家し学んだ清澄寺は真言宗(天台宗と摂取)した寺院で、近代まで真言宗寺院でした。よく言われる日蓮が生身の虚空蔵菩薩に会い、智慧の宝珠を頂戴したという物語は、この真言宗における空海も行じた虚空蔵求聞持法をしていたときの体験であり、この系譜は天台宗ではなく、当然、真言宗のものです。

ところで、お書きになっている「成長」というのは、何でしょうか。これは仏教のどんな教義に基づくのでしょうか。寡聞して知りません。どのように読むのですか。「じょうちょう」ですか。

2704パンナコッタ:2006/03/16(木) 12:31:09
横レス、失礼します。鳳凰さん、お初です。

 >明らかなる間違いは、会員の為にも少しずつでも正しくするべき
例えば、後代の明らかな偽書である御義口伝の取り扱いについて学会は、戸田・池田会長以来の
伝統的な御義口伝講義その物が否定される結果となる為、偽書と認定する事はあり得ないでしょう。
”先代の築いた物は、たとえ犠牲を払っても守る”という束縛された観念から抜け出せない限り、
鳳凰さんの意図する成長というのは、逆にあり得ないのではないでしょうか。

蛇足ですが、別スレで顕正居士さんが指摘している「文句略大綱私見聞」は、
御義口伝のタネ本の一つです。

2705鳳凰:2006/03/16(木) 18:27:52
>伝言ゲームを自分の意見であると思い込んでいる類ではないでしょうか。
まず、会内で北林氏の自論を理解できるレベルの人間が果たしているか・・・?
それ自体が問題です。尚、この一文は私の教学力に対する憶測でしょうか?

誠に残念ながら、本日から出張が入ってしまうため、詳細は記載できません。
自宅に戻ってから、資料を紐解きお話させて頂ければと存じます。

ちなみに、結論だけを申すのであれば、北林氏の論に終始するつもりはありません。
ま、結論的には偽書であろうか?と言う「結果」においては同じですが、
彼とは異なったスタンスで考えてる点もございます。

勿論、偽書ではないであろうかと言う理由の証明として、北林氏による、
筆跡の問題、日蝕(実際には虫扁に虫)之時、日蓮宗の事情と言う、
偽書と断定する根拠は大いに依拠しようと思っております。

ただ、中山に伝わる『五輪九字明秘密義釈』等を考慮すれば、
大聖人が真言の影響を多々受けていたとのは事実でしょう。

しかしながら、そうだからと言って、簡単に「不動・愛染感見記」を真筆と断定する
方向に傾むけないのです。

その理由の一つとして、「奉請虚空蔵菩薩法」〜「作想法」では菩薩を招き、
菩薩を想像する行ですが、当然、「虚空蔵求聞持法の行」は多くの修行者が実施していたでしょうし、
この行において生身の菩薩を見たという、宗教的体験は修行者全員の共通財産
であったのではないかと想像してます。

昨今、これは、日蓮の己心の宗教体験を書いた書であるとの意見を聞きますが、
それよりも、「自大日如来至于日蓮廿三代嫡々相承 建長六年六月廿五日 日蓮授新仏」と
あるように、台密(東密)の相承を受けた事を証明するための書と思うのです。
ここで注視すべきは23代であります。真空からの相承であれば、
25代になるはずなのに、どうして23代なのでしょうか。

戸頃重基氏や、高木豊氏の説では、理性院血脈の日蓮は、
大和の「日蓮房重如」であり、大聖人とは別人であると言う見解を申しております。
ここで書かれている所の「日蓮」も「重如」と言う事はないのでしょうかね。

つづきは、出張より帰ってきてからとさせて頂きます。

>パンナコッタさん、
現実的ではありませんでしたね。仰る意味、良くわかります。
かような教学を述べる私は、学会の異端児と思われているかもしれません。
恩義口伝の偽作論、私もそう思っております。

2706犀角独歩:2006/03/16(木) 20:45:38

鳳凰さん

> …私の教学力に対する憶測でしょうか?

「別の考えがある」との表明はありましたが、特に教学的なことを記されていないわけですから、憶測の仕様もありません。

わたしの記し方も言葉足らずであったかも知れませんが、感見記を偽書として真言未分を述べるような短絡思考は創価学会の世界でのみ通用する共通認識で、世間一般で、教学とか、論考と考えて北林本を読む人はいない、故に会内伝言ゲームの類としたわけです。

北林本に関しては、彰往考来さんが充分な反証をされていますし、すでに話題にもなったことで、この退屈な内容をまた繰り返すのには、わたしはお付き合いいたしません。ここでは既に議論され畢ったことですし、ストレートな言い方をすれば問題外。こんなことに時間を費やす気はないからです。

> 『五輪九字明秘密義釈』大聖人が真言の影響…事実

それもそうでしょうが、わたしが2702、3で記したのは、そもそも「漫荼羅」「本尊」「不動」「愛染」は真言宗の教義であり、それを活用する日蓮が、真言と未分のわけがないということですよ。

> …簡単に「不動・愛染感見記」を真筆と断定する方向に傾むけない

では、ご自身のお考えというものを証拠をもってお示しください。
話はそれからです。

日蓮は真言の影響も受けていることは確実です。
しかし、それと、感見記の真偽問題は別の問題です。
これを取り混ぜて、感見記は偽書、故に日蓮に真言未分はないという連想ゲームは短絡以外の何ものでもありません。

> …生身の菩薩を見たという、宗教的体験は修行者全員の共通財産
であったのではないかと想像してます。

これはいったい、何を仰っているのかわたしには理解できません。
日蓮の体験であり、その真言の修法における見仏体験(実際には菩薩ですが)が共通財産というのはいったい、どのような意味でしょうか。

> 理性院血脈…日蓮…重如

この点についても、当掲示板では充分に議論が為されています。
過去ログをご参考ください。

> ここで書かれている所の「日蓮」も「重如」と言う事はないのでしょうかね。

「ここ」というのは、何を指しているのでしょうか。
まさか感見記のことではないですか。
仮に重如筆ということであれば、重如の真筆ですから、これを偽書と言うことは成り立ちません。また、これが重如の筆であるという場合、どのような手順で、重如のものと断定するのでしょうか。感見記と比較した重如の確実な筆跡がない限りできないわけですが、これは何を参考にしたということでしょうか。

いずれにしても、当掲示板は挙証義務の遵守することをモットーとして、成り立っています。別の考えがあれば、その証拠を示したうえでお考え示されるのであれば、議論にもなります。石山の「うちには真筆の○○がある」といって、現物を見せず、強論する悪例もあります。そのようにならないためには、是非とも挙証のうえで議論にご参加ください。

では、出張からお帰りののちの、挙証論証を楽しみにしております。

2707彰往考来(しょうおうこうらい):2006/03/17(金) 07:35:38

>2705鳳凰さん

不動・愛染感見記および北林本については「蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について」のスレッド421〜454を参照ください。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1084417030/421-454?KEYWORD

すでに2706で犀角独歩さんが述べられていますが、北林本に関する過去の議論をむし返すつもりは私にはありません。

2708鳳凰:2006/03/20(月) 15:52:34
レスありがとうございます。
かなり厳しいご指摘も素直に拝して参りたいと存じます。
昨日、出先から帰ってきたものの、今度は国外出張になりそうです。
レスが遅くなること、どうぞご容赦下さい。

先に私の結論を申し上げておきます。

>真言見分化
私も日蓮は真言や他宗の影響は当然受けているかと思います。
理由は既に独歩様が仰っていらっしゃるとおりです。

>不動・愛染感見記
これはやはり偽書の可能性が高いと思っております。
そもそも、彰往考来さんのレスでは、「建長四年二月の日蝕」を例に引かれて、
北林氏著作本の内容は完備ではないとされています。

しかしながら、感見記に記された日蝕については、
「正月一日日蝕之時」と記されている訳であり、二月一日ではないわけです。

大聖人の日付に対する厳格・正確さは、既にご存知の通りであり、
「正月一日」の日蝕の存在証明をしない限り、記述内容が正しい物であるとの
結論は早々できないかと存じます。

また、筆跡についても尚然りであります。
詳細は下記のURLにリンクされております。
http://www.houonsha.co.jp/nichisai/zuhan/mi/index.html

2709鳳凰:2006/03/20(月) 16:08:15
また、真言未分化について、補足させてください。
私の上の表現では、「未分化」に同意しているかのように感じてしまいますね。
実際は同意と否定の中間位の立場なんです。勉強が進んだ後、立脚点を明確にします。

尚、真言に影響を受けているから曼荼羅に不動・愛染の梵字がある云々ですが、
これは発想が逆である可能性も否定できません。

つまり、日蓮の本尊に不動・愛染の梵字があるからこそ、
感見記に、不動、愛染の生身を見たと偽書を作成した可能性も否定できません。

尚、北林の論になりますが、何故、日蓮は本尊に不動・愛染を記したのでしょうか。

「上野殿母御前御返事」(真筆:身延にあり)
「此の法華経の始に無量義経と申す経おはします、譬えば大王の行幸の御時
、将軍前陣して狼籍をしづむるが如し、其の無量義経に云く、
『四十余年には未だ真実を顕さず』等云云、此れは将軍が大王に敵する者を
大弓を以て射はらひ・又太刀を以て切りすつるが如し、
華厳経を読む華厳宗・阿含経の律僧等・観経の念仏者等・大日経の真言師等の者共が
法華経にしたがはぬを・せめなびかす利剣の勅宣なり、譬えば貞任を義家が責め
清盛を頼朝の打ち失せしが如し、無量義経の四十余年の文は不動明王の剣
・愛染明王の弓箭なり」

つまり、不動明王の剣と愛染明王の弓矢は、法華最勝を下す者や、
権実雑乱をする者を退治する為の物であると仰せです。

少々、長期になるかもしれませんが、出張より戻り次第返レス致します。

2710鳳凰:2006/03/20(月) 17:43:07
また、首の座について申しますと、御書を「9月12日」で検索しますと、
22の該当項目が出て参ります。

以前の議論では故事によせて、後代に伝説化が図られたとの趣旨の論調がありましたが、
しかしながら、御書を拝する限り、一概には申せないかと思う次第です。

【真言諸宗違目】(真筆)
「九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか「必ず心の固きに仮りて神の守り即ち強し」等」
●神の守りとの記述は、「諸天」を指すのは明らかです。

【報恩抄】(真筆)
「九月十二日の夜は相模の国たつの口にて切らるべかりしが、
いかにしてやありけん其の夜はのびて依智」
●「いかにしてやありけん」通常では考えられない何かが起こったと想像できます。

【一谷入道御書】(真筆)
「九月十二日重ねて御勘気を蒙りしが忽に頚を刎らるべきにてありけるが
子細ありけるかの故にしばらくのびて」
●「子細がある」との言は、何かの特別の意を含んでいると言えるでしょう。

真筆を拝した時、「諸天の守護」、「不思議な事に」、「子細あり」とする
日蓮の文言には、何かしらの特別な事情の存在が伺える気がします。

ただ単純に『盛久』から、首切りの話を創作したのだとの論調は、
一概に決め付けられないと思います。

さて、行ってきます。

2711犀角独歩:2006/03/20(月) 18:26:24

鳳凰さん

> 日蝕

これは日[虫*虫]ですね。
明るくも暗くもない中間の時間という意味であるとする説がありました。
この記述を日蝕とするのは、ひとつの類推であり、確定されたことではありません。

つまり日蝕から割り出す方法は、この記述が日蝕であるという仮定に基づくものですから、日蝕の日付を割り出して、特定する方法は決め手とはならないとわたしは考えます。

> 筆跡…下記のURLにリンク

たぶん、北林さんに疑義を懐く人で、このリンクを見ていない人はいないでしょう。ここで疑問に思うのは、なぜ、「身」の字に限って行っているのでしょうか。

以下、わたしが作製した対照です。日蓮の最も初期と後期とされる安第1と安123漫荼羅の「經」の字を並べました。この相違は歴然としていますが、このように違うと、どちらかが、偽筆ということになりますか。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kyo_hikaku.jpg
(コピーしてアドレスバーに貼ってご覧ください)

元の漫荼羅は以下のとおりです。この両者を並べみても、日蓮漫荼羅を知らない一派の人であれば、同一人物による図示であるとわかる人はそういないでしょう。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/123.html

まさかご覧になっていないわけはないでしょうが、不動・愛染感見記は以下のとおりです。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/124.html
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/125.html


また、ご存じのことと思いますが、古い書法で同一文字が出てきたとき、いくつ異体字を書けるかでその人の素養をはかるということもあります。ですから、異体字を比較して、文字が違うといえば笑い話になります。

> 日蓮の本尊に不動・愛染の梵字があるからこそ、
> 感見記に、不動、愛染の生身を見たと偽書を作成した可能性も否定できません。

まあ、これは感見記が偽書である場合、このような動機は考えられます。
しかし、それと「発想が逆である可能性」とは脈絡がつながりません。
「日蓮の本尊に不動・愛染の梵字があるからこそ」日蓮の真言の影響あり、未分であるというわけです。

なお、首の座については、もはや問題外で、日蓮自身が子細あって実施されなかったというわけで、光り物等という話は論外です。


日蓮が否定したのは、法華経と大日経、釈迦と大日如来の比較で、法華経を大日経より下し、釈迦如来を大日如来を下すことであって、真言教義を斥けたということではありません。故に鳳凰さんが引用するように、法華の開会の立場から不動・愛染を摂取されたということでしょう。

鳳凰さんに逆にお尋ねしますが、法華経にも、天台文献に見られない、曼荼羅・本尊・不動・愛染、大日を日蓮が用いられるのは、一体、何の影響でしょうか。

真言義以外の何が考えられるのでしょうか
この質問ひとつで、日蓮は真言教義を用いていたことは歴然としています。

過去の過ちを改められずに、自分の所属集団が過去にいってしまったことに縛られて、為にする曲論をしても進歩はありません。
創価学会は過去に戸田さんが「お肉牙は不思議だ。汗をかいて、脈をして、成長している」といってしまったのは事実でしょうが、それを語らないことで、なかったような方法を取ったり、過去50年にわたり、真剣に研究されてきた内容を自分たちの都合と会わないからといって、会内でしか納得されないようなことを言い出して、庇えば、かえって世間の物笑いになります。

もういい加減、創価学会をそのような狭い了見から解放したらどうでしょうか。

2712パンナコッタ:2006/03/21(火) 11:41:47
鳳凰さん、
弘安三年十月二十四日の上野殿母尼御前御返事は、身延に真筆などありませんよ。
・長存寺第二十六紙(異本の可能性あり)・小泉久遠寺第二十八紙・北山本門寺第二十九紙 最末部分の断簡のみで、
引用部分は欠損部分。

また、報恩抄も真蹟断簡分蔵で、・山梨県妙了寺二行・東京都本門寺二紙二十七行・高知県要法寺貼合二行
・東京都本通寺二行、対欠・京都府本禅寺六行。この他断簡、山梨県円実寺一行。身延本は曾存御書となっており、
これも引用部分は欠損部分となっています。

2713鳳凰:2006/03/27(月) 12:40:15
帰国致しました。遅レスで大変失礼致します。
ばたばたしおり、私が論議に入る事はご迷惑をかけてしまう気がしてます。
本当にすみません。

>なぜ、「身」の字に限って行っているのでしょうか。
●URLをご覧下さい。「身」「拝」「見」の3文字の比較がなされてます。
ちなみに鑑定時は全ての文字を真蹟より調査したようです。
その上で一般人にも分かりやすい物を記載されたとの事です。

【第13章】
http://www.houonsha.co.jp/nichisai/zuhan/index.html

>この記述が日蝕であるという仮定に基づくものですから
独歩さんが、「彰往考来さんが充分に反証した」とのご意見があった為、
日蝕の件を申し述べた次第です。確かに「日蝕」ではなく、「中間の時間」との
説が正しければ、日蝕についての北林氏論は不要になりますね。

>弘安三年十月二十四日の上野殿母尼御前御返事は、身延に真筆などありませんよ。
Webで確認しました。すみません。手元の資料が間違っていたようです。
ご指摘ありがとうございます。

尚、私は北林説が全て正しいとは思っておりません。戒壇本尊は偽物であると思ってます。
しかしながら「光物説」を否定し、幕府要人による仮託であるとする、
北林説は納得がいきました。

http://www.houonsha.co.jp/nichisai/020.html

しかしながら、学会では北林氏の私説は到底受け入れられないでしょうね。

2714犀角独歩:2006/03/27(月) 16:01:24

鳳凰さん

> 「身」「拝」「見」

これは、北林本について言ったのではなく、先のご投稿では「身」に限った転を申し上げたのです。
これで見ても、たとえば、「見」の字はよく類似していますね。
また、初期の日蓮書名の特徴である‘日’字を‘白’のように書く癖、また、‘大’最終画から連綿と記す癖など、日蓮の癖字を感見記は有しています。しかしながら、字体比較するのであれば、感見記が建長6年である以上、同時期の字、もしくは近くの字をもって行うのが常道ではないでしょうか。そのような方法がなされていない点を申し上げるために、わたしは安第1(文永8年)と安第123(弘安5年)の漫荼羅を並べ出し、この隔年の量漫荼羅の字体が一致しないことを挙げたわけです。

> …「中間の時間」…日蝕…北林氏論は不要

そのようになります。

> 幕府要人による仮託

これは、すでに高木豊師の秀でた分析があります。
そもそも、ジャンプしてあげられた部分には『御義口伝』が当たり前のように引用されています。感見記については、字体から偽書を談じるのは、まあ、よいとして、その他は、なんら真偽考証がなされないアンバランスさが、この書の証憑性をさらに低くしています。

> 学会では北林氏の私説は到底受け入れられない

別に学会ばかりではなく、日蓮門下一般でも、受け入れられないでしょう。

2715犀角独歩:2006/03/27(月) 20:43:06

【2714の訂正】

誤)転を申し上げた
正)点を申し上げた

誤)日蓮書名の特徴
正)日蓮署名の特徴

誤)量漫荼羅
正)両漫荼羅

2716鳳凰:2006/03/28(火) 11:43:33
>日蓮の癖字を感見記は有しています。
確かに癖字を有してますね。勉強になります。

種々ご教示ありがとうございました。

2717パンナコッタ:2006/03/28(火) 12:00:08
感見記の筆跡については、以前、独学徒さんが金沢文庫の円多羅義集と九字秘釈の比較・研究を
されていましたね。
これに関しては特に問題は無いと、思いますが。

2718独学徒:2006/04/29(土) 23:05:11

ご無沙汰しています。

既にご存知の方も多いと思いますが、日蓮宗総本山身延山久遠寺の藤井日光管長が辞任されました。
次期管長は5月11日までに選任されるそうです。

今月の大石寺での代替法要では、かの有名な秘仏「お肉牙」が披露されたそうですが、身延でも管長交代の時は、何か珍しいものでも出てくるのでしょうか?
一寸素朴な疑問を持ちました。

何かご存知の方がいらっしゃいましたら、御教示下さいませ。

2719みかん:2006/05/03(水) 18:16:06
みなさん、さわやかな晴天の下、意義ある5・3おめでとうございます(苦笑)

さて、まあ、どうでもいいといえば、どうでもいいことなんですが、
聖教新聞に於ける、法主の敬称についてです。
今日、久々に聖教新聞を入手して、読んだところ、
早瀬日如(義寛)現法主の呼称が「早瀬」となっていました。

皆さんご存知の通り、阿部日顕氏、日開氏などの呼称は
「日顕」「日開」と呼び捨て、
過去の経緯から嫌ってはいるが、日顕氏との対比上一応の経緯を払わな
いといけない細井日達氏の呼称は「日達法主」、
日寛など創価学会が敬意を示している法主は「日寛上人」と
上人をつけるというルールのようです。

ですので、「早瀬」と姓で呼ぶのは極めて例外的で、はじめての
ケースなのではないかと思うのですが、これについて
みなさんは、どのように分析されますでしょうか。
小生は、早瀬氏に対する評価を定めず、将来、肯定も否定も
できるようにとのスタンスから来た新呼称かと思いました。
あいかわらず、日蓮正宗のことは「日顕宗」と呼んでいるようで、
「日如宗」とはなっていないようです。これも、将来、
すべての「悪行」の責任を、日顕氏のみに負わせるためかと思いました。

2720犀角独歩:2006/06/03(土) 12:18:15

パンナコッタさん、他 諸賢

『如説修行鈔』は、正信会の御書検索システムでは、どんな分類になっているのでしょうか。要するに、真偽度の判断です。

ご教示いただければ有り難く存じます。

2721独学徒:2006/06/03(土) 13:58:11

犀角独歩さん、こんにちは。

『如説修行鈔』は、正信会の御書検索システムでは、一応「5」=興門上代諸師(ここでは日尊師)の写本あり。というあつかいになっています。

「一応」としましたのは、同抄解題で興風談所は、この日尊写本の筆跡は日尊師の通常の筆跡とは異なっているとの見解を示しているためです。

2722パンナコッタ:2006/06/03(土) 15:51:35
独歩さん、独学徒さん、どうも。 該当部分をコピペしてみますと、

【伝『日尊本』、茨城県富久成寺蔵。『日朝本目録』『平賀本目録』『刊本録内』等所収。
『日尊本』を「伝」としたのは、本写本は途中から(『定本』773頁「問云、如説修行の行者と申さんは」以降)
字体が変わっており、一筆でないことが挙げられる。全般的にいえば前半にくらべて後半は字が角張り
しかもやや右上がりである。ことに「修」「御」などに違いが顕著である。また、伊豆実成寺蔵、日尊筆
「日印への日興本尊等授与書」に見られる署名と本書奥の署名は著しく異なっている。
故に今は一応「伝日尊」としておく】(御書システム解題より引用) となっています。

しかし、富士年表に見るこの時期の日尊による各寺院建立は、ホントかいな? と思える
御開山上人伝説的なものを感じますね。
こうした流れの中に、修行抄が位置づけられたのかもしれません。

2723犀角独歩:2006/06/04(日) 12:02:35

独学徒さん、パンナコッタさん

有り難うございました。

‘5’というのは「上代諸師写本現存までが、一往信頼度の高い基準となるべき御書」ということで、しかし、従来、この書写は日尊とされていたが、一筆ではなく、どうやら、そうではないようだというのが、正信会の見解と言うことなのですね。

2724れん:2006/06/10(土) 17:42:27
独学徒さん・パンナコッタさん・犀角独歩さん。             
冨久成寺の修行抄は日尊本ではなく、伝日尊本で、まあ偽書とみて間違いないもの
ですね。と言うことはこの書を典拠として、日蓮の摂折論を云々することはナンセンス
に属することですね。御教示参考になりました。                           
しかし、ここまで文献を精査している正信会が、彫刻を後世の偽作と論証
しないのは、何故なんだろうかと、部外者の私も素朴に疑問に思います。

2725犀角独歩:2006/06/10(土) 18:01:04

れんさん、有り難うございます。

不思議ですよね、本当に。
「真偽をはっきりしてください」というと、「ご希望に添えません」ということでした。

わたしが正信会の於いて、いちばん、問題なのは、このような体質と、もう一つ加えれば、何ら確たる教義を持ち合わせていないことでしょう。

まさか学術的な地位、将来の石山の地位を得ることが目的なのかと言いたくなる体たらくです。

2726犀角独歩:2006/06/11(日) 12:21:58

お薦めスレッド445
独学徒さん

こちらに移動しました。

> 拭き掃除を行った彫刻が偽物

これはまったくそのとおりですね。
わたしは一度、正本堂でこの様を見ましたが、日顕氏がこの彫刻の前に立ち、湿らせた紙を一拭きしては次々と取り替えいきました。一度拭いてはぽいと捨て落とす繰り返しといった具合でした。けっこう、力を込めてやっているという印象で、拭くとしばらくその部分が塗れているのはわかりました。
鑑識眼があり、登座以前から偽物であるといっていた日顕氏が拭き、それが御秘符となっていくというのは、いま考え直すと、独学徒さんの憤慨は尤もだと思います。

> 『御秘符』…どのくらいの金額が必要

これはどうなのでしょうか。
末寺を通じて、本山に上げる「供養」ということなのでしょうが、特に決まりはなかったように思います。皆さん、それなりに出すのだろうと思います。

れんさんの「プラシーボ効果」というご指摘を読んで思い出したのですが、飲むのに当たって「最低1時間唱題してから」という‘ご指導’の伝言があったような記憶があります。

2727独学徒:2006/06/11(日) 13:32:39

犀角独歩さん、

>飲むのに当たって「最低1時間唱題してから」という‘ご指導’の伝言があったような記憶があります。

なるほど、このような使用上の注意まであったのですね。

れんさんご指摘の「プラシーボ効果」とその処方のあり方については全否定するつもりはありませんが、「拭き掃除に使った紙切れ」ではなく、もう少し別な口上はなかったのかと思います。
しかし、反面、そこまであの彫刻が信仰されていたという事実を物語っていますね。

2728藤川一郎:2006/06/13(火) 16:19:03
実は御秘符が「戒壇の御本尊をお拭きした布」だと言うのは違うそうです。
ある檀家さんの話では、御秘符を作成するための本尊が相伝され、その前で祈念の上、下されるそうです。
その元は秘伝であるから、明かせないが、少なくとも前記のような物ではない。
元々、大石寺で正式に「御秘布は戒壇本尊を拭いた布が元」とは言っていないようです。
公式な書籍でも「御法主上人に相伝されたもの」とはありますが、前記のような説明は一切ありません。
但し、その虚報が元に創価学会の板本尊を拭いた布で「御符」なるものが作られた事実はあるようですが。

2729藤川一郎:2006/06/13(火) 16:30:34
>>2726
>>飲むのに当たって「最低1時間唱題してから」という‘ご指導’の伝言があったような記憶があります。

日蓮正宗教師必携には
『手を清め、願主の仏壇に護秘符をお供えし、十分なる唱題の後、盃に清水を汲み、御秘符を浸し、薬指にて御秘符の紅を静かに溶かし、その水を病人に飲ませる。病人が重体で飲むことが困難な場合は、清潔な脱脂綿等に浸して、病人の唇を潤すように与える。また、病人は心中に題目を唱え、御本尊の御加護を祈念することが肝要であり、またそのように助言することが大切である。残った御秘符の用紙並びに包み紙は粗末にならないように火中にする。』
とありますので、大体そのような指導はあったと思います。

2730藤川一郎:2006/06/13(火) 16:32:40
2828
訂正します。
布→紙
ですね。

2731大縫薫:2006/06/13(火) 17:35:47
古来よりの秘符は楮紙(現代では薄い)に紅で中央に首題が染筆され左右に
不動・愛染が首題と梵字の間に病即消滅・不老不死となっています。
石山は板御本尊を拭いた紙を細かく切り護符と伝承し、その他の興門諸山は
略字本尊の形態になります。

2732犀角独歩:2006/06/13(火) 18:17:45

藤川さん
大縫さん

正確な所伝をご教示いただき有り難うございました。
わたしがもらった秘符はしかし、そのような体裁になっていた記憶はありません。

また、先にれんさんも日朗代筆真筆であることを示してくださった伯耆書と何故齟齬があるのか、その疑問は解消しません。

2733とんび:2006/07/05(水) 20:57:36
みなさん、こんにちは。
「法華経について」から、こちらに移動しました。
 病院で会った、法華講員の方の話です。

 彼は、
 阿 のく 多 羅 三 みゃく 三 菩 提      の脇に
地獄 餓鬼 畜生 修羅 天 人 声聞 縁覚 菩薩 仏 と書いてくれました。

 私の、うすら覚えでは、「あのくたらさんみゃくさんぼだい」は、十界を顕している
とか、十界が含まれている・十界を意味している...というような話をしていました。

 彼の凄いなと感じた一つに、「薬王菩薩本地品」を読んで、感動のあまり、実際に自身
の肘を焼いたというのです。実際にやけどの後を見せてもらいました。
 
 また、法華講員とはいうものの、独自教学で学んだような感じでした。
 とにかく、法華経を繰り返し何度も読んだとのことです。法華経を2冊持っていて
るらしく、もう一つの法華経は、ボロホロになっている...と話されていました。

 私は、経文には、全くうといのですが、彼は、法華経以外の経文のことやバラモン経典
のことまで、話してくれました。
 いろいろと法華経について教えてくれました。忘れたことが多いですが。

 彼の話を信じているとか、いうことではなく、こういう人もいるのだなあ...という
ことで紹介したいと思いました。
 まだ、つづきがあるので、後ほど紹介します。

2734今川元真:2006/07/07(金) 12:09:07
西明寺入道時頼殿が、 日蓮聖人を「三国比類無き妙法、後代ありがたき尊僧なり」と語ったのは、事実なのでしょうか?

2735れん:2006/07/07(金) 17:53:58
>2734
真偽は判りませんが、たとえば保田妙本寺さんにある“城佐兵衛奉書”の写本に「頃年数多真法の威力、御感尤も深し、三国比類無き妙宗・後代有り難き尊僧、何れの宗か之に比せん、日本国中に於て宗弘妨げ有るべからざるものなり、仍て執達件の如し。文永十一年五月三日 城佐兵衛奉 日蓮大上人」
という古文書があります。今川さんが仰っているのは、この文書の内容ですね。この文書は、最明寺入道時頼の時代ではなく、その子北条時宗の時代に設定されてます。
蓮師は御真蹟断簡によると大学三郎を通じて城佐兵衛=安達泰盛と親交があったらしいことがわかりますが、この古文書の真偽については私には判りません。

2736今川元真:2006/07/07(金) 19:42:24
遊撃インターネットと言う日蓮系サイトに(最明寺入道)時頼に感嘆されたと書かれてありました。不確かな情報なのにわざわざありがとうございました。

2737犀角独歩:2006/07/09(日) 06:43:22

『大日蓮』が株式会社になったそうです。

「宗教法人の出版事業のほうが税率が低いのに、何でこんなことをするのだろうか」とは、法律に詳しいこちらの常連さんの言でした。わたしも、即座にそう思いました。

三学無縁さんに訊くと、以下のような、類推見解を述べておられました。
参考になったので紹介させていただきます。

・『大日蓮』は元々、法道院で早瀬(道応)氏がやっていたもの。
・それを阿部氏が、石山宗務院内事部に移してしまった。
・この移動は、法道院と早瀬氏の知的財産権を奪った形である。
・今回、早瀬氏が登座し、亡き父の無念を晴らすため、株式会社にして、宗教法人大石寺と法的に分離したのではないか。

その狙いは、他にもありそうですが、なかなか興味深い分析であると思った次第です。ついで、法道院と阿部氏の確執について、話題は本尊問題に。

・以前は、大きな末寺では、版木で“本尊”を刷って出していたものだが、近代では、法道院が、これを法道院が一手に引き受けていた。ところが、『大日蓮』と共に、この印刷を、石山に移し、例のA印刷でするようになった。
・法道院は、『大日蓮』、“本尊”製造という、二大出版業務を早瀬(道応)氏の時代に取り上げられた…。

法道院と印刷出版は、早瀬道応(日慈)氏という立役者があってのことだったわけですが、ここで、三学さんは、もう一人を名指しします。浅井甚兵衛氏です。彼は、当時、有力な檀那であると共に、何より、印刷会社を経営していました。『日蓮正宗聖典』なども、彼の手による発刊でした。

現在、顕正会は、会館を各地に作り、そのたびごとに、どこからともなく、“本尊”を出してきては、入仏式を行っています。しかし、過去の発表では、“本尊”は8体しかないのであって、となれば、顕正会が“本尊”を濫造していることは、揺るがない事実であろうと観察できます。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1041207951/342

過去2回の、『諫暁書』?(こんなものの、どこが諫暁と言えるのか失笑の限りですが、それはともかく)の印刷・出版は、そして、一連の“本尊”濫造は、甚兵衛氏の時代に得たノウハウに基づくのかもしれません。

この妙信講の出版印刷権は、その後、創価学会に凌駕されていくことになります。照衛さんの池田氏への怨念は、実は、こんなところにもあるのでしょうか。


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