したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

素朴な疑問

2661れん:2006/03/01(水) 20:03:40
近代以降の所謂法躰相承といえば、応師が弁惑観心抄に述べるが如く石山法主による彫刻本尊の所有権の継承にあるでしょうね。しかし、石山歴代の著述(一般に正本写真が一部分でも公開されているもの)による限り、精師が家中抄において戒壇院安置の板漫荼羅の存在を言いだし、寛師が一閻浮提総体(総与?だとしても寛師の言うそれはあくまでも末寺僧俗と一般大衆との順逆二縁の結縁・末寺の僧俗の師弟相対・本山法主と末寺の住職との師弟相対の“信心”という前提にたっての総与であって、現在の“異流儀”化した学会の主張の如く“総与”だからみんなのものなどという低俗・低劣なものではないでしょう)・三大秘法総在云々の解釈を付し、応師に至ってその所有権の授受が法躰相承の正体とされるにいたっているように読めます。しかし、少なくとも現在の彫刻そのものは、独歩さんが明らかにされた如く、後世に石山の“誰か”が弘安三年五月九日付けの日禅授与漫荼羅を原本として作成されたもので、これをもって、法躰相承の正体とするのは近代以降の石山ならいざ知らず、上代の文献には見られないので、石山七百年の歴史のなかでも、比較的近代成立の新義ではないかと愚考します。
室町期の石山では九代日有師が「此ノ大石寺ハ高祖ヨリ以来干今仏法ノ付属不切次第シテ候」(聞書拾遺)「釋尊出世ノ本懐タル末法修行ノ寺ニ於テハ未三國立候處ニ此ノ富士大石寺ハ上行所傳ノ題目弘通寺の元ニテ候」(御物語聴聞抄)と述べているので、おそらく特定の漫荼羅の所有権の授受ではなく、そのものずばり上行所傳の題目すなわち「上行菩薩所傳妙法蓮華経五字」(法華取要抄)とそれについての法門口伝の継承の方が、むしろ歴史が古いのではないかと愚考しました。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板