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素朴な疑問

2705鳳凰:2006/03/16(木) 18:27:52
>伝言ゲームを自分の意見であると思い込んでいる類ではないでしょうか。
まず、会内で北林氏の自論を理解できるレベルの人間が果たしているか・・・?
それ自体が問題です。尚、この一文は私の教学力に対する憶測でしょうか?

誠に残念ながら、本日から出張が入ってしまうため、詳細は記載できません。
自宅に戻ってから、資料を紐解きお話させて頂ければと存じます。

ちなみに、結論だけを申すのであれば、北林氏の論に終始するつもりはありません。
ま、結論的には偽書であろうか?と言う「結果」においては同じですが、
彼とは異なったスタンスで考えてる点もございます。

勿論、偽書ではないであろうかと言う理由の証明として、北林氏による、
筆跡の問題、日蝕(実際には虫扁に虫)之時、日蓮宗の事情と言う、
偽書と断定する根拠は大いに依拠しようと思っております。

ただ、中山に伝わる『五輪九字明秘密義釈』等を考慮すれば、
大聖人が真言の影響を多々受けていたとのは事実でしょう。

しかしながら、そうだからと言って、簡単に「不動・愛染感見記」を真筆と断定する
方向に傾むけないのです。

その理由の一つとして、「奉請虚空蔵菩薩法」〜「作想法」では菩薩を招き、
菩薩を想像する行ですが、当然、「虚空蔵求聞持法の行」は多くの修行者が実施していたでしょうし、
この行において生身の菩薩を見たという、宗教的体験は修行者全員の共通財産
であったのではないかと想像してます。

昨今、これは、日蓮の己心の宗教体験を書いた書であるとの意見を聞きますが、
それよりも、「自大日如来至于日蓮廿三代嫡々相承 建長六年六月廿五日 日蓮授新仏」と
あるように、台密(東密)の相承を受けた事を証明するための書と思うのです。
ここで注視すべきは23代であります。真空からの相承であれば、
25代になるはずなのに、どうして23代なのでしょうか。

戸頃重基氏や、高木豊氏の説では、理性院血脈の日蓮は、
大和の「日蓮房重如」であり、大聖人とは別人であると言う見解を申しております。
ここで書かれている所の「日蓮」も「重如」と言う事はないのでしょうかね。

つづきは、出張より帰ってきてからとさせて頂きます。

>パンナコッタさん、
現実的ではありませんでしたね。仰る意味、良くわかります。
かような教学を述べる私は、学会の異端児と思われているかもしれません。
恩義口伝の偽作論、私もそう思っております。


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