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素朴な疑問

2706犀角独歩:2006/03/16(木) 20:45:38

鳳凰さん

> …私の教学力に対する憶測でしょうか?

「別の考えがある」との表明はありましたが、特に教学的なことを記されていないわけですから、憶測の仕様もありません。

わたしの記し方も言葉足らずであったかも知れませんが、感見記を偽書として真言未分を述べるような短絡思考は創価学会の世界でのみ通用する共通認識で、世間一般で、教学とか、論考と考えて北林本を読む人はいない、故に会内伝言ゲームの類としたわけです。

北林本に関しては、彰往考来さんが充分な反証をされていますし、すでに話題にもなったことで、この退屈な内容をまた繰り返すのには、わたしはお付き合いいたしません。ここでは既に議論され畢ったことですし、ストレートな言い方をすれば問題外。こんなことに時間を費やす気はないからです。

> 『五輪九字明秘密義釈』大聖人が真言の影響…事実

それもそうでしょうが、わたしが2702、3で記したのは、そもそも「漫荼羅」「本尊」「不動」「愛染」は真言宗の教義であり、それを活用する日蓮が、真言と未分のわけがないということですよ。

> …簡単に「不動・愛染感見記」を真筆と断定する方向に傾むけない

では、ご自身のお考えというものを証拠をもってお示しください。
話はそれからです。

日蓮は真言の影響も受けていることは確実です。
しかし、それと、感見記の真偽問題は別の問題です。
これを取り混ぜて、感見記は偽書、故に日蓮に真言未分はないという連想ゲームは短絡以外の何ものでもありません。

> …生身の菩薩を見たという、宗教的体験は修行者全員の共通財産
であったのではないかと想像してます。

これはいったい、何を仰っているのかわたしには理解できません。
日蓮の体験であり、その真言の修法における見仏体験(実際には菩薩ですが)が共通財産というのはいったい、どのような意味でしょうか。

> 理性院血脈…日蓮…重如

この点についても、当掲示板では充分に議論が為されています。
過去ログをご参考ください。

> ここで書かれている所の「日蓮」も「重如」と言う事はないのでしょうかね。

「ここ」というのは、何を指しているのでしょうか。
まさか感見記のことではないですか。
仮に重如筆ということであれば、重如の真筆ですから、これを偽書と言うことは成り立ちません。また、これが重如の筆であるという場合、どのような手順で、重如のものと断定するのでしょうか。感見記と比較した重如の確実な筆跡がない限りできないわけですが、これは何を参考にしたということでしょうか。

いずれにしても、当掲示板は挙証義務の遵守することをモットーとして、成り立っています。別の考えがあれば、その証拠を示したうえでお考え示されるのであれば、議論にもなります。石山の「うちには真筆の○○がある」といって、現物を見せず、強論する悪例もあります。そのようにならないためには、是非とも挙証のうえで議論にご参加ください。

では、出張からお帰りののちの、挙証論証を楽しみにしております。


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