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素朴な疑問
2710
:
鳳凰
:2006/03/20(月) 17:43:07
また、首の座について申しますと、御書を「9月12日」で検索しますと、
22の該当項目が出て参ります。
以前の議論では故事によせて、後代に伝説化が図られたとの趣旨の論調がありましたが、
しかしながら、御書を拝する限り、一概には申せないかと思う次第です。
【真言諸宗違目】(真筆)
「九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか「必ず心の固きに仮りて神の守り即ち強し」等」
●神の守りとの記述は、「諸天」を指すのは明らかです。
【報恩抄】(真筆)
「九月十二日の夜は相模の国たつの口にて切らるべかりしが、
いかにしてやありけん其の夜はのびて依智」
●「いかにしてやありけん」通常では考えられない何かが起こったと想像できます。
【一谷入道御書】(真筆)
「九月十二日重ねて御勘気を蒙りしが忽に頚を刎らるべきにてありけるが
子細ありけるかの故にしばらくのびて」
●「子細がある」との言は、何かの特別の意を含んでいると言えるでしょう。
真筆を拝した時、「諸天の守護」、「不思議な事に」、「子細あり」とする
日蓮の文言には、何かしらの特別な事情の存在が伺える気がします。
ただ単純に『盛久』から、首切りの話を創作したのだとの論調は、
一概に決め付けられないと思います。
さて、行ってきます。
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