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素朴な疑問
2714
:
犀角独歩
:2006/03/27(月) 16:01:24
鳳凰さん
> 「身」「拝」「見」
これは、北林本について言ったのではなく、先のご投稿では「身」に限った転を申し上げたのです。
これで見ても、たとえば、「見」の字はよく類似していますね。
また、初期の日蓮書名の特徴である‘日’字を‘白’のように書く癖、また、‘大’最終画から連綿と記す癖など、日蓮の癖字を感見記は有しています。しかしながら、字体比較するのであれば、感見記が建長6年である以上、同時期の字、もしくは近くの字をもって行うのが常道ではないでしょうか。そのような方法がなされていない点を申し上げるために、わたしは安第1(文永8年)と安第123(弘安5年)の漫荼羅を並べ出し、この隔年の量漫荼羅の字体が一致しないことを挙げたわけです。
> …「中間の時間」…日蝕…北林氏論は不要
そのようになります。
> 幕府要人による仮託
これは、すでに高木豊師の秀でた分析があります。
そもそも、ジャンプしてあげられた部分には『御義口伝』が当たり前のように引用されています。感見記については、字体から偽書を談じるのは、まあ、よいとして、その他は、なんら真偽考証がなされないアンバランスさが、この書の証憑性をさらに低くしています。
> 学会では北林氏の私説は到底受け入れられない
別に学会ばかりではなく、日蓮門下一般でも、受け入れられないでしょう。
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