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選挙・議員関連情報スレ

1■とはずがたり:2002/11/04(月) 21:34
とりあえず気付いたニュースなどを張り付ける事にしておく。

3887穏健保守系無党派:2014/01/13(月) 12:14:07
http://news24.jp/nnn/news8783989.html
旧社会党の衆院議員 田中恒利氏死去
(愛媛県)

 旧社会党の衆院議員を6期務めた田中恒利氏が12日午後、老衰のため西予市の病院で亡くなった。88歳だった。
 田中氏は昭和28年から県指導農協連、現在の県農協中央会で農業指導に携わり、昭和44年の衆議院選挙で旧社会党から出馬して初当選、それ以降農政通として農民の声を国政の場で訴え続け、「恒さん」の愛称で党派を超えて親しまれてきた。
[ 1/13 10:26 南海放送]

3888穏健保守系無党派:2014/01/13(月) 20:02:28
http://www.asahi.com/articles/ASG1F61QLG1FPFIB00H.html
元衆院議員の田中恒利さん死去 旧社会党
2014年1月13日19時51分

 田中 恒利さん(たなか・つねとし=元衆院議員)が12日午後7時39分、老衰で死去、88歳。葬儀は16日正午から愛媛県西予市宇和町皆田1460のセレモニーホール西予で。喪主は長女村上多代さん。

 1969年の衆院選(旧愛媛3区)で旧社会党から立候補して初当選し、96年まで6期務めた。

3889穏健保守系無党派:2014/01/23(木) 20:49:44
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014012300913
石渡清元氏死去(元自民党参院議員)


 石渡 清元氏(いしわた・きよはる=元自民党参院議員)20日午後1時13分、心不全のため横浜市の病院で死去、73歳。同市出身。自宅は非公表。葬儀は28日正午から同市西区元久保町1の1の久保山霊堂で。喪主は長男清仁(きよひと)氏、長女佐知子(さちこ)さん、次女佐弥子(さやこ)さん。
 1989年の参院選神奈川選挙区で初当選。当選2回。労働政務次官を務め、2011年に旭日重光章を受章した。(2014/01/23-20:39)

3890名無しさん:2014/02/23(日) 09:53:36
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/522668.html
下稲葉耕吉氏が死去、87歳 橋本内閣で法相務める(02/21 14:10、02/21 14:24 更新)死去した下稲葉耕吉氏

死去した下稲葉耕吉氏

 第73代警視総監で、橋本内閣で法相を務めた下稲葉耕吉(しもいなば・こうきち)氏が17日午後1時31分、敗血症のため東京都中野区の東京警察病院で死去した。87歳。鹿児島県出身。告別式は近親者で行った。

 1947年内務省に入省。徳島県警、大阪府警本部長などを歴任し、82年警視総監。退官後は政界に転じ、86年の参院選で初当選。第2次橋本龍太郎改造内閣で法相を務めた。

3891名無しさん:2014/02/26(水) 07:35:04
お前は、喫煙して「他人に迷惑をかける」から死んでくれ!!

http://www.youtube.com/watch?v=sixBUhZbJqo

車内や密室での喫煙を全面禁止!! 窓等を開けて喫煙も、全面禁止!! 煙!の匂いが、髪の毛や他に染み着く!!
屋内喫煙の全面禁止!、屋内喫煙場所は撤去!、屋内に喫煙場所は設置しない!
喫煙者の為に、灰皿を準備するな!! 喫煙を推奨してるのか!

喫煙者は、絶対に屋外喫煙!! 屋外の野天のみ!!、喫煙可能で後始末の義務化!!
喫煙者に、灰皿等の持参と後片付けを義務づけ!! 強力な罰則規定を!

全ての煙草、一律に1箱1000円へ!!

宜しく!!

3892神奈川一区民:2014/03/16(日) 11:47:20

【訃報】藤巻幸夫参院議員が死去 「結いの党」結党直後に みんなの党の田中茂氏が繰り上げ当選へ

 結いの党の藤巻幸夫参議院議員が15日、都内の病院で、
大動脈破裂のため亡くなりました。54歳でした。

 藤巻氏は「カリスマバイヤー」として活躍したほか、
テレビ番組のコメンテーターとしても知られました。
その後、2010年の参議院選挙にみんなの党から出馬し、
2012年に繰り上げ当選していました。
去年の暮れには、みんなの党の分裂騒動で結いの党に参加しましたが、
その直後にすい炎を患い、入院していました。
藤巻氏の死去により、みんなの党の田中茂氏が
繰り上げ当選する見込みです。

(03/16 07:37)
http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000023276.html

3893名無しさん:2014/03/21(金) 13:56:40
http://www.asahi.com/articles/ASG3G3QQFG3GUBUB00D.html?iref=comtop_list_obi_n03
元国会議員の細谷昭雄さん死去
2014年3月14日19時05分

 細谷昭雄さん(ほそや・あきお=元衆院議員、元参院議員、全国出稼組合連合会長)が12日、脳出血で死去、87歳。葬儀は15日、近親者で行う。喪主は長女ますみさん。

 1979年の衆院選(旧秋田2区)に旧社会党公認で当選して通算2期、89年の参院選(秋田選挙区)に同党公認で当選して1期、それぞれ務めた。出稼ぎ労働者の労働環境改善に尽力し、89年から全国出稼組合連合会長を務めていた。

3894名無しさん:2014/03/21(金) 13:58:52
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140315-00000413-yom-peo
山本繁太郎氏(前山口県知事)が死去
読売新聞 3月15日(土)14時46分配信

 山本繁太郎氏 65歳(やまもと・しげたろう=前山口県知事)15日、肺がんで死去。告別式の日時、場所は未定。

 国土交通審議官などを経て、2012年7月の山口県知事選で初当選。知事選直後に肺疾患で一時入院。昨年10月に再び入院し、今年1月に辞職した。官僚時代に培った人脈を生かし、昨年7月の山口・島根豪雨の早期復旧などに尽力した。

3896名無しさん:2014/05/10(土) 10:40:40
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140510/ehm14051002000001-n1.htm
「大樹が倒れた思い」 西田さん死去、業績しのぶ 愛媛
2014.5.10 02:00

 自治相を2度務めるなど、中央政界でも存在感を示した愛媛県選出の元衆院議員、西田司さん。9日、大洲市内の病院で85歳で亡くなった。政界引退後は表舞台から身を引いていたが、突然の訃報(ふほう)に県内のゆかりの人たちは「本当に味のある人だった」と、故人をしのんでいた。

 西田さんは旧長浜町長などを経て、昭和51年に旧愛媛3区で初当選。以来、当選8回を数え、国土庁長官や自治相などを務めた。平成15年に政界を引退。以後は政治の表舞台を離れ、大株主でもあった建設会社の経営からも身を引いていた。関係者によると、最近は同市内の病院にかかりながら自宅で過ごす生活を送っていたという。

 突然の訃報に県内ゆかりの人たちも故人の人柄をしのんだ。加戸守行・前知事は「西田さんの支援なしでは加戸県政は存在しなかった。南予への高速道路の延伸では本当に尽力していただいた。愛媛にとっては大樹が倒れたような思いだ」と話した。

 中村時広知事は「いぶし銀のようなタイプの政治家。味のある人だった。県の発展に相当貢献しているのに表に出ようとしなかった。松山市長に就任した直後はアドバイスもいただいた」と思い出を語った。

3897名無しさん:2014/05/11(日) 19:40:24
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140510-00000054-mai-peo
<訃報>西口勇さん87歳=元和歌山県知事
毎日新聞 5月10日(土)13時10分配信

 西口勇さん87歳(にしぐち・いさむ=元和歌山県知事)9日、急性呼吸不全のため死去。通夜は11日午後7時、葬儀は12日正午、和歌山市吹上2の3の36の吹上ホール。自宅は和歌山市湊551の8。喪主は長男徹(とおる)さん。

 1951年に県庁入りし、知事公室長、副知事などを務め、95年の知事選で旅田卓宗・前和歌山市長らを破って初当選。99年6月に病気で入院した後、同年10月に再選を果たしたが、8カ月余り後の00年7月に体調不良を理由に辞任した。同県南部を中心に開催した南紀熊野体験博(99年)を手がけた。

3898旧ホントは社民支持@鹿児島市:2014/05/31(土) 07:52:36
1990年の総選挙,東京4区では公明・大久保直彦と共産・松本善明が落選した。そこから参院に鞍替えし,平成会の副会長などを務めた。

大久保直彦氏死去(元公明党書記長)
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2014053000862
 大久保 直彦氏(おおくぼ・なおひこ=元公明党書記長)25日午後4時55分、脳梗塞のため東京都内の病院で死去、78歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は妻純子(すみこ)さん。
 69年に衆院旧東京4区から出馬し、初当選。7期務めた後、92年に参院にくら替えし、98年に政界を引退した。党国対委員長、党書記長を歴任した。(2014/05/30-18:51)

3899チバQ:2014/06/30(月) 23:59:59
>>3809-3813
http://www.asahi.com/articles/ASG6W5R23G6WUTFK009.html
セレブ鳩山家の慣れない節約 音羽御殿、由紀夫氏が相続
杉崎慎弥、中村信義
2014年6月30日11時33分

緑に囲まれた鳩山会館。入館料は一般500円。7、8月は休館=30日午前、東京都文京区音羽1丁目、朝日新聞社ヘリから、嶋田達也撮影
 東京都文京区の高台にたたずむ、「音羽御殿」とは鳩山会館のことだ。高級住宅街に2千坪の広さ。30日に公開された国会議員の所得等報告書をたどると、戦後政治史にもたびたび登場するほどの殿堂を、昨年2月に亡くなった母安子さん(享年90)から鳩山由紀夫元首相が相続していたことがわかった。巨額の管理費や税金をめぐって、セレブ一族の慣れない節約術も垣間見える。

 車の音が途切れることのない幹線道路から横道に一本それ、曲がりくねった坂道を上ると、地上2階建ての鳩山会館が現れる。隣接する庭園では、色とりどりの80種ものバラが来る人の目を楽しませてくれる。都会の喧噪(けんそう)からは隔絶されているかのような印象だ。

 「ようこそ」の文字で出迎えてくれるのは館長の由紀夫氏の顔写真をあしらった自動券売機。就任から日が浅いせいか、由紀夫氏の表情がぎこちなく見える。

http://www.asahi.com/articles/ASG6Y7WZNG6YUTIL03X.html
国会議員所得、過去5年で最高 投資による所得が大幅増
2014年6月30日10時35分
 衆参両院は30日、国会議員の2013年分の所得報告書を公開した。1人あたりの平均所得は2281万円で、前年から275万円増え、ここ5年で最高となった。歳費カットで給与所得が年々減る一方、有価証券や土地の譲渡、配当や利子など「投資による所得」が平均で493万円(前年比396万円増)あり、押し上げた。「アベノミクス」相場は、国会議員のふところを潤していた。

 公開対象となったのは13年の1年間を通じて議員だった衆参議員計648人。

 トップの鳩山邦夫氏(自民)は約29億円で、歴代最高額だった。大半が母方の祖父が創業したブリヂストンの株の売却益や配当だった。全対象議員の「投資による所得」は計約32億円。鳩山氏1人でその9割を占めた計算だ。

3900旧ホントは社民支持@鹿児島市:2014/08/11(月) 23:38:29
また,共産党の名物議員が一人。元特攻隊員で院議運委員を長く務めた。合掌。

東中光雄氏死去(元共産党衆院議員)
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2014081100350
 東中 光雄氏(ひがしなか・みつお=元共産党衆院議員)7日、肺がんのため大阪市都島区都島北通2の10の15の自宅で死去、90歳。奈良県出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長女植木佐智子(うえき・さちこ)さん。
 1969年の衆院選に旧大阪2区から出馬し、初当選。当選10回。(2014/08/11-13:57)

3901神奈川一区民:2014/09/29(月) 00:43:57

どうなるのかな、社民党は……。

<土井たか子さん死去>元社民党党首、女性初の衆院議長
毎日新聞 9月28日 22時33分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140928-00000058-mai-pol

 元社民党党首で女性初の衆院議長を務めた土井たか子(どい・たかこ<本名・多賀子=たかこ>)さんが20日、肺炎のため兵庫県内の病院で死去した。85歳。葬儀は近親者で営んだ。28日に社民党が発表した。社民党は後日、党葬か、しのぶ会を開く。

 1928年、神戸市生まれ。同志社大大学院修了後、同大で憲法学の講師となった。69年に社会党から衆院旧兵庫2区に出馬して初当選。連続12期務め、護憲派のリーダーとして活躍した。

 86年に女性初の党首として、社会党第10代委員長に就任。「ダメなものはダメ」など歯切れのいい言動で人気を集めた。リクルート事件や消費税が争点となった89年の参院選で「土井ブーム」を起こし、自民党を上回る46議席を獲得。与野党逆転を果たし「山が動いた」の名セリフを生んだ。93年8月の細川連立政権の発足時に、女性として憲政史上初の衆院議長に就任した。

 社会党が社民党に名称変更した96年に党首に復帰。福島瑞穂前党首、辻元清美氏(現・民主党衆院議員)ら市民派や女性の候補者を多く発掘した。

 しかし02年、辻元氏が秘書給与詐欺問題で議員辞職し、土井氏の政策秘書も逮捕された。03年の衆院選小選挙区(兵庫7区)で敗北(比例代表で復活)し、同年11月に党首を辞任した。

 05年の衆院選で落選、06年に社民党名誉党首に就任し、国政の第一線から退いた。【仙石恭】

3902とはずがたり:2014/09/29(月) 01:12:40
まだ時代が一つ回転しましたねぇ。
ご冥福をお祈りします。

3903旧ホントは社民支持@鹿児島市:2014/09/29(月) 22:51:15
いつだったか忘れたけれど(5,6年前?),中曾根・土井・不破と3人がサンデープロジェクトで対談をしていたのを思い出した。
歴史を経験した人たちの言葉は重いものだった。今の若い政治家たちもあと40年経てば,あれくらい話せるようになるのだろうか。
合掌。

3904チバQ:2014/10/01(水) 21:38:51
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/317465/
土井たか子氏 墓場まで持ち込んだ?北朝鮮の秘密
2014年09月30日 07時10分

党の顔だった土井氏(1989年7月の参院選)
 何を知っていたのか――。女性初の衆院議長で日本社会党と社民党で党首を務めた土井たか子氏の死去によって、北朝鮮の不都合な真実が封印された可能性があるという。土井氏は肺炎のため20日に兵庫県内の病院で死去。85歳だった。社会党党首として「おたかさんブーム」を巻き起こすなど一時代を築いた一方で、北朝鮮との親密な関係が批判されたこともあった。政府関係者は「拉致について何か知っていたと思われますが、もう聞くこともできません」と話した。

 永田町関係者は「集団的自衛権の問題や中国との独自外交ルートで存在感のある村山富市氏に比べて、土井氏は目立った活動をしていませんでいた。病気をしていたと聞いていましたが、最近は政界への影響力はほとんどなかったと言えるでしょう」と振り返る。

 一時代を築いた人物だった。愛弟子ともいえる福島瑞穂・前社民党党首(58)はツイッターを通じて「護憲を貫き、女性政治家として、政治家として、戦後政治を牽引してきた人生でした。わたしは、1998年立候補を説得され、憲法を守るために立候補を決意しました。政治の母親が亡くなったようで、本当にショックです」と憔悴感も漂わせる追悼コメントを出した。さらに「わたしは、土井チルドレン。政治の母の遺志をついでいきます」と気丈につづった。

 土井氏は1990年前後に「おたかさんブーム」で政界を席巻。86年に社会党委員長に就任し、89年の参院選で女性候補を多く擁立した「マドンナ旋風」により、自民党を過半数割れに追い込んだ。このとき発した「山が動いた」の名文句は歴史に残るものに。

 93年には女性として初めて衆院議長に上り詰めた。しかし、2000年代になって急激に人気を落とすことになる。02年と04年に小泉純一郎元首相(72)が北朝鮮を訪問。北朝鮮は拉致の事実を認め謝罪し、蓮池薫さん(57)ら拉致被害者が帰国した。別の永田町関係者によると「土井氏は北朝鮮による拉致を否定する趣旨の発言をしたり、北朝鮮はすばらしい国だと主張したりしていたこともあり、『全然違うじゃないか』と批判されました」。

 批判がやむことはなく、03年の衆院選で土井氏は小選挙区で落選、比例復活に追い込まれ、党首を辞任した。05年の衆院選では比例代表で出馬し落選。06年に社民党名誉党首となり、国政から退いた。結果的には北朝鮮寄りの姿勢があだとなったわけだが、どうして北朝鮮に近かったのか。

 世界各国から贈られた金ファミリーへのプレゼントが飾られている北朝鮮の「国際親善展覧館」には、土井氏が贈ったつぼが展示されている。それだけに親密な関係が疑われていた。

 政府関係者は「土井氏は拉致問題や北朝鮮の不都合な話について、何らかの情報を知っていたと思われます。これまで土井氏はこれらについて一言も話しませんでした。そして、文字通り墓場まで持っていってしまいました」と明かす。

 別の政府関係者も「社会主義国の北朝鮮にとって社会党はつながりやすかった。だからこそ土井氏が何かを知っているはずという話になるわけです。もっとも何を知っているかという具体的なことは分かりません。だからこそ土井氏に話を聞きたかったんです」と無念さをにじませた。

3905チバQ:2014/11/04(火) 22:23:37
http://mainichi.jp/select/news/20141104k0000e010179000c.html
田村元さん死去:辛口の政界ご意見番
毎日新聞 2014年11月04日 11時59分(最終更新 11月04日 12時02分)

 「自民党のご意見番」と呼ばれ「タムゲンさん」の愛称で親しまれた元衆院議長の田村元さんが亡くなった。現職時代から定評のあった辛口の政界批評は、引退後もたびたびマスコミに取り上げられるなど、「政治腐敗」を嘆きつつ、90年の生涯を閉じた。


 ◇「反金権」の田中派重鎮

 1955年の衆院選で旧三重2区から全国最年少議員(30歳)として初当選。その選挙運動で、選挙区内を駆け回った時に使った原付きバイクは、「初心忘れるべからず」と、毎年正月にしめ飾りを付け替えて、三重県松阪市内の事務所に飾っていた。

 衆院議員在職41年余り。運輸相時代は成田空港の開港、通産相時代はココム違反問題の処理に奔走した。

 大野派や田中派などに所属したが、派閥になじめず、「一匹オオカミ」といわれた。田中派では、派の重鎮でありながら、たびたび田中角栄氏と意見対立した。自身が関わり、不成功に終わった自民党総裁選での総理・総裁分離案提案や、「二階堂擁立劇」については引退後、「田中金権政治に反発してやったが、当時、絶対的な力を持っていた角栄さんに事前に漏れてしまった。ほろ苦い思い出」と話していた。

 引退後の2001年春には、森喜朗首相退陣をめぐる自民党の混乱について「情けないの一言。この期に及んで、派閥次元の愚かなことをやっている」と嘆いた。

 現職時代は終始、金権腐敗を批判したが、実弟が三重県建設業協会長を務めるなど建設業界の実力者だったことなどから、選挙戦では逆に、相手陣営から金権選挙と言われた。これに対して「弟の会社の株は1株も持っていないし、献金も受けたことがない。(実業家から政治家に転身した)藤山愛一郎さんも清らかな人だったが、大財閥ゆえに批判された。選挙戦とはそういうもの」と反発していた。【田中功一】

3906チバQ:2014/11/05(水) 22:24:43
http://mainichi.jp/select/news/20141105k0000m040128000c.html
訃報:田村元さん死去 地元・三重で惜しむ声
毎日新聞 2014年11月04日 22時21分

 元衆院議長の田村元(たむら・はじめ)さんが、老衰のため東京都内の病院で1日に死去した。90歳だった。死去が公表された4日、地元の三重県松阪市では、「タムゲン」の愛称で親しまれた田村さんの死を多くの関係者が惜しみ、政界からの引退会見で示した引き際の鮮やかさをたたえる声が聞かれた。

 後援会「はじめ会」の幹事長を務めた同市大黒田町、長束吉夫さん(85)は「いろいろな思い出の中で、特に印象に残っている」こととして、1995年6月27日の津市での引退会見を挙げた。「全く寝耳に水の話だった」という。

 地盤の新三重4区は、おいで当時新人だった田村憲久前厚生労働相に譲り、自身は比例代表から出馬するとみられていた。それだけに後援会にとって引退は驚天動地の知らせだったが、本人が「これ以上表明が遅れては、比例順位を発表する党に申し訳ない」と引退の意思を後援会幹部に伝えたのは、引退会見の直前だった。会見では、「一つの家系から2人の国会議員を出すのは憲政の邪道」と自説を述べた。

 長束さんは「引き際の見事さに圧倒された」と当時を回想。死去に「近年は入退院の繰り返しと聞いていた。もう一度お目にかかりたいと思っていたところだったのに」と目頭を押さえた。

 引退会見は、秘書にも事前に伝えられなかったという。四半世紀にわたり秘書を務めた同市川井町、田所弘年さん(73)は会見当日、支持者と共に訪韓中だった。「あの時の会見で(田村さんが)『いつも一緒の秘書さえこの場にいない。今朝、愛子(夫人)には伝えたけれど、周囲は誰も知らない』と言っていたのは事実」と打ち明け、「人情味にあふれ、支持者に対する分け隔てのない対応には頭が下がった。私には父親のような存在だった」と故人をしのんだ。【橋本明】

3907旧ホントは社民支持@鹿児島市:2014/11/26(水) 00:15:24
新党護憲リベラルに平和:市民,懐かしい…
土井たか子が逝き,國弘正雄も逝ってしまった…

元参院議員、国弘正雄氏が死去 同時通訳の第一人者
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014112501002200.html
 英語の同時通訳の第一人者で元参院議員の国弘正雄(くにひろ・まさお)氏が25日午後7時56分、老衰のため東京都世田谷区の介護施設で死去した。84歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日、しのぶ会を開く予定。喪主は弟正彦(まさひこ)氏。
 1969年にアポロ11号の月面着陸のテレビ中継で同時通訳をするなど、草分け的存在として知られる。三木武夫外相秘書官、民放キャスターなどを経て、89年の参院選で旧社会党の比例で当選し、1期務めた。

3908とはずがたり:2014/12/14(日) 23:30:34
池上さんの番組で中川秀直はけーん。懐かしい。まだ元気そうだ。

3909とはずがたり:2014/12/25(木) 12:49:56
どこが適切か思いつかないのでその他スレのここへ。

ヒトラーの演説術を言語学者が分析 実は途中から飽きられていた!
http://lite-ra.com/2014/08/post-359.html

 1930年代のドイツに独裁的な全体主義体制を確立した政治家であり、対外侵略の強行から第二次世界大戦を引き起こし、また人種差別政策のもとユダヤ人を迫害・虐殺したことで知られるアドルフ・ヒトラー。いまではその行ないのほとんどが否定されているが、なぜ彼は当時のドイツ国民から熱狂的な支持を集め、権力を掌握することができたのだろうか。その理由の一つとして、巧みな演説術があげられる。先ごろ中公新書より刊行された高田博行『ヒトラー演説 熱狂の真実』(中公新書)は、言語学者(専攻は近現代のドイツ語史)である著者が、ヒトラーの行なった膨大な演説を分析することで、彼の台頭の秘密を解いた一冊だ。
 ヒトラーの演説というと、激しい身振り手振りを交えながら絶叫するさまが思い出される。しかし、それはけっして恣意的なものではなく、綿密な計算にもとづいたものであったという。本書では、ヒトラーが首相就任直後の1933年2月10日、翌月の国会選挙を告知するための催しで行なった「ドイツ国民への呼びかけ」と題する演説を、その記録映像から細かく検証している。それを読むと、どこかの大臣ではないが「ヒトラーの演説に学んだらどうか」と思わず言いたくなるほど、巧妙な仕掛けが凝らされていることがわかる。
 ヒトラーは演説の冒頭から叫んだり激しく手振りしたりしていたわけではない。このときの演説ではまず「今年1月30日、国民を統合する新政府(ナチス政権)が樹立された」とおごそかに宣言、両手は下で合わせて、ジェスチャーをしないように意識して努めていた。声のほうは、ナチ運動を始めた理由を語り始めると、だんだん高くなっていく。
 両手を下で合わせるポーズは、聴衆の喝采やヤジを抑えるという側面もあった。だがそれだけでは間が持たない。そこで演説を進めながら今度は腕を組む。腕組みポーズは、静かな立ち姿を印象づけるものだ。このあとも、聴衆から喝采が起きると、ヒトラーはほんの一瞬、腕組みをしてジェスチャーを止めた。これには、《喝采という評価を受けつづけるよりも、自らの主張を語りつづけるほうが重要だとヒトラーが謙虚に考えていると聴衆に感じさせる効果がある》という。
 左右の手の使い分けも興味深い。「じわじわと個々のドイツ人の生活がさらに落ちぶれていった様子」という箇所で、ヒトラーは左手でリズムを取り、手刀を切る。
《左手はヒトラーの利き手ではないので、ゆっくりした激しくないジェスチャーをするのにあてがわれている。(中略)そしてその弱い左手が、そのあとに用意された両手と強い右手による激しいクライマックスのジェスチャーを引き立てることになる》
 このことだけでも、演説の内容にあわせて、じつに巧妙にジェスチャーが使い分けられていることがうかがえよう。このほか、ヒトラーのジェスチャーのなかでもとくに印象深い、指さしにもちゃんと意味があった。それはたとえば、「この」「これ」といった指示代名詞に結びついていたりするのだが、それ以上に、ヒトラーから見た敵対者を糾弾したり、事柄全般について否定したりする際に頻繁に用いられた。著者いわく《指さしによって、敵と味方、肯定と否定といった何らかの対比構造が背景にあることが聴衆に対して暗示されていると思われる》。

3910とはずがたり:2014/12/25(木) 12:50:23
>>3909-3910
 じつはヒトラーは、政権を掌握する少し前、1932年の4月から11月にかけて、オペラ歌手から発声法の指導を受けていた。これというのも、同年中に5回もの選挙戦を戦うなかで、ヒトラーは各地で多数の演説をこなし、声帯を酷使していたからだ。声帯麻痺を懸念する医師の勧めもあり、ヒトラーは訓練を受けることにしたのである。ただし、これは「演説の天才」というヒトラーのイメージを崩さないよう、秘密裏に行なわれた。

 デヴリエントというその指導役の歌手は、初対面時にヒトラーの演説を聴き、さっそくその問題点を見抜く。ヒトラーは1時間も演説すると、汗びっしょりで息も絶え絶え、それでも無理をして発声するので、声がしわがれてしまった。そのうえ《急速に声が弱まるのを大げさなジェスチャーでカバーしようとすることで、「田舎芝居」になる》。後日、本格的にレッスンに入ると、デヴリエントはまず、力を振り絞らずに行なうのが正しい発声法であることを教えた。一所懸命に発声練習に取り組んだ甲斐あって、レッスン1回目にして呼吸法は改善され、声量も増えたという。
 その後のレッスンでもデヴリエントは、「感情語」をきちんと感情を込めて発音すること、またヒトラーのジェスチャーは自己的で、これでは聴衆に媚びるだけだと鋭く指摘した。ジェスチャーについては、《むやみに手を振り回したり、揺すったり、指さししたり、振ったりするのはもうやめるべきで、ジェスチャーは意味を明確にするものでないといけないという説明がなされた》。先にとりあげた1933年2月の演説に、こうした指導内容が生かされていることはいうまでもない。
 もっとも、政権獲得直前にこのような指導を受けたとはいえ、ヒトラーが少年時代から演説を得意とし、その才能によって世に出てきたことはまぎれもない事実だ。本書によると、演説文の構成と表現法に関していえば、ヒトラーの演説は、遅くとも1925年頃(年齢でいえば36歳ぐらい)には完成の域に達していたという。
 もともとの演説力に加え、当時開発されたばかりのマイクやラウドスピーカーといった装置を用いることで、ヒトラーの演説は、聴衆に対し大きな到達力と深い浸透力を獲得する。さらに、短時間のうちに多くの場所での遊説を可能とした飛行機、またラジオや映画と、当時の新しいテクノロジーを駆使することで、ヒトラーは政権をとってからもそのカリスマ性をますます高めていった。
 だが、それにもかかわらずヒトラーの演説は、政権獲得の1年半後にはすでにドイツ国民に飽きられ始めていたというから意外だ。ラジオを例にあげれば、すべてのラジオ所有者は、同居者全員にヒトラーの演説を聴かせることが義務づけられ、聴けない場合はその理由を指定の用紙に記入せねばならなかったという。こうして見ると、反発を招いたのは無理もない。
 やがて1939年にはドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発、時間を追うごとにドイツが劣勢になるうち、ヒトラーの演説は説得力を失うばかりか、彼自身が演説をする気をなくしてしまうのだった。ヒトラーは失意のなか、1945年4月、連合国軍によるベルリン陥落直前、自ら命を絶つことになる。
《国民を鼓舞できないヒトラー演説、国民が異議を挟むヒトラー演説、そしてヒトラー自身がやる気をなくしたヒトラー演説。このようなヒトラー演説の真実が、われわれの持っているヒトラー演説のイメージと矛盾するとすれば、それはヒトラーをカリスマとして描くナチスドイツのプロパガンダに、八〇年以上も経った今なおわれわれが惑わされている証であろう》
 これは本書のエピローグにおける一文だ。ヒトラーに権力を与えたドイツ国民はプロパガンダに惑わされたのだと批判することはたやすい。しかしその批判こそが、ヒトラーのプロパガンダへの過大な評価を前提としているともいえる。だとすれば、あの時代のドイツ国民もいまの私たちもそんなに変わりはないだろう。せいぜい、政治家の巧みな弁舌に惑わされないよう、日頃から気をつけなければ。
(近藤正高)

3911チバQ:2015/01/29(木) 23:34:49
http://www.sankei.com/politics/news/150129/plt1501290034-n1.html
2015.1.29 22:17

女性初の議員 園田天光光氏さん死去

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 死去した園田天光光さん
 日本初の女性国会議員の一人だった園田天光光(そのだ・てんこうこう)さんが29日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。96歳だった。近く家族葬を行うが、日時と場所は非公表。お別れの会を後日開く予定という。

 園田さんは大正8年生まれで、女性の被選挙権が初めて認められた昭和21年の衆院選で初当選し、日本初の女性国会議員の一人となった。24年に園田直元外相の婚外子を妊娠し、その後園田氏と結婚したことから「白亜の恋」として話題を集めた。太陽の党の園田博之衆院議員は義理の息子にあたる。

 一時は政界から身を引いたが、直氏の死後に行われた61年の衆院選に旧熊本2区から出馬。博之氏と後継争いを演じた末、落選した。

 その後も女性の地位向上などの社会活動に取り組んでいた。

第38回衆議院議員総選挙 (1986年(昭和61年)7月6日執行)
当日有権者数:547,958人  投票率:81.56%(前回比:)
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率
当 園田博之 44 無所属 新 73,252票 17.0%
当 坂田道太 69 自由民主党 前 64,038票 14.9%
当 福島譲二 59 自由民主党 前 59,594票 13.8%
当 東家嘉幸 58 自由民主党 前 58,750票 13.6%
当 馬場昇 60 日本社会党 前 57,032票 13.2%
井上龍生 59 無所属 新 41,433票 9.6%
福永浩介 46 無所属 新 31,664票 7.4%
園田天光光 67 無所属 元 27,594票 6.4%
江副水城 47 無所属 新 12,375票 2.9%
久保山啓介 43 日本共産党 新 4,801票 1.1%

3912チバQ:2015/01/29(木) 23:57:49
http://www.asahi.com/articles/ASH1Y6TZLH1YUTFK00Z.html
元衆院議員・園田天光光さん死去 直氏と「白亜の恋」
2015年1月29日22時41分

 園田天光光さん(そのだ・てんこうこう=元衆院議員、園田博之・太陽の党衆院議員の義母)が29日、多臓器不全で死去、96歳。葬儀は親族のみで営み、後日、お別れの会を開く予定。

 東京都出身。1946年の衆院選に当時の「餓死防衛同盟」から立候補して当選した。初の女性衆院議員39人のうちの1人。47年に社会党、49年には労働者農民党から当選し、3期務めた。

 49年には当時の民主党衆院議員だった園田直氏(後に外相)と党派を超えて結婚し、「白亜の恋」と呼ばれた。直氏の死去後、86年の衆院選で、直氏の子の博之氏と旧衆院熊本2区で「骨肉の争い」と呼ばれた激しい選挙を戦ったが、落選。政界を引退した。

 79年に「平和大使人形」として100カ国の大使館に男子女子の市松人形100組を送り、57カ国から答礼として贈られた人形を展示する世界平和大使人形の館(熊本県天草市)の開設について、寄付を募るなど尽力した。手作りのブルガリア・ヨーグルトを国内に広め、ブルガリア共和国から勲章を受けた。

3913名無しさん:2015/01/31(土) 22:00:11
◆自民党:党内政局 その373◆ [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1422111428/
【保守本流】派閥の後継者争い②【保守傍流】 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1415180705/
民主党:党内政局総合スレッド432 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1422356550/
維新の党★14 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1422073905/
【下駄の雪】公明党総合スレ [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1416874168/
【謹賀新年】日本共産党(総合)Part81【躍進祈願】 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1420261291/
【旗びらき】日本共産党総合Part81【真の地方創生】 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1420260486/
日本共産党総合80 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1419143282/
【恋愛革命】社民党総合スレッドPart43【人類解放】 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1421584496/
生活の党 15 ★国民の生活が第一★ [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1420201311/
【統一地方選】次世代の党 六十七【改革】 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1420757686/
【タリーズ】会派「日本を元気にする会」【ボンバイエ?】 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1419933699/
◆ 太陽の党・たちあがれ日本 四十四 ◆
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1410796145/
【外国人参政権・移民に反対】太陽の党【親次世代】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1413428296/
新党改革
無し

【犯罪者喜美】みんなの党62【熊手】 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1416413122/

【共産党員】大阪維新の会89【東京コンクリ殺人】 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1416636532/

【インディーズ】諸派・無所属列伝 巻十一【泡沫】 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1416577158/

3914名無しさん:2015/01/31(土) 22:00:36
世論調査総合スレッド346 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1422140522/
世論調査のソースやデータを集めるスレ・6 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1422214661/

選挙制度・議会制度に関するスレッド31 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1418709605/
一票の格差スレ 定数是正15回目(c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1416385109/
最高裁判所裁判官国民審査スレその2 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1415800277/

今週の政界訃報案内 その10.5 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1415033472/
【昭和】政界回顧スレ part3【平成】 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1419719255/
政界のそっくりさん
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1412747552/

3916とはずがたり:2015/02/19(木) 08:44:35

「やじ将軍」松田九郎氏死去…元自民党衆院議員
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150210-OYT1T50148.html
2015年02月11日 01時00分

 元自民党衆院議員の松田九郎(まつだ・くろう)氏が9日、急性呼吸不全で死去。

 92歳。告別式は12日午前11時、長崎県佐々町市場免94の1北南葬儀社ベルホールSAZA。自宅は同県佐世保市大野町164の28。喪主は長男、正民(せいみん)氏。

 長崎県議を経て、1983年の衆院選で旧長崎2区から自民党公認で初当選し、2期務めた。自治政務次官などを歴任。国会で激しいやじを飛ばすことで知られ、「やじ将軍」とも呼ばれた。98年の衆院補選で公職選挙法違反(買収)に問われ、懲役1年10月の実刑が確定した。
2015年02月11日 01時00分

3917名無しさん:2015/02/19(木) 09:39:02
test

3918名無しさん:2015/03/21(土) 21:56:46
記事タイトルから期待したレベルの記事ではなかった。

http://tocana.jp/2015/03/post_5881_entry.html
TOCANA > 日本 > 陰謀社会学 > 公明党はなぜ創価党ではないの?
公明党はなぜ創価党ではないの? 政党名に隠された謎と真実!
2015.03.02

 みなさんこんにちは。ジャーナリストで作家の宇田川敬介です。

 日本には数多くの政党があり、それぞれの政党名で「政党の理念」や「政党が目指すべき政治姿勢」を示していますが、意外とみなさんご存じないですよね? そこで今回はあえて“雑学的”にそれぞれの語源から政党名を読み解いてみましょう。


■自由民主党/そもそも自由は我侭で奔放という意味?

「自由民主党」は、いわゆる「55年体制」(約3分の2の議席数を占め、政権を握る自由民主党と、憲法改正阻止に必要な3分の1の議席数を保持する野党の日本社会党の2大政党が議会で対立する政治体制)といわれる政界再編の中で、緒方竹虎率いる自由党と、鳩山一郎率いる日本民主党が合併して成立した政党です。

・「自由」とは?

 まず「自由」という言葉。日本では古来「自由」=我侭奔放という意味合いでした。それが今のような意味をもったのは、英国からの「Free」「Liverty」が「自由」と訳されたためだとされています。
 
 いずれにせよ、この訳は非常にあいまいなものです。「フリーダム; freedom」は、古英語の「freo」に由来され、この言葉には「気ままさや傲慢さ」が含意される場合があります。また近世までは特権を意味する言葉として用いられていたこともありました。本来、「自由」というよりは「勝手」「自由気まま」という訳での意味合いが強く、現代の意味と近いのはコチラかもしれません。

 一方、「リバティ; liberty」は、「社会的・政治的に制約されていない」「負債を負っていない」という意味合いがあり、自由の消極的側面が強調されています。もちろん、「リバティ」の方であっても「特権」というような意味で使われることもありますが、「フリー」に比べると非常に稀です。

 自由民主党の英文訳が「liberal」になっているのも、あくまでも「自由」であって「勝手」ではない、という意味合いがあるからではないでしょうか。


■社会民主党/そもそも日本に社会という言葉はなかった

 社会民主党は、その前身が「日本社会党」になります。1945年に社会大衆党や、左派の労働農民党、中間派の日本労農党、右派の社会民衆党など旧無産政党が集結し、1996年に社会民主党に名称を変更しました。

 社会民主党とは、英語で「Social Democratic Party」と訳されます。元々は社会主義を掲げ結成されていたわけで、その流れを組んでいるわけですね。

 ですがそもそも日本には「社会」というような言葉はありませんでした。日本の蘭学者・青地林宗が1826年に『輿地誌略』で用いた「社會」という言葉が、教団・会派の意味で初めて使用され、その後明治になって新聞でも使用されてから、一般化したとされています。

 そして「社会主義」とは「個人主義的な自由主義経済や資本主義の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想、運動、体制」のことを言います。そのために「個人:personal」に対比する概念として、本来は「集団」という単語を使うべきですが、もう少し広い意味で「社会:Society」という単語を使ったのです。

 現代では「社会」は単一の組織からまたは国民を総括して一括りにするまでさまざまな意味合いを持ちつつあります。

「民主」ではなく「社会優先」で「民主主義」ということ自体矛盾していますが、ここでいう「Democratic」は、「世襲制ではない」とか「寡頭政治」「貴族政治」ではないということに近いものであると考えられます。

3919名無しさん:2015/03/21(土) 21:57:17
>>3918

■日本共産党/共有という概念は江戸時代後期のもの?

 さて、共産党です。共産党は戦前、非合法でしたが、戦後合法化された政党です。「共産主義:Communism」の語源は「共有」や「共有財産」を意味するラテン語のコムーネ(communis)からきています。

 日本はこの「コムーネ(communis)」を「共」と訳すことが通常のようで、何も共産主義だけではなく「コミュニティ(英語:community)」も「共同体」と訳されています。「公共」などの「共」であり、「ともに」という意味がある単語になっています。

 しかし、これも江戸時代後期の訳文で、それまでは「共有」は当然のことですし、また「共有地」などではなく、例えば誰でもが入ってよい場所を「入会」という単語を使っていましたので、「共有」という単語が意味する「内容」が必要なかったのです。

 さて、その共産主義は、本来は「均一分配」「平等」を目指す体制のことで、その理念、共有化の範囲や形態、あるいは共産主義社会実現のための方法論などには古くから多数の議論があり、このため「共産主義」の定義は多数存在しています。

 中国は中華人民共和国という名の通り、共産主義の国家として知られていますが、この国の大躍進政策を見てもわかる通りに、その生産の過程からすべてを管理するということが一つの問題になっています。そのために「生産手段の私的所有を廃止して、公的所有を確立し、人間による人間の搾取をなくそうとする思想」ということも一つの理想となっており、生産物をすべて共有化し、作った人も、苦労した人も、功績のある人も、全て平等に分配するというのが彼らの理想となっているのです。

「日本共産党」は「日本において、共産主義を実現する政党」のはずですが、今では「確かな野党」といって、自分たちが与党になって政治を行うという意識がなく、単純に「反対のための反対政党」になっているのが現状です。彼らの中には、今でも「共産主義の理想」はあるのでしょうか。


■公明党 なぜ創価党ではない?

 公明党は1961年、創価学会を母体にした「公明政治連盟」ができ、翌62年には、9人の国会議員を輩出する勢力になりました。55年体制で保守・革新がしのぎを削っているところに、保守・革新という二分論ではない内容で議員を輩出する政党ができ「中道路線」といわれるようになったのです。

 さて、なぜ「創価」なのに「公明」なのでしょうか。

 実は戦後、違反や買収がない“公明正大な”選挙を行うための「公明選挙運動」が行われました。公明党は、その選挙の名称をもらったとは言いませんが、同じような意味合いで「公明正大な政党である」ということを主張したのではないでしょうか。また、「公明正大で政治的にクリーン」なイメージを最も大きく謳いたい政党だったのかもしれません。

 ですから、「公明党」の前身の「公明政治連盟」は、「公明選挙において創価学会の理念を政治に生かす連盟」という意味の連盟であります。もちろん「公明正大な政党である」というような理念も存在すると考えられます。

 ちなみに、公明党ができたことによって、選挙は「公明選挙」から「明正選挙」という名前に変わりました。そして現在は「明るい選挙推進運動」というように名前を変えているのです。

3920名無しさん:2015/03/21(土) 22:03:40
>>3919

■民主=奴隷を意味する言葉?

 さて、最後に自由民主党、社会民主党、ともに入っている民主という単語に注目してみましょう。

「民主主義」は「デモクラシー:democracy」と訳されます。これは、古代ギリシアの、「デモクラティア」からきており、「人民・民衆」の意味を持つ「デモス」と、「権力・支配」の意味の「クラティア」を組み合わせたもので「民衆支配」、「人民権力」、「国民主権」などを意味するとされています。

 さて、日本において「デモクラシー:democracy」を「民主主義」と訳したのはなぜなのでしょうか。

 そもそも「民」という漢字を単独で使うということはあまりありません。「民」という漢字の語源は、古代中国までさかのぼり、眼(瞳の無い眼)を針で突き刺すさまを描いたものといわれています。眼を針で突き、つまり視力を喪失させることで自由を奪い取られた人、すなわち「奴隷」を表していたんです。これが後に、目の見えない人のように物事のわからない多くの人々、支配下に置かれる人々の意味に変わりました。

 しかし逆に、「民」ということは「目の見えない人」ということですので、「民」という単語ひとつを使って物事を示すことはほとんどありません。逆にそのような大雑把なとらえ方をしていては民を治めることはできなかったということになります。

 そのために「民」という単語は、例えば封建領主との対等では「臣民」、通常の人であれば「平民」そして、国家の人々であれば「国民」というように、必ず「民」の属性をつけて、物事を表現するようになったのです。

 そして「民」が「主」ということ自体が、矛盾している言葉ということになります。何しろ「盲目に例えられるように何もわかっていない人を主体とした政治」ということですから、元来、成立するはずがないということになります。
 
 しかし、今は様々な国で「デモクラシー」の訳文として「民主主義」という単語が使われます。しかし、これはあながち間違いではありません。「奴隷」ではなく「何も見えていない人」という本来の意味に直して考えれば「しっかりと指導しなければならない」ということがその根本の意味になり、それを誤ると「衆愚:デマゴーグ」になってしまうということになるのです。ですから「民主主義」はあくまでも「国民が権力を持った政治制度」であるということでしかなく、同時にしっかりと指導しないと「衆愚」になってしまうという政治を推進するということになるのです。

 このように、日本語から見る政党名は、その政党名と政治の考え方だ出てきます。立党当初の理念と、現在の政治体制が異なるということは、時代の変化によって政治の要請が変わるということになるのではないでしょうか。
(ジャーナリスト・作家 宇田川敬介)

3921名無しさん:2015/03/29(日) 17:04:35
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150326-00010001-agora-pol
将来、政治家になりたい若者に伝えておきたいたった一つのこと --- おときた 駿
アゴラ 3月26日(木)10時10分配信

議会に党務に統一地方選挙の準備にとめまぐるしく毎日が過ぎていきますが、来月の選挙を控えて初挑戦をする若手予定候補から様々な相談を受けます。

受けててすごく強く感じたことがあって、今日はちょっとその事をば。
知名度もお金も地盤もなく突然「準国政」とも呼ばれる都議選に挑戦し、「ゼッタイ無理!!」という下馬評を覆して受かったわたくし。
当選の秘訣を聞かれて

「ネットで培った人脈で動員をして…」
「ゆるキャラを使用したユニークな選挙戦略を…」

とか色々と答えて来ましたが、すいません大事な前提を忘れていました。
つくづく思った私の勝因というのは、

「他人の選挙にガッツリ参加した経験があったこと」

です。

2011年の終わり頃から、衆院選の予定候補者の事務所に土日のどちらかは必ず顔を出し、1年間に渡って様々な種類のチラシを配り、ポスターを張り、政策を書き。

2012年12月の衆議院選挙では、会社へ怒涛の2週間有給申請で、文字通りの泊まりこみで早朝から深夜まで、選挙のすべてに携わってきました。

懐かしい…

残念ながらその時は惜敗をしてしまったのだけど、この1年に及ぶボランティアスタッフとして、そして選挙本番ではボランティアスタッフを指揮するリーダーとして、本当に貴重な経験を得ることができたのです。



残り1ヶ月になって、予定候補者たちの動きを見ていると

「おお、なかなか良い活動ができてるな」
「げげっ、この時期にそんな見当違いなことをやってるの…?」

という陣営に二極化してくるのですが、後者は予定候補者本人に選挙経験がまったくない場合が多いのです。

どれだけ選挙陣営にベテランが入ってきても、最後に決めるのは立候補する本人。
経験値がまったくないと、経験から適切な判断を下すことができません。

どんなチラシが受け取りがいいのか。
ポスター貼りのコツはなにか。

選挙戦本番には、どんな準備が必要なのか。
行動予定や優先順位はどのようにつくっていくか。

ボランティアスタッフはどのように鼓舞したらいいのか。
候補者として事務所でどう立ち回るべきか。

いちスタッフではなく、専門用語で「選対(選挙対策本部)」と言いますが、この選対の中心メンバーとなるくらい真剣に一つの選挙に関わって経験を積むことは、面倒だけど当選への一番の近道なのかもしれません。

3922名無しさん:2015/03/29(日) 17:05:39
>>3921



というわけで、将来は政治家になりたいと思っている方にいまアドバイスをするとすれば「とにかく選挙にかかわっておけ!」です。
それも我を忘れて没頭するくらいに、どっぷり浸かってみることをオススメします。

ぶっつけ本番はリスクが高いです!!

でもそんなこと言われても、どんな候補者を応援すればいいのやら…という方は、ぜひおときた駿事務所までお問い合わせ下さい。笑

来月の統一地方選挙、なんなら一人の「プレイヤー」として携わってみるのはいかがでしょうか?

さて明日は予算特別委員会の締めくくり総括質疑。
事務所に帰ってきたので、これから質問最終調整に入ります。

それでは、また明日。

おときた 駿

3923とはずがたり:2015/04/13(月) 20:45:53

名物男がまた一人逝きましたね〜。ご冥福をお祈りします。

「羽柴秀吉」で選挙 三上氏死去
http://news.goo.ne.jp/article/toon/region/toon-31562606.html
東奥日報2015年4月13日(月)01:08

 「羽柴秀吉」の名で出身地の金木町長選(当時)をはじめ、東京都知事選、大阪府知事選など全国の選挙に多数出馬、いずれも落選した、三上誠三氏(65)=五所川原市=が死去したことが12日分かった。11日、肝硬変のため同市内の病院で死去した。2007年の北海道夕張市長選では次点と善戦し全国的な話題となった。

3924旧ホントは社民支持@鹿児島市:2015/04/18(土) 22:12:15
後藤田正晴の親戚でもあったり。

元社会党衆院議員・井上普方さん死去
http://www.asahi.com/articles/ASH4L54N3H4LPUTB006.html?iref=comtop_list_pol_n02
 井上普方さん(いのうえ・ひろのり=元社会党衆院議員)が10日、肺炎で死去、90歳。葬儀は15日に行われた。喪主は妻誠子(せいこ)さん。
 67年に旧衆院徳島全県区で初当選し、90年まで9回連続で当選。党の国対副委員長、代議士会長などを務め、93年に引退した。

3925名無しさん:2015/05/16(土) 19:50:19
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150512-00043257-gendaibiz-bus_all
決定! 日本をダメにした10人 1位鳩山由紀夫 2位に菅直人。小沢一郎、竹中平蔵も当選
現代ビジネス 5月12日(火)6時2分配信

 デフレ、円高、株安に震災、そして原発事故と、あまりにも試練が多すぎたここ最近の日本。いまだに垂れ込める厚い雲は、誰が吐き出したものなのか。ハッキリさせておこう。この国の未来のために。

思いつきだけの男
 せっかく景気が上向き始めたというのに、どこか気分が晴れないのはなぜだろう。株価がどれだけ上がっても、相変わらず日本社会に蔓延する「閉塞感」はいったい、どこから来るのか―。日々のニュースを眺めながら、なんとなくこう感じている人も多いはずだ。

 本誌は今回、長きにわたって政界を見守ってきた識者たちに、「21世紀の日本をダメにした最大の『戦犯』は誰か」を聞いた。最も多くの識者が挙げたのは、3年と3ヵ月の間政権を担った、民主党政権の人々である。彼らは国民の期待を一身に受けながら、それを裏切り、粉々に打ち砕いた。政治評論家の田崎史郎氏がまず言う。

 「そもそも、民主党に政権運営を担う実力があったのか、ということです。官僚を動かすことはおろか、党内をまとめることさえできなかった。現在の安倍政権のしたたかさと比較するならば、赤ちゃんと大人ほどの実力差があったといえます」

 たった6年前、民主党は日本中の期待を一身に集めていた。政権交代以外に道はない―国民は心からそう信じ、'09年夏の総選挙に臨んだ。その結果が、308議席の圧勝と、支持率70%の鳩山由紀夫政権誕生だった。

 しかし、いきなり雲行きが怪しくなる。「日本を変える」と喧伝した彼らの公約「マニフェスト」は、とうてい実現不可能なシロモノだったのだ。東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏が振り返る。

 「特に問題だったのは、沖縄の基地問題への対応でしょう。『最低でも県外』という言葉はあまりに有名ですが、当時、鳩山氏の発言に民主党議員からほとんど異論が出なかった。つまり鳩山氏だけでなく、民主党の公約だった。しかし、その政策が正しいのか、どうやったら実現できるのかについて議論する雰囲気さえ党内になかったのです」

 政治評論家の浅川博忠氏も、こう述懐した。

 「'09年当時、官邸で鳩山総理に会った時、私は『今からでも発言を撤回して謝ったほうがいい』と言いました。しかし鳩山さんは自信に満ちた表情で『そんなことはない』と答えた。『何か案があるんですか』と聞いたら、『徳之島だ』と言うんです」

 当時、民主党は鹿児島県の徳之島に飛行場を移そうと考えていたが、地元の強い反対で後に断念したという経緯がある。

 「私はすでに徳之島の首長が軒並み移設に反対しているという情報を掴んでいたので、鳩山さんにその旨を伝えました。でも彼は『それは違う。大丈夫だ』と言い張る。

 つまり彼は、側近が上げてきた『絶対に大丈夫』という報告を信じ込み、正しい情報を全く把握していなかった。結局その数ヵ月後、発言を撤回することになるわけです」

 思いつきで夢のような政策をぶち上げるが、実現のためにどう動けばいいのか分からず、現場を仕切る人材もいない。ずぶの素人が官邸の主になったも同然だった。

 対案も根回しもなく「県外移設」を断言する鳩山氏に、アメリカ政府は激怒。さらに日米関係の亀裂を突くように、中国は尖閣諸島周辺の海へ船舶を次々侵入させた。裏切った期待の大きさ、そして日本の国益に与えたダメージという点で、鳩山氏は群を抜いている。

3926名無しさん:2015/05/16(土) 19:51:01
>>3925
オモチャみたいに軽い男
 民主党にはムリかもしれない―鳩山政権の体たらくに、少なからぬ国民がそう気づいたが、簡単に後戻りも効かない。後を受けた菅直人総理も、悪い意味で歴史に名を残す総理となってしまった。

 菅氏が東日本大震災発生翌日の'11年3月12日、ヘリで福島第一原発に降り立ち、事故現場をさらに混乱させたことは知られている。なぜ彼はこの無謀な「現地視察」に踏み切ったのか。政治アナリストの伊藤惇夫氏は「そもそも、総理としての器に問題があった」と分析する。

 「私は、総理大臣には『なったら総理』と『なりたい総理』がいると考えています。つまり『総理になったら何をするか』と考えて総理になる人と、『ただ総理になりたい』というだけの人。菅さんは後者の典型で、初当選の頃から『総理になるにはどうしたらいいんだ』と人に聞いて回っていた。覚悟も理念も哲学もないから、あんなパフォーマンスに出たのでしょう」

 ある意味で、東日本大震災は民主党政権にとってチャンスにもなり得たはずだった。例えば「原発を即ゼロにし、再生可能エネルギーを国の主要電源に据える」といった、自民党には実現できない大胆な改革を打ち出すこともできたのだ。しかし、菅氏も結局何もできなかった。鳩山氏と同じく、彼はビジョンも実行力も備えていなかった。前出の浅川氏がこう語る。

 「本来、政権与党は役人をいかにうまく扱えるかが問われます。しかし、菅さんは彼らに無視され、踊らされただけだった。『事業仕分け』も財務官僚はせせら笑っていましたよ。『民主党には木の枝の先っぽしか見えていない。それで蓮舫(参議院議員)なんかは喜んでいる。オモチャみたいに軽い政権だ』と」

 国民の期待を裏切り続け、地に落ちた民主党政権の評価。それでも国民は、実務家風の野田佳彦総理に「三度目の正直」とチャンスを与えた。

 だが野田氏は、またもや国民を裏切った。それだけではない。衰弱した日本に追い討ちをかけたのだ。ジャーナリストの須田慎一郎氏が言う。

 「野田政権は『消費税増税さえ決めなければ』ということに尽きます。彼が消費税増税のレールを敷かなかったら、もっと早く日本は景気回復の軌道に乗れたはずでした。

 『年金・医療・介護の財源をまかなうため』という理屈は分かる。しかし、本当に日本の財政がそれほど危険だったのかどうかという点は、今も疑問が残ります。増税するにしても、景気回復を待ってからで間に合ったはずです。結局、自分が親しかった当時の勝栄二郎財務事務次官以下、財務省の言い分を鵜呑みにしただけなのではないか」

 先の2人の総理は、あまりに政権運営能力がなかったために、役人たちにうまく「操られる」ことさえできなかった。だが野田氏には、中途半端に実務能力があった。結果として、彼は霞が関の忠実な僕となった。

3927名無しさん:2015/05/16(土) 19:51:46
>>3926
何もかもぶっ壊し過ぎた男
 鳩山、菅、そして野田。たった3人の総理、期間にしてわずか3年3ヵ月。あれよあれよという間に、日本は後戻りのできない窮地に追い詰められた。なぜ私たちは、「民主党にやらせてみよう」と一瞬でも思ったのか―政権交代劇で暗躍したあの「黒幕」について指摘するのは、京都大学名誉教授の中西輝政氏である。

 「'09年当時、政権奪取前夜の民主党内で、最大の実力者は小沢一郎氏でした。鳩山氏と菅氏は、しょせん小沢氏に使われていたにすぎません。そして民主党政権誕生をめぐる政局で、小沢氏は勝利しましたが、日本は完全に道を誤ってしまった」

 自民党にいた頃から、小沢氏の行動パターンは変わらない。「見栄えがよくて軽いみこしを担ぎ、自分は裏で好き勝手に振る舞う」―民主党政権とは結局、小沢氏が権力奪取を目論んでプロデュースし、生み出した政権だったというわけだ。中西氏が続ける。

 「政権交代直前、小沢氏は自公政権を揺さぶるため、国政を機能不全に陥らせたのです。'07年に自民党との『大連立』が失敗すると、翌年に日銀総裁人事に異を唱え、あえて自民党との対決を演出し、自身の求心力を高めようとした」

 この時の日銀総裁人事で、小沢民主党が推した人物こそ、白川方明前日銀総裁だった。

 おそらく小沢氏は、単に「自民党案に反対できれば誰でもいい」と考えて白川氏を担ぎ出したのだろう。だが、この選択が期せずして、日本経済に深刻なダメージを与えることとなる。前出の長谷川氏が言う。

 「白川さんは『金融政策はデフレ脱却には効果がない』と考えていましたが、そもそも『金融政策に物価をコントロールする力がない』と考える人が金融政策を担当して、上手くいくはずがない。

 金融緩和に実効性があることは、黒田東彦総裁に交替した途端、株価が上昇へ転じたことが証明しています。白川さんはその逆をやり続け、庶民を円高とデフレで苦しめた。もし彼が日銀総裁にならなければ、日本はあと5年早くデフレから脱却できていたと思います」

 民主党が下野したとき、多くの国民はこう思った。「初心者」に政権を委ねたのは間違いだった。もう野党には期待できない―。ジャーナリストの鈴木哲夫氏が指摘する。

 「民主党最大の罪は、国民を失望させ、結果的に現在の自民党一強体制を作り出す手助けをしてしまったことだと思います。

 民主党政権は大事なときに党内をまとめきれず、自民党がマネできないような抜本的改革も、言うだけで実現しなかった。今、安倍総理の政策に各論では反対の人が多いにもかかわらず、安倍政権が高支持率を保っているのは、国民が野党ひいては政治そのものに幻滅しているからでしょう」

 経済学者で明治大学准教授の飯田泰之氏も、鈴木氏と近い見解を寄せた。

 「民主党政権は、国民の期待に応えるどころか、むしろデフレと増税という日本停滞の大きな要因を作ってしまいました。経済政策があまりにまずかったため、『リベラル勢力は経済に弱い』というイメージを国民に植え付けてしまったのです」

 民主党政権に徹底的に裏切られた記憶が、今なお日本人最大の「トラウマ」になっているのだ。

 さらに、野党の体たらくについて、少し違った角度から語ったのが評論家の呉智英氏である。

 「私は、元社民党党首の福島瑞穂氏も間接的に『日本をダメにした』と考えています。彼女は理想論を学級委員のように唱えるだけで、自分の信念にもとづく政策を決して語ろうとしない。空論を振りかざすだけの姿に、有権者は『この人たちに政権を預けても、当事者能力はない』と幻滅している。そのせいで、『野党が何を言ってもムダだ』という世論まで生まれてしまったのです」

 「与党に反対することが自分の仕事」と決めてかかり、無責任な立場に安住するさまは、現在の民主党も同じ。こうしている間にも有権者は「日本にマトモな野党はない」と不信を募らせているのに、彼らはそれを自覚すらしていないのだ。このままでは、再び政権を任せてもらえる日は決してやって来ないだろう。

3928名無しさん:2015/05/16(土) 19:51:55
>>3927

 では、一方の自民党には何の非もないのかというと、まったくそんなことはない。もとを辿れば、国民が素人集団と分かっていながら民主党に縋らざるを得なくなったのは、自民党政権で日本がガタガタになったからだ。

 東京大学医科学研究所の上昌広特任教授は、医師の視点からこう語った。

 「自民党政権で道を誤った政治家というと、森喜朗・小泉純一郎の両元総理が浮かびます。森政権の前後、内需拡大のために道路工事など公共事業に毎年10兆円近いカネが使われました。その借金が、いまだに国民にのしかかっている。あのとき医療や社会保障に投資していたら、ここまで日本の医療はダメにならず、地方の経済が土建依存体質になることもなかった。

 さらに小泉政権は、改革の名の下に科学行政を役所へ丸投げしたので、官僚が好き勝手をするようになり、組織も人材も育たなくなってしまった。いわゆる『STAP騒動』も、過熱する予算獲得競争の果てに起きた事件という側面があります」

 「改革を断行する」「自民党をぶっ壊す」と叫び、国民を熱狂させた小泉氏。だが、今振り返れば、あの頃を境に日本は完全に変わってしまった。

 物事は単純であればあるほどいい。小難しい理屈は鬱陶しい。仕事がないのも、貧乏なのも、モテないのも自己責任。格差はあって当たり前―小泉氏が繰り返した「ワンフレーズ」が、日本人の新たな「価値観」になってしまったのだ。評論家の佐高信氏が指摘する。

 「私は小泉氏が重用した竹中平蔵氏の存在も大きいと思います。竹中氏は『慶應義塾大学教授』と紹介されることが多いですが、一方では人材派遣会社パソナの会長を務め、かなりの収入を得ているはずです。それなのに、大学教授の肩書で中立を装って政府の審議会に参加し、労働者派遣法の改悪に手を貸して、あげく『正社員は必要ない』とまで主張して憚らない。さすがにおかしいでしょう」

3929名無しさん:2015/05/16(土) 19:52:41
>>3928
メディアを堕落させた男
 そして、竹中氏と同時期に小泉氏に引き立てられた人物がもう一人いる。安倍晋三現総理である。

 「小泉元総理は、自民党のいい部分までぶっ壊してしまった。党内で異論を唱える人には選挙で『刺客』を送り込んで切り捨て、結果として自民党は人材の厚みを失った。これが現在の、総理に誰一人異論をさしはさめない『安倍一強体制』の土壌を生みだしたのです」(前出・伊藤氏)

 確かに今、安倍総理に対抗しうる人物は、自民党の内外を問わず見当たらない。ポスト安倍政権は「院政が始まる」とまで囁かれるありさまだ。この状況に、前出の佐高氏は懸念を強めている。

 「政治家の最も大切な役目は『国民を飢えさせないこと』そして『戦争をしないこと』ですが、安倍総理は両方破ろうとしています。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で日本の食を脅かし、周知の通り安保法制も変えようとしている。反対意見は封じ込め、受け入れない。とても自民党本流の政治家とは思えません」

 かつて自民党には、タカ派からハト派までさまざまな人材がひしめき、決して「安倍独裁」のような状況は生じなかった。なぜ、清濁併せ呑む「古き良き自民党」は消えてしまったのだろうか。

 ひとつの大きな原因は、本来は政権の監視機関たるマスコミが、いまや完全に政権と同じ側に立ち、反対する者を袋叩きにして恥じないことである。

 「読売新聞の渡邉恒雄主筆は、言論を殺したと言っていい。『言論には言論で応じる』というメディアの原則を破り、批判記事に裁判で応じるなんて、自分の意見に自信がないことの証拠です。

 最近はマスコミ各社の幹部が安倍総理と頻繁に会っていますが、こうした権力との癒着も彼以前にはありませんでした。メディアの権力監視機能を壊した責任は、極めて重い」(前出・佐高氏)

 二度と過ちを犯さないためには、われわれ国民が時代を読む目を、人を見る目を養うしかない。

 「週刊現代」2015年5月9日・16日合併号より


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週刊現代

3930名無しさん:2015/05/16(土) 23:23:37
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150514-00000000-pseven-soci
村山談話 国会決議を阻止した当人がその意図と経緯を語った
NEWS ポストセブン 5月14日(木)7時6分配信

「一強多弱」の政界で、安倍晋三・首相の政権運営に正面切って異を唱える勢力はない。それは、安倍首相による「戦後70年談話」についてもそうだ。こんな時こそ本誌名物、もはや怖いもののなくなった老人党座談会の出番だ。政治と戦争を体験した村上正邦(82歳・元自民)、矢野絢也(83歳・元公明)、平野貞夫(79歳・元民主)の3氏が「談話」について語り合った。

──安倍首相は1995年の村山談話とは文言を変えた戦後70年談話を発表しようとしていますが、村山談話はどういった経緯で出されたのでしょうか。

村上:村山富市さんは純粋な方でね。自・社・さの連立政権の総理に推された時に、なぜ大臣もやったことのない、官邸にも行ったことのない自分が総理になるのかを真面目に考えた。翌年がちょうど戦後50年という節目の年だった。そこに必然的な意味があって、日本がけじめをつけるための天命であると考えて総理を引き受けたわけです。

 まあ、村山さんを担いだ自民党側は、悪人どもがいろいろ知恵を巡らせたんでしょうな。戦後50年とかどうでもよくて(笑い)、とにかく政権に復帰するために亀井静香らが村山さんを担ぎ出した。ただ、村山さん自身はもっと純粋に考えていた。

矢野:今も村山元首相は、日本はこれでいいのかという気持ちで、村上さんや私などの議員OBでつくる「さとやま・草莽(そうもう)の会」という政治の勉強会の筆頭呼びかけ人にもなっている。

村上:そうなんです。村山さんはもともと戦後50年のけじめを談話ではなく、国会決議でやろうとしていたんだよ。当時の自民党政調会長は加藤紘一、幹事長は森喜朗。加藤が遺族会とか靖国関連とか、決議文に反対しそうな団体に根回しした。それで大丈夫そうだってことで自民党の役員会を開いたら、どっこい、私が反対した(笑い)。

平野:そうそう。

村上:何で反対したかというと、ここに決議文があるんだけどね(と紙を出す)。日付は平成7(1995)年6月9日。

〈世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する〉

 これだと「こうした行為」は、「植民地支配」や「侵略的行為」を指すわけで、あまりに自虐的すぎる。だから、「こうした」という四文字を外せと主張した。役員会は紛糾して、私があんまり頑張るから、みんなうんざりしていたよ。結局、四文字を外すことになったんだが、印刷物で回ってきた決議文を見たら外れてない。翌日の衆議院でそのまま決議されたんだ。

 騙されて頭にきたからね、絶対に参議院では決議させないと決めた。私は参議院の自民党幹事長だったから、もう歯牙にもかけなかったよ。国会決議は衆参両院で決議しないといけないから、流れたんです。それで村山さんは首相談話という形で発表することになった。

平野:補足するとね、そこに至るまでの助走があったんですよ。1993年に細川護熙政権が誕生して、細川総理は8月15日の武道館の戦没者追悼式典で元自民党の政治家として初めて、我が国の侵略行為や植民地支配に反省とお詫びの気持ちを述べた。1995年当時の自民党は、社会党と連立を組むために細川さん以上のことをやらないかんとなって、戦後50年の国会決議という話が出てきた。

村上:やっぱり悪人が暗躍しとるんだよ(笑い)。

平野:私は平和主義者ですからお詫びは必要だと思うけど、歴史観や価値観にかかわる問題は、国会の多数決で決める話ではない。

村上:人が100人いれば、100通りの歴史観があるんだよ。村上水軍だって、水軍なのか海賊なのか、立場や見方で変わるでしょう。それを国会で1つにまとめようとしたらダメだよ。

平野:そういうことです。国会はそうしたことを決議する機関ではない。ところが、自民党のエセ平和主義者たちときたら……。

矢野:国会決議しちゃっとるんですな、衆議院は。

平野:だから、新進党は議員141人が欠席した。村上先生が頑張ってくれたおかげで参議院では決議されず、談話で出すしかなくなった。談話でいいんですよ。細川さんもスピーチでしたから。

※週刊ポスト2015年5月22日号

3931とはずがたり:2015/06/01(月) 18:10:27

最近は体調悪かったですもんねぇ。

町村信孝・前衆院議長が死去
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00010001-doshin-pol
北海道新聞 6月1日(月)17時37分配信

 官房長官、外相などを務めた自民党の町村信孝(まちむら・のぶたか)前衆院議長=衆院道5区=、当選12回=が1日午後2時15分、脳梗塞のため東京都内の病院で死去した。70歳だった。

 静岡県沼津市出身。北海道知事を3期務めた故町村金五氏の次男で、祖父は「北海道酪農の父」と呼ばれた金弥氏。東大経済学部卒。旧通産省(現経済産業省)を経て1983年に衆院初当選し、97年に文部相で初入閣した。その後、初代文部科学相、党総務局長などの要職を務めた。政策通として知られ、最近では北海道新幹線の開業前倒しなどを検討する与党新幹線PT座長などを務めた。

 2006年から党内最大派閥「清和政策研究会」(現細田派)の会長を通算6年務め、12年には党総裁選に出馬したが、選挙戦の最中に軽い脳梗塞で入院。同じ派閥から出馬した安倍晋三首相に敗れた。14年12月に衆院議長に就任したものの再び体調が悪化。入退院を繰り返す状態が続き、今年4月20日に議長を辞任して治療に専念していた。

北海道新聞

3932とはずがたり:2015/06/01(月) 18:18:47
思わず訃報スレのここに投下しちゃったけど現役議員だから補選あるし衆院選スレが対象だっけ??

3933旧ホントは社民支持@鹿児島市:2015/06/01(月) 19:13:52
こないだまで元気だったのに…ショックだなあ。

3934神奈川一区民:2015/06/01(月) 19:36:51

>>3931
議長を辞任した時点で、もしかしたらとは思いました。
でも、急でしたね。

お悔やみ申し上げます。

3935名無しさん:2015/06/07(日) 16:17:13
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00000554-san-pol
町村氏死去 石破氏「突然のことで言葉もない」
産経新聞 6月1日(月)19時0分配信

 石破茂地方創生担当相は1日、町村信孝前衆院議長の死去について「あまりにも突然のことで言葉もない。また元気に戻ってこられて、日本政界全体あるいはわれわれ後輩をご指導いただけるものと思っていたので極めて残念だ」と述べた。首相官邸で記者団に語った。

3936名無しさん:2015/06/07(日) 16:18:59
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00000555-san-pol
民主・岡田代表「机を並べて仕事をした。非常に残念」 町村氏死去で
産経新聞 6月1日(月)19時4分配信

 民主党の岡田克也代表は1日、国会内で記者団に対し、町村信孝前衆院議長の死去について「若いころからご一緒することが多かった。通産省時代に2回、机を並べて仕事をした。個人的にも非常に残念だ」と述べた。

3937名無しさん:2015/06/07(日) 16:38:06
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00000557-san-pol
町村氏死去、生活・小沢氏が涙 「ボクより年下で残念…」
産経新聞 6月1日(月)19時12分配信

 「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎共同代表は1日、国会内で記者団に、町村信孝前衆院議長の死去について「僕より年齢が下で本当に残念に思う。自民党時代、グループが違ったからプライベートで付き合った仲ではないが、頭の良い方で気のとてもいい同僚だった」と目に涙を浮かべながら語った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150601-00000093-mai-pol
<町村氏死去>頭脳明晰な人…安倍首相らが驚きの声
毎日新聞 6月1日(月)21時34分配信

 自民党の町村信孝(まちむら・のぶたか)前衆院議長=北海道5区=が脳梗塞(こうそく)のため70歳で死去した1日、与野党から驚きや悼む声が上がった。4月に議長を辞職する際は、軽い脳梗塞(こうそく)と診断されたが、記者会見して公の場に姿を見せたばかりだった。

 1日夕、国会内での自民党役員会。町村氏から派閥会長を引き継いだ細田博之幹事長代行が訃報を伝えると、安倍晋三首相(党総裁)らが驚きの声を上げたという。谷垣禎一幹事長はその後の記者会見で、「突然のことでみな驚がくした。何とも言葉がない」と沈痛な面持ちで語った。

 細田氏は役員会後、記者団に「頭脳明晰(めいせき)で経済にも明るく国際性もあった。小泉政権時、私が官房長官、町村氏が外相で、在日米軍再編問題で苦労したことを思い出す」と振り返った。5月12日の派閥パーティーへの出席を求める電話をした際、「出たいけど失礼する」と話したのが最後だったという。

 後任の大島理森衆院議長は「町村氏の信念と思いを受け止めて、議長職を果たさなければならない」と述べた。当選同期の二階俊博総務会長も「真面目でよくできる人。もう一働きしてもらいたかった」と悔やんだ。

 旧通産省で後輩の民主党の岡田克也代表は、1月に代表就任あいさつの際、町村氏から「健康には気をつけろ。自分もああ(脳梗塞)なるとは予想していなかった」と助言されたという。「議長として1票の格差是正に意欲を燃やしていただけに、非常に残念だ」と語った。【影山哲也、福岡静哉】

3938名無しさん:2015/06/14(日) 20:17:01
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150613-00000104-san-pol
「うぐいす嬢」らのセクハラ深刻、レイプ被害も…選挙活動中は訴え無かったことに
産経新聞 6月13日(土)14時48分配信

 「バスの中で体を触られた」「ブタと呼ばれた」。統一地方選を機に、女性への暴力根絶などに取り組む「女性と人権全国ネットワーク」(東京)が、いわゆる「うぐいす嬢」など選挙活動に関わる女性へのセクハラ・パワハラ被害を明らかにしようと呼び掛けたところ、全国から31の事例が寄せられた。

 中には「レイプ被害に遭った」との深刻な事例もあった。同ネットワークの佐藤香共同代表は「選挙期間中は当選を目指して一致団結が求められ、被害を訴え出ても『我慢しろ』『和を乱すな』と、無かったことにされてしまうことがある」と指摘する。

 同ネットワークは安全な選挙活動を考える契機にしようと、4〜5月にメールで事例を募集した。

 候補者本人が加害者になったのは8事例で、「選挙活動に使うバスの中で体を触られた」「『ブタ』といった侮辱的なニックネームで呼ばれた」など。ある女性は、加害者である候補者の「良いところ」をうぐいす嬢として一日中宣伝し続ける苦痛を「自分の魂を裏切り、自分の宣伝を聞く町の人もだましている気がした」と訴えた。

 運動員や支援者、秘書などが加害者になったのは23事例。運動員からレイプ被害に遭った女性は「他にもいるうぐいす嬢の中から選ばれたのだから、光栄だと思え」と言われたという。

 佐藤さんは「報復や給料の減額を恐れ、周りに打ち明けられなかった女性もいた。被害を無くすため、選挙管理委員会や各政党でも、ルール作りをすべきではないか」と話す。

3939名無しさん:2015/06/14(日) 21:54:45
>>3937

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150608-00000013-pseven-soci
故・町村信孝氏 紋切り型でなくその言が楽しみな政治家だった
NEWS ポストセブン 6月8日(月)16時6分配信

 自民党最大派閥・清和政策研究会の前会長である町村信孝・前衆院議長(享年70)が6月1日に急逝した。
 
 町村氏は学生運動真っただ中の東大経済学部在学中にノンセクトのリーダーとして全共闘と対立し、「町村殺せ」とまでアナウンスされた武勇伝の持ち主だった。卒業後は通産省を経て1983年に初当選。北海道知事や警視総監を務めた父親の反対を押し切って政界入りした。
 
 政治家としてのキャリアは安倍首相の父、安倍晋太郎・元外相の下で積んだ。1997年に第二次橋本龍太郎改造内閣で文相として初入閣。以後、閣僚を歴任し、2006年に清和研会長に就任し、最大派閥の領袖となった。政治ジャーナリストの野上忠興氏が語る。
 
「理論派の町村さんは政界でも直言居士として知られ、理屈に合わないことには相手が誰であろうと歯に衣着せぬ言い方をしてきた。おべんちゃらが嫌いで、安倍首相にも容赦はしない硬骨漢だった」
 
 そんな性格ゆえにトラブルを起こすこともあった。2008年、官房長官時代に母校の東大での講演で、「早くいい相手を見つけて結婚して、次の世代を作る。これは皆さん方の義務だと思う」「私はちゃんと義務を果たして2人の子供を作った」と語り、当時社民党議員だった辻元清美氏から、「子供を産まないカップルは義務を果たしていないのか」と追及されたこともあった。
 
 ただし、外を向いて声を荒らげるだけの最近の軽薄政治家とは違った。
 
 2013年末、安倍首相の靖国参拝を米国が批判したことに衛藤晟一・首相補佐官が「米国には失望した」と発言すると、町村氏は「自民党全体がたるんでいる、傲慢になっているとの例に使われる。百害あって一利なしだ」と一喝。昨年11月、首相が消費税再増税を先送りして解散したことには、「消費税と解散がどうして論理的につながるのか全く理解できない」と疑問を突きつけた。こんなエピソードもある。
 
 2007年に民主党の議員がUFOの認識を問う質問書を提出。政府は、「UFOの存在は確認していない」とする答弁書を出したが、当時の町村氏は、「絶対にいる。そうじゃないと、ナスカの地上絵なんて説明できない!」と力説していた。
 
 紋切り型の答弁かヤジしか口にしない議員が多いなか、その言を楽しみにできる政治家だった。合掌。

※週刊ポスト2015年6月19日号

3940旧ホントは社民支持@鹿児島市:2015/06/16(火) 21:07:54
元社会党書記長、馬場昇さん死去
http://www.asahi.com/articles/ASH6J5TVNH6JTLVB01B.html?iref=comtop_list_obi_n02
 元衆院議員で社会党書記長を務めた馬場昇(ばば・のぼる)さんが15日、死去した。89歳だった。通夜は17日午後6時、葬儀は18日正午から熊本市中央区河原町23の豊住葬祭斎場で。喪主は長女朝子(ともこ)さん。
 熊本県芦北町出身。県内の高校で教壇に立ち、県高教組委員長、日教組副委員長などを経て、1972年の衆院選の旧熊本2区で初当選。7期務めた。82年に党書記長。93年に落選、政界を引退した。
 引退後も護憲運動や水俣病の被害者支援に取り組んだ。水俣病問題では、73年に患者と原因企業チッソとの間で結ばれ、現在も認定患者に適用されている補償協定の作成に関わった。

後藤茂さん死去 元社会党代議士会副会長
http://www.asahi.com/articles/ASH6J67GLH6JUTFK011.html?iref=comtop_list_obi_n01
 後藤茂さん(ごとう・しげる=元衆院議員)は5日、肺炎で死去、89歳。通夜、葬儀は近親者のみで行った。喪主は妻晏代(やすよ)さん。1976年の衆院選(旧兵庫4区)で社会党から初当選。通算6期を務め、党代議士会副会長などを歴任した。

3941とはずがたり:2015/07/03(金) 12:35:34
現実路線を重視…旧社会党委員長、田辺誠氏死去
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150703-OYT1T50043.html?from=ycont_top_txt
2015年07月03日 12時10分

 旧社会党で委員長を務めた元衆院議員の田辺誠(たなべ・まこと)氏が2日、前橋市内の病院で死去した。

 93歳だった。告別式は11日午後1時、前橋市天川大島町1035の7前橋メモリードホールで行われる。喪主は長男、潔氏。

 田辺氏は前橋市出身。前橋郵便局労組書記長、群馬県議を経て、1960年11月の衆院選で旧群馬1区から初当選した。91年7月に旧社会党委員長に就任し、96年10月の衆院選を機に引退するまで当選11回を重ねた。

 旧社会党右派の最大派閥「水曜会」を率い、現実路線を重視し、政権を担える「ニュー社会党」路線への脱皮を目指した。

 83年9月、書記長に就任。90年9月には自民党の金丸信・元副総理と北朝鮮を訪れ、「第18富士山丸」の船員釈放で一定の成果を収めた。だが、自民、社会両党と朝鮮労働党による「3党共同宣言」に「戦後45年間の償い」が盛り込まれたことなどが厳しく批判された。

 委員長就任後は、92年の国会審議で国連平和維持活動(PKO)協力法をめぐり、牛歩戦術や議員辞職願提出など徹底した抵抗戦術を繰り広げた。92年7月の参院選で大敗し、93年1月に委員長を辞任した。

 社会福祉をライフワークとし、政界引退後は前橋市内の老人ホームを運営していた。

3942とはずがたり:2015/07/05(日) 16:23:57

地方議員半世紀の元県議、車と電柱に挟まれ死亡
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150629-OYT1T50061.html?from=yartcl_outbrain1
2015年06月29日 13時53分

 28日午前10時15分頃、長野県豊丘村河野の村道で、元県議で飯田日中友好協会長の森田恒雄さん(82)が道路上に止めた車が動き出し、外に降りていた森田さんが、車と道路わきの電柱の間に挟まれた。

 森田さんは胸や腹を強く打ち、搬送先の病院で死亡が確認された。

 飯田署の発表によると、現場(道幅約4メートル)は上り坂で、森田さんが車を止めて降りた後に後退したという。同署で原因を調べている。

 森田さんは豊丘村議6期、県議7期と、地方議員を半世紀以上務めた。2011年に県議を引退した後も、社民党飯伊総支部代表として活動したほか、13年4月に阿智村に開館した満蒙開拓平和記念館の建設にあたっても中心的な役割を果たした。

3943旧ホントは社民支持@鹿児島市:2015/07/20(月) 21:54:27
佐々淳行氏の姉でもあります。三島由紀夫とも交際歴あり。
参院議員としても活躍されました。ファンだったんですけど。

紀平悌子・日本婦人有権者同盟元代表死去
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015072000350
 紀平 悌子氏(きひら・ていこ=元参院議員、日本婦人有権者同盟元代表)19日午前11時56分、東京都大田区の病院で死去、87歳。福岡市出身。葬儀は親族のみで行い、後日しのぶ会を開く予定。喪主は長男太郎(たろう)氏。
 日本の女性運動をリードした故市川房枝氏に師事し、1972年に市川氏が創設した日本婦人有権者同盟の会長に就任。会長・代表として通算約30年にわたり、女性の政治参加に取り組んだ。
 89年の参院選では熊本選挙区から無所属で立候補し初当選。95年まで1期務めた。(2015/07/20-21:09)

3944とはずがたり:2015/08/05(水) 07:54:35
ご冥福をお祈りします。
笑>「歩く国会先例集」との異名を取った。
それにしても土井・田辺・山口と最後に社会党が大政党として輝いてた(まあ輝いてなかったと云う評価も出来るだろうけど。。)時の幹部が相次いでお亡くなりましたね。時代だなぁ。

元社会党書記長の山口鶴男氏が死去…89歳
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150804-OYT1T50081.html
2015年08月04日 23時45分

 元社会党書記長で村山内閣の総務庁長官を務めた山口鶴男(やまぐち・つるお)氏が3日午後8時45分、群馬県内の病院で肺炎のため死去した。

 89歳だった。告別式は7日午後1時、群馬県草津町草津464の31西あがつまいずみセレモニー。自宅は草津町草津293。喪主は妻、栄(さかえ)さん。

 草津町出身。旧制桐生工業専門学校を卒業後、中学、高校で教壇に立つ一方、群馬県教組役員として活動した。県議を経て、1960年衆院選に旧群馬3区から出馬し初当選。11期務めた。

 江田三郎元書記長に近く、社会党右派の実力者として、右派の最大派閥「政権構想研究会」代表などを務めた。長年、衆院議院運営委員会理事や党国会対策委員長を務め、「歩く国会先例集」との異名を取った。

3945名無しさん:2015/09/16(水) 20:32:36
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150916-00053596-playboyz-soci
武藤貴也、上西小百合両議員を生み出した「公募」上がりの政治家がヒドすぎるワケ
週プレNEWS 9月16日(水)6時0分配信

安保法案以外で最近の永田町を騒がせた話題といえば、上西小百合衆議院議員と武藤貴也(たかや)衆議院議員の不祥事だろう。

上西氏は秘書との「ズル休み旅行」疑惑で、武藤氏は「国会議員枠の新規未公開株がある」などと詐欺まがいの金銭トラブルが問題となった。武藤氏は他にもツイッターでの不適切発言や、議員宿舎に不適切な関係の人間を連れ込んだ疑惑もある。

このふたりの共通点は、政党の「公募」に受かって国会議員になったということ。どーしてこの人たちが合格できちゃったのか? そんな素朴な疑問を解消するべく徹底取材をしてみると、しょーもなさすぎる公募の実態が明らかに…。

まずは公募の基本的な仕組みを理解しよう。各政党は候補者の決まっていない選挙区や比例区で立候補する人材を探すために公募制を採用している。基本的な選考方法は小論文と面接。党によっては演説やペーパーテストなども加わる。自民党本部の幹部関係者T氏が解説する。

「公募には優秀な方もたくさん応募してきます。しかし、優秀な人が合格するかといえば、必ずしもそうはならないのが現状です。いくつか問題点はありますが、まずは“選ぶ側”のレベルが低いということが言えます。自民党の場合、郵政解散総選挙(2005年)の時までは党本部が選考を行なっていたのですが、それ以降は地方に任せているんです。

地方とは、都道府県連や市町村支部のこと。具体的には、都道府県会議員や市町村議会議員、事務方の幹部らですね」

その人たちのレベルが低いってこと?

「残念ながら、その通りです。例えば、学力の低い地方議員がハイレベルな論文を読んでもピンとこないんですよ。それ以前に彼らは自分たちよりも“上”の人間を嫌うんです。衆院議員は基本的に各選挙区の支部長になるので、地方議員にとっては事実上の上司に当たる。つまり、部下になる側が“未来の上司”を選考するという、いびつな構図になっているんですよ。

だから、単純に感じのいい青年や見栄えのいい女性を選んだりする。逆に自分たちを見下しそうな優秀な人に対してはコンプレックスを感じ、避けたりするのです。

大体、地方議員は国会議員と違って政治資金の使途に関してチェックの目が甘い。だから、税金から拠出される政務活動費でマッサージチェアや高級車を買ったり、飲み食いに使ったりしてしまう議員も多いんです。そんな連中が、武藤さんのように金銭トラブルを起こしそうな人を見極めることなんて不可能ですよ」(T氏)

マジか…。でも、これは自民党だけの話ではないようだ。維新の党の議員がため息交じりに語る。

「2012年の総選挙前、我々も公募で候補者を募りました。主に『維新政治塾』の塾生から選ぶ作業だったので、短時間の面接だけではなく、塾を通じて何度も顔を合わせてコミュニケーションをとることもできた。応募者には優秀な人がたくさんいましたが、上西さんだけではなく、ビミョーな人が数多く合格してしまった。これには裏があります。

選考作業を担ったのは、主に大阪府議や大阪市議、堺市議たちでした。彼らは当時の“維新ブーム”に乗って、自分たち自身が国政に転じて出馬したい気持ちを持つ者が少なからずいたのです。でも橋下さんがそれを許さなかった。そんな背景があり、政治の素人が自分たちを飛び越して国会議員になることが面白くなかったんですよ。

だから能力や資質ではなく、国会議員になっても自分たちをバカにしなそうな人とか、自分たちよりも学歴が下の人とか、腰が低い人、単純に若い女性なんかを選出してしまったんです…」

お粗末にも程があるぞ! 発売中の『週刊プレイボーイ』39・40合併号では、さらに公募に多額の金が裏で動いている実態とその問題点を追求しているのでお読みいただきたい。

(取材・文/菅沼 慶)

■週刊プレイボーイ39・40合併号(9月14日発売)「武藤貴也、上西小百合らを選んでしまう『政治家公募』の現場がヒドすぎる!」より

3946名無しさん:2015/09/19(土) 19:10:14
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015091900207
塩川正十郎氏死去、93歳=「塩爺」の愛称、小泉政権で財務相

 内閣官房長官や自民党総務会長などを務め、「塩爺(しおじい)」の愛称でも親しまれた塩川正十郎(しおかわ・まさじゅうろう)元財務相が19日午前10時15分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。93歳だった。大阪府東大阪市出身。葬儀は24日正午から大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館で。喪主は長男耕士(こうし)氏。

 慶大経済卒。大阪府布施市(現・東大阪市)の助役を経て1967年に自民党から衆院旧大阪4区に出馬し初当選。当選11回。運輸相、文部相、官房長官、党税調会長、党総務会長などを歴任した。
 2001年発足の小泉内閣に財務相として入閣。ひょうひょうとした語り口で人気を博し、小泉純一郎首相の後見役として存在感を発揮した。特別会計の無駄遣いに業を煮やし、国会で「母屋(一般会計)でかゆをすすっているのに、離れ(特別会計)ですき焼きを食べている」と答弁した際は、野党からも喝采を浴びた。
 安倍晋三首相の父である安倍晋太郎元外相(故人)に近く、首相候補だった同氏を森喜朗元首相らとともに支え、「安倍派四天王」と呼ばれた。
 03年11月の衆院選に出馬せず、政界を引退。その後は東洋大総長を務める一方、テレビ番組などにも出演し、政界のご意見番として活躍した。 (2015/09/19-18:35)

3947名無しさん:2015/09/22(火) 10:20:35
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150922-00000503-san-pol
浪速のエリカ様、武藤貴也議員…“チルドレン系”議員になぜスキャンダルが相次ぐのか?
産経新聞 9月22日(火)8時30分配信

 未公開株をめぐる金銭トラブルなどが報じられ自民党を離党した武藤貴也衆院議員(滋賀4区)は、本会議を欠席する日々が続いている。与野党から議員辞職を求める声もチラホラ…。振り返れば、小選挙区制度が導入されて以降、政党への「追い風」に乗ってバッジを付けた“チルドレン系”議員による問題行動が世間を騒がせた例は、枚挙にいとまがない。多くは政党による候補者の「公募」出身者だけに、ベテラン議員は憤る。「公募なんてやめちまえ」-。

 「現段階では議員辞職は考えていない。法的問題はない」

 武藤氏は8月26日の金銭トラブルに関する釈明会見でこう語った通り、議員辞職はしていない。

 武藤氏をめぐっては、離党の原因となった金銭トラブル報道のほか、平成24年の衆院選で選挙スタッフとして雇用した男性から未払いの報酬を請求する訴訟を起こされ、約30万円を支払うことで和解していたことも判明している。さらに、週刊文春は衆院赤坂宿舎で未成年の男性に金を払い、性的な行為をしていたと報じた(本人は否定)。

 法的問題は司直に委ねればいいし、個人の性的嗜好をどうこういうつもりはない。問題は“選良”としてきっちり仕事をしているかどうかだ。

 自民党中堅議員は「記者会見後、改正マイナンバー法が成立した9月3日など、法案採決をする本会議を欠席している。採決は国会議員にとって最も大事な仕事といっていい。大事な職責を果たせないなら、すみやかに議員辞職すべきだ」と手厳しい。

 衆院議院運営委員会で9月16日、民主党の理事が「野放しはよくない。何らかの措置、対応をしなければダメだ」と語り、オブザーバー出席した共産党議員も「無所属とはいえ、もともとは自民党が公認した。責任を取るべきだ」と自民党に迫った。議運委理事会で今後、対応を検討する。

 “浪速のエリカ様”こと上西小百合衆院議員も記憶に新しい。国会をサボって男性秘書と旅行に出かけた疑惑が報じられ、所属していた地域政党「大阪維新の会」の橋下徹代表(大阪市長)の逆鱗に触れて大阪維新だけでなく維新の党からも除籍処分を受けた。それに懲りるどころか、その後はテレビ出演を繰り返し、フォト自叙伝まで発売している。

 そうした若手議員の行動について、自民党の谷垣禎一幹事長は8月19日の記者会見で、小選挙区制度に問題があると分析している。

 「私は前々から、1回ごとに振り子のように大量の落選者、次に大量の当選者を出すことは、必ずしも若い人が順調に育つことにはならないという思いを持っている。昨年12月の選挙は、2回続いて比較的振り子ではなかったが、淘汰という意味では少し問題がある。小選挙区制で議員を順調に育てるにはいろいろ工夫が必要だ」

 要するに、大した苦労もなく風向きだけで当選した議員は問題を起こしがち、という認識なのだろう。

 確かに、小泉純一郎元首相が仕掛けた平成17年の衆院選で自民党に「小泉チルドレン」が、21年衆院選では政権を奪取した民主党の陣頭指揮をとった小沢一郎氏(現・生活の党と山本太郎となかまたち代表)にちなんだ「小沢チルドレン」「小沢ガールズ」が誕生した。

 さらに、自民党が政権復帰した24年衆院選でも、安倍晋三首相の人気を追い風にして当選した「安倍チルドレン」、橋下氏が率いた当時の日本維新の会の「橋下ベイビーズ」ら、新人議員が大量に生まれた。

3948名無しさん:2015/09/22(火) 10:20:47
>>3947

 そして、それぞれの言動が注目された若手議員が目立った。

 小泉チルドレンでは、現在タレントとして活躍している杉村太蔵氏だろう。

 比例代表南関東ブロックに35位という絶望的な順位で名簿登載されたが、自民党圧勝で当選した。「シンデレラマン」を自称し、「BMWが欲しい」「料亭に行ってみたい」など常識外れの言説を繰り返した。また、自らを「フリーター、ニート世代の代表」と公言し、同世代の反感も買った揚げ句、党幹部を伴い謝罪会見を開くという前代未聞の事態に発展した。

 その後は発言を控えたためか、徐々にメディアからフェードアウトしていった。衆院北海道1区へのくら替え出馬も模索したが願いはかなわず、国政復帰は果たせていない。

 小沢ガールズでは、田中美絵子氏が耳目を集めた。河村たかし名古屋市長の秘書を経て、21年の衆院選で石川2区から出馬。森喜朗元首相に挑み、選挙区では落選したものの比例代表で復活当選した。当選後はドラマでヌードを披露していた過去や官僚との路上キス写真が報じられ、政治家としての本業よりもスキャンダルが目立った。

 24年には、テレビカメラの前で「行かないで」と涙ながらに民主党を離党する初鹿明博氏(現・維新の党衆院議員)を説得し、「国会メロドラマ」と揶揄されたこともある。落選後も国政復帰を目指して活動しているが、民主党の小山展弘衆院議員と婚約したかと思えば、結婚延期を発表するなど話題を振りまいている。

 実は、前述した面々は小沢氏が一本釣りした田中氏を除けば、政党の「公募」試験に合格し、公認候補として当選した議員ばかりだ。

 武藤氏は21年衆院選に際し、自民党の全国公募に応募して滋賀4区の公認候補になった。上西氏は橋下氏が公認候補の養成機関として立ち上げた「維新政治塾」の1期生で、自民党の女性現職の対抗馬として白羽の矢が立った。杉村氏も自民党の公募で比例代表候補になった。

 公募では、応募者は書類審査や論文、党本部や県連の幹部による面接でふるいにかけられ、合格すれば党公認で立候補できる。党によっては街頭での模擬演説といった「試験」もある。各党の公募による候補者選定は、党内実力者が密室で後継候補を決めたり、世襲が横行したりしたことに対する有権者の批判をやわらげるために広まった。

 かつて田中角栄元首相はことあるごとに「おれは伯楽だ。人を見れば、そいつが大成するかどうか分かる」と言っていたというが、現在の党幹部らも田中元首相ほどでないにしろ、人物を見る目はあるはずだ。問題を起こしそうな候補者を見抜くことは不可能なのか-。

 ある党の幹部職員は、こう語る。

 「簡単な話じゃない。例えば、単に政局好きの地方議員だったら難しい論文をまじめに読み書きはしないだろうし、選挙はイケメンや美女が有利なこともあって選ばれやすい傾向にある。まあ、企業だって採用に失敗することもある。リスクのない選考方法はない」

 別の問題点を指摘する向きもある。前述の武藤氏はもともとリベラルで、自民党とは思想的に距離がある滋賀県の嘉田由紀子元知事のスタッフだった。首相に近い自民党幹部は「公募をすると、いろんな政党に応募している人がいる。プレゼンテーションが抜群にうまく、論文も出題者である政党の政策や性質を良く研究して模範解答を用意している。まあ、逆に言えば、信念がなく“宗旨変え”に抵抗がないのだが…」と語る。

 確かに、解党したみんなの党の渡辺喜美元代表は、維新の党の候補者について「みんなの党の公募を落ちた人や、受かっても選挙に有利だと思って移った、覚悟のない粗悪品だ」などと批判していた。同じ第三極勢力として人気を奪われた恨みもあるだろうが、一面の真実を突いていたようだ。

 それだけに、自民党のベテラン議員は憤る。

 「自民党は地元密着の政党だ。国会議員や地方議員が地元で有望な人材を発掘して、候補者として押し上げていくべきではないか。昔は派閥が候補者発掘機能を果たしていたが、小選挙区制になって党本部主導の公募がトレンドになり、政治家が小粒になった。小選挙区制、公募とも、もうやめちまえよ」(政治部 沢田大典)

3949名無しさん:2015/09/23(水) 18:59:31
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150920-00000015-pseven-soci
安保法案 島村宜伸氏、久間章生氏ら賛成派政界重鎮の見解
NEWS ポストセブン 9月20日(日)16時6分配信

 安倍晋三首相の無投票再選で存在感がなくなる一方の現職政治家を尻目に、元気すぎるくらい元気なのが“引退”したはずの面々だ。議席を持たないが一家言持つ重鎮のセンセイ方が安保法案の賛否をめぐり、古巣の政界へ「喝!」を入れる。

 島村宜伸・元農水相(81)は安保法案には賛成の立場だ。

「亀井さん(静香・元政調会長/78)から安保反対の会に誘われたが断わりました。法案には賛成だからね。私は中曽根(康弘)防衛庁長官の大臣秘書官を務めたこともあって、今も米軍関係者と交流がある。彼らは法案に非常に理解を示しているわけです」

 とはいえ自民党に不満がないわけではない。島村氏の選挙区(東京16区)から当選した大西英男氏が党内の勉強会で「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」などと発言したことについて、「国会議員になって間もないとはいえ、政治家の基礎がないんだ」と苦言を呈す。

 安保法案に賛成なのは、「原爆投下はしょうがない」発言で物議を醸した久間章生・元防衛相(74)も同様。久間氏は2014年7月に国際平和戦略研究所を設立。同研究所関係者によると、「東南アジアなどによく行って、各国の防衛関係者と懇談している。今も超党派議連で若手に安保法制関係の指導をしている」という。政権支援の立場か。

 安保法案を機に、しばらく見なかった老政治家が再登場した例も少なくない。

 細川政権時代に小沢一郎氏との「一・一ライン」で政権中枢を支えた市川雄一・元公明党書記長(80)がその一人だ。読売新聞(8月9日付)の〈安保法制 自衛に不可欠〉と題されたインタビューでは、

〈米中露といった軍事大国以外、一国で自らを守ることは不可能だ。戦争を抑止するには、どこか強い国と組み、「攻撃すれば手痛い目にあう」と分からせ、思いとどまらせるしかない〉と発言している。

 一方、御年85歳の不破哲三・元共産党中央委員会議長は、今も党中央委員会常任幹部会委員を務めるが、昨年の衆院選では京都と沖縄で9年ぶりに街頭演説。今年7月には4年ぶりにテレビ出演して安保法案を批判した。

「党員たちは『不破さんがまた出てきてくれた』と感動しています。共産党でカリスマ性を持った指導者は宮本顕治さんと不破さんの2人だけです」(党関係者)

 一時はカリスマ的人気を誇った田中真紀子・元外相(71)も、毎日新聞の読者投稿欄に〈『新国立』政治家は責任取れ〉と題した文が掲載され話題となった(8月22日付)。

〈都合の悪いことは官僚に押し付けて、リーダーシップを取るべき政治家たちがほっかむりし、事なきを得ることは断じてあってはならない〉と述べている。“後輩”にあたる下村博文・文科相のふがいなさに怒りが爆発したようだ。

※週刊ポスト2015年9月25日・10月2日号

3950名無しさん:2015/09/24(木) 19:23:35
>>3946

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150923-00000544-san-pol
「塩爺」の人柄偲び…通夜で小沢氏「知っている人がどんどんいなくなるのは、寂しくなるね」
産経新聞 9月23日(水)21時52分配信

 19日に肺炎のため93歳で死去した元財務相、塩川正十郎さんの通夜が23日、大阪府吹田市の公益社千里会館で営まれた。通夜には内閣官房参与で作家の堺屋太一氏や、生活の党と山本太郎となかまたちの小沢一郎代表ら政界関係者をはじめ約1500人が参列。「塩爺」の愛称で親しまれた故人を悼んだ。

 通夜では喪主で長男の耕士(こうし)さんが「怒りっぽかったが、大変努力家、勉強家で、政治に一心不乱に取り組んでいた父だった。塩川家は大黒柱を失った」などとあいさつ。参列者は祭壇の前に飾られた塩川さんの遺影の前で、話しかけるなどしながら次々に焼香をあげていった。

 葬儀・告別式は24日正午、塩川家と自民党の合同葬として同会館で行われる。

 参列した小沢氏は「お世話になった人だから。知っている人がどんどんいなくなるのは、寂しくなるね」と話した。

3951名無しさん:2015/09/24(木) 21:39:22
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150924-00000537-san-pol
塩川正十郎氏合同葬 小泉元首相が語った塩爺との思い出「国会史に残る『忘れました』の珍答弁」
産経新聞 9月24日(木)17時27分配信

 24日営まれた故塩川正十郎氏の自民党・塩川家合同葬で、「友人代表」小泉純一郎元首相の弔辞の全文は以下の通り。

 謹んで故塩川正十郎先生の御霊(みたま)に弔辞をささげます。

 私が塩川先生と初めて出会ったのは、福田赳夫先生のお宅で玄関番のようなことをさせていただきなら政治修業をしていた頃でありました。当時の福田邸は、「角福戦争」華やかなりし頃で朝7時頃から来客が多く、なかでも塩川先生はさっそうと格好よく声が大きく、低音の大阪弁が印象的な若手代議士でした。

 私は落選中でしたが、慶応大学の後輩という付き合いやすさがあったのでしょう。よく声をかけてきてくれ、私が次の選挙で当選できるようにさまざまなご助言をいただきました。

 私が初当選を果たしてから何かと面倒をみてくださり、常に温かな、そして的確な忠告をいただき、敬愛すべき先輩としてご指導を賜りました。それは生涯変わることはありませんでした。

 現在の安倍晋三総理大臣のお父上、晋太郎先生が亡くなられた後の派閥会長をだれにするかで揉(も)めたとき、三塚(博)先生から「純ちゃん、あんた塩さんと親しいだろ。なんとか三塚を応援するよう頼みに行ってくれないか」と言われました。

 ある朝早く東京・九段議員宿舎の塩川先生の部屋をたずね、派閥事情を説明しながら三塚支援をお願いしたところ、塩川先生は私に対し「君も政策問題でなく、権力争いに首を突っ込むようになったのか」と苦笑していた姿は今もなつかしく思い出として私の心に残っています。

 私が自民党総裁選挙に立候補する際には「推薦人の数が足りなかったら、いつでも推薦人になる」と激励してくれました。塩川先生が私に期待を寄せてくれていたことは、私の政治活動にも大いなる励みになりました。

 小泉内閣最初の組閣で塩川先生には財務大臣を引き受けていただきました。多くを語らなくても常に私の真意を直感的に正確に分かってくれる塩川先生の存在が、その後の私の政治運営に大きな力になったことは多くの人が認めるところであります。

 やあ、塩川先生は小泉内閣の重しであり、小泉の精神安定剤と言われたのも、むべなるかなの感があります。

 あるとき、(国会で)野党質問者が塩川財務大臣の官房長官時代にこういうことがあったと発言していた新聞記事をもとに「問題発言だ」と追及してきました。私はそのとき内心「まずいことになったな。これは大きく問題になるのではないか」と心配していました。

 しかし答弁に立った塩川財務大臣はあっけらかんと「忘れました」と一言。一瞬、与野党議員ともにあっけにとられ、それが爆笑に変わり、なんとなく終わってしまいました。

 これも文部大臣、運輸大臣、官房長官の豊富な閣僚経験を経てきた貫禄と、だれからも親しまれていた塩川先生の人柄、人徳の賜(たまもの)だと思いました。この答弁は名(迷?)答弁というか珍答弁というか、国会答弁史に残るのではないかと思っています。

 「塩爺」と呼ばれ、「癒し系大臣」と親しまれた塩川先生のありし日をしのび、心よりご冥福をお祈り申し上げ、お別れの言葉と致します。塩川先生、長い間、ありがとうございました。さよなら。

 平成27年9月24日、小泉純一郎。

3952名無しさん:2015/09/24(木) 21:42:26
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150924-00005461-sbunshun-pol
79歳の大臣就任で脚光 “超遅咲き”塩爺の大往生
週刊文春 9月24日(木)18時6分配信

「塩爺」の愛称で親しまれた塩川正十郎元財務相が93歳で亡くなった。初当選は45歳ながら、脚光を浴びたのは79歳で財務相になってから。政界でも異例の「超遅咲き」人生だった。

 塩川氏は旧大阪4区を地盤に運輸相、文相や宇野宗佑内閣の官房長官、自民党では税調会長、3役の総務会長を歴任した。福田赳夫元首相に師事し、清和会一筋。三塚博、森喜朗、加藤六月各氏とともに「四天王」と称された。

 91年に宮沢喜一内閣が誕生した時には、三塚派を代表する形で自治相として入閣。政府・与党首脳会議にも出席する権利を得て、当時の「竹下派支配」に対抗した。

 だが小選挙区制初の96年衆院選で落選。過去にガンを患っていたこともあり、「復活は絶望的」とみられていた。ところが、大阪の地元で徹底的なドブ板選挙。

「『おばちゃん、知り合い集めといてくれ』と声をかけ、主婦が『せんせ、3人しか来えへんわ。ごめんな』とあやまると『ありがとう、ほな行くわ』と駆けつけていた。返り咲きへの執念だった」と当時を知る関係者は懐かしむ。

「復活すれば、もう一度だけ大臣をやりたいというのが念願だった」(同前)

 その機会は案外、早くに訪れる。小泉純一郎政権の誕生だ。実は、塩川氏は安倍晋太郎氏が死去する際に「小泉の面倒を見てやってくれ」と託されていた。後見役を務めてくれた塩川氏の恩に報いるために、小泉氏は財務相という要職を用意した。サプライズ人事のひとつと言われたが、大阪弁ととぼけたキャラクターで若い世代にも人気を博し、知名度は一躍全国区に。

 中でも、変幻自在の“塩爺節”でメディアを賑わせた。官房機密費を野党対策に使ったと、テレビでのインタビューで明かしていたことを国会で追及されると「なんであんなことゆーたんかいなあ」。ただ、「母屋(一般会計)でお粥をすすっているのに、離れ(特別会計)ですき焼きを食っている」とわかりやすい喩えで、財政健全化への意欲をのぞかせる一面もあった。

 政界を引退してからは、東洋大総長を務めていた。

「健啖家で肉が大好き。亡くなる直前までお元気でした」(自民党関係者)

 2003年の政界引退の際に語った「人生のホイッスルが鳴るまで、若干のロスタイムがある」との言葉通り、10年以上、御意見番として活躍した末の大往生だった。


<週刊文春2015年10月1日号『THIS WEEK 政治』より>

「週刊文春」編集部

3953名無しさん:2015/09/24(木) 22:38:58
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150924-00000038-asahi-soci
小泉氏「精神安定剤でした」 塩川元財相の葬儀で弔辞
朝日新聞デジタル 9月24日(木)13時39分配信

 小泉内閣で財務相を務めて「塩爺(じい)」の愛称で親しまれ、19日に肺炎のため93歳で亡くなった塩川正十郎(まさじゅうろう)さんの葬儀が24日午後、大阪府吹田市の公益社千里会館で営まれた。自民党と塩川家が合同で開いた。

 葬儀委員長は福田康夫元首相が務め、小泉純一郎元首相が友人代表で弔辞を述べた。塩川さんが衆院議員時代に所属した自民党安倍派(現細田派)の細田博之党幹事長代行ら約1500人が参列した。

 小泉氏は弔辞で「私が落選していた頃から、大学の後輩ということで目をかけてもらった。財務相を務めていただいた時も、私が多くを語らなくても直感的に言いたいことの真意を理解して下さった。小泉内閣の重しであり、小泉の精神安定剤でした」と述べ、塩川さんの功績をたたえた。福田氏もあいさつで、「人を包むようなお人柄だった。なんとなく塩川先生を中心に、みんなで小泉内閣を支えていこうという気持ちをもって進んだことを思い出す」と振り返った。

 塩川さんは大阪府生まれ。布施市(現・東大阪市)の助役などを経て、1967年の衆院選で旧大阪4区から立候補し初当選。鈴木善幸内閣で運輸相になるなど、関西空港開港や二期工事実現に尽力した。財務相時代の2003年の国会答弁では「母屋(一般会計)でおかゆを食っているのに、離れ(特別会計)ではすき焼きを食っている」と例え、特別会計改革の必要性を訴えた。

朝日新聞社

3954名無しさん:2015/09/26(土) 14:11:55
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150925/k10010247801000.html
去年の政党助成金 9%減の総額325億円
9月25日 17時02分

平成26年に政党助成金を交付された11の政党などが使った助成金の総額は325億円で、12月に衆議院選挙が行われて選挙に関わる支出が増えたものの、一部の経費の支払いが翌年に繰り越された影響もあって、総額では前の年より32億円、率にして9%減りました。
政党助成金は、政党助成法に基づいて総務大臣に届け出をした政党に対し、所属する国会議員の人数と国政選挙の得票数に応じて交付されます。去年は、11の政党に国民1人当たり250円に当たる総額315億円が交付され、総務省は、各党の報告を基に支出の状況をまとめ、25日公表しました。
それによりますと、去年、各党が使った助成金の総額は、各党の貯金に当たる基金を取り崩した分も含めて325億円で、前の年より32億円、率にして9%減りました。
これは、12月に衆議院選挙が行われて、候補者の公認・推薦料などに充てた「選挙関係費」が前の年より45億円増えたものの、ポスターやパンフレットの作成などに充てた「宣伝事業費」が、年末の選挙のため翌年に支払いが繰り越された影響で、83億円減ったことなどが理由とみられます。
政党別の支出額は多い順に、
自民党が3億1300万円減って140億6700万円。
民主党が35億3200万円減って96億8800万円。
公明党が6億6900万円減って20億4700万円。
去年解散したみんなの党が1億9500万円増えて16億6900万円。
去年、結いの党と合流して初めて交付を受けた維新の党が、15億7800万円。
去年、分党するため解散した日本維新の会が、8億8000万円減って11億9700万円。
去年、日本維新の会と分党して初めて交付を受けた次世代の党が9億4100万円。
生活の党と山本太郎となかまたちが2億6700万円減って5億900万円。
社民党が2億円減って4億4100万円。
去年、日本維新の会と合流した結いの党が1億5800万円。
新党改革が1100万円増えて1億3000万円となっています。
一方、共産党は政党助成法に反対し、助成金を受けていません。また、各党の基金の残高の総額は、去年末の時点で130億円と、前の年よりも18億円、率にして12%減っています。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20150925-00000104-jnn-pol
政党交付金の支出総額、前年比9%減
TBS系(JNN) 9月25日(金)22時24分配信
 総務省は、政党助成金を交付された11の政党などが去年使った助成金について報告書を公開しました。

 それによりますと、政党交付金を受け取らない共産党を除く、当時の11政党などの支出総額は324億5400万円で、前の年から9.0%減りました。

 政党別では、自民党は政党交付金収入が157億8400万円で、支出は140億6700万円でした。民主党は収入が66億9300万円で、前年までの繰越金の29億9600万円を取り崩して96億8800万円を支出しています。

 このほかの政党の支出は、公明党が20億4700万円、生活の党が5億900万円、社民党が4億4100万円、新党改革が1億3000万円、去年結成された維新の党は15億7800万円、次世代の党は9億4100万円となっています。(25日17:17)
最終更新:9月25日(金)22時24分

3955名無しさん:2015/09/26(土) 14:12:06
>>3954

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-09-26/2015092601_04_1.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-09-26/2015092601_04_1b.jpg
2015年9月26日(土)
政党助成金 12党が324億円支出
14年分 ため込みは130億円

 総務省は25日、2014年分の政党助成金使途報告書を公表しました。

 同年に政党助成金を受け取ったのは自民党、民主党、公明党、日本維新の会、みんなの党、維新の党(日本維新の会と分かれた新党と、結いの党が合併)、生活の党、次世代の党、社民党、結いの党、新党改革の11党です。

 新党日本を含めた12党の支出総額は13年比9%(32億円)減の324億5418万円。そのうち政治活動費は170億7851万円でした。主な使途は、衆院選の公認・推薦料など選挙関係費が45億円増の87億4210万円。テレビCMなどの宣伝事業費が32億6939万円でした。

 自民党は選挙関係費として13年の5倍近い4億2381万円を支出。国会議員などの「遊説及び旅費交通費」が大半を占める選挙事業費と、インターネット関連会社や広告会社などに支払われた宣伝事業費は、同党助成金支出総額の約4割を占めています。

 消費税10%への増税延期を最大の争点に解散・総選挙に打って出ましたが、国民に負担を押し付けながら、自分たちは国民の血税を、大義ない選挙で湯水のように使った実態が浮き彫りになりました。

 11政党が、使い残した政党助成金を国庫に返納せずにため込んだ基金残高の合計は130億968万円でした。

 自民党のため込みは13年の約2倍の33億9048万円に達しました。公明党の基金残高も14億8680万円で昨年の1・5倍。最多は民主党の70億7692万円でした。

 14年末から今年にかけて、政党助成金の受け取りを目的とした離合集散も相次ぎました。

 日本共産党は、政党を支持する・しないに関係なく税金を政党が山分けする政党助成金は、国民の思想・信条の自由を侵し、民主主義をゆがめるとして一貫して受け取りを拒否し、廃止を主張してきました。今年1月に政党助成法廃止法案を提出しています。

3956名無しさん:2015/09/27(日) 13:43:24
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150709-00010000-seijiyama-pol
総裁-党首-委員長、各政党の代表選出方法比較
政治山 7月9日(木)11時40分配信

 2015年1月に民主党の代表選が行われ、9月には自民党の総裁選、10月には維新の党の代表選が予定されています。自民党は総裁、次世代の党と社民党は党首、共産党は委員長、それ以外の党は代表と政党によって呼び名は異なります。続いて、選出方法の違いを見てみましょう。

公選制でも「誰でも出られる」わけではない
 各党の代表は公選または非公選によって決定されますが、公選の場合は立候補するために一定の要件が定められています。

 多くは党所属の国会議員の推薦が必要とされ、自民党は20人、民主党は20人以上25人以内、公明党は10人となっています。社民党は都道府県連の推薦に加え、所属国会議員数の3分の1以上または党員200人以上の推薦があれば立候補できます。

 共産党は公選ではありませんが、党中央委員会の委員であることが要件とされています。

自民・民主は国会議員に比重、決選投票は国会議員のみ
 自民党は、国会議員は1人1票で、各都道府県が300票をドント方式で配分します(都道府県47×3票+159票を各都道府県の有権者数に応じて配分)。

 民主党は、国会議員1人2ポイント、党公認予定候補者(国政)が1ポイント。党所属の地方議員は全国を一つの比例代表区として141ポイントを配分。党員およびサポーターは、住所地の存在する都道府県を単位として各代表候補者の得票数に応じてポイントを配分します(当該県連に所属する、国会議員または公認候補予定者が代表者を務める衆議院小選挙区総支部、同比例区総支部、参議院選挙区総支部および同比例区総支部の数と同数のポイント)。

 いずれも国会議員の投票が重視され、決選投票については国会議員(民主党は公認予定候補者含む)のみ投票することができます。

「1人1票」は維新の党よりも社民党が先
 維新の党最高顧問である橋下徹大阪市長の鶴の一声により、国会議員も地方議員も党員も、等しく1人1票を有する制度を検討している維新の党ですが、この選出方法はすでに社民党で実施されており、現在の吉田忠智党首は2013年の党首選で9986票を獲得して党首に就任しています。

 公明党は代表選挙の細則等は非公開で結党以来無投票が続いており、共産党は党中央委員会によって選出されます。

 各党の代表選出方法はすべてが詳らかにされているわけではありませんが、代表は党の顔です。どの程度の情報を開示しているのかに加えて、立候補の要件や票の算定方法などから、その政党の成り立ちや本質に触れることができそうです。

<株式会社パイプドビッツ 政治山カンパニー シニアマネジャー 市ノ澤充>

3957名無しさん:2015/09/28(月) 22:13:54
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150928-00000015-asahi-pol
「女性であること、活動にプラス」72% 地方議員調査
朝日新聞デジタル 9月28日(月)9時46分配信

 今春の統一地方選で初当選した女性議員560人に朝日新聞がアンケートしたところ、回答した人の86%が「女性であることが選挙にプラス」、72%が「議員活動にプラス」と感じていることがわかった。地方議員の大半を男性が占める中、女性の「強み」を前向きにとらえる意識が浮かんだ。一方、直面したハードルとして3分の1の人が「家事・育児」を挙げた。

 「お疲れ様です」。9月25日夜、東京・武蔵野市のJR三鷹駅前。同市議の笹岡裕子さん(29)=無所属=が小雨の中、「子育てに優しい武蔵野を!」と書かれたビラを道行く人に手渡していた。一人の女性が「がんばってる?」と声をかけてきた。「支援者の顔が見えた」と手応えを感じる。

 大学卒業後、大手商社に勤務。出産を経て、東京電力福島第一原発事故を機に出身の武蔵野で政治を志した。組織も、団体の支援もなかったが初当選した。

 市民団体から「ママ議員」代表として意見を求められたり、「ママ友」のつながりで、子どもの遊び場整備の署名運動をしたいという母親が相談に来たりと、独自のネットワークを築く。フェイスブック(FB)の閲覧数が3万を超えることもある。

 「ポスターで当選した」「若いからちやほやされている」と、男女を問わず同僚議員らから言われることがある。だが、笹岡さんは「普通の若い女性が議員になったことが自分の強みだ」と前向きだ。

 女性議員の「強み」とは――。今回のアンケートで「女性でよかったこと」を複数回答で尋ねたところ、「親しみやすいと思われる」(71%)、「名前や顔を覚えてもらいやすい・目立つ」(42%)が上位だった。

 一方、女性議員に立ちはだかることの多い家事や育児との両立を、自らの工夫で乗り切る人もいる。

 千葉県市川市議の片岡恭子さん(36)=同=は早朝や深夜、自宅の電話や携帯を親しい人以外からは基本的に着信しない設定にし、夜の宴席も月数回しか出ない。「宴席で顔を売るのは男社会のルール。私に期待してくれる子育て世代の声は宴席では聞けない」。選挙期間中も運動は午後5時半でやめ、8時には長女(3)と一緒に布団に入った。

朝日新聞社

3958名無しさん:2015/10/01(木) 22:47:11
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015100100774
分党

 分党 一つの政党が合意の上で解散し、複数の新党に分かれること。政党助成法上の「分割」に当たる。政党交付金は年4回に分けて交付されるため、その年の未交付分があれば、それぞれの新党は所属議員数に応じて受け取ることができる。2015年の維新の党の交付金約26億円のうち、未交付分は13億円余り。
 一方、合意が得られず集団離党によって分裂した場合は「分派」となる。このケースでは、存続する政党が未交付分の全額を受給し、分派によって結成した新党は翌年まで交付金を受け取れない。(2015/10/01-17:31)

3959名無しさん:2015/10/04(日) 09:52:40
http://blogos.com/article/137325/
宇佐美典也2015年10月03日 17:472014年
都知事選に端っこで絡んだ身から見えるsealdsの今後の話

少し前にsealdsに関してつぶやいたら「お前の絡んだインターネッ党はどうした」とツッコミを受けたので、この際2014年都知事選に端っこで絡んだ身から見えるsealdsの姿についてまとめておきたいと思う。

まずいくつか前提条件なのだが、私は2014年の都知事選では前半戦で田母神サンのところのお手伝いを端っこでして、途中で若気の至りで出しゃばりすぎて追放されて、その後都知事選が終わって少しの間家入くんの政治活動、いわゆる「インターネッ党」、のお手伝いをした。余談だが加野瀬さんという方は少し勘違いをされていて「インターネッ党 」というものが組織的な活動と思われているようなのだけれど、「インターネッ党」というのはあくまで家入さん個人の政治団体の登録名称なので、それに関わった人をやたらめったら因縁をつけるのは少々違和感を感じる。

もちろん中途半端な形で停滞していること自体は残念だけれど、それは家入さんの判断だし、本格的な活動を始める前に撤退したのだから、誰に迷惑をかけたものでもないと思う。いずれにしろこの辺は家入さん本人が語るべきことで、私が語るべきことではない。なお冒頭リンクの記事では私はともかく新田サンが激しく糾弾されているのだが、新田サンは一番精力的に誠実的にインターネッ党の活動をしようとした人なので、新田さんを攻めるのはお門違いだと思う。その辺の事情が知りたければいつでも取材は受けるし、ニコ生の一つもやっていいのでいつでもご連絡ください、加野瀬さん。

さて本題に戻ると2014年の都知事選は私に取っては「街宣運動」「大衆運動」というものを初めて当事者として間近に見た体験で、本当に貴重な体験だった。当初田母神サンの陣営にいたときは街宣での凄まじい盛り上がりを見て、一方で閑古鳥がないている舛添サンの街宣をみて、「この人は本当に世の中を変えるのかもしれない」などと感化されていた。頭の中では「これは局所的事象だ」と思っていても、見渡す限りの群衆というものは人の感覚を惑わせる魔力がある。

その後いろいろ合って田母神陣営を追放されてしまったのだけれど、なんとなく街宣や大衆運動の魔力にとらわれたままだった。そういう中で渋谷で雪の中で演説する家入さんをみて、率直に言って感動した。心をふるわされた。家入さんのクラウドファンディングや集合知を利用した政策作りのアプローチも斬新で、こういう動きが世の中に広まったら政治も変わるんじゃないかと思った。

この時私は純粋に「大衆運動の熱気」というものに心奪われていた。

それでこうした大衆運動の熱気というものを政治に伝えることのに役に立てないかと思って、インターネッ党の活動に協力してみようかと思ったのだけれど、結果は冒頭に述べたように始まる前に終わってしまった。関係者にそれに対する責任と言うものを問われれば、もちろんそれはあるのだろうけど、税金を利用したわけでも政策に影響を与えたわけでもないし、誰に迷惑かけたものでもないので「あいつらバカだよな」と笑い者にするくらいで勘弁して欲しいというのが本音のところだ。実際私も我がことながら若気の至りだったと思う。

また50万票獲得してあれだけ盛り上がっていた田母神陣営もその後新党の可能性を模索する中で、自衛隊系とチャンネル桜系と反米保守系で内紛を繰り返して、衆院選でも敗北し、今や裁判沙汰で見る影もない。

3960名無しさん:2015/10/04(日) 09:52:51
>>3959

振り返ってみて思うのは大衆運動というのは「○○に反対」だとか「○○を妥当せよ」とかいったシングルイシューで意見の違う人が団結して糾弾する文脈でしか機能しないもので、その後の建設的な活動には決して繋がらない幻なのだな?、ということだ。

いざ反対運動が終わって、建設的なことを始めようとしたら、それまで抑え込んで来た意見の違いや権力闘争が噴出して内ゲバ化してしまう。そのうち大衆は嫌気がさして離れていく。そういうものなんだと思う。

sealdsやその関係者の方は多分今大衆運動の幻に魅せられていて、次の運動として「参院選をめざす」と言っているのだと思う。でもやっぱりsealdsは「安保法案反対」という文脈で集ったごった煮の大衆運動でしかないし、決して「民主主義はこれだ」などというような深い中身を持つような団体ではないと思う。これからきっと内紛を繰り返して雲散霧消していくのだろう。

じゃ「大衆運動に意味は無いのか?」っていうと決してそんなことはない。そこで目覚めた人達、出会った人達の人間同士の絆、闘志、は例え運動が挫折した後でも続いていく。その一人一人が運動後に「集まっても何も変えられなかった。じゃ自分たちは社会に対して何が出来るんだろう?」と考えて、苦しんで、動き回って、それぞれの道を探して、新しい事業を興して、少しずつ世の中を変えていくことにこそ意味が有るんだと思う。

自分としてもあの都知事選を経験して、またその後の各陣営のごたごたなどを見て、「やっぱり社会っていうのは急には変わらないのだな」、と痛感し「自分でできることを一つずつ積み重ねて社会を変えていこう」と思うようになり、しょぼいなりに再エネの電源開発・仲介・コンサルの事業を興してなんとか今食っている。少しずつ商売の規模も大きくなって、信頼も積み重なって来て手応えも感じている。そしてその過程で、インターネッ党で出会った人達との縁が生きることも多々あった。

きっとsealdsの諸君も「純粋で、大衆的で、無策で」これから挫折していくのだと思う。でもそれでいい。そこで培った経験なり人脈なり闘志なりが世の中を、政治を変えていくことのなるのだと思う。

ではでは今回はこの辺で。

3961とはずがたり:2015/10/04(日) 10:55:14
>>3959-3960
宇佐美氏はこの辺http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1227192268/1688 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1227192268/1741 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1227192268/1797等で引用してて──今検索してみて此の文章http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1265646497/375-376もそうだったのか──,不明にも知らなかったか忘れてるかしてるんですが田之神陣営を応援しててしかも追放されてたんですねぇ。。

3962名無しさん:2015/10/10(土) 15:30:54
http://seikaiourai.jp/1510/151003.htm
維新の党が分裂へ
「橋下新党」10月結成で再挑戦

非大阪系議員は茨の道

 維新の党発足の立役者だった橋下徹大阪市長と松井一郎大阪府知事が8月27日に離党し、10月1日の記者会見で新党結成を表明することになった。大阪系議員ら約20人が新党に参加する見通しだ。一方の松野頼久代表ら非大阪系議員は民主党との野党再編に向かう流れである。その亀裂の度合いが安保法案の採決や内閣不信任案の取り扱いをめぐって深まっている。もともと維新の党への国民の期待値が高かったのは、政権に対して「是々非々」を貫く歯切れのいい姿勢だった。橋下新党が分裂を乗り越え再び勢いを得るカギは、その原点に戻り「責任野党」として再スタートできるかどうかだ。

 橋下、松井両氏は8月27日に離党を表明した。橋下氏は、この時点では党分裂を避ける考えを示していたが、翌日の28日には一転して大阪系議員らとともに新党を結成する方針を示した。労働組合(連合)を支持基盤とする民主党との合流を嫌う橋下氏らが、古巣の民主党との野党再編に舵を切りたい松野代表らと一緒に行動していても「責任野党」としての政治姿勢を貫けず、党勢の回復は望めないとの判断があったからだ。

 両氏が離党を決断した直接のきっかけは、柿沢未途幹事長が14日に、山形市長選挙で民主、共産などが推薦する候補者の応援演説をしたことにある。維新の党としては、その候補者を推薦せず「自主投票」で決まっていた。それなのに柿沢氏がこれを無視したもので、松井氏が柿沢氏の幹事長辞任を要求。それを柿沢氏は拒否し、松野代表も「公党の幹事長が辞する案件ではない」と擁護し対立が深まったからだ。

 しかし、「それだけの理由で党を分裂させ、新党結成に向かうとは思えない」とする自民党中堅は「11月22日に大阪府知事・市長のダブル選が控えている。その直前のタイミングに新たに結党して有権者らの注目を集め、選挙戦に勢いをつける狙いがある」と指摘する。住民投票で看板政策だった大阪都構想が頓挫したため、起死回生策として次の一手を打ったというのだ。

 ただ対立の背景にはもともと根深い問題がある。維新の党の生い立ちを辿ると、大阪維新の会というローカルパーティーから日本維新の会として国政進出した後、2014年8月に日本維新の会と結いの党が合併する形で結成され、旧日本維新の会の橋下代表と、旧結いの党の江田憲司代表が共同代表に就任した。結いの党は、みんなの党を割って江田氏が率いた政党で、この合併に反対した日本維新の会の議員らは次世代の党を結成して離れたため、党内は野党再編論が勢いづいた。さらに5月に行われた大阪都構想の住民投票で賛成多数を得られず敗北したことから、橋下市長が政界引退を表明したのを受けて江田氏も代表を辞任することになった。

 「橋下氏は、政界引退表明をしたことによって党に対する発言力が急速に衰えた。その一方で民主党出身の松野氏が幹事長から代表に昇格し、みんなの党から来た柿沢氏が幹事長となったことで党の路線が野党再編へとさらに傾いた。それに対して大阪維新の会を核とする大阪系議員は不満だったのだ」と政界関係者は解説する。

 つまり、安倍政権に「是々非々」で臨む「責任野党路線」の大阪系議員と、民主党と連携し政権との「対決路線」をとろうとする松野氏ら執行部との路線の対立を内包していたのだ。それが山形市長選という一地方首長選挙を機に噴出したのである。

 こうした亀裂が同党の国会対策にも大きな影響を及ぼしている。維新は安保法案の対案5本を参院に提出し、自民・公明の与党は修正協議を再開し合意を得る方針だった。ところが、与党側は「バラバラの政党(維新)を相手に修正案をまとめるのは難しい」と消極姿勢に転換したのである。

 仮に参院で法案を修正しても、衆院で修正部分の採決を改めて行わなければならない。その際、維新がそろって同じ行動を取れるか疑わしいからだ。

 そのため与党は、次世代、元気、新党改革との修正作業に力点を移し、衆院での再採決のいる「修正」でなく、再採決のいらない「付帯決議」に3党の要求を盛り込むことで成立を期すように戦略を転換させたのである。

 修正が困難となった維新としては、安保法案の採決に際して、大阪系議員らは「出席して、自党案に賛成し、政府案に反対」することで強行採決色を少しでも薄めたい政府側に〝配慮〟した行動をとることになろう。

3963名無しさん:2015/10/10(土) 15:31:11
>>3962

 一方、非大阪系議員らは民主、共産などと欠席戦術を含めた強硬阻止路線を選択することになろう。

 そして、内閣不信任案の決議について、松野氏らは民主党と協調する意向を示しているが、大阪系は「永田町の悪しき習慣」(馬場伸幸・国対委員長)として同調しない方向だ。「今でも亀裂は明確だが、9月中のいくつかの局面で衝突し党は完全に割れてしまう」(自民党中堅)との見方が強い。

 新党結成に向かう橋下氏の政治パワーの要因のひとつに、安倍首相や菅義偉官房長官とのパイプがある。離党表明直前の8月25日夜に、松井氏は菅官房長官と都内で会食した。その時話し合われた具体的な内容は不明だ。

 ただ、「松井さんは席上、安保法案採決での協力を約束する一方で大阪都構想復活への支持を依頼しただろう。さらに、新党結成と国政への橋下氏の転身も伝えたはずだ」(政界関係者)という。安倍首相が9月4日に、橋下氏の国政転身について「可能性はあるのではないか」との見方を示したことからも、すでに新党結成を国政転出の足掛かりにする意向が菅、安倍両氏に伝えられていた可能性があるのだ。それだけではない。国政進出後の政権との距離感についても話し合った可能性もある。

 橋下氏が10月1日の新党結成の記者会見で発表する予定の新「維新八策」(党綱領)原案は、新党を「国の形を変えることを目的に設立する」とし、「中央集権型政党とは本質的に異なる地方分権型政党」と位置付けている。さらに、国政に地方の声を反映させるために「地方議員と首長も国会議員と一緒に国政に参画する」とし、「国会での質問には地方議員や首長が起草した内容が含まれる」と盛り込んだ。

 それと同時に経済政策では、労働市場の改革や産業構造の転換を柱とした成長戦略の推進を明記。外交・安全保障政策では「多様な価値観を認め合う開かれた社会を構築し、『法の支配』『自由主義』『民主主義』等の価値を共有する諸国と連帯し世界平和に貢献する」と記し、「首相公選制、一院制、大阪都構想を始めとする統治機構改革を実現する」と打ち出し、憲法改正など安倍政権が掲げる重要政策と方向性の重なる点も盛り込んでいる。「それから見ても、地方色重視の新党らしさを鮮明にしつつ、重要政策では政権に協力していくというベクトルが浮かび上がってくる」(政界関係者)と言える。

3964名無しさん:2015/10/10(土) 15:31:21
>>3963

 維新が直面している当面の現実的な課題は、党の割れ方をどうするかだ。「分割」か「分派」かの分裂の仕方によって、その年の政党交付金の額が違ってくるからだ。維新は今年、合計26億6400万円交付されることが決まっている。支給されるのは4、7、10、12の各月の年4回だ。今年はすでに4月と7月の分が支給済みである。

 仮に、ある政党の当事者が合意の上で政党助成法上の「分割」手続きをすると、その政党はいったん解散して複数の政党に分かれることになる。そして、政党交付金が議員数に応じて各党に配分される。したがって、維新が穏便に分党(「分割」)すれば、10月と12月の額が所属議員数分、各党に支給されることになる。維新の前身の「日本維新の会」が昨年8月に、石原慎太郎氏らの次世代の党と維新に円満な形で分かれたケースがこれだ。

 これに対して、一部の勢力が飛び出てしまう「分派」の場合、残った側がすべてを受け取ることができる。出て行った側(分派)にはその年は支給されない。ただし、国政選挙があれば、その結果を踏まえて計算し直した交付金が支給される。

 2000年3月、自自公連立政権からの離脱に傾く自由党党首の小沢一郎氏らに対し、連立継続を求める海部俊樹、二階俊博両氏ら反小沢グループが党を飛び出して新党・保守党を結成した。この時、保守党は過半数の参加を得たので自由党に対して「分割」を要求したものの、拒否された。そのため、保守党は分派の形での分党となったのである。政党助成金は同年6月の総選挙後に交付された。

 次回の支給は10月20日であるため、同月の13日までに総務省に請求しなければならない。しばらく国政選挙もないので、大阪系としては「分割」手続きを急ぎたいところだが、松野代表ら執行部は自由党分裂のときの小沢氏と同様、「分割」を認めない可能性が大きい。円満な分党は実現しそうもないようだ。

 一方、民主党との合流を志向する松野代表ら非大阪系議員には茨の道が待ち構えている。松野代表は5日に、地元熊本での記者会見で民主党との合流構想について「年内にきちんとした政党の形をつくり、来年の通常国会で国民に見てもらって参院選で審判を仰ぐのが筋だ」と意気込んで語るが、その筋論に反発する民主党議員も多い。しょせんは〝出戻り〟(元民主党)議員の発言に過ぎない。「松野氏ら約10人は3年前の衆院選で大敗必至とみられた苦しい時に、勢いのあった他党へ逃げ出した張本人たち」との冷ややかな声が民主党内に絶えない。

 その上、気に入らないのが松野氏の態度だ。松野氏は合流形態について「改革勢力の結集により政権交代可能な野党をつくる」とし、両党がまず解散した上で対等合併し、党名も変えることを要求している。議員数は、維新が衆院40 、参院11の計51議席。このうち、非大阪系は30人ほど。民主は衆院72、参院58の計130議席。つまり、4倍以上の規模の政党に向かって「合流してあげるので解党せよ、名前を変えよ」と上から目線で注文している形だ。民主党の岡田克也代表らが容易に呑めるわけがない。松野氏を含む比例代表選出議員は国会法の規定により、選挙の時に競合した政党に個別には移籍できないこともあり、民主党が維新をのみ込む「吸収合併」が当然との考えである。

 ただ民主党内で野党再編に前向きな若手・中堅らから、解党して抜本的な立て直しを図るべきだとの意見が顕在化してきた。党勢回復の好機ととらえているからで、衆院当選3回の岸本周平、大西健介両氏は3日に岡田代表と会い、「安全保障関連法案の成立を阻止できないことは民主党の力不足だ」と主張、速やかな解党と新党の設立を求める文書を若手7人の連名で提出した。中堅やベテランの一部にも新党構想を支持する声が出ており広がりを見せ始めている。

 しかし「合流できたとしても何がわが党の売りになるのか」と懐疑的なのは民主党幹部の指摘だ。維新側から参加するのは非大阪系で、民主党では政策面で非主流の保守派に近い。現在、労組を支持基盤とするリベラル派が党運営の主導権を握っている同党にとって、議員数は増えてもお荷物となる可能性もはらんでいるのである。いくら目先を変えても、民主党の支持率アップにはつながるまい。同党が国民政党として政権復帰を目指すために必要なのは、労組との緊密な関係を断ち切り、橋下新党が志向する「是々非々」の責任政党に脱皮することなのである。

3968名無しさん:2015/10/10(土) 15:37:36
>>3962-3967

http://home.a07.itscom.net/kazoo/seizi/doukou.htm
「保守新党」結党

民主党離党組
12/24 熊谷弘前副代表、佐藤敬夫前国対委員長、金子善次郎衆院議員、山谷えり子衆院議員の4人が離党届を提出。

民主党執行部は離党届を受理せず、除籍処分。 後藤斎衆院議員は離党見送り。
12/25 江崎洋一郎衆院議員が離党届を提出、除籍処分。 保守新党への参加者は合計5人。

保守党 新党不参加組
野田毅党首、小池百合子衆院議員、月原茂皓参院議員の3人。
野田氏を代表とする新党「保守クラブ」を結成

保守党 新党参加組
新党参加者は9人

保守党解散
12/23 議員総会で党の解散を承認し、野田・二階両氏が分党のための文書に署名
12/24 解党

「保守新党」
12/25 都内のホテルで結成大会を開催。保守党9人、民主党5人の合計14人でスタート。
代表:熊谷毅(民)、幹事長:二階俊博(保)、政調会長:井上喜一(保)、国対委員長:佐藤敬夫(民)

「保守クラブ」
政党助成法や政治資金規正法の上では政党要件を満たしておらず、政治団体扱い。
3人とも年内に自民党に入・復党する

3970名無しさん:2015/10/12(月) 12:00:14
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151012-00000010-mai-pol
<安保関連法>広がるか「落選運動」 実現性と問題点は
毎日新聞 10月12日(月)10時55分配信

 とかく日本人は既成事実に弱いといわれる。しかし、安倍晋三政権が強引に成立させた安全保障関連法に対しては、「違憲」「反対」の声は収まるどころか、さらに強まる気配だ。野党共闘や違憲訴訟の行方と並んで、今後注目されるのが、来年夏の参院選で安保関連法に賛成した議員を落とそうという「落選運動」。どのような運動なのだろうか。【石塚孝志】

 「ぜひ皆さんに考えてほしいのですが、落選運動をしませんか」。参議院で安保関連法案の審議がスタートする前の7月24日、国会前に集結した市民や学生らを前に、高橋哲哉・東京大大学院教授(哲学)が声を強めた。「安全保障関連法案に反対する学者の会」の呼び掛け人の一人である高橋氏の提案には、学生が中心の「SEALDs(シールズ)」も同調する動きを見せている。現段階で落選運動の実施を正式に表明した団体などはないが、落選運動が広がる下地はありそうだ。

 安保関連法が成立した今も、高橋氏は落選運動の意義を熱く語る。「安保関連法の問題点は、内容が憲法違反であるだけでなく、立憲主義に反し、憲法の改正手続きにのらないで憲法上禁止されていることを認めたという二重の憲法違反なのです。99条の国会議員ら公務員は憲法を尊重し擁護するという義務に違反している。国会議員の資格がないということをはっきりさせるべきです」

 具体的には次のように提案している。まず、安保関連法になぜ賛成したのか▽憲法違反との指摘にどう考えるのか▽立憲主義に反するとの指摘にどう考えるのか--この3点を基本に公開質問を行う。その結果をインターネットで公開するというものだ。「安保関連法を廃止するためには落選運動だけで十分ではありませんが、まずは賛成した議員一人一人を“撃破”することから始めたらいい」と高橋氏は語る。

 落選運動は公職選挙法に抵触しないのか。すなわち選挙違反にならないのだろうか。岩渕美克・日本大大学院教授(政治学)はこう解説する。

 「落選運動は、特定の候補者の落選を促す政治活動なので、選挙運動ではないと解釈されています。極端に言えば、選挙運動が法で禁止されている公務員や未成年にも認められ、今日からでも始めることができます」。ネット選挙が解禁された2013年の改正公選法ガイドラインでも「何ら当選目的がなく、単に特定の候補者の落選のみを図る行為である場合には、選挙運動には当たらないと解されている」としている。一方で、これまで落選運動があまり注目されることがなく、問題が表面化することはなかったが、岩渕氏は“落とし穴”もありそうだと付け加える。

 例えば、ある選挙区で立候補者が2人しかいないケース。特定の候補者を落とそうとする運動が、もう1人の候補者を当選させる目的がある、と解釈されないのか。岩渕氏は「落選者らが司法に訴えた場合、公選法に照らすとグレーな部分があると判断されるかもしれない。司法は、落選運動があまりにも大きく広がり、結果として特定の候補者の当選につながることになれば、選挙運動に該当すると判断するかもしれません」と説明する。司法判断は、社会情勢に影響される部分が否定できないからだ。

 選挙に影響を及ぼすとの懸念もある。落選させたい候補者がいても、受け皿になる候補者がいない時、棄権が増えて投票率の低下を招くかもしれないからだ。また、米国のネガティブキャンペーンのように陣営同士の批判合戦になってしまうことも危惧される。落選運動は微妙な問題も含んでいそうだ。

 落選運動は目新しいものではなく、韓国では00年4月の総選挙で、市民団体が「不正腐敗に関与した」などの理由で、候補者86人を対象に落選運動を展開した。そのうち59人が落選し、威力が注目された。この動きを受けて日本でも同年6月の衆院選を前に、東京や大阪、愛知、静岡などで次々と落選運動を進める市民団体が生まれた。

 当時、東京にできた「市民連帯・波21」が全国に呼び掛けたところ、議員の資質に欠けるなどの理由で320人を超す議員の名前が挙がり、30人の落選候補リストを作成。結果的に6人が落選した。

 同じ取り組みをした「自公保ストップ首都圏ネットワーク」の元共同代表、宮本なおみさん(79)は「確かに数人落選しましたが、どこまで効果があったかは分からない。運動の成功には韓国のように多くの市民が参加する盛り上がりが必要ではないか」と振り返りながら話した。

3971名無しさん:2015/10/12(月) 12:00:25
>>3970

 市民団体などが行う落選運動を法的に支援する動きも出ている。政治家と金の問題を追及する市民団体のネットワーク「政治資金オンブズマン」の共同代表を務める阪口徳雄弁護士らが、「安保関連法案賛成議員を落選させよう・弁護士の会」(仮称)を近く結成する準備を進めている。

 阪口弁護士は「当面はホームページに落選運動の解説や立憲主義に反する議員の言動などの情報を掲載し、有権者に落選運動を呼び掛ける。また、全国からの情報が集まるサイトの開設も検討します。情報収集に向けては、できれば落選運動を行う大学教授や学生のグループ、各市民団体の全国連絡会議を作りたい」と話す。

 さらに、これまで政治資金の使途などに問題があった国会議員を刑事告発した経験を生かし、安保関連法に賛成した議員の金の問題を洗い出して公表し、落選運動を活性化させる考えもあるという。

 有権者が落選運動に注目する背景には何があるのか。岩渕氏は「選挙に勝ったから何でもできるという安倍政権のおごりや強引な政治が行われた結果、有権者も強硬な手段を選ぶようになった」と説明する。

 高橋氏は、有権者を軽く見る政治家の言動への反動と見る。「大阪市の橋下徹市長が都構想の問題で『反対なら選挙で僕を落とせばいい』などと繰り返していたこともありました。また、安倍首相は安保関連法について『国民の理解はなくても、いずれ分かる』と民意をバカにしたような発言をした。それならば落選させてやろうじゃないかという有権者の憤りがあるのではないか」。粗雑な政治手法が、強力なカウンター(反撃)を生んだという見方だ。

 岩渕氏は「落選運動が、政治に関心がなかった人々を変えるきっかけになれば評価したい。また、大事なことは、選挙の時だけではなく、政治家に対して『私たちは監視している』『当選したからといって政治家の好き勝手にはさせない』と常に意識させることなのです」と、落選運動がもたらす効果に期待する。

 落選運動が、民意を無視する政治家をけん制する有権者の武器になるのか。その試みは始まったばかりだ。

最終更新:10月12日(月)10時55分

3972名無しさん:2015/10/13(火) 23:10:00
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151013-00010000-seijiyama-pol
政党交付金をめぐる光と影
政治山 10月13日(火)19時30分配信

 政党交付金をめぐる2つのニュースに皮肉な因縁を感じました。1つは、みんなの党代表だった浅尾慶一郎議員に対し、総務省が政党交付金8億2600万円の返還を求めたとのニュース。もう1つは、分裂が確実となった維新の党で、今年度だけで26億6478万円に上る政党交付金の分配方法について、協議が平行線になっているとのニュース。かつては合流話に花を咲かせた両党の一方が解党、もう一方が分党にまつわるカネの話。

みんなの党が最後に見せた矜持
 浅尾議員に返還を求めた総務省によると、「党本部解散に伴い返還を求めるのは初めて」とのこと。このニュースに首を傾げた人もいるのではないでしょうか。金額の大きさもさることながら、過去の解党パターンを見れば、最後は議員の頭数で割った山分けで「残額なし」として終わるのが永田町の常識。同省が返還を求めたのが初めてという点もこれを裏付けています。

 この経緯について、最後の代表となった浅尾慶一郎衆院議員(無所属)がBLOGOSで心境を語っています。

……当時国会議員は20名おりましたので、1人当たり8000万円を山分けできると考えていた議員もいたことは事実です。しかし、このお金の原資の大部分は政党交付金です。つまり、税金から支払われたお金です。そして、みんなの党はもともと税金の無駄使いを無くすと訴えていた政党でした。本来帰属すべきでない所に税金を使うよりは、国庫に返納することが党の最後を飾るのに相応しいと考えました……

14億円を国庫に返す英断にもっと光を
 浅尾議員の言動を額面通りに受け取れば、永田町らしくない?限りなく透明に近いカネの処理で、清々しい終わり方です。創始者である渡辺喜美氏のカネの問題で内部分裂が深刻化し解党に至った同党ですが、最後は党の本懐を遂げる終わり方でした。それまでの支持者や渡辺氏の厳しい監視もあった結果とは思いますが、12月の交付金支給予定も含め14億円強を手放すというのは、並大抵の覚悟ではありません。国会議員20人が示し合わせて12月まで党を存続させれば1人8000万円が手に入る状況で、国庫に返納する選択肢を選べる議員は、残念ながら今の国会議員の中でもごく限られた人々だけではないでしょうか。余ったカネを返すという当たり前の話ではありますが、政治の世界では極めて非常識かつ驚きのニュースです。

 名は体を表すと言います。最後は自らの矜持を守り、「所属議員みんな」が納得するのではなく、「国民みんな」が納得のいく有終の美と言えます。自民党田中派が権勢を振るっていた時代の政治とは隔世の感があります。

 今回のような「政治とカネ」の光の部分がもっと脚光を浴びれば、影の部分が駆逐される動きにつながるのではないかと想像します。近年議席を増やしている共産党に至っては政党交付金を受け取っていません。

3973名無しさん:2015/10/13(火) 23:10:49
>>3972

さはさりとてカネは要る……
 とはいえ、昔も今もカネが権力の源泉であることに変わりはありません。カネがなければ立候補のための供託金すら出せません。選挙戦に入れば益々カネがかかります。昔のような派閥議員への「餅代」や有権者に直接配る「実弾」のような隠語で呼ばれるカネは不要となっても、最低限の「軍資金」がなければ同志を募ることもままならないのです。

 維新の党は、党名の扱いや政党交付金・借金の扱いをめぐって分党協議が続いています。橋下徹・大阪市長は当初、「お金はいらない。全部向こうに渡したらいい」と語っていましたが、先立つものがなければ11月22日投開票の大阪府知事・大阪市長ダブル選も満足に戦えないという現実があります。約5億円と言われる借金の多くが5月の大阪都構想をめぐる住民投票の宣伝費などで費消した点をみても、党勢拡大のためにカネは必需です。

議員を動かす影なる力
 今回の分党劇。経緯としては柿沢未途前幹事長による山形市長選での個人的な応援が発端でした。しかし、橋下市長と松井一郎・大阪府知事の本音は、民主との連携を模索する現執行部に任せていては改革政党のイメージが傷付き、近づくダブル選で対立陣営有利に働きかねないとの計算があるのではないでしょうか。選挙戦までに現執行部と袂を分かつ必要があったのでしょう。

 分党協議が平行線をたどればカネも動きません。それを見越してか、おおさか維新に行かず現在の維新に残留する議員が過半数に及ぶとの観測もあります。ダブル選の結果次第で、金看板である橋下市長の引退後はおおさか維新とて安泰とは言えません。どちらについても有権者が離れジリ貧になるとすれば、カネを握る側に付いていれば解党の際のおこぼれにあずかれるかもしれない、という計算も働きます。議員を動かす影なる力が何かを見極めれば、政界地図も違った見え方をするのではないでしょうか。

<フリーライター 上村吉弘>

3974名無しさん:2015/10/14(水) 21:08:44
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151014-00010000-seijiyama-pol
日本で唯一!?よそ者20代当選議員だけでつくる2人会派の挑戦(前編)
政治山 10月14日(水)13時30分配信

 東京から陸路で約7時間、空路でも約5時間ほど離れた、紀伊半島の最南端からやや東にある和歌山県新宮市。人口約3万人の同市は、2004年に世界遺産に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」(いわゆる熊野古道)の一部を有する歴史ある街です。そんな新宮市の市議会議員選挙で2011年に25歳で初当選され、今年4月に29歳で再選された並河哲次さん(大阪府出身)と、27歳で初当選された北村奈七海さん(長野県出身)にお話を伺いました。

自分の信念を曲げないと決めていたから、16対1とかザラでした
【仁木】 並河さんは議員2年目の2012年に『Chikirinの日記』のインタビューで、新宮市に移住した経緯や立候補の理由、大災害への対応等、当時、とても興味深く読ませていただいたことが記憶に残っています。今回は、それ以降の活動や、今、挑戦していることについて教えてください。

【並河】 あのインタビューでは、議会活動について触れていないので、その話からしたいと思います。

【仁木】 お願いします。早速ですが、並河さんは、議会活動にはどういうスタンスで取り組んでおられるのですか?

【並河】 議会では自分の信念を曲げないと決めていたので、最初から批判的な立場を取ってしまいましたね。自分が思うことを曲げてしまうとストレスフルになって死んじゃうんで(笑)。

【仁木】 なるほど。それはどういう信念ですか?

【並河】 将来のことを常に考えるようにしています。その中で、財政的な視点を含めて合理的かどうかを大切にしています。本当に将来世代にとっても必要な事業なのか、もっと費用対効果を高める方法があるのではないか、とか。論理的に考えられていないところを突っ込んでいくことをしてきました。

【仁木】 ある意味、民間だと当然の考え方ではありますよね。

【並河】 ですが、ここでは少数派で、例えば、津波対策で堤防を作る、という議案があって、場所を見てみると県が浸水域発表をする前に決めたものなのです。なので、なぜここに作るのか?と根拠を問う質問をすると、当局からは「並河議員は住民の生命を守りたくないのか」と答弁が来るのです。ええっ、そう来る!?みたいな。話が咬み合わないのです(笑)。

【並河】 おかしいと思ったことには反対をしていたので、1期目は16対1とかザラでした。

【並河】 僕、基本討論をするんですよ。違うことをいうときは必ず。自分の中ではっきりしていないと討論できないじゃないですか。なので、今まで自分の指摘が通ったことは無いのですが、間違っていると思ったことは一度もないです。それくらい自分で考えを落としこんでから発言するようにしています。

3975名無しさん:2015/10/14(水) 21:09:22
>>3974

「何を」言っているかよりも、「誰が」言っているかの方が重要な議会
【仁木】 反対する方がエネルギーを使いますよね。それ以前に、論理的な議論が成立しない、ということはもっと大変な気がします。

【並河】 全員では無いですが、ロジックに慣れていない方が多いと思います。世代的な価値観の差かもしれませんが、「何を」言っているかよりも、「誰が」言っているかの方が重要と考えている様子が伝わってきます。

【並河】 そのような状態ですから、次の選挙で再選しても同じことの繰り返しだと意味が無いなって。議会の中で仲間を作るのはもはや難しい状態だったので、これはもう新しい人に入ってもらうしかない!と思い、いろんな人に立候補を勧めていました。

議員のイメージですか?並河さんしか知りませんでした
【仁木】 そこで、北村さんと出会ったということですか。

【北村】 はい。1回だけ誘われて、頭に残っていました。大変そうやなぁって(笑)。

【北村】 当時、私は、地域活性化がしたくて島根県の海士町から新宮市に来ていたのですが、地域おこし協力隊はどうかとも言われていたので、市議会議員も含めて目の前に2つの選択肢が見えていました。私は怠け者な性格ですから、もっと住民の人から厳しく見てもらえる立場の方が良いなとも思っていました。もしかしたら市議会議員という仕事も向いているかもしれないと考えるようになりました。

【仁木】 その時の議員のイメージってどういうものだったのですか?

【北村】 それまで自分が議員になろうとか全く考えたことは無くて、議員の知り合いなんていなかったので、並河さんです。

【仁木】 なるほど。並河さんと出会ったことで、議員になりたいと思ったということですか?

【北村】 当時は並河さんの議員としての活動を間近で見ていたわけでは無いですが、議会の中で1人で大変そうだ、という話を聞いていたので、年齢が近い人がそのように頑張っているということが印象的でした。もし、出会ったのが違う議員さんだったら、議員になるという選択肢は出てこなかったと思います。

3976名無しさん:2015/10/14(水) 21:09:54
>>3975

選挙期間中、2日に1回くらい泣いていました
【仁木】 20代で、しかも、地縁も組織も無く選挙を戦うことは極めて困難だと思いますが、2人とも当選できる自信はあったのでしょうか?

【並河】 いや、全然。とにかく必死でした(笑)。

【北村】 選挙のやり方もわからないですし。人に動いてもらうことが一番難しくて、北村さんの本気がわからないって何人からも言われました。自分では一生懸命しているつもりでしたから、そんな自分が不甲斐なくて、選挙期間中、2日に1回くらい泣いていました。

【北村】 最終日に県外から手伝いに来てくれた友人こう言われたんです。お前はどちらかというとダメ人間だから受かるわけない。だから応援に来たって。

【仁木】 支えてあげなきゃって思わせられたのかもしれませんね。何というか、ボトムアップの力で勝利を勝ち取ったという感じですね。

【並河】 僕らの陣営はほとんどが20代30代の同世代の若者なのですが、それぞれ必死に戦う姿を見ていたので、選挙後に協力していこうという雰囲気が自然に生まれましたね。

【仁木】 何だかお二人を見ていると、固定化された「政治家らしさ」を演じることなく、自分たちが正しいと思うことを自然体で貫き通しているように感じます。だから若者が集まってくるのでしょうね。何より、楽しそうです(笑)。
 お二人だけで立ち上げられた新会派『新宮政策研究所(略称:新ラボ)』という名称も、新しさを感じますね。議員名簿に載っている電話番号がお二人だけ携帯電話というのも象徴的です。

(後編に続く)

<一般社団法人ユースデモクラシー推進機構 代表理事 仁木崇嗣>

3977名無しさん:2015/10/19(月) 23:53:03
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015101900346
政党資料、保管一元化を=河野行革相

 河野太郎行政改革担当相(公文書管理担当)は19日、国立公文書館に関する有識者会議で、歴史的価値のある政党資料について、政府として一元的に保管すべきだとの考えを示した。国会図書館や国立公文書館などに散在している現状を是正する必要があるとの認識を示したものだ。
 河野氏は、父の河野洋平元衆院議長が旧新自由クラブに関する資料を、自民党復党時に国会図書館に寄付したことを紹介。その上で政党資料について「位置づけを明確にすべきだ」と述べた。
 出席した有識者からは「近現代史の研究で貴重な政党関連の資料をどう保管していくかが盲点になっている」といった指摘が相次いだ。 (2015/10/19-13:14)

3978名無しさん:2015/10/20(火) 22:00:35
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015102000757
9党に80億円交付=総務省

 総務省は20日、2015年の政党交付金の第3回分として、9政党に計80億300万円(100万円未満切り捨て、以下同じ)を支給した。制度に反対している共産党は受給を申請していない。 
 各党への支給額は次の通り。
 自民党42億6200万円▽民主党19億1700万円▽公明党7億3800万円▽維新の党6億6600万円▽次世代の党1億6300万円▽社民党1億1700万円▽生活の党と山本太郎となかまたち8200万円▽日本を元気にする会2900万円▽新党改革2600万円(2015/10/20-18:08)

3979名無しさん:2015/10/20(火) 23:25:08
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151020-00010000-seijiyama-pol
白票にも政治を動かす力はあるのか
政治山 10月20日(火)11時30分配信

 来夏の参院選で選挙権年齢が18歳以上に引き下げられますが、若者の選挙に対する無関心は年々広がっています。総務省が作成している年代別投票率の推移では、全世代で右肩下がりの投票率ですが、40年前に比べて、年代別の投票率の差が徐々に開いていることが見てとれます。

 「投票したい候補が選挙区にいないから」という意見もよく聞きますが、こんなときは白票を投じるという選択肢もあります。ここでは、「棄権も白票も変わらない」と思っている方に、白票の持つ意外な力を解説します。

議員は選挙に行く人のために政策を語る
 少子高齢化社会で若年層が少なくなる中で、投票率の格差まで大きくなると、候補者はより影響力の強い年齢層が望む政策を重視するようになります。政策は影響力のある世代に傾いていくのが選挙に命運をかける議員のインセンティブ(動機)になります。

 例えば社会保険分野では、将来に過度な負担をかけないための制度設計をどうするかで年齢層によって考え方が大きく変わります。自分が現役の時は負担を少なく、受給する時に手厚い保護を受けたいという思いは、どの世代でも共通です。また、憲法改正についても年齢層が若くなるに従って肯定的な意見が多くなる傾向にあります。

 若い方々が棄権すれば、政治は相対的に若者向けの政策から遠ざかっていきます。とはいえ、「投票には行きたい。しかし、投票したい候補者がいない」という方も多いでしょう。国政レベルならともかく、都道府県議選、更には市区町村議選ともなると、候補者の顔も分からない。どんな人かも分からないのに、いい加減な投票はできない。

棄権か。白票か。

 どっちも同じだから、行くのをやめよう。それが多くの棄権者の考え方かもしれません。しかし、両者には似て非なる性質の違いがあります。どちらも、積極的な意思表示をしない点では同じですが、後者には消極的な意思表示の効果が期待できるのです。

白票は投票率にカウントされる
 白票は、候補者の得票率にはカウントされませんが、投票率にはカウントされます。多くの若者が白票を投じ、投票率が上昇したらどうなるでしょうか?

 候補者は「若者向けの政策もケアしなくてはいけない」と考えることが期待できます。また、白票は無効票になりますから、無効票の増加は浮動票や無党派層が増えているとそれぞれの後援会が分析し、より緊張感のある政策論争につながることも期待できます。

ゆくゆくは候補者差し替えにつながる?
 さらに、投票率が高い割には得票率が低い場合、各党や選対本部は候補者に実力がないと見て、後々の候補者選定にも影響を与えるかもしれません。

 決してポジティブな投票行動とは言えませんが、どうしても投票したい候補者がいないとき、棄権するよりは多少なりとも影響力がある。その程度の意味はありそうです。

<フリーライター 上村吉弘>

3980名無しさん:2015/10/31(土) 13:28:55
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151027-00010003-agora-pol
在野で政治を話し合うということの地味さ・難しさ --- 宇佐美 典也
アゴラ 10月27日(火)16時10分配信

この半年、都議会議員の音喜多駿氏と一緒に「あえて政治の話をしよう」(http://synapse.am/contents/monthly/usamiotokita)というオンラインサロンを展開して参ったのですが、この度めでたく三期メンバーの募集をかけることになりました。

正直なところ政治ネタでオンラインサロンが成り立つとは思っていなかったのですが 、有り難いことにぼちぼちメンバーに集まっていただいて、細々ながら少しずつ運営も拡大して、北区議会議員の斉藤りえさんと、我孫子市議会議員の水野ゆうきさんなどにもライターとして加わってもらっています。またこれまで、小黒一正氏、駒崎弘樹氏、松田馨氏、呉座勇一氏、などを招いて講演会も重ねて参りして、結構マジメな議論をしてきました。
で、こういう活動を積み重ねていく中で感じるのは、「与党外で政治について地に足をつけてに議論する」ということの難しさです。

日本では一時期の例外を除いて基本的には自民党がずっと政権を担って来たこともあって、「野党」というのは「政府を批判しつつ改憲させない」ことが仕事になっている感があります。そういう環境ですと「批判をする」ということに活動のバイアスがかかってしまうわけで(少なくとも国政レベルでは)野党議員の政治活動は地に足のついた建設的な議論をするというよりも、「アンチ与党」的に政府の粗を探したり矛盾をつくことが主にならざるを得ないところがあります。

一言で言えば「野党の立場でマトモな政策論を語っても実現しないんでしょうがない」ということなのですが、結果として政治メディアも含めて我が国の在野の政治議論というのは実現性を加味しない上っついたものになりがちで、実のある建設的な政策議論が官僚に任せっきりになっているのは否めないことだと思います。

英米のようにしばしば政権交代が起きる可能性があるならば、市中でも改革に向けた地に足の着いた議論というものが為される蓋然性というのももう少し高くなる気がしますし、意思さえあれば変わることも可能だと思うのですが、なんというかこの構造に慣れすぎていて野党議員にも支持団体にもメディアにも恐ろしく強い慣性の法則が働いているように感じています。

そんな中で音喜多は都議会の零細派閥の議員で、私も小さな企業を経営しつつ政治がらみのコンサル仕事をたまに受けているような立場でして、両名とも与党とはほど遠い立場にいるわけです。ならば「野党か」というと、その立場に振り切るわけでもなく、宙ぶらりんな「在野」とでもいうような立ち位置にいます。現実を見れば今の与党や政府のスタンスも理解できるけど、持続可能性を考えると何処かで大胆な改革をしなければこの国が持たなくなるのは明らかな中で、そういう構造の中で自分たちが将来的に何が出来るか考え迷っている、というようなところでしょうか。

そんなわけで我々のサロンでは国政レベルの構造に巻き込まれずになんとか在野でも地に足の着いた議論ができなものかと、なんとなく名のある一匹狼な地方議員を中心にメンバーを拡充しているのですが、その分活動が地味になっております。ただなんというか政治の議論って本来こういう地味な物なのではないかとも思っているところでして、これはこれで長く続けて少しずつ大きくしていけば意味が出てくるのでは無いかと期待しております。

そんなわけで「在野で政治について考えたい」という奇特な方は是非サロンにご参加くださいませ。
http://synapse.am/contents/monthly/usamiotokita

ではでは今回はこの辺で。


編集部より:このブログは「宇佐美典也のblog」2015年10月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のblog(http://usami-noriya.blog.jp/)をご覧ください。

宇佐美 典也

3981名無しさん:2015/11/07(土) 13:28:45
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151106-00010001-seijiyama-pol
政党名にルールはあるの?
政治山 11月6日(金)18時30分配信

 次世代の党が月内にも臨時党大会を開いて党名変更を検討するようです。分裂した維新の党でも話題となった政党名ですが、名称にどのようなルールがあるのでしょうか。

「支持政党なし」という政党が10万票を獲得
 これに関して、昨年末の総選挙で「支持政党なし(略称・支持なし)」という政党が比例北海道ブロックに立候補を届け出たところ、次世代の党の3倍近い10万票以上を獲得するというエピソードがありました。届け出順が最後だったため、投票用紙に記載される政党名も端になり、そのまま「支持政党なし」「支持なし」と記入した人も多かったと思われます。

 非常に紛らわしくミスリードを誘う政党名に見えますが、現行の公職選挙法には抵触していません。同法86条の2(衆院選)と同じく86条の7(参院選)の条文では衆参各選挙の比例代表選出に関する政党名の規定があり、「党代表や候補者の氏名が類推されるような表現」を禁止しています。

「ますぞえ新党」はNG
 これに抵触しかけた事例として、2010年4月、新党改革を旗揚げした舛添要一・参議院議員(現東京都知事)が、略称を「ますぞえ新党」とする方針を表明しましたが、中央選挙管理委員会が認める見込みがないことが判明したため諦めた、というエピソードがあります。

 昨年末に結成された「生活の党と山本太郎となかまたち」の場合はどうでしょうか。

「くまちゃんの肌触りは世界一」も禁止規定には違反せず!?
 生活の党の実質的な前身である「国民の生活が第一」が結成されたとき、歌手・宇多田ヒカルさんがツイッターで「ついに政党の名前にもキラキラネームきたか……こうなると『くまちゃんの肌触りは世界一』党の結成も夢ではないな」とつぶやき、話題になりました。

「生活の党と山本太郎となかまたち」はOK
 その後、日本未来の党に合流し、生活の党へと党名変更が行われ、落ち着いたかに見えました。が、昨年末、政治資金規正法上の政党要件である所属国会議員5人を満たすために山本太郎議員が合流。「生活の党と山本太郎となかまたち」という党名に。この破壊力はすさまじく、「憲政史上に衝撃が走る」と新聞の見出しになったほど。

 そんな字面の衝撃とは別に、共同代表である山本議員の氏名が党名に含まれているので、「氏名が類推されるような表現」の禁止規定にピタリと当てはまるようにも見えます。

 しかし、公選法上の代表者は小沢一郎議員のみで届け出がなされており、問題ありません。山本議員が比例名簿に登載されない限り、衆院小選挙区や参院選挙区での立候補は可能のようです。

公序良俗に反しないかを総合判断
 では、政党名は一体どこまで自由が認められるのでしょうか。

 総務省管理課によると、「公序良俗に反しない」という条件に照らし合わせて、個別に判断するそうです。ブラック無党やTOTO、左党、鈴木君などでも大丈夫なのか……個別に尋ねたところ、「この場で即答することはできません。届け出がなされてから総合的に判断します」との返事。既成政党ではなく企業名と重なった場合なども、一概に許可か禁止かは明言できないとのことです。「支持政党なし」に関しては、次回以降も「特に禁止規定に当たらないため認められるでしょう」との回答でした。

<フリーライター 上村吉弘>

3982名無しさん:2015/11/08(日) 09:12:12
http://www.asahi.com/articles/ASHC67G0MHC6UTIL06H.html
「顔で受かった」「男性票狙い」 女性議員は容姿なのか
三島あずさ2015年11月7日21時46分

 「『顔で受かった人ね』と言われた」「スカート丈やヒールの高さを注意される」――。朝日新聞が今春の統一地方選で初当選した女性議員に行ったアンケートには、容姿や服装が注目されることに戸惑う声があった。「見た目」が有権者の判断材料になりうるという現実がある一方、男性に比べて、女性の容姿に注目が集まりがちなことには批判の声もある。

 アンケートでは、「当選するまでの間に『女性だから』という理由で直面したハードル」(複数回答)として、「容姿や服装で評価される」を挙げた人が67人(15%)いた。自由記述欄にもさまざまな体験談が寄せられた。

 「個人的に会いたい」「携帯電話の番号を教えて」――。東京都八王子市議の佐藤梓さん(31)=社民党=のもとには選挙戦前後、見知らぬ男性からこんなメールが何通も届いた。週刊誌やインターネットで「かわいすぎる市議」などと騒がれていたからだ。

 ストレートのロングヘア。部活に打ち込んだ学生時代に縁遠かったスカートを好んで身につける。「男性票を狙っている」という陰口はまだしも、初対面で「『美人』と言われてるけど普通だね」と言われた時はさすがに傷ついた。

 「見た目」に注目が集まったことについて、佐藤さんは「無名の自分を好意的に取り上げていただけてありがたいと思った半面、外見ばかりクローズアップされたのは少しショックだった」と振り返る。

残り:1018文字/全文:1603文字

3983名無しさん:2015/11/08(日) 09:13:34
>>3982

http://www.asahi.com/articles/ASHC53W7QHC5UTIL00X.html
「服装は主張。認められる仕事すればいい」佐野美和さん
2015年11月7日21時48分

 女性議員と「容姿」について、元ミス日本で東京都八王子市議を務めた佐野美和さんに語ってもらった。

     ◇

 「外見についてとやかく言われたくない」というのははっきり言って甘い。女性で、ましてや若ければ、嫌な思いをすることを差し引いても選挙で十分恩恵を受けたはずです。若さや見た目の良さは武器。当選しなければ何の政策もできない。選挙に出た以上、何と言われようと「自分を気にかけてくれているんだ」とプラスに受け止めるべきです。

 私が八王子市議になった20年前、若い無所属の女性が選挙に出ること自体、異例だった。今はもうそれも珍しくない。何の後ろ盾もない20代の女性でも、政治にかかわれる。そういう道を切りひらいてきた自負はあります。

残り:798文字/全文:1116文字

3984名無しさん:2015/11/10(火) 20:52:33
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151110-00010000-seijiyama-pol
国会議員の秘書は閉会中何をしているのか
政治山 11月10日(火)12時30分配信

 「国会議員は閉会中何をしているのか」で、議員の動向を紹介しました。では、秘書は閉会中何をしているのでしょうか。

議員会館は館内外とも静かに
 議員会館の各事務室は会期中と変わらず、各事務室には秘書が待機しています。表面上は何も変わりません。

 ただ、会期中の議員会館は、本館(国会議事堂)や別館、分館を往来する議員や職員も多く、受付のある1階と地下連絡通路のある地下1階は、ざわついた雰囲気ですが、閉会中は人の行き来が少なくなり、休日の学校に近い状態になります。

 議員会館の内側だけでなく、外側も閉会中は比較的静かです。会期中はデモで賑やかですが、議員不在の中で叫んでもあまり意味がないということでデモや街宣車はあまり見かけなくなります。

不在の事務室も増える
 会期中も閉会中も、会館の事務室はドアを常時開放している部屋が半分程度あります。閉会中になると、ドアが閉められている部屋の中には不在の部屋も散見されます。「当分の間、不在となりますので、郵便物はポストにお願いします」といった貼り紙が郵便受けの上などに掲示され、段ボールに数日分の新聞が溜まっている部屋をよく見かけるようになります。

 議員と共に秘書も地元回りをしたり、政治資金パーティー開催の案内に回ったりと、議員事務所によって活動内容はまちまちです。しばらくイベントがないタイミングを図って会館事務室を数日間閉じて、スタッフ全員で休暇を取るところもあります。

 補正予算や来年度の予算編成が本格化する年末年始に向けて、様々な業界のロビー活動も盛んになるので、議員会館をあまり長期間空けておくわけにもいきません。議員が不在の場合は秘書が地方から来た業界団体を迎え入れて要望書を預かり、陳情を聴き、時には署名請願の紹介議員になります。

秘書の役割は千差万別
 閉会中の議員会館での仕事は会期中と同様、議員のスケジュール管理や来客対応、電話・郵便物の確認が基本ノルマですが、秘書の役割は各議員の差配によるので、一律なものはありません。本来は政策立案のために設けられた政策担当秘書の中には、会期中から選挙対策業務や会計業務にばかり追われている人もいます。

 議員会館に公設秘書3人だけでなく私設秘書も数人付けて政策担当から運転手役、はたまた渉外担当、身の回りの世話役……などと、それぞれに専門職を割り振る議員もいれば、1人しか置かず雑務全般を任せる議員もいます。

 残りの公設・私設秘書はパーティーや国政報告会の参加を募る「営業回り」に行ったり、地元でポスター・立て看板を設置してくれる協力者・支持者を求めて外回りに奔走したりします。彼らの活動は議員の政治活動をアピールする役割も果たしています。

3985名無しさん:2015/11/10(火) 20:52:52
>>3984

協力しながら諜報活動?
 都内で開催する政治資金パーティーやセミナーは、当日の会場準備や受付で人手が足りないこともあるので、日頃から付き合いのある他の事務所の秘書や政党職員に応援を求めます。ギブアンドテイクの世界なので、要請を受けた事務室は特に予定がなければ、手が空いている秘書全員を投入し応援します。

 パーティーの規模は「力のバロメーター」でもあるので、応援に来た秘書や政党職員は人数や参加者の内訳、挨拶内容、雰囲気などをチェックし、後で議員や上司に報告する偵察部隊の役割も果たしています。

 党や会派の要請を受け、または付き合いのある国会・地方の議員が選挙戦に入ると、議員は秘書を応援に派遣します。時には遠方に1カ月以上派遣される秘書もいます。めでたく当選したあかつきには、双方とも口には出しませんが、大きな貸しが議員間で生じます。ギブアンドテイク、貸し借りの世界なのです。政略的に貸し借りをうまく使い分けて有力な議員との関係性を築くことが、議員の発言力を高めることにつながります。

地元は逆に忙しくなる?
 議員会館とは対照的に、地元の事務所は会期中よりも閉会中の方が忙しくなることがあります。会期中、国会議員は一般に「金帰火来」と呼ばれる行動パターンを取ります。金曜の夜に選挙区に帰り、週末に地元で政治活動をして火曜に東京に戻ることで、地元秘書は平日よりも週末が忙しくなります。

 同じように、会期中よりも閉会中の方が議員は地元に長居できるので、地元事務所の「繁忙期」となります。議員が腰を据えて地元回りができる貴重なタイミングでもあり、前もって後援会有力者の日程を調整して国政報告会やミニ集会、パーティーを企画し準備に追われます。

 国政報告会などの案内ハガキやチラシ、国政報告レポートを折ったり封入したりする作業も必要です。後援会の規模にもよりますが、有力な議員事務所だと支持者や学生を何人もボランティアやインターンで招き、人海戦術を駆使して単純作業を回します。議員事務所によっては、議員会館を閉じている間、議員と共に東京のスタッフも地元入りして、後援会活動や挨拶まわりに精を出します。

<フリーライター 上村吉弘>


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