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選挙・議員関連情報スレ

3905チバQ:2014/11/04(火) 22:23:37
http://mainichi.jp/select/news/20141104k0000e010179000c.html
田村元さん死去:辛口の政界ご意見番
毎日新聞 2014年11月04日 11時59分(最終更新 11月04日 12時02分)

 「自民党のご意見番」と呼ばれ「タムゲンさん」の愛称で親しまれた元衆院議長の田村元さんが亡くなった。現職時代から定評のあった辛口の政界批評は、引退後もたびたびマスコミに取り上げられるなど、「政治腐敗」を嘆きつつ、90年の生涯を閉じた。


 ◇「反金権」の田中派重鎮

 1955年の衆院選で旧三重2区から全国最年少議員(30歳)として初当選。その選挙運動で、選挙区内を駆け回った時に使った原付きバイクは、「初心忘れるべからず」と、毎年正月にしめ飾りを付け替えて、三重県松阪市内の事務所に飾っていた。

 衆院議員在職41年余り。運輸相時代は成田空港の開港、通産相時代はココム違反問題の処理に奔走した。

 大野派や田中派などに所属したが、派閥になじめず、「一匹オオカミ」といわれた。田中派では、派の重鎮でありながら、たびたび田中角栄氏と意見対立した。自身が関わり、不成功に終わった自民党総裁選での総理・総裁分離案提案や、「二階堂擁立劇」については引退後、「田中金権政治に反発してやったが、当時、絶対的な力を持っていた角栄さんに事前に漏れてしまった。ほろ苦い思い出」と話していた。

 引退後の2001年春には、森喜朗首相退陣をめぐる自民党の混乱について「情けないの一言。この期に及んで、派閥次元の愚かなことをやっている」と嘆いた。

 現職時代は終始、金権腐敗を批判したが、実弟が三重県建設業協会長を務めるなど建設業界の実力者だったことなどから、選挙戦では逆に、相手陣営から金権選挙と言われた。これに対して「弟の会社の株は1株も持っていないし、献金も受けたことがない。(実業家から政治家に転身した)藤山愛一郎さんも清らかな人だったが、大財閥ゆえに批判された。選挙戦とはそういうもの」と反発していた。【田中功一】


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